源究89

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1291 信じ難いこと 10/21 1296 ちょっと目先を 10/27 1301 茨城空港 11/2 1306 同意条件 11/7
1292 一面を読む 10/22 1297 模様替え 10/28 1302 文化の日. 11/3 1307 改革の術 11/9
1293 霜降 10/23 1298 冗談? 10/29 1303 外聞悪い 11/4 1308 ガバナンス 11/10
1294 暖簾に腕押し 10/24 1299 団体のメリット 10/30 1304 局面打開 11/5 1309 自己責任 11/11
1295 柳に風 10/26 1300 ケースワーク 10/31 1305 知ったかぶり 11/6 1310 記憶力 11/12

1291:信じ難い事

先の自公政権が発表を控えていたという数値が明らかになった。それは『貧困率』というものである。07年調査で15.7%という数字があってOECD加盟30カ国中、メキシコ・トルコ・米国に次いで日本は4番目に高いという。(6.5人に一人)その中で一人親家庭の子供の貧困率が58%とずば抜けて日本が高いことが分かった。実際には病院にかかれずに保健室で過ごす子供もいると言う。GDP世界第2位などと浮かれた事を言っている場合じゃない。ここまで格差が広がっているのかと思うと愕然とした。
何故、先の政権ではこの数字の公表を控えていたのだろうか?生活実態の様々な世論調査においても厳しい結果が出ていたはず、今回の民主党政権がこの数字を明らかにした事を評価したい。子供手当や母子加算へ期待する人達も多い、・・・・がしかし、予算の概算要求を見ると果たして持続可能な施策なのか不安になる。これは政策の舵切りプロセスでの痛みと解釈してよいのだろうか?現政権の目玉で国家戦略会議を設けた、その責任者に菅副総理をあてた。しかし、今までに何をやっているのか見えてこない、嘗てと同様の財務省主導の動きばかりが目立つ。
 この国をどう向かわせるのか!慢性化した赤字財政を引き継いだ現政権に性急に期待するのは無理があることは解るが、貿易立国という看板が危うくなり、次なる産業の育成や重点的な内需拡大が経済対策の緊急課題である。それに国民の負担(税金)割合の検討が開かれた場で図られて良いと思うのだがその点に関しては弱腰だ。
 前原さんもかなり無理して笑顔を作り必死に闘っている姿は、今までに無かった政治家で心情的に応援したくなる。だが空回りしていないかと傍の者を心配させるのは彼の経験の不足か。
本来ならば挙党一致でバックアップすべきところ、党内に不協和音が見え隠れするのも事実。
 一方、地方財政に目を向ければ、いずこも緊縮予算、軒並み削減でこの難局を乗り切ろうとしている。
民主党がムダにメスを入れ、全面的な見直しを打ち出した事に反対する者はいない。これは霞が関や永田町がその体質を変えることの難しさと同様に強烈なリーダーシップと国民の支持が条件だ。それから余り論じられていないムダ、我々の身近な生活周辺にあるムダに目を向けるべきだ。どちらかと言えば日本人が金銭感覚に麻痺していないのか?
バブルから脱しきれていない???
私自身の身近な例で恐縮だが、僧侶の布施の額。これなど大いに見直されるべきものでしょう。先に地元小学生の私に対するインタビューの事を紹介した。質問)お坊さんの1日の生活はどのようなものですか?あくまでも憶測だがその子は、坊さんは毎日早起きし、肉食妻帯はせず、禅を組み、托鉢で食を求め、作務に精進している姿を描いていたのだろう。そう思った瞬間、目がくらんだ。
 その責任は重い。実態は空回りで自暴自棄。その悩みは死ぬまで続くと覚悟してはいますが、どうにかしたいという気持ちは持ち続けたいのでありんすよ。
 あと挙げればきりが無い、コンビニや飲食店から破棄される食べ物、これだって見過ごされているだけで何らその改善策がなされない。
 乗客の無い公共バス、必要以上の夜間照明、・・・・廃棄物の山。農業生産物の出荷前処分。
 どうでしょうか総国民にアンケート調査をしたら、@貴方が無駄と思うものを全て挙げて下さい。この一問だけで十分。
そこから立て直すのが一番早いかもしれません。
 だってそうでしょう、マニフェストの実行にガチガチになっているように思えます。だけど民主党以外に票を投じた国民もかなりの数いることだし、もっと深刻なのは投票しなかった多くの人達がいるのですから。どんなに頑張ってやってみたところで、反対者はいます。

1292:一面を読む

女優の南田洋子さんが七六歳で亡くなった。遡る事60年、当時、彼女は土浦の女子高に通っていたという。夫の長門裕之さんとの間にお子さんが出来なかった。最近は痴呆がすすみ、献身的な夫の介護が話題になっていた。ご冥福を祈ります。 その記事は朝日朝刊のトピックス欄に掲載されていた。一面に大きく取り上げられていたのは、元大蔵事務次官の日本郵政の次期社長就任のニュース。この人事は前政権より大いに揺れた。辞めろ辞めない騒動は、どうも国民の関心から逸脱した雲上人の感情バトル、現社長が辞任記者会見を開き、集まった報道陣のカメラのシャッター音に頭にきて、会見を中断し退席しようとする、その一部始終が放送された。
 意図的な編集を感じた。どちらに肩を持つかが一目瞭然、現社長も小泉流のパフォーマンスに踊らされた犠牲者だ。
今回の人事には影の動きがどうしてもチラつく。果たして大所帯になった民主党が一枚岩でいくのかな?だってそうでしょう。脱官僚政治・官僚の天下り禁止・政策決定の政府・与党の一元化・・・・・先の選挙での政権公約との整合性はどう理由を付けれても取れていない。与党になれば、その辺の内部調整は慎重に。絶好の野党攻撃材料を自らが提供したことになりますよ。
 早くも三党連立の綻びが出たと言うのは性急な結論か?
 その記事の左に「自民 54歳の迷い」というタイトルで結党来54年目を迎える自民党のお家の事情が書かれていた。その絶妙な対比に将来にわずかな光を見いだせる可能性が萎む。
 ・・・天命を知る年を超えて初めて自民党は根源的な迷いに直面している。誰のため、何のための政党なのか。。。。。
 ご存じの如く、論語の中で孔子が「五十而知天命」と言った、その年齢を過ぎた混乱が今の状況だと評した。大新聞はさすがと感心するが、果たして今後「六十而耳順」と成りうるか!むしろ先が見えない時代に一歩身を引いてお手並み拝見、高見の見物という野党のポストを選ぶんじゃーないでしょうね。そりゃー国会の中継を見ていても元気があるのはいつでも野党、それに見慣れてしまった国民も問題なのです。
 どうも元気が出ないと思っていたら多くの日本人が情報操作によって自立思考が麻痺してしまったのかもしれない。
 批判すれば変人呼ばわりされ、事なかれ主義で自らの意見を表にしないことが徳ある人間という誤解がある。これは私の偏見でしょうか?
 仏教を生半可かじると「八正道」とかが纏わりついて、何を頼りに生きればよいのか解らなくなる。「正見」は現実の世を
厭うこと、だとすれば、人間の日常性を否定する考えに陥ってしまう。
 その裏にある真実(一切の無常)の認識があって完成する道であるべきなのだが、現実の社会は、その道筋が解らず、案内人もいなかいから誰しもが不安の中で生きることになっている。
 政治や行政は絶対ではない。自らの生きざまは自らの責任で全うすべきなのだ。ただ、現状を黙認すれば良いと言うのではなく、自らが当事者となって物事を判断し行動に移していく、この主体性が無いのは実に困った状況だ。
 福祉の究極の到達点は、一人一人の人生の納得である。他との比較や天寿の長短ではない。その人がこの世にあってどれだけ自分らしく生きられたか、そこに焦点があたるべき。平準化した制度でカバーできることは、然程重要な事ではないという事を早く気付くことだと私は思う。
 

1293:霜降(そうこう)

二十四節気の一つ、本日がその霜降である。秋が一段と深まり、いつの間にか虫の声も聞けなくなって朝霜が降りる時期を言う。今年は特別かもしれない冬を迎えるにあたって、新型インフルエンザへの不安がより高まってきた。
 インフル流行指数13・23となり、県内全域に注意報が出る。全国版の地域差は、人の多く集まる都市部がどうしても流行指数が高くなる。茨城では今年最後の全国イベント『技能五輪・アビリンピック茨城大会』が今日から11月1日までひたちなか市を中心に開催される。我々もアビリンピックに関係しているので、30日の開会式には出るつもりだ。県外からも多くの関係者が集まるだろう。
様々なイベントが開催される中で、参加を取りやめる事業所も出ている。うつらないうつさない?用心の為ということだろう。私の園でも行事を縮小し、外泊行事はストップした。楽しみにしている人もいることだし、現場ではなかなか決断ができない。エイヤ!理事長判断で決めた。様々な文章が県や市から流される。保健所への感染者の報告は、10人以上という厚労省の通知がきた。理事会でその報告があり、早速県に確認、すると、茨城は従来通り、2人以上が1週間以内に感染した時には保健所へ届け出るという方針だという。
 感染拡大を防ぐためだから、そのことをどうのこうの言うつもりはない。寧ろ我々としては、感染者が出た場合の対応が大変だ。夜勤制を試行的に行っているが、職員に感染者が多く出た時は、また宿直制に戻すことにした。家庭で静養をお願いできる人は殆どいない。そうなれば園の体制を組み替えて対処する他ないのだ。
 いつもで続くかこの不安 堅固な体が特効薬。
 様々な情報に翻弄されている。ワクチン接種が1回で十分免疫がつくという話があり、用意できたワクチンの量から推測し、障害者への接種もできるような話がメールで流された。しかし、それが原則2回接種という方針に変更され、糠喜びとなった。この国の形、せめて障害者への配慮、優先接種対象に最初から入れるような国の温かさを望みます。いつも隅っこに追いやられ、お前たちは少数派だから我慢せい!と言われているように感じてしまう。私はひねくれ者と言われたって構わない。その優しさを望むだけ。
 重症化するリスクをどう考えるかだ。尚恵学園の利用者さんは、おとなしく静養している方など皆無、熱があってもウロウロ歩きまわる、じっとしていなさいと少しでも声を荒げたら、パニックだ。だから一気に広がる事は確実だ。このことは、どうも国で検討している偉い委員の方達には解らないようだ。
 ま!そんな事を心配していても仕方が無い。好天が続いたのでじっとしておれず、上下繋ぎの作業服を着こんで花壇づくりをやった。ホームセンターに買物に行くと、花コーナーに客が並んでいる。皆さん私と同じ気持ちなんだ。
 化粧ブロックを買って花壇を作った。私の性格でしょうね。寸法など測らず、目測施工、全体の形が出来上がってくると少し離れた場所から眺める。するとデコボコだったり曲がったり、どうも出来栄えに満足できない。こっちを上げればあっちが下がる。しばらくこれを繰り返していた。すると脇で眺めていたOさんが、だんだん馬鹿らしくなったようで「何やってんだかよ」と言いたげにどこかに姿を隠してしまった。今日は中に植える花を買ってくる。

*繋ぎ作業服ですが、便利なようでそうじゃない。まず、トイレに四苦八苦、地団駄踏んでも出てこない。それから虫が服の中に入った時に、どこにいるのか解らない。こんな事を勉強しました。衣の着方もチョウロクでない生臭ですから大目に見てと。

1294:暖簾に腕押し

日本語の妙というのか、手ごたえが無く、張り合いのないことを『暖簾に腕押し』とか「糠に釘』という。なるほど成程。
これは普段の生活(平時)に於いては支障がないのだが、イザという時には実に困ったものとなる。
 許認可の権限を持ち、その後の展開に大きく影響する場合など担当者がこのような人間だと実に癪にさわる。その先に進めない。
 私は時として怒り心頭に発する。後で冷静になり反省すると決まって相手の何かにカチンときている。それが一定していないから始末が悪い。
 ただ、これだけは確信、出来ない理由をズラズラと並べられた時、それと自分の非を認めず他人のせいにするような相手には導火線が自ら発火する。暖かみを感じないから自ら熱を出してしまうことに。
 そのような人間が最近は公的な職場に多いような気がしてならないのであります。昨夜もそのようなことで電話でちょっとやり合った。急いで責任者が会いにきた。ケースワーカーの基本ができていないと捲し立てた。
 いま障害者を取り巻く環境は決してよくない。制度の不備を上段に構え、それを良い事に聞く耳を持たない担当者。
一応は役目上、話だけは聞いてくれるようだが暖簾に腕押し、最初から出来ないと決めつける。
制度は絶対ではない、工夫の余地は必ずあるはず。要はそれをするかしないかの担当の姿勢の問題。制度の狭間で光線の当たらないところに如何に支援の手を差し伸べられるか?結局その遣り取りの中から連携と相互信頼が生まれるんだよな。
 黙って見過ごすわけにはいかない。それが前例となり、以後、それ以上の取り組みはなされない。”住みよい街づくり”を掲げている以上、職員一人一人の自覚と責任を期待する。市民が自ら言わないと気付かない。
 行政で困ってしまうのは、自分がレフリーを演じている人間だ。ルールブックを片手に常に○か×の判定を下す役目が仕事と錯覚している。そうじゃないだろう。相手が何に困っていてどうしてもらいたいのかを一緒に考えることが役目なはず。ケースワークの基本中の基本。
役所にいる時間があれば、現場100回足で歩け。
 その辺の基本は現場でよく指導してもらいたいものである。
 これ以上、具体的には触れません。
ただ、市町村格差が実によく解る時代にもなった。
 こういいながら自らの足元に目をやれば、実に多くの改善点が目に付く。私自身がレフリーにならない為にどうするか。
 事が起こった時に逃げないことを肝に銘じる。
 我が法人の努力目標
  良きサービスを通し 利用者の心を打つ満足を提供
    創意・工夫・責任・真心のあるかぎりない挑戦!
  これが絵に描いた餅となるか、否か     いずれにしても逃げない事 是々非々の判断と申しましょうか。
 願わくば、大いなる風が吹き、世に蔓延るモヤモヤを 一掃していただきたいものである。
 

1295:柳に風

馬耳東風というかノラリクラリ知らんぷり。”柳に風”とはそんなことか!
 まてよ、"柳に雪折れなし"とも言うわな。何故そのような事が浮かんだかと言いますと訳がありまして、昨日法人の役員会があり、例の如く活発な意見が皆さんより出ました。今の世の中への不満が一気に噴き出したような内容でとてもとても議事録には収まりそうもありません。役員の皆さんそれぞれが経験豊富な方ばかり、私共を温かく見守ってくれているという事では他に誇れる役員会と思っています。
 多分、持って生まれた性分なのでしょう。様々な意見が出ますと抱え込むクセが出ましてね。その事を良く解っている役員さん達ですから、会議が終わった時に「あのね。あんまりやるとね。倒れるよ。柳はホレ、ゆらりゆらり何と言ったけ。そうそう雪に折れないというじゃないですか・・・・・」とアドバイスを受けた。
 程々にということなのですよ。確かにどこから手を付けてよいのやら、
 私の年齢では来年が定年となります。全く仕事から手を引く人もいるようですし、何か次なる仕事を探す方もいます。いずれにしても今までとは違って余裕をもちながらと考えているようです。プリウスで言えばエコドライブということになりますかね。
 それが、独り善がりだと思っているのですが、益々負荷がかかってくるように思えるんです。昨夜、暫く止めていた夜のウヲーキングをやりました。うっすらと汗をかき、寝ようかとおもっていたら、電話がありました。「住職よ・・・・おれな・・・どうもよ・・・・」と全く元気のない声で相談を持ちかけられたのです。10分程話をして電話を切りました。でも、その事が頭から離れないんですよ。いろいろ考えちゃいましてね。
 その後は今日あった事が次から次に浮かんできて、これまた負荷が負荷を呼ぶ状況になりました。
てなことで、”柳に風”という言葉が浮かんだのです。廻りくどい説明でした。

 負荷を分析。これは責任と置き換えても良し。期待可能性の有無は問われない。むしろ”気付き”の類。
    ならばどうするか?その整理がつかない状況が今。仏教で言う「四諦」である。
大変、不親切な事で申し訳ありませんでした。『四諦』(したい)って何だよ?解りやすく説明してよ。ハイ了解しました。
四諦とは苦集滅道の四つのを言う。うーんマズイ。
 てっとり早く言えば釈迦が悟りを開いて最初に説いたという内容なんですよ。つまりです、この世は苦である(四苦八苦)と観ちゃった。そうお釈迦さんが思ったんだから仕様が無い。ならばどうする?どうして苦が現れるんだいってか?それが業(煩悩)があるからよ。仏教ではね、苦の12の原因を取り上げちゃう。それが十二縁起っていうんだってさ。(集)
「愛欲」や「渇愛」が代表格ってこった。
 その煩悩の呪縛から解かれれば、苦しみから離れられるんだわ。これが実に難しい。だからね、死ななきゃ直らないってこと言うでしょうが。でもね人間は死にたくないんだわな。
 長生きして上手いもの鱈腹食べてさ、良い車に乗ってさ、可愛いお姉ちゃんと遊んで・・・・
 そう思っているんだっぺー。ニヤニヤしやがって。このドスケベー爺さん。憎い憎い。
だがね、それって夢なんだわ。現実は違う。具体的には「諸法皆空」全てに実体がないと考えるわけ。分かりますかね。ちょと難しい。ウーム。そうでしょう、そう簡単には行きません。プロの坊主がわかんねーんだから、全く仕様がねー。
ですからね修行(道)が必要になるってことに落ち着くわけですよ。なーんだ。ズルイって。 喝!お不動様がお怒りだ!
ノウマクサマンダバザラダンカン。解らんでも信じなよ。そうしようねねね。
 そこで大切な事を言い忘れた。『修行』のことなんだけどね。これって山に籠って坐禅を組むだけじゃーねーんだよな。
静中の禅より動中の禅が尊ばれるんだな。「動き」=「仕事」と解したらどうだ解ったか。ああ。。。駄目ね。めなさい。
その「」が四つ。また元に戻るわけ。

1296:ちょっと目先を

ハーハ それで ウーン でもね 
 こんな会話を交わした事ないでしょうか?一生懸命説明した割には相手が違った受け止め方をされる。これ良くあることでしょう。思い込みが強く 生真面目な人には良くあります。どっちかと言えば私もその類かもしれません。
 性格というものは仕様がない。知らず知らずにそうなっちゃう。DNAだかなんだか知りませんよ、でもね年を取る毎に似てくるんですね。先ず髪の抜け具合が似て、早寝が似た。次になんでも片っ端からメモをとる。気が短くて怒りっぽくなった。さて、誰に似たのか?親父です。
ここで、でもねってことになるわけ。他人様の親父への評価は全く違う。いつもニコニコ、細かな事に拘らない・・・・・
 来月、久しぶりに親父の17回忌と母親の13回忌をやるから聞いてみよう。早いもんだわな。いつの間にか月日が経ってそれだけこちらも歳とったわけですよ。
 最近、立ち止まって考えることなんです。どうして親父はこの仕事を始めたのかという事。昔と今は違いますからね。
その辺の確認は当人とはしていなかった。お互いに阿吽の呼吸というよりもどこかに遠慮があったのは事実です。
 今更という気持ちはありますが、いつも頭から離れない事が何故始めたのかという一点。始めるのは勝手なんて言ったら怒るだろうか?でも後に続く者に止める決断をさせるのは酷だと思うな。私には止めるつもりは全くない。大きく広げる気持ちは大分弱まった。時流というか若者が福祉に興味を持てなくなっているというのが一番の理由かな。
 いまある本を本棚から取り出して読み始めた。「スエーデン人はいま幸せか?」というもの。
政権が変わり、3年間私なりに全力で立ち向かってきた法律が廃止となる。だが具体的な改正の中身は全く示されない。
これから関係者の意見を聞いて作り上げるという説明だ。いままでの3年間は一体なんだったのか!!
 ちょっと目先を変えるというようなものじゃないよな。無駄と無理がまかり通る日本の福祉。そこで夢を見た。制度も助成金も何も無い時代に始めた先人達、その私の知る全ての人々が既に彼岸に渡ってしまった。
 創り上げるという熱意があり、感動もあった時代は遠くになりにけり。このまま終わってたまるか!
 じっくりやるべき事を練ってやる。
 今日は9時から葬儀がある。生後2週間で旅だった幼子を家族だけで見送る。彼岸に沢山良い人が行っているからお願いしよう。そんな気持ちだ。
*今、寺に戻る。グッタリ、何か言い知れぬパワーを感じた。生涯14日という生命の密度の濃さ、これは言葉で表すことには限界を感じる。ご冥福を祈ります。

1297:模様替え

まだこの周辺では紅葉には早い。境内のイチョウの葉もまだ青々としており昨日の強風にも葉を落とす事も無かった。またイチョウの葉と格闘する季節がやってくる。そんな事を思っていたら、奥日光より紅葉まっさかりのツタウルシの写真が届く。
 秋たけなわともなれば観光地(戦場ヶ原)も人でごった返しするだろう。最近、とんとご無沙汰になったが温泉につかりながらゆっくりしたいと思ってしまう。 最近はつくば市にある湯ワールドへは良く行っている。ただ、情緒は皆無、むしろ喧騒の中で何種類かの風呂につかり、マッサージを受けて早々と帰ってくるのが常である。
 そのせいもあるのだろう、癖になり始めたぎっくり腰も最近は無くなった。それがアパート生活を始めたOさんに飛び火、最近彼女がどういう訳かぎっくり腰になり、とても一人では生活無理ということで、緊急に寮をあけて受け入れた。
 ここで市との一悶着があった。制度の狭間というのだろうか今の制度は人に合わせたものになっていない、杓子定規の決めごとで処理しようとするから問題が多い。泣き寝入りすれば良いのだろうか、事を荒立てたくないのは勿論だ。
でも言わないと解らない。
 なにもかも忘れどこかに飛んでいきたい。多分、だれもそう思っているんだろうな。日本中全ての人が今抱えているものを全て放り投げてどこかに大移動でもしたら・・・・・。テロの恐怖所の話しではない。
 新政権も大変だ。予測できたこととは言え外交や防衛の問題は複雑だ。政権が変わったといって相手がそれにおいそれと応じてくれるはずがない。これからも二転三転あるはずだ。従来なら秘密裏の交渉で進めてきた事案をオープンにと公約で言ってしまったもんだから、さー困った。各大臣がやたらとマスコミに登場し喋りまくる、その意見が取り沙汰される。政権内部の矛盾が表に出すぎませんか!大臣ともなれば、議員個人の意見ではすまない。そこが慣れていないですよ。
「余談」先日の総理の所信表明演説、話の内容より私は各大臣の様子に興味があった。前の政権だと、酷い大臣は居眠り始める人もいた。今回の大臣はイスの座りごこちが悪いのかどうかは知らないが周りをキョロキョロ、落ち着かない。
 新採の面接みたいな印象を持った。以上、余計な話。
 そして実権を握る小沢さんが見え隠れ、大きな期待を持たれて船出した鳩山総理もどうかな?。ここにきて奥さまの影は薄れたようだがセレブで華やかな雰囲気は別の機会にしてほしいと私は思う。もういいよ幸さん。
 なにせ、我々は根拠となる法律の廃止が確定の中でトボトボ歩んでいる状態である。新たに作られる法律に期待を持つ以外に今の不安と焦燥感に耐えられない。我々自身もここで大いに反省しなければなるまい。先の政権に対し改正や廃止を訴えてきた張本人でもあるからだ。それを思えば私など本来ならば責任をとって辞任すべきかもしれない。この時期に誰かが代わってくれる見通しもなし。貧乏くじを引いたと大いに反省しています。
果たしてここ2〜3年で関係者の意見がまとまるのだろうか?障害者問題は優先順位からすると低い。生活対策の中で年金や医療、教育、子育て少子化の次位にある課題、だから関連団体が結束して事に当たらないと後回しにされる。その体質を根本的に変えないと今回のチャンスをみすみす失うことになる。責任は重い。
 秋深く 言うは易く 為すは嶮なり
    然りとて 行い無くして 待つは虚しき
               ・・・・・偽らざる我が心境也。
 

1298:冗談?

良く我が園をご利用いただく常連さんで、とても御冗談がお上手な方がおいでになります。
女性の職員に”おばさん”と声掛ける。言われた当人は一瞬ムッとするらしいんですが、その後が『笑ってゆるして♪♪ アッコ』と言って逃げるらしいんです。怒れない!こりゃー中々のお方です。 その彼にも弱みがあるという、それは2階が怖い。階段を恐る恐る手すりを頼りに降りるようです。
 実際におばさんだから仕様がねーだろうと言うと私が睨まれた。利用者の皆さんの本心は解りかねます。私など酷いものです。”ブクシ”とか”このバーカ”と言われる。お世辞にも”園長せんせい”なんて言ってくれる方はおりません。
 冗談か本気か?いずれにしても、最近世の中にユーモアが極端に減ったように思えます。ついでにこんな話を聞きました。
某お祝いの席で実際にあったこと。落慶式で建築業者への感謝状を読み上げる時、”貴社のたっこしした技術により、見事に完成した・・・・”マイクを通し、ハッキリと聞こえた。たっこし?たっこし?なんだ?    なんて事は無い”卓越”(たくえつ)を読み違いたということでした。ハイ。一同しーらけ鳥。
 先の総理もいろいろありました、あれってもしかしてユーモアじゃないでしょうね。今度の鳩山さんのは、解り易いのですが、有名な米紙が批判した。彼の演説を「KABUKI」(歌舞伎)と称したのです。確かに演説を聞いていて自分に酔っているような節も見られます。
 難しい。でも貧困率の数値を長妻大臣が公表したのは良かった、だが誰がやったやらないの責任の擦り合いはいただけません。与党も野党もない連帯責任だよ。島国根性丸出しのこの体質はグローバル社会に馴染まない。その自覚が依然として永田町の皆さんには欠如しています。国会答弁を見ていて感じた事は、以前として具体的な中身に欠けることでした。その割には結論有りき発言が目立ち過ぎる、日米関係など微妙な問題は特に言動に注意しないと後で釈明するではすみません。良く解らないのは、沖縄の米軍基地移転の問題、防衛大臣と外務大臣と国土交通大臣が微妙に関係している。それぞれがコメントするから、何がなんだかわからない。これって不味いよね小沢さん。相手の窓口は一つで此方が3つでは混乱するに決まっている。
 鳩山さんらしいと言えばそうなのでしょうが、もし公約が4年間で実現できなかった時は政治責任は取る覚悟はありますとか。何代も総理が変わった自民党への嫌味発言というだけの問題ではない。特に軍事同盟など失敗は許されない。
 アフガン首都での国連職員が昨日銃撃戦で多数命を落とした。オバマ政権がイラクから米軍を撤退させ、アフガンに兵力を増強するという。中東は難しい。一国だけの問題ではなく、隣接する国をも巻き込んだ紛争を繰り返す。9月に私共を視察されて帰国されたアフガンの先生達は今どうしているだろう。特別支援教育のスペシャリストだけに自国内で起こっている紛争を早く終結してもらいたいだろう。銃弾で片足を失った子供達が沢山いる。研修が終わって帰る時にお礼にとコーランを皆さんで唱えてくれた。 
 

1299:団体のメリット

周囲が何とはなしに慌ただしい。昨日は夕方よりつくば市でお寺さんの研修会を行った。33名の参加。以前より準備してきたものでテーマを「変わりゆく葬儀事情」と題して葬祭業者の方から講演をいただく。解りやすく最近の葬儀を話してもらった。我々坊さん側で知らない事も多く、業者の苦労する裏の事情を垣間見た。(ex)家族葬・直葬・無宗教葬などなど。
 講演で私の中に残った言葉は、”普通が一番”という事だった。何を隠そう、お布施は多いほど良い。そこがはっきり言えないモドカシサはあります。これは拘りとはチョト違うんで、現実に合わせるとそうなると言う事。何をもって”普通”というかは、正直はっきりしない。
 中にはお金が用意できない方もいると言う事。研修を企画した者としては、活発な意見の交換を期待したのだが、時間が無かった。何人かからの意見が出始めた所で閉会せざるを得なかった。むしろその後の懇親会が盛り上がる。
 いずこも同じだが、全霊協という組織があるらしく、霊柩車を持つ葬祭業者の業界団体で最近、そこを脱会するものが増えているという。加入してのメリットに大いに関係するとの話、規制があって無い業種、起業するには然程難しくないようだ。最近では大手スーパーの葬祭業界への進出もあって、生き残りに大変なようだ。営業努力として各社、会員の確保に四苦八苦。毎月開くコンサートやセミナーで集まった参加者に安価な葬祭パック商品、位牌から霊柩車、お返しものを含めて100名様??円などをPR。どこもかしこもお客さん確保に大変なご苦労である。
 一方、お寺はそこまでの営業努力はしていない。ひたすら待ちの姿勢を堅持。その辺をどう考え実践に移していくかがこの研修会の狙いであった。
 福祉施設業界に目を転ずれば、団体加入のメリットが問われている。社会福祉法人はまさに規制に守られている組織、生ぬるさがあったと言われれば否定できない。公益性を声高にうたっても、全く同じサービスを提供する株式会社やNPOが現に存在するのだから独自制は微妙。その我々の団体が今回の政権交代を機に大きく揺れ始めた。政権与党との蜜月とまではいかないにしても繋ぐパイプはあった。そこが今回スッポリ無くなった。そして、今まで燻っていた不満が一気に出る。世間に良くある話しで、私はどっちに肩をもつわけでもないのだが、近いうちに意思表示はしないと不味くなると思っている。
 このような厄介な状況があって実は落ち着かない。責任者という立場が無ければ随分気が楽になるのだが、周りにはこれ幸いと好き勝手な事をいう連中は多い。無関心、非協力な輩よりは、まだ良いと自らを慰めるのだが内心穏やかならず。
 話を元に戻そう。葬儀って何?遺族への心の癒し=社会的な責務と言った。これって綺麗事?
 そうじゃーねーだろうというのが、少なくとも研修に参加した全員の気持ち。此方側のこの気持ちがストレートで相手(遺族側)に通じるか否か、それは普段の付き合いからくるものかもしれない。
 宴席、中締めでの長老の言葉、「皆さまの末長きご多幸とこの業界の益々の繁栄を願い一本締めといたします。ヨーポン」 無事終了、代行を呼び帰宅した。寝床で考えた。葬儀屋さんと寺の繁栄????また眠れなくなった。

1300:ケースワーク

昨夜のことだ、忘れない内に記しておく。ほろ酔い加減で帰宅、すると2件の報告が待っていた。いずれも最近、不安定で夜寝ないとか奇声が多い・微熱など気になっていた。夜10時前、まだ良いかと判断夜勤者に電話、家族へ今の状況を知らせるように指示した。
 翌日、2か所の病院へ通院、結果は入院することになった。家族に介護力が弱い場合困ってしまう。しかし、利用されている方の殆どの家族が病院などの付き添いはできない。そのための入所施設と言われれば返す言葉は無い。現実には依然として入所施設解体を叫んでいる輩がいるのも事実。私は、「まー好きなように言わせておけば」と冷めた見方である。そのような連中に何を言っても駄目、理想が高く、現状に満足しない人達だから。それなら自分でやってみたらと逆に言ってやる。
 ケースワークの重要性を今回知らされる。何故まる1日かけ一人の方が2か所の病院に受診したか解りますか?それも二人の職員が一人に付いたのです。知的に障害を持つ人たちの特性、自ら症状を訴えることが苦手、内科と精神科両方にかかる場合が良くあるのです。それでも何が原因なのか医者も我々も解らないということが多い。
 この方の概要を問題にならない程度に紹介しよう。家族の介護は全く期待できない。親が亡くなってから一人で生活していた方で民生員の方が市に通報して、緊急で我々が受けた。本来ならばGHの対象ではないが、空きが無く仕方なくGHで、夜間寝ないでDRで過ごす事が殆どだった、独語や食事の拒否は続く。無理せず彼のペースに合わせた日課にし、約2年がたった。
 その彼が体調を崩した。通院する朝、職員から個室入院をお願いしたいと報告を受けた。一瞬困ったと思った。条件を出した。もし入院となればCHの一つを閉鎖し、利用者を本体施設に戻ってもらい、そこの当直者を病院に回すということを指示した。
 法人全体で現在夜間勤務は6名、現状で更に1名を増やすことはできない。職員は業務命令だとなればやってくれるだろう。だがそれでは日中の職員確保ができない。24時間体制の強みでもあり難しさがここにある。
 結局、2か所目の病院が入院をさせてくれると連絡が入った。私が草刈りをやっていた時に携帯に入った。最近草刈りの回数が増えた。ここだけの話、私は何らかの決断にせまられると草刈りを始める習癖がある。
 皆さん何故2か所目の病院で入院させてくれたと思いますか?その病院のケースワーカーが彼を知っていたのです。それは社会的入院を減らせという国の方針で私どもが受け入れた方だったのである。その時我々と調整したワーカーだった。付き添いが必要でなく、彼も馴染みのある病院だった。草刈りを途中で放り出し寺に戻った。
 この出来事の中に実は様々な問題が含まれていることが解りますよね。これを理解できなければ先に進めませんよ、本当の意味で障害者を地域で支えていく国にはなれない。面倒な事は避けて通る日本人になってしまう。国の法案策定の段階に欠けている要素がここに厳然として存在する。
 5年前に猛勉強?した時を思い出した。ケースワークとは、”困難な課題を持つ対象者に、ご本人が主体的に生活できるように支援・援助すること。”バイステックの7原則や4つのP、今でも良く覚えている。
 しかし、私は”対象者”だけの問題ではないと断言できる。それは市町村の福祉事務所の職員の資質ややる気の問題で実はこれが深刻だ。本来関わるべき事に関わらす自らの将来にどうかという物差しに強い関心を示す。ここまで言うから私は嫌がられる。承知の上の話よ。今回の通院騒ぎに市の担当者は全く入らない。本当にこれで自立支援ができるのでありましょうか?立派な福祉計画をいくら作ってもだめです。魂が入らない仏は鑑賞の対象にはなっても信仰の対象にはなりません。これが今の日本の福祉の実態である。期限付き&目先クルクル福祉と敢えて言わせていただこう。
バイステック理論の中で、ご本人の自己決定と支援者側の感情を統制することが実に難しい。知的障害の特性をどう見るか?これは結論から言うと人間の価値観の問題であり、知識や技術以前の支援者自身の人間性による処が大きい。以上 言いたい放題でした。

1301:茨城空港

茨城空港が開港まで5カ月、韓国のアシアナ航空だけが定期運航することが決まっている。茨城よりも1年先駆けて開港した静岡空港もスタートまで様々な問題があった。茨城空港の場合は既存の航空自衛隊百里飛行場を民間と併用するから初期投資は然程多くはないという。それに国営だから心配ないとも、でもなー乗り入れる航空会社が決まらないのでは、どうしようもない。急ピッチで整備が進むアクセスは高速道路だけ、北関東からの利用者を目論んだが、果たして羽田利用をやめて茨城まで来てくれるか?大いに疑問があるところだ。ここにきて地方空港の7割が赤字だとの逆風。更には日本の2大航空会社の大幅赤字、国内6割のシェアーを持つ日本航空の実態は重症だ。これは言うまでも無く見通しの甘さ、従来から地方に飛行場ができれば誰かさんからの圧力?があって、採算度外視の便を就航させることになる。だから赤字路線が増加の一途をたどった。飛行機を飛ばせば当然整備やサービス社員などが必要だ。その経費が搭乗者の利用料だけでは賄えない。地方空港からの撤退も余儀なし。
 となるとこれから開港する茨城空港は、この先どうするつもりなのだろうか?私も一回位は利用しても良いかなと思うけれどもそれ以上の興味はわかない。観光客をターゲットにしても茨城にはこれといった特出したものもない。温泉が有るわけでもない。となると将来は今以上に軍用基地の色合いが強くなるのだろうか。沖縄の米軍基地の県外移転問題など、ここにきて様々な意見が出て収拾がつかない。
 暫くは、関係者の力量に期待するしかないようだ。
さて、いま立ち往生している問題は山積している。アリ地獄に落ちたように思うのは私だけか。
 テレビのワイドニュースは34歳女性を取り巻く不審死事件を一斉に報道する。いつも思う事だが事件そのものよりもマスコミの報道姿勢に異議ありだ。飢えた鷹が一つの餌を奪い合う光景に似ている。
 同日、円楽さんが76歳で亡くなった。ご存じの超長期番組「笑点」の司会を行っていた戦後を代表する噺家、何故彼に興味を持ったかといえば、彼は下町の寺の息子として生まれている。自らの芸に対する厳しさは勿論だが、弟子の育成にも力を注いだ。多額の借財をしながらも寄席『若竹』を作った。これは当に噺家を養成するための道場だ。経営破綻という修羅場を切り抜けた。その間の芸に悲壮感を感じさせないプロ魂。
彼の引退理由は「口が上手くまわらない。客の前でこれ以上恥をかきたくない」ということだった。屈指の古典落語人情噺「芝浜」を演じたのが最後の演目だった。彼は何度も入退院を繰り返す中でも常に自らの納得する落語を追い求めてきた。
 彼の生き様は、笑いを通じて人々に生きる勇気を与えた。弟子と師匠の関係を今も残す職業は数える程に減った。何代も続いた宮大工が経営困難に陥って看板をはずす。後継者がいないというのが一番の理由だ。使い慣れた大工道具が埃紛れになっている。時代が変わったと言えばすむ話しではない。
 福祉業界だって同じ。今では誰もが始める時代となった。似たような経営理念が目白押し、マニュアル通りに作ったもの、それから老婆心ながら外観を競う社会事業は滅びると思う。その理由を一つだけ教えよう。
”何を優先するか!”という事ですね。これが福祉の基本だ、後は自分で考えるこった。なー八ッあん。お後がよろしいようで。

1302:文化の日

11月3日(文化の日)は晴れの特異日だという。気象統計からみて年間を通じ、雨が多く降ったり晴れたりする傾向がある何日かを定めているものだ。
 今日は見事に晴れた。昨夜遅くまで降っていた雨はどこにいったのか?今から私は法類の寺の本堂落慶式に手伝いに出かける。昨日は雨の中の準備、天気予報では段々天気が良くなるということだったが、半信半疑だった。
 随分多くの行事に関わってきたつもりだが、常にハプニングはつきもの。臨機応変な対応が必要な事は解っていても、次から次に要求されると頭の中が混乱し、放り出して逃げたくなる。正直そんな1日だった。
 もういい加減に誰かに譲って引退すべきなんだと思いながら、一応無事自分の役目を果たし家に戻った。
 *今日はどうもだめだ。やめておこう。Pm6:30
 

1303:外聞悪い

「外聞悪い」を「げーぶんわるい」と本家茨城弁では申します。どうも世の中が見えや体裁を優先した事象が目立ちます。鳩山首相が先の所信表明で立派な事を仰っております。『人と人が支え合い、役に立ちあう「新しい公共」』を目指すと、また従来の政策を「コンクリート」に例え、我々は「人」の幸せを目指すと言った。朝日新聞の社説にその辺の事が載っていた。
 皮肉と言えば同紙の3面記事にあった、集団自殺の未遂事件、敢えて穿った見方をすれば「自殺」を目的に人が支えあって、お互いに死ぬ為に役に立つとも取れる。寒気がする。所詮、美辞麗句を並べる人はあまり信用できないということだ。私流の見方では、「やっている事と言っている事が違うじゃーねーか」という事だ。他人を受け入れる能力が極端に弱まった社会、人を社会の網の目から排除・孤立させる社会。歴史を紐解くまでも無く、古より同様の有り様はあったと認めよう。
ならば、具体的に「人と人が支え合う」社会とはどのようなものなのかを示すべきだ。立ち止まるだけで次なる一手が打てない。矛盾は付き物だ。そして、その人間の限界は良く見えるものだ。自分は使い切れぬ資産を持つ身でありながら、政治献金など不明瞭な金の流れを説明しようとはしない。我々は指を銜えて待てばよいのか?長妻大臣が公表した貧困率、6人に一人は貧困だという現実をどう受け止めようとするのか?先の政権の総理も全く同じ御身分である。ただ話し方やその他モロモロが余りにも違うので国民は様子を黙ってみているというのが正直なところ。
 資本主義か社会主義かという二者択一の選択肢は過去の遺物、今の日本人には敗戦という大きな負の遺産を2度と同じ過ちは犯さないという意味で語り継ぐ責任がある。
 そこを曖昧にして、やれ経済政策だ社会保障だと粋がってみたところで世界は心底より日本を信じてはくれない。豊かだった時代はお金で解決することもできただろう。NGOの中身を精査するまでの時間的余裕はないようだ。しかし、国の借金が膨らむ一方の中で更に同様の手法で金を支出し続けることはできない。いずれこの決断をせざるをえなくなる。
 その辺の最重要の政治戦略、この国の形を、世界や日本国民に示すべく役割が菅副総理率いる戦略会議室だと私は思っている。
その動きが見えない。小沢流政治手法と市民政治からのし上がった人間は基本的に違う。その調整が鳩山さんに取れるか。
更に複雑にしている三党連立の政府に違和感がある。亀井大臣に付けた大塚副大臣、この人事は有る面では評価できる。オフレコなど完全無視の亀井さんを補佐する女房役としては、理路整然と話すことが出来て温厚な人間が絶対条件、彼のマスコミ写りは古川財務副大臣と同様すこぶる良いようだ。
 大臣が清濁あわせ飲む、大物?ならばこそであろう。ただ、調整の段階ならばそれでも良い。一つの結論を出す際には言行不一致にならないようにすべきだ。後手後手の言い訳ほど聞いていて見苦しい。
 最近の政治家は”外聞”を気にし過ぎる傾向がある。当選してナンボだと言えばそれだけ。だが、本当の改革はこの体質を変えないといつまでも有権者との溝が埋められない。
 私は福祉と住職という二足の草鞋を履いているとは思っていない。一体のもので、今となってはどちらが欠けても私には致命傷になる。
話を元に戻す。許せる外聞とそうで無い外聞がある。それがゴチャマゼになった状況が今。
 その解(ほぐ)す作業は、誰もやってはくれない。これこそ自らの責任で生涯をかけてやるべき事である。
 

1304:局面打開

国会予算審議を見ていて感じた事である。当面する情勢は八方塞がりで打開するには相当の時間と労力が必要だとわかる。野党慣れしていない自民党、政権与党ヨチヨチ歩きの三党連合、至る所に戸惑う姿を見た。一番盛り上がりを見せたのはみんなの党の渡邊議員が質問に立ち、彼独特の言い回しで行政改革への政府取り組みに対する不満を捲し立てた時だった。原口総務大臣が質問に答える。「今の渡邊大臣の質問に答えます」一同?????「あっつ私が大臣だった」という一瞬。前行政改革担当大臣だった渡邊氏が質問者で政府側の原口現総務大臣は答える側なのだ。
 会場が笑い声で盛り上がる。
テレビが入る事を意識した様々な工夫がある。与野党の逆転はあったものの、質問パネルや目線がカメラ向き発言、大袈裟な政治的プロパガンダは変化なし。それよりも生ぬるさを実感した場面は、大臣勘違い発言時の会議場溢れんばかりの失笑だった。
へーと思った場面もあった。自民党の石破氏が鳩山総理に質問した前段の部分である、二人は同期で同じ自民党、当時46名いた議員で現在現役は7名、当時若手議員で勉強会を開き、『一体議員はいくらお金があればやっていけるのかという事を話しあいましたね。』という話から切り出した。鳩山さんも時々頷きながら聞いていた。それから大分時間が経ち今の二人の比がある。石破さんは防衛のスペシャリスト、これは官僚が作った台本ではなく、自らが努力して得た知識だから切れを感じる。
 先の渡邊氏の「民主党は言っていることとやっている事が全く違う」との批判。さすが居眠り議員は見かけない。テレビを見ている此方側にも臨場感があった。徐々にだが変化は感じる。出来る事ならばこの中継をゴールデンタイムに放映するテレビ局が現れないものか。夕時のニュースでチョコット報道されるだけでは、国民の政治に対する関心は上がらない。マスコミ各社が役割分担で国会審議を全て放送する位の配慮も必要だと思う。
 何か難しい問題にぶち当たった時に、大きく二つの方法がある。一つは時計の針を逆回転し、元に戻ること。これが苦手になっている。もう一つは目指す方向を確かめ更に前進すること。これはリスクが伴う。
 今の世は、時計の針の進み具合を遅らせるか逆に回す位が丁度良い。小沢昭一さんが言っていた。彼のハーモニカ演奏はプロ級だ。小さなハーモニカ一本で彼は1時間位のトークショウを簡単にやりこなす。大袈裟な舞台装置やスタッフはいらない。昭和4年生まれの彼は貧困の生活を肌で感じて今に至る。物を大切にしなくなったと同時に昔から引き継がれてきた日本の文化が影を潜めた。経済発展は、物を大量に生産し、消費することで成り立つ、その弊害が至る所で見受けられると嘆く。彼が若い人に何を言葉として残すかと言われて即座に答えたのは、”戦争はよくない。絶対にやっちゃだめ”という事だった。
 今の日本で一番大切なのは歩みをゆっくり何が大切かを皆が考えること。天の時、地の利、人の和
 

1305:知ったかぶり

新しく土浦にできた大型ショッピングセンターに昼飯を食べに立ち寄る。店を見まわし、特に買いたくなるものはなく、来年の手帳でも買うかと本屋に寄った。そこで目にとまった本が『日本を貶めた 10人の売国政治家』小林よしのり編。最近読む本が偏っており、どっちかというと食滞気味だったので中和の意味で買った。
 結構面白い。政治家を褒める本は自費出版以外に無い。しかし、この本に登場する10人の政治家ご本人はどう見ているだろうか?多分、自分の視界には入れない。あるいは密かに満足しているかもしれない。数いる政治家の中で10人に自分が選ばれたという優越感?
 知ったかぶりは危険だ。経済学に興味がなく、大学で一般教養として授業を受けた程度、でも「経済」という訳語が福沢諭吉の「経世済民」からとったもの?位は聞いた事がある。自民党に経世会という派閥があったっけ。その程度の理解しか正直ない。
 慶応にはタレント教授が目白押し、ミスター円とかいった榊原氏、先の金融担当大臣竹中氏、その論敵で私が好きな金子氏、それから前のどこかの知事、もう少し時間がとれるようになれば聴講生で受講したいと思う。
 それぞれが信じる理論があって、今の実体経済を解説する、サッチャーが経済に二者択一は無いといったとか、それが真意だと思う。何処に焦点を合わせるかにより、経済の是非は論じられる。だとすると、今の日本をどうみるか?
 経済や法律は最初からギブアップ、文学部に籍をおいた私としては、理屈ではなく実態がどうしても気になってしまう。そして、何が真に求められるべきかを思索する。現政権の打ち出した「ゆうあい」とは違う、敢えてあげるとすれば『共生』である。それも「きょうせい」と読むのでは無くて「ともいき」と読みたい。その理由は大したことでは無いのだがここに拘りを私は持ってしまう。「きょうせい」では、さらなる説明が必要となるでしょうよ。解釈に枝分かれが生まれます。「ともいき」ならば、共に生きる。これだけで日本語は十分通じるではないか。
 日本の仕組みが枝葉の事が多過ぎて肝心な事がボンヤリとなってしまっている。その最たるものが、パタリと話題に出なくなった「障害者自立支援法」だ。複雑怪奇な法律である。「廃止」と言ったまま、次に進まない。現実に障害者がいる事を彼らはどう考える???
例えば、「小さな政府」「大きな政府」の対比だって私に言わせれば実に廻りくどい言い回しだ。受け取る側でどのようにも解釈できる。国会中継を見ていて感じたことを率直に言えば、言葉の遊びで心を感じない。先のNo:1304で紹介した遣り取り、見た目には真剣な審議をやっているように思わせるのだが、ちょっとした言葉のミスで場内が失笑の渦、これをなんと説明するのか?小沢さんここだよ怒るのはここだ。真面目にやれと。幹事長室に即呼び出し、厳重注意だ。貴重な時間をさいてやっている割には与野党議員両方にこの基本がない。どうしても私にはそのように取れてしまう。色眼鏡を何重にもかけたひねくれ者かもしれない。
 格差社会:貧困:不況・・・・・「可]と思う人間はいない。解りきった事を余計解りずらくしているのだ。
道に迷って右往左往しているハイカーに似ている。国会全体が迷路と化している。それこそ自分たちの責任だ。くっ付いたり離れたり。
 ただ現実は一時も休みなく動いている。

1306:同意条件

今日は某イベントが新型フルの為に急遽中止となり、午前中時間が空いた。尚恵学園では、まだ利用者さんや職員は感染していないのだが、職員の子供さんが何人か感染したとの報告を受けている。周りの保育所や学校では学級閉鎖が増えた。既に感染者が100万人を超えたとかいう話、台風と違い相手が見えないから始末が悪い。12月には障害者週間の行事もあり、開催か中止か判断に迷うだろう。施設は今どのように過ごしていると思いますか?
 何もせずにじっと部屋で過ごす訳にはいきません。利用者同士のトラブルが増え、なるべく外に出るように工夫を凝らしています。
外に出れば出たでまた何かが起こるのは常の事。昨日はエアロビに行った○さんがインストラクターにむかっていき腕を強く掴んでアザを作ってしまった。それからGHで生活する人が「ジロジロ見るので注意してくれ」との苦情があったとか。フーム!!!!
 緊急で新政権へ提出するから地方会の意見をまとめて欲しいと中央からメールが入った。民主党の障害者対策(案)も添付されていた。自公政権に対し、法の抜本的な改正を要望していた内容がほぼ盛り込まれているようだし、更に何かをという考えが私には浮かばない。具体的な中身については今後の経過を見守るしかない。
 ただ、気になっていることがある。それは政府説明の節々で妙に強調される実施する段階での国民的同意という条件。
これは何を意味しているのか?理念は了解、・・が実行は不可とならないだろうか。福祉も公共事業の枠に当然入り財源の大半が税金だ、ならばその支出には国民の同意が不可欠ということを言っている。福祉事業はムダであるとはさすがに言えない。ただ外堀は確実に埋められてきた。無数のダムや費用対効果など完全無視の超豪華な建物・・・・価値観が多様化し自らの利を最優先する昨今の人々に障害者問題を理解せよと言っても難しい。
 我々事業所として、果たして一枚岩で新政権に立ち向かう事ができるのであろうか!疑問を感じているのは私だけであろうか。
精神障害者関係団体の不祥事は全国版で取り上げられ、執行部は逮捕された。また地方紙には、様々な社会福祉法人の問題記事が掲載されている。ホンネとタテマエが堂々と語られる。昨日もメールが入った。GOOGLEで「知的障害者施設 福岡」で検索するようにという内容だった。開いてみると福岡県の某施設で男女10人を一部屋で生活させ、夜間は簡易トイレを部屋に置き対応している。県が実態の調査に入った・・・云々。このような報道があると同等に思われるのを心配する。
 個室では職員の目が届かないという理由らしい?
 これなど特異なケースかもしれない。しかし、職員数は増えず夜勤制が条件で、現状はいずこの施設も自転車操業、日中の職員確保もままならない。利用者が有る程度生活能力のある方なら良いのだが最重度の方であればマンツーマンの対応だ。体が元気ならば、今の障害程度判定では寝たきりの方より軽く出る。支援する側のホンネは動ける方を見るほうが寝たきりでいる方より大変ということ。これを認定段階で理解する人は少ない。
今、新体系に移行する施設の一番の関心事は、いかにすれば障害程度が重く出るかということだ。これなど、当事者として耐えられない。しかし、経営を考えれば致し方無し。自立を目指し、本人も必死に頑張った。運良く一般就労できた時点で今まで受けてきたサービスは受けられない。受けられたとしても期限付き。だったら一般就労など余計(?)な事はやらんほうが良いという事になるんじゃないだろか。知的障害者の特性など全く配慮されていない。自己負担割合の問題にしても育成会と事業所は要求が異なる。何がなんだかわからない。
 障害者自立支援法が施行されて三年がたつ。出るわ出るわ理念と現実のギャップ、正直どこをどう変えれば良いのやら。面倒だガラガラポンにしてゼロからスタート。そして今度の政権は『廃止』をマニフェストに明記した。
 国民の同意という一文、これは何を優先して執行するかということを暗に匂わせる。
今朝のラジオで鳩山さんはユーロ圏に対し、「東アジア共同体」成立の為にリーダーシップを発揮したいと今後三年で5千億円の海外支援を約束。フーム???
 また「障がい者総合福祉法」は置いてきぼりにあうのだろうか。障害者対策は内政問題、一部の関係者、地味で政治的プロパガンダには効果薄。
 CO2削減25%発言も理念OK、実行?事業見直しOK、されど?改革クラブの新井議員が昨日の予算委員会で言った。「金科玉条のマニフェスト、民主党の奢りを感じる」と。できることならそうあって欲しくない。貴方達に託した一票の重さは、決してかけ声や言い訳を聞くために投じたものではありません。
根拠法の「廃止」が決まっている中で続ける虚しさを、今、多くの仲間たちと感じています。少数派だからと言って黙っていられる性分に私は生まれてこなかったのが残念です。
・・・・ 寝る前に 日課となりし 血圧測定・・・・

1307:改革の術

さてと、先ずどこからメスをいれようかな。硬直した政界にやっと何か変化の兆しを感じます。日曜10時からのテレビ朝日、田原さん司会の番組、原口総務大臣と橋下大阪知事、中田前横浜市長が出演、久しぶりに面白かった。私はメモまで取ったんだから。てっきり霞が関改革の話しかと思ったが、地方自治改革が話の中心だった。中田さんは途中で市長を辞めたから迫力に多少陰りあり、ただし橋下知事は実に面白い人間だ。多分彼は柵が無いからだと思う。失うものが無いんだわな。
彼の持論だが国会は外交や防衛の国家戦略をやっていれば良い。それ以外は地方に任せるべきだ。だがその地方議会に問題山積、その実態は、議員は言いっぱなしで全く責任をとらない首長のみが責任をとる現実。行政は余計なアイデアは出さず議員の顔色を盛んに伺うというものだ。そこで彼は地方こそ議員内閣制にするべきだと主張する。その理由は選ぶ人選ばれた人が責任を持つ仕組みにしないと活性化はせず、自立もしない。いつまでも出てくる料理を待つような状態は決して良くない。自らが考え料理を作る形にしないとこのままでは地方自治体は破産するのを待つだけとなると声を荒げる。国から如何に金を持ってくるかばかりを考える地方の議員、国の悪口を言っていれば済んだ。それが政権交代で変わる、自らが金を生みだす工夫をしないと議員の立場が無くなる。
 さらに投票率が30%そこそこで何を言うかと矛先が有権者に、国民の自覚も低いと批判。文句は言うが自ら汗をかくことをしなくなった日本人への苛立ちか。政治に期待できないという思いと自己中心主義が相乗効果で力を得て無関心層が急増したとみる。それが成熟(?)国家の宿命か。もうそんな悠長な事はいっておれまい。
 確かに経営破綻寸前のJALと全く同様の体質で増え続ける財政赤字に為す術を見出せない自治体が山ほど有るのも事実だ。
 どうも、橋下知事のように柵もなく、無鉄砲な?首長が今後どれほど出てくるか、ここにかかってくると思う。
アメリカのオバマ大統領もここにきて支持率が急激に下がった。核廃絶やイラク撤退と就任早々、矢継ぎ早に手を打ったのは、さすがと世界中が関心しノーベル平和賞まで受賞する勢いだったが、アフガニスタンへの兵力増派や保険制度改革など大きな壁にぶち当たっている。
 一方びっくりしたのは日本シリーズの初戦、始球式に先の大統領ブッシュさんが登場したことだった。あれだけ大きな課題をやり残して退いた訳だからどこかで一人謹慎の生活を送っていると思ったのに、颯爽と登場し、東京ドームのマウンドから始球式のボールを投げた。
 ここまで割り切れるのかと思うとこのギャップに何だか悲しくなった。同じグランドに小泉前首相もいた。彼の偉業?もスケールはかなり違うが後に続く人には荷が重かっただろう。これは悲しさというよりも虚しさだ。何しろ彼の後、3人も首相が変わったのだから。その順番も忘れた。日本人でも知らん顔ってできるんだ?全く我々凡人には彼らの心中を解することはできないよ。
 その流れに”NO”を突き付けたのが先の衆議院選挙だったはず。
 地方議会の問題には私も言いたい事は沢山ある。先ず、こんなに県も市町村も議員の数はいらないということ。半分で良いんじゃないだろか。茨城県でもやっと有志が立ち上がり議員定数の減を県議会議長に要望した。今まではタブーだったんだから1歩前進でしょうね。実現までは時間がかかるかな?おかしいよな県の財政が逼迫しているとかいって予算は削るが議員の数は現状維持ってことは無いでしょう、私も柵は全くないから言いたい放題。
 それと、議員さんにはもっと勉強してもらいたいんだな。議会質問の資料は自ら作るべき。それと少なくとも文教厚生委員になった先生はレクチャーでも受けて、せめて「障害者自立支援法」の実状・課題位は知っていて欲しいな!それが仕事でしょうよ。委員を1年で交代するなどもってのほか。
 若手の議員さんに私は期待しています。長老はもういいよ。どうぞお引き取り下さいな。
中国が世界に先駆けて景気回復しているという。中国の富豪40人、個人資産日本円で900億円以上、そのトップが自社の株が1年で6倍になったという自動車メーカーのオーナー、資産5800億円だという。特徴としてはその40人の平均年齢が49歳だという。若い。このまま中国は突っ走るのだろうか?
(中国の場合は貨幣価値が違うので実際の格差は途方も無く大きい。中国の人口は13億人以上、国土も広い。経済バブルを懸念する人も多い。彼らの最大の政治的課題は内政問題、もし今の体制が崩れることにでもなったら、自国だけの問題ではなく日本も大きな影響を受ける。)
 ご承知のように中国は共産党一党独裁の国、情報統制も強い。決して日本がそうあって欲しいとは思わない。だが、新政権になり、ちょっと自重したほうが良いのではと思う事が目立つ。マスコミに出て持論を述べる閣僚、その結果、言い訳に追われることに。
 いま、野党には政権を奪い返す地力がない。その間に地方議会や行政の仕組みを見直す絶好の機会でもあるわけだ。 しかし、外交や防衛問題は先送りは効かない。その”国体”をどうするか?現政権の抱える最大の課題である。
内政問題の中国と外交問題の日本、お隣同士の微妙な関係は無視できない。
 私は昔はこんな風ではなかった。私の時代はこれでも良い。将来を考えたら黙ってはいられない心境になってしまった。

1308:ガバナンス

 行政改革の一つとして公益法人の見直しがある。公益的事業という特殊性から税金などの優遇措置がはかられている。認可条件も厳しく、様々な規制があるため、複雑で解りにくい実態がある。最近、俄かにその周辺が騒がしくなっているのは、天下り問題や補助金流用など市民感情を逆撫でするような実態が暴かれるからである。
 民主党が公約した天下り禁止に関しては、今般の日本郵政の社長人事でその釈明には歯切れの悪さを感じる。ただ自公政権とはっきりと違うものを感じる。それは鳩山総理の国会での答弁の仕方、彼は言葉を荒立てることをしない。そして答弁した後は、頭を必ず質問者に下げる。これが前政権とはっきり違う点だ。担当の亀井さんは自分で質問に答えたくて仕様が無い。でも彼は古いタイプの議員、感情が先に出て、言葉が後から出てくるタイプ。聞いていると余計疑いたくなる。
 私は時間が有ればなるべく国会中継を見ることにしている。正直面白くなった。各大臣がやる気があって、議長へ盛んに手を挙げ、自分が答えたいと訴える。これは本当は普通で今までが?。
 そこでガバナンスという言葉が浮かんだ。コーポレートガバナンスを企業統治と訳す。経営上の意思決定がその企業の価値創造にとって有効に働くように管理・統制する仕組みを言う。企業を政府とか社会福祉事業に置き換えれば良いだけで、見直しのメスが入った原因は、一部の者の独断と利益によって経営の暴走や倫理の逸脱が表面化したことによる。
 実態暴露の大かたは内部告発によると言って良い。通常の定期検査で見つかるものはほんの一部、寧ろこれは受審側の怠慢としか言えない。検査する日時が事前に解っていながら、そのチェックが出来なかった。ガバナンス云々以前の問題だ。
 長年、同じ体制で事業を行っているとどうしても慣れ合い体質が生まれ、持ちつ持たれつ、貸し借り関係でバランスを取ろうとする。
民間企業の場合は、事業存続が危うくなるから、悠長な事は言っておれず社外役員などを導入し、内部監査体制を強化する。そこに公益法人の見えざる弱点がある。合法的に基準が満たされていれば、それ以上の義務は無い。万が一、重大なミスを犯しても経営陣が変わるだけで事業の存続は保証され、従業員の身分は保たれる。ここにまた生ぬるい労使関係が醸成される。
 てなことを考えていたら、自分の尻に火が付いた。様々な論議は以前として半煮え状態だが、次年度に新体系に移行することを機関決定した。その準備を始めてがっかりした事がある。それは利用者一人一人の障害認定資料を作らせて感じた事、誰が言ったか思い出せないが、福祉関係者は自らの業務を文書化する事が苦手だということ、記入者本人は一生懸命書いた事は解るのだが、読む側にとってみれば何を言いたいのか解らない。私が理解に苦しむのだから全くケース実態を知らない第3者にとっては言わずもがな、相手に大変失礼なことになる。確かに160名の一人一人をチェックする作業は大変な労力を要する。私は自分の責任で全員をチェックすると決めた。
 一進一退なら良いが一歩進んで2歩下がる、これが偽らざる姿である。今の時代、一生懸命やったという情状酌量は効かない。巷ではそんな人ばかりで、必死になって自分の生活を支えているのだから。
 余計な話だが、”寺の行政改革”という一文を読んだ。これが又、社会福祉法人なんてレベルではない。いつも言うようだが相手が死んだ人と生きている人の違いが決定的分かれ目。そして住職の独断で寺が成り立っているから始末が悪い。私の関心事はどっちかと言えばこっち。どっち???こっちだ。寺だーよ。
唯一、気持ちが楽?なのは、所詮”ナマグサ”という看板は外せないという諦めがあるからかも。
懺悔懺悔 六根清浄。

1309:自己責任

昨日はちょっと忙しかった。常陸大宮で県の福祉大会があり出席。今年は600名を超える方が表彰された。特別講演として神戸から竹中ナミさんが来られた。内容は市民活動から出発したユニークな実践で熱気を感じた。さすがに時節柄参加者の多くがマスクをしながらで、あちこちでインフルエンザの話が聞かれた。高速で那珂インターで降りて20分はかからずに新装なった市民ホールにつく。6年前に町村合併したという市長の挨拶にあったが、県内で2番目に高齢化率が高く中心地から離れると限界集落が増えているとの紹介があった。
 茨城も私が住む県南地区と県北地区では、抱える問題は異なる。竹中さんが話していたことで、神戸の大震災のこと、神戸の街は六甲山と海に挟まれた狭い地域に人口が集中、そこを襲った地震で大きな被害を受けた。彼女は常陸大宮に初めて来たと言う。最初の印象が広々として自然が豊かな所だと話された。
私は表彰式途中で失礼し、つくば市に向かう。こちらは茨城県真言宗豊山派布教師会50周年記念大会、講演の終盤に到着、京都種智院大学学長の頼富先生の『遍路・・・巡礼の魅力と功徳』という話だった。私は今から4〜5年前に四国88か所は満願している。しかし、どうも満足はしていない。歩き遍路では無かったというのがその一番の理由。
 今度は歩き通してみたい。最近の私は感情の起伏が激しい。支離滅裂?怒り・笑い・涙・・・・無理して自分を抑えると逆効果、多少周囲の人には迷惑をかけていると思っているがどうしようもない。そんな事を思い悩みながら、飲めない酒を飲まされて代行で帰宅。
 私は運転する方と話すのが好きで世間話を持ちかけるといろいろな話が聞ける。朝方4時まで営業されているという。
代行を使うのは月に1回も無い。常には私が運転して送り届ける役。そう考えると今日は申し訳ないような気持ちになる。
 仕事柄、保育所や幼稚園、老人ホームに関係している知人が多い。昨年ぐらいから求職状況の変化を確実に感じている。施設を見学したいという問い合わせが増えた。就職を前提にしたもので見学の時は私は会わないことにしている。私の性分で即決定ということになりかねない。
 我々の仕事は決して高額な給与は期待できないが、安定した職場という見方が定着、HPで求人情報を流し、ハローワークや人材センターに通年で人材募集をかけている。産休や育児休業の職員が常時いるので年度の変わり目で採用するという形が取れなくなった。いま、事業を拡張しようと思えばできる条件が揃っている。ただ、自らストップをかけている。
 適正規模というものはその法人の能力により違う。責任が取れる状況かどうかは毎日職場に顔を出していれば自ずと解るものだ。冷静にみて今の尚恵学園は飽和状態という実感がある。利用者へのきめ細かなサービス???
グッタリコン 屁の河童 エイ!ヤ! ああああああ
この意味不明な叫びが私の偽らざる今の心境だ。
「自己責任」という言葉は微妙である。皆さんネットで話題になった「無職。自己責任?」という質問を知っていましたか?
 これは対等の関係というよりも、上からの目線を感じる。長年、障害福祉の世界で言われ続けてきた事と根っ子の部分で繋がっている。
 竹中さんの講演で「チャレンジド」という言葉があった。
「弱者に福祉をしてあげる国」から「弱者を一人でも弱者でなくしていくプロセスを福祉と呼ぶ国」にしたいという願いと実践。彼女は自らを告白する。若い頃、ヤンキーでどうしようもなかった。勉強が嫌いで中学しか出てません。・・・・・・
そんな話を彼女のHPを覗いてみたら、・・・・。チャレンジドという逃げずに向き合う力を頂いた。
米国大使館より『日本の勇気ある女性賞』を受賞している。
 

1310:記憶力

円楽さんが亡くなり、今度は森繁久弥氏が96歳で逝った。ご両名とも昭和・平成の時代に笑いを茶の間に届けてくれた。お二人が最近テレビに出なくなったと思っていたら訃報というかたちで現れた。円楽さんの事はこのコーナーで先にふれた。森繁さんはダンデイでユーモアを解するちょっとエッチなお爺さん、「屋根の上のバイオリン弾き」の連続公演も円楽さん司会の「笑点」同様に凄いの一言。共通する何かを感じた。訃報を知った有名人がコメントを出していた。その中の一人森光子さんも同じく長期舞台「放浪記」を主役で演じている。黒柳徹子さんも同様、芸をライフワークとした人達だ。
 お二人の旅立ちに正直悲壮感が似合わない。「お疲れ様でした」というおくり言葉がピッタリする。
何かに徹する事は、健康への細心の注意があって為せる業、それとご本人の努力は勿論だ、天性の能力なのだろうがどこかに余裕があって側にいたいと思わせる雰囲気がある、だから彼らを陰で支える多くの人達が集まった。共演者それぞれも忙しい人達だ。タレントなら尚更、スケジュールを最優先にして一緒にやってくれたから出来た事、その事を当人が一番分かっていただろう。共演者への感謝、口で言わなくても阿吽の呼吸が生まれ、当然それを待ち望む人達が絶えなかった。 
だから長期の公演が生まれた。
 「記憶」というものは人間にとってもっとも大切な能力だと私は思う。突然どうしてこんな事を言うのか?と思いますよね。
実は昨日は朝の6時からパソコンに向かって連続9時間キイを打った。御蔭さまで肩こったね。
 尚恵学園の利用者一人一人のケースとにらめっこ、障害程度認定の基礎データーを作るため、私の所に160名分の纏められた資料が届いた。
 個々の生育歴や経過の記録を机の上にうず高く積んである。その中には40年以上尚恵学園を利用されている方のもあって、記録を読んでいると急に先に進めなくなることがあった。記憶を辿り始めるとドンドン深みに入っていく。
 そして、ああこれで良かったのかなーという思い。大部分の方が出生時には異常がなかった。・・・・・・・・・
尚恵学園との関わりの歴史・・・・・そして今・・・・・・・
 いまどこの施設もパソコンによる記録管理になっている。ケースNOをキイで打てば瞬時に画面に表示される。
私は59歳になった。記憶を辿れば50年は遡れる。既にその時から尚恵学園を利用されている方がいる。
その方達の記憶を覗いてみたいという気持ちと懺悔の想いがダブって怖いような気持ちになる。一人のケースを読むだけで凄く疲れる。
 この先をどうしようかという事よりも、過去の記憶に押し倒される。その方に関係する人達、家族・病院・学校・会社・役所・・・・・それとその人本人の情報が樹形で複雑に浮かんでくる。
 現行法律の悪評の一番が障害程度認定だった。一人の人間を106の項目で果たして評価できるのか?
これこそ健常者の偏見と奢りを感じてしまう。お前たちはお荷物で見てあげているという。これを福祉国家と錯覚したものが多い。自分が相手の立場になって考えるというロジックをどこかに置き忘れた。外見だけを繕い、どうぞ見て下さい、昔と比べれば雲泥の差でしょう。 こうやって自らを誇る連中が多くなり過ぎた。私にはこの世界に入った理由で他に誇れるようなものは無い。有るのは”懺悔”彼らに申し訳ないという思いしかない。
 それがいつ頃からか定かではないが、本人の為といいながら実は事業所の為という活動が多くなり過ぎた。
利用されている人達はその事を訴えたりしない。家族は遠慮して言わない。
 このような中で福祉を見つめることは実に難しい世の中になった。
 私にとって彼らと過ごした記憶がある限り、ここに拘っていきたい。もし、それを失ったと思った時には自ら身を引くつもりだ。