源究168

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 2871 徒然なるも 12/2  2876 ありがとう!  12/16   2881 信じる 12/26  2886   源(ミナモト)  1/5 
 2872 分からぬこと。  12/6  2877 可以長久  12/18   2882 片手落ち  12/28  2887   つながり  1/8 
 2873 グアム旅行   12/8  2878 年末?  12/20   2883 ゆく年くる年  12/31  2888  身の丈  1/10 
 2874 大丈夫ですか?   12/9  2879 無知or忘却  12/23   2884 間の価値  1/1  2889  新年会  1/12 
 2875 足元固め   12/12  2880 居場所  12/24   2885 こころの中  1/3  2890  価値の創生  1/13 


2871:徒然なるも

 徒然なるも心細きままに思ひ嘆きけるを・・・・源氏物語は作者:紫式部が宮廷生活を中心に平安前・中期の世相を描いた長編物語。遡ること1100年~1200年以上昔の京都を中心とした歴史~,平安絵巻と併せみると当時の有様が浮かんでくる。藤原→平城→長岡→平安という都うつり、日本の歴史で平安時代は約390年という江戸につぐ長き時代となった。一国を統治するには、様々な条件が重なり、表と裏、権力を握るものとその座から失墜するもの、そしてその波風は受けても何ら成すことができない一般庶民の息遣いを感じます。平成27年度は高野山開創1200年記念の年、一度訪れた方であれば総本山金剛峯寺を中心に117の寺院が立ち並び、そのうち52の寺院が宿坊として今も存在する一大宗教都市。真言宗開祖の空海がこの地を根本道場とした時代と源氏物語が書かれた時代が重なる。(源氏物語は英訳・仏訳にされ世界でも最も古い小説との評価もある。)
 高野山の奥ノ院に通じる山道の両脇には、歴史に出てくる著名な人物たちの墓石や慰霊碑がズラリとたっている。鬱蒼とした高野槇や杉木立の中を歩いていくと『失われた時を求めて』を髣髴させ蘇る幻想的な空気が漂う。人種や宗教を問わず全てを受け入れる空海の思想(両界マンダラ)は今まさに高野の山中で生きている。  過去を変えることは出来ず・・・・未来を拓けとばかりに世界中が蠢き、彷徨っている状況は、決して自然や生き物に優しくはないということは誰しもが認めよう。そして収奪や殺戮という負の連鎖を平和的に止めることを放棄してしまったのか。 そのテロが起こったパリで開催されるCOP21には世界147カ国の首脳が集まり、気候変動対策の会議が開かれている。テロの犠牲者の悲しみも癒せぬ中を全く同じ場所で開催されるというのも皮肉なものです。安倍総理は1兆3千億円の途上国への支援を約束した。
 産業革命の時代(18c~19c)の気温よりあと何度高くなればというシミュレーションが盛んに行われ、その数値を越せば陸地の何割かが海に水没するという。会議に出席した首脳が個別の対談を行っている。その内容は詳しく知らないが恐らくテロへの対策をも話し合っているものと想像する。
 割り切れぬ現実、温室効果ガス削減の協議とテロ問題をどうリンクさせれば良いのだろう???
 つくづく&つらつら物思いにふけるのですよ。
 世界宗教会議というものがあります。それがどうも微妙な立場にある。世界3大宗教の中でキリスト教(20億)イスラム教(13億)そして仏教(3.6億)があり、信者数で選ばれた訳ではなく、文化的・社会的に影響が高く、入信に出自を問わないということが条件となる【ヒンズー教(9億)】。仏教は日本やタイ・ベトナム・ミャンマーなどが仏教国。
 今の状況は、宗教間の争いというよりも、貧富格差の拡大が齎した不満や軋轢が主な原因になっているように思えて仕様がない。
  久しぶりに穏やかな日差しとなって、昼食の後、園庭のベンチで休んでいると、Dちゃんが3輪自転車を乗っている。言葉は少ない彼が、なんと独り事を呟きながらニコニコして乗っている。
  争いごとの無い時代になれば どんなに良いだろう。 大人の責任として 子供たちに伝え残すべきことがあるはずだ。幸せを望まぬ人は誰一人いない。その幸せは十人十色、・・・・・。
 ・・・・・相手の幸せを奪ってまで あなたは何を求めようとするのですか? ・・・・・。 夕方、Aさんの病院の近くまで行ったが、今日は どうしても見舞いに立ち寄る気持ちにはなれなかった。(つぶやき)
 

2872:分からぬこと。

 本当は分からぬ事が殆ど、だから知りたいという欲求が生まれるものでしょう。これって今に始まったことじゃなく、釈尊が生きた時代もそうだった。私は、ほんの少し前までは、辞書を片隅に置き、良く開いてみたものだ、それが今は全く辞書を引かない。電子辞書があり、PCで検索すれば一瞬に答えが見れる。私の散歩(?)コースに小さな文庫を開いている I さん宅がある。通りから中が良く見とおすことができ、暖房機を傍に置き、イスに座って本を読んでいる I さんの姿を良く見かける。メガネをかけたうえに大きな虫眼鏡を使って本を読んでいる。おそらく80歳は優に超えたお歳だと思う。2畳足らずの文庫は休み無しで開館している。
 それにもう一つ感心させるのは、自宅前の歩道脇には、I さんが丹精込めて育てる四季折々の花がいつも咲いている。通るたびに 妙に 爽やかな気分になるのは 分からぬことでもないような・・・・・。
  久しぶりの快晴、真っ青な空を背景に厚生園の2階から葉が落ちる前のイチョウと神宮寺の本堂。(下掲) 普段見慣れた光景は、実際には何も変わっていない。それでも ”元気”を貰い”呼吸”を感じる。なんなんだろう?
 今では大木となったイチョウは登って遊んだら幹から折れてしまうような細い木だった。人間だけかも知れない。老いを負担と捉え、介護という言葉で括った。例外なく経済的行為として福祉産業化をはかり、その担い手を育成しようと・・・・・・。是非の検証は、未だなされず、不安を煽る言行に、日本国中が心的飽和状態から抜け出せない。見ぬふりは出来ないでしょう・・・・・。いつの頃からか 我が身のことだとは思わなくなってしまったんだから。
 先の事に 関心がある割に 他人任せの他人事! この得体知らずのチグハグサ  何故?ウーム 分からぬことかな~   。
     4本のイチョウ

 今一番の晴れ姿
 
maekawa撮影
 

2873:グアム旅行

3泊4日のグアム旅行、無事帰ってきました。メンバーさん3名とスタッフ2名、まだ写真が手元に届かないので断片しか報告はできませんが、連日30度を超える暑さの中、海辺で泳いだと。大分前にMさんからの墨書きの手紙(?)、「ハワイに行きたいです」は事務所の壁に誰かが貼って、毎日私はそれをみてきた。今回、どうにか日程を組めたので許可を得たいという話があった。暫く印を押すのを考えていたのは確か・・・・
 同行したスタッフの第一報でMさんは「テレビが何言っているのかわからない」と部屋で怒っているという。その後どうなったか? グアム4日の旅と言っても、実際は2日間だけのフリータイム、恐らく強行軍であったことだろう。そのMさんは帰ってきてからずっと布団の中で寝てしまった。事務所へとマカドニアンナッツの土産を持ってきてくれたOさんとTさん、体調を一番心配したTさんは意外と元気なのに、盛り上げ役を買って出たOさんは2日後に熱を出してダウンした。 
 
  改修工事で寮全員が引っ越し生活を始めてから1か月が過ぎました。徐々に慣れてきたように思いますが、あくまでも仮住まい、いま不自由さを感じさせてしまっています。今回の改修では、次々に追加工事が出て正直その調整に苦労しました。休み無しで工事の方達が頑張ってくれて、あと2週間ほどでそれも終る。
  世の中の変化のスピードに後追いでは、一生それで終わってしまう。立ち止まる勇気と覚悟、その事がもっと語られて良い筈なのに、・・・・・・。それじゃー!貴方は そんなに急いで老いたいのでしょうか?と逆質問。 人生80年と言われもう随分長くなります。その覚悟は人任せ?。それって”砂上の楼閣”とか言うのとは違います?。恐らく今の人はパイルを短くし、耐震強度がない建物・・・・位に考えますよね。そうじゃーないと私は思いますよ。
貴方自身の・・・・・他人の責任を問うような問題でなく、根本の貴方自身の問題だと気付かないですか?????????????。
  なんて言うかな~? 実に個性的な人たちの集まりって言うのか、飽きもせず一輪車を乗り回す方がいれば、いつもの定位置にドッスンと腰かけて出番待ち、そうかと思えば、どこからか大きな声が聞こえ、それが段々と近くなる。散歩?いやそんな風に言っちゃーダメなのよ。歩行訓練?(午前中の一コマ)
 良いじゃないの、有りの儘、言葉じゃなくて 本人がどう感じているかのほうが大切だよな。昨日、県庁に行き、災害VS派遣の終了を報告してきました。実際に現地に行った方からいろんな話が入りました。総括すれば”お互い様” この言葉が全て。
 ああでもねエ~こうでもねエ~と すっちゃべってる暇あんだったらヨ~ 行ってくっぺーって そんで よかっぺーよな~ 。(田んぼの”立ち話”)

2874:大丈夫ですか?

 7月~9月期の日本の公的年金の運用損失が、なんと3か月で7.8兆円という。世界的な株安の影響か?恐らくは株式投資拡大の裏目が出たということになるのでしょう。
 現在年金の運用資金が135兆円(一説には200兆円とも)あって、その運用の実態が明らかにされた訳なんでしょうが、あまりマスコミはそのことを取り上げません。何かに遠慮があるのかどうか知りませんが、巷では年金だけでは生活が苦しいという理由で様々な事件が起こっていますよね。どうなんですか?仕方がないこと?それとも想定内のリスク範囲?
 昨日のNHKBSだったでしょうか、COP21関係の4人の有識者の討論番組を見ていて感じました。日本人の方の意見に他の3人が「えっ その資金がどこにあるんですか?」と口を揃えた。即座に「世界中の年金総額を纏めれば○○になるから、それを活用すれば良い」と自論を展開、・・・・・・・。本当に大丈夫なのですか? 温室効果ガス削減が最大のテーマでこれは一国だけで出来る話ではないから、地球規模で取り組まなければならないと、そこまでは私だって分かります。
 削減の対策が遅れている国への資金援助が不可欠という4人の一致した意見の中で出てきた話でした。
 年金は、何のために積み立てているのでしょうか?運用して利ザヤを得ることがリスク無く可能なのですか?株価操作を始め、証券市場の実態は一般の人には到底理解できませんよ。大それた事は言えませんが、自分の懐は痛めず的な議論が多すぎますね。
 1、000、000、000、000円は ○が12個並ぶ、判り易い例えで、一万円札を重ねると10㎞になるとの計算を用いたとして 7.8兆円は78㎞になります。この金額を手で数えたら 何年かかるでしょうか?
 ★ 今の世相を憂うことは簡単です。常識が通じない。権利の主張。義務の軽視。自分さえ良ければそれで良し。困っている人に手を差し伸べることはオセッカイ。法の抜け道。・・・・・・。何でもお金に換算される社会は、
本来の社会保障(生き易さ)との乖離が拡大するばかりではないのでしょうか!
 それでも信じたいことがある。それは 只管に 控えめに 争いを疎んで和を願い 自らの生を全うすることに価値を感じる人達。 できれば そのような人たちと 一緒に 歩んでいきたい。(夜明け前、なまぐさ坊主の”独り言”)
  ♪ルールルルール♪ パーンパパ ぱぱぱーぱ♪
 

忘年会
成人寮
12月9日(於)L’AUBE

     

2875:足元固め

 10日~11日と東京で会合がありました。会場のホテルは芝増上寺の傍、昼時のため浜松町から増上寺赤門までの道路は人でごった返し、この光景は今や地方都市にはない、大都市への一極集中は万国共通の時代となり、その流れを変えることは至難の業、提案はすれど本気でそれを変えようとしない。
 あの場でもしテロが起こったらと考えたら恐ろしくなった。防御する方法が無い。広大な増上寺境内は東京タワーを背景に写真を撮る人が目立つ、よく見ると顔形は日本人と同じだが言葉が違う。今年、大型客船で日本を訪れる海外からの観光客が100万人を超えた。一時ほどではなくなったかもしれぬが”爆買い”する旅行者、こんな地方までと思うほど増えたのには驚いた。凄い勢いで増えた大型量販店(電気:薬局:食料など)が果たして今後も存続できるのか。広い駐車場に停まる車の数を見れば楽観視などできまい。
 政府は新たな3本の矢を掲げ意気揚々(?)、メデアを総動員してPRに熱心、確かに儲かっている業界もあるでしょう、様々な税制上の恩恵を受け、設備投資を勧めるとか? でも巷では、騒げば騒ぐほど”実態との乖離”を感じている人も多いのではないでしょうか、昭和30年代、所得倍増を旗印に池田内閣が経済重視政策を行った。60年安保の後で記憶がオボロゲとなったが、堺屋の著『日本を創った12人』の中に出てくるたった一人の政治家(池田隼人)。その内閣は徹底して「低姿勢」と「寛容と忍耐」を全面に出し対話を重視した。現政権は、その流れを組むことに違いは無いと私は思うのだが、池田内閣と比べ、総理に諫言する人材に聊か疑問を感じている。聞くところによれば、「寛容」は宮沢、「忍耐」は大平が池田内閣で発案したという、言うまでも無い事だが後々首相となる人達である。(敬称略)
 周囲環境が、当時とは大分違う事は判る。今どのような人物が登場しても全てに満足を与える政策など有りえない。
 盛んに言われる「平和」と「豊かさ」というキイワード、これが一体では無いと言うことも証明されてきた。経済優先の政策は、歴史を見れば分かること、度を越せば食料や資源の争奪が起こり、争いに発展するリスクをもつ。日本語で言う「いい塩梅」、このサジ加減は実にデリケート、判断を誤らないために、トップの座にある人間がこころしなければならぬことは、言わずもがな、リーダーとして「人間の尊厳と幸せ」を基本とする信念と調整力でしょうね。
  12日は県民文化センターに於いて2015ナイスハートフェステバルが開催されました。好天という素晴らしい条件の下で多くの人達に参加して頂いた。大ホールでのフィナーレを満席の観客と一緒にできたら良いなーという思いはいつも感じること。全県から集まる人達が帰路につくには時間の制限もあって高望みは禁物と自分に言い聞かせる。
 優秀賞を受けた作文の朗読があった。小学生と中学生の障害者に対する想い、席で目を瞑って聞いていたら、素晴らしい内容だった。できればネットなどでこれらの作文を紹介すれば、若い人達が読む機会があるかも知れない。
 このイベントは障害者週間に毎年行われている。企画する段階で今年ほどいろんなアイデアが出たことが無い。手探りの中でどうすれば集客できるかを熱心に議論した。
元気いっぱい 笑顔いっぱい ハートいっぱい」のサブタイトル・・・・これに作品展示や出店そして歌や踊りの発表者と それぞれに一生懸命さが加わって”感動”がうまれる。

2876:ありがとう!

 相手に”ありがとう”を言えれば和が保たれる、もしそれが出来ないとすれば何が原因しているのか  良く考えてみな・・・・ と言われたことがありました。
 ”こんにちわ”との挨拶も同じ、気の所為か、それが苦手な人が最近は増えたように思う。先日、下校途中ですれ違う小学生の列、『こんにちわ!』と大きな声を掛けられ、ハットした。
 自律か自立・・・? 自律=autonomy 自分をコントロールするという意味、(一例:autonomic  imbalance:自律神経失調症)、方や自立=live  one’s  own  life 自分だけで物事を行う。
 福祉の世界は、実は両方の実践で成り立つように思います。要は何らかの支えがあって その人らしい人生が送れるといった基本がそこにある。これは障害の有無に関係はない。
 某新聞のネット記事で久しぶりにソ連のゴルバチョフ元大統領の記事を読んだ。1990年にノーベル平和賞を受賞、ソ連の最後の大統領として東西冷戦の終息に尽力された政治手腕は記憶に今も残る。「東西冷戦期の最も悪い時代を想起させる」「熱い戦争が現実に起こる危険性がある」と今の世界の状況特に米ロ関係への懸念を表明している。
 力には力で・・・・という鉄則(?)が罷り通るとすれば、これはもう我々には手が届かない。だからと言って指を銜え見ているだけという選択は今の日本には許されぬ。平和外交と言いながら、着実(?)に法の整備が進み、有事になれば、どうなるか? 正直、不確実性の中で、気付く気付かないに関係なく、浮かれ騒ぎ 満足&浪費の激化。そのことに何ら疑問を持ち得なくなった状況。戦争の体験、そして最近の大震災や原発事故の悲しい出来事が何か利権(?)により、葬りさられようとしていませんか。
 国と国が上手く付き合えるには、片方の国からの一方的な支援では難しい。そこに必ず力関係がうまれ、やってあげているという意識がどこかに出てくるはずです。それよりも”ありがとう”と相手国に今の日本人のどれだけの人が本心から言えるでしょう。恐らく心のどこかに経済的な優位を傘に思い上がりや自分達さえ良ければという事が有るのではないでしょうか。本来の個の尊厳という意味を勘違い、大人たちが先走って子供たちに降り掛かる障りを除いてやり、なるべく苦労しないで済む様にすることが親の責任と・・・・。そこにポッカリ抜け落ちた”モラルと義務”の大切さ。

 長年の知識偏重の教育で間違いなく失った教えは・・・・「ありがとう」という意味とその実践の価値では無かったか! またまた私の変な拘りが出てしまったようで失礼仕った。
 ありがとう・・・・Thank you (英語) Merci(フランス語) Danke(ドイツ語)  謝謝(中国語)  Gracias(スペイン語)  Obrigade(ポルトガル語)  シュクラン(アラビア語) ダニャヴアート(ヒンデー語)・・・・・ 

2877:可以長久

 私はこんな風に考えます。知識と智慧の大きな違いは、自らの”生き方”とどう泥(なず)むかということ。この歳になれば、どんなに知識を身につけたとしても忘れる事のほうが断然多くなる。ならば長久:安らかに暮らしたい。そのためにどうすれば良いか? これに関心が向くのは自然の成り行きでしょうね。入院中のAさんの様子を見に夕方病院に行ってきました。病室が変わり、今度は8人部屋、万床で重篤な人達がベットに横になって目だけで私を追う。その視線には無言の”訴え”を感じた。”自分たちは贅沢をしたいなど微塵もありません。只、安らかに暮らしたいだけ”という風に思えました。酸素マスク、複数の点滴、カーテン一枚で隔てられた2畳弱の空間、一瞬、私は、いずれ我が身も同じと感じたのです。
  知足不辱 知止不殆 可以長久〈老子44章〉・・・足るを知れば辱(はずか)しめられず、止(とど)まるを知れば殆(あや)うからず、以て長久なるべし。
      If you know contentment, you will never be disgraced. If you moderation, you will never be in danger. So you can live in peace.
なんだい またか 格好つけやがって! 多分そうお思いになる方もいらっしゃる。構わない、何故? 要するに 世界中の誰もが”安らかに暮らしたい”という共通の願望を持っているということ。空海が遣唐使で大陸に渡り、真言密教の伝持の八祖:恵果より法燈を受け、帰国し嵯峨天皇より東寺建造を託され、10年の後、高野山に根本道場を開創した。そこでの根本の教えが当に隔てのない万民が”安らかに暮らす”という願いでした。私が空海に魅かれるのは、自分が真言の僧侶という事は勿論ありますが、それ以前に人種・宗教を問わない”まんだら”の思想に救いを感じるからです。
 言葉は漢字~日本語~英語という異なった言語に直してみると新たな意味に気付くものです。
 昨日、Aさんに私は初めて泣かれてしまいました。顔をクシャクシャにして言葉は発しないのに言いたいことが直ぐに判った。既に彼女は何かを察知している。翌日、胃瘻カテーテルの手術を行うことになった。家族と病院それと我々が何度も話し合って決めた、そのことをAさんが今どう感じているか? 彼女は7歳の時に尚恵学園に入所、その後42年が経過した。家族の苦しみを知れば、それがどんなに理想とかけ離れたことであろうと現実として向き合わなければならない。私達は充分なことをやったとは決して思わない。彼女はそれらすべての事を今ベットの上でどう思っているだろう?
 この項は”自らの生き方”という言葉から始めた。Aさんがベットで必死に生きようとしている姿を見るのは正直つらい。それは彼女自身が自らの意志で生きてこれたのかという確信が持てないからです。
 彼女の心中を察するに、『貴方が自らの意志で生き方を選ぶことができるのであれば もっと自分の命を大切にしてください、それとお願いだから、他の人達の命を殺めることなどせず、どうすれば皆が安らかに暮らせるかを考えて下さい』 と映る。
 ☆手元に届いた一冊の本『昭和20年8月』羽中田 誠箸復刻版。本の帯には≪戦争放棄したはずの日本は、いま世界有数の「軍隊」に成長した自衛隊をもち、その「軍事」予算は、ますます国民生活を圧迫している。この時、”戦争とは国民にとってなんであったか”を改めて考えなおすために、20年8月に焦点をしぼって本書は刊行された。筆者は、当時新聞記者として、いわゆる指導層にもそして一般庶民にも接した。その見聞を主軸として展開されたこの記録は、あなたの8月=戦争を追体験する手がかりともなろう。≫と書かれている。(著者の娘さんから頂いた)
 
 ”バズーカ3”日銀による金融緩和政策の継続、思惑通りの効果は見えず・・・うんぬん。某外資系通信社の日本語版ニュース。1秒を争う取引、目まぐるしく為替や株価が変わる、 恐らくその乱高下に一喜一憂し画面に釘づけになっている人もいるはず。常軌を逸したと言えばどうなんでしょう?”六道輪廻の下位3” 餓鬼道を髣髴させる。我利我利亡者 !得する人有れば損して泣く人有り。
 この世に 損得はないというけれど、最早 そう考える人は稀なる人 。マイナンバーの手続き、出るのはため息ばかり。本人が果たしして その意味を理解してくれているのかどうか?国民総背番号?
 あああああ・・・・・安らかに暮らしたい。

2877:共笑?

 昨日、埼玉の法人の役員会があり、就任して初めて出席した。距離にすれば家から110K、それほど遠くは無いのですが、高速道を運転するのに大分緊張するようになった。特に外環は苦手、殆どが高架二車線で一部片側一車線の所を皆さん猛スピードで走るものだから手に汗が滲むし肩がこる。
 土曜日だったこともあり、いつもより混んではいなかったので余計にスピードを出す車が多かったように思いました。どうして急ぐんでしょう。
  
 途中、カーラジオ普段はあまり聞かないが、片道二時間 何することもないからチャンネルを何度も変えながらひた走る。スリランカ人で日本に帰化された方の話が実に面白かった。
”共生”+”共笑”が大切と。共生は我が法人のモットーです、それに共に笑うことをその方はあげていた。一瞬 ハンドルを強く握った。そうだわな これが出来れば良いんだわな。悩みを苦と思えば、共笑が自ずと消え失せる。ならば悩みを楽とする? 共生って実現可能なテーマ、 できるのかいな?。”無理ムリ”と口では言いながら、悶々とした毎日。。。あと10日を残すのみ、108ツの除夜の鐘が私の今年最後のお勤めだ。チョイナチョイナ。
 
 県北の大子町槇野地に4人で行ってきました。お寺が大分前に代替え地として求めた山林を新しくなった総代さんに案内したのです。10年ほど全く山に来ることも無く放り投げていた。そろそろ自分も住職交代かと 次にバトンタッチをしないとの思いがあって、身辺の整理を始めてる・・・・・・。寂しいというより正直言うと肩の荷を下したい。山を案内してくれたSさんは、大子から50キロ離れた福島県の塙町の方、休憩しながらいろんな話を聞いた。福島原発の放射能汚染は、原発から近いのに影響が少なかったという。その理由はその日の風向きと山が遮ったために影響が無かったという。塙町で有名なのは小野田寛郎さんが自然塾を開いた場所。戦後30年、ルバング島のジャングルの中で投降せずに一人で闘った、日本に帰国し、先ず感じたこと、それは日本があまりにも早いスピードで変わっているという事だったそうである。子供達のひ弱さ(?)、便利な生活の中で失った自然との接触、その思いを福島の山の中で自然塾として体験させてあげようと塾を開く・・・・・。
もっと肩肘はらず、ゆっくりのんびりすれば良いのに・・・・・・・。皆がみな 乗り遅れまいと必死になっているような  落ちこぼれを恐れ 周りに気付かれないように振る舞う。シンドイでしょうよ。 ブラジルに移住し、大規模なコーヒー農園を経営されていたのは有名。既に亡くなり直にお話を伺う事はできない。
 恐らく小野田さんはその人自身の生きざまが有って良いんじゃないかな。それが許される社会が本当は”豊か”だと思っていたのではないでしょうかね。GDPがどうのこうの、世界で何番目なんてことに血眼になっちゃって、メデアも専門家もそんな事ばっかり、あなた自身はそれで満足なの?という問い掛けを実践で示された。
 小野田さんの話と前項のスリランカの方の話が妙にダブる。共に笑うね??
 昔は”共栄”という言葉がかたられた。それが、いつの間に相手の犠牲の上で成り立つことに気付かず疑いさえ持たなくなった。教育の場でそれを教え考える場を無くした。これって危険じゃないですか?人間として何が大切かを問われていることだと考えないと。
 森林が泣いている。
 農林業の将来を想うとどうしても悲観的になってしまう。それは自然のサイクルを無視した開発と放置拡大を止める規制がないこと。今回考えたこと。森林の管理は植林から始まり下刈り、間伐、伐採、運搬、製材・・・植林~製材の繰り返し。
この周期は最低で50年~70年と言われる。木は土と水と太陽の光によって成長し成木となる。その間の手間かけが今の世の中の変化の速さとは全く合わない。その結果は、あっという間に山が荒れ、倒木や枯木が増える。
 人間の一生と全く同じ。

2879:無知 or 忘却
(宛名の無いハガキ)

昔、 幼児~児童期の発達心理に関心があって、 夢中で調べたことがあった。いつの間に齢を重ね65歳となった。前期高齢者の仲間入り、年金やら介護・医療制度が少々気になってきた。
 無知 or 忘却 がより現実味をおび、有りの儘にそれを受け入れようと決めた。無知は自らの体験の範囲外の世界だから、判っているような素振りをしても直ぐに見破られてしまう。忘却は恐らく人間が天から授かった能力で最も大切なものであろうと私は思うのだ。過去の栄光を今もって自慢するような方もいるけれど、周りの人にとっては迷惑以外の何物でもない。その逆の生きざまを見て微笑むものだ。それに悲しい事苦しい事をいつまでも覚えておらず忘れることができます!
 仏教を知れば知るほど、釈迦はそのことを説いているように思えるのです。悲しみと喜びは紙一重、”無常”という2語で説明した。それが 若い時分には、どうしても判らなかった。
 過去を振り返れば、記憶そのものが曖昧で忘れていることが殆どなんです、逆にハッキリと覚えていたら今まで生きてはこれなかった方が随分と増えると思う。最近、”終活”という言葉が語られ、すばらしい最後を迎えるための準備とかいって商売になっている。葬儀の事前予約とか模擬体験もどうかと思う。
 知的に障がいがある人達の素晴らしさを毎日痛感しています。
 正月休みを前にしてメンバーさんの動きに変化が見られます。何故か判りますか?。私にケーズデンキの新聞広告を何度も見せに来たNさん、実家にはエアコンが無く年老いた母親が独りで生活している。自分でエアコンを買ってあげることを願い出た。スタッフと一緒に店に行って注文して来た。その報告だった。しかし、実家の契約電気量が少なくて、結局、夏には間に合わなかった。その後エアコン設置はできたはずなのだが、母親がもう自分は長くないから良いと言って断った。(恐らく、その分我が子にお金を残しておきたいという親心と思うのです)
 とうとうメンバーの3分の2以上が今回の正月休みは家に帰れない(全体で80名を超す)見通し。
理由は様々、いくら帰れない事を説明しても本心から納得している方はいない。だからザワザワするのです。
 尚恵学園では、家族に年三回の家庭帰省の確認ハガキを出す。その返事を一人ひとりに渡す。帰省×というハガキを握って話さないメンバーを見て「しようがないな・・・・。ガマンしよう」と言い聞かせている職員も辛い。
それ以上に「宛名の無いハガキ」が増えてきた。
 私もそうだがスタッフもメンバー達から元気を貰うという。
 何故だか判りますか?それわね。 彼らは変わってはならないことを判っていて、頑なにそれを守っているからです。
 
 

2880:居場所

 気兼ね無し、心地よく・・・そんな居場所があれば良いよね。結局はその居場所探しが人生ってもんじゃーないでしょうか?作って創れるものじゃないでしょう、そう簡単にはね。一生探し求めて閉幕ってことになりかねない。そこなんですよ。例えば欲という言葉から浮かんでくるもの挙げたら・・・・緊張・葛藤・障壁・防衛機制などなど・・・これが実は仏教ではベースになっておりまして、上座仏教では”少欲知足”の実践(修行)を主眼とした教えが本流です。ここでは欲を否定はしていない、欲の自制というより欲からの解放と言われていますね。ちょっと難しいですかね。キリスト教やイスラム教も勿論平和を求める宗教、・・・それがどうしたことか、争いごとの原因探しみたいな解説本が最近多いように感じます。
 若い頃(1960年代後半)、周りは”学生運動”の絶頂期、マイクを通し、声高に訴える若者、私はその時、血気多感な性分な割にはそこに居場所が見つからなかった。思いがけず そんな記憶が蘇る。
 野坂昭如が12月9日に亡くなった。彼の生い立ちを知り、どこかに似たような話があったと思った。生後2か月、実母が若くして亡くなり、養子に出された、そのことを後々、戸籍謄本を取り寄せ初めて知った。とにかく彼は多芸多才で作家、落語家、シャンソン歌手・政治家と挙げれば限りが無い。彼を評する人間は数多く、中でも彼の作風を『真剣な戯作』と語る西部邁氏は野坂の生きざまを≪何らかの価値に関与しては、すぐに逃亡する往復運動を繰り返し、価値の必要と空虚をともども炙り出す・・・・≫と語る。
 個の尊厳が叫ばれる世の中になって、山登りに譬えればピークハンター、それは頂上を目指すのに自らのペースと山道を辿れば良いという。野坂の85年の生き様は最近では珍しく”破天荒”なものと我々には映るが、彼に言わせれば自ら選んだ筋書きをなぞったものと言うかも知れない。
 昨今の政治家を見廻して、永田町界隈には野坂の流儀を理解できるものはいない。何せ参議院議員になって半年で郷里新潟から田中角栄と衆議院議席を争うために参議院議員を辞任した。結果は落選。
 そんな彼の居場所はどこにあったのだろう? 脳梗塞で倒れ、死ぬ前に語っていたことは、「子供たちにあの苦しみを味あわせたくない」という戦争反対への真剣な胸中の吐露、彼の戯作の終幕として心に止めて置きたいものである。
   さすがに気温が下がって、あれだけ勢いがあった雑草はすっかりおとなしくなってしまった。やおら、埃をかぶった洗浄機を持ち出し、寮の壁の汚れ落としを始めたが、どこまでやっても止められず、水道ホースを2本用意してびしょ濡れで格闘。高い場所は三脚に跨る姿が、時々通りすがる職員には要らぬ心配をかけたようだ。年相応に 程々にして止めればよいものを、一夜明けた本日も やる気は満々 朝の四時に起きだした。
 改修が終わり寮の移動をしたのだが、あちこち不都合が出始めて 今となっては年明けまで待たねばならぬ。
 話は飛躍する、「グローバリズムが 新・帝国主義に転換している現実を見事に描いている」は中野剛志箸『世界を戦争に導く グローバリズム』の帯に書かれた佐藤優の評。理想と現実はいつの時代にもあったはず、それが強者が弱者を食い物にする植民地化がまた起こるのですか? 安住の居場所は なかなか描けない。
 

2881:信じる

 
クリスマス


 昨日1日は、スタッフからの携帯電話で始まった。『Kさんが頭を怪我し、出血が多いので救急車を今、呼びました。』  丁度その時、私は神立の郵便局にいた。病院が決まったら連絡頼むと言付け、急いで用を済ませ園に戻る。まだ救急車が園庭に停まっており、受け入れ病院を捜していた。いつもの神立消防署からの出動ではなく、並木支所からの救急車、待つこと10分非常に長く感じた、やっと受け入れ先が土浦協同病院に決まって搬送、私も自分の車で向かった。年末ということもあってか、病院は凄い混雑、既に救急車が2台止まっていた。救急センターは騒然としていた。Kさんは普段も引っ切り無しに声を出している。処置中も病院内に聞こえる位の声を出していた。付き添った二人の職員と病院の看護師で彼の体を抑え、止血処置、その後、直ぐにCT検査。そこに偶然、他のメンバーの通院で同じ病院に来ていた U支援員が合流、私は採血室にいるSさんに付く。
 Kさんがもし入院になったら・・・と考えただけで目の前が真っ暗になった。今回もそうなんです誰かが救ってくれた。検査で脳内には異常は見られず、止血処置後帰って良い事になった。どっと疲れが出た。、
 園では恒例のクリスマス会が11時半から予定されていた。万が一の場合中止已む無きと思ってはいたが、予定通り行う事ができた。(上記)
 3時半に終了、その後”幹部会”次年度の打ち合わせを行った。終ってから、私は入院中のA子さんを見舞った。彼女は天井の一点を見つめ、私の声掛けには反応しめさず。頭をさすると気のせいか私の方を横目でみたように思った 戻る途中、友人からの長電話、、彼の施設でもクリスマス会を昨日行ったと話していた。悩みは同じ、話しているとホットする。
 布団に入り、いつの間に寝たが目覚めたのは、夜11時前・・・・・・
枕元の日記に ” 今日も無事終わった”とだけ書いた。
 ☆ 私は今の日本の未来に対し、危機感が強まっています。”未だ来ない”ことを考えると誰だって不安になります。・・・・が、少数派の意見が片隅に追いやられるような現実を見るにつけ、”黙っている事”の是非や”どうしたいのか”をもっとオープンに語り合う場を皆さんと一緒に作りたい。
  不思議なことが起こるものです。誰しもに自らの力以上のミラクルサポートが付いている。”信じる”とは、答えが無いから、続く。無功徳と仏教では説く、キリスト教やイスラム教も源は同じだと思う。それは必死に救いを求めれば、その時は誰かかは知らないが、救いの手が向けられる。それを信じるかいなか?尚恵学園は、仏教行事は特に施設の中では行っていない。様々な方々が集まっている。その人達が信じていることを最大限に尊重しようとしてきた。これなくして「共生」への道は開かないように私は考えている。
 某ネット会社が「坊さんの宅配」を行うという。これを批判することはできます。でも、どうなんでしょう? 坊さん自身が現実と正面から向き合うこと。これなくして 人々の気持ちは今以上に離れていくと私は思います。

2882:片手落ち

 経済観念に疎い私でも、いま世界で何が起こっているのか?が気になりますね。一部の情報から判断することは避けなければならないのでしょうが実態との乖離がより鮮明になっています。ネット上では情報が氾濫、誹謗中傷なんでもあり。 それでなくても年の瀬は寒風が身に沁みるわけですね。現在、日本の大企業でさえも没落と成長の2極化が進む、吸収合併がお盛んで生き残りに必死、よもや自分には有るまいと思っていたら大量のリストラ、早期退職を奨められ、今以上の条件で再就職が可能か否か不透明? 一度良い思いをしたものは、それがその人にとっての基準となるから何をするにしても二の足を踏む。
 昨今の上場企業トップの報酬は鰻上り、オーナー会社でなくてもそんなに頂いて大丈夫なの? その裏で、何処も不正規雇用の割合が増えている。これは、先が読めない中でリスクを避ける経営学の常套手段、3か月で職場が変わるのは、それを経験した者でなければ分からない。子育て世代が本当は一番動ける年代であるのに。その支援体制がこの国は未成熟。
 それと、いま深刻になっていることは、人材不足という問題である。介護離職者ゼロ、待機児童ゼロ、を掲げ、箱物の整備を今後更に進めていくという。現場の実態が判ってのことだと思うが、対策の片手落ちの批判は逃れられまい。凄い勢いで増えているのは介護&福祉関連事業所の数、比較的手軽に起業できるからでしょうが、いざスタートして皆さん現実に直面、オープン間も無く休業閉鎖の数も急増しているが、何故かこの数の公表はなされない。
 ある程度は予想されたことだった。景気が良くなれば介護や福祉への人材が集まらなくなるということ、それも都市部程顕著に表れる。卵が先かニワトリが先か!その辺の実態にはマスコミもあまり関心が無いようだ。特に介護や福祉を記事にしても広告収入は増えません。 若者は生まれ故郷を離れ大都市に流れる。ただでさえ子供が少ないのに、働き手をどう育成するんだろう。それは事業者の自己責任でというのであれば、乱暴しすぎませぬか。福祉の仕事は、20年~30年我慢できれば、決して悪い条件ではないと思っている。遠方への転勤で単身赴任はなく、結婚し子供を授かり、共働きで家庭を築く、これができる職場だと考える。専業主婦で家庭を守ることを望む方、それも良いかも知れぬ。日本は便利な時代になり、家事をする時間は実働?でどれだけあるか、それ以外は、さて何をして過ごそうか?
 綺麗なベベ着て、原宿あたりでお買い物。これは先ず無いでしょう。
 世の中のありとあらゆるものの分業化が進み、余計な出費と複雑な手続きが生活するための条件となった。これで幸せになりましたか?
 それと この際だから もう一言。 成年後見制度への疑問。現行では家庭裁判所が任意後見受任者を選任するのだが、その方が適格者か否か、利用者からの不服申し立ては可能か否か?制度は作れど・・・・・・ この辺の詰めの甘さが どうしても気になりますね。特に任意後見に関して後見人の絶対数が不足(?)しているという理由で、資質の向上やチェックにまで手が回らない状況があるのではないでしょうか。「任意後見契約に関する法律」参照。
  
  大掃除の真っ最中、寮のトイレのドアの開け閉めがスムーズでないのが判った。何度も戸を外して戸車を調整、原因は歯車がすり減った為と判る。施設の仕事は、昔はガラス切りと下水の詰まり直しが最初に学ぶことだった。あれから40年!
 それが便利な世の中で専門業者が対応するようになり、それは人任せとなっている。切れた電気の球ぐらいの交換は出来そうなもの、しかし、特注の電球では如何ともし難し。自由主義経済が目指す豊かさの代償として、何をするにしてもお金がかかる、これが嫌ならば、縄文時代に戻るしかあるまい。利便性には、同時に人間の本来持っている機能の劣化という不便性(不益性?)をも含んでいる。

2883:ゆく年くる年

 今年も残り1日となりました。皆様にはいろいろとお世話になり、心より感謝申し上げます。
 時間が経つのが実に早く感じるようになりました。それは忘れることが多くなったからなのかもしれません。脳細胞は常にリサイクルが繰り返されていると聞いた。一般に人の脳細胞は約150億個あって、そのメカニズムの解明はまだまだ充分にされていないそうです。確かなことは、細胞には栄養と休息が最も大切で、一説では11万個の脳細胞が毎日死滅しているというが、再生するものもあって、気に掛けることでもないそうです。今年一年を振り返りますと実は思い起こせることだけでも沢山あります、ただ、”願い事”という枠でみると、不思議と変化はないのです。寧ろ、その思いがより強くなったと言えます。「安心」や「平和」は万国共通、人間誰しもが望んでいることですよ。源究を恥ずかしくも無く書き続けて参りました。積もり積もって2883回、時々前に戻って読み返すこともあるのですが、殆ど変化はないのです。正直、その時々の感情によって微妙な違いはありますが、一貫して羅針盤となってくれる存在があるという事だと思っている。それは感謝です。
 いつもの話をすれば、尚恵学園という空間(?)の中で繰り返される悲喜交々な出来事を脳細胞の一個と考えると判ります。宇宙=尚恵学園という発想が許されるとすれば、当にその通りだと思っています。
 欲・羨望・妬み・・・・悲しみ・喜び・笑い・涙・・・・愛・憎しみ・忿怒・・・際限のない様々な感情を見つけることが出来ます。あり様は一様ではなく、人それぞれ、個と集団、家族と他人、豊かさと貧しさ・・・・。
 この森羅万象の考え方(宇宙観)は、全ての存在に無限の時間と広がりをみるものです。それが此処にきて黄色信号、このまま進むと地球が持たないという状況を無視出来なくなった。科学や技術の進歩で今まで解明されていなかったことが徐々に判ってきたこともある。医学の進歩によって救われる命があれば、銃弾によって失われる命。そこに命の尊厳と言う見方からはなんら隔てはないはず。不確実な世の中は今に始まったことではないでしょう。殊更に不安を煽る報道も感心しないが、どうすれば「安心」や「平和」という共通する願いが可能になるかに智慧を出し合うべきではないでしょうか?その意味での生命科学の進歩ならば、どんどん進めて欲しい・・・・・・・
 ゆく年を総括すれば、どうしても このようなことしか浮かばなかった。
  自分を見失わない為に 貴方はどのようにされていますか? 幼児が初めて経験する時の不安と戸惑い、・・・・・・。シリア、イラクでの紛争は一向に静まる気配は無く、難民となって祖国を捨て逃げ惑う人達。この現実をずっと見せつけられてきた。瞬時に変わるメデアの情報には、株価の上昇に勝ち誇った満面の笑みが現れる! これらを健全に判断できる能力が人間にあるのだろうか?
 常軌を逸した事件は、いつどこにでも起こっている。
 誕生から幼児~少年~青年~成人の時間を有無を言わさず一瞬にして総浚いで奪ってしまう。実際に良かれと考え、受け入れた人達。いま立ち止まり 見失った自分を取り戻すことができますか?その反省&覚悟もなく、更なる欲望を抱き、勝者になることだけを目指している。
 来る年(2016年)は、私達が人々への真の優しさを試される分岐点。 荒野と化した土地に 草木の芽生えが可能となる希望の年にしたいものですね。
 

2884:間の価値

2016年  明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。『新年の挨拶へ』  『グアムの旅の思い出』 (No:2873)
 さてさて、昨夜の除夜の鐘は風も無くこの時期にしては絶好の天気となりました。お陰様で毎年、すこしずつ撞きに来て下さるお客様が増えてきました。心から感謝申し上げます。
 一夜明け、新年を迎え、各事業所へ顔を出すと、それぞれにリラクッスしたムードで寛いでいました。珍客(ネコ)も仲間に入り、年明けを一緒に喜んでいました。 厚生園の改修工事も無事終えました。今年は旧成人寮の跡地の利用を練る年になります。たまり場?陽だまり?憩?・・・・・・ドンドンイメージが湧いてくる。利用者の皆さんやスタッフ、それと家族や地域の人々とアイデアを出し合い、次なる矢(?)を準備しましょう。勿論、先立つモノが有ってのこと。
 老いて益々盛んとの陰口にへこたれはしませんぜ~。言いたいヤツには言わせておけ!正直申しますと、足を引き摺り喘ぎながらということも言えますが、新年早々 これでは マズイと言うもんだから、例のカラ元気を目いっぱい・・・・。
何もせぬ正月休みが何かムラムラとしたエネルギーに変わって。そこで閃いたのが間の価値という事でした。間をはかると言いますが、当事者同士ではニッチモサッチモいかない時に事と事の間を設けること。挟むものは人でもモノでも構わない。すると一瞬ですが我に返るってことがあるもんですね。しかし、その空間(間)が見えにくい時代が現代の特徴なんでしょうか。寸断無くというかどうかは知らないが、例えばやたらと出てくるSNSとか言うヤツ!実態はどうなっているのか判りませんね。一種の現代病!ハッキリ申しますがスマホに間はありませんから。便利さと事故は紙一重ということを判らない人達がああだこうだ言うもんだから 見なさい 。夢遊病みたいになってしまい、相手の目を見て話せない人が多い事。参ったなーや。
 騙されたと思って 試してみません? 歩くこと・・・・・これは経済的・健康的・社会的・歴史的・・・・・にみて最高の間でしょうね。金はかからず、足腰強まり、地域の中で、ふれあいを持ちながら生きること。そこに気付くべきなんですね。
 それが真逆のスペクトルで貴重な時間を浪費してやまない。これに気付くことでしょう。実はこれって尚恵学園の仲間たちから私が教えて頂いたこと、間の価値・・・なるほどね!
・・・・We are still  alive!!!・・・(ある方からの新年の挨拶メールから拝借)
 

2885:こころの中

正月休みの期間中は、1年で最も静かな時です。ただ、一人ひとりの心の中は正直私には判りません。1泊だけの家庭帰省の方は既に園に戻ってきましたし、帰れずに園に残った人も多い、それをどうのこうの言う方はいません。普段と変わりなくお互いを受け入れる。
  いよいよか!と自分に言い聞かせ今年1年の開幕に気を引き締める。 巷に溢れる 目を引く派手な宣伝が正直目障りだ。もっと そっとして置いてくれよー! 
 今日は日中の気温が15度になるという。沖縄では26度を記録した。暖冬という言葉に違和感を持たなくなって暫くになりますね。それ自体を喜ぶ人有れば憂う人あり。去年の暮れ4人の方が同時に入院していた。いま一人の方だけになり、母親が毎日面会に通っている。正月早々、偶然病室で会い、母親から一先に出た言葉が「もう 尚恵学園には戻れない。本当にお世話になりました。」と深々と頭を下げられた。瞬時に本人はどう感じているのかが気になった。今までじっとしていた彼女が自分のアゴの所を手で繰り返し打ち始めた。
 8人部屋は全て埋まっていて、皆さんが私たちの話を目で追っている。
 
病院の見舞いには、車で行かずに30分程の距離を歩いて行くようになった。いろんな思いが重なってしまうからかも知れません。
 私は今年66歳になる。この歳まで 元気(?)でいられることに感謝をせねばなるまい。 歩幅を狭め、歩みを遅く、・・・・・。
昨日、何することもなくTVを観ていたら、百名山を徒歩で歩き通す方の総集編が放送されていた。あれは山を楽しむなんてもんじゃーなく、耐久レースだと感じた。自分に課した目標を自らの足でやり遂げる。深田久弥の『日本百名山』は山を愛する人は一度は読んだことがあると思う?
 私も 若い頃、憧れた。登ったことがある山が出てくると懐かしく、記憶を辿ろうとするが正直、殆ど思い出せない。あれから全く山登りをしなくなり、自分のいい加減さに呆れている。不思議と続いているのは”歩く”こと、それも今年は意気込みがちょと違う。今から始めねば四国遍路の中断は、一生の悔いとなる。そう言い聞かせ、体力作りに精を出そうと誓ったわけ。
 三日坊主&生臭坊主を自認し、年甲斐も無くふざけている場合じゃありませんね。 あの深田久弥の最後は、山梨の茅ケ岳の山頂直下での脳梗塞(68歳)だった。
 介護問題は、恐らくどのような手立てを用意しても難しい、唯一、「死ぬまで元気」の死生観を万人周知の道として拓くことしか無いのでは。
   
 ☆「死ぬまで元気」という意味は、生きる張り合い、それは取りも直さず「生きていて良かったと思う」こと。
 ☆混沌として予断を許さぬ世の中、欲張らず、春風駘蕩(たいとう)、元気でいたいと思います。
  ☆とうとく おごそかで おかしがたいもの ・・・・・。それを もっと しんけんに さがしませんか?

2886:源(ミナモト)

 関心事は年齢と共に変化するものです。誰しも若い時分には、有りあまったエネルギーを何かに向け夢中になる。これが無いと逆に”変わり者”呼ばわりされたものである。私の場合は、向こう見ずにも日本脱出を企んだ、昔を知る人に会うと今でもそう言われたりします。もう それは全くございません。嘗ての野望は影を潜め、旧事の追懐に専らの慰めを求めているのです。風土記というもので今も現存しているのは、確か5冊あって、完本として残っているのは「出雲国風土記」、それ以外の四冊の中に「常陸風土記」(717~724)が現在の茨城県。いま我々が郷土の源を辿るとすれば、その記録によるところが大きい。その常陸国11郡の中で土浦は新治にあたる。常陸国は「土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで常世の国(極楽)のようだ」と評された。それは 今も変わっていない?ただ”豊”か否かは正直わからない。今風という条件でならばという但し書き付き。
 何とも腑に落ちないことは、新たな病で「スマホ病」(ストレートネック)というものが増えているとか、目の疲れ、肩こり、吐き気、不眠症・・・それもそのはず、1日に8時間もスマホと睨めっこしているとは驚いた。専業主婦でご主人を送り出して、自分はスマホ。何かそれ自体が病的に感じます。これを異常と感じない世の中が豊かなのでしょうか。
 ”豊かさ”という意味が根本から違ってしまった。一方では勤めたくても 出来ない人も沢山いるでしょう。親の介護や子育てという理由、それだって労働=苦と考えた時代は、すでに過去のこと、? 
 労働=喜びとなれば、労使共に 望むこと。批判は覚悟の上、言ってしまえ! ワンちゃん散歩が大流行、何をしゃべっているのか知らないが、どこからともなく三々五々公園に集まっては輪を作り、振り子の時を稼ぐ人達よ。猫と犬、いつの頃からでしたか?ワンちゃんは首輪をつけられて、ネコは 今のところは自由の身。
 もしかすると、我々人間も首輪をつけられて ・・・・・高額な研修費を取られ、難しそうな話をきく時代になりました。
 今の中東で起きている紛争、三つ巴どころの話ではなくなった。国と国の戦いでは無く、終息どころか拡大の一途、緊急事態。
 そして、スマホ病!!!! この情報の氾濫に 既に理解の限界を超えている。
  『 郡より西南のかた近く河間あり。信筑の川と謂う。は筑波の山から出で、西より東にながれ・・・・」(上記風土記の恋瀬川より) 国や民族の争いの源を どこに定め どう鎮めるか 昔より 治水や稲作に力を併せやってきたからこそ 今でも 昔の姿を そこ(現在の志筑~染谷周辺)には残している。死語となってしまった言葉に”悠久の昔”というものが・・・・・・・検索ミスで 許してもらえば ”有給の今” 花盛り。
 
 ☆ 年始の挨拶に行ってきました。この習慣は今も根強く残っています。
 商売の形が様変わり、宅配サービスが一般化、今度は個人の家の冷蔵庫とスーパーが契約し、無くなったものがあれば補充に来てくれる。ますます 体を使わなくて済む世の中に、それも一概に批判はできない。独居の方や障害を持つ人達が自宅で生活するには大助かり。 着るモノは全てレンタルという新商売もあるらしく、無駄を省くという意味では 良いかもしれない。今年の私のテーマとして、我を張ることは少なめに 視点をかえて 参ります。

2887:つながり

 人とのつながりは、不思議だな~と思う事があります。久しぶりに手紙を貰い、そこに書かれてあった内容で一気に昔にタイムスリップ、その当時の出来事が次々に蘇る。その間20年~30年会っていなかった人で懐かしく、返事を直ぐに出した。決まって話題に出るのは、誰々は今どうしてる?とか孫や子の話、人によっては障りがあると思うので取り止めもない事を語り、また別れる。
 婚活や就活という言葉が目立つような気がします。理想と現実のギャップ、当人はどうか知らないが周りが騒ぐのもどうかと思う。耳から入るコンカツ・シュウカツは、最近流行っているトンカツ専門店の新メニューかと最初は思った。やたらと短縮した言い回しが増えて、どうもついていけない。(因みに広辞林には記載なし)
 昨日は年始客を迎えた。大勢で来られる業者もあって、ご苦労なことですと私の方から最初にいう事にした。 暮れの除夜の鐘は穏やかな天気に恵まれた。新年になり早くも1週間が経ち、いよいよ冬の到来を肌で感じる。
 1月の主な行事は、定期監査が19日にある、監査員全員で8名(?)県と市から来られると聞いた。実を言うと座る場所と対応するスタッフの数が大変だ。職員にはいつも「有りの儘をみてもらい。指摘が有れば私の責任だから心配するな!」と言っている、これもまた理想と現実の開きはありましょう。それに限度ってもんもありやんす。
 その間、いくつかの新年会に出席、24日は神宮寺で地蔵初護摩!恒例の正月行事となりますね。これら全てに言えることは、人とのつながり、良く親父が言っていたことを思い出す。人を大切にしなさいという事がやっとこの歳になり実感している始末。
 これも 程度はあると思うのです。私のガラケーの電話帳は、いつの間に1000名登録になり、追加ができなくなった。その中には既に黄泉路に渡った人もあり、恐らく掛けても出てはくれぬと思うのです。寺の住職をどうにか勤めさせていただく私としましては、最近、過去帳に載っている人もなにも関係なしに、私にとっては皆さんが大切なお客様。ハイ。私が彼岸に渡った時、連絡するのに消さずに置いている?
 愛車の軽トラックに載せた機械類、夏あれだけ元気だった草が顔を出さないのでこの時期は使わず休眠中、そんじゃー芝刈りやろうかと相手探しをしても そうは問屋が卸さない。先勝か友引に狙いを定め、交渉するが、マッチングは難しい。
 そんじゃー体力作りましょうと 8キロのダンベルを物置から取り出してやり始めたその日に関節痛が再発し、これまた思うようには参りません。
good luck  every-body /////. 私は、げ・ん・き  どこかで つながってるんだから 。
 

2888:身の丈

新年会がこの時期あちこちで開催されています。3~4人ほどの気の合った人同士の集まりから1000人規模の大きなものまで、そこに参加している人自身は何も変わらない。でも、胸中は違いますね。どうしてなのでしょうね?
 昨日は、新春恒例の地元新聞社が主催する新年会に参加しました。正直、あまり気が進まないのですが、立場上という事らしく、毎年顔を出している。
 正式の人数は知らないが、ホテルの大宴会場を埋め尽くし、 各界から集まる人達は、お互い顔見知り?という事ではないというのは確か。私はいつも隅っこに隠れるように・・・・・自分の安定する場所がそこ。唯一私の時間潰しは 参加された方達の表情や動きを観察する面白さということになっている。良く観ると大半の人達がキョロキョロして 誰か知っている人を探している人が実に多いことが分かります。なーんだ 皆さん 同じだ。どうしても関連業界の人同士で集まって談笑しているのが多い。
 気のせいか 今年は 名刺交換をされる人が少ないように感じた。
 そして、身の丈ということを感じる。できれば このような晴れの席(?)には 出なくてすめば嬉しいので お開きを待たず、途中で退席して帰った。そしたら これまた 同じ仲間が結構いらっしゃた・・・・・云々。
 出席した証拠として 携帯で写した写真を一枚パチリ、 準備をされた方々に お疲れさまでした。それと お付き合いされた方々にも ご苦労様。そうそう 皆さんに報告いたすことがありました。東京ー愛知ー静岡ー茨城
 この順番は 何かな~? 全国都道府県で個人所得の多い順番とのことです。知っていましたか? 県民の皆様全員に お疲れ様。good luck  every-body ///// いばらきは げんき。 
                                    

     ≪余計な話≫ 日本人の身長で超長期間の変化で男子の平均で弥生時代(BC4~AD3)ごろは約163㎝あったそうです。その後 徐々に低くなり江戸末~明治には
          155㎝ その理由は?
          資料OECDの『How was life?』によると 日本人男子の1880年代の平均身長は157㎝、現代は172㎝。
          明らかに現代は平均身長が伸びた。日本語で「身の丈にあった生き方」というと また違った意味がありますね。
          残念ですが、私は徐々に身長が低くなって参りまして、ズボンの裾が汚れます。一説では足が短いからと言われますが、五分五分。
          ☆ 日本の会社存続の平均年数??? 23年という話を伺ったばかり。
             驚いた方いますか? 老舗なんて日本語は無くなり、目まぐるしく変わる。そこでご自分の事を考えてみては、どうでしょうか?
             大企業(?)への就職を希望する方は依然として多い。これは安定を求めるからですよね。でも そうとは言えない現実。
             人生80年と考えれば もし40代で早期退職の勧告を受けたとしたら どうしましょう?
             己の生き方は自らの責任でという原則は変化なし。寧ろ 生涯を通じ、出来る職を目指すという価値が見直されるべきだと私は思う。
             その意味では縄文時代の人間のほうが、現代人より、はるかに生きる力はあったという。
          

2889:新年会

 恒例の法人内新年会の先陣はデイサービス:コスモス、我々の仲間が始めたレストラン(石岡市)を休日なのに態々開けてくれ貸切だった。正直、私は驚いた。施設でこんな立派なものができて ・・・・・。世の中が変わった。 この新年会にいつの間に参加者が増え、スタッフを含め総勢60名は、今まで利用してきた店では狭くて無理、そこで今回の場所に変わった。これから3つ新年会が事業ごとに計画している。残りは市内の結婚式場が会場、昔を知っている者として 施設も変わったということになる。やれやれ!!
 昨日、同じテーブルに座った家族の方と話をして、皆さんの関心事は ”親亡きあと” 今の日本の仕組みで終の棲家と言われたGHが様々な問題をもっていることが判って不安がある。先立つものは”お金?” この実態をこの先どうするのか? 介護や保育の問題は、受け皿を増やせば解決することではない。その肝心な論議がなされず、評判取りみたいな机上の??が目立つとしか私には思えない。
 もう いいよ そんなに頑張らなくたって 充分やってきたでしょう。   こんな言葉が消えた。ストレスの緩和で 一番効き目があるのは、有りの儘を認められているという事、能力の優劣を競わせる社会。長いこと 教育現場で奨められてきたものは、ハッキリ言ってそこに軸足を置いたものです。方や世間で言われる落ちこぼれという問題、私はそんなレッテルを貼られた人達を多く知っている。繊細な感覚の持ち主 真面目に自分を見つめる人が実に多い。自室に閉じこもり外界と遮断し、あそこまで何も身を低くすることもないのに、それが唯一の自らを社会から守る術となっている。
 固く閉ざしてしまった心を開くのは至難の業、恐らくご本人は誰かがそれを開いてくれないかと何時だって待っているように思えてならない。
 教育は 一人ひとりと真正面から向き合うことだと教わった。
 人より上手く早くできる者が認められる社会、これを推し進めると実は限度がなくなります。そして、勝利者たる者にとっても喜べぬことが起こり易い。それは何か、一言でいって”慢心”つまり驕り高ぶる言動の坩堝と化す。本人はそれに気づかない。
 教育の片手落ちを敢えて指摘すれば、勝利者を作った後の処世術(生き方)を教え諭す場が欠落してしまったことだ。 現場はいつまでその大事な問題を先送りしているつもりか?このことに気づき、自らがどうそれに立ち向かうか! これなくして 国としての将来は決して明るくはなりませんね。
 そのことを考えてもらいたい。何が今の日本に欠けているか?
 新年会で感じたこと。家族とはなんだろう?両親がその子の前に出された食事を食べさせている姿は実に微笑ましい。
 今度 新たな職場に移ることになったAさんが 今の気持ちをマイクを持って皆の前で話した。彼女は働きに出たいと前から語っていた。それが何度も失敗した経緯がある。今回、転職がきまり、明らかに変わったことがあった。
それは自分から大きな声で「おはようございます」と私に挨拶するようになったこと。同時に一抹の寂しさはそれを喜ぶ家族がいない。
親亡きあとの彼女の真の理解者に我々が成りえているかという この仕事への挑戦状だ。そこには当然 慢心の入る隙はない。

 

2890:価値の創生

 国会中継をNHKテレビで見て思う事は、??????。代表質問は 一方通行、審議は各委員会にて行いましょうというルールのようです。しかし、相変わらず何も変わっていない(ヤジや笑い)というのが正直な私の感想。地域創生担当や行政改革担当を新たに設けたわけでしょうが、果たしてその中身を国民に周知できますでしょうかね。
 昨日は関東地方で初雪が舞った。今冬一番の冷え込み、我が家のミイ(猫)は外に出ようか出まいか大いに迷っていた。午後、Yさんが段ボール箱に入れた白菜(?)を事務所に持ってきた。「あれー 凄い なにこれ?」「少し大きくなっちゃったけど わたしが作りましたので どうぞ!」 ≪すごーい!立派な白菜だな~≫(私)『・・・・・・・』(Yさん) 耳打ちされた。「違いますよ。小松菜が育ちすぎたそうです」(スタッフ)≪あれまっー≫(私)
 良く眺めたら 白菜とは明らかに違った。段ボール箱を持ったまま立ち尽くすYさん、少々気まずいムードが漂った!
 昨夜の我が家の食卓には 見事な小松菜がテーブルの上に置いてあった。さて どうしたものか???
 TPPの議論を聴いていて腑に落ちない点があった。それは  参加国の経済連携を図るため、関税を撤廃し、より自由で活発な交流を進めようというものでしょう。その細かな中身については 今後の話し合いで取り決めるという。その大筋合意が参加12カ国の間で結ばれた。
 あの場面で≪Yさんよ。これ誰かが買ってくれるかな?≫とは絶対に言えなかった。彼女は弁えていた。『 すこし大きく育ってしまい。良かったら どうぞ』と先手を打たれてしまった。そこには妙な駆け引きは微塵も無い。
 いま農林水産業者は、今回のTPP協議の推移には注目している。その中でヨーロッパ特にイギリスの例が良く出ていたと思う。自国の農業を守るために国が相当の補助をして農業を守っている例・・・・・。
43年前を思い出した。ロンドンからエジンバラまで列車の一人旅、車窓からの眺めは、広大な牧草地が続き、羊がのんびりと草を食べていた。イギリスは今もユーロ圏には入らず、独自の道を歩む。その是非を論ずるには最近のイギリスの情報が私にはない。ただ、その研修中で気になったことがありました。3か月という短期間の障害関係の施設(大規模定員2000人)実習だった、その当時、現場で働く支援者は大英帝国時代の植民地からの人達が大勢を占めていた。ホームステイさせて頂いた家は、銀行家が空き部屋を貸してくれたもの。その家族の生活は実に質素、家庭菜園で出来た野菜が毎朝の食卓に出された。自家用車は旧型で優に20万キロの走行距離をこえ、 その車を大事に乗っていた。合理的と言うのか質素倹約が当たり前、同じ島国と言っても日本の歴史と比べると何かが違う。それは伝統を大切にするか否か?
 今の日本のチグハグサが40年前の私の拙い体験が邪魔をする。自国防衛に併せ自立を声高に叫ぶ割には、日本人の食料自給自足が軽視(?)されている。畑も田も1年耕作を放棄したら一瞬にして荒れる。近年は異常気象で大雨で表土が流され、収穫に大きな影響が出ている。それと先の大戦で日本人は経験したはずでは無かったか、兵糧攻めにあって、戦争を続けることができず無条件降伏した。私の住む周囲は 借りる人もいないのにアパートがタケノコのように建っている。これは国のチグハグサ 一貫性欠如の見本である。
 それと介護離職者ゼロの議論を聴いていて 腹の虫が穏やかでなくなった。議員の皆さんは 介護に従事する人材をどう考えているのでしょうね?他人事にしか映らない。「介護離職者ゼロ」より 介護する側の問題のほうが私は深刻だと思っている。箱物は出来たが支援する体制が組めない現状を見て見ぬふりをしていませんか?これは共倒れになる前触れではありませんか? 次に新聞紙上の片隅に遠慮して紹介されていた事が話題に上がる。「妻がパートに出れば その収入月25万とご主人の給与を2分すれば それ相応の生活は可能」と誰とは言わないが答えたとか・・・・。言った言わない????まあ この話の真偽は 例の如く変わるのだろうが、正直、今の日本で奥さんがパートに出て月25万の収入が入ると永田町界隈では思われているとしたら、最早 手の打ちようがありません。
新年そうそう介護離職者ゼロ 保育待機ゼロを目指すという新たな矢の効果の信憑性が根本から揺らいでる。正直 言った言わないの議論も実に虚しい また、それを「枝葉末節」の議論だと決めつけるのもどうかと思う。
 いろいろ 思うことはありますが、この辺で止めておかないと、皆さんに不愉快な思いをさせるだけ、それよりもYさんに今日の内に誤っておかなければ 私もまた 問題の先送りという批判を受けることになります。価値の創生 いろいろ有りましょうが豊かさ・ぬるま湯・便利さにドッポリ浸かった人達には 言行を一致させること自体が無理なのかもしれません。一億総活躍⇔まず一億総懺悔より始めよだ。 (小鬼のひとり言)

 ☆ 伝言・・・・小松菜はGHに無事納入されましたことを報告いたします。毎度ありがとうございまーす。(Yより)


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