源究169

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NO  テーマ  月日  NO   テーマ  月日  NO  テーマ  月日   NO  テーマ  月日
 2891 なんでもあり?  1/14   2896 仲間たち  1/28   2901 満身の労作  2/10   2906 労働ダンピング   2/24
 2892 叙勲祝い  1/17   2897 御用・・・ 1/31   2902 素人経済学  2/13   2907 親父だったら     2/27
 2893 寒波  1/19   2898 福祉の事業規模  2/2   2903 偏光報道 2/15   2908 弥生   3/1
 2894 見えるものと・・・  1/22   2899 偽善者  2/5   2904 迷惑メール  2/17   2909 晴れのち曇り    3/4
 2895 拘泥  1/25  2900 温良恭倹  2/7   2905 ありがとう  2/22   2910 今を大事に     3/7

2891:なんでもあり?

 今や破竹の勢いメデアに毎日登場し、書店にはその人の著作が何冊も並ぶ。本のタイトルは出来るだけ目立ち 購買意欲を駆り立てる意図を感じる。これだって 活字離れがここまで進むと再版するまでもなく、書棚から片付けられ二度と表には出ない本たるや 年間相当な数である。純然と作家を専業とする人がどれだけいるのか 昔から読書好きの私は形振り構わず乱読し、これでは体が持たないと、自然に身を置き、体を動かすことで気持ちのON・OFFをやってきた。
 昔はインターネットなど便利なものが無くて、図書館で借りた本や書店で買い求めた本からしか情報は得られず、当然、時間と忍耐(?)がいった。半世紀の間に 大きく変わった。今や”なんでもあり”巷にはモノが溢れ、賞味期限切れは破棄される。”自由”を謳歌することに何の疑問も感じなくなり、同時に”モラル”が疎んじられる。道徳などと言えば嫌われ、個人主義を唱えるものが増えてきた。無駄をムダと感ぜず、何ら反省もなく浪費し続けて今に至る。
 言葉には限界があって、ある人間をこうだと決めつけることはできない。昔ほど思想・信条で色分けすることは無くなったが、それとは逆に何を考え、どうしたいのかの曖昧さが許される時代、それが現代の特徴かもしれない。
 ≪衆生被困厄 無量苦逼身・・・・≫(観音経偈文) 毎朝の勤行で読むお経の一節。最近は宗教がどうも本来の姿とは違った意味に取られてしまっている?地球上 いかなる場所にでも起こり得るテロ、そして報復の連鎖、そこには必ず犠牲が伴い、安心を求め逃げ惑う多くの人々。なぜ こうなってしまったのか?昔も同様の事が起こっていたのだろうか?
 この現実を直視せず無視はできなくなった。だからといって自分は一体何ができるのか!無量苦逼身の「逼」という字、ヒツと読み、せまるという意味である。人間は現世において、迫ってくる災いや限りない苦しみを常に被り戦き恐れる宿命に、身を屈め、通り過ぎるのを待つしかなかった。そこに宗教の価値があり、一言でいえば≪救い≫、どうすれば救われるかというのが共通の願いだと私は思っている。
 私の場合は寺に生まれたということ、これが宿命と自らを納得させるのに人生の大半を費やした。未だ入口の辺りをウロツイテいるのが正直なところで一生かけても無理だと思っている。無責任な言い方をすれば、やるだけやってその後は次の人達に託すしかない。
 なんでもありな時代になり、その代償として各自の責任の重さが増したと言えるのではないか。そんな中で私は 自分の道標(一条の光)になる言葉として「少欲知足」を大切にしている。
 
 ☆ 法灯を絶やさず、次へ託す。仏教の世界では、このことを大切にし、今に至る。法灯(ほうとう)とは、正法が世の中の闇を照らすことを灯にたとえたもの、法とは、真理を表す教え。
 タスキを繋ぐ駅伝に譬えらるが、決定的な違いは時間の制限が無いこと。早かろう遅かろう、それぞれで良い。正月の箱根大学駅伝は、今年も青山学院の完全優勝で終わる。私の記憶では、駅伝出場の常連校という訳では無く、近年急に力を付けてきた大学だと思う。監督夫妻の存在が実に大きい。日頃の練習ばかりでなく監督夫妻と寮生活を共に送る選手達の連帯感は突出している。どんなスポーツにも言えることで伝統校というものには、他とは違う何かがある。
 その何かがなにか?  「なんでもあり」の世の中になっても 真似できないものがある。その価値を代々引き継いでいくことは、並大抵の道ではない。制度や仕組みを外国から真似して作ることはできても、それは決して根付かず、忘れられるか自然に消滅する、これ真理!

2892:叙勲祝い

 水戸駅ビルの6Fで秋に叙勲された方の仲間内のお祝いに出席しました。出席された方の中に前に叙勲を受けた方もおり、両方から宮中での拝謁の様子を事細かに伺い、その表情はお二人とも”恵比寿顔”、いつもなら会えば必ず言い争って(?)いる間柄なのに、この時ばかりはお互い相手を十分に立て仲睦まじい。本当はお互いを認めているんだ、おめでとうございました。
 なんでもこの制度は古く大宝律令制定時まで遡ると聞いた。今までにどれほどの方達がその栄誉に浴することができたのか、叙勲を受ける方は それ相応の年齢の方、自らの歩んだ道を振り返るには、良い切っ掛けとなるのではないでしょうか。
 昨年のノーベル賞を受けた方が 授賞式に亡くなった奥様の写真を胸に入れて臨んだ、そして写真に向かい喜びと感謝の弁を語った。
 私の住職をする寺のお墓にも 先祖の叙勲の事を墓誌に彫ってある家があります。 後々 その事が励みになることもあるかも知れません。お孫さんに「ウチのお爺ちゃんは こうだったのよ」と説明している家族の方を何度かみている。
 祝い事を、昔ほど派手に行うことは減っているようです。昨年の暮れ 私の住む町で一番大きな結婚式場が閉まった。その代りに規模の小さなものが増えている。これも今の時代をよく表している。
 ☆ 昨日は家族会の役員会がありました。私は13日の地元紙に載った記事のコピーを配り、話をさせていただいた。平成26年度、全都道府県に『地域医療介護総合確保基金』が置かれ、県ごとに実施計画が作られた。 今回発表されたものは、その計画の一部で介護職を年間で50名 養成し人材不足への一助にしようとするものでした。 仲間の施設長より 私の所に当日問い合わせが入る。障害関係はどうなるのか?という内容でした。早速 調べてみたが、今回の事業は、基金を財源とするものだから、保育や障害事業所への人材養成とは違うという。 基金は国と地方の折半で、実施事業で長寿福祉課と福祉指導課に担当が別れ、既に1年前から動いていることが判った。
 対象者の絶対数の違いだからでしょうか今までにも 後回しにされることが常でした。障害分野は、障害当事者とその家族が陳情を繰り返し、やっと今の仕組みが出来てきた。我々 施設職員はその運動を影で支えながら、現場の実態を訴え、その改善を要求してきたのです。その流れが変わった。育成会活動の低迷、運動体としての障がい団体の細分化、虐待防止法や個人情報保護、更に事業主体への規制緩和策   等々 正直、その環境の中で国から示される情報とそれに付随して起こる様々な変更手続きに翻弄される現場、本来の業務に専念できない。障害者総合支援法が制定3年後の見直しで最近公表されてはいるが、未だ正式には国会で通った訳でなく、事前情報として流された。この動きは、いつまで続くのか、それとも更に複雑に判り辛いものとなるのか? それを地元市町村の担当者に尋ねても、回答は得られない。
 資本主義と福祉、これは長年のテーマ、未だ嘗て経験したことが無い超高齢化社会に入っている。目先の改革では どうしようもない状況である。
 果たして、専門家の識見に期待し、その課題解決にソフトランデングが可能かどうか? 恐らくは否定的な見通しが中間報告として示されることだろう。先ず、1000兆円超の国の負債に対し、日本人一人ひとりが真剣に向き合っていない。それを訴えれば、代案を示せ!と脅しにもとれる言動が罷り通る。その本人達は、自らの得た利益を必死に守り、その上での議論を繰り返すだけ。自ら議席を返上する者が皆無
 その反省をせず、特権意識を助長するような話ばかりメデアも取り上げるから、政治離れが止まらない。台湾で選挙が行われ、結果は与野党逆転、台湾は女性の総裁は初めてという。はたして混沌とした東アジアの中で、日本が現状の体制で本当に隣国と良い関係を築くことができるのでしょうか?女性の総理の出現は、・・・・・・。そうなれば 就任祝いも また違った趣になるのでは???
 

2893:寒波

 今年一番の寒波が襲う。久しぶりの積雪に各地で事故が起こった。雪を迷惑に思う人、待ち焦がれてやっと纏まった雪が降ったことを喜ぶ人、様々です。土浦周辺は昔から雪はあまり積もらない。霞ヶ浦があるからだと聞いたことがある、嘘かホントか湯たんぽの役目を果たしているという話、確かに 湖畔周辺はいつでも1~2度周りと気温が違う、その霞ヶ浦が全面凍結したことが過去にあるのだろうか?もし、その時は恐らく日本中が大パニックになっていることでしょう。
 寒波や熱波は 極端な気象の変動をいう、早く通り過ぎて欲しいと誰もが思う。それとはまったく別な話、本日は県と市の定例の実地検査がある。大勢来て下さることになった。正直、あまり気分の良いものではない。できれば早く通り過ぎて欲しい。なにせ9名の監査員の入る場所がない。普段の活動を行っている中で余分なスペースがないのが実態、食堂や作業所はあるが隣で大声をたて飛び跳ねる利用者がいてもどうかと思い、離れているプレイルームを急遽準備した。
 さて。結果はいかに? 
 なにもかも有りの儘を見て貰い、その結果、まずい所があれば直せば良い。
 私が検査前に行ったのは 検査会場の案内板を2枚作ったこと。暮れの除夜の鐘の時に使った看板を張り替え筆書きし即席でこしらえた。今 丁度 朝6時の鐘の音がなった。今年も毎朝鐘撞きに来てくれる方が防寒具に身を包み、懐中電灯をつけて来てくれた。既に今の時間は各寮やGHは勤務のスタッフが忙しく動いている。現在夜勤をしてくれる人が毎日9名になった、それにパン工房のスタッフは今でも朝の5時前に作業を始めている。
 私は看板を2枚作っただけ、これを どうするか? ああああああ・・・・・・アリの儘。
 
     景気の良い話を聞くたびに 懐具合に寒波居座る。 毎年毎年、新語大賞にノミネート 表看板がお好きなようで 手の内見せず 選挙の準備
  

2894:見えるものと見えぬもの

新年会 花盛り。 酒の力かどうかは知らねども、人が変わったかの如き人多し。同席し半分真面目に聴いてはいるが、正直、何を言っているのか判らない。お互いにウン ウンと頷いてはいるものの、???。本人だって自分で何を言っているのかわからない。この模様を色で例えたら どんな色? マリンブルー or 茜色? 3日連続は、さすがに参った! 
 世の中を憂うな!人の批判をするな! そんなことどこ吹く風で時間構わず荒まくる。飲める人なれば 良かろうが。私みたいに飲めない類は どうするか? 出たくもないのにトイレ立ち、一体何度トイレに入ったことか?ああああ・・青色吐息が数珠つなぎ!  
 見えるものと見えぬもの・・・・聊か微妙なことですよ。
『人生は不合理』と語ったその方は、あと12日で80歳、久しぶりに再会し肌の良さに驚いたその方は今年88歳と酒を注ぎ回る、このお二人に共通するのは、笑い顔、童顔といっては礼知らず、されど 声には張りがある。
 私はカラオケはしない。しかし、皆さん見事な声をもち、得意な唄を披露する。 我が人生に悔いはなし♪・・・・
それはそれ 人には言えぬ事もあり。その見えぬモノこそ 狭き年輪 重ね続けた人の道  
 
 ☆ 『拝啓 竹内昌彦先生』より。8歳の時に全盲となり、波乱万丈の人生を送り、今も全国で講演活動に走り回る。その竹内氏の言葉「見えないから見えるもの」視覚障害というハンデイに挫ける事なく、「辛い事は長く続かない。ジッと辛抱し・・・いずれ救われると信じて・・・どうしても辛かったら、その時は逃げてもよいから・・・」と語る。そして「自ら死を選んではいけない・・・」と若者に向かって訴える。先生が語る、見えないから見えるもの、それは、相手のおもいやり優しさだと語る。
 今の時代、その真逆の価値観が偏重されてはいないだろうか? 見えるものに心を奪われ、偽装までして繕う。さも、自らの力で成し得たと言わんばかりの人に何の魅力も私は感じない。
 自らの障害を認め、怯むことなく果敢に生きる人を知って、誰しもが勇気を貰う。「豊かさ」を声高に叫ぶ人達に、置かれた場で自らの花を咲かせば良いという竹内先生の言葉を送りたい。
 賞味期限切れの横流しをしたというニュースに今の時代の病根をみる。売れ残り捨てられる食料、餓死への恐怖に戦く人達、国境なき医師団への誤爆、・・・・現実に起こっていることである。 そして、矛盾を感じるのは、そう言う自分自身の立ち位置、65歳まで生きて来れたことへの感謝、意識し向き合って・・・これからが ・・・・・・・。

2895:拘泥(こうでい

 拘泥とは、小さなことにこだわり、融通がきかないことを言うようだ。私自身は、その二文字で総括できる。どんなチッチャナ事にも拘り、思考停止になることは日常的に起こっている。これが坊さんだと言えないならば、ハッキリ言って構わない、坊主失格だ。昨日(1・24)は神宮寺で初護摩焚きを行った。いつ頃からかはっきりしないが、かなり昔よりこの地域で行われてきた行事である。
 いつものように俄か準備で、護摩木を用意したり、案内板を貼ったり、結構忙しかった。そして当日、午後から急に強まった北風、日本列島は記録的な寒波で大騒ぎ、これだけ風が強く寒くては、おそらく誰も護摩に来てくれないかもしれない。開始時間の2時には いつものように本堂は多くの方で埋まった。
 融通無碍という意味、一定の考えにとらわれず、どんな事態にも滞りなく出来ること、・・・・・・。前項(No:2894)の見える見えないは、言葉でどう説明しても理解することは難しいことがあるということ、自らが視力を失い、そこから掴んだ事が融通無碍、”碍”は障りという意味だ。障害という言葉を「障がい」と「障碍」にすべきだという議論がある。おそらく、一般の人には その意味が判らないのでは。法制化する時に国はハンデイを”害”という字に訳した。害には”じゃま”という意味がある。”じゃま”は漢字では”邪魔”と書く。その邪魔は仏教では・・・仏道修行をさまたげるよこしまな悪魔・・・・。悪魔ですよアクマ、 そんなの酷い???
 しかし、実は日本語だけではないのです。mentally  + [difficult]  [handicapped]  [retarded] ,  [intellectual disability] etc。妹尾先生が秩父学園の園長室で熱く語ったことを思い出した。40年以上昔の話。≪住田君 あんたね! これからこの仕事をやっていくんだろう? それなら イギリスに先ず行って来なさい。≫ と 奨められた。
 当時(1960~70年代)、先輩たちは日本の障害福祉の仕組みを西欧から学び、日本風にどう根付かせるか真剣に議論した。ハッキリ言って、あの学ぶ姿勢が今の日本には無い。経営をどうするか?報酬単価の増減に目くじら立てる、関心事がそこで止まっている。今後の在り方として国は大規模施設へ政策誘導、利用する人が1000人を超すものも増えている、そんな事業体を成功者と持ち上げる。そして介護保険と一本化。教育も然り、教科書認定の行き過ぎた競争が問題になった。小中一貫教育の導入、それだって根っこでは繋がっている。規制緩和で限度を失い、本来の教育の役割が曖昧になっている。
 我々は生きている以上、誰しも”こだわり”の呪縛を解くことはできませんね。本能だからですよ。でも、諦めることではないよね。そう思う?
 昨日もまた Y さんが朝一番に声をかけてきた。『 かーかん  くっとー おむかえ 』(母ちゃん 来るよ お迎え)何度も何度も繰り返す。 身を切るような寒風の中、Y さんはいつものベンチに座って、私にそのように訴えてきた。
 
 ☆ ある所で 今の介護や医療の在り方に苦言を呈した方がいた。石油関連の会社を手広く行っている企業家、近年の福祉施設建築に10億円も投じ、豪奢な建物を競っていることに対し、ガソリン1リットル数円の利潤追求を生業としてきた方の”怒り”とみた。ならばと自らの会社でも介護事業を始め、初年度の赤字が9千万円を出したという。 介護や福祉への規制緩和が進み、社福や医療法人の独断場では無くなった。今では4割が株式会社やNPOになっているそうである。 
 社福制度見直しの中 事業者へのチェックを厳しくするという、事業費総額で10億円以上と20億円以上の負債がある法人は、監査法人による外部監査を義務化する。これは国全体の中では まだ一部でしかない。至極当然なことだと思うのだが 当事者の動揺は隠せない。
 私は、初代が言い残した、≪誘惑に負けず 一つのことに徹しなさい≫ ということを自らに問うている。笑いながら、「施設が必要無くなれば 止めればいいんだよ」と言っていた。制度や補助が無かった時代(昭和20年代)に起業した人達のことを 今の時代に 伝えようとしても無理である。 日本の私企業で平均存続年数が23年という調査結果を疑う前に 我々には 現行の制度にしがみ付く事ばかり考えるのではなく、覚悟を持つべきなのです。それが何か? ご自身で考えなさいよ。社福を国は潰さない。吸収合併で存続を考える。  参考図書・・・ 『資本の世界史』ウルリケ・ヘルマン箸 
 ☆ 限りなく生産を増やすことで経済成長を果たすという考えは、一歩も二歩も下がって考えるべき時ですよ。モノを多く持つことで 幸せや満足は得られましたか?このまま進めば、環境悪化に富の格差、そして無駄の悪循環・・・・南の島に115年ぶりに降った雪、アメリカ東海岸の大雪、高潮は偶然の出来事ではないことは明らか、日本とて同じ方向を向いて、現在計画中の火力発電所が国内だけで47カ所、原発に変わる電源という触れ込み、この裏には業界の利潤を守る意図を感じる。強権とその横暴さには、それ自体に矛盾がつきもの。国の形、社会の在り方、数パーセントの富裕層がGDPの30%を占めるという構図は、だれがみても受け入れ難いこと。
 *冬枯れしたススキを草刈り機で刈る。枝が伸び過ぎたイチョウ、栗も梨も柿もこの時期、枝剪定を行う。それは次の年に望みを持つから。 先人から受け継がれた自然の摂理(智慧)です。もし、それをせずに伸び放題のままにしておけば実はならず、木枯れを待つだけとなる。 剪定と選択、何を残し、何を切るか、・・・・・。そこが今 この国は問われていると思いますね。
 

2896:仲間たち

     

スタッフ演技
       

2016・1・27

 厚生園の新年会がL`Aube(土浦市)で行われました。左コマは宴開始前の静けさ、右コマは 全員が自らの持ち歌を披露、Kさんの順番になった時、二人が飛び入りで加わった。何気なしにFさんの肩に手を添えたYさん。
 我々には判らない皆さんの結束、仲間意識? 11時から始めた宴は3時間続いた。31日はGHの方達の新年会が同じ会場で行われる。今回 お客様として長年オヤツ作りVSをしてくれている皆さんが加わった。なんと一番長い方は37年目になると伺った。グループで小平賞を頂いたのは、もう大分昔の話、・・・・・。我々以上に緊張していたのは、多分 宴会場のスタッフだったかも知れない。今後長いお付き合いになれるかいなかの心配は徒労に終わった、仲間たちの底力に只管 感心した。
  創設者の願い
 
 ☆ 悲喜こもごも・・・・・悲しみは 喜びにより 癒され 喜びは 奢るおもいを 警める。人生 その繰り返し。 だから どうにか道を誤らず 歩いていけるのかも知れません。
 ”こころ”や”おもい”は、目に見えないけれど 感ずることは できますね。 
☆ またもや献金問題で重要閣僚が辞任した。 どのような言い訳をしても 責任を途中で放棄したことに違いなし。政治を志す人達に 知って貰いたいことがある。 右上の3人が どこを見つめ 一心に歌い始めたか判りますか・・・・・・。彼らは 決して 言い訳はしない。
☆ 日本語・・・『我が儘』 or 『ありの儘』 ⇒ 似て非なり。 言葉の独歩、その”こころ”は???。

2897:御用・・・

 御用○○ 、辞書には御用の後にいくつもの文字を繋げた例が載っている。学者・新聞・組合などなど、これは”権力ある者に迎合し、その利益のために働く自主性のない者を軽蔑していう語”。
 御用だ!御用 御用・・・時代劇の捕り物に良く出てくるセリフ、今ではその種の番組はお蔵入り。
 報道の2極化が言われ始めたのは さーて いつごろでしたか? 私の場合は かなり可笑しいのかもしれない。地方の2紙以外に、全国紙の両極の雄 A紙とY紙をとっている。その論説欄を読むと実にハッキリする。・・・・が、新聞の購読者は減少の一途、デジタル版の普及もその一因かも知れぬが、全体に活字離れが進んだからだと思いますね。情報が巷に溢れ、より好戦的で刺激的な内容が目に余る。 報道の規制にまで進むと最早、我々庶民にとっては、確かな情報を得る手段がない。 俄かに騒がれ始めた事がある。 独法というあまり聞きなれない組織に絡む問題、これは独立行政法人通則法第2条第1項に規定され、国が自ら主体となり直接実施する必要がないものを法人化した組織。簡単に言えば”国立”という字を外したこと。そのチェックは総務省の評価制度委員会なる所で行うらしい。勿論、主務官庁は管轄の独法に対し内容を把握し本来の目的に沿った事業が行われているかに責任を持つことは当然。
 この仕組みは 英国のサッチャー首相時代の改革(エージェンシー)から学んだものらしい。嘗て世界中に名を馳せた”大英帝国”の危機を上昇モードに転換させた。彼女は、自らを誇ることはせず、冷静かつ勇決をもって只管に財政赤字を克服し、イギリス経済を立て直し救世主と評された。(鉄の女:Iron  Lady)
 知ったかぶりして・・・との批判は覚悟の上、この国の姿を思うと 何かがズレていると思うのです。選挙権を18歳にまで下げました。勿論、若者や女性に活躍の場をということに異論はない。しかし、相も変わらず政治とカネのドロ試合、おそらく週明け国会では、またもや本来の議論と遠く離れた論戦が起こるはず、スウエーデンやドイツではシリア難民の受け入れで国を2分する事態、一方、我が日本は全く異次元の政争&論議で盛り上がる(?)。これで若者が誰に票を投じたら良いか判断できますかね。
 与野党どちらが悪いか以前の問題ですよ! 近年、やたらと取り決めや法の改正が増えている。現場は大変な混乱で、正直『また いずれ変わるから』という諦めが蔓延している。
 小手先の事に振り回され過ぎて、この国の形が見えにくくなってしまった。それは偽らざる実感です。
 権力を有する者の責任と能力は、いつの時代でも同じ。その器の人物が育つ環境が 今の日本にはあるのでしょうか? NHKのドラマ”真田丸”ではないが、貴方たちが今を戦国の世と言うのであれば、主君も家臣も それなりの覚悟と振る舞いが肝心かと     御用 ゴヨウダ!
  新年会のトリはグループホームの人達でした。世話人さんも26名に増えた。お互いの交流は普段あまりないので一同に会しての宴席は貴重。現在9カ所のホームがある。メンバー達は、それぞれ違った職場で働いているが、仕事を続けることの難しさは彼らが一番知っている。”○さんは 社長とケンカしたから辞めた。俺は我慢する””やっと 就労センターの研修が終わり、今度 会社が決まった。今度こそはガンバリマース!””働くもの食うべからず これ 大事フンフン””自分から 挨拶しないと ダメ”・・・・・・・あちこちから聞こえてくる会話。
 夕方、K病院に立ち寄る。道で床屋さんに行ってきたSさんに声を掛けられる。1000円カットの店に行った帰りとのこと。新年会では矢沢栄吉の歌を上手に唄った。彼も何度か職場をかえたが、今は毎日 足場材料の仕事を続けている。

2898:福祉の事業規模

 日銀が新たな金融緩和策で 当座預金金利マイナスを導入した。この事で 株価は上がったんですか?。我々には関係ないと思ってしまう。蚊帳の外という思いは更に強まった。これで不安が本当に解消できるのですかね~。正直、物価が2%上昇すればという意味が良く理解できない。株価と為替レートの上げ下げに夢中になる人が どの位の割合でいるのでしょうね? どこに基準を合わせるかという問題だと思う。是非を度外視すれば、現代の特徴を定量化・数値化と言われる。結果、世の中の仕組みが実に複雑になった。生きるためのコスト計算は常識、そこに巧みに入り込むことを可能にする規制緩和、ベンチャー企業とか言っちゃって風雲児気取り、まっ良いか、あんたは偉い!一般論として”新自由主義”という仮りの名をつけた。別名では”なんでも有り”。
 敢えて言わせて貰えば新しいモノを買い求めなくても生きて行ける社会を目指して来たのに、物が売れないと言う。千葉の友人がニンジンをコンテナ2箱持ってきてくれた。少し、小さいが見事なニンジン、店では売れないので捨てるという農家から貰ったそうで、お裾わけ。 
 外貨獲得功績の雄は自動車。私はトヨタのプリウスに乗っている。その時言われたのはバッテリーが壊れるから良いとこもって5年だと言われた。それが全く故障はしないですよ。
以前と比べガソリンの給油回数は半分に減った。 自動車メーカーは円安効果で海外販売が何処も黒字を出し、上機嫌。しかし、永久には続きません。いずれ下火になって行くんじゃないだろうかね。当然、業界は次の対策を練っているはず。福祉や介護に進出することも有りですよ。
  業種に例外なく規模拡大を勧めようとする動きが止まらない。お札を沢山刷ったものだから銀行はシコタマ貯まったお金の運用に苦労する。日銀に預けておく当座預金は今度はマイナス金利、預けて減るならば融資先を他に求めて利ザヤを稼ぐことを考える、当然ですよね。しかし、安全と思われる融資先がありますか?国債は別として比較的安全と思わている社福や学校法人がターゲット。国内には大小併せものすごい数のその種の法人がありますから。いや 違います。社福・医療・学法が 株式会社をグループ内に作ることが流行っている。攻めの経営????
 待てよ、調子にのって規模拡大して、働く人がいるの? 入学してくる生徒がいますか? 利用者がいれば事業が出来る時代は過去のこと、現場の実態は深刻です。表に出ないが、休眠法人や解散する事業所が増えている。起業の規制が緩くなったことは廃業することも緩くなったという事ですよ。そこで言われる殺し文句は”自己責任” この国が道を踏み外したと言えるのは、社会保障さえ”自己責任”へ転嫁したことだと思っている。
 教育や医療、福祉の現場でエスカレートしている問題は何か分かりますか?それは行き過ぎた権利の主張です。結局、その種の利用者を避けるという防衛手段ノウハウが計られる。セーフテイガード?サービスを受ける側も提供する側もお互いガードを強めるから複雑になる。これ今時の常識なんです。
国の助成は事業の規制緩和策で確実に減額されている。それに公民の役割が曖昧になり、競合しお互い潰し合うという妙な問題も出始めた。
 そうなると、これから先の舵取りは慎重にならざるを得ないでしょう。働き手を外国から受け入れるという話もあります、社福や医療・学法は最後の最後、この分野の需要に応えるには絶対数が全く足りないわけですね。
 事業のスケールメリットをPRする御用学者は沢山います、職員数が500名ほどで大規模と言ったら笑われますよ、中小企業ですよね。だって自前で職員の養成から福利厚生(退職制度など)を賄えますか?無理でしょう。報酬単価が数%減額になったら、負債の返済ができなくなることが判らない。(後述:シャープの買収の名乗り上げた台湾の企業は、グループ全体で社員100万人?)
 更に福祉・介護職の地位向上を本気になってこの国は考えているとは思えない。必ず財源の問題が持ち上がり 後回しにされてきた。そして今がある。これは子供だって分かることなんですよ、日本は世界で断トツの借金を抱え、その問題を先送りしてきた。ここから絶対に目を離してはいけませんね。いまさら郭隗(かくかい)の「隗より始めよ」の故事を出すまでもなく、まず言いだした者が先に範を示すというのが道理でしょう。
  
  ある方からのメールに ハットするような事が書かれてあった。
  ・・・・内心、そろそろグループホームを卒業する時ではないかと思っています。個というか、individualに着目し、彼・彼女が求めているものは何か、そこで我々に出来ることは何かを、瞑目して取り組むチームが必要ではないか。ただこれがしたい、だったらこの制度でこう支援する、といった安易な支援ではなく、土壌を築くというか、時間をかけて関係を醸し、必要な手助けが求められるのではないでしょうか。・・・・・・・。

2899:偽善者

 「・・・信じているようにみせて、実はそんな考えは何もない。特定の企業や組織の利益をはかるために 国家のさまざまな機構を用いる人」 を『偽善者』という、ある著名な経済学者の言葉である。今の状況は”目先のパイを奪い合う”という醜態が自由と公正というマヤカシの中で美化され行われている。自らに都合の良いデーターや情報だけを選りすぐって、さも 自分達の考え・行動が正しかったと言うのは如何なものでしょうか?
 結果の是非を予め予測し、その両方の言い訳で綻びを繕う議論は虚しさしか感じない。そんな事今言ったって仕様が無い期待するからだと、世俗からのがれ閑居を決めつける人もおりますね。そんな輩が増えているようにさえ思うのです。
 政官財学のエリートたちはそれぞれの立場で短期の結果を出せと圧力がかかり、今に雁字搦めになって5年先10年先の長いスパンでの視点が持てない。これは忌々しき事態だと言えば、アイツは批判ばかりで無責任とのレッテルがつく。
 最近の規制緩和策を否定する訳ではないが、一定のルールまでもが軽視されれば最早、歯止めが効かなくなり、安定は図れない。結果としてその対応のコストが鰻上りとなっている。
 数値化がお得意の人達よ、果たしてアンタ達に自分の子供や孫の将来に今やらなければならないことは何なのか、真剣に考え実行しようとする意思を感じない。
  昔も今も 私が関わってきた障害を持つ子の親たちは、”この子を置いて 先には死ねない”と言い続けてきました。逆に 親が亡くなって 自ら死を選んだ障害がある子も知っている。毎朝 本堂で彼らの遺影に手を合わせるのが日課となり もう何十年という月日が過ぎてしまった。少子高齢化対策が盛んに叫ばれる中で障害者や障害児が置いてきぼりになっているようにさえ感じてしまう。
 今 この年齢になって思うことは、私がやってきたことが果たして良かったのか否かと内心忸怩たる思いを持っている。戦後、日本の社会保障の制度が整備され、国の形が整ってきたことは有難い事であるが、それと共に予想だにしなかった親子間の悲惨な事件など、止むことなく繰り返されている。
 身近に起こって初めて感じることかも知れぬが、他人ごとで済む話ではない。
 ある会議で社福の在り方検討の中で示された社会貢献の議論、そこに集まった人は全て何らかの福祉事業を行っている方達だ。それが、金 カネ かね・・・・・・社福が実際にお金を社会貢献に支出しなければ 世間様は認めて貰えないと持論を述べ何とも感じない人。情けないと思った。 この人は普段何をもって”福祉”を語るのか 自らの立ち位置の曖昧さが 世間様から心がないと言われる所以ではないのか!
 いつの世にもこの類の人間はいた。我武者羅に働き一時の繁栄を仮に獲たとしても 長く続いた試なし。
 青雲之志なれば聞こえは良いが、下心が見え隠れするとなれば、偽善者となるには、然程時間を要さない。
  
  東芝・シャープ・・・日本が誇る世界的企業で深刻な経営の悪化が判明、身売り先の検討を加速している。恐らくグループで数十万人の社員を抱え、日本のGDPを上げるのに多大な貢献(?)をしてきた企業ですよね。M&Aは世界の常識となり、自己資本を増やし、世界との競争に勝つ為にと一斉に動き始めた。旧財閥の名など影薄く、どこでどう繋がっているのやらさっぱり分からない。
 一国一企業の問題では無い。それをグローバル化という言葉で括るだけでは、どうかと思う。それとは逆に今叫ばれのが、≪個の尊厳≫。これは今急に出てきた言葉ではなく、憲法の中にハッキリとうたわれていること
「第13条」。
 実は尊厳を、今風に数値化で表わすことはできない。一人ひとりの満足は、異なって当然、それを国の豊かさという物差しへの偏執で説明しようとするから無理がある。
 
  昨夜、TVのテロップに流された鹿児島桜島の火山爆発、固定カメラの映像がLive で流された、木曽御嶽山の爆発時の生々しい映像を思い起こす、日本は火山国だということです。そして頻繁に起こっている地震、昨日の昼時に神奈川を中心とした震度4の地震があった。夜中のニュースでは関西電力 美浜原発3号炉の再稼働の話。反原発を唱えた河野さんが重要閣僚に就任し、宗旨変え?これはネットからの情報。
 これで不信感も持つな!と言われてもどうなんでしょう。国会の動きは、既に選挙モード、だからと言って公約は実現せずとも違法でない。実現させることより出来ない理由はごまんとある。
 アメリカの大統領選が始まった。民主党と共和党、他にも小さな政党はあることはあるが日本と比べて一目瞭然、まず各州で大統領候補の予備選を行い、その後副大統領を指名し両名併せての本選をおこなう。今回、日本が投票年齢を18歳に下げたことはアメリカの制度に追いついた唯一の変化。
 議員定数減の公約すら纏まらず、やれこうだああだと言っている。それよりも何よりも、日本の最大の弱点(曖昧さ)は、与野党が変わっても大きく政治家と官僚との関係が変わらないこと。国会答弁を見ていると、いつでも後ろに寄り添う黒子が気になって仕方がない。

2900:温良恭倹

 温良恭倹(おんりょうきょうけん)・・・・・温和で素直で、相手を敬い自らおごらずつつましくする。これは、日本人が好む徳目である。さて、己はどうか? 真逆の有り様を知って 顔を赤らめ恥じるのみ。
 今 義務教育の中で道徳という授業が行われているのかどうか知らない。学問は勿論、スポーツや文化活動など それぞれの”エリートの養成”が盛んな事は何となく知っている。 その実績が教師や学校の評価につながる。これが長年の文科省の方針?教育現場でいつも問題とされ続けてきたのは、”厳しさ”&”躾”をどう教えるかという事。決して暴力や虐待を認める訳では無いのだが、ああいえばこう言うの論争に油を注ぐことに、本来は家庭が果たすべき役割がイマイチおかしなことになってきたからで、その点がスッポリ抜け落ちた。この改善は先の”偽善者”がどうのこうの言った処で無視されるだけなのであります。
 有名な元野球選手が覚せい剤容疑で逮捕されました。スポーツ界でも突出した実績をあげた超エリート、勇退後もマスコミ等に良く出てきて、彼の華やかな人生は成功者の理想の姿と持ち上げた。多くの子供たちが、彼を目標に野球に取り組んだのも事実。茨城県の県立高校が当時、KKコンビで追随校を許さなかった学校(PL)と甲子園の決勝で闘い、誰もが予想しなかったPLを打ち負かして優勝、その時の地元の熱狂は凄かった。今でも当時の事を誇らしげに話す人がいる。
 今春の選抜大会に茨城県からJ学院が選ばれた。ここも全国制覇を何度か成し遂げた伝統校。関東地区の秋の予選で良い成績を収めたので当然とは思っていた。今回の逮捕劇は、彼らにどう映っただろう?
 私も中学時代野球をやっていた。同学年で9人が部員、3年の時は全員がレギュラー、正直 試合に勝った思い出はないのだが、50年経った今も時々集まり親交(?)を深めている。
 逮捕された現在の彼の心中を察することはできません。しかし、皆が野球に全力で取り組んだ彼の姿を知っている、是非ともやり直し、更生して頂きたいと願っているはずだ。
 それには、温良恭倹・・・おごらずつつましく、自らの生きざまを見つめ生きて行くことしかないのではないだろうと思う。
 
  人間は100年、木は1,000年、水は1億年、・・・・・・・・。いま高齢化問題を騒ぎする傾向があるのではなかろうか?長生きを”問題”と捉える矛盾、しかし、人間は長生きして100歳、木の生育は1000年の期間をあてる。濾過せず飲める地下水があるのは世界広しと言えどこの日本位なものかも知れない。その水はなんと1億年の歳月を要して地下に貯められる。 これだけ時間をかけ出来た自然の恵みを我々は忘れていないか? それはハッキリ言って人間の驕り、自然を自分たちの思い通りにしようと企む。高齢化対策を建物をつくることで解決しようとしても無理である。その事を数字しか読めない人達にいくら説明しても聞く耳を持とうとしない。台湾で地震が起こり16階建てのマンションが崩壊した。周囲の建物はそれ程の被害がないというから違法建築が問われるだろう。台南市という人口180万人の大都市で起こった。
 これと同様な事が、この日本の大都市でも起こらないという保証はない。狭い土地にドンドン上に延びようとするビル、それを”豊かさ”のシンボルと見る連中が 減るどころか増えている。・・・温良恭倹・・・・

2901:満身の労作

 ドイツのY氏より連絡があった。『慈しみの愛』を加筆修成したので送るというものでした。ご本人の了解を得てHP上に掲載します。
 ”小さな幸せ 大きな喜び”を智泉書館より4年前に出版、Y氏は私より大学で一学年先輩にあたり、共にワンダーフォーゲル部に所属、勉学より山登りを共通の趣味とした仲である。当時の記憶では、文章を書くなど想像もできない方であった。私自身もフランス文学を専攻するなど誰も信じない同じ穴の貉と言われても返す言葉はない。家族3人奥様の出身国ドイツに渡り30年が過ぎた。詩をこよなく愛し、もの静かな奥様と息子ミファエルとの3人の生活、悲喜交々、粗衣粗食?、そんなドイツ生活から確信する≪人として何が大切か!≫を満身の力を込め書き綴った労作。
 チュービンゲン市はドイツ南部、バーデン・ヴェルテンベルク州にあり人口9万人弱の地方都市。街の中央をネッカー川が流れ、ルター派神学研究で有名なチュービンゲン大学(1447年創設)があり、『車輪の下』を書いたヘルマン・ヘッセやハイネやゲーテという名高い文学・哲学者を輩出したドイツで住みたい街の一つである。
 ドイツと日本は先の大戦で共に敗戦国となり、ドイツは東西に二分され、日本は島国として分断されることなく戦後の復興を成し得た。ここにきて大きく異なる何かを感じている人が多い。それが一体何なのか?
 Y氏の文章は、正直難解な個所がある、それはドイツ生活の長さから来ているのか持って産まれた文才なのか? 読まれた方の判断に任せたい。
 私自身の率直な感想として
  「個の尊厳」を家族3人の生き方を通して見事に描いた作品である。これは宗教や国の違いに関係なく共通のテーマとして受け止めるべきこと、ナチの犯した罪を決して忘れず、今も謝罪とその償いを国是とするドイツ、方や国民の同意を得たという免罪符(?)を掲げ、強引に改革を進めようとする日本。真面目且つ緻密で優秀な民族という共通のモノを持ちながら、進もうとする道は明らかに異なるように私には思える。 
 国のリーダーとして国民がどちらを選択するか? 
 改定版『慈しみの愛』へ。
 
  需要の喚起は、モノが溢れている今の日本では難しい。ならばと海外で売ろうとすれば様々な障壁があってこれまた難しい。市場に沢山のお金を増やしても先行き不安な時代、消費欲は上がるまい。史上最低の金利であっても 安全のために預金をした。それが今回の日銀のマイナス金利で金融機関が動揺(?)、それに様々な要因が加わり、ここ数日の為替や株の変動は尋常では無い。将来貨幣に替わるモノが生まれ、お金が無くても取引が行われる時代になるという。もし そうなったら 新たな心配が出てきやしないのか?
 こういった流れは、地球上のどこにでも瞬く間に侵入し、その土地土地の文化やしきたりを総なめに浚っていく。一方で言われ始めているのが「個の尊厳」、一人ひとりの”尊くおごそかで おかしがたい”こと、理屈で判っていても生き様が伴わないものでは意味がない。
 ○=ネット販売・コンビニ・アパート経営・宅配・清掃業・人材派遣・・・・。×= 老舗店・大型店・ショッピングモール・・・・。浮き沈みを象徴する言葉、実態はその中でも勿論、熾烈な競争がある。
 良い商売となれば短期間にタケノコごとく増え続け、共倒れや過大な投資の返済ができず、倒産や廃業という末路がある・・・・・・福祉や教育・医療も決して例外ではないという事を肝に銘じないとなりません。。
  その人と一緒にいれば安心し癒される。どんな苦労が有ったとしても それに替わるものは見つからない。おそらく”慈しむ愛”は、そういうモノなのでしょうね。 

2902:素人経済学

 歳だから仕方がねー・・・・・・との愁い節、この無意識の内に吐いてしまう言葉は自らに説いて慰めるのであります。食生活の変化、余分なカロリーは体脂肪の蓄積と運動量の減少が重なって気力の衰えとなる。 病は気からとは良く言ったものである、ただ幸か不幸か最近話題の”認知症”、これは自分の心身の異変に無頓着。健康的な生活がああだこうだ問わないから考えようでは逆に良いのかも知れません。
 先日、ある会合に出席、途中退席することになって帰ろうとすると靴が無い。玄関でウロウロしていたら「どうしましたか?」と係りの方に聞かれ、「いやー 靴をどこにぬいたか忘れちゃって」。「あのー。手に持っているのが違いますか?」「・・・・・・・」。 ビニール袋を見て 二人で大笑い。 一気に打ち解け、帰るのを忘れるところだった。
 これが不満ならば真逆のことをやれば良い。気力を奮い立たせ、良く働き動いて栄養は控えめに。60歳定年とか誰が決めた! 言ってみれば贅沢なこと、縄文弥生の時代に定年制があったのか?野を駆け回って今日一日の食捜し、生きるためには仕様が無い、この時代に戻れるか?とは言わないが、どうも人間は智慧が余計なことを考え出すようで墓穴を掘るようなことに頭を使いすぎないか。
 1日の過ぎるのが早い事、参りますね、1日24時間には変わりがないが、何故だろうと考えた。それもそのはず朝昼晩の食事を思い出せない位はマシなほう、寝たのを忘れ昼寝する。
 本題の”しろうと経済学”に移ります。行き過ぎた新自由主義(ネオリアリズム)の象徴は何かと問われれば、ゴミ(?)捨て場、一目瞭然とはこのことだ。廃棄処分する際に再生可能な資源の分別にどれだけの経費をかけているか判りますか? 建物の新築を例にとって見れば分かります。あまり知られていない事かも知れないが、キュービクルというモノ、国内に処理施設が現在1カ所(北海道?)しか無いのをご存知か?捨て場所が無いんですよ、捨てる順番を待つのに10年はかかる、それまでは敷地の隅に置いておくようにと指導を受けた。これが行き過ぎた繁栄(?)の置き土産。
 身の周りの物で”ムダ”と言われるものを数えたら皆さん驚くことでしょう。これこそが豊かさの幻影を追い求めた結果だと考えませんかね。
 経済民。economy。人間生活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費という3原則。それに≪過≫をつけてみたらどうでしょう?過生産で物が売れないならばデフレに向かう。これ常識!
 度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じ、どちらも正しい中庸の道とは謂えないとの教えを思い出す。
 
 さてと、正月気分が抜けてきた時分より、何やら気になる事が起こります。アジアでもミャンマーや台湾では女性党首が登場し、アメリカでは大統領予備選が始まった。その有力候補に女性がいるし、日本も女性の登用を奨める割には、イマイチ燃えるものを感じない。チグハグさと言うんだろうかねー。自分達の実績を余りPRしないほうが良いような気がします。だって人間、相手の自慢話を聞いていると腹が立つ、これ常識! 
 相手の”こころ”に訴えかけるには、謙虚さが条件ってこと教わらなかったかなーや。

2903:偏光報道

 マスメデイアに対する政治の介入?  偏った報道に対する規制? とすれば何が偏光報道ということになるのでしょうかね。相手を陥れようとした盗撮や録音、これも聊かやり過ぎではないかと思う節もある。でも常識となった”防犯カメラ”ならば許される?その辺の境目が曖昧なことは否めまい。新聞・出版・報道など伝達を目的とする大衆媒体が最早、無限大に広がって、情報を獲るためのコストが凄い。アメリカの予備選で急に浮上したのが有力な候補者が公的メールを私的に使ったという問題、外交など微妙な内容が漏洩するのを恐れてのことなのかどうか?
 自由を掲げながら規制は当然あるということですね。その判断が複雑になった。
最近 話題に上らなくなったグレーゾーンという言葉、あれもまた白黒判断できない地域をグレーと表したわけでしょうが、その根拠は恐らく明確ではないと思うな。なんとなく灰色!ってことなんじゃないの。
 身近な例として 『発達障害』という言葉が業界用語(?)として溢れている。人間誰しも得手不得手はあるもの、それを一部分だけを取り上げて発達に障害があると診断名を付ける。医療的な対処方法は何かと言うと本人は有りの儘で良く、周りがどう受け止めるかを変えれば良いという。心の問題は昔から微妙、十人十色、どちらかと言えば・・・こうかな?という見立てが許された。こうでなければダメだとかこの病名を使わないと医療費の請求が難しいという副次的な心配は少なかった。3年前の法律改正で新たに難病疾患で一次二次合わせ306症病が追加されました。その認定手続きやその後の医療費請求事務が複雑になったことは言うまでもありません。細分化されれば事が上手くいくというものではなく、その逆もある。今回の3年後の見直しの中で様々な議論がなされたと聞いている。
 現場を預かる身として もう少し利用者に判り易いものにならないのかという思いはある。
 報道で相手を陥れようとか排除するという意図があってはどうかと思うが、これ以外にこういった考え方も有りますという情報をえるには、あまり規制を強化するのは如何なものかと思ってしまうのです。
 自由を標榜している割に、何か得体の知れない新たな圧力が見え隠れするのは、これまたイノベーションとかいう概念で片付けられてしまうのでは 聞き捨てなりません。
 
 重力波天文学という分野があることを知りました。今朝も早く目覚めてしまい、雨戸を明け空を見て一瞬立ち尽くす。マイナス3度、澄み切った夜空に輝く星の数、星を見ると宇宙の神秘さに引き込まれてしまいます。望遠鏡で見える世界と最近発見されたという重力波、こちらは目では見えない。なんでもアインシュタインの理論で未だ実証されていなかった唯一の事が今回の観測で証明できたという。
 世界中の科学者が同じ目的の為に協力し研究を続けている。それは宇宙の根源に関する解明への挑戦だ。それに反して地球上で行われているテロや紛争、その目的は?
 皆が満足していれば収奪や殺戮は起こらないと誰かが言ったが、このこと以外に理由は見つからないと思いませんか。
 偏光報道や誇大広告、明確な根拠が無いことに惑わされ過ぎる世の中は、その果実が如何に魅力的であってもいずれ腐って消滅する運命と考えるべきではないでしょうか。 

2904:迷惑メール

 皆さん、迷惑メールでお困りになったことありませんか? SNSという網があらゆる処に張巡らされている時代となり、本来の利便性の恩恵より、その弊害が問題になっています。いつの時代も良からぬことを考える方が出てくるもので、サーバー攻撃やら迷惑メールが増加の一途、それを防ぐ方法は無いのでしょうか、唯一 そこから解放される方法は思い切って携帯やパソコンとおさらばすること位でしょう。
 何故、他人が嫌がることをするんですかね~。恐らくはITに相当詳しい人だと思うけれど 何が面白いのか判らない。
 麻痺させるには理屈は簡単、高速道路を考えれば直ぐわかる。ゴールデンウイークの車の渋滞、進むことも戻ることも出来ず、只管車中で待つ。これで困るのは生理的現象、トイレがあるわけでなく、皆さんどうするんですかね? 要するに想定範囲外の多量なアクセスをすれば麻痺する。迷惑メールには 受信拒否の設定はできますが、これだってイタチゴッコ、新手の方法でいとも簡単にくり抜ける。
 最後は自分のアドレスを変更すれば良いのだけれど、これを知らせる手間を考えると躊躇します。何か他に方法があれば教えていただきたいものです。
 民営化、行政改革、規制緩和、緊縮財政、関税・輸入制限の撤廃、外国人へ株や資産保有比率の増加、公益事業への外資参入の認可・・・・・・・これら政策の多様性が一国だけでは取れない時代になったと言われます。
 TPPもその一つ、喜ぶもの有れば悲しむもの有りという事です。
 そのような環境にあって、迷惑メールは一体誰が喜んでいるのでしょう。妬みや不満のはけ口と言うのであれば、それへの対策は根本的な問題を解決しないと減らないわけでしょう。格差拡大ということを見てもほんの一握りの富裕層(1%)が年収日本円で何十億円もの給料を貰っている現実、そのような方達は一体何にお金を使っているんですかね???
社会保障の最も進んでいるスウエーデンが嘗ては格差が最も大きい国だったということをご存知でしたか 
 世界中がこの流れ(グーロバリズム)にのって暫くは行くのではないですか。物騒な話ですが、先の第一次や第二次世界大戦の前と良く状況が似ていると言われています。
  
 有料老人ホームで起こった信じられないような事件、23歳の若者が利用者のお年寄り3名をベランダから落とし死なせてしまったという容疑。TVからの情報は、夜勤のストレスが原因とか言っている。これこそが”迷惑”な話、そんな理屈が通るのであれば日本中毎日同様の事件が起こっていますよ。報道関係者にも考えてもらいたいものです。勤務のストレス=犯罪という決め付けを感じてしまう。それじゃーストレスの無い仕事がありますか??
 現場は、24時間365日の体制で動いています。現象だけを捉え内情も判らず、自分たちの描いた筋書きの報道姿勢に疑問あり、何せ”言い放し”でその責任は誰も取らず。働き手が減って大変な時代を迎えていることをどうとらえるかだ。 そんなのアンタ達の責任だろうと言うのでしょうか?
 そうじゃないでしょう。この日本に老人を大切にするという土壌(社会)を築くことじゃないんですか。それには急激な変化は無理なんですよ、小手先だけでなく時間をかけ醸成していくより、方法はないはずです。そのことにメデアも重要な役割を担っているという自覚を期待したい。
 カメラの前で土下座して、頭を垂れる 責任者・・・・・・。こんな画面を何度見せられても不愉快。 カメラを向けるあなた自身はどんな思いでいるのでしょうね。余計な心配だけれども、このまま行くと 新聞 TV 離れが一層進むんじゃーなかろうか。記者”魂”よ どこ行った。

2905:ありがとう

 現代の憂鬱因は、ありがとうという言葉の減少ではないだろうかと思うのです。これは物が溢れ有って当たり前という事に何ら疑問を持たず感謝することが減ったからじゃないだろうか。
 それと 先進国への仲間入りは何も貴方がいたからそうなったんじゃないのに、何時しか&何故かそう思ってしまうトリック。(・・・己惚れ鏡・・・)。先進国×新興国×後進国なんて分ける事自体が大間違いで、他国に対し礼を逸した恥ずかしい行為。ODAを得意げに語るなど最たるもので、いかにも恩着せがましく上から目線で私は好きではない。
 またもや国会では心無い先生達の失言・失態に党執行部はピリピリ、アメリカ大統領への放言とも受け取れかねない言動、当人は直ぐに釈明謝罪をしたが何を言わんとしているのか正直判らない。これも 一種の慢心か? 適当な言葉が見つからないが、あの方達には”ありがとう”という言葉の在庫が減って、常識抗体が劣化しているのではないのかな。(多分、選挙時に使いすぎるからでしょうね。 抗体が減ると 誘惑ウイルスに弱くなりますでしょう。)
 急遽、衆議院議員定数の削減を早めるよう指示を出したらしい。ここにきて党内から次々に失態が出てしまい、その上定数削減先延ばしでもすれば選挙に悪影響とお考えになったのか、ハッキリ言って大所帯になって箍が緩んだという事ですよ、その決断と痛みの覚悟はホンモノですか?誰が見ても遅きに失する感は否めまい。民主主義は有権者の一票がモノを言う。選ぶ側の責任も当然問われて然るべきですよ。
 中には いるんじゃない? 他にいないからとか言う理由では無くて この人に政治を任せたいと言えるような人。
 閑話休題
 バレンタインデー・・・・・私は2人のメンバーさんからチョコを頂いた。Iさんは毎朝 私に声をかけてくれる。「えんちょう! なにしてんの?」『べんきょうだよ』「ウーン べんきょうか」これだけの会話。Yさんは車イス生活になって大分たつ。彼女も一生けんめい 生きている。 握手をすると手が冷たかったが袋に入ったチョコと笑顔をくれた。 あ・り・が・と・う・・・・ね。
  
  ≪言うは易しく、行うは難し≫
 ≪大言壮語して憚らず≫  実行が伴わず、言い訳に終始するようでは段々に人は離れて行きましょう。社会保障の歴史を紐解けば様々な時代背景が見えてくる。いま当に社会福祉法人制度改革が行われようとしており、そこで示されるだろう理事評議員会の変更で気になることがある。評議員会を議決機関とし理事会は執行機関、理事者は何らかの損害賠償請求がなされた場合、その責任を負うという。一般の株式会社の仕組みで言えば評議員会は株主総会で理事会は取締役会という解説を聞く、ガバナンスの強化という狙いなそうだが、さて この改正は実態に則したもので実行可能なことと言えるのでしょうか? この文面だけを読めば、社福や学法の理事になる人がいなくなってしまうのではないでしょうか?複数法人の理事を引き受けていたら夜も眠れないということに成りかねない。まだ、充分詰めがなされていないとのこと、細かな点は政省令という形で更に紆余曲折があるらしい。  
 NHKテレビに私が良く知っている方が出演していた。早速 その方にメールを入れると返事があった。「あれは収録です・・・・」と控えめに、少子化対策に新たな負担増があった場合、驚いたことに視聴者の8割が賛同しているLive 調査の結果。しかし、それには条件で”本当に”という言葉が付くことだった。グサリと胸に刺さる何かを感じませんか?それと、若者と60歳を過ぎた人との考えに歴然とした差が出る、高齢者対策にかける費用と子供にかける費用の割合の差も大きい。フランスが出生率(2%台)を上げた成功事例、何がそうさせたか?強い指導力と判り易い説明⇒ 合意形成へ。
 ミニ比較 ・・・・フランスと日本。 フランスの面積(640,679㎢)日本(377,961㎢)・ フランスの人口(6,660万人)日本(1億2千6百万人) 一概にはどちらが良いのか言えませんが。。。。2倍の土地に半分の人口のフランス
   ♪♪・・・・・  笑うより泣く数が 多けりゃ 多いほど 優しさをあげれる男でいたいから ありがとう 言えるよな 最後であればよい   お前にも 子供にも すべての人たちに・・・・・・♪ 
     『 ありがとうの唄 』 吉幾三。

2906:労働ダンピング

 1980年代半ばより進んだのが≪雇用の多様化≫というもの、パートや契約社員そして派遣社員という雇用形態に漸くメスが入るようになった。バブル崩壊を経験し昔から行われてきた≪終身雇用≫制が急激に減った。景気回復の論議の中で話題に上るワーキングプアやブラック企業の実態、増え続ける格差の拡大。公共事業の中味の変化、それは規制緩和策や効率化の促進という言葉によってコストの削減が表向き、その裏側では想定外の社会問題が増えている。地方公務員の現状は1/3が非正規雇用となっている調査結果、それと公共事業で指定を獲るために入札時無理して金額を下げるものがある。事業の内容に変わりなくコストを下げる為には人件費を削る外ない。一部大企業との格差がドンドン拡大し二極化が進む。
 シャープや東芝の問題は、多分、大企業でさえ明日は我が身という現れではなかろうか?賃金の安さを求め多くの企業が海外進出、そして業績を伸ばし日本のGDPを押し上げた。・・・・が、ご存知のようにこの先バラ色と考えている企業は皆無。いずれも石橋をたたいて渡るような強い危機感をもっている。
 昨日、法人内研修で家族代表の4名の方に自由に今思っていることを話して頂いた。親or兄弟、入所or通所orグループホーム  それぞれ違った形で利用をされている方を選ばさせてもらった。
 短期入所だけ利用されている父兄は「自分は75歳定年」と語った。入所利用の親は、「女房が病気で倒れ、どうしようも無くて児童入所施設に預けた」、兄が小さい時に入所し現在GHの方は、「家族で夕食を取る時など兄のことをいつも思い出した。」 ご夫婦で研修に参加された方は、「親亡きあと」がいま一番の心配だと話した。途中、感極まり涙声になることもあって研修に参加したスタッフは黙って聞いている他なかった。私は一番後ろの席に座り一部始終を見ていたが、先代が良く私に話していた「我々には絶対に親代わりはできない。」ということを思い出した。目を真っ赤にして話を続ける母親の姿は 経験の浅い職員は勿論、この仕事の大切さを心に深く感じさせたに違いない。
 政府が打ち出した『介護離職ゼロ』の新たな矢、一つの字の場所を変えてみる。『介護離職ゼロ』。この違いを感じないならば、どのような政策を考え出しても片手落ちと言わざるを得まい。子育ては子を育てて初めて分かること、障害福祉の原点がここにある。
 どうです?図星でしょう! グローバリズムとかTPPとかやたら外国語が目立つ、その言葉の本当の意味を理解し 支持の是非を投じることができる人が果たしてこの国の何割か? この足元を見た政治、永田町という城に居ついてしまい、地元に帰らない殿には 分かるはずがない。
  「職員の皆さん! ストレス解消はどうしてるんですか?」と尋ねたお父さん、入所以来、毎月息子さんを自宅に連れて帰られている。帰宅した時は必ず外に息子さんと出かけるようにしているそうです。僅かだが、そんな家族が何人かいます。ストレスには大きく分け、3つの原因があると言われています。騒音や空気汚染など物理化学的なもの、飢餓・過労・睡眠不足など生物学的なもの、緊張・不安・恐怖など社会的な要因です。これらに上手く対応できなければ、段階的に進行、初期段階は警告反応、それから副腎皮質ホルモンへのダメージ、さらに体の抵抗が弱くなると疲憊(ヒハイ)期に移行し心身に様々な支障が生じるという。
 仏教では、ストレス=苦と考えると判り易い。苦=思い通りにいかないこと。ストレス解消の為に行っていることが逆に新たなストレスの原因になることもある。膨大な経典に説かれている釈尊の教えの主流は、苦に対する身の処し方(自行)にあると教わった。苦⇔欲という構図はいつの世にも存在するという、となれば、あまり欲をかかない方が良いに決まっている。それと生きている限り ストレスは当然あると諦めることも大切・・・・・・。
 そう言っても どうしようもない苦しみがあって そこから早く抜け出したいと思うもの、それには”大いなるもの”への帰依→信仰という道が開いている。決して抹香臭いものではありませんね。
 現世で株価の上下に現を抜かす、1秒の何百分の1という瞬時のキイ操作で儲けや損が決まる市場は異常としか言えまい。こんなことをやっているから将来に不安が消えないのは当然だ。≪身口意の三業≫

2907:親父だったら

 物忘れが酷くなった頃から、忘れてはならぬ事を壁いっぱいに貼るクセがつく。 父が死んで23年、母は19年が経った。 どちらも12月だった。それに私の兄、「尚一」が昭和19年5月9日、71年前に9歳で亡くなった。3人の命日を書き壁の一番上に貼ってある。
 平成28年度事業計画の最初の文章がどうしても書けない。理事長から年度初めの覚悟と方針を毎年書いているが、今年はどうしても 纏まらない。
迷った時、いつも読み返すのは、1978年3月12日「重度棟新築開所式の機関紙」でオヤジが書いたもの。無我夢中(?)で歩んできた私の45年を振り返ると、オヤジと比べてなんとも薄っぺらなモノ、毎日顔を合わすみんなに申し訳ないという思いしか残らない。これは この仕事の大切さを軽視しているのではなく、その逆で、重要性はより深まったと感じているのです、・・・・・。
 前項に記した≪身口意≫は三と三の二つの言い方が成り立つ。私は20代前半に奈良の真言宗豊山派本山長谷寺の参籠で僧の資格(権律師)を取った。その時に理由は聞かなかったが定年後に参篭した方がいた。多分70歳を超えていた。その方はいつも真っ先に朝早く起きだし、観音堂への回廊の一番上から箒で掃除をしていた。その方に言われた言葉を今もハッキリ覚えている。「貴方はこれからですよ。しっかり基本からやって こんな行で満足してはダメです。」というものだった。
 密は仏、業は凡夫、今風に言えば、やっている事(身)、言っている事(口)、考えている事(意)の表と裏。自ら誇る人間を仏教は嫌う。 戦後の経済復興の中で外見を繕うことは上手いが何を考えているか分からない人間が多くなったように思えて仕様が無い。言い過ぎでしょうか?人間観or生き方というのかどうか 誰しもが何かがオカシイと感じているのは間違いではない。
 ・・・・・規制緩和は、十分な準備が必要です。何故規制があったかを捉え、緩和の前にすべきことをしなければとんでもない事になるのは目に見えています。・・・・本来の福祉を目ざして来た人たちは、もう怒りも忘れ、抗議も億劫で、じっと黙っているのでしょうか。処遇改善や人員配置も大事ですが、基本の構築をしないと解決はないでしょう・・・・・
 これは 介護施設で3人のお年寄りをベランダから落とした事件のことを友人にメールで書き送ったその返信に書かれてあった一部です。
 変化のスピードが速く、仕組みがドンドン複雑になった日本の福祉制度 いつ頃からでしたか 老人福祉が介護という言葉に変わった。介護という言葉に私は最初から違和感を持っています。国を支えてきたお年寄りに介護ロボットを導入することを真剣に考える日本、・・・・そして、介護保険と障害福祉の統一をひたひたと企てる。本末転倒とはこのことで 常に財政最優先の手法を旨とする。後付けの理屈にいかなる美辞麗句も適さない。
 それから仏教でいう所の三毒で貪・瞋・痴(トンジンチ)、貪は「むさぼる心」、瞋は「いかりの心」、痴は「おろかさの心」として 煩悩や欲塗れの人間の本性を直視、それに止まらず、それぞれに”不”をつけ不貪・不瞋・不痴として、同義の三善根(施・慈・慧)という相対する生き方を示している。
  
 ☆ 少々 回りくどい話になったと反省、要は≪人が人を呼ぶ≫という事を考えていたら こうなってしまった。もっともらしい方針や計画を並べても、それを誰がやるかという事を抜きには無意味だということ。
 使命感だけで事が上手く行けば良かろうが、そんな単純なことでなし。明るさ・楽しさ・あたたかさ・・・・・高額なハウツウ研修で学ぶ魅力的職場なんて今の時代、不可能だと思いませんか? それは 行き過ぎる個人主義や経済最優先の価値観がここまで根を張ってしまった今日、引き返す事も変えることも無理だろうな~と思うのです。
 次々に繰り出させる制度や仕組みは、上塗りするだけ、いずれメッキが剥がれ、どこかに捨てられる運命。
 そこに いち早く気付くことで 目の色変えて後を追うのではなく いまこそ新たな一歩を踏み出さないと 結果として 人が人を避ける世の中になってしまうのでは ありませんか。スマホやロボットを否定はしませんが、その加減さに聊か不安がありますね。利便性の為に開発されたものに 新たな不自由を感じる。これが現代の特徴で いつまでも追い求めるだけで 安らぎはドンドン遠くなる。

☆ 昨日、急遽入院となったMさんに夜付き添った。彼との付き合いは40年が過ぎた。7歳の時に入所、目が大きく とても可愛かった。ベットに横たわり、殆ど寝ないで私を横目で追う彼の顔は ひげ面で大人の顔だった。隙をみて 点滴を口で抜こうと何度も試みる。ほんの一瞬 鼾をかいて眠った間をみて私も付き添いベッドに横になる、次々に浮かんでくるMさんの生い立ちを辿っていると、そこに  忘れかけていたものを感じた。
 
 ★ エスカレートする争奪、抱え込み、子供が減り、その流れは一向に変わる気配なし。受験シーズンに入り、教育の現場は生徒確保に汲々としている。入学の条件を緩和し、募集地域の拡大、様々な募集PRにと躍起だ。国は市場活性化のためと競争原理で勝敗を決め自然淘汰で良しとする。医療や介護も保育も全てが同じルールで進んでいく。その中に 何かが足りない??? 他業種を見ても昨日近くの大型店舗に立ち寄った。駐車場がやけに空いている。中に入り、1階部分に客が集まるのは毎度のこと、二階三階には、殆ど客がいなかった。ここが鳴り物入りでオープンし、スーパーや個人商店からあっという間に客を奪いひとり勝ちだったはずではなかったか。
 保護主義を是とはせず、自由競争をすすめるのは一理ある。それも極端で行き過ぎた保護策への反省からだったはず、・・・・が 歯止めが効かなくなる事までの想定はあっただろうか?パイが増えない中での争奪競争はなんでも有の様相を呈し易い、他に適当な施策がないものか? 無駄の軽減を目指す割にその真逆の状況を招きかねない。
 10%への消費税アップの時期、ここにきて微妙な動きあり、さーて 当意即妙 これ いかに!(2/28)
 ★ アメリカからの予備選のニュースを見ていると 日本と何故こんなに違うのかと思います。盛り上がりや立候補者の個性と主張がハッキリしていて、判断する側にとって 実に判り易い。その点、日本の仕組みは、国民の為と言いながら 実は政治家の為それも 一部の政党に優位に働く仕組みを作り上げた。 一国の総理大臣が短期間に変わるのも珍しく 政府の責任の曖昧さや馴れ合いの温床に成り易い。現状で有権者はマスコミからの情報でしか是非の判断ができず、言った言わないの議論や3面記事に載るような事が多すぎて、それに慣れさせられた感が強い。いつの間にか制度が変わり、聞いていなかったと言えば、それはアンタの責任だと言われる。
 情報も 自分達に不利になる情報は流さず、万が一 それをスクープとして流せば 後々問題になる。次々に起こることを思うと 定数削減を小刻みに行うなどもっての外でこの程度の小手先の改革では埒があかない。
 トップの側近には諫言できる人間を付けるのが世の常識、お友達を周りに侍らせる組織は時と共に劣化し内部崩壊する。
 白洲次郎という人をご存知か?吉田茂総理の側近として敗戦処理でマッカーサーと堂々と渡り合った。その武勇伝は数限りなく、後に東北電力のトップとして財界で大いに活躍した伝説的な人物。要はトップが目利き役に誰を選ぶかと言うことに尽きよう。白洲の有名な言葉に「我々は戦争に負けたが 奴隷になったわけではない」 we although were defeated in war ,we didn't become slaves・・・・がある。言い訳をせず 筋を通し 交渉できる人間の登場を待つしかないのかもしれない。自らの利を優先する人間には いずれ綻びが見えて信頼は生まれない。

2908:弥生

 今年も暖冬と言われながら北日本を襲った大寒波、大量の雪と強風によって”春寒次第に緩み”との季節の挨拶はお蔵入り。近年は昔ほど四季の変化がハッキリしなくなったけれども北国の冬の厳しさは関東に長く住んでいる自分には判らない。前項で触れた白洲次郎で思い出したことがある。新潟の小出駅から燃料を運ぶトラックに荷を載せ、奥只見ダムまで山を刳り貫いた電源開発トンネルを銀山湖の傍に建つ山小屋開きの準備に入ったものである。蛇小沢小屋と言って先輩たちが苦労して建てた小屋、入部して直ぐに山小屋委員を命じられ、小屋には毎年5月の連休に入った。その時期でも、まだ3m以上の雪があって、晴れた日には越後三山が一望でき、夜は満天の星と今思えば実に貴重な体験をさせて頂いたと感謝で一杯。その奥只見ダム開発の大功労者が東北電力トップの白洲次郎だったということを後で知った。冬5mを超す豪雪地帯、なんとも壮大な計画でまだ充分な機材が無かった時代にあの隧道を掘った訳だから凄い。いま そこからの貴重な電力によって快適な生活が送れる。歴史に名を残す人間は、自らの名利を貪ったり、自慢したりしなかった。それがどうなんだろうね。おかしくない?変だよね!
 またかよと言われても仕様が無いけど、昨日も国会中継を見てしまった。それも病院の待合室で 保身としか言えない議論、現実とかけ離れた内容に虚しさだけが残った。後々、名を残したいとは万が一でも考えてはいないと思うのだが、あそこまで実績を誇らずとも判る人は判ると信じられないのかな~。
 そうそう 次年度に向けた理事長の基本方針が昨日 スラスラ(?)と書けました。これでいくしかないと腹が決れば早い。何せ この国の先がどう変わるか全く読めない中、暗闇で針糸を通すようなことをいくらしても始まらないだろうとの天の声(?)  多分、今も付き添い無しで入院している二人の声(後押し)がそうさせてくれたと思う。余計な事を考えず、いま起こっている事に全力を尽くす、これしか無いでしょうと叱咤される。
 困っている人に手を差し伸べる・・・・・単純明快なんだよな。それが どうして こうなってしまうんでしょうね。 現場を知らない、見ない、聞かない人間が向き合ってどのような議論をしても 所詮、心持たないものしかできないということでしょうよ。
 当為即妙とは その事ズバリ、アンタ学校で 習わなかった?
 弥生三月 桃の蕾も膨らみ いよいよ長かった冬眠から覚め草木も動物も活動開始する季節を迎えます。
 
 ☆人の悪口を言ったりすると自分に返ってくる、誰しもがそんな経験あるでしょう。人の良い所を見ようとすれば、腹は立たない。これ自分へのご褒美。心配を御かけしましたMさんが無事本日退院できることになりました。なんと最初の日だけ付き添ったが、あとは病院が看てくれた。彼は看護ステーションで車イスにのって過ごしていたとか、看護師さんたちから可愛がられ本人もさぞ居心地が良かったと・・・・・・・。最初の晩のMさんは一体どこに行った?
 主治医から、「尚恵学園とは長い付き合い自分たちができることで いくらでも協力したい。点滴が抜けたらまた入れれば良い。拘束したらかわいそう」と言われて 涙が出たと様子を見に行ったスタッフから話があった。
 イビキかき眠れることの幸せ 周りの優しさを 知った 喜び さりげなく  さりげなく・・・・・・。
 ☆ 個を認め合えれば 争いは減ると思いますか?人付き合いが苦手な人、何かに拘り、殻に閉じこもり一歩も抜け出せない人、周りがもし”可哀そう”と思ったら失礼???。ご本人がやっと見つけた安住の場所がそうだとしたらどうなの? その場に誰かが無理やり入り込んできたら自己防衛のスイッチが入り、攻撃的になるかより固く扉を閉じる。・・・・・・意中はそんな単純なものでしょうか? 縦軸横軸、重層的に渦の如くネジレた状態を根気よくに戻すのは、至難のわざ。・・・・・・。そして””の状態が不確実な世であれば どうでしょうか? なんでも規制を緩めれば良しと考える弊害は大きい。それに対し法の解釈が一定でなければ、世は乱れます。残念ですが、先進国と言われる国ほどそれが際立つように思えてしようがない。有史以来 この地球上で繰り返されてきた”愚かな”こと、それは 自分さえ良ければという思いの勝手さが大きく影響していると思って間違いない。 

2909:晴れのち曇り

 春の気儘な天候に厚着し汗をかき風邪をひくとはなんてこと、花粉症にお悩みの方には 気温が上がり憂鬱な季節かもしれません。鼻歌混じりに田んぼの畔を歩くのも良いものです。田には去年、刈り取った稲の株跡が残って、トラクターで田お越し、いつも変わらぬ風景を楽しむだけの心の余裕?
 それがそうも行かないのが世の常、晴れのち曇りと浮き沈み、堂々巡りは避けられぬ。
 ひな祭り、女の子を授かって丈夫に育って欲しいから 麗らかにうちとけ給へれば家庭は円満 言う事なし。
 ことば遊びなど風流に興ずるつもりは無いけれど 語彙が強まれば自ずと周りがシラケ鳥 
 定年後 時間ができて何する? カメラを持って写真撮り、あるいは大きな耳かき持ち歩き 山の中を駆け回る? 良いのかどうか知らないが 寺の住職に定年なし。幸か不幸か 施設の仕事に暇がなし。
 あああああ・・・・温泉にでも行きてーや! あああああ・・・成田から飛び立って どこか知らない国に行きてーな!湯水の如く 出る夢に こころ囚われ歩くから 足元はずし 捻挫気味。
  朝一番 二つの寺の本堂で 経を読むのが定番で そのあと先代銅像の前を通り過ぐ、『ちょっと 待て。 お前な 何を今更 ほざいとる、精進努力 これ仏の道』と言ったか言わないか 確かめる術はなく、今日の予報は”晴れのち曇り”
 ☆ ウワベ繕い 言いたい放題 ことば巧みで 心に残らず。
 常磐線の原ノ町駅に「スーパーひたち50号」が5年間止め置かれている。依然として帰還制限が解けず、復興が遅れている地域。 原発事故を 電力会社の幹部に責任を負わせ、それで良しとは思わぬはず、本日NHK Eテレビ10時、常総市での水害を取り上げた番組放送があるとの情報をもらった。
 我々も細やかだがVS活動に入れていただいた。あの混乱の中で 全国から駆けつけ支援してくれた人達に漲ぎる”気”は、何が大切かを知るに十分なものがありました。あと1週間で東日本大震災から丁度5年が経過する。

2910:今を大事に

 時間が過ぎて行く速さ、それは一定なはずなのに人によって感じ方が偉く違うのは何故でしょうか? 最近私が長く感じたのは、確定申告の時、長蛇の列に並んで順番を待つ、3時間弱、ながーーく長く感じた。 どうしてかねー。それを踏んだり蹴ったりと言ったかな。言う迄もないことだ。それぐらいで後は全て短く感じます。
 2か月に一回の定期通院、これは予約制だから急患でも入らなければ、1時間までは待たなくなった。本を読むのには、調度良い。 法事の後の話、これだって時間の長短は大事です、回忌の違いや故人の事情で変わって当然、時には涙を流し、黙って聞いている人もいて、あれっ どうしたんだろう? 何かマズイ事を話したかな~。土曜・日曜は 2か月先まで予定が入るんです。それで自分の体調の維持に気をつけようとするから 却って良いのかもしれません。 
 いま たった一人で実習に来ている男子学生が神宮寺に泊まっている。彼は礼儀正しく、保育士の資格を取る為に施設実習に来ている。「いつまで?」と声を掛ける。「○日まで です!」とハッキリと答えた。「もう少しだ!ガンバレよ」と言ってやると 「ありがとうございます」と微笑んだ。この人は良い保育士さんになることだろう。実習が終わり、メンバー達と別れを惜しむ姿を良く見かけたが 最近はどうなのか?誰もが実習が早く終われば と思っているに違いなし。
 社会保障関連の予算は毎年増え続け、その対応に国は難しい舵取りが求められる。自助公助のバランス、地方創生策の枠内で地方自治体に選択の余地を与えている? 今でも教育費に相当補助金を出してはいるのだが、福祉と教育はその割合が違う。教育は期限があって福祉は人の一生に関わるから当然と言えば当然。通信制の高校の問題が報じられた。教室を持たず生徒を全国から集め急成長している。高卒の資格が在宅で取れるというもので、最近その希望者が増えてきた。
 これもまた マスコミが問題を暴き世論に訴えるのか? あのなー地方にいく程 生徒が減って 経営が難しくなった教育界は生き残りに四苦八苦、使われなくなった校舎の再利用など住民参加でアイデアを募集してはどうでしょう? 「もう やってますよ」ってか。
 それと 全国の空き家の数、なんと810万戸あるそうです。それでも まだ賃貸住宅が建っている。地域によっては明らかに飽和状態、計画時のシミュレーションは狂っても大家はあまり気にならず。それもこれも 休耕田の有効活用? 荒らしておけば周りから苦情が出るし、節税対策に少しでも役立てればと建築を決意する。
 それだって 良いとこ築10年だ。後から出来るアパートが立派だからそちらに転居してしまうわけ。それが今も変わらず続いてる。 上物を作ることに熱心で 公共下水は大丈夫? 実態は対応が間に合わない。常総市で起こった堤防決壊、これだって 許容範囲を超え起こった災害だろうよ。
 同じ過ちを繰り返さないと言いながら、新手の旨味を見せられて堤防脇に太陽光発電なんかを作ってしまう。
 ”今を大事に”という意味は 後々の事は知らないよという事ではありません、今何をすることが良いのかと共に考え、行動するという事なのです。でもな~それが出来にくい世の中になったことは否めない。
  
 ☆ 栄枯盛衰・・・・波に乗る姿はいかにも気分爽快、怖い者知らず・・・・・・。そんな人っているんですかね。それが一夜のうちに”枯”と”衰”の連鎖、奈落の底に落ちて、必死にもがいて這い蹲って堪えることに・・・・・。
  人口減少:資金需要の乏しさ:運用難⇒昨今の金融事情。ホント? あれだけ市場にお金を増やしたはずだった。どこに行ってしまったの?有る所には有るんでしょうが、株価の動きは不安定、毎日公表される為替と株価、
  天気予報であれば長くて週間予報、この確率は過去のデーターがものをいう。経済の動きは、そうは参りません。相手があるからでしょうね。
  天気に損得感情は馴染まない、経済は言葉は悪いが”騙し合い” それが そんな事を言っていられない。地球環境の変化は、ある程度予想はでき、防ぐことも可能でしょう。今を大事に。


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