源究145

  

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
2411 草取り 4/9 2416 桃源郷 4/16 2421 運ちゃん嘆き 4/22 2426 burn out 4/27
2412 読めますか? 4/10 2417 チャレンジャー 4/17 2422 課題あれこれ 4/23 2427 4/29
2413 夢か現 4/11 2418 別視点 4/18 2423 復元力 4/24 2428 ジム通い 4/30
2414 起点 4/12 2419 雨垂れ石を穿つ 4/19 2424 社福の価値 4/25 2429 薫風 5/1
2415 ロゴマーク 4/14 2420 懼れるな 4/20 2425 明らかな事 4/26 2430 連休 5/4

2411:草取り

4月になり、春の嵐が誇る間も無しに満開に咲いた桜の花を散らした。確実に新芽がめぶく季節になりました。
 昨日は真っ青に晴れ渡った空に強風が吹き、その為に視界が開けかなり遠くまで見渡せた。北西の彼方には雪をかぶった日光連山が良く見えました。雪解け水が田畑を潤し、農家は田植えの準備、稲の種を蒔き、トラクターで田起こしが始まった。
 新学期を迎え、入学式が一斉に行われ、真新しい制服を着た新入生が目立つ。
 いつもの風景がそこにはある。ただ、新聞紙上にはなんとも気になる記事が多い。本当に北朝鮮がミサイルを発射するのだろうか?アベノミックスをアベノリスク(安倍のリスク)と皮肉った人達だってなんとも無責任な人達だ。
 いまこの期に及んで斯様な言葉が出ること自体、どこか病んでいると私は思う。もしもこの状況を耐え難いと思うのであれば一切のメデア情報を拒否しないとなるまい。
 情報がこれほど複雑多様になった時代、かつて無い経験だ。さらにバージョンアップした新手の機種を開発し、社運をかける。高感度のテレビで勝負すると1台50万もする高価な機種を出したソニー、明らかに消費者を色分けしている。
 格差を望むのは人としての本能か!
 そうそう、本日は”草取り”の事を取り上げた。
 私はもう随分長く除草剤は使わない。コケが出てきて、緑のジュータンとなり、目を凝らしてみるとそこに”生”を感じる。蟻や名も知らない生き物が忙しなく動いている。
 それと植物は実にうまく自然と共存する。コケひとつ見ても日差しの強弱によって違う種類が生え、毎年同じ繰り返しをする。
 草取りをやっていると、実に様々な思索にふけられる。目まぐるしく移り変わる時間が止まる。
相棒シリーズ
Nさん

 

2412:読めますか?

上のスナップに後ろ姿で登場いただいたNさん、私の相棒なんです。彼はそんな風に思っていないかも知れません。
 やっと春を感じるようになり、彼は動き始めました。昨日は1日中、私と一緒に観音寺の草取りをやってくれました。相棒がいるのと居ないのでは全く違います。後片付けもきちんとやってくれるので大助かり、一番良いのは無駄口をはかない彼の性分、実に見る所は良く見ている。特に人間を見る能力は凄い。彼の豊富な体験がモノを言う。そんじょそこいらの物知りとは訳が違いますね。生き地獄をみてきたかも知れない。
 彼がボソっという独言に私はハッとしたりするのです。
 彼の後姿から何を読めますか? 落ち葉を燃やし、小休止の一コマです。

 昨日、突然札幌のミスターKより電話、マレーシアの中澤さんから手紙が届き、ACE地方会を北海道でやれないかと打診された・・・・云々といつになく声が弾んでいた。
 GH制度の発祥の地、札幌、今でも実に多彩なメンバーがいらっしゃる。是非ともやって欲しいと伝えた。
 日本人がどうも変な風になったと思われる一つの理由。開拓魂の喪失!煽てに乗ってお調子者に成り下がった。
 気骨が無く荒武者がいない。1円上がった下がったに関心ばっか、自分で汗をかく事を忘れた。
 多分、そんな所だろう。一体いまホンネを言いあえる関係があるのかな?ルール無き競争、心から感動することを忘れた人間は、きっと悔いを残す人生だ。
 一体、この国はどれだけ贅沢すれば満足するのだろう? それもヘ理屈は何とでも言える。膨大な借金を重ね。
 それを自分達で返そうと考えない。
 だからどうです?上手い事やって儲けようと考える輩ばっかでしょうが・・・・・・
 以上、Nさんの心の中を私が勝手に読んだものです。Good Luck !

2413:夢か現

悪夢にうなされるようなものは遠慮したいものです。最近、寝床に入って考え事などしていると夢なのか現実なのかが分からなくなることがあります。
 全日本育成会の雑誌にあった数独が切っ掛けでそれにハマってしまいました。3冊程買い込みまして、最初は初級、簡単にできるようになって、なんと今ではダブルA(AA)超難度コースもできるようになりました。最初、ボケ防止に良いと誰かに謂われ、それならばと挑戦したのです。
 このパズルは簡単明瞭なルールで1〜9までの数字を縦横9×9 の81マスに洩れなく入れれば完成。
難度により最初から入っている数字の数が違うから少なくなる程難易度が高まる訳です。
 これって私流のこじ付けで解すると人生そのものと読む。何せ長生きしたからと言っても享年150歳の葬儀は私は未だにやったことがない。限りある時間の中での生き様な訳ですよ。そこに滑った転んだ、好きだ嫌いだ、熱い寒い・・・・と複雑にする訳、でもね、これって比較の問題で夢と現の関係に似ている。
 嫌いだった人が何かの拍子で急に好きになった例など巷に溢れている。それに寒いとか言ってもですよ、ロシアのマイナス50度と比べりゃー大したことじゃない。
 この対比幅と文明成熟度って調べてみれば面白いかもよ。便利さとかなんとか言って今だって充分使えるものを買い替えることって実に多いよね。
 私が今使っているこのパソコンがウインドーズXPなんです。なんでも後1年で交換しないと不具合が生じるとか。
 正直、やっと操作が慣れた処ですよ。これも利便性・安全性・速度がアップしたことが切り替えの売りでしょう、でも、私などその変化について行けない。
 多分、世の中の経済活動は、こうやって発展進歩というマヤカシによって成り立っているんだ。
 人間の”こころ”の問題は、まったく別次元、寧ろ判断能力や思考の柔軟性などは退行し続けていると思うな。
 そこでやおら出てきたのが、自己選択という視点です。まっ価値観ってものは人それぞれで良い、ですから無理やり迎合する必要もない。
 我が道を歩め!ですからね、私はあるこだわりが有りましてね。こちらのホームページですけれど、これって最初から私が一人で作っているんです。そりゃー悪評を耳にしますよ。もっと整理して判り易いようにプロに作ってもらったらと。
 ”ダメ”・・・・・・なんだね。これが!

2414:起点

人間の幸せに起点など無い。そのまた逆の終点は有るのだろうか?
 まだ1時間も経っていない。淡路島を震源とするM6の地震が起こった。震度6弱というから2年前土浦で観測した揺れと同じ、あの時を思いだしただけで体の置き場所に困った。日本は地震国、日本人なら誰しもが承知している、でもあまり意識はしない。東日本大震災の復興もまだまだ手がつけられない場所が多いと聞く。現在でも16万人近くの人々が避難生活を続けている。地震だけでなく、原発事故が諸に影響しているからです。
 日本は地震国・火山国という事を起点とすべきだ。備えが十分か否か様々な処でその検証がなされたはずである。
 制度や仕組みを作ってそれで満足してはいないだろうか?周囲を見渡してもこの2年の間に幾つも協定書を交わした。非常災害時の協力協定から始まって最近では虐待防止関係、それも県や地元市町村とである。
 自然を相手にしたもので完璧なものは有り得ない。ただ防災や予防への啓発になれば良いのかもしれない。
 「障害者差別禁止法」をいよいよ国は4月26日に閣議決定し、今国会中に法律案を提出する構えだ。正直、何を愚図愚図している早く法制化すれば良いのにと思っている。
 この法律に先駆け、県では条例化に向けた動きがある。私も少し関わっているのだが、どうも内容に関して腑に落ちない点がある。条文の中で述べられている事で「合理的配慮の提供」という文言?それじゃー不合理な配慮ってどんな事を言うのか、考えてしまった。
 法律の条文の解釈は後後、裁判沙汰で問題にされるから、どうにでも解釈できるようにしておくのだろうか! TPPへの参加を表明した現政権、あの説明を聞いて素直に理解できた人が何人いただろう。「聖域なき関税撤廃が前提でない」この日本語おかしく無いのでしょうか。2重に否定していますね。無い無いと。それなら最初から「聖域あり」と言えば良いでしょうと私ならば考えます。これぞ外交の妙だとか、否、これって実は国内対策でしょうよ。賛成反対いろいろでしょうからね。
 なんでこんな表現を取るのかね。これだって”起点”がないんです。この場合の起点の意味は「道理・理屈」なんです。
?????あれ、何を言いたいのか自分でも判らなくなった。もう止めよう。
 障害者差別禁止法について多少興味をお持ちの方は此方へどうぞ。
  「合理的配慮の不提供」の禁止規定だって、さーて大変だ。

2415:ロゴマーク

尚恵学園

オリジナル
ロゴマーク
公表が遅くなりましたが、上記2つのオリジナルロゴができました。”HEART MAP”を直訳すれば”こころの地図”それとウサギさんです。これからは自主製品や事務用品に使う予定です。
 コンピューター社会になって、新手の商売が出てきました。プログラム言語の登場で日常使う言葉とは次元を異にした通信手段があります。これから益々使われるようになるでしょう。
 ハートマップという言葉の意味ですが、実に深いものがあると思いませんか?心に地図が有るのかいと思う方もいると思います。多分、製作者の意図はお互いが理解し合う為の地図さがしにあると思うのです。
 私も若い時分に山登りをしました。その時、必ず持参したものが地図とコンパス、単独での登山は自分しか頼れるものは無い。道が正しくても体調に異変が起これば予定通りに目的地に辿りつけない。ですからビバーク用の軽量テントを持ち歩くんですね。
 でも、道がハッキリしている処であれば、無理しないでおれば、大体他の登山者に出逢うんです。単独では”ヤブこき”をしたことはないのですが、元々道無き処を歩く場合はそれが出来ない。
 そんな時に頼りになるのは地図とコンパスになりますね。
 私は卒業と同時に山登りは完全に止めました。もう40年近くになります。でも正直な今の気持ちは、毎日地図とコンパスの睨めっこなんですね。ですから山登りの必要を感じない。
 厄介なのは”こころの地図”は一人一人違うと言う事、福祉の道に入り、最初に先輩から教えられたのが”個の尊厳”という事でした。その個人という問題が難問でね。正解が見つからない。判ったように思っても次の瞬間、全面否定される事って何度も経験してきました。
 尚恵学園の努力目標に毎年掲げている言葉、『限り無い挑戦!』、正しくこれしかない。痛感しますね。終わりが無いってこと。
 ついでだから更に言いますとね、[乃至尽生死・・・・・而不趣涅槃](理趣経)という文言に行きつくのであります。
悪しからず。
 

2416:桃源郷

「ここは、素晴らしい環境ですね」と昨日来た客人が語ったという。
 今、施設の移転改築を検討している最中、どうしても私は発想の転換ができないのだ。そこで、今回は計画から努めて自分の考えを出さないでいこうと決めた。
 そのような時にプロポーザル方式で設計を依頼した設計事務所の方の誉め言葉、それを聞いて一瞬気持ちが揺らいだ。
様々な理由から現在地から移転する計画に変わったからである。
 茨城県内に数ある同種事業所では古い部類に入る。今、考えているのは何を残し、何を新しくするかという事だ。当然、設備は変わる。今風に個室が増えるはずだ。
 建て替え時期に来た建物は土地の造成から設計・建築まで私が関わった。当時、私は20代後半だった。何も分からず無我夢中だった。建設予定地が寺の所有の為に本山や檀家への説明を行い借地契約を結んだ。その後、隣接した計画道路があったり、農道の廃止申請などがあって、当初の設計を大きく手直しをせざるを得無かった。その間40年という時間が流れている。

 利用された方、職員の皆さん、地元の皆さん・・・・等々、私の思い出の中にハッキリと今も残っている。
言葉を返すようになるが、最初から桃源郷であったのではない。失敗もあり、喜びもあり、涙もあった。その積み上げで今が有る。
 ”共生”という字を正面玄関先の石に刻む。その字が今、良く見ないと何と書いてあるか分かりづらくなっている。
 当時を思い返すと世の中の流れとは別次元で我々は動いていたように思えて仕様が無い。世間様の事まで気が回らなかった。
 今と違うのは、当時は明確な目標を持っていた時代だと思う。県内を見廻しても大規模な開発プロジェクトが幾つも有った。鹿嶋臨海開発、つくば研究学園都市、ひたちなか港、高速道路・・・・と後進県だった茨城が破竹の勢いで変わっていく元気があった時代である。 そんな動きとは別世界が施設の中にはあったのだ。いくらでも条件の良い就職口があった中で、尚恵学園を選んでくれたスタッフ、・・・・・・。当時職員旅行は必ず一泊で行った。その時は夜遅くまで語りあったものである。
 夢があったように思う。
 そして、時代が大きく変わり、日本中を覆っている厚い雲、少子高齢化を筆頭に国内問題が山積、それと海外との競争激化のなかで戦わざるを得ない日本。
 安穏としてはおれまい。だが、決して諦めてはいない。容を替え新たな芽が出始めているのを感じる。
 そして、必ずや本当の意味での”桃源郷”が築けると信じている。 
 

2417:チャレンジャー

”新たな芽”という事で一言。
 時間が有れば草と格闘しています。今やらないと後が大変になるからです。新芽がやたらと出てきますから毎年同じことを繰り返していますが、不思議と同じ場所にまた同じ種類の草が芽を出している。これって根っ子が残っているからですよね。
 ただ、よく眺めると少しづつ小さくなっているように思える。多分、土の栄養の関係でしょうか、 農家の方に聞いた事があります。同じ畑で毎年同じ野菜は作れないとか、種類によるそうですが、連作障害が出て売り物にならなくなるという。
 昨日はチェーンソーで枯れて倒れた木を切りました。下に何も無かったから良かった。近所の方が車を停める場所の直ぐ近くでした。
 東電が送電線の邪魔になるというので定期的に木の頭を切るんですね。すると大半の木が切り口から枯れ始める。木にとってみれば偉い迷惑な話。
 これも人間様のご都合主義?共生社会を築くのは大変だ。
 でも、草木は一言も文句は言いませんよ。その点、人間様はどうですか!イヌの散歩も良いでしょう。どうぞどうぞおやりなさい。でも、オシッコしたり便をしたり、あれってペナルテイ無いんですかね。一応、ビニール袋は持って歩いていますが、実際に使っているのでしょうか? 動物を飼うことに文句はありません。私もネコ2匹飼っていますから、でもモラルはあるでしょう。飼い主としてのね。
 そんな事を言いたかった訳ではない。
 そうそうチャレンジャーの事です。新しい芽の反対は「マンネリ」かな。突然ですが、事業規模の拡大と密度の関係は複雑と来た。連携や絆が問題にされるのは、実は同根ですよ。顧客満足度!研修会に参加したことがあります。
 なんてことはない。仏教でいう、自利利他の考え方で説明できますね。この種の研修で成功事例からあまり学ぶことは無い。知者不言 言者不知
 つまり、理屈の安売りでは無く実践が伴って初めて真価が問われるものです。
 感覚としては、「入我我入」(にゅうががにゅう)かな。他人事じゃなく、我がどうその事に関わるかという問題です。
 実は、昨日、知人に教えて貰った最近土浦にオープンした古本屋を覗いたんです。元パチンコ店だった場所を本屋に改装した処、 安い本で300円位からあった。
  この店は何でも20店舗ほどの古本屋が共同出資してできたとか。昔、神保町の界隈をハシゴしたことがあったが、いま、地方では全く見なくなった古本専門店である。
 こじ付けと言われるても構わない。
不用になったものを破棄するだけでなく、共同で新たな価値を見出す。これだって立派な”芽”となりません?てことよ。

2418:別視点

日本は有史以来、人口が減少した事がなかったそうです。???それが今、国全体で去年1年で24万人の人口減少との発表が昨日ありました。少子化について視点を変え考えてみようとする方の話です。
 先ず、世間で言われている原因に一言、将来への不安があるから子供を産まないという理由は間違っているという。例えばアフリカ、急激に人口が増えている国々がありますが果たしてそこでは将来への不安が無いのかといえば、その逆で不安だから種を残したいというのが本来の姿だという。
 それじゃー日本は何がそうさせたか? 女性の結婚年齢が確実に上がったという理由、それと男性と同じように職業を持ちたいという女性の増加。これは、全て国の政策によって起こっている現象だとみる。つまり、男女雇用機会均等法が作られたのが昭和47年、今から40年前の事です。徐々にその影響が出てきたと。
 ならば北欧はどうなのよ?と言われる方もいますでしょう。でもね国の人口が全く日本とは違います。減少傾向になったと言っても日本の人口は1億2千万人を優に超えている。中国やインドと比較され易いから日本はそれ程人口が多いとは感じない。
 国の容を論じることほど、実は難しい。だってそうですよね。宗教一つをとって考えてもごらんなさい。日本にどれだけの宗教があるか?凄い数です。八百万の神と言われる所以がそこにある。同じ宗教であっても、それぞれが違った活動をされている。
 葬式仏教とか揶揄され、只管耐えている私としても言いたい事は山ほどあります。否定するつもりは毛頭ありません、実際そうなんだから。
 突然ですが、『手を合わす親の姿に子が学び』って五七五調をどう読みますかね。「おらー親が手を合わしているの見た事ねー」と言う子供がいたらどうなりますか。
 そこなんですよ。今の日本の闇の部分は、何の為に手を合わすのかという事さえ不明瞭。
 更に、『人の金 人が使って 腹が立つ』ってのは いかがでしょう?
  ですからね、あまり周囲の意見に振り回されることなく、ご自身の事を良くご覧になることが肝心かなと思います。
 

2419:雨垂れ石を穿つ

故事ことわざというものは先人の尊い教えと思う。”雨垂れ石を穿つ”とは、微力であっても根気よく続ければ望みが適うという意味だ。
 一生を通して何かに打ち込める人は幸せもの、それが経済的に豊かになるか否かは別、ならばビルゲイツが巨万の富を得た事が、彼の能力+運であったという話、もし、彼を目標にと考えたとしたら、高嶺の花・・・それだけで何らかの心の病と思われよう。
 そうじゃないと誰しもが判っているが(知足富者)、それに代わるものが中々見つけられない。ちょっと例が悪かったかな。
 ”個の尊厳”という事を考えて、必ずジレンマに陥るのは、一体自分自身はどうなんだい?という事。
 被害者意識とは言わずとも結構この種の思い込みが多いと思ってしまう。そんな事を心配しなさんな!貴方は自分の事は最優先で考えてますって。適度な働きぶり、大変だと言う割には休みも取って。これって本能的・無意識なんですよ。
 私達は今自分の置かれた環境に満足している人は少ない。兎角、他人様の事は良く見えるものです。
 でも、それは一方向からの見方で相手は此方をそうは思っていないという事って実に多いんだよ。
 
 直近のニュースより気になった、ミャンマーのス・チーさんが日本政府の招きで27年ぶりに日本に来られた。軍政下でなんと15年間も自宅軟禁されていた女史、既に67歳になったとか。
 ミャンマーという国は東南アジアでも最貧国に入る。国民一人あたりGDPが800米ドルだという。1年で8万円の収入で暮らす国を今の日本人には想像できまい。
 (*)過去20年間の増加率では、日本のGDPの増加率よりかなり高い。(約1100%)
 スカイツリーを見学しているニュースが流れた。
 両国に大きな違いを感じる。それは日本がこれから先内外での競争に勝つために言われ続けていることが無駄を省くこと、これって最終的には人件費削減、人減らし、結局自分で自分の首を絞めるようなこと。
 一方、ミャンマーでは日本と比べ無駄が無い。それに代わる夢や希望がこの国を支えている。
 それに比して日本人の描く夢や希望がどうも薄っぺらに思えて仕様が無い。できない理由を他人の所為にして、自らの努力を放棄する。誰もやりたくない事に積極的に関わろうとする人がもっともっと多くなれば良い。
 一人一人がやるべき事が必ずあるはずなのに、”雨垂れ石を穿つ!”ということわざが何か虚しく感じる今日この頃である。
 

2420:懼れるな!

若者よ!懼れるな。
 無鉄砲=無手っ法。この言葉の元は”無点法”から転じたという。返り点や送り仮名が無く、事がはっきりしないこと。でも一般には、むこうみず・後先みずという意味に用いられている。
 何か事を為そうとする時に、熟慮したが結論が出なかったということが多い。それは失敗を懼れるからだ。
 逆に上手くいったとしてもやがては次の問題が出てくると思い尻ごみする。そこなんですよ。やってみてダメだったら変えれば良い話。失敗の原因を自ら考え、次に活かそうとする気概だ。
 世の中には様々なタイプの人間がいる。アイデアを出すだけで行動に移せないタイプ、この種の人間は出来ない理由を必ず他人の所為にする。最もいただけないタイプは寡黙に徹し、何を考えているのか全く分からない人間だ。
 三国連太郎が死んだ。私が好きだった俳優の一人、西田敏行演じるハマちゃんと三国が演じるスーさんの『釣りバカ日誌』は絶妙なコンビだった。役を演じる中に必ずその人の人間味が滲み出てくる。
 職場での社長と社員の関係が釣りにおいては師と弟子の関係に逆転、そこに二人だけのルールが生まれ、繰り広げられる人間模様は絶妙だ。
 フウテンの寅さん、渥美清にも言えること、役がその人を育てるのかと思える長寿番組には魅力ある。
 海外モノであれば刑事コロンボのピーター・フォークもそうだ。なんと合計すると69話になるという。
 誰だって一つや二つ、好きだった番組があるでしょう。そして、それを作話だから現実とは違うと突っぱねる方もいらっしゃる。
 私は、そう考えない。
 貴方自身の生き様だって赤の他人からすれば作話と変わらない。
 今の日本を恵まれた国だと思う。 それは役者と題本書きをやる気さえ有れば一人一人ができるという意味でだが、活かしきれていないのも事実。
 いつまでも、劇場片隅の観客でいるだけで、自らのストーリーを描けない。これこそ実に勿体ないことだと思う。

2421:運ちゃん嘆き

東京での結婚式の返り、冷たい雨が降っていて式場から上野駅までタクシーに乗った。夜の9時半を過ぎ、タクシー乗り場には列を組んでタクシー待ちをする人が大勢いた。
 乗るやいなや、運ちゃんから話かけてきた。「随分今日は結婚式があるようですね。」「土曜日だからかね」・・・・・。ワンメーターの客もいれば、1時間流しても客が見つからない時も有る。然程大きく無い声で、聞きづらい。独りごとでは無いのだが、世の中をボヤいているのが分かった。しきりに窓の曇りを手で拭きながら、相槌を打っているといろいろ話し込んできた。
「運転手さんも大変でしょう?どの位1日に距離を走る?」「そうですね。私は流し専門ですから。1日300キロですかね」「エッ・・・300キロ」一晩走って明日の12時明け。「いつ寝るんです?」「そうね。寝てるんだか起きてるんだか?わからない。私には大学生の子供が2人いて金がかかるから、どうやっても足らない・・・。」「これだけ働いて都内のタクシー運転手の手取りは平均で月20万・・・ボーナスも手当ても他にない」
 その後、政治家や官僚への不満へと続く。
 都内に何万台のタクシーがあるのか分からないという。個人タクシーの人は大変だ燃料代が上がるし、会社で燃料費を払う我々とは違うと、事故に遭えば、その補償は運転手の責任、今、都内のタクシーは事故が増えているという。自分で起す事故も有るが貰うものも結構多い。
 1日流す距離で300キロ、雨の中を今晩も夜通し当てもなく客を拾う。上野で降りて代金を払うとどこかにまた走りだした。
 私の知り合いが親父さんの後を継ぎ長距離運送会社をやっている。トラック数台で小規模にやっている。配送先は九州が殆ど、日本海を直走り、一度出ると5日は最低でも帰ってこれない。1度の乗務は千キロ単位、ベットの中で寝ることは殆どない。
 激務とリスク、これが実態だと聞いた。
 ならば転職でもするか!農業や漁業、これはもっと難しいと言う。
 結婚式で同じテーブルになった人と話をしてた。幼稚園をやっているという。そこで出た話が人の問題、自分の都合で簡単に辞めてしまう人が多くなったとぼやく。3月まで働いて業務に支障が出無いように配慮する人が減った。
 これが日本の偽らざる実態だ。私も同感だと話す。今の教育現場でそんな社会人教育をする配慮は無い。
 契約社員や人材派遣業が急増している。労働の切り売り、使い捨て、愛社教育なんて言えば無視される時代、働く側、雇う側のそれぞれの言い分に接点が見出せない。
 その一例で運ちゃんのボヤキ、彼等は好きでハンドルを握っている訳で無い。規制が無くて働き易いからというのが一番の理由。
 日銀はインフレ政策へ舵を切る。金融緩和、金を市場にばら撒けば、物価は上がってデフレから抜け出せる。
 テレビニュースでアルカボネよろしく帽子を斜めに被り財務大臣がジョーク混じりにスピーチしてた。どこかよその国の話、あの姿を心底喜んでいる日本人が果たしているのかどうか?素人が株に手を出し、大やけどするのが関の山。
 次なる場面、被災地救援のNPO団体の不透明な補助金使用の疑惑。補助をストップさせた町長とNPOの代表が交互に批判しあっていた、ああああああ  全く被害者に無関係な事が救援実体の内側で行われている。この国はチェック機能が実に甘い国である。・・・・利養を得んと欲っし自徳を賛じ・・・云々。
 

2422:課題あれこれ

”時は得難くして失い易し”とは、良く言ったものである。チャンスというものは、めったに廻って来ない。廻ってきても油断していると直ぐに失ってしまうと言うことだ。
 でも良く考えて見よう。チャンスをどう受け止めるか?これは現状に甘んじていれば、関係は無い。今の状態が長続きすれば良いと思うはず。ホンネで多くの日本人がそう感じているのではなかろうか・・・・。
 省エネの発想は、消費をなるべく減らすこと、それには何もせずじっとしていることがベスト。方や人間にはどうしても”欲”が絡む。仏教で言う処の五欲の存在、(眼・耳・鼻・舌・身)という五官(感)に関わる欲望だ。
 これは本能的なものだから始末が悪い。失ってみて初めて判ることが全てだろう。
 高齢社会について、様々な意見がある。その大半は当事者はどこかに置かれていて、周りが騒いでいるだけのもの。
 介護事業者からみれば、最大のビジネスチャンス、あの手この手の新たな工夫?があって花盛り。しかし、当事者はどうなんだい。 その検証が無い。片手落ちの自己評価で済んでいる。
 サービスが有料となり、費用対効果がはかられる仕組みが果たして望まれる姿なのでしょうか?このまま行くと妙な仕組みに陥ってしまう。
 向こう三軒両隣という親しさが薄れ、いまどき隣保制度をどう考えるか?なんて言ったら相手にされないかも知れぬ。
 世話になった親を看る事が当然と思うか負担と考えるか!
 誤解を気にせず言わせて頂くと日本の社会保障の実態は”十把一絡げ”、理想とは相当の乖離あり。
 これを変えるには、並大抵のことではできまい。その覚悟は有るか。”独り事”流行はその辺の事情が反映している。こういう私がそうなのだ。
 机上の空論と言われても、拘り続けますよ。
 人相手の仕事で難しいのは、幼児期に親の愛情を受けなかった子だと言う定説がある。
 そうじゃないと思いたい。父親が戦死し思い出を語れない人がいる。不慮の事故で幼子を先に亡くした人がいる。
 人それぞれが重たい命を背負って生きている。
 いただいた自らの生命を生かし切るのが唯一残された道なのだ。
 今生きていることが最大のチャンスと見られるか否か?
 老いるということは、今まで出来た事が出来なくなること。それともう一つ大切な視点、それは生きて来たというその人の人生そのものだ。
 

2423:復元力

相棒シリーズパート2.
 我が家の相棒ミイ(ネコ)の事で恐縮至極であります。今、PCを打っている私の膝の上にご当猫が居りますのでキイが打ちづらく、でも仕方が無いと思っています。
 実はこの猫ちゃん、やっと外出許可が出まして、のびのびして外を彷徨っているようで、家の中で奇声を発する事が急減致しました。それも以前お話したとは思うのですが、ある日どこかでネズミ捕り用(?)か建築用の接着溶剤を体全体に付けて帰宅しまして、それはそれは大騒ぎ、いつも世話になっている病院へ連れていきました。そんな時はマヨネーズで洗い落とすのが一番だと先生に教わりました。1週間程入院、どうにか自分で食事が摂れるまでになって帰宅、されど全身の毛をバリカンで刈られた為に外に出られず、中々毛が生えないことも判りました。
 それが4月になり、温かくなってきましたので外出禁止を解除したのです。それから、どこのどなたとトラブルなのか承知していないのでありますが体に生傷が絶えない。今回もそうです。腹の周りにキズを沢山つけてきまして、コタツの所に座り込んでしまい動かない。食事もしない。
 それが3日目、またもや復活したのです。
 ネコは学習しないのでしょうか?あれだけ痛い思いをしたはずなのに。
 多分、オス猫の本能なのでしょう。もう一匹のハナ(めす)が我が家にいるのですが、彼女とはじゃれ合っている感じでエスカレートはしません。そこなんですね。
 何故このようなことを敢えてご紹介しているかと言いますと訳がありまして、また私流の得意のこじ付けですが、”癒し”と”安心”ってことを考えるのに絶好の見本だと思うのです。笑っちゃうでしょう。
 小性、人間が窮極的に求めるものがそこにあると考えるからであります。何故か宗教の目的と同一だと信じているのです。
 宗教というと毛嫌いする方も大勢いらっしゃる。でもね、ある程度年をとると何かにより所を求めるものですよ。
 つまりね、日本人のかなりの割合でウツ病に罹っている人が多いという話がありますが、これって至極当然の事でしょうよ。
 世界中見わたしても同じですから。だって、老い先を思えば誰だって心細くなるし不安になります。そこを無理して自分は大丈夫なんて言うから可笑しくなっちゃう。素直に不安なんだと認めること、これが前提条件となります。
次にどうするか、まーそうですね。”懺悔”(さんげ)ですかね。いままでお世話になった人達への感謝の気持ちを表に出すと自然そうなります。それを”社会貢献”とかいうから厭らしい。所詮、人間が生きていくことは、ギブアンドテイク、自利利他ってことじゃーありません???。

2424:社福の価値

公益法人の見直しについては、傍目には、何か一貫性に欠けるように思われている。・・・が、良く考えてみましょう。
確実に変わっていることに気づくはず。それは、規制緩和である。様々な主体の参入を認め、消費者に選択させるというものである。その過渡期においては、規制の全てを撤廃するのでは無しに特権を残す遣り方、ソフトランデング?時期を見計らいGOサインを出す手法。TPPへの参加交渉の裏事情、今回カナダだけが日本の参加に即断を避けたように見えるが、個別に条件闘争(?)はやっていた。
 そして、社会福祉法人だって同じだと考える。現に幾種の優遇措置がはかられているのは周知の事実、問題は周りが変化しているにも関わらず、自らを省みることなく既得権を墨守しようとしていること!
 新規参入するものは、既得権にばっか関心を持つ事業所以上のアイデアと行動力で勝負する。だから一溜まり無く追い越されてしまう。
 良く自らの足元を見てみましょう。良く耳にする言い訳は、制度に縛られ出来ない事が多過ぎるとぬけぬけとほざく。
 待てよ、???? 貴方達が要望して作った制度じゃー無かったの?
 この辺の矛盾を突かれ防戦に必死になってはいませんか、私はMaxでここ3年が正念場だと考える。内部留保金にしても同様に、明確な使途を示さず、どうそれを活用するのかを公言しない。これは社福の経営者に必ず問われる重要事項。
 設備への投資に充当する?この理屈が果たして今後も成り立つかどうかは解らない。福祉には、必ず公平性が問われる。ここまで事業者の数が増えれば、社福にだけ許される特権では有り得まい。
 それを端的に示す例として、財務諸表の公開の義務化はどうなった?HP上にさえ、公表しない法人が多過ぎる。
 単純に事業拡大をはかれば、それで体面が保てるかと言うとそんな甘いものでは無い。運営に行き詰まり事業廃止か吸収合併の末路を歩むことに。その最たる理由は事業規模に合う人の手立てが出来なくて存続ができなくなるという道筋だ。むやみやたら誰でも構わず採用し、結果、内部崩壊を助長する。
 日本中にその類の惨状・痕跡は一見できる。
 開店&閉店を繰り返すコンビニ、激減するガソリンスタンド、形骸化予約制をとる歯科医院、定員不足から抜け出せない学校、・・・・・・・・。
 この状況は決して同じ原因でそうなったとは思わない。周囲の変化を先取りし準備を怠らなかった所はまだ救われる。
 社福が今の状況に甘んじていれば、敢えて言わずとも判ること。
 正直に言って、この業界はその発想転換が一番遅れている。さーて どうする?
 業界の異端児たれ!との先人の声がする。

2425:明らかな事

最近の不順な天候と同じように景気動向も確実に今までとは違う。安倍政権になって次々に打ち出される景気対策が功を奏し、順調に改善していると思われている。
 だが、世間の眼は慎重だ。個人の所得が増えるかという期待は、どうも半信半疑、決して浮かれてなどいない。
 明らかな事は、今まで以上に格差が拡大するという事、それを現内閣は否定していない。書棚から安岡正篤の本を取り出し読み始めた。安岡ほど戦前から戦後の政財界に影響を及ぼした人はいまい。黒幕と評されながらも多くの心酔者がいた。
 昭和57年にこの世を去った安岡が晩年著した本に、平成の時代になり、混沌とする日本の有り様をズバリ予測している。
 その論拠は国の体を支える思想の欠落、自由を履き違え、利己的になり過ぎた人が増え、日本が古来から大切にしてきた教えが消えうせる。斯様な状況が階層に例外なく起こると指摘する。
 「平成」という年号を安岡がその意味を「平和に成る」とよみ、考えたという話、平成になり四半世紀が過ぎ今の日本をどう観ているだろうか。物質的な豊かさだけではなく、寧ろ心の平和を願ったことが読み取れる。
どこか他所の国のような一糸乱れね行進もどうかと思うが、ルール無き自由や平和は有り得まい。
 今、私の悩みはあることで頭の中が一杯の状態だ。
 昨日、学園下の田んぼの道端でMさんを見かけた。何をしているのかと近づくと、彼女はレンコン掘りをしている人達をジッと見つめている。
 傍によって彼女の肩を叩くと、振り向きざまに「何だーよ。・・・・・・げんきだよ」と言った。
 一瞬、頭が真っ白になったのです。私とMさん、付き合いは50年以上が経つ。その間、一緒の寮になったのは僅か、現場を離れてから、行事やすれ違う時に声を掛けるのが精々だ。いつも私の方から「Mさん、元気か!」と声掛けした。
 今日は、私から何も言わないのにMさんから「元気だよ」と答えた。
 今年で65歳になるはずだ、その間優に50年以上、尚恵学園での生活がある。取り返しのつかない過去が果たして良かったのか悪かったのか?私は今までにMさんの涙をみたことが無い。
 何かとてつもなく大きな思いやりをMさんに感じるのです。
 *思い切って涙を流せる人を良いと思うのは間違いなのでしょうか?

2426:burn out

できることなら、私は”burn out”の一生を送りたい。燃え尽き症候群とか言われ、何か問題視された時があった。いやーそうじゃないでしょう。理想且つ究極の生き方だと思うな!
 巣鴨のお地蔵さんじゃないけれど、介護不用、ポックリオサラバです。それには、どうするか!かなり無理して言えば、目的を持ち只管打ち込む。禅宗なら「只管打座」、真言ならば「即身成仏・三密行」となるわけであります。
 日本の将来に不安を抱く人が大半でその解決策が見いだせない。枝葉末節の事に一喜一憂し、一体アンタは何のためにこの世に生を受けたのか?
 これだよな、だが、こんな事を他言したら、似非坊主と言われるのが落ちだ。でも仏教は見事にこうなることを予測している。釈迦滅後、何十億年を無仏の末法の世と観た。弥勒菩薩の登場を待つ間、お地蔵さんがピンチヒッターってことになっている。
 実体の無い物を有ると信じ追い求めるからこうなると説いている。だが、どうだろう? 我々坊さんも全く逆の生き方を良しとしていないでしょうかと。
 昨日のニューズで海外の投資会社が集めた金なんと1300億円が回収不可能とか、これを聞いた時、欲深いなーと即感じた次第だ。懲りないのは猫以上、学習しないのも猫以下ときた。
 今までに何度、同様の詐欺事件がありましたか?上手い話に裏があると言うでしょう。
 でもね、皆さん気をつけましょう。何でも日銀の発表では2015年に物価上昇1,9%になる予測とか得意満面でトップが話していた。あまりマスコミも煽てないほうが宜しいのではないですかね。目標2%にマイナス0.1とはね。
 お前はアホカ!と言いたい。どれだけ弱者を苦しめれば気が済むのかと私は言いたいわけ。多分、お調子者はワンサといてですね、株で一攫千金と考えるモノは増えると思いますよ。所詮、学者や政治家の発想はこのレベル、彼らはだれも責任は取りません。言って置きますがね。
 ああ・・・この国で清貧という言葉が死語になったのか!。
 バーンアウトできれば良いなー、もう、自分との闘いでしかないなー。

2427:花

石岡市に茨城県フラワーパークがあります。裏筑波の山裾に広がる緑豊かな旧八郷町、四月下旬、周辺の水田は田植えの準備で農家の皆さんが忙しそうに作業をしていました。
 何度も訪れたこの公園は、一番の売りがバラ、残念ながらこの時期はまだ大分早かったようでツツジがメインでバラはまだ咲いていませんでした。公園の人に尋ねると後一カ月すればバラが咲くと言っていました。
 公園のある月岡という地域、観光いちご園が何軒も道端に連なり、車を停めて買い求めるお客さんも大勢いました。実に長閑で茨城の自然の豊かさを体感できる絶好の場所、つい最近、新治から八郷にトンネルが開通、約1.8キロのトンネルを初めて通りました。新治は土浦市と合併、近くに小町の里(小野の小町)という観光スポットがあり、ここの手打ちソバが絶品で人気があるのです。
 地域おこしは決して無理することはないね。浅瀬に魚が集まらない、川が土砂で埋まれば、魚は深瀬を求め自然といなくなる。それと同じ、歴史を大切にしない町興しはいくらやっても一発勝負で何も残りません。
都会暮らしの人からすれば、自然に接するだけで満足するのです。茨城はその自然を今も充分に満喫できる所なのですね。
 でも派手さが無く商売っ気もないときた。実はそこが一番良いと私は思っているのです。
 
 帰り道、軽トラックの運転席を上半分取ってしまい、オープンカーみたいにして颯爽と乗ってきた農家の人とすれ違いました。多分、柿作りの作業をするには便利なのでしょう。実にノンビリしたものでした。あんな改造しちゃって公道を走れるのかな?
 上の写真の花は公園の温室に咲いていたものです。なんと言う名前なのか分かりませんが、丹精込めて作られるたもの、
時期が来れば外で見事な花を咲かせるものばかり。
 こちらでは一年中作業があり、働く地域の人々が活き活きと働いている姿、これぞ正しくユートピア!
  連休に突入、海外に出かける方も多いし、全国の観光地は大混雑だと思います。私は昔から人混みは好きで無い。
 連休は寺の法事も無く天気も良いことだし、今日も額ほどの畑をつくることにします。
 近くに町で経営している温泉があるのですが、寄らずに帰ってきた。
   束の間の休日 一番の贅沢は 普段気づかない事に目を向けること。

2428:ジム通い

近所に素晴らしいスポーツジムが出来て会員になり、今回は珍しく長く続いています。本格的なジムなので会員数も多く、子供からお年寄りまで毎日混雑しています。
 私は大体1時間で全て終了、その間、誰とも話をしない事が殆ど、只管、ストレッチと自転車、いろんな方が来ています。殆ど毎日同時刻に来られている方も多い中で、暇を弄んで大声で話をしている連中もいます。霞ヶ浦マラソンは今回生憎の悪天候でエントリーされた方もどうだったのか、ジムからも沢山出場していた様子でした。
 会員確保のために様々な企画を日替わりで行っています。約40名位いるだろうスタッフも実に良く訓練されており笑顔を絶やさず応対しています。これが実に参考になるんですよ。
 私の目的は、気分転換と腰痛対策、ストレッチをよくやりなさいと言われ、真面目に通っているのですが、丁度退勤後の時間帯になり、特に混み合うのが玉に瑕、それさえ我慢すれば言う事無いのです。
 効果はどうなのか正直判らないのですが、この時期趣味の草取りができるのですからgoodなんですね。
 そのかわりシップを欠かさず貼っています。
 年齢の事は言いたくないのですが、私と同年輩の方達と話をすると必ず体調のことになります。これって誰の所為でもないのですがね。先日のゴルフでジャンボ尾崎が凄かったね。スコアーが62でエージシュート達成、なんと9アンダーだったどか。
 彼は以前、膨大な借金をして自己破産、それでもプロゴルファーを続け、この偉業を達成したわけで、これも日頃の鍛錬の賜物なんでしょうね。
 ゴルフをやられる方なら誰も判ることなんですが、このスポーツは個人競技ですから、他の所為にできない。皆さんが同じ条件の下で競技する、それも公衆の面前でね。
 それと優勝した松山、彼はまだ学生、なんと4歳からゴルフを始めたというのだから半端じゃない。同世代に石川がいるけれど個人的には松山を応援したいな。プレーに対する直向きさが有る。周りにチヤホヤされると、人間余程できていないとダメになる。これから二人で切磋琢磨、良きライバルとしてやって欲しいものです。
 ライバルがいるのといないのでは雲泥の差、何事にも言えることでしょうが、他から学ぶ姿勢は失いたくないものです。

2429:薫風(五月)

風薫る季節、皐月に入りました。とは言っても相変わらず定まらない天気で気をもんでおられる方もいらっしゃると思います。
 いつもの『光徳だより』が数枚の写真が添付されたメールで送られてきました。奥日光は20日に雪が降って、20センチ以上の積雪になったと添え書きされていました。恐らく、新芽が一斉に出てくるのもそう遠くは無いと思います。
 4月に新たに迎えたスタッフも1カ月が過ぎ、少し慣れてきた頃だし疲れも出る時期だと思います。4月に入ってから私は頂いた軽トラックに道具を満載にして草刈りに大忙し、最初に刈った所がまた草が伸びる。この繰り返しをしています。
 気の所為かもしれませんが、学園内が多少綺麗に整頓されてきたと思っています。
 いま、法人としては大きな仕事を前にその準備でガタガタして落ち着きません。成人寮の老朽改築(耐震化)に向け、設計事務所をプロポーザル方式で決めました。建設予定地での地元説明会の準備や具体的な中身の検討がこれから進められます。
 我々にとっては、新たな第1歩を踏み出す覚悟で従来の考えに囚われず熟慮断行で進んで参ります。勿論、私は逃げも隠れもしませんが、若い人たちの意見をできるだけ活かしていければという思いで臨みます。
 近頃、福祉に関係する事業所である傾向が見られます。合計で幾つ事業を行っているとか言って、その数を競っている。多ければ多いほど優越感をもつような妙な雰囲気。
 ちょっと待ってよ。 それって可笑しいよね。実を言うと、今、既存の社福で事業を新規に起したいと思えば、簡単に出来ます。書面上、条件をクリアーさえすれば許可される仕組みになっているんです。だから実態の無い休眠事業所がいくらでもあるでしょう。それよりも本当に必要とされている事にどう応えられているかというチェックが大切、利用者を事業所の都合で選んだり、割に合わないからやらないという類の事業所が実に多い。嘆かわしい。
 他の事をとやかく言っても仕様が無い。我が信ずる処を歩めです。
 ところでアベノミックスに対し様々な論評が出ています。憲法改正問題にしたって、一筋縄ではいきません。またもや先送りされることも充分有り得る話、賛否両論は何事にも付いてまわる事、充分語りあう事が重要かと。
 何か事を為そうとする時に一人ではできません。必ず、信頼のおける仲間が不可欠、これだって、降って湧いてきたなんて話はない。普段の繋がり、これですね。
 

2430:連休

連休後半に入る。各地で車の渋滞などが起こっている。一斉に人が集中するから仕様が無いのだが、逆に集まらないと不安になる。なんとも人間は勝手な生き物だ。
 そういう私も今日は今から筑波山麓で行われるコンサートに午後行くことにした。知人が企画しているイベントで手作り感が良く、周囲が田んぼ、この時期、田植えの準備に追われているはずだ。束の間の休息です。
 昨日は、スタッフの結婚式があった。半年前もこの式場で結婚式があり、その時とは立場が違った。最近、2つの結婚式があり、片方は東京の有名な式場、多分10組位の式が同じ日にあったようだ。此方は午前午後と1組づつしか受け付けない。
 式場全てを貸し切るという最近流行のスタイルだ。
 式のクライマックスは娘から親への感謝のことば、涙が出て止まらなくなった。お幸せに!
 連休とは言っても誰しもが休んでいる訳で無い。忙しくしている人だって多い。昨日の結婚式だって20名位のスタッフが式の盛り上げに手際よく動いている。持ちつ持たれつってことでしょう。
 少しアルコールが入ると相手の話が冗談なのか本気なのか判断出来なくなる。
 何しろ新潟県と福島県のご両名の結婚式、なんで茨城でやるのか不思議であった。仕事場所が新郎新婦が茨城だったということで納得。
 帰り際、福島の方に、今から帰るんですか大変ですねと話しかけた。
 すると、今日は北軽井沢に皆で泊るんです。「なんで また軽井沢?」 すると「家が一つあるものですから。。。。ホホホホ」
 ??????。
 あっ別荘か! その時思った。でも良く考えた。茨城からでは長野と福島とでは全く逆方向、この時間に車で軽井沢に向かって1泊??
 あああああ、、、そうだったか、冗談が通じない人だわねと思われたに違いない。