源究227t227

 

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 4051  陽はまた昇る   1/30  4056  当然?  2/10  4061  矛を倒(さかしま)に   2/21  4066  オープンマインド  3/5
 4052  応病与薬   2/1  4057  賜物(たまもの)  2/12  4062  我利我利亡者さんヨ!   2/23  4067  雲&風  3/7
 4053  荒唐無稽    2/4  4058  思いがけず  2/14  4063  ゴミの山   2/25  4068  開かずのシャッター   ☆
 4054  筋書き  2/6  4059  平安の声  2/16  4064  変化の兆し  2/28      
 4055  暗中飛躍   2/8  4060  矛と盾  2/19  4065     3/2      

4051:陽はまた昇る

 あたり前と思っていた。陽はまた昇る。
『陽はまた昇る』は2002年に公開された西田敏行、渡辺謙など錚々たるキャストによる映画です。日本の電気メーカーで実際にあった話を映画化したもの。・・・・会社の危機を救ったのは、会社が見放した男たちだった・・・今を懸命に生きる あなたへ・・・・(映画広告より)
 今から20年以上前の話、VHS、赤字、リストラ、日本がまだ世界の先端(?)を走っていた古き良き時代だ。実在した電機メーカーの話で国内での熾烈な開発競争が背景にある。上司と部下の信頼関係、私利私欲でなく会社の再建を託された社員たちの人間模様に心動かされる。2003年 日本アカデミー賞を受賞。その後、日本は海外競争力を失って行く・・・・・・。どうして そうなったのでしょうか?
 組織の衰退は、風通しの悪さ、信頼の欠如、偏り過ぎた力関係、・・・など様々な要因が絡み合って起こる。問題が表面化した時には、もう遅い。後手後手の対応はやればやるほど逆効果、溝は深まる一方、組織は疑心暗鬼の坩堝と化し、自浄能力は失われる。
 
もし、 ”光”があるとすれば、目立たず懸命に生きる人達の勇気ある行動かもしれない。そういった人は必ずいると思う。自浄力は資金の力でどうにかできるものではない。組織の長が それを見極めるだけの力量があるか否か?100年前にこうなることを警告した人がいる、その通りになった。”無秩序・無法社会”である。正統性を力で書き換えてしまう権力者の台頭、プラスとプラスは反発。妄執、幻影、強欲・・・・はいずれ顔を出す。それを自分でコントロールできない。
 中東がそうでしょう! 一時の休戦でガザに向かう人々、焼け野原を列をなして歩いていく。その姿を私達はどう思いますか? 中国では春節、90億の人々が移動するという。海外組の一番人気は日本への旅行とか?
 陽はまた昇る・・・陽はまた沈む・・・自然の摂理を無視した結果、人間は何を学んだか・・・・”矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)”(注)
(注)つじつまが合わない事。

4052:応病与薬

 ”応病与薬”という語は維摩経の中にあります。聖徳太子の著した三経義疏の中の一つに維摩経義疏があります。 仏教の教えを維摩居士という在家の仏教者を主人公にした経典で不二、空の精神を高揚したと言われています。他の経典と違って、”在家”仏教者からの仏教思想を説いた点に特徴があります。
 世界の歴史で大きな転換期をあげるとすれば”産業革命”があります。18世紀にイギリスで起こった。動力機械による生産技術の大変革です。日本はそこから100年以上遅れて19世紀末、追いつけ追い越せと国を揚げて活気に溢れた。でも、その間に忘れてならないことは、大きな戦争に日本は巻き込まれたということです。今、騒がれているマスメデアの醜聞、聴きたくなくても耳に入ってきてしまう。それでいて何が真実なのか全く分からず、正統性を問う前に欲得を優先。それを”病”と考えると付ける薬などありません。価値顛倒&議論百出&神出鬼没!何でもあり!  ハラスメントは”脅し””威嚇”、フェークは”にせもの””だます”の意です。マスメデイア・・新聞・雑誌・ラジオ・テレビ 全てひっくるめて変革必至。
 
 多少の個人差はあるでしょうが、古希を過ぎた頃より、体の不調が気になってきます。一つの病から次から次に、気が付けば複数の診療科を掛け持ちしている。そして、いつの間に通院が仕事になってしまう。結局、自分の体とどう付き合っていくか?でしょうね。誰かが代わってくれるなんてことはありません。
 よ~く考えてみませんか! 体調だけではないはずです。明日は我が身、突然、仕事が無くなり、途方に暮れるなんてことになるかもしれません。これは会社の大小に関係はない。トバッチリ、まきぞえを食うなんてことはごまんとあります。今の儘では これからもっと増えるんじゃ~ないでしょうか?私はそう思っています。働き方改革を国が掲げた時に私はそれを確信しました。未だ日本は過去の栄光から抜け出せずいるんだわな。何もかもがです。見なさい。農林水・・一次産業に従事する人は年々減少していますよ。兵糧攻めにあったらたまったもんじゃない。おそらく このまま進めば 遠くない時期に行き詰ってしまうでしょう。応病与薬と似た四字熟語に”臨機応変”があります。共通するのは実態をどう見るかです(正眼)、それが どうも 上辺だけに成り過ぎた感は否めません。見て見ぬ振り・・・・五陰盛苦:現在の五陰未来に去らず。「慈雲法話」

4053:荒唐無稽

 荒唐無稽・・・根拠なく、でたらめなこと。同義語には、無茶苦茶、理不尽などがある。果は荒(すさ)む、不信、不安。そうなった因は何だろう。歳をいくら重ねても無い人は無い。ドストエフスキーの『罪と罰』(1866)、人は自分の犯した誤りに気づいた時、孤独感や後悔に苛まれ、どうすれば良いか判らない、それが何によって救われるか・・・・長編小説を途中で読むのを諦めるか、それとも 終わりから読み始めるか・・・・・。一様では無い。良寛の辞世の句≪裏を見せ 表を見せて散る紅葉≫
 法治国であって法治国にあらず。世が乱れ・・・・・。度を超えた個人主義、あたり前を目指した道理、筋道をどう守るか・・永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という。人間はAIやVRをどうしたいのか?知らないが 既に足を踏み入れてしまったではないか!
自縄自縛・・・利便性・スピード・・・平和・安心・・・・さ~て 貴方が思うようにいくかどうか????? 人間同士で無理ならば、自然から教えてもらうしかない。紅葉に至らず散る葉はヒラヒラとはいかず、一気に落下、いずれ朽ちて 土になる・・・・人生?年、短いか長いか。
 
無理無体・・・相手の意向にさからって強引に行う様・・・・もし、それが許されるとしたら、安心、共生、は死語、廃語となり辞書から消える。希望、夢、愛、信心・・・独り芝居、孤独、・・後悔。懺悔  なんと切ない人生か。
 もし、それに代わる新たな語ができるとすれば、人が発した言葉じゃなく、それは、つもり違いした文明の利器が創った通りすがりの”心に染まぬ”記号”となって、彷徨うことになるだろう。人は1人で生きられますか? ・・五陰未来に去らず・・色・受・想・行・識(五蘊)
為〇〇菩提也・・・・〇×△・・・ 一方通行の道を逆走することも 無理無体。障がい者福祉・・・この子らを世の光に・・・この子らに世の光を・・・??。to か for か with か??・・・それは どんな光でしょうか? 
 光は 損得では見えませんね。with! なぜ巡り合ったかを 私たちは知らない・・・・・。

4054:筋書き

 ユニセフのCMを見て、献金したという人も大勢いることでしょう。方や、CM差し替えでACジャパンの広告ばっかりとなったチャンネルもある。公共性という言葉は20年~30年の間に随分変わりました。なのに旧態依然として個人、企業の営利を最優先とする人達が存在する。その実態が暴露され、藻搔けば藻搔くほど深みに嵌まっていく。その分れ目がどこか? 連日、公共の電波によって騒がれ、もういい加減にしたらと苛立つ。
 ”腫れ物に触るような言動ばかり、いま そんなことをやっている時なんでしょうか? 変だよな~ おかしいよ~ どうして こんな風になっちゃうの。ダメなものはダメと何故言えぬ。公共性の3つの条件にあったと思う。 誰にも開かれているということ、子供も見てんだよ!まったく 大の大人がわかんねえ~のかな~。
 ・・・・≪チェスタトンが唾棄(だき)すべき異端とみなしたのは近代を彩(いろど)るものとしての進歩主義そのものであった。≫・・・(『Orthodoxy』:西部邁の序文)
 
 文明の危機と現代人の病理・・・・生成AIへの妄執で”棚上げ”(進歩主義)。
 誹謗中傷⇔憶測⇔??。白紙にスケッチ、各自が好き勝手に色付けし興趣を添える。上書き保存で原図は消え、それを進歩だ進化だと大騒ぎ。後悔したって 一歩踏み出してしまった以上、後の祭りだ。”原点回帰”の虚しさ、人間らしさをも失う愚行を重ね、いったい何を獲たというのでしょうか?踏み絵を前にして どうするか?核兵器禁止条約に日本は明確な答えを出せず戦後80年を迎える。その間、避けてきた議論が今もって棚上げされて居るでしょう。次の世代に伝え残す大切なことが負の遺産・・・・そして自分達の問題として考えない慣行が出来上がった。枝葉末節な議論に時間を労し、国の根幹に関わるような重要問題を避けてきた。その責任も問われず 寝た子を醒ますことを恐れてかどうか?これから先もずっと議論を先送りしてやっていけるというのだろうか?G7の中で最低の国政選挙の投票実態がそれを裏付けている。そう考えるのは間違いでしょうか? 本当に良いのですか!少数与党の今こそ やるべき事があるはず・・・・人生100年、ならば、100年前の国の姿、そして100年後のあるべき姿の筋書きを・・・熟考、熟慮!

4055:暗中飛躍 

 人に知られぬように秘かに策動する。➡暗躍(暗中飛躍)。これは別に珍しい事じゃない。昔からありましたから。でも、生成AIの登場で一変するだろうね。前触れと現実の境が無くなり、知らぬ間に偉い事になっている。例証はいくらでもあります。便利なものと最初は我先に飛びついた。それが今では厄介者になっている。迷惑メールに完全に占領され、機能麻痺。想定外といった処で、ユーザーの意志と関係なく一方的侵入。・・・それでいて 生成AIの矛先がどこを向いているのか判らない。”近代を彩る進歩主義”、100年前にその警鐘はあった。唾棄すべき異端として。
 一方で、ナメクジからヒントを得た研究(発見)が話題となっている。何でも雪や氷が付かない物質発見(?)というもので太陽光パネルに利用すれば商品価値があるという。 発見した方は 趣味の家庭菜園でナメクジから学んだそうです。笛や太鼓はないけれど堂々たるものです。
 現代人の病理・・・それは”こころ”が病んでいることだと謂う。人智の及ばぬ変化や便利さに晒され、何が正統なのか掴めない。癒し和む心がドンドン蝕まれ、荒涼とした目的地の無い道を只管前を向いて歩いていく。
 だったら 自分が歩いてきた道を戻ってみるのは如何ですか。・・・順逆の 甲乙なき 遍路みち  先祖がえりで 和顔愛語の ご接待・・
 
 徳島への出張帰りに立ち寄った一番札所霊山寺(りょうぜんじ)・・・・で錫杖を買った。今もその時の編み笠と一緒に壁にかけてある。
 そんなに急いで どこに行く?四国遍路・同行二人 寂しいことなど ありゃ~せん。 今 日本列島全体が大寒波に襲われている。昔 上野から列車(上越線)にのり 越後の小出に良く行った。奥只見(銀山平)にある蛇小沢小屋の小屋開き、春先でも雪が2メートル以上あり小屋の2階の窓から出入りした。当時は電源開発トンネルを通る許可をもらって燃料ボッカを行った。私にとって懐かしい思い出だ。当時は勿論携帯電話など無かったから小屋に入れば、唯一の連絡方法は近くの伝之助小屋、不便とは思わなかった。東京の喧騒から離れるわくわく感と夜空満天の星が迎えてくれた。
  上野発の夜行列車・・。今、上野駅はターミナル駅でなく 通過駅となっている。度を過ぎた未来主義の弊害にやっと気づき始めたか?あらゆる伝統を破壊し科学文明を信奉し、自分達だけが良ければ良いという考えが優先されれば戦争をも正統化することになるのではないのか!

4056:当然?

 あたり前にやっていたことが 急に出来なくなった。そんな経験ありませんか?徐々に出来なくなったなら、その間にどうするかを考え、対応することもできるかも それが突然に。さ~ 困った!どうしましょう!自分ことは知っているようで実は判らないことばっかりです。自律神経がそうです。交感神経と副交感神経があって、本人の意志に関係なく動いている、普段はバランスをとってうまくやっている、それが崩れると厄介です。要因はいろいろあるんだろうが、未だ解明されず。
当然と必然はどう違う?当然の反対語は"意外”、必然の反対語は”偶然”、はは^^ん?じゃ~突然は?・・・然もありなん・・・・。
 でないと 纏まるものも纏まらずってなことに。YES か NOか、ハッキリしなさい!と言われても  ≪仮定の質問には 答えられません。これが我が国の定番の国会答弁であります。≫(石橋総理)と、これに対して≪ご名答・・・≫(トランプ大統領) 一瞬に座が和んだ。日米両国のトップ会談後の会見一幕。”予め想定されていた質問でしたか?”という記者質問に”いや、そうではありません。アドリブです”とホンネ。
現代の若者言語やSNS言語が絡めば どうなることやら。・・・通訳?大変でしょうね・・・。 万葉集を現代若者言葉で訳した本があります。意外とその本が売れていると聴きました。万葉集:20巻、4500首。まだ100首。
 
 通訳アプリがあると言います。ホンネとタテマエ、冗談・・・相手にそれで上手く通じるだろうか?万国共通語は英語でしょうか?残念ですが英語を日本人で不自由なく使える人の割合は少ない。茨城県の県立高校は外国人の校長さんが多くなっています。県の方針で変わったそうです。こういうことはハッキリした方向づけがなければ、長続きはしません。つくば市でつくば万博が開催されたのが1985年、今から40年前です。広大な土地に国がつくば研究学園都市を建設。国家事業としての都市づくりと従来型都市の格差を対象外になった市町村は指をくわえながら眺めてきました。その結果は歴然としています。インフラの整備、そこに住む人々、・・・etc。つくば科学博のテーマは≪人間、居住、環境と科学技術≫だった。
 でも時間はかかっても徐々に変化が起こっています。まず目につくことは、外国の人々の数です。明らかに増えました。アチコチに出身国の人々の集まる場所が出来ています。小中学校に日本語が話せない子供たちのクラスが増えました。
 それと、今 世界中で起こっている移民受け入れ問題は異なります。(参照) ≪然もありなん➡That makes a lot of sense/Right you are≫ (ジーニアス和英辞典)

4057:賜物

 自然の賜物、努力の賜物・・・・授かり頂いたものへの感謝、逆に謙譲の美徳でなく、己の力で獲たという”傲慢さ”、それは 自分勝手の極み、相手の身になって考えることを忘れた愚かもの。 懲りもせず繰り返す人間同士の争い、その結末をどうみているのでしょうか? 栄華と破滅、この分岐点は・・・・?自然からのいただき物(恵み)を自分だけで1人占め、悪びれず、しかも堂々と・・・いまこの瞬間にも地球上で起こっている様ざまな惨事に目をつぶり、知らなかったとでも仰るか・・・・。今世紀 最大の危機を アナタは 何だと考えますか?人智の及ばぬ処へ行ってしまったものを引き戻せるとでも?あらゆる伝統を破壊し、科学文明を信奉(信望?)彩る人達の正統性を訝(いぶか)る。それに代わる価値を見い出せず相共に翻弄されている。一方、現代社会は”宗教”の果たすべき役割、その真意を質す術を探しあぐねていると思ってしまう。せめて、宗教 そのものが 争いの因とならぬように祈り続けたい・・・・・。
 
 世界的広域的に病が流行、パンデミック、それを”賜物(たまもの)”とは謂わないよ。それがどうしたことか言葉が”ゴチャゴチャ”となって使われる。言い逃れ、言い間違い、堰を切ったように・・・既に収拾つかず。手間を省いた便利さと必要度外のスピードへの妄執・・・その迷走を止めることが誰もできない。宇宙の塵・・・地球を襲う隕石が数年後のどこに落ちるかを予測できたとして、落下を防ぐことができますか?また、某番組で第3次世界大戦を想定した、日本の準備の遅れを、ゲスト解説者が力説していた。
もしかして「印象操作」か「プロパガンダ」?? 方や、相も変わらずメデイア発生源のドタバタ騒ぎ、収まる様子は一向になく、次から次に湧き上がる入れ替わり立ち替わり疑惑の山・・・・呆れるばかり。
 仏教では「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の三法印でスッキリと指し示す。・・・・・。只管打座・・原点回帰・・。『諸』の一字は≪共に≫の意。『涅槃』は≪煩悩を離れ、苦を滅して、真理に達する≫教えのたまもの。私利私欲を最も嫌う。

4058:思いがけず

 何を血迷ったか誤った道に足を踏み入れ、藻搔き苦しむ・・・・誰彼構わず・・・道連れにされた方はお気の毒。さりとて、自分は大丈夫とはなりません。求不得苦は思い通りにならぬ苦しみのこと、そうならぬ為にどうするか? それを説くのが”仏教の基軸”だ。紀元前7~6世紀の釈迦の悟り。今世を照らす教え(真理)。
 他の宗教を語る資格は私にはありません。ただ、道は違えど目指す方向には通ずる処があると信じます。実をいうと 大病を患ったことでその思いは確信に変わりました。正直、思いがけないことです。6年前に見つかった体の異常、その時、医師から言われた”余命?年”、最初は誰の事なのか判らずに≪どうすれば良いでしょうか?≫と尋ねたのをハッキリ覚えています。≪あなた自身の体ですよ。あなたが向き合っていかないとなりませんね≫ そして今後どうなるかを分かり易く説明してくれたドクターに感謝しています。時間のズレはあってもその通りになっている。今 自分がやれる事は何か??? 着ぶくれした服を少しづつ脱いで、次なる人達に任せていこう。そう考えるようになったら景色が変って見えるようになった気がします。生きている事は”思いがけず”
(2025/2/13:ナマグサ) 
 
 地質学的には、人間の一生は瞬時。人生100年と殊更めいて云うこともない。何が大事で何が小事か・・・円相無尽蔵:全てを投げ捨てれば、尽きることのない世界が開かれる・・・・逆に使いきれない程のものを手繰り寄せ、それを眺めていることで、安心・寂静をえられますか? 邪心の巣に引き籠もり 恐るおそる覗いた別世界 そこに早くいき暮らしてみたいか。
 ☆バクテリアルトランスロケーション・・人の体には100兆個のバクテリアがいると言わています。それが人との共存関係にある(常在菌)、しかし、免疫力が衰えるとその関係に異常をきたし、感染源不明や多臓器不全を起こす。
 バクテリアは40億年前から地球上に生存し、私達人間は どうでしょうか? 500万~600万年前・・・それだって 良く判らない。人間さまよ そんなに欲張らずとも 良いんじゃないの・・・・・。

4059:平安の声

 新宿騒乱(1968:昭和43年10月21日)、新宿駅西口地下街・ベトナム戦争反対・義務感・”正しさ”・・・? 。丁度、受験の下見で東京にいた。今となっては記憶は朧げながら何か大変なことが起こる予感がした。、1人で東京に出ることなど殆ど無かった。ワクワクした気持ちに水を差されたようなもの、何が起こっているのか全く判らなかった。
 後で700人にちかい学生が機動隊に逮捕されたことをニュースで知った。
 あれから57年が経ちました。今年で75才になる、『後期高齢者』・・マイナンバーカードを一先につくったものの 一度も使わず。仲の良かった友人も何人かは既に逝った。”共生”という理想を掲げてはみたものの、今もって曖昧模糊とした風景しか描けない。心機一転、出直す覚悟でいきたいと・・・・・≪ダメダメだ 声が小さい 叱咤の声≫。
 
 失敗を繰り返しながら人は解決策を見出していくものでしょう!初めから判っていることなんて無いんだから。我が田に水を引く➡自分さえ良ければ。金言、格言数々あれど時代の変化に真意届かず、置き配もやむなきと。”共生”は共存共栄ではありません。是れが今日はあたり前、自問自答を繰り返す。なんと そこまでいったか? ”闇(やみ)”・・・義理が廃(すた)ればこの世は闇だ・・・、人情は人間が本来もっている人間らしい感情だった、人に対しての思いやりやいつくしみが消えている。今世を ユートピアかデストピアか? と ダメもとでAIに問えば  ・・・≪かように人のために情け情けしところおはしましけるに~≫(大鏡)

4060:矛(ほこ)と盾(たて)

 矛盾の話。矛と盾を売るものがいて、この矛はどのような盾をも貫き、この盾はどのような矛をも通さない、だったら試しについて見よと言われて困った話。笠地蔵という日本むかし話。年越しの夜、雪中の六地蔵に笠を被せてやった貧しい爺に、地蔵が米や金を持ってきてくれるという話。いずれも分かり易い話。それが どうした?
 今 この話を聴いてもらいたい人が沢山いますね。独善主義、監視社会・・・益々強まり、矛盾を正統化しようとしたり、自画自賛どころか、社会を混乱させて喜んでいる・・・残念だが、かような人達が増えているように思えます。
 便と不便は不二。思い当たることは沢山ありますよ。生き辛さや弱みを盾にとってカネ儲けなんてことは序の口。まったく世知辛い異次元の世となりました。腹が空いて 何か食べようと店に入ったは良いが、タッチパネル、モバイルオーダー、キャッシュレス。ときた。スマホも良く使えない私には、居心地悪く、出口はこちら!と言われている感じ。隣の席、 ロボットが配達してきました。 善悪、偽善、清濁 何でもござれ 自己責任 ですから騙されぬよう 開かぬよう お気をつけ遊ばせだってよ。 
 
 適応障害に悩む人の急増、それも症状は様ざま。心と体がどういう状態にあれば適応か不適応か、簡単に説明できない。気が付けば凄い量の薬を飲んでいる。薬局で薬を受け取る時、”お変わりありませんか?”、それにどう答えてよいのか判らず、”別にありません”と答えてしまう。
 身に覚えがある人は多いんじゃないでしょうか。いつの間に病院通いが仕事となっている人も増えた。患者同士の会話が落語のネタになっている。これも見方によっては”平和だな~”。この中に自分がいる・・・ああああああ!≪撞着しているぢやありませんか(『金色夜叉』紅葉≫
 ついでに一句・・・ 歳取れば 一つの歳の差 重要事項・・・・  実に人間らしい感情でしょう。

4061:矛を倒(さかしま)に

 弐(ふたごころ)ある者出てきて、矛を倒(さかしま)にすることあるべし。(太平記)
 矛の字を辞書で調べていたら、「矛を倒(さかしま)に」という言葉に出会った。性分ですね、我慢してください。解り易く言うと”裏切り”という意味、太平記は14世紀後半に書かれた軍記物語。日本の南北朝時代。今、21世紀ですから、今更なんで?と思われるかもしれません。史実より時代の変革時には、争いは付き物、ということになるようです。でも、使用される武器が全く違います。仇討ちには自らの名を告げた。今の争いにはそれが消えた。そして 自らは安全地帯に居座るだけ・・・・・。
  今から100年後の人達に、今のこの姿がどんな風に語りつがれるのでしょうか?100年前にチェスタトンが著した『正統とは何か?』・・・正統とは、歴史の流れの連続性にかかわるもの、とりわけその連続性を確保するためのものとしての伝統の保守にかかわるものだからである。(西部邁)。  fake・・捏造、ごまかし。フェイントfeint・・・ふりをする。  是を 大義を忘れて小威儀に滞ると(十善法語)。 
 
 歴史が線でなく点になっているみたいだ。世界の情勢を鳥の目でみたら、どう見えるでしょうか? 3月末、白鳥が北に帰る(北帰行)、群れを作り、一斉に北に向かって飛びたつ、それを本能というのだろうか?間違っても逃亡者・侵略者とは言わない、無事帰って また戻ってきてよ。待ってるから・・・と見送る。勿論、私達は自然の一部。 ”歴史の流れの連続性”の真意、100年の間にそれをどこで見誤ったか?
 欲望をかなえるため根こそぎ、一網打尽に奪い取ってしまうやり方は。やっと線で繋がった関係を有無を言わさず切ってしまう。それを正統だと言いたいのでしょうね。人は 誰も逝く時は独り、どんなに多くの冨を持っていたとしても・・・・・。それより、もっと大切なものが有ると思うんだよな~!それには、相手と矛を交えるのではなく 先ず自分から矛を収めること・・・それなくば、弐(ふたごころ)ある者出てきて、矛を倒(さかしま)にすることあるべし・・・。 

4062:我利我利亡者

 ”盛者必衰の理(ことはり)”と”死んだマネ” ・・・限度を弁えず、鱈腹詰め込み、消化できず、どうしましょう?・・・  お裾分け・お接待は日本人が育てた”共生”のこころ・・・人は砂漠のオアシスから何を学んだか? オアシスは一朝一夕には完成しない。それを知ってか知らずか 枯渇させるようなことを 平気で行う。水を求め、灼熱の砂漠を何日もかけてオアシスに集まる”動物たち”、もう人間だけの未来志向もいい加減にしないと・・・・・・。
 地球上で今 何が起こっているか? 現実に目を背けず向き合おう。
「空想」&「幻想」&「妄想」。・・・我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏(まと)われて衆罪を造る。身口意業常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す(始)・・・ 確かにいつの世にも有ったことかもしれません。・・・・が、節度・掟をわきまえず・・・自省、自戒が萎えるのが早過ぎると思いませんか。我利我利さんヨ! ・・・我皆 相代わって悉く懺悔したてまつる。更に亦 その報いを受けしめたまわざれ(終)・・・(密厳院発露懺悔ノ文:抜粋)
 
 人間の心の中の三大要素、知情意は(知性・感情・意志)。実は判っているようで判らない。常に変化し一定ではないから、仏教では修行の戒・定・慧を三学と言い、行動の規範を「戒」、宗教的精神統一の「定」、真理を知る「慧」を大事としてきました。
 現代の危うさは権力・地位・お金への空、幻、妄想によって測り知れない不善の業を犯すという道に迷い込んでしまったかもしれません。病の自覚もなく、放置し、気が付いた時には己の耐性、免疫力を失った。人の為と言いながら実は自分の為。それは戒定慧の三学とは真逆、誰とは言いませんが見なさいよ、私たちは何を信じて生きて行けば良いのですか?なんてこった、望んでいた姿とは全く違う。こんな筈じゃ~なかった・・・とでも。不信は信じることの桁違いに早く蔓延する(パンデミック)。
・・・・落穂拾ひ 日あたる方へ あゆみ行く・・・(蕪村)  ・・・我が顔を 鏡に映し なんとやら。・・・好き勝手 集め集めた ゴミの山。

4063:ゴミの山

 不用になれば 捨てられる。いま不法投棄はどうなっているだろう? 法律・規則に違反することを取り締まり罰するのが怪しくなっていませんか。仏教ではどう説いているか?仏法にそむくことは戒をやぶること。破戒僧となり僧籍はく奪。(十善戒)
 ☆十善戒・・・不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見・・・身三口四意三。
仏教で初めに学ぶこと、得度し僧侶になる時、誓うコトバ、75才を直前に控え我が事として原点回帰・邂逅の人々・歩んできた道・・・を整理しようと思っている。それには自らの足で歩いて辿るのが一番です。周りにはリハビリと言っておこう。
 昔は狭い砂利道で定期的に道普請をしないと通れなかった。何せ馬車が通れる道幅しかない。水は裏山から滲み出る水を貯め、それをバケツでくんで使った。別に珍しい事じゃない、当時、どこの家も同じようなものだった。その頃、尚恵学園は両親が無認可で始めた。住職が何かを始めたみたい?見るに見かねた人達が手を貸してくれたという。”これ残り物なんだけんどよ 子供たちに食べさせてくれや”と獲れた野菜や米などを届けてくれた。
 最初からゴミだったものはない
 正直言えば誰かに替わって頂きたい気持ちはいつもありました。それは原点回帰の着地点探し。それでも、邂逅の人々と歩んできた道、この二つを忘れたことは無い、だから続けて来れた。今風の言葉ならSDGsの核心【連続性を確保するためのものとしての伝統の保守にかかわるもの】(No:4061)。
 
 今は満ち足りた気分でもあたり前のことが急にできなくなって気づくことはある。人生100年は誰にも適うことではない。寧ろ,適えられず半で諦めなければならぬ人の方が多い。
 昔、畑だった処に家が建ち、見知らぬ人が住むようになった。昔は、雑木山だったそうだ。燃料の薪にするために山はいつも綺麗になっていた。いつの間にか変わった。枯れ枝が不要となり荒れた山にはゴミが捨てられ、古タイヤ、こわれた自転車や洗濯機、・・・・。瞬く間に無惨な姿に変わったのです。
 判らなければ構わないと考える人間の仕業(しわざ)だ。豊かさに慣れ物を大切に使うことを忘れた。新しい物を買い、まだ使えるものまでゴミとして捨ててしまう。この変容は前兆だった、社会が認め、推奨した結果、規範は乱れ、不合理、不公平、差別等・・・が蔓延、そして”良心の呵責”をも忘れた。
 世の中は”矛盾”だらけ、これから先、私たちはどうしたら良いのでしょう! 思い出してほしい。枯れ葉は朽ちて 植物に優しい土壌に変わる。自然の営みを!

4064:変化の兆し

 周りをよく見れば、小さな変化に気づく。あれだけ捨てられたゴミが少しづつ減っている。道端や空地を綺麗にする小さな活動が、人々の良心を芽生えさせたのだろうか? いやそうじゃないでしょう。反社会的なものとは違った新たな世態。それを非社会的と云ったら良いのか社会に馴染めず閉じこもったり職場を転々と変えてしまう人々が増えている。それは≪大きな変化≫への前兆と思えてならない。SNSはSocial Networking Serviceの頭文字で日本特有の造語、欧米ではSocial Mediaというのが一般的だという。人々をつなげるサービスは人間が考え創ったもの、それを使うのも人間だという事は何ら変わらない。電車の乗客の大半がスマホを使っている光景はあたり前。ハッキリ言ってスマホ依存症。適応障害の範疇か。 やりきれない気持ちが地球上を覆っている。教えて欲しい。生成AIが兵器にならないと断言できますか?自省、自戒を失った人間が簡単に人間らしさを取り戻せるものでしょうか?。
 表と裏、ホンネとタテマエ・・・上手く望みを果たしたと当人は思っているかもしれないがそうは問屋が卸しませんね。
 
 ”弱気を助け強気をを挫(くじ)く”は歌舞伎の舞台セリフが由来という。万国共通では無かったようです?現実と理想の乖離、格差と分断がすすむ中で独裁者の勢いが益々盛んになっている。コロナパンデミックを経験した時、それとどう向き合ってきたでしょう?
 今、大流行では無くなったけれど感染者は散発しています。、隔離とワクチンが感染対策。国によって程度の差はありましたが共通するのは相手がウイルスだったということ。そのウイルスは進化しながら生き残るという。その間にだって戦争は静まるどころか拡大続けている。双方とも矛を収めることができず、停戦合意は名ばかりで戦火は収まる兆しが見えません。人対人、国対国の難局打開に妙案は?
 某国では、人々の『内なる移住』が進んでいるという。内なる移住って?増え続ける難民、移民の問題はドロ沼化、そして次から次に起こる新たな課題、・・・・暗闇の中に長くいれば 誰だって意欲や生命感は低下するでしょう。そこから脱するに必要なものは武器じゃ~なく”光”。

4065:光

 仏教が説く『光明』は仏・菩薩の心身から発する光のこと。意は希望。智慧や慈悲は”楽を与える慈と苦をのぞく悲”と、光明の反対は『晦冥(かいめい)』、”まっくらやみ”となりますね。
 ・・・・オンアボキャベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマジンバラ ハラバリタヤウン(光明真言陀羅尼)・・・・この23個の梵字を真言宗の僧侶はよく唱えます。その功徳は、安心起行の立場から信仰や実践で得られる心の安らぎとなります。
 私は 僧籍を得て50年が経ち、住職としては46年(昭和54年8月~)になりました。振り返るとあっと言う間に過ぎた感がします。私が最初に覚えたのが光明真言です。今も毎朝唱えています。自分ではどうにもならなくなった時、自然に光明真言を唱えていました。 これは 私にとっての安心起行の体感でした。誰しも窮地に追い込まれれば、助け舟を求めようとします。それは意識してか否かには関係ないと思います。窮地の真意。ところで武器は光になりうるでしょうか?答えは”NO”、ならば核兵器は戦争の抑止力となるのでしょうか?”妄執” いま 釈尊がいたら ハッキリ そう仰ると思います。 妄執は”迷った心で深く執着する”こと。 
 
 『内なる移住』を≪内なる光明≫と考えることは難しいかもしれません・・・・・。
 安心起行の立場から信仰や実践で得られる心の安らぎを密教では曼荼羅の東西南北の四方の門を発心・修行・菩提・涅槃という修行の段階で説いています。要は現実とどう向き合うかですよ。 自利利他は大乗仏教の立場、いまこそ実践が問われていると想います。 誰にでも判りやすく、具体的にです。それを”永遠なるもの”として求めて永遠に努力する人を”菩薩”といった(好胤氏)。日本の障害福祉の父:糸賀一雄氏が遺した言葉≪この子らを 世の光に≫真意があると思っています。
 今の様にどこで誤った道を歩むことになったかは、・・・ この子ら 世の光・・・という考え方にあると思うのです。それもなんの疑問を感ぜずにですね。今の昏迷する社会(分断と格差)に通底する禍因ではないでしょうか!上から目線では見えない光は同じ目線でしか見えない光、それは本人自らが輝く”ひかり”なんですよね。

4066:オープンマインド

 an open mind ≪オープンマインド≫は、”自分が正しいと思い込まず、違った意見や思想を認める人”、逆に”自分の利益を優先してしまう人は協力でなく軋轢を生む” 最近聴いたラジオ番組に 小泉八雲(1850-1904)の話がありました。
 共生の体感を”筆”によって現した人。相手を粉砕するのではなしに共存を考えた、これが開かれた心。それを一方的に誤りだと決めつけ、力で相手をねじ伏せてしまおうとする。偏重は偏見に通じ損得計算も程々にせんと元の木阿弥となる。≪close mind≫
 ☆オープンマインド小泉八雲   異文化を受け入れ、多様な文化、風習など偏見を持たず受け入れ、それぞれの場所に息づく本質的なものを見抜く。(コロコロ)  ☆ 宮沢賢治・・雨にも負けず・・やりきれない気持ちの時に癒されます。欲張らず、おごらず有りの儘。(無茶処)
 
 刺激も緊張もなく安楽な生活環境に甘んじることをぬるま湯に浸かると言って軽侮する。それじゃ~熱い湯が良いのか? どうも極端から極端に走るような傾向に為す術がなく、立ち尽くすだけ。そうしている間にも局面は変わる、さ~大変だ!自分が災禍に合わぬよう閉じこもり、黙して語らず。人々は何を信じて良いのか判らない。このような世相を反映したものか”適応障害”の急増。医療機関に頼れば薬を処方され、それを望まぬ人は”転地療法”(ex:湯治)。一昔前の時代であればこれも一つの選択肢?でも 今はそのような発想もない・・・
  定年後、何もしないでノンビリするのが我々団塊の世代の細やかな夢でした。それが何かしていないと不安になる。確かに気持ちにゆとりが消えた。社会貢献?人生100年? 空言にしか聴こえない。長生きを 労(ねぎら)うよりも 負担増。
 茶席でないが 円相 無尽蔵。・・・・・結構なお点前でございました。・・・・・。 

4067:雲&風

 雲をつかむ様な話、風をつかまえる様な話。雲も風もどちらもつかまえることはできません。ですから実現できない曖昧な話を意味する。押しつけがましい、無謀、詐欺・・・まがいの話。ホンモノかニセモノか、いずれも相手があっての話。十人十色。思いがけない事に向き合うことが生きること・・・仏教の基本的な立場。 円相・・・こころの本来の姿を表す。それに”無尽蔵”をつけ、いくらとってもなくならない。さらに”因果”の法、・・・・・。自棄に仏教にこっているな~と自問する。判っていますよ。今更、やっと、ようやく この歳になって。病が切っ掛け(因)でこんな風になったと思っています。心身・・”こころ”と”からだ”は表裏一体、己のことだから自分が向き合っていくしかないのです。だれも代わってはくれません。だったら 今まで以上に付き合っていこうと諦めた。
 健康だった時には思ってもいなかったことを体感し、当然できたことが実は違った。まるで別世界に足を踏み入れた様なことが毎日起こる。視座構造・・・マンハイムの知識社会学。 人間が事実を知ることと社会的条件の因果・・・・・。なるほど! 12月より図書館通いを中断していたが、心のリハビリを兼ね図書館に行く目途を探す。それにしても、いきなりマンハイム?かなり無理があると思うが、とりあえず、自分の足で歩いていこう。寄り道OK、一歩進んで2歩下がる。順も逆も同じ遍路路
 
 最高気温が一日で15度以上の乱高下、猫は炬燵で丸くなる。我が家に炬燵無し。ミイは布団から顔だけ出して朝から昼寝。自由奔放、世間の慣習など構わず自分の思いのまま。猫の一年は人間の5年と聴いた。さすれば15才になるから丁度人間の後期高齢者、私とほゞ同じ齢、彼の行動は今の私と瓜二つ・・・・・。雲をつかむ様な話だが 納得し苦笑い。なにせ一日が過ぎるのが早い事、・・・猫は過去を振り返るのだろうか?我が心境をアレコレ考えたりするのだろうか?・・・吾輩はネコである へのへのもへじと知らんぷり。あまり余計なことを考えなさんな!と猫の金言 うべなるかな。
 ・・・吾輩はミイに大分差を付けられた。

4068:開かずのシャッター

 昔の面影を失った目抜き通り、いつ 通っても”開かずのシャッター”、おそらく、今 日本の地方都市の多くが同じ状況となっているんじゃないかな~。歩いている人を捜すのに苦労する。嘗て賑わった駅前通り増えた空き地は無人駐車場となった。久しぶりに市立図書館に行ってみた。図書館の駐車場は混んでいて館内に多くの人がいた。新しくなった建物と行き届いたサービス、おまけに2時間の無料駐車券付きで常連が増えるのも頷ける。市内に何カ所かの分館があり歩いても行ける距離、本の返却は24時間OKと便利だ。スーパーマーケットや飲食店、賑わっている店は安くて良い物がある。アイデアと努力の賜物。
 2025年の年金支給日は、偶数月の15日で前々月と前月の二か月分が支給されます。その日は街に人が増える。TVで年金月5万円で暮らす初老のご婦人が紹介されていました。その方が仰った言葉・・・≪秘訣は、見栄を捨てること!≫ 
 
 漸く鎮火の兆しがみえてきた岩手県大船渡市の山火事、焼失面積が2900ヘクタールに達する大惨事、冬の太平洋岸の乾燥は例年のことだが今年は日本海側の大雪(最大積雪5メートル)と合わせ記録的な異常気象に見舞われた。その大船渡市は14年前の東日本大震災で大津波によって多くの犠牲者を出し壊滅的な被害を受けた。更に、能登半島地震(2024:M7最大震度7)が起こった。復旧工事が手つかず状態の地域が未だ多く残っている。いつも感じるのは災害への備えは充分か。
 備え有れば憂いは減じるの?実際には そうと言えない話はいくらでもあります。悪因悪果・・。”騙(だま)すに手無し” 騙されない為には 関わらないこと。天災と人災、自己責任原則も時流に乗って変わらねば肝心な時に用なさず。

4069:わかんない

 権利・義務・責任