源究57

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
676 歯が抜けた! 9/30 681 人材不足の時代 10/9 686 子&松山千春 10/16
677 神無月 10/1 682 求めない 10/11 687 工賃倍増とは? 10/17
678 寂聴法話 10/3 683 ちびっこ来訪者 10/12 688 無為自然 10/18
679 正念場 10/4 684 業界の危機 10/13 689 育成大会雑感 10/20
680 任せる 10/7 685 ひやりはっと 10/14 690 休日&祭 10/21

676:歯が抜けた!

役員をしている法人の理事会が終わり、お弁当を頂いた。いつもは持ち帰ることで勘弁してもらっていたが、その日はゆっくり話でもしていきたいなーという気持ちになっていた。 弁当を頬張りながら話に夢中になっていた時、「アレ」と一瞬思ったが、もう既に遅し、差し歯が取れた。長年応急処置で誤魔化してきたのだが。
 奥の4本が一つになっている歯だからごそっと取れた感じ、他の皆さんに気づかれないようにさっと上着のポケットに入れた。そしたら空気が漏れるような感じがして落ち着かない。こんな時、自分が情けないやら、悲しいやら、誰に愚痴を言うこともできない。覚悟を決めた。本格的に治療しよう。私の場合は手間暇かかるだろうな。かかりつけの歯医者さんには、「今度とれたら大学病院だ!」と脅かされてきた。おめーがヤブだからだーと喉まで出たが飲み込んだ。
 夕べは何度も目が覚めた。夢だろう夢であって欲しいと懇願する自分がいる。しかし、舌でそーと確認すると歯が無い。
以上が歯が抜けた編。
 次ぎにメガネをなくすの巻。
 私は5本のメガネを持っている。メガネ屋さんで検査して頂いて買ったものは一つだけ。後の4本は定価2千円の掘り出し物?それで充分見える。しかし、問題は直ぐに無くしてしまうこと。何本も持っているから無くすんだという苦言は毎度のこと。
私の言い分は、無くすから予備を持つ、これいつまでたっても平行線。
 続いて毛が無いの巻。
今、尚恵学園は頭を坊主刈りにする職員が増えた。自家用車も軽自動車が増えた。ここだけの話、これって理事長に対する嫌み?
 その真意は分からない。しかし、私は20年以上散髪屋には行っていない。今時坊主刈りで3000円するとか。これだと大分経費節減になったなー。実はそのような心配はない。先日の例の満員電車の中、やること無いから窓に映る自分の顔と睨めっこ。俺に似たような人が後ろにいると思ったら、実は光輝く自分の頭だった。いつの間にこんなになっちゃって。
 可哀想に。
明日から10月、新たな気持ちになろうと書き始めたら愚痴の三連チャンになってしもた。悪しからず。
 

677:神無月

10月の別称・神無月(かんなづき)・・・「な」は上代の格助詞「の」、「神の月」という意味が正しいという。しかし、俗説には日本中の神様が出雲大社に大集合するので、各地に神がいなくなる月だともいう。どちらかと言えば後者のほうが面白い。一体、神様が全員集合して何を話しているんだろうか? 世を儚なみ、地域の格差をどうにかして欲しいと訴えているかもしれない。議長役の神様がいて、ブロックも東北とか九州に分かれていたりして。全くこんな発想しか浮かばないのは私が寺の坊主だからか!
 それにしても時代の変化が激しいのは神様も仏様も驚いているだろう。この流れを止めるには相当の決意とエネルギーが必要だ。身近な例で考える。 障害福祉に関して、適当な表現が見あたらないが、北アルプスを水源とする谷深い川に大雨が降り、一気に日本海に濁流となって流れ込む状態とダブる。今まで清流が生活の重要な一部となり豊かな自然とそこで生活する人々の癒しになっていた川、それが生命をも脅かす事態になってしまった状況だ。
 行き過ぎた市場原理で規制を緩和したことにより、全く福祉のこころを持たない者達に占領され、今まで手堅く着実に利用者との生活を築いてきた者までが先行きに不安を感じ、無理して事業拡大を計る。これが実態である。
 この状況を一番表していることの実例。県に於ける事業認定が申請件数が余りにも多くなり、事務処理が間に合わない事態がここ数年起こっている。これも規制緩和の影響の一つと私は考える。
 この根本原因は、自ら汗を流さずして、財源第1主義を掲げる政策者が机上だけで作り上げた制度が発端。
 GDPだかGNPだか知らないが、近年の隣国中国を初め東南アジアの目まぐるしい経済発展が日本の今まで築いてきた土台を揺るがすという危機感を必要以上に煽る。私は社会保障をより充実するには消費税を上げることに反対はしない。
 ただ、その使用目的を明確にすることが条件だ。グリンピアー構想など、年金を財源にした驚愕のムダに対し、総括がされず誰も責任を取ろうとしない。私は国会議員全員の責任だと思っている。与党は勿論だが、政策のミスを問い正すことができなかった野党にも同等の責任がある。自らの議員報酬を明らかにすることを避けるばかりか給与以外に支給される様々な活動費、これだって削る位の決定を何故しないのだろう。自分の財布のヒモはしっかり結んでおいて、何が財源論だ。
 最初の話に戻る。日本には萬の神がいるという。それが数千年の歴史の中で共存してきた。これは何故可能だったのだろうか?
 白黒はっきりさせようとすれば常に争いが絶えない。そこを墨絵のように暈かす能力や文化それに価値観をもっていた。「白黒」論議は「勝ち組・負け組」を決めること。しかし、自然を崇拝し、大切に守ってきた日本にはこの手法は馴染まない。
 憲法改正論議も何かしっくりしないのは、党利党略政争の具となってしまったからだ。本当に将来を担う子供達を考える法律ならば日本人である以上、反対する者などいるはずがない。そう思いませんか?常陸の国選出で出雲議会に政策提言いたしまーす。

678:寂聴法話

ひょうな事から寂聴の世界に魅了されている。長距離運転をしている方から膨大な量の寂聴さんのCDやDVDを頂いたのだ。「住職に持ってくるなど大変失礼だと思ったんだけどよー。俺いま寂聴さんにはまっちゃってね。九州までの長距離運転中いつも車の中で聞いてんだー。」 そう言って照れながら紙袋いっぱいに入ったCDを置いていった。最近NHKラジオの深夜便で再放送が目立ってきたので丁度興味が落ちてきた時だった。枕元に置いたカセットで寂聴さんの話を聞き始めた。
 初めは瀬戸内晴美という破天荒な生き様と官能小説を得意とする女流作家という位の感心であった。その彼女も今年85歳になるという。51歳で中尊寺で得度、天台宗の僧籍を取った。その後岩手の山寺・天台寺を見事に再興した。京都薬師寺を再興した高田好胤と並び評される彼女独特の説法は単立寺「寂庵」を京都に創建してから、定期的な法話の集いが始まる。説法を聞くだけの目的に全国から集まる人々、悩みを訪れて相談をする人も増えたという。2年前、天台寺の住職は引退し、今年の3月本山延暦寺の直轄寺「禅光坊」の住職に就いた。
 彼女の宗教活動は無料、「お金を儲けるお寺はダメ」という彼女の主張は私など生臭には耳の痛い話。
 「般若心経」や「観音経」の分かりやすい講座は、何が人を引きつけるのか?確かに話術の妙もあるが、それ以上に彼女の人生歴がものを言う。終戦の時、彼女は幼子を抱え、北京に住んでいた。北京大学に奉職する夫とは、何が原因かしらないが、自ら家を飛び出す形で別れている。
 徳島の出身で実家は仏壇屋、空襲で実母を亡くすなど、淡々と話す中に彼女の強さを感じる。宗教世界に入る決心をするにあたり、彼女はキリスト教でも仏教でも何でも構わなかったと正直に打ち明ける。邂逅というのだろうか中尊寺管主の今東光氏との出会いが天台宗への得度の直接のきっかけだという。51歳は当に作家生活においても流行作家の仲間入りした順風の時代であったはずである。何がそうさせたのか?一言では言い尽くさないものがある。実の子を置いて家を出た若き時代への罪悪感?今85歳になって「遺言」という最後の作品を書くという。
 彼女のように面白可笑しく話ができる人を他に知らない。仏教をより難しく話をしたり、いかにも自分が悟りを得たかのごとく教えの押し売りをする宗教家は数多いる。仏教は決して煌びやかなものではなく、寺格や荘厳な伽藍を自慢するのではなしに、一般の人々に開放され、訪れやすくするべきだと思う。それには先ず住職自らの身辺を清貧にしなければいけない。
 実は、福祉の世界も全く同じ理屈が成り立つ。
法人の理事長の目に余る贅沢ぶりは一部の目立つ人達だ。九州で起きた贈収賄事件の結果はどうなったのだろう。
 あの理事長からすれば大して金ではないのかもしれない。しかし、決して許されるべき言動ではない。この辺の規範が今問われている。あの理事長こそ出家得度するべきだよなー。死んでまで名誉と金を持っていこうと思っているのかもしれない。カッツーだ!
 

679:正念場

導尿することへの問題
 利用者さんで高齢になった方が、病院の指示で導尿をするようになった。家庭で同様の事をするには家族が行えば難しいことはないそうだが、施設では様々な障害がある。医療行為になるので看護士の資格を有するスタッフが行えれば、それで良いらしい。しかし、今制度が変わり、看護士の義務配置が無くなった。何を考えているのだろう。カテーテルを付けっぱなしには出来ない方はその都度挿入して尿を体外に出すしかない。彼は自分で抜いてしまう。福祉施設の現場では、実際には本当に様々な方への対応をしている。1日3回病院へ連れて行って採尿してもらうわけにもいかない。家族の了解があれば職員がその処置をしても良いという話だが「あーそうですか」と簡単にOKはできない。病院への入院も完全看護などと看板があっても付き添いが最低条件の方が多い。こうなるとお先真っ暗。何か良い方法がないだろうか?ホンネとタテマエの社会。
 まさに正念場に立たされてしまった。
大切に思うこと
 昨日は、寺の勉強会がつくばであった。何も知らない私が長を仰せ付かり、4年間担当する事になった。正直、今でも辞めたい。だが、時期が悪いよなー。安倍さんがあんな辞め方をした後だもの。「引き受けた以上は任期だけはやれ!」という事だ。この拘りは昔から自らに課してきたものだからなー。今度の福田さんは「貧乏クジ」かもしれないと総裁選に担がれた時に話していた。貧乏くじねー?

作業所の人達
これも昨日の話、20年以上も前に保母さんで尚恵学園の同僚だったTさんがひょっこり学園にやって来た。今、地元の作業所でパートをしているとのこと。そこの責任者の方を連れて見学に来られた。私は挨拶だけ交わしてつくば市の会議に出かけた。後での報告、「あー一緒に作業したいー」ということを話していたという。彼女が膝に抱えて寝かせていたY子さんは、もう30歳を越した。今、おもちゃ作業の中心メンバー、お姉さんで洗濯のお手伝いも率先して行ってくれている。
 施設と作業所を区別する人がいる。利用している人には関係の無い次元で。みんな一緒なんだけどなー。
ドイツからのメール。
今朝のメールにドイツのY先輩より長い文章が入っていた。自らの体調の事とドイツの社会保障の仕組みについて。
 日本人はどうなのだろうか?自らの将来の安心を得るので有れば応分の負担が必要でしょう。消費税17%の国からのメッセージ。大きく異なるのは、一人勝ちの無い社会からのメッセージでもある。東西ドイツが統一されてからの歩みは大変であったと思う。しかし、元は同じ民族だ。政治家のモラルの欠如、依然として低次元のレベルの話、領収書が1円から????そんなことどうだって良い。政治活動に金がかかるならば、何故、堂々とそれを主張しない?
 一部官僚のモラル低下。自らの保身と出世欲。国民の視点に立てない一番の原因。正念場だぞー。

680:任せる

信じるということは任せることだという。その一が宗教心。此岸では求不得苦、思うようにならないことが常。それを敢えて得ようとするから苦しみが芽生える。任せるは、一喜一憂することなく成り行きを受け入れる。
 そうできれば苦が無くなる。
 今日は私の知り合いの理事長の通夜に出かける。60歳。彼は卒業後ずっと福祉現場を歩み続けてきた。念願の自らの法人を立ち上げ、家族を呼び寄せ、一蓮托生の経営を始めた。しかし、詳細は知り得ないが、彼のそれからの歩みは一晩たりとも熟睡できる日は無かったのではないだろうか?結局、病に倒れ、施設の経営と闘病生活という2重の重荷を背負うことになる。頑なまでの持論がある故に、当然周囲の者との衝突も起こったに違いない。それを解するものだけが彼を支え、昼夜を問わない生活に突入した。
 私は数年お会いしていない。やっと彼の岸に旅立とうとする彼は、精魂使い果たした姿で棺に収まっているに違いない。
 人の生き様を、決めつけることはできない。また、してはいけないものだろう。
 肩書きや役回りで人を評価することはするべきではない。本人が何を信じ伝えようとしたか、それはその人の言葉や行いという表に出ることからだけでは理解できない。
 生きていくことは自分が知らない中に他人を傷つけていることが多々ある。
 こうやって安住の地を探し求め、誰もが生きている。

681:人材不足の時代

総務省の発表によれば、この8月の完全失業率は3.8%で上昇に転じたという。完全失業者が全国で249万人。以前と比較すれば雇用情勢は明らかに改善されている。しかし、一部の地域(東京:名古屋)に人が押し寄せる格差拡大傾向は変わらない。地方に行けば街の中心地は以前として閑散として、目抜き通りでさえシャッターが固く閉ざされている。失業率が改善される中で特徴すべきは、契約社員やパートタイムの求人が伸びているわりに正社員の求人は依然として0.6%台。
 私の知っている施設で、昨年から求人募集をしても集まらない。先月給料が安いという理由で男子の職員が退職し、今絶好調の某建築機会メーカーに転職したという。そのメーカーは中国向けの重機を製作している最大手、私の住む街にあるので景気の良い情報はいくらでも聞いている。地元の小学校は外国人向けの特別クラスを編成し、病院では窓口にポルトガル語の案内まで出ている。外国人労働者が多い街になった。工場の周辺は駐車場が急激に増えて、社員を増やしていることがわかる。
 だが地元の飲食関係者に聞くと人が大勢集まる割にはお金が落ちていないという。会社全体で社員が何人いるのか分からないが大半は契約社員やパートだと思う。当然、正社員と比べれば雇用条件は厳しい。また、中国の今の発展がいつまでも続くとは考えにくい。その時どうなるのだろう。言わずもがなである。
 しかし、他人事に見ているわけにはいかない。私の所でも同様の心配は当然ある。その対策に実は頭を痛め続けてきた。
 以前に比べ、福祉事業所に於ける組合活動は減っている。それでも何カ所か、私が知っている施設で以前として団体交渉や裁判になっているところを知っている。
 中身はそれぞれ異なった争点で対立があるのだろう。大分昔の話で恐縮だが、私の父と話したことがあった。施設での組合闘争をどう思うかという話だった。その時、父は「職員と経営者が一緒になって(共闘)国へ要求すれば良い」と言った。確かに30年も前の話だから頷ける。今、マスコミなどで取り上げられる実態はそうではない。経営者だけが太る法人の実態への不満が職員から爆発したものが多い。明らかに経営サイドの無責任な実態が問題だ。
 しかし、数は少ないかも知れないが、その逆の実態もあるのだ。利用者の事を後回しにして職員自らの既得権を要求する類の闘争である。お叱りを戴くことを覚悟の上で、このような状況の紛争は公立の事業所に多いと私は見ている。
 民間にもある、経営者自らが福祉にかける情熱で全力を挙げて経営している状況を逆手に取る。大部分の民間事業所は家族総出一族郎党で施設の経営に当たる。労働基準法に触れることを恐れ、無理な勤務は職員に極力要求しないよう努力している。理事長など365日一時とも施設の事が頭から離れることがない。
 これが今の日本の民間事業所の実態。(最近問題になった官僚に車を提供した法人など問題外だ)
 こうやって自らの理念に頑なに拘り、精魂尽き果てて旅だって逝かれた先輩の遺影を立て続けに拝んだ。残念だ。
 何をどう誓えば良いのか、今も悶々とした気持ちでいる。ご冥福を祈ります。
 

682:求めない

『求めない』加島祥造(小学館)という詩集を買い求めた。
実は、9日から阿見医大の口腔外科に入院したのです。入院といっても大袈裟だと言われますが、敢えて経緯を公表します。長年歯には悩みました。今回思いきって入院することにしたのは、正直小手先の治療では直ぐにダメになってしまう奥歯4本を抜歯することにしたのです。入院してまではと考えたのでしたが、実は事情があって入院したほうが良いことになってしまったのです。親知らずを抜く苦しみは、今回充分味わいました。全く眠れぬ一晩を過ごし、止血状態を確認するためにもう一晩厄介になり、先ほど二泊三日で無事帰還できました。これから治療は長期戦になるとのことで困ってしまいました。
 病院のベットに備え付けのテレビがあって痛みを少しでも軽減できるならと見ていたら、加島祥造という人の「求めない」という詩集の紹介がありました。何かを感じたので帰宅する途中の本屋で購入しました。店員さんに尋ねると直ぐに案内してくれて「売りきれて先ほど入荷したところです。いま流行しているようですね」とのこと。
・・・・・あらゆる生物は求めている。命全体で求めている。一茎の草でもね。でも、花を咲かせたあとは静かに次の変化を待つ。そんな草花を少しは見習いたいと、そう思うのです。・・・・・巻頭文・・・・
「求めない・・・・・すると「自然」になる。  だって自然はひとに求めないからだ!」P114
八四歳の加島が信州・伊那谷に独居し、詩作や墨彩画に遊行する、彼の人生で辿り着いた世界は今の自分に閃光を発してくれた。
 九日に私が入院した同じ日、成人寮の仲間のMさんが四ヶ月以上の意識の戻らない状況の入院先から別の病院へ転院した。彼は多分、加島の言う「求めない」生活に近い生活を尚恵学園で過ごしてきたと思った。
「求めない・・・・すると 比べなくなる。  (ひとと自分を 過去と今を 物と価値を 持つと持たぬとを)」P102
 何もすることが無くただ二倍ぐらいに腫れてしまった左顎を氷枕で冷やしながら病室の天井を見つめていた。
手を胸のところで組んで寝ていると、もう一人の自分が「こうやって人間は死を迎えるんだ・・・分かるか?
 ハットした。確かに亡くなった人は仰向けに寝かされ手を胸の所で組む姿だ。
 自分の死は、いつ訪れるかは知らない。ただ言えるとすれば、「お前がこの世でやることがあるまで、生きていなさい」
と言う天の声。だから任せる以外は無いんだなー。それまでは多くの人々に多大なご迷惑をおかけし、本当に申し訳なく思うのですが此岸で過ごさせていただきます。自棄に神妙になっているのです。
 加島さん自身が言っている。人間は元来「求める」という存在。それを肯定した上で、必要以上に求めようとしている者達への警鐘。彼が英文学から「老子」の世界に感心が移り、60歳を期に新たな生活を始める。その生き様は釈迦の言う「林住期」に通じる価値観だと思う。

683:ちびっこ来訪者

地元神立小の2年生8名がお母さん達と一緒にお寺にやって来た。地域の事業所を体験学習することが目的、自分達が希望する場所を訪れる。担任の先生はカメラをもって後から21カ所の事業所を見回る。事前に私の手元に質問事項が届いていた。
@どこでどんな修行をしてお坊さんになったのですか?
Aどんなものを食べているのですか?
B朝は何時に起きて夜は何時頃寝ますか?
Cお宝はありますか?
Dどうしてお坊さんになろうと思ったんですか?
等々全部で10問あった。正直に話した。大した修行もやりません。夜は9時に寝ますし普通のものを食べてます。お坊さんになりたくはなかったんです。と答える。すると8名のちびっ子が予想外の答えだったのだろう。メモ書きの手が止まる。次の瞬間、一斉に手が挙がった。質問  しつもんでーす。「あのさー お寺にお化けでますか?」
一番先にきょろきょろしていた子が尋ねる。すると他の子供達の目が彼に向く。
「さーじゃないでしょう!いいですかでしょう」と厳しい。1時間の約束であったが、正直矢継ぎ早に発せられた質問に答えるのが精一杯。一人の子が天井の感知器に気づく。「あれ何ですか?」「あーあれはね。変な人が入ってくると困るでしょう。だからベルが鳴るようになっているんだよ」「へーすごいなー」「ところでみんなの家に変な人来たことない?」と私から質問した
  するとどうだろう。少し遠慮した小さな声で「はい。時々家に尚恵の人が来ます。」
カクンとなってしまった。これこそ想定外の返事。そうか尚恵の仲間(多分GHの仲間達だと思う)は地域では変な人に映るんだ。
 最後に14名の尚恵学園で亡くなった仲間の写真が飾ってある仏壇に案内した。
 「この写真の人達はね。みんな尚恵学園で暮らした人達なんだよ。病気とかで今は亡くなっていない。でもねー。みんなは正直に言ってくれたよね。ありがとう。この人達はね。好き好んで障害者になったんじゃない。ご両親だってそう。でもねー。世の中にはね、このような人が沢山いるんだよ・・・・・・・」
分かったのかどうか知らない。でも静かに頷いて聞いてくれた。その後ろにお母さん達も一緒に私の話を聞いていた。
 それじゃお茶にしようと客殿に案内。一人の子が「僕ねー お茶嫌いなんです」皆本当に正直。これでいいや。
時間になった。鐘楼の鐘突いてもいいよと言うと全員が駆け足で突きに行く。
 すると一人の子が戻って来た。「あのーお坊さん お墓で今ころんじゃったけど 大丈夫??」と泣きそうな顔で尋ねてきた。「ああー大丈夫だよ」というと、また鐘楼の方に走って行った。

684:業界の危機

県社協の研修&人材センターより相談が有るという。留守中に何度も電話での連絡があったようだ。歯の腫れも大分治まってきたので、私が出向くことにした。内容は次年度の研修の計画を立てるに際しての意見を聞きたいということだった。前回の会議で「どこの事業所も職員を出張に出せる余裕など無いし、他にいくらでも研修はあるから、もっと研修の本数を減らすべきだ」という意見を述べた。10名ぐらいの委員の方で、私の意見に賛意を示してくれたのは2団体だけ、他は黙ったいた。賛同した団体は激動の中に置かれている老人と保育、現場の最前線の人達だ。意見を言わない人は、偏見かもしれない。だが大半がデスクワークを主な業務にしている事業所代表。人間相手の我々には待ったが効かない。そこが大きな違い。
 話が人材センターの事にうつる。職場説明会を今年も県内で2カ所実施、第1回目は先月水戸で行った。参加希望事業所が90カ所、しかし、会場の関係で60ブースしか取れない。そこで抽選になったという。これも実はおかしな話。求人は事業所にとって最重要課題だ。11月にはつくば市で2回目の説明会を実施する。その時は私も全体説明で参加する。既に90以上の申込が来ているという。
 この辺の対応がどうなのか、正直疑問を持った。
 若者の福祉離れが全国的に大問題、福祉系の大学や専門学校の6割以上が定員を満たせない。魅力がないのだ。その原因は一体どこにあるのか! 業界の奢りと読みの甘さだ。好景気になり、ハローワークのPCで求人案内を見れば一目瞭然、給与ベースが先ず違いすぎる。異業種間での格差は勿論だが、同じ福祉職でも初任給段階で相当の地域格差が生じている。
茨城は県南地区に養成学校が集中している。トータルの学生数はかなり多いのは確か。しかし、東京が通勤圏である。人材流出を防げない。
 私は福祉の仕事を始めてから35年が経った。振り返ると全てが大きく様変わりしている。従事者の数は数十倍数百倍であろう。国家資格制度も整備され、巷には多くの有資格者がいるはず。しかし、折角取得した資格を生かさないで違う職業に就いている方がこれまた非常に多い。同じ資格でも医師や弁護士と違うのは当然。同様に看護師も同じ状況がある。
 資格があっても二度と看護業務には就きたくないという人が多い。事情は分からない。だが、子育てや業務の厳しさ責任の重さから比べて割に合わない現実を経験しているのだ。
 ここにきて、国民の目線に立つ政治をどこの政党も強調し始めてはいるがどうだろう。
 社会保障を公金で賄う仕組みのキャパシテイの問題だ。所謂、福祉の財源問題をどうするか。もしもだ、決して望むことでは無いが、日本が戦時下にあればどうか?第二次世界大戦中、国民総意(?)で兵士を戦場に送った。私の寺の過去帳にも村社で激励会を行い見送ったとか、南方で戦死し、遺骨だけが戻り、準村葬で弔ったという記載がある。
 自国に資源を持たない日本が誰が考えても補給路を絶たれれば負けることは分かっていたはず。情報統制が有ったには違いない。それにしても当時の人々はどう考えていたのだろう。その事を知っている年齢層が確実に少なくなった。
 そして、増え続ける老人介護費、その影に隠れてしまった障害福祉、費用対効果で言えば、分母の数が絶対的に違うわけだから予算を獲得するのは至難の業。国は中長期の計画を立てねばならない。そこで手を替え品を替える制度設計をした。それが現状にミスマッチ、今当にその渦の中に我々関係者が置かれている。
 いつの世になっても障害者が生まれないという保障はない。寧ろ新たな障害を持って生まれてくる人が世界的に増えている。経済はハード面での地固め、福祉はソフト面での価値観や文化を創世する。

685:ひやりはっと

私が大切に思う報告の中に,【ひやりはっと】と【苦情解決】があります。最近どうもひやりはっとの報告書が増えているように感じています。大部分は怪我ですね。散歩中に転んだとかすれ違う知らないおじさんを叩いたなど。また、時には大事故に成らずに済んだ報告も入ります。自転車で車と接触、直ぐに通院、骨折まではしていない。これなど昨夜の出来事。
 二つの報告は必ず文章に残すように指示しているからだろう。専用ファイルはいつの間にか厚みを増した。
 問題は報告さえすれば良いということではない。家族に連絡をし、適切な対応をしたかどうかこの点を強調している。
だが、現実は?。何故だろうかといろいろ考えるとスタッフの勤務形体に問題があることが分かった。当事者が翌日には公休という場合にどうしても穴ができる。いくら申し送りを徹底させても難しい。
 そこで今回3日間だが病院での生活を体験し、阿見医大の対応の素晴らしさに正直驚いた。気づいた所をメモした。
@職員の対応
 *受付・・・正面玄関にはVSの案内者が立つ。車からの昇降をサポート。院内に入ると案内職員が腕章を付け、質問に対応。受付事務は丁寧な言葉と必ず「お待たせいたしました。今日はどのような診察を希望されていますか?」と声を掛けてからテキパキト処理をする。
 *医師・・・インフォードコンセプトが徹底している。先ず名札を示しながら「担当します○科の○です」治療の方針の説明と今後の見通しについて丁寧に説明する。
 *病棟看護師・・・夜勤者が必ず、「今晩担当する○です。何かあったら遠慮せずに知らせて下さい」朝晩に必ず体調を確認する。言葉も丁寧で何よりも笑顔を絶やさない。
 実は抜歯をした晩は痛みで一睡も出来なかった。氷枕を2時間毎に呼び出しベルを押して頼む。その時の迅速な対応に私は感心するばかりだった。気のせいか痛みも治まる。
Aトイレが清潔
 専門の掃除をするスタッフがいるのだが、それは日中定時に行われるだけ、その合間は看護師が交代で行う。いつでも綺麗で全く異臭はしなかった。
B予約と待ち時間
 私はあれだけ多い患者数にしては予約対応がスムーズにできていると思う。曜日により多少の時間のズレがあるが、その事は患者側が了解しているから苦情は出ない。
多分医療機関におけるサービスの向上は様々な方法で行われてきたに違いない。ここまでやっていてもいざ医療ミスが起こると訴訟の対象となる。厳しい修羅場を潜る中でスタッフ一人一人が自覚し、病院全体としての取組になるのだろう。
 大学病院での教授人事に絡む陰湿な戦いが以前テレビドラマになった。田宮二郎が主演だったかなー?
 医師不足や看護師不足が大きな問題の中で、大学病院の強みは医師や看護スタッフを自前で養成していることである。
 そして、患者側にたったサービスがなされていれば当然繁盛する。
 3日間の実体験は退院の当日からどこかに飛んで行ってしまった。加島の言う「求めない」詩集(No682)を買い求めた一番の理由がそこに有ったとは。。。。。ウーム。

686:老子&松山千春

「老子」に関して少し調べようと思った。今から二千数百年前の字数5千余の書物、作者には諸説有って結論は未だでていない。何故か 今の時代を生きるヒントがあるという。「上善如水」や「無為」というロジックは時代遅れのような感じを持つ。
 しかし、人間は二千年の歴史を重ね生き続けてきているが、何も本質的には変わらない。「争い」「欲望」「嫉妬」「失望」・・・などが充満し、より複雑に交錯し、勝ち組とか負け組と言った括りでは無理な時代。
 加島の言う「求める」と「求めない」の二本のヒモを上手に織り上げる人生がベストな生き方か!
・・・・”生きることが 辛いとか苦しいだとか言う前に 野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ!”・・・・・
 CDをかけてPCに向かう。私の好きな歌、松山千春。澄んだような高音の声で歌い上げる。彼が作詞作曲した歌はどれくらいあるのだろう。私に取って彼はシンガーソングライターの一人ぐらいの位置づけであった。何故、毎日聞くようになったのか、そして歌詞の内容までも。
 実は彼は男気があって、繊細な歌声とは正反対の好きなことをズバズバという気性の持ち主。鈴木宗男議員の応援団長、出身が北海道ということもあるが。鈴木議員と佐藤優が繋がる。両人とも自民党と外務省という組織からはみ出された人間で司法に於いて有罪判決を受けている。
 利用されるだけ利用されゼロからのスタートをした共通の生き様。他人にはない非凡な個性をもつ。
 多分、彼らの共通するものは、一つの事に埋没し不器用なまでも一生懸命働く人間であろう。組織に取って、そのような人間は必要。だから特権を与え、支援する。しかし、風向きが変われば組織にとり、危険分子となり惜しげもなく捨て去られる。普通の人間ならばそこで諦めるのだが、両名は攻撃に転じた。
 松山の歌い上げる 野に育つ花ならば力の限り生きてやれ 所詮我々は2千年の有史と比べれば束の間の人生だ。
 勝ち組とか負け組などと言っても誰しも野に産み落とされた赤子、多くの人の目に見えぬ恩恵があって今がある。
・・・・ふまれても 根強く 生きよ 道芝の  やがて花咲く 春も来るべし・・・・衆議院7期の農政通の第一人者竹内猛氏の
色紙に目が止まる。
 今の政治家に欠けている素養は、道芝のごとき謙虚で下向きな強さである。2世3世の先代の影が強すぎる議員には、所詮無理な注文だ。ゼロから這い上がる気力と体力が期待できない。老子にある潮時を守れ、このたしなみが通じなければ誰かが教えてあげて欲しいものだ。

687:工賃倍増とは?

昨日、県庁において18名の委員による第1回工賃倍増計画策定会議(仮称)があった。私も団体を代表して出席。正直、授産に関しては門外漢である。否、余り重要視していないというのが正直な気持ちだった。それが、いつの間にか「まんだら工房」にコンサルタントを導入し、やる気満々。9月から東京のコンサルが入り、事業所内でのプロジェクトチームの編成までしている。現在、まんだらでのメンバーさんへの平均賃金月額は3万円になっている。最低賃金からすれば、なんて低い賃金だと一般の人は思うだろう。しかし。茨城県の福祉事業所(授産施設&就労継続B型)の平均賃金は全国平均より低い月9,241円である。1日に換算すれば、一体いくらになるとういのか!(400円〜500円)しかし、現実は更に厳しい。授産を主に事業内容に取り組む事業所の実態が上記の如し、さすれば更生施設などの作業による工賃は限りなくゼロに近いのだ。
 この問題が国の重要項目にあげられた理由を私なりに解釈すればこうなる。自立支援法の目玉である就労自立を目指す中で、利用者負担の一律1割負担を決めた。現実は工賃収入よりも負担金が多く、働けど働けど楽にならす。それに対する利用者や事業所などからの猛反発、今の抜本的見直し論議の登場となった。(きょうさ連のHPによれば、改革の熱意はトーンダウンしている。押し切られそうな雲行きだという。)
 国は内閣官房長官を主査とする「成長力底上げ戦略構想チーム」を編成し、その中で1)働く人全体の底上げ、2)機会の最大化による底上げ、3)3本の矢(人材能力戦略:就労支援戦略:中小企業底上げ戦略)&人材投資を掲げ、戦略の基本構想を立ちあげる。今回の会議はその流れの中での地方版ということだ。
 これに対して矛盾が多い。意見を求められたので私は身近な事例を述べた。
 私の事業所で昨年と平均賃金が今年は下がった。精査してみて分かったことは、一人のメンバーさんが給食委託会社の正式雇用ができたためにその方の賃金が外れたためであることが分かった。数値目標をたてその達成をはかる一般企業向けの経営戦略が馴染まないところが実は福祉の世界には多い。
 一般就職できたことは職員やメンバーさんにとり、働くモチベーションを上げるためには絶好の成功事例だ。だが、工賃倍増計画からすれば、単に結果による数値評価ではマイナスという事になるのではないか?
 この点を指摘した。すると、就労支援戦略は他の担当者が行っているという返事。一人の支援に対し縦割り的なアプローチは不可能。
 私の法人の理念にはミスマッチ、通勤寮から私の法人は一般就労を今まで何十年もかけて実施してきた、現在20カ所に近い事業所を独自に開拓、メンバーの就労を実施してきた自負がある。今まで作業工賃を上げること以上に社会人としてのマナーやルールをメンバーさんに指導してきた歴史がある。
 国の施策を地方がそのまま取り入れる上意下達式のやり方は時代の流れに合わない。その点を次回の会議には委員に納得できるだけの資料を基に説明したいのだが。(実際は障害福祉事業所の種別がこれまで多くなった経緯を無視できない。個別対応をすれば、当然はみ出してしまう人が出る。その人達を救うために新たな仕組みや制度を開拓してきた歴史は無視できない)
 つまり、対象になる人が一人一人違うという事をどう位置づけるかという事。事業所全体での平均賃金を上げることは、確かにコスト管理や付加価値の高い作業を選ぶことで有る程度は可能かも知れない。
 しかし、どうしても譲れない福祉現場の言い分だけは伝えるべきだと確信した。以後、経過を報告します。皆さん、何か参考になる意見があれば情報を下さい。お待ちしていますよ!!!!。sumita@sjk.or.jp,まで。

688;無為自然

竜頭の滝
作為を加えず、有りの儘にいきることを「無為自然」という。これは守屋洋氏の「老子の人間学」からの引用である。真に「足を知る」ものが富者であるという。
 私など凡夫には、それじゃ何を基準になどと疑問が直ぐに湧いてくる。日本はご承知のように四季をもつ国である。今年など秋が来ないのかと思ったが今全国各地から秋の便りが届く。(上記は昨日、日光から届いたもの)。国土の7割以上が森林だともいう。この豊かさをどれだけの人が感じているのか?
 仏教の教えに「自然悟道」というものがある。教えによらず、自然に開悟することをいう。この境地には至れないのは勿論だ。先日、坊さんの研修会を開催し、24名の方が参加してくれて座禅会(観法)を行った。作法の通り座っても、雑念が次から次に頭を過ぎり、全く集中できなかった。俄な行は所詮薄っぺらなものだ。
 それに人間は現実の生活に身を置かないと何か借り物を着ているようで居心地が悪い。
さて、今スタッフとの理事長面接を開始した。正直に言えば、やりたくない。20分程度の面接で何が分かるのだろうかという疑問があるからだ。昨日は午後から5名の職員と行った。パン工房のスタッフであるから、私なりに工夫をした。サザコーヒーの豆を入れて飲んでもらう。お世辞半分だと思うが、入れ立てのコーヒーを皆さん喜んで飲みながら話をすることができた。
 そこで新たな夢が語られる。自然の中でメンバーさんのペースに合った作業を考えたいという。60歳を一つの区切りとするならば、我々自身も同じだがメンバーさんにとっても日課を見直すべきだという。
 そこでのアイデアがブルーベリーを作ったり、焼き芋を作りリヤカーで販売に行くという。VSは定年で時間のある人達を募集し、作業小屋と畑があれば良いとも言うのだ。
 今、コンサルが入り、工賃倍増を考え始めた。若い時ならまだしも60歳を越えてまで作業収益をあげさせようとするには忍びないという。
 私の夢と一致する。実は私自身が一番やりたい事なのだ。できればログハウスでベランダがあって、薪ストーブがあり、コーヒーカウンター、音響装置があれば尚良い。壁にギターが掛けてあり、昔歌ったフォークソング。ヘタなピアノとのジョイントコンサート・・・・・・。
 ベランダからはブルーベリー畑が見え、近所のお年寄りもお茶のみに集まる。・・・・・・・・夢想の時間はいくら有っても心地良い。(否、ダメだ。今から始めなきゃー。いつになってもできやーしない)
本来の寺の在り方を今までずっと考え続けてきた。その一つの方便として尚恵学園があった。「この考えは父が生きていたらどう言っただろう?」
 しかし、これは根本的に「無為」ではなく、自然発生的なものではない。だから無理があり、決して満足のいくものではない。
 どんなに美辞麗句で飾ってみてもメンバーさんの立場にたっていない。こちら側で作為的に用意した器での食事会といった域から抜けでない。
 その欠陥を他の要因で暈かしている。その足踏みの間に多くのメンバーさんが確実に年老いてきた。
 そんじゃー やっかーな!
 

689:第45回手をつなぐ育成会茨城大会

昨日は県民文化センターにおいて育成大会がありました。私は副会長を仰せ付かっています。あれは3年前だった。初めて参加し、開会セレモニー壇上の席に座り、ドンチョウが上がる。するとどうだろう。一瞬目を疑う。客席はがらーんとしており、所々に関係者や役員が座る光景が目に飛んできた。壇上来賓席には橋本知事を初め多くの方がズラリと並んでいる。そのバランスの悪さを感じた。ここだけの話、知事の人柄を感じた。「休みじゃないからご父兄が集まれないのかなー」と話していた。その後、正直に鈴木会長に私の意を伝えた。今年は8割位席は埋まっていた。バスにて大勢で参加する市町村もあった。
 最後の挨拶を私が行うことになり、「福祉の先進の県は黙っていて今に至ったわけではありません。皆さんご家族の方が声を大きくし、運動を根気よく続けた結果です。私達施設も今たいへんな時期に来ています。一緒になってやっていきませんか?・・・」と訴えた。閉会宣言を終わる前に席をたつ人も何人かはあった。熱心にメモを取る方もいた。
 どうか、皆さんが我が子の将来を思うのであれば、今こそ正念場だと思うんですね。今年も残念ながら起こってしまった某市での親子の悲劇を二度と繰り返さないために。
 ここ数年の所管課障害福祉課は事務量が急増、担当者のご労苦は充分わかっている。それがあるから親も立ち上がり、我々も意を強くする。この相乗効果が何かの結果を生み出すと信じている。
 しかし、この緊張状態は利用者さんにとっては受け入れにくいようである。そりゃーそうだわな。若い頃、私が研修した施設で、組合運動最盛期であった。その時の様子を今でもはっきりと覚えている。指導課長は自室に監禁され、マイクをもった職員達が大声を立てていた。私は研修生の立場、違和感を感じていたが、寮には利用者さんたちが無為な時間を過ごしていた。
 労働する側の言い分は大切に思う。今、若者の福祉離れが急速に進む一因になっていることも労働条件の問題ということも確かだ。
 だが、私は矛先が違うのではと思う。  決して争議を煽るつもりはない。だが、多少なりともバランス感覚を望みたい。
 育成会活動の中心メンバーは在宅障害者の親たちである。大会初めに全員で立って歌う、育成会の歌(下記)、この中に歌い込まれた願いは決して福祉従事者と家族:利用者が対立する内容ではない。共通の願いである。
手をつなぐ母の歌・・・・久富吉晴作詞・作曲
   2番
         深き希(ねが)いに 活きる人 行く手を望みて倖わせを
                  共に 拓かんまこともて  手と手をつなぐ母われら

 茨城県においても特殊な事業所への県の負担が多すぎるという問題が長年未解決である。私はその中身を県民にオープンにすべきだと思う立場にいる。
 昨夜は自分の法人内主任者会議が夜有った。寺の集まりの後、会議室に行くと丁度終わったという。
 「ぶるーべりーをやっぺー」とだけ話をした。施設は長年、利用者さんとの生活の場であった。泣き笑いが絶えない生活の中に私自身が彼らから力を得たり、癒しの時間が持てたのは事実。その原点はいつの時代になっても変わらないと思う。
 
 振り向かないで この道を 歩き続けて欲しいから めぐる季節のその中で  流されないで欲しいから
 もしも歩き疲れたら 僕が唄を歌おうか  君の瞳の輝きが 涙なんかで曇らぬようにね
 もどることなく この道を 歩き続けて欲しいから  だれもみえない明日の日を 信じ続けて欲しいから
 ・・・・・《歩き続ける時:松山千春》

690:休日&祭

自転車に乗った3人連れがお寺にやってきた。「写真とってもいいですか?」と話しかけてきた。直ぐに日本人ではないと分かった。とても清々しい表情で人なつっこい。「どこから来たの?」と尋ねると「インドネシア」。「何しに来たのよ?」「ヒタチ・・ヒタチ::ショベル」という。そうか研修生で働きにきている連中だな。「日本語うまいね!」というとまだ日本に来て2ヶ月という。来る前に少し日本語を習ってきたようだ。一緒に英語と日本語ごちゃ混ぜで話す。鐘楼の鐘を一緒についた。とても喜ぶ。日本には1年間滞在するというのだ。彼らは21歳と22歳、一人は国に帰って結婚するという。彼女が待っているのかと言うと恥ずかしそうに笑った。結婚資金を1年間で貯めるという。「日本のどこに行った?」と尋ねると「アキハバラ」と言ってデジカメを見せた。「デズニーは行ったの?」と聞くと「明日行く。会社でバス」地元の企業、日立建機は今景気が良い。外国の労働者も沢山受け入れている。片田舎の我が町は国際的、地元の郵便局や病院はポルトガル語や韓国語、中国語で表示がある。
 さてと、食料自給率が40%を切った。ガソリンの高騰。テロ特措法。地球環境問題。少子化。医師不足。高齢化問題などなど新聞紙上を賑やかしている。
当に現代は情報氾濫時代。IT化を国が薦める。昨日など何度光フレッツ登録の案内電話が入ったことか。この地域もやっと1月からサービス開始をするという。NTTの関連会社というが接続を請け負う会社らしい。何がなんだか分からない。サービス期間に入ればお安くなりますよなんて言うから余計疑いを持たせる。
 規制緩和の中で消費者は大混乱しているのも事実。
もう無法地帯化しているじゃないの。
 さすればどうするか! 食料自給をするんだ。先ずイモ。収穫を待つイモが2反歩あり、お寺にあがった新米が3俵。・・・何を非現実的なことを考えているんだろう。200人の食料が足りるわけないだろう。次はガソリン高騰対策。全職員自転車通勤OR自力歩行。日中活動は大子の山から薪集め。。。。。
祭編・・・今から尚恵祭に行きます。天気は秋晴れ絶好の日。
 出し物・・・土浦五中ブラスバンド48名:筑波大尚恵グループ:三五囃子連:ストリートダンスの皆さんが出演してくれて盛り上げていただきました。(*)土浦五中は我が母校、今年コーラス部は全国??大会で銀賞受賞、凄いんだ。教頭先生談。
 朝、先日車との接触事故を起こしたKさんが自転車で「お早う」と後ろから声をかけてきました。「良かったなー骨折しなくて」「うだー俺 サンマの骨食べるからよ」「サンマ?」「ウン 骨まで食べるからよ、骨折しねーんだ」という話でした。
 これ医療費削減?