源究224 p224

  

NO  テーマ  月日  NO   テーマ   月日 
 3991  情報公害 考 7/7  3996  雨のち雨   7/19
 3992  ごちゃごちゃ  7/9  3997  福と禍   ☆
 3993  イタチごっこ  7/12  3998  順⇔逆   ☆
 3994  天秤棒  7/14      
 3995  子守唄アラカルト  7/17      

3991:情報公害

公害とは、人の活動によって広い範囲にわたり引き起こされている人の健康や生活環境に係る被害が生じること。日本では昭和30年代の高度経済成長期から公害が問題にされるようになった。近年急速にネット社会となり今度は情報公害ということが言われ始めた。ここから逃れることは至難の技。VR(仮想現実)やAI(人工知能)は人と人の関係(横)と時間(縦)を超越し、自由奔放に振る舞い人々が安心できる場所をも容赦なく奪っていく、これを止めることができますか。四六時中スマホと睨めっこする人たちばかり。この異様な光景はどうもそうしていないと不安になるらしい。仏教で説く四苦八苦は時間・空間の関係が基にある。その中で”どのように生きるか”を説いている。
 疑問に対し瞬時に答えが出るという道具(ツール)を人間が創り出した。この影響は測り知れない。何せ見えない相手と関係をきずくということは 今までに誰も経験していなかった未知の世界だからね。 (大衆迎合 紙一重の危険)・・愚問なるか!
 
 ≪心合わざれば肝胆も楚越(そえつ)のごとし≫とは、最も近い間柄の人でも、気が合わないと疎遠な他人と同じということ。≪いかなる人も夢を見ている限り、それが夢であることに気付かない≫(荘子:紀元前369~)
 現代社会の最大の課題は、人の気持ち(こころ)をどう考えるかということだと私は思います。そもそも今に始まったことでは無いがかなり怪しくなっていませんか・・・。、因果の考えからみてどうしても腑に落ちないのは、関係と時間の超越(飛び越し)、今までの経験や価値を飛び越えて結果だけを性急に求める短絡思考の人ばかりとならないか?社会と上手く適応できない人の急増や民を度外視した独裁者の台頭が気になります。公害と言えば自然や環境の変化に関することが多かった。しかし、最近は人為によって起こるものが増え予測と予防の難しさは雲泥の差。(仏)無為自然・・・因果関係に支配される世界を超えて、絶対に生滅変化することのないもの。有為・・・さまざまな因縁によって生じ、常に生滅し永続しないすべての事象。回りくどいですか ごめんなさいね。

3992:ごちゃごちゃ

有uuuu無mmm一緒くた・・・寄る辺無き流浪の民は増え続け、略奪、暴力、不正、誰が加害者で誰が被害者か判らない。人為的な行為を排し、宇宙の在り方に従い自然のままであること、これは老荘思想の基本的立場”無為自然”。今の中国はどうなのか?
新たな思想が生れる背景には社会不安と混乱があることを史実が教えてくれる。難を逃れるために住み慣れた地を捨て安全な場所に逃げる人々、この瞬間にも地球上のどこかで途方に暮れている。一方で権力と経済力によって贅沢三昧している者たちもいる。この相反する状況に対し どんな道すじをつけられるでしょうか・・・?時間望遠鏡で日本を見て 江戸時代(1603~1867)の265年間が最も長く続いた安定した時代だと言われます。私たち大人がそこから何かを学ぶことがあると思いませんか。だって立候補者が56名という過去最多の都知事選は終わった。これを前代未聞の珍事ととるか、民主政治の劇場化で、アングラと野外のごちゃ混ぜ、跡に残ったのは空虚さ。
 繰り返しますが いかなる人も夢を見ている限り、それが夢であることに気付かない・・。
 
 確と集めたものを いざ使おうと思ったら さ~て どこに仕舞いこんだか 判らない・・・・こういう経験ありませんか? 軽トラ(中古)には作業道具を目いっぱい載せてある。大体の用はたりる。難を言えば、エアコンが無い、それに4駆でない、雨に弱く猛暑には地獄、でも大分世話になったから離れ難い。無為自然。
 夢に二つの意あり、希望と妄想。時にこれが逆走、迷走する。偶然と思うか当然と思うか?人生は五蘊盛苦、色・受・想・行・識。後者に分あり。
 国内倒産が増えている(直近情報:帝国データーバンク)。その主な原因は、物価高と人材不足。さらに外因と内因に分けられる。我先にと競いあって海外進出、平時なればプラスなるものが有事にはそれがリスクとなる。平時有事は何も戦争とは限らない。人間のやることだ!我が足元から崩壊が始まることもあるでしょう。・・・心合わざれば肝胆も楚越(そえつ)のごとし・・・・然もありなん!
 あらい熊にスズメバチ 思いもよらず寺に住みつき 世知辛い世 思案に余る

3993:イタチごっこ

 同じことを繰り返し、埒が明かない。イタチには失礼かもしれないが”イタチごっこ”。攻撃と防御、コンピューターの世界の話です。悪用×善用、四則演算の加減乗除で乗除は片方が(-)ならば、答えはマイナス。ウイルス×セキュリテイ。答えは全てマイナス。ウイルス先行でセキュリテイソフトは後陣、経済第一主義の避けられない迷走(勘違い)、此処にイタチの登場。最近知った”マルウエア感染”、悪意あるプログラムという意味らしい。それじゃ~善意あるプログラムはどうなんですか?こうなると”5W”が判らない、可笑しくないかい!どうなのよ!
・・・ AI時代に 陽と陰 二極真空管に 新価値発見・・・・ マルウエアはMalware、こ何種類もあるらしい。だとしたら イタチゴッコ も入れて下さいよ。可哀そうだから・・・・・。★私の使っている英和辞書に”Malware"は有りませんでした。3×(-3)=-9。間違ってたかな?余計なことでしょうが。☆コンピューター用語辞典。
 
 発達障害、適応障害・・・現代人の多くが苦しんでいる。その病巣を取り除く妙薬、治療法はあるのでしょうか?障害の対義は健常?(仏)”求不得苦””無常”からすれば”常に健やか”であることは無い。”思い通り”になることもないはずです。
 ・・・もって生まれた性分・・・と折り合いをどうつけるかでしょうか?。【有りの儘で良いんだよ】には含蓄を感じる。そこまでしなくても共に生きようよ。これぞ障害福祉の核心ではないでしょうか!この子ら世の光〈×〉ではなく、この子ら世の光〈〇〉は深い慈愛を感じる。
 有益か無益か 損得勘定に四則演算 正解無し。無理やり正解を出そうと 悪業をおかし 元の木阿弥!。(望遠レンズ)

3994:天秤棒

 世論を結集して今やるべき事があるでしょう。迎合ではなく、詭弁や暴力を使わずに済む方法で・・・・。宇宙の在り方に従う自然をどうにかしようと人間が企ててもそれはできまい(無為自然)。それより人間の便宜主義が、これから先もっと蔓延っていくかもしれない。それが厄介です。やりたい放題、捨てられるゴミの山・・・・結果に誰も責任をとらないという、まさに自然への冒涜ですよ。善悪、偽善は紙一重。都合主義で道理を変えることに何とも感じない。こうならぬ為の策(柵)は果たしてあるのかどうか?・・・正統とは何か?・・・・異端とは何か?一問一答・・・愚問愚答・・・先ずは脚下照顧し持戒すべし   *天秤棒 担いて判る いい塩梅(ナマグサ)
 
 電気コードのショートは器具の破損や出火の原因になります。大都会の地下でいま何が起こっているか想像しただけでおかしくなる。様々なパイプが何層にも張り巡らされ地震が起こればどうなるか? 落雷に対しても安心できるのか?おそらく完璧な対策は無理、そうならぬために祈るだけ。天秤棒とヤジロベー、バランス感覚は大丈夫だろうな、埋立地に高層ビルが林立し、都会の風景は刻一刻変化する・・・これが人為的なミスと重なれば大惨事。これも紙一重のリスク
 ☆弥次郎兵衛と喜多八の二人旅『東海道中膝栗毛』、歩き道中滑稽談。今の世は SFやVR、AI・・・SDGsなど外来語が増え過ぎて、訳わからず、『道中膝栗毛』改訂版も発刊未定!徒歩⇔リニア新幹線。ショートカットも加減せず 十返舎一九 おかんむり。

3995:子守唄アラカルト

 (^^♪)�”ねんねんころりよ おころりよ 坊やは良い子だ ねんねしな” (江戸子守唄:作詞作曲不詳。)
 アクセルを目一杯に踏み込んで、そんなに急いで 何処へ行くの?。自由とか平和とかいった処で どうなんでしょうね。世の中が雁字搦めで身動きできず、そんな風に思っている方って意外と多いんじゃ~ないの? 間が持てず、会話がとぎれて、お互いに気まずい時間ができる。 思い通りにならないと愚痴を言い。やっと手にしたら こんなはずじゃなかったと不満タラタラ。(^^♪)ねんねのお守りは  どこへ行った あの山こえて 里へ行った。里のみやげに 何もろうた でんでん太鼓に 笙の笛・・・・  いいな~。
 江戸から令和へ、生活や思潮もだいぶ変わりました。 (^^♪) 宿題やった? 早く寝な 眠れん 眠れん ねむれんよ。
 
 外観&内観一考。世間体(外聞・見栄)を良く見せようとすれば、どうしたって背伸びする。始める前から言い訳を用意し自慢する(妄執)。方や如実知自心。在るがままに自分の真実の姿を知ること。(仏:大日経)
 自分自身の心のはたらきや状態をかえりみることだという。
 どうでしょうか?内心穏やかでないとすればなんでそうなるの? 誰だって自分の赤ちゃんの頃を覚えている人はいない。そうでしょう。育つ環境は一様ではありません。幼い時に体験したことが大人になっても心の外傷となって長く残るなんて話は随分ありますよ。(トラウマ)その自覚があるかないか?でも遅かれ早かれ、それと向き合っていかなければならない。(仏)
 子守唄のメニューを赤ちゃんは選べませんよね。

3996:雨のち雨

 梅雨最中、<今日は そんなに暑くないから・・>と挨拶交わす。これから迎える本格的な猛暑を乗り切ろうと・・・・週間天気予報を見ると、Max35度が連日続く、それから台風への備えをしながら秋をまつ。
 自然は嘘をつかない。人間同士は、どうして毫も争いを止められないのだろう。雨を涙と思えば。梅雨は涙、涙、なみだ・・・・。私は寺に生まれ、正直なところ寺を離れたいと若い頃ずっと考えていました。結局、74才になる、一度も寺から離れたこともなく、尚恵学園での仕事を続けてきた。後期高齢者(75才以上)になるまでと思ってきたが、それもどうなることか? だが、全く後悔の念はありません。涙は悲しい涙ばかりではない。それどころか感謝の思いは年々強くなる。それと新たな発見です!
 昨日、園内の草刈りをしていたら、傍でKさんが如雨露を使って水かけをしてくれた。雨で濡れた草木に水をかけている。Kさんはお父さんが先月亡くなったばかりで、兄弟でお父さんの葬儀をしてきたと聴いた。
 
 <他に向かって悟りを求めず、先ず自分の足元をみよ。>(禅:脚下照顧) 多くの人が感じている。それは これから先 一体どうなるんだろうか・・・・・と、考えれば考える程深みに入り抜け出せない。”脚下照顧”は順逆・離見に通底する道標になる。
 その考えを古いと無視するか立ち止まって自分に問うてみるか、分かれ道、技術革新(イノベーション)をさけぶ割に自分自身はどうだろう?仏教の縁起が答えてくれる。2000年をどう思うか?時間尺は人それぞれ、長いと感じるか短いと感じるか?一定でない。便法として”標準時”を据えた。チベット仏教・ラマ教・ヒンズー教の聖山(カイラス山)巡礼を目の当たりして感じた。五体投地しながらの巡礼が今も行われている。
 気分が雨のち晴れとならない因・・・処方箋・手引書・約款・法など考えてみれば判るかも? 守らねば意味はない・・・!
 
 ”共に生きる”・・は四六時中一緒にいることではない。それをどのように考えるか?他に向かって悟りを求めず、先ず自分の足元をみよ・・・と。私達は他とくらべる事で様々な感情が生れ、自分を見失う。世の中には自己陶酔(うぬぼれ)型の人間もいます、(ナルシシスト) 好き嫌い、得手不得手があって”あたり前”、これが普通で皆同じだったら・・・どうでしょう。
 共生の究極は、自然と共に生きるでしょう、無畏共生。
 ♪ 1⃣≪あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン≫(『雨ふり』作詞:北原白秋 作曲:中山晋平)1番~5番。

3997:福と禍

 ”福(ふく)過ぎて禍(わざわい)い生ず”は、分を知って言動つつしむべきという意に解せるか。童謡『雨ふり』は5番まである、それを空で唄える人はどれだけいるでしょう。
 次々に起こる出来事に私達は心身共に疲れています。自分は大丈夫だと思っても、いつの間にその影響を受けている。モノが溢れ、その状態に慣らされてしまうとひとは深く考えることをしなくなる。今の状況で何か気になっている事があるとすれば何が大切かを子供たちが考える機会が薄れていくのではないだろうか。個の尊厳は自分だけの事ではなく相手があることを普段の生活を通して徐々に身につけていくんだと思う~。
 ♪ 2⃣  かけましょ かばんを かあさんの あとから ゆこゆこ かねがなる ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
   3⃣  あらあら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン 
   4⃣  かあさん ぼくのを かしましょか きみきみ このかさ さしたまえ ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
   5⃣  ぼくなら いいんだ かあさんの おおきな じゃのめに はいってく ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
 
 4番の下線部に違和感を感じました。白秋(1885~1942)の生きた明治~大正~昭和(戦前)との時代差かもしれません。平成~令和になって生れた子たちだったらどうでしょう。おそらく『雨ふり』も違った風に感じているかもしれません。
 なにせ雨の降り方が違います・・・・・。梅雨が明け、日本列島は連日猛暑(35度)に覆われています。これが避けて通れぬ現実。とてもとても。
 ”身に過ぎた幸福はかえって禍いのもとになる” 図星、疑う余地なし。日本人が大切にしてきたことが次から次と形骸化していく。この流れを食い止めることは難しい。『集中豪雨』・『AGI』 ズブズブ ボタボタ トンチンカン 

3998:順⇔逆

 ”災い転じて福となす”。順逆二縁への確信は、何の為に行うかという目的(方便)が済度利生ならばという点にあると思います。(太平記)
 どのような主義・信条も度を超えたものならばかえって禍いのもとになる。(仏)十善戒⇔三毒⇔三法印   現実に今 起こっている戦争は限度を超えてしまったもの。どうして 同じ過ちを斯くも繰り返すのですか。「三界唯心」は、三界(三千大千世界)のすべての現象は心によってのみ存在し、心のつくり出したものであるということを意味します。
 ”身に過ぎた幸福”(前項)とは、【AGI】(汎用人工知能)に人間の心を凌駕させる能力をもたせて世界や環境を思い通りにできるという危険性を内包する。とすれば人間とAIの関係はコントロールを失い、人間がロボットに自由に使われるようになってしまうのではないでしょうか?そんな恐怖感を持ちます。
 
 政治への無関心が一向に変わらない! 何故ですか? 関心と信頼は相関し、一度崩れたものは小手先の改革では火に油を注ぐごとし。この20年を通観し、政治を託したいと思うような人物が見当たらず、誰に投票したらよいか判らないという状況は全く変わっていません。
 掛け声ばかりの改革に本気度も推して知るべし。国民の半数に満たない限られた中、そのまた何分の一で決まってしまうような今の制度をいつまで続けるつもりか?初めから結果がわかるようなことではどうなのか?順⇔逆⇔四面楚歌。自由を勝手に拡大解釈し、”民主主義の形骸化”を生んだ。言っていること・やっている事・思っている事に齟齬をきたしても何のお咎めも反省もない、ケジメなき集団に成り下がる。順⇔逆⇔因果応報。せめて 国のトップを決める現行法を≪国民直接投票制と有効投票ラインを定めた制度≫に変えるべきだと思います。しゃ~ねんだ!しゃ~ねんだ!じゃなくてよ。 もうやめっぺ~よな。いつまでやってんだ~(遠吠えχ)