源 究 5

源究1〜4もどうぞ覗いて見てください

73:ホームレス対策私案 1/19 79.入院しましたでー 2/8 85.ドタバタ 2/28
74.学生ボランテア 1/24 80.費用対効果 2/9 86.嬉しかった 3/8
75.常識&非常識 1/27 81.理念と実態 2/14 87.足蹴り 3/10
76.人生の閉じ方 2/1 82.無力感 2/18 88.アンケート 3/11
77.利便性の穴 2/2 83.つきあい 2/23 89.障子一枚 3/12
78.大正大同窓会 2/5 84.人事 2/25 90。お彼岸 3/18

73ホームレス対策私案

ホームレス問題は90年代中頃から顕著になってきている。現在、全国で約3万人のホームレスの方がおりその数は毎年増加傾向にある。国は1999年2月に「ホームレス問題連絡会議」を設置し、その提言をもって2002年8月に「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」を公布した。自立生活への支援施策として国や地方公共団体の責任を明確にし、財政上の措置や民間団体の能力の活用等の具体的実施計画を挙げている。私の関係する施設(知的障害者通勤寮)にも過去にホームレス生活をしていた方が何人もいる。彼等に対して宿泊場所の提供や就業の場の確保の支援がなされている。しかしそのサービスを受けられる人数は僅かでしかない。現実には住所不定のために公的扶助を何も受けられない方が大半であり、これらの人達に何らかの支援の手が差し伸べられるべきである。ホームレスが多く集まる都市部には、民間団体による宿泊場所の提供や炊き出しサービスが実施されており、その果たす役割は大きい。また、誰もが受給できる年金の仕組みや家賃補助といった制度を作ることも大切である。それにはホームレスに至った理由の如何に拘わらず誰もが文化的な生活を営む社会的市民権を保障するという国民的な合意を形成しなければならない。そして、実際にホームレスの方々を受け入れている最前線現場の実態(障壁と課題)を把握し、支援団体と行政が連携を持ちながら問題解決の仕組みを構築していかなければならないと思います。(社会福祉士研修レポート)

74.学生ボランテア

学園の運営に学生の協力は不可欠の状況である。延べ人数にすれば相当な数の学生が関わっている。もう20年以上も続く、クラブ活動これは毎週土曜日の筑波大福祉研究会の仲間、20名近い学生がマラソン、音楽、趣味クラブに分かれて自主活動している。また、管理宿直の応援、3つの施設に一人づつ夜間泊まる、父兄の泊まれない日に学生が泊まってくれる。それから、ここ数年はレスパイトの補助員、この数がマンツウマンで対応するためにかなりの人数が手伝ってくれている。年間の延べ人数にすればこれらの活動だけでも2000人位にはなる計算である。限られた職員での支援は考えてみるとやれない理由がやりたい気持ちを常に圧倒してしまう。だから足踏みする。その点をカバーしてくれる学生の存在は重要である。
 また、学生の受け入れでのメリットは彼等が卒業して全国に散らばってからにある。様々な情報を送ってくれる。
最近メールに鹿児島県で教員をしている元学生ボランテアの方から連絡があった。HPを時々覗いてくれているようだ。
 常に新たなニーズが生まれる。リスクが増える。これにいかに敏速に答えられるか!相手に満足を感じてもらえるか!この点だけはいかなる事業にも通じる経営の鉄則である。これを蔑ろにすれば結果として事業継続への危機に通じる。少し固い内容になった。思考を柔軟に情報を広角にである。

75.常識&非常識

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NHK心の時代での話。娘が「お母さん福祉の仕事をやりたいんだけど」と言うと、直ぐさま「やめとき。福祉はお金にならへんで」と母親が言ったという内容。関西の某小学校での話「食事の時に合掌させてご馳走様というのは止めて欲しい」「給食費は親がちゃんと払っているのだし何もお礼を言うことなどない」これはPTA総会にて本当に有った話とか。
世の中変だぞ!このまま日本人はどこに行ってしまうのか!
常識とは英語でCOMMON SENSE。その意味は誰もが知っていることである。しかし、Senseを知識とばかりに理解してしまったことに問題がある。知識よりは感性という解釈が正しい。感性豊かな人が本来貴いと思うのだが、どうも日本人は学歴偏重の時代が長すぎたために知識の優劣で人間を評価してしまった。だから、理屈が先行した上記の2つの例のごとき話が出てくる。残念なことに40代以上の人達にその偏重の思いが根強い。だから、その子供達の思考も自ずとそうなる。
 どうしてそうなってしまったか、家庭に大きな原因が有ると思う。教育にその責任を押しつけるのは間違っている。先ず、家庭でしっかりと世の常識というハンマーを打っておくことが大切、人生を建物と考えると基礎のコンクリートがしっかりしていな所にいくら立派な建物を作っても地震などが起こったらひとたまりも無い。
これが常識と思うのだがどうもこの辺が非常識!また、自分たちが貧しい時代を過ごしたから子供にはその苦労をさせたくないと言う理屈。これも良く考えてみると同じ発想。若いときの苦労はハンマーの役目がある。木は冬年輪を僅かしか伸ばせない。その替わり根っこにエネルギーを貯めておく。これが自然の厳しさに耐え成長する基礎となる。
 家庭は本来土壌の役割。ある先生がいっていた話。「日本人は山を見て木を木材としてしか見ていない」当に的を得た見方である。常識ということがどこか的はずれの今の時代、非常識と言われてきたものが実は本当の真価があるのかもしれない。

76.人生の閉じ

塩原へスノーボードに行った息子さんが衝突を避けようとして自分が木に激突、病院にて緊急手術を行ったが結局は生還することは敵わなかった。葬儀に立ち会い、経を読むのも辛い時間だった。いつものように遊びに行って元気に帰ってくるものとばかり思っていた家族、何がなんだか分からないままで荼毘にふされた。享年23歳。スポーツ万能の好青年だった。世の中には突如として襲われる悲しみに耐えて生きている人達がどれほどいるのだろうか!
 きっと今日も家に飾られた息子さんの遺骨の前で様々な想いに涙している家族が想像できる。
悲しみの呪縛からといて欲しいという母親の願いに釈尊は、悲しみを何一つ持っていない家を探してきたら救ってあげようと話して帰した。母親は夢中で村々を歩き探した。結局はそのような家が無いことを知った。
 悲しみを耐えることから人は何かを学ぶという。
不慮の事故であった。しかし、耐えても憎しみが残る人生の閉じ方も現実にはあり得る。世間を騒がす通り魔や放火で命を落とさざるを得なかった人達。家族の無念はもちろん、本人の気持ちを思うと想像できない。
 仏教ではこのような場合どう解釈しているのだろうか?私には正直癒す言葉を持ち得ない。僧侶として失格。

77.利便性の穴

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ドイツ在住の横井さんがインターネットを接続したと言ってきた。今まで私がいくら勧めてもワープロで充分といって手紙を書いてよこした。今度は瞬時に通信が出来るようになったわけだ。ドイツまでルフトハンザの直行便で約10時間ぐらいかかる。成田に出て手続きを済ませて飛行機に乗り込む時間も入れると15時間は優にかかってしまう。これが数秒で連絡が取れる。便利な世の中になったものだ。多分後10年したらもっと変化しているだろうな!そんなことを考えていた今日。九十一歳のお爺ちゃんの葬儀で斎場まで行く間乗せてくれたタクシーの運転手さんから「今日は寒いすなー」と声を掛けられた。直ぐに「前にも乗せて貰ったよね」と私が言うと「そうです。わたしは言葉が違うので皆さん覚えてくれますのや」という。斎場までの約20分のタクシーの中で話が弾んだ。四国の愛媛で瀬戸内海の青島というところの生まれだという。私は四国八十八カ所巡りをしてすこしは話が通じた。その島は広島の尾道から船で三回乗り換えてやっと着く小さな島だという。人口は四百人ぐらい。
漁業で生計をたてている人達が住んでいるという。若者は皆関西や四国に出てしまって皆年寄りばかりだと言っていた。何がいいんですかね!そりゃーのんびりしていることぐらいですね。という話。のんびりね?今私が一番望んでいる事かな。とふと思った。ドイツに行くのと変わりない時間がかかる。その島は行ったことはないが、きっと猫などがのんびり日向ぼっこしていておじいちゃんやらおばあちゃんが叔母車など押してお喋りしているんだろうな。
「その島にはお寺があるんですか?」と尋ねたら「はい。ありますよ。でものんびりですわ」ああ・・いいな!そんなに急いで生きたってどうせ行くところは決まっているんだし。のんびりしなきゃだめなんだ!利便性を追い求めるばかりに何か本当に大切なものを見落としてしまっている。各駅停車でいきたい。斎場から帰りのタクシーの中でまた四国の話で盛り上がった。

78.大正大同窓会

2月4日大正大学の茨城県支部役員引き継ぎが阿見町であった。小綺麗な割烹で前執行部の天台宗5名と豊山4名で行った。どういう訳か私は事務局長ということになった。大正大学はその前身が宗教大学でありm浄土宗:天台宗:真言宗豊山派:真言宗智山派の4つの宗派が設立の母体となっている。今は社会福祉や文学部など学部が増えて学生数も多くなっている。私は1980年卒業、父は1930年卒業そして私の長男が現在2年在学。親子3代に渡って御世話になっている。そんなこともあってか今回同窓会の役員が回ってきた。茨城県内には卒業生が800名ぐらいいるとのこと。その通知を出すだけでも大変なことが、実は昨夜の引き継ぎで分かった次第。まったくのんきなものだ。大部以前だったが県の総会を行って瀬戸内寂聴さんを講演者として呼んだ。結構な人数が動員できた記憶がある。所謂目玉事業だが、何しろ総会を行っても20名ぐらいしか集まらないというお世辞にも活発な同窓会とは言えない団体である。
 今年は大学が持ち回りの順番で豊山から学長がでた。丁度時期としては良いのかも知れない。
 ある人にまた言われた。住田は自虐的性格があるんじゃないのか!
 なんでも引き受けるということをそのように言う。冷静に自らを顧みてその指摘は大体合っているかもしれない。どうもおだてりゃ直ぐに木に登る性分かもしれない。
 しかし、井の中の蛙の生き方は私にはどうも合わない。どちらかというと自ら進んで人の中に入っていくタイプ。
 役員任期は3年間ということだ。まーいいや!言う奴には言わせておこっつと。ハイ。事務局さん出番ですよ。

79.入院しましたでー

入院しました。それも腸閉塞や!痛くて気持ち悪くて  いても立ってもいられねー。どうにかしてくんろ Oさんが緊急で入院した。多分本人の気持ちを察するに上記の気持ちだろうな。
 「ありゃー 困った。6人部屋。個室は空いてないのか?隣の人に迷惑かけるなこりゃー」
これはこちら側。
初日目、苦しいのだろう!全くその心配はハズレました。点滴をしたら眠りっぱなし。うんともすんとも言わない!
大丈夫かな!このまま眼を覚まさないんだろうか!そうだ!家族を呼ぼう。
それからスタッフが実家や兄弟へ電話で連絡する。しかし、全く連絡が取れない。本人は真っ赤な顔してベットに寝ている。熱は7度台だからそれほど高くはない。園では8時間で3名の職員のローテーション作り。入院の書類をみたら約2週間と書いてある。一瞬ボーとたちつくす。今年はやけに入院する利用者がいる。6人目だ!その都度対応をした。今回のOさんは家政婦さんではとてもじゃないが無理、家族も無理ときた。嫌な予感。予感じゃなくて現実。5日に入院してから点滴のみで食事は駄目、Oさん普段から人一倍食事にうるさい!困った。食事時間になると付添のスタッフがベットの周りのカーテンを全て閉めて予防線、しかし、食事の巧そうな臭いは如何ともしがたし。これが不思議と敏感なのだ。今日は大分元気になっていた。私が見回った時、食事時間のちょっと前だった。「理事長開けちゃダメ!見せないこと!」「あっ」とそうだった。急いでカーテン閉めたがOさん眼だけぎょろり、しっかり隣の患者さんの食事を見てしまった。
いつまで続くのか?エラいこっちゃ。Oさん  そんなこちらの思いは関係なし。「高校野球いついつ?かあちゃん いつ来るの?」食えない腹いせか!案の定、心配してたお喋りが始まった。これまたうるさいんだよなー。「ふん 入院しましたでーだ。」やけくそだ。これ現実。

80.費用対効果

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様々な憶測が飛び交う中で、今をどう切り抜けようかと考えている人達が多い。国の借金がどれくらいなものか我々一般人には想像できる額ではない。だから、逆に切迫感がでない。マネーゲーム的感覚になっている。かけた費用に対しての効果は事業を行う際に常について回る。道路公団民営化の時も盛んに論じられた。その結果、正直良く分からない。しかし、我々も物を購入したり設備投資する際に、額は問題にならないけれどそれなりの費用対効果を探る。
 だけど難しいのは福祉の仕事にそれがどうも馴染まない。サービスを数値化したりその価値の大小を換金化できにくい。ホームヘルプ事業で1時間あたりの単価が示されている。家事援助一つにしても事細かに内容のチェックはできない。
最近、介護保険関連の事業所が不正を犯したという事で事業所認定を取り消された。どうしてそうなったのか?確認もしていないから分からない。しかし、怖いのは一部の不正を犯す事業者がいることで真面目に取り組んでいる事業所まで嫌疑をかけられる。これではたまったものではない。国は様々な仕組みを考える。しかし、実態は世の中の変化のほうが数段早いので追いつけない。また、受益者の満足度というものもは本来が相対的なものであるがために数値化したりランク付けすることはできない。

81.理念と実態

某会合での一コマ。委員長選出如何いたしましょうか?段取りでは私が「○○さんを推薦します」と意見を述べる事になっていました。ところがどこでどう間違ったのか某先生?が違うことをいっちゃたのです。一瞬事務局と顔を合わせたんですが眼を背けられました。「なんじゃ これ」この会議がまたおもしろい。意見が全く出ない。しかし、議事進行メモがあって最後に「本日はお忙しい中をお集まりいただき委員の皆様より活発なご意見を頂戴し・・・・・」ときた。「なんで なんで」カックンときた。
ああ日本の実態これだー! 今、国の示した様々な組織は市町村にまで義務設置され、膨大な数の組織がある。
何しろ今日は何の会議だか分からない輩が専門委員として名を連ねる。
 私は少なくとも理念と実態はあまり遊離しないほうがよろしいでしょうと思っていますが。皆様いかがでしょうね!

82.無力感

大変ショッキングな事件が起こった。名前は伏せなければならない。障害がある子と家族が日頃どのような思いをして生活しているのか?これは本当に自らがその立場にならなければ分からないことである。誠に残念であった。
たった一人残された兄弟からの許しを得ていないからどこまで書いて良いのか正直迷っている。しかし、両親とご本人が今亡くなりこのままで良いのか!という気持ちが私の中に悶々として残る。お母さんの病気が原因と今朝の新聞には書かれてあった。尚恵学園との関わりはほんの僅かでしかない。それも週に1度の絵画教室。初めの頃、学園にお母さんと一緒に来ても彼女は5分も絵画グループに一緒にいることが出来なかったという。来るが早いか直ぐにお母さんに「もう帰ろうか」と言って落ち着かなかった。それが何回目からであろうか、教室のA先生の話では少しずつ集中して絵を描くようになってきたという。何がきっかけなのか?それはわからない
そして、つくば市のギャラリーで絵の展覧会を行った時、紫色した顔の女の人をハッキリとした線で描いた彼女の作品が出展されたのだ。しかし、やっと心を開きつつあるその時にお母さんの体調が悪くなった、手術を受けた、その後の経過が思わしくなかったのかどうか。我が子の将来を今まで以上に心配するようになったという。
周りの人達がみんなで心配していた矢先、ショッキングな事件が起こった。ご本人とお父さんとお母さんの3人が1度に命を絶った。心配した息子さんが自宅を訪れると玄関に「警察を呼んでから開けなさい」とワープロで書かれた張り紙があったという。
 本当になんと言ってよいのか分からない。ただただ御3人の冥福を祈るしかできない。そして、たった一人残されたお兄さんの心中は計り知れない。
 我が園の絵画教室は回を重ねるごとに仲間達の変化が著しいという。関係者の中で地域向けのアート展をしようという話が持ち上がり近日中に具体的に構想を練る段取りをしていた。
 彼女は絵を通して少しずつ心を開いてくれた。今更原因は何かと考えてみても憶測でしかない。それよりも本当に苦しみ悩んでいる障害を持つ人やその家族へ、周囲の人々が支える仕組みができていない。私たちにもその責任の一端はもちろんあると思っている。
だから遺族の了解もなくこうして書いている。彼女の31年という生涯を決して無駄にすることがないように。それから誰かに相談することも出来ず、自らの判断で終止符を打った両親のことを思う時どうしようもない無力感を禁じえない。どうにかしないといけない。なにをどうすればもっともっと家族やご本人が楽になれて周りに気兼ねすることなど無く、もっともっと楽しい人生が送れるようになるのか?
 これからもこの大きな課題を見失わずに歩みたい。合掌

83.つきあい(何気ない)

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@一人遊び。Yさんが庭の片隅でバトミントンを一人でやっている。どうして一人なのか本来2人でやるべきもの、どうも相手が見つからないらしい。それともゲームにならないのかも知れないな!ある日スタッフのFが一緒にバトミントンをやっていた。とても上手。ケラケラ笑いながらYさんもとても楽しそうだった。
AUさんが毎週決まった日に空き缶つぶし。いつも一人。黙々と籠を二つ用意して一つには潰していない缶をいれ、機械で潰し終えた缶をもう一つの籠に入れる。1時間ぐらい終わるまでかかるらしい。こればかりはUさん誰にもやらせない。
2階から「大変だねUさん」と声をかけると一瞬ニヤリとした。
B夕飯までの時間、いつも気になるWさん。ボーとして庭に佇んでいる。寂しいのかな?友達欲しいのかな?
「ご飯だよ」の声に「それー」とか言って食堂に入って行った。
C3匹いた犬がたった一匹になってしまった。病気で死んだり老衰で亡くなった。唯一残ったわんちゃんを毎日食事の世話をしている。Oさんは歩くのが少し不自由、でもこの役目だけは誰にもゆずらない。わんちゃんとなにやら話している。
  *つき合いにはいろいろあります。人と人とのつき合いもあるでしょうし、動物や自然とのつき合いもあるんですね。でも疲れないつき合いは何気ないものでしょう!

84.人事

尚恵学園という小さな事業所でも恒例の人事発令を行う。つまり、新年度の計画書を作る関係で2月末日までに発表している。今回は例年になく新採用が多く5名になる。私は採用面接には立ち会わない。なぜならば性分だから仕方がない。断れないのである。折角面接にきたんだからやって貰いましょうというパターン。これじゃダメだなと周りの反応を敏感?に察知して面接は他の幹部職員に任せた。気が楽になった。今回は自分では大分頭をひねったつもりである。
一応現在のスタッフからはアンケートで希望を聞いている。これがベース。しかし、男女のバランスやなんやら考えるとこれが一筋縄ではいかない。人を見て評価することは至難の業。何故かと言えば私は一面しかみていないかもしれないからだ。以前は個人面接をやっていた。しかし、これまた止めた。これにも理由がある。今回は地域支援に理事長としての突破口を打ち出した。時代が変わったことを察知するには在宅に関わることが一番。待ったの効かない人達へどれだけ支援の手が差し伸べることができるか?真剣勝負である。今、産休で2人休んでいて、今お腹に赤ちゃんがいる職員が3名いる。これも実は頭がいたい。「赤ちゃんできたの?そりゃーおめでとう」と一応は言うのだが内心は「また補充が大変だ。いつから休みになるの?」
 今の時代1年後がどうなるか分からない位変化が激しい。それを乗り切る為には体制をかなり強固にしておく必要性がある。これがそうは行かない。理事長の心の内をどれだけの80名弱のスタッフが理解してくれるだろうか?独り言が増える時期になりましたよ。

85.ドタバタ

毎度お馴染みの・・・・・。朝の電話は嫌な予感。レスパイトで受けていたAさんのお婆ちゃんが亡くなった。葬儀が終わるまで見てくれないかという連絡があったという。それがまた本人がインフルエンザで熱があるという。どうしましょう?
いやー参ったな!Aさんは動きが非常に多い。対応できる職員には限りがある。それに同時進行で足下もおぼつかない。昨日私の寮のSさんが急に体調がおかしくなり救急車を呼ぶか呼ばないかの騒ぎがあったばかり。朝、どうにか5人の職員が付いて病院で診察を受けたばかり。幸い大事に至らず寮に戻ってきたところ。既にその時間に他の寮のBさんが通院して待合室で待っていた。
今、宮城県では入所施設を解体するという話が出ている。本当にそれで大丈夫なんですか?どれだけのスタッフが地域生活者に配置できるんですかね?ま、いいや。お手並み拝見といこう。浅野知事さんだから何か妙案を持っているんでしょう。
今日は土曜日、朝からドタバタ騒ぎ。レスパイトやらお楽しみプログラムに在宅の方が20名もくる。何しろレスパイトはマンツーマンだからコージネートがドタバタしている。ハーハー言っている。
限られたスタッフで地域サービスをしていくことは危険、それから限界がある。今日はその最たる日になっている。だけどそんな事言ってられません理事長!という声がここのところ妙に大きくなっている。
 理念と実態。これが頭が痛いこと。目標は高く歩みは低く。これ現実!大体人間は自己中心に考えるもの。自分に取ってプラスかマイナスによって相手に対する評価は月とスッポン。大いなるものだけが分かってくれていますよね。神様仏様???様 さま。

86.嬉しかった

『明日 偕楽園に行っていいかなー?』「梅の花咲いたかな.観に行きたいの?」『ウン』「帰って来る?」『来るよ。大丈夫だよ』そんな会話を昨夜私とNさんは交わした。彼は無断外出の常習者だ。入所後1年の間に最初は3ヶ月、2回目は1ヶ月、3回目は1週間と黙ってどこかに行ってしまった。行く先は皆水戸だった。後で分かるのだが偕楽園の辺りに仲間がいるようだ。しかし、今回はどうも違う。本当に観梅に行きたいようだ。彼とは2日前に今度飲みに行く約束をしたばかり。その時も彼は一緒に行きたいと言ってきたTさんがいつ飲みに連れて行ってくれるのか心配しているよと私に確認をしてきた。その約束は今度の土曜日という事になっていた。だから多分大丈夫。彼を信じよう。そう思ってOKを出した。翌日、いつものように朝早くから箒をもって庭はきをしているNさんを見つけた。「おはようございます」とNさん。
「どうだった?梅は咲いていたかい』「満開だったよ。良かったな!」と嬉しそうに報告する。
 良かった信じて。それに嬉しかった。Nさんと心が通じたような気がした。ほんのささやかなふれあいだが普段の疲れが吹っ飛んでいった。

87.足蹴り

葬儀の打ち合わせが土浦の寺であった。寺庭婦人が亡くなり、その段取りを幹事3人で話し合った。終わって帰る車の中で園からの携帯電話を受ける。「成人寮のAさんが今協同病院のICUにいますから、行ってください」とのこと。またどうしたのか?駆けつけるとスタッフ2名が待合室にいた。「どうも意識が無いようなのです」「・・・・・・」まだ、処置室にいるというので覗いてみると、180pはあると思える大きな体のAさんは処置ベットから足が飛び出して寝ている。点滴の真っ最中。これからどうするのか。担当医師の説明。症状からして破傷風の可能性が強い。その処置を始めますということ。そして、ICUにて対応するとのことも付け加えられた。
家族との連絡がとれず、暫く電話や父親の会社への連絡、生憎土曜日だった。点滴が効いてきたのか途中Aさんは何度か体を動かし起きあがろうとしていた。とにかく今日は病院が対応してくれるとなった。一安心
しかし、大丈夫かな!案の定、処置してくれたドクターにAさん足蹴りしてしまった。不安。心配。
何が幸いするか分からない。
救急センター担当婦長がうちの檀家さんだった。「あれーどうしたんですか」「母親の葬儀には大変御世話になりました」
Aさんのベットの脇で私と婦長の奇妙な挨拶。どちらが世話になっているのか一瞬分からなくなった。後でつくづく思った。普段のお付き合いが大切だ。フンフン。
 結果はどうも破傷風では無かったようで翌々日見事(?)退院することとなった。付添体制の勤務を作ろうと思った時だった。ICUの中でドクターに足蹴りする患者さんは今までにおりましたか?と檀家の婦長さんに尋ねようかと思ったが遠慮した。「1周期を何月ごろがやりたいのですが・・・・」なんて話をICUで話したら大変なことになるもの。今回もお陰様でとても良い人達が私たちを守ってくれました。感謝。合掌。感謝。「えーと、5月の第2日曜日は婦長さん、ああ大丈夫です。空いてますから」

88.アンケート

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以前は職員との個人面接を実施した。ここ数年、かけ声だけで実際には出来なかった。私側の理由もあるのだがどうも勤務の都合で巧く時間が合わないのが一番の理由。そこで考えたのがアンケート。これはその都度内容は変わるのだが一人一人の考えが分かるので面接よりいいかなと考えている。しかし、職員からすればどうも一方的で書いたはいいけど理事長からの返事がない。これでは本来の意味がない。そこで一人一人に返事を書くことにしている。
今回は「今年一年で自分が創意工夫して行ったことを書いてください」ということにした。率直な感想だが、人それぞれだなーと思った。だが、職員が何を考えてどう動いているのかは分かる。今の時代、特に変化が激しく先が読めない。このような時だからこそ、一人一人の個性ある実践やアイデアが突破口になると信じている。これはアンテナをより大きく広げるという意味もある。私個人が年間に関わる人間の数と80名のスタッフのそれぞれが関わる人間の数はその家族まで入れれば何百倍である。「こんな話がありましたが、尚恵でやってみませんか!」という話が急に増えた。全て取り上げることは出来ないが、少なくてもアイデアを提供してくれた者はそれなりに自分で調べてくる。実はここがこの一番のメリット。責任ある提言である。
 今回は返事と併せて角田明氏の本を全員に配ろうと考えている。何故、今の時期にこの本を配るのかを考えて欲しいからである。
 私が1年間に読む本は多分100冊以上であろう。枕元には5冊ぐらいいつも置いて寝ている。私の読書法は一気読みでなく乱読である。そして夜中に起き出して読む。もう30年続けてきた。夜中だから完全に覚醒した常態ではないのだが妙に心に残る読書法なのでやめられない。本来人間相手の仕事にマニュアルは馴染まない。臨機応変、要は相手に合わせた対処法でいくべきである。
 

89:障子一枚

障子一枚。やだなー。通夜の晩、斎場の住職控え室は障子1枚で仕切られている。
「本日のお布施はいかほどでよいでしょうか?」{いくらでもいいよ。そちらがだせるだけで}
しばらく押し問答、私の話を信じてくれない。本当にいくらでもいいのですか?といった感じ。かなり無理?して
{いいんですよ。お互い困っているときは無理しなくても}と再度念を押した。それからの話。
障子1枚隔てて今。。。。とか言うフォークソングがあったっけな。なにやらヒソヒソ話が聞こえてくる。それが最初のうちは小さな声だった。それでも障子1枚だもの私には話している内容は良く分かる。それがどうしたことか段々片方の声が大きくなってきた。「あのな。いくらでもいいんだとー」「ファーなんだと?」「あんなー。坊様変わっているからいくらでも良いんだーとよ」「ふあ???」「しょうがねー婆さまだ耳が聞こえねーな。坊さんちょと変だでーよ。お布施いくらでもいいんだとよ」
ああ・・・・もう聞きたくない。これが通夜の始まる10分前。コりゃー福祉よ!気を落ち着けて。にこにこ男だにこーだ。自分に言い聞かせて冷静を保つ。どうも親戚のおばあさん二人が話していたらしい。既に会場では司会者が「人の命は春の花に似てはかないものと・・・・・・・」なんて前段のスピーチが始まっている。
どうして今俺はここにいるんだろうか?なんて今更と思うのだがこればかりは仕方がない。
読経中、さっきのばあさま二人の声がまた聞こえた。まだやってる。いい加減にしてくれよ。「あんなー。あの坊様 変だなー」
「ふあー???」ときた!カッツー

90:お彼岸

春彼岸17日〜23日である。春と秋それぞれの1週間に彼岸という仏教行事が続けられている。我々生きている者の此岸に対して彼の岸、仏の住む世界。川を境に1年に2度渡ってくる先祖。彼岸供養という形で残された者が先祖に感謝と報恩の誠を捧げる。先日,檀信徒研修が有った時に、在家の方から質疑を受ける時間があった。ある高齢の男の方から学校教育の中で何故宗教の時間が持てないのですか?また、坊さんたちはその事をどう思っているのですか?という質問が出された。その人が言うには小学校で給食の時間合掌をしていただきますが出来ないという話がでた。PTAが何故合掌をしていただきますをしなければならないかと校長に詰め寄ったという。昔は大切なお米を一生懸命端正込めて作ってくれた農家の方に感謝していただきましょうなどと先生から話を聞いた記憶が私にはある。それが、今の学校では親が不満を言うのだそうだ。その方は宗教がしっかりしないからだとでも言いたい勢いだった。確かに今の農家では大多数、食事の材料をスーパーなどで買っているらしい。米は減反政策で作りたくてもつくれない。相続の絡みで農家をやっていないと税の恩恵が得られないということで誰かに作ってもらっている農協会員が多い。鳥インフルエンザの問題が終息をみない。広がりが心配。養鶏家にとって死活問題。原因究明すらおぼつかない中でいつ自分の所に症状がでる鳥がでるか眠れない。知人がそう話していた。
 正直食べるものが無くなるという危惧を覚える。
彼岸というこの時期に此岸の問題ばかりが目について仏様も会いに来にくい世の中だ。これをどうすれば良いのか?
自然と共存する人間本来の姿に帰ることだと思う。