源究223p223

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3971  老来の初心  5/6  3976  免疫の力   5/24  3981  温故知新   6/7 3986   二毛作 6/20
 3972  記憶の窓辺   5/13  3977  自律神経   5/24  3982  二の舞   6/9 3987  もくろみ   ☆
 3973  花咲か爺さん   5/15  3978  愚問愚答   5/24  3983  さりとても  6/11      
 3974  知らぬが仏   5/18  3979  問答無用  6/1  3984  間欠泉  6/14      
 3975  根無し草  5/21  3980  落としもの  6/4  3985  なんてこった   6/16      

3971:老来の初心

老来の初心とは、老いてからの初心のことを云う。多田富雄氏の著、3冊は本日、返却の期限がきた。同郷ということもあって、勝手ながら親しみを感じ、ランダムに読みはじめた。案の定、行ったり来たり。何せ世界的な免疫学の先生だけに、初めから覚悟はしていたが、貸出延長を頼むことにした。 読む側への配慮と専門領域の話が実に上手くミックスされ、読みながらハッとすることが多々あった。 もっと早く多田氏を知っていればということを悔やむ。後のまつりとはならぬように、”老来の初心”の良き指標にさせて頂きます。
 地球温暖化は日本だけではない。その煽りを受け、様々な問題と対峙せざるを得なくなった。山形県で発生した山林火災が3日たっても消火できず、自衛隊が空から水を撒く。連休も多くの外国旅行者を受け入れ、観光地だけでなく幹線道路の渋滞はコロナ前に戻った?、メデアはなんで酷似したニュースを流すのか不思議。この騒々しさも徐々に収まるだろうが、私の気分はイマイチ冴えない、・・・・。
昨日、故平塚進先生の四十九日法要がご自宅であった。丁度刷り上がったばかりの青春記『父と子の絆』を奥様から頂き、読み終えた。それは雲間に一条の閃光で先生から頑張れよと背中を押されたような気持ちになりました。お疲れ様・・・ゆっくり休んで下さい。
 
 古希を過ぎた頃からだった。両親の事が懐かしくなって思い出すことが増えたように思います。これは特に珍しい事じゃ~ない、自然の流れ。親の背中を見て育つ子は、幸せを無駄にしない。自分が苦しい時にそれを感じますね。
 今から丁度30年前に亡くなった利恵ちゃんは北海道生まれ、家族と共に茨城に引っ越して来て尚恵学園の仲間になった。大柄でいつもニコニコして元気な子だった。享年35才だった。お母さんは、その14年後に亡くなった。観音寺のお墓に今 一緒に眠っている。今日、これから埼玉の越谷市にある斎場に向かう。利恵ちゃんの義理の弟さんからお父さんが88才で亡くなった知らせをもらった。娘と奥さんが先に逝き、待っている。一番長く生きたお父さんの一生はどうだったのか、墓参りに来られた時に良く声をかけてくれたが 暫くそれが無かった。
 ある方の話していたことを不図思い出した。”人間は2度死ぬんだって、1回目は息を引き取った時、2回目は誰も思い出すことが無くなった時” 。尚恵学園の掲げる≪共に生きる≫、迷った時にいつも頭を過る。これもまた面白い話である。 

3972:記憶の窓辺

 窓を開けると光や風が入ってくる。人の記憶もそうだ。忘れていたことが、何かの切っ掛けでよみがえる。老来の特権か?これからの日本で3人に1人が認知症になるという話があった。じゃ~あとの2人はどうなんでしょう?(永田町の陰口)
 人間の記憶はいい加減なものでしょうが 肌感覚はあるはずだ。生成AIは、保存された膨大なデーターの中から、課題を与えれば瞬時に相応しい(?)答えを出すという。しかし、温もり(五感)はない。 現にAI兵器によって様々な悲劇が起こっている。無人機攻撃はその一端、相手が誰なのか特定されないままに、報復が始まり、非情かつ執拗な攻撃、そして情報操作の攪乱で戦争は始めと終わりが無い時代に入った。命の重さの価値は有って無きようなものとなり、[哲]真・善・美(普遍妥当性をもつ理想的、絶対的価値)への窓は固く閉ざされ、責任は誰でその代償は? 闇の中、その答えをAIに期待することなどはできまい、AIに責任を被せるつもりなら話は別。〇×法改正議論、今騒いでいるのも何故かそれと通ずるように感じてしまう。(闇のカラス)
 
 桜が散り、新緑が朝日にひかる。すでに小鳥が群れをなし何かを啄んでいる。よく見ると小さな虫ではなく、桜の木の下に無数に落ちた種を奪い合うこともなく上手に食べている。電柱のテッペンでその光景を見ていたカラス、小鳥たちに何もしないで飛んで行ってしまった。
 カラスと人間の間には昔から”しがらみ”がある。歌詠みにカラスはあまり登場しない。≪秋萩をしがらみ伏せて鳴く鹿の目には見えずて音の静けさ≫古今(秋上217)・・生ごみをしがらみ伏せて鳴くカラス 知らぬ存ぜず身の擬傷・・・?
カラスの視界からは人間をどんな風にみえるか? ・・・なんとも滑稽で常識はずれのおかしな奴ら・・・然もありなん!
 私達は伏して鳥たちから学ばねばならない。自分達で鍵をつけ、開けるカギをどこかに忘れた・・・然も 言われたり! 古希越愚僧(闇の錦)

3973:花咲か爺さん

 日本昔ばなしの『花さか爺さん』、正直か、意地悪か、欲張りか、、、、親が子に唄って絵本を読み聴かせた時代が懐かしい。フジヅルが絡まり木々は痩せる!そうでしょうね。そうなりますよ。 親のうしろ姿を見て育つ、この類の格言・金言は数多く、でも何かズレていませんか。 今どんなことが気になりますか?私は≪アダルトチルドレン≫。何かの原因で大人になり切れない大人が増えている。これは支離滅裂な話と思われても仕様がない・・・・が 社会の実相だ。 因を考えず果を性急に求め過ぎた流行り病!此れに効く薬がない。養生訓は点じゃ~なく線で今をどう考えるかでしょうね!幼児が瞬く間に大人になりますかってんだよ。
 ♪ うらのはたけで ポチがなく しょうじきじいさん ほったれば 大ばん小ばん ザクザク ザクザク。
   いじわるじいさん ポチかりて うらのはたけを ほったれば かわらやせとかけ ガラガラ ガラガラ。♪
 
上の下線部は1番と2番がまったく同じです。ザクかガラ(副)の違いをどう感じますか?副詞は主語・述語にはなりません。主に連用修飾語として使われ、状態副詞(すでに。ゆっくり・ひらひら)、程度副詞(もっと・非情に・すこし)、陳述副詞(とうてい・なぜ・まるで)などに分類される(大辞林)。
 寺の書庫に大蔵経(大正)全巻が入っています。経・律・論の三蔵を中心とした仏教聖典の叢書。梵語・パーリ語の原典からチベット語・中国語・蒙古語・満州語の訳本。正直言いますと、畏れ多くて、開くことができません。 言行を一致させると言うは易し。それは最初に長谷寺(奈良)の観音菩薩を参拝した時と何ら変わりません。
 正直か意地悪かを区別するものは・・・・?参照:≪自己とは何か、そして「自己」と「非自己」を区別するものは何か、という免疫学における最大の問題」(『免疫の意味論』p183)≫
 先ずは♪”ポチ”と大判小判♪を 貴方はどう考えますか? バカバカしい~と。なるほどね。それじゃ~”自由と自縄自縛”? 参照:自縄自縛とは≪自分の言動が自分を束縛して、振る舞えず苦しむこと≫。

3974:知らぬが仏

 ≪知らぬが仏≫とは知っているからこそ腹も立つが、知らなければ仏様のようにすまし顔。転じて、当人だけが知らないですましているさまを嘲ける意。
 太鼓持ちも程々に 人心は箸では掴めない。いい加減 二番煎じの演目変えねば 食する前に捨てられる。どんでん返しも機転の一つと甲羅干し。東照宮三猿(さんえん)視察 見サル 聞かサル 言わサル が 外遊より先見の明。マイナンバー つもり違い嵩じ 知らぬ・存ぜぬ技工を磨く。   
 
 ≪順逆の二縁、いづれも済度利生の方便なれば、今生の逆罪ひるがえりて 当来の知遇やなるらん・・・(太平記)≫日本の南北時代(1336~1392)、応仁の乱(1467)戦国時代、織田信長(1573)と激動の歴史を刻んだ室町時代、・・・・そして徳川家による長期安定の江戸時代。歴史は繰り返されると言われるが底流には多くの人々の感情や勢いがあった。済度利生は、衆生を救済し彼岸にわたすことで衆生を利益すること。此れは時代がどのように変わっても統治する者の核心であったはず。それが今どうなっているでしょう。国体の本義を忘れ、私利私欲に目が眩んだ見せかけの方便で無法が罷り通る世と化した。選ばれた人たちの言動に迫力(意気)を感じない。ハッキリした誰がという”主語”がなく、何をどうしたいのかという”述語”もない。相も変わらずマニュアル棒読み、修飾羅列で、すでに、まるで ”知らぬが仏”に見えてしまうのは当然です。

3975:根無し草

 ≪民主主義の本質は、制約や不自由さと共に在る≫≪多数という驕(おご)り≫『大衆の反逆』:オルテガ(1883~1955))
 オルテガは”自分が意味ある存在として位置づけられる拠り所がなく個性を失って群衆化した大量の人々を「大衆」と呼んでいる。55年前東京(新宿)に初めて下宿した時と今東京に行って感じることが大きく変わった。55年まえは現在の都庁の場所は旧水道局跡地で雑草で覆われていた。浜松町の世界貿易センタービルが壊され、その跡地に高さ162mのビルの建設が始まっている。その脇の舗道を歩いて感じるのは”紙一重の危険”いつ自分が災害に遭遇するか判らない恐怖感です。東京は増え続ける人の数、反逆か恭順か。 山手線にのれば 乗客の大半がスマホと睨めっこ、この異様な姿が3分~5分間隔で動いている電車全てに視られる。想定外のことだった、それとも当然の結果・・・・・・。
 一般の植物と違って苔には根が無い(?)。苔が芝生に入り込むと芝生が消えて行く。その苔は落葉に覆われると消えて行く。光合成ができないからで、苔にとって光と水が生きる為の絶対条件(拠り所)。日本には苔が1700種あるそうです。いま世界の人口は80億人を超えた。
 
 光と水と空気があることに何ら疑わず、環境悪化を軽んじてきたツケを誰が払うのか?
 それを先延ばし人間同士で啀み合い、相も変わらず争っている。慈しみ、譲り合うと口先だけの親切心。悲喜劇二股かけて尚足りず、非情にも反省無く繰り返す。いくら何でもこのままではいかんでしょう!今世はドン・キホーテ探しに、然して労しない。かわりにサンチョパンサ探しに難儀する。その意を解せず、利養を得んと欲して自徳を讃ずる。気が付けば・・・根無し草・・・第一幕 。さ~て 第二幕・・・役者は揃った?

3976:免疫の力

情報が溢れる現代社会で それと上手くやっていくにはどうするか皆が手を拱いている。より強いインパクト、より速く、・・more more・・・。わかっていても頭から払いのけることができない強迫観念(飛蚊病の如し)。経済第一を目指したニッポンは運良く頂(世界NO2)"を極めた?が、待っていたのは下り坂、酸素の薄い頂は人間が生きる環境に適さない。この有ったり前のことを知ってか知らずか!。 どうでしょう。我先にと人を押しのけ下山を急ぐ群衆心理、目的を達するために手段を選ばず、危なくて仕様がない。こういう流れが出来てしまった。
 昔の山友だちから誘われ、市ヶ谷に行く。某山岳会の代表を偲ぶ懇話会。私は名前だけの会員だが除名されることもなくぶら下がっている。例会で ヒマラヤの未踏峰を初登頂した人の話を思い出す。山は上りより下りが大事、それと引き返す判断、・・・・。これは世の中の万象に通じるという話だった。
 
 逆境は人それぞれ、自分はそう思っていても他人はそう思わない。順逆の二縁。想定していなかった病や失敗が身に起こった時、落ち込み悩み苦しむ。これは順縁か逆縁か。仏教の根本の教え、無常・無我・涅槃寂静。万物は全てが因縁による仮の姿,で実体がないという”空”。わかり易く言えば・・運が悪いと落ち込んでばかりいなくて良いんだよ。いずれ運が向いてくるから・・・ この不二の考え方(法門)が大切。
 私たちの体がそうでしょう。幼児が病に罹って徐々に強くなる。大人だって同じでしょう。失敗の経験からいろいろ学ぶもの。智慧と知識の分かれ道っていうことでしょうか。だから無常(不変ならざるもの)・無我(自己ならざるもの)・涅槃寂静(安らぎである)という三法印。
 悲しみを知って はじめて本当の喜びをしる。だから・・あせらず・おごらず・あきらめず・・・ 天気も良いし 風もなし。さ~てと 草取りすっぺか!

3977:自律神経

 私たちの体の仕組みは、まだ解明されていないことが多い。宇宙の謎を探る。科学進歩への飽くなき挑戦は人間だけの特権だろうか? そうとばかり言えないことを私たちは知っている。多くの人が自律神経失調症で苦しんでいる。自律神経は”意志と関係なく、体の機能を調整する神経で交感神経と副交感神経があり、互いに拮抗的にはたらく””不随意神経”、そのバランスが上手く保てないことだという。
 民主主義を唱えるばかりで実態が伴わなければどうなのか!ギリシャ都市国家(日本の弥生時代頃)で発し、近代市民革命で一般化した体制。その間、形を変えながら 今に至った。
 良かれと思っていたものが、自縄自縛で生き辛さの原因となっていれば改革を求めるうねりは高まり、バランスを保とうとする力が働く。昨今の動きは途中の論理や筋道を無視した短絡的で意味の顛倒などお構いなし”いい加減”が良い意味に使われなくなっています。アイツはいい加減だ!違うよ いい加減なら良いんじゃないの。これが 今の日本の姿を表わす? あゝいえばこう言う揚げ足取り!の横行で何を信じれば良いのか判らない、世の乱れは、最初は無関心から始まると・・・・・なるほどな~
 
 ・・・≪人間は努力するかぎり、迷うものだ。≫ゲーテ『ファウスト』・・・永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という。(仏)・・・ 
 自分の一生が、悲劇に終わるか喜劇に終わるか 誰も判らない。共生とは、共(自他)に生きること、それを求め続けた方をあげるとすれば、『雨にも負けず』の宮沢賢治だと思います。私たちの苦しみが何によって救われるか?
 ・・・「夢想する幸福の瞬間に”時間が止まって欲しい”との想いを抱きながら死を迎える」(ファウスト:第二幕)・・・か? 
 ☆「政治資金規正法」 に時間を弄する人たちへの伝言・・・・ 一体 誰の為、何の為に 選ばれたか 先ずは自らに問ひて そして自らを偽って ほっかぶりし 逃げぬよう・・・・ そういう者に 私はなりたい・・・

3978:愚問愚答

 ・・・規正・規制・寄生・・キセイ法のキセイはどう書くの? 正解は「規正」、”規則に従って悪い点を正しく改める!が真意”。いずれにせよ額面通り受け取れるか否かだ。ドイツに住む友人が教えてくれた。チュービンゲン市の議会は夕方仕事が終わってから行われているという。議員の皆さんは他に職業をもっている人たちで議員報酬はわずかな額。(今はそうなっているかどうかは判りません。)でも 費用に対しての効果で今の日本の財政を考えれば明らかです。それが”複雑冥界”。明鏡止水⇒迷境漏水に顛倒した。私が高校生のころの話。常磐線で国会に1人で通っている7期連続衆議院議員の地元の”せんせい”を何度も見かけた。風呂敷包みを抱えた姿はトレードマークで今もハッキリ記憶にある。今 そのような議員は皆無(?)
 いつの間に こんな風になってしまったのだろうか!これも特権(当然)と言うのだろうか?済度利生とは真逆の相、私利私欲の態と化し権力をかさ(嵩)にかけ威圧、高級車に秘書を携え里帰り、この姿を誰もが視て知っている。これで信用を得られるとでも思うのか!自分の姿を鏡に映す暇がない。それともできない・・・
親の権威をカサに着るは{笠}と{嵩}どっち? 答えは笠 ☆ 人口減少に 議員の定数 減る兆し・・・答えはなし。 ☆ 記録を処分しておいて 記憶にないとは ・・ ??教えて下さい。(ナマグサ坊主:愚問ノ抄)
 
 子供だって判っぺな~。それをヨ~、おっかしなこったばっかり~こねまわし 無理やり通すっぺなんてひどかっぺ~よな~。≪源兵さんと玉さんの会話≫
 陽射しを避け、木陰にすわって二人のやりとりを聴いていた。すると カラスが木の上で かあ~カア~
 ♪ からす なぜなくの からすはやまに かわい ななつの こがあるからよ ♪(『7つの子』 作詞:野口雨情)
 黄色の帽子をかぶった 一年生が列をなして ちょうど歩いて家に帰るところでした。 

3979:問答無用

予定は未定、思い通りになったと満足したら糠喜び、?仏教では”抜苦与楽”を”慈悲の意”と説く。苦の因を欲と妄執とし、それから脱する方便を諭す。膨大な経典は難解と敬遠され、解説書も”積ん読”で本棚に収まっている・・・・・このままでは大いなる存在やその教えは遠のいていずれ消えてしまうかもしれません。 ≪からす なぜなくの?≫と問われ≪可愛い 7つの子があるからよ≫と応える。”歌は世につれ世は歌につれ”と時代に良く歌われる歌は、その時代の世情を反映する。思わず 口ずさんだ童謡にハッとすることはありませんか?。野口雨情は茨城県生まれ、終戦の年(昭和20年)に63才で没す。泣く子をみて 貴方ならどうしますか?そう問われているような思いがする。
 世情は、闇雲な正義感で溢れ、息苦しさを感じています。 AGI(汎用人工知能)や、更なる人類を超えたASIの開発を競っている。それは理想なのか脅威なのか、(欲望と妄執)は拡大し、その速度は早まるばかり 誰一人として この流れを止めることはできない。いずれ 人間は自ら創造したAI裁判で問答無用で結審・・・・。 
 
 ロボットの時代になったらと考えると人智の限界を超える。そうならぬために安全性や規制をどうすべきか?当然 AのI開発と並行して検討されなければならんでしょう!
 どんな課題にも対応できる、人間のような汎用性、ウンウン、人間の指示なしでも、自分で判断して動く自律性・・・・両方もってんのが AGI って 言うんだとよ!・・・そしたら どうなっぺなや?・・・AIに聴くしかあんめ~よ・・・うんじゃ~ おめ~は どうすんだか・・ワカンネエ~。(ひそひそ話)
 ・・ハーレム モール・・・ロボット遊園地・・・三食サプリ・レストラン・・・ アンタねえ~何年 生きると思ってんのよ?

3980:落としもの

 同窓会名簿が今どうなっているでしょう?売れない・載せない・・・・いつ頃からか氏名だけの人が増えた・・・時代によって拾う者有れば落とす者有り。順逆善悪不二。三世不変の人間の本性・・。慈悲=抜苦与楽・・・慈=抜苦・悲=与楽。施無畏・・畏れ無きを施す。(仏)
 不可侵条約はどうでしょう?理想と脅威?抜楽与悲×抜苦与楽 知らない筈はない。それだっていずれは自分に還ってくることも。私たちは 何か大切なことを忘れてしまったように思います。
 ・・・・・おしえてください この世に生きとし生けるものの すべての生命に 限りあるならば 海は死にますか 山は死にますか 風はどうですか 空もそうですか おしえてください・・・・(『防人の詩』:さだまさし)
  【防人】(さきもり)・・古く律令制下(7c~10c)、大陸からの侵入を防ぐ目的で九州北部の沿岸や壱岐・対馬に派遣された兵士。≪防人の歌≫は万葉集第14、20にあります。何も変わっていない。
 
 1274年と1281年に元寇(蒙古襲来)があった。2回とも暴風雨によって日本は守られたという。この史実を、子供たちに教育の中でどのように教えているのでしょうか? 1945年8月15日も然り、オブラートに包んだような伝え方?を今もされているのでしょうか?
 国会での政治資金規正法の論議が当にそうだ。その状況は益々悪化していないでしょうか! 外見をつくろうことに長け、寸足らず見切り発車では どうなるか!周りからの信用を失うことになります。
 (仏)分別智・・・物事がどうなっているかを客観的に調べることなく、「自分はどのように認識しているか?」という考えでしか判断できない状態、虚妄分別。今”綺麗ごとばかり言って・・・”という声が聴こえてくるようではダメだわな!。 これも特権・忖度偏重による当然の帰結(落とし物)ということです。
 *弘見さんが亡くなった。頑固ものだった。まがったことは大嫌いだった。お母さんが亡くなった時、彼が涙を浮かべながら堪えていたのをよく覚えています。

3981:温故知新

 縄文時代(15000年~23000年前)と弥生時代(BC3~AD6)の違い、縄文時代は約1万年続いた、狩猟、採取、漁労、自然の恵み、移動生活。弥生時代はその1/10の長さで約千年と言われます。稲作、定住。多分これらは小学校の社会で教わった。朧げながら小学校の遠足は歩崎の貝塚まで歩いた郊外授業だった。霞ヶ浦湖畔から約2キロほどの台地には、縄文後期の遺跡が至る処に在り遺跡調査をしないと家が建てられない。水田はレンコン生産日本一、咲き誇る蓮花は桃源郷の様。自然の恵み、茨城が日本有数の農業県となったのは、それだけの条件が揃っていた証。
 自然は”感謝”の気持ちを育ててます。”有り難さ”です。いつ頃それが”あたり前”になったのか! 今日の世界の状況を宇宙カレンダーで視れば、明らかに何を優先するかの選択を誤った。自然は嘘をつかないが 人間はそうでない。結局、これが”苦”の因になる。認知症の治療に回想法というものがあるそうです。”ふるきをたずねて新しきを知る”。 未来がどのようになるかは誰も判るまい、我見か離見、その一方に偏り過ぎた時、それを修正するのは自分だ。老いてからの初心、常に今がスタート。
 焦らず 驕らず 諦めずの三無、・・・・未だ木鶏(もっけい)に至らず・・・感謝と自戒の開眼だ・・・。 
 
 【速報】 GHメンバー4名とスタッフ2名 男6人、東京ドームで巨人戦、その晩はドームホテルで御一泊。巨人大勝!喜んだ?悲しんだ?・・・・。suicaで買い物?球場内で現金は使えないとか!それ初めて知りました。翌日 4人が揃ってやってきて土産のお菓子だと手渡された・・・・4人の表情からして満足したことが直ぐにわかった。
 何歳になっても新たな発見は必ず有りますね。それが生きる力となれば良い訳でしょう。悪天の時も仕事を休まず、頑張っている4人、自然と仲間ができた。そこには損得(忖度)計算を感じない。(仏)済度利生。この先人の智慧は、目の前の問題(河)をどうすれば対岸に渡れるか、それも自分だけでなく仲間も揃って渡るためだった。 その方法(方便)がそれぞれで、臨機応変、応病与薬、・・・・・。頭で判っていても使い方を誤ればどうなりますか? 彼らはその事を弁えているんですよ~!

3982:二の舞

 同じ過ちをすることを「二の舞を演じる」と言いますね。「覆轍(ふくてつ)を踏む」も同義、引っ繰り返った車の轍(わだち)=失敗の前例。AI&ネット社会が益々進むとどうなるでしょう。未だ見ぬ世界と言うは易し、・・・・それどころか失敗か成功かさえ判らない時代となることでしょう。それは”人間らしさ”の崩壊と”自分の居場所”の喪失へ突き進むのかもしれません。寄り道できない、余裕の無い状態、その反動が刹那の快楽を競い奪い合う・・・・。
 これが個々人の底に澱みとなっていけば国是を変えることにすら何ら疑義を感じなくなる。その証は”自由”と”平和”の議論を先送りし、自分達のことをああだこうだと騒ぐ”二の舞”を誰一人止めようとしない、否、できないと観える。これぞ「平地人」の私利私欲というのではなかったでしょうか?(柳田國男『遠野物語』序文より)
 
「『ニュースは狩猟型、ドキュメンタリーは農耕型」できるだけ予断を排し、作物を育てるように時間をかけて取材を重ね、想定を超える事実を捉える・・・。(『わたしの居場所』:現代人文社、p15)これは、某プロデュサー(TV)の持論。溢れる情報に 発信側も受信側も感覚マヒ、事実がどうなっているのかわからない。生き残りのためインパクト重視、この流れは収まるどころか激しさを増している。その影響は例外なく,それも想定を超える速さで万象に網羅する。。
 知らぬ存ぜぬ問答手引書で何を獲て何を失ったか?言わずもがな!この辺に今の政治混迷の源がある・・それを長年放置してきた結果が今の態。さ~て何処から変えたら良いか。予断を許し、思い付きの即席二番煎じのドキュメンタリーは誰しもいただけまい。(愚者忙中閑)

3983:さりとても

 ・・・・さりとても・・・・・・。≪人間は努力する限り、迷うものだ。≫≪自分自身を信じてみるだけでいい、きっと、生きる道が見えてくる。≫(ゲーテ)
 この言葉は釈迦の教えと根底において通じています。国や民族、宗教、言葉、風習などが違っても、変わらないものがある。そこで”邂逅”(かいこう)という言葉を和英辞典でひくと”encounter",とあり、更に英英辞典へ”to experience sth,especially sth.unpleasant or difficult,while you are trying to do sth else:"とありました。”sth”という字はナニ?調べて見ました。”something"だと判りました。
 ふり返れば、若気の至りというのでしょうか? 身の程を知らなかった。仏文科に籍を置かせていただき、悪戦苦闘、性分でしょうね。次々に深みに入っていく自分をもう一人の自分が応援(?)する、結果は全戦全敗、悲惨でした。それが今 寺の住職の末席にいて経典と睨めっこ、相手は漢文です。大正新修大蔵経、膨大な量です。右側の書庫に収まっています。空や無、不という一つの字を理解するのも無謀なる挑戦?悉くはね返されます。人智か人知?とんでもない話です。
 ・・・・さりとても・・・・・。これが私の人生、ナマグサでトボトボと寄り道しながら歩いてきました、これからも 仲間たちに怒られながら 宜しくお願いします・・・サンキュウ ベリマッチ! 
 
 人の一生は生きた時間の長短では測れない。その中味ではないか!いま危惧するのは、AI妄信、AIが自律する???自律はカント倫理学の中心概念、”他から支援や助力を受けず、自らの意志で客観的な道徳法則をたて正しく、規制する”(大辞林)。人間の精神活動の知情意をもAIに丸投げするつもりでしょうか?瞑想?迷走? さりとて、戦争景気もあるというのですから、豊かさを最高ランクの目標に掲げるのもどうかと想う。施無畏⇔施畏(仏)。この境界を自由に往来できる”無人機”、ピンポイントで目標を正確に攻撃する。今さら規制できるでしょうか?(核兵器禁止条約の実効性?)
 キイを押せば、疑問に即答する便利さを、誰が何のためにどう利用するか、アナタはそれに対して確信をもって言う事ができますか?ニュースとドキュメンタリーの違いに似ているような気がします。虚構によらず事実の記録に基づくか否かです。それと中道を歩むということ。進化と退化の逆転も因は幻覚エゴイズム。果は自分の居場所がないことに・・・・。

3984:間欠泉

知ってか知らずか良かれと思ったことが 自縄自縛、抜け出すために更に縄を左右上下から幾重にも巻きつける。こうなることを想定し、予め抜け道をつくる用意周到さ、ナニをやっているんだか? 自分たちでつくっておいて説明できない不思議なことに時間をかけ遅くまで・・・・。妥協点、そぐわなければ変えれば良いのか?。費用対効果、働き方改革、生涯現役、等々・・・・新語命名は湯水のごとし、多過ぎて齟齬きたす。
 長期にわたる低投票。ここから、本気になって抜け出そうとする気はなし。これが今のミスマッチ、相も変わらず皆で渡れば怖くない流派の離合集散繰り返す。
 性善説・・・人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、悪の行為はその本性を汚損・隠蔽することから起こるという説。孟子(前372~前289)。 
 
 善悪・公私+○○=けじめ∞→無限大。感覚マヒ、感動劣化・・・美しいもの、すばらしいものに接した時、強い印象を受け、こころ奪われる。それがなくなった深層マンネリズム。不信感は因ではなく結果。(仏)前世⇔現世⇔来世の関係を”因果応報”で説いていますので どうでしょうね。じゃ~”反面教師”? 悪い見本として見習うべき?? それを曲解し・・・誰もがやっている俺も私もゾロゾロと・・・今の状況は当にバザール化、選り取り見取り何でもあり。列をつくらず我先に。掘り出し物を見つけるなど夢のまた夢。
 汚損した切手は無効? 郵便局にいって新しいものと交換してもらえば よいだけ。ルールがあって世の中が成り立つ。是レ法治国家タル所以ナリ。 隠蔽は悪質だ。その影響は無限大、それもルールを創る人達が守らないという最高位の伏魔殿。子どもは大人から学ぶんですよ~! 違いますか・・・!
・・・・ 間欠泉 鬼頭(おにこうべ)・登別   隠しても 欲張り過ぎて 元の木阿弥 ・・・・ 

3985:なんてこった

 7月の東京都知事選挙におもう。
 某調査結果によれば”40代の人たちが関東で移り住みたい県の第一位に茨城県がなったという記事を見つけた。ただ それだけのこと。都知事選になんと50人近い立候補者が出ているという。此処で”なんてこった”!東日本大震災~コロナ禍~次に何が起こってもおかしくはない。格差は今後 益々拡大するだろう。観てください! 煌々とひかる東京の夜景、それが豊かさの象徴?自由?平和? とんでもない。一寸先は闇・・・≪必ず幸福な社会が待っている、と。が、たどり着いたのは、手ごたえのない、充足感の薄い成熟社会だった。≫・・・(『新・幸福論』内山節。新潮選書)
 50人の候補者から1人の知事を選ぶのに どれだけの公費が使われるか?勿論、その費用は都の持ち出し。ある処には有るものだねエ~。地方は過疎化に歯止めがかからず財政難で四苦八苦しているのに、なんてこった! 政治資金規正法の審議は衆議院から参議院に移った。 ・・・≪幸せの諒解に疑問があるから、人は幸せとは何かを考える。≫(上掲本)・・・・諒解の諒は”偽りのない真実”  mmmmm。
 
 ・・「大事なはずの様々なものが遠い存在になっていく。そして自分が直接関われることのなかに人々は埋没していく・・・さらに、直接関われる世界までが遠い存在になっていくことに不安を覚える」(上掲:p26)・・・これを”遠逃現象(えんとうげんしょう)”となづけ、現代世界はこの構造によって支配されていると。そして、考えることを止め”どうでもいい”と考える人々が多くなると指摘する。あたり前のことがどうでもいいとなれば? さあ~て 次に来るものは???
 今日、民主主義の基本が揺らいでいます。元来、ギリシャ都市国家(Bc.8c)に発し、近代市民革命によって一般化した政治原理(権力が社会全体の構成員に合法的に与えられている形態)。立法・行政・司法の3権分立に赤信号、代表者を選ぶ為の選挙に投票する”民”が半数に満たない。その理由が誰に投票してよいか判らない。随分と長い間、この状況が続いています。それに対し、徹底した議論がなされず、無策という危機的状況にあると思えて仕様がない。当に 遠逃現象です。
 ”民”不在の民主主義は有り得ない。
性悪説・・・人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。荀子(前298~前238)が首唱。

3986:二毛作

 二毛作は、日本では鎌倉時代以後に普及したそうです。それが戦後の高度成長の過程で激減したという。生活基盤の衣食住で食に不安があってもそれを改善する気概を感じない。どうなんでしょうね。一次産業の衰退は目に余る。戦後、農地解放や開拓振興によって食糧自給に励んだ当時の勢いは無くなった。”流汗同労”は一麦寮・田村一二先生の教え、今ごろになって 農福連携などを言い出したが 半世紀前にそれを実践した福祉の先駆者がいた。
 今の、”働き方改革”は、どうも腑に落ちない。時代の捉え方と目指す方向がまちまちで何のため、誰のためかの論点がぼやけている。・・・”流汗同労”は苦楽を共にする意・・・共生への道標だ。 その種は、身近にあるということです。福祉も農業も一年を通じてやるべきことは無限大、そこがスッポリ抜け落ちて継ぎ接ぎでは やる前から結果は明らか。
 
 人心が離反していることを知ってか知らずか、急ぎ寄せ集めで作ったものなど直ぐお蔵入り。その場凌ぎ・隠蔽体質は一朝一夕では完成しない、随分、時間と手間が掛かっただろうが無駄骨に終わるかどうかなどお構いなし、とりあえずは10年後。その本意は如何に? 保身 ハッキリそう言えば良いのにな。 
 竿持たず 流れまかせの 渡し船!・・・  労働の喪失、人間性の喪失、自然と人間の関係の喪失、個と類の関係の喪失、・・・・・課題山積  限りなし。この場に及んで≪余の辞書に不可能の文字はない。≫ ・・・二毛作 有り難さより 無関心 獲たものより 失ってわかる 有り難さ・・

3987:もくろみ

 都知事選の告示日(20日)、浜松町駅から歩いて会場まで行く間に大きな立候補者の看板があった。白版に貼ってあったのは未だ4名分だけ、徐々に埋められていくのだろうが、昼時で混雑した舗道、誰一人として足を止め看板を見る人がいない、過去最多の候補者56名、有権者1153万という特別区。これが 今の首都東京の姿だ。都の一年の予算額は、スウエーデンの国家予算に相当するとか? 会議のホテルは前にも何かの会合で来たことを思い出す。周りの景色は、高層ビルが立ち並び大きく変わった。有事の際、都民の命を守れるかどうか、理想と現実の乖離、違和感と不安が両交ぜ。今回の選挙戦はハッキリ言って”お祭り騒ぎ”、本質的・本源的なものはどこにも感じない。
 
 ”ハラスメント”(脅し・威嚇)なる言葉が社会に蔓延し、法と正義、有益か無益か・・・等の議論が噛み合わず、事なかれ主義的な会合が増えた。後味の悪い、無駄な会合はごまんとある。その中でも 知的障害福祉関連の集まりは唯一、新たな人との出会いや発見がある大切なものとなっています。ホンネとタテマエでホンネが出るからでしょうか。今回もそれを感じた。
 ホンネは外見・我見ではハカレナイ、諒解(りょうかい)偽りの無い真実、現身(うつしみ)を飾らず誇らず、人として本質的・本源的な価値を有している人たちの存在が大きい。この実感だと再認識できました。感謝です。