源究94

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1391 蚊のオナラ 2/13 1396 諸行ノ法 2/21 1401 リセット 2/26 1406 何気なく 3/4
1392 夜景色 2/15 1397 研修効果 2/22 1402 祭典 2/27 1407 純一無雑 3/5
1393 こころ配り 2/17 1398 履き違い 2/23 1403 弥生3月 3/1 1408 足裏マッサージ 3/6
1394 組織活性化 2/18 1399 木内マジック 2/24 1404 千姿万態 3/2 1409 親とは? 3/7
1395 めずらしきもの 2/19 1400 茨城再発見 2/25 1405 雛祭り 3/3 1410 肩書&権力 3/8

1391:蚊のオナラ

「蚊のオナラ、ノミのアクビを描きたい」1909年山口県生まれ今年101歳の現役詩人・まど・みちおさん。No:1378でちょっと触れた。アマゾンで注文しておいた、まどさん関係の本4冊、うち2冊が届いた。題名『いわずに おれない』。
 最初、私は101歳の目から見た現代への批判・警鐘??かなと勝手に考えてしまった。
 まったく恥ずかしい。そして、いま、その本を読み始め、なんだか今までの自分がとても恥ずかしい気持ちになっている。
 蚊のオナラ?ノミのアクビ?  この人は一体何を考えているのだ。
 谷川俊太郎がまどさんを評して、「こんなにやさしい言葉で、こんなに少ない言葉で、こんなに深いことを書く詩人は、
世界で、まどさんただ一人だ。」と絶賛した。
 確かに読み進めていくと、不思議な世界に誘われる。そして、ああだ こうだ 問題だ 辞任だ ・・・・と粋がって良い気になっている自分が恥ずかしくなった。

第7章 生かされていることに感謝 
 完全なものができないからこそ 書き続けていられると言っている。自分の詩は「自己表現の詩ではない」「自分は消してしまって、その代わりに、自分が信じている宇宙の仕組みとか素晴らしさみたいなものが言葉で残ればいいと思っているんじゃないか」という谷川の評価を紹介している。
 それともう一つの見方として彼の詩を『遠近法の詩』というものがあった。夕焼けの地平線に向かって電信柱が並んでいるのをみて涙を流すという。この感覚は正直、現代に生きる人にはない。生きる価値観が全く違う社会だから、蚊やノミに害虫と決めつけ拒絶する。まどさんは小さな生き物に愛おしさを感じ、命の大切さを言葉に表す。彼は正直な人だと思った。自らの反省として、先の大戦中に書いた2編の戦争協力詩を忘れない。生きて行くことは、動物や植物の命を頂いて生きていける。その思いが強いからこそ、彼の詩は優しい言葉で連ねられているのだろう。
 「自分を消してしまって・・・」という事が引っかかる。日本の為という最高の道義?をかかげ、一歩たりとも身を引こうとしない人、部下に責任を全てなすりつけ、自らは居続ける。
 まどさんが、自らを控えめにし、自分が信じている宇宙をじっと見つめる姿と大きな違いだ。彼は101年の人生を決して「奢った」生き方はしていない。
 谷川の評にある「こんなに少ない言葉で」という部分。今の国会の遣り取りを見ていると、無責任な言葉だけが飛び交い、訳の判らない論議に時間を弄している。だから見てみなさい。出来上がった法律がやたら文字が多くて複雑で何を言っているのかさえ分からない。
 ああだめだ!また持病が始まった。何か毎日の生活が慌しく過ぎていく。人との出会いや別れ、様々な感情が起こり、結局、何も納得できる答えを見いだせず生きている。
 蚊のオナラって、どんな音?耐えられない匂い?こんな目線で生きられたら、引きつった顔などせず人生楽しいだろう。
 まどさんの作った詩は2000篇にも及ぶ。
 その中で「カ」という詩を紹介します。
      『 カ 』
  あるひとが ふと あるひ 手にした ほんの とある ページを ひらくと
   ある ぎょうの とある かつじを ひとつ うえきばちに して 
  カよ おまえは そこで 花に なって さいている 
    そんなに かすかな ところで しんだ じぶんを じぶんで とむらって・・・
  『いわずに おれない』 まど・みちお 集英社文庫 648円+税
 

1392:夜景色

土・日2日間、東京ベイサイトにおいてセミナーがあり、私は参加しました。約400名位の参加があったでしょうか、茨城からは私を含め4人だけ?後は殆ど知らない方でした。内容はジャーナリスト櫻井よしこさんと中島隆信氏の講演、その間に4人のシポジウム、テーマは『これからの障害福祉』。私は中島氏の講演があるというので一先に申し込んだ。彼は「お寺の経済学」や「障害者の経済学」などの著作で前から関心があった。
 今回、年末から年始にかけ、様々なことがあって一人で考えてみたかったというのも大きな理由。ワシントンホテルの10階から見る東京の夜景は凄い。来るたびに高層ビルが立ち並び、赤色灯があっちこっちで点滅、これが日本の歩んできた経済発展の証?
 そして、テーマはいま混沌としている障害福祉への問い掛け、何故混乱しているかと言えば、3年間必死にやってきた根拠法の廃止、新たな制度を作るという動き。全国から研修に参加した人達、居眠りしている人は全くなくて熱心にメモを取っている。夜の懇親会には出なかった。体調もイマイチだったし、一人で考えたいと思ったから。
 いま我々の業界を覆っているムードは、八方塞がり的模索、新たな発想で事業を展開する良いチャンス、この相矛盾する考えが共存している。
 新政権になって、見直し作業の一つに『障がい者制度改革推進会議』というものがある。オブザーバーも含め総勢25名の委員、その中で半分が当事者、我々事業者は全く選任されていない。推進会議は過去2回開催され、内閣府のHPで公開されている。後日、その下に部会が組織され、少なくともそこにメンバーとして参画することはできるのではないか。今般の政権交代に絡み、日本知的も任期半ばで執行部が変わった。事業者団体としての要望を纏めることも大変で、地方によって様々な意見がある。決して一枚岩ではない。その辺の実態は、根深いし複雑だ。
 議論百出、実行ままならず。ここ数十年、バブル崩壊やテロ、環境破壊、少子高齢化社会、不況、財政破綻・・・・など様々な活字が目に付く。するとどうなるか、不安と焦りが蔓延し、じっくり腰を据えて考えるということができない。目先の事に一喜一憂、先の事など構っていられないという雰囲気。
 全てを良しとする事は有り得ない。何をどうするのかという明確な方向も定まらず、できない理由のオンパレード。
 昨夜、思ったこと、あの夜景色はムダ?何の為に誰の為に電気を付けておくのだろう。灯火管制ではあるまいが、消しても良いのでは!
 それに、客が全く乗っていない公共バス、中島氏の経済学視点から見れば、なんの疑問も感ぜずに続けられているムダが日本は多過ぎる。
 彼の講演で判り易かった事例は、特別支援学校での運動会、何の為、誰の為の運動会?障害の重さは人ぞれぞれ、歩ける生徒には舗装具をつけ、目が見える生徒は後ろ向きに走らせる。そして、競争、ハンデイをどう考えているのか?という疑問を投げかけた。
 確かに、我々現場には、普段なんの疑問も感じずに従来のやり方をしていることは多い。福祉や教育の現場が一番遅れている事、それは消費者である生徒や利用者とサービス提供の事業者が逆転していることだと指摘する。
 家族は常に「いつもお世話になり、申し訳ありません」と只管、頭を下げてきた。その事に何の疑問も感ぜず、一言でも不満を言うものならば、「あの親は理解がない」と決めつける。
 往々にして起こることは、自らの満足を満たすために仕事をしている人間、相手の為にこれだけ一生懸命してあげているのに、この仕打ちは一体なんだ!と思う輩。彼らは気付かない内に相手からの見返りを期待している。
 そんな事を考えていたら、一睡もできずに夜が明けた。
 

1393:こころ配り

夜寝るのが早く、昨夜は7時頃、前日、眠れなかったので。私は少しでもアルコールが入ると、逆に眠れない。そんな訳でした。寝そべって日誌を書きながら、今日の出来事を思い返す。2つほど、気になった事があった。
 水戸での研修に出席した。コミュニテイホールを会場にした管理者研修、大学の先生の講演、3時間のコマ、ちょっと長いなーと思っていた。そこで気になったことがある。私より少し年長の2人の男性が並んで座っていた。片方の人が講演中に、もう一人に盛んに語りかけている。それも前から3列目の席である。小さな声ではあったが、講演の合間には、気になった。自分の考えを同僚に説明しているのかどうか?よく見かけるタイプで自分が講演していると勘違いし自説を言いたくなる人間だ。 途中でそのヒソヒソ話が気になり始めた。後部座席にいる方も迷惑そう。それよりも講演者が一番気になったのではないだろうか。
 その時思った。私ならどうしたか?多分、「少し静かにしてください」と言ったと思う。
 幸か不幸か、二人は途中で退席してどこかに居なくなった。
 管理者がこの辺のレベルか!と。
 土浦に戻ったのは5時過ぎていた。利用者が長期に入院している病院へ寄った。HCUという病室、ICUと同レベルの重篤な患者さんが入っている。面会はナースセンターで了解を取ってから、私が声を掛けると、「尚恵学園??へー今日5回目ですよ」と明らかに迷惑そうな受け答え、一瞬脳裏に浮かんだ。そうか、職員が入れ替わり来たんだ。私は面会せず帰ろうと思った。すると別の看護師さんが走ってきて、「どうぞ。会って言って下さい」と中に入るように言ってくれた。
 その時思ったこと。”こころ配り”の難しさ。最初の看護師さんの表情はいかにも我々に対する不満があった。多分そうだろう、同室の患者さんの事を思えば、施設の職員が入れ替わり面会にくるのはどんなものか?
 直ぐに、私は面会を自粛するように電話で指示した。当人は全く意識がない、状態の良い日は、声掛けになんらかの反応をしてくれたという報告は受けてきた。それと、もうあまり先が無いと言われたから、今の中に面会して挙げて欲しいという考えもあったと後から聞いた。
 この時思ったのは、此方側の自己満足が優先されていないかという事だった。明らかに隣ベットの患者さんの反応は顔の表情からしか判らなかったが、迷惑そうだった。一般病室ならいざ知らずだ。
「戮力協心」ということは、なにか事に当たる時に一致団結して行うことだ。しかし、時と場合の判断を間違えると偉い迷惑を周囲にかけてしまう。最初の例もそうだ。熱心に講演を聴いていたのか否かは定かではないが、周りの人への配慮がない。当人達はそれを気付いていない。そのような時にちょっと忠告することが必要だ。私はそう思う。嫌われるかもしれない。命まではとられまい。
 いま、世の中がウヤモヤになっている大きな原因が、他人へのこころ配りの欠如からきていると私は思っている。
 自由を履き違え権利を主張するが義務を果たさず。そして、その物差しが曖昧になっている社会。
 こんな事を言うと嫌われるから黙っておこうという人間が増え過ぎた。講演の中身ではないが、都会ほど老人の孤独死が多いというのも現代の病の一つで同根だ。
 昔の文化というものがどんどん減っている。相互扶助の”ゆい”などは形骸化して中身がない。葬儀を見ているとその事がここ10年で見事に変わった。業者が全て請け負ってくれる、灰皿一つもオプションで請求される。結果として”お金”がないと葬儀も出せないということに。事業仕分けで話題になったばかり、「何が無駄か」という判断は価値観の問題と文化の重さ。
余談だが、昨日知り合いのお医者さんとお茶を飲みながら話した。今の仕組みはどこかおかしい。膨大な資料を用意し、複雑で全く利用者の立場にたっていない。忙しい忙しいと言いながらも自分たちの仕事を作っている。これこそが本当の”ムダ”だ。まさに医師会でも我々と同じ疑問をもっている。戮力協心して、どうですか、ああ・・・疲れる。
 知るぬ存ぜぬ、楽な道を 歩むと言え! 1日1っぽ 3日で3歩 3歩すすんで2歩下がる。♪・・
 

1394:組織活性化

確信は持てません、ただ、相手がいることだから自説という意味で、組織の活性化とはどうあるべきかの一語り。
 月曜日から水曜日まで、会議が6件ありましたね。全てに出席したのです。水戸と土浦、東京へ行ったり来たり。
その時思ったのです。何故自分がそこにいるのかという事でした。私が主催する会議には、なるべく出席者に一度は意見を言ってもらうようにしています。黙って頷くばかりが能じゃない。そんな事を言ったら、次回から委任状でしょうか。でも、そうじゃーありませんか?皆さん、大切な時間を割いているわけでしょう。
 いま、一つの団体の長を任され、4年目を迎えました。信じて下さい、誰かにバトンタッチしたいです。しかし、これで良いのか?
 こんなモヤモヤ感がありまして迷いもあります・・・・昨日の会議であるデーターを知りました。大阪市に次いで全国でビリから2番目だと、それが何故かわかりませんが、秋田を抜いて今年はビリから3番目に茨城県がなったという。その報告をする県の担当者も苦笑い。聞いている我々も喜んでよいものかどうか???しかし、ここだけの話、彼は良くやっています。今時珍しい皆さん誉めてます。
 私は国が示す統計をあまり信用していない。その理由は学者がいう組織論と似たりよったりだと思っているからだ。良いとこ取りの根拠なし。
 例えば、茨城は小児科や産科の医師の数は全国統計ではやはりビリから2番目位をウロウロ、しかし、乳児の死亡率の低さに関しては全国トップクラス。これは何を意味しているか!わかるでしょう、地域力があると言う証ですよ。地域の潜在するチカラでござんしょ。男が弱くて女が強い?
 そこの報道は全くない。考えようによっては1歩も2歩も全国をリードしているとも考えられませんか。豊なんですよ我が茨城は、そうだっぺー そう思うほかあんめー。(ちくしょう)
 福祉だってそうだ。障害者の授産工賃が全国平均からすると大分下回って40数番目。これだけを見ると、こりゃー問題だわなという事になるんです。しかし、実態をみるとなーんてことありませんよ。だって全国平均が9000円ちょっと。皆さん、これ日給じゃーありませんから、月給ですから。威張れた代物かってーんだよ。だもの全国平均を超えたからそれが一体なんだってーんだ。おかしいんですよ、国の目標の設定が。頭デッカチが考えるこったわな。私は、価値の判断というものは、表に現れた数字だけでは絶対にはかれない、その背景を精査しないとと考えております。
 ひもつき補助が問題になっていますわな。茨城は自慢じゃないけど、県単補助なんか元々ないんだから。
 関東地区長会議に出るといつも冷たい視線を浴びた。なに言ってる!補助なしでやってる”おらが県”が偉いんだ。誰も相手にはしてくれません。この負けず嫌い目がと言われ続けてまいりました。それが、全国トップの補助が付いている神奈川の某政令都市(横浜市という)の方が言っていた、「補助金がどんどん減らされて、これからどうすればよいのか問題ですよ」「何いってんだーよ。こちとら元々無いんだから、ざまーみろ!」
 だが、慢心はいけませんよ。法人の自立なんて話が有りましたが、そんな時代じゃーないでしょう。社会福祉法人がそもそも甘い、そんな目線をモロに感じないと駄目。
 そして、いよいよ組織の活性化の持論。先ずホンネが言える場が必要、相手の様子伺いやマネでは駄目。アイデア・実行力・勇気・・・・リスク・責任  この事に真正面から立ち向かう組織。この中で一つでも欠けると、組織の活性化は生まれない。
 ならば、ホンネはどうすれば出るか。反応など気にせず、まず隗より始めよ。
アイデアはどうする。自ら足で稼げ。実行力と勇気は??そんなこと言わずもがな。リスク?? これって生きている以上、何やっても付き物です。(お釈迦様やキリスト様が言っておりました)。責任・・・・これがホレ、またかと言われそう。ウーmmmm どうすべー。
 偉い方がmmmmm ホレ何と言うかmmmmm チクショウ。早く辞めて、誰かにゆずれってーんだよ。

1395:めずらしきもの

今年は暖冬?雪が良く降りますね。昨日は天気予報通り、朝から大粒の雪となりました。案の定、通所の利用者さんはお休みが多かった。
 犬は雪が降ると大はしゃぎ、でも私の家にはいません。いるのは私の相棒のハナ、コタツの私の定位置にこれでもかという位、小さく丸まって微動だにしません。猫はだめですね。贅沢に育てては。外で遊んでこい。
 寺の庭にいる子供地蔵さん。頭に雪を被り、必死にこらえている。「おお 寒さむ・・」 むずらしきものが降りました。大学の先輩が新潟にいまして、会社が道路の整備関係、今年はラッセル車をフル稼働しても間に合わないと喜んでいました。
 私の愛車”プリウス”がどうなっちゃうのでしょうか?リコールになり、昨日ドッグ入り、ついでにスノータイヤに交換してもらったから、昨日の雪は問題なし。トヨタ式経営戦略なんて本が沢山ありますが私は読む気にならない。効率性をトコトン追求し、ライン作業でやる位のことは知っている。でもマネしようとは思わない。
 それがどうしたことでしょう。ブレーキの不都合?クレームが発端。そういえば私の車も正直違和感を感じたことがありました。これもギリギリの低燃費対策?なにせエコブームの最先端の車、トヨタ技術の売りの部分。だが、それも事故につながるのでは消費者は黙っていない。アメリカ議会での社長の聴聞要請、良く判らないのですが、現在の社長は創立者の直系の方ですよね。 
 これまた創設か守成か私の好きな議論に、まーー止めておこう。
つまり、世の中は一人勝ちは許さない仕組みがあるということでしょう。例の攻防のメカニズム。これって有史以来続いているんですよね。競争は技術の進歩や生活の向上に貢献はしましたが、果たしてこれで良かったのかと言えば疑問が残ります。それに気付き始めているのです。
 経済の仕組みに関しても実は良く判らない。例の世界同時不況で各国が膨大なお金を市場に投入しましたね。その効果が出始めているようですが、バラつきがあります。日本は不況脱出のスピードが他国と比べ遅い。素人でも判りますよね。物があり余る日本とそうでない国(中国・インド・ブラジル・・)新興国の違いでしょう。現政権が頭を振りしぼり経済対策を提案します。でもどうも歯車が噛み合わない。それどころか裏の事情が見え隠れするものだから、余計不安になってしまう。
 いま、日本で元気がある店っていうのは、安いものを売っている店でしょう。良い物を長く使うという価値観が日本人にはありません。特に我々の世代から、大量生産大量消費に慣れてしまったからです、これ国の政策だったんでしょう。だから家の中を見回せば、いらないものばかりがいっぱい。デパートに行ってまで、わざわざ買いたいものが無い。
いらない物の一つ、ピアノ、尚恵学園には一体何台あるでしょう。一部屋に3台もありまして、動かしたいが動かせない。
買ったものは1台もなく、いただきものばっかり。専門業者に引き取ってもらうことにしました。
 この状況はちょっとやそっとの事では変わりません。秋葉原に行くと判りますよ。外国の皆さんが札束を持ちこみ、炊飯器3台、ポット3台と纏め買い、女性はメイドインジャパンの化粧品に目の色かえる。
 安かろう悪かろうでは駄目な時代から、日本人の購買意欲に変化あり。それは成熟(?)国の避けられない道かもしれませんね。
 物が溢れる社会でめずらしきものを探すのにも苦労する。
 カメラを片手に田舎を歩く。そこに今まで目にとまらなかった草花が輝いて見えた。そんな経験ありませんか?
新たな価値観の創出は、経済の動きと全く正反対の処にそのヒントが隠れているのかもしれません。人生、高々長生きして80年、事業の成功失敗に頓着するなかれ!結局はどう生きたか・・・・でしょうね。
 

1396:諸行ノ法

梅宮辰夫さんと立花隆さんがテレビ『旧友再会』という番組に出演していた。お二人は茨城大学付属中学で先輩後輩、両名とも陸上部で高跳びの選手だったという。卒業後の歩む道はそれぞれ違ったが、昔を懐かしむ二人の姿は50年前にタイムスリップ、老境に入る節目の年代で自らの人生を振り返り、これから先の自分を見つめる。お二人の共通するものは、大病を患ってきたということ。しかし、病気と真正面から闘い続けている。この精神力の強さは何からきているのか興味があった。
 次の世代に任せなければならないと知りつつも踏ん切りがつかない。こうやって先輩達も自問自答しながら過ごしていたに違いない。若き時ならば多少の無理がきいた事も今ではそのリバウンドが恐ろしい。出来るものならば燃え尽きて自分の人生を全うしたいと誰しもが望むだろう・・・・・。
仏教の言葉を思い起こす。
”諸行無常 是生滅法・・・”その意味は「あらゆるものは変転して尽きないもので、これが生滅の法である」という。
 日々の移り変わりに一喜一憂、嘆き悲しみ、笑い喜び、妬み恨むと斯様な心の揺れと共に人間は生きている。自らの人生を振り返れば、今に至る道、自分が成し得たと思う事がなんとちっぽけで取るに足りないものか。嘗て太宰や谷崎という文豪が悩み苦しんだ姿が彷彿としてよみがえります。彼らは自らの葛藤を文字に著した。
 明日は我が身などと悠長な覚悟は許されない。日々是生涯という心境で一日一日を大切にすごす以外ない。今まで世話になった人びとを思い起こしながら、これから先自分がどうやってその恩に報いるか。そこに大いなる人生の価値がある。
 多分、このような思いも直ぐにどこかに行ってしまい、忘れてしまう。だからこそ我々は生きていけるとも言えるのだ。
兎に角、人間は自らが想定しなかった事態が起こった時に深く反省し悔む。体調の異変など忙しさに感けて気付かない方が大半だ。山あり谷ありとは良く言ったもの、絶頂期には感じない人の優しさや愛おしさをトコトン思いしるべきなのだろう。人間はそれ程頑強にはできていない、一人では生きていけないからこそ無常を感じてきたのだ。
 今の自分をありのままに受け入れる勇気は、個人差はあっても誰も手伝ってはくれない。
 孤独を背負い、自らの死を恐れ、そして何かを伝え残したいと願う。
 諸行の法とは、様々な説が有る。それら全てが自分自身で求め続けることでしか判らない。それと忘れてならない事は、何か大いなるものに見守れているという安心を。
どうしていまこのような事を書いているのか?良く判らないのだが、何か必死に答えを見出したい心境だ。
 今日は、さがみ野ホームの佐竹さんを講師にお呼びして、高齢者への対策を学ぶ。
年齢ではない、利用者一人一人の生活を見ていると個々に合った支援があるはずだ。諸行の法と正しく同じで、常に変化する。答えがあるのにそこに到達できないジレンマ、人生の終焉を迎える時に【その人らしく生きた】という称号が贈れるか!
 そうね。自分が自分らしく生きられたかという確信が持てないで 何をか況んやでしょう。
 

1397:研修効果

昨日は日曜日、年1回の家族会の研修を行った。皆さんの関心が深いのか多くの家族が出席してくれました。テーマは「高齢者への対策」ということで、日本で最初の高齢知的障害専門入所施設を30年前に開いたさがみ野ホーム現施設長の佐竹先生が講演してくれた。
 判り易い約1時間半の講演の後、質問に入った。職員からは膨大な量の質問が事前に出されていた。時間が無いので主なものだけ、それ以外はメールで送った。家族からの質問は、予想通り、年老いた時にいつまで施設に入れるのでしょうかというものだった。
 さがみ野は何しろ利用者の平均年齢が72歳、最高齢者が91歳という施設だけに、日課や体調管理など示唆に富むものが伺えた。また、老朽建て替え計画もあるようで、私はそこに関心があった。高齢者が生活する上での環境への配慮、現在の設備で仕方がなく利用している我々にとっても最大の関心事は建替えである。土地の確保は当然であるが、建物の中身に関しては失敗は許せない。少なくとも築後30年以上は使用しなければなるまい。できるだけ最近の建物の状況を調査しようと思っている。
 また法人の基本的な考え方として、利用者の幸せは勿論、家族の安心や職員の安定が不可欠な条件だという。そして施設の経営も成り立たなければならない、それら全てが満足できることは有り得ないし、どの辺で妥協しながらやっていくか、そこに創意や工夫が重要になるという。全く尚恵学園の掲げる”共生”と同じ考え方で抱える課題も同じだ。
 昼食を一緒にしながら、職員の研修の受け入れをお願いする。快く引き受けてくれた。
 自らの反省として、最近は視野狭窄に陥っていたのではないかという思いがある。中長期の見通しの中でいまをどうするか!その道筋が不鮮明。
制度が定まらず彷徨っている事にいくら不満を言っても、根本的な解決には結び付かない。
 事業の適正規模、小粒だが光を発する存在でありたい、・・・・。”光”が何?事業を続けて行く上で常に追い求めるものでそれこそがエネルギーである。
 次年度の計画案作りをしている。3名の退職者があり、6名の新採用を行った。事情が有って尚恵を去られる方に感謝、そして、これからの人生に幸あれ。6名の新たな職員に期待する。貴方達の思いを実現できる場であって欲しい。
 我々の研修の問題は、学んできたことをどう活かすかという事。報告会の充実と共有化。一人で学んできたことがその人の中だけで埋もれていては何にもならない。だからと言って現場を蔑ろにして会議ばっかりやっているわけにもいかない。その解決策が見出せない。誰か妙案はないでしょうか?
 一つのアイデアとして親子の触れ合いを増やし、その間に会議を持つのはどうか。しかし、面会家族が年々減っている中でどうなのか?さがみ野の宿命として家庭帰省できる方は全体の1割でしかないという。職員は年休もとるのが難しい。非常勤職員を多く雇って隙間を埋める努力をしているそうだが。
 尚恵学園も長い歴史をもっている。それがプラスに活用できているか?大いなる疑問がある。”慣れ合い”という虫に食われていないか?特に経験が長い職員に口酸っぱく言って来たこと。反発をせず、黙ってしまう職員に大いに不満。
 正直、そのような職員がいくらいても新たな発想はでない。政治と同じ、自民党の再生はできない。過去の柵を引きずっているではないか。ここにメスを入れる勇断が望まれている。出来るか否か?
 自分の中で仕舞い込んでいた計画がまた沸々と湧き出てきた。時間を貰って、自らの研修をしてきたい。
 尚恵学園の50年の歩みは、児童から成人への実践だった。そしていま終末期をどうするのか?明確な方向付けが望まれている。
 言うまでも無くこれこそ人間の最終のテーマである。誰しもが遅かれ早かれ経験すること。インドの教えにある遊行期(samnyasa)の有り方だ。
日本の介護制度に問題あり。老いることへのマイナスイメージを払拭できない。そしてその観念の固定化。
 教育・医療・福祉の一貫性の欠如は、何も制度だけではなく、人間の一生をどう考えるかという根本的な問いだ。
 それなくして贅沢な建物をいくら用意したところで満足して終末を過ごす場には絶対に成りえない。それこそ事業所オーナーの自己満足でしかない。残念だがそこへの評価が高い国が日本だと言えないだろうか????
これを私は成熟社会の寄り合い所帯だという。個の確立がない。
 

1398:履き違い

勘違い・見間違い・気付かない・・・・などの言葉が浮かんだ。よーく考えた。やはり、これは”履き違い”だと思った。・・・・以上が今朝みた夢・・・・・。
 いまマスコミ報道は、バンクーバーオリンピック一色という感じ、でも今一つ盛り上がらない。それは日本選手団のメダル獲得数?確かに毎日送られてくる中継を見ていると大半の人がメダルが取れたかどうかに先ず関心が向く。「参加することに意義がある」イベントと言っても、いざ競技が始まってしまえば、良い結果を期待する。これは仕方が無いでしょう。選手だってそれを目標に望むわけだろうし。(*しかし、あまりメダル数偏重がすすむとジプシー選手が多くなりますね)
 これを大人気無いと言われれば甘んじてその批判を受けます。名前は知らないが大会前、偉い?格好をして成田を出発した若者がいましたね。彼は結局開会式には出られなかった。競技結果も高難度の演技に挑戦したようですが、失敗しメダル獲得に至らなかったということを新聞で知った。
 ここに”履き違い”という言葉が浮かんだ。これから将来のある若者だ。若くしてプロの世界に入ったとか言うが、彼の周囲の人へ一言言いたい。個の尊重とか言う前に、日本の代表であるということをどう考えるか。一言アドバイスをしてあげて欲しかった。早めに帰国した彼は出発の時とは全く違った格好をしていた。そして、「反省しています」と。
 スポーツ界が確実に変わった。同種の例はいくらでもある。プロボクシングでなんとか兄弟の言動に異議あり。相手を小馬鹿にしたような態度、結果はチャンピョンになれたようだが、私には感心できない。今年、相撲界を辞めた横綱も同じ。
 スポーツファンの意識が確実に変わっている。結果が良ければ他は大目にではないと私は思う。新渡戸稲造ではないが、武士道の「道」という本義が結果優先の価値観に押し流されていると思えてしまう。
 でも良く考えてみれば止むを得ぬ状況が今の日本にはあるのではないだろうか?
先のスノボー選手に対する周囲の対応と政治とカネの疑惑騒動がダブる。民主党の数最優先の選挙戦略に何があるか。
国民目線どころか、黙りこみ作戦でじっと時が経つのを待っている。時と場合によって使い分ける理屈、そこに国民感覚との乖離がみて取れる。事の真相は司直の手に任せると言いながら、一方では国策捜査・強権乱用だと批判する。
 それよりも残念なのは何も言えない議員の皆さんに嫌気がさす。貴方の政党に他に変わる人物がいないのですか?
 いま確定申告の期間だ。果たして今回の納税者の数に何らかの影響が出るか否か!「私は全く知らなかった」と言えば許される日本なのでしょうか。そして、その陰で責任を取らされる人がいる。国のトップの人達がこうだもの、オリンピックに送った若者がヘンテコリンな格好をしたって文句が言えないでしょう。彼はそこまでは言わんと思うが、「国の偉い方だって・・・・」これこそ日本にとって恥ずかしい事態だと思う。
 英国式議会民主制度を取り入れたいとかいっていましたが、あの国は紳士の国でしたよね。
 ”履き違い”とは広辞苑を引くまでもない。『自由とわがままとを履き違える』という意味に使われます。
公人としての立場は、それなりの既成が働いて当然だ。もしも自分の考えが絶対だという思いあがりがあったとすれば、周囲の人が注意して当然だと思います。今のままでいくと、”日本丸”がどこにいくのか不安になりませんか。
 こんな状況で政党再編があるのであれば、悲劇ですよ。
 こうやって相も変わらず、アナリスト気取りの自分に誰かが注意してくれる。〈もういいではないか、お前さんだって大したことできないんだから〉と。その誰か誰誰誰????
 履き違えは、よく考えないと、迷惑をしている相手がいるということを。買ったばかりの靴が片方無くなったという感じがしてならないのです。
 

1399:木内マジック

常総学院野球部監督の木内幸男氏の講演会があった。
監督として甲子園戦歴優勝3回(春1回・夏2回)準優勝2回で通算成績が59戦で40勝19敗。木内マジックという異名を持ち、勝利監督のインタビューでは茨城弁丸出しでおどけたコメントをするので有名になった。昭和6年生まれというから78歳、一度引退したが再度監督に推されたのが2年前、現役監督では全国でも最高齢だ。
 約1時間半、立ったまま話されたのはさすがだ。最近、甲子園で勝てないという話から始まり、段々熱が入ってくると止まらない、プロ野球で活躍する教え子達、仁志や金子の名前が出てきた。1億円プレーヤーである。彼らは何かあると木内さんに電話をかけてくるという。今回、仁志は日本から単身大リーグに武者修行、自前でコーチ行を学んできたいとの相談があったとか。その時、「お前、少しは金が貯まってんだっぺから、1年とは言わず2年位行ってこい」と言ってやったと。50年以上ユニフォームを着ているから教え子も多く頼られる。
 笑い声が絶えない講演であった。
茨城がどうして勝てないのか?それは全国から優秀な選手を集めなくなったからだという。茨城にも優秀な選手がいるのだが、茨城県人はハングリーな精神が無いから駄目だと言った。親が優し過ぎるんだとも。それと茨城は可住面積が広く、どこでも住める。学校が分散しているからオール茨城のチームが出来にくい。
 最近の若者は野球を”楽しく”やりたいという。これが曲者で、遊びと混同していると嘆く。
講演テーマは「高校野球における人材育成」だった、でも始終脱線した。先の金子選手が最近電話をしてきたという。「監督さん、なりたかなかったんですが、1億円を超えてしまいました」と。これは1億円以上の高級を貰えば、それだけの実績が要求されるから、できなければ首になるというプロの厳しさを言っている。
 プロの選手ならば誰しもが憧れるスター選手、裏の事情はいろいろだ。野村監督の引退コメントを紹介した。
「自分の監督人生で結果は残せなかったが人を残した」という話をした時は自らを振り返り、教え子たちの活躍が嬉しくて仕様が無い物わかりの良いおじいちゃんの顔だった。万年最下位の楽天をゼロから育てた野村さんの手腕は凄い。プロの監督と高校野球の監督の違いも話された。これも無名の常総学院という新設高を育て上げた自分自身とダブるのかも。
 最近の高校野球は変わったという。昔はワザで勝利を掴むことができた。これこそが木内マジックと言われる所以であろう。しかし、最近は体力で捩じ伏せる戦略になったという。鍛えるだけの素地がある選手を集める学校には敵わない。
 毎年夏の大会の常総学院の出る県予選は見に行った。木内さんはベンチのバックネット側(定位置)に座って動かない。試合が拮抗した時、突如動き始める。選手交代や顔を真っ赤にして叱る姿。これこそ闘将の本領発揮。
木内さんは選手を子供たちと呼ぶ。そしておだてることが上手い。
 話の中でその真髄を披露、「おだてて育てると苦境に弱くなる」と言った。飴とムチではないのだろうが、相手に応じて変幻自在に手法を変える。高校野球のレベルが上がり、選手の体力も向上した中で全国に通じるチームを3年間でつくることは並大抵ではないはずだ。
 いま、常総学院の副理事長という肩書をも持っている。全く知られていなかった学校を一躍全国区にした功績からの勲章か。少子化が進み、学校経営も難しい時代になった。生徒募集に苦労する学校がほとんど、その中で常総学院は常に入学希望者が絶えない。
 私の友人も現役教師で勤めているが、進学コースもあって学業も県内ではトップクラスにまでなっている。
 人材教育というものは、どうも聴く側の責任で整理しなければならなくなった。実績の充分ある監督の話だけに的を得た話が多くあった。当然な事でしょうが指導者は野球が元来好きであること。それと子供が好きなことが条件だということだろう。木内マジックの真骨頂は、思いつきや閃きの采配と取られがちだが、決してそうではなく、場面や流れを冷静に判断し、自軍の持ち駒の能力を普段の練習で掴んでいるから結果を出す。これが組織作りの基本だ。
 今年の春の甲子園は常総学院がインフルエンザで予選を辞退したので盛り上がりに欠けた。案の定、関東大会では成績が悪く、甲子園出場チームは久しぶりに茨城代表が無い年となった。

1400:茨城再発見

昨日は小町の里という処で昼飯を食べた。小野小町ゆかりの地で旧新治村(現在土浦市):なだらかな山を背景にのんびりムードたっぷりの処。何故か知らないがそこには水車が回っていて、そこの蕎麦が美味しく何度か食べに来た。昨日は気温16度、上着もいらない暖か陽気、前の水田はハングライダーの着地点?自由人達が屯していた。
 その店は多分、第3セクターかなんかで経営されているのか、商売っ気まったく無し。何しろ商品を売ろうとしない。
 天もり蕎麦の大もりを食べる。蕎麦はコシがあって上手かった。
 その後、約束していた施設に向かった。万葉の道とか言って筑波山までの歩道が整備されていると聞いた。昔栄えた町も今では筑波線が廃止となり、ひっそりと静まりかえっている。ちょっと時間があったので山裾に車を停め、外に出ると綺麗な小川が流れている。覗いてみたが魚は見当たらない。澄んだ水でそのまま飲めるようでもあった。
 今時、珍しく焼畑?所々燃やした後が残る畑?道が狭く、車がすれ違うのは無理、全く車が入ってこない。ぼんやり山を見ていたら、信州か斑鳩の里にいるような錯覚になった。
 こんな場所で生活できたら良いだろうな。時間になったので施設を訪れると園長さんが待っていてくれた。少し離れた新しくつくったCHへ案内され、説明を受けた。話の節々に出るのは、この仕事は切りが無いということ、次から次にやるべき事が浮かんでくる。全くの同感だ、お互い創設者ではなく、2代3代目、想いはこれからどうなるんだろうかという不安。言わなくともその事はお互いに了解している。
 時代と共に障害者観が変わっている。家族の意識とそれを支える人達の考えが随分変わった。変わらないのは当人だけ、彼らは天真爛漫そのもの。昨日訪問した折に、そこの利用者が後ろから声をかけてきた。
「なまえ だれ?」「うん・・」「なまえ だれ?」「すみたといいます」「なにしに きた?」「あそび」「うん・・・」
手でバイバイを言ってどこかに行ってしまった。後で伺った話、利用者で家庭に帰省できる人は1/3以下になったという。
 彼らは人懐こい。誰かれ構わず声を掛けてくる。そして、その事に頓着がない。
なにか山懐に包まれ、ノンビリ過ごせたらどれだけ良いだろう?彼らの素晴らしさ、個性豊かで人間味あふれる感性が本当は現代人には一番必要なんだと思うな。それが現実はどんどん違った方向に進んでいる。福祉も最早、商業ベースにのせられてしまった。その結果、やっている内容は全く変わらないのに仕組みを綾取りのように複雑に判り辛くしてしまった。
 マニュアルだ。苦情処理だ。感染予防だ。・・・・だ・・・・・だ。と締め付ける。利用する彼らには関係ない。トイレで新しいロールを全部使わないと気が済まない人は相変わらずだ。あたりかまわず大声をたてる人も相変わらず。。。。。なんにも変わらない。
 多分、今の福祉が向かおうとしている先は、綺麗ごとが罷り通る世界だ。ここに弊害(理論乖離)がある。手のかかる人は相変わらずたらい回し、大人しく言われた事をきちんとできる人が事業所の広告塔になってはいなか?
 本当は、彼らの個性が育まれる場所であるべき、建て前が前面に出てしまったズレ(地滑り)が目立つ。
 同じ福祉に拘わる一人として、こんな事を言うのも気が引けるが、日本中どこにいっても一際目立つ豪勢な建物は老人施設、どこか変ですよね。一人のお年寄りに初期投資(設備関係費用)1500万以上掛けている。それでいて地域と密な関係とかいう。地域の人達との生活環境(家や屋敷)が全く違いますよ。
 建物が目立つことは間違いだよね。お金が有る人だけが利用できる事って変でしょう?
そこの処の変革が「コンクリートから人へ」というスローガンに含まれるならば判ります、でも、どこでOKの線引きをしますかね。お手並み拝見。
 チグハグなんだよな!一貫性にかけるんだよな!
昨夜、ラジオで聴いた。段ボール生活を自ら選んだ人達。その中に理由は聞き取れなかったが、「この生活はストレスが全くないんだよ。 社会でうつ病になった人は是非やってみると良い。すぐ治るから・・・・」
 そうかもしれません。周りの目を気にし過ぎる生活に耐える事はストレスだ。頑張ってがんばってどうしようも無くなった時にどんな道がありますか?この今の日本に。 これこそ個の選択、人間としての自らの選択だと思った。
 メガ企業のトヨタがアメリカで袋叩きにあっています。頭を出せば必ず叩かれる、その辺のサジ加減は難しい。
今の政治も大政翼賛会だとか、社会主義だとかという決めつけ議論が無責任に言われています。自らの事は棚に上げて。
 

1401:リセット

もしも貴方の人生を1回だけリセットできるとしたらどうしますか?
 今のままで良いと答える方が多いか少ないか。自力か他力か。絶対か相対か。云々?昨日の天気は変だった。東京湾周辺が濃い霧で羽田発着便が軒並み欠航、今時、有視界でしか離発着ができないのだろうか?日本を代表する空港が実は自然(霧)に弱かった、管轄は国土交通省、前原大臣も踏んだり蹴ったりだわな。トヨタの問題が世界中を駆け回り、日本としても何らかの対応をせねばならない。
 八ツ場ダムの工事関係企業からの献金問題が自民党へも飛び火、ああ・・・・・なんという国なのであろうか?
 そんなことを思っていたらバカバカしくなった。次期選挙に棄権か白紙で全国民が投票に望んだら、どうなるのだろう?突然湧いて出た濃霧のごとく、いままで築いてきた全てが麻痺状態になるのか。シメシメと陰で喜ぶものもいるだろう。
 投票に一味追加してはどうだろう。名前を書く欄の下に、「指示する人無し」というものを加え○記入してもらう。
 これって民主主義の根幹に触れることですか小沢さん?? 
まさに末法の時代である。ならばどのような人間が救世主となりうるか?いるのかいないのか?イナイイナイバー!
 いま何をやっているかなー?福島の山祭町の町長さん。あの人の発想が今の永田町にはない。
 いまはどうなったか知らないが、当時は議会は廃校になった教室でやっていた。イスと机は子供たちが使っていたものだった。町長の応接間のソファーは至るところが破け、ガムテープで補修してあった。議員の給与は日当性・・・・
 何故、国会でそれができんのですか。カネがかかるようなことばっかりやっている。見栄張りもいい加減にしろだ。
 CO2排出の目標数値、国会が模範をしめしなさいよ。高級車は全員が止める。軽自動車で国会へ。議員会館は出来てしまったから仕方が無いか。国会は直ぐ隣り、だから自転車で通うこと。上に立つものが先ず範を示せだ。
 風呂の改修や脱水機は、自分の給与から支払うべし。・・・・・・・
 膨大な費用がかかっている国会審議、なんと低レベルの議論を貴方達はしているのか?「悪かった、それもそうだ。自分で払います」と言えばそれで済む話でしょう。それを、以前も同様の支出がありましたとかなんとか言うから、またムダな議論となるんですよ。1年で風呂を改修する家が日本のどこにありまっか??
 いま、国民が次の選挙に投票する判断になる明確な根拠がない。似たりよったりで全く判らない。そこで私の提案。
この指とまれ!
 ○政党のマニフェスト・・・国会議員の定数を半減する。給与(?)も半分。秘書の数は2人まで。日払い制
 △政党のマニフェスト・・・議員数は現状維持。国家公務員を半減する。
 ×政党のマニフェスト・・・自家用車は持たない。軽自動車と自転車は可。
 ?政党のマニフェスト・・・公約なし。どうせ守れないから。
これで一度選挙やってみたらどうだっぺ。
日払い制なんですが、これには曰く因縁がありましてね。障害者自立支援法で日払い制にしたんだから、当然アンタ達も同じだということでしょ。国民みんなが怒り心頭に・・・・だ。
 それと、滑ったころんだいろんな出来もしないことを並べても仕方ない。議員定数一つで良い。皆さんが暇過ぎるんだよ。議員定数を減らせば行政改革だって進むよな。まず自ら範を示す。これって何かにありましたよね。中国の古典?
なんだったかな・・・・。
 土光さんみたいに清貧に生きた人だからできた事。今の経済界だって一人勝ちを謳歌している連中が多過ぎます。
果たしてこれぞコペルニクス的改革という妙案が出せますかな。

1402:祭典

バンクーバーオリンピックが華やかに開催されている。4年に1度の祭典は毎日茶の間にマスメデアによって届けられています。浅田真央ちゃん銀メダル、良く頑張ったね。日本中の人達が貴方に拍手を送っています。

 水を差すようなことを言いたくないのですが、この後直ぐに開催されるパラリンピックの取材番組を見ました。全てにおいて”月とスッポン”、パラリンピックはご承知のように障害者のスポーツの祭典です。オリンピックと同じ会場で直後に行われます。 日本だけでしょうか?パラリンピックに出場する選手への助成金の少なさ、それと日頃の練習での不便さ。彼らは”日の丸”を付けて国の代表として参加するのです。自前で遠征費を捻出しなければならない実態、2つの同じスポーツの祭典の大きな格差、どうにかしないといけなと思いませんか?
 今回のオリンピックでは隣の韓国の選手達の活躍が目立ちます。国の入れ込みが全く違います。もしメダルを取ったとしたら、韓国では一生を国で保証するそうですね。だから、勝負にかける意気込みが違う。
 国の事情がありますから、一概には言えません。事業仕分けの中で、そのような意見は出なかったのでしょうか?
 また、私などが関係する世界障害者スポーツ大会は、また違った実態があります。簡単に言うと、”手造りの祭典”ということになります。特に知的障害の人達のスポーツ大会はその傾向が色濃くあります。それを望んだのではなく、手造りでしか開催できないという事情があるわけです。
 どうして、この格差が生まれるのでしょうか。国連障害者権利条約の批准を現政府は約束しました。G7やG20という経済先進国の国際会議に常連の日本は、果たして障害者にとって先進国と言えるでしょうか?
 日本の現状は、国民のスポーツ振興に関して省庁の既得権が複雑に絡んでいるようです。オリンピックは文部科学省、パラリンピックは厚生労働省が主管省庁です。でも、これだけではない実態があるのです。スポーツ振興の膨大?な予算を持っているのは、実は国土交通省ということです。皆さん、何故だと不思議に思われますよね。私も知らなかった。
 そうなんですよ。箱物に日本は掛け過ぎるのです。ですからどこにいっても素晴らしい体育設備が建っていますよね。
 果たして充分に利用されているでしょうか?使用の規定が面倒で、特に障害者にとっては利用できないものが多いというのが実態です。
 また、政治の話で恐縮ですが、言わないと気が済まないものですからお許し下さい。昨日、自民党が審議に復帰しました。これもどうかと思いますがここでは触れません。田中さん(無所属クラブ)が質問していたのを偶然テレビで見ました。
 生活保護の実態について質問したのです。一体いまの日本でどれくらいの世帯が生活保護を受給しているかを鳩山さんに尋ねたのです。その時の様子が眼に焼き付き離れない。鳩山さんは手持ちの書類を捜していましたが質問者の田中さんが用意したパネルを指さして「総理、ここに書いてあります」と言った場面からはっきり覚えています。
 この時、ああ・・・生活保護に対する意識はこの程度のことなんだと直感しましたね。慌ててパネルを覗きこみ、「ああここに書いてありますね。そう65万世帯ですね・・・・」(鳩山)????「いや違います、こっちです。130万世帯。以前と比べて2倍になっています」(田中)
 別にこの遣り取りに文句を言うつもりは有りません。総理が全て正確な数字を覚えられるはずはありませんから、しかし、問題なのは、双方に深刻さを感じなかった遣り取りです。こっちのほうが私は問題だと言いたいのです。議事録に載せたかどうかしりません。
田中さんが余談?にプライベートな話を挟んだ。それを聴いていた予算委員会の殆どの委員が失笑をした。その委員会の雰囲気を問題だと私は言っているのです。自民党が審議に復帰したことも当然ですが、その委員会の危機感無しの慣れ合い審議に異議があると私は言いたい。
 生活困窮者がどれだけ苦しんでいるかという審議の最中に、今私は○と同居して4年になりますが籍はいれていません、鳩山さんがご存知のように・・・・・何故こんな事を質問の間に言うのか、それも全国放送中と知りながら。
 この危機意識欠如はどうしようもない。この時、田中という人間の実態をみました。要するに上辺だけの討論を相も変わらずやっているという証だ。これに対し彼らは異論が言えますかってーんだよ。
 与党も野党もこれでは、子供さんの教育費と思って貯めておいた郵便貯金を解約し、遠征費を振り込んだという障害者スキー日本代表のお父さん(彼の家族は父子家庭)、どう思いますか??
 障害者福祉を抜本的に見直すと貴方達は公約にうたいましたね。そして無駄を徹底的にあぶり出すとも。
 しかし、本当の無駄は危機感欠如の国民受けパフォーマンス論議でしょう、その事を国民一人一人が感じているという事を永田町という別世界に胡坐をかいてしまった人種には判らない。
 提案)今回のパラリンピック代表の皆さんがもしメダルを取れなかった時、国会議員のバッジを付けてもらってはどうでしょう!
 彼らは多分、拒否するでしょうがね。政治に一生を捧げると言いながら、自らの保身に血眼になっている。そこに、なんら魅力を感じない人が大多数、政治が本当の勝ち負けを決する職業ならば、大切な審議中に居眠りや小馬鹿にしたヤジは出るはずがないと言う事ですよ。真面目にやって欲しいものです。
 

1403:弥生3月

”早春とはいえ肌寒く・・・・・” 本日より3月になりました。
 昨日は日曜日、親戚の結婚式が東京でありました。車両の故障で電車時間が乱れ、どうにか間に合いました。場所は渋谷近くの表参道・・青山通り、あいにく冷たい雨が降りしきっておりました。久しぶりに会った親戚に挨拶を交わし、両家の親族紹介、ちょっと時間があるのでお茶でも飲もうと、通りに面したコーヒーショップ、メニューを見て一瞬「コーヒー1000円」次に「この田舎者!」 と一人恥じらいを感じた。
 最近の結婚式は変わりましたね。お決まりの挨拶は程々に、シツコイ出し物もなく、新郎新婦が各テーブルを回りながら話しかける。この日は日柄が良かった。そこのホールでも何組もの結婚式があった。終わりに近づく頃には雨も止み、春の眩しい日差しが輝いていました。
 親戚に挨拶して地下鉄銀座線で上野に向かう、するとチリで起こった大地震の影響でまたまたJRはダイヤが乱れていた。津波の避難指示・勧告が149万人、海沿いを走る鉄道は軒並みストップ、幸い常磐線は定刻通り、疲れ果てて土浦に着いたのが5時を過ぎていた。
 日曜日の表参道の賑わいは、大東京そのもの、その日は東京マラソンもあったから、尚更だ。東京から然程離れていない茨城の嘗ての商都・土浦、人通りも無く、閑散とした目抜き通り。これぞ地域格差か。一杯1000円のコーヒーといつも立ち寄る駅のスターバックスの300円の味と変わりなし。
 何が理由で価格が違う。そうだね?雰囲気かね????雰囲気を金で買う時代になってしまった。
 これは如何ともし難いのだが、今回のチリで起こった地震はマグニチュード8.8、ちょうど50年前にチリ地震(M9.5)の時は日本に4メートルの津波が押し寄せた。地球を半周してこれだけの波を起こす、地殻の変動のエネルギーは凄い。最悪の事態を想定しての今回の避難勧告、NHKは1日中そのニュースを流していた。
 最近ハイチで起こった地震でも多くの被害者を出し、その復興はまだ終わらない。
 人間が地球上に築いた全てのものが一瞬にして失うことを思い知った。そして、チリと良く似た地理条件の日本は地震の巣、もしも同規模の地震が発生した時は、阪神淡路地震の記憶も日本人の記憶から薄れ始まっているから想像できない。
 JRのダイヤが変更したことで右往左往する日本人には、果たしてどのようなパニックが起こるか。
 何を考えても心配性になるのは年のせいか?
 世の中が不況に喘いでいる。そのことと全く裏腹に、華やかで豪勢な世界が息づいている。この対照的事象が同じ地域で存在する。
 先日も土浦駅の構内で一人の老婆が持ち切れない程の荷を足元に置き、座りこんでいた。そして昨日、今度は駅階段の下、タクシー乗り場の近くでスッポリと上着を被り眠っている姿を見つけた。この寒い中を、彼女は前と同じく沢山の荷物に横たわるようにしていた。3月6日は”啓蟄”(けいちつ)巣籠りの虫が戸を開く季節をいう。

1404:千姿万態

千姿万態まゆつばもの 何が本物か分からない、そんな時代になりにけり。
 月並みでもうしわけない。何が幸せ?と言えば、人それぞれでしょう。それで思考停止してしまった時代とも言えませんか?”少欲知足”は寡欲とも言う。巷に欲が蔓延し、その争奪が至るところで行われている。
 自由経済が豊かさの代わりに残した多くの負の遺産、悲惨な世界大戦の後に起こった冷戦構造、資本主義経済が勝利をおさめ、紆余曲折の中で今新たな時代に突入した。それは言うまでもなく多様な価値観の時代である。
 判り易く言えば”なんでもござれ”である。果たしてこれが追い求めてきた”自由”と”幸せ”な社会なのだろうか?
 小沢民主党の戦略に異議あり。次期選挙への候補者選びにやたら有名人を1本釣り、多少知名度があれば、誰でも構わない。そして民主の風にのって当選を果たした新人は地元に張り付け、「お前たちは次の選挙に当選できることだけを考えろ!」と叱咤する。
 ま!いくら周りで吠えても本人は無視する術は心得ているでしょう。嘗ての日本にこのような政党政治が存在したのでありましょうか?もし、この流れに国民が何の疑問も感ぜず無関心を装うのであれば、今以上に日本はおかしな国になるでしょう。なんだか知らないが遠地津波が押し寄せてくるような不気味さを私は感じます。日本人の心の文化には、中立を好む傾向が根強くあります。中道というか、一方に偏しない文化。それと独裁を忌み嫌う。いい加減や良い塩梅という言葉が示します。
 最近、様々な集まりに顔を出す機会がありました。そこで、遠回しに今の政治について話題にしました。政権交代の前と今では180度違う。それは長年続いた自民党主体の出口が見えない政治に嫌気が差し、一度政権を民主党に変えてみてはという選択だった。ハネムーン期間も過ぎ、これから本領を発揮してもらえるかと思ったら、政治とカネの再燃、それもトップ2人の疑惑だった。辟易している。結果はお二人ともご覧のとおり。周りの人が逮捕起訴されただけで自分は無傷。だが、これは新人議員の知らなかった釈明ではない。政界に長年身を置いた人間だ。無傷だったから問題は深刻だ。これは貴方達が政治家を続ける限り、ついて回るでしょう。
 当然、反撃攻勢をかけるだろう。しかし、これは本来の貴方達の使命ではないはずだ。それから北海道で新たな献金疑惑、果たして連座制の適用を受け問題の議員は辞職するのかどうか?離党ならば実態は何も変わらない。バッジをはずすべきだと私は思う。
 ここ1年、政治絡みのことばっかりを書いてきた。後味が悪く、無性に腹がたつ。これが私だけだったら構わない。所詮、独言だから、国会では現在予算審議が行われている。昨日、介護問題について某政党が質問していた。しかし、たったの20分の時間内での議論、どこかで出るかと思って耳を傾けていたが、障がい者総合福祉法なる質問は皆無。一体どこにいってしまったのでしょう。だから吠えたくなっちゃうのですよ。多分、現在進められている手法によれば幹事長室一本での陳情窓口、まー無理だわな。会ってなどくれないだろうし、関心も無いようだ。
 私は長妻さんに期待していました。しかし、彼は切れ易いのかどうか?議論をしていると自分が野党時代に追及の手を緩めなかった時と勘違い。それに気付いた時に捨て台詞、「先の政権は。。。。」という俺達がやったことじゃーないと決まって言うのだ。
 これは大きな間違いだ。いつも言うように政権の野党も与党も責任は同じですよ、野党だったから責任が無いと言えますか?貴方達の力が無かったことを白状しているようなものでしょう。問題の先送り、責任逃れ、これは政権が変わっても何も実態に変化なし。
 千姿万態、多くの政治家の中で本物を探すことが いかに難しいか。
 

1405:雛祭り

今日は桃の節句です。
♪「1番」 あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花・・・・・・・・
          「4番」 春のやよいの このよき日  なによりうれしい ひな祭り。♪
 古くは平安時代に遡るというお雛様、江戸時代になって女の子の遊びからひな人形を飾るという風習が広まった。
『うれしいひな祭り』という歌は、自然と口ずさんでしまうから不思議だ。特に女の子がいる家庭ではそうだろう。この歌の作詞はサトウハチローさん、作曲は河村光陽さんである。これには隠れたエピソードがある。サトウは離婚し、子供さんを引き取ったという。その子が何か寂しそうなのでこの歌を想いを込めて作詞したという。4番目の「なによりうれしい」という歌詞に、サトウの娘に対する親の気持ちが伺える。
 現在、日本の家庭でどれくらいの割合で雛人形を自宅に飾っているのだろう?各地で雛人形をお寺や神社に集め、一緒に飾る行事があります。また、いらなくなった人形を処分するために人形供養というものを行っているお寺もあります。
 段々、昔からの風習が色褪せてくることは仕方がないのでしょうか?
茨城新聞の3月2日版に『34% 知的障害の疑い』という記事がありました。なんだと思いますか?
 実は精神科医師などが東京都心の駅周辺で生活する路上生活者を調査した結果、34%の方に知的機能障害が疑われるという報告でした。巷ではお雛様セールなど浮かれているこの時期に、このような記事をみると複雑な思いになります。
 日本がいま、生活保護受給者が140万以上の世帯数になっていると言います。これを乱発だと批難される方もおります。しかし、この調査によれば、知的障害の路上生活者は、自分で保護の申請をするのが難しい人達だと言うのです。
 多分、この人達にとっては子供手当など全く関係がありませんから、何もその恩恵に浴することにはなりません。
私も、路上経験された方を何人か知っています。彼らは好きでその道を選んだわけではありません。頼る家族もおらず、今日どうやって生きるかという切羽詰まった想いを経験しています。全く身寄りが無く天涯孤独という人は少ないと思います。彼らは兄弟や親に迷惑をかけたくないという気持ちがあり、実家に内緒でお墓参りを今でも行っている。
 国の障害福祉施策の流れに疑問あり。何をもって「あたりまえ」の生活と言うのか?もし、あたりまえという定義があるならば示すべきだ。私は無いと思っている。人それぞれの生き方があるべきだからです。ただ、確信していることはありますよ。日本には四季がありますよね。春になれば桃や桜が咲きます。弥生3月は徐々に暖かさを増し、木々や虫までもウキウキしてきます。この良き季節に、なによりも嬉しいと思える社会であるべきだと思う。
 最後は政治家への不満になるパターンで、毎度すみませんね。でも、そうでしょう!訴え続けるべきなんですよ。そして思いを共有できる人々を増やし、世の中を変えていくべきなんですよ。有権者が出来ることってこれだけですよね。
 何か良からぬ方法で圧力かけようとするから、尻尾を掴まれる。正々堂々、言い続けるべきなんです。怖いものなんか何もない。
 それがどこで間違ってしまったのか?昨日、またトップ会談があったようですが、政治資金の問題、企業団体献金の禁止法を与野党一緒になって考えるという鳩山さんの小沢さんに対しての提案。これを心底信じられます?作るなら今までにとっくに出来てますよね。慣れ合い政治のツケがきたということです。議員定数減も全く同根だ。
 今更何ですか?先ず自ら責任を取ること、謝罪で済む話ではない。法律をいくら作ってもそれを利用する人は出てきます。その為の優秀な弁護士を雇っているのでしょうから。雇えない私達は只管税務署に行き、納税する。今日行くつもりです。これって合法でもなんでも無く、民主主義の義務でしょう。知らないんですかね。
 先のNo:1404でいう”負の遺産”をどう考えるかという事ですよ。このお二人に尋ねたい。
お二人は「うれしいひな祭り」の歌を歌えますか?世の中を変えなければ駄目だ。その為には私が必要だ。そう思ってはいませんか?1億2千万の人口を持つこの国で、お二人しかいないと考えている人はいません。貴方達の周囲には、それぞれの理由はあると思いますが、寡黙に徹する人達だけ。そして何か綺麗なお花をいただけないかと擦り寄る人達だけ。私にはそう思えて仕様がないのです。
 貴方達は自分で保護を申請できない人達の為に制度を作りました。その実態をどう考えていますか?申請手続きを複雑にし、解りずらいものにしていませんか?
 物の豊かさと生活の利便性=幸せでは無いのですね。その事をリーダーたる人には分かっていただきたいものです。

1406:何気なく

車の中に3種類のコスモスの種が入っています。4月になれば撒こうと思っています。
 昨日、補助事業で完成した個室へ選抜組が入居しました。全員で8名です。若干1名が悪さ?をしたということで反省のため入居が遅れるとか。私は建物を作るまでの担当、後の利用に全く口を挟まない。昨日、ちょっと気になったので見回ると、皆さん、部屋のベットの上に座り、個人のテレビを見ている。全員がそうだった。なんだか妙な感じ。
 部屋を覗き廻っているMさん、彼は選考に洩れた。でも気になって仕様がない。
どうして俺の部屋がないんだ????多分彼は此方に移ったとしても夜中に自室に帰ってしまうだろう。
 ちょっとづつ環境が変わっている。その変化に微妙な反応が見える。寮からGHへ移ったメンバーが今年2名、元気に過ごしている。足の踏み場もない位、物を部屋中に置いているSさんは、少しは綺麗にしただろうか?
 生活は様々である。もう皆さんパターン化しており頑なに守ろうとする。支援する側として気をつけなければならないのは、無理は禁物、何気なく誘うテクニック。
 私もこの世界に足を踏み入れ、もうじき40年。最近は認知症の傾向があって記憶が覚束なくなってしまった。でも確実に環境は変わっている。
 私の頭の中には3つ程の計画が詰まっている。どれ一つ取って見ても厄介だ。手続きを段どり良くやらないと問題が起こる。やっと先が見えてきたのは、市との土地を巡る協議、どうしてもっと素早く対応してくれないのだろうか?
誰かに1年はかかると言われたが、もうじき1年になる。その後が農業委員会と国税局だ。世の中が複雑になっている。
 次年度にスプリンクラーの工事をやる予定だ。これまた頭が痛い。何せ利用者が生活をしているからだ。帰省期間中に急いでできるかどうか?
 毎回、こんなことばっかり考えているから駄目なんだわ。これだって実は介護施設での火災で犠牲者が出て急に規制が厳しくなったと記憶する。最初から設置基準を示しておけばなんて事はない。
 何気なく何気なく。
境内にある白梅の花が咲いている。既に紅梅は花が殆ど散った。果樹園芸を行う農家はこれからが大変だ。この辺は梨と栗、剪定作業は終わったのか、正直、専業農家でない家の果樹は税金対策。先日、定年前に早期退職した同級生と話す機会があった。何を毎日やっているのか尋ねたら、「収穫しない畑作業」と言っていた。一瞬どんな作業かと考えてしまった。収穫より心身の健康の為ということか。
 その時、気付いたことがある。それは行動に目的を求め過ぎている自分がいるということ。何気なくという事が無い。目的には結果がつきまとう。だから、ああでもないこうでもない余計な心配が増える。
 ”有りの儘”と”何気なく”が合体すれば、世の中が上手く回転するんじゃないだろうか。怠け者とか無責任という誹謗中傷を気にしなければということだが。
 どうも私の性分では、それができない。やたらめったら腹の虫が騒ぎだす。
そうそう、コスモスの種の事ですが、今度完成した寮の東側の土手に撒こうと思っているんです。
 引き抜かれなければ、多分、・・・・・。
 

1407:純一無雑

”純一無雑浮世離れの生きざま”
 今朝のこころの時代からの情報ですが、ドクター・ロボコンと言われる清水優史先生の話。ロボコンというのはロボットコンテストの事です。世界中に広まり国を代表する大学が課題に対してスピードと正確さを競う。
 ある大会で日本の東大チームがモンゴルの代表に負けた。その時先生は思ったという。日本は秋葉原に行けば、誰でもなんでも好きな部品が手に入れることができる。一方、モンゴルでは何もない、あるとすれば自動車の修理工場があるくらい。そこで使える部品を探すことから始まる。
 そのモンゴルにロボットのコンテストで負けた。その理由は、日本人は環境の変化に弱いということ。コンテストの会場の照明の明るさや電圧の変化、日本では当然備わっているものが無くなった時にどう対応したらよいかが分からない。
 その点、モンゴルでは日常の生活で想定できる範囲のこと、冷静に対応できるから動揺せずに問題解決できる。
 この話を聴いた時に、自省を込め、今の世の中の有り様に眼を向けてみた。
 結論から言って、全てがそうだと思う。良く言われる日本人にはハングリーな精神が無くなったという。しかし、日本人は狡猾に立ち回ることも得意だ。両側判断と言うのかモノゴトを両面から見る伝統がある。「あんまりガツガツしてもいけません」という風に。これは仏教や神道の教えの影響もあるのかもしれません。
 ただ、勘違いしちゃーいけませんよ。全てが全てでは無いはずです。そこの判断がズレ始めています。
 昨日だけで痛ましい事件の報道が2件ありました。その一つ奈良県桜井市での5歳の子が餓死同然で亡くなった痛ましいニュースです。
桜井市は本山(長谷寺)に登る時はいつも立ち寄る処です。良く知っている街ですが、それは別として、両親が虐待で逮捕されました。その母親の言い分が夫婦関係がうまく行かなくなり「子供がその夫に似てきた」から愛情がわかなくなったという理由を話しているという。
 5歳で体重が6キロ弱、同年齢の子供の1/3しか無かったという話です。
 このような事件が起こると、最近の日本では周りの人が気付かなかったのかという捉え方をします。私は養護施設の職員を何人も知っていますが、児童相談所や福祉事務所それに民生委員やや学校の責任が問われ過ぎると言います。
 私も同感ですね。要は親の責任です。夫の顔に似てくるなんて当たり前の事です。それを理由に食事も食べさせてもらえない子供が余りにも可哀そうじゃありませんか。
 仏教には、因果応報という教えがあります。罪の報いを受けるべきなのです。親の義務でしょう。
 私の経験から言わせていただきますと、子供の成長にとって親の存在は大きい、支援者がどのように愛情深く育てても親に代わることはできません。
 でも、親がいなくても立派に育つ人もいます。そんな人を何人も知っています。特に、戦争で兵隊に取られ戦死した父親の兵隊姿の写真だけが心の支えで頑張ってきた人、幼き時に親に捨てられ、自分はそんな子供に何かしてあげたいと養護施設の職員になった人・・・・・・
 今日紹介した清水先生の話になりますが、なんでも手に入る世の中になった日本、短絡的にお金さえ有ればと思う価値観が蔓延、・・・・・そこに心の劣化現象を見る。
 閑話休題
 橋下大阪知事が言っていた。議員歳費を日当制にすべきだという提言。いま、多くの地方議会では日当性を取り入れてきたという。事業仕分けで先ず一番先にやるべきことは国会議員のムダをなくすことだと。賛成。衆参で過半数を持っている現政権がやる気があればできること。それを献金の問題レベルでお茶を濁す。駄目だわ。
 谷垣さんが遠慮しがちにおっしゃった。鳩山のH、北教組のH、それに小沢のOで「濁ったH2 O」だとよ。
良いのかよ、そんな事言っていて。

1408:足裏マッサージ

昨夜は湯ワールドに行き、”足裏マッサージ”を受けた。3月は会議が目白押し、それに本職の坊さんもお彼岸で書入れ時ときている。
 いつまでも若くはない。疲れが溜ると直ぐに腰にくる。ここ数日違和感あり、それでマッサージを受けに行った。実は2回目である。大体ボデイマッサージが殆どで、足裏は何となくこそばいイメージがあって敬遠していた。
 それが全く違う。言葉は適当ではないが、イジメにあっている感じ。痛いのなんの、七転八倒とはこのことか。”ヒャー””ウッツ”とか言っても一向に力を緩めない。痛てーと言えば、「ハイ、肩ですね」「ハイ、ここが腸」「ウーム、これは腰」不思議と私の症状に合致、何故ピンポイントで分かるのか?
 約1時間ほど受けると相当疲れる。これが心地よいと思うから不思議だ。歩くにもふくらはぎがツッパリ後まで残るかと思ったが翌日にはその痛みは無くなっている。これ病みつきになるかな。
 効いたのかどうかイマイチ確信持てず、今の私には唯一の癒しのひとときである。
 昨日は私の脇で途中からもう一人の同年輩の男の人がマッサージを受けていた。「何処が疲れてますか?」と聞かれ、私と全く同じ小声で「全部」と答えた。これがまた大騒ぎする方で、始めない前から「痛い、もっとゆるく」とうるさい。「まだ、力いれてませんよ」とか言われ、私も噴き出してしまった。気付かれたかもしれない。
 最初から足裏は痛いという先入観が強いのかもしれない。私のほうが早く終わったので、その人の顔をしっかり覗いてみたら、良い気持ちで寝ていた。案ずるより産むは易い。
 最近、昔からの友人が入院したので、そのこともあるのだろう。会う人会う人に体調の事を尋ねてしまう。すると殆どの人が何らかの薬を飲んでいる。さすれば私の年になればこれが普通なのだろう。
 以前紹介した100歳を超えても現役の詩人、まど・みちお氏、この人は化け物だ。この方は若い時分、体が弱かったと聞いた。すると何がこうさせるのか、実際の処はわからない。
 今日、明日と法事が6件ある。彼岸前の駆け込み法事?先週こられた17回忌のお客さん、玄関で私の顔をじーと見つめて何を言うのかと思うと、「あのー住職さんですよね?」「はいそうですが」「あらーイヤダ。大分お歳をめされたから違う方かと」
 ムッツ 押さえて押さえて。「そりゃーそうでしょうお互いに16年前でしたもんね」とだけ言ってしまった。 不思議と言うかなんと言うか、自分の事はいつまでも若いと勘違いしているお目出度い方がいるものだ。
 その後、廊下にある大鏡に自分をうつしてみて、さもありなんと納得。
 法事にストレスがかかるようになっては坊さんも引退か?
実はここだけの話、昨日水戸で会議があって、いろいろありました。終わってから某施設長とお茶を飲む。いま、老朽全面改築を準備中、いま、ある場所に建て替える計画だと聞いた。そして、出来るまでの間、プレハブで仮宿舎、この費用がなんと5千万、一瞬ムダだと言った後に気が付いた。尚恵も同じだ。そして、総工費はどの位?と尋ねて声が出ず。約7億円を予定しているとの話。一瞬立ちくらみ、なんでそんなにかかるの?と尋ねたら、今の基準は全て個室だから、全部で70部屋位になってしまうという。
 これを聴いて、マッサージに直行したという事でした。おい、理事長やる気あんのか、おめー!
「・・・・・・・・・・」 福祉事業も決して楽ではありませんよ。せっせっせとお経を読みなされ。そして、お金沢山貯めなはれ。
 本尊、地蔵菩薩と観音様が上から言うんですね。まったくもう。

1409:親とは?

日曜日の朝、面白い番組を見た。長嶋一茂・石原良純・小泉孝太郎の3人が親父を語る。いずれも著名人を父とする。3人は本音を言える間柄?それよりも偉大なる親父を超えようとしてもいつも背後霊みたいに親父の影を感じ生きてきた同病憐れむ関係?。長嶋が病気で倒れ、小泉が政界を引退した。石原は現役の都知事。前者の二人は最近やっと親子の触れ合いを持てたという。超多忙な日々を送る父親をいつも送り出す役柄、やっと父親が身近に戻ってきてくれたという実感を引退後にやっと感じたという話。
 3人の親父に共通する点は何かということが話題になり。”精神力”ということで意見が一致。それも逆境になればなるほど、その力を発揮したという。いずれも振り返って今思えばという但し書きがある。どのような道でも通じることだろう。天才と言われても陰の努力は並大抵ではない。そこを言わずに飄々とかわすことが上手い人達だ。
 実は昨日、10年ぶりになるだろうか訪問者があった。以前は何度も来られたので、子供さんの事や仕事の具合などは知っていた。その親子がちょっと珍しい。二人の男の子がおり、その二人が僧侶になった。全くの在家の生まれである。長男は新潟のお寺に入り、住職として今がんばっているという。弟さんも寺は持っていないが僧侶の仕事を続けている
という話を伺った。父親は苦労人、いろいろな職業をやってきたようだが、叱られるのを覚悟で言うと、事業として成功はしなかった。商売人としては人が良過ぎるからだ。
 私と話をしていざ帰ろうとする時に本棚にあった本を見つけてまた話始めた。その本は石川洋が書いた本。題名はどうでも良いのだが私が職員に配った本だった。石川洋という人を知る方は少ないかもしれない。彼は17歳で一燈園・西田天香氏に弟子入りした人である。
 彼は若い時分にその石川氏の講演テープを擦り切れる程聴いたという。何冊かあったのでその本を差し上げる。とても喜んでくれた。その夜、私も再度読んでみた。『君よ、志を持って生きてみないか』致死出版。橋本左内が15歳で著した『啓発録』について石川が書いた本。
 はしがきにはこんな事が書いてある。
   歴史は未完成のものが受け継いでいく。だが、流れに流されながらも、真実にいのちをきざむ者が
    歴史に光を与えていくのである。(2004・12)
橋本左内は歴史に登場する、安政の大獄に連座して、26歳の若さで刑死した人物。水戸の藤田東湖や適塾の緒方洪庵などとの交流があり、混乱の幕末を駆け抜けた若き指導者である。
 人間の繋がりとは妙である。どこで共通するか分からない。先の3人は偉大な父親を持ち、若き時代悩み苦しんだ。そこにお互いの安心感が生まれる。親が子を思う気持ちと子が親を思う気持ちは一体ではない。むしろ反発することのほうが多い。底の処では理解しあっているのだが、何かの遠慮が働くものだ。いざ、親父を亡くしてみて、あの時こうやっていれば良かったと後悔する事も多い。
 それぞれが違った道を歩んだとしても、逆境やピンチに遭遇したときに、必ずや親父だったらこんな時どうしただろうかと自問する。
 それが遅いとか早いとかいうのではなく、所詮、未完成な者が受け継いでいくしかない。そこに石川の指摘が今の時代見直され人気がある所以である。
 いま、一人の命の灯が消えようとしています。ICUに入り、自発呼吸もできず、機械を装着しながらそれでも頑張って生きている。主治医から面会の許しが出た。会ってやって欲しいということだった。
 その医師との最初の出会いは私にとって印象に強く残っている。説明を聞きに伺った時に、「貴方は何しにきたのですか?」と憮然とした態度で言われた。「お預かりしている施設の責任者という立場で家族と一緒に先生の所見を伺いにきました」と話すと、少し語気を和らげ、明日にでも亡くなっても不思議でない病状だと丁寧に説明してくれた。そしてそれから3カ月がたった。今の国が定める制度は、或る意味では杓子定規、3カ月入院したら、我われ事業所の出る幕が無くなる。極端に言えば余計なお世話となる。
 この流れに流されてしまえば、先人が築いてきた福祉の生命線が断たれてしまう。黙って見過ごして良いのか!
 事の良否を簡単に断言すべきではない。しかし、鳩山さんに言いたいのは、誰にでも良い顔をする手法は周囲に混乱をきたすだけである。できない事はできないとハッキリいう勇気を彼に期待しても無理なのか?彼の親子の関係は???
 

1410:肩書&権力

肩書&権力(titil & power)。
 政治における傾向を分析してみます。9月に悲願の3党連立新政権を樹立した民主党、鳩山内閣、スタート時点での高支持率が右下がりの一途を辿っている。直近の調査(JNN)では、内閣指示が36%、実際はもっと低い結果もあるという。民主党への支持も25%と急降下、しかし、一方の自民党への指示も一向に上がってこない。
最近は自民党内での執行部批判が表面化し、新党立ち上げを匂わす党内実力者も出ている。自民&民主の指示数の格差は5%まで縮まった。無党派層では逆転したという。
 いずれにしても政治の世界では政権与党という肩書と大臣という権力は政治家個人の実力以上の錯覚を生む。
 マスコミに登場する時間も雲泥の差、野党が取り易い手段は過激発言を行ったりして目立とうとする。これも有権者には今更なんだよと言う事だ。
 しかし、相も変わらず民主党の党内の動きは不透明、何故彼らは小沢さんを恐れるのか?反対すれば干されると思ってのことか?党推薦を含め、それと資金が回らなくなるという心配?
 その辺のアンケート調査を議員にやれば、多分、有権者への調査以上に現実離れの回答が出てくるはずだ。
 肩書きや権力を外された場合、どうも今の国会議員でこの国の舵取りを任せる人物がいるのか!このままではより一層の政治離れが進むだろう。
 いまこそ、政策の重要課題を取り上げ、貴方はどちらの考えを指示するかを国民の前に示すべきだと私は思う。
 外交・防衛・経済・社会保障など方向性が見えないところで枝葉の議論をいくらしても駄目だ。
 果たして議員一人一人が明確な政策を持っているのか否か?根本的な問題だ。支援者に確認するとかいっても支援者=政治団体という旧来の手法は形骸化している。既得権を死守する事は、果たして日本全体の利益になるのかいなか?
 最終的には国民一人一人の責任にかかってくる問題だ。暫くの間は”肩書政治”に我慢しなければならないということになる。それが一番の悲劇だと私は思っている。
 一般企業ではM&Aなど常識、生き残るために何を選択するか、日々その事に相当の神経を磨り減らしている。
 政治や官僚社会にはその危機意識が薄く問題の先送りが常態化している。残念だがいつの世もそうだ。
 多分に日本人全体がGDP世界第2位という名誉ある?肩書に酔いしれていた期間が長かったということが大きな原因だ。しかし、その裏では以前として1日100名近くの人達が自らの命を絶っている。テレビのテロップで人身事故による鉄道のストップ情報が毎日のように流される。
 富の格差がここまで広がる社会は尋常ではない。そして政治家や官僚が富を享受している側に属している。この関係を打ち砕くというから民主党に票を投じた。半年でその公約の齟齬を見てしまった国民は失望感が強く、本人がどう説明をしようが、政治とカネに対する疑問は彼らがその職を辞さない限り払拭できない。
 上に立つものは、当然その覚悟は持っていると信じてやまない。経験がないからという理由で若手に任せることが本当に危険なことなのか?若い人たちは我々以上に長く生きる。いつまでも権力の座にとどまるのも考えないと。鎖国の時代、自らの信念で立ち上がった先のNO:1409で紹介した橋本左内は若干26歳で世を去った。処刑されたのである。
15歳の時に著したという「啓発録」は今から160年前に書かれている。