源究146

  

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
2431 お陰様 5/5 2436 事業報告 5/10 2441 大学病院 5/18 2446 理事会 5/25
2432 湯布院 5/6 2437 元気ですか 5/11 2442 家族会 5/19 2447 理事会後 5/26
2433 どう向き合うか 5/7 2438 働く 5/13 2443 EPA 5/21 2448 不丹(ブータン) 6/2
2434 根本眼目 5/8 2439 人間語り 5/15 2444 こむら返り 5/22 2449 現実直視 6/4
2435 携帯交換 5/9 2440 ご都合主義 5/16 2445 苦情 5/23 2450 地殻変動 6/6

2431:お陰様

神宮寺本堂前に構える石彫の幼子、ガッシリとした体格、でもお顔がとても穏やか、いつの間にか自分の居場所をつくった。
 お寺の山門には、厳めしい姿の金剛力士像が置かれるが、残念ながら納める山門が無い。阿修羅像など仏法の守護神として近寄り難い姿の像がありますが、これも説明次第では誤った捉え方になる。
 昨日、自然生クラブのコンサートに伺った。倉庫を改造したホールは、照明設備や観客席があって、ミニコンサートを行うには丁度良い。プロの演奏家によるクラリネット・バイオリン・ピアノの音色が素晴らしかった。隣のカフェーで煎れたてのコーヒーも美味しく、柳瀬さんの想いの実践が確実に根付いていると感じた。
 仏教とキリスト教、違う宗教ゆえにお互いが相手を認め合うことで自らを省みる。それは争いや勝ち負けとは次元を異にする万民共通の願いだ。
 内省と感謝、癒しと安心・・・・・言葉はどうでも良い、でも誰にも必要なものなのです。
 安倍政権になり、確かに澱んだ水が少しづつ流れ始めている。だからと言って日本人の多くが全てを拍手喝さいで受け入れているかと言えば全く違う。半信半疑でこの動きを見つめている。
 私は昨日のコンサートで感じた。板を壁にぶち付け、黒ペンキで無造作に塗った壁、下地の木がむき出しになったホール、お世辞にも豪華とは言えないが、楽器の音色はどこのコンサート会場にもひけを取らない心に響くものだった。
 日本が今、GDPや物価上昇の数字に血眼になっている中で”それが一体どうなの?”という確信が無い。この歪みはどうして起こるのか。外見や評価を気にし過ぎるんじゃないだろうかと。
 閉店開店が同時進行のコンビニ業界、そこで破毀される賞味期限切れの食べ物、これをどう説明すれば良いのでしょうか?安価に売れば良いと思うがそれを許さない。これだって受け入れ難いことなのだ。
 例の如く、話は飛んでロシアの話。ロシアでは東日本からの食料品の輸入を一切禁じていると聞いた。明らかに放射能汚染への警戒で、チェルノブイリ原発事故を起こした国だからこそ、今回の福島の事故に厳しいのかも知れぬ。
 でも、どうだろう?日本人の多くが、最早過去の出来事として忘れかけているのではないでしょうか。
 様々な報道によって首を傾げることはありますが、その思いを実践に移そうとする人間は然程多くは無い。
 声無き声を大事にしない国は、自らの足元から崩れる運命だとか。
  日本人の感情で言いたい事を言わないことが慎ましさと受け入れた時もある。私は本当にそれで良いのだろうかと最近強く感じる。もし、心からそう思うのであれば他人の評価や外見に拘るのは理解しがたい自己矛盾である。 
 

2432:湯布院

今朝のNHKラジオ「明日への言葉」で湯布院のことが放送されました。明日も続きがありますから、早寝早起きして聴いてみては如何と。朝の4時過ぎからです。
 湯布院に行ったことがある人ならば話は早い、私は1度だけ温泉に泊った事があった。九州の九住山系を背景にし、隣接の別府ほどの派手さは無いが、年間400万人もの観光客を受け入れる。昭和40年前後、町興しによって現在の姿になる礎となった功労者お二人の話を佐野デレクターが取り上げた。
 なんでも先に亡くなった一人を加え、3人がアイデアを出し合って、その積み重ねの結果今があるという。
 放送の中で出てきた”対立的信頼関係”という言葉が妙に心に残って離れない。江戸時代には隠れキリシタンの集落だとか、近くに日本有数の温泉場別府を控え、湯布院は温泉が出ることを口外できなかったという。由布岳の山麓に目立たず存在する小さな集落、農業を生活の糧として生きてきた処だけに派手さはない。
 大都市と地方の格差が広がる一方の中で地方の首長は街興しを最優先の課題としながら、結果が出せない。そんな中で湯布院は代表的な成功事例、温泉という特殊な事情もあるが、基本はその町を愛する気持ちが条件になる。
 自分だけが良くなれば良いという発想ではいかがなものか、兎角、その町の有力者が自分の為を優先するものが多過ぎる世の中。これではな!ダメだわな。人々の顰蹙を買うのが関の山。
 放送から窺い知れるのは、お二人から私欲を感じない。温泉まんじゅうが上手いと客に宣伝する。その為に先ずその店の主人と仲良くなると言う。そして、住民一人一人が違って当然、邪魔扱いせず、受け入れる土地柄を強調した。
 反対意見も出し合える間柄、険悪なムードになっても後腐れない。これを対立的信頼関係と名付ける。
ウーム!!!!!
 結局、全ての事に通じる話だと了解した。だが、そう言っても中々出来ない。

2433:どう向き合うか!

ある方が戦後の日本で2つの節目があると言っていた。その一つ目が活気に溢れ国中がある方向に向かって進んでいた時代、「列島改造論」を基軸とし旧来の価値観からの脱皮に燃えていた時代。そして、日本人がある出来事を通して本当に幸せな生き方って何だろうかという課題を突き付けられている今が2つ目。その出来事とは3.11の東日本大震災と福島原発事故だと言う。
 このことに異論を挟む人はいないだろう。嘗て日本人の多くが海外にその活路を見出そうと海を渡った。ブラジルやハワイへの移民はその代表、真言宗の開祖空海も日本における先駆者の一人、そこに理想の姿があると思うから危険を冒してまで行動に移した訳です。
 それが今どうなっているか? 私が住む神立は方田舎で小さな町、そこに今大勢のブラジル人が住んでいる。彼等は日本に永住するつもりはない。日本で働き、いずれ国に戻った時に日系企業に就職するのに日本で働いていたと言う事が優位となると考える。確実に世の中は変化し、人の交流も盛んになった。日本のトップ企業の殆どが海外に生産拠点をつくり、為替変動の影響を最小限にしようと必死になっている。これら最前線で働く人達は、会社より重いノルマを課せられそれにどう応えるかという日々を送っている。
 目の前にある課題にどう向き合うか!
 私はこの事が頭から離れない。無理して考えないようにしても効果無し。そこで開き直って、夜中に起きだして考えるようにしたら、結構これが良い事が分かった。
 けれども私が関係する福祉の現場は、24時間休みが無い。常に誰かが働いている。それを知りながらもの思いに耽っていることに罪悪感もある。
 アイデアを実行に移す。これは一人の力ではできない。本来の福祉は余計な御節介はすべきでない。必要な時に必要なサービスをどう提供するかというシステムの問題だ。それがサービスの報酬単価にめくじら立て、目に余る事業拡大も有るではないか!
 人間ややもすると独り善がりになるものだ。組織で自由な意見が出無い所がある。これは確実に事業存亡の危機。良い事は耳に入るが悪い事を言わなくなる。良くあるパターン。
 これを防ぐ方法は、実は難しいことではない。成功事例から学ぶのではなく、失敗から学ぶ姿勢に切り替えれば良い。
 余計な計算はせず、自然体で臨むこと。自己PRもいい加減にしろ!世間様の評価は、貴方が思う程、甘くはないということだ。

2434:根本眼目

”安心”が宗教の共通する眼目でしょうね。でも、世間には宗教を毛嫌いする人が結構多い。聴いてみるとあまり深い意味はないようだ。感覚的にそう思い込んでいる。
 でしょう。そうだと思いますよ。誰だって思いもよらず苦境に立たされた時、自然と何かに縋るもんです。
 病気・事故・失敗・損害・・・・・いくらだってあります。一喜一憂という言葉がありますが、状況が変わる度に喜んだり心配したり、落ち着かないことってありますよ。
 何しろ思い通りに物事はすすんでくれません。
 究極の生き方って何かと考えますとね。一般に言われていること、いま生きていることへの感謝の気持ちを持って日々を送るってことになる。
 その逆もあるって事を忘れてはいけない。生きていることを苦痛と感じる場合ですよ。実はそこなんです肝心なのは、自分の力でどうにか成るって考えてしまう場合、より深刻だわな。
 何かに任せきって生きられれば救われる。  その”何か”が何か?これって縁起の教えで理解することができるという。
 よく縁起が悪いとか言いますが、この場合の縁起は”吉凶の前兆”という意味、これじゃー無いんだな。
 本来の意味は、因縁・因果であって人間の生死をどう考えるかという根本の思想なんですよ。普通、このまま掘り下げていくと言っている自分も何を言っているのか判らなくなる。そこなんですよ。この状態を堂々巡りって言いますよね。
 チベットの仏教寺院に行ったことがあるんですが、お堂の周りをぐるぐる回っている人が凄く多い。これと実は関係があり、堂々巡りは決して悪い意味では無いということなんです。お堂の周りを願い事&呪文を唱えながら巡ることです。
 私がこんな風に考えるようになった切っ掛けがありまして、言葉や文字により相手を理解しようとしても無理でしてね。普段その人の行動をどう観るかという事に重きを置くようになったのです。
 私の62年間は、まさに遍路、そして今、その反省に多くの時間を費やす。
 自分にとって本当の”安心”は何なのか!!!!!とね。

2435:携帯交換

通信手段の新化するスピードは突出している。昨日、現在使用中の携帯電話が古くなり支障が出始めたので新しいのに交換しようと携帯ショップに行った。一番の理由は今度行くブータンで利用できない古い機種だから。
 同じメーカーの新しい機種に交換したのだが、いろんな機能がオプションで付いていて、私には逆に使い勝手が悪い。そこで最小限の機能だけを残し、他は全て解約することにした。
 全国どこに行っても電気の量販店がある時代、電気器具も膨大な量で種類も様々、機能に応じて値段が違う。
 良くもこんなに多くの機種を揃えていて、商売が成り立つのかと心配になる。余計なお世話だが、今の日本の状況は異常に思えませんかね。
 消費者を大切にと言いながら、実はそうなっていない。競争の激しい業種ほど消費者とのズレが広がっている感じ。
 最近、地元にオープンした電気の量販店、広大な駐車場には、いつ見てもそれほど車はない。店員の数からするとこの10倍位の客を想定して進出したに違いない。見込み違いは明らかで、新たな対応策を練っているはずだ。
 商売は立地条件にもよるのかもしれぬ。だが、今はネット販売が主流となり、殆どの電化製品は自宅のパソコンで注文し2日以内に自宅に届けられる。
 量販店のメリットは大量に発注するから安価で提供できる。でも在庫を抱えてのリスクを思えば、流通の工夫で工場から消費者に直接発送したほうが良いに決まっている。
 熾烈な競争があり、最終的に生き残った所が規模拡大し、地域を独占するような筋書きなんでしょう。
 規制緩和が図られ、参入がし易くなったまでは良いのだが、新たな問題も出始めている。チェック機能が追いつかない問題だ。市場原理主義とかで小さな政府とか公共事業の民営化が推進され、今もその方向で進んでいる。
 見方を変えれば市場が良し悪しのチェック機能を果たすということ、それで本当に上手く行けば良い。
 小さな政府とは、一体どういうこと?を言うんだい。国会の議論を聴いていて訳が判らない。
 いま現場で起こっているのは、責任逃れや手続きの分かり難さが増すばかりで大きな混乱をきたしていること。
 次々に出される新たな制度への後手後手の対応、うず高く積まれた書類、本来為すべき機能が麻痺寸前ときた。
 これも見込み違いで済むとでも、我々庶民は、結局、自己責任となるようだから、新たに何かを買え替える時は、その覚悟は最初から持つべきで、出来もしないのにあまり多機能な品物は遠慮したほうがお得ということでしょう。
 福祉サービスでも最近、”多機能型・・・・”とかいう事業所が流行っている。実を言うと私の所でもやっていて、そこで感じるのは、機能が増えれば増えるほど実は無駄が多くなるという事ですね。
 これって誰の見込み違いなんでしょうね。携帯交換の話がどうして見込み違いになるかという一説でした。
 

2436:事業報告

この時期、役員会が目白押し、内容としては収支決算や事業報告で事務局はその準備に大童でしょう。
 PDCAサイクルというものをご存知だと思いますが、生産管理や品質管理などを円滑に進める手法です。
Plan(計画)⇒Do(実行)⇒Check(評価)⇒Act(改善)の4つの段階を繰り返し、改善をはかる。
 正直、言うは易しだと思う。大分昔の話になりますが、ISOなるものに関心があって調べたことがあった。
 すると、我々のような事業所では実際にISO規格を取得するとなると大変なことだと直ぐに分かった。それっきりで今に至る。
その後不勉強で良く判らないのだけれど、人間相手の業種、教育や医療それに介護や福祉の分野ではどうなんでしょうね。
例えば最近急に持ちあがった「支援計画」、これも計画に違いない。でも一人一人違う。違って当然で個別の計画を途中でチェック(見直す)ことはなされている。
 PDCAの手法をそのまま使う事ができないとしても、活用するメリットはあるはずだ。でも事務量が増えるのは確かで、それに耐えられるかという問題にぶち当たる。本も子も無くなることになってしまう。パソコンに向かう時間ばかり増え、その膨大な記録をどう活かすかということまで考えが至らない。只管キイを打つのみだ。日本人の感情で人間を管理するという発想は受け入れ難いんですよ。
 その辺で立ち往生しているのが実態でしょう。どうです、図星でしょう。
昔ならば事故も無く皆さんが健康ですごせていればOKの印が頂けた。
 それが、いつ頃からだったでしょうね。それでは不味いという評価になっていませんか。私から言わせてもらえば、重箱の隅っこを箸で突っつくようなことを平気で行っているんじゃーねーの?と言いたい。
 恙無く事業がすすんだ事をマンネリと同義に捉えるような状況が問題なんでこれこそが病んでいる。
 ですからね、このまま進むと忙しい振りをすることを指南する可笑しなコンサル業が出現するかもしれません。自ら仕事を増やし、然程意味も無い事に徒足を踏むんだ。
 こんな事をやっていてお国が持てば良いよ。どうぞオヤリナサイな。
 でもね・・・・・・待機者がいつになっても利用できないことになります。この繰り返しが続くだけですよ。
  本当に利用したい人が利用できず、事業所にとってメリットのある人を優先するという仕組みができる。
 今の日本にはそれを判断する基準が無い。実に困った状況が今も続いているのではありませんか。以上が事業報告でした。閉会!
 

2437:元気ですか

空でもなんでも構わない。エイヤー俺は元気だ。チクショウーめ★
 毎朝、自らを奮い立たせ、上を向いて歩きだす。朝の一声かけられる、「あれっ 腰の具合まだ悪いんですか!」ああああああ
現実と向き合うことがなんとも虚しく、侘びしくてガラスに写った我が姿、横目で納得するのです。昨夜のジャイアンツの無様なこと、アンタらやる気があるのかよ。7点差の逆転で、何がトップの独走か。ちゃんちゃら可笑しいね。今朝の新聞、パリーグを独走していた西部とて追いつかれ差が無くなった。これもプロ世界の厳しさか。
 最近はプロ野球は殆ど見ないのにどうしても気になるスポーツだ。懐かしき中学時代にタイムスリップできるからかも知れません。なんとあれから半世紀。俺だって夢中で過ごした時が有ったのよ!
 学校正門の店で買ったアンパンの味が懐かしい。
 さてと、いま夢中になれることがあるのだろうか? 起きているのか寝てるのかが定かで無く、大事な事は忘れるがつまらぬことは覚えてる。
 振り返るのは自由だと我が人生で何をした。何度も何度も自問して、出てきた答えは、只管生きてきたという事だけだ。
これから先、何年お世話になるか判らぬが、これまた只管生きて行くしかできっこない。
 何故、朝から斯様な心境になったのかと考えて、思い浮かぶことが2つある。運命という大命題、自ら如何しようもない現実とそれでも生きていく強かさ。何がそうさせるのか。昨日、Mさんが職員と散歩にやってきて、道で歩けなくなっていた。一歩歩いて立ちどまる。盛んにひざ下を指すってる。通院しても異常なく、リハビリ兼ねた散歩だが、彼との思い出数多く、声をかけることしか出来ぬモドカシサ。。
 ホームから仕事に通うSさんは、いつも電車の写真を手に持って自転車でやってくる。私には直立敬礼で挨拶し、彼の決まり文句は「えんちょう元気か!」の一事だ。「元気じゃーねーよ」と答えると「働かざるもの喰うべからず」と叱られた。
 

2438:働く

方丈記の中に『常に歩き、常に働くは養性なるべし』という文言がある。これは”精出して仕事をする”ことが健康の源と考えたもの。日本の社会福祉の仕組みは私が思うに観光物産店の客寄せ旗にどうも見えてしまう。
 少子高齢化へのマイナスのイメージを逆手に、お年寄りを陳列棚の置物の如く扱って、最後は本人の意思に関係なくベッドの上でお眠りいただく。これを高福祉高負担で誘導する。
 少子化は子供たちこそがこの国を担う大切なものと祭上げ、只管大切(?)に扱って思う通りに育つことを望むのだ。
 これは国として示す制度では有り得ない。見ての通り、出来る人出来ない人の格差が広がる一方で双方に不満を生む。
 持つ人は出し惜しみ、持たない人は苦渋を味わう。
 そうなる根本の原因は何だろう?判り切った話で人間の価値観に確証を得ないからだ。
 判り易くいえば、楽して贅沢できれば理想だという価値観がいつのまに日本人の深層心理に植えこまれた?
メデアの責任も大きい。下らぬ番組がある。世に言うセレブとかが有らん限りの宝石を身につけ、バカ騒ぐ、私は六道世界の地獄を見る思いだ。仏教で忌み嫌うものばかりが公共電波で流され、それを面白おかしく演出する。 餓鬼・畜生にも劣る光景だ。
 話の種を変える。
 今時の学校には”二宮尊徳”像は有るのか無いのか。私の育った時代は校庭の一番目立つ場所に必ず立っていた。説明されずとも何となく働くことの大切さを学んだ。
 テレビがどの家にもあった訳でなく、小学生時代地域に一軒だけテレビがあった家に友達と一緒に見せて貰いに行った。今は歩きながら動画が見れる。これを便利さと言うのですか。
 『常に歩き、常に働くは養性なるべし』 このことをもう一回考えてみては如何でしょうか?
*方丈記・・・鴨長明が一丈四方の狭い庵で隠棲。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。・・・・」と世の儚さを語った。鎌倉時代。元暦2年(1185年)に都を襲った大地震や飢饉などへの記述もある。
 1丈とは1尺の10倍で約3メートルを言う。
 

2439:人間語り

昨夜は舞浜にあるホテルで知人3人と会った。札幌からの客人で30人程のメンバーによる小旅行、強行軍のデズニーランドでのお楽しみ。私はデズニーランドに来た事は何度かあったが、もう20年以上も昔の話、いま土浦からだと1時間弱で車で来れる、暫くぶりで来てこんなに近かったのかと驚いた。
 話題に一貫性などなく各自が好き勝手に喋くった。様々な研修会はあるのだが、どうも何かが足りないという話になった。それが何なのか?
 人間を語れる人がいないという不満を共有、知識をいくら語られても心が動かない、確証を得られるものが何も無い。せめて10年先20年先を見通した夢(ロマン)の持てる話が無いの、喋るだけじゃー無くて実際に行動で示せる生き様っていうものを。
 少子高齢化を憂いてばかりいて何になる。増え過ぎる世界の人口に見合う食糧・空気・水を供給できるという保証がない。奪い合いが必ず起こるはず。そんな中で今後日本の人口の減少は確実で、それが身相応の国に戻れる良きチャンスというようなマクロな話題に進んだ。既に3時間を過ぎ、お開きですと店員に催促されて店を出た。
湾岸高速を通って常磐道、その間全てが高架になっている。東側に広がる東京の大夜景、スカイツリーのイルミネーションを初めて近くで見たが、なんとも偉容であった。
 万が一、いま大地震が起こったら一体どうなってしまうのか、東京湾岸沿いに広がる海抜0メートルの埋め立て地。
 それを考えると早くここから抜け出したいという衝動にかられた。反対車線は大渋滞、やはり事故があったのだ。
 普段利用している人は慣れっこになっているのだろう。逃げるに逃げられない絶対ピンチが為すすべなく毎日繰り返されているわけだ。
 人間語り・・・・・。
 立志伝なるものは、成功者のオンパレード、自分達が良ければそれで良いの類が多過ぎないか。
 ある見方では、昨今の人間は国に何かをやってもらうという権利は主張すれども国の為に何かをするという発想がない。
 その方の言葉をそのまま紹介すると”勝手主義”の人間が多過ぎるという事になる。自分勝手を民主主義だと勘違い。
 同席したお二人が共に死ぬに死ねないと語った深意に何かを感じた小宴でありました。
 

2440:ご都合主義

先の”勝手主義”についてですが、言いかえればご都合主義、当然こうなりますわな。人間が怠け者に成り下がったのは、余りにも自分の手を省けるようにしてしまったからでして溢れる数のコンビニを考えれば判ります。時間に関係なく欲しい物を金さえ払えば手に入る。今の世の中は規制緩和がドンドン進み新手の商売が次々に現れてはいつの間にか消えている。
  これがですね。全てに通じる世の中になった。日本を覆っている不安感はこの辺が影響しているんだなーと思えて仕様が無い。
毎日が凄いスピードで過ぎて行くと感じる方は実に多いですよ。私もその中の一人。何故なんだろうと考えるとあまりにも便利になったことが原因しているわけですよ。
 何かに夢中になって遣り遂げるという経験が減っている。面倒な事は代行業に依頼すれば済んでしまう。専門分業化がここまで進めば、自分の立ち位置まで判らなくなって、”俺は何をすればいいんだ?”って事になる。
 当然の成り行きで結果に対する責任の所在が不明寮、最悪司法の場で争うこととなり、時間と金を浪費する。
 弁護士の数が増えると訴訟問題が増加する。これぞ人間社会の奇妙な連鎖メカニズム。
 果たして今の日本で便利さを止めて昔の生活に戻そうと考える者がいるだろうか?そんな事を言うと相手にされず奇人変人扱いにされるだけ。
 少なくとも50年間を考えてみれば、変化のスピードが如何に速いかが分かります。毎度同じで恐縮ですが、福祉の世界しか判らないから我慢して頂戴ね。
 福祉が今に至るまでに大きく変わった。福祉産業とか言われ、どんな人でも参入することが出来る世の中に。だから見なさい資格を取り、看板をあげている事業所の数は数万数十万を遥かに超えているはずだ。
 何かメリットがあると思うから起業するわけでして地域によってはお客の争奪戦が起きている。それをサービスの質の向上なんて無理に結びつけるからヤヤコシイ。
 50年前、日本国内にどれだけその種の事業所が有ったかといえば、数える程しかなかったのです。それも誰もやりたがらないから当時は当に変人呼ばわりされたとか。
 誰もやりたくないのにはそれなりの理由があった、先ずお金にならないからでした。社会奉仕とか弱者の味方とか煽てられたようです。・・・・が、ご当人達はそんな周りの噂話に無関心。何故だと思います?
 それはポリシーですね。ハッキリした自分達の考えを持っていた訳ですよ。その後、外国を参考にしながら国内法の整備の時代に移ったのです。
 50年前と比較して、全てが変わってしまった。新たに出来たものが多い中、肝心要のモノを失ってしまっていないだろうか???
 社会福祉法人の存在の意義!これを明確に説得できるか否か。私は悲観的に思っています、皆で渡れば怖くない的な考えをする方が業界に実に沢山いらっしゃる。
まず自ら襟を正すことから始めないと奈落の底が待っている。

2441:大学病院

昨日、メンバーさんが目の緊急手術があり、久しぶりに筑波大学病院に行きました。新しく建てられた病棟、12階建てその素晴らしい設備に驚いてしまいました。
 365日休みなく動いていることの大変さがたった2時間ほどいただけで直ぐに分かりました。医師や看護婦は勿論、警備や事務のスタッフの対応が頗る良いと感心しました。
 目の手術は夜の7時から、担当医師は日中の外来を済ませてから行う。医療最前線のハードな業務、自ずと頭が下がります。病棟で対応している医師は若い方が目立ちました。一時も無駄に過ごしてなどいなく、パソコンに向かって記録をうち、その間入院患者より呼び出しがあると病室に行って対応する。
 私共では毎日どこかの医療機関に利用者が通院しています。緊急の場合もあり、年に何度かは救急車を呼ぶこともあって、健康管理の難しさを痛感しています。昨夜、手術したYさんは入所してから35年以上たっています。最長の方で50年という方もあり、何かが起これば家族に連絡はしますが、対応は家族だけでは正直無理なケースが殆どです。
 4月からスタートした新しい法律には、どう言う訳か「自立」という文言が消えています。その代わりに『基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしい』という表現をとっています。「享有」という日本語の意味は、権利・能力など無形のものを、生まれながらに身に受けて持っているという意味です。
 一方、世の中には様々な動きが入れ変わり立ち替わり、特に政治の世界は支離滅裂、失言を謝罪したかと思えば他の場所で自らその事を否定する。離合集散を繰り返し、有権者の事などそっちのけの議論が多過ぎませんかね。
 要するにそういった人は政治家になる動機が不純なんだわな。
 私達はその人達に媚を売る必要は全く無い。だからと言って無関心ではどうかと思うのです。国民としての最低限の使命は誰しもが持っているわけで、私がこの仕事について一貫して持ち続けてきたのは、利用者の方々に対し「申し訳ない」という気持ちです。
 これ無くして先人達が苦労して築いてきた全てを失うような不安があるのです。
 

2442:家族会

恒例の家族会を開催しました。7割くらいの出席でしょうか?熱心に耳を傾けている方が多くいたように思います。
 4月から新たな制度になり、全国一斉にサービスを受ける際に「サービス利用計画書」の作成が義務化されるようになり、その対応に追われています。先日、尚恵学園において相談支援担当者の研修会を計画したところ、なんと定員オーバーでお断りする事態になったとのこと、事業所にとっても大変関心のあることなのです。
 ただ、市町村が充分その内容を掴んでいるかと言えば、そうなっていません。県に尋ねたところ、市町村への説明会を近く行い周知徹底をはかるという回答をもらいました。
 我々としては、家族に説明しないとなりません。どうしても長く利用されている方の場合は我々に任せっきりという状況になり、誰かがどうにかしてくれるだろうと思っています。
 本来であれば本人から自分が望むサービスを話してもらうのが筋なのですが、障害によって自ら意思表示が難しい方もいらっしゃる。その辺をどう考えれば良いのか、ハッキリした国の方向は示されていません。
 今後、計画作成する段階で混乱するのは明らかです。
 介護保険ではケアーマネージャーが重要な役割を担っています。
 事業所の数も大変多くなっていますから、事務手続きが複雑になっていますしトラブルも増えているようです。障害者の場合は一般の人達の受け止め方が微妙に異なります。
障害者総合支援法は介護制度と部分的に同じような仕組みになっていますが、落ち着くまでは相当時間がかかるだろうと思われます。
 国は制度改正を頻繁に行ってきました。結局、全てが財源問題にぶつかって未解決の状況ですから、このままでは誰も確証が持てないというのが実態です。
 保育所の待機児童の問題も然り、今日私の友人が来られて言っていました。彼は寺の住職です。境内に保育所を父親の代につくり、もう30年以上経つそうですが、今年は入園式ができなかったかも知れないと話していました。3月に15名の年長組が卒園し、新たに迎える入園児がゼロ、漸く2月になって2名入園が決まったという。今年は職員に給料が払えず、ボーナスを減額するしかないと嘆いていました。
 これも同じ保育園の話なんですね、国内で地域格差がここまで深刻になっているのかと思いました。
 それに株価の上昇だって皆が皆喜んでいる訳ではありません。予定より早く目標数値の2%を超えるとか言っています。
 ならば給料が本当に上がるのか?曖昧な答えしか返ってこない。
 一部の人が喜ぶというのでは、どうなんですかね。
 追記】
  家族会で私は正直に話をしました。入所歴52年という方を例に出し、本当に彼にとって良かったのか否か迷いがありますと。理事長からそんな話を聞こうとは誰も想像していなかったようです。静まりかえった会場で私は更に続けました。今、寮の全面改築を計画しています。・・・・・云々。
 それと「サービス利用計画」の話、家族がどう受け止めたか?
 

2443:EPA

EPA( Economic Partnership Agreement ) :経済連携協定というものが有る。これはFTA(自由貿易協定)とは違い、物流だけでなく幅広い分野で海外との連携協力を目指す条約、実際にはどういうものか知らなかった。それが昨日、つくば市で某法人が主体となって進めてきた介護福祉士でのEPAによる茨城県内受け入れ事業所連絡協議会の発会式に出席した。インドネシアから実際にスタッフとして受け入れている特養や障害施設が発起人となり設立したものだった。正直、認知度は低く、まだ始まったばかり。
 一番難しいのは言葉の問題、以前は6カ月の語学研修を受け、その後働きながら国家資格(看護師:介護福祉士など)の取得を目指すものだった。今は語学研修が12カ月まで延長され、有資格者を採用した場合、職員配置の数にカウントできるようになった。これはつい最近の事だそうですね。
 ただ、本人達はそれだって大変、コミュニケーションの問題があってなかなか定着できないとのこと。昨日は介護福祉士の資格を取得し実際に働いている2名のインドネシアから来ている人の体験発表があった。
 他の国に比べ、医療や福祉の分野での外国人の受け入れが日本は進んでいない。
企業がどんどん海外に生産拠点を移し、外国との連携を進めているのとあまりにも違う。
 医療や福祉の現場で一番頭を悩ましている問題は人材の確保、特に資格を必要とする職場で、資格を取った人がその仕事に就かないという問題がある。これには幾つかの原因があってその対策がうまくいっていない。
 事業者の数と量は増える一方、それに伴い競争も激化している。規制緩和が進み、最近はなんでも有りの状況を呈している。昨日、横浜市で保育所の待機児童ゼロが達成できたというニュースが入った。数年前まで横浜市は全国でも一番待機児が多かった都市、それが一気に改善した。規制緩和策と補助金が功を奏したという。
 東京都も動き出す。都市部に若い人たちが集まるから当然子育てへの支援が必要となる。財政に余裕が有るというのも都市部の強味、だが国全体を見て、2極化がドンドン進行している。地方では高齢化が進む一方なのと金まわりの悪化というダブルパンチ。
 いま急増しているのが介護付き有料マンションというもの、昨日の発会式で同席した特養関係の方が話していたこと、いま市場は自由競争で他県から安価な利用料の入居募集のチラシがドンドン入ってくるという。
 その実態は良く知られていない。
 ただ、障害福祉の分野にも必ずや同じ動きが起こるのは明らかだ。その時になって騒いでも遅い。
 新たな法律により「サービス利用計画」作成が義務になった。現実は役所も事業所もそれへの体制が組めないでいる。
 本来の狙いと実態のズレが是正できるのでしょうかと。
 EPAでもFTAでも両国間の親密な連携強化を目指すこと、そんなことは分かり切ったことでしてね。その裏で起こっている様々な問題もあるという事を覚悟し目を逸らさないで取り組むことが重要なんだわな。何でも同じです。
 そこで確信できるのは、事業者にとってプラスかマイナスの発想では無く、利用者にとってどうなのかという視点、
 これを共有できるかどうかなんですね。

2444:こむら返り

夜なかの1時過ぎ、イタタタタ・・・・左足ふくらはぎを激痛が走った。筋肉が痙攣、動かせない。暫く歯を食いしばりジッと痛みが和らぐのを待った。時間は然程長い時間では無い。痙攣が止み、動かせるようになったが、痛みは残った。
 これをコムラ返りというらしい。
 思い当る原因を考えた。最近、ジム通いも不定期で無理な運動はしない。それとは違うな。となると昨夜水戸で飲んだワインか? 飲めない人間が調子にのって飲んだから・・・・天罰だ!いつもなら水戸に泊ってしまうのだが、運転してくれるものがいたので気持ち悪いのを我慢しながら帰宅した。
 私の悪い癖で飲み会になると殆ど食べない。帰宅して異常に腹が減っていることに気が付き、残り物を一気に食べ、そのまま寝てしまった。
 慣れないことは止しなさいと言われたような気がした。
 昨日の宴会で、いろんな人と話ができた。同業の好というのが有るんだかどうだか知らないが、気を許せる仲間は大切だ。
こっちがそう思っているだけで相手は迷惑がっているかもしれない。そんな事は一向に気にならない。毎日こんな事をやっている方がいるとすればお気の毒、偶にやるから良いのです。そんな事を言ったら大変だ。でも言ってしまったかもしれない。
 一向に気にしない。
 二日酔いという状態がどんなものか良く知らないが、本日朝から気力が出ない。以前としてふくらはぎの違和感は続いている。     これでおしまい。
 

2445:苦情

苦情・リスク・事故報告・・・・等々、私の机に置かれる書類、増える事が良いのか無いのが良いのか???
本日、その事を考えてみた。
 普通ならば無い方が良いに決まっているんだが、一概にはそうは言えないのです。寧ろ無いと言う事が問題だとも言えまいか。
誰しも心情的には嫌な事には知らぬ振りをしたくなるものだ。何も報告書まで書かなくたって良いじゃないかという悪魔(?)の囁き、そこに良心が働いて悩む。
 苦情は相手があって、どちらかの不信が根底にある場合が殆どである。事が起こった時の説明や謝罪に誠意が見えないとか権利ばかりを主張しすぎるとか、相手の非を容赦なく攻撃してくるとか様々な感情のズレから生まれる。
 我々の現場は、常にグループ対個人の関わりで行われる。それは言い訳ではなく、偽りの無い実態だ。
 例をあげれば、障害福祉でノーマライゼーションという言葉が流行った。この時、様々な動きがあった。義務教育で障害者も普通学校に通わせるべきだと主張、それに異を唱えることは誰も表立ってはしなかった。いまそれがどうなっているでしょう?普通学校で複数担任制を取ってはいても所詮、子供の数が教師より多く、結果学級崩壊になることもあるんでしょう。
 そこで何が起こったか!特定の生徒の存在が原因だと、排斥しようという動きです。
 また、特別支援学校、これだって昔は養護学校と呼んだ。校名を変えて何らかの違いがあるのだろうか?日本人は何か問題が起こると、直ぐに変更するのは得意だが実態がそれについて行かない。
 いま特別支援学校に人気があって教室が不足していると聞く。海外視察してきた方からオランダの義務教育の話を伺ったばっかり、生徒一人一人の特性を伸ばそうとする配慮が徹底しているとか、でも日本では無理だと一刀両断。
 特別支援学校の手厚い(?)教師の数、普通学校との差は明白。でもこれが本当の意味の理解に結び付くか否かは永遠の課題だ。
 障害福祉において様々な形態が取られている。一番難しいのは”入所型”だと私は考える。関わる時間が全く違うからだ。本人:家族:支援者の関係が実に複雑で多くの矛盾を抱えている。例えば、本人は家で一緒に家族と住みたいとおもっていても出来ない。厄介なのは本人がそれを納得していない場合。
 また、子供と一緒に住みたいと思っていてもそれが出来ないというケース。実は殆どの家族はそう思っている訳ですよ。
 この場合、出来ない自分を責める人が多い。次に抑えきれずその不満を周囲に向ける人。でも肝心なご本人はどうなのか。
 その答えを見つけようと向き合っているのが実は”入所型”施設なのだと私は考えている。
 現状に甘んじ、保身にばかり現を抜かしていれば、内部崩壊は免れず、元の木阿弥とかすだけだ。この危機感はずっと持ち続けるしか無く嫌なら辞めれば良いだけのこと。それだけのことなんですね。
 

2446:理事会

5月半ばより、毎日理事会が入っていて、なるべく出席するようにしています。。この時期の役員会は前年度の事業報告と決算、これはお決まり。でもどこも何かが違う。端的に言って出席者より質問や意見が出るか否かですね。、全く出ないで事務局の説明を聞いて終わる所もあるし、議事録に纏めるのに苦労するだろうと思うぐらい話がでて脱線、お茶のみ会??と勘違いするようなものもあります。
 行政が関係する会議は、進行の下書きがあり、それを読みながら議長が淡々と進めるものが多い。
 さて尚恵学園の役員会はどっちかな?お茶のみ会とは言いたくないが、いろんな話が出るのは間違いない。だから後で記録に起すのに苦労しています。
 それに会議に出す資料ですが、特に決算書は膨大な量になります。厚さ2センチほどになりますかね。新会計に移行したところも同じ。社福の場合、実施事業が多く、事業ごとに作られるものだから尚更です。
 最近は総括表で説明する所が多くなりましたが、真面目に?事細かに資料を読み上げる所もあります。正直、聞く側も大変です。眠くなってしまいますからね。今では事前に資料を配布することになっていますから、もう少し会議の進め方に配慮したほうが良いと思いますがね。本来の会議の趣旨はですね出席者に如何に理解してもらえるかという事の筈ですよ。
 私が勘違いしているのかどうか?以前、決算と事業報告は何らかの形で公表しなさいという指導があったと記憶しています。
 でも、社福でHPや会報で公表している処が少ないように思う。何故?それともいつからか変更になったの?
 私の処は、ずっと公表をしてきました。寧ろそうすべきだと考えて国の指導がでる前からやっています。エッヘン
 
 話は変わります。ここにきて株価の乱高下、なんと1日で1000円以上も下がった。株をやっている方に言いたいのです。
 ほどほどにしなさいよ!何せ相手はプロ集団、膨大な資金量と売り買いのスピードの凄さ、素人さんの理解を優に超えている。
 なんでも1000分の1秒という超スピードで株の売り買いの判断がなされているというじゃないですか。世界中の情報をコンピュータが自動的に解析し、大量の金を動かし利ザヤを稼ぐ。もう経済新聞を買って品定めするような時代では無くなった訳です。
 結局ですね。自ら汗かいて稼いだ金で生活する。これ基本ですよ。
 病院がサロン化している。聞きたくなくても聞こえてしまう。
 ” ○○さん、今日は見えないね。どこか悪いんじゃーねーだろうか?”(某病院の待合室で)
 ウーム。
 ・・・・・呉牛、月に喘ぐ・・・・・
 

2447:理事会後

今日は笠松で恒例のゆうあいスポーツ大会があり、あまり時間がありません。でも昨日の理事会後の今の気持ちを記したいのです。脱力感?達成感?・・・・・重圧感?
 自分の処の役員会を私が称えるのもどうかという思いはありますが、心底から感謝しているのは皆さんの思いが直に響いてくる事なのです。それぞれ皆さんには実績がありハッキリした考えを持っている方達です。ですから此方も真剣勝負(?)、雑談と言えば叱られますが、様々なお話を伺うことができ、それら全てが後からジワリジワリ効いてくる。昨日も2時間があっという間に過ぎた感じです。
 報恩感謝

 こんな話がありました。働くという意味ですが、人偏に動くと書く。それだけではちょっと面白くない。傍(はた)を楽(らく)すると解釈してみなよと。
 そばにいる方を楽にすることが働くと解すれば・・・・・・。 生涯現役という意味は、私には自分の与えられた生命を生き切ると聞こえます。若くして亡くなった方の無念さ、それを感じる今日この頃なんです。それとどうですか?世の中に存在する差別や矛盾、良く考えてみると自分自身が知らず知らず行っていることが多い。
 会議終了後、私に耳打ちされた方がいました。「釈迦に説法だけどね。○○さんには何かに守られているという安心が必要なんだよね。毎朝、一緒にお経を読みなよ」と言ってくれた。仏教キリスト教・・教は関係ない。
 『心』という本を購入、息子さんを亡(自死)くした父親、親子とは何かを自らに問いかけている。その中に「。。。過去は生きている」というカ所がある。
 ○○さんは、彼女の今までの30年あまりの人生(過去)でその親の記憶が辿れない。
 本日は これまで。
 

                                                                                                                           

2448:不丹(ブータン)
タクサン寺を目前に
私の憧れの国ブータン(Bhutan)は想像以上に大きく私の前に立ちはだかっていた。何故ブータンか?
 「GNH」すなわち「国民総幸福」の考え方は、経済発展より国民の真の幸福を国の目標と掲げたもの、以前から関心が強く是非とも見たかった。雷龍の国(ブータン)はインドと中国の両大国に挟まれた九州程の国土と70万足らずの人口で王国である。なんと言っても世界で唯一仏教を国教とする国家なのである。
 近年マスコミで紹介される事が増え、ワンチェク国王ご夫妻が日本を訪問してから日本人の観光客が一番増えていると聞いた。
 今回、茨城二号布教師会の企画で実施したもの、以前私も関わっており、その時から是非ともブータン訪問を実現しようと訴え続けてきた。今回それが叶って、感謝の気持ちで一杯だ。
 ブータンは年間を通じ海外旅行者の数があまり多くない。決して鎖国を行っているわけでもないのである。後で判ったのは外国からの旅行者には団体旅行の場合でなんと一人1日250米ドル(2万3千円)が掛かるからかもしれない。ただ、その中に現地のガイド料その他の経費が入っているということだから、仕方があるまい。今でも外国人旅行者には必ず現地のガイドを付けなければ許可が出ない。
 今回の参加者には一般在家の方もいたが、県南地区の僧侶が中心の旅だった。コージネーターの白石先生もご多忙の中同行、随所に的格な解説を頂戴した。日が経つにつれ皆さんの結束が深まるのを強く感じる旅となる。
 「何が幸福だと思う?」そんな話が至る処で交わされた。国民の97%が幸福だと感じている国、一体何がそうさせているのか?本当にそれが真実なのか?多分参加者全員がそんな疑問を持って今回の旅に参加したに違いない。
 私もそこに強い興味を持っていた。ある方は「子供の笑顔を見れば一目瞭然だ!」と断言。私も同感だった。
 遊ぶ遊具などなく、子供達は外で真っ黒になってそれぞれで工夫して遊んでいる。皆が人懐っこい。そして時間が実にのんびりと流れている。
 ブータンに来て直ぐに判ったこと、それは犬の多さだった。我々が傍に近づいても全く逃げない。寝そべっていたり、後からついてきたり、猫もそうだ。動物と人間が共存している。日程は決してゆっくりしたものでは無くて、むしろ強行スケジュールだった。1日目はバンコックで一泊し、その翌日は早朝3時半起床でブータン行きの便に乗った。
 ブータンには鉄道なるものはない。車が唯一の交通手段、でもその肝心な道路が凄いのだ。舗装がしてあるのか無いのか?デコボコ道どころの話では無い。道路に大きな穴があく。
 山岳地域のため至る所で峠超え、それも3000m級の高さ。山裾を縫うように狭い道が走り、恐ろしいような道ばっかり、雨が降る度にがけ崩れが発生し道路が寸断されると聞いた。
 これ以上の紹介は別の機会に回そう。
 日本の今置かれている状況は本当にこれで良いのだろうか?という国民全体の不安感ではあるまいか!
これは今に始まった事では無く、相当前から危惧されてきたものである。アベノミックスとか言って、言い気になっている場合じゃ無いでしょうよね。
 ブータンはどうかな?数字をあげて見ましょうか、GDP13億ドルで世界158位の国でありますよ。
そうでありながら水力発電によって電力をインドなどに売っている。これって皆さん判りますかね。
 日本がこのまま経済発展を望み続けることが果たして道理にあっていることなのでしょうか?原子力発電の問題一つにしても国民全体の議論にまで至らない日本。前にブータンを紹介した「鶴と電気」(源究144)の話。
 近年では都市化が徐々に進み、ブータンの若者の意識の変化もあると聞いていた。今回、それを感じた。
それでも国全体が何かのルールを共有しているなと感じるのは何故だろう。
 それがもし仏教という教えに在るとしたら、今回の経験で得たことは私にとってまた違ったプレッシャーになるのです。
   ブータンの写真へどうぞ。

2449:現実直視

この世にユートピアが有ると考えると現実直視が難しい。昔から言われてきたように自分自身の中に理想郷なるものを描くこと、それすら困難になった現代社会。
 私はブータンから帰って暫くは体が宙に浮かんだような感覚になった。本当にブータンの人達は幸福を確信し生活に満足しているのだろうか?
 今回の旅の最大の目的は地元の僧侶と意見交換を行うこと、それが実現できたのは関係者の努力があったからこそ。
 3人のゲスト(僧侶)を迎え会食を共にしながら話合った。我々側から前もって準備した質問を通訳を通じて行う。
 なんと、その中の一人が日本に1年間滞在した経験があって片言の日本語を話した。
 @結婚をどう考えていますか?それに対し、一番若い僧侶が熱く語った。
 「私は結婚はしません。妻を娶れば、必ず悩みが増え仏教の修行に影響するからです。私は生まれ変わりを信じています。・・・」
 それに対しグループの一人が「日本の仏教と違うのは、我々はお寺を守る責任がある。国教として僧侶の生活が保障されたブータンとは違う・・・」
 A一日をどのように過ごしていますか?
 「朝4時に起きて3時間経を読み、朝食を摂ってからまた経を唱え、午後よりまた・・・・・」
 私も含め全員が目を合わせた。「ウーム・・・・・」

 約2時間にわたる交換会も徐々に和やかなムードになり、あっという間に時間が過ぎた。
 そもそもチベット仏教を国教とするブータンと日本の仏教を比較することが無理なのかも知れない。いつの頃から日本の仏教は世襲制となり、それを義務ないし当為であると考えるようになった。
 チベット仏教との大きな違いは、僧侶自らの解脱を目指す(小乗)か否か!私自身、常に悩む大本が茲に在る。
 今回の旅で初めて会った坊さんと話す機会があった。説法という話題になった時、彼はこんな風に私に語る。
 「いかにも自分が悟ったような事を言う坊さんがいるけれど、聞いている人に響かない。何故だと思う?知識の請け売りだからと思うんだ・・・」
 「人間を語れる坊さんが少なくなったね」「私もそう思う。でも、自分がいざ出来るかと言えば難しいよ」「・・・・・・・」
 1週間という短い時間だった。それぞれがブータンの僧侶からすれば修行外の雑務(?)に追われる我我、結論めいた確信は掴めなかった。
 ただ、このこと自体が”現実直視”で避けて通れるものではない事は充分理解できた。
チベット語・英語・日本語混ぜこぜで
充分語り合えたかと言えば、そんな事は決してない。
でも、何かヒントめいたものは感じることができたと思っている。

2450:地殻変動

東京でタクシーに乗った。夜の10時前、まだまだ東京では宵の口なのかもしれない。道路にて手を振って停まったタクシーに乗った。いつもの如く私の方から話かけた。個人タクシーだと分かる。私が本日の最初の客だという。今の時間で最初とは?良く聞いてみると今の東京のタクシー業界の実態が何となく判ってきた。現在タクシーの台数は都内で6万台を超えている。その中で2万台が個人タクシーだと言う。昼間は渋滞が激しく効率が悪いので夜、今の時間帯から業務につくという。
 この時間帯でも銀座辺りはタクシー渋滞だという。なんともまー大変な世の中になったもんだ。タクシーなんてギャンブルみたいな仕事だと言った。2時間待ってワンメーターの時も有るし、偶に水戸までなんて遠距離もあると言った。
 私が取ったホテルは銀座松坂屋の裏手にあった。確かに路地一杯にタクシーが停まり、運転手さんが路上に屯している。
 流していて客が見つかるというのも減ったという。
 昨日のニュースでまたもや株価が500円下がったという。一時、急上昇していたかと思った株価が大きく値を下げた。
 安倍政権に期待する人もいるだろうが、決して先行きバラ色とはいくまい。何せ日本が抱える某大な借金、なんでもアフリカへの経済援助で大判振る舞い(?)をしているとか、運ちゃんが渋ってた。日本だって大変な状況なのに全くどう考えているんだか!
 民主党政権に変わった時、誰しもが流れが変わるという期待感を持った。マスコミでも大いに取り上げた事業仕分け&行政刷新会議、終わってみたら何が変わったのか良く判らない。
 そして自公政権に変わった。国内問題も課題山積、国外事情も揺れに揺れている。そのような中で、閣僚の失言は思ったより少なく、今の処、途中で辞任する方も出ていない。
 人物が変わって良い結果になるとは限らないからメデアも戦法を変えたのかも知れぬ。
 我が福祉業界も近いうちに大きな地殻変動が起こると思っている。そう考える一番の根拠は、人材確保という問題だ。この解決策が全く読めないときている。
 事業は日進月歩?否、福祉の需要は伸び続ける。そうすれば様々な主体の事業参入が起こって当然だ。
その結果が今の状況でしょうよ。収拾が付かない事態。
 人間を人間がサービスする事業は、一つ間違えば訴訟問題に発展する。事業の差し止めや廃止など簡単だ、余程引き締めて足元を固めないと雪崩現象で崩壊する。
 そして、地殻変動が起こっているから尚更だ。
 自分の立つ位置を確かめたいとブータンに行った。全く別世界、そこにはゆったりとした世界が今もあった。