源究96

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1431 匍匐前進 4/1 1436 およばぬこと 4/6 1441 夢?うなされ 4/11 1446 焦眉の急 4/16
1432 生きざま 4/2 1437 つれづれと 4/7 1442 心の準備 4/12 1447 紙一重 4/17
1433 喜び 4/3 1438 灌仏会 4/8 1443 人の流れ 4/13 1448 話の難しさ 4/18
1434 五大願の一 4/4 1439 獅子身中の虫 4/9 1444 大声コンクール 4/14 1449 気付き 4/19
1435 五大願の二 4/5 1440 handmade 4/10 1445 常套句 4/15 1450 出会い 4/21

1431:匍匐前進

平成22年度が今日からスタートします。月並みですが新たな気持ちで第1歩を踏み出します。
 私が良く聴いているNHKラジオの「こころの時代」が「明日へのことば」というタイトルに変わりました。なんでも教育テレビに同タイトルの番組があり、紛らわしかったという理由からでしょうか、その辺の事は分かりません。でも何かを感じます。やはりなんやかんや言ってみたところで、人間は長生きしたいし、出来れば健康で過ごしたい。これは本能です。猫が怪我をすると盛んに自分で嘗めて傷を治します。これだって本能です。
 人間の煩悩を仏教では108に纏めています。これも便法で何も108個に限らず、それ以上それ以下でもないと言うのが本当ですよ。どちらにしても生きているという事には”苦”が付きもので、こればっかりは仕様が無い。でも”苦”という意味の解釈を”思うようにならないこと”と考えれば誰しもが頷く事実です。
 人間の生きた証は、生きた長さでは測れません。それじゃー何か?言わずもがな、どれだけその人らしく生き得たかということになりますよね。後々思い出してもらえるような一生を終えれば最高でしょう。それが出来なくとも、せめて一人でも認めてくれる人がいれば・・・・・
 年度初めにしては、どうも湿った内容になりそうです。ちょっと変えます。
匍匐前進という言葉がありますが、敵の銃弾に当たらないようにしながら進むわけです。でも、いま日本人のどれだけの数の人が実際に戦地で匍匐前進をした経験を持っているでしょう。1割にも満たないかもしれません。日米の軍事協定の話は、将来起こるかもしれない想定に基づいて行われるものです。冷戦構造の終結で明確な敵国が無くなった。でも、紛争は以前としてなくならない。むしろ増えているのではないでしょうか?ですから有事の際の我々のスタンスが問われるのでしょう。こればっかりは永遠に続くことかもしれません。
 ロシア周辺で俄かに活発化しているテロ、いくら監視カメラを設置しても防げない現実があります。強権により統治しようとすれば必ず水漏れが生じます。どうも民主党の選挙手法を見ているとその影を感じてしまいます。偏見でしょうか?民主主義を掲げる割に上意下達が多すぎます。なぜそのような事が許されているのか、メデアの報道の仕方への批判もありますが、決してそれだけではありません、私自身も実際に感じますから。国を私物化しようとなど考えてもいないと思いますが、実際に行っている事はそれと似た事です。どこにその大義を見つけていけるのでしょうか?
このままではドンドン政治から離れてしまう人が増える。
 今年度は批判のみに終始するのではなく”明日”を意識した自らの立つ位置を求め続けていこうと思います。
その第一弾として、本日、新採用職員6名への辞令伝達の時に一つの提案を考えています。自ら考え行動する。そのコンセプトを育てたいと訴えようと思います。
 従来の施設福祉の猛省に立ち、出来なかった事に決して自ら言い訳などせず、匍匐前進する。そんな組織作りを目指します。果たしてどこまでできるか全く予測できません。しかし、だれしも後悔の人生を送りたくないはず、その原点を忘れることなく挑戦してみたいのです。
 既成概念ではなく、これぞ驚きといったアイデアを期待し、失敗を恐れず実行する。その覚悟を決めました。

1432:生きざま

年度当初から重たいテーマに向かっている。【その人らしさ】という事である。あくまでも本人がそのように感じているか否かの問題ではなく、私から見てという限定的なものとしてである。
 もし貴方が死を意識した時にどのように立ち振る舞うか?多分大半の方は、信じられない事が自分の身に起こったという事を中々受け入れようとしないだろう。現実を夢の如く捉え、夢を現実のように願う。そして、徐々にその人らしく自分におこっている現実と向き合おうようになっていくのだろう。
 その時間の重さをどう表現すれば良いのか経験がない人にとって正直分からないことかもしれません。いずれ誰しもが自らに死が訪れることを知っている。私は僧侶という職業にある。亡くなった人への供養のプロという想いは正直、薄いのかもしれません。
 遺族と話していて、いつも感じています。傍に付き添った家族が一番大変なことを、そして本人にとってもその存在が掛け替えないものであることを。
 体を絶えまなく襲う痛みにじっと耐え、ベットに横になり何を考えて良いのか分からず、只管、回復を念じてすごす。
 時々、訪れる見舞い客に自分の思いを語る。その言葉は実に重い。ああ、こうやってこの人は生きてきたんだと思うと様々な過去の想い出が浮かんでくる。
 私自身の事を言えば、こうやって恥ずかしくも無く書き続けているのは、いまの自分を何かに書き残したいというトラウマ(?)、詳しくは触れないが私にとっては今ここに私がいるという事を決定的にした出来ごと、それは9歳で事故死した兄の存在なくして無いと思っているからだ。なんと還暦を迎えるいい伯父さんの私が生来持ち続けている確信なのだ。もし、突然自分がこの世から去る事態になった時の事を思い描く。何もそんな風に思わなくたってなるようになるさというもう一人の自分もいます。
 福祉という名前に60年もぶら下がって生きています。数えきれない程、名前の由来を尋ねられ、そのたびに適当に答えてきた。満足できることなど未だ嘗て一度も無い。薄ぺっらで格好付け似非福祉家を演じてきたという思いが正直ありますよ。
 朝、本堂に飾った仲間達の遺影、これがあるからやって行ける。そして彼らの目は私の全てを見通している目だ。
今までそしてこれからも時の政権の思惑に揺れ動くはずだ。そして行政に対しての私の考えを一方に偏した見方だと現に長く公僕として頑張ってきた方からお叱りを受けている。
 これは私自身の負い目が根底にあることは自覚している。私が育った時代、昭和20年代〜30年代、父は寺の住職と県庁(児童相談所)そして尚恵学園の3つの仕事を掛け持ちをしていた。それも国の助成など全く無かった時代、どうやって職員の給与を払い、子供たちの食事や寮を作ってきたのだろうか?
 それは自分の身を低く置くことで絶えてきた。職員には「いつも給料が少なくて申し訳ないな」、園生の家族には「ボロ屋で悪いな!」、檀家には「ちょこっとおがむかんな」と常に笑いながら話していた。来客がくるとボンジュールが定番の接待?コース。しかし、普段は決して贅沢はしなかった。そして、水戸材木にはよく足を運び古材を買ってきて寮の修繕をしていた。
 ・・・・・その当時を知る人が本当に少なくなり、家族会も地域も今の尚恵学園の姿だけを見ている。昔だったら許されたことが今は許されない。ハンカチ一つ間違っても苦情がくる時代になった。正直、ハンカチを間違うことがそんなに大変なことなのかという想いはある。もっと大切なことに目を向けるべきでしょう。貴方のお子さんの将来のことや、健康のことなどを
・・・でもこんな事を私が一言でも言ったら苦情が殺到するかもね。
 私共は「共生」を掲げる。これが大変だ。基本的には私共を信じられない人(家族)を引き受けても駄目だという考えはある。信頼関係は一方的ではできない。独善的という意味では無く、出来ないことだって間違うことだってあるでしょうという話。
 毎日、何かのミスがないかとチェックされるような関係で決して良い仕事はできません。
 ま!受けて立つ覚悟は最初から持っている。逃げて済む話じゃーありませんからね。

1433:喜び

野辺にはかげろうの立つ頃となりました。卯月、車で小学校の脇を通ると新年生を迎える準備と異動によって新たに赴任された先生が挨拶している処に出くわしました。1年生の親たちは不安と期待を持って我が子を送り出す、周囲の木々は芽を出し始め、この時期の主役たる桜の開花を心待ちしている。
 ちょっと目を周りに向けただけで様々な模様が見て取れる。日本は縦に長い、桜前線が徐々に北に上がってくるのを待つ楽しさは昔からあった。昨日の強風は折角咲いた桜の花を散らしてしまうのかと誰もが心配したけれど、しっかりと花を付けて私達の楽しみを裏切らなかった。
 ここにきてまた政界の水面下での動きが活発になり始めている。新党の立ち上げを画策する人、組織の引き締めに躍起になる人、相も変わらず有権者不在の探り合いが繰り返される。
 喜びという事が何か薄ぺっらになったように感じている。その場凌ぎでバランス感覚が悪い。本来、政治を志す者は、国の為に身を粉にして働く信念があったと思う。それが、どこにくっついた方が自分にとって是となるかが最優先となってしまった。だから国民が隅に置かれてしまった、本末転倒の出来ごとばかりが目立つ。
 果たして政界再編があるのだろうか?政権を担えば必死になってしがみ付く、ありとあらゆる手を使って。
 
「社長というものは、心配するために存在している。それが運命であり、宿命であり、さらに生きがいであると思えないようなら、やめたほうがいい。」(『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』松下幸之助著:PHP)

 膨大な著作の中で彼が伝えたかった事は、成功の陰の絶えまぬ努力それと1日たりとも悩まぬ日が無かったという煩悶の日々、奢らず怠けず、只管に世間様に喜ばれる物作りに徹っしてきた松下翁の生きざまだ。
 ややもすると、苦しさから逃げ出すことばかり考える、そして楽な仕事楽な仕事と捜し求める。翁が松下電器を世界的な企業にまで育てた苦労は想像に絶する。果たしてその精神が後を継ぐ者に上手く伝わっているのだろうか?時流に乗り続けることは至難のこと、松下という社名からパナソニックという名に変わった。
 多分、翁が今も生きておれば、そんな事は構わないと言うに違いない。会社を私物化などしない人だもの。
 いつ頃からだろうか、政治家が自らの蓄財に走るようになったのは、バッジの旨味というのか利を得るための手段となった。この状態が続けば国は滅びる。
 どんな理屈を付けても国会議員になれば身に付けるものが変わる。良い例が高級車を玄関横付けして疑問を感じない。何様だと思っているのだろうか?国会に電車通勤しろよ。いま、悲惨な事故で電車がストップすることが毎日のように起こっている。それを体感しろよ。
 そして言う事はご立派、子育てできる環境が揃っていない・・・云々。やっていることと言う事がここまで乖離した原因がどこにあるのだろう。はっきり言えば我々有権者にその責任の半分がある。バッジにごますりまでして要望を通そうとする。どっちもどっちだ。お互いが信頼関係が無い中で甘味を得ようとする。餓鬼道と同じ状況だ。
 この意識の変化がなければ、当分、実態は変わらない。そしてどんどん孫子の時代にまで負担を残す。
 喜びを感じるためには、それ相応の苦しみと耐える気概が必要、否、松下翁が言われるように苦しみを生きがいと思う段階までいかないと本当の喜びは掴めないのかもしれない。

1434:五大願の1

五大願の一として「衆生無辺誓願度」というものがありますが意味としては限りない多くの人びとを間違いなく度せんと願うことになります。「度せん」という言葉の意味は、難しいですね。渡すという意味があり、彼岸に渡す、悟りを得させることだと言われます。
 こんな事解っているよと言われてしまうかも、でもどうでしょうか?「彼岸」を体験した方がこの世にどれだけおられるか?私共一応プロの坊さんが方便として語ることはいくらでもありますが、果たしてその方が実感として確信しているかどうか。
 最近私のお寺に来られる方で大切な人が病気になり、先祖の供養をしていないからだと言われたので供養したいという方が続けて来られました。そんな時どうするか?私は話を聞いて、ご本人が気が済むような形にさせていただきます。
 それでほっとしたような表情になられ、帰っていきますが、後で結局駄目でしたという電話を頂いたりします。信心がたりないとか何かの霊が付いていると脅かされ、眠れないという方もいます。どうしてそのような事を言う方がいるのでしょうか?私には理解できません。
 大分昔の話で恐縮ですが、尚恵学園の行事で親子宿泊にいくと、子供たちが寝静まった頃、親たちと朝方まで話し合ったことがありました。そんな時、誰かが口火を切ると次から次に出てくる話は決まって姑から虐められたとか親戚から冷たい仕打ちを受けたという話です。
 どうも世の中には歓迎できない事が身に起こるとその原因を誰かのせいにしようとする傾向があります。その場合、大半が母親への批判です。そうでなくとも障害がある子供を育てていくのは大変なのですが、追い打ちをかけるってことになりませんか。
 そこで自然と同じ悩みを持つ人達の集まりが出来ました。悩みの共有です。不治の病と医者に告げられてしまったとか最近では会社が倒産したとかという後が無い状況に追い込まれた時も同じです。
 すると人間は心の中にある感情が芽生えます。妬み・羨み・引け目・悔しさです。結局、自分と比べ優れた?悩みがないように見える他人に対する感情です。「隣に蔵が建つと腹がたつ」ということでしょうか。
 結論から言えば、どのような状況にあっても、ご本人が窮地を乗り切らなければならないことです。前項で紹介しました松下翁でさえ、一日たりとも悩まなかった日は無かったと述懐しています。これが実態ですよね。
 先ほどの「度せん」という言葉に尺度を表す意味があります。仏教では輪廻転生説がありますが、これも方便です。この世の行い次第では次に生まれる社会(道)が違うという。そこに戒めや導きの意図があるわけです。実は、これが厄介なんです。相手への脅しに利用されるということに成りかねないからです。
 お釈迦様は、そのことを強く否定しています。でも長い年月のうちに様々な考えが生まれ、自らの主張の正当性を言い始めるわけです。だから同じ仏教でも無数の宗団が存在します。
 ここで私が言いたい事は、全てのものが何かの役にたっているということなのです。大病に罹った人は、同じ病気で悩んでいる人の良き話し相手になれます。
 悩み・苦しみから脱却する唯一の方法は、現実を受け入れること、いま自分に課せられた使命と思う事、その後のことをどうのこうの詮索はせず、只管今を生きる。これしか乗り切る方法は無いのではないでしょうか!
 もしも、現世で誰も自分を理解してくれなかったとしても良いじゃないですか、必ず誰かが認めてくれていますから。
 それが本来の信仰心だと私は思います。
  五大願について紹介します。
     衆生無辺誓願度 福智無辺誓願集 法門無辺誓願覚 如来無辺誓願事 菩提無上誓願証の五つの言葉。
    ここに共通する言葉はお気づきですか?「誓願」という2語です。誓って願う事=信心ということになります。

1435:五大願の二

前項に続く。五大願の二は『福智無辺誓願集』。仏教では知識と智恵を分けて考えます。単なる物知りというのではなく、如何に実行に活かすかということを智恵と言っています。ハハーン成程なるほど。しかし、言うは易しであります。
 限りない福の智恵を「集」するということです。「集」には集めるという意味と「まとまって調和する」という輯(シュウ)という意味があると言われます。天下未集とかいう風に使われますね。
 最近、良く言われることに「手段」と「目的」が逆になっているという事がありますね。分かり易い例で言えば、選挙に勝つことは本来手段であるはずなのですが、勝つことが目的化してしまった。これが今の日本の政治の実態ではないでしょうか?何をしたいが為に選挙に勝つのかという事が曖昧模糊としている。これは、同じく政権を取ることが目的化したという事に通じます。現政権が何をやるためにという事に関しては、どうもイマイチはっきりしません。透明性を高めるといったはずですが、肝心要の点が不透明。マニフェストが流行語のようになったのですが、薄ぺっらなものになってしまったように私は思います。これは誰の責任?有権者だと私は思います。本来政治家を育てる責任が有権者にあるはず、ですから厳しくチェックするべきなんでしょう。また例の評論家病が始まった。
 元に戻ります。
ところで上記の大願の何のために福智を集めるのか?ということですが、これは世の中の全てが調和するためでしょう。
日本語は難しいですね。「調和」ってそれじゃー何? 広辞苑を引くとこのように書かれています。
・・・うまくつり合い、全体がととのっていること。いくつかのものが矛盾なく互いに程良いこと。・・・・・
 じゃー何をもってそれを判断するかという疑問が次にでますよね。日本は法事国家です。善悪は法によって裁かれる。その法すらも認めない状況が今、起ころうとしていませんか?つまり、法律を作るところ立法府という政治が歪み始めています。
 いま、メデイアの報道の仕方が微妙に変化しています。田原惣一郎のサンデイプロジェクトが三月で終わりました。夜中に放送されていたTBSラジオのトーク番組も終ってしまいました。ミッキー安川は亡くなって番組が終了。
 そして、なにかトーンダウンした新たな番組が始まった。何かの圧力がかかったのでしょうか?
私は、外交や経済の問題は国家として大切な問題であることは充分理解します。しかし、政治とカネの問題はそれ以上に大きな問題だと思っています。信頼を寄せられるか否かという根本の問題が実は一番大きい。権力の座にいるものに対して、「私は知らなかった。全て秘書がやったこと」ということで罪が問えない国が問題だと考えるからです。実は国会で追及するべき野党がカネの問題を抱えているのですから、追及の迫力は出ませんわな。シャンシャンシャーンで手打ちですか。
 そもそも政治不信が深刻なんですよ。これで若者を批判などできませんわな。ほっとけない!!
 国としての体をなさない状況が今おこっています。私は三月に税金の申告に必ず行きます。土浦税務署ですが、いつだって皆さん並んで順番待ちですよ。日本人はお人好しなんですかね。?
 でも違います。皆さんは国を思って義務を果たそうとするから申告し、不足分を払うのですよ。それが「調和」ということではないのですか、どこに矛盾がありますか?嘗て飢饉が起こった時、年貢を納めることができない人達が一揆をおこした。いま、それは無い。しかし、自ら死を選ぶ人達が一向に減らない。これは無視できない現実でしょう。
 不況といっても一部の人達は使い切れないお金を持っていますよね。それを独り占めしてまだ足りないと思っている。立場を利用して蓄財までする人もいます。餓鬼世界そのものです。法律はすり抜けられても、人間としてどうなのか?ってことですよ。
 数十年前に松下政経塾を作った時に、松下翁は当時の金で70億円という私財を投じて将来の日本を背負うべくリーダーを養成しようとした。今のお金で言えば10倍以上の価値があると思う。
 権力や財を持つ人は、その立場立場の役割があると思うのです。矛盾なく互いに程良い塩梅で。

1436:およばぬこと

”加減”という言葉にちょいっと引っかかる。「いい加減なこと言うな!」or「身体の加減が良い」とでは全く反対の意味に使われます。してみると言葉による表現は絶対ではないということになりますな。それから全く同じ挨拶をしても心が入っているか否かで相手への印象が全く違う。これは文字で表す事も絶対ではないということを意味する。
 それじゃーどうすれば良いの?役者さんが台詞を覚え、その場面に応じた言い回しをする。これも心が入っていても創作の域を出ない。斯様に人間がお互いに意思を通じあうことは難しいものだ。
 ”感動”という言葉、言葉を超えて胸に迫りくるものである。今年の春の甲子園でもう一歩およばず惜しくも準優勝になったが日大三高のピッチャーは小児脳腫瘍に罹り、手術を行い成功して、あれだけ立派な活躍をおこなった。これも新聞で後から知った。同じ病に罹った子供達に勇気と感動を与えたのだ。
 およばぬことと諦めることは違う。全力を出し切った後には必ず感動が残る。あと一歩という残りの部分が次なる目標になるわけだ。諦めるとその次が無い。そこでお終いになってしまう。
 諦めると悔いを残さない。この関係も微妙です。
私はどうしても暗い例しかあげられないので恐縮しているのですが、連続した悔やみがあり、その場面がいま頭から離れないのです。皆さんも経験が有ると思いますが、火葬する時、身内の人達の叫び声、何か力が一気に持っていかれるような思いになります。これを二日連続経験すると、正直何もする気にならない。全身脱力状態となるのです。
 いまその状態です。
 すると施設の建物を新しくしようとかあそこをこんな風にすれば良いだろうとかという考えが正直どうでも良くなってしまう。蝉が脱皮した抜け殻みたい。
 決して負け惜しみでこんな事を言っているんじゃありません。今の尚恵学園の状況からみて、もしも立派な建物に彼らが移ったとしたらどうだろう? ドアを思いっきり閉める方がおり、どのような丈夫なドアを作っても数日しか持たない。
格好の良いテーブル・イスを用意してもガッたんがったんやるからこれまた直ぐ壊れる。トイレは水を流しっぱなし。・・・
 多分、それを止めさせようという力が働く。今以上に規制することが増えることになるのでは。
 本人にとってみれば堪ったもんじゃーない。何も新しい建物を作ってくれなど俺達頼まんかったのにと言いたいだろう。
 逆に、自然豊かな空気の良い山裾に皆さんで引っ越ししたら周りを気にせず伸び伸び暮らせるんじゃーないだろうか?
 規制もなく、彼らが自分のペースで生きていける。それが理想郷だとおもう。
 現実は監査があって、個人の占有面積は9.9u以上なければならないとか風呂は週何回以上とかチェックされる。
そして地域へ移行した人は何人いるか? 成功した事例ばかり取り上げるから国中の施設がそっちに向かう。しかし、失敗した事例はその何倍もあるということを忘れてはならない。それに基準が変わるのも問題だ。
 およばぬことを数字や文字で表すことはできませんよ。一人一人違うもの。そこを半ば強制的に同じ方向に向かわせようとしていないか!
 社会保障の有るべき姿が見えない。今の進め方を見ていると絶対?無理だと思う。型にはめようとする事自体が福祉には馴染まない。
 こうやって四六時中考えている。彼らの本当の願いを実現させたい。新しい形の福祉を提案したい。その一念でしかないのです。あくまでも目標はここに置いている。
 およばぬこと 満たされずとも 夢がある。(拙句)

1437:つれづれと

「元気?」と問われれば「元気ない」と「忙しそうね」と言われれば「忙しそうなフリをしているだけ」と私は答える。天の邪鬼というのだろうか、冬眠からまだ完全に目を覚まさぬ心境でつれづれに過ごしている。なすこともなく所在ないというのではない。体と心がバラバラという感じだ。
 今、早朝の5時を廻ったところ、もう外は薄明るくなり始めている。寺の窓越しに墓地のほうを眺めるとやっと7分咲きになった桜が待ちくたびれたように咲いている。
 春の天気は気まぐれ、一日おきに車の暖房をいれたりクーラーをいれたり、なにせ最高気温が1日で8度も違うのだから自律神経も狂うはずだ。
 私は軸足を寺と施設に日替わりで変える生活を送っている。中々同体にはなりません。何か良く分からないのですが大きな壁がぬぐい去れない。自然に任せるしかないのでしょう。
 昨日、朝日新聞の記事を切り抜き大事に取っている。
見出しは【仏典再読。苦しみと向き合う】 自殺と宗教(上)で仏教のある試み「自殺対策に取り組む僧侶の会」を紹介していた。仏典では自殺をどう説いているか、宗派を問わず、「死にたい」と口にする人や自死遺族に向き合う。釈尊がどう考えていただろう?「雑阿含経」の例をあげている。自殺に対する是非論を超え、遺族らの再生支援への取り組み、本来宗教が果たすべき役割がここにある。
 昨日、葬儀屋さんと有るところで偶然あった。以前、布教師研修でお世話になったお礼を述べ、雑談。こんな話を伺う。東京の葬儀業界誌に掲載されたというが、東京では病院で亡くなると約半数が直葬という形をとるようになっているという。直葬とは宗教家を介さないで病院で亡くなると斎場に一時安置しそのあと火葬にしてしまうという最近の葬儀の形。ここまで死に対する考え方が都会では変わってしまったんですよと話された。
 我が業界が旧態依然としたものに胡坐をかいている間にどんどん世の中が変わった。宗教が本来、生きている人の為の支えとなるべき処、それを怠ってきた結果だ。
 映画の「おくりびと」を観て思った、我々僧侶よりも葬祭業と言われる人々の死者への畏敬の思いだ。先の記事に東大の下田先生のコメントがあった。「仏教は本来、死の差別化はしない。孤独のなかに立ち続けることの尊さは説くが、結果の是非は論じない」これが真理だ。
 また、最近のNHKで『大仏開眼』という番組をみた。東大寺の大仏建立に関わる時代観、世が荒廃した中で大仏に救いを求め立ち上がった人々、行基や鑑真という僧侶が何故必要だったのか。その事を我々は忘れてはいけない。
 若くして亡くなった人や自死遺族は、現実に起こった身近な死を受け止めるのが中々できません。1時間足らずの葬儀告別式では、正直癒されることはない。僧侶がその後、どのように関わっていけるか!その事が今問われている。
 ”福祉”を論じる際に、自らの死をどう考えるかという命題を避けて通ることはできません。誰しもが納得できる死を迎えたいと思う。障害福祉とは、生来のハンデイを背負っているという中でその人が何を求め願ったかに焦点があたらなければなりません。今の日本の有り方に大いなる疑問を感じる。それは、福祉業と言われる人達の価値観に対してであります。どうしても私には事業家という人々の為とか家族の為の福祉が強くなり過ぎたということを感じています。
 障害がある子の親たちの団結、お互いがスクラムを組むことに異論はない、しかし、何故排他的な言動を良しとするのでしょうか?育成会が”手をつなぐ”という言葉を頭に何故付けたのか?そのことを我々事業者や施設を利用されている親も真摯に考えなければいけないと私は思います。
でなければ先人の遺志、新たな精神文化の創造はできないと信じている。

1438:灌仏会(かんぶつえ)

4月8日は釈尊の生まれた日と言うことで各寺院ではその催しが行われる。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、花まつりなどとも言われ、稚児行列やあま茶のサービスなどが行われている。
 釈迦の生涯については諸説あることはご存知と思いますが、BC463年説を取ってみても今から2500年近く昔の事になる。29歳で出家、35歳で正覚(悟り)、80歳で入滅(2月15日を涅槃会とする)と節目の年と抑える。
 我々凡人は果たして自らの人生に明確な節目が付けられるでしょうか?
 私自身の事を言えば、あっと言う間に還暦を迎える年齢になったということで、節目など考えもつきません。大部分の人が私と同じだと思います。運動会の紅白点数板に例えて、赤が良かった事、白が悪かった事と記憶を辿り点数を付けてみたらどうなりますか?
 できませんね。そうだと思いますよ。過去の出来事を点としてカウントはできないのです。現在進行形ですからね。
でも、良く言われることに、若い時分は苦労しなさい。必ず後でプラスになりますからねという事があります。人生のプラス?って何なんでしょう。
 経験することで冷静に対処出来る。失敗が新たなミスのブレーキ役を果たすという事でしょうか?多分、それも一理あることだと思います。でも世の中にはいくらミスをしても懲りない人っていますよね。私もその一人です。ならば経験が生かされていないじゃないか。図星です。
 釈尊も若い時は様々な悩みを持っておられました。それがせめてもの救いです。
 伝えられる有名な説話に最愛の人を亡くした方が釈尊にこの悲しみをどうすれば無くせるでしょうかと懇願、その時の釈尊の言葉が当に真理です。「貴方の悲しみを取ってあげましょう。もし、これから旅をして何も悲しみをもっていない家を探しあてたなら」多少は原文と違いますが、このように話された。結局、その方は悲しみを持たない家などどこにも見出す事はできなかった。
 なーんだと思いますよね。そうなんですよね。分かっているけれども・・・・・という事。何も難しく考える事はないという訳なんです。
 若い時分の苦労を今風に言って”免疫力”と言えないでしょうか?ならばワクチンがあるはずだ。否。無理でしょうね。
 こうやって考えていますと何が何だか分からなくなります。(般若心経の世界)ですから先人たちは壁に向かって座ったりする行を考えた。
只管座ることに現代は価値を認めにくい時代。これは逆に病的現象だと思います。経済的な安定を最優先すれば自ずと格差が生まれます。その弊害が至る所に噴出した。
 戦後生まれの我世代は、何も無い処から豊かさを得て、いざ気が付くと何をこの後目標にすれば良いのかを見失う時代を生き抜いてきたとも言えます。
 周りを見渡すと、昔よく見かけた路上生活をする人が一向に減らず、・・・・。でも何かが変わった。
政治の世界も同じ流れにあるわけですよね。戦後生まれの政治家が多くなり、何を目標にすれば良いかを決めづらい状況が見て取れる。
 我々として選択出来る明確な方向を示してもらいたいという気持ちです。日本人は2大政党に馴染まない。何しろ白黒ハッキリさせるということでなく互いの良い処を選ぶという手法が身についている。仏教で言えば”中道”、俗っぽく言えば”良い塩梅”。暫くは時間が掛かりますよね。ですからね私はこう考えるんです。折角政権が変わったんだから、もう少しやってもらうべきだとね。何も黙って見ていろとは言いません。私など言いたい事はありますよ。
 まず、親分二人は潔く退くこと。院政をひいてもどうでも構わない。主役を今回の一連の責任を取り、交代するこれが条件であります。戦後生まれの世代は、切り替えも早い、何せデジタルな人間だから。
 今日はお釈迦様の誕生日。

1439:獅子、身中の虫

”獅子、身中の虫”ということわざがあります。内部の者でありながら、内部に害をなす者を例えたものです。元々は仏教から出ているという。(梵綱経)。体に害をなす寄生虫です。
 組織を論ずる場合、構成員の役割が周知徹底され系統立てられていることが重要です。時と場合によっては中間を抜かして直接トップダウンあるいはその逆も当然有りうることです。ただ問題は本人がそれを意識しているか否かという事、良く見かける例として、「俺はみんなの意見を常に聴いているじゃないか」型のトップ、このタイプは一見リーダーシップの有る人に思われがちだが、始末が悪い。その逆もしかり。自分の考えを周囲の意見で常に変わるトップ。それでへっちゃら。
 このような組織で果たして良い方向付けができるのでありましょうか?甚だ疑問です。
 内需拡大とか景気対策を急げと良く言われますが、日本だけが嘗ての一人勝ちゲームはできません。袋叩きにあいますよ。過去は戦後の日本の惨めさをしっているから大目にみてくれていたんでしょう。
確かに格差社会がここまで進むと今すぐにでも何らかの手立てが必要な人達もおります。しかし、全体からみて、また海外のどこの国と比較しても安全で平和を享受している日本であることは否定できません。これを成熟国家というのでしょうか?
 GDPの数値に一喜一憂する。そして危機感を煽り、もっと経済対策に力を入れろと言う。果たしてどこまで経済の豊かさを追い続ければ良いのでありましょうや。私は疑問を感じます。
 確固たる地位を掴んだ日本(GDP世界2位だった時代)が果たして総国民幸福になったでありましょうか?
 実はもっともっとこの点について論じてもらいたい。事業仕分け第2弾が始まるとか無駄を省く作業ですよね。これは国に限らず全てに言えることですよ。言語道断な事件が神奈川県で起こりました。何十億という金が県庁内部で違法にプールされておったという。その一部を遊興費に回したとか。もし、これが本当であったならば今政府が行おうとする地方分権の有り方に不安を感じます。一括交付金という形で地方に金が落とされ。それをノーチェックで使用されるとしたら一体どうなるのでしょうか?国で使おうが地方で使おうが出所は一緒ですからね。
 金と事業が一緒についてくるのは良いと思いますが責任も当然付いてくるでしょう。どうも最近の臨時的な助成金の流れを見ていると首を傾げたくなります。ドーンとお金をつけ、ホレ使いなさい的な印象を強く持ちます。それも、いつまでに使い切りなさい式。確かに決算総額でみればそれなりの実績となりましょう。果たして必要な処に金が行き渡ったかどうか?
 その場凌ぎの政策が多過ぎるように思います。このままでは日本が持たないという危機感が地方の首長有志から出始めましたね。杉並の区長や元横浜市長が新党を立ち上げると。でも数日前に『立ち上がれ日本』という新党が自民OB会により旗揚げされませんでしたか?どうなっちゃうのでしょう。政党再編のプロセスの出来ごとと傍観していてよいものか。
 この状況を見ていますとね、どうしても事業仕分け無駄のチェックは国会議員そのものに向けれるべきだと思ってしまいますよ。
政治主導とかなんとか題目は立派なんですが、中身を良くよく吟味しないと獅子、身中の虫となりかねない。官僚が自ら無駄のチェックは出来にくい事は解ります。それと官僚は人事異動が頻繁にありますんで、どの時点の誰が責任かを確定するという作業が大変難しい。
 ならば誰がすればよいのでしょうか?結局、有権者たる国民しかないわけですよ。
一時流行したマニフェストの実態を思い知りましたから、それに振り回されないには、国民から政党に逆提案したらどうかと思います。
例えば、@貴方の政党は議員定数の減をどう考え、いつまでに実施しますか。
      A社会保障の仕組みの公的負担割合について、何処までが公費負担
      B税源問題について、消費税をいつ何%に上げるか。
以上の3つを先ず確認し、次なる外交や防衛の考え方を問う。対外事案は自国だけの考えでは進みません。ですから公約でいくらあげても実現性は不透明、それよりも先ず足元の自分たちで可能な政策を公に問うべきでしょう。
 出来なかった理由を並べ延命を図ることはルール違反とし、潔く表舞台から引退しバッジを国に返上するべきなんです。
その厳しさと緊張感が無くていくら国会で議論をしてもそれこそ無駄、居眠り議員は一向になくなりません。戦国時代の武将は自ら責任をとり腹を切った。その気骨(武士道精神)を感じないのです。そして言う事はご立派、平成維新??笑っちゃうよ全く。与党も野党も全部だ。ガラガラポンで全員止めちまえ。
 私が変でしょうか?可笑しいですよね。そう思いますよね。だって次から次に起こる出来事が見え見えなんですもんね。
  拙句・・・・・ぬるま湯で のぼせ頭に 花の雲   「桜満開の季節となりました」生臭一服。

1440:Handmade

今の世の中に何か物足りなさを感じる。なんかなー?良く考えてみた。すると浮かんできたのが”handmade"という言葉であった。手作りというものだ。それから”orijginal"、特有なという意味である。これは複製・模造品・翻訳などに対していうものだ。
 日本人の消費傾向として目新しいものに飛びつく特徴があります。そこを上手くついた使い捨て製品の数々。日本人の能力としては良い処取りもありますね。また気質としては、真面目で精緻であることかなー。
 ここにある意味では限界を感じるのであります。戦後は自らが争いごとに加担したり、自国内での大きな暴動・紛争というものが無く、犠牲は最小限にすんだ。そして、繁栄を勝ち得た。
 しかし、足元を見つめた時、誰しもが将来への強い不安を抱いている。独裁政治を望むものはいない。だが、何かその方向に進んでいるように思えて仕様が無い。価値観の多様性と自由の権利主張、これが一方に偏した場合に一番危険なことは、何をもって是とするかという物差しである。
 金で全てが解決できるとは誰しも思わない。しかし、現実に起こっている事はその逆ではないだろうか。組織や国のリーダー達が保身に走る。今さえ良ければそれでよしという刹那主義ではないのか?
 いつでもどこでも金さえあれば必要なものが手に入る日本、そこに存在する重大な欠陥に気付かない。
 大層な事を言うおまえは何と考える?ってか。
そうね、敢えて言うとすればhandmade=手作りの価値だと思う。繁栄とは正反対の価値観?ニューギニアの島国で生活する人々やブータン、必要以上の魚は取らず、自然の恵みに感謝する。丸太を切り抜いたカヌーを大切に使う。カーボンや鉄で作った船ではないから使えなくなったら自然に戻る。そこに森を大切にする智恵がある。
 文明国と言われる社会に長く住んでいると不思議と智恵を相手にいかに勝つかということに使うようになる。そして最終的には兵器を使用しての殺戮、力で抑え込む。大切な家族を失ったものは、報復に命をかける。この負の循環をいつまで続けていくのだ。いい加減にしろよと言いたい。先の大戦で日本と同じく敗戦国となったドイツはユーロー圏でもエコ政策が最も進んだ国。自転車が見直され、ソーラーシステムが一般化している。どこで日本と進む道が分かれたのだろう?
 国の重要政策として社会保障の問題がある。私の僻み根性からと言われれば言葉が無い、しかし、国や政治家が言う社会保障には、上から下を見るような言動が節々に読み取れる。自分たちの身を削ることなくして有り得ない事なのにその伏魔殿には誰ひとりとして足を踏み入れようとしない。これが実像ではないでしょうか?ドイツのある街の議員さんはボランテアというのを知っていますか?これこそエコですよ。
 いま私が拘っていることがあります。
 施設や寺でもITが常識となり、ホームページを作る。これにオリジナリテイがない。見た目や機能を重視するから制作をプロに丸投げ、センスは良いが正直”こころ”を感じない。
 その点、私の作っているホームページは全くの自己流で、見た目や機能は二の次、しかし一字一句全てが私が書いたもの、他人のせいにすることもできず、全て我に責任あり。言い逃れはしません。(毎度、我田引水で申し訳ありません。)

 万事がその方向で進んでいる。カンナの歯を砥げなくとも大工さんができる時代、使え捨ての歯があり、ワンタッチで歯の交換ができる。それよりもプレカットされた材料を組み立てるだけという。昔伝統の匠の技は確実に廃れている。
 昔の棟梁は、木の性質をよめた。北側に育った木と南側斜面に育つ木の違い。この目利きが必要でなくなった。
 精々もって30年の建物、それに30年のローンを組む。大量生産大量消費の時代は過去のものとなった副産物?。
 複製でなく、オリジナルのものの価値を再発見すること、それが政治や行政に今一番必要なことではないでしょうか。
 私自身もそのことを肝にめいじ歩んでいくつもりでいる。
 

1441:夢?うなされ

毎年、ある時期に夢を見るのが頻繁に起こる。ここ数日間がどうもそのパターンになったようである。うなされはたと目覚める。多分、数秒間の出来ごとなのだろうが・・・・・どんな夢だったか思い出そうとしても断片的で纏まらない。勿論、何故そんな夢を見たのか全くといって良いほど思い当る節がない。
 以前は、法事に出かける時の失敗が多かった。これは夢と現実がある点では一致する。数珠を忘れたり、草履を忘れたり、ちょっと工夫を要したのが、白帯を忘れた時。タオルでは短く、だからといて開けた白衣の上に衣を付けても様にならず、結局ズボンのベルトで抑え内股に歩きました。
 あまり大声では言えないが、車の中で着替える事が多く、これ位のミスは屁の河童。ついでにもう少し白状しますと経本を忘れた時はさすがに参りました。私ぐらい長く坊さんをやっていれば大体、お経は空であんじているものです。しかし、普段使い慣れたお経が無いとこれが駄目になるもんです。そのことが頭から離れない。どうやって法事を済ませたと思いますか、それは企業秘密。
 ただでさえ、睡眠時間が短くなったのに夢でうなされてはたまったもんじゃーありませんや。
私は嘗てはこんなことも出来たもんです。夢の続きをみるんです。多分皆さんも経験が御有りでしょう。できることなら夢であって欲しいと思う事が。しかし、上手くはいかない。現実は大変厳しいものがあります。
 「たちあがれ日本」を5人の有志?で旗揚げしたのを誰だったか「立ち枯れ日本」と揶揄したのは。ま、witに富んだというにはセンスがイマイチ。石原都知事が発起人として記者会見で言った言葉が実は今の日本の実態を良く表していると思ったんです。こんな風でしたね。『新党が年寄りばかりだと言うのは簡単だ』『20代30代の若者が何も言えない、何のために議員になったんだ』『命をかけて、今の日本を思う人間がどれ程いるんだ!もっと熱くなれ』とぶちまけた。
 さすがよう言った、ドンピシャリだよ石原さん。小沢さんに対抗できる唯一の政治家だと私は思っています。石原さんは明、一方小沢さんは暗というイメージが私にはあります。政治の世界と坊さんの世界位かもしれない。定年制が無いのは、それでも憂いは多い。何せ小利口な人間ばっかになり、周りの様子を見ながら自分の安住の場所を探す人間が多過ぎませんか? これを草食系というんですか?何を恐れているんだよ。じれったい。
 しかし、不思議と政治の夢は見ませんね。どうしてですかねちょと解りません。
 茨城県でとても刺激的なニュースがありましたので紹介しますね。86歳を迎えた幡谷さん、ご存知の方も多いと思います。幡谷グループを率いる県内経済界のトップです。なんと筑波大でこの度博士号を取得されました。大学院に通って学位を取られたんです。大学ではいつも最前席に座り熱心にノートをとったと言います。
 私共は幡谷さんに大変お世話になっています。尚恵学園は毎年高額なご寄付を頂いてまいりました。感謝しております。幡谷さんは郷土茨城をこよなく愛しています。老いを感じない姿を時々御見受けしますが、どうしてあんなに前向きに生きていけるのか不思議です。私の高校の大先輩です。
 人生を燃焼しきって終えたら私は後悔しない。そう考えておりまして、やりたい事は山ほどあります。夢と終わるか否かなど構いません。要は何をしたいかを常に考え続けることだと思っています。
 坊さんを一生やるとすれば定年はない。さりとて・・・・とてとて・・であります。 

1442:心の準備

今月28日より本山長谷寺に入る。丁度この連休中は名物の牡丹が見ごろ、年間で一番来山者が多い。その期間全国から布教師を招集、「ぼたん布教」と称して1日5座程度の布教を課す。幸か不幸か今年は私にその番が巡ってきてしまった(29日〜30日)。30分程度の布教を続けて行うという。いま、急遽長谷寺縁起なる本を取り出して歴史などを調べ始めた。2日間という限定付きだから今から準備すれば間に合うだろう。
 昔、檀家さんがワザワザダビングして瀬戸内寂聴さんの説法テープを沢山もってきてくれた。また、聴いてみるか。
 近年の説法で誰しも思い浮かぶ坊さんとしては高田好胤さんと寂聴さんであろう。何故人気があるか、お二人に共通するものがある。それは対機説法という技。博識で物知りな坊さんは掃いて捨てるほどいる。・・・・が相手に合わせた内容で決して飽きさせない。笑いと静、それに聴衆との交流の3つが上手く配分されている。内容も人生経験の豊富さから滲み出てくるもの、決して難解な仏教語を使わず、押し売りもしない、それでいて聴く側に教えの真髄を明かしていく。真似してできることではない。
 兎に角、今回は逃げる訳にもいかないから経験と思って挑戦しようと心の準備を始めた。
 どうも明るい話題が見当たらない。その理由は自分では分かっている。整理もせずに詰め込むだけ詰め込んだ箪笥のような状況だ。すこし要らないものは出して空きスペースを作らないと新たな事が入らない。
 出来る事なら本山での布教が終えた後、そのまま斑鳩周辺を散策したいと思っている。平城遷都記念の年だから観光客でごった返しだろう。リュック一つで歩くには支障なし。
 少し、普段の仕事から離れ、自分を振り返るのが必要かもしれない。
 立松和平氏が亡くなり(今年の2月)まだ余り日が経っていない、彼のトーク番組を聞いた。地方訛りが心地よい。彼は外国各地を放浪している。その最初の旅がインドだったという。インド哲学の中村元先生の「仏陀のことば」という単行本を携えバッグパッカーでインドを歩き廻ったという。私と同年代だから、なんとなく分かる。丁度今から40年程前の事だ。
 当時の若者は何かに飢えていた。何をしたいのか見つけられず、熱き思いだけが不完全燃焼で悶もんとしていた。学生運動真っ盛り、ヘルメットを被り手ぬぐいで顔を隠した若者が山手線を乗り降りしていた。
 そんな時代を生きた者として、立松氏がインドに向かった意味が良く分かる。62歳、乖離性動脈りゅう破裂という死因、不意に襲った病気への覚悟はあったのか?
 最近話題になった巨人の木村コーチも試合前の守備練習でノック中に襲ったくも膜下出血が原因、37歳だったという。
”心の準備”というものは、実は大変難しい。誰だって生き続けたいと思う。生きてさえいれば何かが有るはずだと念じる。心の準備に教科書は無い。準備万端これで良しという訳にもいかない。貴方自身が自らの事として準備するものだ。失いたくないもので最大のものは人の命である。そこをどう自分で納得いくように仕向けるか。これこそ人生最大の命題だ。
 多分、正解は幾通りもあるのだろう。その辺の語り部がいなくなった時代を今、多くの人びとが迷いながら生きている。

1443:人の流れ

作家井上ひさしさんが75歳で亡くなった。独特の黒ぶち丸メガネをかけ話し方は東北人らしく、少し控え目で遠慮しながら話す。彼の作品で私の子供の頃、「ひょっこり瓢箪島」が最初の出会い。声優の熊倉一雄さんの海賊は今でも良く覚えている。その後幾多の作品を世に出し、戯曲作家としても良い作品を書いた。原稿が上がるのがいつもギリギリ、それだけ熱を入れて書いたのだ。
 彼は鎌倉に住み、良く喫茶店で通りを歩く人の動きを観察していたという。台本を書く際の人の流れのヒントを得ていたのだろうか。
 街のショーウインドウは道路を歩く人が中を覗き易くするために大きめに作られる。一方、喫茶店などは中から外を見つめるのに見やすく、外からはガラスの色を変えたりして逆に見えにくくするものだ。
 自ずと寛げる店は決まる。最近のコーヒーショップはカウンター式でセルフサービスが多く、長居はし難い。客の流れを良くするための工夫。どこに行っても昔風の喫茶店、コーヒー一杯で時間をつぶせる店が姿を消した。山手線の駅前には必ずあった「ルノアール」は全く見かけない。そこは店内が暗くなっており、ゆったり座れるソファーが売りだった。
 これも人の動きの時代変化を象徴している。忙しく動き、溜り場が無い。少なくとも昭和40年代〜50年代には、街の中に1時間位は暇つぶしできる場所が幾つもあった。
 そんな風景を井上さんは大好きなコーヒーのお代わりをしながら楽しんでいたに違いない。
今週の日曜日には霞ヶ浦マラソンがある。尚恵学園のスタッフも大勢エントリーしたと聞いた。私は全くその気なし。マラソンを人生に例える。月並みで申し訳ない。でも走り続ける事は実に大変だ。制限時間内に拘れば走る事は苦痛だ。それも良しと考える時期はある、だが、いつまでもそれではいけないと私は思う。立ち止まったり横になったりランナー達の動きを見つめる事も良いと考える。
 私は商売柄、葬儀の際の人の動きを観る機会が多い。通夜から葬儀、そして荼毘にふすまでの間、時間にすれば丸1日だ。そして、その後49日や1周忌、遺族には多少落ち着きが見られ、逝った人の死を受け入れ始めている。法事の際の話は、極手短な話にしている。長くて精々15分。台本など無く、故人の事を思い出しながら話しを組み立てる。考えるのと話すのが同時進行だし、相手に応じて多少変えながら。当然1周忌ぐらいまでは笑いはない。涙を流される方が多い。
 死を受け止めるという事は客観視できること。ああ・・もう居ないんだ。いつまでも悲しんではおられない。というように各々が心に誓う事。
 最愛の人を失った悲しみを乗り越える道筋、これが宗教のもつ本義だ。それは一様ではない。人によって違う。
 確信している事は亡くなった人との取引は成立しないということであくまで此方側の問題だ。
 朝早く、玄関チャイムがなった。先月夫を亡くされた奥様が息を切らしながら話された。気が動転していてお布施を渡すのを忘れてしまいと申し訳なさそうに話された。私の記憶ではそうではなく、充分にお預かりしたからその心配はいらないと話す。本当にそれで良かったんですか?とまだ納得してくれない。そのようにやっていますから良いんですよ。と答えると顔の表情が和らいだ。
 
 *もし、宗教で相手を脅すようなものがあったとするならば、私はそれは宗教で無いと思う。宗教はこうすればこうなるという取引では無く、信じきること、それを周囲でどうのこうの言うものでは決してない。
 仏像は決してもの言わず黙ってそこにあるものですよ。
 

1444:大声コンクール

部屋にいると何か変な声が聞こえる。窓を開けると誰かが大声をたてている。異常に大きな声、気になったので行ってみた。
すると、某メンバーが玄関の処でスタッフと対峙し何やら叫んでいる。半径200メートルは充分聞こえる位の大声、それも高音で耳障り。スタッフは他のメンバーへの影響を考慮し、外で対応、大声を黙って聞いている。暫くすると落ち着いたのか、2〜3小さな声で会話をしてから部屋に戻った。その後、大声は聞こえなくなった。その直後、今度は少し離れた成人寮からまたしても大きな声がする。これはいつもの事で日課になっている。また始まったな。
 後で職員から聞いた。彼女は「園長がなんだかんだ言ってうるせーんだよ」と怒っていたという。私は思い当る節はない。敢えて言えば田んぼで農家の方とおしゃべりしていた。これが原因だという。ウーム参った。
 大声コンクールと言えば問題発言か、しかし、よく開かれるんです。どうしてあんな風に周りを気にせず大きな声を上げるのでしょうか?
 それは此方側の見立て、本人は周りを気にして大声を立てている。この違いは実は紙一重。
昨日は、梅の木を10本程頂いた。なにせ折角育てた梅を切ってしまうという。それは勿体ない。業者の方に頼み、近くまで木を運んでもらっておいた。それをトラック3台で園に運んだ。桃色の花を咲かせる30年以上経つ立派な梅の木。
 花を観ていくらかでも心をやすめることになれば良いと考えた次第。
 しかし、それだって周りはどう見ているか?また園長が何か始まったと・・・・・。
だからメンバーさんで大声をあげる気持ちが私は良く分かる。一緒に大声あげたら気持ちよかっぺー。
「おめーらがなんだーかんだーうるせーからよ」と一度言ってみたい。

  ・・・何だかんだと世の中は 腹が立つやら泣けるやら どこへ行ったか親孝行
         まるで 人情 紙風船・・・・・♪  千昌夫の「味噌汁の詩」
 近頃は親子の情とか兄弟愛などが変わってしまったんじゃなかろうか。例えば、そこに居てもらえるだけで安心とか血を分けた兄弟とか。
 なんだか知らないが相続でもめたり、我が子がうるさいとかいう理由でDVに走る。紙風船とは図星だな、弾力性が無いから一度ピシャリと叩いてしまうと永久に膨らまず飛ばない。ゴミ箱行き。使い捨てが常識となり物を大切に使うという習慣が自然と薄れた。
 今世間では”老老介護”が問題になっています。確かにそうだと思う。しかし、私の身近には障害のある子を夫婦で一生懸命にみている方を何組も知っている。子が大きくなって、お母さんでは対応が難しくなり、お父さんが仕事を辞めて子供の面倒をみている。寝る時は添い寝して寝かせつけているんですよ。
 特別支援学校の職員体制は我々福祉現場とは比較にならない、1対1以上の職員配置、ここまで手厚くしていた後が問題だ。私共が卒業後引き受けると6対1が精々、このギャップをどう考えますか?????腹が立つやら泣けるやらですよ。
 今月21日ドイツの横井さんの話を職員研修で聴くことにしている。ドイツにおける障害者の地域生活実態レポート、グループホーム一つ取り上げても全く日本の制度とは異なる。キリスト教の教えが背景にあるのか否か?
 私は坊主として関心がある。
 私は民主党に期待しています。何故?貴方達はコンクリートから人へという大弾幕を掲げました。障害者福祉を新たな制度にすると約束しました。
 この事はどのような理由をつけても止めてはいけません。マニフェストを簡単に変える事はないとおっしゃった。ならばやって下さい。そうしないと先に進めません。一言言わせて頂ければ、そちらの責任者は選挙に勝つことだけしか頭には無いようです。これでは無関心層は増えることはあっても減りません。何を本当にやってくれるのか、それが肝心です。
 政権与党になることは、約束したことに自らの政治生命をかける覚悟が必要ということです。それを自ら示さず、福祉や教育を論じて欲しくは無い。以上、本日はここまで。いまから国税庁に相談に行ってきます。

1445:常套句(じょうとうく)

小泉信次郎議員が委員会で仙石大臣に質問した。「自民党ができなかった事を貴方達民主党がやるというのが筋でしょう」「できないという常套句が多すぎます・・云々」開き直りともとれる。
 常套句とは決まり文句という意味だ。確かに頷ける。でもどっちもどっちでしょう。まだ一年生議員の彼の堂々?たる態度は親譲り?決して誉めているわけではない。同じ一年生議員の民主党の先生方は一体どうしたのか?その方が大きな問題だ。私共の施設でも今年は6名の新人を迎えた。2日程のオリエンテーションの後は、戦力として現場で必死で頑張っている。
 それが多大な公費を使った議員の皆さんが7カ月も第1戦に出ない。これこそ大いなる無駄だと思う。どのような理屈をあげても私には納得しかねる。いつまで勉強していればすむのか?動きながら日々勉強だ。そんな悠長なことを言っている場合じゃないはずだ。
 出来ない事のオンパレード、国民をいつまで待たせるというのか、その結果が支持率の急激な低下、確かに長い期間野党で過ごした議員は実際に政権をとり戸惑いはあったでしょう。しかし、立ち止まる時間などないはず。「自分を信じて欲しい」と言ったとか言わないとか、その方の政権担当能力が外国からも疑問視されている。対外協力としてNGOなどで金を積めば済んだ時代ではない。そこの認識と判断がグラグラ揺れ動く。普天間の基地問題を、希望的観測で担当大臣が言い過ぎた。何も決まっていないことを、マイクを向けられると喋ってしまう悪い癖。米軍の兵士が命をかけて果たしてこんな日本を守ってくれるでしょうか?良いとこ取りもいつまで続くか疑問でしょうよ。
 果たしてこのような体質を現政権に修正ができますか?一方、下野した自民党も変わりなし。政権再編だと大義を振りかざし、離党する議員は口をそろえ危機感がないと執行部批判、でも我々には一体何をどうしたいのかが分からない。それ以外の少数党も全く同じ、自らの支持母体に気をつかい、ここぞとばかりに暴走?。皆さん本当に国の事を考え議論しているのか?
 地方の首長から新たな動きが出ていることがせめてもの救い。斯様に新たな芽が出始めれば、それぞれの政党が「ホレ見ろ。変わっただろう」と自らの功績だと勘違い。そうじゃーないだろう。貴方達に有権者がソッポを向いた結果だよ。
 政治や行政への不満をこうやって書いていると。結局虚しさだけが重く残るんですよ。
 足元を見てみよう。4月に入り、新たな利用メンバーを迎えている。通所で4名、入所で3名、それぞれが個性があり過ぎて、梃子でも動かない大物だ。今までがどれだけ平和だったかを私も含め職員誰しもが実感している。私の穿った見方からすれば、”平和”と”楽”は一体だということ。それに流されてはいなかったか?良く考えな。
 そこで提案したのがサロン建築計画だ、職員からアンケートを取った、2〜3行付き合い程度の意見もあったが、ここぞとばかりに様々な提案をしてくれる者もあり、頼もしくさえ思った。今に安住してしまえば、それ以上の発想は浮かばない。
 高齢化&重度化が常套句として言われていなかったか?それを各自に考えて貰いたいが為の提案だ。そこまで私の思いを読む職員がいるか否か。分からない知らされていないという常套句は使わせない。私自身、孤軍奮闘、覚悟の上だ。
 ついでだから行政への不満をプラスワンします。
 昨日は水戸税務署に行った。租税法絡みの事前協議の相談。受付で順番札を貰い待った。すると担当者が来て、「予約していましたか?」と尋ねられ、していないと返事すると「今日は予約でいっぱいですから1週間後にまた来てください」と言われた。これが今の税務署(国税)の窓口の実態だ。分からないからワザワザ土浦から高速つかってきたんだろう、あまりにも杓子定規、地方分権とかいっても末端では変化なし。これが本当に政治主導で変わるのでしょうか?
政治主導といっている人達の本音はバッジの強みを死守することにしか思えないのですよ。そうじゃーないだろう。市民にとって何がプラスかという視点を戻せと訴えたはず。我々の事業所には苦情処理制度が義務化されている。行政や政治に果たしてその仕組みがあるのですかね?各出先毎に公表し事業仕分け(?)するべきじゃーないでしょうか。
 私は前回の資料をワザワザ開いて見せたんですねパラパラと。前回担当してくれた人の名刺が貼ってあり、そこに気付いた彼は、急に対応が変わった。申請書の見本を持ってきた。最初からそうすべきだろうと喉まで出かかった。しかし、そこは私も大人になりました。我慢したのです今回は。なんと1週間に1日しか相談日がないという。国の出先機関がこの実態、いつごろからだろう。役所がそこで働く人の為の職場と化し、そのチェックがなされない。硬直化と許認可権がスクラム組んで悠々と・・・・・・。まだまだ日本の夜明けは遠い。これ実感ですね。
 コンクリート化した行政のへの改革が本丸じゃないでしょうか。ねっね 総理 総理!
 

1446:焦眉の急

”焦眉の急(しゅうびのきゅう)”という意味は、もう一刻の猶予もならないというほど事態が切迫し、危険が身に迫っていることを言う。
 眉毛を焦がすほど火が差し迫る状況はどんなものだろう?いま起こっているアイスランドでの火山噴火の影響で空の便が混乱している。数日前にあった中国・青海省での地震で大きな犠牲が出ている。
 大分昔に大正大学の仏典調査メンバーに潜り込み青海省に行ったことがあった。国内線を西安で乗り継ぎ向かった。ハッキリした記憶はないが、木が全くない高原でチャーターしたミニバスで何時間もかけチベット仏教寺院を訪問した。そこで生活する人達の多くはチベット族の遊牧民、3000メートルを超す高地だったので息苦しかった。建物も土と木材で組まれたものが多く、もしここで地震が起これば大変だろうなと思った。その地域にM7.1の地震が襲った。
 地震や火山噴火は人智のおよぶところではない。只管おさまるのを待って安全な場所に避難するのが精々できること。日本だって同じ。もし都市直下型の大地震が起これば想像を超える被害が出る。日本周辺は海溝がいくつもあって過去に大きな地震を繰り返してきた。その対策は正直充分とはいえない。
 むしろノーテンキなのは、目先の選挙に勝利することばかりに熱心で口先だけの公約を政党色に関係なく言いふらす。
自然災害の予知と対策は難しい。どんなに科学が進んだとしても結局は大いなるものに縋ることしかないのでは。
 我々の智恵が及ぶとすれば、この辺の事だろう。関係者以外にはあまり知られていない障がい者制度改革推進会議、やっとその下で開かれる総合福祉部会の55名のメンバーに我が団体の中原会長が選ばれた。団体の代表や有識者、行政担当者が55名選ばれたわけだが、月1回の開催でどれだけ意見を述べる時間が取れるのか疑わしい。しかし、任期途中で急に代わった現執行部の努力が実った。御苦労さまです。
 障害の害という字を「がい」とか「碍」を使うようにすべきという運動があった。碍を当用漢字に組み入れる事は今回見送られた。碍という字は、無碍という使い方をする。仏教の言葉である。意味はさわりがないこと、とらわれがなく自由自在なことだ。正直私は言葉には拘らない。しかし、変更を強調する人達の言い分は当に人間をどう考えるかという基本的な事。言葉の差別への抵抗だ。
 最近、発達障害という分類が目に付く。学習障害とか高次機能障害とかどこがどう違うのか我々でも良く分からない。
生来の障害と薬害や事故による後からの障害もある。
 視点を変えてみたらどうか。つまり、障害が無い人達が果たして世の中に存在するのであろうかと。「ガイ」というものは、生きて行く上でのサワリである。四苦八苦を出すまでもなく、この世は思うように行かないのが真理でしょう。
 ならば、敢えて障害を分類仕分けする必然性がない。人としてどうあるべきか1本で良いはずだ。
 私も県や市で行われる審議会なる場に出た事があります。会の運営は粗同じです。事務局が予め用意した膨大な資料に目をやりながら数分程度の意見陳述、これが実態、各委員はそれぞれの守備範囲がありどうしても我が田を中心に意見を出す。結局、出来あがったものは総花的で個々の意見は見つけるのに苦労する。
 この国の形が今後どうなっていくのか?二大政党制に持っていくのは至難の業、むしろミニ政党が離合集散を繰り返す
形じゃーないだろうか。お隣の中国は以前右肩上がりの経済発展を続けている。中国共産党一党独裁の国にもかかわらず、国内の経済格差が物凄い勢いで広がっている。果たして不満をもっている多くの人民が今の状況にいつまでも耐えていけるのか?
 その点から見れば、日本の格差社会は焦眉の急にまでは至っていない?
この世に生を受け、その人なりの暮らしが揺らいでいる現実に目を向けよう。障害者問題は、ご本人の問題でもあるが、周りの人達への支援という特殊性がある。家族や地域への手立て、だから一様な結論が出せない。
 その点をどう理解し方向付けしていくのか静かに見守っていこうと思う。

1447:紙一重

4月中旬というのに、一体この寒さはどうしたことか。体を崩してしまう人も多いだろう。コートを箪笥に仕舞い込んでしまい急いで取り出す。実は今、寝る前に読み始めた本が『ブッダのことば』中村元訳:岩波文庫、この本の活字が実に小さい。だから読みにくくて直ぐに眠くなる。内容はスッタニパータの訳本でご存知無い方も多いと思うが、南伝仏教の経典の一つで膨大な量の経典でも最も古く、歴史的人物としての釈尊の言葉に最も近い詩句を集成したものと言われる。
 我々が坊さんに成るために学ぶ経典は殆どが漢訳の経典である。例えば十善戒というものがあるが、その中の一つに「不悪口」というものがあり、一目瞭然で悪口を言わないことと判る。
 だが、釈尊自らの言葉で当時どのように説かれたのかは、漢訳経典からは読み取れません。
 これがスッタニパータの中では、第一章蛇の章の206にこう書かれている。釈尊とアーラバカとの遣り取り(P47)

  #人間のこの身体は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。。。。。。#
  #このような身体をもちながら、自分は偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。。。。。。#

 長くなるから私流の解釈、つまり、自分の事はさて置き他人の事をとやかく言う事は間違いだと言っている。
 仏教語は難解だと言われてしまう一番の理由が実はここにあります。言葉有りきで、その言葉の持つ背景が見えないという事に起因する。美辞麗句をいくら並べてもその人自身の有り様に問題があれば元も子もない。釈尊が各地を転々とし、請われるままに人々の前で話された。この一句一句が経典となったわけで、先ず実践有りきが本意だ。その逆転が甚だしい現代にあって、何をもって釈尊の教えとするか。。。。現代仏教の最大の弱点がここにある。
 この世に現れる全ての現象は”紙一重”、考えようによってはどっちにも取れる。不悪口に関すれば、釈尊は戒めとして説いた。この解釈で微妙なのは、じゃー黙って知らぬふりが良いのか!という疑問だ。実はそうは言っていない。今に伝わるものとして、”利他”と”大欲”という言葉にその真意が示される。ここでは省略悪しからず。
 和英辞典で”紙一重”を引くとこのような例文が出ている。
  The line between good and evil is thin as a knife's edge.  善悪の差は紙一重だという意味。
 切れの良い刃先一枚分の違いしかないという。だからああだこうだと決め打ちしないほうが良いと言っている?
我々が住む社会で言えば、善悪の判断は法によってなされるわけでしょうが、ご承知のように人間が成せる技ですから、絶対ということはない。極論すれば天秤にかけるようなものかもしれない。疑わしきは罰せずと。
 なんだか小難しい内容に入ってしまった。元に戻そう。
 権力(力)を持つ者の責任という事を実は言いたかった。大義があればそれで良いのかということ。今の日本では逆転の発想が浮かびにくいんですよ。率直にいって今の政権誕生は消去法でなったものと私は思っています。自民党が駄目だから民主党に期待した。彼らが掲げた公約が当にその点を付いていたでしょうよ。政治主導を最大の目標と掲げ有権者もそれを支援した。先の例で言えば釈尊が言うから付いてくるという事でしょうね。そして、今の袋小路、政治主導が独裁政治だったのか?紙一重。それを必死に否定する閣僚の動き、もがけばもがくほど矛盾が暴露され、自国のみならず外国からも冷めた目で見られてしまう。ここですよ。最初からこう説明すれば良かったかも。
 だが、紙一重ならば何かを切っ掛けに良く変わる可能性も皆無ではない。唯一残された方法は、権力者のお二人が自らの責任として政界を退くこと、先ずここが再生のスタートラインだ。ここに事教不二の教えが生きると思っとります。
 それと政治に関わる人々の特権意識を無くすこと、これを「不悪口」と言われれば甘んじて受けましょう。特権意識と政治主導は紙一重。

1448:話の難しさ

法事の後の話は精々長くて15分が限度と自分で決めている。私は事前に下調べなどしたことはなくぶっつけ本番である。その為失敗談も数多く経験した。それでも最後に本来の供養の意味を話すと大体の人達が頷いてくれたと思っています。
 神宮寺で行う法事は、どうしても尚恵学園の話になってしまう。これは境内を学園が無料で借りている事へのお礼をのべたいからである。
 ある法事に杖を使用し歩行が不自由な青年が参列していた。私はその人と初めて会った。座る位置が一番前だったので多分身内の方だろう位は推測できた。
 例の如く、障害に対する自論、「自ら障害を持って生まれたいと思う人は誰ひとりいない。勿論、ご両親とて同じ・・・・」
その話を始めた時、前列のその方と目があった。瞬間「あっつ!」と思ったが後の祭り。正直に伝えた、「この寺は階段が多くて大変でしたでしょう。」と言うと何の反応もなかった。余計な事を話してしまったと反省。
 法事が終わりその方が故人のご長男だった事を知らされた。奥さんが本人のいる前で、「この子は3歳の時に小児麻痺に罹ってこうなってしまいました。主人が亡くなった時は杖が無くても動けたんです。もうお父さんがいないんだから自分でしっかりしてもらわないと」と息子さんに向かって話された。彼は周りの人の手を借りようとしない。周囲の人も貸そうとしない。
 話の難しさは、聞き手の受け止め方は千差万別だということ。それから墓地への納骨、朝から降り続いた雨が上がり、新しく作った墓地の前には既に石屋さんが待っていてくれた。石屋さんは知っている方だった。「あー貴方でしたか」と言うとその石屋の主人は「私は先生に中学校で40年前に教わったんですよ。先生のお墓を作るなんてこんな嬉しいことはありません」 体の不自由な息子さんが一番先に焼香した。そこでやっと私は気持ちの切り替えができた。

 この話で皆さんは何を感じますか?島田という宗教学者が書いた「葬式は要らない」という本が売れている。一度読んだが敢えてコメントする気にはならない。要は個人の問題で周りでトヤカク言う事ではない。個人の問題と敢えて私が言うのはこうだ。親子関係は実に難しい、これは今に始まったことではない。生前、心を打ち明け親子で話せる関係を持てておれば何を今更だ。しかし、往々にして親子の関係というものはお互いに遠慮があったり、その逆で子離れ親離れできない人が多いものだ、私は死という切っ掛けは大きいと実感する。どれだけ苦しく辛い生活をしていても1つや2つの良き思い出はあると思う。生前、お互いが面と向かっていると素直に言えない事って良くある。それがどちらかが墓石に収まってまでも持ち続ける方は少ない。何かの切っ掛けで相手を許す気持ちが芽生えるものだ。
 墓に埋葬することすら否定する人達がいるのも現実。夫婦で同じ墓に入ることを嫌がる人達もいる。それはそれ、周りが騒ぎたてることではない。
 言えない事と言いたくない事は違う。でもどちらもその人自身の問題である。

1449:気付き

昨日は某集まりに参加する。八重洲口にあるホテルを会場に午後4時から7時まで約30名程の勉強会。茨城からは私と事務局二人参加。パネラーは2人で与党の障害者関連議連の責任者と大学の先生。制度改革推進会議の狙いと現状に関しての説明、それに新たに設置される55名からなる総合福祉部会の概要である。いずれにしても新たに法制度が出来るには少なくとも2年はかかるというから経過報告の域は出ず大まかな方向性が示された。
 参加者は関東地区のサービス事業者だった。
正直な私の感想を記そう。
 結論から言えば、正解を急ぎ過ぎると感じた。今のままで行けば前政権と同じ轍を踏む。充分な時間と議論をかけたといっても消化不良で見切り発車になる。なぜそうなるのか?
 現代人の思考傾向にあるのではないかと思う。一言で言えば”思考のデジタル化”である。
皆さんご承知の事と思うがデジタルはアナログに取って代わり通信手段の主流となっている。それは0と1の数字を並べることでデータを離散値として数値化するものである。つまり結果があって中間が無い。この利点は予め誤り訂正符号を使ってノズルなどの障害を自動的に修正させることができより正確なデータを送れるという事。
 この仕組みが人間の脳の働きを変えていると私は思う。良い例が今、部厚い辞書を使わなくとも電子手帳一つあれば何十冊という辞書が内蔵されているから、キイを打てば直ぐに答えが得られる。
 障がい者総合福祉法の策定の中で同じ問題が出ている。例えば重要課題である『自己決定』一つを考えても障害の種別や他の要因が複雑で概念規定ができにくい。特に知的に障害が有る人達の「自己決定」は難しく、何をもって本人の意思なのか判断出来にくい。そのため「共同決定」なる新たな枠組みを考え出してきた。それにも実は限界があります。
 結論から言えば、種々様々で良いだろうという私の考えだ。無理やりこう有るべきだという議論をいくら重ねても「その人らしく」という言葉に全て内包されてしまうんじゃーねーの。
 それから参加者からこんな質問が出た。「これから社会福祉法人は無くなるのでしょうか?」これこそ、事業者の本音である。私は必要が無くなれば社会福祉法人が無くなっても良いと考えている。何か我々だけが福祉の聖域だと言わんばかりの言動はどうかと思う。
 むしろ、ある方が最後に話された事が強く心に残った。「繰越金を多く残す施設長が良いのかどうか大きな疑問がある。結局は利用される人の人権をどう考えるかということに尽きる」
 社会福祉法人という傘に胡坐をかき、せっせせっせとお金を貯め、事業拡張の夢を追う人が増えたと感じている。
 そこでどのような理屈を言っても大いなる者は既にお見通しってこと。育成会と事業者は本来協働関係であるべきなのに、一部ではあるがいがみ合っている事が分からない。
 どのような制度になっても悪用しようとするものは登場するものだ。無駄の労力を費やさず、むしろ先人が描いた理想を我々、成熟社会に生まれ育った人間は一人一人学ぶべきだ。
 結局、障害者の自己決定という言葉だけが一人歩き、仮に理路整然と説明がついたたとしても、現実に自分の周りに目を向けてみろということだ。
 「親離れ・子離れ」できない多くの人びと、障害者を考える前に自らの子育てに自信が持ててますか?。
 いかにすればお金を引き出せるか、日本中がオカネだけに血眼になっている。これが福祉業界の全てとは言わないが、 それと福祉の現場に評論家は要らない。自己決定を論じる者は自己責任を担う。これ一般的常識。
蛇足ですが仏教には対機説法というものがありまして、全て分かった上で相手に合わせる話し方が一番なんですね。
 

1450:出会い

土浦おもちゃライブラリー
21日はドイツから来た横井さんが尚恵学園の職員の前で「自立」と題して話をしてくれることになっている。
 ご本人の了解は得ていない。事後承諾とする。
 彼の一粒種のミファエルさんが生まれたのは浜松だった。ダウン症として生まれ、9年間日本で過ごしたが奥さんの国で教育を受けるのが良いということになりドイツのチュービンゲンに移った。そのミファエルさんも今年32歳、既に両親から離れGHにての仲間達との自立生活を始めている。
 私はドイツの障害福祉の実態は良く知らない。しかし、横井さんから伺った断片的な話からも大分日本とは異なると思っている。ここだけの話、現政権の厚労省Y政務官も若い時に2度ほど横井さんの処を訪れ、主に高齢者に対する仕組みを勉強していったと聞いた。もし機会があれば会ってみたいものだ。
 そんなこんなで横井さんとの付き合いも長く、丁度40年になる。今、私の家に泊っている。私は「チュービンゲン便り」の購読はずっと続けているし、私の拙文(源究)も彼は読んでくれているという。お互いの情報交換である。
今日は土浦市のおもちゃ図書館を一緒に訪問した。ミファエルさんが2歳の時にアパートの1室を借りて個人的に始めた手作りおもちゃのライブラリー、なんと30年が経っているにもかかわらず、土浦駅前のウララビル5Fにボランテアの手で運営されている。訪問した時に、設立当時を知っている、鈴木さんや福田さんそれに7〜8名のVSとお茶を飲みながら雑談してきた(上記スナップ)。
 講演の前に私が急遽資料を作ることになり、原稿を受け取った。そこに私のモットーというメモがあった。
  ・・・小さな喜び 大きな幸せ・・・・余談だが、ミファエル君が最初に歩いたのが4歳の時、その時の喜びを今でも大切にしている。ドイツの福祉の仕組みは全く違う。日本の今の政治のゴタゴタ、恥ずかしいというよりも呆れて物が言えない。これホント。それに我々事業者の有り方も反省する点が多い。ここだけの話、金のモウジャと化していないか!
 深く深く反省している。そんな事を考えていたら、例の腰の具合が????
 人との出会いは望んでできることではない。今日出会ったVSの男性がこんな話をしてくれた。大変世話になった人に、忙しくて手紙を書くのが遅くなりましたと言ったら、相手はドイツの方だったそうだが、「貴方ね、手紙を書く15分をどうして作れないのですか」と言われたという。当にこの事が日本人のいい加減さを示していると話された。できない理由を言う時に何気なく使う言葉、お国柄の違いもあるでしょう。でもお礼の手紙を書く重要性を本心では思っていなかったという事を自分で言っていることと何ら変わらない。
 その辺が全ての事に通じると思っている。奥ゆかしいとか恥じらいというものは時と場合によって言い訳と取られる。
 もちつ持たれつの関係が友好の条件だとも思う。
 世の中が勝ち組負け組と色分けされるのは決して良いことではない。その判断をする役目が福祉にあると思った。