源究228 t228

  

NO  テーマ  月日  NO   テーマ  月日  NO   テーマ   月日 
 4071  寄る辺  3/16  4076  適応障害  3/28 4081   10→11   4/10
 4072  自意識過剰  3/18  4077  自己治癒力 3/30 4082   11→10   4/12
 4073  たなぼた一考  3/20  4078  飴と鞭(ムチ)  4/2 4083   にせもの  4/15
 4074  誘因  3/22  4079  レンズフィールド  4/5 4084  歴史散策  4/17
 4075  塩梅  3/25  4080  雲の狭間  4/7      

4071:寄る辺

 もう少し、こころ静かに過ごせたら良いのにな~!誰だって安心して身を寄せるところは欲しいし必要なものなんですよ。それを失って、初めて大切なことだったと判る。そのような人は沢山いるんじゃ~ないでしょうか・・・・。物じゃなくて 目に見えないもの・・・優しさだったり喜びだったり感謝の気持ち・・・。貴方がその宝に気づかないだけかもしれません。
 昨日のある会合で思ったことです。出席されたのは20名弱、日本全国から集まった。私はオンラインで参加しました。オンライン参加は二人だけでした。途中5分間の休憩だけで3時間の会議は体に良くない、パソコン画面と音声だけでは五感が衰えた自分は傍聴席にいる感じ。その思いは最後まで残りました。世の中が便利になった分、失ったことがあります。それを補うための工夫もされていますが、充分とは言えません。 世の中の変化のスピードについていけないと感じた時は自分が身を引く時なのかもしれません。
 足もとを見て御覧よ、新芽らしきものが出始めています。 桜は確と開花の準備をしています。私達の寄る辺は本当は身近にあって自然が教えてくれるんでしょうね。
 ☆徒然なるままに 日暮らし”パソコン”or”硯”に向かいて 云々・・・・ さて、無常感はどちら?
 
 ホンネとタテマエは誰もが持っている。思いがけない事にどう向き合うか!そのバランスが大事、上手くできる人、ヘタな人、それがあたり前。人間の本性? 仏教の基本的な立場です。私は そのように学んだ。阿頼耶識(あらやしき)。
 本性はその人の本心の意、それが難解なんですね。だから只管打座、そうそう、面壁九年で悟った少林寺のお坊さん、何という名前かご存知でしょうか?達磨さんですね。あのダルマさんが転んだ・・・私達が子供の頃、遊びでよく使われたものです。でも いつの間にかその言葉はお蔵入りです。その代わり、子供たちは塾通い、稽古事、に忙しい。今 ダルマさんが転んだ・・・なんて云ったら 大変。人権侵害だと訴えられます。ついでに 言うと 卒業名簿が消えた。その兆候はありました。名前だけで他は何も載らない名簿になった。これは”個人情報の保護”を犯すということなんでしょうが・・・・。不二の教え。
 それでいて、共生とか助け合い、言葉だけが辛うじて残っている。という訳なんでしょう。さらに、生成AIだって?変だと思いませんか? 一体 何を考えているんでしょうかねエ~。
 ★ 寄る辺なき人生を 真偽なきものと 勘違い 生成AIに 助け舟 ★(ナマグサ拙句 お久しぶり)

4072:自意識過剰

 仏教の唯識思想で八識の第八が”阿頼耶識”。すべての心の働きの源となる意識をいう。そこに煩悩を持つか、真如とするかが分れ目。三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)で説く諸行無常の意味は”この世の中のあらゆるものは変化、生滅してとどまらず”。そして帰命&南無をどう解するか・・・どうぞ宜しくお願いします。・・・・と信じて託すことだと学んだ。果たして 自分がそれができるかどうか! 次から次に疑問が湧出。普段は気づかないことが思いがけなく顔を出す。それを厄介と思うかそれとも歓迎するか貴方次第だ。自意識過剰は、他人が自分をどう見ているかを気にし過ぎる状態。喜怒哀楽、さまざまなこころの動きが生れ、四苦八苦。そうなんですよ。
  このような句がありますよ。・・・・道のべに 阿波の遍路の 墓あはれ・・・(高浜虚子)  *路の途中で命を落とした人への想いから自分自身を見つめ直す。四国88か所を歩いてみると判ります。道端にポツンとたっている墓に気づく、それは 何らかの理由で遍路の満願できずに亡くなった人への供養の墓。阿波とは今の徳島県です。順打ち(1番から88番を巡る)で1番霊山寺から23番薬王寺までが発心の道場に当ります。次は修行(讃岐:香川県)→菩提(伊予:愛媛県)→涅槃(土佐:高知県)
 人生は自らが歩く道・・楽あれば苦あり・・・も万国共通。誰しもできる事なら苦を減らしたいと思っていますよ。
 
 「寛容」&「厳格」・・・。同じ仏教でも宗派によって異なるものがあります。不立文字・教外別伝は禅宗の教え、≪悟りとは言葉や文字で示せるものではなく、直接心から心へ伝えられるもの≫です。
 発心から修行へ菩提は遥か先。具体的に何をどうするの?僧侶になるために最初に学ぶことです。師僧からは富士登山を例に話されたことを今でも忘れない。頂を目指すにも 幾つもの道があり。・・・・。登りっ放しでなく下山も然り、幾つもの道がある。
 今年75才になります。僧籍を得て半世紀、まだ何合目?か判らずに彷徨っています。
 その間に様ざまな人との出会い(邂逅)がありました。その中でも多くの時間を一緒に過ごしたのは知的に障がいがある人達です。 言葉や文字で伝えることが困難な人と接していると自分の至らなさを感じます。止めずに続けてきて段々判ってきたのは、直接心から心へという禅の教えにあることかもしれない・・。 相手をどうにかしようという思いが強すぎては上手くいかないということ・・・・・・正直、 まだまだ入口の辺りを歩いているようにしか思いません。 

4073:たなぼた一考

 棚(たな)から牡丹餅(ぼたもち)・・・労せずして思いがけない幸運に巡りあうこと・・・略して”たなぼた”。その確率はどうなんでしょう?階梯(かいてい)という言葉があります。意味は階段と同じ。物事を学ぶ段階(過程)。子供の成長を考えると分かり易い、急に大人になる訳じゃ~無い。仏教のまめ知識。六波羅蜜(ろっぱらみつ)。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つ。菩薩が涅槃の世界(彼岸)に到るために修する6つの行。
 世の中がドンドン危うい方向に進んでいます。第三次世界大戦の前兆?・・・。今この時にどこかで戦争が起こっている。更に拡大すれば・・・・最悪の事態になってしまうでしょう。物価の上昇は出口の見えない入口、食糧不足、そして飢餓地獄になるのでは。 そうならない為に どうしたらよいのでしょう。先ず、身近なことで 出来ることから初めてはどうなのか? 相変わらず煌々と照らし続ける都会の夜は少し控えてはどうなのよ。豊かさの象徴?防犯? それと増え続けるゴミ、処理にどれだけ税金が使われていると思いますか? 便利さ、豊かさ、スピード・・・・が妄執となり、挙句の果てに損得勘定、・・その態はまるで猛獣の如し。
 課題山積、解決するため、いろいろと考えてはいるのでしょうが結果が出ない。 だから六波羅蜜は菩薩の専売特許(専用道路)じゃないと思うんですよ。(維摩経) 
 
 ちょっと待てよ・・・流れに身を任せることも時と場合によっては悪因悪果、持て囃される科学の進歩も対象と方法によっては中止することも大事。一部の人間の欲得で大衆が苦しみ、それが許される社会は闇、抜け出すのは極めて難しい。その証拠に格差は際限なく拡大し続ける。宇宙の中で唯一、生物が生きることができる星、その地球で人間によって行われる過去・現在の蛮行、愚行・・・・・。10悪業、すべては因縁和合して生じた結果。(仏)
 真理に目ざめることなく欲望や執着などの煩悩に支配されて生きている人間を凡夫。異生ともいう。 十悪が一夜にして十善にかわる もしかして そんな”たなぼた”あるとでも  
 ≪愚人は過去を 賢人は現在を 狂人は未来を語る≫(ナポレオン)

4074:誘因

 誘因は病気の主因以外の原因、主因の作用を促進して発病を促す副因のこと。老化もそうなるのでしょうか。≪歳だから仕方ないヨ~≫病院の待合室、久しぶり逢った知人と話が弾む。このような輪がアチコチで観られます。  
 燭を背けては共に哀れむ深夜の月(和漢朗詠「春」は今から約1000年前に詠み歌われた。3月20日春彼岸中日、午後、みぞれに雪まじる。私達は、先人が遺してくれた美風(なごり)を想い、楽しむことには関心が薄れてしまったかもしれません。風雅な遊びを遠ざけ、気が付けば 心と体に余裕なく、それでいてSNSとかに無我夢中、他への誹謗中傷は怠らず、訪問者数を増やす算段に四苦八苦。これが現代人の生活習慣病、当人は全くその自覚なし、何らかの意図をもった人達によって感染が広まった病。応病与薬! 残念ながら この病に効く薬なし。「小欲知足・因縁和合我が拙筆の”迷子札”、壁に貼って 眺めて過ごす。
 
 とてもじゃないが観てられず、寝てしまう。日本対バーレーンの昨夜のサッカー試合。 2対0、日本が勝利しワールドカップ出場が決定した、 観てれば良かったと思った。サッカーには忘れられない思い出がある。それは高校2年生の時の県大会。 まさか行けるとはチームの誰1人思わなかったかもしれない。それが地区予選で奇跡がおこり、県南代表。初戦は なんと全国3位の水戸商業、二度目の軌跡は起こらず、結果は10対0だった。
 それがトラウマ(心的外傷)となり、この歳になるまで残った???? ・・・かもしれない!因縁和合、因果応報 頑張れ ニッポン。敬って白す。

4075:塩梅

 事業計画と予算、3月は会議が増える。計画を実行に移すための財源を明らかにする必須条件、、、、、。それは+と-がゼロでOKという単純なものではない。事業の継続には避けて通れない、万が一に備える策は充分か。前年度並みならば どうなのか?物価高、人材不足、最大の課題、この先、解決される見込みはあるのか。自分の処は大丈夫と思ったら足元から崩れだす、明日は我が身、と覚悟しなければならない
『独創』の対義語は何でしょう? 辞書には『模倣』とある。日本人は上手く真似るのが得意だと評されているとか。それを怒るより納得してしまうお人好し。良いとなれば、なりふり構わず真似をして、いつの間に供給過剰、情報の多さに惑わされ。耳を疑うような儲け話、何を信じたら良いか判らない。そんなに良いなら アンタがやれば良いじゃないか!といつも言ってやる。すると 態度豹変、捨て台詞を残して立ち去った。図星だな。もう~いい加減にしなよ。
 
 自己責任原則は、規制緩和の進展で重要性は増している。起業の数と倒産の数を一概に比べることはできません。負債額で分けられたデーターからでは 全ては判らない。大型倒産は目立つ だが負債額が少なければいつの間に消えて無くなったということになる。
  業種に関係なく、現に起こっている。後始末は起業するより難しいと言われる。壊すに壊せず放置されたままの空き家、続けるか止めるかは自己責任だけでは図れない。
 最近気になっているのは、山火事が増えていること。異常気象と荒れている山、消火作業を阻む急峻な地形が大きな原因と言わている。実は 今に始まったことじゃない。日本の産業構図が偏り過ぎたことも大きい。一次産業の衰退は徐々に効いてくる。方やITに現を抜かし、後は他まかせ、この報復は二次、三次産業にも影響し、社会全体、中でも”人のこころ”に侵入する厄介者だ。塩梅加減を戻すには既に人力では手に負えなくなってしまった。

4076:適応症候群

 適応障害は、欲求が上手く適応できなくなり、欲求不満や心身症、神経症の原因となる。私は術後3カ月を過ぎた。お蔭様で順調に回復しています。≪焦らず、驕らず、諦めず≫ リハビリにも通底する”3つのず”。それと似た言葉でアレルギーは、体の抗原抗体反応、それと心理的反応があると謂われます。「核アレルギー」「ITアレルギー」・・・など。
 免疫力が如何に重要か!普段はその事をあまり感じない。失って初めて判る。貴方はITアレルギーはありませんか? 善用か悪用か? 便利か不便か?社会の変化に上手く適応できないなんてあたり前でしょう。健忘症、認知症・・・老化の代名詞。
 65才~75才は前期高齢者・・ヤングオールド、 75才で後期高齢者、ついでに85才以上の人をなんと言うかご存知でしょうか?・・・オールドオールドなそうです。(老年学)  
  なにも そこまで分けることもないだろうに?視座を変え、逆手に取る。 もう一つ??? それは いい塩梅感覚。
 
 凪(なぎ)と時化(しけ)、有史以前から相反する海象は繰り返されてきた。人の体がどうなっているのか?今の科学で解明されていないことが宇宙に例えられ、納得したつもりになっている。新陳代謝と自己治癒力・・・???。”判らないから生きていける”と言ったのは誰だったか。≪人間は努力する限り、迷うものだ。≫はゲーテ『ファウスト』の言葉。  適応しようとするから迷うと受け取れる。
 昨日の病院の待合室は混んでいた。完全予約制の病院ながら呼ばれる時間を待っている人達の動きを観ていると百面相。予約時間を大幅に遅れてしまった診療科の受け付けは時化(しけ)状態、ソワソワざわざわ波高く”一触即発”の感・・・ 他人事じゃなく自分事になるとこの様に変わる。
 自己治癒力?とは言わないかもしれない。心中は≪ おそらく急患があってその対応をしているのかもしれない・・・≫と 懸命に凪に戻そうとしていた。(ナマグサの証左) 

4077:自己治癒力

目まぐるしく変わる天気は春先の特徴、それに生物、植物が順応する。近年、その綻びが随所にみられています。もはや応急の対応ではもたず、抜本的な対策が必要になったからです。これは想定できたはずなのに足並みが揃わない。その間にも手に負えない災禍が地球のどこかで起こっているのです。
 人間の生命力である”自己治癒力”は心身が健康であるために必要な状態を本能的に知っている力だという。でも人間による蛮行、愚行、暴力、略奪、報復・・・は止む事なく、住む場所を追われ、逃げ惑う人々に対し背後から容赦ない攻撃を加えています。貴方は 冨を1人占めしたいのですか!それとも何が望みなのですか!それが適えば、幸せなんですか!人としての自戒、自省も必要と思います。
 ☆ 一日の始まりで ゴミ袋とハサミを持ってスタッフと一緒に道路のゴミを拾ってくれる○○さん!。帰ってくると、自分の気に入った場所に座って過ごす。その表情が実に素敵です。(コスモスの朝景色)
 
 個の尊厳を自分さえ良ければと感違い。そこには”驕(おご)り”しか感じられません 高慢さ、傲慢さは相手を見下し、自らを誇る姿。斯様な人は自分を変えることは必要無いと信じている。『維摩経』という経典が参考になると思います。(不二の教え)
 膨大な量の経典を前にして、果たして自分に何ができるんだろうか!僧になった時からずっと考えてきました。それを迷いだと言われても否定はしません。維摩経の中で文殊菩薩が語ったという・・維摩の一黙、雷の如し・・・。教えと実践をどう結び付けるか・・・それは”糸を紡(つむ)ぐ”ようなものなのかもしれません。
 私たちは物に溢れ、カネさえあれば何でも手に入ると思っていないでしょうか。これは誤った考えです。貴方が知らないだけのこと。『生命誌』という立場からすれば、元は同じです。≪この子ら 世の光≫と≪この子ら 世の光≫並べ、不二と思えますか?我と無我・生死と涅槃・善と不善・・・残念ながら現実は維摩の説くようにはなっていません。寧ろ 差が拡大しているかもしれません。

4078:飴と鞭

 譲歩と弾圧を併用した支配の代表としてビスマルク(1815~1898)が浮かんできます。(鉄血宰相) 同盟外交。保護関税。社会保障の文脈から判断。国の統一と分離は、過去に繰り返し行われてきました。今の状況がその一環なのでしょうか?AIを駆使した未来予測ならどうでしょう! 地球に落ちた隕石に替わって核爆弾を落とすとなれば、それを誰が阻止できますか?国と国が同意し結んだ条約がどうなっていますか?『正統とは何か』(G.Kチェスタトン)の100年前の警鐘から私たちは何を学んだろうか。
 もしかすると 自己治癒力を国民治癒力と置きかえて考えればどうなる。国が健康であるために必要な状態を本能的に知っている力 に期待するしかないのだろうか。
 同病 相憐れむ・・・・fellow sufferers pity each other/ /They are companions in misery。 
 
いくら 堅牢な城壁をつくっても鼠は中に入りこむ。ハス田の畔を歩いていたら 田んぼの中に小さな生きものが沢山いるのを見つけた、作業中の農家の方に尋ねるとオタマジャクシ、それと小魚だと教えてくれた。大雨で溢れた川の水と一緒に魚が田に入り卵を産んだ。そこから孵化した小魚。それを狙うカラスが増えた。
 魚やオタマジャクシは本能(?)、カラスには智慧がある。人間はどうか? 折角授かった塩梅加減を我欲によって自ら掻き消してしまうことがよく起こる。それがカラスとの分岐点。
 ・・・備蓄米 放出しても 値下げず 政治とカネの 蔵入り一緒・・・・(オタマジャクシはカエルの子)

4079:レンズフィールド

 レンズが捉える範囲、宇宙から体の細部まで、近年の技術と機器の進歩は昔とは格段の差、人々が挙って同じ方向を向きスマホで写している姿は異様でした。それが今では何とも感じなくなりました。
 ”遠景”(上掲)は園の駐車場から東に向け撮ったものです。白い花をつけた桜、いつもならば沢山の桃や桜の花が背景を彩るのに、今年は違う。前日と比べ最高気温が16度も下がった異常さ、それに反応し一斉に蕾を閉じている。春を待つのは私達だけではなく、鳥や虫たちもいる。桃源郷・・・不思議と心が和む青木谷(たに)。そこで産声を上げてから直に70年になる尚恵学園の歴史、写真に写った緑の野原には皆で育てていた牛が草を食べていた。
 もう少し待とう!レンコンの花が咲き、田植え機の音。
 
 思いがけない事に遭遇し、それに向き合っていくことが”生きる”ことだ。そう語った方はどなたでしょうか?紀元前6世紀、世界四聖の一人、釈尊。菩提樹の下で悟った教え(真理)を弟子たちが書き遺した”大蔵経”、その原典は梵語・パーリ語のほか、様々な言語で訳されたものが現存する。この時空を超えた真理を守り、次の世代に語り継いでいけるかどうか!何せ81億と言われる世界の人口(2024)、今後60年は更に増え続けるという。 そして、今日一日を生きるための食べ物がない人々が沢山いる。この現実をどうするのか?ユニセフは1946年に第二次世界大戦の犠牲になった子供たちの救済の為に国連の中に設立された。それがどうでしょう!更なる犠牲者をうむ戦いが地球のどこかで起こっているのです。戦火の中で医療支援を行っている国境なき医師団に向かってもミサイルを落とすという無慈悲。四諦・八正道・十二因縁・・・・六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)輪廻・・・・ 今 必要なのは奪うことより分かち合うことじゃないのか。。現世安穏 後生善処 レンズを磨いて よく見てみなよ。

4080:雲の狭間

 欲と欲が絡み合う、何が何だか判らずに、有らん限りの策を練る。相手のことなど無頓着、韋駄天気どりの有頂天・・・・ダメと思うか天晴(あっぱれ)か、現実と幻想のいがみ合い。こんな事象が多過ぎて  大方は 茫然自失と無力感!当人が 我に返って見渡せば 観客無しの独演会・・・・ 目を醒まして御覧なさい。
 ☆諸法無我・・・あらゆる事物には永遠・不変な本性である我(が)がない。(三法印の一)  
 ☆≪後の世を渡す橋とぞ思ひしに  世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ!≫(源信の母)
 ★ 大衆迎合紙一重の危機。
 
  雲の間から顔を出し、もう良いかい ま~だだよ!  昨日106才の天寿を全うしたおばあちゃんのご葬儀がありました。98才までかな文字の書を習っていたという。 棺の中に一枚の自筆の書が入っていました。寿命は人によって違います。最も長く生きた人でも110歳前後。太陽だって寿命はあります。人の為、国の為・・・言うは易し。でもな~ おかしくないでしょうか?世の中には何でも自分の思い通りにできると勘違いする人がいるんですね、たまたま その方がその立場になれたとして。。。どうなのよ?元が勘違いだもの、結果は”推して知るべし”
 ★生涯を通しても 使いきれない財を持ち、それでも足らぬと、 New Morality & Principle for No:1.  ♪ 俺は 河原の枯れすすき おなじお前も枯れすすき・・・・・(船頭小唄)♪

4081:10→11

 10月でサービスが切れるというので後発の11にバージョンアップするため入院、予定より早く二日で自宅に戻った。自分の時を思い出しました。生の体とパソコンは比べられないでしょう。でも、妙なもので重なることが判ったんです。専門家がいろいろ調べてくれたわけですね。検査結果はパソコンの残存能力が1割を切り、9割を既に使ってしまったのです。ソロソロ機種交換かと覚悟したのですが、今回は大丈夫と言われた。折角使い慣れたパソコンだもの別れるのは惜しい。人間だって同じです。仏教の諸行無常・諸法無我・涅槃寂静の三法印。ウーム。な~るほど。
 グローバル化が進むことで失ったもの、それは”独自性”だという。便利さと不便さ、スピードとスローライフ・・・どちらかに偏り過ぎればどうなるかを私たちは学んだはずなのに、何故か認めたくない人もいる、いる一杯いる。。ウジョウジョいる・・
 この辺で小欲知足も自己治癒力と考えることはいかがでしょうか? 
 
 モノと人間の違い、リコールということを考えたら判り易い。部品の不具合が判った時にメーカーはそれを公表し、無料で修理します。過失割合で保障内容も変わるから一概に言えませんが、・・・・・。
 AIは大丈夫でしょうか?一寸先は闇、保証責任をどこが取るか? スマホを例に上げればどうでしょう。新機種の開発競争は激化するばかり、他社にないサービスを売りにする。 どうでしょうね。様ざまな機能が付いていますが、その中で実際に活用しているものがどれだけあるか? 昔からあった商いのノウハウ、売り手と買い手と作り手の3本柱、、その隙間に入り込んだ様ざまな手、これが今の厄介の因となっている。その一例で≪付加価値≫、総生産額から原材料費と機械設備などの減価償却費を差し引いた価値、それが急拡大している。なぜ厄介か? 実態が判らないからです。ハッキリ言えば”何でもありの無法地帯”ですかね。今風の言葉を使えばVR(仮想現実)&MR(複合現実)、これが現代社会に蔓延し、今までの常識を否定し、新たな価値を生み出す とか?
遍路順逆の価値は不変:癒し(治癒)でしょう!ハッキリしてます。

4082:11→10

 コンピューターを使い、仮想映像と実写の現実映像を融合させ、仮想体験を得る。これを仮想現実(MR)と言うそうです。昔ならば”夢”でしょうか。<大きくなったら ○○ちゃん 何になりたい?><おまわりさん> 近頃、こうした会話をあまり聴かなくなった。逆に・・・先のことは判らないでしょう! じゃ~オジサンはどうだった 夢が適いました?。ま~ね、愚問でしょう・・・・と言われてしまう。
 不透明・・・不信感・・・不満! 3つの”不”には共通する標(しるべ)があると思う。仏教の教え(経典)にある”無””空””不”とは違うのでしょうか、それとも同じでしょうか? 
 良寛さんは、”裏”と”表”を使ったと言うことでしょうね。・・・・・裏をみせ 表をみせて 散る紅葉・・・・斯様に己が生涯を辞世の句に詠んだ。対面を嫌った生き様だ。利器(AI)を使えば。即、答が出る世の中は、便利というより”危うい”と思うんですよ・・・・私は。。。
 
 映画『人間の条件』(1959~1961)は原作:五味川順平で3作品の総上映時間9時間を超す大作で戦争における人間性を描いた。日本でのオールナイト興行の走りとなる。
 人間の犯す罪で最大のものは”戦争”、その映画は敗戦(1945)から15年が経って公開され、言語は日本語・中国語・ロシア語だった。それから60年以上が経って、"報復関税&貿易戦争”という言葉が世界中に飛び交う。 戦争を知らない世代が大半となった今、その影響は測りしれない。ゲーム感覚で現実と仮想の境の見極めが出来ず、迎合と独善に陥り易い。おそらく、過去から学べと言われるのは地球上の生き物の中で人間だけですよ。人間以外は自らの条件を弁えている。我々人間だけが相も変わらず、”我がもの顔”な言行を繰り返す。何を学ぶかだって?・・・胸に手をあて貴方が考えること。

4083:にせもの

 本物と偽物(ニセモノ)の判断が難しい世の中になりました。過去の戦争をたった2文字で表した方がいます。”暴力”である。”無法な力”で相手に苦痛を与えること。これが原意です。その方は戦争を語る時、余計な言葉は必要ないと言った・・・・ただ暴力とだけ。貴方はどんな言葉を使って暴力を正統化できますか?苦痛を与えられ喜ぶ人はいない。憎しみ・報復。それと悲しみが残るだけ。
風化という字には ”記憶が年月を経るに従い次第にうすれていく”意味がある。それともう一つ”徳によって人々を教化する”意味がある。・・・・(例)多望の幼弱子弟を風化し・・・云々/『偽悪醜日本人』(三宅雪嶺)。
 
 私達は子供たちに何を伝えたら良いのでしょうか?いつの時代にも仲間の中に入れず、遠くから眺めている子はいました。そんな時、一緒に遊ぼうと手を引いてくれる子がいたものです。
 真善美と偽悪醜の両面から日本人を分析し、為すべきことを論じた雪嶺の本があります。「真善美日本人」「偽悪醜日本人」です。。子が育つ条件に大事なことは環境と教育があります。日本で障害児福祉が語られ始めた頃、そこに関わった人々の願いをどのように辿れば良いでしょう。実態は目先の事に追われる日々・・・多望の幼弱子弟を風化し・・・などの余裕はありません。
 負け惜しみ、言い訳、屁理屈じゃなく謙虚に正道を歩みたいものです。それには先ず己から!真と偽、善と悪、美と醜を見極めるしか無いのかもしれません。

4084:歴史散策

昔に思いを馳せ、心に深く刻まれた記憶を辿る。ご多聞にもれず古希を過ぎた頃より今日あったことを忘れ、過去が鮮明(?)に浮かんでくるようになった 。事実か幻想かは定かではない。意識してか無意識かも同様に・・・・。
 これが健忘症なのかもしれない。良いんじゃないの健やかに忘れるんだったら。
 日本史では明治維新(1866)から太平洋戦争(1945)までを近代、それ以後が現代と言われています。文明開化、文明の衝突、文明病・・・これらの言葉に現代人の実感はなく関心も薄れた。久しぶりの図書館で、三宅雪嶺で検索したら、日本の名著 37 (中央公論社:S59初版)を見つけた。・・・幾百万多望の幼弱子弟を風化し、天下を挙げて卑屈陋劣(ひくつろうれつ)の風に浸漸せんとす、嘆ずるに勝うべけんや。・・・(p332。なんと難解な文章か!まるで外国語を読んでいるみたい。何度も読み返し、辞書を片手に・・・・・。すると 雪嶺が日本の将来に対し強い憂いを抱いていた事が解ってきました。残念ながら『偽悪醜日本人』と『真善美日本人』は共に絶版となってお蔵入り・・・・。ぬるま湯に長く浸かり過ぎた日本人にとってはどうなんでしょう?
 
祭りに例えて、神輿に乗る人、かつぐ人、その人達が履く草履(ぞうり)を編む人。約150年の間に大きく様変わり。その兆はあったと思う?真善美と偽悪醜、明らかなのは前者の幼弱が進み、藻搔いたところで偽悪醜の穴から抜け出せない。
 世界の情勢とは次元を異にした今の永田町、自分たちの問題(政治とカネ)にケリをつけられず、それが重要事案審議の足枷(あしかせ)となっている。当人たちはそれを知ってか知らずか 口を揃えて当選第一、右顧左眄してばかりいる、嘆ずるに勝うべけんや。 日本の義務教育課程の中に「道徳教育アーカイブ」というものがあると聴いた、「考え、議論する道徳」を掲げ、子供たちの教育(風化)をすすめるということらしい。ならば「永田町版道徳教育アーカイブ」のバージョンアップもあってあたり前とはなりませんか!