源究パート3(平成15年10月NO46〜NO65)トップへ

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一覧表

何考えてんだかねー? フンだ!

46.彼岸 54.はがき100枚 62.痛みって?
47.苦情解決委員会 55.アンケート 63.講演会
48.何が大切か 56.追悼 64.みょうが村
49.がんばれじゃなくて大丈夫だよ 57.NHK心の時代
添付:クチンより
65.インフルエンザ
50.実地検査 58.投票干渉罪
51.ちぐはぐ 59.銀杏
52.文化財審議 60.尚恵祭
53.課題山積 61.人事考課

46.彼岸
 彼岸華が土手に咲いている。赤い花は今の時期目立つ、しかし、切り花にする勇気はない。秋の彼岸お寺の住職にとってはお盆が終わって間もないこともあり疲れがどーと出てくる。いつの頃からか私は今の季節いつも胃の調子がおかしくなる。夏の疲れが出てくる時とかなんとかごまかしてはいるが、そればかりではなさそうだ。
もの思いに耽るのに絶好の気候でもある。小泉首相が司馬遼太郎の本を良く読んでいるということを知り、直ぐさま本屋に行って単行本を買ってきた。夜中にその本を読んでいる。
彼岸と此岸・・・昔の人は巧いこと考えたものだ。分かりやすい。川を挟んで我々が生きている世界が此岸ということになる。
20年以上も前になるかなー?インドに旅した時べナレスで思った。インド人は亡くなった人の骨をガンジス川に流す、そして祈りを捧げる。これも同じ信仰からきているんだな。実は彼岸の中日の23日に亡くなった人がいる。90歳なそうだ。
1時間ほど前に家族の方が声を掛けると返事をして朝食の準備をもっていった時にはもう亡くなっていたという。4日前に誕生日を迎え一つ年を重ねたばかり、其れまでは自分のことは自分で全て行っていたという。とても物静かな優しいおばあちゃんだった。そして昨日自宅で亡くなった。
 介護保険とかなんとか自棄に国会では騒いでいる。年金と雇用対策が一番の争点だと聞いた。インドの事を調べたことはないが、悠久の時を刻む大地インドの人達には多分年金やら雇用というものは決して一番大切なこととは思わないだろうな。自然の流れに逆らうことなく生きてそしてまた自然に帰っていく。この生き様はどのような制度を築いたとしても決して変わらない真理だとおもう。もっとゆっくり生きたら良いんだよな。
 

47.苦情解決委員会!出番でーす。

『俺、もう帰るから』『けんかばかりやってんだもの嫌だよ』『○○がテレビ壊すんだもの』
私の耳に直接訴えてくるこれらの苦情、「わかった。分かった。良く言っておくからね」とまるで官僚的な問題先送りの返事。彼らはそのような私を心底信頼はしていない。彼らの表情で充分わかるから私としても実は辛い。確かに利用者同士のいざこざは日常茶飯事だ。どっちが悪いのか判断する前に次のトラブル。また、折角買った36インチのテレビを倒して壊してしまう方もいる。こりゃーたまらないよ!
 何も知らない人からすればなんということだと思うだろう。事実そうなんだもの仕様がない。
 テレビを壊す専門の方は自分の家の物を2階から全部投げてしまうから彼の2階の部屋には何もない。気になるんだよ多分。自分の視野にはいる邪魔ものは消え去れということだと理解する。
 私の朝はいつも今日もやるぞーという気合いの場。何が待ち受けているのか分からないけどやるしかない!
やんちゃできかんボーな人達がたくさんいる。私なぞ仲間に入れてくれないし、とてもじゃないけど彼らには敵わないわけ。しかし、私の性格はこれらに対して無性にファイトが沸くらしい。おもしろいのである。
損得なんて関係ない、よっしゃ一丁やってやるうべーということになるから自分でも不思議だ。
これも体力が続く限りということだ。だから毎夜のようにジムに通って体力?づくり。
今日は今から82歳のおばあちゃんの葬儀がある。大好きな踊りの練習中に脳梗塞で倒れそのまま亡くなった。
人の生き様は色々だ。そしてその解釈も色々だ。それで良いんじゃないでしょうか?苦情解決委員会の皆様?どう?
ね・・・・・・ね。なんとか言ってよ。

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48.何が大切か

無意味な議論をいくら時間をかけて行っても埒があかない。どうも国会中継を見ていてもそうだが、自分自身のことを振り返ってみると全く同じことをしていることに気づく。情けない。以前職場の会議を極端に減らしたことがあった。私の言い分はこうだ。会議に参加している職員全員の時間給を合計したら膨大な金額になり、そのようなお金をかけてまで重要な決め事がなされているのか?必要ない。と結論、それ以来、私の判断で全体会議は無くした。
今回施設整備の関連で役所の担当者と話し合いを行っっている。驚いたことがあった。農地を法人が買い求めそこに施設をつくることになった。1000uを超える場合は開発行為の手続きが必要になる。その時に役所の関係する課の意見を聞くことになっているようで問い合わせをする課が10箇所にまたがることが分かった。担当者の印鑑が優に50個以上になるのである。机の上に置かれている時間が長いので結論が出るのはかなりの日数が必要になる。この課程を踏まないと次の段階に進まないようになっている。一人年休でもとっているとそれだけでもう遅れる
これは無駄なことと言ってしまうともう感情的に気まずい関係が生まれ申請した書類があがるのがより遅くなる。これをどう解釈すれば良いのか?もういい加減にこの仕組みを変えていただけませんかねー。
担当者はその仕組みを変えることもできず未だに続けている。しかし、これならまだ良いのだ、少しでも先に物事が進むからだ。現実には担当者が異動でかわるから始末がわるい。初めから説明をすることになる。もういい加減にやめてくれと叫びたい
先進国でこのような役所の仕組みがあるのは少ないという。だから役所の職員の数は一向に減らない。減らしたくないから許認可の権利を離さない。民間ではとっくに潰れてしまうことを当然のこととしてやっているからもうどうしようもない。仏教には末世の思想がある。当に末世の現象なのだ。議員の数もしかり、これだけの人数が果たして必要なのか?
本当に日本は今何が大切なのか?分からなくなっている。せめて自分の足下はそうあってはならないと自覚している。
役所とこれからもぶつかりあうことになる。致し方ない。

49.「がんばれ」じゃなくて「大丈夫だよ」

臨終の時は逝く人が命の尊さを見送る人(次の世代)に引き継ぐ大切な時間。現代医療では死が敗北、だから延命治療を病院では施す。日本全体では9割以上が延命治療を受け、家族が立ち会えない中で亡くなるという。
NHK心の時代の10月8日の番組。島根県隠岐(知夫里島)でNPO法人「なごみの里」を運営している柴田さんの話。いつものように携帯ラジオのスイッチを入れて聞いた。「がんばれ」じゃなくて「大丈夫だよ」と声を掛けて下さいという柴田さんの話、枕元の文庫本の表紙に急いでメモをとった。福岡の老人関係の施設で働いていた彼女が終末医療への疑問から「なごみの里」開設に当たり厚生省に調べてもらって選んだ場所が自宅死75%という日本で一番自然死率の高い隠岐の島。
マザーテレサの生き方にひかれ小学生の時に実の父親を看取った経験が彼女の根本にあるという。彼女の言葉からは変に気取った宗教性は感じられない。観音様もでてくるし毎日つけているという看護日誌の締めの言葉は『合掌』。私自身の思いとダブルところがたくさんあった。精一杯頑張っている人に「頑張れ」と声を掛けてしまう。彼らはその言葉に嫌気をさしているにも拘わらずだ。それよりも彼らが欲している声かけは「大丈夫だよ」という安心感。
隠岐の島に一人の医師がいるという。彼女の活動はその先生がいるから出来るという。島全体が病院、家は個室。この発想は現実には大変難しい。土浦はどうか?神立はどうか?否定的な答えしか頭には浮かんでこない。
 昨日の昼食、3ヶ月入院していたYさんのテーブルで一緒にとった。彼は入院中、付添婦さんを『かあちゃん』と言って甘えた。そして病院を退院する時ここが良いと付添婦さんと別れるのを嫌がった。大部元気になり「げんきになったね」と私が声を掛けると一瞬、間をおいてウンと返事をした。何故、彼に「大丈夫だよ」と声が掛けられなかったか。150名の入所している人達、GHなどに別れて生活している人もいるが、正直彼らの安住の場ではないという私自身の評価がある。これは決して変わらないだろうと思う。今、正面の壁に貼ってある・・・すみません(内省):ありがとう(感謝)・・・・の張り紙に目が向いた。
「がんばれ」じゃなくて「大丈夫だよ」といえる状況がいつくるのか!大きな課題である。
*NHK「心の時代」は毎朝4時6分からNHKラジオ第1で放送。

50.実地検査

へーなんで8人も来るのよ?とある人から言われた。恒例の実地検査があった。8人の監査官が来られた。対応した職員も10名以上9時から3時まで時間は長くはない。別に占いに凝っているわけではないのだが今朝の新聞に8月生まれは『余計な事を口にして失敗するから要注意』となっていたと連絡してくれた世話やきがいた。手帳に忍誠と書いて胸ポケットに入れた。最近私は異常に(?)行政の方と言い争う事が多くなった。原因は自分なりに分かっているから決して病気ではない。
簡単に言えば『我々現場をどう考えているのか?』という不満だ。事務所の椅子にばかり座っていて何が解る!日々変化するニーズを理解して物を言ってくれ!ただそのこと1点についてなのだ。まー忙しいからなーとこれでも大部自分を押さえているつもりだ。心の時代、隠岐の柴田さんの看取りの家{なごみの里}の話をラジオで聞いたから余計だ。物が豊かになってこころの豊かさを失った日本。当に今の福祉を取り巻く環境は同じ。むしろ危険だと感じている。ターミナルケアーを本人が望む形でという原則はややもすると家族の望む形、病院の望む形。80年、90年生きてきた老人の方からそれだけの生きるエネルギーを看取ることで自分が得ている、だから感謝の気持ちが一番大きいと話す柴田さん。
実地検査の担当者の方、2名が福祉施設で働いた経験があった。だから良かった。もし、数字や文書だけで評価されたら我々はたまったものではない。ケースを書く時間もないぐらいの毎日、だが監査の指摘を無くするためなら正直いくらでも文章は作れる。監査の人の臨むスタンス、それは柴田さんが言う相手から教えていただくという事だと私も思っている。これは決して奢りではない。私の日々も利用者の方から教わることばかり、だから面倒な制度や手続きを待っていられない。直ぐに対応しなければならないことが実に多い。福祉の原点はここにあると私は信じている。箱物の福祉、制度の福祉を批判し変わろうとしている福祉現場、行政が立ち遅れている。
 今回、予想していた指摘があった。トイレの臭いだった。これは正直脱帽。毎日の繰り返しで臭いが取れていない。
50名の利用者さんの中で49名の方が重度、トイレで排泄することを10年以上かけて覚えて頂いた。そのような気持ちが職員のどこかにあったことは認めなければならない。早速次の家庭帰省期間中にトイレの全面改修をすることに決めた。
*NPO法人『なごみの里』は島根県隠岐の知夫里島(ちぶりじま)にある。代表は柴田久美子さん。

51.ちぐはぐ
10月13日突然の大雨。案の定学園の下の道路は排水路が大雨の為に溢れてしまい。道路は冠水してしまう。恐ろしくて通れない。寮間の使用道路のために利用者の方は関係なく歩いていこうとする。危険だ!
実は水路幅2メートルにも満たない排水路が雨が降ると溢れてしまう。大部前から改修を陳情しているが大工事になるとのことで計画は未定。神立地区の水が一気に集まるからたまったもんじゃない。実は常磐線の線路の下を排水路が通っているから面倒らしい。JRの許可を取ったりするから市役所は尻込みしてしまう。
よく、土石流などの災害が起こるが自然の摂理に反した工事が結局は人災という形で現れる。その場凌ぎの工事はどうも無理が出る。このちぐはぐを無くすためには大変な労力と協力が不可欠だ。

ここから話が変わる。私どもの利用者に地域で生活して頂く為には様々な対応が必要になる。一般的な生活技術は寮での生活で習得できる。つまり、食事をつくること。洗濯、入浴など。しかし、根本的なその方の持つ性格や癖そして望みなどはこれは別である。また、変えてはいけないという我々の側の見方もあって難しい。これが実はくせ者であって、GHなど4人の生活の狂い始めはこの辺のところがある。お互いに相手を認めるだけの許容力を持ってもらわないとならない。調整してできることと出来ないこと。今、私の心配の種がここの時点で行き詰まっている。『貴方は集団生活に馴染めないから出て行ってくれ』と言いたいのは山々だ。一緒に生活している他の仲間が犠牲になっているからという理由もある。
 ここはお互いの言い分を聞く必要がでてくる。これもまたちぐはぐな一面である。
                                                        

52.文化財審議

10月16日、観音寺。神宮寺へ県教育庁文化財審議会の方10名が仏像など保管しているものを調査に見えた。後藤先生が中心になって歴史館の学芸委員や研究生である。観音寺は以前から茨城県指定文化財がいくつかあった。今それらの文化財は土浦市の博物館(亀城公園わき)に保管していただいている。これは先住の父が寺では火災等への対応が不十分ということで預けたものであった。今回、神宮寺の本尊地蔵菩薩座像を調査した。本堂新築に際し、本尊を納める宮殿を新しくした。その時私は胎内仏があることを知った。父からはそのような話を聞いたことがあったが、普段は厨子の扉を閉めておいたので実際には見ていない。今回の調査中、私は少し離れていたところで見守っていたのだが、後藤先生の表情が変わったことに気づいた。貴重な仏像であるらしい。住職として誠に恥ずかしいのであるが製作年代などしらない。先生のお話だと南北朝時代の院派の彫刻らしい。非常に珍しい仏像との話だ。神宮寺は1460年代頃の創建であろうことは理解していたが本尊については謂われなどがないために解らなかった。
地蔵菩薩の他に今回の新築によって埋もれていた仏像や仏具に大部古いものがあることが解った。鎌倉時代の鈴や仏像があった。後日纏めた結果を知らせてくれるらしい。楽しみである。
私は観音寺35代、神宮寺32代住職ということになっている。今から600年前にはどうだったのか?神立という所は台地にある。私の知る範囲では雑木の生い茂る広々とした地域、江戸時代は土浦藩主土屋家の鉄砲場になっていた。
小田城との関わりも深い。もっと遡れば観音寺の裏山は貝塚になっている。だから、太古の時代は海だった。
時代も移り変わり、ここに住む人達も変わった。しかし、もし今回の調査で南北朝時代に製作された地蔵菩薩は長い間その移り変わりを見つめてきたのだろう。どう映るか聞いてみたいような気がする。

53.課題山積

トラブル発生!GHの利用者同士がちょっとしたことでギクシャクし始めた。何が原因しているのか早速担当スタッフが様子を伺うために世話人さんと協議。原因は一つではない。4人の共同生活、今までにも多少のギクシャクはあった。今、5カ所のGHがそれぞれの特徴を持ちながら運営されている。協調性がない人がいると人間関係が崩れてしまう。
今回もこのパターン。さてどうしたものか?ある利用者は密かにアパート探しを始めていた。誰にも相談できないという。
また、もう一人の利用者は病気になってしまった。これじゃGHの本来の意味はない。実はこのパターンを一番恐れていたことであった。その時の対応マニュアル?問題の利用者を一時バックアップ施設に戻すこと。しかし、今回のケースはその方法も取れない。何故ならばバックアップ側もその人を受け入れることで混乱することが予想できる。だからといってアパートに移ってもらうという選択肢も困難。家庭にも期待できない。
往々にしてこのような事が起こる。ケースマネージメントは当然その方の環境調整が重要である。地域でありのままに生活するという。自らの選択によりサービスを選ぶ。など謳い文句はすばらしい。しかし、実際の現場では毎日のように繰り返される葛藤。根本的な解決が見いだせず問題先送りの事態になることしばしば。
この繰り返しを永遠に続けていくことになるのだ!

54.はがき100枚

今年もはがきを100枚買ったEさん。この時期いつもの事。何に使うと思います?
実はNHKに出すはがきなんですね。大晦日の紅白歌合戦の抽選はがき。彼は今までに1回だけ抽選に当たった。私は良くは知らないがその時も100枚出したそうだ。今回は64枚にしようと本人が話している。これも彼なりのこだわり。
今年は64回目の紅白歌合戦だからなそうだ。実は彼は巧く字が書けない。それで何をしたかというと、住所のはんこうを作ってしまった。NHK宛と自分の住所の分。最初は驚いた。私が紅白歌合戦をみていたら、審査委員席の丁度後ろに顔を右左に振って自分がカメラに写ろうとしている彼がいた。『なんでEがいるんだ!・・・』実はホールに入る前にまた席の抽選をするという。そこで彼が引いた座席が審査員の真後ろの席だった。本人得意満面。
一体彼には悩みがあるのだろうか?確かに周りの人を悩ますのは天下一品。私も何度となく悩んだ。実は今も彼のことで頭を痛めているんだよ。そう彼に言っても馬耳東風。大物だ。今、司馬遼太郎の本を読んでいる。維新当時の西郷隆盛みたいだ。何か、最近は体つきも似てきている。良い物食っているんだ。
今、彼用のミニホームを作る計画、大物と気が合う仲間はいない。だから、今のGHの前に彼専用の家を作る。
名前は自活ホーム「隆盛」彼の愛犬メイちゃんを玄関につないで。果てしなき挑戦なのだ。

55.アンケート

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恒例の全職員のアンケート、理事長のコメントを添え、本人の希望を聞く。私が理事長になってから行ってきた。面接もやったが最近は職員の数が増えたので希望に添えない。パートさんまで入れると80名を越す、だから一人20分としても全員に回るのが無理。
実は私にとってはこのアンケートを大変重要視している。本音がでると思っているからだ。中には何も書かないで出す者もいる。これには相当頭を悩ます。どうして何も書かないのか?とかこの人はなんの問題意識もないのか?とか想像していると想いがどんどん広がっていく。しかし、実はこれだけではない。普段の動きが私の頭の中にはインプットしてあるからだ。たまには見回ってくださいよ。利用者の中にもっと入れませんか?とかいう意見もある。これに対しても常に意識している。何気ない観察と私は思っている。例えば私の出勤時間は大体朝7時ごろ、だからその日の当直者の動きや朝出勤してくる職員の挨拶など皆インプット。この情報は結構的を得ている。それから利用者さんの表情も大きな情報源。
職員との関係が良い場合は利用者さんの表情が違う。
アンケートの中で私なりのコメントを全職員に書いて渡す。
話す機会がないからという意見を持っている職員が多い。しかし、一人一人の動きは気になる。この人はこの仕事に向いているのかとか嫌気をさしてきていないかとか。
ま!せめて想いを聞く耳とそれに対する誠意のある回答は常に心がけようと思っている。

56.追悼

また一人の仲間が逝った。54歳であった。病名は敗血症という。原因は分からない。彼は尚恵学園に来る前は殆ど病院での生活だった。そして我々の仲間になって20年以上がたつ。いろいろな彼との思い出がある。病院で9時22分息を引き取った。私が面会にいって5分も経たない後に急変して亡くなった。学園にもどると今亡くなったという連絡をもらった。病院から自宅に遺体を運ぶことになり、頼んで学園に立ち寄ってもらった。職員や利用者さん学園のグランドにて最後の別れをした。『なに!死んじゃったの・・・・』『動かないの?』とか仲間達の反応は様々だった。でもみんな最後は両手を併せて見送った。

57.NHKこころの時代

早朝4時からNHKラジオ番組「こころの時代」を聞き始めてもう何年になるだろう?聞くことが生活のリズムになってしまっている。寝過ごして聞けなかった時など何か損をしたような気持ちになるから、大部入れ込んでいる。この番組の編成はどのようになっているのだろうか?NHKの全国情報ネットを駆使して出演者を選んでいるのは間違いないだろう。昨今、マスコミに良く登場する評論家が自説を声高らかに訴える番組は捨てるほどあるのだが、ここに登場する人は皆自分を控えめに話し、多くの人達が今の時代に忘れかけてしまった生き方考え方を何気なく話される。だから聞く人の心に訴える話が聞かれる。今、衆議院の選挙期間の真っ直中、マイクを何本も持って大きな声で演説している先生方。投票率が軒並み下降線をたどっていることは一体どこに原因があるのでしょうか!分かり切ったこと。言行不一致のその時だけのマニフェスト。本来選挙は投票する側と選ばれる側の契約関係だと思う。それが契約違反が当然のこととしてまかり通る日本。国民の平和ボケという見方も一方ではある。余程のことがなければ目が覚めないだろう。それがこころの時代を聞いていると不思議と目が覚める。枕元のノートにメモを走り書きしたりする。結局は政治家に期待したり行政に期待する以前に私達がやるべきことがあるようだ。それを簡単に言えば『内省』と『感謝』だと思っている。内省は自らを謙虚に見つめ直すこと。感謝は言うまでもなく『ありがとう』と素直に言える自分。訳の分からないことをもっともらしく説明するから混乱する。例えて言えば年金問題など政党ごとの違いや実現の可能性など有権者にはさっぱり解らない。どこがどう違うのよ!ある新聞に出ていた記事、国会議員や官僚の年金は手がつけられていますか?一番先に改革すべきことでしょう!市町村合併がスムーズに行かないのも実は議員定数の読みの関係、自分が果たして当選できるかなという心配が最優先。構造改革は先ず自らの足下を改革することから始めましょうよ。

差出人: 中澤 健
送信日時: 2003年11月7日金曜日 1:44
宛先: sumita
件名: クチンより中澤です。

住田 福祉 様
嬉しくお便りを拝見。生涯福祉の基本を見失うことなく、正に同感です。お便りを読
ませていただいて、時間をつくってゆっくり書きたいと思いましたが、昔から時間つ
くりは下手です。明日帰国します。いくつかの講義や地方会のためですが、自分とし
ては第1目的は選挙の投票のためです。今度の選挙は、戦後のこの半世紀の内で最も
重要な選挙だと思い帰国します。日本政府は既に参戦の方向に梶を切ってしまった後
の初めての選挙だからです。その方向に国民が審判を下す選挙だと私は思います。年
金や消費税、経済動向も大事ですが、もっと遙かに根本の問題を考えさせられます。
個人的に何の憎しみもない人を殺さなければならなかった兵士たち、そして自分も無
念の涙を大地にしみこませて、死んでいった人たちを、ボルネオのクチンで弔いなが
ら、現地の人たちに少しでも役立つ活動をしたいと願う私は、好戦的な指導者を絶対
に許せません。国益ではなく、人類益を考える時代です。
憲法第9条をしっかり守れるかどうかに、日本の知性がかかっていると思います。武
器によらない平和がなくては、障害者の福祉は維持できるはずがありません。と、私
は思って、障害福祉実践は平和運動だと日頃から言っています。
是非一度、クチンに来てください。調和という言葉がふっと思い出されるとても良い
ところで、妻もとても気に入っています。彼女は既に昨日帰国しましたが、住田さん
に書くときは呉々もよろしくと言い置いて行きました。中途半端ですが、どうぞお元
気で。お互い、頑張りましょう。
またお会いできる日を楽しみにしています。
クチン
中澤健

コメントマレーシアのクチンからの最新のメールを紹介!

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58.投票干渉罪

今月9日は衆議院と市長選挙があった。11日の朝刊に『知的障害者に候補者指示・・投票干渉容疑、施設職員逮捕』という記事が載った。投票に際して職員が誰をいれるか指示したという容疑だ。実は私も迷うことである。今回も二大政党の公約選挙という触れ込みで盛り上がったかに思えた。しかし、前回の選挙より投票率は低く以前として選挙に無関心な人達が四割以上もいる。憲法改正や景気対策、年金問題と大きな争点があり、当然選挙民の関心は大きなものと思っていた。結果は低迷。私の学園では近くの公民館において選挙を行う。投票率を上げるためにということでなるべく多くの利用者に投票に行ってもらっている。多分、本人の自由意志に任せてあるから、白紙になるものが大半だと思っている。しかし、知的障害者だから字も書けないし誰を入れて良いのか判断できないだろうという声に腹がたった。
自分の名前を時間をかけて書いている利用者もいる。このような情景が毎度投票場で繰り返される。だから土浦ではこの選挙会場は有名、立ち会い人も私が知っている人ばかり、私はいつも迷惑かけますと頭を下げてから自分の投票をする。
公職選挙法に投票干渉という罪があるということが解った。いままでも実際はこのようなことが行われてきたと思うのだが今回に限りどうして逮捕にまでいたったのか?多分内部の事情を知るものの告発だと思う。彼らの声をどうすれば行政や施策に生かせるか?今回のテレビでの投票呼びかけには『投票しなければ物をいえない』とばかりに投票率のアップに四苦八苦!だから困るんだな・今回の施設職員の逮捕は想像するに決して悪気があってのことではないと信じる。
それよりも、どこかの町であった不在者投票の入った箱ををロッカーに入れ忘れていた責任者はどうなのよ・逮捕はされず、この辺のちぐはぐは良く見かけること。知的障害者の権利擁護が叫ばれて久しい。しかし、肝心なところで基本的権利の選挙権を如何に保障するか、またどのようにすれば彼らの真の声が反映できるか。一体誰が考えてくれるのですか?

59.銀 杏

『Sさーん!がんばってるねー』との私の声かけに、ぴょこーんと頭を下げる。彼女なりの応答。そうかがんばってるなー。銀杏の木の下に入浴用の腰掛けを置いて前屈みに座って何かをやっている。実は銀杏の実の皮をむいているのだ。ビニールの手袋はかぶれ予防。去年ほどではないが今年も園庭にある2本の銀杏に実がたくさんなった。10月下旬ごろより何か妙な臭いがするなと気にしていたのが、この銀杏の実の臭い。ご多分に漏れず実が落ちる時期になり周囲5メートル位は凄い臭いがする。Sさんはその木の真下にドンと座って皮むきをやっている。誰かに頼まれたんだろうか?普段から彼女は事務所の廊下の掃除を良くやっている。雑巾で拭いているというより何を考えているのかボーと立ちすくんでいる時間が目立つ。『Sさん 良くやってくれるねー』とみんなから声をかけられハット我に返りまた雑巾を2〜3度ふく。そしてまた時間が止まったかのようにボーとする。そんな日常の情景にこの時期何故か銀杏の下の皮むき修行(?)が入った。私が想像するに、
彼女なりの言い分はあるはずだ。多分、銀杏の実がもったいないじゃないか!臭いから誰もやらないんだから、しようがねーな。どれ、やってやるか!雑巾がけもやりゃしない。モップでちょこちょこ拭いてそれで終わりだ!これじゃ綺麗にならねーよ!仕様がないな、どれ・・・・・。
きっとこんなつぶやきをしているんだ。彼女は言葉がない。ぴょこーんと頭を下げた、その動作にこれだけの事を言っているんだよ。ご苦労さま
尚恵祭のスナップ

はいポーズ                   じょうず上手!

60.尚恵祭

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今年は運がある。運動会も好天だったし、今日の尚恵祭もそうだった。気温も25度にウナギ登り,汗ばむ陽気。
今年もいろいろな事がありました。師走の日曜日のんびりと利用者さんと家族そして地域の人達がふれあい出店に
並んだ多くの食べ物を思う存分食べていた。今年も土浦5中のブラスバンドの人達が30名も来てくれた。それから
自然生クラブの仲間達の太鼓の演奏は大いに盛り上がった。地域のVSさんのソバ打ちやお茶の野立てなどなど。
自然の力はとてつもなく大きいという実感。もし悪天候だったらこれら全てのことが水の泡!それがどうだろう?
何もしなくても暖かい日の光は私たちの雰囲気を盛り上げ和ませてくれる。
 養老孟司さんの「バカの壁」というベストセラーを読んだ。何か人権無視の内容かとも思ったが、中味は全く違っていた。
解剖学者の目からみた人間の生き様。気づいていないことが随分多いと納得。
実は上のスナップは私が尚恵祭の中で何気なくシャッターを押したもの。左の写真は自分が働いて買ったカメラで彼が
何かを取っている所。多分彼は写した写真は現像しないだろう!実はこの意味が他人には分からない。
 右の写真は剣玉で遊ぶ子供、これにも私なりのコメントを本来つけたい。
健常者の方とのふれあいが今までどうしても巧く行かなかった。その反省は深い。身構えない。偏らない。焦らない。この三無があって実はふれあいが生まれるということが分かってきた。(11月16日)

61。人事考課

3日間、品川プリンスホテルで経営協主催の研修会に参加した。久しぶりの泊まり込みの研修。今一番関心があるテーマであって真剣に受講した。内容は労務管理について経営コンサルの方のトータル人事考課制度についてと弁護士の労務管理における法的問題についてであった。何故感心があるかといえば、支援費制度になって利用者と事業者が対等の関係で契約を結ぶことになった。利用者の権利意識も措置時代と比較すると雲泥の差で高くなっている。また、それと同時に契約不履行という問題は無視できない。そして、サービスの質の内容に応じて事業者が選ばれる時代になった。経営者の経営責任として効率的な運営と如何に利用者に満足あるサービスが提供できるかという課題が今まで以上に大きくなり顕在化している。
今回の研修は早めに締め切られ受講者200名が本当に真剣に研修を受けていた。
講師の弁護士さんは私の卒業した大学と同じ年齢も一つ上だからひょっとしたら私の友人と同級生かもしれない。彼は自らを講義の中で紹介していたが自らが血友病患者という重く苦しい経験をもっている。それ故にという訳でもないと思うが講義の内容は受講者に不必要な不安を煽ったりすることなく謙虚且つ誠意があり、それでもって熱意が感じられ、とても好感がもてた。
我々も第1印象が大切、好感が持てる職員集団にならなければならないなと素直に反省した!今の時代はマニュアルに基づき様々な取り組みが共通理解により遂行されるのがよしとされる。しかし、どうかな?人間相手の仕事だもの臨機応変な対応も大切と思っている。
いずれにせよ時代の変化に即応できるサービス集団にならねばならないと自らに言い聞かせて精魂尽き果てて帰ってきた。

62.痛みって?

自衛隊のイラク派遣の問題、日曜日のテレビ番組で討論会があった。一人は元自衛隊の幹部、もう一人は若手の某大学の先生、二人で周りに関係なく激論、話が一方的でかみ合わず、司会者もどこで止めてよいのやら困っている。
 確かに中東の情勢は日本に居ては分からない。特に日本は単一民族で島国、国境が全て海上にある。中東は過去
何度も戦いが繰り返され国境はその都度形状が変わっている。アラブは幼いときに読んだシンドバットの冒険、学生時代に隠れて読んだ千夜一夜物語の舞台である。空にそびえ立つ教会やモスクの建物がシンボル。そのイメージが中東の世界、しかし、足を踏み入れて現実の世界は自爆テロなどが頻発する危険地帯。そこに、何らかの理由で日本の自衛隊を派遣するという。平和活動のためという名目はあるが、果たしてどうなのかと誰しも不安である。中東の国の人々の価値観を自分たちの価値観で正当化することは危険だ。民主主義という歴史は決して古くはない。今でこそ、世界の趨勢は民主主義を謳歌する色彩が強いのだが、これを全ての国に当てはめようとすることに無理がある。当に今のイラク情勢が混沌としていることで証明される。そこで日本の貢献をどうするか?という話だが、向こうでは多分余計な御世話だと思っている人が多いのじゃないかな?足元を考えても日本が地方分権を今の政治の改革の目玉にしていることも何か同じのような気がする。中央(国)で決めたことを下におろすのではなく、地方の裁量に選択を任せるべきだという論議は国と国というスケールの比較にはならないが元は同じだと思う。
イラクの自主連立政権に任せるという大儀は良い。しかし、本当にそうなのか?中東は宗教や民族の問題が大きい。この根本を無視した改革は長続きしない。不満は強権で抑えれば抑えるほど地下に潜り、テロ化する。
今回のイラク戦争を石油の利権だけで見ることは危険だが、かなり重要な要因にはなっている。国連で二つに意見が分かれた。反対したフランス、ロシア、中国はイラクのフセイン政権と巧くいっていて石油を輸入できていた。アメリカとイギリスはそれが無い。
毎日報道される中東でのテロ報道。何か別世界で行われている感じがするし、映像ゲームを見ているよう錯覚にもなるから恐ろしい。イラクへ自衛隊派遣をすれば東京を攻めるというアルカイダの忠告。日本に生まれ幸いにして大戦を知らずに育った私たちに取っては真剣に自国を守るということを考えなければならない。

63.講演会

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28日伊奈養護学校で研究集会があった。私はコーヂネーターを頼まれた。会場は体育館、この話が有ったときから、かなり無理した企画だと正直感じた。200名ぐらいの参加者、急に寒さがでてきたので事務局も苦心したことだろう。大きな温風器3台がかなりの音を立ててまわっている。県の教育庁の方の基調講演が終わって、3名のパネラーを迎えてのシンポジューム、体育館は講演会用には作られていない。始まって直ぐに感じた。ステージにはスピーカーからの音声が届かない。大きなスピーカーが2つあったが一方向の音声、演台からは会場の後ろの壁にぶつかってきた音がどうにか聞き取れる。テレビで良く見かける海外からの現地レポートで声がずれる現象と同じ。
 学校という場での難しさ、3名の発表が終わり、質疑応答に入り、その問題が大きくなった。ワイヤレスマイクでフロアーの質問者の声を担当の方が拾う、フロアーの人達は2つのスピーカーからの音は充分に聞こえる。しかし、答える側のステージには声がはっきりせず何を質問しているのか聞き取れない。これにはコーヂネーターとして参った。
それを見かねた方が大声で「マイク使わなくて良いよ、大きい声で言いなよ」と提案。元々茨城の福祉に不満を持っていた方が生憎その時の質問者、余計感情が高ぶり髪を振りかざしての訴えとなってしまった。ああーあ。
 しかし、何だねー。年1回の研修会、他に方法はなかったのかなー!
サブスピーカーをステージに付けるとか、ぶっつけ本番の講演会の一幕であった。私も注意しようーと。

64.みょが村

30年程昔だが、『みょうが村』というものが有ることを知った。田村一二先生が知的障害者との共育の地として築かれたもの。滋賀県の山の中にあるというのだが今までに行ったことはない。「みょうが村見聞記」という本も出版され、映画にもなっている。知る人ぞ知る世界、そのことが昨日と今朝のNHKこころの時代にて高城さんという元みょうが村の代表の方の話が放送された。田村先生のことは小学校の先生をしながら知的に障害を持つ子供達との共同生活として始められた石山学園、それから一麦寮へ移られること位は知っていた。
 それが、今回高城さんの話を伺っていて納得できた。田村先生は既に亡くなっている。会えない。今の時代への警鐘
もし先生が生きておられたら何と言うだろうか!「賢愚和楽」という先生の掲げた理念、先生は絵を良く描いたという。それも割れた植木鉢など。ちょっと変かなと思った。それから「ミミズ」の話。実は先生独特の表現方法がそこには有った。
人間誰しも完全な人はいない。欠けているところがあって当然。ありのままに相手を認めると言うことは自らが欠けている存在であることを認めない限り本当にはできないこと。ミミズは土の中に潜って土を耕す。そのミミズになれという。縁の下の力持ち。「自然ずいりゅう」これもまた先生の掲げた理念の一つ。土にしっかり根っこを張れという、ミミズによって土地が肥やされそして外に露われた木が大木に成長、先生の発想の凄さはこうだ。大木は一人の力で育った訳ではない。様々な命を頂き、そのおかげで成長、また、大木は自らが存在することで周りの木々を助けている。逆に人間が人工的に植林した檜はどうか、建築資材には重宝がられているが檜の下に草木は育たない。灰汁が強すぎるから。自然界の再生の原理は人工的な何かを意図的になされた事にはなじまない。だからありのまま(自然)を認めるべきだという発想。福祉の原点がここにある。今の時代、名声を得たいが為、福祉の名を借りての事業家がなんと多いことか!実はミミズのごとく木が巧く育つように支えていくのが福祉の仕事、決して表にでるべきことではない。
これも昔の思い出、糸賀先生、田村先生、池田先生がいた時代はすばらしかっただろうな・羨ましくて仕様がない。
それぞれの先生は良い意味での宗教を信じていた。キリスト教とか天理教とかには拘らない。己が生を受けてその恩を世の中に返していく生き様、結果第一主義の今の時代には忘れ去られている。生きる過程を大切にした。
 当時、夜を徹して情熱的に語り明かした先人達。どうも、福祉の仕事がテクニックやマニュアルに頼ろうとする傾向が強くなったのはいつ頃からなのだろうか?
否、知らない内に自分もその中の一員であることに気づく。常に一からの出発!悩み多きことは真剣に考えれば自然の成り行きなんだと思う。

65.インフルエンザ

今年も風邪引きの季節になりました。毎年よくもこのように同じ事を繰り返すのでしょうか!いち早く予防注射を実施した
までは良かったのですが、風邪の菌はどこから侵入するか分かりません。案の定一人が熱発、その日の内に次から次へ熱がでた。インフルエンザのA型がプラスの人も出る。参ったなー。と思う暇もない。毎日静養者の報告がでる。職員も体調を崩す。一人の男性の利用者が発作を頻発して結局入院、その手配を行っている職員も風邪声・・・・・
 昔60名の児童の入所施設の時代50名近くが寝込んだ。当直室に張り紙、それも検温結果の折れ線グラフ。ニンニクを食べながら耐えた。懐かしい。
 私は坊さん、声が出なくなると非常に困る。去年、折悪しく声が出なくなり通夜に8度5分の熱で出た。裏声になってしまい偉い苦労した。だから、毎日うがいをかかさない。学園の利用者はうがいがうまくできない。飲んでしまう。
点滴は抜く、高熱でも外に出てしまう。日常茶飯事。
今年は出来るだけ熱発した方には家族の協力を得て家庭で静養してもらうことにした。しかし、連れてかえれない人がたくさんいる。どうも、巧くいかないなー!ハック:クッション