源究198 ok

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日   NO  テーマ   月日  NO  テーマ   月日 
 3471  適応力 10/26  3476  境目 11/9  3481  名人シリーズ 2 11/19   3486  メリハリ  11/28
 3472  名人芸シリーズ① 10/29  3477  ありがとう。 11/11  3482  現実 11/20  3487  沈着冷静  11/30
 3473  恐悚の至 11/1  3478  支え合い 11/13  3483  負けるか! 11/21  3488  師走にて  12/2
 3474  錯覚 11/4  3479  自制&自省 11/15  3484  やるべき事 11/24  3489  浮世の絆  12/5
 3475  つまづき  11/7  3480  生きている死者 11/17  3485  要因の一つ 11/26  3490  落葉  12/7


3471:適応力

 臨機応変な対応は、人それぞれ、経験の積み上げによって その力がつくものと言われます。グローバル資本主義社会がここまで進むと最早一国だけの思惑では動かない。その阻害要因を虱(しらみ)潰しにしようとしたって無理、これは最初から判り切ったことです。そこに利害関係が複雑に絡んでいるから 余計です。
 人により個人差はあるだろうが、それに上手く適応できるのには どういったことが必要なんでしょうね。よく謂われることは、”相手の身になる”ことができますか!というようなこと、資本主義の考え方からすると、公正さや平等が後付け、富の分配が上手くいかず、相手とのトラブルで関係が破綻する。こんな事例は 山ほどあります。個人対個人でなく、国対国の軋轢は、最悪、戦争に発展し、多くの悲劇をうんだ。私達は経験から学んだことなのに。理屈をつけ、正当化している。コロナ禍も 当然 同じように進むのではないでしょうか? 開発競争に先んじた国が完成したワクチンを交渉カードにして 勢力の拡大をはかる。嘗て永世中立国を選んだスイス、そして今回のコロナ対策でスウェーデンがとった集団免疫策、いずれも国独自の道をとった数少ない事例です。
 ”三密”策は、どうでしょう。感染が収まってきたかな~と思うと 規制を緩める。この動きは 全て人間の都合、果たして他の生物にもそれが通じるのでしょうか?
 適応力は、人間中心の発想です。地球に間借りする身の人間が自由や経済を掲げ、地球上の他のものを略奪・利用し続けているようなものではないか!

 ★ 正直・・・「若し正直になるとすれば、我々は忽ち何びとも正直になられぬことを見出すだろう。この故に我々は正直になることに不安を感ぜずにはいられぬのである。」(芥川龍之介『侏儒の言葉』P75)
 
 ユートピアを理想郷と訳せば、その反意語は何か? それはデイストピア・・・暗黒郷と訳される。第二次世界大戦が終わった時(1945年)廃墟から立ち上がる人々が目指す理想郷に誰もが思いを馳せた、 イギリスの作家 オーウエルの著『1984年』は1949年刊行、その本が今 話題になっています。抑圧から解放され、誰もが理想に燃えていた時代に、35年後(1984年)には暗黒の世の再来を予測したSF小説。そこに描かれたことがより現実に近づいていると思う人が多いという証かもしれぬ。
 楽観的な技術至上主義によって科学の進歩を最優先(偏重)に考える指導者たち、現実に今起こっていることは 権力の集中と自己目的化した政府、巨大化する管理社会、機械によって人間が使われるという時代が着々と築かれている。
 道徳・倫理・哲学は今 教育の場では片隅に追いやられ、介護や福祉の実学も同様に学校からすれば生産性が低いとみなされ 減少の一途。
 これは 正しい道なのでしょうか!
『 ・・・そう謂ったて 背に腹はかえられぬ・・・・正直になれば他から中傷うける・・・。』そんな声が聴こえてくる。
 耳を閉ざし、無視するのか それとも・・・・。

3472:名人芸シリーズ(MS)その一

 必殺”熊手二刀流”の発見 コロナ禍の副産物かもしれない。彼は多分、私を〈変な格好して見栄見栄じゃん。年寄りが仕様がねえ~な〉〈草刈った後がいつもやりっ放し。ニワトリみたいだ!〉と思っていたようです。 最初は刈った草や落ち葉集めをシブシブ始めた。それが 今 この年寄りを今日はここやれ 草刈れ 運び出せ・・・と手真似で命令する始末。。パワハラだ~!
 軽トラに落ち葉を2本の熊手を使って器用に載せる。彼は昔から手を汚すことは あまり好きでなかった?  それが当に”名人芸”と謂ってもよい技をいつの間に修得した!
 名人が3人集まれば どうなるか!栗拾いの名人 草取り達人 それに熊手二刀流が加わった。口先だけ!じゃ~誰もこころ動かず。成し得て 初めて価値が出る。内心は シメシメ と思ったのでした。それは 口が裂けても言えませんやね。
 
 
 その名人達が 苦手とするのは 一緒にやることのようです、本当は3人組んでやれば 凄い力を発揮するのに、ダメだ~よと謂って全く その気がない。誤解を恐れず言わせて頂く、これぞ職人気質、我が道をいく? そこで熟考、日替わりで付き合うこととなった、名人が得意のものを見つけ 声かけします。今の処は それが功を奏しているような感じ。誰しも得手不得手は持っています。気分だってそうでしょう。今日は機嫌か不機嫌か。
 一緒にやっていて、いつの間に、”間”の大切さに気付かされました。距離と時間かな~。
 経済の考えとは異次元の精神世界? 総生産額から材料費や減価償却分を引いたものが付加価値、そこから人件費・利子・利潤を分ける。これが一般的な捉え方、とすれば 彼らとの付き合いは 何がどうなるんだ~?
 秋晴れの下で 地べたに座り、何もせず一緒に空をみる。この無為な時間をどう考えたら良いのでしょうか? 人間らしさって 巷で謂われているような経済の指標で計ることはできませんよね。 そろそろ 立ち止まって 考えてみては どうでしょうね! 

3473:恐悚(きょうしょう)の至

 コトバで、伝えることがいかに難しいことか。日本語は特に難しいと思いますね。 どうでしょうか 辞書を使う事が減ったんじゃ~ありませんか。便利な世の中になって 失ったことの一つですかね。
 仏教では”歎読文””諷誦文”を葬儀の時に導師が読みます。亡くなった方を忍び崇め、安らかなる黄泉への旅路を願うのです。諸文編に使われた言葉の奥の深さは、文化遺産に匹敵すると思いますよ。他に類を見ない日本の言葉を今に伝えてきたのですからね。
 遺憾!私のこだわり虫が騒ぎ出しました。
 ひらがな・カタカナ・漢字に外国語を織り交ぜた最近の文章を果たして私達は上手く理解できているでょうか、AI技術の進歩により伝達方法が変わり、その中で日本語が どう変わっていくのか? 最近、若者(?)に尋ねたら、≪めっちゃ≫すげえーじゃん、これを聴いた時、何かを踏んづけたのか?と思った、 そこに方言が加わわれば ・・・・・。しっちゃかめっちゃか
  身口意の三密は、人間の行為の全てを表わしたものです、身は行い、口は言葉、意はこころ、その三つを良く整えることが仏に近づく為の大事なのです。(真言密教)
  現実には≪良く整える≫ということ自体が判らなくなっています。今風に謂えば≪やっている事・言っている事・思っている事が一致しているのかどうか?≫ということですね。でも コロナ対策で3密(密閉・密集・密接)という同音異義語のほうが流行語となりました。
 本来の三密行が残念なことに消えていくように感じます。巷には不履行・不正・不信感・不摂生などの言葉ばかりが目立つ 。この状況をみて大いなるモノが我々にコロナ禍を試練として与えた。第2波~第3波と・・・  
 この有り様に深く恐悚の至に堪えず 己自身を見つめ直すこと これが今 私達が直ぐにできることかもしれない。
 
 突然、”恐悚”(きょうしょう)なんていう耳慣れぬ言葉を使い恐れ入ります。恐悚の意味は”恐れ入る”ということですから 大層らしく嫌らしいと感じたかもしれません。
 自分でもそう思いますからね。 でも そうなりますよ。総理の所信演説で2050年までに日本を脱炭素社会にすると世界に宣言した。これを期待し評価する人もいれば 疑問視する人もいる。今までに世界や国民に向かって宣言し、どれほど それを反故にしてきたか  こころある人は良く判っています。正直 いい加減にして欲しいね。それより 貴方たちがやるべきことは脱政党化でしょう・・・・・。違いますか?
 この国の議員の数が多過ぎると誰もが感じていますよ、with コロナと向き合うならば、歳費を減らす努力と貴方たち議員自らが襟を正しなさい。その覚悟を全く感じない。いつの間に 外見を繕うことは上達したが 言行不一致が永田町の風土となってしまった。そう思わないのかな~。外見を繕うとは≪乱れを正す≫が本来の意味です。それで 日本は世界をけん引していく役割を果たしていきますと良く言えますね おかしいよ。 言葉の軽さが際立つ状況は今に始まったことではない。だから 辞書を引いてもらいたいという狙いが有った訳、私の住む地域のお年寄りなら。それを≪げいぶんわるいこったな~≫という。
 ・・・・・人生で最も重要なことは勝つことではありません。最も重要なのは「歩み続ける」こと。
      これは どういうことなのか、それは、何度転んでも起き上がること、打ち負かされても、もう一度やり直す勇気を持つことです・・・・・・・
                                           ☆ ホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領のスピーチより。☆

3474:錯覚

 ムヒカ氏は大統領在任中、大統領公邸には住まず郊外の質素な農場に妻と犬と住み、愛車は1987年型のビートル(18万円相当)で大統領自身が運転していたそうです。彼の公約は「持続可能な発展」と「膨大な数の貧困者対策」、その約束を果たす為、自分の実生活を質素にする。目の前の巨大な困難は、決して環境問題ではなく、明らかに政治の問題なのですと明言する。見直すべきは我々の築いてきた文明の在り方であり、我々の生き方であるとも、そして満期5年を務め、惜しまれて退任した。
 ”本当のリーダーとは、多くの事柄を成し遂げる人でなく、自分をはるかに超えるような人材を残す人”だとも語っている。
ウーム???心に響きますね。 今の日本の政治的風土とは比較にならない。残念だけれど 実体はムヒカ氏の生き方に「不」や「反」を頭に付ければピッタリかもしれません。これって ”日本人が悪いのではなく ハッキリ言って 政治の問題だ”と言える議員が果たしてどれだけいるでしょうか? 恐らく、彼らとて 最初からそうだったとは思いたくはありません。永田町に席を獲たことで 人間が変わっていったと思っていますよ。
 いつも思い出すのは 1972年初当選してから連続8期衆議院議員を務めた地元のT・T氏です。彼は農政に自らの政治生命をかけ、いつも風呂敷包みを持ち、常磐線に乗って一人国会に通った政治家だった(2016年寂:享年83才)。
 
 感動はコトバだけではない、その方の生き方があればこそです。その判断は自分ではなかなか出来ません。その人の生活の環境や取り巻きの人達によって”錯覚”をしてしまうからです。それが顕著に表れるのが有事の時とその人の引き際だと言われています。ムヒカ氏は退任後どんなことを考えていたでしょうか?ウルグアイの子供たちのために余生をささげると、自らの敷地に農業学校を建て、花の栽培を教えるという。
 在任中、国際会議にはエコノミークラスを使った。彼の政治信念は現実を直視することから生まれたものです。貧困対策もそうです。彼の考えは「貧しい人とは少ししか持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人」。これが国民と共に歩むムヒカ氏の偽らざる生き様です。だから 彼は言い訳や隠蔽はしなかった、自分ではなく子供たちを大切にした政治家でした。政治を利用し利用され、私腹を肥やそうとすれば、どうしてもその人の言動に齟齬が生まれます。日本の子供たちが もし そんな環境でこれから先、生きていくとしたら どうなるでしょう?想像して見ませんか?
 もう一度・・・・本当のリーダーとは、多くの事柄を成し遂げる人でなく、自分をはるかに超えるような人材を残す人・・・・(ホセ・ムヒカ)
 *私腹=自己の利益。齟齬=食い違い。

3475:つまづき

 「人間は同じ石でつまずく唯一の動物」、 その前段に「良心なき化学は、とてつもない悪の道具になってしまうことを私達は知っておかなければならない。」 (ムヒカ談)
ここでいう化学が どういうものか ? 際限の無い欲望に抑制力が働かない、そのことは 史実が証明しています。私達に自分自身で胸に手をあて良く考えなさいとムヒカが言っている・・・・・。何故 ムヒカのようなリーダーがいなくなったのだろうか。科学万能主義・・経済第一主義・・自国主義・・???? そこには相通じる何かがある。
 遡ること2500年前、釈迦が生まれた時代、大きく二つの考えがあったという。それは死生観の違い。一方は善因善果・悪因悪果→苦行主義。もう一方は、死後は全てが無になるのだからこの世で自分の好きなように生きて楽しんだ方が良いという快楽主義。
 その両極の考えに疑問を持った釈迦は偏り過ぎない生き方、”中道”を仏教の教えの基本に据えたのでした。 極端に走ることは 共生の考えから逸脱し、乱れた社会になってしまうから。止まることを知らない格差社会、地球環境の悪化と進むべき道を誤った。
宗教・哲学といわれる役割が曖昧になった、最大の原因は何か?
 判断と実行は一人ひとりが行うからです。己がつまづく石を他の所為にするご時勢でコロナ禍の解決は・・・・・??? 「相手を思いやる」という大事は 万国共通、石が落ちていればそれを道の脇にどかし、後に歩く人が躓かないようにする、それができるのが 人間ではないのでしょうか!
米国の大統領選挙、激しさが増す中で 何が 変わるのだろうか? 
 一方 日本は?
 
 グローバルな社会になって 何が変わったでしょう? 今までに無かった様々な問題が世界中で起こっている。それにどう向き合っていけば良いのか、ハッキリとした共通のルールはない。
 自由は豊かさとイコールでは無いでしょう。更に争いがない平和な社会とはならないことも判った。寧ろ 本来の姿とは逆の現象がこの地球上で拡大していると思いませんか。資本主義経済の崩壊が始まっている。
 その前兆は あった。それでも、只 走り続ける。。 日本の国会では ”出す 出さない”の議論を依然として続けている。判りやすく 国民に説明するのが 本来の貴方たちの使命ではなかったのか?学術会議に年間10億円の 税金を投入している・・云々を言うのであれば、貴方たちの歳費はどこから支出されているのですか その議論はない。 何が国民の代表か!憲法にある「国権の最高機関で且つ国の唯一の立法機関」が 変則な状態を長く続けてきた。当然、二院政のメリットが薄れ、最初から結果在りきの議論を続けている。これはハッキリ言って 自分達の保身が最優先の証、政党を渡り歩くことに違和感も無く、バッジをはずす覚悟も無い・・・・・。それを”個人の自由”と解釈している節がある。
 どうして こうなってしまったのでしょう?その説明も”出す 出さない”の国会の特別ルール適用となるのでしょうか???
 信義無き者が集まれば 烏合の衆、有事にありて尚 ヒソヒソ話   議長!  全国会議員総会をムヒカ元ウルグアイ大統領を迎え開催してください 一有権者として提言いたしま~す。

3476:境目

 うわべだけの善行が罷り通る社会は悲劇をうむ。偽善か偽悪か その境がハッキリしない。何故こうなってしまったか? 事由をあげれば切りがない。コロナと同様に地球上のどこでも例外無しに拡がるこの現象は、近代社会が先を競って進めてきたことと無縁では無いでしょう。情報の量とスピード、これは10年前とは比較になりません。情報の信憑性を問う間もなく 次々に押し寄せてくる。いちいちそれをチェックするなど誰も出来ず、人間の能力を遥かに凌ぐSNSの進歩に只 たじろぐことしかできない。
 ・・・・発展は 幸せの邪魔をしてはいけない。発展は「人類の幸せ」「愛」「子育て」「友達を持つこと」、そして「必要最低限のもので満足する」ためにあるべきもの。なぜなら、それこそが一番大事な宝物なのだから・・・・・・(ムヒカ)
  自らの政治信念として 判りやすく、国民の中に入り 一緒になって取り組んだ、そんな指導者を望んでも 画餅に帰すことなのでしょうか?
 日本だってそうだ 最低限のもので満足することができない人達が多過ぎて 無理かもしれません。原爆を投下された唯一の国の日本、現実は 周知の如く ずっと『核兵器禁止条約』に不参加でいる。
 米国の核の傘の下、既に70年以上が経過しています。
 
 自国第一主義を標榜する国が内部から二つに別れ 争う様子が世界中に報道されています。大統領選挙の有様を、日本人には なかなか理解できない。釈迦が説いた極端を米国と日本の姿に重ねてはどうか?生放送の某番組を見ていてそう思った。最初は米国の選挙、小休止の後、今開催中の日本の国会審議にテーマが変わった、米国と日本は同盟を組む国でありながら 立法府の違いが歴然としている。
 一言で言えば 静と動、・・・・・・・。
 分断(?)の米国民は選挙の結果が出れば 一つに纏まれるのだろうか? 銃を保持することが許されている国だ。
 南米の小国ウルグアイの元大統領のコトバ・・・・貧しい人とは少ししか持っていない人ではなく、もっともっとといくらあっても満足しない人。 今の政治家でこういう話をできる人がいないのが不思議です。
  日本とアメリカが”経済の豊かさ”と”防衛”いうことのみで 繫がっているとすれば いずれ袂を分かつかもしれないでしょう。現実には暗雲が立ち込め、国民に実体が知らされないとすれば 平和で安心だなどと謂ってはおれまい。責任か無責任かの境目がない、これもグローバル社会の副産物・・・・・!

3477:ありがとう

 施設が少し離れた場所にあるために 判らないことが増えたような気がしています。
 全長150m以上ある 一直線の長い垣根は此処に移転して5年が経ち、枝が伸び、垣根の用は充分に果たしている。雨が降らず、寒からず 暑からず  外作業には是好日、HさんとH君、どちらも頭文字がH、長い付き合いになる。私が作業始めると最初遠くから見つめていた二人が 頼まずとも熊手と帚をもって加わった。≪ありがとう。助かるよ!≫ ≪ウン≫と一言・・・?
 昼食で小休止、午後に戻ってきたら、散らかった枝葉が 一か所に綺麗に纏めてあった。≪Hさんが やってくれたの?≫≪ウン≫ その一言。 H君は どこにいる? 大声がした。芝生に座りこみ、スタッフが傍に座って慰めていた。   道路の反対側は 県立高校、グランドから体育の授業で生徒たちの元気な声が聴こえてくる、新参者の我々も地域に溶け込んできたのを確信します。  秋真っ盛り、紅葉にはまだ早い。 園庭では スタッフのご家族が来て キウイの棚づくりをやってくれていた。玄関先に 週二日の移動コンビニ『とくし丸』が店を開いている。
 
 こんな時だからこそ 出来ることはあると思います。利用者もスタッフも 今の状況を乗り切ろうと良く頑張っています。ありがとう。
 コロナ禍は一向に収束の兆しが見えず、それどころかヨーロッパの都市部を中心に再びロックアウト、世界中の人々がうつ病になるのではとの心配を余所に2波~3波と襲って来ます。 この騒ぎも、いずれ 収まる時がくると信じよう。
 今までの常識を時代遅れといって次々に壊し 自らの思いを果たそうとしたリーダーが 今回の国民の下した判断にNO、時と場合でルールを書き換えることも必要かもしれないが 結果が逆だったとしたら どうだろう。NO→YES?
 思惑が錯綜し、不安が逆に増した? その影響を相変わらず 株価の上下で見ようとすることに どうも 腑に落ちない。なにもかも損得勘定でやろうとする。この人間勝手を変えようとする動きはまだまだ弱い。熱気と興奮は時間が経てば、消えていく。強いものも いつかは萎えてくる
 呟き(ツイッター)ならば 良いのでしょうか?知らぬ間に 現代の流行り病(SNS)に自分が罹っているようだ。ほどほどにせんと 遺憾かな~?
 

3478:支え合い

 規制と緩和、経済とコロナ禍のバランスをどう保てるか?が最大の関心事となっています。
 一喜一憂、現実と理想、有事と平時・・・・・世の中の全ての事象には実体がないという(仏教)。無常という言葉に 全てが包括される。それでも幻影を追い続けて 気が付けば 周りには誰もいない。悪夢か現実か・・・・。
 それから抜け出せない最大の原因は”妄執”、時には それが活力の源泉になることもあるでしょう。しかし 不求得苦、自分が思うようには回らない・・・循環(じゅんかん)端(はし)無きが如し・・・ そして巡り巡って自分に返る。これが人生さ!と。・・・・若し 達観する時は世界は罪を持ちながらに美である。(「善の研究」幾太郎)・・・。
 人として 忘れてならない事は、”支え合う”ことの大事、地球が広いか狭いか 勝者か敗者か 思いは人によって 時によって違うはず、でも 私達は一人では生きられない。
 失望のどん底にいる時 誰かの一言で 立ち直った経験は 多くの人が持っている。その一言と 使いきれない程の蓄財と どちらが大切か? 南米の小さな国ウルグアイのムヒカ氏の大統領の引き際にその答えは出ています。

 ★米国の薬剤メーカーのワクチン開発により、一時1600ドル以上株価が上がった。その真偽は? 世界中が待ち望んでいるワクチンの 開発が成功したとして それが どう使われるか ??? 新たな問題になるかもしれません。
 
 ブラジルとアルゼンチンに挟まれた小国ウルグアイの人口は300万人、日本の40分の1です、でも小さいからと言ってどうなの? 公用語はスペイン語 、長い植民地時代から 独立し、「南米のスイス」と謂われ福祉国家を目指した。
 その歴史は 紆余曲折の繰り返し、決して容易な道では無かった。ムヒカ前大統領の一貫した信念と政治姿勢は その経験があるからで、筋金入り、先見性が有って、常に国民と共に議論し歩んだ5年間だった。
  今の日本と比較するのは どうかと思うが、トップになる人に望まれることは同じです、美辞麗句を惜しみなく使い、良いとこ取りで 自分に不都合なことは知らぬ顔、そして言い訳に終始する。。。。。これら真逆の姿を得意になって見せられては 堪ったもんじゃ~ありません。これで子供たちに誇れる国に日本がなれるでしょうか?
 何かが足りない。その一つが過去から学ぶ姿勢だと私は思うのですよ。外交も内政も然り、未来を語るには 自国の歩んだ歴史を学ぶことが不可欠です、でないと 同じ石で躓くことになりかねない。
 この点では 日本がドイツから学ぶことは多い、過去の戦争の補償は終わっていると突き放す国の姿勢は それをも知らされずに大人となる子供たちが増え続けることになります。何を恐れているのかさえ判らず、議論もされず、先送りするのは コロナ禍を機会に変わらなければなるまい。だってそうでしょうよ。世界が支え合って行かなければこの難局を乗り越えることはできないのだから・・・・・・・。
 自国の台所事情も考えず多額のお金を拠出をすることも どうなのか、  問題のすり替えと どこがどう違うのか ! 私達が菅政権に期待するとすれば その一点 そして 自らの考えを出していくこと・・・・諦めては何も変わらない。これは米国の今の動きから日本人が学ぶ大事だと思います❣

3479:自制&自省

 読んでいないのに、見栄によるのか礼儀によるのか、読んだふりをしてしまう、イギリスで「読んだふり本」の第一位。その本の題名は『1984年』・・・・・読了した。何日かかっただろう?この本が「読んだふり本」の第一位となった意味が了解できました。もし 感心があるなら 「読んでみたら いかがでしょう! それからです」としか私には言えない。途中で止めようと何度も思った。

 ≪今の世界や日本に不安を感じている人へ。この本が現実になりそうです。≫ ・・・とその本の帯紙に書かれている。
 最後は 意地になった。ヨッシャ 読んでやる!
 自制は、感情・欲望などを自分で抑えること、自省は、自分の言動を自ら反省すること。正に図星、今の社会をどう観るか?読後 そのことばかり考えた、先ず 浮かぶのは格差の拡大と無駄の多さ。これは明らかに矛盾しています。 このズレに対し 為す術無く見過ごされている。なぜなのか?今 どういう事が起こっているでしょうか? 私達は判っていながら 知らないふりをしているのです。隠さずに謂えば 私も その一人と思っています。言い訳はしない。
 「若し 達観する時は世界は罪を持ちながらに美である。」(「善の研究」幾太郎) この本が 私の「読んだふり本」第一号である、第1章中途で挫折、本棚奥にあって半世紀が経過した。あれから50年、再度挑戦という無謀に 恥ずかしながら燃えている。
・・・久しく有為の塵宅に遊び 三業の造悪 幾ばくぞや・・・・ 悔いを残すのが嫌ならば 。
 ☆抑制力は 人間よりゴリラが優るということを知った(No3452)
 
 知らなければ 知りたくなる。無ければ 欲しくなる。人間の心理を上手に使って商売は成り立つ。これは 今に始まったことでなく 何時 何処でも行われてきたこと、これから先も変わらない・・・かもしれません。
 進歩や発展もそれが有って可能ならしめた。ここに至ってやっと”待てよ?”との疑問を抱く、完全否定でなく”お告げ”のレベル?進歩・発展を鵜呑みにし、節度弁えず便利さや豊かさを謳歌、調子にのったまでは良かった。・・・・が 今 逆襲にあっている?
 大分 感心が薄れたようだが 夫婦そろって 選挙法違反で逮捕された事件、カネを配ったことは認めたが ”投票を頼んだ”わけでは無いと謂っているとか。じゃ~何のため?この感覚のズレは相当酷い、いつ火の粉が自分にかかってくるのではないかと 気が気でない人もいるだろうが、またしても特殊な事例だと片づけられてしまうのか? 法を司る 現職トップが起こした事件、隣国であったら どうだろうか?この国だから許されるとしたら 子供たちへ何と説明するのだろう?
 発展や豊かさによって萎えてしまったことで 直ぐに浮かぶのは”自制と自省”、
それを予測し 警鐘を鳴らした先哲の声を聴くと、・・・・・!
 ≪民主主義の本質は、制約や不自由さと共に在る≫≪今は(風潮)の時代であり、(押し流される時代)である≫(オルテガ:『大衆の反逆』)、 まさに(with)コロナのwithに通底し 何がなんでもOKじゃ~ないはずだ。
 多数という「驕り」によって 歪められる社会には その病巣を見極め執刀する名医の存在が条件となる。

3480:生きている死者

 人間は2度死ぬという、一回は心臓が止まっての死、もう一回は忘却によって真の死を迎えるというのです(オルテガ)。社会の秩序を支えてきたのは「生きている死者」と共に歩むという考えがあったればこそ、それが 現代社会では 多数派を占めているからなんでもやれるという驕りが蔓延してしまった、彼はそれを超民主主義と命名し、過去からの教訓や制約に拘束されない自由と権利を数の論理により思うようにしようとしていると。この本が書かれたのは1930年です。90年が経って その事が現実化されていると思いませんか? 法の解釈もそうです、自分の利になるように変えてしまうようなことが増えています。人生100年と謂われて久しい日本、それに どう向き合おうとしているのでしょうか?
・・・・・「現代は他の時代より上であるが、自分自身より下だ、と。きわめて強力でありながら、同時に自己の運命に不安をいだく。みずからの力に誇りをもちながら、その力におびえている。」(上掲『大衆の反逆』P37)・・・・
僧侶として 私がいつも思っていることは、人は死して どうなるかという事です。昔から そのことは 問われ続けてきました。オルテガが謂う「生きている死者」は科学の進歩が どこまで進んだとしても 決して無くなることは無い人間の願望だと思っています。 でも それが無くなってしまう危うさを感じざるを得ません。我々が出来ることは忘却でなく 亡くなった方の生前の願いを 一つ一つ拾い集めることでは ないでしょうか!それが供養の原点で あって欲しいのです。ポスト 死 ⇔ ウイズ 死。
 
 大分 難しくなってしまったように感じています。これも私にとっては テレワーク、行動範囲が狭まったお蔭で 読書時間が増えました。 中途で読むのを止めてしまった本を取り出し、読んでいる。すると 今まで意識せずいた 自分の傾向が良く判ります。中には半世紀 積ん読(つんどく)していた本もあり、コロナ禍の中で獲た 貴重な邂逅だと思っています。
  今は 縁を信じ有るがままに進みます。
 フランスの詩人、ヴアレリーに「湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく」というものがあります。気にしなければ 素通りしてしまうようなコトバですが、ちょっと待てよ! 繰り返し読み直すと 。。。。ハハーン 成るほど そうだわなとなります。「過ぎしむかしは/ すべていまにまされり」(マンリーケ) そうか~!ウンウン。
 懐古主義と一蹴されてしまうかもしれませんが、逆に極端な未来志向もどうなんでしょう! 足元をおろそかにすれば 道を踏み外し 滑落するリスクが増える、これは山登りの鉄則、 登るより下る時のほうが危ないと先輩たちに良く謂われました。じゃ~カヌーはどうなの? 後ろ向きで 出来ますかと謂われてしまうかも知れません。
  ・・・カヌーは元々 引っ繰り返ることを想定したもので その対策は出来ている・・・・。逆に 我々は 予め想定できることなのに 対策をしていない事が多過ぎませんか!!

3481:名人シリーズ その2

 庭木の手入れをしました。花もちが良いアジサイは 冬場の管理が大切、そのままにしておくと翌年、 枝が細くなり、虫や病気に弱くなる。密集を避け、気温が下がる時期に枝を短くすると 翌年 シッカリした枝になる。日本の山が荒れて 土砂崩れが増えた。手入れされず放置された山は あっという間に藪になる。それは間伐し 光が入るようにしないから 根っ子から木は弱り始める。自然は決して嘘をつかない
  三人の名人達 各自がバラバラだったのが 少しづつ変化しているように感じる。落ち葉のシーズン到来、掃いても掃いても葉が落ちる。達成感が掴めない。そこで 一緒にやったほうが、持ちつ持たれつまでは いかないが その兆しが見えてきた。
MさんとNさんに微妙な変化、『ひょっとしたら 年齢が同じ?』調べてもらったら 入所時期も同じで、一緒に園内の分教室で学んだ。
 一輪車が2台になり 分担して落ち葉を運ぶ。もう一人のNさんは 自分から一緒にやる気持ちは無い様だ。今は 園の 玄関近くにいて 案内係、忙しいようで 楽しんでいる。
 彼らから私は プライドと力を感じます。3人に共通するのは ”家族”。 一緒に生活した経験が少ない。だから 余計だ。コロナ禍で 会うのも不自由になっている、作業の合間に家族の話をすると3人とも目が潤んでいる。
 年長のNさんは 大分前に両親は亡くなり 音信がない兄弟だけ、その話をすると 表情が変わる。
 いつも 明るく ひょうきんな3人・・・・・その姿から 教わることは 数限り無い。 
 

3482:現実

 人は多くの試練を乗り越えて 今に至ったのです。当然、人間だけではなく、地球上 全ての生物が 時間をかけ 環境の変化に自ら進化適応しながら 生きてきたのです。「発展は 幸せを邪魔してはならない」(ムヒカ) 幸せとは ? 自分の思い通りにできることでしょうか?
「苦」は 妄執が原因と説く、ならば 妄執を減じれば 苦しみは萎えるのでしょうか?仏教では妄執を「迷った心で 物事に深く執着すること」と説いています。現実には 殆どの人間がそこから抜け出せない。
 苦あれば楽あり! これは 自分に対しての慰め言葉?
 動物や植物の”保護色” 相手から目立たないように 擬態する。究極の保身ですね。人の場合は その保身が単純でなく 計算づくになる。 これも本能でしょうか。 
 病との戦いによって 医学が進歩してきた。14cに大流行したペスト、現在も感染者が出ている。700年経っても細菌は地球上から消えて無くなることはない。どこかに潜んでいて 周期的に何らかの原因で勢いを増す。ペスト大流行は当時の世界の総人口4億5千万人の内で22%の約1億人が死亡したと推測されている。
 日本人で北里繁三郎がペスト菌を発見し、その治療に大貢献したことを 日本人で 知っている人が 現在 どの位いるだろうか・・・・・。 
 
 ≪今は(風潮)の時代であり、(押し流される時代)である≫、オルテガが『大衆の反撃』で明かす100年前の時代、それは昔のことでなく 今  その状況が世界を席券している。。
SNSは人と人との社会的な繫がりを促進・維持する機能(サービス)、ツイターやフェースブック、凄い勢いで拡がる、その進化は日進月歩、気が付けば 機種が古く 用を無さなくなり、新機種に買い替えを勧められる。まさに 押し流される時代 ing だ。情報スピードが 人間の処理能力を遥かに超え、便利さを感じながら 不安が増している。未消化の常態化、それで常に整腸薬を飲むということになりかねない。
 それが コロナ騒ぎにより更に増長されているように感じます。
 保護者による児童虐待が昨年と比べ急増しているという報道がありました。感染によって家族が分断されたり、行き場所がなく 自宅療養せざるをえない人がどれ程いるのでしょうか?この騒ぎが起こってから 一時も頭から離れない”不安””束縛感”、これを世界中の人々がジッと堪えているのです。
、 「私は、私と私の環境である」  「慢心した坊ちゃん」(上掲:P118)・・・著作の中で社会の病理を鋭く洞察したオルテガの指摘は 今 より精鋭化した姿で現れているように思います。 
 ☆ 気が付けば 今年は柚子(ゆず)が沢山なりました。
 

3483:負けるか!

   
焼き芋やるんだから


 園内の木々が一斉に葉を落とし始めました。MさんとNさんは同期生、二人の関係に変化が、なんと 一緒に掃き掃除を始めた、掃くそばから落ち葉で一杯、 彼の専売特許で誰にもやらせなかったMさん、とうとうギブアップ?
 そんな事を謂った?私が悪かった。冷やかしと受け取ったMさんは 強く握った帚をやおら斜めに構え 鬼の形相。≪これで焼き芋 やるんだ!≫の一点張り。
 その時 浮かんだ。釈迦の弟子の周利槃徳(パンタカ)、釈迦がパンタカに渡した布は帚、落ち葉は貪瞋痴。塵を落とすことに集中し、神通力を獲たという。
 彼らのエネルギーの源は 一体 何だろう? 二人が学園に来たのは 丁度私が学園に就職した年だった。彼らはその時の思いを今も変わらずに持っている。他心通の力は 私など足元にも及ばない。(6神通)
 
 そして、3日連休に、≪休みだから 掃除はやんない≫とアチコチで宣言して回っていた、うんじゃ~ゆっくり休んでくださいよ。
 心に余裕が無いと 誰だって荒んでくる。今はそういった異常事態、世界中が人を遠ざけることになってしまった。感染予防の為だから仕方ないとしても 今までこう有りたいと思っていたことが 悉く×。何が〇?を掴めない。
 社会生活は、どこに居ても 絶対安全ということはない。災難は自らの身に降りかかってきて 漸く 気が付く。
 その時の思いは”負けるか!”という進取の気性だ、その一生懸命さが 周囲のこころを動かすんです。 彼に尋ねると・・・ハ~????・・・・の一言。 

3484:やるべき事

 法人全体で コロナ対策に取り組んでいます。今日(11月22日)現在、感染者は誰も出ていません。この努力に対し 心から感謝しています。しかし、 難しいのは 周りの状況が刻刻と変化していることです。 決して油断はできません。 正しい情報か否か、噂が不安を煽る。常に”万が一” どのような事態になろうとも それに向き合っていく、これが我々の使命、その覚悟を示せ!と己に呪文のように唱えています。
 連日 感染の状況が発表され、収束の見通しがいつになるか全くわかりません。ワクチンの開発も進んでいるようですが 実用化の時期がハッキリしない。  
 その中で いま やるべき事は何か? 必ず あるはずです。 
 国は医療や介護施設での従事者全員に積極的にPCR検査を公費で実施するよう指示を出している。だが現実は そうなっていない。何が阻害要因なのか その説明が為されず 今に至った。
 医療現場や福祉現場の最前線は どこもかしこも 臨戦態勢、必死の努力があって どうにか持ちこたえています。
 最大限の対応で食事マスクを着用せよと大臣が 実演まで行った。マスクもできない方達に 食事マスクの着用は非現実、これは 今の混乱がそうさせているのでしょうか? もしかして 国民一人ひとりに食事マスクを配るつもりなのでしょうか? 
 
不安の中でジッと耐えていることしか出来ないのでしょうか?
世界中の感染状況をリアルタイムで知ることができます。自粛緩和によって 人の動きが随分変わりました。日本の感染者数が他の国と比べどうなのか? 世界の感染者数が減少していない今 いつ 日本が急激に感染拡大するか 誰も分からない。世界の一日の感染者数が 60万人を超えています。
 茨城県の感染拡大は明らかに県南地域です。(東京に通勤1時間圏内。)その中で クラスターが起こった土浦が特に増えていますが 周りにあっという間に拡がっていきます。
 土浦市だけでも介護・障害の施設で入所事業所が65か所(GH含め)あります(11/22:土浦市HP)。 その全ての入所者・従事者に対して11月下旬より抗原検査を実施するとのことですが?どこまで周知されているのでしょうか?
  感染者が少ないといって油断はできません。感染拡大が大都市圏だけでなく 北海道や沖縄の状況を考えれば 誰でも判ると思います。
 検査は全てではありません。でも 今 やるべき事です、それが出来てやっと感染防止策のスタートを切ったと考えるべきと私は思います。
  

3485:要因の一つ

 3月からコロナ感染騒ぎが始まり、ほゞ9カ月が経ちました。初めての経験だから 対応が後手後手になるのは仕方が無いという話を何度も聴かされてきました。 そして今 感染拡大第3波の真っ只中に日本がある。これが頂点とは誰も思ってはいない、それを示す根拠が無いからです。寧ろ 感染拡大する要因のほうが多い、政治・行政・医療・・・それぞれの立場で微妙に異なる見解、それを どこでどう纏めるか? 纏まったものを実行に移す際の国~県~市町村の縦の流れも大きな遅延要因の一つ、複雑化し過ぎて 判りづらい。 47都道府県ある日本は大都市を抱える県と人口減が大きな問題となっている県との較差が大きい。
 今は オンライン会議が主流となった。これも大きな要因だろうね。画面と向き合う話し合いに限界を感じない人はいないでしょう。メールやFAXにより会議資料が送られてきても 文章だけでは理解できないことが多くあります、それを一々確認することも現実には難しい。
 これらの要因は 実は想定されていたことばかり、先延ばしされてきた訳でしょう。今回の経験によって 多くの課題が見えてきました。それを どう形にしていくか、それには 決め事を もっともっと判りやすくオープンにしていくことが条件になります。 
 
 現状では 前向きな発想が浮かばないという障壁があります。負の連鎖が止まらず ドンドン深みに入ってしまい 出口が見えない。すると言葉が一人歩きし、実行が伴わない。ここからどうにかして 抜け出さねば・・・・!
 早朝、NHK深夜便で とても良い話を聴きました。「心に花を咲かせよう」赤池 円さんのお話でした。 彼女の生き様は前向きに発想を変える視座だと直感しました。その中で2つだけ、①自分の専門を使っての無料奉仕と②中山間地域での自然相手の活動に注目したい。日本の国土の約7割が中山間地域と言います。徐々に その類の先例は生まれていますが 未だ大きなウネリとまではなっていない。(アーカイブ版で再放送聴けますよ)。
世界中がコロナ一色で ”経済”と”感染拡大防止”の話題に終始、このまま進めば  どうなるでしょうか?≪木を見て森を見ず≫となって閉塞感が増すばかりです。with コロナはどうなりました?、post コロナは浮かびましたか?。
 長引くと現状に慣れてしまい 判断力を低下させ 堂々巡り、八方塞がりとなり易いものです。(惰性)
 日本で 起こっている鶏インフルエンザの流行、一つの養鶏所でなんと85万羽のニワトリを処分した、それと 自死者の急増、20代と40代の人が多いという。何かがおかしい!これをも自己責任で括るのであれば、”いまになって何故?”の花見会問題が再燃したことをどう考えるのかです、知らなかったで許されるのでしょうか???今までのように、これら一切をコロナ問題で曖昧になってしまうとなればこの国の未来は危機的状況だと思ってしまいます。
特に三権(立法・行政・司法当局)に汚名挽回を期待したい。今の 日本にとって、これこそが前向きな発想と謂えないでしょうか。でなければ 共倒れとなりかねない。

3486:メリハリ

何でも在り・・・・メリハリがない・・・。
≪今は(風潮)の時代であり、(押し流される時代)である≫(オルテガ『大衆の反逆』)は 100年前に書かれた。当時の状況がもしそうだとしたら 人間の五感や築かれた文明には大差がない。寧ろ 退行、劣化しているのでは?・・今は(コロナ)の時代、それが齎した悲喜交々・・・ 積み重ね、繰り返されてきた結果に 迷い苦しむ。その僅かな隙間を狙って、あわよくばと私達は何かを捜し求める。
 その何かとはなにか? ルールを壊しては、また新たにつくる。それを繰り返すことで 何が大切かが余計判らなくなった。人間は智慧を働かす、そこで考えたのは”経済第一”、その偏重が極まって、いま有事になって見えてきたことは、 何でも在り・・・・メリハリがない・・・ゴチャ混ぜでからみ合う姿と格差
去年と今年を繋ぐ言葉として、思いつくのは・・・忖度(そんたく)と平仄(ひょうそく)・・・。
『平仄』はあまり知られていない言葉ですが、意味は”つじつま”。   ☆ 平仄が合わないことを 無理合せ すればするほど疑念湧く。(ナマグサ即興短歌)
 
 日本国憲法第14条・・「ずべての国民は法の下に平等であって・・・・」で始まる。 戦後生まれが圧倒的に多くなった今 戦前と比べ考えや行動で変わったことを挙げれば切りがない。でも 我々はそれに気付かない振りをする。
 水槽や天水桶(?)の金魚、新しい水に全部替えると死んでしまうと謂われたことを思い出す。生き物は住みやすい環境に合せ、自らを進化させ 生き延びてきた訳です。この地球を水槽と考える人はいまい。でないと 私達の行為の辻褄(平仄)が合いません。
 風潮に押し流される為には 身を軽くしなければなりません。重ければ沈んでしまう。(自然原理) 世相の反映は 先ずリーダー達の言動の軽さ、言葉を変えれば”日和見主義”、牽強付会(けんきょうふかい)自分の都合のいいように強引に理屈をつける。そして”黙して語らず”の処世術に現れる。
 簡単明瞭に・・・・変わるべきこと。変わってはならぬこと。この判断の大事・・・ということになるのでは?
 的を定めて・・・・この国が道を誤ったとすれば、”老人観”でしょうね。老人をいつの間に負担と考えるようになった社会の在り方です。  ”あんたねエ~ いつまでも若くはないんだよ!”と天の声。(70才と3カ月の自称ワカモノ)
  

3487:沈着冷静

試練に耐える思いは それぞれ、人は他の何かと比べる 自らを写す鏡を持つ。そこにフィルターを挟み、現実に起こっている事を”有りの儘”に観ることを難しくしている。仏教の教えの基底になる大事がそのフィルターをどう使うかにある。
 僧侶になる為には段階があり、その階段を一つ一つ登っていくことが僧として生涯のつとめ。事相&教相、二利双修、小欲知足・・・等、仏教の基本に己を照らし、自分で自らをはかる、それが脚下照顧である。それを失えば 仏教の本質から逸脱。そう成らぬため 先ずは余計なものを身に着けないという釈迦の開悟。現実は そこからドンドン離れていくような風潮(傾向)が蔓延こる世になって彷徨っている。経済第一、自国主義の考えにある危うさは、自己本位への偏重、二利(自利利他)双修の放棄、そして貧富格差・収奪の拡大等の問題に対し”楔(くさび)”を打てない有り様が証明する。 そこに 今回のコロナ禍という試練が課せられた。失って初めて気付くこと、それは何でしょうか!豊かさや便利性ではないことを 未だ認めようとしない人が多い。現実を直視せず、無関係を装う渇望の態、 これは人間の愚かさかもしれません。当たり前のことが出来ることの喜びを忘れ、利己的な仮想現実にしがみ付く。私達は沈着冷静に今起こっている事に向き合わねばならない、これこそが試練の真意ではないでしょうか?

☆ 「樹海 命めぐる世界」というNHKBS番組で、真冬 小リスが土に埋めておいた木の実を雪の中から掘り出し 一個の実を手で丁寧に雪を落とし 巣穴に持っていった・・・・・。
 
 
 小リスの冬支度、秋に獲っておいたドングリを土の中に埋める。雪が積もり いよいよ食べ物が獲れなくなって 埋めたドングリを掘り起こし、 穴にいる子供に食べさせるために持っていったんだと思う。
なんとも微笑ましい童話の世界の様・・・・・キリンは立ったままでお産をします。出産には2時間位かかるそうです。生み落とされた赤ちゃんが必死に自らの足で立ち上がろうとします。それをお母さんキリンは 傍で見守っていました。漸く 立ち上がった時 お母さんキリンが赤ちゃんを懸命に嘗めてあげています。
 こんな話を 子供の頃 親から寝床で聴いたことが 大きく花開く。自然は決して優しさだけでなく、厳しさも持っています。「命をめぐる世界より」
 親から受け継いだものは遺伝子だけではありません。親から子へ 子から親へ、同行二人のあやとりゲーム!このような触れ合いが 当たり前でなくなった世界に、もし私達が生きていかなければならないとしたら 貴方は無関心でいられますか?大人にとっても子供にとっても 実は大切な事なのですね。それを弁えないで人間勝手の経済第一の考えを推し進めれば いずれどこかで破綻するでしょう。だってそうでしょう、動物は自然と共に生きることでしか種の保存ができません。冷静に考えれば 人間だって 全く同じではないでしょうか。できない言い訳を予め用意して 望を叶えるのは 恐らく 人間ぐらいのものですね。昔人は よくご存知ですよ。
☆ 「おりたちて乱るる人は、むべ、おこがましきこと多からむ」(源氏:紅葉賀)☆

3488:師走にて

 時間が過ぎる速さを感じます! 今日なにをしたか?朧げな記憶、こうやって人は老境に段々入るのだろう。今年の暮は いつもと違う、例年であれば除夜の鐘の準備を考えていました。今年は副住職と二人でどなたも来ない鐘撞きになるだろう。
 コロナ禍によって 影響を受けた人達がどれ程いるだろうか? 仕事を失い、路頭に迷う人も増えているので、どうしてもマイナス思考になってしまう。自分達が考えるように物事が進まないことに誰しもが焦りやイラ立ちを感じている。
 今のこの状況が”楔(くさび)”となり 果たしてこれから先、生き方が変わるだろうか? おそらく 時が過ぎれば記憶が薄れ 今まで以上に人間勝手な振る舞いになるかもしれません。 良く考えねばいけない。繁栄・進化・快適・・・浮足立ちで謳歌した。
 日本語で幸せ・喜び・・・・・愛という言葉は、そこに”不””無””非”の字を付ければ 反意語となる。
 巷に溢れる≪不要・不急の外出は自粛してください!≫の警告、 これが一体何を意味しているか 考えてみませんか? 大量生産 大量消費  薄利多売  この風潮に人は押し流されながら仮初の満足を手にして獲た代償に苦しんでいる。それには 私達大人が動物や子供たちから 謙虚に学ぶこと これしか無いと思いますよ。彼らは素の大切さを持っているから。
 
 寒さから身を守る為の冬の備え、今冬は今まで考えもしなかった3密を避けることがそれに加わった!窓を開け暖房を使うという今までの常識を逸脱した変容に誰もが戸惑う、緩めたり強めたり、多くの人達が感染速報に一喜一憂し師走を迎えた。
 私達は今までの価値観を変えないと前に進めない処まで今来ています。経済の指標も然り、ここに来て過去最高値を更新している株価の背景は 経済の実態とは別次元、どこか知らないが 集まり過ぎたカネの出口をゲーム感覚(?)で動かす結果だろう、まだ そのレベルなら、株をやらなければ影響は少なくて済む。 けれども コロナ禍に乗じてそうとばかり言えない心配が出ています。この機をカネ儲けに使おうとする動きです、表看板とは裏腹に相手の弱みにつけ込み擦り寄ってくるから厄介です。元をたどれば人間の欲望がそうさせるのだろうが 是非の判断ができない状況の下で その被害は増えている。。
呪文ともとれるような”豊かさ””便利さ”への妄執(信仰)に 判断力が追い付かない。 コロナ禍の時間どころではなく、100年単位で長期にわたる積み上げによると考えるべきですね。

☆ ≪ 海よ ・・・・お前の中にがいる・・≫三好達治の詩の一節。 これは”海”の解字から”母”という字で全ての根源&願いへと誘う。 今の混乱を必ず乗り越えることができると信じ、ここは 耐えるしかありませんよ・・・・と。  

3489:浮世の絆

 この世と離れがたく つなぎ止めるものが義理・人情だとすれば その辺が随分と淡泊になったと思います。こんな事を言うと≪あんたも 古いね~!≫と謂われるのが落ち。今時は義理と人情が人を束縛していると感じる人が増えたのかもしれない、面倒だからなるべく関わりたく無いと思ってしまう。これも現代社会の風潮を反映している、それから”共生”という言葉が やたらと目立つ気がする。 ”共生”が危機に瀕した証拠。俄かに謂われ始めた”3密”は なるべく人との接触を避けましょう!ということ、こう考えると 難しいね。 普通に暮らすということがどんな事か訳わからなくなってしまう。
 大雑把(おおざっぱ)ということは 良くない意味に思はれているようですが、本来は違いますよね。木をみて森を見ず・・・ではダメで大局を掴むことの大事です。元を正せば偏り過ぎた個人主義への警戒。
 義理は 人の守るべき道理、人情は思い遣りやいつくしむこと。これを嫌って じゃ~どうすれば良いのですか????  道理を守らず、自分さえ良ければ 満足。。。?これこそ 今の騒ぎの最大の根源だと思いますよ。第3波とか第4波とか騒がれていますがこれから先にコロナ以上の強烈な禍が起こるかもしれない。どんな叡智を結集した処でそれは判りません・・・・・。
 先日、お寺の護持金と施餓鬼料を100年分纏めて振り込んでくれた檀家さんがいました。添えられた手紙には『この先どうなるのか全くわかりませんので 纏めて送金させていただきます。合掌!』と書かれてありました。
 
 周りを良く見れば、新たな芽が出始めていることに気づきます。”一緒に 頑張ろう!”連帯の意識化、  アチコチから聴こえてきます。そうか~皆 同じように思っているんだ~。
 昨日は 定期健康診断があり 朝7時から病院へ、健康センター内、至る処に感染予防の工夫がされていた。人間がやることで完璧はない。それでも 出来得る限りの努力をしていることが判る。我々施設も同じです。多くの人が利用しているから 感染リスクも大きい、相手が見えないから余計です。英国ではワクチン接種の段階になっている。既にジョンソン首相自身が感染した経験があるから動きが違うのでしょうか。決断が早く、自らが先頭に立ち、国民に訴えていることが伝わってくる。特に有事の際は、これが大切なんだろう。。この時になっても 責任のタライ回しをしていることはないだろうと誰も思っている。。
 トップの条件は 責任を獲る覚悟と行動力ですね。
 ジョンソン首相の言、”戦いは終わっていない” が心に響いた 。”一緒に 頑張ろう!”

3490:落葉

 住職している二つの寺にはモミジの木が植えてある。段々木が大きくなり 木同士でお互いを邪魔するようになった。何度か剪定して貰ったが 木と木の間隔は変わらない。例年だと赤や黄色が鮮やかで写真を撮りに来る人も多かった。今年は色に鮮やかさが少ない。恐らく秋の気温が高かった所為だと思う。今は主役がイチョウの落葉に変わった。こちらも葉の大きさが少し小さくなったように思える。
自然は正直だ。その時々の環境が影響してあらわれる。1年の間で考えてもそうなのだから、100年~1000年の長さになれば、元に戻すことは困難になる。
 気が付けば芝生に雑草が増えている。冬への準備で 雑草も出なくなるのだけれど よく見ると小さな芽が沢山出ている。
 「多死社会」と謂われるのは高齢化が進み その後やってくる社会の形態をいう。2038年がそのピークになると推測されています(総務省)。日本の人口は2011年を境に人口減少に変わった。当然 国としての対応は行っていると思うが 全体像が判りづらく 単発的で継続性に欠けるように思ってしまう。そこに今回のコロナ感染が起こって、相当混乱しているように思えます。
 ニワトリが先か卵が先か??? 疑心暗鬼が深まっている。人は完ぺきでは在り得ない。失敗も起こすはず、それを隠そうとすると疑いが生まれるのは人社会の常識です。それを巧みに隠そうとすれば 余計深みにハマる。この辺に この国の病巣があると思ってしまう。それを取り除く外科医がいない。。
 大いなるものは とっくに見通していると私は思っている。
 良寛が・・・裏をみせ 表をみせて散る紅葉・・・と詠んだ(辞世の句)をこの時期になるといつも思い出します。
 
 根本的に変わらねばならないことは、モノをつくればそれで良いという考え方ですね。それはヒトの養成が間に合わなければ意味を持たない その事にどう向き合うか!何故 このような状況に至ったか?を真剣に考える事。外見を繕うことはするが 現実を直視せず そして、言い訳と人任せの体質が蔓延った、想定内のことかどうか知らないが、気が付けば仕組みが複雑になった。国の内外を問わず益々、競争が激化、その変化のスピードに対応できない状況が続く。
 そしてコロナ禍、不安、閉塞感、自暴自棄、緊張にそれぞれが必死の努力をしているのです。
JAXAが”はやぶさⅡ”の運んできたカプセルを無事回収できたという明るいニュース飛び込んできた。分析が進み、宇宙誕生の謎が判ればとの期待は大きい。これだけの技術を創り出した人間だもの、この混乱を抑えることは出来ること信じます。
  ウイルスも人間も宇宙の一つと考えて 138億年前(ビッグバン)の宇宙誕生のナゾの解明と目の前にある難題を解く鍵になれば、それはもう 望外の喜びです! 
 6年かけて宇宙から一枚の落葉を運んできた。その一枚(塊)がどれだけ 多くの未来への可能性を秘めているのか。