源究28

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
311 社会人基礎力 2/6 316 ワーキンググループ 2/15
312 障害者自滅支援法 2/8 317 情報混乱 2/16
313 ミライ塾 2/9 318 原点に帰れ 2/17
314 厄払い 2/11 319 周囲の不安 2/20
315 現状分析 2/14 320 Tax Office 2/21

311:社会人基礎力

現代の若者の特徴を示すことに、新卒者で就職して3年以内に仕事を辞めるものが1/3いるという。そのために今、教育関係者の関心が社会人としての心構えを教育の場で教えなければという。これを社会人基礎力というらしい。確かにここ数年の若者の就労に対する意識のズレが様々な形で話題になっている。ニートやフリーターもその一つ。何故だろうか?原因は様々だ。更に勝ち組と負け組の二極化がはっきりしてきたという。汗水流して働くことの意義が薄れていることは事実だ、景気が回復基調になってくれば、またまた福祉施設現場の仕事は希望者が減るだろう。今日、心身協の政策委員会があった。新法移行に向け団体として行政への要望をまとめようということで緊急に集まった。もう遅いよという意見もあったが様々な意見がでた。その中で感じたことは、今まで我々がやってきたことが一体なんだったのか!という焦燥感。つまりだ、我々が問題にしようとしている事は、利用者自己負担の軽減、これは一ヶ月何千円の世界なのだ。収入は障害者の場合、大半が年金である。一年間に100万以内の収入だ。そこから引かれる自己負担分を問題にしているのだ。方やである。ライブドアーの問題によるお金の価値が全く夢の世界の出来事として写る、携帯電話一つで何億という金を動かしていた。本当に本当に我々の業界は今のままで立ち直れるのか?二日前に水戸で行った本人部会の大会決議に述べられた、障害を持つ当人の血の出るような訴えをどうしてくれるんだ!某ホテル社長の言語道断の障害者無視の発言、今、ごめんなさい私が悪かったですと全くその言葉尻からは真意を感じない彼の謝罪のことば、ふざけるな。あんなホテルにだれも泊まらなければ良いんだ!ボイコットすりゃー良いんだよ。でも怒らない日本人が多い。知ったこっちゃーねーよ。安いから良いんだよ。俺は利用するよ・・・・・。日本人に怒りが無くなった。絶対に許せないという価値基準がない。社長の超豪華な自宅がテレビで紹介された。「これは当に末期症状、豊かさの影に大勢の人の涙があることを察することができない国は滅びる」と思う。これは勝ち組と自ら思いこんだ輩の奢りでしかない。平家物語ではないがおごれる者は久しからずだ。戦後60年は得たものもあったが、大切な大切なものを失った。
社会人基礎力というよりは日本人基礎力と言うべきだと私は思う。

312:障害者自滅支援法

あくまでも風評である。今年4月にスタートする新法は別名『障害者自滅支援法』という噂だ。嘘か本当か?貴方の意見はいかがなものか。確かに頷ける所も多々ある。何しろ変化のスピードが半端じゃない。今、情報ばかり錯綜してしまい、関係者を不安の谷間に突き落とす。これが改革というものですか!私が頷く点として、先ず@番目は入所型の施設で利用されている方が病気で入院した場合、従来の支援法では八割の費用が施設には入った。だから職員を配置できた。今回の改正は、多少の配慮があるにしても基本的には入院時は収入がゼロになるという。尚恵学園の場合、利用者が九割以上重度の障害の方である。そのため入院した時は付き添いを付けないといけない。毎年三人以上の人が入院する。そうなるとだ、付き添いに回す職員の手はずができないばかりか、三ヶ月も入院した場合100万位の費用が減額になる。これではたまったものではない。いかなる廃止の根拠があるにしても私が納得できない今回の改正の最大のものだ。A番目、収入のない人からも負担金を取ろうとする、介護保険と同じ論理を障害者に当てはめることにも納得できない。お金がなければサービスが受けられないという事態が生じる。3年後に介護保険と合体を目論んでいいるとか、しかし、20歳から保険料を支払うのに国民的同意がえられますかね?更に、GHの運営基準を大幅に改正したこと。実態を理解した上で改革を考えたのかと疑いたくなる内容、全くひどいものだ。施設敷地内はダメだとか認めろという審議会レベルでの論議はあったと聞くが、これだって本末転倒の議論だ。
 今度の改正で事務量が一気に増えるだろう。福祉は本来デスクワークに手間暇かけるべきじゃないという私は持論であるが、このままだと脆くもこれは藻くずと化す。
 いずれにしても障害者自滅支援法とは良く言ったものだ。しかし、冗談じゃないと言いたい。反発を恐れてか肝心かなめの単価基準の公表を遅らせることひどいものだ。このままでは見切り発車するしかない。この制度はかなり時間をかけて前から練ったようだが、その担当者も言い分はあるだろう。毎日徹夜だったかもしれない。聞いても教えないだろうがな。これも全てお金が絡んだ話。金が無いからどうしようという改革の発端が不純だ。しかし、私は良く精査してみる必要はあると思っている。対象者が障害者という全く同じであっても、金を消費する部門によって偉い違いがあるんだ。今、社会保障費用が膨大になっている。高齢化による国としての対応費が毎年増加しているからだ。しかし、教育の場はどうだろうか。1日24時間という中で公平な消費と考えると、教育費にかける費用は福祉にかける費用とは比較にならない。1日8時間労働と24時間労働の違いは大きい。この実態に誰も目を向けない。憲法で定めた教育を受ける権利は確かに重要だ。しかし、私は言いたい、人間が人間らしく生きる権利は教育以前の重要な国としての基本的な責任だと。それが認められない国はこれまた自滅するしかないだろう。

313:ミライ塾

地元若手2代目の経営塾がある。某会計事務所主催だが、実は私が1コマを担当することになった。そして、昨日は過去6回のセミナー講師がシンポジストになって総括セミナーが開かれたのだ。地元病院の理事長や会社の創業者の中に私も紛れ込んだわけで、どうも違和感があった。塾生も半分ぐらいは知っている人たちだった。皆、親父が私と同年齢の年代でその子供だ。
 2代目がこれから元気をもちながら希望に満ちあふれて後を継いでいくにはどうしたらよいのか?これがミライ(魅来)塾のねらい。先輩である講師?が自分の人生を振り返りながらおしゃべりする。私は何を前回話したか良く思い出せない。思いつくままに適当な話をしたんじゃなかったかなー。しかし、塾生の参加態度は非常にまじめで真剣そのもの。逆に圧倒されてしまう。今の時代、だれしも先行きに不安を感じている。そして、親父の仕事を継いでいく若者は不安とプレッシャーに押しつぶされそうになっているのも事実だ。塾生から予め事務局が質問を取っていた。@経営で一番大切なこと。A)利益、キャッシュ  B)経営理念&やりがい  どちらかを選べという質問だ。このような質問が10問用意されていた。二者択一、こっちだと確信をもって選べる内容ではない。最近の様々な事件を思い浮かべてしまうと、どうも将来が厳しくて大変だぞ!おい!という話に落ち着く。事業の成功とは何か?創業か守成か。私の本業は寺の坊主である。福祉の仕事は正直、枝葉のこと。否、そう言っちゃおしまいよ!むしろ仏教の教えを実践でおこなっているといったほうが正しい。でもな、こう言うと、なんだ住田の奴!格好付けてということになりかねない。人間って所詮そんなもんだ。これ否定の否定論理、般若心経の世界に入り込む。
 結論からして、人間は一生悩みながら生きていくことに変わりない。思うようにいかない人生が仏教本来の真理だ。ここで私は納得。若者はまだ半信半疑、無理ないよ。俺だってそうだもんな。

314:厄払い

数え年42歳で厄払い。私の住む地区で昔から行われている。今日がそうだった。神社で厄よけの御札をもらってっきて組の人たちが飲み食いする。どこが厄払いなのか?お酒で厄を落とすらしい。私も15年ほど前にやってもらった記憶がある。23件全員が出席、午後1時から公民館の和室で始まり、約3時間おしゃべりして時をすごす。なんてことはない。ただそれだけのこと。しかし、昔常会というものが田舎にはあったが、その役割もこの厄払いの行事で兼ねている。厄払いされる当人など関係なく、次期の区長は誰にしますか?とか、神社の世話人を誰にすんべーなど。今、このような場が少ないから、様々な話がでて結構面白かった。神社の世話人に私がなれという同級生がでてきたのには参った。お寺の坊さんが神社の世話人ではちょっとまずいかな!丁重に遠慮した。一段落すると本日の厄払いを受ける当人、今回は2人、を3人で自宅まで送るのだ。そして、自宅でまたご馳走になる。これが恒例となっている。だから、残った連中はまた車座になって送っていった人が戻るまでおしゃべりをする。これが結構情報交換に良い。県の部長までやった人も○ちゃん、あのよーとか飾らない話で盛り上がる。送っていった連中がなかなか帰ってこないので、みんなで先に帰ってしまおうかなど。皆さん適当だ。2組の送り手が帰ってきてから、またしばらく話で盛り上がる。昔を知っている仲間は良いなとつくづく感じた。

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315:現状分析

障害福祉の分野は今大混乱している。新法の導入に際し、未だ詳細が明確にされていないからだ。新単価の告示が予定より大分遅れ、4月スタートというのに噂では3月1日の全国主管課長会議に発表されるとか?現場の混乱は相当なもの、国の明示がないから県もどう動いて良いのかわからない。市町村は4月からの新法スタートに向けて住民への説明会を見切り発車して始めている。末端の我々現場はそのようなトコロテン式のやり方に対応出来るわけがない。諦めではないが正直動けない状況がここ半年続く。政治への要望で年金問題が1番で景気対策は2番という。これは景気回復の現れなのか?しかし、公的(自自体など)の財政状況は一向に改善されていない。むしろ、土地価格などの下落の影響を受けて公社関係の赤字幅が増えている。茨城県も県債務が1兆6千億円あって土地開発公社などの評価損額が660億円に達したという。この減額分を県が肩代わりするとなれば、言わずと知れず福祉予算が無条件でカットされるだろう。国は交付税を増やすことで余分な?歳出カットができる。事業とスリム化された交付税で市町村が事業を義務化されては市町村の持ち出しが多くなり、その負担に耐えられない。京都市や横浜市など財政に余裕がある市は今回の自立支援法に対しての独自の助成措置を既に打ち出している。しかし、これはどこの市町村でも真似ができることではない。とするならば市町村格差が今まで以上に広がることは明らかである。また、もっと現実てきな問題として、福祉サービスを受ける受益者負担が増えることでサービスがあっても自己負担金が払えないのでサービスを受けられない事態が発生する。現に私の施設でも契約段階での説明で問題が出るのは明らかだ。ここ数年の間に、様々な問題が表面化して、その実態が知らされる毎に憤りが噴出した、次から次へ新たな問題が出る毎に慣れてしまい、唖然とするだけで不満を言う気になれない。湯水の如く全国に建設された厚生年金を財源にした保養施設などは大半が赤字経営で相手の言う値で評価額の1割程度にて売却されている。そして担当者の責任が有耶無耶にされて、誰もその責任を負うものがいない。立て直すといってもどこから手を出せばよいのか。民間企業は事業が成り立たなければ倒産や会社更生法にかかる。経営者は財産を全て処分してその責任を果たす。公的機関はそれがない。
 社会福祉法人は民間といっても設立に際しての条件があって純然たる民間企業ではない。税制での優遇がある反面いろいろと事業運営の規制がある。今、私が現状分析できるのはこの辺まで、先行きのことは無責任に言うべきでないと思っている。

316:ワーキンググループ

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今日は葬儀があり、終わってから水戸に向かった。自立支援法の県からの説明があったからだ。当法人からも主任が4名参加している。私は途中から参加したが300名入るホールが満杯だった。誰も居眠りするものがいないと事務局が話してくれた。始めて聞く話ではないが、感心は強いという証拠だろう。土浦に戻ってから幹部職員と打ち合わせを食事しながら実施、これからどうやって行くのが良いのか?みんなに考えてもらいたいと伝える。1時間ほどの話し合いだが既に情報がかなり入っているお互いだから何を問題にしているかは直ぐに通じた。そして家族会の代表者への相談、たった今、Y会長より電話が入った。ワーキングチームをつくらないとダメですね。意見が一致。今回の新法への取組は前向きに評価したい。千載一遇のチャンスとみるべきだ。今までの歩みを見直す良い機会と捉える。職員や家族が一緒になって考える土壌ができたわけだから。
 課題は山積だ。私の一生をかけても足りない。とにかく今できることをしよう。それが一番だ。自分に言い聞かせ、奮いたたせる。何も刺激がない状況でじっくり考えてみたい。舵取りを間違うと遭難するかもしれん。そうなっては元の木阿弥だ。いよいよトップの力量が試されることになるな。
 トリノオリンピック日本勢は完敗だ。勝負はやってみないと分からない。戦前の予想が当たった試しがない。
 みんなが必死になるからそうなんだ。果たして福祉の関係者が必死になれるか否か。そこが問われていることに早く気づくべきだ。
 

317:情報混乱

幸い私は県をまたがって福祉関係の友人がたくさんいる。今日も埼玉と栃木の仲間と電話でのやりとりがあった。今回の制度改革の特徴は地域の判断を重視するというものだ。財政規模の違いがあるが、金に直接関係ない事業も地域の選択を重視するという。茨城県は約300万の県人口がある。そして、市町村合併が関東では一番進んでいる県だと聞いた。県土が平坦地であるという自然条件も大きい。どことでも合併できる地理的条件があるからだ。土浦も今月20日に新治村との合併を控えている。行政もその準備には大変な労力をさいている。今度は障害者福祉計画というものの策定義務が課せられる。地域の目標やニーズを3年ごとに数値化する。その計画に基づいてサービス体制を整える。この辺が実は上手くすすまない。隣同士の町でも格差があるからだ。どちらに水準を合わせるか。水が低きに流れるように低い基準に合わせられてはたまったもんじゃない。これだけは注視しておく必要有り。
 それからだ、行政の判断がここまで違うのかという現実に直面して戸惑っている。今の状況で制度改革が進んでいけば、明らかに多くの問題が生じるだろう。規制緩和は良いようで実は道を外せば偉い問題になってしまう。
 そこを誰がチェックするのか!どうもこのチェックシステムが定かでないように思える。
 サービスの提供者と受益者とのトラブルが増えるに違いない。それを事業所と利用者だけの双方の問題としてだけ考えて良いのだろうか? 明日県の第3者評価委員の研修に研修生5名が来ることになっている。行政監査ではない評価受診のメリットがみえてこない。
 収集がつかない事態になるのではないのか!
 情報は自らの進むべき方向を決めるのに判断材料になる。情報を見極めトップ判断をすることの重要性が増したことだけは確かだ。

318:原点に帰れ!

愛が有るから生きられる!

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遺伝性の難病は15000位あるという。無痛無汗症やレット症候群の子供達のテレビレポートがあった。正直目を疑う状況があった。少数なるが故になんの援助もなく片隅に追いやられてしまっている家族。涙無くして見ていることが出来なかった。何故私の子がこのような病気にならねばならないのか!現実を受容するのに言葉で言い表せない程の苦しみがあったにちがいない。離婚をして母と娘だけの病気との闘いの日々、娘は日中養護学校に通い、母親は生活の為に夜勤のある仕事に就きながらおばあちゃんの手助けを得て必死に生きようとしている。これが現実である。今、巷で問題になっている自立支援法の行方は、本当にこれらの現状に目を向けているのだろうか?日本の福祉、医療どこか変だと感じているのは私だけではないはず。障害がある人が地域で生きる、確かに脱施設化など言葉だけは立派で受けが良い。障害を持つこと無しにこの世に生まれた者は15000という原因不明の難病と闘う子供達に顔向けできない。障害だけでなく、本当に助けを必要としている人がこの世の中にはたくさんいるんだという事を忘れるな!至れり尽くせりの高齢者対策、制度を初め財源確保が整っている。対象者の多少によってここまで開いた格差、根本的な対策は日本人として一人の人間をどう見るか、ハンデイを持つ人たちが片隅に追いやられてしまう世の中は絶対に間違っている。少なくとも現在の老人対策に掛ける費用の5%を回せばすむと私は思っている。老人の生き甲斐は決してホテル並の快適な?施設に24時間無為に過ごすことではなく、自らが歩んだ人生の総決算ができる環境と思いやりのある社会に人との関わりの中にこそ存在する。
 一方、、どこまで発展するのか分からないライブドア事件の論争。拝金主義が大手を振って闊歩する。これが現代の英雄気取り、何がセレブだ何がヒルズだ、ふざけんな!人の涙を忘れたにわか成金の行く末は奢りによって倍加され奈落の底に落ちるのだ。その事を何故気づかない。残念だ。マスコミの報道に感動がもてない。興味本位の追っかけ報道、理念が感じられない。これだってマスコミの責任だ。政治が悪いのか、元々政治によって救われた試しはないではないか。人の喜びや癒しは決して華やかな脚光浴びる表の舞台では無かったはず。その事に何故気づかない。難病と闘う親子の姿は株の上下で一喜一憂するものとは異次元世界。彼らの生きるそのままの姿が見る人に感動を与え、自らの生き方に反省し、明日を生き抜く力を得る。政治やセレブと言われる特権階級?から感動や力を感じますか?自分の一生を長く感じるか否か?病気をして始めて健康の大切さを知る。
 私腹を肥やすものは仏教の餓鬼道に落ちるものだ。『300億の財産を持つ者は何に一番感心がありますか?』との質問に『500億に増やすこと』と答えたという。これなど当にガリガリ亡者の典型だ。科学的でないと一笑に付され迷信だ、脅しだと相手にされない今の時代。宗教家の本来の有るべき姿は、原点は、今、私は梅原猛の書いた「親鸞の告白」を読んでいる。時の政権とくっついた宗教家は庶民の本当の心を掴んでいない。良寛が童歌を歌い子供達と戯れる姿、今の仏教にその価値が生かされているだろうか!これ以上内情を告発するには忍びない。せめて世の人と共に感動し、共に涙する坊主でありたい。これが30年前に飛び込んだ私の偽らざる原点ではなかったのか!いまこそそこに帰るべきだ。

319:周囲の不安・・・

昨日は法人全体の家族会、4月から変わる新たな制度の説明を実施、ここで判明したことは、市町村の対応がばらばらということ。説明会を既に実施したところもあれば何の連絡もないという所もあるようだ。これで4月から一斉にスタートできるのだろうか?
 それから、周囲では不安の中で右往左往している状況だが,当のご本人は全く関係ないといった感じ。これも何か変だなー!だって今度の新法の目玉は利用者自身が選択するということだったはず。知的障害者は違うよという声も確かにある。しかし、制度に当てはめるのにその辺の配慮が感じられない。本音と建て前論か。
 そして、昨日の親への説明、こちら側としては最新の情報を準備し、どうすれば理解してもらえるか事前に何度も打ち合わせしてきた。結果は?。1級2級という年金の取り扱いに対しても個々の受け取り方が違った。何人かは無年金の方もいるから、説明が複雑になってしまうのは避けられない。そこで、今回は個別面接の形をとり、個別に説明することにした。個々の状況が分かって良かったと思う。利用者一人一人はどう感じているのだろうか?これを理解するには大変だ。彼らの場合は支援者側が細心の注意をしないと大変な事になる。投薬一つにしてもそうだ。彼らは薬の副作用や飲み合わせの注意などは殆ど理解していないからだ。特に複数の病院にかかっている方の場合はそうだ。今回の改正で自立支援医療という新たな文言が現れた。障害特性によって長期間継続して医療を受けている場合、例えば精神科の薬などが対象となる。この医療費に関しては利用者個人の負担がない。ただし、風邪などを引いて受診した場合は3割の負担がかかることになった。彼らの収入は正直年金だけである。学園の試算では、月々の経費を差し引くと残りは殆どゼロ、小遣いもなくなる。入院したりしたら大変だ。この説明をしたものだから周囲つまり家族は不安がたかまってしまった。障害者は病気にもなれないのか!これは私どもも同意見、共闘で国に訴えるというには既に遅い。
 3年後の見直しまで待てない事態が全国で吹き出すにちがいない。それを地方自自体で個々に対応しろと言っている。社会保障費や医療を押さえることは今の日本の財政状況から理解できる。しかし、不公平な取り扱いには異論がある。有るところからは取ってもいいでしょう。でも月に1万円しか残らない彼らから絞りとるような政策はGNP世界?位の日本の取るべき道じゃない。

320:TAX OFFICE

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Tax Office なんて英語使っちゃって!何気取ってんのよ。実はたった今土浦税務署に行って来たところ。最新の情報なのです。私は毎年確定申告を自分で行っているんですが、昨年頃からかIT化が進んじゃって自分でパネルに打ち込み書類を作成する仕組みになっています。どこの税務署もこの時期は活気?があるんですね。駐車場係のおじさん達も神社の縁日さながらに張り切っちゃっているんです。申告に来る人は皆さん茶色の封筒を持って何か気が進まない足取りで歩いてきます。今日も全く同じ風景だった。順番を椅子に座って待つんですが、その間の人間模様が実に面白い。笑っちゃうんですねこれが。60歳過ぎのおばさんが二人大きな声で話している。「わたしゃーここに居ると胃が悪くなっちゃうんだよね」「昨日は月曜日やけに混んじゃってね。買い物してここに来るの忘れて帰っちゃった!」「無いところからなんで取るのかねー」「わたしゃ。足が冷えて嫌だね。毎日医者通いだもんね」
どうもいつまで聞いていてもお互い話の歯車が合わない。私と同年配の男性二人、一生懸命申告書を書いている相手に「よーガンバレヨ」と声をかけて潔く出て行った。多分、自分の計算が間違っていて、予想に反して還付金が入るんだな。これ椅子に座って順番を待っている皆さんの一致した見解。ちくしょー上手いことやって。
 税務署の職員の方も嫌だろうな。申請者が皆睨んでいるだもの。「お前らは俺が払った税金で食っているんだかんな、分かっているんだろーな」といった茨城弁の目つきに晒される。お互いがこの1ヶ月はストレスの中、それじゃー止めちゃえば!そうは行かないわな。他の国はどうしてんだろう?あ・・そうそう。Tax Officeは『税務署』という意味であります。