源究225 t225

  

NO テーマ 月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 4011  なにげなし  9/9  4016  ナイナイナイ   9/27  4021  両天秤  10/15
 4012  のび放題  9/12  4017  ビジネスもでる   9/30  4022  しのぶ会  10/21
 4013  井蛙(せいあ)の見  9/16  4018  びじねすモデル  10/3  4023  主人公   ☆
 4014  ブタクサ  9/21  4019  期待外れ  10/8      
 4015  理想と現実  9/25  4020  秋の訪れ  10/12      

4011:なにげなし

 何気なく、さり気無く。徒然なるまま、日暮し・・・・・。そんな静寂がいつの間に喧騒と化し、ノンビリ感が消え、より速く、より強く、より大きくと血眼になっているように感じる・・・・どうしてそうなってしまったのでしょうね。
 ”共働”と”協働”?互いに作用し合い、影響を及ぼし合って働くことです。流汗同労もそうです。 先人が私達に教え伝えてきた”智慧”を大切に守ってきたでしょうか?根底から怪しくなっていませんか?苦を苦と感ぜず、遣り甲斐、生きがいに感じるという”働き”は、豊かさという言葉のレトリックによって風前の塵と化したか? 人生、苦あれば苦あり。楽あれば楽あり。そうでない処に価値を見い出したはずでした。制度の福祉!保障の仕組みが整い始めた頃の感動は今薄れてしまった。その代わり複雑で判り辛くなり、何のため、誰のためという核心にズレが出た。それはどこかの誰を真似てできることではないでしょう。魂(こころ)もそうです。今までは上手く(?)いっていたかもしれないがもう無理だ。それに気付いた人に 私は国のトップになってもらいたい。元々そうあるべきなのです。公約を反故にして何も感ぜず、粉飾や不正を知らぬ存ぜぬでは・・・もうこれまで、無理ですよ。”不二”の考えに、それがあると思う。 特権 そんなものさっさと無くせば良いんですよ~!誰のため、何のため・・屁理屈はもう 結構。忍土を照らすに程遠し。
 
 言っていること・やっていること・思っていることがバラバラで 二進(にっち)も三進(さっち)も行かず雲隠れ。※『雲隠れ』は源氏物語の巻名で、実は、巻名だけで本文がないという。知ってか知らずか・・・。例え 知っていたとしても、誰を選ぶか?今の不信渦の源泉、皆さん お揃いで、ぬるま湯に長く浸かり過ぎ、”湯あたり”気味なんでしょう。
 なにげなく・・・さりげなく・・・徒然なるままに、日暮し硯(投票用紙?)に向かひて・・・・とは言っても、肝心の投票用紙が主権たる我々(国民)にありません。この辺の現行の仕組みは どうなんでしょうね!民主主義を標榜するわりに慢性疲労度が高レベル・・これには対症療法では効果は望めません。じゃ~どうするか 折角いただいた国体ですから。

4012:のび放題

 緑多き日本を空から見れば自然の豊かさを感じる、でも気候の亜熱帯化(多湿高温)が進んでいます。過去の記録を毎年塗り替え、気が付けば春夏秋冬の四季がおかしな事になっている。雑草(?)の伸びる速さ、刈っても刈っても追い付かず、ツルが縦横に蔓延った場所では市販の草刈り機を受け付けない。ツルがからまって、肝心の刃が回らない・・・・・・。これもやったことが無い人には判らないでしょうけど。昔々、勤労奉仕というものがありました。今はボランティア、そうだわな~『勤労感謝の日』 11月23日。法(制度)多き日本、外から見ても内から見ても何が何だか判らないことも増えた????。PDCA⇒ P(計画)倒れで 皆 こける!
 勤労感謝の日とは『勤労をたっとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう』(「国民の祝日に関する法律」第2条)。何か変じゃないですか?♪働き方改革の実現、どうですか?草茫々の道、どうですか?教えてください。(防人の詩?�)
 
 折角の緑が台無し。道路の脇が草に覆われ、車の通行に支障をきたす。舗道も同じ、何処の公道も管理が間に合わない。環境税は森林保全や地球温暖化対策に使われるというけれど、実際にどう使われたか良く判らない。法をつくるまでは大変な様ですね。でも、出来てしまえば関心薄れフォローがない。これが、今の実態です。多聞、それには経費がかかる・・・ということでしょうか。最近こんな話を聞きました。某学校の用務員さん、ガソリンの予算がオーバーしていると注意され、草が伸びすぎだと言われ・・・・ガソリンスタンドで”手で草取りしろというのか!”と愚痴こぼす。自然は人間の気紛れに付き合ってはくれない。
 昔は親子そろって草刈り奉仕をしたものです。今は、それは無くなり自分達の用務が増えた・・・・ということです。・・・・そうですよ。 だったら どうですか?地域の一斉作業(草刈り・ゴミ拾い)を勤労感謝の日に皆で行っては?時代は変わった!人も変わった!権利と義務の考えも変わった。選挙公約でそんな話は皆無。勝手は放題。   積もり積もった税額は一体 どれ程か?教えて下さい。(知らぬが仏)

4013:井蛙(せいあ)の見

 違和感は強まるばかり。いま内輪もめしている場合ですか?11人が9人となってどうなの? ハッキリ言って そんなことに関心はない。だってそうでしょう。投票権が無いんだから? その事に対し殆ど話題にならない。
 おそらく この流れは誰が代表になっても変わらんでしょうね。一体何をしていたんだろうか不思議でならない。水の入れ替えがなく透明度が益々悪くなった澱んだ水に馴染んだ。不信が減らないのはあたり前でしょう。難解な内輪(金魚鉢)の多重構造、どうなっているか判らない。当人たちの関心事は我が身のことだけ、それ以外のことは良きに計らえ。即、水と鉢を変えないと・・・・酸素不足・・・・大義を忘れ小威儀に滞る。(十善法語)。
 
 某県で今騒がれていることも内輪の話、切っても切れない縁によって生れた。丹精込めて作った作物も収穫時期を誤れば、腐り始め捨てられる。日本の食糧自給率が今どうなっているか?その実態をどれだけの国民が判っているでしょうか? いま内輪もめしている場合?
 日本の食糧自給率(大臣官房政策課食糧安全保障室pdf)・・・カロリーベース(1965年)73%→(2023年)38%。生産ベース(1965年)86%→(2023年)61%と一貫した下降線、しかし、これを鵜呑みにすることはできません。実態はもっと凄いことになっているという。(鈴木宣弘;クワトロショック)。 この統計には輸入飼料代は除かれている。鶏卵(たまご)は自給率が96%というが鶏の飼料は100%輸入なそうですね。それが統計から除かれているというんだから数字の信憑性はどうなんでしょうね。ウクライナで戦争が起こって 小麦輸入はどういう事になっているでしょう。物流が止まれば想像できます。食糧の備蓄だって異常気象で米が無い騒ぎ?
 日本が看板通りの”民主国家&法治国家”たるに相応しい姿に早くなってもらいたい?それが揃いも揃って内輪もめをしてるんじゃ~な~。勘違いも程々に!

4014:ブタクサ

 帰化植物の中に厄介なものがある。キク科の一年草で原産は北アメリカ。豚草。名前の由来は良く判らない。豚に悪いと思って調べる気にならず。これが蔓延るとあっと言う間に雑草畑となりギブアップ、そのまま放置しておけば花粉症の原因となり、厄介もの。
 長野の友人が今年もブドウを送ってくれました。箱に同封された挨拶を兼ねた奮戦記、有機栽培の難しさが詳細に綴られていた。直ぐにお礼の電話をして、久しぶりに声を聴く。台風、ハクビシンやタヌキの対策と今年は特にカメムシの異常発生による被害が多かったという。ブドウの木も立派に育ったことだろう。多くのボランテア仲間の応援(共働)があって、続けてこれたブドウ栽培、この先後継者をどうするかという悩みもあるよと声を弱めた・・・・。いまの日本は何でも揃っている。それをあたり前と感じている人が多い。衣食住の中で一番大切なものは食、もし食べるものが手に入ら無くなった時にどうするか? 
 
 物価がうなぎ上り、なにもかもが上がっている。異常気象の猛威は強まるばかり、これに対し防戦一方。世界の天気(NHK)で、昨日は日本が最高気温で一位だった、過去の記録を悉く更新する。この状況の中で農業、酪農、漁業・・・食を支える一次産業の人たちが悪戦苦闘している。国の大規模化政策の進捗状況がどうなっているか。農業がその口火をきったけれど 思ったほど進んではいない。一方政治はどうでしょう。都知事選挙から何故か候補者の数が急増した。でも 有権者の関心は一向に上がらない。 植物名にしたら浮かんだ。チグハグサ(草)。多年草で原産は不明、アレルギーの原因になることが多い厄介種。

4015:理想と現実

 いつの世も理想と現実のギャップに戸惑い苦しんできたんですよ。理想には実現可能なものと不可能なものがある。四苦八苦。【哲】 維摩経は聖徳太子著の『三経義疏』の中の一つ、仏教を在家仏教者の立場(維摩居士)で不二の教えを説いた。視点を変えれば違ったように観える。慈は抜苦、悲は与楽。 時代の節目にあって、避けようとしてもそれができない状況の中で向き合い、 どう生きるかということを模索する。膨大な数の経典は、積ん読では如何なものか!指南書と考えれば、自ずと浮かんできます。一進一退で予断は許さない。なにも今に始まったことではありません。道なき道ではなく同行二人、共生は果で調和は因。中道を中途半端と考えるのと仏教の真意は違う。それは”両極端に偏らないで対立を克服した”立場にあるということ。それを妨げるものが どうしても世の中や自分の中にあって無くならない。それが”欲””妄執”だと。小欲知足はこころの羅針盤、GPSでは用なさず。何のためなのかという弁えも無く、我武者らに追い求めるのは・・・・人間野獣。 ・・・秋彼岸 涼をえるには 早寝早起き・・・。
 
 一時は良かったのに、また前のように悪くなったことを”元の木阿弥”と。無常。思い当たることはありませんか。葛藤(かっとう)。禅宗では修行に励むことで”問答工夫”の意。
 葛藤って葛(かずら)や藤ツルがからまっている態・・・遣り残しの草刈りをやりました。最高気温がやっと20度台となった。・・・フェンスにからまったツル(?)をみて唖然。ああああああああ! 剥がれぬようにツルを絡めて上に伸びようとしている。よく見ると小さな花をつけけていた。これが時が経てば 手の施しようがなくなる。これが現実。 なあ~お前!あまり 調子にのって背伸びしないこった。昨今の天邪鬼!自ら手を汚さず、ああだこうだと誹謗する。 無常は無情・非情とは違います・・・曼珠沙華 稲狩り終えた 畔に咲く・・・ 此処に”私情”は挟めない。、、、てなことざんしょ!(彼岸明け)

4016:ナイナイナイ

 最近はご無沙汰のファミリーレストランに久しぶりに入ったけれど何がどうなっているのか戸惑いました。午後7時前でしたが、制服姿の高校生を大勢見かけた。案の定、注文はタブレット、メガネを忘れたので参りました。やっとのことで注文できた? でも、上手く注文できたかどうか心配しながら待っているとロボットが運んできた。
 店内は騒がしくて 上手く話が聴き取れない。早々に食べ終え店を出た。コーヒー一杯で1時間、昔懐かしい店は消えた。私のスマホが接続拒否。繋がらなければ用為さず。買った店に相談に行った。そこで新たなサービスを勧められ、一回30分で月に2回まで教えてくれるものに入った。
 予約番号をとり、店で待つ。すると、対応してくれた店の方が、ちょっと見せてくださますかと順番に関係なく相談にのってくれ、繋がるようになった。前回は暗証番号を尋ねられ”忘れた”というとその店員は怪訝な顔(?)・・・。 今回は丁寧に対応してくれ修正する手順をわかり易く教えてくれました。何か問題ありますか?会社のルール?どこが? カネ金かね、世はこれで回るのだ!嫌なら スマホを持たないこと! スマホ決済? とんでもない。
 
 子どもや年寄りに優しい社会はどうでしょうね。代表選挙、9人が論陣張って訴えるが、どう見たって高まりに欠ける。自分達だけで国民はどうしたのよ?もっと分かり易い制度にしなけりゃ~駄目でしょう。メデイアも然り。出演者は顔ぶれ変わらずで内容は要点を欠く。日替わりメニューで何を選ぶか、どうせ何を食べても変わらないという諦めが優先し重層したマンネリ感を一掃できない。メリハリがない。関心がない。ナイナイナイ。思考停止で浮かばない。やっと浮かんだのは”物忘れ”。
有無(うむ)相通ずる・・・・と(史記)。 

4017:ビジネスもでる

 発想が普遍化し、いずれは新鮮さや独創性が消えマンネリ化。すると、また新たな動きが顔を出す。この繰り返しを重ねてきた。進化は進歩とは限らない。退化は今まで出来たことが出来なくなって感じる。それは複雑に分化した器官が単純で縮小した器官に変化することでもあるという。
 五感の衰えは人それぞれ、一緒くたにはできません。衰えを補う器具の開発やそれを支える社会の仕組みなど・・・・これが一方に偏してしまえば人々の和・共感が崩れ、新たな問題が生まれる。ビジネスモデルは、利益を生み出す製品やサービスに関する事業戦略と収益構造を示す用語。一言で謂えば「カネ儲け」の話。日本の社会福祉がある時期に大きく変わった。同じ土俵で同じことを行っているのに異なる事業主体の参入により変わった。複雑に分化した制度の判り辛さは受手と支手の双方に不安を生み、その整理が未だできない。ビジネスモデル⇔ビジネスもでる。看板は立派だが深堀り研究はほとんど見られない。だからモデルなんて謂わないほうが 良い。
 
 張り巡らされた情報網も不安を無くすことはできまい。有利と思ったことが致命傷になることもある。情報操作は有ること無いことを巧みに使って自分に都合が良いように企むこと、最早 これを止める手立てはないのか?先端技術の開発という触れ込みに踊らされ、それが妄心だと思わない。(因果応報)
 一方、良かれと思ったことを自らの手で破壊するという愚行を重ねる。「数独(ナンプレ)」”というゲームを考えてみましょうか。1~9縦横斜めに一個づつ並べ完成させる頭の体操!難易度によって別れ、今私が格闘しているのは・・・規格外の超絶難度”地獄”賽の河原の石を積む苦行レベルの難しさ!・・・である。
 問題をつくる側は 完成図から数字の数を増やせば難易度は高くなる。理は実に簡単です。 つくるより守るほうが難しく、水も空気も割れ目から漏れる。 

4018:びじねすモデル

 ”創業は易く 守成は難し”・・・・。規制緩和が何をもたらすか? あれよあれよという間に増えた業種、その背景には決まって規制緩和がある。”競合脱線”、刑法上は、競合を”一つの目的物に同じ効力を発揮する権利が併存すること”をいう。これが脱線するわけだ。同じ読み方でも”協合”とはまったく違う。コトバで表すことの難しい時代となりました。度を弁えない競合は安易に流れ、場当たり→見栄→脱線・・・という大海に流れ込む。水は低きにながれ、自然の摂理にないものは順逆の理。人間だけが持つ”特権”?=因果。 それになんとま~AIなるものを考え出し有頂天。俺たちは先端を走っているだぞ~と勘違い、案の定、迷路に入り込み 一体どこに居てどこへ向かっていくのか判らない。これを笛や太鼓で囃し立て、やんやの大騒ぎ。(為悪趣現代版”迷走モデル”)
 
 自然の猛威は激しさを増す一方、苦労し築き上げたものを一瞬に破壊してしまう自然のエネルギーには為す術がない。人為か天為か?そんなことより一国だけではもうどうしようもない。国連の目的”世界の平和と安全”は今どうなっているでしょうか?歴史は繰り返すといわれますが、人間同士の争いが絶えたことがない。そのような中でまさか日本が200年前にタイムスリップし”鎖国”時代に戻る気ではないでしょう?当時の統治者・為政者と今は雲泥の差。信念と責任と実行力の弱体化、何故こうなってしまったのか?自ら公言したことを簡単に変えてしまうことなどを平気で行う・・・・。良否の判断、道徳心の欠落は天井を知らず。
 脚下照顧・・・(禅)他をどうのこうの言う前に自分の足もとをよく見なさいという意。 図星!これに尽きる。まだスタートして一か月も経たないで解散騒ぎとは?その間アンタ達、何をしたのよ。.あれこれ策を弄し、互いに非難するばかりで民に施す施策など微塵もない。これではな~実に困ったものです。(為我逃走モデル)

4019:期待外れ

 やっと秋を感じるようになりました。木陰で休んでいると風が心地よい。酷暑(夏)はあっても酷秋はなく、厳冬があっても厳春はない。それらは自分の物差しではかるから。自利利他、共存共栄、言うは易しで、その実はどうか判らない。虫や草木にあって人間に無いことは”共生”かもしれない。つくっては壊し、壊してはつくる。これを因縁で説く、因縁には内的原因と外的原因がある(仏)。ルールをつくるが守るものと守らないものがいるように常に変化し定まらない。虫や草木はルールをつくらない。それは欲を持たないからだと説くのです。
 砂漠のオアシスを想ってみましょう。生きる為に虫や草木はどうしているか、厳冬期、乾季、雨期、その時々で変わる自然に合わせ、葉を落とし、根を張り、冬眠することを知っている。是が我々との違い!般若心経で説く空の思想の本義。期待外れが嫌(苦)ならば期待しないこと。単純明快。要は、それがアナタはできますかということでしょう・・・・・。
 
 「身口意業つねに顛倒して 誤って無量不善の業をおかす」(『密厳院発露懺悔の文』) また衆議院選挙ですか、自粛自戒を忘れれば、相手との不信感や軋轢がうまれ争いになる。判っていながらそれができない。人間を万物の霊長と誰が名付けたか知らないが やっている事言っている事思っている事・・・・・顛倒していませんかって~の。・・・・・。
 ≪絆≫≪紲≫(きずな)という字からどんなことが浮かびますか????「糸」に「半」「世」、意は家族、友人との結び付きを離れ難くつなぎとめておくこと。これが段々難しくなっている。どうしてかな~?  いつものクセです、持って生まれた性分は離れ難いもの。

4020:秋の訪れ

 過去の記録を書き換えた今年の夏が漸く終わります。猛暑を必死に絶えた草木や虫たちは声を張り上げることもなく冬の準備に入ったのでしょうか?今夏はカメムシが異常発生し、農作物に多大な被害をもたらしました。収穫前に商品価値を失った果実は自ら実を落とした。これも、来季への木々の備えなのかもしれない。生産者は自然の恵みと怖さを知っている。消費者はどうでしょう?便利な社会の落とし穴、平時には気付かず有事になって初めて知る。その時慌てても後のまつり・・・・・。どんなに予防策を考えてもその上をいく。
 惜しげもなくカネをバラまいた半世紀前の高度成長時代、そしてバブル崩壊、それを知らない世代が社会の第一線に立つ今、もう一度豊かなニッポンを掲げる政治家を果たして心から信用できるだろうか? 自粛自戒を忘れ・・・時が過ぎれば忘れていくように同じ過ちを繰り返してきた。貴方たちは再スタートと言いますが、誰も信じていませんよ。
 衆議院が解散し、27日が投票日となりました。
 
速報! ≪ノーベル平和賞・・日本原水爆被害者団体協議会(被団協)受賞≫突然 入ってきたニュースにTVの前で釘付けになった人達も大勢いたと思います。世界で唯一 日本だけが経験した核爆弾の恐ろしさ、戦後79年が過ぎた。日本全国に広まった被団協の支部、だが被災された方の平均年齢が85才、核廃絶の運動が今後も続けられていくのかどうか?不安を感じている人々も多い。ノーベル平和賞の受賞は日本では2回目(一回目佐藤栄作氏)、今回は団体受賞ですから日本人の感慨も一入(ひとしお)だと思います。戦争を知る世代がどんどん減っていく中で、生々しい記憶が風化してしまう。今回の受賞が日本人だけでなく世界中の人々に核廃絶運動が盛り上がることを強く強く願います。何ができるか?でなく 何をするかの勇気!
 
 私達は今を生きている。その間に何を為すべきか?≪永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という!≫発心・修行・菩提・涅槃・・僧侶になった頃、聴いた話の記憶。流派によって、その解釈は微妙に違うらしい。でも、目指すものは同じ、分かり易く富士登山の例を出し説明された。何ができるか?でなく、何をするか!・・・それが発心だとも学んだ。 疲れた時は休みなさい。また、歩き始めれば良いんだから・・・・・。74才になった今、過去を振り返ることが増えました。そんな時、ある方が語ってくれた。老いてからの初心を持ちなさい・・・・と。昔ならあたり前にできた事が老いてできなくなることもあります。考えればそれが自然の理だとわかる。それを受け入れ、向き合っていく。そうすると虚栄心は減って、謙虚さがでてきませんか・・・人生は”環”だという意も歳を重ねることで身近に感じます。老いることも また 乙なもの。

4021:両天秤

 どちらになっても支障がないように二股をかけることを両天秤といいます。クレーム・コンサルタントという職業があることを知りました。クレーム対応窓口を置く企業が増えている。様々な苦情に対し私達はどう対応すればよいでしょうね。偏った個の尊厳、権利と義務・公私の混同・・・・。自分で身を護ることが上手くできず、鬱病や引き籠もる人が増えているという。ストレスに悩む人の急増、是が現代社会の実相かもしれません。
 ”野に咲く 一輪の花に 仏の心知る”  ”小欲知足” このようなコトバには 人の心を引き付ける力があります。感応。<温もり>・<愛しむ>は熱すぎず、冷えすぎず 。
 
 ”感応逓減(ていげん)性”というコトバがあります。利益または損失の絶対値が大きくなるにつれ、変化への感覚が鈍ることなそうです。(行動経済学:プロスペクト理論)。例えば同じ1万でも、10万が9万になるのと100万が99万になるのとどう違うかを考えてみると頷けます。小欲か大欲か。 理趣経に『大欲得清浄』というコトバがあります。矛盾でしょうか? 違います。大欲=仏の欲。欲の解釈が違います。(自行利他)
 今日の社会に問題があるとすれば、偏った自分さえ良ければという考えが個の尊厳を判り辛くしています。数多の情報の中から真実を探すのが難しくなり、結局、何を信じて良いのか判らない。知識と智慧を仏教では分けて説きます。単なる物知りなのか、それとも智慧を働かして苦を乗り越えるという身口意の三密観でしょうかね。(入我我入・三平等観)
 ”どんなに精密な秤(はかり)でも ごまかす心は 計れない。

4022:しのぶ会

岡田喜篤先生がお亡くなりになり、18日、旭川市内のホテルでしのぶ会が行われます。
先生には、ある企画(小樽・名古屋)の代表になってもらいたいとお願いしました。最初は視力が年々落ちているからと遠慮されていました。横浜で開催された日本知的協会の研修会で先生が講演され、その時に無理を言って時間をとって頂き、企画の趣旨について仲間たちと説明させていただきました。どうにか承諾をえることができました。その後、先生が理事長をされている北海道療育園(旭川市)には何度かお邪魔させていただきました。
 人は道に迷った時、どうするか? 其の儘、前に進むか、引き返して確信が持てる場所に戻って良く考えるか。私の場合は後者ですね。若い頃の山登りで学んだことを今でも大切にしています。あとは、できるだけ先達から教えを乞うことです。しのぶ会に参加し岡田先生から受けた多くの教えに御礼の気持ちを伝えたいと思っています。 
 
 茨城空港から新千歳空港へ約一時間。真っすぐ旭川に向かった。札幌でライラック15号に乗り換え、旭川へ。約3時間。6年前(2018年5月)に岡田先生へのインタビューのため3人で療育園に伺った時の事を思い出した。その時の話を収めたUSBを大切に持ています。しのぶ会の会場は旭川市内の常盤公園近くのホテル、200名ほどの参加者は既に会場入りし、会が始まるのを待っていた。・・・・・・。最初にそれぞれが献花を行い自席で静かに待つ。
 日本の障がい者への医療と福祉、半世紀の間に随分変わりました。様々な制度ができ、全国に多くの実践の場ができた。・・・・その間の多くの先人達の思いや実践は、後に続く私達の道標となり励みとなってきました。
『 岡田喜篤先生を偲んで・・・』(社会福祉法人 北海道療育園)表紙にあった先生の言葉(2024/10/18)
      ・・・・・≪その人の人生の中では、誰もがみんな主人公である≫・・・・・ 

4023:主人公

 ”主人公”と”主役”はどう違うんでしょうか?
 ♪ さだまさしの歌『主人公』の中から・・・・・あなたは教えてくれた 小さな物語でも  自分の人生の中では誰もがみな主人公  時折思い出の中で あなたは支えてください  私の人生の中では 私が主人公だと・・・・・。♪
 いつの間にか 朝、本堂に並んだ遺影写真の前で読経するのが日課となりました。74才を迎え、どちらかと言えば昔を懐かしむことが多くなったと感じています。「源究」と題し、好き勝手なことを書き始めてから随分と時が経ちました。正直、読み辛く、焦点が定まらず、旧来からの型式、・・・・。何度も読みやすくしたら如何でしょうか?という誘いはあったけれど、・・・これで結構!・・・と断った。何せ、ガリ版から初めたものだから、内容にカビが生え、時代に合わない。それが自分の生き様、何処まで続けられるか本人も判らない。それで良いのだ・・・と思えるようになりました。
 自分に課したテーマは、仏教社会事業、親からのDNA、忘れぬよう、肝に銘じてやってきた。迷った時に 遺影の前に立つと 何故か気持ちが落ちつくのです。(ナマグサつぶやき) 
 
 ”後の世を渡す橋とぞ思ひしに・・・・” 自分が先に渡るようなことをして まことの求道者になりなさい。と我が子(源信)をしかったのはお母さんでした。この母あれば この子あり。時代を越えた”ことわり”。
 これを愛ととるか脅しととるか?それは、我が胸中に在り・・・と。今まで 出来て当たり前と思っていたことが 出来なくなった時、人はどう感じるか? 果たして、その変化を受け入れられるだろうか? そして ”ありがとう”の意味を何度も自分に問いただす。