源究199 19

  

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 3491  見え隠れ 12/10   3496  仄々感  12/21  3501  耳を澄ませば・・  12/29  3506  学ぶべき事と・・  1/10
 3492  自粛か緩和? 12/13   3497  地蔵顔  12/23  3502  願わくば  12/31  3507  行動する事・・・ 1/12
 3493  腑に落ちない 12/15   3498  思い出  12/25  3503  2021正月に思う 1/1  3508  考える事・・・ 1/14
 3494  希望 12/17   3499  温度差  12/27  3504  正念場 1/4  3509  望まれる事 1/16
 3495  コメント 12/19   3500  生の充実 12/28  3505  おしゃべり 1/7  3510  夢と現実 1/19


 
見上げたら 

3491:見え隠れ

見上げたら 境内のイチョウとモミジの紅葉乱舞、これら全てが自然の描いたものですね! 葉が落ちる前、誰かに見てもらいたいなどと思わず 強風が吹けば 一瞬にして散れてしまうのに、毎年 繰り返す 。久しぶりに晴れ渡った初冬の空をバックに 艶やかな姿に偶然出逢った。何か得したような気になって、独り苦笑い。無意識に損得勘定してしまう我が身を恥じる、地べたに膝をつき、見上げながらスマホで撮った中の一枚です。
 ”平常心” ”かまえなし” 部屋の壁の至る所に貼ってある文字、これだって 文字自体ではなくて それを書いた方の”こころ”を感じる。全て 私が出逢った恩人の書、時節柄 立場上 冷静さを繕うが 内心は忸怩たるもの、既に黄泉の国に渡った先輩たちの生き様を思い浮かべながら、こころ落ち着かせています。
 落葉は纏めて畑に積み上げ 有機栽培の肥料に、自然と付き合うには それなりの礼儀があると思っています。
 
 
 自分に与えられたキャンパスにどんな絵を描くか?は それぞれです。 視座を変えれば違った思いが浮かぶし、それを私達は無意識に繰り返していると思います。順風満帆、絶頂期など長く続くはずは無い、そう判っていながら、それが途絶えた時の落胆は大きい。坂本九さんが唄った『上を向いて歩こう』『見上げてごらん 夜の星を』 『明日があるさ』など 今でも口ずさむ人が多い。私も そうです。これって 歌が 元気をくれるからでしょうか?九ちゃんは1945年(2才) 常磐線土浦駅列車追突事故で 多くの犠牲者が出た列車にお母さんと一緒に乗り合わせていました。お母さんの実家がある笠間に疎開するために・・・・事故の直前に違う車両に移っていたことで助かった・・・・。1985年 日航機ジャンボ機の大事故が起こった・・・・・42才という年齢でした。 
今でも九ちゃんの人柄が語り継がれています。彼が 土浦で横井さんが始めた「おもちゃ 図書館(トイ ライブラリー)」のTV取材で来られた時に書いてくれた言葉を今も大切に保管してあります。
・・・・【どの花にも 草にも どのおもちゃにも ひとつの いのち】・・・・と (1981・7・14)書いてくれました。

3492:自粛か緩和?

 2日間で121名のスタッフの抗原検査を実施し、全員が陰性ということが判りました。11月頃から土浦市での感染拡大が強まった。今回、県は市内の介護・障害入所型事業所(65か所)での従事者を対象に一斉検査を行ったのです。陰性の結果となりホッとしていますが、私達はここで緩めることなくコロナ対応をして参ります。検査は 業種や地域限定でなく 全ての関係者を対象にできないものでしょうか?ここに 今の日本の混乱の原因があるように思うのです。これが仕方が無いことなのかどうか・・・ 医療崩壊を待っていて良いはずはない。
 自粛か緩和、 この議論は 時間ばかり掛かって決断が遅くなります。しかし ズルズルとやっていては コロナ感染は収まらない。メリハリをつける対策が肝心だと誰もが思っています。昨日の某BSTVで 東京の医師会会長の言葉が、今の医療と行政の温度差をハッキリと示していた。ドイツのメルケル首相の国会で必死に訴える姿は日本のトップとの違いを強く感じました。共に公共の電波を通して流されたのです。見なかった人の為に 再放送で流せば良いと思いました。
 何かが違う。”医療へのお金は3兆円用意しているのに 今までに使われた金額は、その一部? 早くやれと謂っているのに・・・・”と語った。これを逃げと受け止めた視聴者は多い! 日本は誰が責任者なのよ? どうしようもない違和感を感じました。  学術会議委員の選任、桜の問題等々、・・・で 多忙なのでしょうか?
 今 何が最優先かの判断と実行力です ・・・・・・ 。
 仏 作って魂入れず・・・・。 この国の強みであった事が 逆に 弱点となっているように思いました。
 
 
 老境に入るとは こういう事なのか?と 自問自答の日々を送っていますよ。あの時 ああだった こうだったと朧げな記憶を辿って、懐かしむ。郷愁の気持ちも増えた。 過去を変えることはできない。未来を予測することも難しいとなれば 残すは今をどう生きるか? 答えは初めから出ている。誰だって 楽しく健やかに過ごしたいと思うのは当然。これが獲られたら これ以上 望むことはありません。・・・・・・が、本当にそうだろうか? 次から次に欲望が出てきて、こころ穏やかではいられまい。”文明の利器”は 人知がもたらした技術的・物質的所産という。経済状態や技術水準を高度化する為に今まで地球環境に課した負荷は 計り知れず 終わりが無い。それぞれの国が目指す文明社会、この地球の上で実現させようとしてきた歴史。その象徴が 宇宙からみた夜の地球、煌々と明かりが灯る大都市だった。それが 今 ネット上でコロナ感染を示す世界地図に変化、真っ赤に染まる国は感染拡大の目印となっている。
 戦後の日本が歩んできた道は その典型的なモデルだった? 焼け野原から経済発展し、都市化、利便性を掴んだ。そしてやっと気付き始めた、それは生活する環境としては かなりの無理があること。そしてコロナ禍によって牙城が足元から崩れようとしています。 環境汚染に対し本気になってその対策をしてきただろうか? 否、 処分しきれないゴミの山、それに慣れてしまった人間の倫理の欠落。最早 どうしようもない状況に至っていないでしょうか。 ”3密” が盛んに謂われています。しかし眼前の真逆現実を直視する覚悟があるのか否か!。
 ★ 片手にビニール袋を持ち歩いてくる若い男性が飲み干した缶を道端に捨てた。それを偶然 車で擦れ違い見つけた、車を止め 「 あんた! 今何をした! 缶を捨てただろう・・・」「・・・・」「 捨てんじゃないよ いいか!」。「ハイ」と小さな声が聴こえたが、拾わずに行ってしまった。★皆がやっているから・・・・・ もしかしたら 日本人の持っていた倫理観は生活習慣病と化してしまったのかも知れない。★ 夫婦で収監され今裁判中の現職国会議員へ冬のボーナスが支給された。(自粛か緩和か?)もっと怒らないとダメだわな~。

3493:腑に落ちず

 納得できないことを”腑に落ちない”、強めて五臓六腑が煮えかえる、実に判りやすい思いを言葉にした日本語、この基底には六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)思想がある。国民の為と言いながら 実は自分の為。これ ハッキリ言って詐欺メール。(間違った日本語?)イヤ イヤ そうとも言えないでしょう。GO TO キャンペーンだって体をなさずじゃ~ありませんか?何を信じれば良いのか、私には判りません。いつ頃からこんな風になってしまったのかね~?
 真に国民の為と言うのであれば もっと判りやすい日本語を使えば良いはずです。 異論を唱える連中(議員・メデア)が周りから出ない。今の政治はオカシイヨ、違和感持っている人 多いと思うな。
 今のこの国を覆っている暗雲は 相当分厚いと思いますよ。だって 国を導いていくリーダー達が 率先してやっているんじゃないですか?さらに言わせて貰えば 責任を”コロナ”と”経済”にして、自分達の無力を認めようとしない。その証は 責任の取り方ができないことに尽きる。
 言い過ぎですか?
 ”忖度””驕り”の大流行こそが国体を蝕む【基礎疾患】&危険因子ではありませんか?根深く 複雑、且つ巧妙で 除去するのを困難にしている。一億総懺悔。
 ☆諦めない・・・はギブアップ(?)じゃ~ない。現実を明らかにすること諦観・諦視が本来の意味でした。(日本語の妙:同音異義語。)
 
 
 ”糀”という漢字の読み方は”こうじ”です。麹という漢字と同じで 米に花が咲くという姿から日本で作られた国字とのこと、米や豆、麦を蒸して発酵させるためには麹菌が不可欠、造られる味噌、醤油、酒にはそれぞれに特有な菌(カビ)があって、昔から大切にされてきました。この日本文化をもう一度見直してはいかがでしょうか。地産地消というコトバも有りますが、最近は自産自消(じさんじしょう)もチラホラ、将来への危機感が高じて 自分の食するものは 自分でつくると真剣に考えている人も出てきました。大恐慌時代の再来、それと懐古主義の再燃??? 自然の道理を無視し続けた結果 我々は袋小路から出られなくなってしまった?
 考えようでは 当然の帰結でしょう。ウイルスという目に見えない相手に翻弄され、これから人間はどう変われるでしょう?豊かさや便利さにドップリ浸っている間に、私達は自然の摂理のみでなく 人として在るべき倫理をも反故(破棄)してきたのでは無かったでしょうか? カビは どちらかと言えば嫌われものの役を甘受してきたのです。カビ臭いとか汚いと・・・・
 しかし 確とその価値を知る人たちによって 守り続けられてきたのです。
 ・・・・敢えてクレーマーなる中傷に晒されても、それに耐える力は 膝まつき カビ から学ぶ謙虚さかもしれません・・・・

 今 そういった人材が不足している。
 ☆クレーマーとは あら探しではなく 自らの言葉で 苦情を申し立て、言ったことに責任を持つ人。(本来の意味)
 

3494:希望

 情報を遮断すれば不安になり、多過ぎれば混乱を生む。
・・・生きる事をつらいとか 苦しいとか言う前に 野に咲く花ならば 力の限り生きてやれ・・・『大空と大地の中で』、作詞作曲した松山千春が活動する北海道は コロナによって大きく揺らいでいます。その旭川に北海道療育園があり、私は何度か訪れてきました。日本の重症心身障害児(者)施設の草分けとして 我々が目標としてきた療育園が今 コロナ対応で必死に闘っています。もう50年前になりますが夏の合宿で初めて旭川を訪れ、旭岳からトムラウシの十勝連峰を縦走をした時のことを 今でも良く思い出します。日本を代表する観光地が いま訪れる人を規制している。四季折々の自然との触れ合いは 私達のこころをどんなにか癒してくれることか!
 野に咲く花は観光客が去った後のゴミや 立ち入り禁止の高山植物を踏み荒らす常識を弁えない人達をどう感じているでしょう、経済活動の為と地元の人達が大目に見きたことを 知ってか知らずか 悪行は一向に減らない。
 GO TO トラベルについては 全国一斉の停止発表がされました。 今ここで私達が立ち止まって良く考えるべきことは どんな事なのでしょうか?
 ≪禊(みそぎ)≫でしょうか!海や川の水で己の体を清め、罪や穢れを洗い流す。人智のおよばぬことなれば 自然や他の生き物から学ぶことしかありません。それと 生きづらさを感じているのは決して人間だけでないことも ・・・・。その核心さえ見誤らなければ 良いのですが? 希望を持ちましょうよ。療育園の中で 体にいくつものチューブをつけながら頑張っている子供たち、 毎年、道路に花壇を作り 地域の人達と一緒に生きることを実践する従事者の方々の姿は まさに 力の限り生きてやれ!ということを教えてくれます。
 
 大阪や旭川が医療崩壊の危機に陥り、全国から医療スタッフの応援を頼んだ。結果 大阪では 予定した看護師さんが集まったそうです。凄いことです。一緒に頑張ろうと。
 そのニュース番組で 総理の会食のことが流れた。≪なぜ? 今 こんな時に・・・≫恐らく ニュースをみた人達全員が感じたに違いない。3週間が勝負!不要不急の外出の自粛!・・・・・。何ですかこれは、開いた口が閉まらない。 一番危機感がないのは その人達ではないか! さらに同席した与党幹部のコメントは 正直恥ずかしく思った・・・・・・。数の驕りそのもの。目を覚まし国民がもっと怒らなければ・・・・・・。
 もしこれが偽らざる 今の実態としたら。リスクに対し、自らの使命を果たそうと果敢に立ち向かっている人達がいる一方で 高額なボーナスを皆で貰った 誰一人からその事に触れることが無い・・・・・ その額(300万?400万?)と比べ 休業を余儀なくされた人達への給付金の違い。
❣アッツ・・・・地震だ。4時42分 震度4。震源 茨城県南部。❣
 昨日からの記録的な大雪、取り残された人たちの救出に、自衛隊に出動要請が出ている。 あの方達は、これも知らなかったと秘書の所為にするのであろうか?政治屋でなく政治家の先人たちが 今の永田町のモラル低下を どう思っているだろうか?危機管理の先頭に立つべき人間が誰なのか 肝心なことが見えてこない。
 希望は 思いつきでは生まれない。

3495:コメント

  浮遊し続けるこころ無きコメント、一体、何を信じて良いのか判りません、そして、勝手気ままに皆が行動すれば どうなるか それは自明の理。共生とは 共に感じることから始まると私は教わった。 日本がコロナ対応で他国と比べ上手くいっているという人もいるが それはどうでしょう? 口に指を銜えて待つようなものではないだろうか? 連日、医療や介護現場の皆さんが昼夜を問わず必死な努力が有ればこそだ、 それも限界に近づいている。
 自助・共助・公助の自論を述べスタートして菅政権が3カ月経過した。個人的には 気の毒に思うこともあります。前総理の病気による突然の辞任によって急遽その後を引き受けた訳でしょう。心中穏やかでない3カ月だったと思う。内外からの容赦ない攻撃、その対応が後手後手となり、方針が揺らいだ。 ホンネを言えば 全て前政権の遣り残した後始末だ・・・・・と言いたいか。
 貴方が党内で無派閥でいたことは 知っている 貴方が政治を志すに至った”原点”は何だった? 陰で画策する連中が多い世界 信念を貫き、やり通すのは・・・・・・・・共感する仲間がいるからできる。 コロナ対策と様々な改革を同時に行うには今は無理。直面する最大の問題に全力投球する姿を見せて欲しい。貴方がまことの政治家になれるか否か、政権の長さでは無く蔓延した隠蔽と忖度と責任転嫁の体質を踏襲しない実践です。。
☆源信の母の我が子への箴言・・・≪後の世を渡す橋とぞ思ひしに  世渡る僧となるぞ悲しき  まことの求道者となり給へ≫☆
 
 有事に炙り出される不祥事は 今まで隠れて表に出なかったことが多い。それは何らかの心境の変化? 恐れ忖度していた相手より もっと大きな存在(神・仏?)にすがるしか無くなって、胸の奥にしまっていた事を罪と感じるからかもしれません。告発は懺悔か?・・・・・世界各地で行われている聖地への巡礼! 神仏の前で膝ま付き曝け出し、救いを求める。一回だけでなく 繰り返し巡礼が続けられる。
 中には 家財道具を持ち一年以上もかけて五体投地しながら巡礼する人もいる。(チベット)
 この国はどうだろう? 果たして普段の生活の中に宗教が生きているだろうか? それもコロナ禍によって どう変わるのか判らない。一人ひとりの問題だから・・・・・・。今は身近に手を合せる場が減っている?
 短絡的信仰、 八百万(やおよろず)の神仏信仰によって競合(?)が起きただろうか。 今日風に言えば宗教界のM&A感覚にも通底する???? この国の宗教は寧ろ枝分かれ現象として顕在化する。
 自分が感染するんじゃないか或いは相手にうつしてしまうのではないかと不安を持ちながら在宅診療を続ける若い医師の姿は 巡礼者の如く思えた。
 
 

3496:仄々(ほのぼの)感

 この正月は果たして外出をせず 静かに新年を迎える人がどれくらいの割合になるだろうか? メデアが取り上げる巷の悲喜交々の表情、これだって編集の仕方で どのようにもなってしまう。怖い時代ですね~!
 心がほのかに温まるようなもの探し、それも身の回りに在って気付かずにいたこと。この際だから それに挑戦してみたらどうかな~。コロナ騒ぎが収束すれば 景気が戻るとの見通しを政府が発表しても 心底 信じる人はいまい。希望だわな 、それとも祈望?
 だってそうだよな! 懲りずにまた同じ事を繰り返すことになりかねない。ペンキを塗り重ねるようなものでしょう。骨組みが腐っていて そこを直さずだとしたら余計酷くなるでしょうが。
 この際、骨組みを良く調べるべきなんですよ。国を建物に例えれば仕組みや制度が骨組み、それを支える人間は・・・・?実は判らない。
 その兆候は人々が”仄々感”を見失ったことに現れていたと思うのですが今日の価値観で測る術がなかった。これ当に現実。仏教的には”無”や”空”を蔑ろにしてきたことの弊害かと思うのですよ。正直、その根拠は無い。
な~んだ 意味ないじゃ~ないか❣ と言われてお終い。でもねえ~ じゃ~意味って何よ??? 価値は金銭だけでは有りません。(ナマグサ談義)
 
 ”働く”ことには二つの意味があるという。”稼ぐ”と”つとめ”です。それがコロナ禍によって 大きく揺れている。離職率の上昇傾向が止まらず、”稼ぐ”手段を失った人の数、調査集計が間に合わず連日発表されるコロナ感染状況に隠れ 実態が掴めない。
 私の住む地域でも 一年前と状況は変わった。同時に7~8件の新築工事、建築ラッシュの様相だった。完成し 販売する段になり、売れ行きに暗雲? 借金してまで住宅を求め 子供の教育や仕事の将来への不安が増している中で躊躇している? それと稼ぐために 付き走ることに 矛盾を感じ始めているのも事実? じゃ~もう一方の”つとめ”はどうだろう?こちらには別の意味がある。義務、勤行、・・・・・など。
 それらを上手く満たすような”働き”が 果たして見つかるか!国が言う働き方改革とは微妙に異なる。これを整理しないと 改善でなく改悪になるかもしれません。
 そこに”仄々感”の価値が見えてくる。・・・・・と思うのですが ここを熟考する絶好のチャンス 梯子に登って 背伸びするようなことでは 覚束ない。

3497:地蔵顔

 


 帽子に前掛け新たになって 柔和かお・・・・・神宮寺本堂前の枝垂桜、その根本に いつも変わらず立っている。年に一度の衣替え、気に入ったのか いつにも増して微笑んで 皆の幸せ祈ってる。
 多くの佛菩薩がいる中でもっとも似合う石仏は、お地蔵さん。
 人と関わる生業で、テレワークは馴染まない。 温もりや優しさと触れ合って初めて人は心が動くもの、その価値が認められてこそ 真の国家の礎となる。 損得計算が度を越して、獲たものは何ですか?
 と尋ねたら ニコニコ顔で黙ってた。
 
 やけに疲れを感じた時、貴方に会うと癒される。どうしてですか? と尋ねたら 貴方は黙って微笑んだ。
 こんなに自然豊かな国に育って 私達はどんなにか恵まれているか 今こそ良く考えないと 今よりもっと笑顔が消えますよ・・・・・と 黙して語らず!
 貴方を見ていると 見栄をはり背伸びして 貴方の良い所が隠れてしまうよと言われているように感じます。
 思い遣りは 分かち合うこと 自分さえ良ければ救われると謂った処で 出来ないのは、判り切った事でしょう。
  越後の国上山の五合庵に隠棲し 念じたことは? 今ごろは 深く積もった雪の中、囲炉裏を暖に じっと春を待つ良寛和尚に会って話を聴きたいが 今はなし。良寛さんは地蔵菩薩に瓜二つ。
アーカイブ版・・・源究41・・・・
  

3498:思い出

 昭和12年生まれ、6才の時に母親と妹・弟と4人が、東京からお祖母ちゃんの実家のある茨城に疎開、そこで父親の戦死を知らされた。その時、6才だったご長男が83才で亡くなり、両親の眠る墓に入ることになった。
 疎開した昭和18年、日本がどういう状況に置かれていたか それを語れる方がまた一人この国からいなくなった。 今のようなコロナに罹っても大した事はないと自分勝手に振舞う若者(?)は戦時中、いなかった。どうしてこのようになってしまったのだろう?
 この緊急時、国民には自粛を要請していながら、自分は会食会 謝罪して済む話だろうか。前任者は秘書に責任を負わせ 自分は知らなかったと。もし これでシャンシャンとなるのであれば この国の将来は限り無く暗い。もしも、有事に際し国民がどうするかを示せない政権であるなら 勝手気儘な行為に 何も言えまい。明らかに自由と権利を思い違いしている。義務を果たさずして 何が自由か!逆に なぜそれが悪いの?という者が増えているという。共生・共感が空しくなる。
 今の日本で気骨ある政治家が出てこないのがもどかしい。。
 国の為に命を落とした人達、遺していく妻や子の行く末をどんなに心配したことだろう、戦死した父の思い出を忘れず、生きる支えにして家族仲良く生きた人達を私は何人も今までに見送った。
 
 
 ≪親子の年の差は いくつになっても変わらないから・・・≫ いつ どこで謂われたのか 思い出せないが オヤジが私に謂った言葉です。あたり前と思って その時は受け流したと思う。この頃 その意味を重く感じていますね。オヤジは自分が一歳2か月の時に父親(27才)を亡くし、自分は長男尚一を9才で事故で亡くした、今の仕事を どんな思いで始めたか? 今となっては 確かめる術はなく、 微かな記憶を辿りながらの憶測にすぎない。
 自問自答しながら 焦らずゆっくり歩むことを心がけています。
 境内の落葉、掃いている傍から直ぐに落ちてくる、皆に手伝ってもらい 一日で綺麗になりました。ありがとう!
 気のせいか 道端に捨てられたゴミも少なくなったように思います。地域の皆さん ありがとう!  

3499:温度差

 園では 利用者と職員全員が 毎日2回の検温を欠かさず行っています。日本から体温計が一時全く姿を消してしまった、今は 薬局やネットでも凄い数が売られています、マスクや消毒薬も同じです。ただ、肝心な感染拡大は 一向に収まる兆しがない。今度は変異したウイルスの感染が新たな問題となっています。、いつまで続くかコロナとの闘い? with コロナというけれど 医療現場の実態をみれば そんな事は言っていられまい。
 どうして日本では自粛要請が功を奏しなくなったのでしょうか。恐らく これは国民の不満が限界に達してしまったからではないかと思ってしまいます? 勿論、決して良いことではない。そして、一人ひとりの問題でもあります。
昨日の前総理の記者会見をみて 誰もが感じたことは何だったか? そして、本日衆参両議院にて本人からの申し出によって説明の場が用意された。約1時間の質疑では余計 火に油を注ぐ結果となった感は否めない。権力の上に長くいれば 庶民の感覚が分からなくなるというが この温度差を測れる体温計は いつになれば 我々 庶民の手に届くのでしょうか。まさに国会の非常事態ですよ。まったく どうしようもない。
 
 議論が嚙み合わず、上滑り、これがこの国の国会の実態である。 一方的な謝罪、これで本当に説明責任が果たせたと思っているのだろうか??? いつ頃からか この傾向が酷くなった。権力を自分の利に使うことを特権と勘違い、やりたい放題、政治家やメデアで異を唱える者を冷遇する。ここまで政治が歪曲・劣化すれば どうなるか???その諸悪の根源は権力を内閣に集中させたことにあり、これによって モノが言えない政治と化し、例の”忖度”が永田町や霞が関に蔓延し全国に拡がった。国の中枢がこれだから 責任の取り方まで変えてしまった。
 昨日の国会中継一コマ
 「有権者への利益供与・・・云々」の話が出て、これに何と答えたと思いますか?「利益を供与して 選挙で当選しなければならない立場で全くない」(25日 衆院議院運営委員会)と自らの連続9期の圧倒的勝利の実績を語った。その一部始終が全国にTVで生中継された。 
  呆れてしまった。 自分はあなた達とは育った環境が違うとでも・・・・・この人の本質をみた思いです。こともあろうにコロナ騒動の最中に。

3500:生の充実

 全国を行脚し 権力者の不正や官憲の横暴を諫言するご意見番は今は無し。それどころか 本人がどこにいるのか所在不明で秘書まかせ、選挙になれば地元に顔を出し ”国民の為に その責任を果たします”が常套語、早く 本来の姿に戻って頂きたい。不渡り手形を乱発するのは出来ても自ら責任をとるのが出来ないバランス欠如 もう充分だ!潔くバッチを外し 野に下るべし。「必要火急」の国民の生命維持に待ったは効かない。現実は想像以上に厳しい、 そのような人を祭り上げるような余力はこの国には有りません。。
 あああ・・・願わくば 全てが悪夢であって欲しい。 底無しの欲望で失ったものは 何だったか? それは ≪信頼できる人間関係、安心できる場所、地域の生活空間、なじみの店、医療や介護の体制、公共交通、大切な書物や音楽、安心できる街路、四季の風景、澄んだ大気、大切な思い出≫・・・という。(佐伯啓思: 「異論のススメ」)
  でも 今から元に戻すには自らが築いた壁が高すぎる。
   それ故に 今が最大且つ最後のチャンスだと 思わずにいられません。
 
 
 ≪物事にはすべて適切な大きさや程度があり、無限の拡大がよいわけではない、という実に当然の考えを忘れてしまった。≫(上掲)
往々に 大きくなって 失ったものの中で  本来の有るべき姿を見失ったことは致命傷。それを認めず 突き進み続けた結果、私達が考えたことが複雑になり過ぎて 統制が効かない所まで来てしまった。今回のコロナ騒動はその隙間を狙われた。要は強みと思っていたことが実は弱点だったということではないでしょうか?口先だけの請負の当然の帰結だと認めない それには何かがあるのだろう。個の問題として。
 記憶は曖昧なものです。それを巧みに利用する人もあり、結局は 長年かかって築いた信頼関係を一瞬にして損なう。こうやって現代版の”裸の王様”が量産される。『裸の王様』はデンマークの童話作家アンデルセンが1837年翻案し発表された寓話。 その1837年はイギリスで産業革命が起こった年と同じ、偶然か必然か?
 

3501:耳を澄ませば・・

  冬・・・草木や動物は負担を出来るだけ軽くし、ジッとして春を待つ。私達は何の為に夜中、煌々と明かりを灯し、眠りにつくのだろう? この疑問に 実は答えられない。その間に どれだけの電気を使用しているか??? 更にはGDPにとってどうなんでしょう???関心が移らふ。
 言い訳に苦慮しながら、止めようとしない。公式には利便性それと防犯の為? 近年、こういった環境に適応できない人も増えている。
 耳を澄ませば いつだって 自然からの声が聴こえるでしょう。態々 電車に乗ってイヤフォンを耳に付けて聴くこともないのにね、これだって皆がそうしているから。
我が家のミイちゃん、何故か昼夜逆転、この寒い夜 外に出て動き回っているらしい。体いっぱいに枯草を付け朝方に帰ってくる。そして私を見つけ 泣き始める。
彼の鳴き声が『ごは~ん ゴハ~ン・・・』と聞こえる。食事をあげると『フニャフニャ』とか言って一気に食べ終わり やっと寝始める。時時 体を揺すってやると 実に迷惑な顔をする。度を越して 何度噛まれたことか。
 私は いつ頃からだったか ラジオを聴きながら寝る習慣になった。大差は無いと思うか 思わないか??今度は 私がミイに答える番である。
 
 人々が やっと感じ始めたかもしれない。 私 ≪度を越したかな~!≫ ミイ≪何をニャ?≫ 私 ≪全てかな~?≫ ミイ ≪バ~カ!≫
  残念ながら 周りを見回しても良い加減を測る物差しがありません。お釈迦様の教えを借りれば欲望と妄執をコントロールする物差しですよ。迷いや苦の根源と悟った。2500年前から 今に至るまで 未解決の儘で続いている。
 当に現在進行形!!都会の 飼い猫達は 家の中での自粛を余儀なくされ、エサはご主人様が用意してくれる。ワンちゃんは 更に厳しく 散歩以外に外を歩けず 紐つきでの散歩が条件。運動不足による肥満対策のため 食事も低カロリー 塩分少な目の商品が店頭に並んでる
 もし、どうだろう 自分に置き換えたら、人間は愚かなことを止めず、これからも 勝手な言い訳を考え続けるかもしれない・・・・・・。
 そうそう その物差しだけれど 株がありますかね? 株価の上下に一喜一憂し、儲けた、損した。人間位ですよ それは 自称、特権階級者たちのルーレット 、どこからか≪ba~ka≫という声が聴こえます。
 こういった事は 産業革命後に加速された。真理は 人間一人では生きられない。
唯我独尊を誤訳し、我が一番と自惚れと思われるていることも否めない。本来の意味は 一人では生きていけない 命の尊さ。そのために こうしなさいという生き方に通じるのですが・・・・。
 

3502:願わくば

憶測が飛び交う令和2年も残り2日となりました。振り返れば、全てのことがコロナと絡み合う。久しぶりに札幌の恩師に電話をかける。≪生きていますか?≫≪・・・・・どちらさんでしょう?≫≪・・・・・茨城の住田で~す≫≪おおお・・・そうか≫ ≪あと2年はかかるな!≫≪何がですか?≫≪コロナさ≫・・・・・・。声を聴くと 何故か元気がでる。
 北海道はいつもとは全く違う一年となった。冬の厳しさはこれからが本番、旭川はどうしただろう?落ち着いてきたかどうか???近年 何度か北海道に行きました。去年、恩師たちの生の声を録音した。
 やっておいて良かった。福祉事業者があっという間に増えたこの国で、モノづくりはお手の物、だが造ったは良いが人材が集まらず、この片手落ちの弊害は一向に止まらず、まったく 先が読めません。何せ 日本は子供が減る先進国、将来の担い手が無ければ どうなるか?自明の理。物事には すべて適正な大きさや程度があるという。ある時期から 福祉政策も方向が変わった?機能を多く持った大規模化を薦める。それが不要とは謂わない、できる方ばやれば良し(市場原理)・・・・けれど上手く馴染まない。人間の幸せは一様でないからです。目が届かなければ 無駄が出る。
 今年1年を締めくくる言葉として 何があるだろう?・・・・今の大事は 不要不急と必要火急の競合社会、どんなに便利な世の中になっても 一人ひとりの命は尊い・・・これが”唯我独尊”と釈迦が願ったことですね。
 某国の○○ファーストは どうだろう。考えがどこかコロナと通底するように思えてしまう。覇権国家か覇権される属国か 互いの立場になれば どうでしょう。

3503:2021正月に思う

 西高東低、正月2日間、関東地方は快晴に恵まれました。方や日本海側は記録的な大雪、人々の雪との闘いは想像を超えるものです。NHKのBS放送ペシャルで日本列島の成立ちを見ました。日本列島が大陸から分離したのが約3000万年前、プレートのぶつかり合いによって起こったと謂われます。
 地殻変動は人智の及ばぬ謎 それが地球上では経済の動向に血眼になり 冷静さを失った? 大切なものが ドンドン遠のいていくように感じるのです。
   いま地球上で起こっている変化を直視することを私達は避けていないでしょうか。自国第一、覇権国家、・・・・指導者は自らの独裁を標榜、  長年かけて創り上げたルールを無視、それを良しとした暴力的行動をも是認する有様です。 このまま行くと混乱が益々地球規模で拡大し、過去と同じ過ちを繰り返すことになりかねない・・・・・これが悪夢です。
 コロナ禍は このような状況に対し猛省を促す罰(制裁)だと考えたら どうでしょう。自粛には そういった意味が含まれると思います。 自分達は罹っても軽くすむという噂を鵜呑みにし、真逆の言動を続けることを誇るような人々がいる。 それを ”こうして欲しい”という”自粛要請”しかできない日本、 これを変えようとすれば出来る権限を付与されている人達が 何故か説明も議論も消極的?国民の我慢は極限に達していないでしょうか?
 必要火急を理解せず”権利””自由”ばかりを追いかける国の末路は 決して明るくは無いと思います。

 六道=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天。肝心なのは6番目の”天”の解釈です。六道輪廻とは、そこから抜け出すことが解脱(成仏)、何故”天”を入れているのか???と 疑問に思いませんか。 天の世界にも”天人五衰”ということが説かれます。(参考:三島由紀夫:『豊穣の海』第5巻など)
 新年早々から 夢の無い話かもしれません。 ・・・・・・でも真理です! 私からのお願いがあります。
ご一緒に、小さな光を見つけたいと想う方を 大歓迎します。
  
 
  いつも浮かぶ言葉は、『この子らを 世の光に』という糸賀一雄先生の教えです。先生は熱心なクリスチャン、私は寺に生まれいずれお寺の跡を継ぐだろうと周囲より思われていたように思います。それから もう50年以上が経ちました。あっという間のことと思っています。悩みながら確信したことは 世の中に様々な宗教がありますが そこには共通するものがあるという事です。それが”光”、希望と謂っても良いでしょう。
 光に強弱、希望には大小があるように、決して一様ではありません。これが 現実です。その差を減じ、繫ぎ留めるものが”共生”の考え方だと私は思っています。最初から無理だと投げてしまうのではなく その原因と向き合い 明らかにしていくこと、これが仏教でいう諦観(四諦)、そこに実践(八正道)が伴って初めて通じ合えることと思います。
 現代社会は”大衆迎合 紙一重の危険”と謂われます。簡単に謂えば≪皆がやっているからという理由で何が正しいかを考えずに行動してしまう危険”です。是非判断の根拠として歴史や先人達の教えから私達は謙虚に学ぶべきですね。
 我々が 長寿を心から喜べず 片隅で申し訳ないように生きることしかできないとすれば この国は明らかに誤った道(光無き未来)、これは”天人五衰”と謂わざるを得ません。それで良いのでしょうか!

3504:正念場

 明らかに変わったことは、モノが豊富になり、便利になったこと、これを疑う人はいないと思いますが 本当に良かったのでしょうか? 一概にそうとは言えないかもしれませんよ。
 私は1950年生まれです。終戦後5年が経過した年でした、朧げな記憶を辿ると、世の中が随分変わったな~と思いますね。「君たちは 良い時代に生まれた。それに感謝しないとダメだよ」と良く言われた。今になって浮かぶのは あの頃はどの家も風呂とトイレは外にありましたからね。どうやって風呂に入ったのか???建付けの悪いお風呂だったこと、薪で沸かし、トタン屋根の間から星が見えた。板壁の隙間から冷たい風、薪の煙、薄暗い裸電球が一つ・・そんな光景がスライドショーのごとく浮かんできます。
  当時、まだテレビが無かったから ご近所で早く買った家に友達と一緒に行って見せてもらったんだよな。
 今 そんな話をしても通じないし、その家の方も良く見せてくれたもんだと感心します。  何処かが今とは違うんだよな~。
 それって”共に生きる”地域があったということじゃ~ないの?
 懐かしむのは昔には戻れないと私が考えているからかもしれません。貴方は どうでしょう 余計な話だと思いますか!!!?だったら、これだけは伝えたいという何かをお持ちでしょうか?環境によって 人は変わり、人は人によって心動かされ それを生涯の支えとすることもあると思うんだわな。コロナの騒ぎが収まったら  遊戯笑語し、諂誑詐欺して空しく日を過ぐそんな人生を選びますか? 正念場かな~。(ex::覚鑁))
 
 藪から棒に、またしても 密厳院発露懺悔ノ文の一節が浮かぶ、それは驚くべき先見性を持ち、覚鑁の生きた平安末期の世と現代と余り変わっていない事を気づかされるからですね。 疫病感染は 日本の1000年の歴史の中でさえ何度か起こっていたというのです。
  ウイルスは いつの世にも存在していた証、これから先も消えて無くなることはないでしょう。疫病の流行に 必死に闘ってきた人類の生き様(with 疫病)があったのです。どのように環境が変わっても その環境に合わせ生きていかなければならない、これは 地球上の全ての生物の宿命ですよ。それが近代を境にして自然環境の悪化がドンドン早まっている。このことは周知の事実にも拘らず、認めようとせず、その対策に本気に取り組む様子がない。
  派手な未来志向や先端技術への開発欲に隠れ、人類が歩んできた歴史が、ややもすれば軽視され、関心が薄れているように思えて仕様がない。その結果、刹那的、功利主義に偏り、目先の快楽を皆が奪い合うようになっていないか。その実態を挙げれば切りがありません。
  此処までは 前段! ここで止まっている。開闢精神の劣化は 先進諸国から始まると・・・先ずは 懺悔、そして 新生へ 正念場。
 ≪何ぞこの山を、惜しみ申すべき、はや開闢し給へ≫(白髭)

3505:おしゃべり

 今までの生活スタイルを見直そうという動きが生まれています。当たり前と思っていたことが 実は そうでは無かったことに気付いたのです、私達が住んでいる場所が人にやさしいものであったかどうか?・・・・・コンピューターを駆使して多様な働き方が生まれてきました。私もオンラインによる会議を何度か経験しましたが どうしても違和感を持ってしまいます。
 今朝のラジオ深夜便で山形大学で看護学を学ぶ小林ひかりさんの話を聴きました。直ぐにメモした言葉が二つ有ります。①生まれ変わるなら生きているうちに。②いつも笑っている人は陰で泣いているかもしれない。自らが小さい時から周りの音や人に敏感に反応してしまい、その事で生き辛さを感じてきたことを赤裸々に語った彼女の勇気に驚きました。 今謂われている三密は 人と人の接点をなるべく減らそうとするものです。それはコロナ感染を防ぐため、でも現実の社会に於いて 様々な理由で人と上手く接することが出来ない人が沢山います、悩みや不安をだれにも相談できずに苦しんでいる人達の急増は社会問題となっています。その当事者として彼女が語った言葉の①はアルコール依存症の母親が通院している心療内科のドクターの言葉でした。生きていれば 何度も生まれ変われる機会がある。通院から帰るといつも笑顔が戻った母親から聞いたというものです。それと ②は”敏感しすぎる”私だから 寄り添える (明日へのことば)の中で これからどういうことをやりたいですかとアンカーに尋ねられ語った彼女自身が大切にしている言葉、まさに逆転の発想、前向きな生き方への出口です。私は、そこに真に迫るものを感じました。
 普段、何気ないおしゃべりができる人が傍にいることがどういうことなのか 今、新たに、その重要さを私達に気付かせてくれていると思いました。(詳細・NHKラジオ深夜便『 明日へのことば アーカイブ版』をお勧めします。)
 
 私達は 自分の弱点や逆境にどう向き合って生きてゆけば良いのでしょうか?多くの人々が そこから脱した体験を意識せずとも持っています(四諦)。偶然出会った人や何気ないおしゃべりから、はたと気付いた経験が有ると思います。(入我我入)
 それは ひょっとしたら其の人だけのものかもしれません。
 人類の歴史からすれば いま起こっていることと似たようなことが 数え切れない程過去にあって それを乗り越えてきた先人がいたから 今こうして私達はいられるのでしょう。これは 現実であり感謝であり真実です。
 だったら 外聞や言い訳を考える前に私達が いま やるべきことが有るはずですね。コロナは人を差別しないということを どのように考えれば良いのかでしょうね。 おそらくは コロナ自身で 『もうこれ位にして お暇しようか』とは ならないでしょうから。
 

3506:学ぶべき事と・・・

一日に25万人以上の新たなコロナ感染者を出しているアメリカで 信じられない事が起こっている。他国のことだと高みの見物をしていられるでしょうか? 日本の国会で、もしあのような事が起こればと考えると”非常事態”です。それも 現職の大統領を支持する人達がです。死者も出たという、これをどう収めようとするのでしょう。ルール無き個人主義、根拠なき自由・平等と化してしまった?・・・・ そこから私達は一体何を学ぶことができるでしょうか?
 一連の動きに SNSという現代社会で不可欠となった”道具”が利用されたのは明らかです。ツールも使い方次第で 武器にもなると言う証ではないでしょうか?
 気が付けば コロナと全く同じです 地球上を自由に動き回り 隙を狙って侵入するという厄介もの。遠隔から大衆の扇動も迎合も容易に行える。便利さと不安が紙一重の危機。
 日本も、こうしている間にも予想を遥かに超える早さで感染は拡大している、昨日の全国感染者が7,800名を超え、政府は非常事態宣言を発出した、夕方そのニュースで持ち切りとなりました。宣言の対象となった1都3県の感染者合計が全国の過半数を超えている、果たして一カ月という期間で収まるでしょうか? 一挙に拡大する感染に担当大臣の忙忙しい動きを横目に 他の議員たちの言動が漏れ伝わって来ます。ここに至って、自分達の選挙への影響を気にしている。今の日本で 核となる「正」の担い手の姿は一向に見えていない。
 今の永田町こそ非常事態の発出が必要火急ではないのか。 
 
 厄介なことは 今回のコロナウイルスの特殊性、各国の対応は様々、予測できない状態が1年続いている、少し収まると規制を緩和し そしてまた感染拡大を繰り返す。その間にウイルスそのものが変異し一向に不安は払拭されない。
 【隗より始めよ】この故事を出すまでもないのだろうが、一国を統治する者は、先ず自ら範を示せという先人の教えだ。・・・・身口意の業、常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す・・・・やっている事と言っている事と考えている事がバラバラなことを戒めた。  知ってか知らずか、上が守らなければ民衆は従うことをしない。
 今の状況は長年積み上げてきた土台の上で起こっている現実、今更という思いは国民誰しもが持っているが諦めている場合じゃない。
 国会審議を見ていると実に虚しい。政治家は自らの使命を反故した言動が目立つ、使途不明金とウイルスとの共通点は不透明さ。政党助成金などは、節度無き今の政治の元凶ではないか、先ずこの悪業(言い逃れ)の温床を断ち切れと言いたい。これは国民投票など不要な貴方たちが今やれば出来る事でしょう。これなくして信頼を得るなど有り得ない。幼き子供でさえ分かる道理です。
現職議員一人ひとりが国民の血税を なんと考えるかである!既に遅きに失した感は否めないが歴史を学び一から出直すしかない。・・・西人之を称して血税とす。その生血を以て国に報ずるの謂なり・・・明治5 太政官告論。「徴兵。」命を懸けた使命を血税といった。働き方改革 言うは易い。それなら現場を離れず昼夜を問わず働いているエッセンシャルワーカー(医療従事者や介護職など)の人々によって ギリギリの処で持ちこたえられていることをこの国はどうしようとしているのだろうか。 

3507:行動する事

 只管打坐・一心称名・同行二人・脚下照顧・・・4字仏教語が次々に浮かぶ。これらに共通することは”ひたすら”が裏付け、修行の基本と謂われています。何とま~現実はそれとは真逆の様相を呈していることか!誰もが認めざるを得まい。世間をどうのこうのと論んじても何も変わらず、無力感と虚しさだけが遺ります。仏教の教えでおさえて置かなければならないことに”自行””化他”があり、先ずは自行を専修し、化他や利他はその後と自戒する。
 エイヤー!一か八か 「根拠のない自信」でやっては見たが 案の定 上手くいかない。誰も似た経験はもっている。要は その経験を後に生かせるか否か?この分れ目はどこにあると思いますか?
 失敗を隠そうとするか言い訳するかでしょうかね。そこに”ひたすら”という言葉が意味をもつんだわな。
 失敗は隠そうとすればするほど膨れ深みに嵌まるもの、心して只管 歩むべし。。。。。これみな 先人の教えなり。 エイヤーッ・・・・・!
 
 我が息子に≪世渡る僧となるぞ悲しき≫と諫めた母の思いは???≪私は 貴方が 名声や地位を獲ようと 修行する事を願ったのではない≫と叱った、只管修行することを戒めているのではない。何の為にという目的の誤りを諭したのです。それを受けて一切の要職から身を引き、横川に籠もったのが、世にいう『横川の僧都』(源氏物語)のモデルとなる源信です。『往生要集』を著し、後の法然や親鸞へ大きな影響を及ぼした人物です。以心伝心・・・心をもって心を伝える・・・・母も子も凄いですよ。ムヒカ元ウルグアイ大統領の言葉を思い出す。”真のリーダーはどれだけ多くのことを行ったかではなく 自分より優る人をどれだけ多く育てたかである。” これは化他に通じる生き様です。大統領を辞した後が素晴らしい方です。≪後の世を渡す橋となれ!≫(源信ノ母)其のものでしょうね。
誰しも思いを実行に移すには 心が動いてこそ 為しうることだと思います。コロナ禍は 我々に それに気付きなさいと教えているのではないでしょうか!是れ無くしてポスト コロナの社会の有り様 は創り得ないと思いませんか?人類が 前向きに未来を生きる大事でしょう。
 それに人生の引き際の妙、 いつの間に 随分と様変わりしてしまったように思います。人の評価は一瞬にして変わるものです。
 

3508:考える事

 考える事をしない人はいないとしても知らない人は多いはずですね。理解の深浅は有って当たり前、いつも早とちりして間違う人がいれば 熟慮(?)を重ねるばかりで、一向に行動に移せない人もある。
 いつの世にも「有事」を現実から目をそらす 内政の道具に使われることがある、妙手が打てなくて評価が下がる指導者も大勢いる。でも どっちつかずの人が一番困る。失敗を恐れるあまり 言い訳に終始していれば 結果は明らか、進退の決断、責任の取り方、それによって その人の真価がわかるという、今日ほど それに類する事象(見本)が目立つ時代は無かったかもしれない。
 SNS時代になって議論の仕方が様変わりしていると思いますね。相手と画面を通して話をするオンライン会議、メリットとデメリットの両面あって それを補う機能が足りない。こうなったのは止むを得ない理由からで 今後に期待!ただ それに頼り過ぎてもどうなのか。自由な競争の壁を低くしたのは良いとして 倫理の壁も低くなるとは想定外?
 障害があれば それを補完する機能(免疫)が働く、その人自身が難しければ 補装具や補助者がついてカバーする。生物や植物の進化もそういったメカニズムで成り立ち、ウイルスの変異も同じかも?
 だが肝心な人間は どうだろう。自国第1主義は 有事に馴染まないことを学んだか。
★ アウシュビッツ死者たちの告白(NHKスペシャル)・・・・ゾンダーコマンド・・・強制収容所記念館館長の話≪アウシュビッツの悍ましい記憶を忘れることより、考えなくなることのほうが恐ろしい・・・・≫
 
 第二次世界大戦の時、中学生だったという方と立ち話、最近、歴史を調べている人に頼まれ、この地域に残っている戦争当時の跡を案内したという。私の住職している寺に 兵隊さんが何人か泊まっていたという話は先代から聞いたことがあった。確か80代半ばのその方はその兵隊さん達に遊んでもらったという。現在の山門を宿舎にして 馬を飼っていたという。それと 寺の地所に残る防空壕、今もハッキリ残っている。なんでも戦車を隠すために人力で掘った穴らしい。・・・・・・・。
時代は変化し続けるが巡り巡って来た道を再び戻るのか そんな思いを持った。
姜尚中氏が雑誌の巻頭に書いた文章を目にした。   『危機的状況にこそ、活発な言葉の応酬による多事争論の合意形成が死活的に重要なのに、統治をすることが政治であり、議論はいらないという「政治なき統治」で上手くいっているような錯覚に陥っていた』 まさに図星だと思います。自粛の要請をして 果たしてどれだけの国民がそれに従っているでしょうか?  同じ島国の”台湾””ニュージーランド”の上手くいっているコロナ封じ込め策を日本がどう考えるか 謙虚な学ぶ姿勢、行動する決断、一緒に考える力・・・・・が試されている。

3509:望まれる事

 為政者に望まれる事が もし強大な権力を手中に収めることだと考えるとしたらそれは間違い、日本が嘗て誤った道に再び足を踏み入れることになりかねない。八方塞がりで正常な判断が難しくなる時にはそのリスクは高まる。これは史実が証明する。
 最近のメデアはハッキリ言って”無責任”だと思う! 視聴者受けを狙ったバラエテイーショーの中で コロナ関連の話を取り上げているが、内容は”薄笑い”や”脅し”がゴチャ混ぜでニワトリの様に引っ搔き回すだけ。結論は出ず それでいて何の責任も取らないことで満足?まさに非常事態下でのメデアの倫理が問われる。現実には それしか情報を得る手段がないのが問題なのでしょうね。
私の知人に昔からTVを見ない方がいまして、その方から先日電話が有りました。。
 ベルギーの精神障碍者の街ゲールの事について日本人が書いた本(*)が出版されたのを知っているかと尋ねられた。情報源はベルギーの友達からの電話だったそうです。ゲールはドイツのベーテルと並べられ以前に何かで紹介された。それ位の記憶はあったけれど 一般の人々には殆ど知られていないと思う。障碍者の住める”共生”社会を一貫して実践模索してきたモデル的な街。日本にもそれに類した取り組みがあったと思うが残念だが広がりをみない。 共生社会を掲げる国策の中で西欧の実践が検討されたかと謂うと甚だ疑問である。
いつの間に この国の社会保障が箱モノを用意し魂入れず型に変わったしまったように思っている。有事になって その脆弱さが露呈したと言えないでしょうか?正直私は ”もったいない”と思うのです。
 (*)≪「治療の場所」の歴史 ベルギーの街ゲールと精神医療 六花出版 橋本 明著≫ 
 
 お前は懐古主義者だと謂われても気にしませんから どうぞ。
 繁栄と幸せ、何故か地に足がついていない感じを持ってしまう。恐らく 忘れてしまったのではなく 考えることをしなくなったと思うのです。何を考えるかを 根本的に変える必要を感じます。国会は立法府、国の最高機関です。唯一この国の法律や制度を決める場、その責務を果たすため様々な委員会が置かれているけれど そこで一体何が検討されどうなったのかを 国民の殆どが理解していません。ですから充分な議論が行われているかと言えばNOですね。NHKで国会中継されるのをみていても疑問は増すばかり、審議の内容がごちゃ混ぜだから 決めるべき事が曖昧に終わっている。途中で審議を止めて 多数決!これが民主主義だと誤解している節がある。この傾向が益々酷くなり もう随分に長い間続けている。これなど世界でも珍しいと思いますよ 国会の劣化と議員のモラルの欠落は想像以上に進んでしまった。その証拠に議員と国民の乖離は一向に狭まらない、ですから今の状況下で不信感と無関心層が多くなるのは当たり前です。
 これで いまの非常事態が収束できますか? 
 今更と思いますが、信じるとは どういうことなのか?先人の言葉を借りますと
  『 信というはまかすとよむなり。他の意にまかする故に、人の言と書けり。』(一遍上人) まかされた 自分が自分がと勘違う。(ナマグサ拙句)

3510:夢と現実

 今日17日は26年前、M7.3の阪神淡路大地震が起こった日です。その後も日本各地で地震が起こっています。その最大なものが 東日本大地震、M9.0、原発事故や津波が襲って大変な状況となりました。もうすぐ10年、2011・3・11でした。(何故か 数字の1が目立つ.アメリカ同時多発テロも 2001.9.11
 被災された人々の事を思うと何も言えない、その経験から私達は何を学んだでしょうか? そして、コロナ感染、これは地球の特定の地域だけではなく 例外なく、あらゆる処で感染拡大を続けている。一年間で感染者総数が一億人になろうとしています。戦後最大の危機です。
だが罹患しても軽く済むという思いからか未だ自粛を真剣に行わない人も多いのではないでしょうか? 恐らく 感染するかもしれないという不安は誰も持っているはずでしょう。だが罹ってしまったら どうなるかまで考えている人は少ないのではないか?このチグハグ差(屈折感)は 周囲には不信や憤りとなって拡がる。このことは結果であり原因とも謂えます。
 ≪夢に夢見る≫  ぼんやりとはかない思いに長く浸かってしまうことをいう 意欲が減退し、是非の判断力が萎え、自暴自棄な行動をとってしまう人が増える。
 踏ん張り処です、1から出直すということは どんなことだろう? 外出を控え マスクや消毒の他に、どうしたらよいかが判らない、 世間にはゆっくり自分を顧みることが出来ないと愚痴る人が多い。その割には普段(有りの儘)通りの生活ができず時間が有ってもこの時をどうすれば良いのか判らない。だったら充電期間のチャンスと考えて、真摯に自分自身を見つめ直してはどうでしょうか? これは目の前で起こっている現実をフィルターを通してでなく 直にみることから始まらなければ意味はない ! 私達が感染し重篤な人、治ったけれど後遺症に苦しむ人たちの事をもっと知らなければ 自粛に協力する人は増えないかもしれない。残念だが これが実態のような気がする。
 非常事態を乗り切るには 一人ではできない。皆が一緒になって力を併せなければ状況は悪くなる一方、理屈を知りながら行動が伴わないことを いつまでも憂いているのではなく、一人ひとりが新たな価値(希望)を掴むこと!与えられた時間を有効に使って 今 やれることを率先して行なうことです・・・・。

 ☆『自由の限界』中公新書ラクレ、『観音経講話』講談社学術文庫の併読ng、 そしてゴミ拾いing。
 
 
 新たな価値(希望)って 何だろう~? 余計なものを捨てること(仏教)、地に足がついていないって どんな事~? やっていること いっていること おもっていること がバラバラ!  でもな~ 幸せってなんだっぺーイ? 
わかんねエ!これ!無相(夢)
 そんなものかもしれませんよ。でも 不満はある?と聞かれれば 湯水のごとし 。不安はどう? これまた同じで いっぱいあるね。
 夢か現実かと自分に問うてさーてどうでしょう。人間って 皆そうなんだわな!判っているようで 判らない(仏教)。これって自分だけじゃない。
 今回 それを嫌と言う程 教えられた! もう勘弁してくれ~と、謂ったところで どうだんべ~。
 and so,観音様にひれ伏して 教えをこえば・・・・・「念彼観音力」 さすれば 33身に変化して 苦を取り除いてくれますよ! ホント? 科学的証拠を示せ!と謂われるかもね。 
 違いますよ。観音様は 貴方自身、貴方の中にいるということよと・・・・・判るかな? わかんめーな?
 ≪仏を観念する時は攀縁(はんねん)をおこし、経を読誦するときは文句をあやまる≫ これ!現実・・・・・(ナマグサの独言)