源究95

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1411 がんばったね 3/9 1416 ほっとけない 3/16 1421 出処進退 3/21 1426 サロン-○□ 3/26
1412 老婆心 3/11 1417 自画自賛 3/17 1422 お彼岸 3/22 1427 全国代表者会議 3/27
1413 発想転換 3/12 1418 巻頭言 3/18 1423 荊棘の道 3/23 1428 時流 3/29
1414 天寿 3/13 1419 ターニングポイン 3/19 1424 演歌道 3/24 1429 セカンド・ベスト 3/30
1415 空空寂寂 3/15 1420 昏迷期 3/20 1425 選択の根拠 3/25 1430 21年度回顧 3/31

1411:がんばったね

新橋からゆりかもめに乗り有明にある会議場は約25分で着く。最近、日本知的の会議はここが多くなった。土浦からは上野経由で新橋乗り換え、ちょっと不便である。東京の臨海地区の発展は目まぐるしい、元は海だったところを埋め立てた、ホテルからは東側に海が見え、多くの貨物船が停留している。空を眺めれば羽田に離発着する飛行機が低空で飛んでいる。
 昨日は、懇親会のあと、2か所の2次会に呼び出され、飲めない酒を飲んだものだから、案の定、頭がヅキヅキして眠れない。何人かに電話やメールをした。迷惑だったにちがいない。
 2日間の会議だったが、長く入院していたKさんが亡くなり、園で仲間達とのお別れ会を今日行うために、朝1番で帰ってきた。常磐線に乗る。最近は2階建て車両に乗るようになった。静かにゆっくりできるからだ。それが運悪く、若者2人が乗り込んできて、大きな声で話始め、電話をするなど騒がしい。よっぽど注意しようかと思ったが、今日はそんな気持ちにはなれず、我慢した。
 上野駅構内の売店で甘菓子を買った。Kさんの棺に入れてやろうと思った。
 そうそう、誰かが言っていた。「長く生きているといろいろな事を経験するんだよね」と。ずっとその意味を考えていたら、間もなく土浦に着いた。
 気温が急に下がり、みぞれ混じりの雨が降り注ぐ。Kさんのお別れ会は神宮寺の本堂、私を含め3人の僧で読経、本堂一杯に仲間たちが静かに座っている。彼らはどんな気持ちでいるのだろう?
タダならぬ事態だと感じている。
 最後に棺に全員が一人一人花を入れる。ちゃんと手を合わせて頭を深深と下げる人もおれば、恐る恐る覗きこみながらさっと花を中に入れて離れるものもいた、その中に、Kさんを大好きだったNさんが大きな声で「ベンベン  ベンベン」と盛んに声を掛けた。
 彼はKさんが入院して学園を留守にしてから、いつも私に「ベンベンベンベン」と話しかけて来た。多分、勉(ベン)ちゃんがいないと訴えてきたんだろう。満42歳の人生を閉じた。彼は病室で毎日お母さんが見舞いに来るのを待った。意識があるのかどうか知らないが、3カ月の間、なんども危篤の知らせを病院からもらった。それでも本当に良くがんばったね。偉いよKさん!
 彼はいま大好きだった亡きお父さんの所に旅立っていった。
 最後にお母さんが皆にお礼の挨拶をした。その時、誰彼となく拍手がなった。多分、仲間達のベンちゃんとご家族への心からの拍手だ。
土浦の火葬場で骨揚げまでの時間、仲間たちは静かに控室で待つ事ができた。
 私はKさんの入所当初の頃を思い出した。彼はやんちゃで、結構職員を困らせた。私が当直の日になんどか無断外出され方々を探した。
 レノックス症候群という難治性のてんかんは医師の言うとおり、年齢と共に、機能が低下し、ここ数年、車イスでの生活を余儀なくされた。
 我々との関わりは今年で27年になっていた。
 後に残された仲間たちが彼の死をどう受け止めてくれるだろうか?
 お骨になったKさんは本当に久しぶりに自宅に帰っていった。ご冥福を祈ります。

1412:老婆心

これって必要以上の親切?
 実はアンタの事を思うから言うんだけれどね・・・・とか言う人いますよね。それとニヤニヤしながら自分からは何も言わず時々頷いたりする人も。
 私はどっちかと言えば違うタイプに類する。なんと思われたって構わないタイプでしょうかね。もうちょっと言えば,言い訳無用の直言タイプ。だから至る処でぶっつかり、その時から口も利かない相手も結構います。
 自分に正直になると言うか、悪く言えば”短期”とでも。甘んじてその批判を受けますよ。
昨日、この前上手く連絡が取れなかった人から連絡がきた。あちらの事情とこっちの事情が合わない時って良くありますよ。こっちは暇でもあっちはお取り込み中ってことかな!でも後からでも連絡が入ると嬉しいものですよ。 それはそれとしましてね。昨日本屋で2冊の本を買い求めました。
 私は一種の病気というのか拘りが強くてね、枕元に本が無いと眠れない。これがまたどんな本を買ったと思いますか?
 「小沢一郎研究」櫻井よしこ編集。と「葬式は要らない」島田裕巳著。書棚に並んだ本をペラペラ開いて先ず目次を見るんです。1冊目には、今月フランスの最高の藝術文化勲章コマンドールを受章した映画監督北野武の小沢論があったから、彼の能力は世界に知れ渡っている。彼はその事を自らは言わない。本の中で小沢をこのように言っている。
 以前対談した時を思い出し、その時の小沢さんの見せた”笑い”と今、全国を選挙対策で駆け回る時に見せる”笑い”と全く同じだと言う。つまり「選挙用の笑い」だと。それから政治資金法云々を騒いでいるが、小沢さんが貯めこんだ資産を民主党に全部寄付すれば良いんだよとも言った。実はこれはたけし流のウイットに富む言葉だ。頷くか腹がたつか?
 何故、たけしが小沢さんの笑顔について言ったのか、彼は笑いの世界でトップを極めてきた人だもの、本物の笑いか商売用の笑いかなど直ぐに判るんだろうよ。
 それからもう1冊、実は本日、檀信徒研修会があります。100名位の同じ宗派に属するお寺さんの檀家を集めて研修を開く。私はその責任者で3年目、もう早く辞めたくて仕様がない。後1年で絶対に辞める。
 島田という宗教学者はオウム真理教などでマスコミに良く登場した方である。その方の宗教感は独特、ただ、私は彼の意見に同調する処が多い。研修会の挨拶で何を話したら良いか迷いがあったから参考に。
世界の葬儀の費用を紹介している。イギリスは12万円、韓国は37万円、アメリカは44万円。日本は格段に高く、平均で231万円だという。最近の葬儀事情は急速に変化しているがまだまだ高い。そして直葬・樹木葬・宇宙葬・手元供養などを紹介する、最終的には葬式無用の効用まで持論を展開。
 これは葬式に金がかけられない時代になっても旧来のやり方を死守しよとしている我々坊さんへの”老婆心”。そうでも無いだろう。私も実感しているから本を買い求めた、2時間程で読破、感想はウームの一言。
 頭が変じゃないと自分を冷静に見ようとするが、正直になると言う事は実はこんな事かもしれません。
 何が常識かという判断が難しい時代、次なる選挙に支持率の上下にやきもきする人達。決定打を目論む事業仕分け。
たけし流の仕分け評価は、枝野さんを水戸黄門にして、蓮舫さんを女忍者の由美かおると、そして大衆ウケを狙った見世物と酷評する。要は国会議員のレベルの低さを突いている。国会議員なのか区議会議員なのか分からないとも言っている。
 長年、大衆(国民)から指示を受けることの難しさは一時的なカメラを意識した演出では生き残れないという事を言っている。
 政治のプロが昔はいた。それこそ言い訳無用で自分の進退を潔く決断した政治家だ。それが出来ない議員が頭数だけ多くして一体この国をどうしようとするのか? 有権者をいつまでも欺くことはできない。老婆心でありますがね。
 この辺の溜りたまった鬱憤を青空の下で土手に寝そべり、爽やかな風を感じながら話し合いたいものですよ。ね。
 

1413:発想転換

これだけ巷に同種の商売が多くなると競争が凄まじい。共通する傾向は”低価格の競争時代”、昔から何百年と続く老舗のデパートは軒並み経営の縮小や閉店に追い込まれた。グーグルというネット企業は無料の検索サービスで巨大企業に成長した。つまり、無料で商売が成り立つ時代になったわけだ。いま、そのグーグルが中国と問題が起こっている。それは情報に何らかの国家介入があったという事へのグーグル側の訴えだ。しかし、今まで言論や思想・宗教に至るまで規制が強かった中国にネット上とはいえ、全てがノーチェックで通れるわけがない。ネット社会で良く言われることは、国境をどこで定めるかということ。
 衛星通信では国境がない。これ常識。昨日の研修会は最後まで熱心に参加者が耳を澄ましていた。講師の話術も素晴らしかったという事だろう。元NHKのアナウサーに話し方の指導を受けたとかでさすが、聴衆を飽きさせない術を心得ていた。偶然にも私が前日に読んだ「葬式は、要らない」という島田著の本を講師も電車の中で読んできたという。今、坊さんでこの本の内容が気にならないと言えば相当のへそ曲がり。研修の演題が「こだわらない生き方」これもまた微妙な演題になった、気になる&拘らないとは同根だもの。
 その点に関して私は質問しようと思っていたが、フロアーから質問が連発し、それはできなかった。
 霊感商法というものがやたらと多い時代、病気になったり、事故に遭遇したり、会社が首になったり、良からぬ事が起こるとその弱みに付け込んでくる。毎年、健康診断を受けていて異常なしと言われていたのに、どうして私がこんな病気に罹ってしまったのでしょうか?よく、耳にします。先祖の供養を怠っていませんか?などと言われれば、然もありなむと不安になる。私などその最たるものだ。しかし、そんな事はない。病気一つにしても人間老若を問わず、何らかの疾病を持っていて当然、むしろ、病気が分かったことを良しとすることしかない。いくら何故何故と問うて見たところで何も変わらない。病気に真正面から立ち向かうことが一番。悩みを共有することで今まで気付かなかった事が分かったり絆を強めることができる。この方が大切だ。そして人間の持つ治癒力を信じることだ。
 発想の転換は、何もベンチャー企業家の専売特許ではなく、我々の日常生活の中でいくらでも起こりうる。あれで駄目ならこうやってというような複眼的発想も重要だ。
 しかし、これは立場によって異なりますね。一国の総理たるものは、殊、外交に関してはコロコロ変わるのは如何なものか?
あまり途中経過の話を吐露すると、その情報が独り歩きして尾ひれが付き、思いもよらない結果になる。その事は肝にめいじておくしかない。
 昨日は何かと悪評高い”茨城空港”の開港日。アシアナ航空の一番機の写真が新聞に載っていた。当初の予想を大幅に下方修正せざるを得なかった関係者、アジア各国に就航募集の営業に駆け回る。私の家から韓国に行くとすれば多分東京から静岡位まで新幹線で行く時間で行けることになる。それと、韓国乗り換えで世界各地に飛ぶことだってできるのだが・・・・・
 我が茨城は、歴史を紐解くと、時代の節目節目に出てくる。古くは平将門、江戸時代になれば最後の15代将軍慶喜が水戸徳川家、大戦時には5.15事件、戦後最初の原子力発電所東海原発、そして科学の街”TSUKUBA"
 現在は日本でも有数の港を持ち、広大な耕地と工場立地率全国トップ?、そして今回の茨城空港・・・・・揚げれば切りが無い無限の可能性を持っている(自画自賛?)。・・・が、茨城人の県民性はと問われれば、頭を抱えてしまうお人好し。何事も奥手というか控え目というか、水戸黄門の印籠信仰とでもいうのだろうか、いざとなれば凄いんだと県民誰もが思ってる。ま、ノーテンキと言ったら誰かがクシャミするかもしれません。9.11はアメリカの陰謀説とまで自著の本に書いた議員さんは茨城の人、真っ向勝負も良いのだが、それに対する代表のコメントが訳がわからない。「党の正式見解ではなく、個人の考えですから」と相も変わらず逃げ腰スタイル。
 ここにきて、お悔やみが多くなり3日連続、決まっていた予定を変更、どうにか希望に適えるよう努力したが、体一つでは如何ともし難し。何をやっても、何を言っても所詮、力以上の事はできません。
 発想の転換と言ってはみたものの、虚しさと現実は常に背後霊のごとく付きまとい、払っても払っても埃の如く。(字余り)

1414:天寿

天寿を全うするの”天寿”とは天年とか定命とも言い、天から授けられた寿命を言います。
 これが厄介なもので、当人は分からないときている。さて、この私の寿命が○年○月日までと判っていたらどうだろう?
その日が来るのを覚悟を決め冷静に待つことができるであろうか。私など僧侶という立場を忘れ一先に右往左往、何がなんでも生きてやると八方手を尽くし、恐怖から逃げだそうとするかもしれません。
 これが正直な今の気持ちです。でも良く考えてみますと何故もっと生きたいのかということになると明確な理由が実は無い。何となく?
 否定の否定で、般若心経の真髄か?この世で生を受け、それを閉じるまで、有史以来から問われつづけてきた最大のテーマがここにある。
 仏教の教えは、釈尊の教え、ただ釈尊自身は文字として残さず、所謂弟子という人達が書き記したものが経典として今に至る。気の遠くなるような膨大な量の経典が現存する。新たな解釈や教えが生まれては消えた。
 だが、一度なりとも片隅に追いやられることがなく中心に居続けてきたのが”生死観”である。
還暦を迎え、我が人生を振り返る時、記憶が鮮明に浮かぶ時代は、10歳前後の事である。それ以外の事は時間の流れもいい加減で後付けの脚色された”物語”となっている。
 これからどう生きていくかという自らへの問い掛けに明確な答えなどでてくるはずがない。欠かさず続けてきたのは日誌、これだって1日の出来事をメモ書きで記したもの、読み返してもその背景は浮かばない。
 これじゃー駄目だと思って、書き始めたこの拙文、誰かに読まれているかもしれないという微かな期待を持ちながら自分自身に正直に対峙している。
 夢と言うか理想というか絶えることが無く次々に頭に浮かぶ思いを、何かに書き記しておかないと大切な今の自分を置き忘れてしまうような気になった。言うは易しでこの夢の実現は100万分の1すらできていない。それは承知のスケ。
 先の事は判らない。だから答えの無い重課を背負いながら我々は生きていける。職業柄と言っても葬儀が続くとこの仏さんにとって”人生の停年”をどう迎えたのかという思いが頭から離れない。最後の別れで棺の周りに遺族が集まり、その人達の様々な表情を脇で見てきた。目を真っ赤にして涙を流す方もいれば顔を背けてしまう人、様々だ。
 ある役者が言っていた。泣く場面になれば涙を流すことが出来ると。私には良く分からない。
でもこれだけは言える。悲しみの涙はいくら流しても良いと。
 天寿と考えれば、いずれそれを受け入れなければならない。そして次に自分自身が自分の事として天寿を考え、自らに課して引き継いでいくのだ。
 なんなんでしょうね。変ですね。こんな事を書いて・・・・・・・。
 

1415:空空寂寂

3月に入り悔やみが続いています。私が大変お世話になった方達がそれぞれの人生の幕を閉じた。長く尚恵学園を利用されてきた仲間が2人、2日前の朝方亡くなった方はHちゃん、私より8歳年上、彼の人生は一言で語れない。
 7歳頃に滝の川学園、それから大島藤倉、そして尚恵学園と生活してきた。この世界の人ならば最後を迎えた我々の施設以外は超有名な施設を渡り歩いてきたツワモノだ。飄々としていて、誰からも親しみをもって受け入れられてきた。
 平成3年ごろから病気がちになって、2〜3年ごとに入院してきた。最晩年は脳梗塞、半身不随になりながらも生きようとする気力は凄まじかった。亡くなる前の晩、どうも様子が変だという夜勤の職員から連絡が入り、通院した。でも病院にいくといつものようにヒョウキンな受け応え、いつもと変わりませんねという医師の診断で何もせずに帰ってきた。
 そしてその翌朝4時30分ごろだろう、彼はとても穏やかな顔で心肺停止の状態で蒲団の中で寝ていたのを発見された。
 67歳だった。尚恵学園との関わりは優に40年になろうか。「Hちゃん」と私が声をかけると、彼は必ず顔を横に向け、私を無視した態度に出た。
 「こらーフクシ、めし食ったか!」となんども怒鳴られた。17日、また仲間たちと神宮寺でお別れ会を行って、両親の眠るお墓に埋葬される。
 Hちゃんは私達に本当に多くの想い出を作ってくれました。こうやって思いだしながら打っていると涙が自然と出てきます。自転車で神立まで良く買い物に言ってくれた若い頃、神埼先生と一緒にヤギをかって乳搾りをやっていた頃、彼の晩年しかしらない若い職員には想像もできない姿がある。
 身内は少ないけど、彼の事を本当に心配してくれた人が交代で彼の傍に昨夜からついてくれている。その中に、小・中私と同級生だったYちゃん、昨日本当に久しぶりに会いました。彼女の眼には涙がいっぱい。たくさん言いたいことがあるだろうけど聞かなくとも判るよ。
 「空空寂寂」この世の全てのものは仮にこの世に形を現したものにすぎず、実体はないという仏教の教え。Hちゃんの生き様は、まさに相対の世界を離れ、煩悩がないありのままの人生だった。その事が本心から分かる人でなければ本来の福祉を語る資格はない。
 いつも挫けようとすると、もう既に彼岸にわたってしまった多くの人達が後ろを押してくれる。
 

1416:ほっとけない

春訪れの兆しあれども 巷に溢れる陰湿な出来ごと 知らぬ存ぜぬ 我が責任にはあらず 
 嘗ての日本人はこうじゃなかった。皆で寄りあい、助け合う”こころ”を持っていた。
 自殺・児童虐待・詐欺・殺人・・・・痛ましい事件が止むことがなく増え続けている。日本人が何を規範として生きて行けば良いのかを見失った状況がある。そして、その有効なる対策が打てない。
08年、全国の児童相談所で取り扱った虐待の件数は4万2662件で過去最悪を更新、しかし、実態はこの何倍もの数になっているはずだ。虐待には幾つかの種類がある。「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待」「ネグレクト(養育放棄)」である。
 最近の奈良やさいたまで起こった痛ましい事件は、当に大人のエゴによる子供の犠牲である。そしてこんな報道もある。本来虐待対策の最前線にあるべき児童相談所が強制立ち入り調査した数はたったの2件だった。いったい、この国はどうなってしまったのか?
 全国の養護施設の実態は常に満床で、大部分が親のDVからの避難だと聞いた。
 個人主義が進み、家庭の経済格差も大きくなり、今の子供たちは様々な重荷を背負っている。クラスの中で給食費が払えない子供はどれだけ恥ずかしい思いをしているだろう?昔だったら家に帰れば、それでも親子で励ます場があったはず。いま、それが無い。何に救いを求めればいいのですか。
 私が言いたいことは、いま政権がやろうとしている子供手当、裕福な家庭の子にも同額の手当てを一律に支給する。この事になんら異を唱えない人達、彼らは或る意味ではエリートの道を歩み、どれだけ多くの人達が生活に苦しんでいるかという実態を理解していない。子供は国が育てるという理念は立派、しかし、これは仏を作って魂いれずと全く同じ。
 心を感じない。
 今の政治家で私が一番買っている人は、名古屋市長の河村さん、議員定数の半減や歳費カットを議会に提案、孤軍奮闘しているではないですか。応援したくなる。彼の偉い処は、先ず自らが率先して実行に移していること。国の政治に全くこの動きがないのはどうしたことか。これこそ説明責任不足だ。全党口裏合わせですかね。まったく彼らは本当にこの国を救いたいと思っているのでしょうか?
しっかりと自らの取り分は確保しておいてってか。そして俄かに動き始めた政党再編の動き、正直私には全く関心がない。
 くっついたり離れたり、そのたびにウヤモヤニされてきた政党助成金、その実態を暴くなどという気力が政治家に感じられない。
 私は自分の事はさて置いて・・・・云々という批判を甘んじて受けましょう。構ってなどいられません自由に言わせておけだ。
こんな時 いつも私が救いを求めるのは、糸賀一雄先生の書き遺した「福祉の思想」。障害福祉の目指すものは、新たな文化の創造だという先生の指摘。弱者という言葉は好きではない。しかし、虐待や自殺による犠牲者が増え続ける社会で、何が救世主となりうるか?これは、国民一人一人が本当の意味での友愛社会を築こうと立ち上がることだ。
 鳩山さんが”いのち”とか“友愛”という言葉を盛んに使う。これは実態を改善する流れにはならない。言葉の重みを感じない。寧ろ逆現象が起こる。昔の言葉にあるでしょう、言行不一致。もう少し坊さん的解釈を差し挟めば、「身口意三密行」。つまり、身(やっていること)、口(言っていること)、意(思っていること)を一致させることです。
 皆さん、そう思いませんか?言ってることやってること思っていることが信じられないで何が改革ですか!
 鳩山さんがやれば良いのは、一日50万というお母さんからの子供手当を鳩山基金として寄付することではありませぬか?
 そうしたら私は彼を評価します。それと幹事長もそうです。しこたま貯めた資産を国に返上する。そしたら考えは少し変えてもいいかもしれません。

1417:自画自賛

世にいう手前味噌、誰も誉めてくれないなら自分で自分を褒める輩。本人は好い気なもので周囲の人がどれだけ迷惑しているか分からない。
 出る杭は打たれると言う。これだって本物ならば打たずに伸ばしてくれる。似非学問とでもいうのだろうか、いかにも博学ものしりを得意がる。どうもどうも、いい加減にしてもらいたい。
 でも素人受けするから、その巧みな話術にちょいと騙される。用心用心。
 その点、私の周囲にいる人は違う。言葉が無くても心がある。こころ?なんてわかんねーだろうがと言われそう。
 職業柄、私は様々な死を見てきた。それも表面的にだ。豪勢な葬儀を行う人もおれば、家族だけの別れ。
 最前列に並ぶ人達は、地元の名士、面白くないのは、指名焼香を行うと早々に退席する人達、彼らは義理で弔問する?。まーいいわな。でもね、私は思うのですよ。何も中途で退席するなら、最初から出なければ良いでしょうとね。
 肩書や役職というものはその人が着こんでいる服でしょう。中身はどうだか分かりません?
 最近、問題になっているのは立場が変わったからこうなったという屁理屈が罷り通ること。これが根本的に可笑しい。
 いつものことで申し訳ないのですが、その最たるものは政治家。野党時代だから好き勝手なことを言えた。今は批判ではなく実行しなければならない立場になったから・・・・・。この理屈はどうしても私には分かりません。政治を何か弄んでいるように思えて仕様が無い。多分、地元に戻れば苦言ばかり耳にしているでしょうが、その反動がどこかに出てきます。自画自賛とかゴマスリとか官僚に威張るとか・・・・様々。
 松下幸之助さんが指導者の条件という本の中で「公憤」ということを書いています。西ドイツの首相であったアデナウアーが言ったという事を紹介しながら。
・・・・指導者たるもの、いたずらに私の感情で腹をたてるということは、もちろん好ましくない。しかし、指導者としての公の立場において、何が正しいかを考えた上で、これを許せないということに対しては大いなる怒りを持たなくてはいけない・・・・・高い立場にたった怒り、”公憤”という。云々。
 今の政治家で松下政経塾出身の人が結構多い。ご承知のように松下政経塾は幸之助翁が私財70億を投じて約30年前に開いた若者の人材育成の塾である。
 その教えに忠実な同窓の輩が果たしているのでしょうか?誠に憂うべく事態ではありませんか!もっと怒れ!
 
さてと、そろそろ私も”林住期”に入る準備をせにゃーならんかな。滑ったころんだ、周りのゴタゴタに疲れましたよね。
 昨日実は入院中の友人2人を見舞う。一人は水戸、もう一人は土浦。同年輩だから病気に罹るという事が本人にとってどれだけショックを受けたか痛いほど分かった。こちら以上に相手は現実を受け入れるのに大変だ。
 慰めは慰め以上の何物でもない。それを聴いたからといって急に元気になるはずもない。自らの事は自ら解決しなければならない。
 二人に共通するのは、一生懸命真面目に生きてきたということ。なんでそんな自分が病魔に取りつかれてしまったのかと胸中遣るかたない思いは有るだろう。話の節々に気がかりな事がでてきた。そして暫く沈黙、その間が実に重い。
 見舞う側とて、決して健康体とは言えず、どうにか動いているという感じ。
 こうなると”自画自賛”など全く出る幕がない。重ね着した服を早く脱げば良いのだろうにね。
 

1418:巻頭言

県社協が毎年出している研究誌に巻頭言を頼まれた。何をどう書くのか分からず昨日まで伸ばしてしまった。何度か催促があり、仕方が無いと腹をくくり、一気に書いてみた。副題として”原点回帰”、これは何をテーマに書くにしても最初から決めていた。恥を覚悟で源究コーナーなるものをHP上に載せ、回数を重ね今回で1418回となる。これ全てが原点への回帰を言いたいが為。
 その大半は自問自答の類、ここ最近は政治や官僚への鬱憤を中心に書いてきた。どうしてもこうなっちゃうので、多分嫌気をさされた方も多いはず。
 唯、これだけは言わせて貰いましょう。決して相手をトコトンやっつけ、二度と立ち上がれないようにしようとなど一度も思ったことはありませんよ。宗教語に”折伏”というものがありますが、そこで言われる”破邪の利剣”などと言うものではありません。単なる独り事であります。
 さて、巻頭言というものは、物事の初めに言わんとすることです。今年の研究誌のテーマが「障害者の地域生活支援」で10本位の論文が掲載される。
 そしてその原点回帰????  今、内閣府の下で制度改革推進会議が45名(うち1名はオブザーバー)の委員で行われています。その会議には事業者は完全にオミットされている。半数が障害当事者、議事録は公開されているのでそれを見ると、障害者本人にとって施設(事業者)に対する見方は厳しいことが分かる。特に入所型の施設に対しては、ご本人が良い思い出がないのかどうか、存在そのものを否定的に捉えている節が読み取れる。
 入所施設を社会と隔離された存在と見るか施設そのものも地域の一員と考えるか、大きな違いである。私の立場で言えば勿論後者の考えで今日までやってきている。手前味噌になるけれど、一般就労に力を入れてやってきた。GHやCHも作ってきた。しかし、これら全てが満足のいく状態にはなっていない。だから、もがいている。
 制度が変わり、お題目のように唱えられた地域で有りのままにその人らしく生きられる社会づくり。
 ”ありのまま””その人らしく”とは一体、どの情態をもって言うのでありましょうや?当然、事業者自体も反省することはあります。でも、障害者自身も自らが立ち上がることも重要でしょうね。一般の人達の理解度は残念ながらこの日本という国は低い。特に近年の流れを見ているとそう感じてしまいます。
 世の中全般が何かおかしな方向に進んでいる。ですからね、国の施策として、障害者だけを取り上げるような制度を作ってもあまり意味を持たないと私は思うのです。児童虐待しかり、老老介護の実態、その他社会問題を挙げれば切りが無い。そもそも「障害者の」というテーマの設定が私には腑に落ちないわけでして、何もわざわざ障害者だけを取り上げてすむ問題じゃーございませんでしょう。これを言っちゃーお終いよ。だから、当たり障りが少ない遠慮した文章を事務局に送りました。
 お隣の韓国には徴兵制が今でもあります。別に日本がこの制度を作るべきだとは思いませんが、若者が成人し、自ら社会の一員となっていく過程で何か条件を作ってはいかがかと思っています。例えば、卒業まで最低1年間の福祉事業所での実習を義務付ける。少子高齢化などと言っても若者には分かりません。その実態が所詮他人事、ですから1年間福祉現場で働くんですよ。そこでこの日本は戦争を永久に放棄し、平和の語り部として人間を育てる養成機関とするわけです。
 そんなこんな、自分勝手の思いにふけっています。

1419:ターニングポイント

地方紙の片隅に県議会での「茨城空港」の話題に関して記事が掲載されていた。様々な処でコケにされてきた茨城空港だったので特別控えめに書かれていたように思えた。
 しかし、読んでみたら紹介したくなった。3月11日付けのニューヨークタイムズで茨城空港の事が紹介されたという。その見出しは「日本のための斬新なアイデア 格安旅行向け空港」。その記事の概要を記す。空港ターミナルを当初3階建で計画したものを知事の指示で2階にしたという、その変更指示に関係者は”心臓発作”を起こすところだったという。無駄空港というメデイアの厳しい批判があった事実も紹介、しかし、その対応策として打ち出したコスト削減とLCCに焦点を当て、消費者の節約嗜好に合わせた当に将来の有るべき空港であると評価している。
 多分ニュヨークタイムズは、アメリカの新聞でしょう?
 先週、知事さんとお会いする機会があり、茨城⇔神戸便の格安料金、なんと往復11,600円、JR利用と比べても各段の差、ホテル代を払い食事してまだ余りあると熱心に話されていた。そんじゃー行ってみっか。
 物事の流れにはターニングポイントというものが有ります。転換期と言いますか、逆転の発想ですかね。 なんと言ったら良いのでしょうか? 
実は今日、心身協という県の団体の総会があります。執行部の任期が切れますから新たな体制を決めるわけです。最近、いろいろな場に顔を出す機会が多くなり、そこでの共通する傾向を感じます。
 それは役職拒絶症候群という新たな社会病理現象であります。何かをやろうという前に「余計な仕事が増え、大変そうだ」という思いが先行する。そうなると全員が寡黙になり、場内がシーンとなってしまう。
 どうしてなのか?私にすれば不思議な現象だ。団体に加盟するには高額な会費を納めているでしょうが。
良いとこ取りが多くなった?そんな事を言うから憎まれるんだわ、そうなんだわな。
 それと国の総理がコロコロ変わり、時間と共に評判が下降線の一途だったでしょう。このイメージが皆さんにインプットされちゃったんですね。
 最近、電話で朋友に言われたんですが、「アンタはパフォーマンスが上手」と。これはショックだったなー。お前から言われたくないわい!チクショウという反骨心がメラメラしてきましたね。
 でもね、私個人の事を考えますと今年は還暦なんです。体を労わりなさいという忠告かな?とも思いましてね。今度は感謝の気持ちになったんです。この辺がターニングポイントかなという思いが沸々と湧き上がりました。「辞める」と一言、言い残し立ち去るなんて事が出来ればね。田舎歌舞伎ではありませんが、これこそパフォーマンスだよな。
 別に今のポストに拘りは有りません。
 最近、私の周辺で亡くなる人や病気になる方が多くなりましてね。正直、心中穏やかならずなんですね。
 でもね、最近年を重ねるにつれてね、彼岸に渡った人達の顔がハッキリと浮かぶようになりましてね。向こうも満更悪くは無いなと思うようになりました。正直、喧嘩したままとか、確認せずに先に逝かれた連中もいますから、向こうに行ってから住所を調べ会いに行くか。そんな思いに浸っておりますよ。
 昨夜、ドイツの先輩から電話があったんです。なんだか神妙でね。宮沢賢治の花巻に行きたいとか言うもんだから、俺も一緒に行きたくなりました。
 大体、60前後の連中の話は、先ず体調の事からです。お互い年を取ったものですよ。
 春や春 懐かしき想いを胸に 生きて歩まん 現世みち。。

1420:昏迷期

年度末になり、落ち着かない日々を送っている。4月から新たな年度になるといっても大差はない。新たに社会人に成る人達にとってはそうも言っておれない。生活パターンが180度変わるかもしれない。3月も残り僅かになったにもかかわらず以前就職が決まっていない学生が5人に1人いるという。就活とか婚活という新語が出始めている。これも携帯メールなどに影響されてのことだろう。
 さてさて、この国は一体どうなっちゃうのだろう、正直具体的に何をどうすれば良いのか分からない。ただハッキリ言えることは国の政策と業界は切り離せない密接な関係があるということ。
 立て続けにGH火災での悲惨な事故が起こった。直ぐに通知が県や市町村から流れる。現地調査に入るという知らせだ。
 何か問題が起こると必ず動きがある。GH全てに火災報知機を設置してまだ然程日が経っていない。今度はどんな条件が追加されるのだろう。そもそも日本のGHの仕組みは問題が大きい。いくら訴えても、財源有りきという壁が大きく立ちはだかり現状の改善儘ならず。地域生活とは良く言ったもんだ!でもね、支援者が夜間同居せず、果たしてどうなのか?もしも今回のような事故が起これば、経営者の責任が追及される。
 私共には7か所のGHがある。夜間支援者が泊っているホームは2か所だけ。それを考えるともう眠れません。それでも良いから国はやれと奨励してきたのですよ。
 マグロの問題も良いのですが、それよりも人間をどうするという考えなのか。国連障害者権利条約を批准すると言ったけど、またかけ声だけに終わらんでしょうね。正しく昏迷期に入ってしまった。
 鳩山兄弟の動きを皆さんどう思いますか?おかしいよね。兄がガンジーを弟が坂本竜馬を語りましたね。これって私は正直侮辱だと思います。失礼ですよ。少なくとも歴史に名を馳せたご両名は私利私欲には走らなかった。これこそ公人としての有り方ですよね。そこを何か英雄気取りで恥ずかしくも無く、名前を出すなんて、末法の世ですよ。嘆かわしい。
 このような方を政治のトップに据えている私共は・・・・・結局自分達の至らなさ、ここに戻ってくるのですよ。
 生方さんとかいう副幹事長、アンタは偉い。アンタの意見を指示します。これぞ国民の声でしょう。違うのかな・・・?
分かんなくなっちゃいました。それで要職を罷免か?民主主義ね、俺達、そんな風に学校で教わったんだっけかな?
 ここで川柳2句・・・・近頃の夫婦像・・・
 @ 定年後 禁煙したのに 煙たがれ
 A あの頃は 予想不能の デブとハゲ   (某ラジオより)
そこで 私が添削しまして手直しを。
 @ 選挙後に 言い訳多く 闇の中    別作) 選挙前 約束多く 機嫌とる
 A 民主主義 望みは高く 戒厳令    別作) 不言実行 有言不実行 これいかに

ってなことを考えましてね。   お彼岸というのに まったく どうしようも無い坊さんで すみません。
さーて衣でも着るか。 

1421:出処進退

松下幸之助著の『指導者の条件』は彼自身が綴った102カ条の心得である。その中に「出処進退」というものがある。明治維新における大政奉還で徳川慶喜(15代将軍)の決断を評して解説している。
 ・・・・指導者はつねに出処進退を過(あやま)たないことが大切である・・・・
 そこで言わんとすることは、一慶喜、一徳川家という私を捨て、身を引き、日本国を優先させた決断に学べということだ。
 なるほどね。何が小事・大事かということもあるだろう。大所高所に立つ先見性ということも重要だ。
 日本の歴史を読み返すと、必ず転換期にはそれなりのリーダーが出ている。そして私利私欲を度外視した大義を持ってことに望んだ。そこには本当の信頼があった。
 いまの政治には正直それがない。選挙に勝つことが本当の大義なのでしょうか?権力の座を射止めることが政治を志す人々の最終の目標なのでしょうか?もしもそうだとしたら国民不在も甚だしい。
 そして余りにも軽はずみに先人の名を利用する。この実態を見てしまった国民は、どのような弁明をしても最早、聞く耳は持たない。民主党には14名の幹事長がいるという。へーそんなにいたの?その中で一人が幹事長を批判したということで即刻罷免となった。そして昨日の某テレビ、若手のHという副幹事長が出演、まず最初のコメント、私はその日は出張していたので後から知った。・・・・まず自らが関わっていなかった事への弁明、そして、30分ばかりの時間、苦しい弁明に終始した。時々、見せる内部事情、この言葉にも力なし。それは余計な事を話してしまうと、今度は自分が危ないと思ったのか・目は口ほどに物を言うとは良く言ったもの。彼の目に鋭さを全く感じなかった。
 昨日、我が法人の役員会、議案は問題なく承認を受け、恒例の自由討議、出るわ出るわ様々な意見、皆さん還暦を過ぎた人達だが、それぞれが各分野で活躍した人、政治に対する不満はどういうわけか一致した。
 20人足らずの集まりでさえ、殆どの人の考えは政治不信、政権が交代して何が変わった?
 事業仕分け?これだって、自らの支援母体にまで切り込めますか?長崎知事選で見せた、幹事長の支援者への応援演説、メデアにバッチリ録画され、その中に、「皆さん、我々が支援する○を当選させた暁には、皆さんの要望が通るようになるのですよ・・・・・」これは旧来の手法(利益誘導)と全く同じ、むしろ強権が加わっただけにより問題が深刻だ。
 この実態を、日本国中の有権者が知っている。党を支援する者から異論が出ない。この息苦しさは異常だ。出たとしても無視されつぶされる。
 出処進退を考えた時、既に身の処し方を誤った。一方、下野した自民党、いつまでもショック状態から抜け出せない。内部崩壊も危ぶまれ必死に引き締め工作。
 次元をグッと下げますね。
 先の団体の総会でもう1期、会長職をやることになってしまった。あくまでも条件付き、次なる人を育てるため。しかし、そう言ってしまった後、しまったと思った。気のせいか尻込みされたようにとれた。
 3月は酷い状況、ほとんど毎日出て歩く。役員会のハシゴときた。資料整理が苦手な私は机の上に書類が山積み、ファイルの数ばかり増えてどうにも止まらない。忙し過ぎて良いことは何もない。結局中途半端な動きしか取れないのだから無責任極まりなし。始末が悪いのは、出席しない輩、次に厄介なものは、自分では何もせず文句を陰でいう輩。
 あと何年・・・・と考えると息苦しささえ感じる今日この頃。NHKBSで世界のシュミットという番組で、モンブランとマッターホルンが映された。春が来れば高山植物が咲きほこり、残雪を横目にしながらトレッキング。 目が覚める。
 そんな楽しみがはるか彼方に行ってしまった。出処進退、これしか選択の余地は無し。ヨッシャ・・・

1422:お彼岸

21日は春分の日、彼岸中日、全国的に荒れ模様の天気で、お隣の千葉市では最大風速38.1メートルを記録した。富士演習場での野焼きで3名の方が亡くなったばかり、お墓参りに来る人にお線香を注意して欲しいと声掛けた。
 昨日は寺での法事が多かった。ちょっと気になる事がありました。法事が終え、お墓参りに行ったとばかり思って後片付けに行くと小さな女の子が玄関で泣きじゃくっていた。脇でお祖母さんらしき人が慰めている。「どうしました?」と私が声をかけるとお祖母さんが「この子はとても敏感なんです。お墓参りなどというとこんな風になっちゃうんです」そして盛んに「大丈夫だからね大丈夫よ」となだめている。大好きなお爺ちゃんが亡くなったその1周忌だった。私も「心配無いよ。大丈夫だからね」と言うとお祖母さんが「ホラ 和尚さんがお爺ちゃんを守ってくれているから・・・・」
 泣きじゃくる女の子が手の隙間から私を見つめる。どうもこの坊さんは信用できねーなという感じに取れた。それでもどうにか納得してくれた様子で、お祖母さんに手を引かれ帰っていった。本当に様々です。身内の死をどう受け止めるか?彼岸という仏教行事は春と秋に全国的に行われる。特に春は墓地にあげられる色とりどりの花が綺麗だ。霊園には全くお参りにきていないお墓もある。本当に様々です。
 最近の埋葬で樹木葬というものがあります。最初は岩手県の某お寺さんが始めたと言う。これが全国的に広がりを見せている。神立周辺でも土葬の時代は土饅頭の傍に木(ナンテンやシキビ)を植えた。目印の役目もあったのだろう。
 少子化となり後を継ぐ人がいなくなると無縁墓地になってしまい、その事を心配する方が結構多い。合葬墓地というものを用意してあるお寺も多くなった。私の寺では、境内墓地だから無縁墓地にはせず、お寺が責任を持って管理していくことにしている。折角、高額な費用をかけて墓石をたて、墓守りする人がいなくなったからと取り壊してしまうのもどうかと思うからだ。
 これは寺によって考え方が大分違います。この背景があって樹木葬という新たな埋葬法が出てきたようです。
 でも木が枯れたらどうするのかという心配もあります。最近は1本の木の周りに何軒分もの埋葬するやり方が多くなったという。宗教は問わない、そして、人気のある樹木は桜だという。西行法師の辞世の句ではないが。。。願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ。。。。。この想いは日本人の深層に根深くある。
 沖縄ではお墓で酒盛りをする。これは一族の結束をはかることと先祖も一緒に宴に加わるという意味もある。そこに悲壮感はない。
 そんな事を考えていたら春の選抜高校野球、沖縄代表の嘉手納が出ていた。残念だったが初戦で敗退した。沖縄の米軍基地がある嘉手納、白球を追う選手たちは戦争は知らない。それでも戦闘機の爆音や米兵を見ない日は無いはずだ。多分、お墓には先の戦争で亡くなった先祖も多く眠っているはず、基地移転の問題は、進め方次第では今の政権の命取りとなるかもしれない。世界一危険な基地を移転しようという日米合意をどう地元の意をくんで決定できるか?
 3党連立の正念場。
 戦争は二度としないという誓いを果たして永久に日本は持ち続けられるのでしょうか。今の政権運営に誰しもが強い不安を抱く最大の理由が実はここにある。独裁政治と言う根拠は、何も小沢さんが目立ち過ぎるから言うのではない。誰だって構わない。要は選挙に勝つことばかりが先行して、貴方達は何をしたいが為に数の優位をつかもうとするのか分からない!
 その実行したいことを貴方達は公約として掲げたはず、それが実現できましたか!長年野党にいたからとか、政権を取ってまだ日が浅いとか・・・・いつまでも同じ理屈を挙げていて良いと思っているのか? 正直私はウンザリしている。
 ドサクサに紛れて当選した新人議員、貴方達の活動の場がありますか?今回の副幹事長の罷免の問題は、民主党の体質を暴露しました。いつまでも数の論理が罷り通ると思っている議員はいないでしょう。地元に帰れば実感しているはず。政党を選ぶ時代から人を選ぶ時代に変わったことを貴方達は分からない。ここまで世論が小沢さんの辞職を望むようになったのは、彼自身の責任というよりも、取り巻き連中の責任が大きいと私は思う。結局、貴方達は自分が可愛いんだよ。非を指摘し、除籍されて本望と思えない貴方達が情けない。
 そうそう、先の大好きだったお爺さんのお墓参りを嫌がったお嬢ちゃんどうなったかな?素直に大きく育って欲しい。

1423:荊棘の道

荊棘(けいきょく)の道とは困難の多い人生を言う。なれど、果たして順風満帆なる人生があるのでしょうか。
 我々は様々な故事を知っている。分かり易くするために、何かの例えをひいたものが多い。便利な世の中になって失ったことで一番大きな事は何か?自ら苦労して学ぶという努力が抜け落ちてしまった事だと私は思う。マニュアルが大流行り、我が業界も全く同じ、リスク対応マニュアル、苦情対応マニュアル・・・・・全てにおいて手引き書が要求される。気が付けば膨大な量のマニュアル、独りでにマニュアルが増殖する。何事も行き過ぎは害になる。その最たるものが、自分で考えるという思考力の弱化だろう。
 無農薬のリンゴを開発した方(青森県:木村秋則氏)の話を伺った。8年間、試行錯誤の繰り返し、やっと分かったことは、土壌にそのヒントがあったこと。失敗を恐れない。失敗が多ければ多いほど答えも多くなると言った。この挑戦には大義がある。日本の果樹栽培農家の悲鳴は農薬対策、見た目が良い果実を作るために病害や虫駆除の消毒を行う。その為に体を壊す人も多い。食の安全は中国産のギョウザで騒がれたが、日本だって同じ問題を抱えている。
 いま、密かに脚光を浴び始めている若者たちのグループがある、化石燃料に代わる植物燃料の開発に挑戦している小さな会社。「みどりの油田」と言われ、乾燥に強いジャトロファという植物の実から油を作る会社、その挑戦がテレビで紹介された。
 この会社のコンセプトは、あと100年で枯渇するという化石燃料に代わる燃料開発、砂漠化した地域でも育つジャトロファという植物に目をつけ、環境破壊を食い止めるという目的も併せ持つ。絞った実の残りを家畜の飼料にできないか?有毒性の植物だから、その問題をクリアーすれば更に需要は増す。この飽くなき挑戦、そこの会社の社長は家賃2万円の借家で寝袋にくるまって寝る。テレビを通して無農薬リンゴを開発された方との対談番組、実に面白かった。
 ”困難な壁を楽しむ””新しいページを開くような喜び””・・・・”小さな会社だけれどもそこのメンバーはその道のプロばかり。大規模コーヒー会社で現地生産部門のスペシャリスト、大手自動車メーカーの技術のプロ、バイオテクノロジーの研究者、そしてその会社のトップは暖房が無いアパートを居にして、不自由を感じないという京大探険部出身の34歳の若者。
 企業の社会的貢献が叫ばれています。しかし、その殆どが片手間で余力の域を出ない。この会社の目指すところは余力ではなく、全てを掛けて公害の無い燃料への挑戦。そして彼らに悲壮感がない。彼らの家族もお互いが認めている。前の会社時代から給料が半減しても笑いがある。そこに価値を認める。夫の笑顔の代わりに私が働くという奥さん、その顔も笑顔だった。家庭円満の秘訣はこんなワークシェアにあるのかも。
 ”雨垂れ石を穿(うが)つ!”コツコツと努力を重ねれば、いずれ固い石も砕かれる。この思いが実は大切だ。
 付け足し自論で恐縮である。障害福祉に関わる人達は、その眼を持っていた。毎日毎日繰り返される事の中に、今まで関係が持てなかった相手と目が合うとか、微笑みを感じるとか。その時の喜びを体験している。これこそ人と人との交流連鎖。その事の価値を認めず、サービスを金で置き換えようとした政策に大きな間違いがあった。
 福祉の業界をみても分かります。いま脚光を浴びているものは、その殆どが外向きの派手なパフォーマンス、これを恰も成功事例と論うから、中身のない薄っぺらなものばかり、対人間相手の仕事だから尚更無農薬リンゴに命をかけたあの方の目線が必要だ。
 色つやが良く見事なリンゴでも消毒に塗れたリンゴは本当に消費者の為になっているのか!というスタンスだ。
 この国は皆で渡れば怖くないという理屈が良く似合う国となっている。
最後に常の如く政治への諌言を立てましょうね。
 北教組関連の疑惑があった女性議員、昨夜の記者会見で辞職も離党もせず、只管、与えられた職務を全うすることで責任を果たすと言った。
 この現象が当に本日私が取り上げた事例との対極にある。自らの判断で進退を決めることができない人間が指導者として罷り通る社会。これは見えない消毒以上の深刻な事態である。私はそう断言してやまない。
♪ リンゴかわいや かわいやリンゴ♪・・・・・・・。

1424:演歌道

北島三郎・大いに歌う・・・芸道45年記念新宿コマ劇場特別公演
 アマゾンで買い求めた。これが毎度の如く良く調べずに買ったものだから送られてきたものを見て、アリャー。CDではなくDVD版、本当は車の中で聴こうと思い求めたのに、それがビデオとは。仕方が無いのでCDにダビングでもするかと思い、気休めに車のカセットに入れてみた。なんと音が出た。メカに弱い私にはDVDは使えないと思ってしまったが、CDにも対応しているのだ。
 目いっぱいボリュームをあげ、高速道路を走った。年と共に涙腺が緩くなった。涙が出て止まらない。山・川・峠・・・・北の大地・北の漁場・・・そしてフィナーレは”まつり”(全28曲)
 サブちゃんの歌には元気づけられる。北海道から単身上京し、夜の街をギター片手の流しからスタート、そして今では日本歌謡界の追随を許さぬ大御所まで登りつめた。彼の持ち歌がなんと500曲、殆どの歌手が50年も歌っていれば往年の声を失い、去って行った。しかし、サブちゃんの声は年と共に艶が出る。彼は音楽仲間に恵まれた。星野哲郎や船村徹・遠藤実と超一流の作り手がサブちゃんの歌を書いた。その詩の奥を歌いきる彼の力量は歌を聴けばすぐ分かる。
 例えば”帰ろかな”と唄えば、自然と彼の苦労時代が目に浮かぶ。これがあってこそ聴く側の心を揺する。
そして長く芸能界に身を置いてきたサブちゃんには不思議とスキャンダルがない。彼の人柄と歌にかける熱き思いがそうさせてきたのだろう。サブちゃんという愛称も良いな。高ぶった所も無く気軽に声をかけれるじゃーないか。
 私は政治家にこのタイプが少ないと思うのだ。「いっちゃん」とか「くにちゃん」とか、もしその雰囲気があったら、大分違った展開があると思うな。少なくとも身近に感じませんか。
 それがガジガジにガードを固め、いつもテレビ画面に登場する時は、直立姿勢で早足で歩いている姿。国会で年に一回ぐらいのど自慢大会でもやったらどうなの?一番・・民主党幹事長 小沢一郎「おやじの背中」
 2番元自民党 鳩山邦夫 「兄弟仁義」とか。これくらいの余裕も今の閉塞永田町には必要かもしれません。
人間に笑いが消えた時、前向きな考えは浮かばない。右のものを左に置き換えても本質は何も変わらない。居眠り議員が絶えない国会は議員達も退屈なんだよな。
 人生の一つの理想の形として、何か一筋の仕事をやり遂げることがあります。失敗ばかりでも良い。何かをやり通したという思いを掴みたいと誰しもが思う。
 昨日、水戸での会議は人材センターの会合だった。職安や労働局の担当者の話を聞いていて正直何も感じなかった。彼らは自分の守備範囲で数字を羅列するだけ、前年と比較すれば何か解決ができるのでしょうか?そこを質問したら黙ってしまった。縦割行政の実態は、依然として予算ありきで自らの工夫で改善しようとする気概を感じない。国で討議される内容と地方現場の乖離が甚だしい。
 地方の行政は年度末で暇だと聞いた。送別会のオンパレードだとも。あまえらーふざけんなよ。
こちとら・・・・・ちくしょう。
 演歌道
   肩に食い込む 涙の重さ  我が人生に悔いはなし 星に誓ったこの道を
     一人歩まん 峠坂     
               作詞:生臭太郎(誰か曲をつけてくれません????)

1425:選択の根拠

”一刀両断”というまでに至らない。生方副幹事長の処遇に関して民主党内が混乱、取り巻き連中が早合点、早々に解職を決め、そこで俄かに起こった世論のブーイング、これは堪らず、一夜にして撤回、継続となった。
 それから郵政論議では亀井さんがここぞとばかりに言い放つ。あの方はどっちに肩を持つのか正直分からない。自民党から飛び出した理由が小泉改革、しかし、もうその政敵はバッジをはずし、議場での論破は空振りになった。だから両刀使いという評判もあるではないか。
 連立の壁の大きさか?現政権が発足した当初から判り切ったこと、重要政策の外交・防衛・経済・社会保障・・・・
これら全てが戦後5番目の早さで決まった次年度予算という触れ込みをどうも喜べない。一般会計予算92兆円、歳入不足の44兆円を国債で賄う。いまの国会議員に危機感を叫ぶわりには実態が伴わないと思いませんか。そのように感じている人が国民の大半だ。あんた達は野党時代にあれだけ訴えつづけてきたではないか?子供手当の半額支給が決まった。本当に景気対策の一翼を担うのか。
 ミスター円とか言われた榊原さん、某番組で苛立ちを諸に出して、「民主党はハッキリとヨーロッパスタイルの国家を目指すと言うべきだ」と言っていました。論敵の竹中前金融担当大臣を半ば意識しての発言か。
 確かに消費税は4年間は上げないと公約に掲げて政権奪取した手前、おいそれと税収不足を増税でとは言えないかも。そこまで持ちこたえられますかね。ヨーロッパはご存知の通り2ケタの消費税はいずれの国もかけている。それだってユーロ圏のギリシャやスペインは財政破綻寸前、刻々と日本もそこに向かっているのでは。
 農家への補助金も実は根本的な解決策では無い。この国に果たして専業農家がどれだけあるのでしょうか?
万が一、日本が財政破綻になったとすれば、国民全員でその穴埋めをすることになりましょう、その時俺は反対だと言っても許されない。知らなかったで済ませるのでしょうか。
 判断する一つの根拠がある。それは名古屋市。河村市長が当に孤軍奮闘、議員定数と歳費を半減する案を議会にあげた。その結果は全会一致で否決、その理由がなんと、「歳費を半減にさせられたら誰も議員になる人がいなくなる」という事?これが本音だ。当に自らの無駄を棚上げして経費削減を叫んでも迫力がない。私は名古屋で半数の38名も議員がいれば充分でしょうと思う。一体何を考えているのだろう。議員活動の合間に、仕事しろよ。当然だろうが、みんなそうやって頑張ってんだっぺ。
 私も知人に結構議員さんがいる。彼らが言うのは選挙に金が必要だ。冠婚葬祭その出費も大変だ。政策を作るには人が必要だとか。香典を要求するのですか支持者が???。一体何件の葬式に出てるんでしょうか?どっちもどっちかな。そうじゃーないと私は思うよ。議員が悪い。だってそうでしょう。高額な車を乗り始め、自ら運転せず秘書付きで、これって駄目なんだわ。一般心情が許さないんだわ。
 私が知る先生は、軽自動車を乗り回し、腰が実に低い。するとね。有権者の気持ちとして、手弁当でも応援したくなる。
 そこのノウハウが議員の皆さん不勉強。大体、”先生”と言われる人で○○人って少ないんだわ。(一般論)
私の事を言うのもどうかと思いますが、私は物心ついた頃より、「ボウズクソモウケ」と言われ育ちました。”クソミソ”なんだから。昔を知る友達は、「へーそんな事言ったっけ?」ですよ。当人がそう言うんだから間違いない。
 寺に生まれた事を悩み苦しみました。これホント。そこで思ったこと。死んだ人だけを相手にしても駄目、生きた人にと考えた。正直に言います。これは私が考えたわけではありません。親父であります。
 それで福祉をやる条件で坊主の資格を取ったんです。私は今まで条件交渉でやってきたのですからね。言っときますが。
 そしたら何か雲行きが妙になってきましてね。
 つまり、福祉ブルジョアの登場ですよ。その最たる人間はあのなんて言ったか・・・ジュリアーノ東京の。。。彼でした。
そして日本中にその類の福祉事業家が増えちゃった。これをどう見るか。
 私は先生とか言って近寄ってくる人は信用しないことにしています。
 それと漆喰を塗るような政策の数々、介護者の処遇改善と称し人件費増額、これも期限付きで取りあえず式。支給の対象は直接処遇職員だけ、これで上手くいきますか??
 果たして政党再編がありますかね。国民が分かり易く選択できる根拠を持って旗揚げする政党が。
  ここで一句
    選択肢 あの手この手の約束を 彼岸の事とは言わせまじ。(24日で彼岸明け)
 実は私の拙文に頭にきた方からこんなメールがありました。
    「何いってんだよ。俺たちゃー必死になって仕事やってんだーよ。」だから私しゃー言ってやった。「まったくだー」とね。
 

1426:サロンー○□

恒例の人事異動が発表されました。新しい職場に移る人もご苦労様です。それが宿命ですから慣れているのでしょうが。
 年度末でゴタゴタしているのは、私の処も全く同じです。打ち合わせの会議等がどうしても増えます。仕方がないです。
 異常気象が日本列島を襲っています。寒い寒い。桜前線も東京まで来たのでしたがパタリ止まってしまった。
 春は人間の心を躍らせてくれます。春の息吹を諸に感じるからですね。少し私の心の中に変化が出ています。
 俄かに浮かんだ事ではないのですが、今、ある構想を練っています。仮称『サロン ○□』
 日中支援も利用者が増え、手狭になった。作業場も増築したのに、まだ足りない。それより困ったのは食堂が狭い。
 急遽増築を考えたのでしたが、どうも収まり具合がうまくいかない。そこで、まだ土地の確保ができていないのですが、行政の認可待ち。もう1年近く待っている。やっとOKが出そうになり、具体的な利用法を描き始めた。
 サロンは談話室という意味。寄合できるスペースが尚恵にはない。そこで作業所に併設したものを考えている。
 外に出て働いている人の昼食の場、土、日地域のGH生活者が集まる場、それと地域に開放した喫茶コーナーなどなど。
 交流の場所を作りたい。これは長年私が認めてきたプランだ。
  アイデアを公募しようと思っている。
 今の世の中の閉塞感、どうしようもない息苦しさ、腹の底から笑える環境がなくなり、馬車馬の如く横目もふれず、前に進む。いつまで続けていてよいのでしょうか。そして、そこから離脱する人々が自由を求め、選んだ道が????
 車上生活者のレポート番組を見て感じた。国は彼らをホームレスにカウントしない。ネット難民も同じ対象外。
 その日暮らしに光が見えるのでしょうか。
 格差社会という言葉では推し量れない現実は、依然としてその解決のメドが立っていない。政治に期待も出来ず、固くなって自分の殻に閉じこもる。この人達に国は何をしてあげようとするのだろう。
 私は懲りもせず、永田町への批判を続けている。何故か!対極を見ることで我々が本当に目指す姿を描きたいからですよ。また信じ難い出来事が週刊誌のスクープになった。
 公案委員長が議員宿舎の合鍵を某女性に渡していたことが取り上げられた。別に独身の大臣だから構わないといえばそうでしょう。お付き合いは個人の自由だ。しかし、どうですかね?議員宿舎の建替えで問題視されましたよね。余りにも贅沢だと。今の名古屋市長は入居を拒否した。その時から私は彼をマークしていたんだけれど、バッジは自分で外して地元に帰っていった。税金で作った宿舎、そして公人でそれも国家公安委員長だ。路上?をカメラで撮られ、どうして分かったんだろう?と逆質問する場面あり。
 誰しも言えない事はありますよ。それは分かりますがね。
 議員宿舎と車上生活の対比で何か見えてきませんか?一体、誰の為に政治が動いているのかということが。
 長年、福祉の業界に身をおきますと思想的に偏るのかもしれません。自省しないといけません。でもね。地域でその人らしく生きると持ちあげられ、私達はそれに踊らされてきたわけです。その実態に関係者全てが気づいているはずです。
 特に障害者問題はマイナーな分野ですよね。数の論理から言えば少数派ですよ。その中でも特に知的障害がある人達は自らの思いを表現する手段が極端に少ない人達です。
 何もしなければ、そのままずーと我慢してしまう人達なんですよ。逆に言えば神様仏様みたいな人達でもあるのです。
 でも長く付き合った仲間が逝ってしまうと、本当にこれで良かったのか?と思うんですよ。周りの人達じゃーなくて本人にとってですよ。勿論。
 彼らはそれを口しないで穏やかな顔で旅立っていくんですね。
 ルールもなく自由で気楽に寄合ができる場所が欲しい。そんな事を思い描いているんです。できるかなー?
 仮の名前として私が考えているのは 【 サロン ド TANBO 】 フランス語ですよ。
 

1427:全国代表者会議

浜松町のホテルが最近の会合の場所として定着、駅から歩いて7分、大島への定期便の発着港の傍にある。このホテルの13階からの眺めは格別、お台場の方向をみると羽田空港の発着便が低空で良く見れる。瞬時、旅気分に浸れる。
 昨日の会議は全国から代表が集まった、定例の総会である。予算と事業が事務局から説明があり、その後、質疑に入る、久しぶりに活発な意見が飛び交った。現執行部は任期半ばで前の執行部が辞任で変わったので残任期間引き継いだ。いろいろあって、巻き返しに大分苦労されている様子が伺えた。多分、様々なアクションを起こしたに違いない。無駄足になったことも多々あるだろう。兎に角だ、今まで協会が必死に取り組んだ改正要求が、政権が変わってあっさりと廃止ということになったから、誰しもが拍子抜け。でも実態はそう簡単ではない。新政権の動きが見えるようで見えない。つまり、推進会議の中身は内閣府のHPに出ているから大凡の見当ができる。しかし、落とし場所が依然不透明。
 私は総会で意見を述べることはしなかった。正直、出る幕がなかった。強硬な意見を発する方がおり、場内が一瞬不穏な雰囲気になった。でも、根っ子の部分ではお互いが分かり有っていることを強調するか否かの違い。誰しもが現状に異議を持たない者はいないはず。
 先人はこうやって築いてこられたのだろうか?いま我々は制度の福祉に振り回され過ぎている。可笑しいと感じながらもだ。
 昨日、ちょっと上野の公園口に降りてみた。もの凄い人が出ていた。花見?ここ数日の冷え込みで桜開花が小休止、いつも思うのは東京に出ると不況という実感が湧かない。インフルエンザ騒ぎも一段落?かマスクをしている人は皆さん花粉症対策のようだ。
 昨夜は夜、小宴があった。10年程前には何度か利用した店。1戸建ての茶室式の店で他に気兼ねせずに食事ができる。昨日は満席だった。少しアルコールが入ったので代行を頼んだ。
 私は運ちゃんと話すのが好きだ。「どうですか?景気は」「今日は珍しく混んでいますね。3月のこの時期ですからね。送別会でもあるんでしょうか」
 代行がつくば市だけでも20数社あるという。彼らは仕事の前に営業をかける。私達が本日の最初の客、その前に20数店営業回りをしてきたという。それから朝の5時まで仕事だとも。
 毎日飲み歩いているわけではない。しかし、申し訳ないような気分になった。
 さて、県も異動が発表になった。今年は総数での動きは少ないという。私がお世話になった方で今回異動になった人や残った方があった。
 直接、お会いする機会もなくなるが、いずれどこかで又会う事もあるでしょう。それと、今日は我が事務局の局長の慰労会をささやかに行う。その前に長く入院されている理事さんを病院に見舞う。お歳は93歳、やっと面会ができるまでになった。先日自宅を訪れた時、奥さんがいて、立ち話をした。2日前に私の話が出たと教えられ、今日、半年ぶりに会う事になった。
 本当に人生いろいろ、うつろい易く一定でない。
 そうそう、昨日浜松町の駅の本屋に立ち寄った。新刊本がいくつも並べられてあった。買ってまで読もうとはしない。
 結局、求めた本は「松下幸之助」さんの著作。少し前までは幕末ものや明治維新時の本を良く読んだ。でも時間の隔たりはどうしようもない。松下さんは丁稚奉公から会社を興し世界的企業にまで押し上げた経営者、松下政経塾はご存知の方も多いだろうが彼が私財を投じて作ったもの。塾是や塾訓というものがあり、3年間の塾生はそれを暗記する。
 いま、メデイアから得る情報は凄まじい。似通った内容の本はいくらでもある。出筆者は責任は問われない。
 だから読む側も冷めた目で流し読み、これが活字離れが進んだ実態だろう。私が学生時代、神田の古本屋をハシゴした時と確実に時代が変わった。でも、これだけは変わらない。松下さんが自論として語る言葉は、その全てが自らの体験と実践から掴んだもの。ここに魂を感じるから読む人が絶えない。
 つれずれ思う事を記しました。

1428:時流

”時流”ということを一番感じる季節であろうか?年度の忙しい切り替え期で反省と期待が入り混じる。何か新たなる可能性を見出し気持ちを鼓舞していざ出陣!
 ”時流”を英語では「tide 」とい語をあてる。その意味は潮流とか栄枯盛衰というものもある。tide on (off)という動詞として使う場合は、潮のまにまに漂うとか生き残るという意味がある。昔から日本では俳句や和歌などで時の移り変わりを文字に表し、時の権力者や世論に対し婉曲な方法でものを言った。
 これは日本語特有の文化?かもしれません。その文化が確実に衰退しています。メールやITの普及が瞬く間に進み、我々の日本語に対する考えが変わってしまった。先ず、我々は辞書をひかなくなった。変換キーひとつでデジタルに文字が変わる。幾つかの同音異議語が羅列され、その脇に意味が表示されている。一昔前ならば、音訓読みや画数を考えてから辞書を引いた。その課程がスッポリ無くなった。
 31文字や7・5調は演歌の歌詞に残る程度、それすら今では消え失せようとしている。
実は、昨日、某法人の初代理事長の7回忌に伺った。友 遠方より来る 来客を見送り、満天の星を語りながら再会を誓ったその後直ぐに倒れ、帰らぬ人となった。法事が終わってからの清宴の席に普段、私はつかない。でも何度か電話で席にだけ付いて欲しいという希望を聞いていたのでお邪魔した。その場所は日本の民家を改造し、フランス料理を出す店、食事が順次運ばれる間、次々に故人の思い出が語られる。
 故人は丁度旧制中学の学生時代が先の大戦にあたる。初めて知ったのだが、当時、理工系の生徒は卒業まで徴兵は延ばされるという事があったそうだ。故人は文学をやりたかったが、当時の高専に入りそこを卒業している。
 これを聞いて成程と思った。しかし、次に話した方がその事をキッパリと否定した。
 故人は運が悪い人だった。と最初に言った。何を話すのかと皆さん耳を傾ける。故人は学業頗る優秀で、海軍兵学校を受験していたという、中学でもトップクラスの成績で見事に合格したそうだ。しかし、ロクマクを患い、身体検査で不合格になったという。つまり理工系に進む前に自分の身を国の為に捧げる決意をし、当時難関で有名な海軍兵学校に合格していたという話をされた。そのような事をご本人から聞いたことはなかった。ああ・・・そうなんだ。その生き方がたった二年の教師生活にもかかわらず当時の教え子から今でも慕われているんだ。その後のエピソードについて様々な事を伺った。奥さまが話した。「今日初めて話すから。。。」と前置きし話し始めた。
 故人が亡くなった日の直前に電話があったという。それは昔教員をしていた時の教え子からであったという。長い話で要点を記すと当時は安月給{一月1万円にならなかった}で、電話があったという生徒の為にお金を工面した話・・・・自分達の生活が苦しくなることなど構わず、自分の教え子には頼られると応じた。そんな事で夫婦げんかが絶えないこともあった・・・・・故人の教師としての信念は「教員というものは子供たちに騙される役をすれば良いんだ」という事。
 この話は実に奥が深い。昇進試験に夢中で生徒達の気持ちを理解しない教員が多くなった今の時代、故人の話を聞かせたいものだ。
 そして満天の星を久しぶりに訪れた遠来の友と見上げ、その直後脳出血で倒れた。
 既に亡くなってから丸6年目の話だが心動かされた。
 故人が初代理事長を務めたその法人は茨城県内でも特別な施設である。障害者を持つ子供の為に親達が苦労して作った。既に創立20周年を過ぎ、自前で入居棟の全面改築を計画している。親達の子供達に対する思いはどこの法人も適わない。
 制度の福祉に振り回されることなく、いま、自分達が出来ることに全勢力をかたむける。
 昨今の法制度の改革の動き、推進会議に障害者当事者を多く委員として選んでいる。それは良いことだ。・・・が、果たして当事者達だけで理想とする仕組みができるのでしょうか?障害者の願いをこの国は今まで適える努力をしてきましたか?
 私は憎まれても構わない。そういう歴史的事実はこの国に無かったと断言する。それから、我々事業所も本当に利用者の立場にたった運営をしてきたでしょうか?規模拡大が事業家の範とみるような経営者を羨望の目で見つめる。福祉と称し自らの私利私欲???だけに馳走する亡者と言ったらマズイでしょうね。
 時流・・・・時間の流れは止めようがない。その時々に関わった人達が智恵を出し合って、今よりすこしでも良くなればと力を出し合う。 この事が生き残りに唯一許される選択肢であると思うのだが。

1429:セカンド・ベスト

終末医療を実践する医師の話、人間だれしも最後は住み慣れた家で死を迎えたいものです。実態は大半の方が病院のベットの上で息を引き取っている。そんな今の日本の終末期医療の現状で我々はセカンドベストを掲げたと言う。
 昨日はシルバーリハビリ体操の発案者で全国で活躍されている大田先生(現茨城健康プラザ管理者)の講演を聞いた。その発想は凄い。指導者の養成から地域での受講者の広がり、その仕組みはテレビで見た何かに似ている。何だったかな?
 中央アジアの砂漠地に突如として川ができるという。はるか遠くの山の雪が解け、その水が流れてきて川を作る。毎年同じ事が繰り返されるという。これだ!ここに似ている。何処に共通点があるかと言えば、自然の成り行きで意図的なものが無いというところだ。
 今までの福祉の反省として、どうしても関係者だけの狭い世界だけの実践が繰り返されてきた。自然発生的というよりも、助成金が付いたから研修を開くといった類がほとんど、だから地域に育たないし単発で浸透していく力が無い。 シルバーリハビリの発想はボランテア、手弁当・自主的な参加が基本である。講習を受け資格をとったものが次に自分の地域で受講者に教える。その受講者が一定の課程を終われば今度は指導者になる。この仕組みに砂漠にできる川の強さを感じる。
何故手弁当で可能なのか?それは皆さん自分の為だという思いが基本にあるからだ。93歳になる方が資格をとり、在宅訪問して介護サービスをする。寝たきりのお年寄りは80歳。どっちが支援者だか分からない。この発想が今まで無かった。 この運動?の狙いは介護の手を軽減することにある。1歩でも2歩でも自立歩行が出来れば、寝たきりでなく車イスに乗れる。オムツでなく車イストイレを使用でき何処にでも行ける。その人の残存能力の中で如何に支援の手を少なくできるかという視点。
 介護予防という考え方がまだ十分に認知されていない医療や介護現場、この仕組みが実はおかしい。寝たきりで全て介護を要する人がサービス提供側からするとメリット(報酬単価)が高い。ですからね良からぬ発想が生まれてしまう。
 障害者の障害程度区分の発想が全く同じ。介護度という言葉にその人らしさという思想が見えてこない。ここに制度上の矛盾がある。だってそうでしょう。手段から目的に整合性が無いんだから。「その人らしさ」という言葉だけが一人歩きしているわけですよ。
 セカンドベストという言葉を初めて知った。謙譲の美徳という日本人の持つ感性がどうも薄れてきた。個人主義の傾向が強まり、一緒に何かをするという事を反射的に拒否するものが増えた。その結果、自分さえ良ければ良いじゃないという価値観が蔓延ってしまった。だから「互助・共助」の試みは殆どが挫折する。一方、結婚や離婚が一般化したという話もあった。慶事に仲人を立てなくなった。あんなのめんどくさいからと言うことらしい。確かに頷ける節もありましょう。好きでくっついている間はそれでも良かろう。しかし、夫婦の危機がきて、別れっぺという時に悲惨な結果が増えている。間に第三者が入らない。即決となる。そして子供の事でトラブルだけが残る。幼時虐待が大人のエゴで起こっている。
 人間社会でベストは望めません。そこで謙遜を込めセカンドベスト。お互いが出来る範囲で努力するという視点が必要だと思う。
 頂点(ベスト)だけを求め続けると挫折か成功かという2者択一の選択となり圧倒的に挫折が多くなるのは当然だ。
 だから世を憂い希望を失ったものが増え続け、閉塞感だけが勢いを持つという妙な社会現象になる。
お釈迦様の例で、天上天下唯我独尊というものがありますよね。この解釈がどうも可笑しなことになってしまったと私は思っています。押し売りと思われますけどね、この意味は「一切衆生 悉有仏性」(涅槃経)を先ず理解しないとエゴイストになってしまいますもんね。
 

1430:21年度回顧

信頼する友からの電話、取りとめない話をしながら「源究」を読んでいて感じたことをキッパリと指弾された。最近はどうも内容が刺々しいという事を言われてしまう。自分でもそう感じていたから、図星だなと直ぐに脱帽した。
 振り返ると21年度は「源究80」No:1114「心中開陳」から始めた。特に今年は自分に正直に立ち向かうと意を決め、惜しげも無く書きなぐってきた次第である。途中、9月に政権交代があり、またもや政治に翻弄されるのかという防衛本能が極端な言い回しになったと反省している。確かに私自身、期待が大きかっただけに、次から次に起こる出来事が現政権へのマイナス評価の連鎖になってしまった。
 指摘の如く、何もそんな風に言わなくても良いだろうとも思う事が度々。もっと心を広くもってですね、お坊さんらしく・・・・。わかっちゃいるけどやめられなない。
年齢相応の自らの体調変化があったり、周囲の状況もあまり良い事がなかった1年だった。体調を崩した友人を病院に見舞う。その時の気持ちは寂しさと憂鬱、自分だって同じだよと言うことで相手を励ますこともどうかと思った。
 年を取るということは決して悪い事ばかりじゃない、寧ろ自分自身に正直になれるということかもしれない。許されること許されないことも分かってくる。これじゃー遅いのかな?
たった今、地震があった。茨城県が震源というラジオの情報を聞いた。そういえば今年は外国でも大きな地震が幾つかあった。
 建物の構造が日本と比べれば脆弱だから多くの犠牲者が出た。そして最近あったロシアでの地下鉄爆破事件、民族独立に絡むテロとの噂だ。
 この地球上で人為的であろうとなかろうと様々な出来事が繰り返し起こる。情報が早く、国境がなくなった現代では否応なく耳に入る。この大切な地球に対しての動きも目立った。鳩山総理が国連で演説したのが就任間際だった。CO2削減25%をセンセーショナルに約束した。その時の各国の反応はどうだったのか?日本人の大半は半信半疑だったと思う。その後の政権運営を見ていて、その確信がより強まった。普天間移転の3月政府案決着の話が、またしても曖昧な言い訳となっている。彼は自分の言った事をどう考えているのだろう。一国のトップとして余りにも言葉が軽い。オバマ大統領へのトラスト ミーから始まり、多くの言葉で語る言い訳の理由、「友愛」から「ガンジー」まで登場させながら何をもって信じろというのでしょうか。私には彼が宝塚の舞台の上で役者を演じているように思えてしようがない。台本に書かれたセリフを表情変えずに真面目に喋る主人公?そして、その背後に奥さまが存在する一幕。
 友人の諌言に対して脱帽したのでありますが、どうも私の性分では現実に目を向けると無性に腹がたってきてしまうのです。
 正直、皆さん、もっと怒れ!と言いたいのだ。諦めと個人主義が合体した時の悲惨を私は知っている。改革は怒りから発する。怒りは自分にとって何もプラスにならない。寧ろ胃を悪くするのが関の山。
 ”公憤”という言葉を知って、多少、自分は慰めを感じた。特定の人を攻撃するのは、大人気ない。そのように思っている。今のまま進んで何も心配がないならば老婆心と一蹴されても仕方が無い。
 田舎坊主が、犬の遠吠えよろしく、いくら吠えても何も変わらない。それより、おまえはどうなんだ???という疑いの目を感じる。自分をどんどんそこに追い込んでいる。自虐的性分があるのだろう。
 心中開陳から始まった今年度、未だ納得できる開陳とはなっていません。自らの思いを正直に吐露することは実際難しい。ただこんな副産物が有ることを確認できた。何気ない事を話したり、一緒にいるだけで、心の騒ぎが収まることってありますね。
 そんな事を思いながら3月31日を迎えました。
 22年度はもっともっとトゲトゲしくなるかもしれません。もし、それが無くなれば私の心境に何かの変化が生じたと思って結構です。そして、その時は私自身が第1戦から退く時だと決めています。以上、21年度の回顧でありました。