源究229t229

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日 
 4091  丁寧さ  5/10   4096  投票率・・・   5/29 
 4092  しなやかさ  5/14   4097  幸せ   ☆
 4093  晴耕雨読  5/17      
 4094  泡沫  5/20      
 4095  政(まつりごと)  5/24      

4091:丁寧さ

 顔つきはその人の心の中を反映します。いかに繕い上手でも外と内は繋がっていますから上手く隠せたとしても、いずれ行動に現れますよ。その証に赤ちゃんを見れば頷けます。人は歳をとることでいろんな事を学びます。総じて身口意の三業。
 控えめ・丁寧さはその人が持つ品性・人格。好き嫌いは自と他を区別する。一時の流行語となった忖度(そんたく)は、”相手の気持ちをおしはかる”が本来の意。問題なのは見栄見栄な自利の振る舞い・・・・ 普通は周りの反応を観て、自ら加減、塩梅(按配)するものでしょうが、それがスッポリ欠けている。 仏教では法相宗の根本思想の唯識で心の動きを説いています。難解ですが 心機一転 覚悟して 覗いてみてはどうでしょう。何かを感じると思いますよ。
 日本には653年道昭によって伝えられた。なんと経年 1372年、その間に外の景色はだいぶ変わりましたが人間の内なる心はどうでしょう? 何も変わってはいない。むしろ 危うくなっている? 生成AIへの妄信?気が付けば、陰謀悪業に加担することになりませぬか?
 
本当に 子ども向けのゲームが兵器に使われているのでしょうか?遠隔操作で飛ばすドローンをあげるまでもありません。人間の創ったものを人間が破壊、改造するのは新たに作るより易しい。本来の用途とは違った目的に使われ規制できない現実、それは入口は作っても出口を作らない”袋小路”と同じ、迷い込んだらどうなるか想像できるでしょうに~。生き物の中で人間だけです豊かさの代名詞を金持ちとしてしまった。それを良しとした結果、様ざま問題を生んでいる。壊れた蛇口の様に流れる水を止められない、茫然自失。水か枯れるまで待つのだろうか この機に及んでも、それは想定外だったと言うのでしょうか? 
 連休あけの日曜日、106歳で亡くなった方の四十九日忌があります。前日、喪主の方から丁寧な電話を頂いた。「35年前に亡くなったオヤジと連名で位牌を作りましたので宜しくお願いします。」と。お母さんは若い時からひらがな文字を習っていたそうで90歳を過ぎても毎日、筆を持つのは続けていたそうです。そう言えば棺の中に 直筆の書が入れてありました。

4092:しなやかに

角ばった処がなく柔軟で弾力に富んでいる姿は失いたくないものですね。一見 強そうに見えて壊れやすい、逆に弱弱しく頼りなくみえても強かに。身口意・・からだ・ことば・こころ・・三業のしなやかさはどうしたら身に付くのでしょうね。勿論、人間だけじゃなく”万象を支配している理法”を弁えて。熱帯雨林とチベットの山岳地帯では生き物や植物が違います。当然 人間もです。環境に順応した生活を先人達は長い時間をかけて築いてきた。それが産業革命を境にして大きく変わったという。
 何がどう変わったか?動力機械の発明とその応用によって産業技術の画期的な変革でした。18c半ばの英国がその発端で日本には約150年遅れで入ってきた・・・・・。追い付け追い越せの旗印の下に、活気に溢れた時代。だが他国との軋轢が生じ、2度の戦争に参戦。その惨劇を経験した世代は減り、日本の立場も微妙、役割も何を基軸とするか曖昧となっています。しなやかさは環境にうまく適応するための条件、それと忘れてならぬことは シッカリと根を張ることです。。。ネ。
 
 未来に希望をつなぐには、しなやかさと優しさが大切なんですよね。
 ・・・恩に報ゆる者は煩悩を洗われて其の身を清く保ち、一河の流れに同じ水を挹(く)みたる儔(ともがら)は、幽明界(ゆうめいさかい)を隔つといえど等しく御仏の光に会う・・・(供養文一節) ≪煩悩≫は、良心の苦しみを生み出す心の働き。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着・・・・・  拠りどころを失い、転々と彷徨う”流浪の人々”に向かって容赦ない攻撃を加える様は、見るに堪えません。傍観者だって当事者です、一河を地球に置き換えればそうなります。いつの頃か人間は身勝手になり過ぎた、道理に反した行為を恥じるのではなく逆に自慢するようになっている。
 今 必要なことは立ち止まる勇気だと思うんです。祖師”空海”のお言葉・・・・・こころ清ければ即ち仏を見る・・・・・・。宗教は違っても”願い”は同じと信じます。

4093:晴耕雨読

長閑な片田舎。丸々太った猫が縁側で日向ぼっこ。高層ビル林立の大都会。春夏秋冬隔てなく蟻のように忙しなく歩く人の群れ、どちらが良いんだか判らない。他人事じゃないよ、知らないうちに自分がその群れの中に居るんだわ。
 我が家のミイちゃん、半年前から、げっそりと痩せ、風貌も変わり、寝ている時が増えました。それが、いつの間に毛並みも戻り、毎夜,,外の見廻り(?)に暇なし・・・聴く処によれば猫年齢は人間の6倍とか。それなら私と同世代、そう言えば仕草が私とよく似てきた。
  余談になるが、猫に認知症はあるのだろうか?猫は傷を嘗めて治すというが我々人間はどうか・・・・。認知症専門の先生がラジオ深夜便で話していた。認知症になると過去・現在・未来が繋がらない。それが病判断の一つになるという。逆に認知症にならない人も半分位いるそうで、何故なのかは判らないことが多いとも。何故先生は認知症の専門医になったのか尋ねられ・・・≪母親と久しぶりに会った時、どちら様ですか?≫と聴かれた。多聞それが切っ掛けだったと。正直な先生だと思った。
 
周りの 環境が目まぐるしく変わっています。農地が住宅地へ、売りに出た畑に重機が入り、分割された土地に一戸建て。建築費高騰のご時勢なのに、次から次と建物が立つ。だが、道路や上下水道の整備が間に合わず。どう見たって計画性は感じない
 25トンの大型クレーンがフル稼働、最近、立ち木の伐採の依頼が増えているという。私が住職している寺も立ち木の枝落とし、前から頼んでおいたのでやっと順番がきた。最近の自然災害の多さに心配してのこと。この儘いけば”晴耕雨読”も幻想と成り下がる。何かがおかしい、やっと田植えが始まったばかりだというのに、もう新米の買い付けは終えたとか。もしも 契約通りの米が取れ無かった場合はどうなるんでしょう。
  ”国策に売り無し”は投資の格言だという。これも神頼みのような気がしてなりません。藤本義一さんが書いていた・・・≪ルールについて、日本人は大きな間違いをしていると思いますね。本来、ルールよりも先にマナーがあるものなんです。≫・・・・(折々のことば) 

4094:泡沫(うたかた)

 『枕草子』『方丈記』『徒然草』は日本の三大随筆、書かれたのは1001年~1330年の間、元号では平安~鎌倉末期、鴨長明は一丈四方の小庵に隠棲し筆を認め”方丈記”(1212)を著わした。その当時、火災、地震、竜巻などが連続して起こっています。今の日本とはどこが違うのでしょうね。福原京遷都(1180)があったことでしょうか。・・淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし・・・諸行無常を表す名句。人々が夢中で追い求めているものが実は消えて無くなるはかないものだという。☆一丈四方=約9㎡ 豊かさのまぼろしに熱中し、順逆の判断を見誤る。悪の温床!策を弄し、ルールばかりでマナーなし。クワバラ~クワバラ。、
 
 〇誘惑多きご時世で何を信じて良いのやら、清貧、知足、無、空、・・・五欲に向き合う術なき我が身・・時は流れて浮かぶ泡沫。(ナマグサ)   (問)問答無益なるか 如何?   (問)彼岸に渡る土産物 ? (答) かまえなし   順逆→恭順・反逆→順境・逆境→逆順の遍路路。籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人。 
 * 念願だった浅草に独りで行ったAさん、その日は丁度三社祭りの最中で、人ひとヒト、さぞ驚いたことだろう。直ぐに高速バスに乗って帰ってきたという。スタッフが≪どうだった?≫と尋ねると(答)≪御朱印をもらえなかった≫・・・・・・。(幹部ミーティング)
 ※ 久しぶりに東京へ、時間があったので上野で降りて小休止・・・・駅構内がカラフルでとても綺麗になっていた。浜松町界隈は高層ビルが増え過ぎて・・・高所・低所・閉所の恐怖感・・・。クワバラ・・クワバラ。

4095:政(まつりごと)

 立場を弁えず、軽い気持ちでホンネがポロリ、政を祭と勘違う。弁明でウケを狙ったつもりとは、開いた口が塞がらず。もっと判り易く説明願いたいものである。最近思うことです、日本の政(まつりごと)の責任の取り方が甘すぎるように思う。
 今の政治不信の最大の元凶がここにあることが理解できない人達。5月13日、南米ウルグアイの元大統領のホセ・ムヒカ氏が89歳で亡くなった。ムヒカ氏が日本に来られた時、大学での講演で”清貧”の重要性を説いたのを良く覚えています。「世界で一番貧しい大統領」と謂われても恥じることもなく否定もせず淡々と自らの使命を果たした政治家だった。判り易い言葉と質素な生き様は私たちのこころに染み通る。聴衆から今の日本をどう思いますか?と問われ、”日本人がもっていた”たましい”を失い魂の抜け殻のようだ”・・・と語った。
 日本の役割というと、相も変わらずODA(国際開発援助)しか浮かばない。それも何かしっくりしない。”清貧”を辞書でひくと・・・”冨を求めず、正しい行いをしていて貧しいこと”。
 
 涅槃寂静は三法印の中の一つ。意味は<あらゆる煩悩が消滅し、苦しみから離れた安らぎの境地>。仏教の基本になる考えです。
 人は生れてから死ぬまでの間を此岸、その生き様は一人ひとり違いますが誰だって”安らぎ”を望んでいます。もし、そうじゃ無いとしたら何か原因がありますね。”つもり違い”です。人生の思いがけない落とし穴は いつ どこで 何がそうさせるのか? 判っているのでしょうか? 穴に落ちない為にすべきことは自戒すること。 それを教え諭す者が周りにいないと嘆いたって お門違いも甚だしい。因果の小車は止まりませんよ。

4096:投票率・・

 相も変わらず低空飛行の投票率は日本全国に拡大、人口130万を越える県庁所在地の市長選、投票率は35%台。有権者の数の半数以上が意志を表明しないという忌々しき状況が常態化。どうしてこんなことになってしまったのか???民主主義国家として恥かしくないですか。・・・因果の皿の縁(ふち)・・、因果は皿の縁を一回りするくらい短い時間で巡るということで どこもかしこもにたりよったり。日本は世界有数の火山国、現在も噴煙を上げている活火山はあるが多くは休んでいる。政治と火山を比べるのも如何なものかとは思うが どうでしょうね。いつ爆発するか判らないのに緊張感は?。少数与党でスタートとした現政権、外交、内政いずれも問題山積で悪戦苦闘、野党も野党だ。政権をとるには絶好のチャンス到来。それなのに、纏まるどころか野党同士で足をひっぱりあっている。要は政権を獲るつもりが無いんだよ。そうとしか思えない。 
 
 平日の東京駅、人がごった返し、乗り換えるのにいつも迷ってしまう、これが時間帯によって更に凄い状態になるのかと思うと、この儘帰りたくなった。子供連れ、お年寄りにとっては自分の身を守るのも大変だ。これが日々繰り返されている。
 何もかもが膨れ上がった東京で何から手を付けたら良いのか正直分かるまい。浜松町駅前の建設中高層ビルの脇を通る時、いつも恐怖感を感じます。万が一 上から何かが落ちてきたら・・・・と。
 首都移転構想は今 どうなっているんですかね~。検討はおこなっているのでしょうがその中味は判らない。日本の未来に希望!を象徴した世界貿易センタービルが解体され、その場所に新たな高層ビルが現在作られている。
 ☆ 私が思う「貧しい人」とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている
   人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。以前は見えなかったことが見えるようになるから。人生のあらゆる場面で言えることだが、大事なのは失敗に学び、再び歩み始めることだ。(『ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ』萩 一晶))

4097:幸せ

 ”幸せ”ってどういうことですか? 突然問われて言葉が出ない。理想と現実、それに疑いを持たず、あたり前でしょう・・と判ったふり、その思いは降って湧いたように現われてはまた消える。人生100年時代というけれど、100歳を生きた人は全体からみたら一部でしかありません。今から30年ほど前になりますがチベット仏教の巡礼家族とラサの寺で出遇った時のことを思い出します。最小限の荷をもち五体投地しながら何日もかけ聖地に向かう。その中には10歳にならない子どももいました。日本との違いを諸に感じます。私たちが夢中になって豊かさを求めるのは真の幸福を獲るためのものだったのでしょうか?世界幸福度ランキング2025というものがあります、147ケ国の中で日本は55位となっています。過去にGDP世界NO:2になった幻影から今も離れられずいつの間に世界の評価が下がってしまったという現実をリーダー(?)達は謙虚に受けとめるべきと思います。 
 
 2015年ウルグアイ大統領を退任した翌年、ムヒカ氏が日本に来られて若者たちに向かって語った。そのメッセージが果たして届いたでしょうか?ムヒカ氏を知れば知るほど・・彼のようなリーダーがどうして日本では出てこないのだろうかと訝しい。言葉の重さは行動が伴って初めて生れる。いくら美辞麗句を連ねてもダメなことは駄目・・・・・・。幸福度が55位という結果を信じるか信じないかは個の問題? でも毎年順位を下げていると知れば話は別だ。どうにかせにゃ~ならんでしょう!
  <日本人が昔もっていた”たましい”を失った。>これは 日本を愛するムヒカ氏が語った言葉です。今の日本では無理難題。政治家の言葉が「貧困」とは講演を聴いた方の弁・・・・”核となる人生経験がないから、薄っぺらい言葉しか出てこないのではありませんか。計算づくのパフォーマンスと、あざとさだけが透けて見える”(上掲:p181) と一刀両断。どうも明るい見通しはないようだ。それで どうするの?・・・・・・・。