源究40

  

鐘楼堂地鎮護式10/3
NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
436 10月1日 10/1 441 散歩万華鏡 10/10
437 県警本部・・ 10/3 442 兵庫大会 10/13
438 会長として! 10/6 443 蓮田の芸能人 10/13
439 万歩計 10/7 444 おはよう!! 10/15
440 Mちゃん7回忌 10/8 445 活動開始 10/18

436:10月1日
神無月10月である。日曜日。檀務があって朝から衣姿でいる。彼岸花はもうそろそろ終わりに近づいた。その代わりに今コスモスが咲き始めている。休耕田にコスモスを植えて花見客を呼ぶ所も最近目に付く。日本の食料自給率は40%とか、先進国は殆ど自分の国で賄っているというから、日本だけが特殊なんだと思う。
本当にこれで大丈夫なの?日本の農家は後継者が無く、専業農家は高額な機械の借金に四苦八苦している。 政権が小泉首相から安倍首相へと変わった。課題が山積している。これをどのように裁いていくのか、大変な仕事だと思う。
 私の身近な所での変化、最近寺墓地へ移動する家が増えてきた。田舎には共同墓地があって、それぞれの家で管理してきた。それが跡取りがいないとかの理由により、管理を寺で行う寺墓地(霊園)へ墓地を移す家が増えてきている。
 確実に何かが変化している。少子化や高齢化との絡みもある。ここ神立は新しい家が結構建ち始め、人口は少しずつだが増加している。昔からの家では立派な母屋があっても、若い人達は屋敷内に今流行の家が建てられる。食べ物や生活習慣が異なる世代だから仕方がないかなー。以前訪れたマレーシアで思ったこと。マレーシアでは長屋みたいな大家族生活の場が今でも残っている。「共生」とか「共働」ということを敢えて唱えなくても否応なしに存在する。その辺を日本人は嘗ての懐かしい思い出として語らう人達が未だ生きているから辛うじて残っている。この先どうなるのかなー?
 今から葬儀に行かなければならない。そして、今晩はお通夜がある。連続の弔いである。斎場が異なると式の進め方も微妙に変わる。坊さんが疲れているなどと言っていられない。
 

437:県警本部・・・

『こちら茨城県県警本部通報センターからです。そちらからたった今110番が入りましてね・・』
その電話を受けた事務所の職員は慌てた。
『そちらの利用者さんのTさんから110番の通報がありました。自分の周りで今、事件が起こっているからというんです』 「ハッハイ」
『尚恵学園の公衆電話から電話を掛けているというので、せんせいに話をしたの???と尋ねたんですが』
『何も起こっていなければ結構ですよ』「すっす み ま せんでした」
今の公衆電話には赤ボタンで110番通報を一発で出来るようになっているんです。実は利用者さんが電話を掛けられるようにとカード式の公衆電話を寮の中に設置してあるんです。正直、初めてなんですね、その赤ボタンを押した事件(?)は。でも本人は周りで事件が起こっていると話したというから、・・・・
 実際は利用者さん同志でのこぜりあいがあったのかしれない。
通報センターの方がご本人に丁寧に説明してくれたという。
『そーうですか。はいはい。それで先生には話しをしたんですか??』と受け答えしてくれた。本人「まだ、してません」だと。幸か不幸か知らないが、ああーまだ話が分かるおまわりさんもいるんだ。ほっとした。
 この事件のあと、公衆電話を撤去するようにとはどうしても言えなかった。(理事長として)
だってそうでしょう!
 地域でありのままに生活できる・・・・・・これが10月1日から完全施行された○○法の目的でしょうよ。
彼らが地域の中で自立した生活を営むことが如何に難しいか。国は利用者に対する支援職員の割合を減らし、更に利用者負担を増やしている。きめ細かな自立支援を保障するのであれば、全く逆の方向に進むべきなのに。世界第2位のGNPはどうした!!恥ずかしくないのか(久しぶりに怒りが込み上げてきた)丁度その時ニュースで福島県での談合事件の報道があった。あーあーと腰砕け。
 今回の事件?はひょっとしたら利用者の本心からでた悲鳴(110番通報)だったのかもしれない。そう思うと背筋が寒くなった。

438:会長として!

今年の4月に県心身協の会長に推され、全く自信の無い状態で引き受けた。丁度制度が変わる時期に当たり、全てが初めからのやり直しという、異常事態にであった。丁度半年が過ぎようとしている。水戸(県庁)に行く回数も格段に増え、いやー参ったなー。それでも待ってはくれない。
 尚恵学園は昭和31年スタートであるから50年を経過したことになる。法人の記念事業など考える余裕もなく、毎日の煩雑な事務処理に追われている。えいー!100周年をやればいいや。俺の知っちゃこっちゃーねー。
 自立支援法という新たな制度いざ始まって行政から事業所、更には利用者まで「一体どうなるの??」と右往左往の現状、いずれ納まる所に納まるだろうが。冷静に見れば従来のあり方を根本的に見直すにはとても良い機会になっていると思う。特に私どものように歴史だけを積み重ねてきた事業所にとっては刺激的である。
 会長として何をやりたいのか?
 施設家族会の連絡協議会を設けることが一つ、横の繋がりが無い状況が長かった。施設長同志の組織は以前からあったのだが、利用者側の連携を持つ場がなく、単一事業所だけの組織であった。今回が良い機会だ。事業所への圧力団体になるという危惧が一部にあることは知っている。そんな時代じゃないよ。
 次に事業所としての主体的な研究の場が必要だということ。その一つとして「障害程度認定研究」を実施することになった。これも実は行政任せの状態であったが、正直そうは言っていられないという追いつめられた状況になったからだ。なにせ1〜2時間程度の一次調査で何が分かるか?という気持ちは施設側にはある。
 数字で表すことはある面では仕方がないと思うが、その数字の根拠に物申したい。そこを研究しようとする場を設けた。
 いずれにしてもこれからは納得のいく根拠によって利用者の希望が叶えられる仕組みを築かなければならないと考えた。
 正直、700軒を越す檀家さん(2ヶ寺)を一人で切り盛りしているので早く会長という大役を次に譲りたい。複雑な心境を吐露したまででありまする。

439:万歩計

その1今年の夏頃から万歩計を付け始めた。目標1日1万歩!これが結構難しい。今週は寺の用事が多く、白衣を着ている時間が多かった。帯に万歩計を付けていたが、カウントがいつもと違う。極端に少ない。私は変なこだわりがあって、年と共にそれが激しくなったかなー。しかし、疲れがどっと出ている。何故だ!今週1週間で実はお葬式が5件もあった。初めてだ。もうクタクタ。皆さんには分からないでしょうが、坊さんも実は大変な肉体的精神的加重がかかる仕事なんです。だってそうでしょう。例えば1時間声を出しっぱなしにしてみてください。そうは簡単にできることじゃないものです。複数で法要を頼まれるお寺さんなら、多少役割があって休憩?が取れる、それが私の寺は殆どが一人なんですから、もうフル回転です。火葬から埋葬まで行きますから1日仕事ということ。
 あれーこのような事を書くつもりは無かった。でも、今、白衣を着ながらこのページを打っているからこうなっちゃう。そうだ、万歩計の話、学園を利用されている方で年中動き回っている方がいるんです。万歩計で測定したらどんな数字がでるかなー。動きの多い方は大半が痩せている。エネルギー消費が多いからでしょうね。
 テレビでやたらと宣伝している楽して痩せる運動器具、これなど電気仕掛けでブルブル筋肉を振動させて痩せようとするもの。全く人間堕落したものだ。皆さんの中で午後の3時頃にテレビを見れば一目瞭然、大体が苦労せず痩せられるサプリメントとか器具のコマーシャル。このーバチ当たりが!!!
その2
歩きの効能・・・・顔が見えること。すれ違う人との何気ない会話から相手の顔が見える。相手が車だったりすると「なんで住職歩いているの?さては免停か!」など瞬時だが、こちら側はバッチリ相手の表情が分かるのだ。
 今朝のことである。いつも寮までGHより歩いていくSさん。彼は片足が不自由だから歩く速度はゆっくりで我々の2倍は充分かかる。その彼が道ばたで山に向かって気持ち良さそうに放尿中、『なんでー歩いているのけー。あるかねーと足が弱っちゃうかにゃやー』ときた。全く自分がルール違反などしていることなど無頓着。「それじゃー先に行くよ」と声かけして追い越す。『アイヨ』と振り向いた瞬間、バッチリ放尿途中のムスコを見てしまった。ああー今日は良いこと有るかな??朝から変なモノ見せられたにゃーや。

440:Mちゃん7回忌

その1
本当に早いな!Mちゃんが亡くなってから丸6年が経った。今日はMちゃんの7回忌を午後2時から観音寺本堂にて行った。学園の仲間にも声をかけておいたので15名位の仲間が出席してくれる。家族の焼香が終わって、仲間達が焼香、スタッフに横についてもらってそれぞれが思い思いに焼香を行う。座布団に座るやいなや、柏手(かしわで)みたいに両手を強く叩いて音を出すMさん、ミュジック「風」の仲間だったYさんは丁寧に一つづつ香を摘んで3回行う。前机に置かれたMさんの元気だった頃の写真をじっと見つめていたN子さん。
それぞれの思いを知ることはできない。しかし、観音寺に飾ってある遺影も大分増えたものだ。向こうの世界でグループホームが3カ所位できるなー。みんな何してるのかなー?ただ、救われるのはみんなの写真が笑っている顔だということ。
 来年には観音寺に出来る癒しの鐘がみんなで打つことができる。合掌。
 その2
梵鐘を富山県高岡の老舗に注文した。その梵鐘に彫り込む字に『共生』という言葉を選んだ。鐘楼堂を作る計画が持ち上がった時から私は決めていた文字。尚恵学園が創立時から掲げている文字だ。
 それにお釈迦様誕生の地、ルンビニーで拾ってきた赤煉瓦の一片もお堂の真ん中に埋めようと決めている。鐘の音色は単に赤松の撞木と梵鐘の当たる音ではない。音色から何を感じるかである。
 私の夢は、学園の仲間が交代で打つ、梵鐘を地域の人々が「共に生きている」と感じ合うことである。

441:散歩万華鏡

いやー本当に観音寺の周りは散歩する方が増えました。確かに6メートルの道幅は車が来ても避けるのに十分の幅があるし、何しろ景色が抜群だからだろう。適当な高低差があって、畑や山それに田圃と小川、これだけの自然が残っているのは神立でもこの辺だけかもしれない。境内の脇をその道が通っているから様々な散歩の人達と顔を合わせるのだ。昨日は中年のご夫婦が乳母車を押してやってきた。どんな赤ちゃんかなと覗いてみたらそれがワンちゃんだった。「あれー。ワンちゃんだ!いいな・・・」と声掛けると「この子はリュウマチで良く歩けないんです。それでこうやって散歩に連れ出してやるんですよ」と。そのワンちゃんは見るからに雑種ではなく小綺麗な顔だちの血統書つきのワン君。後でいろいろ考えた。あの夫婦には子供がいないのかなー?それでワンちゃんを子供と思って育てているのかもしれない?
 乳母車と言えば80歳を優に超えているお婆さんもやってくる。乳母車は途中で自分が休息を取るために押している。そのお婆さんは毎日、旦那さんが眠っているお墓参り。ご苦労様です。
 一心に前を向き、両手を大きくふって歩く奥様、何か声を掛けると失礼になるよな雰囲気だ。何が楽しいのかなー?
それから地元代議士の先生と老人会の会長さん。どうもこのグループは歩くというよりはむしろお喋りと休憩が目立つ。地元視察だから、まーいいか!
 そこに忘れていました観音寺の住職さん。これまた三日坊主かともっぱらの近所の評判だったのが、結構続いているから不思議がられている。本人はいたって真剣である。万華鏡ならず、万歩計とのにらめっこ。
 歩いているといろいろな事に気づくものです。大風の後、木が倒れているとか栗が落ちていたとか持ち主の家にうるさく電話を掛けるものだからひょっとしたら近所では迷惑がられているかもしれない。知ったこっちゃーねー。
 自分の山は自分で管理せい。これっていつも私が言われていることでした。

442:第6回全国障害者スポーツ大会・・兵庫大会・・

12日、県庁講堂において第6回全国障害者スポーツ大会(兵庫)の茨城県選手団総勢68名の結団式が開催されました。国体と同じユニフォームを着た選手団が一同に集まると頼もしく感じました。選手それぞれが県の代表として選ばれたという誇りと大会に向かう緊張感が重なり厳粛な中に結団式が執り行われました。
 鈴木県保険福祉部長の挨拶の後、来賓の挨拶、そして選手宣誓、団長の決意表明など、最後には全員での記念撮影(HPトップ写真)。
 私も初めて去年岡山大会に団長という大役を仰せつかり参加しました。5泊6日という滞在期間は長く、途中で体調を崩すものが出たり、様々なハプニングが起こります。競技が終われば観光する時間も僅かだがあり、選手団同志の親睦を深め合うこともできました。毎年開催県の努力で内容が充実、最後のお別れイベント企画などは大変な盛り上がりが見られます。果たして今回はどのような企画がされるのでしょうか。
 しかし、私はここに一抹の不安を感じています。それは本来の競技の目的がコマーシャルベースで進みすぎていないかという危惧であります。お金を掛けることも大切ですが、参加者の気持ちを十分に配慮したものであるべきでしょう。
 また、同時期に熊本県でスペシャルオリンピックが開催されます。茨城県からも4名の選手が出場すると新聞に出ていました。こちらは世界大会ですから、趣旨が異なります。しかしですよ。選手の所属する養護学校は同じなんですね。たまたま重なってしまったのでしょうか?競合しちゃーダメですよ。
 障害者スポーツには隔てがあってはいけないと思います。
 今でも思い出すのは大分前の全国障害者スポーツ大会茨城大会(ゆうあいピック)の当日、台風の直撃で開会式が出来なかった時のことです。私は那珂湊の民宿に前日から泊まり込んでおりましたが、一向に止まない雨を窓越しに複雑な思いで見つめていました。
 手作り故に思い出多い大会であったことには間違いありません。選手団を見送り、ふとそのような思いが頭をよぎりました。

443:蓮田の芸能人

今朝、蓮田にていつものようにご夫婦でレンコン堀をしているKさんとバッチリ出くわす。『ヨーお二人さん。カメラで撮って良い?』「ダメダー。蓮田の芸能人になっちゃうべーよ」ときた。構うことない。デジカメで一枚パチリ。上のスナップよーく見るとダンナが水の中でポンプで水圧をかけて掘っている。奥さんはダンナが掘ったレンコンを水で洗う。二人三脚とは当にこのことだ。今の時期は毎朝早くからこうやって夫婦二人で田に入る。大変な労働だ。『少し持ってけーば!」と何本かのレンコンを渡された。毎年の風景だ。でも私が歩き始めて初めてこのような触れあいが持てた。後ろから銀行の方がオートバイできて、バイクを停めて、「住職さん、歩いているんですか???へー」と声を掛けていく。長閑な一時だ。
 近くのスーパーではレンコンと松茸やアサリと食品棚に並べられている。松茸やアサリは北朝鮮産のものが安くて店頭に多く並べられる。今回の核実験の制裁で輸入規制が始まった。日本人の食料自給率は40%を割った。以前イギリスが同じ自給率が低かったが今では70%を越しているという。
店頭に並ぶ食料品一つを考えても非常に複雑な仕組みと背景がある。
 我が家でも今年は2坪程の畑を作った。見事にピーマンとナスが実を付けた。しばらくこの2種類だけ自給自足ができた。美味かったなー・
 『よーKさんよ。今晩もコレか?』彼はお酒が何よりの好物、健康だからできることだわなーKさん。レンコンごちそうさま。
 

444:おはよう

彼(Sさん)は足が不自由だ。歩幅は普通の人の半分より少ない。歩いている姿は失礼だが、チョコチョコ小刻みに足を交互に動かして歩くから妙に見える。GHより成人寮までの距離は1キロぐらいか、彼は多分40分ぐらいかけて歩いていくのだ。私が家を出た時に彼が道を歩いていた。少し後から付いていく。彼の大きな声が聞こえた。「おはよう」「はやいなー」「散歩けー?」
 すれ違った夫婦に彼が声を掛けているところだった。私は少し後から歩いていた。その夫婦も「おはよう」と声を返して笑顔を交わす。その夫婦が私とすれ違う時に「あの方ね、グループホームに最近入った方のようよ・・・・元気ねー」という二人の会話が聞こえた。私もその二人に「おはようございます」と声をかけた。二人はニコニコして「おはようございます」と答えてくれた。
 地域で自立をという今回の法改正、本当はとても難しい、関係者利用者だれもが今までそれを願ってきたのに出来なかった。その事を良く考えないと掛け声だけに終わるだろう。
 GHを10年前に始めた頃だった。近所の方たちの不安な様子が肌で感じた。何かされるんじゃないのか?火の始末は大丈夫か?など直接間接に私の耳に入った。そこで考えたのが、世話人さんを地域の主婦に頼むことだった。それでも長続きしない人がいた。そこで世話人を固定しないで複数で交代してお願いすることにした。
 一人で悩むよりはグループで話し合うことで大分改善された。また、利用者さんの良いところが徐々に近所に認められてきた。燃えないゴミの収集の日に、朝早くから収集場所に立っていたKさん。近所の方が区別しないでカゴに入れようとすると彼が区別して入れ直す、最初は嫌みに取られたようだが、彼が純粋にその事を喜んで行っていることが分かり、今では彼が弁別する必要が無くなったと聞いた。
 地域で生活することは、その地域に仲間入りすることである。地域で生活するからといって無理しては長続きできない。ありのままの彼らが認められてこそ、生活の第1歩がスタートできる。
 今朝もSさんが歩いていく。私に声を掛けてきた。「歩くとよー。足が丈夫になるなー」と全く気負った様子は無かった。

445:活動開始

いよいよ活動開始しましたよ。エンジン全開!今月30日には障害認定研究会を尚恵学園にて開催します。国も見直しを進めているとかの情報はあるのですが、待っていられません。そこで県内の有識者(?)と思っている施設長を7名ほど選出し、筑波大の名川先生にも加わっていただき、茨城県版、障害認定審査へのメスを入れようと大それた計画を立てました。果たして結果はいかに?更に、施設家族会の連携を持つべきとの要望によって連絡協議会を作ろうということになりました。既に幹事施設の方(8名)にお集まり頂き、方向性の確認をしました。全員賛成です。更に自立支援法の第1回勉強会を実施しようということで、家族会も含めた集まりを11月26日に実施予定。施設長と家族会代表が一緒に研修をするのは初めての試みです。
次から次へ出てきます。余りにも課題が多くて正直整理するのに大変な状況です。
私の性分でしょうか、動きながら考える。早寝早起きが以前に増してはっきりとしてきました。今、昼の12時、眠気が強くなってきました。ヨーし、これで良い。