源究87

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1251 君子不器 8/31 1256 望郷 9/5 1261 ある事情 9/11 1266 ひょっとして 9/16
1252 倒木更新 9/1 1257 イメージ格差 9/7 1262 押し競饅頭 9/12 1267 有為転変 9/17
1253 盛衰談義 9/2 1258 期待半分 9/8 1263 生き残り 9/13 1268 譲り合う 9/18
1254 グッタリコン 9/3 1259 一刺騒然 9/9 1264 生き甲斐 9/14 1269 出来る事・・ 9/19
1255 ムクムク 9/4 1260 閃き 9/10 1265 国民総工夫 9/15 1270 彼岸想起(連記) 9/20

1251:君子不器

君子不器(くんしきならず)・・・・上に立つ者はだた一つの才能に優れているだけでなく、どんな状況に置かれてもうまく対応するということ。
 さーて、現在寝不足進行形という処です。苦杯を嘗めたもの、美酒に酔うもの、悲喜交々という感じです。個人的にはこれからが大変だという思いが強い。上に立つ方にお願いがあります。それはこの先どのよな茨の道が待っていようが針の筵に立たされようと貴方に期待を寄せ、今回応援した人々が大勢いることを思い出して欲しい。
 それと敢えて言わせて戴ければ苦言を呈する人を大切に!
今回の自民党の大敗北は、選挙前からある程度予想はできたことです。それは何故でしょうか?一言でいって自民党の奢りだと私は思っています。選挙まじかになって急いで地元に戻り、お願いしますと言われて「ハイそうですか」という図式にはならない。
 多分、選挙前から危機感は持っていた。だから先延ばしをしてきたのだろう。しかし、残念ながらそれに対して対応策が見いだせないまま選挙を迎えた。焦れば焦るほど有権者が離れていく、その事を嫌という程思い知ったことだろう。
 一人勝ちを収めた民主党へ一言。国民の選択が正しかったのか間違ったのかという答へはこれから貴方達の実践で示すこと。今まで野党に長くいた事が果たしてどう作用するのか、公約の実行力が試される。
 政権与党の責任は内政だけではない。外交防衛にどう対処するのか。
今回、民主党で当選した人の中に元議員という方が結構数いた。彼らは選挙に負け、そこで諦めず地道な活動を続け返り咲くことができたのだ。その姿を有権者は知っている。
 自民党で今回、落選した議員の中で再挑戦する気力と体力を有する人が果たして何人いるだろう?かなりの人がこれが潮時と思って政治から足を洗うような気がしてならない。2世3世という先生達の戦いを見ていてそう感じた。
 我が茨城はどうでしょう?歴史的な自民党の敗北、小選挙区でたった一人が当選できた。それも小差。保守王国という誉に酔いすぎ、その体制を築いたと自負する一部の人達が長期に渡って県政を牛耳ってきた。傍目で見ていてもその横暴さは目に余る。もしも苦言など言ったものならば即、排斥され、政治生命を断たれる。それを恐れ、バッジを付けている人達がダンマリを決め込んだ。県民の誰しもがその事を知っている。ただ言わなかっただけ。今回、公式の場で”NO”を突き付けた勇気ある市町村の首長や議員、私はこれで茨城は変わると直感した。今の時代、どのような理由を付けたとしても専制政治は馴染まない。そこに利権が生まれ、逆にゴマスリや同調培養が進む。先陣を切った医師会はさすがだと思った。
 過去の柵で全部が全部ということにはならなかったが最後までブレなかった。
同時選挙になった知事選、結果をみて驚いた。自民党が推薦したO氏の票が伸びなかった。寧ろ選挙直前で立候補した元オリンピック銀メダルの競輪選手と獲得票に大差無かった。現職は多選批判という逆風の中、手作りの選挙戦を展開、彼の実績と人柄が市町村長や医師会、連合・・・などが支援者側について堅実な選挙運動を行った。その結果、前回(100万票)までは届かなかったが2位のO氏に2倍以上の差を付けて大勝した。
 彼は美酒に酔っている暇はない。その自覚は立候補を決めた時からあるはずだ。旧支援政党と真っ向から対立して勝利したのだから、今後は議会活動の中で相当苦しめられるに違いない。
 だが、心ある議員はそうならないと信じる。県民の目が光っている。今回の敗北責任の取り方は明言していないが、従来のカリスマ性は無くなった執行部、恐れる事は何もない。ここに至ってまだ居座るとは思えない。それ以上に県民の意識が大きく変わった事を認識しなければなるまい。来年ある県会選挙で今度は自らが苦杯を嘗めることになりかねないからだ。
 解党も覚悟して、いまこそ本来の政治の姿に立ち返って欲しい。それが県民一人一人の願いだと私は思います。

1252:倒木更新

初秋の頃、夏の疲れが出ていませんか?
ご自身の生活を少しペースダウンし、心身をいたわり、養生する時期と思いますね・・・・・。
台風の影響でしょうか、急に朝晩の気温が下がり、長袖の上にさらに重ね着するようになりました。幸い今回の台風も上陸することなく千葉沖で方向を北東に変え、直撃は避けられました。
 今朝、メールを開くと真っ先に先輩から送られてきた奥日光からの便りでした。数枚のスナップが添付され、その中で直ぐに目にとまった写真を上に紹介します。倒木から数本の木が逞しく成長している、秋の日差しを真横から受け、土壌の栄養を十分すって育っている。この自然の再生循環は太古から絶えることなく続けられている。
 凄いね。佛教の教義も解り辛いけれど、この写真の中に全てを感じれるか否かだと思うな。ああだこうだの論争不要、
ああそうだ!南直哉という人を知っていますか私より8歳若い、現在下北の恐山の院代をしている禅僧で脳科学者茂木さんとの絶妙な対談で私は知った。その彼が言っていたこと、不立文字と言っても、悟ったと思った瞬間にそれでお終いではない。生き続ける為に考え続けることがより大切だと。彼は在家の方で何を思ったか、サラリーマン生活を棄て、永平寺にて20年僧堂修行をした。私なんぞと全く違う。煌びやかに飾った寺が多い中で、人間が何故、逝った人との再会を恐山まで来て求めるか?自然の中に身を置く事で自分自身を見つめ直すこと、そこで何を感じることができるかだと思う。
 毎日が滑った転んだ、相手を誹謗中傷し無意味な時間を浪費する。つまり何が言いたいかというと、批判することが目的化していないかという反省だ。
 またしても私のクセが出てしまった。昨日、大雨の中、11時からの会議に出るために水戸に行った。月末の月曜日、正直気が重かった。出席された方殆どが仕事を持っている。その重要な時間帯に会議があった。協議に入り、議長が意見を問うと、全く意見が出ない。暫く気まずい雰囲気が続く、それを見かねた対面のOさん「意見が無いようなので」と前置きして自分の意見を述べた。私も問われたので持論を述べる。しかし、意見を述べたのは3人のみ、他の出席者はダンマリ。なんだこりゃー
 もう限界だ。「皆さんは団体の代表で出席しているはず、このような席でご自分の意見を述べないことに私は理解できない。黙っていて何かを変えようと思っても所詮無理な話だ・・・・」とやらかした。冷やかな視線を一瞬感じたが、後の祭り。
 障害者問題を考える時にいつも感じている事、それは自分たちの団体の事ばかり長々と述べる人、逆に全く意見を述べない人、両極端に分かれるということだ。これで方向付けできるんかい?腹たつなー!
 ただ、それも時と場合でしょう、今日のテーマは研修会の内容を話し合うことで招集がかかったのですよ。そこで意見が出せないという人の気がしれない。
 私の結論から言いましょう。障害者問題は当事者の想いを如何に代弁するかだ。黙っていることがどういう事になるか一目瞭然、マイナリテイな障害者を今時、引き上げてくれうような奇特な方は少ないんだから。自分の考えを言わず影で不平不満を言う人が多い。自分たちで行動に移そうという連携が中々生まれない。何故なんだ?????
 同じ悩みを私も持っていた。私の所属する団体で役員会を開くと、必ず1度は意見を述べてもらうようにした。上手く考えを纏めて言える人ばかりではない、でも決して無駄ではない。次にもっと上手く話そうと人間努力するから。
 これは私が布教師として、初対面の人の前で何度も苦渋を嘗めた御蔭である。布教師は言いっぱなしでもOK。
されど・・・・。色即是空 くうそくぜーしき。

1253:盛衰談義

勝って兜の緒をしめよ。巷では今回の選挙への盛衰談義が真っ盛り、マスコミの報道を真に受けることは危険だと思うが、どうも妙な事になっている。政治の世界には一般の常識は通じないのでしょうか。上に立つ者ほど責任の取り方は明確にすべきである。それに組織の末期現象として、取り巻き連中の能力の無さが白日の下にさらされる。裸の大将にだれがした。利用するだけ利用して、いざ風向きが変わってしまうと寡黙になる。「私は こう思います」と何故言えない。

 ま!これだって時間が解決するでしょうがね。
さて、昨夜は会合があり、代行で帰った。運転手さんが気さくな感じ、いろいろと世間話、彼は私のお袋と同郷であった。その事が分かると余計話が弾む。つくば市には代行業者が25社あるという。県内で一番多いとか、営業は朝方の4時まで、最近は御多分に洩れずヒマだという。それに遅くまで飲み歩く人が減ったとも、翌日まで酒が残ると自分で運転ができないからだ。私は飲むなど言えたもんじゃなく、ビール少々でいい気分、安上がり。しかし、それでも飲んだ後は悲劇だ。頭はズキズキ喉はカラカラ、トイレは近い。殆ど眠れない。昨夜もそうだった。
 こうなると思考停止の状態。ラジオをかけて心の時代を聞いた。するとどこかで聞いたような声、聞き手が大学の佐野先輩だった。2日連続で重症心身障害児の支援学校の女性教師の方が出演していた。
生憎、頭が朦朧としていたのでメモ取りまではできず、今思い起こしてもはっきりしない。でも心に残ったのはこんな事だった。自分が置かれた境遇に決して後ろ向きになるのではなく、ありのままに受け入れ感謝して生きていく・・・・・
それは重度の障害児との触れ合いの中から教わったという女性教師の話だった。
寝たきりで何一つ自分で出来ない娘さんが必死に介護してくれるお母さんに「わたしが生まれてきて良かった?」と尋ねる場面、自然と涙が流れてしまった。

1254:グッタリコン

グッタリコン・・・・疲れたということです。たった今某寺住職の本葬儀を終え帰宅。会奉行なる役目を仰せつかったものですから冷や汗かきました。グッタリコン。それにお清めで調子にのってビールを飲んでしまった。なんだか知らないが足元が覚束ない。一眠りしたから、頭が多少は鮮明に。
 全く、常に”ON”状態で、次々に対応しているものですからヘマばかりしてしまって。本日は袴を反対にはきまして。どうせ前も後ろも分かんねー。
多少、不眠症になったかな?夜中に目が冴えわたり昼間にはボー。不味いなと思いつつChangeができません。
 背後霊が新体系移行の為に主治医にお願いに行けとかタミフルを備蓄しろとか、あっちもこっち、出来っこあんめー!
それにやれ、農業委員会だ!建築指導課だ!それだけにおさまらず、やれ水質検査で保健所だ。そうかと思えば、極めつけは民生委員推薦会議????
 夜逃げしてやっから。
ブツブツ・・・・・独り言。   終わり。PM4:30.

1255:ムクムク

夜逃げと言えば、ここ数日、我が家のハナが夜になるといなくなる。好きな相手でもいるんかな?昼間はソファーの上にひっくり返って寝てやがる。全くマイペースで暇猫なヤツ。しかし、不思議と腹は立たない。人徳?否、ネコ徳です。
 一晩眠ると体力が元通り、ムクムクとして今日も草刈り火燃やしやるべ、相棒のNさんが待っている。フーテンのNさん、最近手持ち無沙汰、鎌を持ち出したかと思うと10分もしないで止めてしまう。彼は私が遊んでいるとみている。坊さんの仕事と会議で出張することを仕事とは認めていない。だから自分も仕事はしない。
 人の評価はそんなものだ。ヤレヤレ。民主党の政権交代は劇的だった。議員会館を明け渡すもの入居するもの、ごった返し。案の定、官僚は強かだ。民主党の主だった議員にゴマスリ開始、これだー!透明な政治を目指すんだったら、マスコミに公表してよ。本日の面会者リスト。情報公開をここまでやらないと同じになるべー。
 私が関心があるのは、防衛問題、社民党とどう手を打つのだろうか?閣内協力で大臣のイスを用意してと・・・・。
兎に角政治の世界は灰色だよ。大物議員落選という報道があったのに、次の瞬間”バンザーイ”なんかやっちゃって、比例区で当選だとよ。あれよ、誰が順番決めてんだ????不透明だわな。その事をNさんが知ったら、もう二度と鎌なんて持たないよ。どこかに行って帰ってこないから。
 でも、こんな事もあったという。43歳の女性の方、独身、ご両親の介護に明け暮れ、暇さえ有れば、草刈り機で畑の草かり、告示3日前に説得され比例区で民主党から出馬、思いもよらず当選してしまった。さー大変だ。スーツなど全く無い、急いで買い物、予算は5万円、試着を繰り返し、払ったお金が10万円。内緒です!シーだとよ。
 これテレビでやってた。なんというか微笑ましいね。嬉しいね。モンペ履いて手ぬぐい被り草刈りだ。その方が永田町だぞー。庶民的というか、これぞ国民目線でありましょう。一方、派閥の親分、気にくわねーよ。
 俺もう決めたんだ、その女性の方のファンになります。是非ともモンペ姿で国会質疑して欲しい。そして、在宅介護の実態を訴えて欲しい。
そんな事を思っていましたら、千葉のMさんより電話、なんでも人件費補助の話らしい。私に茨城で調整しないと駄目だと苦言。暫く電話で遣り取りしていたら、結局、今度政権が変わって基金は見直し、公約では障害者自立支援法は廃止となるかも、今まで苦労してきた我々はどうなのよ?針の穴に糸を通すような事を遣らされて、挙句の果てに”やーめた”かいな。一応千葉で配られた資料を送ってもらうことにした。
 いよいよもって先行き不透明ですぞ。
 そこで妙案があります。もしも、全国の福祉施設がストライキをしてですね。業務ストップ、座りこんだらどうなっぺ。まさかそんな無慈悲な事を福祉関係者がするはず無いと思っていますね。そうでしょう?そうですとも。福祉のこころ、母ごころ。
 でもね、政治家や高級官僚の皆さん!貴方達がやってきた事は、それ以上のことなんですよ。だってそうでしょう。議員歳費の減額有りましたっけ?官僚の天下り無くなりましたか?やるのやんねーのと振り回し、挙句の果てに金がない。
 日本が本当に変わろうとするならば、議員と官僚が範を示せ!と私は言いたいのだ。ムクムク。

1256:望郷

懐郷&思郷の念(おもい)は年齢と共に深まる。そうではないでしょうか?
 故郷へ思いをはせることは、そこに住み続ける私などには経験できないのです。でも、最近はちょっとした事で昔を懐かしむ事が増えました。昨日、叔母が亡くなったという知らせを受け、久しぶりに母の生まれた実家に立ち寄った。醤油製造をしていた家で工場は壊され今は蔵だけが残っている。小学校前によく母に連れられ、筑波線(今は廃線)やバスに乗って伺った。
 私には目的があった。蔵の脇にあったニッキの木、根を掘ってそれを乾かし齧る。これが昔は大変貴重なオヤツだった。昨日、従兄に挨拶しに行くと、同じ場所に太さ10センチ程のニッキの木があった。高さは2メートル、葉を一枚失敬して匂いをかむと確かにニッキだった。この瞬間に50年以上前にタイムスリップ、懐かしい人の顔が浮かんだ。
 帰りに従兄にニッキの話しをした。やはり、その木は私がお世話になった木の子供が大きくなったものだった。
 この年になると、昔会った人と会うとまた嬉しい。元気でいる姿を知り、ほっとすると同時に自分も負けてなんぞいられないと思うのだ。
 母は兄弟が多く、育った。父は兄弟がいなかった。実家は名古屋、晩年何度か父に連れられ訪れる。1歳3カ月で父はその郷里を離れている。だから記憶がない。その事は父の全ての原点になっていた。
 実の両親に育てられる事の素晴らしさを気付いて欲しいという思いは望郷の念を更に大きくしていたと思う。それ故に親戚との付き合いを殊の外大切にしてきたのだ。そのような両親の姿を私は見て育った。昔お世話になった人達が彼岸に渡る。そう考えると岸のあちら側も然程悪い処ではないと思うようになった。
 月並みだが、こっちでまだやる事があるとは思っている。
望郷への思いは誰にも共通にあると信じる。そこで、私は政治を志す人たちに言いたい。貴方達がやっていることを多いに反省していただいきたいと、
 政党にしがみ付いている人達よ!そのほうが良いと考える根底に自分の損得を優先していませんか?大きな政党に所属する。確かにそのメリットもあるのでしょうよ。だが、それで貴方は後悔しないのですか?
 自分の意見も言えない。長老の顔色を伺い、頭が上がらない。これは貴方とその誰とかさんとだけの関係、貴方に1票を入れた者には全く関係ありません。その誤解がある。そのズレが政治不信に繋がり、様々な問題が起こっていると思いませんか?(自民党党員が日本で2番目とか言っていた茨城よ、結果はどうでした、その辺が党員の意識なんですよね。仕方なしお付き合い党員という事:1兆8000億という県の借金、これって全ての議員の責任大ですよ。私はそう思うな、最終的には県民全てで返す他ないでしょう。それを誰かの責任だと野党になって追及する?お角違いも甚だしい)
 政治を志す事は世話になった地域を良くしたいという一念でしょう。違いませんか、権力者にゴマをすり、アワヨクバ出世したいとでも・・・・・・。それじゃ、出世て何?自分自身でしょう。ならば綺麗事など言わず、堂々と私は長老にゴマをすり政治の頂点を目指しますと宣言すれが良いのです。
 この辺が国も地方も狂っている。そう思えてならないのです。いま、私の最大の関心事はマニフェストの実効度です。
頭を下げた事もなかった先生が「どうか当選させて下さい」と必死に訴えていた。まだ1週間もたっていない。
どうです?その先生の話題など全く出なくなっていませんか!一瞬で過去の人だもの。その程度の期待だったということを本人が知るべきだった。後の祭りですが。落選した議員に言いたい、貴方達こそ今度は地域に無給奉仕するべきです。多額の税金を惜しみなく使い、言っていた事と全く反対の事を行ってきた罰を真摯に受け、出来るだけ受けた恩を返す誠意を見せて行くべきです。
 あっ・・これ私が言っているんじゃありませーん。閻魔様という偉い方がそう言えと先日会った時に。
大変な御立腹でした。

1257:イメージ格差

さんと付く職業の連中がどうしようもない・・・」「夜飲んで歩っている奴は坊さんばっか・・・」「あいつ等恰幅良いし、なんだか近寄り難い」
 挙句の果てが「どうしようも無いな、困ったもんだ」
これは実際にあった夕食の席での盛り上がった?会話。当然私が坊さんだと言う事は百も承知、ま!多少は酒の力も借りてのことかもしれないが、どう受け答えするか困った。一晩寝て考えた。つまり場に応じて意見は様々ということだ。気心が分かりあえている仲だから、ホンネが出る。彼らに言わせると「政治家」や「官僚」は問題外、元々のイメージがどうせ言ったことが出来っこないと決め込んでいる。冷めた目である。そして最後の砦というか、さん(or 先生)と付く職業、「教師」「警察」「僧侶」に救いを求めるのだが、実態とのイメージギャップが尋常でない。これ幸いと一気に私に鉾先を向けてきた。正直、そんな事言われたってという気持ちはあるが、妙に納得してしまう自分がいる。
 彼らは日本の現状を憂いているのだ。「そんじゃ、アンタはどうすんの」と逆に聞いてみると「他の人は構っていられない、自分の事で精いっぱい」とこれもまた困ったもの。   当に日本の縮図を見る思いだった。酒を飲まなかった私は1時間程の高速道で帰宅。日曜日ということで時間の割には車が混んでいた。
 家に着いてテレビをかける。すると相も変わらずノリピーとかいう女優の話、もう興味もない中身だが、イメージギャップの最たるものかもしれない。作られたイメージ、それが次々に白日に晒された彼女の裏事情、どこまで暴けば気が済むの?メデイアのモラルは地に落ちた。
 話は変わる。良寛が何故いまもって親しまれているのだろう。それは自ら「僧侶」としてのイメージを拒絶した生き様にある。権力の中枢に身を置く事を嫌い、放浪の生活を選んだ。当時は今以上に権力闘争の激しい時代であり、宗教の世界もご多聞に洩れない。良寛が望めばいくらでも中央の要職に就くことはできたはず。
 昨日は、親戚の叔母の葬儀に列席、いつもとは逆の立場、司会者の独特の言い回し、心地よいというよりは、作られた演出、心揺さぶるものは全くと言って良いほど感じなかった。殆どの列席者がどこの坊さんかも知れないで黙って小1時間程の読経を聴く、私はいろいろお世話になった叔母だから、昔を思い出すには丁度良い時間と我慢した。
 それと先日、本葬を行った大先輩の住職は、法事で読経以上に説法に時間を使った。「住田さん、今の坊主はわかんねー経を長々読んで、お布施を戴く、これでは駄目だ。もっと法を説け」と叱られた。
正直、法を説く自信がないのである。住職30年の私が言うべき事ではないのかもしれない。酒席での話しに反論しなかった自分が有りのまま。自分なりの言い分は持っている。されどそれを言ったからどうという事は何もない。実際に我が身を寺に置いている。これこそ矛盾そのもの。
 ただ、イメージ格差は他人に言われるまでもなく以前より知り尽くしていたことは事実である。

1258:期待半分

大変ショッキングな事件が身近に起こった。霞ヶ浦運動公園の駐車場で車の中で3人の方が自殺、ヲーキングしていた人の通報で分かった。前途を果敢なんで自死する人が一向に減らない。その駐車場は良く私がヲーキングした処、四季折々の花が花壇に咲き誇り、水車が回って霞ヶ浦から吹いてくる風が心地よい土浦の絶好の散歩コースである。
 選挙が終わり、政権交代が行われるというこの時期にどうして?新聞には20代~30代の男性3人、窓に硫化水素発生中という張り紙がしてあり、迷惑かけますと添え書きしてあったという。
 昨日、Nさんと久しぶりに草取りをした。彼は私が声をかけると喜んでついてくる。こんな話をしてきた。「あれ。。あの人どうなたっぺー?」という。誰の事?「何も食べていねーって言ってたよ。あんなに痩せていてな」
 数日前に多分30代位の男性が何か食べ物を下さいと学園にきたという。何か貰えたならば良いのだがNさんはその事が気になって私に話しかけてきたのだ。昔ならお寺に行けば何か助けてもらえるという期待があった。駆け込み寺という別称が今風前の灯と化した。それからNさんは妙に饒舌となり、「おれ、昨日萩観てきたんだ」と告白。「水戸?」「そうだよ。友達誘って一緒に。綺麗だった。」「友達?どこの」
 水戸の神社の軒下を住処にしている友達に声をかけ、一緒に駅からタクシーで萩の名勝地「ほうわれい」に行った話しだった。彼の人生は当に波乱万丈、いつまで尚恵に草鞋を脱ぐやら、また急に旅?に出るかもしれない。彼はGHの住人、水戸が彼のホームグランド、仲間もいるようだ。以前よくあった水戸からタクシーでの御帰還は小遣いが無くて電車で帰ってくるようになった。無類の酒付きで、彼の人生酒無しでは考えられない。
 どうかこの世が人に優しいものになって欲しいと心底感じる。金銭が絡む様々なトラブルは家族の絆をも引き裂いてしまう。その為の社会保障の仕組みであるべきものが、いつの間にか政争の具と化した。果たして小沢チルドレンの中で何人、Nさんの気持ちを理解する人がいるだろう。奢るなと檄を飛ばされ、選挙後直ぐに街頭に立った人がいると言う。
私は、今の根本的な政治改革はいくら仕組みを変えても無理だと思っている。それは政治家の生きる(活動)環境がそもそも違っているからで、彼らが一度胸に金バッチを付けてしまうと人が変わる。多分、何もしなくても決まった高額報酬が保障されている世界だ。先の寺に助けを求めてきた人や車の中でどんな気持ちで逝ったのかしらないが、彼らは何もしなければ保障が無い。このギャップを真剣に変えようとする者が果たして何人いるだろう。
 政権を取った事で国民の信託を得たと早とちり、国会内ではお決まりの与野党が目くじらたてて争う。これは表向き、陰では談笑しきり、料亭会合真っ盛り。
 国の存続の危機に真剣に取り組もうとするならば、全党一致で事にあたれ!この国に生まれてきて良かったと思う人がこんなに多く自ら死を選ぶか!新型インフルエンザで右往左往している人たちよ、毎年3万人を超える人々の生命の重さをどう思いますか?
 福祉という業界も大きく変わった。サービスを行うまえにソロバンを弾く。これで本当に良いのか!国の仕組みがそうだから仕様が無いという声を嫌という程聞いてきた。仕組みの中で上手く泳ぐことがベストの選択か?
 先人は嘆いているに違いない。私は、正直今の役目は早く降りようと思っている。やればやるだけ虚しさを感じる。何か意味の無い事に時間が取られ過ぎていると感じるからだ。

1259:一刺騒然

「あっつ!」 瞬時の出来事。痛みが走った。左足の膝、見るとでっけーハチがズボンに付いている。
 まずいと思った瞬間草刈り機を担いで逃げる。すると2匹が追いかけてくる。盛んに頭を攻撃してくる。逃げた距離100メートル、全力疾走。俺も捨てたもんじゃーねえ。蜂を振り切った。
 これは早朝の出来事、何を思ったか軽トラで乗り込んで土手の草刈りを無性にやりたくなった。順調に作業は進み、もう終わろうと思った時、そこに蜂の巣があった。刺されて気がつくとは愚か者。
 アンモニアを電話をかけ持ってきてもらった。気休めだとは知っていたが、ズボンを下ろし、パンツ丸出しで走りだし、バッタリ檀家のKさん鉢合せ、住職何やってんだ? 問答無用、氷で冷やそうと事務所に駆け上がる。すると鍵がない。・・・・
 私の事だから、想像にお任せします。痛いというのかなんと表現してら良いのやら、参った。
業者に依頼して巣を取り除いてもらった。私は見ていないが「大スズメ蜂」の巣だったという。何しろ私を刺した奴はでっかくて丸々太っていた。医者に行けとみんなが言うが、一人氷で冷やし寝て過ごす。今朝は大分腫れも収まり、熱を持っているだけで痛みは無くなった。
 蜂に刺されて亡くなる人もいる。後で思うと刺された場所が足で良かった。連中は弱い場所を知っている。幸い帽子を被っていたけれど、毛が薄くなった私には頭が一番効果的、知っていやがる。相手も相当できる。
 毎年、土手の草刈りをやると被害を受ける。いつもなら漆にかぶれる。これは痒い。今年は痛い。交互に受難・災難・・・大騒ぎ。
 チクショウ、明日からまた挑戦だ。何しろ切りが無い。拘りが最近強くなったようで草が伸びると、もうどうしようもない。大体、福祉なんて事を好きでやっている人間は似たりよったり。
本当に微々たる事に全力を投入、焼け石に水と解っていても止められない。
傍目で見ている人には、なんと馬鹿な事を、無駄な抵抗だと映っているに違いない。
それをどこで勘違いしたのか知らないが、「大変なお仕事ですね」とかなんとか煽てられ、満更でもねーと勘違いした連中だ。
 でも私はそんな人間が好きだ。ま!そんな人間ばっかじゃーねーと言う事は承知のスケ、我が道をいく、これだけ。
一刺騒然、夕方、巣のあった場所を見に行った。すると殺虫剤を持った職員が恐る恐る寄って来た。
「やめとけ!やめとけ!刺されるぞ」すると「そうですね、そう思います」とか言って急いで逃げて行った。

1260:閃き

世の中思うように参りませぬ。愚図愚図していても埒が明かず、余計深刻に思い悩む経験ありませんか?
そのような時ですね、蜂に刺されたと思うんですね。突拍子も無い事を言うとおっしゃるでしょう。でもね、2日前の出来事、蜂に温情が無ければ首か頭を刺されたと思うんです。なんだか知らないが、今朝あたりから痒くなってきましてね。逆に心地良い。
 蜂に温情有りや否や?私は有ると思うんですね。その理由、蜂は役割が決まっていてですね、外で働き餌を集めるものがいるという。そいつに痛い目にあったわけですが、折角、巣作りしているのに、草刈り機で襲った?のは私でした。明らかに私が悪かった。そこでデジタルに蜂は考えた。少しこらしめようと。それでズボンの上から足を刺した。
 このように考えました。すると全てが解決できるのです。これがどうのこうの考えるからおかしくなっちゃう。
 でもね、もしもですよ刺し所が致命的だったら、今頃病院かそれとも・・・・ひゃー。これが人生かもしれません。
筋書き通りには行かない。
 お決まりの政治談義に入ります。
三党連立がやっと纏まったようですね。良かったですね。始まる前から挫折では困ったものだ。一つ不満があるとすれば、透明な政治をうたうのであれば、あれもオープンでやれば良かったのに。亀井さんが何を言ったか興味あるもんね。
今になって彼こそが自民党の保守派であったことが分かります。郵政民営化で離党した人達は善悪は別として、今回の選挙でもその事を強調していた。考えようでは分かりやすい。それが選挙終盤になって、言っていることが自民も民主もあまり変わらないと思ったんです。高速の無料化だって、いま直ぐにやるのかと思ったんです。でも段階的でしょう。
 社民党さんが最後まで抵抗したという、外交防衛についてでも、良く分からないんだけれど、前向きに取り組む第一歩とか説明されていました。?????
 元々は皆さん、日本人という事ですよ。政策に大差が有るはずがない。政治は数だという。清濁併せのむ宿命を背負っているとも・・・・・だから手練手管にたけた人がボスになるわけですよ。
 なんだか蜂に刺されてから頭が冴えてきたように思えます。全てお見通しとまではいかないが、

1261:ある事情

ホント?開いた口が閉じません。私は茨城県で良かった。5年間で不正経理が分かった金額が30億円、隣の千葉県で明らかになった。森田知事がベランメー口調で怒っていた。そりゃーそうだわな、怒れ怒れ。私も千葉の同業仲間を沢山しっている。彼らは監査を受けているはず、逆に聞いてやれば良かったのに、あんたら大丈夫?かねと。
 只今、ある研修の企画をしている。坊さん達のものである。私の考えでやってくれということになったものだから、多少真面目に考えている。
 ある事情に目を付けた。『直葬』(ちょくそう)というものを耳にしたことがありますか?これは最近増えている葬儀の容である。病院から直接火葬場に行き、通夜、葬儀を省いて荼毘にふすというもの。法的には死後24時間たっていれば火葬にしても問題はない。それと無宗教を堂々と宣言する人達、寺との面倒な付き合いを敬遠し、葬儀だけ頼む一言坊主、出前葬儀など。大それた社葬は殆ど無くなり、身内だけで葬儀、その後忍ぶ会やお別れの会という流れができた。
 その辺の葬儀事情を、その道のプロ(葬儀屋さん)から坊さんが学ぶという研修会を企画した。寺と檀家の在り方が変わり、合葬墓に人気があるという。これも少子化の影響か、兎に角、坊さん自身が反省し本来の姿に立ち返れ!という見え見えの企画だ。
 また冷たい視線を受けるに違いない。構うもんか。
坊さん社会程、過去に囚われているのも少ないだろう。それを良しとする流れと改革しようとする流れが互いに同じ土俵で相撲をとる。
 「千の風になって」や映画「おくりびと」の大反響は何を意味しているのだろうか?このような時代だからこそ、日本人の深層に生死への関心が深まっているのだ。このような時代とはどんな時代?
言わずもがな、不安、不信、の渦巻く時代である。本来、宗教が重要な役目を果たしてきた。それがセクト主義になり過ぎ、不安や恐れを逆に利用し信者拡張にばかり関心が向いた。そのように私は考えているのだ。
 坊さんになり、既に30年以上がたっている。優に折り返し点を超えた。ならばどうするか。これが最大の私の関心事である。
 そのような事を考えていたら、急に学園の利用者さんの親が亡くなったという知らせ、葬儀に連れて来なくて良いからと先手を打たれた。
 それでも親に会わせたいと実家に連れていった職員も立派、このような事が現実に起こっている。
 12日は関東地区の施設保護者会の研修会、茨城はノルマがあって30名、尚恵学園では6名が出席。私も参加を決めた。それは茨城の施保連立ち上げに苦労した思いがあるからだ。多分、研修内容は新制度への不満一色になるだろう。
 全国育成会理事長のコメントもメールで流されてきた。施設解体を堂々と主張したかつての執行部は皆辞めてしまい、今新たな体制で運営されてはいるが、入所施設への見方は依然として厳しい。それは在宅で我が子を見ている親と施設に預けてしまった親との溝が歴然としてあるからだ。
 私はどちらか一方の肩を持つものではない。在宅と入所の事業を行っているからで、どちらの言い分にも理解はある。
だが、それは親(家族)に対してであり、利用されている本人は別だ。最近、やむを得ず入所を取りやめたケースがあった。20年近く入所を利用していた方が、どうしてなのか分からないのだが、仲間とのトラブル(他害行為)が増えて、その対応に苦慮した。それが本人は自宅にいると全く問題がない。家族の願いと本人の望み。一体では無い。
 我々は様々な事情の中で最善を尽くすことが使命だ。そして常に一定ではないということを理解すべきなのだ。

1262:押し競饅頭

政権交代が確定的となり、慌ただしくなっている。民主党は現時点での補正未執行額8,3兆円(朝日9・11朝刊)を一時凍結と決めた。そのうち厚生労働省分が2,5兆円、当然地方に交付した基金が含まれる。そうなると自立支援法絡みの期限付きの特例交付金もストップか!私のところでも既に交付内定を戴き、設計契約を済ませ工事着工の準備を進めている。もしかしてこれも凍結?
 無駄を省くことに反対する者はいない。寧ろ大いにやって欲しい。だが何をもってムダとするか?これが曖昧となってまたしても利権がらみになっては欲しくない。
 ところで基金を回収するのであれば、我々も言い分はある、2か月分の支援費未払分をきちんと支払って欲しい。私の施設で7千万位の未収金が毎年持ち越されている。これはムダと言わず詐欺だ。この実態を新しい政権与党がどう判断するか。今日は関東地区施保連の研修がある、多分、親の立場ではその辺の事情は知らないはずだ。それぞれが押し競饅頭をするわけかい。共闘という訳にはいかまいか。
 新型インフルエンザワクチンの優先接種対象者へ施設の障害者も入れるよう一先に申し入れした全国施保連はさすが、茨城でも心身協として県への要望事項に入れた。これだって良く考えると我先にという後ろめたさジレンマに陥る。
 今後、どのような政権運営がなされるのだろう。特にマニフェストに挙げた約束の実現は?最近現実味が出てきたのだろう、多少霧がかってきたようにも思えるのだが、まだスタートしない前からどうのこうの言うのも失礼だ、是非とも頑張って欲しい。これが民意だ。今回、自民党は55年体制の慣れ合い政治への反発を諸に受けた、再起をかけ、どう変われるか、これもまた大きな関心事である。
 息切れし再挑戦を諦めた元議員も沢山いるに違いない。これでは駄目だ。今こそ民意を知る絶好のチャンス、そう考え再始動した人もいるはずだ。
 自分が派遣社員になって実体験しようとする先生が果たしているだろうか?その辺のリポートを本来メデアがすれば良い。
 私は、今後様々な矛盾が噴き出すだろうと読んでいる。決してその矛盾を隠さないで欲しい。出来ない事は誠意をもって説明し納得させる努力をして欲しい。
 その点が一番欠けていた。福祉が見た目程喜ばれていない原因は、実はそこにある。形から入る流れにドップリ浸かってしまった。制度に合わせる福祉の仕組みは、その発想が全く逆であるからいくら箱モノを作っても不足する。
 一体どれだけの介護施設を作れば済むのでしょうか?その可能性は?
制度に合わせるとどうしても規制が生じる。いつまでたっても新たな取り組みの芽が出ない。そこで常に利用待機する行列が生まれることになるのです。
このメカニズムは、どうすれば変えられるでしょうか。既得権を死守しようとする発想からは絶対に生まれない。
 著名な経済学者の言う「顧客の創生」は、誰しもが考えなかった事から生まれる。無謀と言われても結果として成功した事例はいくつでもある。
 枠をはめた場所でいくら押し競饅頭をしてもだ。所詮、その枠の中での勝負。国が定めた枠をどう越えて勝負できるか、これからの経営戦略の要点である。
 

1263:生き残り

2大政党を日本の政治にも作ろうじゃないかという運動、いま予想外の展開。勝ち過ぎた民主党も戸惑っているのではないだろうか。少数政党も生き残りに必死なようだが、まだまだ甘い。昨日は錦糸町駅前のすみだ産業会館で研修会があり、参加した。駅より徒歩1分という案内で半信半疑で探す。それは丸井の8・9階を利用した会場だった。土浦にも同じようなデパートと公共機関が同居したものがある。錦糸町と言えば総武線沿線では有名な歓楽街、それも私が学生の頃だから40年も前の話、今では高僧ビルが立ち並び、昔の面影はすっかり駅前からは消え去った。
 駅ソバとクレジットという歌い文句で地方都市まで進出した丸井はご多分洩れず、客足は激減、生き残りに様々な工夫をしている。その一つが貸しホールである。いずこも同じ、時流に乗ることの難しさ、四苦八苦。
さて、今回の研修は施設保護者連絡会の関東地区セミナーで高知から講師を呼び、一連の障害者福祉政策の問題を取り上げ、今後どのような活動をすれば良いのかという提言の場でもあった。
事務局の話では460名の参加者を集め、大成功、今回の責任者とお会いして準備の御苦労をねぎらった。講演の中で国会対策としてこの団体として完全に民主党へのギアチェンジがなされたことが判った。果たして自民党1本で行って来た我が事業所団体はそこをどのように舵切りするのか。。。
 正直踊らされた感は否めない。しかし、私自身も当事者、その責任は感じている。国と地方がここまでネジレてしまった時代は過去にあっただろうか?旧社会党から枝分かれした様々な流れが、思いがけない時に顔を出すという感じだ。
 昨日のセミナーで印象に残っている言葉があった。それは「知的障害者の問題は”怒り”から発する」という先人の話。
 自ら訴えようとしない人々、その声を周囲の人がどう捉えるか? 育成会活動のスタートが”怒り”だった。同じ親の立場と言っても施設利用と在宅という立場の違いでギクシャクした時代があった。しかし、双方が批判ばかりしても埒が明かない、自らが行動に移すべしと立ちあがった。いま、この時期を大切に、本当にこれから一枚岩で立ち向かうことができるのか?
 多様化した人間の価値観を引きもどす事は並大抵のことではない。ただ確かな事と言えば、その原動力になるのは、”危機感”と”怒り”であろう。幸か不幸か、いま、その両方が大きく膨らんできた。
 このような時に絶対に必要なものは、強烈なリーダーの出現だ、小沢さんや鳩山さんが成りうるか。慎重に見極めていくより術はない。
 方や地方はどうか?線香花火みたいに目立ちたがりの知事が出る。彼らはメデアを上手に利用して受けの良いイメージを作っていく。
でもどうでしょう?いつの間にか居なくなっていませんか、それだけの置き土産を残されたのならば良いのですが、自らのステップアップに利用したのではいけません。これもまた県民が賢くならないと駄目ですね。
 結局、無関心でいようが批判しようが自分達の処に戻ってくるのです。
 日本らしい福祉の在り方?これが今の日本人誰しもが願っている根本の課題と思いますが、如何でしょう?
どうも福祉という言葉が巷から消えてきたように感じています。介護や医療それに教育とは目的とはなりえない代物、究極のテーマは”福祉”(幸せ)です。これは私としては絶対に譲れない。

1264:生き甲斐

『組織が最高の仕事をするためには、そこに働く者が、自らの組織の行っていることが社会にとって不可欠の貢献であることを信念としていなければならない。』(P37:ドラッカー「プロフェッショナルの条件」ダイヤモンド社)
 ドラッカー生誕100周年と題した書籍にある。この原則に乖離が見られる。企業の社会貢献とは別物で、本業における起業理念、これが全てということになる。副産物として余力を充てるというものではない。
 狭い業界の話で恐縮だが、障害者自立支援法への反旗の狼煙は、社会にとって組織の存在を否定された誤解?から起こったと私は見る。入所施設解体論は財源問題有りきという括りで作為的に起こったとする向きもあるのだが、それはすり替えに過ぎない。その辺の説明は9月2日付けの全日本手をつなく育成会速報、副島理事長名で[3]入所施設への見解でやんわりと触れている。
 これは入所施設の家族会の猛反発によるところが大きい。事業者団体の福祉協会とは、利用者と事業者という関係があり、お互いの主張でどうしても相容れないところが生じる。かたや施設家族会は育成会と同じ障害者を持つ家族という同条件。ここに本来の共闘すべき要因が存在する。
我々福祉協会は主役ではない、脇役に徹すべきなのだが、それぞれの思惑で運動を展開するから、複雑になってしまった。今回が良いチャンスだと思う。今後の問題として法律の廃止を唱える民主党と如何に調整ができるか、
 国の社会福祉審議会障害部会の実態を洩れ聞く処によれば、多人数の為、意見を述べる機会は短時間で用意された膨大な資料に目を通すだけで精いっぱいであったという。
 私は審議会の場で詳細な意見を取り交わす事自体に無理があると思っている。その前段階で行政を入れず関係団体の意見調整を行うべきだと思うのだ。それなくしては官僚主導の流れは変わらない。
 日本は不思議な国だ。国と全く同じ仕組みを地方でも取り入れる。下意上達にはなかなかならない。スムーズな運営には便利な方法である。しかし、この激変期には、この手法は馴染まない。
 入所施設を運営する我々も心穏やかでない。解体とは何ぞや!という不満が噴き上がった。本来、利用する家族会が真っ先に反応すべきところだったが情報に疎いところがあり、後付けとなった。順序が逆。
 先日の会議で今後の方向を示す話があった。入所施設のターミナル化である。利用者の死に水を取る施設を目指そうという。私は一番後ろの席で聞いていたが、かなりの数の参加者がそこの説明で頷いていた。同意見だということだろう。 これも正直、どうかなという思いがある。
終の棲家になるには、現状の施設は十分でない。それよりも限られた人の利用する場となって、職員も共に歳を取る。これでモチベーションが上がるのだろうか?福祉施設の不安は、施設解体とか利用者負担云々ではなく、従事者を如何に集めるかという事である。その為には魅力ある職場づくりが最優先課題なのである。これが家族と事業所の立つ位置の違い。私の立場では、さらに将来への危機感として、福祉事業を行う経営者がいるかという事である。責任が重く、その対価を求めないという日本流の福祉観、この方が深刻だ。
 入所施設のターミナル化は提案としては良いのだが、国全体の政策としてうたうには疑問が残る。民主党は現在の法律を3年間続け、その中で見直し調整を行い関係者が望む制度にすると言っている。少なくとも4年後に大幅な改正が行われれば順当ということになるようだ。何故、それだけ時間がかかるのかという質問に対し、講演者が言った言葉が当を得たものだった。国会議員の先生に理解してもらうのにそれだけ時間がかかるんですという。政治の世界で障害者問題はマイナリテイ、票にならないということでしょうよ。
 方向が決まるまで我々は先行き不透明な中で利用者や職員と共に現在の生活を続けることになる。
ドラッカーに聞きたい、この状況をどうみるか?しかし、いま彼はいない。2005年他界。

1265:国民総工夫

今週は4日続けて、水戸に会議があって行く事になります。高速を利用するから時間では40分ちょっとで県庁周辺に辿りつけます。エコカーは納車1カ月、すでに2300キロを走った。ちょっと走り過ぎかな、でも、給油回数は確実に減った。前の車の3倍の燃費だから。それと高速料金の無料化、果たして本当にそうなるのだろうか?国の試算では無料化によって経済効果が高まるという。今まではそのようなデーターは流れず、寧ろ反対の情報が流れてきた。不思議だね。
 一般道路を利用しなくなり高速道路が渋滞するのではという危惧、確かに納品時間が決められたプロの運送業の人々には先が読めない。守れないと送り主にペナルテイを支払うという。それから子供手当、高校まで無料化。子だくさんの家庭では早く実施してもらいたいだろう。
 でも、ここまで急に変更をして大丈夫なのかな?逆に心配だ。それからムダの問題、公務員の人数を減らすとか給与を下げるということだって相当反発をされると思う。いずれにしてもお手並み拝見といくしかない。
 政権交代での一番のメリットは、国民一人一人が政治に関心を持つようになることだ。それだけ今回の票の重みはあるということだ。私など非常に関心がある。目が離せないというのが正直な気持ち。
 なにしろだ、あれだけスッタモンダした障害者自立支援法が廃止にするというのだから、さすがに明日からハイ辞めますとは言えない。それなりの準備期間を置いて新たに『障がい者総合福祉法』というものに変えるという。
 これが実は妙なのですね。先日説明を聞きました。すると現行の法律は直ぐには止められない、新たな法律としてスタートするのは平成25年4月?という予定らしい。つまり、2期8年を民主党に任せれば保障しますよという事である。
確かにね。法律を作るには相当の時間がかかるでしょう。
 我慢我慢。
 経済対策最優先で闘った自民党が生活優先の民主党に負けたような構図だが、実のところは違うと思います。なぜなら結局は同じことを言っているわけですよ。マニフェストというものは、良く読むとどのようにも解釈できる。のらりくらりとね。でもね、国民は自民党そのものに愛想を尽かしたわけですね。それに輪をかけた、内部崩壊ですか。
 いよいよ国民総工夫の時代に突入したわけですよ。その要因は挙げれば切りがない。
 無関心ではいけない時代になり、さて、皆さんどうします? 現状の日本を私なりに分析しますとね、日本人一人一人が妥協点を見いだせないということですかね。障害者福祉に関わっていますとね、その辺の事情が良く見えてきます。
一言で言えば、人としての価値観の共有・・・・・これが極端に薄れてしまった現実が有るわけです。この根本の問題を棚に上げておいて、政治や官僚批判を繰り返してきた。財界しかり宗教界も同様ってことです。
 何故か?それは一言では言えないけれど、最たる原因は敗戦後の偏り過ぎた歩みとでも言いますか、あのショックから回復できない実態。
 敗戦後の悲惨を体験した年代が減り、国のはっきりした在り方が見いだせず、経済復興に邁進、その点を取り上げれば
世界に例の無い成功事例。ここに酔った人達が国の中枢に長く居過ぎた。
 だからどうです。政治家の議論の薄っぺらなこと。言行一致まで至らないでしょう、皆さんどの先生も。
奇しくも「障害者福祉は怒りから始まる」といった先輩達。ここに原点を見出す。これしかないと確信する。
 国民目線とは相手の身になって考えること、その点ではまだまだ矛盾が多い政策集団だ。

1266:ひょっとして

山口地裁で裁判員制度による初の介護問題で起こった事件の判決があった。60歳の妻を包丁で刺し大怪我をさせた63歳の夫に対する判決は、懲役3年・執行猶予4年付きの判決となった。13年前に倒れた妻の介護が直接の引き金。その時、47歳の妻を50歳の夫が自宅でみてきた。
 老老介護が深刻な社会問題となっている。その中で60歳以上の男性が介護者になっている数がなんと100万人いると言う。コーヒー一杯も煎れた事も無い男性が突如生活全てを抱え込む。認知症が進み、昼夜が逆転するケースもあり、介護する側は大変だ。退職を余儀なくされ社会から孤立し誰に頼ることもできず只管在宅での介護にあたる。
 どうみてもやさしい介護環境ではない。
 本日、民主党政権が成立する。長年自民党による国の舵とり、成否を問うにはまだ早い。いずれまた国民の裁定が下る時がくる。
 今(Am7:00)玄関のチャイムがなった。「ヨー また頼む」とOさんが立っていた。3000円手渡される。「はいよ、あげておくから」と言うと片手をあげ「たのむ」で来るが早いか自転車でまた帰って行った。もう85歳にはなるだろう、必ず彼岸前に一人でやってきて、先祖への塔婆を書いて欲しいとやってくる。私が書いてOさん家のお墓にあげておく。もう10年以上同じ事が繰り返されてきた。
 Oさんのお宅は親戚が多く一族郎党で墓参りにくる。その中での最長老、今では車の運転はしないが、神立駅前の自宅から自転車で一人でやってくる。
 家族形態の変容や女性の社会参加が進んだことが、男性による介護が増えた一因。
安心して住める社会には程遠い現実がある。老老介護と障害者の在宅介護は同根だ。昨日、水戸で育成会の理事会があった。私も事業所側から出ている。県への予算要望の取りまとめ時期、その中に継続要望でレスパイト事業があった。
 短期入所や一時預かりの制度はあっても使いづらいという。送迎を自分たちで行い、事業所側に空きがなければ受けてもらえない。手続きが面倒で・・・・という現状への不満が続いた。
 手前味噌と躊躇したが、我々の取り組みを話した。尚恵ではレスパイト事業をもう10年以上実施している。これは土浦市で議会にあげてもらい条例化したもの。市と契約を結び、年間上限で利用時間数を決め、登録制で行っている。
 ただし、我々の苦労も実に大きい。1対1で職員を付けるという条件があるからだ。受け入れる側は余程の事がなければ断らない。そのためには他の活動に影響しない職員を専門に付けないと実際には受け入れできない。今、この事業はお隣のかすみがうら市とも行っている。
 レスパイト事業そのものの意義は十分理解できる。導入に際して正直頭を痛めた。今では登録者も増え、次なる課題が出てきている。
 「財源有りき型福祉施策」へ一言。これは老人や障害者をどう見るかという事に尽きる。生産力ゼロ、消費度100という偏見が根っこにある。ここにメスが入れられるか?
日本語には、素晴らしい言葉がある。   ありがとう  すみません お陰さま そして お元気で
 これらの言葉を風化させてはならない。
 どうすればできるでしょうか? ひょっとして 貴方の身の周りに そのヒントがありますよ。

1267:有為転変

佛教では、因縁によって生じる現象は、移り変わりすると無常観をうたう。昨日は緊急の会長会議が東京であった。議題は政権交代後の協会活動、自民党が大敗北、国とのパイプ役をしてくれた議員が落選、与党PTとの蜜月が一挙に消滅、御承知の見直し法案は審議未了で廃案。さーてどうする!
そのことだけで全国から会長が集められた。正直、地方には地方の事情があり、今までだって一枚岩では無かった。私もこの業界に入り、30年以上経つ、ただ、会長になって3年目だからまだ新米、最初1年目は黙ってメモをとるだけ。最近は意見を述べる勇気?が出てきた。
 会議場の雰囲気は重かった。執行部に元気なし。何が出るか不安一杯という感じ、誰が口火を切ったか忘れたが様々な意見が飛び出した。執行部の責任を言及するもの、反対に擁護するもの、自由討議だから中身に統一性は無い。
結論を言えば、現在の執行部が任期までは続投し、新たな政府与党(民主党ほか2党連立政権)に協会としての要望をより強固にお願いするということになった。
 この時期に執行部全員が変わったとしてどうなのか、それよりも従来の反省を元に、原点に立ち返って体制を組み直し活動すべきという意見が大半であった。近日中に文章でその辺の覚悟表明が出されるという。
 私は今、執行部への見方が少し変わった。以前は何か一部の者(政治家や国)に利用され踊らされているように感じ、冷めた目でみていた。
 正直、地方会すらチョウロクに纏められない自分に非を論じるなどその資格はないと思っていた。また、政治に絡むと先が読めなくなるという経験もした。仲間内ですら誰を推しているか分からない。約束したからと言って、そのようにやってくれるという保証はない。そのような霧が晴れない日々をすごした。結果は良かった。それだけの事。
 会議でたった一つ言いたかった事は、何故障害者団体は連携が持てないのかということ。障害者自立支援法が悪法と最初から言われてきたのは、当事者や関係団体の責任であると私は思う。お互いに相手を批判し、足を引っ張り合う関係で予算が付くはず無いでしょう。それこそ井の中の蛙談義で国民合意など得られやしない。団体の調整役を積極的に買って出る者がなく、それぞれの言い分を審議会の中で微々たる時間にのべる事自体が変だ。その事に気付かない。気付いても変えようとしない。
 これは厚生労働省側の思惑通り。力を分散し、小出しに要望を飲むという典型だ。地方でも全く同様の手法がまかり通っている。その事への”否”表明が今回の選挙結果であろう。
 現執行部にお願いしたのは、この一点だけ。協会がリーダーシップを発揮できる唯一の可能性であろう。
各種障害者団体、それぞれが独自の活動を展開してきた歴史は尊敬に値する。最初は一緒に行っていた者が、理由は分からないが枝分かれ、そして相手の非を声高に指摘し我が牙城を築く。
 福祉の原点は、相手の立場に如何に立てるかという事ではなかったのか!先ず認め合う関係を築いてからお互いの主張を述べ合う。そこに相手を理解しようという土壌ができる。その努力は誰がみても十分ではなかった。それを意見として述べた。前の席にいた某県の会長が私の意見に賛同してくれた。
 障害者差別や虐待の問題は、実は一般の人々の問題ではない。正直言って彼らは障害者にそれほどの関心がない。むしろ問題とされるものは身近な関係者である。
 親が障害のある我が子を虐待する、これは地獄を見る思いである。支援者が障害者を差別する、これだって餓鬼の世界である。
 でもそれだけでは何も変わらない。当事者としては智恵を出すべきところだろう。こうなったのも実はやむを得ない事情があっての事だと先ず思うべきなのです。かつての障害福祉を築いてこられた先人は、その事を十分に解っていたからこそ耐え忍ぶことができた。そこには家族との対立は無く、信頼の絆があった。施設同士は互助の思いが自然と育まれていた。今の世は、自分達が良ければそれで良しという六道輪廻、ホンネとタテマエの時代となっている。

1268:譲り合う

日本中が”競争”に疲れているのです。馬車馬の如く、鼻先にニンジンをぶら下げられ、匂いはすれど口に届かず。
誰がそうさせているのか?それが良く分からなくなった時代に生きている。”謙譲の美徳”なるへりくだって相手に譲る徳を軽視する。
 経済的豊かさと先進国を一体と勘違い、立ち止まって考える余裕さえ失った。昨日は新政権になって、それぞれの大臣が所信表明、待ちに待ったポストだからテンションがMAX状態、待ち構える官僚も戦々恐々、またしても出世競争の坩堝と化すのか。
 麻生さんと鳩山さん、お二人ともデージン様のおぼっちゃま、果たして平民の我々の気持ちが分かるでしょうか?
篤とご覧くだされ!
 お彼岸前のこの時期にあっちに行ったりこっちに行ったり、小生は落ち着かない日々、2日前こんな場面を見てしまった。
東京から帰宅する常磐線の中、日暮里駅手前の左側に霊園があるのは御存じでしょう。大きな墓地の後ろ手に寝ている男性に気付いた。目いっぱいつまったカバンが2つ、それに青のビニールシートが畳んであった。
 電車の窓から見ただけなのに、ハッキリ目に焼き付いてしまったのはどうしてなのか分からない。暮れにメデイアが連日取り上げたテント村、いま全く報道しない。改善したのならば、それでよし、だが一向に体感できない現実だ。昨日各社が一斉に報道したのがノリピーの釈放騒ぎ。この情景は当に異常である。
 この二つの事柄が頭の中でどうしても整理がつかない。根本的な解決を見ないまま、時間と共に忘れさられる。「諸行無常 是生滅法 生滅々已 寂滅為楽だ!」
斯様に興味本位の理念無き報道に駆け回る記者もお気の毒。湾岸警察署前に脚立を持ち込み何時間待ったの?
それと旦那の釈放が時間差で付け足し報道、貴重な公共の電波を馬鹿げた事に浪費する。これがまた笑っちゃうのは、ヘリコプターまで導入した念の入れよう。途中車を乗り換えての闘争劇、それを上空で実況中継、逃げる方も追いかける方もどこかが狂っている。そう思いませんか!国の一大事と有名女優の麻薬事件、どっちを優先するのですか。
否否否・・・それを見ている私の方も狂ってる。
 東京に出ると様々な矛盾を見てしまう。人が住むキャパシテイを超えてしまった弊害だ。そのペースで動こうとするからついていけない人が増えるだけ。神田川の汚れはどうなった?
 もっとスローペースで生きようよ。昨日も午前中草刈りをした。除草剤を使わないと決めたから、直ぐに雑草が伸びてしまう。雑草????誰が決めた?彼らは雑草とは思っていない。お隣の除草剤を巻いた場所は一目瞭然、草が生えていない。
 背丈まで伸びてしまった草と格闘していると、それに見兼ねた畑で作業中の農家の方が”住職よ。そうやんじゃーねーよ”と草を2段に刈ることを教えてくれた。それと安全カバーを外したほうがいいよと。確かに機械に草が絡まって力ばかりいって一向に刈れない。然程広くはない場所だが刈り終わる前に疲れてしまう。
 見よう見まねで草刈りする私と農業を生活の糧にしている人の違い。道理が分かっていても経験がない。
 雑草の中にも綺麗な花を咲かせるものがある。その気付きは私の楽しみの一つ。格好を付ければ「語らい」を実感する一時だ。
教えていただいたように草を刈ると、これが塩梅がとても良い。倍以上の能率だ。その時だった。目の前を横切るものがあった。”蜂”だ。 直ぐにエンジンを止め、本日これにてオシマイ。 謙譲の美徳とは、これ如何に?

1269:出来る事・・・

出来る事出来ない事・・・やったことやらなかった事・・・対義語と捉えることに疑問あり、基底においては同根で
時の差によって認識するから差別する、その事をどうのこうの周囲で詮索すること自体意味が無い。
 それが一番際立つのは政治の世界、その緩和剤として有権者の票の行方があり、与野党を明確に分ける境界線としては実効性の有無だろう。下野した自民党の役割として注視せねばならないことは、単に批判政党として議場を賑わかす存在となるかどうか? 今に至った最大の責任政党としての自責と自覚、それと再起回復力をどう養うかにあるはずだ。果たしてその地力が残っているか否かは分からない。試験走行始めた現与党、第1の評価ポイントは100日と言う。ぶっつけ本番だよというには性急でむしろ長年野党に甘んじてきた先生方の蓄積し実力が試されると考えるべきなのだ。
 口先だけで危機を論じあった生ぬるさ、世界の目は、当の昔よりお見通し、正直、いま何から手を付けて良いのやら暗中模索という状況だ。妙に張り切る姿には一抹の不安が残るにしても、期待を持って見つめたい
 ここに至り政治家の定数減の問題が鳴りを潜めたように感じるが政治主導を軌道に乗せるには減らすどころか増やす要望も出るかもしれない。そこは有権者たる我々がしかと監視すべきだろう。この辺の探り合いが政管癒着の根源にあった事は歴史が物語る。
 さてさて、お彼岸に入り、暫くは坊さん業の開店だ。有り難い事に檀家さん!先祖の供養と寺から何も催促した訳でないのに訪れる。
 2足のわらじを履きながら予定表を確認してのお勤めと諦め半分で付き合ってくれている。この寛容さに守られてと思うソバから戦闘態勢、有事にあって平時にあらず。この長年の積み上げが功を奏しているのだろう、エンジン刈払機の技術は大したもんだと自画自賛、手の震えはその為か忘れた塔婆を書き始め墨と筆には責任無しと言いわけしながら書く始末。
 お彼岸初日に葬儀が入り、頭の中はへのカッパ、どうにかなるべーと受けたは良いが、今日も水戸まで参勤交代。
トランクに草履 良し 袈裟 良し 数珠  良し   JRの乗務員では無いけれど これだけやっても忘れ物。
 何を隠そう私の掲げるマニフェスト、坊さん業と福祉業の一体化、どうみても歳とる毎に隙間風、吹きっさらしとなる前にいい加減に看板下ろせと人は言う。
 我が人生悔いは無し。
出来る出来ない関係無しよ、貴方が信じた事をせよ。以上、雑感を記す。
 

1270:彼岸想起

秋の彼岸(19日入り〜26日明け)は、春とは違った趣を感じる。厳しい夏の暑さから冬に向かうその間には、自然が織りなす様々な変化を肌で感じ、夜長に過去を思い起こす季節である。
 秋に咲く彼岸花はあっという間に大きくなって気が付くと朱色の見事な花を咲かせている。すらっと伸びた茎先に開いた花に近づいて良く見ると一本一本の花弁が幾何学的になって一個の花を形成している。どうして同じ形の花を咲かせることができるのだろう?
 空気の流れを感じさせるものは風、自然の深みを感じさせてくれるのは水。特に水は源を小さな小さな湧水から始まり山や平野を流れ、途中いくつもの支流が重なって大河となって海に注ぐ。
 人生に例えるには雄大で足元にも及ばない。日本には幾多の大河があって、昔からその川の恩恵を受けての営みがあった。途中まで進んだダム工事を中止するという話、この結末はいかに?
 治水が目的で始まった事業が、時代が変わり、周囲の思惑も二転三転、先行きが分からない。自然を人間が征服しようなどと考えたならば大きな間違いだ。必ずやしっぺ返しが来ると思う。利用するだけ利用して放置された様々な人工物、ヒマラヤの奥深くでさえ、人間が持ち込んだゴミの処理に苦労する。
・・・小休止・・・・
『景況点描』
 大型連休に入り、人の流れが出ている。この時期、私としては寺を離れる訳にもいかず、只管、白衣に着替え来客の対応となる。法事で全ての日が埋まっている、どっかに出かけようと思ったが思うは自由。
 最近の景気の動向を探るには、夕飯時刻に街の様子を見れば一目瞭然。個室型のゆったりと食事が楽しめるような場所は客の入りが悪く、その直ぐ隣の店は待ち客が並ぶ盛況ぶり、何の店かと覗いてみれば、100円回転ずし。
 海外旅行組も数は減ったといっても結構いるようだ。この格差はいかがなものか。昨日は敬老の日、各地で100歳を迎えたお年寄りにお祝いの会が開かれた。健康寿命は果たしてどれ程、昨日、お葬式があった。享年で90歳、お経を終えて控室に戻る。遺族の挨拶に続き、長年連れ添われた奥さまの想いでの一言。これが実に良かった。ご本人は足が不自由で車いす、棺の蓋を閉める時、手を合わせお唱えをしている。「成仏してくださいよ。成仏ね。後は心配しないで」
 こうやって逝く人とそれを見送る人の別れの場に何度立ち会ったことか。
・・・小休止・・・・
情報化が進み、報道の如何によっては受ける側に大きな影響が出る。覚醒剤絡みの報道が鳴りを潜めたと思ったら、やおら登場してきたのは、鳩山新政権のお歴々、連休で皆さんおやすみかなと思えば、主なる幹部は外国に、自民党がアメリカ一辺倒であった事への反発か、今、英国とロシアに関心が高まっているようだ。議員内閣制の本家、イギリスは我が国同様、島国で然程資源には恵まれず、そうは言っても世界のイギリス、確固たる地位を堅守している。
 それと鈴木宗男議員が外交委員長に就任、その意図は明らかにロシアとの関係改善だ。一方、自民党は月末の党総裁選挙で3名が立候補、地方遊説にお揃いで声を張り上げる。
 マスコミは明らかにシフトを変えた。鳩山総理の周辺を面白おかしく紹介する。渡米前に官邸に桑田を招いて、カメラの前でキャッチボール、。。。各社擦り寄って持ちあげて名前を売るのに四苦八苦、霞が関とて同じ事、カメラの前では戦闘態勢、実際は大臣詣でで機嫌とり。お互いにいつ梯子を外されるか気を付けてくださいな。
 世間に目をやれば、運動会真っ盛り、久しぶりに覗いた小学校の運動会、昔みたいにゴザを引いた応援風景などは全く無い。それぞれが今流行のパラソル付きのテーブルセット、競技を見るよりガーデンパーテイ。見てないクセに「すごかったね、早かったね」と昼に戻った我が子と会話。
 どこかが違う。暑くもなく寒くも無いこの時期はやはり屋外スポーツのベストシーズン間違いなし。
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