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一 覧 表源究パート2NO26→No45

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26.企業努力(福祉版) 36.アジア大会雑感
27.落葉帰根 37.気を遣わせて
28.日々是障害? 38.日立!御用達
29.2ヶ月半のご無沙汰 39.脱施設化
30.はたらく 40.ぼく 死にます
31.学校に言いたい 41.違和感&あこがれ
32.お疲れ様 42.米寿のマージャン
33.がんばるよ 43.四苦八苦
34.かあちゃんは? 44.波止場
35.OBON 45。親と子

26.企業努力(福祉版)

尚恵学園が開設された昭和31年当時は福祉事業は慈善事業と同一の見方をされていた。当時、知的に障害のある人達は学校教育も受けていなかった。昭和54年の養護学校の義務設置により、全国に飛躍的に知的に障害のある人達のスペシャルスクールが作られた。茨城県でも土浦に建設された現在の養護学校は早い時期に建設された。よく記憶している。生徒数の増加に伴い、美浦や伊那に学校を作って生徒を分散、それでも足りないので今度はつくば市に新設校ができる。そして、今年スタートした支援費制度。大きく変化してきた。
 企業努力はお客様(?)への満足度をあげる努力。一般企業では当然のこととして受け止められること。しかし、教育。医療。福祉の分野では従事者への意識化が一番遅れている。利用者への横柄な態度、見てあげているという高慢な意識、素っ気ない対応、相手の都合でなくこちら側の都合で動くサービス・・・・数え切れない多くの改善点。
 しかし、サービス産業という言葉を極端に嫌う。残念なことに事業所の数がニーズに対応するには絶対数が足りない。
この現象はいつまでも続くのか!規制緩和が計られ、様々な事業体が福祉の分野に入り込んできた。むしろ、これは歓迎すべきことなのだろうが、業界の本音はどうにかして防御しようと動く。
尚恵学園でも現在90名を越すスタッフが働く。正直言って利用者への暴言や無理解な言動は格段に減少していると思う。しかし、油断はできない。無意識の言動というものがあるからだ。本人は気づいていないが誰がみても首をかしげるようなことがまだある。病院に入院した利用者を見舞うスタッフへの苦情がでた。二人部屋の病室へ大勢のスタッフが見舞いに訪れ隣の患者さにn不愉快な思いをさせた。私に直接入ったことではないが、考えられることだった。早速、全職員を集めて注意した。これは相手の立場になって行動すべき我々の基本的な態度の欠如。それも多分無意識なもの。
このようなことが結構ある。外出した時の何気ないスタッフの対応にもある。これは一緒にいた他のスタッフが注意すべきこと。しかし、往々にしてベテランのスタッフに問題の行動が出やすい。マンネリ化。
 我々の企業努力は利用者の立場に常に帰ること。これしか自らを是正する方法はない。際限なく続くこの企業努力に根負けした時は潔くこの世界から退く時だと思っている。

27.落 葉 帰 根

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”落葉帰根”とは中国禅宗六祖慧能の言葉。
人間が年老いて昔を懐かしみ、生まれ育った故郷に帰りたくなるという自然の成り行きを落ち葉に例えた。人間に限ったことではない。自然界の様々な生き物には帰巣本能というものがある。サケが生まれ育った川にのぼり産卵して一生を終える。これもまた同じことと言えよう。今から約2500年前の釈迦が最後の旅で向かった先は当に生まれ育った地であった。70マイルの距離まで近づいて病に倒れたのは良く知られたこと。
 話は変わるが、山登りをしていたとき、日本の山は麓はブナやナラの落葉樹の林である。秋訪れると落葉の真っ最中、葉は自らの根の元に落ち長い年月を経て腐葉土となり根の栄養源になって木を育てる。このサイクルはもう何万年という時を重ねている。落ち葉は落ち葉の役目を果たしている。今の時代、特に人間社会に目を向けてみると、どうも視点が違っているように思える。つまり、老人医療にしても全く筋道が違っている。最近利用者が入院しているので病院に行くことが多くなった。病室は老人のたまり場という感がする。それもなにか難しそうな医療機器がベットのそばに置かれて何をするでもなくベットに横になり、天井を見つめている。年老いた患者。良く耳にすることだが100%の入院患者が家に帰りたいと思っている。これは間違いない。落葉帰根という4文字には様々な意味合いがある。家庭で看病できないから病院にいてもらわないとというのが家族の本音。しかし、終末ケアーの本筋はそこには見いだせない。
 これは、医療関係者から出る声ではない。日本の今のあり方が何れ医療費の破綻に行き着くことはあきらか。そして当の本人が満足していない終末医療をいつまで続けるのか?
 もし、その気づきを現実に変革の方向へ持っていくとしたら、今、我々福祉関係者が直面している”脱施設化”と同じ発想の転換である。

28.日々是障害?

 『日々是好日』という言葉は良く知られている。
私は「日々是生涯」という風に言葉を解して今まで生きてきたつもりでいる。人生の先輩諸氏には何を戯言を言っとるかとお叱りをうけるに違いない。しかし、私なりの言い分は有る。前にも触れたが私の実兄の死が私の人生のスタートという個人的な理由からである。ま。これは触れないでおこう。
 さて、その『生涯』という言葉が私の中で微妙に変わってきているような気がする。つまり、『障害』という言葉にである。年を取ったせいでもあるのだろ。私は夜の9時頃眠くなる、これまた個人的な趣味で恐縮なのだが巨人が調子が悪いからという理由もある。早めに寝るから夜中に目が覚める。夜中に目が覚めるから早く眠くなる。実はどっちが本当なのか分からない。ま、これも自然の成り行きに任せている。そして、『障害』つまり差し障りが次から次へ現れるような実感。確かめたことはないのだが50代という年齢は相当数の人達がそうなのだろうと思う。今特に気になっていることは学園の利用者の体調である。6月は同じ病院に3名の方が入院した。一人は1ヶ月になろうとしている。他の二人はお陰様で退院できた。2日に一遍ぐらい見回りにいっている。私は彼の視線が気になる。すねたようにも取れるし何かを訴えているようにも取れる。病状としては決して良くはない。日が経つに連れて彼の姿から充分そのことが読みとれる。夜中に目が覚めると様々な想いが浮かんでくる。「今頃、病院のベットで寝苦しい時間を過ごしているのだろうな」と思うともう寝ていられない。学園を利用する人達がが創設の時の3倍になっている。大部昔だが障害をもった人と言ってある会合で前の席に座っていた母親から注意を受けたことがあった。持っているんじゃなくて有ると言って下さい。その人の子供さんは重い障害であった。正直どう違うのと尋ねたかったがやめた。我々職員の立場にはないこの「こだわり」がその母親に取っては支えで頑張ってきたのだろう。
 私の場合は頭の整理(?)を仏教に頼ることが多い。他人の目から何不自由もなく育った人が何故?と思うこと。其れは元を辿れば釈迦であり、空海という真言宗の祖師である。障害を持つということが特別のことでは無いという教えが有る。利用する人の立場を他人のこととして考えている内は分からないこと。特別のことじゃ無くて自分自身の問題と自覚した時にこそ、何か解決の道が見えてくる。
『日々是障害』大いに歓迎!いつまで続くか???

29.2ヶ月半のご無沙汰でしたよーんだ

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Nさん貴方はなんとすばらしいのだ。全く感激ものですよ。何故って3日前、突然水戸駅前交番から電話『おたくに電話してくれといっている男性がいますよ』と。直ぐに職員が迎えに行ったんですよ。帰ってきて私が話を聞くことになったんだけど
○「どこに行ってたのよ?」・・・「水戸」  ○「どうやって行ったのよ?」・・・「歩いて行った」○「どうして交番に頼んだのよ?」・・・「帰りたくなったから」○「食事はどうしたのよ?」・・・「食べ物もらった。風呂に入れてもらった。雨の日は駅のあたりにいた。。。」○「どこで寝ていたのよ?」・・・「梅畑のあずまや。4人寝られる・」
彼は今回が初めてではない。尚恵に入る前、5年間ほど東京ですごした。どこで?・・・・・上野とか隅田川
ホームレス生活だった。もう我々以上にその道には通じている。新宿や渋谷はいじめられるから怖い。忍ばずの池の当たりにいると助けてくれる人がいるんだ。
今回も実は自分の家に彼を連れて行き食事をご馳走して風呂まで入れてくれた人がいたという。名前は知らない。お互い聞かないことが仁義なようだ。
何か任侠ものを見ているようだ。彼の生い立ちは想像に絶する。自分で生きる術を学んできた。そうしないと生きてこれなかった。彼は干渉されるのが嫌いである。通勤寮の仲間とはうまく行かない。なぜならば彼の唯一の楽しみは晩酌なんだもの。そもそも我々の所にくる人ではない。しかし、どこにいくことも出来ず流れてきた。多分、否、必ず。また放浪?の旅に出る。また、警察の世話になることは目に見えている。まーいいや。彼も仲間だ。仲間だよー。出たくなったら行けばいい。待ってるからな

30.はたらく

尚恵学園には今多くの利用者さんが働いています。合計25カ所の事業所に通勤している友達がいます。ですから、毎日のスタッフの動きは想像できますよね。電話の対応、職場でのトラブル、通院、仲間同士の調整・・・・・
毎日、休み無く続くのであります。そのような中で心が癒されることがあるんですね。私が職場に行くのは大体朝の7時前後、その時間にはもう出かけてしまった人もいるんだけれども、出かける準備をしている人も多い。『おはよう。今から仕事?』『ハイ そうです』『よくがんばってるね』毎日繰り返される朝の会話。はたらくということが如何に大切かということである。8月3日に墓地の供養をする方がいる。二人姉妹、二人の母親の埋葬されているお墓を貯めておいたお金で新しく作った。そして、開眼法要の日には体調が思わしくなく長いこと施設に入所している父親を呼んで行うことになった。
他の兄弟も呼ぶのかどうか?居場所が分からない兄弟もおり、出来れば一同に会して母親の供養をしてもらいたいと思っている。それも二人の姉妹がはたらいて得た貴重なお金で今回実現した。
はたらくには意味がある。そして生きる活力にもなる。

31.学校に言いたい

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学校に言いたいことがたくさんある。一つ普通学校と同じ感覚で養護学校を考えていないでしょうか?
つまり、春夏冬の長期休みの捉え方です。夏休みになって尚恵学園にショートステイ、レスパイトの希望者が殺到、正直その対応に悪戦苦闘。地元養護学校だけでなく4つの養護から希望者が来ている。我が園の夏休みは8月3日からそれまでの期間ごった返す状況。無理ならば受けなければ良いだろうという声もある。しかし、現実は養護に通っている子供達の父兄も今の時代仕事を持っている。学校の言い分はこうだ。「施設開放事業でプールは開放していますよ」しかしだよ。ここのところ雨ばかりプールを利用する人がいるわけない。体育館?これだって事故がおこったら大変、いつものマイナス思考。
このパターンをいつまでつづけるのですか?と尋ねたい。学童保育というものがあるのだが、実際は市町村の判断、実施しているところは知らない。学校も利用日の日割り計算にすれば良いんだよ。先生達の研修を行っています。確かにそうかもしれない。しかし、不公平だよな。クラブの顧問の教師は確かに休みは殆どない。私の友人にも教員は何人もいるから知っている。
それは子供達が必要としているから教師もでてくるんじゃないの。養護学校では子供も家族もみんな必要を訴えているのに先生はでてこない。このギャップはどうなのよ。その穴埋めを所謂我々施設という社会資源を活用したほうがよろしいという宣伝。だから毎日のように見学やら登録に養護学校に通う父兄が訪れる。
もちつもたれつの関係は今のところバランスが崩れている。それに、そのバランス調整の機関すら無いのが実情。
どのように今年の夏体制を組んで対応するか頭がいたい。

32,お疲れ様

恒例とは言っても30日と31日は大変疲れるのです。施餓鬼というお寺のお盆の行事があるのでして、2週間ぐらい前から準備に入るのですが、注文を受けた塔婆や永代供養の掛け軸を書くのです。そして、普段やっていない掃除や後かたづけがこれまたたいへん。今日は天気予報では雨だったのですが、1日早まって夏日になり急に暑い1日となりました。
名前を間違ったり書くのを忘れていたりで大混乱。ああー疲れた。今日はお葬式もあってダブルパンチを食らってしまった。随分日頃はトレーニングをやっているのだけれども年を重ねるにつれて体力がなくなったなー。本来ならば大正大学に通う息子も手伝うことになるのだが今年は加行中でだめ、昨日今日と併せて22名の坊さんが来てくれた。これからそのお返しの手伝いが8月めいいぱい入っているんです。
 後始末を終えて部屋に戻ると我が家のメス猫の花子が両足をめいっぱい伸ばして気持ち良さそうに寝ていた。ちくしょうこの忙しいのに・・・・
花子は殺気を感じたのか私の足音に気づくとサッと逃げてしまった。去年は相棒のオス猫ヘンぶーも居たのに亡くなった。花子も寂しいんだわな。  まいいか!合掌

33.がんばるよ

あれは何年前になるだろうか?土浦きらら祭りに出演の声がかかった。何をするのだろうか?皆さんと楽しく踊っていただければいいんですよ。というお誘いであった。纏まって踊れるだろうかという不安があった。最初は迷子にならないようという心配が先んじていたと思う。利用者さんも恥ずかしそうに控えめに踊った。それがどうだろうか今では「尚恵学園」の出場を楽しみにしている方が大勢いる。私も最初の何回かは一緒に踊った。しかし、ある時から観衆の反応が気になった。踊りを観衆になってみることにした。スタートからゴールまでの市内の目抜き通りを踊るのに約1時間かかる。
今年は審査委員席の反対側で待った。審査員の人達は10人ぐらい、出場リストの資料を見ながら採点をつける。関東つくば銀行総勢100名の後が28番尚恵学園。ある審査委員の方が尚恵学園の紹介アナウスが流れると立ち上がって拍手し始めた。待っていてくれたのだった。観衆席の反応、最初の頃は奇異に映っていたような節もあった。しかし、尚恵学園の踊りの中に20代の若い3人連れが入り利用者と楽しそうに踊り始めた。今年は38組の団体が参加したが、このような光景は尚恵学園だけだった。正直良かったという実感があった。
2日前から急に夏日になって蒸し暑い中を踊りきった仲間達、土浦駅のゴールにたどり付いたNさんにに声かける。
『がんばってねNさん』『うん。がんばったョ』顔面いっぱい汗をかいたその笑顔がとても印象的だった。【関係写真へ

34.かあちゃんは・・・・・?

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Yさんは体調を崩し、入院、2ヶ月になる。容体が安定しているので主治医の許可をもらって1泊で学園にもどることになった。スタッフが迎えに行くと帰るのを嫌がったという。予想はできた。2,3日前から家政婦のおばさんと別れるのは嫌な様子を見せていたからだ。彼は『かあちゃん』と家政婦さんをいつの間にか呼ぶようになっていた。最初は恥ずかしそうにしていたようだが、今はふざけてそのように呼んでいるとは思えず、本当にそう思っているのかもしれない。彼の人生は簡単には言い表せない。周りの大人?に裏切られ続けた人生、私はそう思っている。だからこそ、今回の彼の入院を複雑な思いでいる。前に、入院している人の100%は家に帰りたがっていると述べたことを思い出す。
彼は帰る家がない。待っている家族がいない。帰るとすれば長年生活している尚恵学園。多分彼の頭の中では『学園に戻るのが良いのか、このまま病院でかあちゃん?と一緒にいたほうが良いのか?』と考えたに違いない。
彼は本当に凄いと思う。今、夏休みで学園の利用者は家庭に帰っている。そこに一時退院して帰るYさん。病院にいればかあちゃんを独り占めできる。そして彼は1泊の約束で昨日学園に戻ってきた。
会わす顔が無いというのが正直な今の私の気持ちである。
                                    《お盆明けに彼は正式に退院することになりそうである》

35.OBON

Obon・・・お盆。例年の事であるが、お盆の帰省ラッシュが各地から報道される。その時期、台風10号がゆっくりとしたスピードで日本列島を直撃し大きな被害を与えた。そして、今年は10年目の冷夏、北半球が異常気象で地球規模の現象。しかし、そのような異変には関係なくお盆の行事は行われる。盆という字を皿の上のものを分けると解字する。その真意は分からない。お盆に前後して行われる寺の行事施餓鬼も同じ、餓鬼に施す。
 この意味も昔とは実態が大きく変わっていると思う。何か施す側の奢りを感じる。本来の姿とは全く逆の意味になっているのではなかろうか?施してやるとか分け与えるという。恵まれない可哀想な人へ恵みを与えるという気持ちは仏教の唱える布施とは全く違う。しかし、この事を知らせる人がいない。本来坊さんがその事を伝える義務があるのだが、自省を含めて、????。豊かさの反動、奢り、無責任、無感覚・・・・。NGOという海外支援事業があるが、ご承知のごとく金を恵んでやるという日本側の意志を相手側はとっくに承知している。だから、本当に必要とする人達に援助が回らないで中間でどこかにいってしまう。JICAのスタッフがそのような話をしてくれた。
 昔と大きく変わったのは地球が小さくなったことだろう。グローバリゼーション。航空網の発達で手軽に外国に行って帰ってくる時代。日本だけの問題として考えることが出来ない時代。犯罪もしかり、外国人が関係する事件が目立つ。
 21日からつくば市でアジア知的障害会議がある。その対応に四苦八苦している。26日には尚恵学園にも大型バスで見学にくる。アジアの国の人達が我々の取り組みをどう感じてくれるのか?ネパールの客人をホームステイしてもらう予定でいる。彼らは手紙のやりとりで最初に釈迦の生まれた国ネパールの友からという文の書き出しで始まる。
正直わざとらしいなと感じてしまう私の気持ちがある。このこと事態がもう狂っているのかもしれない。

36.アジア大会雑感

第16回アジア知的障害者会議(ACMR)が地元つくば市にて8月21日から26日までの間開かれている。様々なアジアの国々からの関係者の参加があって、私たち尚恵学園も関わりをもった。なんと言っても開会式でのミュージックベル演奏は名誉なことであり、それだけに熱が入り緊張もした。私は警備案内担当という役割を与えられ結局開催期間中毎日顔を出すことになってしまった。ありがたいことに準備期間が無かったにもかかわらず茨城県内30の施設が総勢65名の協力スタッフを派遣してくれた。さらに大会期間中のアトラクションにピアしらとりの太鼓:みもり園の合唱の協力が得られた。さて、大会自体は4つの団体の共催ということで、準備段階からそれぞれの団体の柵があって事務局は大変な苦労を余儀なくされたようである。皇太子御夫妻の御臨席があり、警備も想像以上に厳しい徹底したものであった。当日、何も知らないで会場に来た参加者、特に海外からの参加者はどうして警備がこれほどまでに厳しいのかと不満を訴えた。大会が進むに連れてつくば市という地方都市開催の難しさが表面化した。本人参加者達が時間を持て余してきたのである。学術会議の中に障害者自身が参加するというプログラム構成に無理が有ったように思う。そのことが現実の問題となった。スリランカの参加者(障害者)が4日目に会議場から居なくなったのである。警察には事務局から捜索願いは出されたが日没までに時間が迫った。焦った。結局は今回の大会に協力してくれたVSの情報が6時間後にあって、会議場から7キロ離れた土浦で歩いているところを発見され付き添いのスリランカのスタッフに無事渡すことができたのである。私は会議場のロビーで何もすることがなく時間を持て余している各国の障害者の動きが気になっていた。果たして研究を発表する先生方にはどのように彼らのことが映っていたのだろうか?様々な意見を聞いた。海外の参加者の対応を旅行会社だけに任せることでは所詮無理である。彼らは誠意はあっても知的障害者の対応には素人である。
私など支援する立場の者は利用者を連れて参加する行事が日常多くあるので先ず第一にそのことが気になる。どうも今回の会議の趣旨は全般的に私どもの想像していたものとは異なっていた。アジアの国々の貧富の格差も大きな問題と分かった。私たちが以前より知っていたネパールの参加者4名は夕食はコンビニでカップラーメンを購入して食べていたようである。可哀想になってしまった。幸い日本の友人7人で彼ら4名をファミリーレストランに招待してささやかな歓迎会を開いた。お金の価値が全く異なる国からの参加者への配慮も必要だ。日本の豊かさを見せつけるような企画はいただけないし、もしそうであるならば協力者は激減するだろう。今まで準備してきた事務局及び関係者の人達にそのような思い上がった気持ちがないことは充分わかる。しかし、細かな点で気がついていないなという思いは今回様々な所で感じた。次回はインドネシアが開催国ということである。少なくても大会目的が障害者の主体性確立と完全参加をうたっているのであれば今回の反省を充分生かしていただく企画にしていただきたい。その基本があってこそ本当の意味の共生社会が実現できると私は信じている。《関係写真へ
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37.気を遣わせて

ありゃーそんなことしなくても良いよ・・・・。事務所の窓から気が付いて咄嗟に声かけした。二人の通勤寮生が私の車を洗っていた。『イヤー申し訳ないな。そんなことしてもらって』二人とも汗びっしょり。良いよ良いよと言うだけ。
二人は今失業中。ホースで水荒いしているKさんはいろいろな経験をしてきた。一宿一飯の身、草鞋をぬいての居候、その側で『きれいになっていいな、園長は忙しいんだよな。。』とかお喋りばかりで手は動かないSさん。どちらかというとKさんにとってはうるさくて迷惑気味。彼は仕事はあるのだが例の自宅待機組。もうそろそろ二ヶ月になる。
彼らとつき合っていると何かほんのりした気分になる。ああー通じている。という実感。
今までの日本人ががむしゃらに頑張ってきて忘れかけていたもの。どちらかというと余り重要視されていなかった事を彼らは未だしっかりと持っている。ありがとうと素直になれる爽やかな風だ。
[気を遣って]
 お返ししたくなるのが心情だ。今晩彼らと食事に行くことになった。実はもう一人のEさんがお寺の草取りをやってくれている。彼はお酒が大好き。どこかで食事でもしながら慰労会。3人だけの晩餐会。

38.日立!御用達

ある日、地元の日立建機の総務部長がやってきた。何だろう?『お宅のまんだらのパンを工場売店で売りたい』という話だった。担当者を紹介してそちらで検討してもらうことになった。丁度まんだら2号店をオープンする準備中、今、土浦の福祉の店やJAの即売展、幼稚園や養護施設へ定期的に納品している所が増えた。『果たして作るのが間に合うのかな?』と私は思った。結局は数を無理しないで売店にて販売することになった。何しろ社員が1000人近い大工場、その売店でどのくらい納めればよいのか。工場側はいくらでも結構だということだ。会社の方針で地元の障害者雇用の一環で今回の話が持ち上がったようだ。その前段階としてまんだらの仲間全員が工場見学に招待された。大きなショベルカーの前で写真に収まり皆満足顔だ。それもそのはず、天下の日立建機の御用達になったんだから、恐れいりました。
それから話は続くのであります。Kさんは工場見学をしてから興奮!手真似でユンボの真似をして1000万円もするユンボを学園でも買えと訴える。彼は手真似で私に要求する。今までは草刈りやれと顔を合わせる度に訴える。「後でな」と適当に答えると『フンニャー』とか言ってどうせ園長はやらないんだからと不満を表情にだす。良く見ているよ。今回のユンボには意味がある彼の父親の仕事がユンボの運転手さんだった。そのお父さんは2年前に亡くなった。葬儀には彼が長男として立派に父の遺影を持って参列者に頭を下げていた。

39.脱施設化

いつ頃からなのか、今、脱施設化という文字が目立つ。ノーマライぜーションが福祉の分野で盛んに取り上げられ制度が変わり、今までの反省に立って見直しが成されてきた。施設のカラーを脱ぐという。施設へのイメージが出来上がり、其れは決してサービスを受ける側から見ると良いものではないようだ。先日、千葉県の堂本知事と宮城県の浅野知事の話を聞いた。なるほどなーと感心した。しかし、自分の施設に戻ると現実が待ちかまえていた。重度の方が入院して手術を受けた。今、病院に入院している。職員が体調を崩し、これまた2週間の病休、通勤寮のAさんが会社を辞めた。アパート生活始めたSさんがてんかん発作が強く見回りが必要。レスパイトの申し込みが5000時間を超えた。・・・・。
これが現実。我々は毎日この繰り返しを45年間やってきた。その事のどこが悪いと言うのか?
 仕組みができていない中で今必要なことを優先してやってきたことだ。それに対してとやかく言われたくないというのが正直な思いだ。
 机上の討論をいくらやってみても仕方がないし、宮城の仕組みは果たしてどうなのか?コロニーを解体する。それも職員の自主的な意識の変革によって成された、そうかなー?事業団の中身はどうなのよ。どれだけ宮城県が不足分を補填しているのよ。職員は給与が下がるの?誰もその中身までは知らない。茨城県福祉事業団の中長期計画策定の委員を私は2年間やったことがある。事業団の収支報告はどうも民間の会計システムとは違うようで赤字なのかどうなのか分からないようになっている。
結果は17億ぐらいの補填が毎年あって茨城のコロニーは成り立っている。尚恵学園がもし赤字になったら補填してくれるの?
その辺がどうも分からない。脱施設を目指すならばこの辺の矛盾を明らかにしてからにしてもらいたい。
サービス業を自負するのであれば収支バランスの崩れたサービスはあり得ない。また、マスコミにも声を大きくして言いたい。施設での不祥事の報道は注意してもらいたいな。何も知らない人はどこの事業所も同じだと勘違いするんだから。
一方的な報道で訴えられた側の言い分は全く無視される状況は決していただけないよなー。

40.ぼく 死にます

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「ぼく 死にます」ただ事ではない。彼は真剣に市の福祉事務所に電話したそうだ。その理由は梨花ちゃんに振られたからという理由らしい。何しろ通勤寮は女性は2人しかいない。他は男性群、男が群れているという感じ。だから梨花ちゃんは大もて。凄いデートの希望が目白押し。彼はその競争に負けてしまったと思いこんだ。しかし、敗者復活戦もある。
電話を受けた市の担当者は驚いた。尚恵学園で何事かあったのか?早速問い合わせの電話。
彼はパン屋さんで頑張っていた。しかし、今、落ち込みが激しい。否、激しいなんてもんじゃない。ぺっしゃんこ。どう慰めてみてもだめ。死んだ振りしている。
男女の関係は微妙だなー。引いて駄目なら押してみな。でも彼は恥ずかしがり屋。彼女の前ではモジモジしていて全くはっきりしない。
そうだ、我が園で一番の大物、Tさん。彼は何がなんだか分からないけど大好きなYさんの写真を部屋の壁に飾っている。よーく見ると寝る前にその写真に何か挨拶している。
良いぞ良いぞ大いに結構。恋愛は生きる力だ。

41.『違和感』&『あこがれ』

物事には2重構造というものがある。「違和感」&「あこがれ」
福祉業界の会議があった。わたしの正直な感想。高級車にのって颯爽と?駆けつける高級背広を着た人、その脇に駐車された○○園というかなり走行距離を走ったと思われるバンの車から降り立った人。何れの方も会費1万円を払い本日の会議に参加する福祉関係者。いつの頃からだろうか。この業界も市場の原理が導入され大規模に事業を展開している法人の理事長が中央の団体の役職につくようになった。ほんのちょっと昔まで福祉論などを声高く議論した会合は陰を潜め、経営論が幅をきかせ始めた。介護保険事業の国の総予算は5兆円を超えたという話があった。明日は敬老の日、全国の100歳を超えているお歳よりの数が2万人を越したという。『住田さん、商売あがったりだね』と脇に座っていた某法人の理事長が言った。お寺は大変ですよと反射的に言葉が出た自分にギクリとした。
さて『違和感』についてだが、本来福祉には生産性が無いものと思っている。医者:弁護士:僧侶は人の不幸で飯を食っていると言った友達がいた。その業種が業界として伸びていることにどうも違和感がある。『そんな事言ったって住田お前自身がそうだろう』という声が聞こえた。医療と福祉は似ている。税金で運営されているからだ。今、国の財政が破綻している。毎年の国債の発行額と税金収入が同じ額に近づいているという。収入の倍の生活をしていることと同じ。
今回の会議場と同じ場所で3週間前にアジア知的障害者会議があった。そこに参加した人も何人かいた。
日本が豊かなの?端から見ればそうでしょうともでも内実は如何かな?
先ほどの5兆円というお金1年間で日本では介護事業に使われている。計算したことは無いがネパールの国家予算の何十年か分なはずだ。
一方『あこがれ』という気持ちがある。豊かさを求める同じ意識レベルにある。先ほどの話だがHPを開いてみると、法人
が経営する老人関係の施設の異様なまでに立派な建物がズラリと紹介されている。建てる費用が大変だろうな?運営経費はどれだけかかるのだろうか?
10カ所以上の施設を経営している法人も日本にはたくさんある。
利用者本位のサービスを目指して支援費制度がスタートして半年が過ぎ、その検証が論じられている。世界の大きな流れは決まっている。そのうねりはまだ日本には届いて来ないのかもしれない。何れにしてもこのペースで進めるはずはない。
生き残り?
施設など無くなれば幸せなのさという片一方の声、どうも両極の論議が目立つ世の中は良くない。
これが利用者不在の最たるものなのだから!ああーあ。大きな大きなため息が出ました。

42.米寿のマージャン

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中村先生が米寿の祝いを行った。私は世話人ということで5人の中の一人。中村先生には私の親父の時代から2代に渡ってのお付き合いを頂いている。先生は子供時代を満州ですごした。お父さんの仕事の関係で大陸に渡る。戦争に突入と同時に満州から着の身着のままで逃げてきたという。戦争では幾多の生死を彷徨い幸いにも生き抜いた。戦火が激しかった宮古島では偶然にも助かったという。戦後は大分で教護院での仕事に就いた。縁あって茨城に移り住む。その後先生は福祉の仕事一途に務める。県立筑波学園の園長を長く勤められ県立コロニー開設には指導面の責任者としてその基礎づくりに尽力、退職後水戸市の民間の知的障害者施設に招かれ、経営に窮していた法人を立派に立ち直し、その後無理をお願いして尚恵学園に施設長として来て頂いた。もう10年以上になる。そして、今回米寿の祝い。どうしようかと考えた。先生にそれとなく相談したら「私だけ祝ってもらうのは恐縮するから辞めて欲しい」という。世話人で集まって相談、それなら先生が好きなマージャンをやろうということになった。大部前、先生とは毎月1回水戸で施設長会議をやった後必ずマージャンをつき合わされた。会議が終わるといつものメンバーが目があってしまい「今日はどこでやる?」という話になった。今日は用事がありますからなどと決して言えない雰囲気があった。
徹マンをやったとき先生は自分から辞めよとは言わない。これは明治大学ラグビー部出身の先生の体力の違い。
今回、声を掛けたら32名のマージャン仲間が集まってくれた。内原町にある温泉旅館を借り、早速マージャン、5時からの宴会、その席でささやかな米寿のお祝いをやった。教護院時代、養護施設そしてコロニー時代の仲間が集まった。和気藹々の中に宴が進んだことは言うまでもない。時間を延長して盛り上がった。それから泊まり組だけのマージャン、部屋に戻ってまた4人で卓を囲む。
私は最後までつき合った。一つの道を不器用にも生きてきた先生は決して自らを誇ることはなく今学園の花壇にいつもきれいな花を咲かせてくれている。

43.四苦八苦

そもそも宗教なるものは人が生きていく中で誰しもが経験する四苦八苦から出発していると言っても良い。しかしながら最近の世相では様々な解釈がなされ、人の弱みに入り込む似非宗教なるものが多い。それがどこから来ているのか分からない。私自身真言宗の寺に生まれたことを悩み苦しんだ経験がある。僧侶の資格を取り、2つの寺の住職をしている身でありながら正直心の中はぐらついている。それは何故か?
四苦八苦の苦しみの中にある人達を救えるのかというと必ずしもYESという答えは持ち得ない。人の苦しみは自分が体験してみて分かるもの、そこが一番の理由である。40番「ぼく死にます」に書いたことを今大いに反省している。
彼は翌日遺書を職員のポケットに押し入れて出て行ってしまった。その知らせを聞いたのが檀家の葬儀に行く車の中。そのタクシーの中から携帯で職員に連絡、彼を捜すように指示した。彼の言動を軽くみたという自責の思いが頭の中いっぱいに広がった。
結局、彼は10分後にパン工房に戻りパン作りをしているから心配ないというメモが入った。私は先入観で決めつけて失敗したことが多くある。人を理解するには言葉だけではできない。振る舞いだけでもできない。人それぞれの生きてきた背景が分からないと出来ない。彼は家族への対応と職員への対応が全く違うという。其れが何故なのか?どこからきているのか?わからない。
宗教がそこに手助けをするとするならば、どのように係わるだろ。彼との歩みをどこまで出来るか分からない。しかし、敢えて彼への挑戦を今後このページで追っていこうと思う。
(一夜明けて)
寺にいると玄関のピンポーンという音。誰だろう?彼が宅配便の荷物を届けに来てくれた。
帰り際、『きのうは しんぱい かけました。す、み、ま、せ、んでした』と頭を下げた。

44.波止場

『家に帰りたいです。』『もういやです』という言葉は私にとって耳が痛い言葉。46年目の積み重ねがあっていつの時代にもこの言葉を聞かなかった時がありませんでした。そりゃーそうでしょう、誰も自分の意志で施設に入ってきたわけじゃない。家族の説得、それも何か可能性を含む言い方。親父に騙されたといって大声をたてた人がいたっけ。
世の中思うように行かないことだらけ。そんな時はどのような励ましの言葉も相手にされない。もんもんとして歯を食いしばり自室にて泣いていた人もいました。
彼らは家族からも実は厄介者?扱いされている。そこのところを実は彼らはよーく知っている。だから家族には強くあたる。この辺でどうでしょうか?家に本人も帰りたいといっているからお引き取りになったら?と。実はこの言葉を家族は聞きたくはない。
彼らの言う『家』は実は様々なんですね。あったかな家族団欒のイメージも確かにあるでしょう。しかし、実は彼らにはそのような時間の経験があまり無いんですね。それじゃ何かというと、家との繋がりということじゃないかと思うんですね。
1ヶ月に1回の面会も少ないし、利用者の中には毎週家庭に帰っている人もいるんですが、それを裏付けるように彼はそのような言葉を発しないんです。
人生の波止場というのはどうかな?とも考えた。それも永久寄港地ではなく経由港とでも言ったらどうかな。
実は何故このような悩みを吐露するのかと言えば、私のところでは半年で契約の見直しをするんです。だから目に見えていることなんです。
一方では在宅の人達が毎日のように訪れたり電話で問い合わせをしてくる。デイサービスやSSの登録なんです。
在宅の人は我々の支援を期待しています。受け入れることで心から喜んでもらえるんです。利用する仲間もまた来たいと言います。家庭にばかりいるのも実は彼らにとっては良くないんですね。
それから職員の意識にも問題ありなんですね。正直言って私のところは46年間入所の施設だった。一生懸命職員もやってきた。でも在宅の人達への支援となるとこれがスムーズに行かない。何故だろうかと今年1年そのことばかり考えてきた。オーバーワークという気持ちもあるだろう。しかし、それだけじゃない。何が?
きっとそれは施設に合わせる流れに慣れすぎたということ。良い意味でも悪い意味でも。この辺の意識の変革をどうすれば良いのか?
今晩は新人の歓迎会がある。中途採用であるが今年は出入りが間際になってでたから仕方が無かった。
そうか、施設はスタッフにとっても波止場なんだよな。

45.親と子

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『嫁に行く日が来なけりゃいいとー。男親なら誰でも思う・・・・』最近の結婚式は仲人さんをたてるのがめっきり減ったようだ。相変わらずハワイなどで二人きりで結婚式を挙げるカップルが多い。これもまた時代の流れなのだろう。また、残念ながら離婚される率が高いという。女性が自立したということもあるだろう。そこで考える。障害を持つ子の親の気持ちはどうだろう?
全国育成会の会議で大部昔になるがそのような話がなされた記憶がある。栃木県のある施設では夫婦寮をいち早く建てた。今どうなっているか分からないが当時施設長は当然でしょうというような話をされた。
親と子の関係は永遠に繰り広げられるドラマなのか!最近利用者からの問題?信号はどうも根本的に親子関係からきているように思える。そして、長い年月かけて築かれた関係はちょっとやそっとで変えられるものではない。どちらかが諦めることで解決をつけるより方法がないように思える。それじゃ理想的な親子関係てあるの?
これまた難しいな。何を基準にするかだものな。私の経験からして親を亡くしてみてやっと冷静に見られるような気もする。