源究39

   

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
426 運動会 9/16 431 65歳 9/24
427 ネット有効活用 9/18 432 機械化農業 9/25
428 お彼岸 9/20 433 安倍新政権へ 9/27
429 鐘楼堂契約 9/21 434 情報多重社会 9/28
430 ス&手抜き 9/23 435 1日の隔たり 9/30

426:運動会

土浦市内の小学校は今日土曜日が一斉に運動会である。幸い天気は良くてどこの学校も朝から花火がなって実施した。尚恵学園は昨年からずっと続けてきた運動会を止めることにした。理由は車イスや体力が弱くなった利用者が増えたこと。実はもう一つの理由が大きい。雨の場合に学校と違って日延べすることができない。準備に多くの時間が取られ、一発勝負で雨でやむなく中止になったことがあった。家族も県内各地より集まるから大変。また、練習や本番でケガ人が出るようになったことも理由の一つだ。その代わりの行事として親子での触れあいの場を設けた。
 この時期、農家は稲刈りに大忙し。今日など土曜日で天気は良いし、絶好の稲刈り日だ。先ほど竜ヶ崎に行って帰ってきたところ、稲敷の広大な田園にはコンバインが入り、稲刈りの最中だった。しかし、一昔前とは風景が随分変わった。コンバインと軽トラックぐらいしか見えない。夫婦二人で稲刈りする時代になった。昔は家族総出で行った年中行事、片方では運動会をやりながら同時に稲刈りをする時代だ。
 休日農家の人が増えたことにもより、これまた一発勝負。片手間の農業などと言ったら叱られるだろうな。でも実際はこの辺はそれが実態。今、沖縄辺りに大型の台風が接近している。九州では雨による被害が出ている。例年になく九州は大雨での被害を被った。稲刈りどころの話ではないだろう。自然を相手にする農業で一番気になるのが天気だ。
 一方、尚恵学園は毎週土曜日には筑波大学の学生がVSで大勢来てくれる日だ。さっき、散歩組が学生と並び歩きながら嬉しそうに学園に戻っていった。(時間の経過を感じたことがあった。2日前、ある人に紹介されて筑波大の先生にあった。彼は大学院の先生、良く聞いていたら学生時代に尚恵学園にVSで来ていたそうだ。)
 運動会だから、一時預かりの利用者が朝から大変混雑、受け入れが大変だ。持ちつ持たれつ  世の中が一つの輪の中で関係しながら動いている。(これぞ運動会)
 

427:ネット有効活用

自民党の総裁選が間近に近づいた。マスコミは連日3人の候補者を出演させてはその違いを追いまくる。聞いている方はどうかといえば私を始めクールな心境で眺めている。やってみなければわからねーだろうにと。 面白い報道があった。ネットでは、太郎候補者が一番人気だそうだ。若者に人気ということにも繋がるのか!晋三候補者は圧倒的に選挙戦を優位に運んでいることは承知のごとし。でもネット上では何故そういう現象が出ているのか?太郎候補が物事をはっきり言うからなのか。
 ネット情報は今やもの凄い勢いで広まっている。止めようがない。そこで茨城県心身協のハーネスというホームページへ提案した。会員の参加するコーナーを設けてはどうか。情報は一方的では直ぐに飽きられるという私の持論からだ。直ぐに事務局が対応してくれてそのコーナーを新たに作ってくれた。
 ネットの交流というものは反応を確かめることが実に難しい。私は一人でこのホームページを作っている。人によっては裾のが広すぎて焦点が見つけ難いという批判も聞いた。しかし、我が道を行くのだ。提供している側で一番嬉しい反応は批判的な意見も勿論だが、「時々見てますよ」「私も同感です」という言葉やメールでの意見を頂戴した時である。ああー見てくれている人がいるという実感が次なるエネルギーになってここまでどうにか続けて来られた。
 それから便利な事の一つに外国との交流も全く国内と同様にできるということがある。何人かの外国に住んでいる友人と情報の交換をしている。私はネットを通じて寺関係、施設関係で情報を伝えたいと思っている。先ずHPの存在を知ってもらえないと無理。さらにリピーターを増やす努力。新たな風を受けることも重要。
ボケ防止になるかなー。

428;お彼岸蔓珠沙華

本日20日は彼岸の入りである。早朝より墓参に訪れる人を見受ける。お盆月より日が浅いのに仏教の年中行事としてのお彼岸が昔より続けられている。彼岸花というものがあります。別称は何百もあるという、地域ごとに呼び名がある。歌で有名になった”蔓珠沙華”もその一つ。どなたがうたったものか知らないが四国の遍路での句がある。
 伊予の秋遍路の道に蔓珠沙華
         咲きて煩悩なほ消し難し
伊予は四国愛媛県である。札所巡りで讃岐から順打ちをやると、高知から宇和島近辺がすばらしい。海辺の道を辿りながら,ミカン畑と漁村の間を歩く。秋のこの時期道ばたには彼岸花が咲いていることだろう。花を咲かせる時には葉がない珍しい花だ。秋と春の彼岸、趣が異なる。どうしても秋は今から冬に向かう,紅葉や気温の変化を肌で感じ、我々のこころをもの思いにさせる。自分の生きてきた道はどうだったかな?上で紹介した句では人生を遍路に例えている。煩悩は仏教では成仏への障害と考え、取り除こうとする。しかし、同じ仏教でも”煩悩即菩提”という意味付けをしている。煩悩はすなわち仏の悟りの境地であるという。福祉の仕事を夢中でやっている私の友人からこんなメールが届く。
 「俺は人生を間違えた、自分と同期の輩は定年で第2の人生を悠然と楽しんでいる。福祉の仕事はやればやるだけ問題が多い。空しいの一言に尽きる・・・・」
 福祉関係者でかなりの数、今、同様の思いに陥っている。何故か?自立支援法というお題目の中身に基本となる軸がなく心の通いが感じられず、周囲の状況で揺れ動く。その波間に翻弄されているのが我々現場の実情だ。悲しむべき状況を呈している。
 咲きて煩悩なほ消し難し。まさに、夢実現にはまだまだ道が遠い。挫折が先か。彼岸花のごとく、花を見事に咲かせる時には葉がないという何かアンバランスな展開が繰り広げられている。

429:鐘楼堂契約

お彼岸に入り、天気が落ち着いて秋晴れの良き日に無事鐘楼堂の契約が済みました。本体工事の請負に関しては三社との見積もり合わせをおこなって来ましたが、神宮寺を建てた茨城町の石塚工務店と契約になりました。基礎工事はつくば市クラモチ。いよいよ来年の七月完成を目指して具体的な工事に入ります。
 また、梵鐘についても五社より見積もりを取り寄せ、近日中に契約に入れる段階にきています。
 梵鐘は火入れ式というものがあって、契約が決まり次第、現地に行って、寄付者の銅トウバを加持して溶かす手法を行うことになります。
 私は35代目の住職ということになっています。約650年続く観音寺に鐘楼が建てられること、これは夢のような話、願わくば神立の地域に愛される鐘の音に成らんことを。
 昨日、市役所において認定審査会がありました。障害者の方々の程度を一次調査が妥当か否かを判定する作業です。正直、委員はもちろん関係者の事務局誰もが疑問を感じながら作業をマニュアルにそって、進めていきます。隣の部屋では介護保険の認定審査が行われていました。人が人を裁く、判定する。これは司法の世界ならばいざ知らず、福祉の世界にも取り入れるには何か血の繋がりを感じない、空しさが残ります。
 いま、我々事業所側では全く本末転倒した状況があるのです。障害程度を出来るだけ重く判定されるにはどうしたら良いのか!つまり、判定の根拠になるスケール(調査表)に不信感があるからです。その人の一生を大きく左右する判定結果、そのフォローを誰が責任を持って行うのだろうか。認定結果が区分4に届かない場合は現行入所サービスを受けている人たちが利用できなくなる。路頭に迷う人たちが全国でかなりの数になることが予測できます。「施設を利用されている方をホームレスにはしない」と全国会長会議の席で啖呵を切った国の責任者は九州に転勤異動し、今はいない。このやり方が行政の手法なのか。
 政治の世界では5年続いた小泉政権より安倍さんに変わる。確かに小泉さんのやり方には賛否両論がはっきりしていた。私はトータルにみて、評価しています。何故か?自分はこれをやるという明確な方向を感じることができたし、裏の見えない世界での談合政治ではない、何かを感じることができたからだ。選ぶ側の自己責任が確認できた。しかし、福祉に関しては合格点は付けられない。”
individualizationの発想が感じられない「中澤氏のメールから」。福祉がまとめてなんぼ!になったら全く変な方向にいく。顧客の満足度はそれぞれが違って良いはず。その危険性を少しでも和らげるには関係者がもっともっと声を大きくして訴えていくことが重要。神立で初めての鐘楼の音が癒しの音となりうるか!怒りの音色になるか!住職よ、たいへんだーぞ。

430:ミス&手抜き

今、5本指が入る靴下があるのを知ってますよね!ホームセンターに売っています。朝晩歩き始めたもんですから、作務衣では靴はどうも?、草履をはくと白足袋ではどうも?そこで、先日しこたま買ってきたんです。しかし、この靴下は裏と表が無いのです。分かるのは親指側が指が少し長いだけ。まーこれも良く見れば分かることですがね。しかし、この靴下は足の形が悪い人には履きにくいんです。なぜか?5本の指がそれぞれ定位置に納まらないというわけです。私の足は当に指が広がっていない悪い形。
 昨日、本堂で法事が有りましてね、法衣を着たまでは良かったわけですが、靴下をそのまま履いていたんです。法事を始める際に、今日の檀家さんはとても丁寧な方でして、「それじゃー7回忌法要を始めさせていただきます」といつものように私が挨拶したんです。そしたら、全員が椅子からどいてですよ、畳にひざまずいてご丁寧な挨拶を私の足元でされたわけです。皆さんの目線が運悪く丁度私の足に向かう形ですかね。そしたら皆さんの反応が微妙だったんですよ。どうしたのかな?  ありゃー例の靴下履いたままだ! それもですよ、5本の指に上手く納まっていなくて親指のところに集中して5本が入っちゃったものだから、あとの4本がプラプラしている次第、多分このように思ったんだろうなー・ありゃー嫌だ、住職さんが・・・・・
 それも運悪く、今日の施主さんは大工さんのお宅だった。普段からこの靴下を履き慣れている。
 一つのミスが手抜きより生じる   
失礼つかまつりました。ナーム 大師遍照金剛

431:65歳

日本の全人口の約20%が65歳以上の人達だという発表があった。トータルで2,000万人を越えている。これが高齢化社会の実態である。深刻な事は、その中で一人暮らしの人が360万人もいるというのだ。東京近郊の某公的団地だが以前私の親戚が住んでいた当時は団地内の小学校はマンモス化して教室不足が大きな問題になっていた。その団地が今老人の孤独死で頭を抱えているという。自自会による定期的な訪問などを行っているようだが十分ではないという。尚恵学園は一応定年が65歳、以前からそうで60歳を越えても第一線で皆さん頑張ってくれている。これも最近耳にした話、ハローワークに通っても60歳を越すと極端に求人数が少なく職場が見つからないという。
 一生働くというのもいかがなものかとは思うが、毎日何をして過ごそうかと考えて朝を迎えるよりは自分の出来る仕事をやりながら心身共に健康な老後を過ごしたいと思う。
 実は最近私どものGHを利用するようになった方だが、彼は以前一人で生活をされていた。今彼は学園の農場に10坪ほどの自分の畑を確保して野菜を作っているのだ。全く自分一人で始めたものだ。種を蒔き芽がでてきた野菜に篠竹で支えを作り、周りにはテープを貼って自分の畑をしっかりとキープしている。
 野菜が出来たらあげるからなー!と先日言っていた。障害者が地域で自立するということは並大抵のことではない。周囲の理解も当然ながら自分が自立したいと考えることが一番重要だと思う。
 野菜作りに喜びを感じ、毎日の仕事を自分で決めること、これが自立の第一歩。
 果たして今回の制度で可能なのか否か。どうも入り口の所で右往左往している感じだ。

432:機械化農業??

トップページの写真はなんだか分かりましたか?私が付けた名前なんですが『蓮田バギー』。耕耘機のタイヤに浮き輪がついていて沈まないようになっていましてね。プラスチックの舟を引っ張りながら田圃の中を走るんです。馬車に乗っているみたいな格好です。私は掘ったレンコンを舟に乗せて運ぶためと思っていたんですが、良く見ていたらそうじゃないんです。葉がついている状態の茎をそのバギーで踏み倒すんです。何故なのか、今度良く伺ってみますね。神立のハス王のKさんに。
 それから隣の田圃では稲の刈り取りの最中、1町歩もある一枚田なら700万のコンバインも鼻歌交じりで快適でしょうが、土手を背負った田圃などは年中湧き水が出てますから田圃がグチャグチャ、こうなるとですよ。
さすがのコンバインも動かない。前進バックを繰り返し、手間のかかることかかること。今は刈り取りの時に稲の茎は全て細かく裁断しちゃう。畳の材料が無くなるはずです。これが実は偉いことになるんです。一度大雨になると裁断した稲の茎が流れちゃう。すごい状態になるんです。
 農業をやる人が減り、地域でも専業農家が耕作を依頼されて行っている。だから機械の力に頼るほかない。通年使える機械なら良い。それが時期にしか使わないで普段は倉庫の中、だから機械の調子を維持するのが大変だ。収穫が終わる時期には高額の修理費が待っている。
 私の家でも5坪ほどの畑があるんですが、ピーマンができることできること。食べきれないほどなったんですね。どこの家でも簡単な野菜を栽培する時代になりませんかねー。

433:安倍新政権へ

”でえじん 様ー” 政治を志す人なら誰しも憧れる大臣ポスト、昨日は両議員総会の後、新政権の組閣が発表された。総理大臣公邸には次から次へ大臣指名を受けた先生方がやや緊張気味で集まった。安倍首相は山梨の別荘に籠もって閣僚の人選をしたという。正直一般国民には関係のない世界、それどころじゃないという気持ちでいっぱいだ。厚生労働省大臣も変わった。金融関係に詳しいY大臣になる。狙いは増え続ける社会保障費の財源問題だというのが直ぐに分かった。障害者自立支援法の仕組みを作った省の責任者はもはやいない。そうなると制度だけが残されて一人歩き。現場は手続きばかりが増えて毎日戦争みたいだ。
 障害者福祉は歴史があって先駆者の歩まれた実践が我々にとって支えで有り、目標である。いつの頃からか福祉ビジネスなどと言う言葉が現れ、事業主体が大きく様変わり、規制緩和の一環で当然、この業界にも様々な事業所が入ってくるだろう位は予想できた。今、県の担当課は大変だ。居宅サービス事業所だけでも1000カ所になるというから。一つ一つ事業所認定をしていくのだ。更に今回の改革では国が途中で何度も変更してくるのだ。その度、定款やら事業の中身の変更を我々事業所はしなければならない。細部まで詰めた状態で施行すれば良かったのに、時間の余裕が無い中で見切りスタートしたものだから、そのシワよせがいま来ている。
 安倍さんは戦後生まれ、私よりも4歳年が若い。山口県出身、昔の長州は歴代の総理を8名?も出している。政治家一族のサラブレット。果たしてどうなるものか。小泉首相は公邸を出る時、何か白髪が増えたという印象があった。5年半住み慣れた場を譲り渡したわけだ。
 一方では拉致被害者の皆さん、安倍さんは官房長官の時に被害者救出に一生懸命努力されたという。二九年もの長い間、ご夫婦で戦ってきた横田ご夫妻のご苦労からみれば、我々はまだまだ他人事。
 本人や家族と一体になって運動を如何に繰り広げていけるかが一番大切だと思っている。

434:情報多重社会

夏目漱石の小説「虞美人草」に書かれている道義・・・云々。その時代の憂いがわかる。
 いつの時代にも人間が生きる社会での障りや矛盾があって、それへの反発としての争いや風刺が表現の仕方の違いはあっても繰り広げられて現代に至っている。その点は間違いない。昨日の安倍新体制で官房副長官の数を増やしたり、補佐官を5名新たに設置するという事が分かった。そこに具体性はまだ見られないが何かをやりたい、従来の流れを変えたいという安倍総理の心意気を感じる。上手くいくかどうか?お手並み拝見だ。
 一人の大臣が複数の担当を受け持つ場合もあった。(イノベーション担当大臣とか正直何がなんだかわからない)
 人間は情報によって大きく左右される。先の漱石の時代(明治)であっても書跡文字や新聞の活字によって少なからず影響を受けるわけだ。それが現代では普通じゃないから問題が複雑になる。情報を得る手段が重層化している。地域によってはテレビ放映だけをみても多チャンネル受信ができる。1日24時間では見切れない番組数だ。テレビ、ラジオ、新聞などが同時に同じ内容の報道をする。その中身が実はマスコミ側によって必要以上に誇張脚色されたものがある。視聴率を高めるためにはルールなし。取り上げる内容も話題性の高いものに集中するから、余計見る側にとっては、負の情報が未消化で残ってしまう。負の情報とは、その人にとってプラスの生き方に繋がらないという意味だが、ニュース番組の間がバラエテイ番組やお茶の間番組で繋げられる。結果に関しては責任がない一発番組が殆どである。例えれば何かの事件報道があったとして現象だけを報道し、その後のフォローは全くないから問題だけが見る側に残ってしまうわけだ。
 見る側が情報を選択すれば良いだろうという話もある。しかし、今の電化が進み便利になった生活でテレビを見て過ごす時間はどうしても多くなる。豊かさを追い求めた結果、失ったものかもしれない。(限られた時間を有効活用することができない症候群)
 障害を持つ人達は、実はその障害が重い方ほどテレビやラジオとの縁が薄い。だからといっては叱られるかもしれないが、情報の毒にさらされないですむのだ。彼らの純粋で無垢な笑顔を見ていると我々が見失ってしまったとても大切なものを今でも彼らは持ち続けていることが分かってくるから不思議だ。

435:1日の隔たり

明日10月1日を境に衣替えである。夏服を洗濯にかけ、冬服の準備をする。今年は9月30日から1日の隔たりが、ある人達にとっては偉い大きなものとなっている。執拗にこのコーナーで訴えてきた自立支援法が明日から完全施行となるからだ。昨日は県の手をつなぐ育成会の理事会、私もそのメンバーになっているので出席、話題がその点で集中していた。私もご多分に漏れず、3日間連続で県庁に出向く、提出期限ギリギリでの書類の差し替えにである。従来のサービスがなくなり、新たな仕組みで体制を組むものだからその手続きに手間暇がかかっている。私の所で影響する利用者さんは60名ほど、通勤寮やデイサービスそれにGHの利用者さん達だ。サービスの決定手帳が実は市町村毎にバラバラで混乱している。
 この改革を誰かが言っていた、コペルニクス的転回だと。充分納得、しかし、これで本当に良いの????
疑問は以前として残る、否、むしろ大きくなった。
 しばらく寺の檀務は暇だったが、急に葬儀が連続して入り、急に慌ただしくなってしまった。鐘楼堂の地鎮祭も3日だし、一人で対応するには限界である。
 このような時だからこそ朝晩歩くことにしている。不思議なもので足を動かしている間は頭は空になる。気分のオンとオフが必要だ。
 何しろ56歳にもなれば体の部品も上手く動かなくなる。昨日は歯がこけた。後輩の歯医者さんだから、こけちゃったと話したら今から来てくださいという。すぐに直してくれたのでひとまず安心。
 どうせ、また悪くなるだろう。
 1日の隔たりは普段何もなければ知らない中に変わってしまうものだが、今日みたいな時は芋蔓式に1日の隔たりの大きさを感じるものでありますなー。9月30日朝