源究58

   

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
691 ムダとの戦い 10/23 696 福祉離れへの奇策 10/29 701 8歳の目線 11/3
692 譲れないこと 10/24 697 国会審議 10/30 702 就職相談会 11/5
693 70000アクセス 10/25 698 IT跋扈(ばっこ) 10/31 703 11月6日 11/6
694 全国会長会議 10/26 699 霜月 11/1 704 緊急連絡 11/8
695 土浦市民間施設協議会 10/28 700 森岡まさ子さん 11/2 705 返信 11/9
枝折峠の紅葉

691:ムダとの戦い

10月衣替えのシーズン、冬物をタンスから取り出し、日陰干しを行う。毎年着られなくなった服が結構タンスの奥にしまい込んであるものだ。最近、市内の空きテナントを利用したリサイクルショップが目に付く。古着や古本を売り買えする店のようだ。 ユニクロやしまむらなど低価格で事業を伸ばしている店がある。安いとどうしても必要のないものまで買い込んでしまう。
 私は帽子を10個以上持っている。別に被るわけでは無いのだが、旅先などで目に付くと買ってしまうのだ。
昨夜は水戸で大正大学の同窓会があり、私も別に用事も無かったので出席した。いつの間にか副会長になっていたのには驚いた。大学の入試担当者が現況の報告を行った。茨城県は大正大学の出身者が多いのは全国で4番目なそうで、茨城での生徒募集には力を入れているようだ。大正は4つの宗派が設立母体、寺の僧侶養成コースを持っている。しかし、寺関係者の学生は1割に満たない。一般学生が9割そして女性が多い。
 AO試験や推薦入学の枠を拡げ、学生の青田刈りは常識だという。私などは競争率20倍とか30倍といった時代(昭和44年)、合格するには宝くじに当たるような思いだった。それと比べれば今は学生天国だ。地方大学は全入時代に突入、受験すれば入学OKである。
 先日、誰の話だったかインドに視察に行った方からの話。インドの大学生はとても優秀で日本のトップクラス大学の学生は比較にならないという。インド式算術というのがあって、小学生が日本の九九などのレベル以上の計算を暗算で行う。
 今、中国やインドといった国の目覚ましい発展に驚異を感じている財界人が多い。だが、昨夜の記念講演大正大学の小峰学長さんの話ではないのだが、そもそも仏教はインドから中国そして日本に伝えられたもの。その歴史は1400年に届かない。
 般若心経というポピュラーなお経でも、誰がいつ頃説いたかという事がはっきりしていない。教典の解釈書は多い。
 しかし、教典が書かれた時代の状況は推測でしか知り得ない。
 誰が考えても現代のように物が有り余り、様々な価値観がまかり通る時代ではなかったはず。コンピューターなど便利な情報手段もなく、口伝えで教えを広めた。仏教やキリスト教、イスラム教など人を介して伝える間に、内容が微妙に変化することもあったはず。その延長戦上に現代があると言っても良いのかも知れない。
 ムダを省くということを今の日本人が真剣に取り組んだならばどうなるだろう。
 メタボリックスなどの生活習慣病も激減するだろうし、医療費も確実に削減されるはず。経済発展の副作用でムダが氾濫している世の中はどう考えてみてもおかしい。
 交通手段一つ考えてもそうだ。地方での公共バスは廃止され続けている。自家用車がどこの家にもあるからだし、郊外型の大型ショッピングセンターは便利さを売り物にした。今度土浦にできる同様の施設は、なんと130店ものテナントが入居するという。開店したが売り上げ伸びずという現象は全国至る所で耳にする。所詮、競争に勝ち残るというのは至難の業。
 日本人特有の流行物に直ぐに飛びつく性分は、いつの時代になっても変わらない&懲りないようだ。 身の回りでムダ(使用しない物)を原価計算したら一体どれだけの金額になるだろう。その金額を預金残高にした全国統計が出ればあっと驚くことだろう。

692:譲れないこと

昨日、急に私の友人の施設長が会いたいと言ってやって来た。彼の発想はユニークである。どこで仕入れたのか分からない。日中活動でリサイクルをやりたいというのだ。それもなんと入れ歯の回収。私も情報不足だったが、病院などと契約し、全国では大手?が5社あるという。「住田さんお寺には入れ歯ないですか?」「・・・・・」こいつは何を言っているのだと瞬間思った。そう言えばお骨の中に生前使用していた入れ歯を納める方がいるわな!
 彼が帰ってからおもちゃ班に様子を見に行く。すると8名のメンバーが作業していた。それぞれのパートを受け持ち、スタッフと一緒に楽しんで作業を行っていた。上記のスナップは糸鋸を見事に使っての作業。私がカメラを向けるとニコッと笑っただけでまた一心に糸鋸に向かった。
 彼らの製作する木のおもちゃには歴史が刻まれている。今年から水戸の福祉の店に納品を開始した。
”福祉さんへ。 納品お願いします”と書かれた紙袋に作品を入れ、店に届ける仕事が私に回ってくるようになった。
 リサイクルの発想も良いだろう。国の薦める工賃倍増計画も色眼鏡なしで見れば頷ける。 だがこれだけは譲れない。インスタントな作業は奥がない。うちのおもちゃ班の歴史は優に20年以上の積み重ねがある。メンバーさんが持つプライドを傷つけることなど私には出来ない。今日撮ったスナップを紹介してみましょう。

色づけ
 ともだちピエロ
園内道案内版 作業場

693:70000アクセス

アクセス達成70000回、誠におめでとうございます。(自画自賛) 皆様に感謝の気持ちを込めて、お礼申し上げます。60000回達成は丁度半年前でした。No:556(源究49)。全く無責任に好きな事を書き続けています。独言などと言い訳がましく始めたの良いのですが,引くに引けない状況が自分の気持ちの中に今あります。何かを発信し続ければ、何らかの反応があるはずだという一方的な決めつけ。
 自分勝手な性分とでも言うのでしょうか。団体の責任者という大役を引き受けてから、その思い入れが倍加したように思っています。正直、引き受けた時期が悪かった(?)。目まぐるしく変わる制度、いくら説明を受けても理解できない。あて職が多いこと多いこと呆れました。会議の3連ちゃんなどザラ。法衣を車に脱いで背広に白足袋といったアンバランスな格好で会議に出席するなど結構ありました。逆に背広から法衣への着替えもあり、通夜に経本を忘れたり草履を忘れることも何度かありました。常に消化不良の状況で、その不満を誰に訴えれば良いのやら。結局はHPを立ち上げ、見様見真似で全て私一人で作っているのでありまする。ですから他の誰かに責任を転嫁するなど出来ませんし、全て自分の責任と自覚しています。
 出張も多くなり、最近はノートパソコンを持ち歩くようになってしまいました。毎日入る迷惑メールにもギブアップ、逆に、相当な暇人が世の中にはいるものだと最近は感心するようになりました。
 そのような中でささやかな喜び事があります。私の住む地域が来年1月からやっとフレッツ光のサービスエリアに入ることになりました。
実は何故PCを持ち歩くかと言えば、後でメールを開くのが面倒だという理由も大きいのです。3日も開かないと300通ぐらいの受信メール(その殆どが迷惑M)があります。受信速度が遅いので、困ってしまうことを何度も経験しました。
 便利さと裏腹に必ず不便がある。この繰り返しの中で技術が進歩したというのも事実でしょう。
そのような自分がいつも我に返る切っ掛けがあります。メンバーさんとの触れあいです。彼らは本当に淡々としています。怒るときは怒り、泣くときは泣きます。これって普通できないことですよ。何かが邪魔をして。
 ここ数年は家族会と話し合う機会も多くなりました。これからこうなりますがどうしましょう?という解ったようで分からない話が殆ど、でも、実はメンバーさんにとっては大切な事ですよ。長年、学園での生活をされている方がおります。学園生活が当然といった周囲の思いがありましたから。ここでギアチェンジ。
 現代は心配と安心は決して対等にはなっていません。どうも障害福祉は数の論理から攻められますと多勢に無勢という事で隅に追いやられてしまいます。この2年間は正直、この鬩ぎ合いに明け暮れた。福祉という業界の中でも勝ち組負け組があります。
 これってどう考えてもおかしいのです。納得できませんよ。
 多分、これからもこの疑問が解決できない以上は独り言を書き続けると思います。飽きたら、どうぞ、いつでもサイナラ。
遠慮なされず、グッドらバイです。
 

694:全国会長会議

25日と26日、東京會舘39Fで全国会長・事務局長会議が開催されました。詳細は別記
 今回も膨大な資料が渡されました。執行部や事務局のご苦労は想像を絶するものがあります。多分、彼らは自分の施設の事など構っておれない日々をここ数年は送ってきたものと思う。私は丁度、この会議に参加するようになって1年半が過ぎました。正直、執行部への様々な意見があることは承知しています。しかし、最近は感情を全面に出した意見は影を潜めているように感じます。それは、執行部の用意した資料を目の当たりにすれば誰も何も言えないからです。
 難しいのは法律そのものを変えることは難しく、関連する政省令等を見直すことが今できる最大限のことであろうと考えているのです。障害者自立支援法の抜本的な見直しを急に各政党が打ち出していますが、具体的な内容を把握しているのは実は育成会や事業所団体ですから情報源は同じ、各政党から呼び出しがあり、執行部は毎日のように協議を行っているようです。通所系や入所系、授産系と児童、若干スタンスが違います。しかし、より複雑化しているものに、同一法人で様々な事業を実施しているから難しいのです。今回の障害程度区分一つにしても身障系の事業所からは、あまり不満が出されていません。知的・精神系からの見直し要求が強いのです。
 会議の最後に地元にもどって各県でも運動を展開して欲しい旨の要望がありました。正直、茨城県の場合は積極的な運動は行っていません。関係団体との合同の協議の場も今までなされていません。どうしてなのでしょうか?つい最近まで三障害のうちで精神と身障系の全国会長が実は本県から出ていたのです。(二人とも社会福祉審議会障害部会の代表)これは全国的にみても例がないこと。残念ながら知的の私が新米で、このバランスは如何ともし難しといった所です。
 改革の動きは、今に始まったことではなく、国のレベルでは大分前からその準備がされていました。いざ、法律が決まってから問題点を指摘しても後の祭りといった印象は否定できません。
 昨日も佐賀県で起こった知的障害者が授産施設から帰宅途中、不審者と間違えられ、警察官によって羽交い締めにされ、その結果亡くなったという新聞報道が報告されました。九州地区では大きな問題に発展するだろうという報告でした。全国各地で、実は同様の事件が起こっています。地域生活を目指す中で支援の手薄さから起こっている可能性が高いと言えます。
 GH一つをとってみても、何故に老人の仕組みとこれほど違うのでしょう。東京都は単独でGH利用者への補助を国の2倍に一律で行ったとか。障害区分6でGH利用の場合は、月30万という補助を都が出すという話でした。夢のような話。
 会議場ではため息があちらこちらから出ました。この格差を今、一番問題にしているのに、いかにも勝ち誇ったようなその報告を手放しで喜んで聞いた各県代表者はいない。その事は伝えたい。
 今日は朝から台風20号の影響を受け、雨模様、以前から準備していた土浦市内の民間施設連絡協議会(全種別)の発会式が市内の産業祭の会場で行います。どうも天気も味方してくれない前途は、これまたイバラの道でしょうか!
*自立支援法抜本的見直しの請願書は茨城県内で7127名の方に協力いただき河野衆議院議長宛に提出しました。
  全国で469,456名でした。ありがとうございました。塵も積もれば山となり得るか。
*会議の懇親会で和歌山の会長と話をしました。徳川幕府の御三家、茨城(水戸)と和歌山(紀州)。尾張は?
  どうも周囲を押しのけてまで我先にという精神文化は無いなーという話で一件落着、最後は「インロウ」を出すより仕方がないのでしょうか。
 

695:土浦市民間施設協議会の発足

土浦市は新治と合併し、現在市内にある社会福祉法人は27事業所あります。保育、児童、老人、障害と種別も多種にわたり、従来は市社協の中で従事者の新年会等の行事は行って来ました。しかし、福祉の分野に於いて多種の事業主体が参入し、最近のマスコミ等で騒がれる不祥事が表沙汰になる時代となりました。今回は上方会長(茨城県経営者協議会会長)の提案で、1年半ほど前から検討準備をして参りました、会の目的は福祉関係者が連携して何らかの地域活動をしていこうということで賛同を得、今回の発足に至りました。
 当日は土浦市の産業祭が開催され、朝から各事業所が準備した品物をテントで販売することも平行して行いました。生憎、台風20号の影響を受けて雨模様、しかし、有難いことに多くのお客さんが来られて1時間ほどで9割がたが売り切れたという盛況ぶりでした。発足式には明日市長選の公示日という慌ただしい中、中川市長も駆けつけてくれて、市長の公約である”日本一住みやすい街、土浦”の一翼を担うべき今回の民間施設の動きに全面的に賛成してくださり、市と協同して福祉の街作りを推進しようと言うことを確認しました。発足式には多くの来賓も参加して下さり、終了後、報道関係者との記者会見もあり、一般市民にも周知できるよう配慮いたしました。
酒井実行委員長(ポプラ館)初め各事業所から委員として協力してくれた結果、無事発足が出来ました。事務局は土浦市社協に於かれ官民一体の事業体がスタートしました。27事業所全てが設立に参画しています。
 国では社会福祉法人の見直しが検討されており、我々関係者が国民的合意を得ているか否か、自らを謙虚に反省し、本来の事業目的を進めていくことが一番大切で望まれていることです。
 従来の種別毎の取組には、地域全体を対象にした場合、限界がありました。そこで今回の一番の狙いはそれぞれの得意とするサービスで協力していこうというネットワークづくりです。私達尚恵学園も土浦市の中で51年の間、事業を継続してこれた事は陰に陽に地域の人々の支えがあって出来たものです。その恩に少しでも報いていこうということであります。上方会長を支えていく立場でこの会のこれからの充実を図っていこうと思っています。
 昨日の大雨と違い、今日は朝から青空の見える好天です。まんだら工房では2日目の産業祭に出品するパンづくりを夜中から行っていました。昨日の発足式の来賓の井坂会長が「住田さん。まんだらのパン、買ってきましたよ」と声をかけてくれました。
 持ちつ持たれつの関係が理想の街です。
 行政への一方的な批判はもうよしましょうよ! 生まれ育った街を愛する人は沢山います。私も57年お世話になり、様々な良き思い出がこの土浦と共に作られました。私の知り合いも沢山行政の中で頑張っています。また、土浦を出て生活をされている方も大勢います。その方達も、必ず生まれ育った土浦を心のどこかに懐かしみ街の発展を望んでいます。
 我々残った者立ちが腰を上げずして、街の活性化や住みやすい街作りは望めないでしょう。
 広大で肥沃な関東平野の中心にある土浦は霞ヶ浦やつくば山といった自然に恵まれた街です。その環境を活かすも殺すも我々の責任であろうと思っています。・・・・・
「急に立派な事を言い始めたなや どうしたの??」  別に議員に立候補するなどという気持ちはございません。念のため!

696:福祉離れへの奇策

先日、某大学の役員会がありました。私も理事の末席を汚しています。そこで感じたことは教育関係者の苦労です。福祉の業界も同じですが、趣は大分異なりますね。一部の有名大学を除き、地方大学は学生集めに奔走しているわけで、全国向け学生の募集PRは1年を通じて行っていますが、実際に募集定員には至らず、全入学時代に突入している状況です。
 そこでの戦略は凄まじいものを感じます。他大学との競争に如何に勝つか!入口から出口まできめ細かにフォローする体制作りは大変なものです。福祉との大きな違いは、まだ福祉は受給バランスが事業所側に優位にあるという実態と運営費の大半が税金によって賄われているという現実、老人系や障害系は出口まで心配する必要度がまだまだ少ない。
 この格差は実はいろんな面で出てきます。むしろ福祉は医療と近い関係にあります。例えば少子化という問題は、教育関係者には学生の取り合いという状況を生み、福祉や医療現場は従事者の確保困難という危機に直面している。
 日本全体で考えれば、根の所ではつながっていることなのです。
 今日は福祉系の養成校と事業所との対策会議がありました。学校側は学生募集への大変な危機感、軒並みクラス閉鎖を余儀なくされている。事業所側は職員募集しても一向に応募がない。両者の思惑が一致して、何らかの対策を練ろうという事。障害者自立支援法の罠? 新体系に移行した場合、職員を増やさないと成り立たなくなる事態が起こる。障害程度区分の平均値で報酬単価が設定される。当然利用者と職員の定数割合が決められ、もし、職員不足という事になれば30%の減額(返納)になるというペナルテイが待っている。それに、従来は業務宿直で認められてきた夜間体制が夜勤にしなければならない。日中の職員不足の事態になるために新体系に移行したくてもできない。また、日額制という支援費の算定が、特に通所系の事業所の収入減額という問題を起こしている。事務の煩雑さと増えた量がこれまた異常です。
 実は、新法がスタートし1年半が経ち、現場からの様々な問題が出て参りました。その結果、今の抜本的改正という動きになっているのです。
 だが、現実は厳しい。財源問題は社会保障だけ一人勝ちというわけにはいかない。一つのザルの中のお金を使い廻しているからです。こっちが増えればあっちが減らされる。そう簡単にお金が動かないように手続きを複雑にするんです。厚生労働省は他の省庁と比べ、予算額も実に大きい。それも連続的に長期に計上されるものが殆どです。今回、新たな問題となっているC型肝炎被害者への救済措置、当事者にとれば生命に関わる重大事、舛添大臣は今後5年間で1000億円の試算で救済策を約束しました。
 自立支援法での3年間の特例交付金は総額で1200億円だった。各県の人口割りで配分されたまでは良かったんですが、今その活用で地域格差が出ている。また有期限で3年後の保証は全くない。
 このような先行きが不透明な状況が、若者の福祉離れに何らかの影響をもたらしているのも事実だと思います。
 さて、どうするか? 一向に妙案が浮かびません。
 今日の介護養成校との協議会、予想通り、全く先の読めない現状の確認でした。介護福祉士の制度改革が今の国会で提出されるとのことでしたが、ご承知のように防衛省事務次官の疑惑、証人喚問でまた先延ばしになる可能性が高まりました。 どうも、日本の仕組みがチグハグになっている。
今日の会議で一つ分かった事があります。それは現在介護養成校は県内に9校あるそうですが、全てが定員を満たしておりません。(半分にもなっていない所もあります)しかし、新たに3校新設の動きがあるというんですね。自由競争という社会のルールは、バランスを崩すと社会悪になるということもあるんですよね。

697:国会審議

衆議院テロ防止特別委員会において,前防衛省守屋事務次官の証人喚問が行われた。誰もが感じたことだと思うが、質問に対し、肝心な点については答えなかった。
 そのような時に前防衛大臣が緊急入院したというニュースもテレビに流れる。全く同じパターンを繰り返す。政治家の先生と官僚の大きな違いが見て取れる。官僚はポストを異動する。政治家は落選しない限り、発言の責任はついて回る。共通する点は、上のポストを狙う者にとっては身近な者が一番の危険人物だということ。彼らは何枚ものカードを持っている。この時はこのカードをきると言う具合にだ。これが恐い。
 今回の一連の疑惑も実は歴史を辿れば同様の事件があった。政治家の先生にとっては一つの政党に長く止まるケースと転々と渡り歩く先生がいる。女性で初めて防衛大臣になった方は、その典型であろう。しかし、皮肉と言うか偶然というか、彼女が今回の騒動の切っ掛けを作った。良くやったよ。褒めてつかわそう!
 マスコミは面白おかしく報道する。多分どこの局もやる気満々で取材攻勢をかけているに違いない。マスコミにとっての天下の宝刀は「言論報道の自由」、さすれば一般視聴者にとっては何があるのだろうか?無関心?
 国会中継が有るのは、ほんの一部、膨大な数の委員会や審議会での協議の中身まで知る術はない。
だが、冷静に見ていてこれだけは真実かもしれない。それは疑惑や問題は全てが内部(身内)からの告発だと言うこと。今回の問題の発端は、「山田洋行」という会社内部の勢力争い。元専務が経営者側とケンカになり、40数名の有能な社員を引き連れて別会社を作った。防衛省という同じ花に群がる蜂になったわけだ。そう考えると、山田洋行側が自民党以外の政党の代表に600万?なにがしの献金をしたことも頷ける。
 多分、どこで手を打つかという裏での動きもあるかもしれない、先ほどのカードではないが、いざと成ればお互いが攻勢に転ずる可能性(リスク)を含んでいる。これを泥沼といわずして何という。嫌だ嫌だ。
 一般に言われるところの族議員という人達は、今、心中穏やかでないはずだ。厚生族とか運輸族と言われた先生達。
 自分の身が潔白ならば、大きなお世話だと一笑に付してもいいでしょう。だが、ポストが上がれば上がるほど、先の身近な人達が反転攻勢に転ずる可能性が高まりますよ。その時何が大切で重要か。「地元を大切にすることです。それも分け隔て無く。だってそうでしょうよ、今の政党に留まらずしても立派に当選できる先生もいますから、地元との固い信頼関係です。でもねーできますかねー????」 生臭坊主の独り言。

698:IT跋扈

IT跋扈(ばっこ)・・・インターネットや携帯電話が急激に増加し、インターネット中毒やインターネットカフェ難民など時代を示す新語が登場している。浅井隆という新生作家の本を読んだ。彼独特の現代批判は数多くの取材を元に論評しているから、読み方によっては皮肉っぽくなる恐れはあるが興味を誘う。
 神立がフレッツ光のサービス対象地域になるとのことで加入募集の電話攻勢の話は以前このコーナーで書いた。インターネットを行っている方ならば誰しも分かることだが、その危険性までは熟知していない。例えばサーバーとの契約にしてもIDやパスワードを忘れたり、盗まれたりすれば情報がどこにいってしまうか、その保証はない。私はHPを自分で作成しているから今までに何度もサーバー会社に問い合わせID番号を知らせてもらっている。どこかにメモしてあるのに、どこに書いたかを忘れてしまうからだ。だが、一般的に携帯電話でも同じミスを起こしやすい。例えばメールである。先日、研修会の席で誰かが携帯のメモリーチップを落とした。誰のか分からない。事務局に預かってもらったが、その後のことは聞いていない。
 皆さんで携帯を無くしたりした時がないだろうか? そのような経験があれば一度確認したほうが良いと思う。銀行カードなど簡単に暗証番号など解析される時代なのだ。IT跋扈とは先の浅井流にいえば昔からの精神文化を脆くも壊してしまう元凶である。グロバリゼーションという時代をいく旗印の下でIT化は発展した。しかし、コミュニケーションの方法としては昔風の電話での直接の話が相手の言葉の調子で理解し合えることがあると思う。
 その意味で障害福祉現場は、当に時代とは逆行する世界。携帯もインターネットも全く通じない。勿論言葉を持たないメンバーさんとのコミュニケーションは相手と対面しての直の交流しか用を足さない。
 東京で会議があり、上野から護国寺まで地下鉄を利用した。私は妙な拘りがあって、車内広告に感心がある。昔と趣が一変した。求職情報や住宅情報の広告が自棄に目立つ。それから、インターネットの時代を示しているのだろう「検索・・・・・」という案内が必ずのっている。詳細はご自分でお調べ下さいという意味だろう。それに駅には無料で同様の住宅情報求人情報の雑誌が束ねて置かれている。供給過剰であることは確か、私の住む田舎町ですらアパートやマンションの建築ラッシュ、空き室が目立つ。分かっていてどうしてまた新しく作るのだろうか?
 

699:霜月

道に落ち葉の散り敷く頃となりました。キンセンカの香りにふと秋の訪れを感じたのは10日程前でしたでしょうか。この時期いつものことですが県内でも一番大きな病院の院長をされていたT先生から、尚恵学園にとご寄付を頂戴しました。その中に添え書きがあり、お酒がめっぽう強かった先生も齢80年を超すに至って、体調の変化を覚え、そのような内容の事が書かれてありました。先生は農村医療の先駆者であり、今ある大病院の礎を築かれた功労者です。その功に対し、叙勲も受けておられます。何故、私どもの事業に支援していただけるようになったのかはご本人に伺っておりませんので分かりません。
 今、息子さんとご一緒に市内で開業され今も現役で診療を続けておられます。誠に有りがたいことで、お礼の手紙を早速今日出しました。
 また、土浦市の歴史館の学芸員の方が観音寺の仏像を写真に撮りたいと来られました。室町時代の十一面観世音菩薩です。本尊ではないのですが、身の丈十pに満たない桧作りの仏像、武士が戦いに出る時に甲冑の下にこの仏像を身につけて戦場に向かったというものです。今に至るまでこの小仏はあらゆる修羅場を潜り通してきたことでしょう。今、平和な時代になって観音寺の本堂内陣の宮殿に収まっています。
 昨日、護国寺において全国教師研修会があり、私は参加しました。多くの坊さんが全国から集まり、その中に大正大学の仏教学の学生も来ていました。宗教学者の山折哲雄先生の講演は印象に残りました。山折氏は真宗の教師の家に生まれ、東北大学印哲で仏教を学び、それ以後宗教研究一途に生きた方です。テレビやラジオでの出演も多く、分かりやすい解説と現代の仏教に対する鋭い論評で名が通っています。先生の持ち時間は九十分、全く資料などなく、そらで話をされた内容は専門的なものではあっても充分に聞く者に感動を与えるものでした。
 「迷える大乗仏教 確信のテーラワーダ仏教」と題した講演の中で、最近日本各地で頻発した地震の被災者が何故穏やかな表情でいられるのか?外国での同様の被災者は悲しみ怒りを全身で表している。その違いを日本人の宗教心にあると位置づけ、無常観と自然観にあると話された。21世紀を「大災害と道徳的退廃の時代」と命名、その主なる原因を西欧近代が発明した生き残り戦略に日本人の多くが洗脳されてしまった為だと言い切る。
 経済発展第1主義の価値観のアンチテーゼとして日本人の持ち続けた人生観及び死生観への持論に熱がこもる。さすがだと感心し、必死でノートにメモをとりました。
 終了後、渋谷に向かいハートストリートを見、その足で真っ直ぐ土浦に戻りました。しかし、電車に乗った頃からお腹の異変を感じ、じっと我慢していたのですが、どうも一向に良く成らず、トイレを捜したのでしたがその電車にはトイレがない。
 こうなると気になって仕様がない。途中のひたち野うしく駅で電車を降り、急いで駅のトイレに駆け込みました。
 人生山有り谷有り。腹も下れば便秘も起こす。山折氏の般若心経の解説に日本人の心情には「空」よりも「」が合っているという事を思い出しながら便器に座っていました。10分ぐらい経ったでしょうか?少し楽になって我に返ると、「あっつ!紙がい」。「紙ー!」とか怒鳴るわけにも行かず、カバンの中を夢中で探す。「有ったー。上野の街でもらったPRテッシュでした。」 格式の高い書き出しを意識した今回も最後はしまらない事になって大変失礼しました。
 

700:森岡まさ子さん 700回記念

700回記念
 今、朝の5時になろうとしています。「こころの時代」アンコール版で森岡まさ子さんの話を聞いて、その感動を記録したいと考えPCに向かうことにしました。この番組で私は森岡さんの事を正直初めて知りました。
 彼女(とは言ってもオン年97歳)は日本で初めて民間のユースホステルを広島に開いた方です。夫・敏之氏は先の大戦で召集3日目で広島で被爆、その後は後遺症との戦いの日々を送る。北海道に旅をしたいという夫の希望を適え、「早く帰ってきなさいよ」と体調を心配するまさ子さんを差し置いてなかなか帰って来ない。その旅先で宿泊したユースホステルで敏之氏はすばらしい一人の若者と出会う、「日本にもこんなにすばらし若者がいるんだ。彼らと共に生きたい。もっと生きたい」と長い闘病生活に疲れ果てていた夫に生きようとする気持ちが芽生えた。その夫が提案したものが4畳半一間でのユースホステルだった。それから多くの若者が森岡夫妻の宿に泊まりにくるようになった。「それはどうしてなんですか?」と聞かれ、彼女は声を一段と大きくしてこう話した。「パパ(彼女は敏之氏をそのように呼ぶ)は夜のミーテングで、いいか良く俺を見てくれ。3日でこんな体になったんだ。戦争は決してやってはいけない。若いみんなが日本を立ち直してくれ!と涙を流しながら話しかける。すると若者達も一緒になって泣くんです。私も夕食を作りながら台所で泣くんです。これが良かったんじゃないでしょうか」と。ご夫妻には子供がいなかった。訪れる若者がお二人にとっては掛け替えのない子供であったようだ。
昭和42年、その夫は亡くなり、それからのまさ子さんは女一人での波瀾万丈それでいて決して悲壮感のない人生をスタートする。「パパの生き様を知っているからここまで出来るんですよ」と思い出とも現実とも言えない大きな存在感。
彼女の本「出会いは宝」は京大教授マライーニ氏との出会い(秘書)や、「困難は飛躍のチャンス」を地で行く彼女の人生そのものだ。今も97歳でユースホステルの脇に自宅を構え、訪れる若者との触れあいを大切に生きる。
 ラジオの対談中に、感極まって涙声になる場面が何度もあった、「今日も笑顔で」という英語を交えたユーモア溢れた話に、私自身目頭を何度も押さえた。
 山の中でオンリーワンと寂しさなんか全く感じない、一人は自由という人生を謳歌する。また小さな事に拘ると自分が小さな世界に生きることになりますよと自ら歩んだ人生訓を織り交ぜる。その彼女は、戦後、マッカーサーに会ったという。「彼はいい男だった。奥さんはそうでもなかったなー」という印象を語る茶目っ気もある、マッカーサーに会った時、夫・敏之氏に渡された小さな瓶(薬)を「バカヤロー」と言って敏之氏は投げつけた。一瞬、夫は殺されると思ったそうだが、マライーニ先生がいたことで何も起こらなかった。その話はドキリとする。マッカサーは寡黙な人だったとも言った。その時の彼の気持ちを察するに戦後生まれの私には到底理解などできない。
 またローマ法王に謁見した時に,法皇より森岡さんへ「ありがとう。日本」と言われたという。これなど当時の時代背景を考えるとその言葉は限りなく重い。
 昭和40年代に初めてヨーロッパに旅行、それもマライーニ先生から是非にということから実現したという女一人旅。横浜から船でナホトカに渡り、シベリア鉄道でイタリアに行った。アンカーの「お年はいくつの時でしたか?」という質問に「あれー若かった時だねー。そうそう60歳になった時だった」という話、小生57歳、未だ若造だと鉄杭を打たれた思いがした。
 97歳の今年、リンパマッサージの資格を取ったという。自らを健康のためとマッサージをする。英文タイプの資格も若い時にとり、数多くの資格を持っている。
その生き様は、悩める人達にとってこころの拠り所となって今でも訪れる人が後を絶たない。生まれ故郷の上下町名誉町民でもある。

701:8歳の目線

先日、お寺にちびっ子来訪者(No:683)がありましたが、今日、そのお礼にと上記の8名の感想を書いたものを代表が届けてくれました。小学2年生(8歳)が町探検という授業の中でやってきたのでした。
彼らの感想コメントを読み、自然と笑みが浮かびました。
*「かんのん時のおぼうさんへ。ぼくたちのしつもんにこたえてくれてありがとう。おわったときにおかしをたべさせてくれてありがとう」 「寺」の字が「時」になっておりましたが充分、君の気持ちは通じました。
*「・・・しょうがいがある人は強いですね。これからはしょうがいがある人をだいじにします。がんばってください」
 何か子供達に励まされた自分が恥ずかしい。いやまてよ 違うな、彼は障害のある人に頑張って欲しいと言っているんだ。
 彼だったなー。変な人が来たりしませんか?という私からの質問に「時々ショウケイ学園の人がきます・・・」と答えたのは。
 8歳の目線は、正直です。昔は特別支援教育校(旧養護学校)などといった特殊な学校はありませんでした。クラスの中に混じって一緒に学校生活を送った障害がある人達、それはそれで良かったのです。
 昨日偶然にも3チャンネルでカナダの「アスペルガー症候群」の子の特集番組が放送されていました。アスペルガー症は知的障害を持たない自閉症という括りに入れられています。しかし、実際は社会生活を送る上で様々な障害を持ちます。
 学校でのイジメやパニックそれから他害行為など、家族は一時も気の休める時がないという状況で過ごしています。
 いつも思うことなんですが、健常に生まれたならば彼らの人生は大分違ったものになったであろうと。
 変わることがない現実をどう受け止めて我が子と接していくか、成長と共に新たな問題に直面する。それから逃げることはできない苦しさを果たしてその家族だけに負わせて良いのでしょうか?
 同じテレビでの今朝の番組。二大政党の党首の密室?会談に関して出演者の好き勝手な意見。昨日の番組で洗われた私の心はあっという間にドロドロとした政治の世界に引きずり落とされました。
 多分、私には批判するだけの資格がない。他を批判することは自らの足元を見た上で行うべき、その足元が正直,震度7の激震でぐらついているのですから。
 8歳の目線と敢えて付けた理由は 私の兄が丁度同じ年齢で亡くなったからでした。(子供達が書いてくれた、全く同じ字体でノートいっぱいに書かれた「しょうらいの夢」と題する兄の文が私の部屋に飾ってあるものですから、ちょっと感傷的になってすみません。)

702:就職相談会

今年2回目の職場説明会がつくば国際会議場において4日の日曜日に開催されました。結果は大変求人側に厳しいものでした。昨年も同時期に同じ会場で開催したのですが、当日、相談に訪れた数は昨年の半分(事務局発表)であったそうです。私は知的障害事業所の全体的な質問に答えるべく団体ブースに座っておりました、約2時間の間に、訪れた方は5名でした。身体障害は中山さん、老人、養護、保育所、介護福祉士、社会福祉士とそれぞれがブースに説明担当者を置いていましたが、どこも同じ状況でした。
 別室に用意された60事業所の説明会場はどうだったでしょう。私も気になり覗いて見ましたが、当日訪れた人数が100名にいたらなかったわけですから、殆どのブースはかんこ鳥が鳴く状況でした。尚恵学園のブースには8名が相談にきたという報告を受けました。
 締切時間前にブースを閉めて早めに帰る事業所も出る始末、いよいよ福祉離れが本格的に地方にも及んできたという実感です。なんらかの対策を講じなければならない。そう感じたのは当日参加した求人側の全員の思いであったと思われます。
 事務局の事前準備もご苦労があったと思いますが実際は蓋を開けてみなければわかりません。ここまで反応(出足)が鈍いとは想定外と人材センターの担当者も頭を抱えていました。(水戸会場も前年の半分)
 水戸会場とつくば会場いずれも参加事業所が予定されたブース数より多く、抽選で行った経緯がありました。これも実は大きな反省点であるわけで、先日、参加希望全てが出られるような方法をとるべきだと強く要望はしておきました。
 事業所側の言い分は、近年の特徴として中途退職者が多いので大目に採用しておかないと不安、新制度に移行した場合に、基準の職員配置がクリアー出来なかった場合は、報酬単価が減額されるなどほぼ同じです。求職側の言い分は、実は様々です。一般企業に就職したが、自分にはあっていないので福祉で働きたい、子供の教育費にお金がかかるので今も施設で働いているがもっと給与条件の良い職場に転職したい。この人達は新卒者ではなく、年齢的に30代40代の再就職希望の方、実は事業所にとっては、これら経験者を採用することは二の足を踏むのです。新卒者と比べ手当が加算されることやその方の就業経験がプラスに作用すれば良いのですが、往々にしてその逆の場合があります。どこの事業所も似たような経験をしているものです。
 それで、やはり一番は新卒者が気になるのですが、一般的に言われているように、世の中の景気が良くなれば福祉離れが加速される。給与や業務内容でどうも福祉事業所は他の業種と比べマイナスイメージが強すぎる。
 最近のテレビコマーシャルで「介護職に夢を・・・・」とかいうものがあります。私も何度か見たことがありますが、元気が全く無い暗い感じの印象しか感じられません。どこの会社のコマーシャルなのか、訴えてやりたい気持ちです。それに、コムスン問題で大騒ぎした後、福祉を取り巻く負の情報が目立ちすぎませんか!元課長の利益供与の事件など我々福祉関係者にとっても腹が立つ報道、一般の方がどう感じるか!何か情報操作されているんじゃないかと疑ってしまいます。
 しかしそんな事言っていられませんよ、実際に福祉現場は人が一番重要なんですから、他への不満をいくら言っていても何も解決しません。寧ろ自らの事業所を点検し、反省すべき所は早急に改善するこれが今取り組むべきことなのです。
 私が福祉の仕事を始めたのは、今から35年前、その当時の職場環境は比較になりません。職場内でいろんな意見が出てケンカみたいでした、職員旅行の時など徹夜で話し込んだ思いがあります。今の若者?というのは、旅先まで行って、仕事の話をするくらいならば園で留守番していたほうが良いと考える者が多いと言われます。尚恵学園も数年前から職員旅行を中止しました。
 勤務に余裕がないという理由が一番であったと記憶しています。
 福祉サービスを利用したいという方はどんどん増えています。しかし、サービス提供するスタッフがいないという新たな問題に全国の事業所が直面しています。
 「いやーそんなことありませんよ」と今時、ノーテンキ(?)なことをおっしゃる方がいれば一度ご教示いただきたいものです。    
 足元を構うことなく 上を見ろ 号砲一発 独り旅・・・・拙句・・・ヤレヤレしんどいわなー。

703:11月6日(今日一日の出来事)

職場から電話、一般就労している方が足を怪我したという。スタッフが本人を病院へ連れて行くと足の骨を骨折していた。しかし、手術するまでのことはなく、安静にしてれば良いだろうという話だった。このような緊急の対応は、大分慣れてきたと感じる。家族への連絡や本人の生活変更。職場との調整など。先ほど会社の社長より私の携帯に電話が入った。丁寧な謝罪の言葉を述べられた。
 実は様々な事が毎日起こっている。現行障害程度区分では、就労出来ている方は問題が軽く出る。そうじゃない、陰に陽に支援すればこそ、地域での生活も可能だし、就労の継続もできる。語弊が有るのは承知の上だが、囲い込む処遇が実は一番楽である。
 そこをどのようなスケールを用いても支援度を数値化などできやしない。
午後から知事さんに直接次年度の予算の要望を行う。茨城県の財政状況が一段と厳しくなったという新聞での報道があったばかり。会って話す前から、私は気分が晴れない。昨夜、NHK3チャンネルで「24時間介護サービス」の現状リポート番組があった。見た方もいるだろう。コムスンが撤退してから、その影響が各地で深刻な状況となって出ているという。それは、コムスンが全国展開した大きな売りの部分に24時間サービスを行ってきたからである。そこでの実態、深夜の訪問介護は30分刻みの単価設定、3000円前後だという。ヘルパーさんは一晩に11件ぐらい廻らないと成り立たないという(事業所の収支ベースは最低8件)。それもたった一人でだ。深夜の車での移動も大変だし、各家庭を訪問して体位交換などのサービスを行う。このサービスがあって初めて自宅での療養生活ができる。例の問題発生後、深夜の訪問サービス事業を引き受ける事業所がない。あってもヘルパーさんがいないという理由で断られる。深夜ヘルパー専任の職員(週5日深夜勤務)が月収に換算して22万、これが実態として行われていた。収支が合わない事業に参入する民間会社はない。埼玉県の東松山市が深夜の訪問サービスを市が引き受けるという。公民の役割分担が、実態は全く逆の場合が多いのが現実。この抜本的な見直しがなされれば、いかがでありましょうか!ヘルパーの確保も然る事ながら、利用者とケアーマネージャーとの調整を行う「サービス提供責任者」の業務は24時間休み無し、かなり深刻だ!
 それからコムスン&NOVA&???何か似た部分がありませんか。。一攫千金、ガリガリ亡者。自分の力で頂点を極めたと勘違い、釈明会見にも姿を見せず、「豪勢な社長室!自家用ジェット。おめーらに似合わないんだーよ。ホント頭に来る」
スタッフ面接をスタートしました。80名全員と私は話すつもり。
 様々な意見が出される。聞くだけで解決できるとは思っていない。職員は余計混乱するかもしれない。だが、今何を感じて仕事をしているのか、私が一番気になること。個人面接が終わった時点で次ぎにグループ面接を行う予定。福祉現場は区切りがつけられず際限が無い、束の間の面接にせめてもの私の気持ちをと、美味しいコーヒーを入れて、一緒に飲むことにした。
 今日は水戸で心身協の事務職員の採用面接もある。県庁9FでSAZAのコーヒー豆を買い込んでくるつもり。
夜が明け7日になった。昨日1日の結果報告。
 県内の19団体で取りまとめた予算要望は知事応接間において、各団体代表によって知事に直接お願いしました。結果はいかに。
 限られた時間であったが、意見交換の時に、福祉現場の人材確保についてなんらかの対策を講じて欲しいという要望が出される。知事の弁、「私は大分前から必ず人材確保が困難になる時期が来ると言っていたが、今後はもっと厳しくなるだろう。日本の置かれた状況は現状の生活(景気)を支える為にはもっと若者が生産業にとられることは確実、絶対数が減る中で人材の奪い合いが更に強化されると思う」確かにと全員が頷く。
 人の配置について、私なりの考えはこうだ。
 *60歳以上の方の再就職の場に
 *利用者の家族の協力
 *OBへの再チャレンジのチャンスを拡大
 *実習生への働きかけ
そして、法人として、独自財源を得る活動の強化。職員の処遇改善や設備改善への自己資金積み立て。
現状の当法人のスタッフの回転率は低い、有難いことに長期に勤務をしてくれる方が多い。職員実数に対して新採用は例年少ない。(1名〜2名)寿退職も少なく、結婚後も継続勤務を希望される職員が多い。ただし、産休者が常に出ている状態があって復職後に正規勤務が難しくなっている。その負担が他の職員にかかってしまうという課題は未解決。
 

704:緊急連絡

緊急連絡!明日の朝4時6分からのNHKのラジオ番組「こころの時代」を聞くこと。
 私は別にNHKから頼まれた訳ではありません。自らの意志で行っています。今朝と明日の2日間「難病ALSと闘う日々」島根県ALS協会支部長の松浦弥生さんと介護者(夫)和敏さんが出演しています。担当デレクターが佐野剛平氏。
 正直にお話をしますが、今朝この内容の番組であるというのは知らなかった。偶然にも枕元に置いたラジオを聞いたら、どこかで聞いたようなアンカーの声、大学時代の先輩の佐野さんだった。
 ALS(筋萎縮性側索硬化症:amyotrophic lateral sclerosis)は運動神経にのみ障害を起こす。感覚神経や自律神経は正常、但し、進行性で重篤になる難病。SWホーキング博士や大リーグのルイ・ゲーリック選手が罹ったということで知られている。
 どうして佐野先輩は松浦さんの事を知ったのか?たった今、彼にメールで質問をした。放送の中で、弥生さんと島根大学のVSの学生さんの会話(?)、どのような手段をつかって行っているのだろう。分からない。(視線入力方式意志伝達装置?)
 私の聞き間違いであれば大変申し訳ないのだが、ALSという病名を妻に知らせる時の夫和敏さんの話や弥生さんご本人がつくった文章の紹介があった。病気を知らされ、失望のどん底から立ち上がろうとする弥生さん、今までの16年間に40名近い島根大学の学生が支援者として関わったという。お二人は彼女達を自分の娘だと話す。卒業後各地にちっていったその娘達が遠路、松浦さんを尋ねてきたり子供の事を手紙で知らせてくる。今でも続く、その触れあいが、20代の若者にとってそれからの彼女たちの人生に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
 松浦さん自身、何故私がこのような病に罹らなければならなかったのかという思いは未解決のまま心のどこかに今でも有るのではないだろうか。人との出会いは常識でははかれない何かがある。それがなんなのか?今回の番組はそれを訴える。
 彼女の自ら作った文章「・・・・今まで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえる・・・・」という箇所が頭に残る。
 障害を持つ事で、本人は勿論のこと、家族や周囲の人々は自虐的になったり世の中への不平不満を持つことが多い。実際に今の日本は障害を持った人々にとり、決して住みやすい環境ではない。障害が重ければ重いほど、彼らは自分が何のために生まれてきたのかという十字架を背負う。他人の世話を受けて初めて生きることが許されるという負い目は誰しもが感じることのようだ。
 しかし、どうだろう。先ほどの島根大学の学生達は、松浦さんに感謝の気持ちを抱き、心の拠り所となっているという。
私などが言うべき事ではないのだが、大学で学ぶ以上の事を多感な年代である彼女たちに、人間が生きることの価値を教え導いた大切な存在であったと思える。
 今、若者の福祉離れが大きな問題になっている。福祉職を志し、専門を学ぶ若者が中途で挫折している。この由々しい事態は、直ぐに改善できそうにない。
 私はマスコミに言いたい。福祉へのマイナスイメージを倍加するような番組報道は控えてほしいと。福祉というものは興味本位で何らかの意図を持って放送されるべきでは決して無い、真剣に生きる意味を模索し闘っている人々を主体とした姿にもっとライトを当てるべきであろう。確認します。9日の朝の4時に起きてラジオを聴きましょう。私が唯一推薦できる番組が朝の4時という。この時間帯であるが故にその効果も大きいのかもしれない。

705:返信

今、朝の5時をまわったところです。昨日、こころの時代を聞き、直ぐに担当デレクターの佐野さんにメールを打ちました。すると佐野さんから回答メールが入りました。「弥生さんの文章は後で送ります。感想を聞かせて下さい」という。今朝、2日目の放送をメモしながら聞いた。
 弥生さん68歳、夫:和敏さん74歳、47歳でALSを発病、現在は松江市厚生年金病院に入院されているという。和敏さんんは教師の職を早めに辞め、弥生さんの看病生活、それからALSという難病との闘い。奥さんに代わり島根県にALS患者の会をつくることに奔走、平成11年に組織化され、支部長に弥生さんがなっている。
 佐野さんへ。
 早速の返信メールありがとうございました。今回は障害者問題にライトを当てて頂き、私が言うのも変ですが有難く感謝しています。やはり、取材は島根大の学生(原さん)が視線入力方式で行ったようですね。実際に私はその装置を見たことがないのであくまでも想像でしかありませんが、佐野さんの質問に弥生さんが直ぐに答える、もし編集技術でカバーしたのであれば別ですが、ボランテアの原さんと弥生さんの息がピッタリあっていて本当に驚きました。
 夫:和敏さんの木訥とした話方の中に弥生さんとの長い闘いの日々を感じました。
 弥生さんに番組の視聴者の皆さんへ何か言いたいことはありませんか?という問いかけに対して
・・・・欲しいものはなんでも手に入る、人の世話もしない、世話にもならない自己中心的な生き方、田舎育ちの私は様々な人と助け合い、支え合って大きくなり、人の喜びは自分の喜び、人の悲しみは自分の悲しみ、目が見え、声が聞こえる、自分の事は自分でできることが普通のことと思う。それがあたりまえのことでは無く、失って初めて分かった素晴らしいこと・・・・病気によって限りなく失ったものが多い。でも逆に得たことは、健康の有り難さと人の温かみを知ったこと・・・・など。
 佐野さん  アンカー冥利に尽きるということでしょうか!弥生さんがまばたきで原さんを通じて話された事。
「ベッドに素晴らしい秋の光をあてて頂きありがとうございました」という時、どうでしたか?佐野さんの顔が浮かびました。
それから、夫:和敏さんに難病対策が「どうすれば進みますか?」と尋ねましたね。その時、音声が暫く止まったんです。一瞬ラジオの電池が切れたのかと確かめました。ほんの瞬時のことでしたが、そう感じたのは私だけでは無かったはずです。
 噛みしめるようにして和敏さんが話されましたね。「アメリカでは○大統領が難病に対し、国家の威信をかけて取り組むと約束した。・・・ 自動ドアも前に立たなければ開かない。一人の力は無力でもたくさんの力が集まれば・・・・・」 私も全くの同感でした。
国家の威信に掛けて国民の生活を守ると言い切る、今の日本の実状との大きなギャップに愕然としました。
 また放送の最後に和敏さんがふりむくとという文を紹介されました。{君と出会った時から}で始まる。その君はALSという病気だったんですね。弥生さんのことを言っているんだろうと思いましたが。そして希望することは次の世代の子供達・孫達がALSに罹らないためにもっと研究が進んで欲しいと締めくくる。
 今回の番組を聞いていて感じたことが多くありました。それは私自身が今まで障害者と付き合う中で、何か大切な事を忘れているなという気づきでした。それが一体何なのか。これから自問自答を繰り返しながら歩んで行くしかない。
 それから一人の力は無力という事に自らを落とし込んでいる自分を感じました。自分が本物でないから周りの人に感動を与えることができない。支援する者の限界というか、もっと分かりやすく言えば障害を持って初めて分かること(叫びや願い)なのでしょうか。
 私は真言宗の僧侶ですが、葬儀に臨む時、若くして亡くなった人の弔いには言い知れぬ力を感じます。それがなんなのか? 人間の生命の重さとでも言うのでしょうか。一生をかけて探し求める命題には間違いないようです。
 佐野さんに了解を得ず、拙い私のブログに掲載しました。事後承諾でお許し下さい。(前No:704に続く)