精神薄弱児施設経営の理念   

明治40年。愛知県生まれ
平成5年12月17日没
享年87歳

尚恵学園  住田 恵孝

重度棟竣工記念機関誌より1978.3.12

此の度日本自転車振興会・茨城県・土浦市から補助金を頂戴して長い間熱望していた精神薄弱児施設の一環である重度棟が竣工したことをお礼申し上げますと共に、今後ご協力ご援助いただく参考として本学園の経過と経営の基礎的理念を述べたいと存じます。

1.重度棟竣工までの経過
 昭和29年養父恵浄の私費で土浦全購連の事務室を払い下げ2反5畝の畑に移築し、31年3月精神薄弱児のための私立学校として知事から許可を受け、県内の児童福祉法や義務教育に関係のない知人の精神薄弱児、里子、家裁からの補導委託少年を中心に定員30名の教育機関を発足せしめた。その歩みは極めて遅かったが着々つみ重ね、職員の献身で経営運営して43年に40名を収容するようになった。44年退職金を基本として70坪の鉄骨ブロック建一棟と母性保護医協会からの補助金で訓練室、食堂、炊事場を完成し、45年1月社会福祉法人、同年2月に精神薄弱児施設の認可を受け、46年に郵政省からのお年玉葉書による補助金で職員室5室、48年日本自転車振興会からの補助金で一寮舎を完成し、定員60名となり現在57名の児童と29名(定員19名)の職員と学齢児の園内特殊学級派遣教師3名で、福祉と教育の二面の施設となった。

2.何故精神薄弱児施設を選んだか
 昭和7年に部落の有志と共に農村に留まるべき青少年を対象として定員30名の私塾神立農村実習学園を創設した。
 その塾生の中に1人の精神薄弱児がいた。苦労して指導した結果よき配偶者に恵まれ社会人として自立した事実にかんがみ、又釈迦の弟子何千人の中1人だけ何を教えても全く覚えることの出来ない周梨槃特という精薄者がいて他の同僚から嫌われていた。釈迦は彼に短い一句を二六時中口じゅしつつ同僚の靴を掃除するよう命じた。ところが毎日同一文句を言いながら汚い掃除をしている中に、一つの考えに徹し悟りを得、遂に十六羅漢の一人となり他の同僚達を教えるようになったと言う。
 此の事実と故事を知って如何なる精神薄弱でも教育の方法手段によっては立派に自立して社会人になり得ることを体験し、45年には関係官庁団体の職員や友人、知人のすすめと家族の協力を得て、比較的重い精神薄弱児を対象としる施設の開設を決断し、直ちに実行したのが精神薄弱児施設尚恵学園であった。その当時の学園は一般の精神薄弱児施設で究めて貧弱そのものであった。

3.精神薄弱児施設とは
 児童福祉法は児童に対する国民の義務と国や地方公共団体の責任を明示した法律で、その中に精神薄弱児施設の目的として、「精神薄弱の児童を入所させて、これを保護すると共に独立自活に必要な知識技能を与えること。」とあり、即ち精神薄弱児を24時間収容し保護指導訓練教育治療をしつつ将来独立自活するための様々な知識技術を与えることを目的としている。特に民間施設は社会福祉の先駆者的役割をもち、一定の範囲外はその福祉面を経営者及びその職員の創意と工夫を自由に生かすことが出来る。昭和40年頃は施設も少なく、施設に入所する児童は公立の大学入学よりも困難な位の状況で、国も地方公共団体も盛んに施設増加を計りすすめた時であった。私もの事実を知って始めたが、重度の精神薄弱児の指導方法には一定の型がなく千差万別の指導計画が必要で苦労が多くむずかしい仕事であるが、反面生き甲斐のある尊い事業であると思った。

4.重度棟の運営
 本学園では51年度定員60名に対し重度児と認定されたものが40名おり、従来重度棟において指導することが、児童および職員のために必要であることを痛感していた。しかし重度棟建設の計画のみで実現しなかったが、此の度関係機関をはじめ多くの関係者のご援助の結晶としてその実現をみたのはおくらばせながらも幸い中の幸いで、特に飯野様よりは時計台の大時計、藤田様よりはピアノ一台、常陽新聞社様、土浦ライオンズ様、タキロン労組様よりは設備金を頂戴して本当に感謝感激しているものである。
 最近施設に入所し保護されるものは重度化し重複障害化し幼児化してきた。また年長児は比較的家庭崩壊で本人自身に問題が多く、何れも皆医学、心理学。社会学等の諸科学の専門的な知識と技術を要求され、従って職員の資質も極めて高度に専門化されてきた。本学園は職員の海外(7名)、国内の研修に力を入れ、又各方面の地域の方々に参加参画をお願いし精神薄弱児のニードに適応する方策の必要性が次第に増加してきた。
 重度児とは別紙添付にある「重度精神薄弱児収容棟の設備及び運営の基準について」の中に

 (1)知能指数がおおむね35以下の児童であって次のいずれかに該当するもの。
   ア、食事、着脱衣、排便及び洗面等日常生活に介助を必要とし、社会生活への適応が著しく困難であること。
   イ、頻繁なてんかん様発作又は失禁,異食、興奮、寡動その他の問題行動を有し、監護を必要とするものであること。
 (2)盲若しくはろうあ又は肢体不自由を有する児童であって知能指数がおおむね50以下の精神薄弱児。
と局長通知にある。又同通知に収容定員、設備の基準、運営の基本方針、指導の方針、指導の内容、児童の健康管理、判定と入所措置について明記されている。
 以上の通知により運営されることは論をまたないが、本学園では既に40名の該当児があるのに20名の定員では処遇上差別的にみられる。しかし最初から定員増をせずに新しく重度棟を設けたことは、重度棟に入所する以外の20名も又結果的に処遇の向上になると思う。運営は此からの課題であるが皆様のご好意とご期待にそうよう積極的に努力する覚悟である。

5.民間社会福祉施設の特色
 民間社会福祉施設は公的社会福祉施設に対するもので、民間という言葉の中には公的なものとは異なった特色がある。しかし、一般に福祉事業は国境のない公的なもので一宗一派の宗教宣布のためのものではなく、又一個人の考えだけで実施してよいというものでもない。次ぎに民間福祉施設の特色を列記してみよう。
 (1)基本的には社会福祉事業法の規定によって行う事業で、その趣旨監督をそん守すること。
 (2)法律で定められている民間福祉事業は国や地方公共団体からの委託費措置費を中心に民間団体・個人からの補助寄付を得て経営運営されている。また事業を遂行するために色々保護保障をされている。
 (3)将来公的社会福祉の先駆的役割をなすための法律通知等にふれない限り独創的な考えの下にたとえそれが試行錯誤であっても実験的な努力を払う事が可能な場合がある。
 (4)民間福祉事業は公的福祉事業の補完的な役割と社会改善のための開拓的先駆的な役割をもち、更に立法、制度、行政に対し実験的建設的な批判要望を加える弾力的なものである。
 (5)法人は特定の施設長あるいは職員に対して、その人の識見、才能、情熱を発揮するために一時的あるいは長期にわたって事業の遂行をまかせることが出来る。
 (6)施設長及び職員は奉仕に生き地域に仕えそのニードに応じ、地域住民の福祉を高めるため積極的に情熱をかけ、自由な奉仕活動が可能である。
 (7)運営資金のうち寄付者から指定されたもの以外の寄付補助で予算外に必要なものや対象者の処遇向上にあるいは職員の研修のために弾力的な運営が出来る。但し厳正な行政上の監査をされることは当然である。
 (8)法人は施設経営運営資金獲得のために収益事業を特別会計で実施することが出来る。

6,今後への道
 精神薄弱児教育について本腰を入れ始めてから20余年を経過した。前半は全く閉鎖的個人的のものであったが後半には社会福祉事業として全く正反対に新しい開かれた施設となった。今後進むべき道を次ぎに列記する。
 (1)社会福祉事業法の精神を保ちつつ民間福祉事業として積極性をもって恒久的に実行する。
 (2)仏教精神を中核的生命として堂々と社会に進出する。
 (3)民間社会福祉事業の使命を発揮し社会福祉事業の先駆的な実験の道場として使命を果たす。
 (4)民間事業とする独自の価値と自主性とを確保し、事業の責任を果たしつつ社会の連帯的機能を発揮する。
 (5)土浦市の一角から更に広域のニードに対応し、地域の人々の参加を乞うて地域福祉を高め、社会改造の大目的に突進する基礎作りをする。
 (6)職員のチームワークにより社会福祉事業の近代化、管理の合理化、サービスの専門化及び福祉の臨床的な場として押し進めていく。
 (7)職員に対し計画的に先進の海外、国内の施設に派遣して視察実習研修させて資質の向上と視野の拡大を計る。
 (8)対象者の重度化・重複障害化・幼児化のため日常生活の自立を計りつつ学習、職業等の指導訓練をするが、特に嘱託医やボランテイアの協力を得て医学心理学等の立場に立った治療をしたい。
 (9)福祉センター的役割を果たすべく施設設備の充実と図書室の充実を計り、相談・診療・検査・研究の4部門をおく。
 (10)急激な社会変動に伴い対象者のニードに応ずる医学的診療、成人,老化、授産、通勤、家庭的な小規模施設の併置を考慮する。
 (11)学園の後援会組織を強化し、又法人の収益事業を考慮して、園自体の経済的な基盤の確立を計り、施設事業の円滑な経営運営に寄与したい。

7,お礼とお願い
 以上重度棟の竣工に当たり本学園の20余年の歴史を申し述べてまいりましたが、今日の如き福祉事業にまで成長しえましたことは関係官庁、団体、知人、地域社会の人々による厚いご援助と保護者の協力との賜物であると深く感謝を申し上げますと共に今後の事業遂行の姿を監督し見守り又更に旧に増してのご援助ご協力をお願いする次第でございます。
 私達は皆様のお力添えと善意をいただければこそ励みとなり精一杯この道に責任と連帯意識を強め対象者への最高のサービスが出来るものと確信いたしております。

 この文章は1978年の重度棟竣工式に配布されました初代理事長住田恵孝のものです。現代用語からすれば、疑問に思われる箇所もあると思いますが、原本のままに掲載しました。