源究4242

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
460 格差是正 11/16 465 願文 11/28
461 昼夜兼行 11/19 466 三日坊主 12/2
462 障害福祉計画 11/22 467 戦国時代 12/3
463 障害者の経済学 11/23 468 白川郷 12/4
464 第1回勉強会 11/26 469 県福祉計画策定 12/5

460:格差是正

西武の松坂が60億の入札額で大リーグ:レッドソックスが入団の交渉権を得たという。更にこの金額に松坂個人との契約額が上乗せになる計算だというから、驚くばかりである。羨む者は多いがその金額が不公平だと不満を言う人はいないようだ。これは個人の能力を如何に評価されるかという当にプロ世界のルールを誰もが認めているからだ。大リーグの一つのチームには200名を越える選手がいてレギュラーになるための過酷な競争が日夜繰り広げられているという。ここから這い上がってきた者が栄光を勝ち取るのだから確率としては非常に厳しいものがある。そこで我に返ることになるのだが、福祉業界は果たしてプロに成りうるか?という疑問。プロ野球とは比較すること事態に無理があるのは分かる、しかしどうだろう、突拍子な言い方をすれば福祉や教育の関係者にはPLANがあってもDOとSEEに問題があると思える。分かりやすく言えば「計画倒れ実行伴わず」という実態である。国、県。市町村には福祉計画なるものを策定する義務がある。私自身が策定委員になっているから良く解っている、計画の中身はどこの計画を取り寄せてみても大差がない。数値目標も明示されてはいるが、残念なことに中間での進行チェックがなされない。中長期計画という訳の分からないものだから最初から逃げ場が用意されているわけだ。昨日、教育基本法の採決が野党全員欠席の中で可決成立した。福祉の問題と教育の問題は表裏一体、私はいくら立派な法律を作ってみてもDO(実行)とSEE(評価)の曖昧な状況が是正されなければ絵に描いた餅だという意見だ。いじめや虐待問題、何一つ解決のメドがたっていない。福祉:教育業界がプロの世界に仲間入りできない大きな理由の一つは問題が起こっても責任の所在を有耶無耶にする体質にある。良い例として学校でのいじめ問題、自殺までして世の中に訴えている子供達に世の大人達が何ができますか????現場の最高責任者であるはずの校長は実態を明らかにすることを恐れ、ただ謝罪の言葉を言い頭を下げ続けるだけ。真の改革をしようとする以前に自らの保身に四苦八苦。もし松坂が大リーグで契約通りの実績が上げられなかった時には当然解雇になる。そこには役割と責任が誰が見ても分かるような仕組みがある。校長の・・教師の・・・??「評価」についてもしかり、大分前に学校での五段階評価が問題になったことがあった。その評価が絶対的なものか相対的なものかということ。しかし、なんの為の評価なのかという肝心な点は有耶無耶、そんなこと誰しも分かっていた進級の為の選別資料に使われる。でも時代は大きく変わった。少子化によって学生募集に躍起になっている学校が如何に多いか。AO試験や推薦で早い時期に学生を確保する青田刈り現象が相当進んでいる(一般入試による入学者は50%を割っている)。また誰でも入学できる時代にすでに突入しているにもかかわらず、この時代の変化に対応できない。教育の原点を見失う。これと全く同じ状況が福祉の世界にも存在する。私が言う”格差是正”とは表面に現れたサービス報酬単価の違いや障害程度区分の違いを言っているのではない、何の為の誰の為のという根本的な問題認識の格差を言っているのです。

461:昼夜兼行

今はどうなっているのかなー?正確な時間は忘れたが深夜11時50分新宿発の夜行列車,中央線で北アルプスに行くときに利用した。出発間近になると、どこからともなく山登りをする人達が集まってくる。昼間の喧噪が嘘のような新宿駅の静けさの中にこれから聖域に向かうという緊張と日頃の雑然とした生活からの解放に胸膨らみ意気揚々と乗り込んだ・・・・・。これもまた後戻りできない過去への憧憬!
 何か小説を書いているような気持ちになっているのは確か。”昼夜兼行”=夜・昼構わずに目的を成し遂げるために行うことと辞書に書かれていた。先の夜行列車を運転する運転手は当にそうだ。しかし、世の中には労働基準法というものがあって違反になるから当然勤務明けは保障されているはずだろう。なぜ断定できないかといえば、実は自営業の方からすれば自らの責任で休まずに働きとおす場合があるからだ。それは違反にならない不条理だことだ。社会の仕組みは様々な関わり(縁)によって成り立っている。個人だってそうだ、こころの浮き沈みは周りからの何らかの縁(業)によって生起する。このことを私はGHを利用されているSさんから感じとる。彼は私どものGHに来る前は、たった一人で生活されていた。それが道路の拡幅によって住んでいた家が取り壊しになるという事態になり、福祉事務所を通じて入所することになったのである。まだ1年が経っていない。最初は今までの生活が続けられなくなったことを全く納得しておらず、GHで生活することに強い反発をしていた。当然、彼の口からは不平不満が多く出た。彼は以前に足を怪我して歩行が不自由、片足を引きずるようにしてゆっくりでしか歩けない。
 怪我をしたこと、更には住み慣れた家まで取り壊される状況になったこと、全てが彼の身に振りかっかた想定外の現実、そして、全く縁もない我々との関わり・・・・彼の心中を察することはできない。
 しかし、徐々に彼のこころに変化が見えてきたのも事実。それが何故なのか私には正直わからない。
 朝、彼が学園までGHから歩いて行く時に私も歩くので一緒になることが多くなった。最近は「おはよう」と彼から私に挨拶してくるのだ。「寒いな」「うだなー風邪ひかねーか?」ゆっくりしか歩けない自分の事が分かっているからだろう。「先に行っていいよ」と私を気遣う。
 彼は毎日早めにGHへ歩いて帰っていく。彼の畑があって、作っている野菜の管理をするために早めに戻っていくのだ。いつ覚えたのかな?と感心するくらい、彼の農業技術はすばらしいのだ。捨ててあるビニールをどこからか拾ってきて霜よけにと竹棒を四隅にたててビニールを張る。白菜には紐で葉が散らばらないようにきちんと縛ってある、これは生きるために覚えた工夫だろう。「今度野菜できたら持っていくから」と私に声を掛ける。彼のその時の表情が実にすばらしい。日本人の平均寿命から換算して寝ている時間の合計は約25年にもなるという。そんなに寝ているのか!年を取ると寝ている時間が勿体ない気持ちになるものだ。昼夜兼行・・・・あああ人生笑顔で生きられたらどんなにかすばらしいだろう。 25年とは言わないがどのくらい笑顔でいるのかなー。
 

462:障害福祉計画

土浦市における障害福祉計画策定委員に選任されて、本日が3回目の委員会だった。事前に計画書(案)が委員に配られ確認はされていたので今回で承認を得られ委員会を閉じることになった。そこで一言。平成18年度中に国は県と市町村において地域のニーズに沿った障害福祉計画を策定することを義務づけた。必要なサービスを提供しうる基盤整備と将来を見込んだ数値目標を明記することが本計画の鍵である。今日は最終の委員会ということでかなり活発な意見が飛び交い市当局も回答するのに苦労されていた様子が見られた。特に一般公募によって選ばれた委員の方は熱心で積極的な意見を持っている。国の示した指針による策定マニュアルに沿った計画書で確かに出来上がった計画そのものはきちんと纏められてあった。しかし、私が発言したことだが、自立支援法は障害者が地域において自立した生活ができる地域作りに最も大きな目的があるわけで、一部の関係者だけが認知した計画では意味をなさない。数の根拠に問題ありと言われることだが障害者は全人口の約5%といると言われる。3障害の中でもっとも身体障害者が多いことは誰しも認めること。知的の場合は如何なものか!支援費が破綻した状況から潜在する知的障害者の数はもっと多いとお思う。問題は障害者の数ではない。残り95%の一般の人々に福祉計画を如何に知らしめるかということだ。平成15年に支援法が始まった時にもグランドデザインによる市町村の障害福祉プランを作った。今回の計画とその時のものが期間が重複することもあり、その辺の整合性は大丈夫なのか?
 9割以上の方は介護保険とは違って残念だが感心がないとみたほうが当たっているだろう。何故かといえば誰しも年を重ねれば介護サービスを受けるようになるし、保険料も40歳から支払っている。しかし、自立支援法のサービスにかかる経費の財源は消費税にするか介護保険に統一するのか、未だはっきりとしない。今回決まったことはサービス費用の1割を利用者が負担するということだけ。所得保障も十分でない障害者がどのようにその負担金を工面するのか、全国では負担金が支払えないということで利用離れ現象が起こっている。更にサービス事業所も報酬単価があまりにも低い設定のために施設を閉鎖するという実例もでてきたと聞く。本来安心できるサービス提供を目指した自立支援法が悪法といわれる理由がここにある。また、今回の新法は見切り発車の上に様々な政省令が複雑に関係しており、難解なものとなってしまった。そして、いつの間にか変更や訂正が発表される有様で現場は勿論利用者も翻弄されている。このような現況で土浦の障害福祉計画が策定された。何か踏ん切りがつかない、後味の良くない印象を持ったのは私だけではないはずだ。計画実施の財源は大丈夫なのか?数値目標の達成度を測る進行チェックはどうするのだろう?など疑えばきりがない。茨城県内では計画策定が土浦市が一番早いかもしれない。担当者の意気込みだけは十分に感じることはできた合計3回の委員会だった。たいへんだぞー・

463:障害者の経済学

中島隆信という慶応の教授が書いた『*障害者の経済学』が話題になっている。先日買い求めた。表紙裏に書かれていた文が直ぐに目についた。・・・・生徒1.6人につき先生1人、生徒1人に年間930万円費やす養護学校。生徒16人につき先生1人、生徒1人に年間90万円費やす普通学校。多額の予算は障害者本人のニーズに合わせて使われているのでしょうか?子供を自立させることをためらう障害者の親・・・・・・
 正直ギクリとした。当に痛いところをついたという印象であった。世の中は矛盾が多い。法を犯して司法のやっかいになればマスコミがそれをとらえて盛んに報道する。しかしだ、上記ような内容になると本当に闇の中に隠れてしまって当事者にしか知られていない。福祉や教育関係者はどちらかというと費用対効果などの経済観念に無頓着に過ごしている。それが著者の中島教授が言わんとする所、国会で問題になっている教育基本法の改革について法律の文言をいくら討論しても、議員の先生どこか違うんじゃないですかと言いたくなる。巷を賑やかしている「いざなぎ景気以上の好景気持続・・」との報道と全く同じレベル、ピントがずれていて一般の人には全く関係ない次元の話。地元選出の先生よ、土浦の目抜き通りを見て下さいよ。いつもシャッターが下りている店がなんと多いことか、店終まいしたくとも解体する費用が工面できないというのが実情ですよ。ホントに。教育に関しては私の友人が結構現職の教員をやっている。校長になっている者もいるが、いじめや履修問題など実に大変な時代だと嘆いていた。そこで先ほどの中島教授の書かれた本だが80冊インターネットで即購入申込をした。しかし、売り切れて再販中とのこと、うちのスタッフに配って読んでもろおうと考えたわけ、先が読めない今の福祉現場でもがいているスタッフ、逆に今がチャンスだという発想の転換をする好材料だと思ったからである。正直、親、事業所、行政、それに障害者自身によって微妙に今の時代の感じ方が違うのは確かだ。経営を考えると利用者の本当のニーズがぼやけてしまう。障害認定一つをとらえてみても、事業所は利用者の認定がより重度に判定されることを望んでいる。いかにすれば重く判定がされるか。障害の区分によって報酬単価が異なるからそのような矛盾(?)した状況が現に出ているのだ。事業の存続に係わる問題だから深刻だ。一方、行政は厳しい財政状況の中で如何に経費削減を図るかが最大関心事、景気が回復基調にあるのならば税収も増えていて良いはずだ。しかし、一向に先の明るい話は出てこない。逆に累積で借金が増え続けている。今日の新聞でメガバンクの収支見通しが出ていたが、すごい黒字を各銀行出している。私は経済には全く暗いが、誰だって分かることがある。今の定期預金の利息を考えれば直ぐに分かる、利潤を消費者に還元するなど言葉では言っているが具体的に示されていない。せめて利息を3%ぐらいにできないものか!世界のトヨタの収益も最高額だと言う。レクサスとかいう高級車は一台で小さな家が建つ程高額だと聞いた。私はそのような車に乗りたいなど考えたこともないし置く場所もない(本堂に飾るわけにもいかないわな)、レクサスの販売店は他の車種販売店と比べ豪華なつくりになっている。格差社会の実態がここにある。私は自動車の収益には環境税を多額に掛けるべきだと思っている。空気汚染の責任負担だ。これこそ福祉でいう応益負担だと私は考える。
*中島教授はこの本の後書きで脳性麻痺のご自分のお子さんの事を触れています。当事者という立場と経済学者としての立場で今の福祉の実態を見詰めたわけです。出版元:東洋経済新報社『障害者の経済学』中島隆信著 
 

464:第1回勉強会

速報たった今水戸から帰宅した。今日は葬儀が急に入り11時から急いで葬儀を済ませ、友部サービスエリアで衣を着替えて水戸に向かった。私に取っては大切な会合があったからだ。開式10分前に滑り込む。この集まりは2ヶ月前から準備してきたもので自立支援法の勉強会だ。県:市から各2名の担当者が日曜日にもかかわらず、パネラーとして参加してくれた。それに加え家族会の代表と事業所の代表がそれぞれ今問題になっている点を発表したのである。「やらせ質問」は全くなし。またその必要も無かった。急に私に代わって司会と問題提起をしてくれた岡本さんお疲れでした。それに感極まって涙ながらに発表してくれた家族会の鈴木さん、貴方の気持ちは皆さんに充分通じましたよ。それに県からのお二人、この忙しいのに出席してくれてありがとうございました。いつもには無い本音が聞けた感じがしましたね。それに私の地元土浦市のお二人さん、良かったね、県内に土浦の努力が知れ渡ったようだし、でも気を緩めてはいけません、これからが真価を問われるわけですからね。私が提案したかったことの一つは施設家族会の連絡協議会の発足、強引に賛同を得たのかなー?少し反省しています。でも全国には既に殆どの県で組織されていたんです。知らなかったでしょう、ちょっと遅れを取りました。それに「第2回の勉強会はやりますか?」との私の問いかけに8割方の拍手の賛同を得たことも正直ホットしました。「茨城版の障害福祉づくり・・・・とは何だ!何をしようとするのか?具体的な方向が示せるのか・・」という厳しいご意見も逆に私にとっては正直嬉しかった。今回の企画で何かを感じてくれた証拠だもの。今まではあまりにも意見が出されない会合を長年繰り返してきたという反省にたっている。私がこの4月から思っていたことは先ず何が必要でどうすればそれが実現できるか?というテーマだった。それも会員と共に考え作り出せれば良いと思った。危機意識も無く通り一遍の議事を流すだけでは自ずと活気が無くなり、マンネリの巣と化してしまう。高額な会費を納める意味がない。「今時、それでいいのかい?」とかなり挑発的な問いかけを意識的に行った。きれい事ではなく自分が本当に困っていることを言い合える信頼関係が今一番必要だと思うんだよな。
 第2回の勉強会をどのようにしたらよいか全く白紙である。しかし、3時間の会議の中で質問がこれだけ出た会合は最近経験していない、正直嬉しかった。
 この熱い思いを是が非でも知事に届けていきたい。それが今日本中で県政に対する不祥事や疑惑への一番の良薬になるだろう。福祉の後進県ここに有りという汚名挽回だよ知事さん。当にここが踏ん張りところ、是が非でも安心して生活できる地域づくりを実現したい。1人の力は微力でも集結すれば必ず大きなうねりになれる。速報で纏まらず、ただただ、皆さんの熱心な顔が頭から離れず急いで報告することにしました。PM7時
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465:願 文

朝、4時前からパソコンに向かっている自分を故飛田先生が書かれた色紙「かまえなし」が睨む。もし先生が生きていたら一番先に相談しただろう。そして先生だったら「うん うん」とニコニコした顔で頷いて聞いてくれたはずだ。先生の素晴らしい所は決して言葉では「かまえるんじゃないよ」などと言わない、先生自身の生き様で教えてくれる所だ。だから安心できる。最近の自分を見ていると自棄に構えているなーと思っている。
 今日は早くから起き出している理由がある。今から富山に向かうからだ。今日の午後高岡にある会社に発注した梵鐘の火入れ式がある。昔からの伝統技法による鋳造が見られる楽しみがあって気持ちが高ぶっている。衣持参で苦労して書いた供養願文と銅トウバを持って出発だ。梵鐘に掘る字だが私は最初から決めていた。それは二文字で「共生」だ。何百年もつのか分からないが鐘を打つ度に地域に「共生の音色」が響くのだ。そのように考えるだけで心が躍ってしまう。
 願文は梵鐘に何を託すかということを文字に表す。後の時代にそれを見た人が何かを感じてもらえればそれで充分。人生長い人で80年、考えようによっては瞬時の出来事だ。鐘楼堂の基礎にルンビニーで拾ってきたレンガの破片を埋めた。実に2500年前の釈迦誕生の時代のものだ。願文には言葉だけでなく心で繋がる部分が大きい。そう思うと今、混乱している世の中が少しづつ問題整理されてくるように思えるのだ。
 いじめ問題だってそうだ。多くの子供達が全国でいじめを理由に自らの命を絶った。どうしてなのかといくら考えても分からない。これだって親子・友達・学校がこころで繋がる(安心の共有)ことの大切さを見失ったからだと思うのだ。心の繋がりって何だろう!私も友人を1年前になくした。今でもその事が頭から離れない。自分と彼の関係がこちら側では友人と考えていても相手はどうだったのか?今ではそれを確かめる術はない。そして私の20代前半を共に山登りで青春謳歌した仲間が後を追うようにして北鎌尾根で滑落死。二人の成仏を願う。
 4歳と7歳の我が子を殺した若い母親が自ら警察に通報して逮捕された。長男が知的障害を持って生まれたという。原因は分からないが離婚し親子3人で転居して間もないという。障害を持つ子が生まれたことで夫婦の絆がより強くなる場合とお互いが別れてしまうケースがある。離婚された場合は大半が母親がその子を引き取る。ここに本来ならば社会の支援が必要になるのだが充分でない。現実は冷笑するような世間の視線、居ても堪らず転居する。一方その報道の後のテレビでこんな番組があった。日本の豪邸とか言う番組、20億かけた自分の家を誇らしげに話す女主人・・・それをよりオーバーに捲し立てるリポーター、バカバカしくなって直ぐにテレビを消した。この格差をどう考えれば良いのだろう。
 マスコミの責任も大いにある。センスがない興味本位の番組、公共の電波を使うもののモラルが欠如、テレビ会社の内部で内容を検討し自粛することがないのか!鐘楼堂ニュース

466:三日坊主

本来の意味とはちょっと違い、三日間坊さんをやったということです。前記の富山行きはお寺の正式なる仕事で出張(?)。富山ぐらいの距離だと陸路が良いか飛行機が良いか微妙ですね。新幹線では越後湯沢での乗り換えに僅かに8分しか無かった。さすが日本のJR1分違わず運行されたので弁当を買う時間は無かったが乗り換えに成功した。しかし、想定外が起こるのもさすがにJR、上野までの常磐線で途中駅でのポイント故障というアクシデント、上野で朝飯でもゆっくり食べようかと1本早めの特急に乗った。これが実は幸いしたのであります。上野では約1時間余裕が有るはずだったのが、故障のため、上り列車が綾瀬から先の駅に1本づつ入線待機の事態、ターミナルステーションの宿命でレールがその先ないものだから前の列車が出発しないと次の列車が入れない。所謂、駅毎の数珠繋ぎ。そして50分遅れでやっと上野駅、予定の新幹線に乗り遅れたら火入れ式は出来なかった。なにしろ私が高岡に到着する時間から逆算して2時間半前に炉の火をいれて溶かし始めないと間に合わないとのことだった。北越線は途中で西と東の乗務員が交代するのだ、これも想定外、縄張りかなー?
しかし、無事に終了してその晩は氷見温泉にて一泊、私の経験した中でベスト3にはいる料理の美味さだった。何しろ富山湾を全望できる高台のホテル、夜漁に出ている漁船の漁り火を見ながら食事を頂いた最高のお持てなし。後で伺ったのだが農協系のホテルとかで料金もリーズナブル、私の地元の農協の理事長に会ったら話してみようかと一瞬考えた。余計なお世話だわな!
 飛行機は乗っている時間は短い(約50分)だが空港には1時間半前に着いてしまったから時間的には同じだ。さて、ここまでは良かったのでしたが、翌日全国の会議をつくば市で開催、約300名の方が全国から集まり熱心な研修を行った。生憎1日目は雨模様、それに全体研修で発表者のお役人には強烈なる意見が飛び交うなど荒れ模様、夜の懇親会では茨城県も一応は主催者の一員だけに私も普段にしたことなど無い、気配りを一応やったつもり。いやー名刺がいっぱい集まったわ。翌日も午前中は分科会、各県での様々な実践発表はとても刺激になりました。自分の勉強不足を思い知らされた半日だった。来客を見送り、そのまま帰宅しようと考えたのでしたがそうは行きません。200メートルほど離れたホテルでの坊さんの研修会。これも名前だけの副会長だものスッポカスわけにも行かず、出席した。これまた早く帰って寝たいのに飲ンベーの坊さんばかり、2日連続の懇親会、これが私の言う三日坊主の実態でした。しかし、一つ私が気づいたことを紹介しましょうか。
 今回の研修は宗派で行っているテレホン相談の実践報告、年配の坊さんが前席に座り熱心に聞いていたのには驚いた。最後の質疑でも決してやらせ質問ではなく、「今のいじめの問題について、我々はどのように対処したらよいのか・・・・・云々」「自分も小僧時代にいじめにあって辛い経験がある・・・・・・」等の体験を交えての話が出た。人生70年80年を経験された坊さん達だ。
確かに今日本で問題になっている子供達の自殺問題に坊さんとして何かできないかと思い悩む方は実に多い。 この思いをどう実践で生かせるか! これは坊さん各人に課せられた大きなテーマであることには間違いない。

467:戦国時代

関ヶ原の戦い、桶狭間・・・敵は本能寺ではなく厚生労働省。刺客は国会の先生・・・・・槍を持って先陣を切るのは各県施設の代表者、この4月から背中を押されて出陣してみたものの当に戦闘態勢の真っ直中。イヤーとばかりに槍1本の武器だけ持たされ何も分からずに走り出したは良いが、敵はくせ者、コロコロと変わり身早いし、頭脳は明晰、一方我が方は現場を抱えた身重の体、流産しそうな自分の事など考える暇もなし、全国を走り廻る幹部連中を外様の大名は非難ごうごうと蔑む始末。この戦乱の世を誰が鎮めることができるのか。一方本来ならば我々以上に声を挙げねばならない保護者達、地域の格差はあるけれどまだまだ施設任せ行政任せ。
何故立ち上がらないと叱咤檄を飛ばしても「知らなかった!どうしよう?」とオドオドはするけれど、どこから動いたら良いのか判断できず。何の助成もなく敵が決めた石高だけで運営を余儀なくされた地方の大名は既に自らの城を明け渡し夜逃げする者も現れた。一方、敵は敵でさすがに心動かされる者も多勢の中にはおるようで、涙を流して話だけは聞きますよと誠意を見せるものもいると聞く。先日、地元つくばでの某大名との茶飲み話。「尚恵の城は良いでござるなー。寺が有るからのー。たんと布施もらって足らねば補填すれば良いものよ」「そうでござる。拙者は常に馬に衣を乗せていつ法事があっても大丈夫なようにしておりまする。お布施もいただけるものは遠慮せずにいただきまする」こう強がりは言ってみたものの後味がすこぶる悪かった。
 さて、今回の自立支援法は郵政民営化論議の影に隠れて審議不十分で決定した経緯があり、今その反動がでているのは誰もが承知しているところ。時の厚労省の担当課長は『障害者をホームレスにはしない』と啖呵を切ってはみたものの既に異動でいない。膨大な数の政省令との絡みもあって国の担当者も頭を痛めている状況。先日県の担当者とこれまた茶飲み話、「また変わるようですよ」と私が言うと「えー・・・・」と言っただけで後の言葉は出てこない。現場の実態はそれ以上に悲惨、2日前に分かったこと、某市から決定通知が届く、2ヶ月遅れの受給者証2名分、10月に通勤寮を廃止し、GHに異動した利用者をまんだら工房で受けて日中みていた。障害認定にGH利用者は主治医意見書も必要なしとの判断で調査に来たのも11月、そこでの決定が日中支援は白紙で何も付かないという話。それじゃ10月からの2ヶ月のこちらが行った支援は全くボランテア、さすがにその話の報告を受けて私の腹の虫が怒り出し納まらない。・・・・よし、俺が行って交渉する、役所の怠慢だ!。。。。。何も知らない人は今現実に起こっているこの実態が分からないでしょうね。分かりやすく言えば歯医者さんで無保険で治療をし保険証が来たら払いますと患者さんが言うから気の良い歯医者さんが治療してあげたのに役所から保険証の発給が出来ないのでお金が出せません。本人からもらって下さいという話と同じ。本人が自己負担で払えれば問題はないでしょうよ、しかし、我々を利用される方の大半が払えないから我々を利用している方達なのです。この矛盾をどう解釈すればよいのでしょうか。一方では役人の不祥事が表に出ても口頭注意で丸く治める始末、あーあー戦乱の世はいつまで続くのか。
血圧は 師走の空に 登り龍   (厚労大臣に一句献上いたします)

468:白川郷

富山側から高速で最終点の白川郷までは約1時間、その先は行き止まりだから交通量は非常に少ない。貸し切りみたいな感じでトンネルの多い片道1車線の高速道、以前から訪れて見たかった所、紅葉が終わりに近づいた11月下旬、岐阜側の山には山頂付近に雪がかぶっていた。今では世界遺産に指定され、移築された合掌造りの民家も住んでいる家は少ないようだ。展示された当時の写真から想像するに大変過酷な生活があったことがわかる。関東の民家にある、大黒柱という家を中心で支える柱が無く、三角に組まれた屋根まで1本の木で家全体の強度を保っている。当時の生活用具を見ると、鎌一つを見ても分厚い鉄で作られ、何度も研がれて使い古されたものだ。狭い田圃では稲も作られていたようで田植え風景の写真もあった。日本人は戦後遮二無二働いて焼け野原から見事に復興し、現在の豊かさを獲得したことは広く外国からも認められていること。白川郷の村落の中に目立たないがお寺がたっている。昔は私の住んでいる神立だって同じだった。農家の点在する集落の中に本当に目立たない作りでの観音寺があった。特に大きな行事をするわけでもなく、住職は寺の畑で作物を作り自給自足に近い生活をしていた。私の親父が入寺するころだから昭和の初め頃、住職は役場や学校に職を求め、そこで昼間は生活の糧を得るために働いていた。その後欧米との大戦を経験し、復興不可能な程痛い目にあったのは決して遠い昔の話ではない。国会では防衛庁が省に格上げという論議がされており、野党もこの点に関しては足並みが揃わない。イラクへの派兵は人道援助という名目だが果たして現地派遣された自衛隊員はどう思っていただろうか、ご承知のようにイラクの首都バクダットは今までにない程治安が悪化し混乱状態である。この辺の事情は日本人誰もが共通の理解をもっていることではなく、むしろ傍観者的に見ている。確かに何をするか分からない独裁国が隣国にある日本にとって戦争危機が皆無というように考える人はいない。
 白川郷という山深い土地に生活の場を求めて移り住んだ人達は何故なのだろう?平家の落人部落も雪深い山間奥地が多い。同じ日本人同士が争いを繰り返し、負け組が生活の場を追われ、隠れ住んだところが白川なのか?不勉強で良く知らない。イラクではないが数百年前には日本でも同様の殺戮が繰り返された。
 戦争を知らない世代が多くなる中で、高齢化対策という足元の社会保障問題が最優先で正直国の存続を真剣に考えようなどと思う若者は少ない。折しも県会議員の選挙が6日後に行われる。

469:県障害福祉計画策定

今日、実は茨城県の障害福祉計画策定委員会が開かれます。事前に届いた資料によれば委員は障害者関係団体や学識経験者などかなりの人数になるようです。いろいろ言いたいことがあるので遠慮しないで意見を述べようと思っているのですが、どうも今までの委員会などに顔を出してきた経験からすると行政が用意したものに委員がちょっと意見を述べて纏め上げる式の形式的な委員会になるのではないかという一抹の不安があります。土浦市でも市版の障害福祉計画を策定したばかり、私は副委員長にさせられ意見を出しにくい立場であったのですが、そんなこと関係無く三澤委員長には失礼しましたが言いたいことは言わせて頂いた。土浦市の場合は一般公募で委員になられた方が3名いたことが良かった。限られた時間での膨大な量の計画策定だけに各委員の自由な意見を出し合う時間的な余裕は無かった、でも、関係者だけの委員会ではなかったので違った角度からの意見がでた。さて、今日の委員会で何を言うか私の頭の中を整理しよう。
 先日富山に行った時感じたことは、島根や富山に行った時と同じだった。県の人口が茨城の3分の1以下で山が多く平地は日本海に挟まれた本当に狭い地域に寄り添うように人々が住んでいる。茨城のように北海道に次ぐ耕地面積を持ち、道路の総延長距離は全国でもトップクラス、どこにでも住めば住める広大な土地を持っている県、東京が電車で1時間かからない利便性、ひたちなかや鹿島には大きな港を持ち、高速道路の整備も進みアクセスも良くなっている。県人口も300万、この条件で障害福祉サービスが他県に誇れる状況になっているかと言えば誰しもが首を傾げる。先日、障害福祉課長が福井県のシステムを紹介していた。県全体でネットワークを組んで事業展開がされている、成功事例だ。(島根に住む人が話してくれたこと・・・県の予算が少ないからみんなで手を合わせ効率をあげないと生きていけない・・・)「茨城版の福祉づくり」これが安倍首相の「美しい日本づくり」に対抗した私流のスローガン。誇大妄想的パフォーマンスという批判は覚悟の上、そこで私見の一つ、茨城県の福祉圏域の見直し、市町村合併が進み、実態に合わなくなっている。事業と補助金が市町村におりるようになった今、圏域の意味が薄れている。2つ目はサービス内容のチェック体制の見直し、行政監査と新たに民間主体のチェック機関の創設。これは1日や2日施設を訪問して実態監査する現行での検査の仕組みには無理があるからで民間が主体という中には当然サービス受け手の利用者や家族がメンバーに入ること。3つ目は制度にはないが必要な実践やアイデアに積極的に予算を付ける県独自の助成制度。などなどいくらでも出てくる。
 今、福祉関係者に人気の「障害者の経済学」中島隆信著は経済学者の立場から現状の福祉にメスを入れているもので、どうも関係者だけが集まって智恵を出し合う式の会合をいくらやっても所詮井の中の蛙論議。
 思い切ったメンバーの構成を変えることも提案したい。憎まれ坊主世に憚るだ。