源究6(NO91

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91:戦争と平和 3/18 96:気がしれない 4/7
92:いつはいんだ? 3/21 97:星になった17歳 4/11
93:坊主&しびれ 3/25 98:宗教の役割 4/16
94:便利性&不便 3/28 99:宗教の役割第2弾 4/18
95:バカの壁へ一言 4/2 100:アドバイス 4/20

91:戦争と平和

丁度今から58年前日本は第2次世界大戦において敗戦国となった。私は戦争終結後5年経って生まれた。観音寺の山門の脇に防空壕が掘ってあった。これは兵隊さんが寺に住んでいた時に掘ってくれたという話だ。それから戦争の面影は親父がどこからか見つけてきたからの砲弾でわかる。それも今どこに行ってしまったのか見あたらない。阿見の飛行場には今でも予科練の慰霊碑がある。霞ヶ浦航空隊という戦争中有名な飛行場があった。今は陸上自衛隊になっている。土浦の霞月楼という料亭に行くと山本五十六の写真や遺品が飾ってある。その料亭に良く来ていたようである。それから、寺の過去帳をめくると昭和17年から21年ごろに記帳された戒名には戦地で亡くなった多くの故人がのっている。戦争を思い起こす品々が今、若い世代には目に留まらない。今日はサッカーの日本代表がアテネオリンピックに出場を決めた。テレビではわき上がるサポーターが放映される。次の瞬間、イラクでの爆弾テロのニュースが流される。一体どうなっているんだろう。同じ画面から歓喜に沸く日本の国立競技場と数十名の死者が出たイラクの悲惨な場面が同じアナウサーの声で放送される。これを見ている側の反応もおかしい。
 少なくとも100年前には世界で起こった出来事を同時刻に知る術は無かった。昔にも争い事はあった。否、今以上に至るところで紛争があった。しかし、第3者がそれを茶の間でお茶を飲みながらこたつに入り見ていることは無かった。
 マスコミに於ける報道の自由が話題になった。報道する側の倫理感はその是非をどこに見出すか難しい。
 しかし、戦争より平和を望むことは宗教、民族、に拘わらず皆が望むことである。このことをどうすれば良いのか?
今年はイラク戦争の戦後処理が不透明。どれだけ涙を流せばすむのか!宗教が絡んでいる争いには憤りを禁じ得ない、何が聖戦だ。権力者の満足の陰に多くの人々の涙があることを知らないはずはない。何か間違った方向に進んでいくような気がしてならない。
 

92:いつ はいんだ

日曜日、グループホームのM君どうも手持ちぶたさである。仕事が休みのせいもあるようだがお目当ての彼女がいない。そこに運悪く私が見つかってしまった。『ヨー 元気か ぶくし』ときた。「ああ  げんきげんき だーよ 元気で悪かったね」。その対応に不満な様子。『コりゃー ぶくし  いつ 入いんだよ』「何に はいいんだよ?」と惚ける。そうすると『俺が作った お は か 』
「まだ はいいんねーよだ」 『なんで はいいんねー?』「まだ死にたくねえからよ」・・・・・・・
「Mさん はいいったらいいのに 遠慮しなくていいよ どうぞどうぞ」 『やーだよ』これ彼岸の中日の話。
実は彼は石屋さんに勤めている。昨年彼の執拗な営業に根負けして住田家の墓を作った。そこに入れと言っているのだ。冗談だろと思うのだが、それが冗談では無い真剣なのだ!
・・・・あのな その時が来たら入るから 心配すんなよ・・・・・・ M君納得しない。今にも泣きそうになる。
これだから困っちゃうよ。時と場合なんてお構いなし。その時、天の恵みM君お目当ての彼女がやってきた。
『ヨー○○ちゃーん おげんき?』 私とは全く違う。にやにやして敬語なんか使っちゃって、何格好つけてんだよと言ってやろうと思ったが止めた。

93:坊主&しびれ

正直なお話でござります。あれは,大分昔の話であります。丁度私が正式に衣を着ることが許された頃のことでした。あるお寺さんの何かの?法要に出ることになりました。一応お経の読み方などは習いましたから自信はあったのです。
しかし、その法要の長さまでは計算外でしたね。いつになったら終わるのか?坊さんの世界は非常に保守的?なところであります。位の低いものはどうも一番目立つところに座るんですね。先ずこの点については私の認知外でした。それといつ終わるか分からない法要の長さ!ですからいつの間にか私の足は感覚を失う寸前にまで固まってしまいました。その時です。『チン チーン』とキンが入りました。『立て』という合図!他の坊さんスーと立ち上がる。遅れを取ったと思った瞬間『しまった 』後はお分かりですね。大勢が見守る中で私はドッデーンと転んでしまいました。もう30年近く前の話。
それがつい最近のことでした。同じお寺さんでの法事。ああー思い出したくない。勇気を持って正直に申し上げましょう。
 今回は私の役回りは会奉行とか申しまして偉いんです。法要をしきる役割です。しかし、普段の生臭はいざと言うときに出るものでありますよ。皆さん。本堂での法要でした。一瞬ですが私の脳裏に過ぎった30年前の失態。否、もうそのような不手際などするわけないとにやにやしておりましたね。仏さんは良く観ていらっしゃる。『ばーか。今に見てろ』とでも言っているかのようです。
『チン チーン』今回は私がキンを鳴らす重要な?役割。大丈夫。他の坊さんを引き連れて入堂してきました。「アレ!」一瞬思ったんです。他の坊さんやお客さんは皆イスが用意されている。しかし、今回私が役目を仰せつかった会奉行の席だけが座布団なんです。『どうして?なんでこうなのよ?』と承仕に目で合図。しかし、すました顔で私の意図が全く通じない。ま!いいか、あれは小生が若かりし頃の失態よ。今このときに及んでみっともない。
法事は順調に進みました。その時私の方をトントンと叩く者がいます。耳を向けると小声で『会奉行さん。○○僧正がお呼びです』というんです。これ全くの予定外のことです。その偉い僧正さまの方を見ると、早くこっちさ来いと目で合図を送ってくる。立とうとした瞬間です。全く30年前の状況の再現です。『ありゃー しびれてる』ここは百戦錬磨、あわてるでない。まっしばらく。○○僧正さんの顔を見ると「何やってるんだ、早く来い。こっちへ来いと言うのに」 まっしばらく。
ここで慌てては元も子もない。
僧正様におかれましては偉くご立腹のこと。そうは言われましても此方には此方の事情がありまする。
 人間いくつになっても修行を怠らない、傲らない、これ真理です。

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94:便利性&不便

園のサーバーがトラブル。理由はキュービクルの定期点検。何故起きたか?
1年間のデーターが全てパー。ソフトメーカーの担当者が土浦に泊まり込んで丸2日間パソコンの前で奮闘。一喜一憂。私も夜遅くまでつき合った。ハードデスクが何らかの原因で傷付いたらしい。本来バックアップを毎日取るべきところ、9月末よりそれがなされていない。これも法人内部の問題だ。もう一方の施設のサーバーは助かった。
キュービクルの点検が大幅に遅れたというのも原因の一つ。電気系統に漏電の疑いがあったので調べていた。
しかし、なんだな、IT化が進み結構この種のトラブルは多いと聞いた。便利性の中の不便ということ。結果は復旧できた。担当者の喜びと10月からの全てのデーターを再度打ち直す事を覚悟していたうちのスタッフは大喜び。私も覚悟していた。丁度、パソコンと奮闘中の時間帯に、当法人の理事会評議委員会を行っていた。何度も様子を見にいったがメーカー担当者はその都度顔色が険しくなっている。誰に不満をぶっつけて良いのか分からない。結局は事前の調整不足、責任者たる私の責任だ。理事会にも正直に伝えた。データーが空白のまま行政監査を受けるはめになるのか。そんなことより3月の末なのに今から決算書がつくれるのか?理事会で資料説明していても気が気でない。理事会が終わり、また覗いてみた。『理事長さん。これでダメだったら諦めてください。もう1回やってみます』そしてもう何度となくやった一連の操作をやった。『あれー。もしかしたら・・・』「うーーー 』『????』その間20分。『ワー涙がでそう』担当者。『ホントかいな!またダメじゃないの?』と私。夕方の5時半過ぎ、それが復旧できたのだ。。
今回のミスで偉い勉強になった。不測の事態にどう対応するか。安全弁はどう保つか。
今、法人全体ではパソコンは15台以上稼働している。当然打ち込むスタッフはその3倍以上の人間が関わっている。
全てがITに知識があるわけではない。仕組みが分からないでキーボードを打っている。
支援費の請求事務は全てパソコンを通じて行う。求人手続きも今そうなってきた。益々便利性を要求される中でその運用には細心の注意が必要になっている。
 でも、良かった。今回も仏さまが助けてくれたんだ!

95:バカの壁へ一言

養老孟司さんの書いた「バカの壁」がベストセラーになっている。私も購入して読んだ。何故読む気になったかと正直に言えば、この時代『バカ』という言葉を使ったりして問題にならないのかという疑問があったからである。読んでみて内容がとても解りやすく決して人権擁護委員会などが出てくる内容ではないことで納得した。養老さんは東大医学部の教授それも解剖学という医学の世界ではちょっと変わり者といった印象が以前からあった。テレビなどで良く出演しているのを見た。彼は昆虫採集が趣味という。趣味というより専門家以上の懲りようであることが後ほど解る。さて、バカの書の内容は現代人に対する彼独特の警鐘と言える。仏教の戒律の教えに不邪淫戒を説くところがあった。僧侶として性欲の暴走を抑える術として綺麗な女性を見た時にその方の背後に骸骨の姿を連想させるというものがある。この世に現れた姿は仮りの装い!いずれだれもが死ねば骸骨になるという。まっ!分かり切っていることながら実は誰しも理解しない世界。そうでしょうが不況というのに高額な化粧品で顔を塗りたくって。
 話を元に戻す。バカという言葉だが今我々の業界(知的障害者福祉施設)では禁句である。職員がもしその様な言葉を使ったなら即問題となる。懲戒ものである。
 だが、利用者さんが職員をバカと言った時はどうなのか?多分親しみを込めて言っていることは解るのだがどうだろうねー?実は、私の長いつき合い(40年)のMさんが私を見ると直ぐに『このバーカ。何やってんだよ』と近づいて来る。これが私に対する彼女の最高の挨拶だ。私が訴えれば懲戒になるのでしょうか?
世の中の常識が非常識。いつの時代にも言葉のロジックはつきもの。本物を見極めることが大切なんだよね。

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96:気が知れない続報

E さんの世界には私などが入れない。彼はまた出て歩く癖が出てきた。無断外出という癖。しかし、昨日は休みのスタッフに偶然見つかって連れ戻されて帰ってきた。グループホームでの生活、どうも彼の気持ちを理解することは至難の業。昨夜私は彼と話をした。たどたどしい言葉はいつもの『ふくちゃん  なにしてんのかなー?』とか言って園長室に入ってくる彼とは全く違う。多分彼にしてみれば連れ戻されたことをまだ充分納得していなかった。だから今朝またどこかに出かけてしまった。会社には無断欠勤迷惑をかけっぱなし。
彼は一向に反省しない。困ったものだ!しかし、彼の行動パターンは一貫している。春の陽気を感じるころになると決まってどこかに姿を隠す。彼専用の家を建て11日に引越しをすることになっていた。全くこちらの思惑とおりには動かない。大物なんだな。彼と付き合っているといつも『これでいいのかなー?』という自省の念が湧き上がる。つまりこちらが良かれと思ったことがことごとく逆に反応するからだ。全く疲れる根競べ。・・・第1話・・・
それから今春休み中。通勤寮のWさん。仕事が休みのため、毎日ボーとしてしる。妙に私と目が合う。すると彼は目をそらす。なんとなく何を言わんとしているのか想像できる。こうだ!・・・・・あのな。俺をどこかに連れて行ってくれよ。カラオケでもなんでもいいからよ!だってそうだろよ。みんな楽しそうに家に帰って良いこと良いこと。俺なんか誰も来ない。もう何年も誰も来やしねー。・・・第2話・・・
それから昨日こんな相談を受けた。GHのSさん。彼はうちに来る前は養護施設に長く入っていた。弟と一緒にである。その辺の事情は複雑だ。彼が今日東京の大山にある日赤病院へ弟を見舞いに行ってきたという話。どうもその弟の病状は思わしくないようだ。彼は心から弟の体を心配している。「たった一人の身内だもの俺が行ってやらないと可愛そうなんだ。死んだら俺一人になっちゃうから。時々弟は病院で暴れるんだ。そんな風に今日看護師さんからいわれっちゃった。どうすればいいかなー?」という。本当に真面目な人なのだ。彼はその話を床に正座して話す。・・第3話・・・・
彼らの生き様をどう見えますか?自分には関係ないということでしょうかねー!
私は世の中が本当に変な方向に進んでいると思っている。そして、彼らの生活を身近で見ているとなんで膨大なお金を戦争などに使うんだと大声で言いたい。どのような理由があってもである。人と人が争い殺しあう。この生き地獄を誰も喜びはしない。それじゃ、どうしてこんな風になっちゃうのかな。権威の貪りと自らの力への驕りとしか言いようがない。テレビを見ればイラク紛争の報道、テロ、国内に関すれば幼児虐待事件などなど。これで元気を出せというのも無理なんだよ。悪いニュースばかり報道するから世の中の良い事や楽しい事が隠れてしまう。情報操作がないなどと言うマスコミも視聴者への影響を考えて番組を作ることも必要じゃないの。
続報
第1話⇒2回目の雲隠れの後。彼は自分で部屋に戻ってきた。スタッフが気配を感じ部屋を除いて見ると、自分のベットに大の字になって寝ている。彼はなかなか自分の気持ちを開いてくれない、だから私には4日間の彼の動きは知ることができない。多分、支援というものは騙され許され癒されて徐々に関係が築いていけるものなのだ。我々と関わりを持つ以前の彼が経てきた様々な思いを追体験することはできない、だからこそ我々の出番があるんだと思うしかない。
第2話⇒昨日昼食を一緒にファミリーレストランで食べた。彼は大盛りのカツカレーとフルーツパフェー。私はその半分もたべれないので緑茶と普通のカレー。一方通行の会話。「Wさんは弟さんいたっけなー?」「あー」「岩井市だよな?」「あー」「何やってんだー?」「しんねー」「・・・・・」彼はスプーンで食べ始めた。水を飲む以外にスプーンの動きを止めることなく一気に大盛りカレーを食べ終えた。パフェーも口の周りを汚しながら一気に。食べ終わると直ぐに私に関係なく帰ろうとする。
今朝。顔を合わせた時に今日昼食を一緒にしようと話しておいた。彼の返事は定かでなく行きたいのか行きたくないのか?でも、1時間前には彼は外出用のズボンに履き替えて玄関で待っていた。
第3話⇒継続中。

97:星になった17歳

人間先のことは分からない。当にそのことが現実のものとなった。夜中のバイク事故だった。車の通りがない場所での自爆事故、朝まで発見されずに現場に置かれた。4月に高校3年になったばかりの女子だった。3日間病院でのICU、懸命な治療を受けたが終に意識がもどることがなく息を引き取った。今度の8月の誕生日がきて18歳だった。
 私はその子のお葬式を頼まれた。夜7時からの斎場でのお通夜、学生服を着た子供たちが随分多く集まっている。
 重苦しい雰囲気があった。読経を始める前から会場のあちこちですすり泣く声が聞こえていた。普通30分で終わる通夜が1時間たっても焼香客が絶えなかった。翌日9時からの葬儀、バス2台にぎっしり学生が乗って葬儀が始まるのを待っている。いつもより早めに始まった告別式。同級生代表の弔辞が読み上げられた。私は祭壇の前に座って誰からも気づかれなかったが涙が出て仕方がなかった。坊さんが経を読めなくてどうする。自分に激を飛ばしながら、なるべくマイクに口を近づけて静かに経を読ませていただいた。約1時間20分の時間はとても長く感じた。
 私は霊柩車に乗せられる時に故人とは3歳違いのお兄さんが今年中学に入学したという弟をかばって励ましている姿を見た。その弟は泣かまいと必死に堪えている。体が振るえお姉さんの死をまだ受け止め切れずにいることが誰にも想像できた。荼毘にふすのは身内だけにして欲しいという遺族の申し入れでほとんど弔問客は霊柩車を斎場で見送った。
 17歳という妹の人生を最後の挨拶でしっかりと話すことができた20歳になったお兄さん。『どのような妹さんでしたか?」と尋ねた私に『とにかくこころの優しい妹でした』と話してくれた。

98:宗教の役割

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イラクでの3名の方が拉致され、日本中のマスコミが一斉に報道した。地元テレビ(アルジャジーラ)が唯一の情報源ということもあってその報道に一喜一憂し、相当の混乱が生じた。今回の事件に対して様々な意見がインターネットを通じて出てきたという。政府の危険地帯への渡航自粛勧告に対して自らの意思でイラクに渡った3名の方に対する批判の意見が相当数あったという。自己責任だという意見と国の一大事にあたって被害にあった家族のマスコミでの言動に対する批判であった。結局は1週間の拘束が解かれ、昨夜8時30分に開放された。犯人グループとの交渉にイラクの宗教家が大きな役割を果たしたという。このことは日本人にはどうも理解しずらいことである。様々な紛争がイスラム教という宗教が絡んだものと思われているからだ。最も強烈なインパクトはジハードという名の下に頻発する自爆行為である。自らの生命を絶って相手をも殺すという行為。実際車での突入や体に爆薬を巻きつけて自爆する人を見分けることは不可能だという。
そのような危険極まりない状況のイラク。戦いの歴史をずっと積み重ねてきている地域。こjの先どうなるのか読めない。
 一方では第2次世界大戦の敗戦後、60年が経とうとしている平和?日本はどうか。戦争を知らない世代が大半になっている日本人はどうしても外国との関わりを持ちながら歩まざるを得ない宿命にある。石油という資源確保の問題が今回のイラク紛争の大きな原因ということは誰もが承知していること。フランスやドイツが最初からイラク攻撃に反対した理由には既得権というそもそもアメリカとは違った立場が見え隠れした。しかし、日本は微妙な立場に置かれた。
つまり自国防衛と石油資源確保という重要且つ微妙な問題が関係しているからである。世界との交流がグローバル化されればされるほど問題は複雑化してその対応には慎重でなければならない。そのような時現実の日本において宗教の果たす役割は全くといって良いほど見えてこない。日本人だけが幸せであれば良いという時代ではない。政治は当にその点に欠ける。その欠けた部分を補う役割が宗教に求められるべきだと私は思っている。宗教の目指すものは決してジハードにて貴重な生命を投げ打つことではない。いよいよもって世界レベルでの宗教家の共存共生を
考える時代に突入したというのが正直な実感である。

99:宗教の役割 第2弾

98からの続き。3人が無事解放された。昨日報道関係の2名も無事解放された。
これもテレビの情報だから間違っているかもしれない。つまり、画像からしか推測できないからである。しかし、今回の3人の解放にはどうも日本の報道関係者が関わっていたようだ。日本テレビのイラク担当の方でラデーさんとかいうイラク人、日本語が達者だから現地のテレビの取材に通訳していた人。他の局では解放され仲立ちした聖職者と3人が語らっている映像だけが流されていた。日本テレビは3人が目隠しをされて部屋に入るところからカメラを回していた。女性が「イラクに残りたい・・・・」と話したということで様々な非難が浴びせられた。これは上記の98に書いた通り。しかし、その場面の前に実はやり取りがあったのだ。それは聖職者の方が「貴方のイラク人にしてくれた今までの行為が分かってもらえたのですよ」という言葉に気丈な彼女が急に涙を流した場面。そのあと話した彼女の言葉が「どうしてもイラク人のことが嫌いになれません」と「またイラクに来ます」という流れ。そこだけを報道されれば、『どうしてこれまで世の中を騒がせて全く自分勝手な人だ」と思われる。正直私もそう感じた。
 解放が決まったあとの日本の反応。特にある政党の幹部「どれだけ今回の救出にはお金がかかったか考えて欲しい」というコメント。私は正直幻滅を感じた。なぜかNGOやJICAなどの海外支援の現地での苦労を少しは見て知っているからである。膨大な金が日本から流され、それが有効に活用されていない現実を知っている。日本にいて立派なコメントを言う輩はいくらでもいる。しかし、実際に自らの足で現地に赴き現地の人々と共に復興支援に汗を流している人は少ない。
どうも、今回の拉致事件は今の日本人が本当に自らの責任を問うきっかけにしなければならないと思う。
まだまだ気がつかない人々が多い。
自らの保身にのみ精力を傾ける輩はいっぱいいる。『捨ててこそ得る』という誰かが言った言葉が頭に浮かんだ。

100:アドバイス

食品会社に勤めるYよりメールが届く。彼とは学生時代サークルが同じだった。山登り。共通することは高校時代サッカーをやっていたということ。しかし、レベルは段違い、彼のチームは四国で優勝して全国大会に出場、私のところは県大会まで行ったが2回戦で強豪の水戸商業に10対0で大敗した。Yとは卒業以来何度か会っては情報交換した。今は勤務地が大阪だから簡単にはできない。そこでメールというものが出てきた。今日届いたメール。本人に了解なしだが紹介したくなった。
 『福祉の仕事が介護保険導入後、ビジネスとなり戸惑っているようですね。会社の場合、株主に対して、経営状況を開示する義務があります。また、お客様に対して,買って頂いた製品を安心して使っていただけるよう努力する責任があります。これが信用なので一番重要視しています。お客様の声はデーターベースにしていて、クレームの件数を減らすために、その原因を分析し、改善することが重要な仕事になっています。国からの補助を受けているならば、会計の透明性を明らかにし、健全に運営していることを情報公開する必要があると思います。・・中略
新しい事をする時は、すべて最初は大変なエネルギーが必要と思います。しかし、長続きはしません。いかに、組織の仕事として取り込んで、ルーチン化していくかが重要かと思います。  云々』
大学卒業後直ぐにYから小包が届いた。開けて見ると題名は忘れたがドラッカーの本だった。
簡単なメールだが、正直痛いところを突いてやがると関心した。当に図星だ。付き合いが長いとこんなもんかな!
日本のトップ食品会社の企業戦士?厳しさの中で企業の指名が如何にあるべきかを叩きこまれてきたんだ。