源究32

     

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
351 バージョンアップ 4/11 356 これからだー! 4/22
352 事業展開の読み 4/15 357 テロップ 4/27
353 霞ヶ浦マラソン 4/16 358 いつのまにか 4/29
354 自己決定&責任 4/17 359 連休事情 5/4
355 ムダ 4/18 360 推測の域なれど 5/6

351:バージョンアップ

ホームページビルダーを6.5から10にバージョンアップした。ここ数年の間に随分変わったもんだ。最初からこのホームページは師匠に教わりながら自分で作成してきたから、正直バージョンアップに自信持てなかった。実際にやってみると基本操作は変わらず、多くの新たな機能が増えていることが分かった。私は殆ど毎日PCを開く、それにこのコーナー「源究」はなるべく更新を頻繁にやろうと考えている。一番新しい情報を発信しないと飽きられることが目に見えているからだ。対象が最初は檀家さん、次にスタッフ、家族、一般と広がっていったように思っている。アクセスも3万回を越す頃から毎日誰かが覗いてくれているという実感がもてるようになった。アクセスカウントが増えるのが早くなったからわかる。
 まだ、正直のところメールでの問い合わせは少ない。ブログを作成しようとも考えたがまだそこまでに至っていない。PCの知識と技術は初級程度というのを自覚している。自分から発信するだけで精いっぱいだ。
 機械は能力(バージョン)を上げることは可能だ。しかし、人間はそうはいかない。体力などは歳と共に落ちていく。メガネの度数が増えたり、湿布を貼る場所が増えたり、白髪が増えたりと全く増えるものにいいものは何もない。
 明日は全国の会長会議が緊急に招集された。3日前にFAXで流れてきた。予定も何も関係なし、問答無用だ。私など日帰りで充分出席できるが沖縄や北海道の会長は大変だろう。内容は自立支援法絡みのことだ。いよいよ4月よりスタートして様々な問題が噴出したから、さー大変だ!明日は何が提案されるのか。私の初仕事になるわけで,最初から出席するのが気が重い。
 

352:事業展開の読み

景気回復基調がバブル期と同じ長期になっているという。果たしてその実感があるのだろうか?あくまでも数字の上での判断だろうが。小泉政権を批判する人たちの意見として、確かに銀行の不良債権(国や地方自自体のプライマリーバランスの改善は?)は改善されてきたことは認められるが、格差社会の拡大という新たな問題が生じている。
 企業で言えば経営内容がすこぶる良い企業もある中で以前として倒産や会社更生法の対象になっている事業所がある。私の友人が勤める会社が会社更生法にかかり従業員と経営者との法廷闘争の間に入りその調整に大変苦労していると聞いた。
 業績が良かった時は誰も自分の会社が倒産するなど考えない。それが一転して業績の悪化により事業継続が危なくなると労使間の関係は極端に悪くなる。経営トップの力量は当然大きいだろうし、その責任は避けられない。しかし、この辺のトップの経営感覚が微妙になっている。現在でもライブドアー堀江前社長は自らの経営責任を認めていない。更には一連の耐震問題も公には出なくなっている。昨日の話だがテレビコマーシャルに良く出る子犬と男優とのCMで有名な大手消費者金融の実態が暴露され、全国で1800もある店が一時営業停止処分になった。痴呆症や障害者への貸し付けとその取り立てが問題になっている。私のところの利用者さんも借金して返済に苦労しているものがいる。良く聞いてみると簡単に無人店でお金が借り出せるようになっているというのだ。借りたお金は返すんだよと言っても本人はケロリとしている。結果として利息がかさんでしまう。急激に事業を伸ばしているものにはその無理が利用する側に来てしまう。
 これはどう考えても問題が多い。そしてその被害を受けるものは高齢者や障害者など社会的弱者になることが多い。この被害を無くすためにどのような対策ができるのだろうか、正直個人の意志を最重視するという世の中の風潮の中にあって良い手立てが見つからない。「これは福祉現場でも頻繁に起こっていることである。個の尊重の判断は本当に難しいことだ。」むしろ、事業所側へのペナルテイをもっと厳しくするような法的整備が必要だと思う。事業展開をどう考え決断して舵を取るか、いよいよ難しい時代に入った。

353:霞ヶ浦マラソン

恒例の霞ヶ浦マラソンが今日ある。全国から1万人を超えるランナーが集まる。1週間前には会場の市営グランド周辺はテントがいくつもたてられ本番に備えていた。私は残念だがここ3年ほどエントリーしていない。腰の具合が余り良くないので無理しないというのが表向きの理由だが、本心はいかがなものか?
 いずれにせよ、走ることに喜びを感じる人々には今、朝の七時半、テンションが徐々に上がってきている時間だと思う。この気持ちの高鳴りがなんとも言えないし、走り終えた後の満足感は走った人でないと分からない。尚恵学園のスタッフもフルをはじめ、何人か走ることになっている。最悪年休者が出ないことを願う。私の知り合いも走る。殆どがタイムに関係ない雰囲気を楽しむ市民ランナーだ。今、私が挑戦したら制限時間内には戻ってこれないだろうな!バスで収容されるかゼッケンをはずして歩いてくることになる。これでも実は当人は満足なんですよ。
 私は今日は寺の法事が2件入っている。普段寺の都合で法事の日程を調整してもらっているから、マラソンに出るので変更して欲しいとはさすがに言えなかった。何しろ2ヶ月先まで法事が入っている状態。
 今日の天気はマラソンには最高かな?小雨模様で気温も高くはない。適度の湿り気があって日差しが強くないので4月半ばのこの時期にしては一番だ。何しろ30K過ぎるころより毎年、脱水症状で救急車に運ばれる人が多くでる。
 この季節の天候は変わり易いし気温の寒暖差が大きい。「洗濯物が乾かない」「折角咲いた桜が散ってしまう」など天気に対する不満がでる。でも、今回のように毎年暑い中を走る人たち(ほんの一部の好き者?変わり者?)にとっては、今日のどんよりした天気は天の恵みなのだ。自然には逆らえない。人間は自然を変えようとするのではなく、順応する術を昔から身につけてきた。それが今の日本では崩れてきている。昨日,古河まで行って飲む機会があった。そこでのホットな話。「ブータンが良い・・・・」という話に急になった。「昔の日本の自然と人間の温かさが今でも残っている、本当の桃源郷があるんだな・・・!」という。一度訪れたことがあるOさんが言い出した。「そうだ!今年の研修はブータンにしよう」という話で急に盛り上がる。「講演を聴くのは2年間やったんだからいいでしょう。3年目の仕上げは仏教国ブータンで」。実は研修部会の慰労と計画立案のために集まったのでした。ブータンだー?私の知識はインドとネパールの間にある小国で、男性の衣装が着物みたいな格好をしている位しか分からない。でも国全体が3000メートルを超える高地にある、今鎖国状態なのか?いすれにしても実現に向けて気勢を上げた。結局早く帰ろうとの目論みは脆くも崩れ代行で夜中にご帰宅となってしまった。
(注)マラソンとブータンはなんの関係もありません。小生の走れない鬱憤を桃源郷ブータンに重ね合わせただけのことであります。あしからず。
 

354:自己決定&責任

土曜日の夕方、「おれー今日水戸へ泊まるからよっと」「どこへ泊まるの?」「ともだちのうち」・・・・随分変わったもんだ。彼は何度となく、警察へ捜索願を出した方。それがいつの日か自分で帰ってくるようになったのである。ちょっとお金がかかるのだが、彼は水戸から夜中にタクシーでご帰還なのだ。運転手さんも乗せたは良いが本当に料金貰えるのか不安になるようで、何度も今から送りますが大丈夫でしょうかとの問い合わせが電話であった。今朝、彼と顔を合わせる。「どうした?」「桜は散っちゃたわ」昨夜、約束通りタクシーで帰ってきたのである。私たちの現場ではこのようなケースは特異なものかもしれない。しかし、基本的には本人が選んだことを我々が支援するという仕組みだ。だから、今回の改正では利用者の自己負担が大分増えている。
 問題は制度ではない。本人が選んだことまでは良い。何か起こった場合の責任をどう考えるかである。
今回の膨大な自立支援法の資料の中にはその事は一行なりとも書かれていない。不思議だ。
 尻ぬぐいを誰がするのかということだ。
 更に今回の改正を複雑にさせている要因として精神:身体:知的の3つの障害を一元化していることにある。そもそも同じスケールで能力を判定することが無理なのに、それを強行に推し進めようとする。介護保険との将来の合体を目指すというのも実は大変なことだ。保険料の納付年齢を20歳にまで引き下げることが果たして合意が得られるか?事業所負担もあるから、企業経営サイドの了解が不可欠、年寄りの場合は身近に恩恵を受ける方がいるから国民的合意をえることができた。しかし、障害者は過去も将来も少数派である。
 社会的弱者という言葉もふざけていると私は思っている。誰から見ての弱者なのか。奢りとうぬぼれの最たるものを感じる。福祉は本来、心が伴って成り立つもの、それをランク付けとか種別に分ける仕組みはどうしても馴染まない。
 自己決定と自己責任は今後大きな問題として表面化すると思っている。

355:ムダ

政治の世界は私には分からない。しかし。国政に於いて民主党の偽メール騒ぎが一段落し、マスコミの感心は耐震強度偽装の問題に移った。司法の場に移ったこともあるだろうが、関係者が次々に事情徴収されている。その中で明らかにされることもあるだろう。しかし、ヒューザーの社長の「俺が最大の被害者だ」という捨てゼリフがテレビで放映されるにいたっては、関係者の憤懣やるかたない気持ちは想像に絶する。ここまできてまだ何が一番大切かということがあの人には分かっていない。どうしてこのような心境になるのだろうか?
 一方では厚生年金基金による、施設が数十分の1の値段で売りに出される。川越市の武道館はなんと落札価格が1,050円だったという。資金は国民から集めた厚生年金だ。高度成長期には退職する人よりも積立金が多く、かなりのお金が毎年積み立てられた。その資金で福利厚生施設建築を全国展開で行った。その数なんと4000カ所にのぼるという。このツケが今、誰もが呆れるような金額で民間に売り渡される。これをなんと表現したらよいのか。耐震偽装とどこがどう違うのか?はっきりしているのは司法の場に出て一体誰の責任でこのようになったかを国民が判断できない事である。これは政治の問題なのか、行政の見通しの甘さなのか。責任の所在が有耶無耶になっている。そこにきて福祉の無条件での一律カットという問題。今、私ども福祉関係者は眠れぬ日々を送っている。
この矛盾をどう説明してくれるのか?厚生年金は厚生労働省所管になっている。建築費40億かけたものを2億で売りに出した同じ行政である。
 確かにチェック体制にも問題が多い。チェック機関の会計監査院ですら癒着構造が見え隠れする。
ああ・・ため息ばかりが出る。怒れ!なぜ黙っているのか!
 現在国と地方合わせての借金総額1000兆円超す。国民一人あたり797万円!

356:これからだー!

昨日締切での提出書類があった。どうも最近の流れはルールが全く無い。これは上部団体からの資料提出だった。障害程度区分認定に関して、新たな基準で現在利用されている方の障害程度を判定して、その結果を全国で集計して問題点を明らかにしようとする狙いだ。今回の新制度によって従来のサービスが受けられない人が全国ではかなりの数になるだろうと予測されている。つまり、障害程度によっては、家族の事情など関係なく施設(入所)利用ができなくなるというものだ。今回の改正が悪法と言われる所以は他にもたくさんあるのだが、この問題一つにしてもどう考えても誰にもメリットがないことが分かる。先ず、利用者本人にすれば、地域生活推進と称して、何も受け皿のない地域に放り出される。私どもの長年の経験からして、地域での生活が安定且つ充実して遅れる方は1割にも満たないと理解している。この実態をどれだけ認識しているのか?出来ないからこそ支援が必要なのにそこへの配慮が非常に薄い。また、家族にとってみれば
家で見られないから施設へ預けたのに、今回は障害程度によって出されてしまうのである。市町村の福祉で次なる受け皿が用意できるのであればまだ良いでしょう。どうぞお好きなようにやって下さい。そんなものはどこにも無い。事業所にとってみれば、営々努力してきた結果が障害程度が区分が違う(区分3と区分4では全く違う)という1点で退所させることになる。正直、利用料の格差があって利用してもらいたいのだが、事業所サイドに取ってみれば、低い報酬単価の方ばかりでは経営ができないというジレンマが生じる。今回の法改正の進め方に不満がある。確かに国の機関の中で公になる前の検討は関係者(育成会:施設協会など)が委員として立案に参画していた。議事録などを見るとそれぞれの代表者は団体の立場での意見を述べている。だが、立法から4月の実施までの期間が余りにも短く無理があった。一部(在宅サービス)を除けば経過措置があって、準備する時間が用意されているように思えるが、そこにマヤカシがある。付帯決議の条件で法律が通されたという。だから、結論が出される前に未だ検討する余地が残されていると誰しも思っていた。それが上手くやられた。つまり、肝心な報酬単価や今回問題になっている障害程度認定の仕組みについては示されたのが検討する時間など全くないギリギリの3月であった。当然事業所への説明と合わせて市町村への説明が同時進行でなされた。全国所管課長会議の後、ほぼ同時に全国で説明会がなされている。今回の大きな問題は障害程度の判定スケールがどう考えてみても身体的能力の評価が重視されすぎているという事。知的や精神の障害特性判定には馴染まないというのが一目瞭然。その結果としてサービス提供する側からみて本当に手がかかる人たちが身体的に健康であることで程度が軽く見られるという状況になる。障害の特性が判定項目になんら配慮されていないという問題だ。先日の全国会長会議に出席した際に、「国に騙された・・・・」という意見が多く出た。「協会の対応が遅い」という批判もでた。私は今回が会長就任しての最初の会議だった。”それじゃ黙ってみていれば良いのか!””今できることを全国展開して行こう”時間はないが障害程度の問題点をデーターを集めて国に申し入れすることになった。

357:テロップ

テレビの画面に出てくる文字をテロップという。地震情報や緊急のニュースでテロップが使われる。最近地震が多く、その情報は一番早く正確だからとても助かっている。一方、事件絡みのテロップはあまり感心しない。耐震偽装に関する関係者の逮捕報道が昨日は画面を賑わせていた。マスコミ報道の怖いところは、編集者によっていくらでも情報操作ができてしまうことである。意図的に狙ったものではなくとも、リアルタイムでの報道に合わせて過去の報道記録も放送されると、見る側にとってイメージが固定する。昨日の逮捕者には入っていなかった、ヒューザーのO社長は、国会証人喚問での暴言場面は致命的だ。あの時のイメージが彼の全体像を覆っている。何をいってもダメだよ、証拠があるんだから・・・・・といった醒めた視聴者。しかし、本質的にはマンションを大金を払って購入した人たちの補償の問題を誰がどう行うかだと思う。自分は関係ないから自己責任だ。と思っている日本人も多い。しかし、金が有り余って便利な所に終末を過ごす部屋でも買っておくかといった購入者は誰一人いないだろう。むしろ、何十年のローンを組んで購入した人たちだ。事件の当事者(被告)は六本木ヒルズとかなんとか私など行ったことがない億ションとかに住んでいる人たち、格差拡大もこの辺に現れている。時を同じくしてライブドアのHさんが3億円の保釈金を払って保釈されるとかしないとか、テレビ報道があった。
 これを視聴者がどう受け止めるのか?不公平だと感じる人たちばかりだ。
少年の犯罪がここのところ非常に目立つ。社会のルールが不透明になって、責任が曖昧になっている。法律の改正が間に合わない。否、法律を作る機関そのものに問題があると思われている。仏教でいう、無仏の時代になっているのだろうか。
 そうじゃない。決してそうじゃない。少年犯罪の根っこの部分には世に知られない多くの事象がある。一方的な負の情報だけでなく勇気を与えてくれような報道を望む。その一つ、諏訪中央病院の名誉院長の鎌田先生は1歳の時に生みの親から育ての親に預けられた。運転手をしていた育ての親は医者になりたいという先生の夢を貧乏で金が出せないからと反対したという。先生の偉いところは親からの仕送りを得ないで医学部に入り、医者になったこと。その先生が実の両親だと思っていた親が実は育ての親だったという。そのことが分かったのは先生が30歳を過ぎたころだったという。先生の地域医療にかける情熱はすごい。そのエネルギーの源は1歳という赤子の自分を苦労しながら育て上げてくれた育ての親への感謝と報恩の人生なのである。

358:いつのまにか

いつのまにかこの年になってしまったなー!感慨深い。話題のHが生きるのを急ぎすぎたと言っていた。彼は確かに時代の寵児といわれ、国会議員の選挙にも駆り出され?あげくの果ては三畳一間の生活を94日送るはめになった。家賃月200万と言われる自宅に戻り、広いなーと感想を述べたという。そりゃーそうだろう。リビングだけでも43畳あるんだそうだ。保釈金は3億、これは違反をしなければまた自分のものになるという。知らなかった。没収で良いんじゃないの。そうもいかないのかな!さてと、新年度を迎えた。新人さんが尚恵学園にも入った。誠に初々しい。良いな。若いな。先日、県に行く用事があった。県立の施設Aの郷では大分知っている連中が退職したそうだ。ヘーそんな年齢なの?勧奨早期退職というらしい。50代後半の人たちだ。何やってんのかな?ふと自分の事を考えた。「俺には定年がない。」ギクリとした。正直、寺の住職は終身だし、施設も法人の特殊性からして住職が理事長を兼ねることになっている。自ずと終身になるのか!!!
これはまずい。どうにかしないとますい。その日から今日までその事をずっと考えて過ごしている。未だ残念だが良い考えが浮かばない。小泉さんだって9月で交代だ。なにか清々しい印象を最近感じる。サバサバしているという感じかな。それとホリエモンの生きるのを急ぎすぎたという述懐、お前はどうなんだい?と聞かれたように思った。スローライフといっても何をどうしたら良いのか分からない。最近職場まで歩くことを心がけ、田圃道を歩いている。今の時期タンポポやら菜の花が自然に咲いているのを発見。しばし立ち止まったりしている。そこに携帯電話、お客さんが来ているからという呼び出し、この繰り返しをもう何十年も続けている。
 何と比べてどうなのか?先の話ではないが3畳間の体験が自宅の広さを再認識させることってあるんだよな。私も50代半ばを過ぎた。いつのまにか。

359:連休事情

ゴールデンウイーク真っ直中。各地の高速道路は大渋滞、アリの行列ではないが、どうも集団行動をとりたがる日本人の毎年繰り返される風物詩。私の今年の連休は寺の檀務で動けない。葬儀が2件入ってしまったからだ。友引以外には葬祭業は休みなし。電話1本で予定が狂う世界だ。私の友人(住職)が旅行先から電話をくれた。携帯だからどこからかけてきたのか分からない。法事がないので急いで家族旅行とのことだった。急に行かないかと声を掛けられた家族も大変だろう。しかし、彼の人柄だ。いつもどこにも連れていけないから「今だ!」とばかりに目的地も決めず旅先に向かったに違いない。
 昨日は施設の決算処理を1日かけて行った。会計事務所より担当者が朝から園に来てPCとにらめっこ。毎年夜の10時過ぎまでかかるのに昨日は8時には終わった。こちら側も慣れてきたのだろう。尚恵学園はいつのまにか事業を増やしたから12の会計単位からなっている。この1年分を集計し、決算書を作成するのだ。
20日の役員会の前に資料を送ることになっているから、毎年連休のこの時期は事務関係は大変だ。
 5月は田植えの季節、周辺の田圃もトラクターをいれてその準備にはいっている。専業農家はほんの一部だから、自分の休みにだけ農業をする人たちが多い。この時期にしか動かさない田植機など、日頃の点検が充分でないと、うまくかからない。大汗かいてエンジンとの奮闘となる。私はこの時期の神立の田園風景が好きだ。あぜ道にはタンポポなどが咲き、小鳥が気持ち良さそうに飛んでいる風景がある。土浦は霞ヶ浦があって、釣り人が急に目立つ時期である。エンジン音の中で田圃で忙しく働く人たちを横目にのんびりと釣り糸をたれる。アンバランスの中に平和を感じるのだ。世が世であれば、この地域は戦時中予科練があって爆撃にあっている。霞ヶ浦航空隊が対岸に見える。
 連休休みの人も働く人も平和の中でこそ自由が保てる。 国会では改憲OR護憲論議が再燃、日米安保条約の役割見直しの中で外交や防衛の動きが気になりだした。紛争の無い地球がいつになったら実現できるのだろうか? この連休中に少し頭でも冷やして考えたら! それぞれの連休事情でした。

360:推測の域なれど

思うようにはいかない。これ真理である。逆に思うように物事が進んだらどうなるだろう?想像できない。大混乱収集がつかなくなる。だから有る意味では求不得苦(思うようにならないこと)がブレーキ役になっている。人間は自分の一生の中で様々な経験をして歳を重ねていく。喜怒哀楽の感情が常にふりかかる。逆に何もなく平坦な感情のみがその人を覆っていたらどうだろう?そんなことを考える。しかし、現世においてその境地にたどり着くことは至難の業、大体は周囲の出来事に一喜一憂して時を過ごしている。ふとしたことで捨て猫3匹を預かるハメになってしまった。施設の中に誰かが捨てていった。それをスタッフが拾ってきたのである。一つ勉強になったことがある。近くの動物病院へ連れていくと、そこの院長はミルクやシーツをくれた。予防接種までしてくれて、寝やすくするために電気マットまで貸してくれたのだ。全て無料。捨て猫をかってくれる人にはそのようにしているとのことだ。驚きである。何かホットするような気持ちにしてくれた。しかし、ほ乳瓶にミルクを溶かし、適温で一匹づつ飲ませることは大変だ。まだ生まれて日がたっていないから、上手く飲めない。3時間ごとに飲ませるという。ひゃー。残念だったが一匹は最初からミルクが飲めず、亡くなった。境内の隅に埋葬してお経を読んだ。しかし、まだ2匹がいる。
 この連休は施設の中は様々な人間模様が見られる。自宅に帰った方もいるし、GHでの生活をしている仲間が毎日園に来る。やることがないからだ。それから学校が休みだからSSで受け入れる人数が多くなる。
逆に忙しい期間なのである。
日本を飛び出し海外でバカンスという方も何十万人いるとのこと。何が不景気か!少なくとも福祉関係者で今の時期のんびり構えていられる人はいないだろう。4月になってから緊急の全国会長会議が3回あった。9日も招集がかかる。どうも現場との遊離がひどい。数字だけで物事を考えることの歪みが諸にでてきている。
 全て推測の域なれど、自らの足元は自分の目で。