源究174

  

NO  テーマ  月日  NO   テーマ   月日   NO  テーマ  月日  NO  テーマ   月日 
2991  知多での集い  10/21  2996  老いてたまるか!  11/10  3001  何と申しましょうか?  11/25  3006  ムニャムニャ  12/17 
2992  スケジュール  10/25  2997  己事究明  11/14  3002  生きづらさ  11/29  3007 為体  12/21 
2993  隻手の声  10/29  2998  50回忌  11/17  3003  我が原点  12/2  3008 負のリンケージ  12/24 
2994  声なき声  11/2  2999  元気づけ  11/19  3004  健康診断  12/5  3009 ライフワーク  12/27 
2995  歩歩是道場  11/5  3000  13回忌  11/22  3005  ボルネオは雨季  12/12   3010 回顧録(2016)  12/31 

2991:知多での集い

 愛知県の知多半島の突端、内海で開催された第2回の集いに参加してきました。『明日の福祉・社会を拓く懇話会』 ひょうんな切っ掛けで生まれた集まり、第一回は昨年、小樽の朝里川温泉の宿で行い、今回は中部の知多半島の宿で行われた。25名前後の人数でホンネで愚痴を言い合うという 時代遅れとの揶揄も聞こえてきそうだが、原点回帰を探るという狙いがあって、2回続けて参加した方もいます。つまらない 意味が無い と感じた方には 貴方が推薦する方を紹介するという条件を付けた。 これまた 勝手気儘ないい加減(?)なもの、その事務局を札幌のK氏と私が引き受けてしまったから 後の祭り。今回もマレーシアからこの集まりの為に旅費実費で参加したNさん、旭川のO先生にも頭が上がりません、・・・・。お二人の話を聴くだけでも価値がある。
 案の定、今回の参加者で どうして自分が参加したのか?判らない人も多くいた。何かを感じ 得て帰ってくれればそれで良し。感じなくても自己責任!
 今回 私が前回との違いを感じたことがあった。愛知県の中堅職員研修と一部重なる企画のため懇親会やその後の部屋でのダベリングに若者との交流があった。そこでの雰囲気は熱を感じた。真剣に先輩の話に聞き入る30代前後の若者、恐らく 同じ部屋に9人が布団を並べ夜遅くまで話すなどという研修は今時 流行らない。それを敢えてこの集まりの条件とした。
 会の名称に≪福祉・社会≫と間に・を入れてあるのは 福祉だけの問題ではなく 社会そのものへの危機感が根底にある。このままでは地球が持たないという危機意識の共有、それは人間が自らが招いたことと 有史来繰り返されてきた自然の営みの両面がある、そのことにどう対処すれば良いかという呼びかけである。
 小さな声が 広がり 点から線になれば良し。 それができないのであれば”自己責任”という不確実性&不親切性を孕んでいる。参加者の一人でも良い 一緒に声をあげていこうとする者が出れば という極めて遠慮深く頼りない希望も認めよう。
 次回は 茨城ということになりました。神奈川のTさんや埼玉のSさんという強い味方がいる。一年かけ どんな集いを行うか 今回 その宿題を課せられたと私は感じている。
 我が県には新千歳空港や中部国際空港が有る訳でなく 茨城空港はあることはあるが1日数便しか飛ばない、全国に名を馳せる温泉場も無く新幹線もない。
 無い無い尽くめ・・・・ が それが近い将来 時代を先読みしてきた茨城と誰しもが認めざるをえない時代が必ず来ると私は確信する。物が溢れ 際限なしの豪奢な建物 夜間でさえ煌々と灯りがともる大都会、お金に対する貪欲さ・・・それが人間の幸せに結びつかないことを日本人が気づき始めている。
 東海村にある原発は 日本で第1号 つくば市は最新の研究機関が集まる日本一の科学都市 。それと これまた日本一の利用者を誇る”鵜の岬国民宿舎”がある。
 それらが どこでどう繋がっているか???? 自分さえ良ければという価値観の是非を探るには 真逆の命題が揃い過ぎている感も否めない。 
 継続は力に成り得るか?
 今回の集まりの後、参加された何人かから連絡が入った。言い足りなかった事 こうしたらどうかというアドバイス、良かったと安心するには まだ早いと自分を戒める。
 今回は”やまゆり事件”の事が主に話された。当然と思います。事件発生から 時間が経つにつれマスコミは取り上げなくなっている。捜査中という事もあるだろうが 真相究明がなされず、このまま風化してしまうのではないかという懸念も出ている。その危機感共有が図れたか? 日本が民主主義を標榜するのであれば 一人ひとりが自らの責任で考えや意見を出すべきだと考えます。永田町では 相も変わらず選挙がいつ頃かという事が関心事 だから審議に集中できない。離党しホトボリが冷めた頃に復党する。公言したことも簡単に撤回してしまう 今の政治は 何を誰を信じて良いのか 私には大いな疑問がある。この劣化を外国の心有る人達にはどう映るだろうか?政治が社交場(サロン化)化する大きな要因は有権者の無関心、諦め、不信感という負のリンケージだ。恐らく 政治家がでは無く 良き政治家を育てなかった我々の責任は大きいと私は考える。豊かさの代償だからこれ位ならばと遠慮してきた積み上げが根底にある。そして気が付けば 修正不可能な状況に狼狽えていないか! 今回 福祉の関係者が集まって議論して 何が変わるだろうか!という疑問が出され更なる強いメッセージも頂いた。今のままでは 国が持たない。地球が持たない。多種多様な人達も巻き込んで この先 どうあれば良いかという事を誰もが考えるべきだと何人もから意見が出された。それが 今回の第2回目の収穫だと捉えたい。
 ★『御用』という意味を辞書で調べると 5つの意味がある。その4番目に「権力のある者に迎合し、その利益のために働く自主性のない者」(広辞苑)というものがある。
 日本人は 古から民族や宗教に対し 特異な憧憬をもって その純粋性や風土を強かに守ってきた世界でも珍しい人種かもしれない。それが 違った考えを持つ人たちを集団で排斥するような行為を是とした面がある。人や物の交流が地球規模でここまで進むと過去の日本人が営々努力して得てきたものが守りきれなくなり、どうしても数値化し易いものを偏重することになった。その最たるものが”経済”であり、その優劣と競争には どうしたって格差が避けられず目的化されてしまう。格差を是認し正当化する度量は今の日本には無い。
 福祉とは何か? 人類共通の願いを集積し統括する言葉だと私は信じる。 近代日本の歩んできた道を 選択の実験という見方もあろうが、もういい加減に 反省と修正に本腰を入れるべき時だと思う。言葉の重みと信憑性が薄れ、これから先に 何が起こるか? 誰しもがこの不安感を共有してしまったのではないでしょうか。
 ・・・・そんな風に愚痴って お前は 何ができる!・・・・ 常に背後霊の如く付きまとうこの問いかけは 恐らく私が生きている限り逃れることはできない。
 名古屋から帰って 何本かの電話があった。その中で、” お墓に○○家ノ墓と彫ってしまったのですが これで良いのでしょうか?住職さんに聞きたくてすみません。”というものだった。 『絆』という字をご主人が好きだったから墓石の正面に彫りたかったという。”もし そうであれば 墓石の後ろ側か墓誌に彫ることも今からできますよ。”と話すと考えてみますと言って電話が切れた。2日後の朝、そのご主人が86歳で亡くなった知らせを受けた。
 

2992:スケジュール

 【月月火水木金金】大日本海軍の艦隊勤務を表わす軍歌、艦内では訓練ばかりで 有事に備え、常に臨戦態勢を旨とした、今日、戦時中を語れる人がどれだけいるだろう? 【ゆとり世代】は、労働と余暇の棲み分け議論から生まれてきたと考える。一方3K等の造語もあり、職業に対し、入口レベルで差別化する。誰だって ゆとりある生活を望むでしょうよ。福祉の仕事は 長い間、その作為の風に晒され、本来の職業としての価値が見えなくなった。
 ただ、現場を預かる身として どうしても言っておきたいことは 今時 福祉現場に人権を無視した過酷な労働を強いるなど有りはしない。労基署の目が光り、違反すれば処罰され、事業継続はできまい。敢えて言わせて貰えば 経営・管理者には法の適用が無い事だ。誰に訴えれば良いのか教えて欲しい。
 昨夜、中学時代のミニ同窓会、友人が15年前に始めた蕎麦屋に18人が集まり、和気藹々楽しい一時を過ごした。「お~い 22日は暇か~?」「何曜日だよ?」・・・どうせスケジュールなんて空っぽなくせに(よこやり)・・・俺は忙しいんだよ 出勤時間は定時だし・・・・仕事?・・・違うよ パチンコ屋(よこやり)・・・・
 全員が前期高齢者、これは全く疑いなし。ただ 地元に住んでいても顔を合わさないから 名前が分からない同士もいたようだ。卒業後、半世紀 「最近 死んだヤツはいね~べ~」どうしても私が居ると その流れになるらしい。
俺に聴いても判る筈ねエ~べな このバカタレ!
 朝起きて先ず思うのは  今日は何をするべきか! 昨日はマルハン 今日MGM 
 これを”ゆとり”ととるか否かは自己責任。 ついでに話題に出たのは 日々向き合うボールの大きさ、最初は何を言っているのか判らない。小さなボールはK君で大きなボールはM、中位のボールはKちゃんと 解説付いて了解した。パチンコ & ボーリング &ゴルフなり。
 経済大国 ニッポン 大したもんだわな~。孫はカワイイな~ 。 子は親の背中を見て育つんだよな~・・・・(何 言ってんのオマエ)よこやり。
 
 過去を振り返れば 一瞬の出来事 思いを馳せれば 涙・笑いあり。 先を想うと 立ち尽くし 不安が過ぎる。今を大切に これは限度を弁えねば 将来に禍根を残す。過去・現在・未来 と三世に渡り 人の営みは続く。
 諺に「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」とあり、人との縁は避ける事ではなく 受け入れていくことが肝心。それが出来るか否かは己れ次第。
 ≪ありがとう≫≪おかげ様≫≪おかまいなく≫・・・・・ 日本語は その語源を辿れば より理解が深まる。
子は親の背中を見て・・・云々は 今の時代 果たしてどうなのか ならば大人たちは 大いに反省しないと 親子は一世が泣くではないか。
 障害福祉の世界に長く身を置いてきた。 親子関係で極端なものにぶち当たることが多いと感じます。理由を問わず凝縮され頑なになった関係に 第三者が一切立ち入ることを拒む現実、それと向き合う事が お節介なのかどうかさえ 判らなくなることが起こる。 仏教語で「かまえなし」「無功徳」というものがあります。これは こうしてあげたのだから その見返りがあって当然だと考えることを戒めた教えです。 
 腹が減ったら飯を喰い、寝たくなったら横になる・・・・・・これって 人間様だけのことだっけ? 我が家にはオス猫のミイがいる。彼は 生まれたばかりに兄弟3匹で寺の玄関先に置かれていた。お寺には既に先輩の猫がいたので2匹の兄弟は猫好きの知人に引き取られ、ミイだけが残った。ミルクを自分では飲めないので 哺乳瓶で飲ませ、幸い元気に育ち いま 大きな顔して夜は私の布団の上で眠ています。猫語は判らないが 何か通じ合う関係にいつしかなりました。
 猫はその日その日を生きている。明日は何をするか 当面の課題は何か?など 恐らく考えていないだろう。 それに比べ 自分は 予定表(スケジュール)と睨めっこ なぜか 追い立てられるような置き忘れたような気持ちで先々を心配し生きている。
 予定通りに 事が進む訳が無し。判っちゃいるけど 止められない。
 究極の話、 人間の全てが 己の身罷る日が判ったら どうなるか?
 お互い仲良く 独り占めなど考えず 分け合って生きるでしょうか?イヤイヤ そうれは難しい。 必要以上のものを貯め込み それでも満足しないのは 地球上の生物で 人間様 だけ。 此処んところを 気を付けないと 不味いわな。

2993:隻手(せきしゅ)の声

 白隠が”隻手声あり、その声を聞け”と参禅者に向かって問うた、隻手(せきしゅ)の音、片手でどんな音があるかという公案。私は いま真言宗の僧侶、若い時分から 本を読むのが好きだ。宗教書は乱読し、キリスト教や仏教に何か共通する所があるはずだと・・・・・。書かれたものから知ることに限界を感じながらも 何かに疲れたり迷う時に手近に置いたその類の本に目を通す。
 現代人の価値観は 死んでは何にもならずと考える。先哲はそうは考えず 純一無雑の道を歩むことで生死を逸脱しようとした。我々凡人には先哲がきわめた悟道を行うことは難しい。でも何かの救いを求め安心を得ようとする。
 仏教は難解だと私も思う。言葉や実践から入ることには 無理があり 中途で断念してしまう。隻手の音声 両手で打てばその音は聞こえようが、片手の音はと聞かれれば 思考は止まる、一体何を言わんとしているのか。ある方の見解は 拍手そのものではなく 拍手しようとしたその思い、何故 そうしようとしたのかということ、それは音とか言葉ではなく 魂であると。 魂=自分と捉えれば 自己が自己になりきること それは真言で謂う 身口意の三密行と重なる。禅問答は狙いは一つ 見性大悟(けんしょうだいご)、三毒と言われる 貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩と我々凡夫は どう向き合うかという自問自答。
 障害福祉に関わってきて 未だにそれが出来ているかと言えば”NO”、当事者主体という意味は分かるけれど 果たして それが出来ているかと言えば”NO”、差別解消や虐待防止など、世の中に 溢れる言語、だがそれへの違憲行為は止まる事を知らず彷徨っている。何故でしょうね!いや~ どうでしょう?これって障害福祉だけの問題でしょうか?
懸念していることは障害という言葉の持つ意味。障害が無い人間が果たしてこの世にいるのでしょうか? 身体やこころの病は誰しもが本来持ち合わせているもの、だから障害という言葉を使うこと自体が差別ではないか。
 言葉が出ない・目が見えない・歩けない事の不自由さだけを捉え”障り”と考えるのはおかしい。
 世間には目で確かめること・耳で聞く事・言葉で意志を伝える事が苦手な方がいます。 私は この国の在り方にズレを感じている。自助・共助・公助 核心の議論を避け踏み込めない 隻手の声を聞こうとしない人達と聞こうとする人達の格差が拡大していることですね。
 芝大門近くのホテルに一泊 早目に起きてしまって 近くの増上寺に行った。早朝にも関わらず何人かの人達が大殿本堂に向かって手を合わせる姿があった。
 
 私の寺にも 本堂の前で手を合わせるご夫婦、六地蔵石仏の前で立ち止まり 手を合わせる初老のご婦人。いずれも犬の散歩でほぼ毎日見えられる方達です。何を願っているのかは 分からない。
 人間の体は 使わないと衰える。低下する機能を補うものが随分世の中に出回っている。でも こころに関しては いかなる便利な器具を用いても不可能ですね。最近 感動したことが有りましたか?と問われて 迷った経験はなかったでしょうか。感動は こころの一番の機能回復。
 隻手の音声は その事に通じると私は思います。私的な体験です。私の父の男親は 27歳で亡くなっている。先日 稲沢市にある墓に息子を初めて連れていきました。随分ご無沙汰していたので 墓地が見つからず 住職の奥様に尋ねたら 丁寧に教えてくれた。墓石に彫られてある祖父の戒名が読めず 住職に後日教えてもらった。庫裡の仏壇の位牌に加えた。記憶はオボロゲだが私が父に初めて名古屋の寺に連れていかれたのは 私が30歳前後の時・・・・・・・。
 それがあってから 私の気持ちが大分楽になったように思っている。
 高野山の奥ノ院には今も弘法大師が生きて禅定を続けているという。この事の解釈は様々 でも それを信じることは 他人が口を挟むことではないはずです。
 

2994:声なき声

 サイレント・マジョリテイ「物言わぬ多数派」に対し、ノイジー・マイナリテイ「声高な少数派」という事が謂われ始めたのは 丁度私が東京に出て独り暮らしを始めた頃(1970年前後)だったと思う。ベトナム戦争の反戦運動で学生たちが盛り上がっていた頃、正直私はノンセクト 傍観する側に身を置いた。いつも後ろめたさがあって 友人達とその種の議論を交わすことを避けていた。それから50年の歳月が過ぎて基本的には己自身は何も変わっていない。ただ、物言わぬ多数派が果たして皆さん同じ考えかというと、ハッキリ”NO”。それは中味の問題で 多分、今を生きづらさの中で精一杯生きている人が大勢いるはずです。でも 悶々しながら一歩踏み出す力は弱いのではないでしょうか。
 新東京都知事が自らの政治塾(希望塾)開講式の場で、≪今の日本にはなんでもある便利な時代だけれど 唯一”希望”がない≫と語ったとか。
 その時 ある歌が浮かんだ。   ♪ 希望という名の あなたをたずねて遠い国へとまた汽車にのる・・・・・・(最後) わたしの旅は いままた始まる ♪ 岸洋子が唄い 1970年代大ヒットした曲である。思い出。夢。恋とい言葉から始まり最後は悲しみ。道連れ。涙という言葉が入る。この繰り返しの中で 私達は今を生きている。
 さーて! 小池知事 貴方は 都民ファーストを掲げ 当選後 破竹の勢いで改革に挑戦しています。 これが果たしてこの国の政治の流れとなり得るか、現代の民主主義には 大声を上げない、見えない大勢力への配慮が不可欠という。ただ これから育つ子供たちに夢が語れるような国でありたいと願う人は間違いなしにマジョリテイ。だから大人たちの責任は大きいと思っています。
 その責任を果たすのに 残された時間は 確実に減っている。
 介護を受ける立場に身を置き、遠慮して寡黙に生きる老人が多すぎませんか?ウルグアイの現職大統領だったホセ・ムヒカ氏が来日した時 この国には老人の笑顔が無いと語ったというが、老人は何も片隅で生きることはないはずです。むしろ 誇りをもって 子供達と一緒に夢が語れる状況に向けて一歩踏み出そうではありませんか! 豪奢なホームで老後を完全看護で暮らすことに喜びを見い出すか それとも 生まれ育った処で 子や孫たちと共に暮らすことを選ぶか 貴方はどちらを選びますか?
 
 海浜幕張で関東地区の代表者会議がありました。各県より種別ごとの代表者が集まり、当面の課題や実践の発表などを通じて学び合う。久しぶりに海浜幕張にJRを乗り継いで向かった。土浦からだと常磐線で東京駅で1回乗り換え約2時間で着く。茨城から仲間が16名参加してくれ 夜遅くまで懇親を深めた。東京湾臨界地区には工場や大きなビルが建っている。幕張には東京デズニーランドへのお客を当て込んだホテルが沢山あるが 気のせいか宿泊者は 思った程多くは無いように感じた。
 今年になって 数えきれぬ程、法改正関連の話を聞いた。国から政省令が中々示されないので いつも 肝心な部分の話は聞けず、お預けをくう。正直私は改正論議にウンザリだ。
 電車の中で ハロウイーンで仮装した人達に出くわす、 世の中 随分様変わり 彼らは何ら恥じらう様子無く 堂々と街中を歩く 周りにはその写真をとる人達。彼らは 声を大にして訴えたりはしない。
 鬱憤を晴らすためかどうか知らないがそこに自分の居場所を見つけ満足しているように思った。
 
 10月の愛知県での集まりで始めて知り合った方とメールの遣り取りをしています。有難いことに私が一方的に送ったメールに全員が丁寧な返事をくれた。その一番最後に届いた方に直ぐに返事を書き、ついでにお願いも書いた。 その方の印象は最初”黙して語らず”型の人なのかという事でした。豈図らんや部屋に戻ってから 実に面白い話が聴けた。某県立の大型施設の解体縮小を指揮し、今は一年の半分以上は福島に居をおく。何をしているのか? 福島復興のお手伝い(?) 自らの経験を活かした活動は 福島全県下に跨っている、その一つ総人口607名の桧枝岐村に入り 未だ無かった自立支援協議会を立ち上げた時、「村で障害者の相談支援の登録者が何人いますか?」と尋ねたら「村にはいない」と言われたという話、日本一人口密度が少ない村には 恐らく 一般的に言われる障害者はゼロなのだと思ったという。
 現代は近視眼的な施策では 道を誤りかねない。国が示す一億総活躍の議論の中で 地方創生への目論見はどうなんでしょう?東京都であって東京でない 多摩地区と23区との格差や 寺があっても檀家がいない福島原発強制退去の町、逆に人が居ても墓が無い東京。私はどうしても 自らの草鞋・坊主発想でものを考えてしまいます。反省!
 ・・・・経済的合理性という「最後の信仰」が崩壊した・・・・『グローバリズム以後・アメリカ帝国と日本の運命』エマニュエル・トッド著 を今読んでいる。その中に【民主主義はだれを幸せにするか】P126.がある。各国で今 民主主義が機能不全に陥っているとすれば何が原因しているか? それは自由貿易という経済思想だと明言する。民主主義は元来 個人主義的傾向の強い国で起こったもの、だからそれへの偏執により共同体の絆の崩壊は免れない。障害者の地域移行を掲げても 地域の許容量が減少の一途、うねりとなるには程遠い。昨今の権利と義務の有り様と同じく様々な分野でアンバランスの修正が効かない 恐らく政治や法律でどうにかしようとしても無理だろう。そうこうしている内に 格差の拡大やテロが頻発し それを正当化し理論武装する思いばかりが醸成され社会不安が今以上に増すと考える。
  人間福祉にまで その経済思想の取り込みが加速している。規制の緩和策で急増した受け皿、いま巷では何が起こっているか 限られたパイの奪い合いと有って無きに等しい福祉のこころ、 国は財務省や公正取引委員会を同席させ 今まで時間をかけて築き上げたきたものを葬ろうとしている。国の明確な方向性がなく 単に経済的合理性を根拠にした福祉事業の大規模化推進に異議あり。逆に問いたい!貴方たちは無駄をどう捉えるか その肝心な議論は 残念ながら 誰もしようとしない。(声なき声) 

2995:歩歩是道場

 正直・素直な心をもって己事究明すれば いかなる場所に置いても 自らを高める道場となる・・・・・歩歩是道場(ほほこれどうじょう)。
 歩歩・・・・ゆっくり 一歩一歩で良いと。正直・素直な心???? 実はこれが難題でしょうか。世間には 相手の嫌がることを 意図して行う輩もいます。逆に諂(へつら)い、気に入ってもらい、あわよくば 自分に有利なもの(立場)を得ようと画策する徒もおる。 仏教説話に パンタカという十六羅漢の一人になった方の話があります。その方がまさに正直・素直な生き方の代表と言えましょう。

 アメリカの大統領選が終盤に入り ご両名の心中を察するに 戦々恐々、勝利を獲る為には なんでもござれの様相を呈しています。それと お隣の韓国も 一体どうなっているのやら トップの座を射止めると恐らく腹心にすら 疑心暗鬼を持ってしまう。 これはその立場の人の宿命なのでしょう。
 今の時代 誰がなっても大変ですよ。情報網が張巡らされていますし 一国の問題ではなく 他国との協調や交渉力が要求されます。そして 結果を出さないと批難をあびる。
 歩歩・・・ゆっくりという事が許されぬ状況で 瞬時に判断を下すというのは 所詮無理なのです。 清貧が肝要と言われても 果たして私欲無く 暮らすことが 可能でしょうか?
 己事究明・・・・ 自分自身を知ることは 誰にも通じる生涯の課題と考えるべし。私はずっとスマホを使わないと考えていました。今までガラケーで充分事足りていた。それが いつの間にか電話帳が容量不足となり 新しい電話番号が入らなくなってしまいました。1000件の電話番号を登録し空きが無くなった。暫くは 不要になったものを消して 新たな番号と交換してきた。それが もう限界に達し、結局らくらくホンとかいうものに2日前に取り換えた。
 なぜ こんなに登録数が増えたか 今は 部厚い電話帳なんかありません。登録しない人が多いから。私のは  寺関係のものが多い。昔は10人講で 悔やみが出来て相談した。そのような習慣は完全に無くなった。お寺の予定は未定なんて言っておれず、葬祭業者が一切を取り仕切り、分刻みで葬儀がすすむ。その殆どが電話での打ち合わせになったから 自然に登録者が増えた。
 皆さん ご存知ですか? 葬儀の際に 住職の前に時計が置かれていることを・・・・・・・。世も末というのか 歩歩是道場 ここは 落ち着いて 只管・・・・・ムニャムニャ。
 
 結婚式・・・日頃お付き合い頂いているお寺の副住職が結婚することになった。数か月前に 今度 嫁さんが決まりましたとニコニコしながら報告を受けた、それが昨日つくば市の式場で行われました。決して派手さはなく、落ち着いた感じの式になり、とても良かった。これで 住職も一安心か、出席した寺方で私は確実に年齢では上席、久しぶりに会う住職もあり、「いつ 住職交代をするか 難しいよ。そっちはどうなんだい?」と聞かれた。
 そうだ私と同じ年 66歳 お互い副住職もいて そろそろゆっくりしたいと考えているのは 同じ。名誉住職という形で隠居する寺もあるやに聞いているが、どうなんだろう?
 自分がどんな立場でも そこで精一杯つとめれば 良いではないか。
 周利槃特(パンタカには 兄がいて 摩訶槃特という。兄は優秀で弟は何もできない。兄は大路+路辺生、 弟は小路+路辺生という名があり、二人は 道端で産まれたようだ。 兄の勧めで釈迦の弟子になったが、弟は経の一偈も覚えられず、修行について来るのが難しい、そこで釈迦は一本の箒を与え 堂内の掃除を仕事として与えた。パンタカは毎日毎日一心に掃除をして 覚ったことがあった。 それは”汚れが落ちにくいのは 人の心も同じ”ということ。生涯を通し 只管 掃除を続けることで 16羅漢の一人にまでのぼることになった方である。
 
 今の時代 そのような話をしても通じるだろうか?お金さえ有れば 心さえも手に入ると考える。 お金は 使い方 如何では 身を滅ぼすことになりかねない。これは 永遠に変わらぬ人間のサガと謂われている。 
 
 歩歩是道場は 趙州録(800年代 唐時代)からの出典、それには当意即妙に禅の教えを説いている。今から1200年昔の話ですから 凄い。座右の銘とする人も多く、時代がどのように変わろうと その真意は受け継がれて今に至る。正直 私にはスマホを使いこなせない。何でも ガラケーという機種が生産中止にされるとか耳にしたものだから それなら仕様が無いと買い換えた。今までの充電器は使えず また無駄にしてしまった。まだ一週間経ってないから 電話に出るのが間に合わない。どこを押せば良いのか瞬時に決められず、それと胸ポケットにさして持ち歩くには 重すぎ大き過ぎ。世の中には 持たなくても不便と感じない人もいる。
 最近の機種の機能は 確かに凄い。電車の時間と地図、それだけでも正直恩恵は得られそうだ。 ただ問題は残るでしょうね。今以上に利便性を求めて行けば 親から受け継いだ能力は確実に退化する。キイ操作一つで答えが出るならば 工夫しなくなる。その分 ゆとりが生まれ他にやるべき時間が増えれば良いのだが 全く逆の現象が起こっている。
 程々が良い。 ただ、文明の利器には決定的な弱点がある。それは動力源、もし 充電できなければ 単なる持ち物で無駄になる。福島原発の廃炉経費、あまり騒がれないが 補償費を含めると概算で10兆円を超えるとかいう、東電が果たして その費用を全て払えるのか否か?払う心算はないのかも。
 誰かが言っていた これから重要なことの一つに 循環性があると。 今日の思想で仏教の考え方と根本的に違うのは 足るを知ること 様々な欲望を抑える力を養うこと それを可能にする利器は 開発対象にのらない。
 欲望には不安が付き物、実は幻想でそれに気づいた者から 変えるのが 早道かも知れません。誤解を恐れず謂わせて頂けば 循環性を経済中心に考えれば 当然 大量消費大量生産 まだ使えるものを捨て 新たなものをお金で買い求める。これ以外に 残念だが あらゆる叡智を結集しても 浮かばない。

2996:老いてたまるか!

 三日前位から鼻がムズムズし クシャミが出た。イヤ~ 参ったな。風邪ひいたか? 最近は 寝込む事は殆どなくて 暇さえあれば軽トラックに乗って 場所構わず草刈りばっか。それが パタリとやる意欲が消えた。
昨日は 体の節々が痛くて じっとしておれず 横になったり トイレに行ったり なんだか知らないが 膀胱の機能が衰えたのか  それでも 法事を3件済ませたのは ご苦労さん! 読経途中 なんどクシャミが出そうになったことか 尾籠な話だが 鼻水が出そうで 終始 天井をみて 経を読む。
 集中できない。法要中 買ったばかりのスマホの音が鳴った。あああああ またやった!消すのを忘れた。同じ過ちを繰り返すとは ! 一種の職業病 携帯を首からぶら下げていたのがやめられない。ガラケーと比べサイズが大きく それを四六時中首にかけている。異常かな?
 どうにか 風邪を治して 老いてたまるか!ってエイんだよ。
 先輩がやっている病院に通院、いくら測っても平熱、ドレドレと聴診器、 異常は無し。先生がどことなくニヤニヤしている。≪住田さん 最近 どうなの?≫とスイングの動作。「なかなかできなくて」≪○○さんは 檀家? 一緒にやりましょうよ。今度 誘うから! ハイ お大事に≫ 多分、気のせいだと思う 貰った薬を飲んだら 大分体が楽になる。
 家に引き籠っていたら 大阪の友人からの郵便が届く。河口慧海の展覧会のパンフが入っていた。恐らく 自分が買ったものをコピーして送ってくれたもの。河口慧海は知る人ぞ知る 明治~大正~昭和初期、梵語の原典を求め 日本人として初めて鎖国中のチベットに入った人物、堺市出身で黄檗宗の僧侶、後に還俗し 大正大で教える。『西蔵旅行記』
 私の父は 大正大で河口教授の講義を受けた。
 なんともま~ 凄まじい。漢語訳の仏典に疑問を持つということ自体 私とは別世界。漢語訳経典の意味さえ理解できず 檀家さんの前で経を読む。それは もう ナマグサと称する以外に無いだろうよ。
 現実には ああだこうだ 大変だ どうしたこうなった・・・・・毎日毎日 この繰り返し。還俗し田夫野人になる勇気も無く、名を比丘にひして 伽藍を穢(けが)すこと甚だし。 密厳院発露懺悔文を毎朝唱えても こころ穏やかにならぬ。そんな時 Sさんが 私の所にきて 床に正座 私にも一緒に座れと促され 何をするのかと思いきや 深々と頭を下げるのだった。それを見つけた職員が『 Sさんは 昨日ホームの○さんとケンカして もうしませんと言っているんだよね 』と言うと≪ウン≫と頷いた。 もう 悲しくて 嬉しくて 私も 頭を下げました。
 人間の心と体は いかに脆く弱きものかと思います。修練を積み 頑強に思えても 実はそうではない。 今を精一杯生きよというのは 明日はどうなるか分からないからだ。アメリカ大統領選挙 トランプ氏が勝った。投票前の予想を見事に覆した勝因は何か? 日本にとって アメリカが特別の国故に マスコミも政界も経済界も挙って強い関心を示す。 自国のことより他国のトップに目の色変えるのはどうなのでしょう。
 ドイツや英国の動きはニュース等で取り上げるがLIVEで流すことはない。大統領の選び方は それぞれの国で異なる。日本は首相を国民が直接選ぶことはできない。その仕組みの是非論は燻っているが いざ変えようとすれば手続きが複雑で難しい。ただ、小手先の制度改正をしても 今回のアメリカ全土を蓋った国民の熱狂をこの国に求めることはできまい。 また 中国のように 国民が投票する機会さえない国も存在する。
 次元は比にならぬが尚恵学園でも 法人の在り方を検討している。各事業所から委員を選び 月1回のペースで検討会を行っている。予定通りには なかなか進まず、苛立ちは隠せない。考えれば 当然なこと、問題意識が一様でなく 過去の検証といっても 経験が異なるものが どこの何を検証するかがマチマチだから。
 ”共生”の実現には 条件がある。その最も大切なことは ”共感”できる人間がどれだけいるかということだと指摘されたことがあった。足枷要因として 大した事は無い職員の数の増加と事業所が分散したことが大きいと。同じ法人で理念を同じくしているはずが 日常業務の中で共通認識を計る機会が実に少ない。これではな~! 良く聞く話、仕事量が増え、お互いに情報を交換する時間がない。そして お決まりのストレスが発散できず 挫折する。
 この負の連鎖は教科書通り  このスパイラルから如何に抜け出すかを議論するためなのに そこまで至らず。 焦りではなく 諦めでもなく ・・・・・ 私の場合、出てくる言葉は ”老いてたまるか!”となる。
 そこで 毎度の仏教では・・・・と救援を仰ぐ。四弘誓願にある菩薩の願い。過去現在未来 これ(煩悩無尽)は 当たり前の真実だと諦めよ!との声を聞く。  

2997:己事究明

 禅語「己事究明」とは 、人間の究極の目的、我が真言での「如実知自心」と同じ、その思想体系を 臨済禅では「十牛図」、真言では「十住心」という異なる方法によって説かれる。真言は月輪観法やア字観法によって禅定に入り、自分とは何かという課題に対し 段階的に信修獲得する方法を明かす。・・・・・・・。それは『なぜ生きるのか?』ではなく、『どのように生きるか?』を自らに問い続けること。
 現実には 雑務に追われ 深く内省の時間を持つ事は難しと思うが 気付いた時には 自分を見失い 心身共に疲れ彷徨って生きているのではないでしょうか?十牛図に示される ①尋牛・・④得牛・・・⑦忘牛存人・・・という悟りへの階梯は 人間と牛を絡めて 真実とは何かを一歩一歩覚らしめる。
 さてと 今の時代 日常生活の中で 牛歩戦術で段階的に確証を得ることなど出来るのでしょうか? 過剰な情報から選択するのは至難の業、テレビは 常に視聴率を意識し、本来の使命からはズレて興味本位な番組を修正できずにいる。新聞の購読者の減少も根っ子は同じ、信頼性の回復を焦り、作為的な論調が目立つ中で、自己矛盾を露呈する。
 社福法の改正によって 福祉の現場は本来の姿を見い出せない危うさを持っている(将来への展望)。改正ごとに膨大な資料がうず高く積まれ 理解されず 倉庫にしまい込まれる。これをムダとは謂わず、何か起こった時の為の弁明の証とみなす。これは本来の姿との大きな乖離でそこを認めようとはしない。 近年益々激しさを増す制度の見直しは異常で、制度の不備を改めるというよりも解かり難い。 総花的で中途半端、だから周りは どうせまた変わるからと冷めた目で眺めざるを得ない。 どうしてこのようになってしまったのか???今の日本は何もかもがごちゃ混ぜ、良心無き暴走を許し、更に”自由競争”の産物でモデル化し、御用学者の御託を並べ質の向上と内需拡大との自画自賛 産めよ増やせよの笛太鼓!増えすぎれば どうするか? そこまでの責任は問われない&取る気なし。 地方都市商店街の異様な光景、一向に減らない自死者の数、・・・・・・!
 方やコンサルや人材派遣業、この種の事業は今は元気だが 決して継続性のあるものとは成り得まい。
 アメリカの大統領選の翌日、某新聞の一面は「既成政治批判」「内向きな超大国のリスク」という言葉で今回の予想外の選挙結果(?)の衝撃を評した。 自由貿易やグローバル化によって今何が起こっているか?株価の上下やGDPのランク付け、その数字の信憑性に疑義を感じながら、手持ちのカードではそのズレを説明できまい。日本ではTPP承認を先延ばし、 理由はどうあれ主役のアメリカがTPP反対の大統領が選ばれた以上 さてどうする?。
 おそらく 日本も軌道修正はせざるをえまい 与党も野党も いつの時点の自分達の主張かを検証し 責任の擦り合いが起こるかも! 20年前「京都議定書の屈辱」と謂われ EUや米国から攻められたニッポン、その後「パリ協定」批准での遅れを国民に充分説明されてきたでしょうか?使われなくなった農地や荒れ果てた山林に急増した太陽光発電、これだって先行きは全く不透明、 5年過ぎて未だ廃炉の見通しさえつけられない原発、明確な国の方針が無い中で原発依存は高止まり。強烈なリーダー不在では 原発廃止の決断はできない。その間にも熊本や鳥取で大きな地震が起こり冷や汗もの どっちつかずの政策によく我慢しているなと私は思う。世界の目は そんなに甘くは無いでしょう。ODA原資が枯渇すれば外交切り札は無きに等しい。それが徐々に証明されると思われる。
  
 仏教は「なぜ生きるのか?」ではなく「どのように生きるか?」を今も問い続けている。生命維持に不可欠なものは 空気・水・食料、これを疑うものはいない。 これは釈迦の生きた時代も今も変わることはなし。宗教の価値は一神教か否かの差ではなく「どう生きるか!」で共有できる価値観を持っている事。
 環境汚染→異常気象→資源の枯渇→人口問題→餓死→戦争。世界に三大宗教が起こった時代と現代が明らかに違うこと、それは 経済の豊かさへの誤解、極端な利己主義、ルールなき自由主義等が多くの人々に受け入れられているのではないかという事である。
 日本法では「個人の尊厳」を最高の価値基準において、全ての個人が互いを人間として尊重すべきとしている。国際法では 個の尊厳を『自由、正義及び平和の基礎』として基本原理とした。
 地球図で日本を見れば”島国”なのは一目瞭然、勿論ルール有っての事だろうが 出る入るのバランスは如何なものか? どうしても お金絡みで 損した得したにばかりに関心が向き過ぎていません???
 説明不足もあるだろうけれど 海外協力や支援の実態があまり知られていないと感じます。大分昔のことだが ネパールの奥地で医療支援を女性一人で行っていた日本の看護師さん 今はどうしているかな~? 看護や介護の人材確保に今で四苦八苦している。処遇改善が徐々には進んでいると思うけれど それだけ?何か敬遠されていません???
 小樽と愛知で 25人程で集まった時 若い参加者が最初に驚いたのは 5人部屋で布団を並べ 寝る事だったと告白した。その時 このまま 帰ろうかと思ったとか。 
この集まりの切っ掛けは、若い時 施設に自分の家族も一緒に暮らした方だった。 そして 私はその集まりで知り合った方とメール交換を始めた。

明日の福祉・社会を拓く会の意義は、時に経済優先となり、例えば一人一人の生き方に沿

うはずの相談支援専門員が、経営側からの専門員配置に対する費用対効果を求められ、件

数を抱え込んだ結果、丁寧に一人一人の計画相談の見立てや見直しや、実現に向けた関わ

り、社会資源の創出に向かう力が削がれている事への警鐘を鳴らしていく意味がありま

す。さらに、悩む相談支援専門員に、貴方たちは間違っていないと、声を掛けて志を大事

にしろと鼓舞する役割もあるのでしょう。

是非、茨城での集会を企画してください。・・・・・・・

 という コメントを頂いた。

 

2998:50回忌

 親の50回忌を行う。内心 言い尽くせない様々な思いがあるでしょう。先祖を敬うこころ、今こそ 日本人はその事の大切さを先ず 身近な者同士で語り合うべきだと思います。半世紀前に亡くなった義母は 今を生きている我々にとって掛け替えのない存在であったはず、父や母のどちらかがいなければ 今の自分はここにいない(縁起)。その事に思いを馳せる事は 実は今すぐにでもできること。
 語り継がれてきたものに 耳を傾けてみたら 何が貴方の心に残っているでしょう! あの時に読んだ本、小学校時代の先生の話、仕事に就き 迷った時の先輩の言葉、そして 幼い時・・・・。人により違いはあるはずです 幼い時代 もし 自分が戦火の下を逃げ惑うような記憶があるとしたら どう思いますか? 日本人で70歳に達していない人達は それは 語り継がれてきたことでしかない。
 ・・・・・が いま70歳になる人の親は 戦争の中でどんな生活を送ってきただろうかと想像してみてください。
 釈迦は「此(煩悩)があれば彼(苦)があり、此(煩悩)がなければ彼(苦)がない。此(煩悩)が生ずれば彼(苦)が生じ、此(煩悩)が滅すれば彼(苦)が滅す」と説いた。(此縁性縁起)
 福祉=安心:平和と考えてみると 現代人の多くが 声をあげず 何か他のことに夢中になっている姿が 先人達にはどのように映っているでしょうか。自らは 汗を流さず 世の不平不満を場所弁えず 主張することでなく 安心や平和に一歩近づく為に 何らかの道筋を共に考え歩んでいくのが 今一番大切なことでは ないでしょうか。
 不図 頭に浮かんだこと 自分の50回忌を迎える時は さて どんなものかと? 前後 50年 振り返ると1966年、未来は2066年 現在(2016年)からみてだから これから何年此岸で生きられるかによって ずれる訳だ。
大体 法要では 普通ならば私が経を読んでいる。それが他のお寺さんで供養を受ける側になった時 その時間の長短とは別に 様々な事を考えるものだ。お浄めの席で故人の話が出て 皆さん好き勝手なことをいうものです。
 自分が偉かったと信じ切っているタイプ、その逆で一人隅っこで話を聞くタイプ、・・・・・・。故人の位牌を中心に拡がる話の輪、彼岸から この様を眺めていて 多分 本日の主賓は喜んでいると・・・・・そこまでいけばもう 清宴はお開き。
 冠婚葬祭のやり方は 都会から変わる。都会には若者が集まるが 年寄は都会から田舎に戻る。それも お骨や位牌と共に。
 1年位前になるだろうか 浜松町で集まりがあり 泊まったホテルがJR線のすぐ傍、恐らくモノレールも並んで走る線路沿い、夜中まで引っ切り無しに通る電車の音がうるさくて眠れなかった。もし、そんな場所の墓に自分が入るとしたらと考えたら目が冴えてしまった。 幼い頃 田んぼを流れる小川で”かわぶし”をして遊んだ そんな所で私は眠りたい。 縁起でもない! 暗い!と謂われそう。でも よーく 考えてみなよ。あんた長生きしたいって 150歳まで生きるんか? なんだって頃合いってもんがあるだろう。それって 大分先だと思ってるの?
 なんでも しわやシミが取れるとかいうコマーシャル あれってモデルさんだよ。プロだね。元が良いんだね。自分と比べちゃ~いけませんよ。最後の最後は 綺麗なべべ着て化粧してくれるから心配すんなと私は言いたい。

2999:元気づけ


 寒くなってきました。 境内の欅やイチョウの葉が落ち始めています。今年はモミジの紅葉は遅れ気味、鐘楼堂の周りが赤や黄色の葉でパーット明るくなる時を狙ってカメラを構える人も増えました。昨日は水戸での会議に電車で行きました。どうも自分で車を運転していくのも疲れるので 冬場はなるべく電車利用しようかと思います。70歳になると免許証の書き換えには講習を受けないとならないという 自分の歳を感じます。まだ4年先ですが あっという間でしょう。気力が衰えると苛立ちが増える。そこなんですよ。昨日は 水戸駅近くの会議、なんと 代理出席が8割 意見も全く出ず、結局30分程で終わった。
 昼抜きだったのに気が付いて構内の蕎麦屋で立ち食いし、電車に飛び乗り帰ってきました・・・・・・・・。今日も水戸、夜が遅くなる。電車で行くことに決めた。
 これは一例ですよ。何か変だよな? これって意味あるの? 
 もう 全てや~めた!と言いたいよ。
 このままでは ドンドン元気が消えて行く。 自らを変えねば どう仕様もない。煽てられ調子に乗っているからだ!との天の声。大分着ぶくれになって身動きできず、一枚一枚脱がせていただこう。
 体に燃えるものが無ければ衰える。
 いつも この時期 頭に浮かぶ。「裏をみせ 表を見せて 散る紅葉」「散る桜 残る桜も散る桜」 良寛さんが 今を生きていたら どんな辞世の句をお読みになっただろう?
  今日 テレビの取材に来ると言う。担当者が突然やってきて お寺の駐車場を貸してくれという。何の取材?と尋ねたら なんでも”まだらナメクジ”がこの辺に出るという視聴者情報があって それを捕まえにくるという。
 昨夜 また 関係者から電話、「テーブルと電気を貸していただきたい」という。なんで?と聞くと取材班の到着が5時過ぎになるという。????? 真っ暗でナメクジが見つかるのかと尋ねると いなければ仕方ないという。
 テーブルは何に使うの?と尋ねたら タレントさんがナメクジを料理して食べるのですと。これをカメラに収めてどうするのよ?とはさすがに尋ねる気力は消えた。 もう~好きにやったら!
  世の中 変でしょう? そう思う 私が変なんでしょうか? 紅葉でなくて ナメクジの取材??????ねエ~
  ちょっと前まで ポケモンGOで寺詣で 今度はなんで 人が来るかわからない。住職!しっかりしろよ。 
   ★マダラナメクジ:軟体動物門柄眼目コウラナメクジ科で外来種。2006年 茨城県土浦市で初めて発見される。(ウイキペデアより)
 そうだ!!今度はナメクジで地元PR!さっそく 作戦会議しないと。  
 
 寺の周辺は 宅地開発が進んでいる。5~10軒程の建売&注文住宅、建てると直ぐに売れている感じ。市街化地域で まだ農地として残っている所が結構あるからで 恐らく ある程度の広さを確保するため 複数の地主の協力を得て 宅地開発されている。JR神立駅の橋上化工事が始まり、駅の南と北が大きく様変わりする。アクセス道路も整備され 完成した暁には 土浦市の北の玄関も使い勝手が良くなるはず。それを見込んで 住宅を新築する人がいるんだろう。
 それはそうと 昨夜 水戸で集まりがあって 飲んでしまったから 急に泊まるホテルを探すが 空いている所が無かった。いつもなら 当日でも充分泊まれるのに どうしたんだろう。仕方が無いので電車で帰ろうとしたら 常磐線は事故で相当な遅れ、特急が幸い30分後に出るというので 一駅先の土浦まで行くことにした。飲めない酒が入り、危なく乗り越すところ 特急券を確認にきた車掌さんが起こしてくれた。10時を過ぎていたのでタクシーを拾う。「電車動いたんですか?」と運転手に聞かれた。大分長くストップしていたとのこと、「可哀そうなんだけど 迷惑なんですよね」と独り言、そうか 人身事故があったのか?一週間で3回あったと教えてくれる。
 事情もあるだろうけれど できれば生きる選択をして欲しい。
 誰にも相談できず 独り悩み苦しんでいる。この心の問題を どうにかしないと。それと 全く外見からはそう見えない人が 解決策が見つからず 思い余って・・・・・・という事件が増えている。
 
 人は誰もが寂しがり屋・・・・そこを弁えないと 無理をする。自らを誇るのもいい加減にしな。お天道様は良くみてる・・・・・・。私が20代の頃だった そんな風に語った方がおりました。今は もう冥土にて 悠々と 暮らしているに違いない。
 昨日は ある方のお誘いで これまたある方の出版記念の祝いの席に参加した。あまり そんな場に出たことがないから 戸惑いがありました。開宴から30分 お互い 交流を深める場なのですね? 
 障害者にどう向き合うか? 本当に人それぞれ 良かれと思っているのか否か? こうしたい~ああしたい~ それは誰も同じでしょう。殊更に さも ことさらに ”障がい”と謂わずとも 良いのにな~!
 仏教に”十善戒”がありますね。だってそうじゃ~ないですか?その方々の立場立場はございましょうよ。でも 良く考えてみれば ”障り”がない人生がありますか?
 千代田線を北千住で乗り換える。またしても 常磐線は遅れ、車中の誰もそれには無関心・・・・・。

3000:13回忌

 独言を書き始めて丸12年が経過、まだ福祉施設でホームページを作っている所が少なかった。近くの電気屋さんに一から指導を受け 自宅で作り始めた。合縁奇縁 その時々の出来事を自分の言葉で書いてきた。2004年版が発端、今までに何度止めようと思ったことか。それが積もり積もって3000回、明日書けなくなっても構わない、自らの思いを綴ること、全責任を負う覚悟で、徐々にその内容に変化、一時、良く問い合わせがあった。「もっと見やすいものにHPをしませんか?」 それを全て断った。大きなお世話!外見を繕い 何処の誰かしらない笑顔の写真を掲載・・・・・ そこに違和感をもった 今もこうやってホームページビルダーの説明書を脇におき 性懲りも無く続けている。
 うちの関係者も恐らく いい加減にプロに頼んで見やすいようにすればと思っているはず。職員数が増え 事業所も分散、それにつれて想定していた心配が増えた。それは 意志の疎通・思いの共有が難しくなってきたこと。入所と通所 その利用者の数も増えた。地域との関わりも変化する、外からの目が昔と違って様々な形で入ってくる。その対応が後手になっている。
 実態が正直そうなのだからどのように繕ってもダメ それに立ち止まっていることなど許されない。日に日に変わる出来事に逃げず向き合い その対応が本来の我々の業務、決して 事業の数や種類の多さではない。人と人の付き合いだ。
 私はこの欄の3000回を13回忌と見立てる。仏教社会事業、法人設立の思いは壮大、それを引き継ぎ 悪戦苦闘の日々の中に 仄々と自然と笑顔になる経験を 数え切れない程、頂いた。その喜びを 多くの人と共有できれば 本来の目的に必ず近づくと信じている。
 仏教では 回忌法要には故人となった方の願いを今を生きる我々が思い起こし それに適う生き方をしているかを確認し合うこと。決して縁起が悪いとか不謹慎だとかいうものではなく、我々一人ひとりが「受けた生命をどう生きるか!」という真の命題に対峙することである。
 13回忌の本尊は大日如来(ばん)、万物の慈母を添える。
 私の宗教観・・・富士登山に例えれば、山頂を目指し いくつかの登山道を登る。それが信仰。人それぞれが信じる宗教(道)があって当然、それを大切にしながら お互いを認め合う。(共生=まんだら)

     掃いても はいても 落ちてくる。季節始めの大掃除。
 ● いま 大きな揺れ・・・・ラジオをかける。福島沖でM7.3 津波警報3メートルが出た。女川や福島原発の状況は調査中。
 熊本→鳥取→? 1年の間に 大きな地震が襲う。私達は 一体何が出来るのでしょうか?揺れの間 私は5年前の震度6の揺れをおもった。現在朝6時 真っ暗で今直ぐに逃げて下さいと言われてもどうか?自分の命は自分で守って下さい・・・・近所同士 声を掛けあって避難して下さい・・・・
 これが現実です。
 人間が 思うようになるとの驕りは 脆い。一瞬に粉砕され 長年かけ築いてきたものを失う。日本は 嫌と言う程 この事を体験したはずですね。 
 アナウサーの声が高ぶる。  最悪の事を考え 今直ぐに自ら逃げて下さい。予想される福島県には 既に津波が到達していると思われます。
  

3001:なんと申しましょうか?

 地震が日本だけでなく 様々な処で活発化しているのではないでしょうか? 地殻変動は常に起こっているのでしょうが 残念ながら目に見えない。突然にそれも どこで起こるか判らない。台風への備えとは 大分違います。
 外交交渉で現総理は 驚くほど頻繁に外国を訪問しています。 その目的は明らかにできないという、相手がある事で 先ずトップ同士の互いの信頼関係と仰るのも判ります。しかし、相手は強かです。相手の要求ばかり呑んで 国益に反する結果になれば 恐らく一気に期待感が薄れ不満が噴出するでしょう。外交は軍事・経済が特に重要な問題ですし、それが国益にどう結び付くかということの国民への説明責任はあります。今の日本は国内事情も決して楽観できないはずです。 今回の福島沖で起こったM7.4の地震で再び津波警報が出され、仙台港で1.4Mの津波を観測した。避難した福島の方が≪地震も心配だけれど それよりも原発のほうが気になります≫と語っていた。要は 稼働停止中でも燃料棒冷却は続けねばならない。現時点で廃炉の見通しは全くてられず 福島では被爆リスクを背負って必死に作業が行われている。危ういのは 日本人の多くが その事への関心が薄れ始めていること、地震をその事への警鐘と見るべきだ。 じゃー何が私達は今できるでしょう! 上記写真のお二人、無心に熊手で落ち葉を集めています。次々に落ちる葉を集めるのですが 一向に綺麗にならず。それでも諦めない。Jさんは 趣味が絵画、土曜日の絵画教室に通う。今回 展覧会に出品し表彰された。「まだ 理事長に見せていないんだけどな~」 細やかなエコ対策ですが、集めた落ち葉を腐葉土にして春 畑にまいて野菜を作る。
 これは 嘗ての日本で普通に行われていたこと。 TPP離脱をほのめかす次期大統領、さーて どうなりますか。荒れ果てた田畑、食料の自給率はドンドン下がり 外国からの輸入で賄う モノづくり得意の日本が作る優れた製品(?)を輸出、実態は誰しもがだいぶ前から知っている。生産の拠点を 人件費を低く抑えられる国外に移す。中国がダメなら今度はベトナム&ミャンマー、 果たして このやり方に継続性はあるのでしょうか?いい加減にギアチェンジしないとエコ運転していると勘違い 紛争の火種となりませんか。
 なんと申しましょうか?いい塩梅・・・ほどほど感・・・・が無くなると どうなるかってことでしょうね。 売り言葉に買い言葉 薄利多売 なんて言葉が詭弁となってしまいましてね 商売はうまくいかんでしょう。
 通訳で一番難しのは、例えば”悪”と”人”をどう相手に伝えるかってことを 昔 聞いたことがあります。”誤”と”理”も同様。大和ことばに漢字やカナを添え、それを外国語に置き換える。日本語外交の難しさ、
 仏教で そこは ハッキリと指摘する、身口意の三密、これ いかに!
 
 ● 冬到来、底冷えのする1日となりそうです。
 あっ 揺れ!!!!!。なんという事でしょう。またもや横揺れ、ラジオをつけると福島浜通りで震度4、これでもかこれでもかと 繰り返される 地震。 茨城は全国でも有数の地震県、常陸風土記にも記載があるように鹿島神宮には”要石”があり 地震歌もあるくらい。・・・・ゆるぐとも よもやぬけじの 要石 鹿島の神の あらん限りは・・・・・。
 日本最初の原発がある東海村と鹿島神宮との直線距離は約50キロ、その間は 途切れなく住居が建ち並ぶ、今となってはとの思いもあるが これで また再稼働するとなれば 最早 この国の将来はあるまい。鹿島に棲むという”大ナマズ”が黙っちゃ~いめーよ。
 国の有識者会議の皆様!頭の良し悪しと常識と感性の有る無しはどうも一致しないようだ。高学歴社会は ここまで来ると 怪しくなる。罪悪感・無力感・・・・・これは 誰もが共有する。そこで 何を学ぶかだ!
 豊かさを求めることを否定している訳ではないが それだけでは 何も解決しない。寧ろ その弊害があらゆる処に現れていないだろうか!要は 国是として何を尊ぶかという根幹の問題です。これは 他国の事を云々言うことでは無くて己の国をどうするか 胸襟を開き 膝突合せ話し合う、この事が今 確実に減っている。分かんないのかな~。。。。。。。
 ● 素人考えですが経済学の基本、市場経済と計画経済があるのは判っている。端的に言って国がどう関わるかということでしょう、後者を社会主義国とイコールと考えるには無理がある、 どちらにしても現実と理論との乖離を 避けることは難しい。そして格差の拡大や環境問題をリンクするのも如何なものか、だって 私腹を肥やす輩は どこにでもおりますから、あれこれ考えると 正直何をどう変えるかが判らない。そうしている間にも 時間が確実に過ぎて行くから 様々な方策を試みても 後手にまわる。行き着く処は複雑に成り過ぎ、皆が皆、迷ってしまう。旧の木阿弥で原点に戻ろうとする選択さえ不可能とした。迷路からの脱出は 流行に左右されず ちょっと視座を変え行動する、これが大切か。
 こんな社会状況で 息苦しさ 不適応を訴え 悩み苦しむ人が増えている。速すぎる変化は 歩む過程を軽視 結果優先となりやすい。自ら描いた理想と現実の狭間、目標に到達しようとするインセンテブ(誘因)が働かず、荒廃的&刹那的な考えを持つ人たちを産んだ。さすがに、この流れを変えようとする動きもみられるが これが世界的な流れになるには、ほど遠い。
 本来 その調整役を担うべき ”宗教”が 今を生きている人達と向き合い手を差し伸べるという本来の姿に立ち戻るべきところ、経済や政治と同様に 大きな波に翻弄されている。
 こうなると ヤオラ 頭を持ち上げる『自己責任』という言葉、自由と個の尊厳を選択した私達は 今こそその事に思いを馳せ、己の生き方を考えてみてはどうでしょう。

3002:生きづらさ

雪の中 水戸で行われた研修に参加、目玉は 今回の社福法一部改正の政省令の公布後(11月11日発出)の厚労省担当課の説明だった。出席者は100名に満たず、悪天候を差し引いても 参加が少ない印象を持った。埼玉から態々参加した友人と雑談、同じ話を5回聞いたけれど 良く解からないと、全くの同感だった。
 このモヤモヤ感の主因は、ハッキリ言って お互いの不信感だと思う。先行きが読めない事、苦労した割には制度や仕組みが今もって分明できないモドカシサ。「不確実性」と「自己責任」、更に追い打ちをかける「規制緩和」と「自由競争」、それへのチェック機能が有って無いような実態。 個人も国も 着膨れで 身動きできない。 これって 私の偏見ですか? 厚い雲に覆われ、陽の光が射さなければ 植物にも動物にも良い筈は無い。判り切った話です。
 ま~ね。愚痴った処で 良くなる話でもないしな~。帰宅して PCを開くと 絵画教室に通うJさんの絵が コンテストで入選した報告が入っていた。・・・・が そこには もしHP上で紹介するならば ご家族の了解を事前にとったほうがヨロシイカと 書いてあった。 
 一生懸命なスタッフ程 このような気配りをする。これが福祉の現場、 私は 腑に落ちない。国連の障がい者権利条約を世界で141番目に批准するニッポン、その為の法整備もあろうが 本末転倒では無いのかと思っていることが有ります。なぜ 得意満面で賞状を掲げるご本人の写真を紹介するのに 家族の了解を得なければならないのでしょうか?本人より家族の個人情報が優先されるのか???(複雑)
 これは 恐らく 戦後70年 教育現場や職場で疑問を感じながら声を挙げずに来てしまったことにも起因するのでは(昭和54年の養護学校義務設置の理念は今どうなった?)。相模原で起こった事件で 実名報道をされずに葬られた人達 彼らの人権はどうなんですか!精一杯 生きてきた証ですよ。証!
 いま地方自治体は 事件後 国が施設に対し 防犯カメラの設置を奨め その意向調査の集計に苦労している。
 私の個人的な考えかもしれないが 防犯カメラの設置で何がどう変わる? ここでまた頭を過るのが「自己責任」。変じゃ~ないですかね。世間が冷めているとしか 思えないんです。
  暗雲が 国全体を覆っているとしたら 誰だって≪生きづらさ≫を感じますよね。
  私達は どこまでやれるか判らないが その辺のことに 向き合っていきたい。 
  
 ● 昨日の朝 Kさんが亡くなった。救急車を呼んだという連絡を受け 急いで駆けつけた時、地元の神立消防署より7名の隊員が駆けつけてくれ 応急処置を実施してくれていた。その後病院へ搬送 付き添ったスタッフから 「いま 医師から亡くなったことを知らされました」と告げられた。
 Kさんは10歳の時に大きな心臓手術を同じこの病院で行っている、余命半年と謂われたが 軌跡的に48歳まで暮らすことができました。彼は”おもちゃ班”に所属 彼専用の糸鋸を器用に使いこなし 数々の作品を作ってきた。その作品を地元の祭りで展示即売する日と丁度重なった。
 学園に戻り 無言のKさんに仲間たち全員がお線香をあげ手を合わせてくれた。
 最近 体の変調が目立ち 何度か通院対応してきた。 気難しかった彼が急に穏やかになって スタッフに甘えたり ふざけたりするようになったと聞いていた。
 昨夜は 彼の傍に2名のスタッフが付き添う。私も彼の傍にいたが 穏やかに寝ている姿を見ながら 40年間という時間を振り返ることができました。
精一杯 生きてきた証をもって  彼はご両親の元に逝ったのです。親の願いとご本人の思いは 一様では無い。 その間にあって 我々の役割は 正直 どこまで 出来るかという確信は持てません。そうであっても 何かできることがあるはずだという望みは 諦めてはならないと 私は思う。
 

3003:我が原点

 条件の検証
 ☆民間福祉事業は公的福祉事業の補完的な役割と社会改善のための開拓的先駆的は役割をもち、更に立法、制度、行政に対し実験的建設的な批判要望を加える弾力的なものである。≪5:民間社会福祉の特色(4)
 
 我々が歩み続ける道は決してなだらかな一本道では無い 仲間達と彼らと一緒にすごすことを喜びとした人達との巡礼宿、大声を上げる人あれば それを宥め寄り添うものあり。病に罹れば その苦しみを自らのものと感じ早く取り除こうとする 笑いあり涙あり 世間と何の違いもありません。
 でも、それを否とする人達のいることも現実、そこに社会改善のための開拓的先駆的は役割を敢えて掲げたはずである。そして立法、制度、行政に対し実験的建設的な批判要望を加える弾力的なものについてはどうか?ゆとり世代に対し 様々な意見を耳にする。 ゆとりを得ることは 単純ではないのですね。
 今を過渡期の混乱と見れば 殊更に批判を声高に叫ぶことより様子を伺い見守ることも良いかもしれぬ。だが ”社会改善”という事が一部の者の利権によって独占されるような事になれば話は別、傍観者的な処し方は許されまい。 社会保障の仕組みが 時代と共に変化するのは仕方が無い。百歩譲ったとして 現状は是認できぬ事が多すぎます。弾力性にはルールあり、言うまでもない。
 今のニッポンをどう見るか?  社会の連帯という視点から見れば これから先に私には憂慮に絶えない。 便利さや豊さという曖昧言語で蓋ってしまう。その結果 無関心層の急増、そしらぬ顔が許される。これは 個人としては良くても 社会としてはどうなのか。誰しもが感じていることなのに、その歯止めを 誰が責任をもって行うかが見えてこない。 その肝心要の議論がスッポリと抜けている。そのように感じています。
どうぞ 田舎坊主の戯言とお笑い下さって結構です。貴方自身に 火の粉が降りかかった時 気付くことかも知れないが それを受け入れる弾力性を 貴方自身が 持ち合わせていればとの条件付き・・・・・・
 ● 『慈眼視衆生 福聚海無量』(観音経 偈文)とは「慈悲の眼」で見れば 「福聚海」が限りなく広がっている。観音さまには「施無畏」(せむい)という異名がある。恐れを取り除き安心・救済をする菩薩という意味だ。
 四苦八苦は生きている証 それを糧として楽しむという心境に我々凡夫はなれない! 逆説的には 四苦八苦が無ければ生きてはいないということになり、「福海」を「福海」とした白隠の意図、人間の本性として≪長生きしたい≫という望みも生きている証とみる。白隠の凄さは 自らには不惜身命の猛烈な行道を課し、衆生には あえて寿命の大切さを説いていることという。(『観音経講話』鎌田茂雄著。P448)
 今日的に”ゆとり”を否定する者はいまい。・・・・が 財施・法施・無畏施の三施をどう理解するか バランスを保てと謂っている。このサジ加減が ややもするとオカシナ事に成り易い。どうも 今は 法施は程々、無畏施が無くて 財施が全て・・・感が際立っていませんかと。
 こうなると どうなるか 不安が多くなり 安心・救済が薄れていく。年金改革も良いでしょう? 人間の性として天邪鬼が潜む。制度や仕組みが揃うと それに頼り過ぎる傾向も否めない。
  まあ~ 堂々巡りを繰り返してもどうかと思うが、それより 財源確保は? これが 実は問題なり。有るか無いかではない。瞬時のキイ操作で株価の上下を操る市況、これに一喜一憂することに最大のリスクをみるべきだ。
 金銭感覚のズレは 最早 先進国と自認する国の共通の疾患となってしまったようである。
 なればこそ 働くことには汗が伴い 喜びには 他をも笑顔にする この単純明快さを ・・・・ 条件の検証とすべきなり・・・
 ● 某会合での一幕
 険悪なムードが流れる中、「馬を水辺に連れて行くことはできても 、水を飲ませることはできない」という外国の諺があるそうだけれど 私達は、馬を水辺につれて行くのも闘いで 飲ませるのも闘って 変えてきたと語った。その方はご自身のお子さんが障害者 当時 法律もなく 親たちが集まって国に要望し勝ち取ったという話をされたのです。手をつなぐ育成会の活動がそうだった。それが いま 苦悶している。会員が集まらず 運動体としての組織存続が危機に瀕している。You can take a horse to the water,but you can't make him drink!(英国の諺)
 育成会の会員若返りは 前からの課題、それが一向に進まない。何故でしょうね。様々なサービスが用意され 依然ほどは苦労しなくなったという理由とネット社会が進み 居ながらに情報を得ることができるから?
 ”水辺”が身近になったという事に安心はしていないとは思うが 私には正直物足りない。
 世相は 介護と保育の充実に血眼になっているように思えます。障がい者対策は置いてきぼり? 
 もう いい加減にして 目を覚まさないと ・・・・・・。誰のための議論なのかが 分からなくなりますよ。

3004:健康診断

 私の友人に全く健康診断を受けないという方がおります。タバコは吸うし毎晩欠かさず晩酌、最近、歯磨きをしていて歯が折れたと言うが その他はどこも悪い所が無いようで 淡々としている。これも その方の生き方だから 他人が口を挟むことではない。私は昨日 年一回の定期健診があって 朝の7時半から受けた。胃カメラは3月までいっぱいでやって貰えず 今年もバリウムでの検査 案の定 腹具合がイマイチ。予約制だから次々に人がやってくる。いったいこの病院では一日何人の検診を行うのだろう? 体重は昨年比較で2キロ減、視力は左右の差はあるが変わりなし。聴力も同じ、超音波や肺活量の検査はやらず、聞くとオプションだとか???? 予防医学が進む。その甲斐あってか 病を早期に発見し 治療し大事にならずに済んだ方も大勢いる。病院で用意したガウンを着て待合室で待つ間 考えたのは 検診には”こころの病”は無いんだわな。 別口か!
 最近 特に気になるのは 尚恵学園を利用している方達の高齢化の問題、お楽しみ行事に参加し転んで骨折なんてことが毎年起こっている。だからといって 何もやらない訳には参りません。
 だから病院とのお付き合いが急に増えている。 在宅にいて通所してくる方達は また違った問題を抱えます。それは肥満 100㌔に届く人達が何人もならんでウヲーキングする姿、もうこれは ○○場所の土俵入り。少しぐらいの運動では効果ありません。
 来週 ボルネオに行って来ます。もう何年も前から計画しても実現できなかった。思い切って1週間、楽しみなこと 先輩が行っている障害支援の現場を訪ずれ、夜はロングハウスに泊めてもらうこと。数年前まで電気はなく ランプで生活していたそうだ。聞く話から 昔の日本の長屋をもっと長~くした居住の場。その長さが100メートル 半端じゃ~ない。そこでの共同生活は いま 日本では想像できません。
 日本の医学の進歩は世界でトップクラス、それに保険や年金の制度もボルネオとは大分違うだろう。 だからといって高い幸せ度に結びつくか?というと 首を傾げたくなりますよね。”こころ”の問題は 文明とは次元を異にする?今を生きるというより 先先を心配する そんな生活に慣れてしまった。
 おそらく ボルネオでは 日本ほど薬を飲んでいる方は多くないと思う。食料も同じ 破棄される量は どうだろうか? 短期間だけれど いつもの私のクセが出てきて止まらない。
  この性分がエネルギー源であった時代もありました。若い時分ですわな。 歳と共に更に意固地になったと思います。自分では気づかない所で いろんな方に不快な思いをさせてきたかもしれません。
 そんな ことを 南洋の島(?)で満天の星を見ながら・・・・・・・・・・・ああああああ 申し訳ないと思う気持ちもありますよ でもな~  早く行きたい。
 ボルネオ島は日本より1.9倍の広さ、島と言う感じではありません。そこにマレーシアとブルネイとインドネシアの領土がある。赤道直下の南十字星との対面・・・・眩く光輝くかどうか 今は 雨季らしい。
 
 ●俳優加東大介の戦争体験手記によって映画化された『南の島に雪が降る』、ニューギニアでの壮絶な戦いは 場所を異にしたボルネオ島では 半世紀を経過し 当時の面影は今 どうなっているのだろう?
 そこで 20年近い年月を通じ 障害者への支援をご夫妻で行ってきたNさんと私が20代の頃 知り合った。恐らく Nさんは私の事は覚えていない。40年が経って お互いは 己の思いを老体に鞭打ってやってきたと此方側の勝手な考え、だが 障害者に対する優しさや愛情の深さは 比較にならぬ。今 思うとそのような先輩に回り合ったことは 私にとって 最大の宝だと思っている。
 私の人生設計は 有って無きに等しい。 今回の1週間の休みを これから先をトボトボと歩いていく為の 道標としたいのです。それでは また!暫し 休憩とします。悪しからず御了承を。

3005:ボルネオは雨季だった!

 成田から約7時間でマレーシアの首都、クアラルンプール そこから国内線に乗り継ぎ2時間 ボルネオ島サワラク州の第2の都市シブ市へ。着いたのは夜の10時を過ぎていた。シブ空港まで N御夫妻が出迎えてくれた。ヤシ畑の中にあるシブ空港は現在は新しく建て替えられて 小奇麗な地方空港。その晩はシブ市内のホテルに泊まった。翌日 市の中心部より60㌔ ジャングル深く車で向かう。ロングハウスは16所帯が廊下で繋がったもの それぞれの生活がある。私は夕食後 その廊下の中心に集まった住人たちの前でショートスピーチをした。 急に喋れ!と言われたので 自分の知っている英単語をゴチャ混ぜで話をした。その後家長の家で作った地酒が振る舞わられ 飲めない私は 正直困った。しかし、それは 不思議と悪酔いせず スッキリとして 助かった。シャワーは水 それも時々出なくなるという。聞けば電気がこの一帯に通じたのは2年前 それまではローソクが生活の唯一の明かり。
 3泊4日は 実に私にとって初めての体験、刺激的で 日本では 何の疑問も感ぜず ありとあらゆる便利さを当たり前として生活していることに えらく考えさせられた。イバン族は ボルネオ島の先住民族でサワラク州では全体の3分に1にあたる。 血族の結束の強さや男たちの勇敢さ、それと来客を歓迎する暖かな心は 驚きだった。何も分からず私は 後に”首狩り族”の異名(?)を知らされた。
 残念だったのは 丁度雨季の真っ最中 日に数回 スコールに見舞われた。気温は年平均して30度を超す熱帯雨林、そこでの生活は早朝から小鳥の声で目を覚まし 周りを見渡せば至るところに果物がなっているというユートピア。日本で言えば熱帯植物園そのものの・・・・・自然との共生が条件だ。
 まあ~ 携帯も無く電気も無く どうして時間を過ごすのかと思ったが 正直 飽きるどころか 時間の経過と共にもっと長くいたくなった。 
 さてと 文明は人間を幸せにしただろうか? この問いは 日本に住んでいただけでは 分かるまい。ロングハウスで電気が通じ変わったことがあるとNさんが話してくれた。それは毎夕 長廊下に子供達やお年寄りが集まり一緒にすごす団欒のひとときが自然と行われていたのが 電気が入り各家庭でテレビを見る人が増えたのか 廊下は昔と比べ ヒッソリとしたものになったそうだ。
 マレーシアは戦前から日本人にとって繋がりがあった。世界大戦の際には 先住民が日本側につき一緒に戦った、そのような歴史があって 長老たちは片言の日本語は理解する。親日家が多いのも 現地に行って分かった。 
 ○半島側とボルネオ島に分かれるマレーシア 都市化は 当然半島側から進む。クアラルンプールは国際都市 高層ビルが林立 そこでの生活は東京と変わりない。ただ 一目瞭然だったことは 多様な民族が混在する社会で 食生活や文化&宗教は多彩 これは日本の比ではない。ボルネオ島にも徐々に近代化の波が押し寄せている。その一例が電気、夜 真っ暗な道60㌔をシブ市内から通ったNさん夫妻には それを享受する力がある。だって そうでしょう! 今では舗装された道 ちょっと前まではデコボコの砂利道 大雨が降れば 通行できず ジャングルを切り開き ”ムヒバ”を作り今に至った。25名の地域から通う 種別に関係なく 何らかのハンデイをもった人達 そこに6名のスタッフとの 笑顔が絶えない 実践が続けられている。私は 時々日本に戻ったNさん夫妻の話を聞いてきた。日本にも現地の活動を支援する団体がある。今回 是非にと誘われ 訪問したのは 夫妻が来年 現地の方達に 全てを任せ日本帰国を決め、今 来ないとチャンスが無くなると言われたからであった。
 なんとも皮肉だったのは 今回の旅で夜空に光る満天の星と出逢えたのは なんと 日本に帰るJL便の窓からの眺めだけだった・・・・・・・。
 雨と高温 それをジャングルで生きる為に智慧を出しあってきた人達の 逞しさ
  私達は エアコンにより管理された 快適な生活を選び 目指し 築いてきた民族かもしれません。
   そのことに立ち止まって それで良いのですか? と考えてみませんか。 これは 何にでも 誰にでも どこにでも繋がっている    ややもすると 福祉を 関係者だけが ああだこうだと言い過ぎていませんか?これは 道を見誤ることになりかねない。
 私は 短い時間でしたが そのことを いま 強く 感じています。  お世話になりました 皆さん 本当に ありがとうございました。カンパーイ。

       
朝礼国旗掲揚
(日本・マレーシアの国旗) 
ボルネオの花   ③仲間のイバン踊り ラジャン川
 ④ラジャン川は563㌔のマレーシア最長の川(日本一は信濃川 367㌔)、その河口より60㌔にあるシブが 活動の拠点、上流には 無数の支流があり 昔から船による物資や人の交流で栄えてきた。②は至るところに咲く熱帯植物。そして①と③が今回の旅の目的 『ムヒバ』での 活動を撮ったものです。
 Nさんは マレーシアでの活動を始め既に20年以上を経過、最初はペナン島、そこでの活動が軌道にのり、お父さんが戦死されたボルネオでの実践を決意した。私が最初に案内されたのがお父さんからの手紙に良く書かれてあったという④ラジャン川でシブ市内にある仏教寺院の塔から写したもの、戦前に お父さんは勤めていた会社からボルネオに派遣され 戦争が始まり現地召集で兵役につき戦死された(Nさん4歳)と聞いている。そのお父さんが働いていたジャングルが見渡せる場所まで 今回 ご案内頂いた。
 人には 語りたくない事もあります。戦争によって 語り尽くせない悲しみや憎しみを体験された方は 大勢います。その人達が戦後70年を経て 確実に減っている。人間は 自分が老いを感じ始めた頃より 過去に思いを馳せるものです。 そして 自分と向き合い 様々なことを考えるものです。
 自分では どうすることも出来ない事が 本当は全てなんでしょう 人生での成功や失敗は その方の所為ではなく 因縁により起こること、仏教では 三毒を説いています。貪り 怒り 愚かさ 。 時々 自らを誇り さも 自分の力で勝ち得たと思っている方に出合う事があります。それは 全くの勘違い。
 本来の”福祉”は そういった考えには馴染まない。ボルネオで出逢った人達の生き様は 実に単純明快なものでした。電気が無いことを不自由に感じるか否か??? 水が出ないと不満を謂う(日本)ではなく 今日は水が出たと喜ぶ(イバン族)。この違いは 長い生活体験からきたものでしょう。経済大国を自認するニッポンよ。貴方たちは 自らの権利は主張すれど 義務を果たさない民族と烙印を押されますぞ
 もし 今の日本が 例えば 相変わらずGDPでの順位に血眼になり無反省を続けるとすれば 必ずや争いが起こると私は思いますね。2011年3月11日の古今未曾有の大惨事を 私達はどう受け止めてきたでしょうか? 気が付けば日本人の多くが自らの考えを述べることを忘れかけていませんか ひっくるめて平和ボケと片付けてしまうには 無責任すぎます。今を生きている者として 考え実行にうつすことがあるはずですね。
 * 赤や黒で色分けし 今もって オカシナことで徒党を組む。これは ハッキリ申しますが 欺瞞ですよ。 あのね~  一億総活躍を謂う前に 先ずは一億総懺悔じゃーないの  これって 赤ですか 黒ですか それとも 無色透明ですか????  色即是空 空即是色  ムニャムニャだ!
 昨日の夕方 入院中のOさんを訪ねた。何度かお世話になった家政婦さんが付いてくれていて 状況を説明してくれた。彼が胃の手術を受けたのは10年程前だったと記憶する。最近 体調不良を訴えるようになり 今回の手術となった。
 尚恵学園の歩みは Oさんとの関わりで説明できると私は思っている。6歳で入所 今 彼は病院の個室で家政婦さんと過ごす。 ≪大丈夫 治るから。また 来るからね・・・≫と言うと≪ウン≫と答えてくれた。早く 元気になって みんなの中に戻って来て欲しい。
 語り尽くせない思い出、こうすれば良いとかああしておけば良かったと言っても 現実にそれを適えることは難しかった。一対一の関わりの中からしか分からないこと・・・・・ それが”福祉”の原点。
 この国は それが見えずに ああだこうだと 仕組みばかり作る。何故なんでしょうね?どうしてでしょうね? 生活実感が無く、言葉の一人歩きというのかどうか知らないが各々の役割を曲解しているとしか思えない。
    そうそう どしゃ降りの雨のあと 日の光がさ~と 差し込む その清々しさ なんとも言いようがありませんでした。

3006:ムニャムニャ

 ムニャムニャ 田舎のナマグサ坊主が 凝りもせず 独り言 もういい加減にせいっ! 振り向けば 誰もいないと ハッとする。 私は 自らこの道を歩むと決めた 。 ですからね 何と言われても 自業自得だと思います。 そう 覚悟すると 随分 気楽になりました。 そうね そうだね 今 やりたいことかね? ムニャムニャ。
何??? ≪好き勝手なことばかり やってきたクセに・・・≫ってか  ”ウッツ” (無言の行)
 昨日 安全運転の講習を法人内で行いましたが、どうだったかな? 最近 車による事故が多くなっていると感じ 早急に警察署に相談し 1ケ月待って交通安全課から来てくれて実施できました。これだけ車社会になれば 当然車によるトラブルが増える筈、大事に至る前にという思いがあって 実施した。  昔と比べてメンバーさん達の骨折、転んだり 物に当たって そこが赤くなったり腫れてきたりして通院 レントゲンで 骨折していたということが増えた。検査して判ったのは 老化などによる骨の強度が皆さんが弱ってきていることが原因しているとのことでした。
 次々に 目の前に現れる出来事 その対応が 我々の仕事だと考えれば良いのだろうが メンバー達の元気な姿、屈託のない笑顔が 私達の支え 楽しさだから 思いは複雑です。
 日中活動で”歩く”ことが 重要メニューになっています。幸い 周辺には 交通量が少ない道が沢山ありますから そこを利用させて頂いている。私が住む寺の外トイレは 丁度 歩くコースの中間にあって トイレ利用の頻度が多くなった。
 毎日 そこの掃除は欠かせない。一般の方も結構利用してくれるから汚せない。最近 気が付いたのは 手洗いに備えてある 泡立ち石けんが1日で空になるのです。毎朝 補充しているが 恐らく 何方かの使用量が半端ではないのだろう。ひょっとしたら 遊びの道具になってるかもしれない。 逆にトイレットペーパーの問題は無くなった。以前 一回の使用で一巻を使う方がいた。何度もトイレが詰まり 閉口した。
  某病院での定期(?)演奏会 ミュージック ベルのメンバーが頼まれ参加した。彼女たちのキャリアは凄い。それと ぶっつけ本番に強いのには 恐れ入る。
 先日 自転車で退勤中に事故に遭い 入院していたSさんが 無時退院、≪しんぱい かけて すみませんでした。≫と本人から挨拶された。
 有りの儘の生きている体感・・・・・痛みあり 涙あり 笑いあり 。その報告は どういう訳か知らないが 活力源になっている。
 
 御多分にもれず 最近は物忘れが酷くなりまして彼方此方にメモ書きして貼っておくが その貼った処を忘れる。ガラケーからスマホに替えた。首からかけているが どうも邪魔になって仕様が無い。
 無い無い尽くめで しようが無い。
有る有ることも 増えている。あっちだこっちだ 痛む所が増えてきた。『ゆとり社会』とは これ如何に? やればやるほど忙しない。ムニャムニャとお題目。Good Luck だ 皆さんへ。
 

3007:為体

 ”為体”の読み方は”ていたらく”である。2つの意味が有るのだが 今日的には 好ましくない有様を表わす場合が多くなる。多種多様の時代となって本来の有り様が今は実に判りにくくなった。日本語の婉曲表現の曖昧さがって 誰かが 直言すれば 場の雰囲気は一気に変わる。 
  憎まれっ子世にはばかるということわざ?、これは「江戸いろはカルタ」の中にあるのですが。類語として 雑草は早く伸びる とあり、憎まれっ子ほど世間では幅をきかせるという意味らしい。その真意を理解する人がどれだけ今時いるでしょう。
 最近は その辺が妙な具合になってきたように感じます。憎まれ役を誰も引き受けたくない病が蔓延 結局 黙して語らずが処世術としては評価される。後々 責任がかかってくるのを避けたいからというホンネの部分は問われず 主流となりにけりだ。私は 無意味な会議等に顔を出し過ぎたと感じている。一言も言わず 言えず その席にいることのシンドさは その場に言わせなければ分からない。恐らく 何の為の議論なのか分からずにその場にいること自体 無駄と どこがどう違う?
 残念だが この種の会議がごまんとある。事務方は 忙しくなるはずだ。現場を抱える者には 耐えられない。そして 事務方が 現場そのものを分からない人達で占められている”為体”。
  それと 自己中心の狭隘な思いが重なって 婉曲にいうモノだから 何をどうしたいのか分からない。これは当然の帰結でしょう。前もって”落とし処”を決めて 議論するのも どうかと思うし その辺の事情を加味して 言葉を選ぶのは 私が最も苦手とするものである。
 それもこれも 誰しもが責任を取りたくないというホンネの表れでは・・・・・
 ● お経の話・・・・・何を言っているのか意味不明 そこで 節(声明)をつけ 和讃や訓読みで経を読む。所々 理解でき ありがたいと感じるか否か・・・・若い頃 私はその事に悩んだものである。この歳になり、その辺の事情は変わってきた。読経の後、少々時間を頂いて 自分の言葉で語りかけている。
  基本は こちら側の為体(えたい)が問われると思うべし。ご立派な事を言ってもだ 相手に通じなければ 意味は無し。
 高知県室戸岬に”御厨人窟”(みくろど)という洞窟があります。平安初期 若き空海がその窟に住み難行を行ったという場所です 四国88箇所の一つであり 、日本の音風景100選になっている。それは洞窟から聞こえる豪快な波の音で選ばれた。空海という名の謂われはその洞窟から見えるものは空と海だけということからつけられたと言われる。
 今風に言えば 言行一致ということに通じよう。福祉は制度ではない。そこに どう向き合い魂を加えるか? 何故 先哲の為体が尊ばれ 今もって語られているのだろうか? 難儀の中で得た教えだから価値がある。
 便利さや豊かさにドップリと浸かり 何かを為さんとしても 所詮 空言にしかならんでしょう。
 これは 言っておきますが 決して諦めた 訳では ありません。 ・・・・・何事も 大いなる者に身を任せ 死んでからでは 働けない。・・・・(齢、90歳の方のひとり言:介護の問題解決へのヒントとして一考の価値あり)) 
 ● 組織がていたらくになるとどうなるか? 謂わずもがな。本分を忘れ 意識劣化 と 業績低下。 もの言わぬ者が増え太鼓持ちが幅きかす 自分さえという卑近な考えが蔓延る今となっては、 これを変えることは至難の業 。人心を一新すると言ってもここまで雁字搦めになっては 手の出しようがない。乱暴な手法として 閉鎖OR統合も考えられましょうが その決断をする覚悟はいかに。
  
 さてと 留守の間に 杉の葉っぱが山となり、相棒と片付けを始めたが 一陣の風で元の木阿弥。 昔なれば 落ち葉を集めて風呂焚き用に使ったもの、今では電気で湯を沸かす。ああだこうだと嘆いたところで 実の所は己もその恩恵を受けている。(愚痴邪見)
 作業しながら相棒と立ち話 ≪Nさんは 風邪をひいたことあるのかい?≫と尋ねれば≪一度もないよ≫と仰った。見るからに体は小さくひ弱に見えるが 実は頑強で病が擦り寄る隙が無い。
 彼は 自分の体験から 生きる智慧を身に付けた。耳学問でないから 今風の言い回しで言えば”フレキシブル” 高額な費用をかけ 講習会に参加するなら 彼と一緒に汗を流せば 無料で教えを乞うことができましょう。
 彼の姿は ”為体”のもう一つの意味、ありのまま   失礼ながらそのものの生きた見本と思います。
 

3008:負のリンケージ

地球上で負のリンケージ(連鎖)が起こっている。これを防ぐ手立てとして 人間は何をしてきたか? 恨み憎しみ・・・報復、    涙・悲しみから抜け出す策を自ら作って潰している。
 ドイツで起こったトラック暴走による惨事は一瞬の内に世界中に流れた。そして 間を置かずに犯行声明、これから先 同じことをどれだけ繰り返せば気が済むのでしょうか?いつも犠牲になる子供や女性、希望を失い 逃げ惑う人達。 国連が本来の役目を充分に果たし 何らかの解決策を講じられるのでしょうか?  
 日本だって そうでしょう! 行きずり唐突な殺人や暴力が毎日どこかで起こっている。 相手を理解するには 相手の立場に身を置かねば分からない。個人主義と自由への偏重社会になっても祈ることは できます・・・・・・
 昨日 厚生園でクリスマス会がありました。お寺でクリスマス???という意見もあるのは承知、しかし、ずっと続けている冬休み前の一大行事。プレゼントを楽しみに待っているメンバー達 宗教の違いを云々謂う前に 彼らの笑顔を見れば答えは出ていますね。純真無垢な大らかさには限りない包容力がある。
 食堂はギュウギュウ詰めで狭かった。1ケ月前に亡くなったKさんの遺影が片隅に飾られ それに向かってNさんが何度も話しかけていた。二人は20年以上 一緒におもちゃ工房で働いた仲である。
★「歩み入る人には安らぎを、去り行く人には幸せを」ということが≪『重症心身障害児(者)医療福祉の誕生』医歯薬出版:岡田喜篤・萌田明嗣箸≫中で紹介されています。
 つくり笑いでなく 心底笑える話って少なくなっていませんか? おもてなしって 一方通行じゃ~無いよね。でも 初めから見返りを期待する関係って どこかで壊れるよ。近所付き合いから国と国の交渉事、同じだと思いますよ。それが高じると 力づくで奪い合うことになりますって。 いま この国は その瀬戸際に立っていると思うのは偏見でしょうか? 競争社会は 勝敗を決するまで手を緩めることをしない。そこから正(プラス)のリンケージ(連鎖)は起こりえない。企業は吸収合併を繰り返し巨大化する、それで本当に良かったことってありますか?食品から軍需産業までありとあらゆるものに商売の手を広げ 独占化する。嘗ては それが最高の企業形態だと疑わず 遮二無二突っ走ったわけでした。それが グローバル社会になり 国境が無くなり 企業機密を守れない危うさが生じている。全企業が国営化のまま存続して国益という縛りをかければできようが 日本の場合は それはできない。
 この態様が個人の生活まで浸透し、常識とかモラルというものが ドンドン消えていくようにさえ思うのです。昔から大切なことと親から子に伝えられてきた道徳や規律、家庭機能の劣化と教育現場での「ゆとり教育」がうまく噛み合わず、何を大切にすれば良いのか現場は模索する。この先 果たして、このたちこめる暗雲が 雲散霧消し 見通しの良い世の中に変身できるでありましょうか?
 格差の広がりに警鐘を鳴らす割には その手立てが薄い。そのできない理由は 常に財源問題、円安株高をプラス要因とあげ 盛んに広報はするが 目くらましにあったようで 不信感は消えない。
 そんな時 私は 今の仕事をしていて良かったとつくづく思っている。それは 何が大切かを 本能的に掴んでいるメンバー達と一緒にいられる幸せですね。 この国がリセットし 一から出直すことができるかどうか そうしないと この国が持たないとまで 感じるようになりました。罪意識の希薄化や責任所在の曖昧さは一向に改善されないのですよ。
 *東京オリンピックや豊洲市場の問題、更には 国家予算の1/3が借金という国債上積みの無反省・・・・・・『無』or『空』が 誰の責任か『不』明瞭な社会は 驕り 高ぶり 怒りが必ず生じるものでして これは先人達が踏んだ過去の歴史を辿れば一目瞭然なわけです。
 
 昨日は 水戸で忘年会があり、出席した。生憎の雨模様 暮れ近くなり 駅周辺は いつになく賑わいを感じました。県都の水戸だけに 帰宅時間 駅に人が集まり 足早に帰路に向かう人やグループで早目の忘年会に繰り出す輩も目に付いた まだ 一年を締め括るには早いが いろんな事が今年もありました。いつものように後手後手の対応で どうにか凌いだ感はあるのだが スタッフの協力が一番 心底感謝の気持ちで一杯である。
 上手く表現できないが 何か知らない不安感が この国全体を覆っているように思うのです。ホンネとタテマエ メデア報道への不信、更に 家族とは何か?という基本の問題に確証が持てない昨今の状況、上辺を繕い 多くの人が実は内心忸怩たるものを抱えているように思えてしまう。これは老人性憂い節? それでも 知人に70半ばにも関わらず 元気で頑張っている人が多くいて 60代は鼻たらしと自分を叱咤するが どうもイマイチ その恩恵が近づかない。
 昨夜は2次会まで、カラオケに付き合った。久しぶりに唄ったが 知ってる曲が皆古い。それでも 良い年した男性4人 自らを省みずマイクを握って恍惚感。常磐線で神立まで帰ってきたが家に着いたのは11時ちょっと前、電車を危うく乗り越すところ 目覚ましを掛けて置いたので 高浜過ぎた頃に気が付いた。
 
  

3009:ライフワーク

 岡田先生箸の本を読んだ。先生の話を何度か聞く機会があった私には 詳細な歴史説明から今後 どうあるべきかという直近のテーマに対し説得力があり 随所に読む側への優しい心配りを感じたのです。
 ライフワークとは、『自分のなかにある≪幸せの源泉≫から湧き出る情熱を使って自分らしさを表現し、まわりと分かち合う生き方』(本田健)、『それまでバラバラになっていた断片につながりを与えて、ある有機的統一にもたらしてゆくひとつの奇跡、個人の奇跡を行なう事にほかならない』(外山滋比古)と謂われる。 つまりは、人それぞれが 一生かけてすること。
 人は この世に生をうけてから 様々な事に遭遇し、喜怒哀楽というこころのドヨメキを感じながら、自らの歩む道を探し求めていく。それは 思いとは逆に順風満帆とはいかず 自らが人生に捧げたテーマを大切にしながらも 実はトボトボと歩いていくのが実際で釈尊が当にその代表格と言えましょう。
 最近はワーク・ライフ バランスとかいう言葉が謂われ始めた。これは 仕事と生活の調和をいうもので ライフワークとは 意味を異にする。私が障害福祉に関わったのは 正直、両親の影響が大きい。後先はどうでも良いのだが、本田の言葉を借りれば「幸せの源泉」なるものを 少しづつ感じながら 歩みははなはだ鈍く 頻回に横道にそれながらということになります。
 そして 数えきれないドヨメキを今まで経験し いつも その後に≪申し訳ない≫という気持ちが残る。
 何故なんだろう? 上掲本の中に そのヒントを見つけた。岡田氏は日本に於けるノーマリゼーション思想の特色を 北欧の初期概念(入所施設を前提)と米国型の施設否定的な概念との折衷型にあるという(P20)。つまり 日本の伝統的な家族制度を無視できないわけで その中で様々な問題を解決してきた歴史をあげている。私の悩みの中心が ここに在る。それは 初代が何もない時代に向き合い 戦いながら築いてきた姿と私自身が今起こっている現実に対して無力感と不確実性に起因する焦りなのですね。 一概に断定はできませんが 岡田氏が危惧する、この国の社会保障の流れが「福祉」という言葉がどこかに行ってしまい「介護」に変わってしまったという指摘に共感を覚える。それは 氏が重症心身障害児(者)との長い関わりの中から確信した ”個の尊厳”死守への叫びではないか
 介護ビジネスというものが 堂々と受け入れられる社会は果たして幸せなのでしょうか? 全ての物事をカネに換算する社会は 格差拡大の勢いが止まらない今の日本では 過去にノーマリゼーション思想を導入した時以上に社会が病んでいると思ってしまうのです。
 P109に、障害をもつ人は、「障害について正しい理解を求める権利と必要な支援を受ける権利をもって存在している」と考えるべきだと語る。
 権利と義務が 今日の日本社会において 本来の姿とは違った解釈が罷り通ってしまった。福祉に携わる人は 自分が幸せになって欲しいと教え子達に語り続けた教師と同じく ライフワークとして人生を掛けた人の言葉には深い愛情と説得力がある。
  中東から起こったテロが世界各地に拡大し 止まることを知らない。それへの対策は 根本の問題解決を抜きにどうなのか? 双方の言い分を満たすことは ここまでくると有りえまい。
 東日本大震災から 5年以上が経ち その後に国内で起こった災害の多さは異常だと思ってしまう。熊本地震 東北~北海道を直撃した台風被害、鬼怒川決壊で市内中心部が水浸しとなった常総市、そして今回の新潟糸魚川市での大火災・・・・・ 地球規模の環境問題は 待ったがきかない。国連での取り決めが 遵守され 自然環境改善の兆しが見えてきたのかどうか? 一方 先進国と謂われる国々では 個人主義や自由主義経済の勢力の台頭が顕著になり競争が激化、何を信じて良いのか判らない状況が進み 一部の特権階級の横暴さに一般庶民が耐え平伏する構図が鮮明になっている。
 世間に蔓延る様々な誘惑に 身を守るには”隠逸者”となるしかないのかもしれない? それを人生の敗者と決めこむことは如何なものか? 仏教で説く 安心で平和なこの世は 実は 隠逸(隠遁)的な生き様に求めてきた面も否めない。仏教社会福祉では、「仏教がみずからの姿を社会へ具体的に現わし出したものが、すべて仏教社会福祉」と考え、仏教が現代化・社会化したものが仏教社会福祉とみる。
 例として ”良寛”がよくあげられるが その生きざまが今の現実社会において 果たして可能なのか否か? テロが宗教間の争いと受け取れてしまう危険性は、この時とばかりにイスラム教やキリスト教の一神教と仏教の違いを 誇らしげに絡めて論ずるものもいる。これは実に間違った考えで 仏教自身が社会の抱える今日的な問題にどう立ち向かっているかが肝要なのであり、それが為されていないとすれば今すぐにでもその実践をすべきだと思うのです。
 自然科学において法則や理論というものは 仮説であるという。様々な現象に対し 「真」と「偽」を分別することが 人間の能力を遥かに超えた命題であり、自然・社会・人体など・・・それぞれの分野で更なる解明努力がなされているわけですよ。恐らく 人智によって 成し得るものは そのほんの一部 大半は 不確実で予測できないことです。 私のライフワークである 仏教と障害福祉に目を向けると 日本の法制度では 真逆の実態があって 仏教は憲法第20条によって信教の自由が保障され、その後 改正は殆どされていない。一方の障害福祉関連の法改正は目まぐるしく行われてきた。これをどう理解すればよいのか? 宗教も障害福祉も抱える命題は変わるものではない。
 それが何故 頻回に見直しが行なわれているのだろうか。 改正によって現実に起こっていることは 複雑で判り辛いものとなっていること。 やればやるほど深みに嵌まる。 このことに異論を唱えるものがなく それを上手に利用する輩が増えている。 ああなれば こうするを教える研修会に 高額な受講料を収め参加する。日本人の多くが 戦後復興で成し得た繁栄の夢再現を疑わず この動きを受け入れている。変更による膨大な資料を読み解く力は その道のプロであっても難しく 上塗りされた 時期と 現行制度の効力が 最早 理解の限度を超えている
 一方 宗教は その歴史は古く 祖師の教えやその遺産によって生き延びてきた感も否めないが 実に簡単明瞭で ある意味では分かり易い。
 宗教と福祉に共通するものは 「平和と安心」、これは 今後も幾世代に渡り引き継がれていくだろう命題でしょうから ここに戻るべきだと私は思いますね。

3010:回顧録(2016)の総括
お世話になりました。翌年もよろしくお願いします。

 一年前に考えたことを読み返してみました。(No:2883)確実に1年という時間が流れた。その時考えていた事と 何も変わらない。31,536,000秒は1年を秒で表わした数、月日が過ぎて行くのが早く感じるのは 老化現象?と謂われた。良く考えて見な その逆だったら 世の中どうなったかを?  時間?有りますよ いくらでも だって1年に3000万秒以上もあるんだから。働くとは人が動くと書く。元気な証拠 働くことはゆとり、この発想がいいんじゃ~ないの!
 時間は万国共通 誰にも与えられた平等の極みです、その使い方は己に任される。無為無策に時間を弄すれば そりゃー 悔いは残るでしょう! 「永く無為を得て 解脱の岸に至れり・・・」(今昔物語)。仏教での無為の意味は 因縁によって生成されたものじゃなくて 生滅変化を離れた永遠の存在(涅槃)と解する訳です。これって 宗教? そこなんですね。本来の宗教は 時の過ごしかた=生き方を示した教え。この捉え方が オカシナものになってしまった。
 そう思いますよ。つまりですね、生滅変化を繰り返し何らか人為的な因縁によって作られるものに余りにも一喜一憂していませんか? 時流に乗るとかいう輩を沢山知っていますよ。乗ったと思っているのは実は自分だけ 周りは本心からそうは思っていませんよ。 その錯覚が実は後々 自分に戻ってくるんでしょう。
 日本がある意味では岐路に立っている。 原発しかり 再軍備しかり  この事に 大衆が黙して語らずを決め込む。私も含めてですが 主義信条が違うと色づけする人達よ。貴方自身は 本当にそれで良いのですね。自ら 戦争の中に身を置き 武器をもつのですね。 今年 墓碑録に載った方々で 昭和1ケタに生まれた方が多かった。皆さん一様に 自らの戦争体験から戦争を繰り返してはならないと語っていた。私は戦後の団塊の世代、1クラス60人という教育環境で育った。それも半世紀を経て 見事に変わった。生徒が減って小中校の統合がドンドン進み 通学バスで生徒を集める世になった。この先 どう変わりますか? 知識偏重の教育現場 教師と生徒の関係が変わった。教師は周りの目に振り回され過ぎている。これが 今の社会全体の淀んだ雰囲気を醸し出す。ですからね 少子化策と並行し 教育の在り方が問われている訳でしょう。どのようにしたら良いのか 議論されてはいるのでしょうが
 休耕地となり 荒れた田畑を 家庭菜園で一生懸命野菜作りする人が目につく。あんなに多く白菜作ってどうするんだろう? 知り合いに配るだけでは 余って仕方なkろうが。この仕組みを 上手く活かせないものだろうか?
 物々交換で食い扶持満たせれば 生きて行ける。TPPとかなんとか 訳の分からないことを謂う前に やるべきことってあるでしょう。この発想は 所詮 素人の戯言と受け取られ 葬られてしまうはずなんだろうか?
 2016年 ナマグサの回顧第1弾。
 ・・・・寸陰を惜しむ・・・・暮れの恒例行事になった除夜の鐘、その準備は皆がやってくれるから私は仕事なし。近くの神社は 初詣の受け入れで31日の夜から翌朝まで役員は張り付いて客を待つ。 温故知新 40代~50代の人達が地域起こしで立ち上がる。 神立は嘗て神宮寺・観音寺のある地域が中心(本郷)だった。御多分にもれず、発展は周りから始まり此処だけが取り残され、風情は昔のままになっている。今では 重要な散歩道 犬連れる人 ゆっくりと景色眺めて歩く人が増えている。人は一辺倒では生きられぬ。時流に逆らう生き方に新風を感じ、価値が増すこともありますし、リフレッシュとは そのことだ。
 前項で一年を秒数に置き換えた。生命の尊厳とは? 1分間の心臓の鼓動を60回と考えて 66歳の私の小さな心臓が休み無く打った回数は2,081,376,000回 なんと20億回を超えている。その中で一回とて己の意志で打つわけでなく、生命科学の解明は 人智の及ぶ外にある。今年一番の衝撃は 相模原で起こった事件でした。容疑者が語った逮捕後の言葉は 今までの歩みを全否定するもので 何故 あのような考えに彼が至ったか 恐らくは 真相解明は難しいと思っている。2日前 神奈川県内で関係者による追悼集会が行われた。当事者主体と言いながら 時流は 明らかに経営に重きが置かれている。この実態は 国としての姿勢にあると私は思ってしまう。
 ~生老病死~ という4つの苦しみを 誰しもが抱えもつ。自死者の数が一向に減らず 他人を殺める事件も日常処かまわず起こっています。これが今の日本を象徴し、諦めている節もある。
 気付き~実行~覚悟、これは現実社会を生きる誰しもに課せられた使命と考えるのはどうでしょうか?仮想現実(バーチャル・リアリテイ)に興じ、現実から逃避することを是としたら 多くの人達が精神に異常をきたし 鑑定を受けることになるかも知れません。表裏一体とは リスクはその人の内部に共に存しているとみることです。仏教は 立宗当初から それを立て見つめようとしてきました。たった今、オバマ大統領がハワイで日本の総理と共にスピーチをしています。”お互いの国益”ではなく”お互いの価値観”で 日米関係を築いていくべきだと語ったことが心に残りました。
 それは 国益というものが今ほど不透明になった時代が嘗て無かったからではないでしょうか。シリアで現に起こっていること 誰を信じ 家族の命を守れば良いのか 全く分からずに逃げ惑う人達・・・・・。国益とは言葉のマヤカシ、そこに外交にあたるものの責任と難しさがあるのです。 回顧第2弾。 
 ・・・・警鐘乱打・・・・ 昨夜9時過ぎ またしても地震、茨城県北部が震源で深さは10キロと浅かった。震度6弱は相当の揺れ、人的被害は無かったようだが 今回の地震は5年以上前の東日本大地震の余震だと気象庁が発表した。直ぐに施設に電話し夜勤者に様子を確認した。地球上 至る処でM7級の強い地震が起こっています。日本は建物の耐震基準が厳しくなっているから安心だとは言えません。
 地下マグマが活発化している? そうじゃなくて 常に地震は起こり得る。マスコミの緊急地震放送で 東海村と福島の原発に異常なしが流された。どちらも今は運転はしていないが安全だという保証がないのだから 問題が大きい。ちょうど世間は 正月休みに入り 休暇を取る人が多くなる時期と重なった。
 矛盾が縮まるどころか広がっている。大国の横暴に何をもって対抗するか 今世紀最大の課題であろう。核の抑止力とか平和利用が果たして可能でしょうか? そこには大きな矛盾を孕む。 果たして国益とは 何をもってそう謂うのでしょう。綺麗ごとで飾られた言葉にこころ動かず 己の言動に矛盾? もしも その事を指摘すれば 排除されかねない。結局は”自己責任”という常套句、
 日本の少子高齢化の課題は 内向きな議論、果たして それを検討する有識者の皆さんが 日本の適正な人口数をどう考えているのでしょう? 否、一国のではなく、地球上のと言ったらどうでしょう。 依然として その日の食べ物さえ得られず 飢えに苦しむ人達、その正確な情報は流されないが 確実に増えています。
 ★ サスティナビリティ(Sustainability:持続可能性)という概念、国連も重要テーマとして取り組んでいるが現実はどうなのか? 真逆の実態があるから 掲げたわけでしょうが、本当に人類にとって意味があるものか、差別なき共生社会、環境保全、格差の是正、・・・・・等々 どうも言葉ばかりが目立つように私には感じます。
 ★ 今年も欠かさずに朝の6時、昼12時、夜6時 鐘楼の鐘が撞かれました。 除夜の鐘を目前に控え 警鐘の乱打でなく 喜びの鐘打ちとなれば良いね。 回顧第3弾。
 ・・・・命の尊さ・・・・ Kさんが入院し 2か月がたった。男子スタッフが全員 病院に見舞いに行った。最後に残ってしまった私は 一人でKさんに会いにいく。広いDRの脇にある 個室に寝ていた。酸素マスクをして穏やかな表情で寝ている姿は 夜昼問わず 大声を発していたKさんとは別人の様に思えた。声を掛けたが反応は無かった。
 ボルネオで感じたこと 人間の手が届いていない密林には自然の恵みが無尽蔵にあった。夜が明けることを告げる鳥の声、天然の果物、ナイフ一つでなんでも熟してしまう人達・・・・それぞれの家でつくる地酒、語り、笑い、喜び、悲しみ・・・今も大切に有りの儘の営みが守られ続けている。
 日本人も気付いているはず、この国が今のまま進んでいったら 大変なことが起こるだろうと。 今回の北茨城地震は未知の断層が2センチほどズレたことによるらしい。そして1週間以内には、今回と同規模の地震が起こる可能性があるという。世界に誇る緑と水に恵まれた日本、人間の手で国土を開発し 便利さを求め、そして経済的な繁栄を得たニッポン。今更、ボルネオと比較することはできないが 人間の幸せには大差がないと私は思う。
 Kさんは緊急で我々の所に入所してきた。データーファイルには 一人で自宅から食品関係の会社に電車通勤していたという記載がある。それが 何故 どこからも利用を断られるような状況になってしまったのだろうか?
 憶測でしか彼の思いは測れない。 日本中に心の病に苦しんでいる人は多い。対人関係や職能力で劣等感を抱き、自分を痛め続ける人を私は何人も知っている。人の価値に優劣を付ける社会は尋常でない!  恐ろしいのは 幼い時から そのように育てられてしまうと 偏った人間観を持ってしまう。(愛着障害)
 本来のゆとり教育とは、相手の有りの儘を認め 排斥するのでは無く 仲間にいれられるような 人間の幅 を育てる教育だ。 障害福祉の現場には まだまだ その考えに共感する人達が現場に携わっていると私は信じています。第4弾。 
 
 今年一年大変お世話になりました。あと18時間を残すのみとなり 翌年も宜しくお願い申し上げます。
 源究3000回を区切りとして 正直 止めようと思いました。自らの言葉で赤裸に心の内を曝け出すことに 恥じらいと限界を感じながら 性分とは如何ともし難く 早朝より パソコンに向き合うと いろんな事が浮かんできてしまうのでした。
 キイ操作一つで 全てのデーターを消すことが簡単にできます。人間の一生を見る思いです。今を生きることは 仏教の教えをひくまでも無く ”思い通りにいくことは何もない”訳です。でも 誰しもが”せめて 生きた証”として 伝えたいことがあると思うのです。自らの言葉で伝えることが困難な人達、 その方達はこの事をどう思っているでしょう? 涙 大声 壁叩き そして 自分の体への攻撃・・・・・・これが ご本人達の想いの表現であったとすると・・・・
  私は6歳の時に 彼らと出会い 沢山の思い出を頂きました。その一つ一つが 今のこの国で失いかけていると感じてしまいます。黙っていれば良いじゃないか!だれもお前の独り言など相手にしないから! これは もう一人の自分の忠告。。。。何度も何度も聞いてきました。それも より激しさを増しながら。
 福祉とは制度や仕組みではない。一人ひとりの”安心と幸せ”です。 目的は同じでも 管理や運営に重点が置かれると 人間は 残念ながら 優しさやおもいやりが薄れませんか。
  ≪ お寺の子が 来ているよ≫と無外した子を 態々知らせにきてくれた ご近所の皆さん。 なにがあっても 帰省には 最優先で迎えにきてくれた家族。それと 自分の家族と一緒に寮に住んだ 職員の皆さん。
 時代が流れ その思い出が 薄れるより不思議にハッキリとしてきたのです。
 2016年の 総括。 そして 翌2017年が良い年になりますように願いながら・・・・・・・・・。ありがとう ございました