何をいってんだい・・・・とか。できないくせに・・・・・・とか。なんでもいいや思っていることを吐露してみますね。
先ずは一覧表から覗いて見てください。
J 彼の訴へ。 | K 2003年を迎えて。 | L 年頭所感 |
G 頭ぐらぐら悩みふつふつ | H あり地獄 | I 元気だせにっぽん |
D たーぷり | E 考える会第2弾 | F 福井達雨さん |
A.平成15年度が楽しみだ | B 葛藤 | C 考える会 |
1.Y子さん・・お帰り | 16.アメニテイフォーラムIN滋賀 | 31.知足 |
2.社団法人化への助走 | 17.走った13000キロ | 32.幸せ |
3.機械に振り回された | 18.経営 | 33.何が選ばれる根拠になるのか |
4.亡児への想い | 19.2002年新年の挨拶 | 34.良い人が目立たない時代 |
5.チベットで考えたこと | 20.だべる会 | 35.2001年幕開けの一言 |
6.倉持春樹という人間 | 21.すみません・ありがとう | 36.福祉施設の不祥事を歎く |
7.自らを磨け | 22.今施設が変わるために | 37.岩下みゆきさんへの追悼文 |
8.お久しぶりの高野山長谷寺 | 23・世界の動きのなかで | 38.契約になれば何が変わるか? |
9.坊さんも体力勝負 | 24.第125回芥川賞授賞 | 39.利用者の想いを如何に 受け止められるか |
10.苦情解決委員会 | 25.調和=コスモス | 40.今時ー診療拒否とは |
11.ヘンブー | 26.リスクマネージメント | 41.福祉の仕事は際限ない広がり |
12.霞ヶ浦マラソン | 27.改革の痛み | 42.夢多き 心の中に |
13.平成14年度に何をするか | 28.飛田先生の生き方に感動 | 43.四国遍路で考えた |
14.何か変ですね | 29.プロ気質に学ぶ | 44.50歳になって |
15.第6回ジェントルテイチング | 30.新生 | 45.今何が必要で何が不要か |
人の長短は見易く おのれの是非は知り難し
L 新年所感
私が仏教に求めること
2月にネパールに行く計画がある。3度目の訪問になる。今回は是非ともルンビニーに行きたい。お釈迦様の生まれた地だからだ。インドとの国境地域にあってなかなか行くことはできない所。日本にいると全世界のニュースが24時間BS放送を通して知ることができる。感傷的で無責任という批判を覚悟で言えば、暖をとることもできず仮設テントで冬を越すアフガン難民の人達、インドで何も知らずにカメラを向けてしまった路上を生活の場としている家族の眼、バンコック郊外のある地域に密集して生活する人々との触れ合い、残念ながら日本に住んでいるとそれらの世界の現実を何も知らずに生きてしまう。私の半生を障害者の人達との関わりにあったなど恥ずかしくて言えない。何一つ彼らの満足を満たせなかった。その自責の念が正直な気持ちだ。私は今の日本の制度に満足できない。制度の福祉はあくまでも最低基準にあわせている。上辺だけの未消化の制度である。心を通じ合える仲間、生活、笑い、涙、叫び・・・・どれだけ反映されているだろうか?
何が真実かという一語に尽きる。些細な経験ではあるが私が外国で見た世界には、確かに訴えるものがあった。それが一体何なのか?
制度にしがみつき其れを良しとする今の日本の福祉の考え、現場を持っている私には嫌なほど分かる。半熟の制度を恩着せがましく声高く唱える輩、もううんざりする。つき合いたくない。
本来、信仰は個人の寄る辺である。異教徒ということで殺戮を繰り返す宗教を理解することはできないと同じく本当の意味で個人を尊重する時代がいつ来るのだろうか。
年頭所感として、『苦』を思う通りに行かないことと理解すれば、『求不得苦』が当に本音である・1月11日
K 2003年を迎えて
明けましておめでとうございます。今年は大きな節目の年になりそうです。
試行錯誤の中から新たなサービスが生まれる年のような期待感と不安が混在しています。また、今まで以上にサービスの質が問われる時代になるでしょうし、第3者による評価がなされることは避けて通れないことです。今、尚恵学園には様々な人々が関わってくれています。弁護士、医師、僧侶、・・・・多分それぞれの専門性を活用できればすばらしい集団になれると思うのです。
これから、世の中がどう変わり、その進むべきが路が見えてこないという歯がゆさはあります。しかし、誰かが示してくれるだろうとか制度ができるだろうとかと言った待つ姿勢ではいけないと思っています。ある意味では攻めの経営を心がけるべきなのです。理事長として先頭をきって歩む覚悟は今まで以上にあると思っています。1月1日元旦
J 彼の訴へ
また、考えさせられる一件が起こった。入所して2日目に会社に出るといってそのまま彼は会社には行かず、自転車に乗って帰ってこなかった。4週間が経った。職員で1割程度の者しか彼の顔を知らない。警察に入所時の写真を配って捜索願いを出し、長引くにつれて福祉事務所の判断で隣の県まで捜索範囲を広げた。入所前の状況が徐々に分かった。つまり、何度か繰り返していたことなどが、前の施設や父親からの話で明らかになった。寡黙で目立たない彼は今頃どうしているだろうか?ある日職員が銀行の彼の通帳を記帳してきた。分かったことがあった。カードで預金をおろしている形跡があった。それもひたちなか市の銀行だった。残金がなくなると引き出しができなくなる。その後も何回か引き出していた。同じ支店である。最後は250円であった。多分、パンでも買うためにカードにておろしたらしい。残りが1000円を切った。職員の判断がよかった。今しかないですからひたちなか市まで見に行こうと思いますといった。それが結果的には発見することになる。自転車に乗ってリュックサックを担ぎ銀行に来たところを職員に見つかった。
リュックサックには毛布が入っていたという。
彼の訴へはまだ聞いていない。聞くことで解決できることならばそれで良い。しかし、園を利用する人達の訴への根本的な解決はできない。(人権を声高く叫ぶのは結構だ。しかし、その人自身が一体何をしたと言うんだろうか?現場を抱える我々の声がどうも陰に隠れているようで腹がたつ)
とにかく元気を出していきましょうよ。なにも恐れることはない。日本ほど安全で快適で四季の季節感を楽しむことができる自然豊かな国はありません。そこに生まれたという幸せを見失い、いたずらにマスコミの一方的な報道に惑わされることはありません。特に日曜日のテレビを見ているとやたらと無責任な学者や政治家が不安をあおる。そんなこというならば貴方が模範を示せといいたい 。何もないただ相手を批判する。これは正に平和ぼけの証拠。そのような学者さんの講義などまじめに聞く学生はいない。実は私もその一人だった。授業にでるよりもっぱら野や山を歩き通して過ごした、この充実感達成感、マスコミに登場する輩にはその達成感がない。馬鹿だなーと本当に思う。今、NHKの朝の4時5分からラジオでやっている『心の時代』という番組は良い。これを寝床で聞いている。とても気持ちがいい。多分今、経済評論家なる人たちは絶対にこの番組にはでない。確信する。とにかく私は元気だ。やることばかり。(11月10日)
H あり地獄
あり地獄というものがあります。仏教では六道輪廻というが、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天ということになって一番下になる、また丁寧にも地獄をいくつにも分けている。くるしみもがき解決の糸口を見いだせず、あーという声を出して目が覚めた。このような経験は誰にでもあるでしょう。ここで敢えていうことでもない。誰でもあるんですね。しかし、いざ自分がその場に立つと自分だけと思ってしまうんだなこれが。大部分は時間が解決してくれるらしい。日本は平和、テロという問題は何か別世界のように思っている。平和と思っているのは実は実態ではないんだなこれが、だってそうでしょう、明日何が起こるか分からない。そうなると人間は頭を使うんだ。そして保険などという難しい仕組みを考える。保険には約款というのがあるんだけどそんなの読む人ざらにはいない。これを良く読むとどうも被保険者には不利になっているんだそうだ。
そうなると保険にまた保険をかける羽目になってしまう。実はテロが起こった時にその事が分かったはず。人間の価値はお金では計れない、それを保障するにはもう天文学の領域、だから堂々めぐり。世の中このパターンで実は動いている否流れている。(11月5日)
頭の中がぐらぐらしています。そしてこれが悩みというものでしょうか?
無い頭をいくら使っても出てくるものは堂堂巡り。取れない責任をいかにも自分が取るかのような振りをするからそうなんだよ。といつもの影武者がニヤニヤして陰口をいう。利用者の顔が次から次へ浮かんでくる。
こりゃー少し頭が変になったかなー。最近私の枕元を占領する本は「孔子」「孫子」「荘子」・・・など妬けに中国ものが多い。本屋を覗いて新刊本にある目新しい本には感心がない。何かその時だけの興味本位の内容に思えるからだ。特に、経済ものはそれが激しい。経営ということを考えるとあり地獄に入り込んでしまう。継続を考えるとやはり中国4千年の書物に助けを求めたくなる。所詮人間の考えることだよ。などと達観してみても足元を見るとそうは言っていられない。
・・・・と継続の軋轢は果てしない。(10月21日)
F 福井達雨さん
皆さん、朝の4時5分からNHKラジオで「こころの時代」という番組を放送しているのを知っていますか?
一度騙されたと思って早起きして聞いて見てくださいよ。今回は福井達雨さんの話が有りました。再放送だったんですがとても勉強になりました。知る人ぞ知るで福井さんは止揚学園という知的障害の方の施設を滋賀県で行っているんです。今年の10月で40周年ということですから尚恵学園と余り変わりませんね。福井さんは現在69歳なそうですが熱心なクリスチャンです。40名の利用者の方との一緒の生活をなさっているんですね。
インドやパキスタンンへ姉妹施設を作ったりアジアの研修生を受け入れたり活動的な方ですよ。
日本の現状を良く見ています。日本は保障制度は他のアジアの国よりも進んだけれど福祉(こころ)が育っていない。保障と福祉が一体になって初めて福祉国家となりうるという。また、福祉には献身ということがどうしても必要だという。
自分のことの幸せを祈る人はいても他人の幸せを祈る人は少ない。知的に障害を持っている人達は実は私たちが見失ってしまったものを今でも大切に守って生きている等々・・・・・。読みかけの本の空いている処に急いでメモしたんですね。
器の立派さを誇る日本の福祉関係者、本当にそうなのと反省を促している。
福井さんの真似ができない点は彼が実践を通して証明しているところです。それを見てスタッフが育ち、学園のなんとも言えない雰囲気を醸し出す。私は宗教こそ仏教を信仰しているが、目指す方向は一致しているなと感じたんですよ。
ーーーー10月9日の朝記入。
E 考える会第2弾
10月4日レイクサイド土浦に5時半に集合、前回9月15日の延長戦。今回は一泊で酒を飲み交わしながらやりましょうという誰かの提案で直ぐに実現した。
案の定、夜中の3時まで話し込んだ。私は一時にダウン。契約になるから理事長への質問が多かった。その中で親が何ができるか?という話題になった。利用年数が三十年を超えた父兄もおればまだ日が浅い人もあった。
しかし、いつも感心するのだが皆本当に熱心に話をする。途中興奮して声を荒立てる場面もあって冷や汗ものだがいつも気持ちよい雰囲気の中で話が進む。
いよいよ具体的な契約事務に移る。この機会を最大限に利用したい。お互いが言いたいことを言い合える関係を築くということだ。話題はGHのことだった。今できる人にはGHでの生活を保障したいという提案に親は不安を隠さなかった。幸い去年からGHに移ったKさんのお父さんがいたからよかった。
Uからは先日視察してきた島根の桑の木園の様子が紹介された。まだまだ尚恵学園のやるべきことは際限なくある。
D たーぷり
秋雨前線が停滞して数日間雨が降り続く。今朝は雨模様だが降ってはいなかった。
朝、7時半に学園に入る。するとNさんとDさんがホースを持出して苔庭に水をかけていた。
『今日は水かけなくても良いよ・・・・・・』とまで声かけしようとしたが止めた。昨日までの雨で庭には水溜りがある。
そのようなことは二人には関係ない。私が近づいていくと年長のDさんが『たーぷり たーぷり』とニコニコして話し掛けてきた。『あっつ ああ アリガトウ いつも助かるよ 』と咄嗟にお礼した。
C 考える会(激論・・・)
9月15日定例の尚恵学園考える会に出席した。一般の父兄も傍聴に加わっていた。神宮寺の客殿にて行う。支援費制度に向かって契約内容や年金管理についての意見が交わされた。私は法事が終わってから途中から参加したが、雰囲気が熱がこもっていた。みなさん真剣だった。昨日は育成会の関ブロに参加し、その余韻もあってのことかもしれない。
親が何をすれば良いのか?という父兄からの質問に学園側が答える形をとっていたが意見が伯仲してくるともう整理がつかない。利用者負担金の徴収について話が出るともう様々な意見が飛び交う。
これだなーと正直思った。今までが任せっぱなしだった父兄、それを良いことに学園の都合で動いていた時代が余りにも長かった。やってもやらなくても同じ時代。熱心な父兄が役員に選出されることが常だった尚恵学園の親の会。
これじゃまずいと学園側から提案してスタートした考える会、今多くの課題がある。だから、話ができるということも事実、しかし、これからは普段の生活の中で意見が自由に交わせることができるような施設運営が必要だ。利用者が言葉をもっていないことは最大の強みだった。それが親にとっても学園にとってもだ。しかし、よく考えてみると一番強くなるべき利用者が貧乏くじを引いてきた。
法人として強く出て欲しいという意見があった。当然だ。親としての役割を考えればそう思うのは必然。
契約の時代になる。様々な意見が聞かれるようになるのは確実だ。ごまかしではできない。(9・15)
たった今『直に来てください。Yさんが暴れています』、園長室に内線電話。
急いで駆けつけるとYさんとTさんが取っ組み合い。職員が間に入ってなだめているところ。二人を引き離し、Yさんを私の部屋に連れてきて事情を聞くことにした。すすり泣きは止んだが一言も話さない。
『話したくなったら話しなよ。無理には聞かないから』と麦茶を入れてやる。彼は糖尿病をもっており食事制限を長年続けている。食事が原因での今朝のトラブルのようだが、つもり積もったものがあって一言では説明できないというのが彼の本心だろう。そのことは充分私も分かっている。
このような場合彼がどうして学園を利用するようになったのかを思い浮かべる。彼は県立高校の夜間部をでている。
就職も今までに何回変わったかわからない。続かないのだ。理由は当然彼なりにもっている。しかし、本質のところで何も解決されていないから今日のようなトラブルを繰り返す。
自立を就労自立だけでみてしまうと彼のように繊細で体力がない器用でない者は生きられない。
いま、通勤寮はリストラにあってこのような仲間が日中おおくいる。夫々が仕事をもち何がしかの給与をもらうことが本来の寮の目的、世の中が変わりボーダーラインの彼らには辛い時代である。
今、Yさんは途中から入室してきたK子さんと一緒にソファーに座っていたが、私には何も話したくないようだ。
しばらく落ち着くまでいてもらって担当職員に任せることにしよう。(9月12日朝7時40分の出来事)
A。平成15年度が楽しみだ
巷では、措置制度がなくなり支援費制度(契約)になることに右往左往している。私はこれからだと思って満を持してきた。
だって、そうでしょう。サービスを提供する我々が利用者から選んでもらえる時代になるという。今更なんでという正直な気持ち。しかし、今までは残念なことに関係者は黙して語らずであった。なにかメリットがあるのだ。当園では家族アンケートを実施した。99.9%が継続希望、0.1%はアンケートの趣旨が理解されなかったようだ。
つまり、現実は自分たちが施設サービスを選ぶといったて選べる程施設が周りに無いんだよ。これを見越して悠然と構えている施設仲間もいる。
しかし、日本の経済基盤が崩れてきている状況は決して他人事ではない。選ぶ権利の背後には自己責任ということが当然ある。これは事業所にも利用者側にもあるのだ。よりよいサービスを受けたいならば相応の自己負担が付いて廻るだろう。ある政党などは経費節減減税にてその浮いた金を福祉にまわすという、しかし、いつまで待てばそうなるのですか?永田町にいては分からない。
現実にサービスを求めている人がここにいるんですよ。
政治家で現場を本当に知っている方がいるのでしょうか?新設ホームの竣工式には来賓としてこられて半分は自己PRの挨拶をされてまた東京に帰ってしまう。これじゃ本当の事はわからない。予算を付けてやったという満足気な姿、少なくともヨーロッパにはない。職員か保護者or利用者と勘違いしそうな方が実は国会議員だったりする。
大きなリボンなんか無用の世界に早くなればいい。その意味ではこれからすくなくとも法人独自の事業展開がやり易くなるだろう。私の頭の中には詰め切れないほどの構想が入っている。やっと相撲が取れる土俵に上がれる(9月10日)
もう手術して18日になる。大学病院での手術だった。何しろ本人には悪いが私としては判断に悩んだ。全身麻酔だから手術はできるだろうが術後の看護がどうしても自信がもてなかった。結局両親とスタッフと私が主治医の先生からの説明を受け、病院側も万全を尽くすからという説明があって、手術に踏み切った。大きな手術だった。Y子さんも体重が95キロと大きいのだけれども。手術の当日は職員2名と母親が付き添った。全く寝ないでベットの脇についていた。2日目から一人の夜勤、術後は順調だったが、微熱はつづいた。そのため予定より入院が長引いた。食欲も余りないというので
環境を変えればということで家庭に帰ることになった。やはり、食欲がでてきたという。非常に神経質な彼女で病院の環境がストレスになっていたのかもしれない。そして、たった今私の部屋にやってきた。来客が食べなかったお菓子を見つけてモクモク食べた。ああ、いつものY子さんに戻った。ほっとした。8月24日午後2時
2 社団法人化への助走
今年から県内の障害者の三団体が一本化して今まで任意団体で運営されていたものを法人格のある組織にしようと準備している。それでなくても障害者に関する団体数は多い。障害別に団体が組織されそれぞれが活動をしている現状。今の時代それが非効率的であり、異なる障害種別同士の理解を阻むことになっている面がある。三団体は福祉協会が70、茨施協が21、在施協が46と合計で137の施設を一本化しようという考えである。職員数も2000人を超える大きな団体となる。法人化すれば自主的な事業が行える。県の福祉会館に専用事務局が設置できる等のメリットがある。個々の施設が対応していくには物理的な限界がある。ネットワークや地域福祉が叫ばれて既に長い年月が過ぎた。茨城県でもやっと動き始めたという感は否めないが、先ず足元を固めなければ立派な福祉プランも絵に描いた餅になる。施設間の競争の時代に入ったことも事実として受け止め、連携してやるべきことは団体の力を活用していくべきである。これが私の基本的なスタンス、だから、寺の忙しい時期に敢えて法人化準備の責任者を引き受けた。力不足はどうしようもないが。8/23
3.機械に振り回された 閑話休題
暫くぶりにHPに向っています。つまりは、パソコンを高速にするためにADSLに切り替えたかったのでした。しかし、どうも私の寺はNTT回線の末端らしいのです。上手く接続できないことが分かりました。既にISDNを止めてから切り替えまでに一ヵ月半以上もたつのですが接続できないのです。
結局は仕事場のパソコンよりHPを編集しています。しばらく、不便をきたしますがISDNでの接続でがんばってみます。
お礼とお詫びを兼ねて。(8月20日)
4.亡児への想い
9ヶ月を迎えた幼子が亡くなった。幼児突然死症候群という。原因がわからない。ミルクをのみ、その後あまり時間を置かずして心臓が停止したという。側にいた親も我が子の異変に気づかなかった。夜中の2時ごろの出来事。どこからか突風が吹き幹が折れたという思いがする。私の寺の檀家ではなかったが葬儀を頼まれ入檀した。つらい葬儀だった。突然襲った不幸をどう受け止めてよいのか分からない家族。弟の棺の周りを落ち着かない様子で動き回っていた2歳違いの姉。最後のお別れの時、華を棺の中に飾る祖母が叫んだ。○ちゃんが泣いている。誰か涙を拭いてあげて・・・。
9ヶ月の短い命をどのように受け止めれば良いのだろうか。
原因もわからず,なす術もなく最愛の子を失った若い両親にかける言葉はなかった。
この悲しみを紹介することをためらった。不謹慎極まりないかもしれない。
そっとしておいてあげたい。
時間が慰めてくれるかもしれない。いつの日にか悲しみから立ち直ってくれるだろうか。7/17
チベットは私にとって念願の場所である。The roof of the world.
世界の秘境という別名を持つ。高地であるが故に訪れる人が少ないことも有ろう。しかし、これは多分に政治的意味が強い。現地に行ってそのことが分かった。信仰心の強い人々。特に密教を今も根強く信じている。
ダライラマがインドに亡命した経緯は彼自身の自叙伝から伺い知ることができる。チベット仏教には活仏という高位の僧侶がいる。ダライラマが選ばれたのは彼が非常に若い時である。だから自分の意志で最高位の地位を得たとは考えにくい。その後の彼の生き様は想像を絶する。信仰と政治の狭間に苦しんだ。
ギャンツエというチベット第3の町に行った。そこは都会化したラサにはないチベットらしさが今も残っていた。
のんびりとした生活、動物と人間が共存している。日本人も良くしっているヤクという牛の親分みたいな動物がいるが,燃料にその糞を乾して利用する。ヤクの食べ物は高原に草が充分ある。遊牧が成り立っている。
バター茶もそうだ。スーパーに行けない代わりに自給自足の生活がある。
自然との共存生活である。人間の力の及ばない世界を実感する。だからだろう信仰心が強くなる。大いなるものに身を委ね,感謝と報恩に生きる。
文化的な生活と豊かな生活は同義語ではない。先進国の争い事は当にそれを証明する。日本人は大きな忘れ物をしたと言われつづけている。しかし、残念なことにそれが何なのかを誰も示すことができない。 (7月11日)
6.倉持春樹という人間
第7回だべる会のゲストに倉持春樹先生を呼んだ。6月24日。先生は昨日中国から帰ってきたばかりのお疲れのところ神宮寺まできて1時間の約束を90分もワンマンショウ。本当は雑談で交流という約束だった。見事一人舞台。某老人ホームの理事長も娘を連れて参加してくれた。先生の最後の締めの話が特に良かった。
そして、通勤寮生のSさんが涙を流しながら最後に話した言葉が良かった。自然と涙が流れた。彼は9歳の時から養護施設での生活、縁あって尚恵学園を利用している、必死にノートを取って聞いてきたSさんに勝る聴衆はいなかった。
今の日本が何かおかしいという事は分かった。(6月24日PM10時)
7.自らを磨け
月並みな意見だが,自らを磨くこと。なかなかできない。何故ならば水が低きに流れるのが自然の理のごとく人間は楽な方に身を置きたくなる。
陰徳を積むという言葉も私は大切にしている。今の尚恵学園には70名を越すスタッフがそれぞれの役目を果たしている。当然職種も様々、そのような中に資格を取ろうと必死に努力している人がいる。
仕事を続けながら学ぶことは大変だ。2倍の努力が必要でしょう。そん慰め言葉は意に介し無いようだ。
誰のためか結局は自分のために敢えて資格取得に挑戦している。
私にとってはその人自身はもちろん、周りのスタッフに多大な影響を与えるその姿勢を評価している。
やるべき人が応分の対価が得られる職場にさせたい。ちょっと真面目な一面を披露した。(6/22)
8・お久しぶりの高野山:長谷寺
16日〜18日観音寺:神宮寺檀家さん38名との本山参拝。
お世辞にも若い団体とはいえません。以前旅の途中で体調を崩し帰ってきてから入院した方もおりまして最初から心配していたのです。何しろ74歳77歳という同級生がおりますから想像できますね。実は高野山は和歌山県にありまして、高速が通じたといっても大阪の藤井寺からは一般道路、300を越すカーブを対向車を待ちながら登る、それも道幅が極端に狭いときているのです。ドライバーは2名、ガイドさんと添乗員。今時贅沢な旅でございました。高野では興教大師ゆかりの蜜厳院、住職は特別室へ一人監禁?翌日奥の院まで参拝、歴史が好きな方にはたまらない。それから豊山派の本山長谷寺、茨城県からは3名のお寺さんが入山しているものですから,大変なおもてなし。
それから赤目温泉にて旅の疲れを癒す。夜の宴会が盛り上がったのでした。年寄りほど歌が好きとは聞いていましたが皆さん聞く側の立場はお構いなし、好きな持ち歌を目いっぱい歌うから時間はいくら合っても足りません。添乗員のHさんは大変だ。頭が下がります。私は持ち歌のさざんかの宿を一番先に長老に歌われてしまった。結局は極秘の長良川演歌。気持ち良かったよ。
翌日は室生寺、国宝の五重塔は見事に再建なっていたが、杉の大木が何本も倒れその後は今でも残されていた。自然の凄さだ。
午後9時過ぎ無事帰還。走行距離1500キロ、休憩ドライブイン3日間で15箇所、満足したのは住職だけだったかもしれません。失礼つかまりました。(6月21日)追:お疲れでした。ハイ。
9.坊さんも体力勝負
実は今日は大変疲れているのです。何故かといいますと、3日間連続の葬儀があったんです。私の友人?は言うのです。『坊主はいいよな。1時間ちょこっとおがめばお金がはいるもんな・・・』とまったく嫌味を込めて。それは絶対に違うと言いたいがために実は疲れているのですが今パソコンに向かっているのです。
皆さん1時間声を出しつづけてごらんなさい。お葬式が入ると全ての日程を調整しなおすのですよ、全てですよ。今日は葬儀が午後の1時でした。朝8時半に水戸に向かい、会議を済ませお昼も食べずに車の中で衣に着替え12時45分斎場に滑り込む。そして1時間大声を張り上げるんです。それから火葬場。通夜を入れると4回経を読むんですよ。それが3日間です。12回経を読むんです。読むんですよ。テープじゃないですよ。
私は尿管結石という厄介なものをもっているものだから,いつ石が悪さをするか分からない。これがですよ。葬儀の1時間前に悪さを始めたんですよ。半年ほど前の葬儀の朝のことでしたがね。それで、お医者さんにみてもらったら胃の薬を頂戴したんですから治るわけないですよ。まったく。
それから、下痢のときなどもう大変ですから、つい先日このような法事がありましてね。幸い?私でなくて参列者がだったんですねこれが。最初にトイレに行ってもいいですかなんて奥さんが聞くもんだから、親切にもトイレまで案内してお経の途中でも結構ですからいつでもどうぞ、とか言ってしまって。それがですよ、これが参列者が2人だけだったんですね。、だからもう一人がトイレに駆け出すともう気になってしまって、お経のどこを読んでいるのか分からなくなってしまって。何回も同じところにもどってきてしまうんですね。冷や汗ものですよ。
それから。。。もうこんな話いくらでもあるんですよ。リクエストがあればもっと、でもやめてこー。(6月7日)
10.苦情解決委員会
昨年に苦情解決委員会という組織を作った。第三者委員として地元の弁護士さんにお願いした。
知人の知り合いの弁護士さんで4人で酒を飲んで,意気投合?して頼み込んだ。契約制度に変われば当然専門家の協力が必要になると考えた末の結果。1年間は大きなトラブルもなく過ぎた。
しかし、法人の方針として地域生活を推進していくことがあり、これには予想もしない事が起こり得る。
GH利用者の通勤途上の事故や職場でのトラブル、健康管理のミス?地域で生活する人たちの友達調整などなど。ひとつ間違えると訴訟問題になる可能性をひめている。
それでも,今5番目のGHの設計図とにらめっこ。懲りないというのかこだわりが強いというのだろうか?
最終的には20戸ぐらいのGHが目標である。人間的な生活を求めるとどうしても集団での施設生活での限界を感じてしまう。今年で創業45年がたった。その結果が今の結論だ。一方では依然として箱物をつくることに熱心な法人もある。『そりゃー良いだろう。ホテルみたいな施設作って、でもなーみんな本当に幸せなの?』と言いたい。日本型の福祉を今のままで良いと思っている人はいない。
しかし、経営を考えれば考えるほど箱物にこだわる。構造改革は福祉の業界にも必要でしょうね・・・・ね・・・・・ねだ。(5月25日)
11.ヘンブー
5月12日朝方,一つの生命が閉じた。
私の家にいた猫二匹の内の雄猫,名前を『ヘンブー』といった。何故そのような名前になったかを話すと長くなる。簡単に言えば,変な声をあげるからであった。ヘンブーは野良猫だった。いつのことだったか,多分雨の日の夕方だったと思う。ガラス戸の向こう側に体を摺り寄せ変な声でなく猫がきた。見るとやせていて今にも死にそうな猫だった。良く見ると片目が無かった。
ヘンブーはいつのまにかもう一匹のメス猫と同居するようになった,『花子』である。彼女も野良猫,こちらはとても可愛いいい。欠点は用心深いということぐらい。猫としてはトップランクの容姿である。
ヘンブーは目からくるのだろう鼻の具合もよくない。何度か痙攣みたいな症状になった。医者にみてもらうとどうも視神経がおかしいからだという。しかし,彼の長所は誰にでもなつくということで,全く人見知りはしないことだった。
最近、食欲もあって太ってきた。そしたらどこかの雄猫と張り合うようになってしまった。ものすごい喧嘩をする。いつもヘンブーが名誉の負傷をする。しかし、けっして陣をゆずらず必死になってまもってきた。
まったく足がつけないくらいに腫れあがることはしばしば,今回はやっと治ったとおもっていた時にまた喧嘩をした・胸に怪我をした。結局はこれが致命傷になったのかもしれない。食欲がなくなり、横になっていることが目立ち、やせ始め最後は水も飲まなくなり、2日目に息を引き取った。
片目という障害を生まれながらにしてヘンブーは持っていた。彼は人間に擦り寄ることで自らの存在を主張し、身を守る術をつかんだと思う。しかし、最後はひとり寂しく専用のベッドの上で亡くなった。
たった今経をよんで裏山に埋葬してきた。私に笑いをくれたヘンブー。合掌。(5/12)
12.霞ヶ浦マラソン
4月21日今年も参加しました。朝からどんよりした雲が立ち込め、77%の湿度は例年にないコンデション。10マイルにエントリー。私以外には尚恵学園からはフルマラソンに3名参加している。私はこっそり10マイル。結果は1時間45分00秒、総合順位は3221人中2359位だ。全体では1万2千人が走った。超過密のスタート。案の定3分間はスタートの号砲がなってから動けなかった。盲人も参加する公認の国際レース、有名人が伴走についた。有森さん、ジャンプの舟木さん、往年の君原さんや中山さん,浅井さん。顔ぶれは多彩。
伴走者は「20M先右に曲がります。ここで上りは終わりです・・・」と声かけして盲人のランナーに伝える。私の脇を走っていた伴走の方が「沿道にはたくさんの学生さんがVSで手助けしてくれていますよ」「そうですか、ありがたいですね・・・」「ありがとう。ありがとう」と頭を下げながら二人でロープをつないで走っていた。私は途中尿意を催し、我が母校土浦五中の裏山にてちょっと失礼しただけで走り通した。その辺から雨に変わり汗と雨でびっしょりになってしまったが久しぶりに爽快な満足感を感じることができた。また、自分に来年の宿題として再挑戦を加えた。(4/21)
13.平成14年度に何をするか
日本全体の沈滞ムードの中で唯一元気でありたい。否、元気の源を知的に障害を持つ仲間から得ている。何故か?私の胸の内をあかせば『やりたいことは山ほど有る』というのが実感だから。
とりあえず私は全国のユニークな実践をされている仲間を見てくることにした。今までにかなりの数の外国の施設を見てきた。羨ましいと思った経験はたくさんあった。しかし、感動した経験は思ったほどはなかった。その中でもネパールとタイの施設での感動は今もって忘れない。生きることの難しさと喜びが混在している世界だった。中国の青海省のラマ教寺院でみた6歳の幼い僧侶。インドのベナレスでみた死への旅立ちの現実。エベレストを遥か彼方に望む峠で感じた朝焼けの情景もまた感動であった.......。自然との協調を失わず生きていくことが21世紀を生きる我々に課せられた厳守しなければならない鉄則。政治の腐敗、官僚の利権。何故そのような現しみ瞬時の戯れに時を浪費するのか?私には関心の無い世界。
利用者の方達から沸きあがる元気の源は当にその点に凝縮する。悲しみを素直に涙で表し、喜びを体全体で表現する人たち、彼らこそが人間の真理を体得していると確信する。そして、曲がりなりにも彼らと共に生きることができる自分がなんと幸せなのか改めて感じている。
平成14年度をスタートするにあたって地域により根ざした事業展開とニーズに即対応できる事業所としての役割を認識して職員共々更なる努力をしてまいります。皆様の暖かいご支援と忌憚のないご意見をお待ちしております。
2002/4/1
14.何か変ですね?
世の中の流れに疎いのは誰だろう。福祉を職業としている人たちが福祉の向上を声高く叫ぶ。
否、今の時代控えめに独り言のようにつぶやく。国の財政の中で社会保障関係経費は78兆円という医療費と年金関係で9割その残りのせめぎ合い。某施設での研修会に呼ばれ1時間ほどの話をした。私としては自分の知りうる範囲で施設福祉の危機感を訴えた。それに対して「住田は福祉の後退を望んでいるのか」というお叱りの意見が出された。正直どこでどうなってこのような意見が出てきたのか全く分からない。
私の基本には「あんた、そのようなことを言って自分たちのためにでしょう。本当に福祉のことを考えるならば足元みたら、安全確保という大儀のために利用者の自由を束縛し、職員不足といって風呂も週に3回で良しとして。。。。」という思いが在るから話の端々に感じたのだろう。ここまでいってやりたかったが遠慮した。言っても変わらないと直感したからだ。
いずれ市民の同意が得られない施設は崩壊していく時代になる。その時に慌ててももう遅い。
自由と自己責任。権利と義務。この両者は表裏一体のものだ。権利を主張するが義務は果たさず。自己責任と義務は世間の常識からは全く遊離したもので、自分のご都合による。何か変ですね・(3月17日)
15.第6回ジェントルテーチングワークショップ
3月7日東京ココス青山を会場に第6回JTワークショップが開催された。今回、関東地区ジェントルネスセンターの発会も報告された。関東地区は代表きたざと学園(栃木)の阿由葉さんが選ばれた。三和会(群馬)藤沢さん、一粒(埼玉)関さん、そして尚恵学園(茨城)住田がそれぞれ世話人になって今後活動していくことにした。
研修会は大阪桃花塾の岩崎さん、大阪追手門大学の西山さんが講師になって実施された。
朝10時から午後5時まで熱心な研修が行われた。3/8
16.アメニテーフォーラムIN滋賀
第五回フォーラムが2月22日から24日まで大津市の大津プリンスホテルを会場に開催され、私も今回で3回目だが参加した。回を重ねるたびに参加者が増え、今回は1100名を超す人数が全国から集まった。私は様々な研修会に参加するがこのフォーラム以上に熱気があり、真剣な討論がもたれるものを知らない。”平成桃太郎の会”というものがある。つまり、政治:行政:事業者:研究者がそれぞれ手弁当で集まる。参加者の面々もすごい。宮城県知事・滋賀県知事国の局長クラスの人たち大学教授、朝の9時にスタートして夜の11時まで熱心な検討がされる。
残念ながら茨城県からはいつも参加者が少ない。
支援費を殺すなというセッションは興味があった。
今度6月に栃木県の宇都宮市で地方版の研修会がある。是非これにもまた参加したい。2/27
17.走った13000キロ
私はマラソンノートを付けています。もう,10年以上になりますか。これがノート2冊目に入りました。そして合計走行距離が13000キロになったのです。利尻島から鹿児島までの距離を何回往復したことになるのでしょう?私は実は「地球1周が目標なのです」いつのまにかこのようなことにこだわるようになってしまいました。
走っていると知り合いの方に声かけられます。「住職が走っていらー」
今年も霞ヶ浦マラソンにエントリーしました。5回フルマラソンを走ったことがありますが、やる度にタイムが悪くなります。今は10マイルが精精です。次なる目標はホノルルマラソンです。2月6日
18.経 営
理事長として経営手腕が試される時代になった。先日(1月21日)鳥取県米子にある養寿会を一人で視察にいく。利用者数1000床職員800名の超大規模法人の廣江研理事長と話す機会を得た。
冒険家植村直己と明治山岳部の同期というだけあって気骨のあるバイタリテー溢れる人であった。現在5億円かけて24時間保育の保育所を建設中とのことで合計施設数も17箇所全くお化けみたいな法人である。
私は、人事考課の実践を全社協より紹介されて伺った。多くのことを学んだが端的に言ってしまえば民間事業者として何を経営理念に置くかということであった。最後に廣江さんが『トップが変わらなければ何も変わらない』とおっしゃった言葉が妙に頭に残った。(1月24日)
19.2002年新年にあたって
新年明けましておめでとうございます。
昨年は同時多発テロの発生から世界中の人々が怒りと不安と悲しみの中ですごしました。
今年こそは良い年になることを誰しもが望んでいることでしょう。
尚恵学園は昭和31年にスタートしてから丸45年を過ぎました。時代と共に施設福祉の中身が大きく変わり、その変化についていくのが精一杯です。措置費制度から契約制度への改革はまだ具体的な仕組みの中身が示されておりません。我々は3年前から職員との話し合いを重ねてきました。どのような仕組みの変化があっても我々を必要とする利用者がいる限り、それに答えていく集団になっていこうと意思の確認を事あるごとに確認しています。特別研修として2年間自由研修の制度をつくり昨年は7本実施されました。その報告会も全職員で行い、様様な意見が出され,理事長として頼もしく思っています。
今年も創意・工夫・責任のある集団として努力して参ります。元旦
20.だべる会
神宮寺の客殿が完成しましたが、その客殿を地域の人々との交流の場にしたいという思いがあります。手始めに第1回は”利用者の声”ということで通勤寮の和知さんにゲスト出演していただきました。
コーヒーを飲みながらおしゃべりをして1時間ほど交流するわけです。本音が出るまでには時間がかかります。でも、地道に続けていけば何か貴重な場になるように思えます。
第2回だべる会はゲスト、吉川親の会副会長をお迎えして”親の想い”を語らう予定です。
日時:12月21日午後6時30分、場所:神宮寺(12/4)
21.すみません・ありがとう
観音寺が落慶したのは平成5年であった。今回神宮寺の落慶は平成13年、8年の間隔があったのだ。準備期間も加えると少なくても13年の歳月を費やしたことになる。私はその間大きな病気もせず、大願を成就することができた。ここまでに『すみません』『ありがとう』を何度言ったか判らない。お蔭様で頭を下げることに何の抵抗も感じない今の自分がある。
そして、私の机の前の壁にはすみません《内省》・ありがとう《感謝》という張り紙がはってある。
2つの寺は現在700件の檀家さんが支えてくれている。本堂新築の事業の中で地道に尚恵学園のことを檀家の人々に訴えてきた。その結果前面的に協力するという理解を勝ち得た。このことが実は私にとって大きい。なぜなのか?葬式坊主という冷たい視線にやっと立ち向かう土台ができた。幸い2つの寺は土地という資産をもっている。いま、ほんの一部しか利用していない。20町歩という広さは良くわからない。6万坪という敷地を活用しないと本尊さんに叱られる。そう思って今までやってきた。これからは本当の意味で自分の力が試される。(11月22日)
22.今施設が変わるために
先日、茨城県の研修部にて埼玉にある一粒(理事長。関博人氏)で行った1泊研修に参加した。参加者はみな若い職員で私は引率責任ということになった。そこで見たものは驚いたことばかり、午後からの研修は30名を4グループに分けてグループ討議、テーマは施設の解体であった。一粒は今年4月開所の新しい施設で完全小舎制を取り入れたユニークな運営がなされている。私は関理事長とは前からの知り合いであったが、東京都の部長職を定年前に退職して施設を作るとは思ってもいなかった。
関さんは見学者は受けたくないというのを私が無理やり頼んだ。第1日目の研修は夜中の3時まで討論を行った。翌朝も8時から研修だから私は正直殆ど寝ていなかった。施設が変わらなければということは分かっているつもりだが、いざどこから手を出して実行すればよいのかは難しい。
30名の参加者は皆目を赤くしてさすがに疲れた様子であった。関さんの指摘する生ぬるい今の施設職員ということを関さんからの講義だけでなく一粒のスタッフから充分知らされた。いい経験の2日間であった。
(11/16)
23.世界の動きの中で
アフガニスタンにおける問題は決して単純なものではない。ニューヨークにおいて9月11日国際貿易センタービルが民間機で突入するという前代未聞のテロの発生は世界中を震撼させた。多くの犠牲者が出た。自爆テロの実行犯にはイスラムの教えがあるという。
自分の命を捧げることでアラーの神から救われるという。私自身,僧侶として何ができるかは永遠の課題、また一人でできることがないという無力さを痛感する事件だった。なぜ人間はいずれの理由にせよ殺しあうのだろうか?
誰もが不安と不信のなかに今いる。パレスチナとイスラエルの問題は未だ解決をみない。停戦を約束し,その約束をお互いが守らないという理由でまた争う。私は聖地エルサレムをお互いが共有すればいいのではないかと単純に考える。誰もが心の中に聖地を持てば良いではないかと、しかし、これは多分許されない考えなのだろう。残念だ。(10/9)
24.第125回芥川賞受賞『中陰の花』玄侑宗久氏
臨済宗の僧侶でもある玄侑氏の作品を読み、今の日本での宗教の位置を考えてみた。私自身僧侶という役を負っている。正直に言って堂々と自分の職業を言える状況にはない。昔、水上勉の本を良く読んだ。越前地方の冬の厳しさをその作風から感じるのが妙に安らぐのだった。水上氏は幼い頃寺に預けられて生活した経験がある。貧しさのための一時的な生活ではなかったようだが、結局寺から飛び出し,様々な仕事にて食い扶持を得た。
現在の寺での生活は厳しさも薄れ、形式的な所作や行事が残っている。今年の新盆供養に廻り、様々な生き様が感じられた。私も御陰様で半世紀を生かさせて頂いた。
これからの人生を何を求めて生きていけば良いのか。玄侑氏の作品から何かを掴めるような気がする。(8月15日,51歳の誕生日)
25.調和=コスモス
8月3日と4日土浦きらら祭りがあった。尚恵学園は最初から踊りに参加している。私は沿道からの応援。目抜き通りを練り歩く踊りの列,沿道には大勢の人が見物している。気になったことがある。2〇歳ぐらいの男性がカメラをもって踊りの列に入っていってしまう。何か動作が気になる。周りの人もそのように感じているようだ。何かを探しているようでも有るが、、、。18番目いよいよ尚恵の番、その時、にわかにその人の動きが変化したのだ。カメラをもって走り出す。何事かと思ったがその方は在宅の知的に障害がある人であった。仲間がくるというのでずっと一人で沿道にて待っていたようだ。祭りという独特の雰囲気の中だからこそ目立たなかったのかもしれないが彼らが自然に受け入れられる時代に早くなればあのような周囲の視線はなかったと思う。(8/6)
26.リスクマネージメント
7月16日17日東京のお台場にて入所更生施設長研修会が開催された。売り場面積日本一という家具センターの七階の会場は初日から例年になく熱心な参加者が多く見られた。大きなテーマがリスクマネージメント,大阪の池田小や浅草での事件は障害者による犯行という報道がなされている。施設は地域福祉を展開する中で、このような事件が起こると逆風がもろにあたる。二人の弁護士の話は我々運営責任者にとっては危機感を持つには十分であるが、いざ日々の中でどうすれば良いのかは今一つ見えてこなかった。副島弁護士が話していたことが気になりメモを取ってきた。『事故が起こったら、誠心誠意誤ることしかない。普段から利用者の家族との信頼関係を築くこと。。。』決して目新しいことではないのだが実はこのことが一番難しい。(7月24日)
27.改革と痛み
小泉政権の人気はすごい。前例がないという。何故なのか?今までの政治に無関心の国民性も?しかし,今政治が面白いという。マスコミを通じての宣伝合戦・特にテレビの影響は大きいと思う。これからが現政権の中身が問われる。それでも閣僚に民間人や女性を多く登用しあらゆる面に浸透をはかった狙いは良い。
そして福祉も聖域ではなくなる。福祉の業界も大儀名文と実態が遊離している面は多いに反省すべきである。私は常日頃こう考え自省している。『福祉を利用する人の本当の生きがいはなんなのか。僧侶という職業から多くの人の死に立ち会う。相手の痛みや悲しみをどれだけ共有できるか?』今の福祉はプロを目指すばかりに何か大切なものを見落としているような気がしてならない。弘法大師が『般若心経秘鍵』の中で言われた言葉を今、強くかみ締めたい。(七月十日)
28.飛田先生の生き方に感動。
91歳を過ぎて,今、入院生活を送る飛田先生には生きることの大切さと意義を何度となく教えて頂いた。入院5日にして2度の手術。生にたいする先生の凄まじい気力。入院翌日左足の大腿部からの切断手術,翌日右側大腿部の切断。これも本人の意志から手術がなされた。高齢と心臓が弱っているので家族は2度目の手術を躊躇したそうだが、『すぐにやってくれ』と先生自らが主治医に願い出たそうだ。
先生は横浜家裁の調査官を定年まで勤められ,その後私共の施設の手伝いをしてくれた。成人寮の施設長も勤められ退職後も時々顔を出され今日までいたっている。その先生が常に心掛けていることはいくつになっても勉強をする姿勢であった。家族がいくら心配してもつい最近まで東京の研修会や地元土浦でのカウンセリングの研修会を行なっていた。今,先生は病院のベットの上で何を考えているのだろうか?先生に叱られたことがあった。『最近職員の利用者への言葉がきつい。どうにかしないとダメだ』と。その言葉に何も言い訳はできなかった。ジェントルテーチングの研修会に参加することで先生の叱咤に答えたかっただけである。
昨晩も見舞いに行き、手を組んでじっと上を向いている先生の姿に何も声がかけられなかった。
先生は入院13日目で6月2日,92歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
29.プロ気質に学ぶ
今,工事中の神宮寺の大工棟梁。ユーモアがあり、責任の強い人だ。自分の非は正直に認め,頑としてツッパルところもある人だ。その奥さんが51歳で亡くなり、今日その通夜に参列してきた。6年前に脳梗塞で倒れ、2年前から寝たきり目も見えない状況で入院していたとのこと。工事が遅れているとのことで,毎晩9時過ぎまで残業をしていた。今日、霊前の前での話しで仕事を終えてから病院に会いに行っていたとのことを始めて知った。私はまったくそのことは知らなかった。知らせると嫌な思いをさせるからと言い訳をいった。プロ気質とはこんなものなのだろうか?この棟梁の元だから若い連中も嫌な顔一つせずがんばっていたのだろう。その工事もほぼ見とおしがついた。ホットした時に奥さんが亡くなった。経を早めに読んで帰ってきた。(5月21日午後10時)
30.新生
埼玉の吹上町に今年の4月からオープンした『一粒』を見学した。30名の入所更生施設である。吹上の駅を降りてタクシーを拾う。「今年できた施設にお願いします。」というと「わからない。多分あそこかもしれないので行ってみましょうか」心細かったが運転手に任せた。到着してなるほどと思った。全く施設のイメージがない。関理事長の思いがまさに『一粒』となりそこにあった。法人の理念【一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだならば、豊かに実を結ぶようになる。】30名が5つの独立した家に生活している。職員は大変だ。一ヶ月に17回の夜の泊まりを行なっている。我々はややもすると職員のための施設運営を是としていないか?福祉の見なおしの中で利用者を中心に据えた施設が叫ばれている。僅かな訪問時間だったが充分に一粒の実践理念が感じられ,帰宅の高崎線の中で深く考えてしまった。{H13.5.10}
31.知足
先月,寺の事業で香港に行く機会がありました。ホンコン居士林という現地法人の寺院での法要団に参加したわけです。観光で成り立つ都市には表の顔と裏の顔があります。当にそうでした。日本人は買い物ツアーと称してやたら免税店に足を運び、ブランド名のついた袋を両手に抱えてツアーバスに乗り込む姿を多くみました。一緒に同行した地元の坊さんが何やら格好の良いカバンを肩にかけていました。【それはどこのカバン?】と尋ねると【土浦の塚本カバン】これだと思った。H13・5・8
32.幸せ
大分前の話になるが,タイに行ったことがある。曹洞宗のNGOが活躍している貧民街に行った。ボデイガード を付けないと保障できないという。そのとき言われたことを思い出した。『日本人の子供の目は死んでいる。貧しくてもここの子供達の目はどうですか?』確かに眼がキラキラ輝いていた。
日本が今混迷している。昔、インドにても同じ経験をした。豊かさは本当の幸せになるのでしょうか?
〔4月8日〕
33.何が選ばれる根拠になるか?
先日,茨城県の社会福祉施設経営協議会の役員会があった。制度が変わり,既に新しい制度の元で運営がなされている老人関係の方から様々な意見が出された。障害者や児童の施設にとっては分からない内容が多くあったのも事実。確定でない様々な情報が入ってはきているが、まだ具体的な指示はない。
民間企業が参入してくることを恐れている感もあるが、果たして採算ベースにのせる目論見が果たして理想とする福祉だのだろうか?これを確証する答えもない。
そこで、何が選ばれる根拠になるのかは大きな課題であることは事実である。(3月24日)
34.良い人が目立たない時代
政治の世界、官僚,行政それぞれの役割を真面目に前向きに取り組んでいる人が目立たない世の中。
マスコミに登場する人物はその大半が不祥事に絡む。見る側、聞く側には全体がマイナスイメージとして写ってしまう。そのことでどれだけの人が意欲を無くしているだろうか。元気付けられるものがない。
福祉の世界でも同様、なにか弱者を食い物にしているかのごとき報道を見ると眼を覆いたくなる。
報道のあり方が問われる中で、どのマスコミも率先して変えようとはしない。ex,ワイドショウはもう何十年も各民放同様の報道をし視聴率を上げることのみに奔走している
どこから変えれば良いのか?いい考えは浮かばない。
ただ、良い人が目立つ時代にする努力を惜しまずしていくべきとは思う。
残念ながら,今の日本には『良い人』とはどんな人なのかというモデルを見失っている。《2月7日》
35.2001年幕開けの一言
世の中が凄まじい勢いで変化している。仏教的には無常迅速という。変化して良いものとそうでないものがあるはずだ。施設を経営しているとどうしても納得しかねる事がある。福祉というものに対する考え方、サービスを金で計算すること、どんなものか。TV番組で良く、学者や政治家の出演する番組がある。特に日曜日に集中して放映されている。どの番組をみていても心底信じられる意見は無い。例えて言えば、大臣がころころ代わる。大臣病というものが有るらしく、やりたい政治家がたくさん居るからだ。また、派閥駆け引きのカードに使われるとの事。結局は責任の所在がうやもやになる。この繰り返しを日本はやっている。その点、僧侶は違う。批判を受けながらも必死にがんばって寺を守っているではないか。施設長も然り、逃げようとしても逃げられない現実がある。政治家の諸君。一度で良いから、来て見なさいな。渇。1月14日
36.福祉施設の不祥事を嘆く
『追い求める理想はしんきろう』という某新聞朝刊の記事に目が止まった。福祉を取り巻く環境の変化は凄まじい。街には〇〇センターとかといった看板を掲げた車が行き交う。訪問サービス、送迎サービス盛沢山。サービスの質の向上が叫ばれてからもう大分月日が流れた。実際はどうなのか。関係者の私の口からは言いにくい。不祥事もそのひとつと言える。金がらみ、人権問題、その他いろいろ。
事業はしっかりと大地に根を張らねばならない。誰もができる福祉は理想、しかし、誰もが利用できる福祉にはまだ残念ながらいたっていない。もし、利用関係の仲立ちに金銭の取引があればどうなのだろうか?
利用したい者とお金が有る人は兎角一致しない。お釈迦さまが身分制度がはっきりしていたインドにおいて教えを開いた仏教、不可触せんみんが多くいた時代、今の日本は物資的には豊かになっている。その中での理想がぼんやりしてしまって蜃気楼という言葉に置き換えられた。内省を含め真剣に考える時期はもうあまり残っていない。
37.岩下みゆきさんへの追悼文
10月30日に厚生園の岩下みゆきさんが敗血症性ショックで亡くなった。33歳であった。入院10日目であった。白血球が通常の10分の1まで減少し、高熱による意識朦朧とした状態であった。家族の必死な看病、願いもむなしく父と妹を残して亡くなった。11月5日観音寺霊園の岩下家の墓地に尚恵の多くの仲間たちの見守る中で納骨され、43年の尚恵の歴史の中で十人目の物故者となった。
21年間の学園生活は果たしてみゆきさんにとってどうであったのだろうか?人生の大きな部分を学園生活する方が増えている。
一人一人に満足される生活が実現可能なれば納得もされるだろう。しかし、現実には多くの犠牲を伴って運営がなされているのが正直な所である。利用者、家族、職員の夫々の思いがいつになれば花開くことになるのだろうか?ただ今は若くして亡くなったみゆきさんの冥福を皆と共に祈ることだけである。
『11月6日』
38.契約になれば何が変わる?
契約になると何がかわるのでしょうか?サービスを提供する側から言えば、なにが出来るのでしょうか?背伸びをしてみても仕方ありませんね。我が子の幸福を望まぬ親はありません。その望みは実は千差万別で一人一人違うのですね。利用者さんの要求も全く人それぞれ異なっているのです。そこで、契約となると何をお互い契約のなかに盛り込めば良いのでしょうか。計らずも不履行の場合どうすれば良いのでしょうか?運動会の最中、一人の父兄と話しをしていたことを紹介しました。「10月22日」
生きがいを求めて実現できる人は幸福ものだ。知的に障害を持つ人達との30年間の付き合いの中から常に私の頭の中から離れないでいたことの一つである。生きがいとは何か。喜び?楽しさ?夢?、、、
混沌とする今の世の中で実は日本中の人が確かな答えを持ち得ないでいる。現実特に目先のことに対応することで精一杯な人、あるいは全く関心すらない人の両極に分かれているような気がする。
しかし、今の時代、家族の面会を心より嬉しがる人達、彼らは心のカレンダーに面会の日にちを目印を付けていたのです。そのことが分かってから、私の彼らへの見方が変わったのです。SJK
ネットサービスどこまで出来るか分からないが、私の生きがいの大きな部分を占めるに至った。謝謝。
「10月12日」
40.今時、診療拒否とは。
当園には重度の利用者が98%入所している。知的障害だけでは無く、様々な合併症を持つ人達が殆どである。最近あった例を紹介します。大規模病院にて外来診察を拒否されたのです。担当医師が転勤にて、新たな医師がかわったのであるが、この医師が態度が横柄であり、最初から診療を拒む態度が見え見えなのである。「誓約書を書いてくるように」とか「他の病院にいくらでも紹介状を書いてやる」とか前任者とは全く違った態度で腹が立つ。大病院だけに主治医を選ぶ権利は患者側にはないのか。このケースは喘息疾患である。夜間に発作を起こすことがあり、救急センターを持つこの病院には大変世話になっているのだが、救急でかかった場合は必ず翌日外来にて診察を受けることになっている。その担当医師がこの有様なのである。何か手段をこうじなければと考えている。医師のモラル教育はどうなっているのだろうか?[10月」
一人一人の個性が生かされ満足する社会を築くことは人類最終の望みである。尚恵学園という小さな社会においても130名の利用者の一人一人が満足できる生活を考えるともう際限ない広がりに身を任せるより方法が浮かばない。「9月号」
私の性格でしょうが、じっとして待つことが苦手、いつも何かを捜し求めて動き回っています。注がれた酒を飲み干さないことは酒のみのルール違反。
自分の力以上のことを望むことへの自己抑制と考えています。何故なら、夢は果たせないから夢であり、そのことが生きる活力になるのではないでしょうか。「5月号」
昨年一年かけて四国八十八箇所を廻った。歩いた遍路ではないから自分としては何も誇るつもりはない。各寺を巡る中で考えた。何故、人は四国に足を運ぶのだろうか?何一つ同じ場所{寺」はないが非常に長い期間遍路信仰は続いている。歩く「巡る」ことが人生に重ねて考えてしまう。生き方は人それぞれでいい。同じ方向を向かって歩む。遅くとも早歩きでも、一国打ちでも、逆順でも、満願してほっとしたのも束の間、また次回の遍路を頭に浮かべている自分がいる。「6月号」
昭和25年生まれ、大台に乗りました。感謝感謝の仏様。私の兄は九歳で惜しまれて急に世を去っていった。その後、生まれてきたのか自他共に認める生臭坊主、その名は“福祉”。これからの人生は儲けものと思って生きたい。よろしく。「8月号」
日本の中にいると判断する基準がない。人は何かと比較することで、位置を確認する。今の日本は私が知る限り,物が有り余り、不要なものが巷を埋め尽くしている。神立に土浦市の廃棄物処理場がある。昭和50年代、恥ずかしいことだが私は園生を連れて作業の材料を拾いに良く行った。材木の切れ端を作業の教材にするためだった。落合信彦の『魂』ではないが、教育が狂育になり、様々なトラブルがおこっている。成人して、この先生に会いたいと思う小中学生がどれほどいるだろうか?私の友人で私立高校の教師は『今は授業にならないんだよ。お喋りならまだいいほうで教室から自由に出ていってしまう。それを注意するものならば後が大変なんだ』足を机の上に投げだし、コンビニで買ってきたものを授業中に食べ、堂々とマンガを読む。注意しようとすると校長が止めに入る。
全く、想像を絶することが教育現場では起こっている。このような教育施設は無いほうがまだましだ。
20年前、ネパールの施設と交流をやった。職員を日本によんで研修してもらった。その職員はその後二度ほど日本にきたが、来るたびに少しづつ変わっているような気がした。プラダンという人だったが、彼の比較判断に日本が加わったためだろう。良かれと思って研修受け入れを行ったが、本当にそれが良かったのかどうか今でも分からない。「8月号」