源究88

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1271 好日 9/23 1276 通夜の祈り 9/30 1281 ルーツ漫遊 10/5 1286 造次顛沛 10/16
1272 青春のたまり場 9/25 1277 神無月 10/1 1282 使命? 10/6 1287 鬩ぎ合い 10/17
1273 困った白書 9/26 1278 歴史散策 10/2 1283 トキめき新潟大会 10/7 1288 行事縮小 10/18
1274 マニュアル 9/27 1279 落選私感 10/3 1284 スナップ&記 10/14 1289 10/19
1275 何処に行く 9/29 1280 環状花火 10/4 1285 思秋期 10/15 1290 転形期 10/20

1271:好日

”上見ればおよばぬことの多かりき 下みてくらす これ好日”
 彼岸中日、天気はどんよりした曇り空、風はなく穏やかな一日になりそうだ。クレヨンしんちゃんの作者が亡くなった。普段から山登りを行っていたという。荒船山の山中で確認された。春日部市という田舎街を根拠に活躍した漫画家、彼は引っ込み思案型の人間でマスコミに登場することは殆どなく、只管にマンガを描き続けてきた。シリーズものを書き続けるのは相当のプレッシャー、だから一人山歩きを好んだと思う。
 遺族のコメントがまた良かった。「また会える日までがんばって生きていきます」という内容のものだった。これって中々言えませんよ。多分、彼の日常の生活そのもの、亡くなったからといって途切れず連続していると感じる。
 さーて、少しは世の中が落ち着いてくれるかな?どうも自分から仕向けないと上手くはいかない世の中だ。語弊がありますが、我々の仕事は地味な仕事でしょうね。障害者の人達との関わりだってそうだし、寺の坊さんなんか、その最たるものだ。 そこに身を置くと息苦しくなってどこかに飛び出したくなった。それが最近は急に無くなった。
 どうして?歳かな?   そうだ 歳だ。 それと”チェンジ”かな。 日本という国が走り続け、いま漸く立ち止まって考えようとしている。国民が主人公ということを嫌という程知らされた。バッチを胸に付けられなくなった人たちよ、もう良いんじゃない。ゆっくりしなよ。無理して生きることもねーよ。野菜でも作って田舎で暮らせば・・・・・・
 今まで見えなかったものが見えてくるよ。
 ジャイアンツ優勝・・リーグ3連覇。2節目にトップにたってから一貫して首位を通してきた。強いという印象を誰しもが持ったシーズンだった。ベテラン勢と若手の切れ目無い打線、他チームにはない層の厚さを感じた。原監督は運の強い人。最初は湘南のおぼっちゃまという印象があった、レギラー争いが熾烈な社会、それが執行部の不協和音もなく、送り出す選手が皆、結果を出していく。この相乗効果はバブル?いな違う。多分、今の巨人にはキーパーソンがいるに違いない。監督以外のだれかに?
 実は昨日、法事を自宅で頼まれた。亡くなった御主人が野球好き、晩年はベットでの生活が長くなったという。それでもテレビで野球を観戦するのが楽しみだったという。奥様より一度も声を荒げて怒られたことは無かったという話、とても優しい人だった。享年90歳、見事な人生の幕引きだった。
 多分、今年の巨人の活躍を喜んでいたに違いない。
何気ない家族の団欒が見えてくる。日々好日とは、多分このようなことなのだ。

1272:青春のたまり場

「上記スナップ:日光光徳小屋より」
 井の頭公園の弾き語りで有名だという「あさみちゆき」さんのCDをアマゾンで購入、その中に収められた『青春のたまり場』という曲が欲しかった。大沢悠里のラジオ番組で本人が生で歌った。それを車の中で聴いてメモをした。既に亡くなった阿久悠作詞・杉本真人作曲。一度聴かれる事をお勧めします。
 井の頭という地名も懐かしい。当に青春を満喫した時代にタイムスリップ、
奥日光からの定期便で数枚のスナップが届く。秋の日差しを受け、ツタウルシが大木を這え上る。強さと根性を感じた。昨日は某会議が県庁であった。3時からの会議で予定の2時間は長く感じなかった。医療関係の会議で私など門外漢という思いは否めない。医師不足は全国46位という。現在県内には4,609人の医師がいる。人口10万人あたりでは155.1人これが全国平均では217.5人。平均まで持ち上げるには少なくとも県全体で1800人強の更なる医師を確保しないとならない。それでやっと全国平均である。
 小児科と婦人科が特に深刻だ。県も医療大学と連携をとりながら奨学金制度を作り、県内枠を確保、しかし、年間10人程度の数では、正直焼け石に水、これでは根本的な解決を見ない。県立医療大学は既に阿見町にある。
その中に医学部を新設しないと目標数値は達成できない。どうして作らないのか???どこかの医療大学に建物全てを貸して委託するわけにはいかないのだろうか。栃木にある自治医大の分院でも良いのでは?素人ゆえに様々な疑問が出てきてしまう。
 何故、医師不足が深刻化してしまったのだろう。委員の質問や行政の説明を聞いていて疑問に思ったことがある。
茨城が医師にとって条件がそれ程悪い県だとは思えない。私の住む神立には歯科が多すぎる位出来ている。予約なしでその日に診てもらえる。それに開業医もドンドン増えている。
 医師数を増やさなかったのは何らかの圧力があったのではないかという素人なりの勘繰り。昔、全国展開している医療法人(T会)が病院を新設するという話しがあり、それに地元医師会が反対した。患者が取られるというウワサがあったように記憶している。実力のある医療法人に門戸を開くべきだ。医師不足県は絶好のターゲットでしょう。
比較するにはどうも関心はしないが、昔、霊柩車の認可が取りにくかった。それは業界内からの圧力があったからだ。規制緩和すると1台当たりのノルマが減るから反対した。今では当時流行った宮型の霊柩車は宝の持ち腐れ、下取りもできず困っている。
 *何故、宮型霊柩車が姿を消したか解りますか? それは住民パワーですよ。火葬場への乗り入れ反対があったという事。それだけのこと。
 その辺の事情に共通するものが無かったのかどうか? 開業医の立場になれば当然、何らかの規制を望むのではないだろうか? ただし、入院ベットを有する病院は話が別だ。医師や看護師の数が基準に満たないと医療行為そのものが成り立たない、それに地域の中核病院ともなれば救急医療や重症患者の受け入れニーズも出てくる、その体勢を組むには医師:看護師不足は致命傷だ。金を出せば医師が集まるのか? そうじゃないという。先端の医療技術を学べる病院に医師が集まるという。そりゃーそうでしょうね。これだけ医療トラブルが多くなった時代、お金の問題だけじゃないのは、解る話ですよ。ならば受け入れ側の問題じゃーないでしょうかね。
 以上、全くの素人的個人見解である。
 あまり順位を気にする事も無いと私は思う。少ないなりに中身の濃い医療の仕組みが出来ればそれに越したことは無い。関係者の智恵の出し所。茨城にも医療大学の研修先として常に若い医者が大勢入っている病院もあるではないか。
 その後、新型インフルエンザの報告があった。タミフルやリベンザの備蓄は県全体で105万人分(H21年8月現在)既に確保しているという。予防投与の問題が出された。耐性菌が強まる懸念もあり、無暗には奨励できないという。免疫の問題も今朝のニュースで1917年(スペイン風邪)以前に生まれた方の中で50%位の人が免疫を持っているということだ。すでに90歳を超えたお年寄り。そうなると日本人の大半は免疫がない。不安を煽る情報である。
 いずれにしてもだ、その対策は基本的な事、つまり、ウガイと手洗い、それにエチケットマスク。
ただ困った事に、知的障害の人達はその基本的な対応策がとれない。その辺の事情をパブリックコメントを通じて日本知的協会として国に要望は既に出している。
・・・・♪ 今はもうそれぞれが 人生おくり
           振り返ることさえも めずらしくなり 色褪せた想い出と わかっていても
              この手紙どうしても おとどけします ♪・・・・・

1273:困った白書

妻の7割超が夫の実家の墓に入りたくない・・・46%の夫婦の1日の会話時間が30分以内
 これは某雑誌のタイトル『・・・衝撃白書』興味があった。その雑誌のサブタイトルが「人生もっと元気に、もっと楽しく」とあった。馬鹿にしてんのかよと言いたい。ウーム なるほど。
 困った問題として、某障害者団体の補助金流用疑惑の捜索が進んでいる、先の選挙で風向きが急に変わった。バッジを外すとこうも変わるのか、国とのパイプ役で名を売っていた先生が実名入りで新聞にのった。
 内心穏やかでない人も多かろう。静観することに決めた。
昨日、某先生とお茶飲んだ。先生などと呼べば隠れてしまうような方だからバッジをチラつかせる先生とは人種が違う。
「おかしいよ おかしいよな」と私が独り言を言うので、その方は「何か???」とポカーンとしていた。
 国の福祉政策だ。特老ホームは以前として毎年建築がされている。50定員で総工費は約10億、一人当たり2千万円をかけるのが相場。自己資金が膨大で5億から6億の借金をする。これを介護収入から返済する。この条件を飲めば認可する。
 その先生と私が同意見なのはこうだ。ホテル以上の華やかな設備が果たして必要なのか?どんどんエスカレート、借金に回すから人件費が減る。低賃金で賄うことが常態化、だから、回転が速く、平均で3年勤続という事業所も実に多い。
 国は様々な資格制度を作ったが、現場でその資格を生かす仕事などない。その悪循環が今の日本の福祉。
 ユニットケアーに対する賛否両論あり、しかし、外観を見れば豪華な設備がどうしても優勢だ。
 負け惜しみだと認めるが、尚恵学園は時代の流れから大きく差を付けられた。そりゃ^^^理事長の不徳の致すところなり。あっさり認めちゃう。
 今年の監査の時だった、担当者が事務室を見て一言、「尚恵はボリュームがありますね」。これをどう捉えるか。
手狭な事務所に膨大な資料が山積み、もう少し整理すれば良いのにという口頭での指摘と受け止めた。その事を褒められたと勘違いする職員もノウテンキ。応接間も無い。もっと酷いのは最近こんな事があった。東京の檀家さんが法事で寺に来られた。私が事務所にいると、メンバーのNさんが「ここにいっとー」とその方を案内してくれた。それがなんと土足のまま、私の性分では想像つくでしょう!「カッチンときた!、法事やめた。帰ってくれ」と喉まで出かかった。いくらなんでも土足で上がるというのは・・・・・
 ま、そのような実態があったのでしょうと深く反省し、少し早めにお経を読み、お帰りいただいた。
 私は正直雑記ノートを枕元にいつもおいて寝る。図面を書いたり、気になったことをメモしておく。何度、立派な建物の理事長室を夢見たことか。
 私には、拘りがある。先代は古材を買い集めて宿舎を作った。割れたガラスをビニールで塞いだ。古材の釘を抜くことから始めた。その事が頭から離れない。
 もしも、この流れが変わらないとすれば、数億という税金がほんの一部の人の為に使われる。運よく入れた人は良いでしょう。でも、これでは常に現状の改善は望めまい。何かが変だと言った私の本意はそこにある。
 その先生も実は同じ意見の様子。
 彼は軽自動車をマイカーにしている。それはそれだ。
最近、理事長が自分の法人施設玄関正面に最高級の車を止めているのを見かける。これが私にはどうしても納得できない。一般の人々の目はそこにある。福祉貴族をお前は目指すのか!よーく 考えろよ。
俺は死んだときに高級外車に乗れば良いと思う。困った白書は枚数がいくらあっても足りませぬ。
「何が人生もっと元気にだ」 でも 興味はある。ついでに先ほどの雑誌。
夫婦喧嘩・・・先に怒るのは妻36%、謝るは夫45% ウーム!! これでは日本は滅びるー・・・・・じゃん。 

1274;マニュアル

マニュアルとは「手引き」のことである。様々な業種にマニュアルが取り入れられている。医療や福祉の現場も凄い勢いで広まっている。昨日、県の研修会でリスク対応の話があった。各事業所での取り組みの紹介とリスクマネージメントの基本的な考え方を学ぶ。
正直な印象だが、果たしてどうなのか?新人職員やパート職には、どう対応したらよいか戸惑いがあるのは確か、統一した対応をはかるには「手引書」が必要かもしれない。ヒヤリハットや事故報告書の活用もどこの事業所でも行っている。だが、誤投薬や飲み忘れはどうしても無くならない。そこをどうすればゼロに近づけるか!関心はそこにある。
 自動車業界でトヨタ方式というものが有名である。効率性を極限まで追求した中で様々な見直しが繰り返された結果ミスが減り安全性の高い車が出来上がった。さりとて、これで良しという事はなく常に進化を繰り返す。
*ここで間違ってはならない事。それは同一規格の商品を作ることと人間相手の仕事の違い。個を大切にする仕事に本来、マニュアルは馴染まない。
 そこで、人間相手の仕事は、その点をどう捉えればよいのだろう。業務が煩雑で時間がとれない。デスクワークを極力少なくする努力も同時に行われている。今の福祉施設の現場実態は、全く逆の状況になっている。枝葉のどうでも良い事に振り回され、複雑で確認事項ばかりが増えている。ITを駆使して努力はしているが、所詮相手は機械、データーの入力まではやってもらえない。これをイタチゴッコというのでしょうね。
 私の考えでは、全てがバランス(調和)だと思う。一方に偏り過ぎると何のためにやっているのかが見えなくなり不安になる。その辺の確認が実は一番大事、インフルエンザ対策も全く同じ、現在、園内では職員にマスク着用を義務付けしている。これは自らが感染を予防するためというのではなく、万が一自分が感染している場合に周りの人にうつさないという配慮である。
 入所型の施設は、いつも外部から菌が持ち込まれてきたではないか!その媒体となっているのが実は職員ということが多かった。
家族が感染した場合には必ず報告をするようにしている、それよりも自分が感染していないと思って勤務に付き、後で解ったというケースが結構ある。そこへの配慮と外来者への注意の喚起である。
 ・・・・小休止・・
≪長野原町長のつぶやきから≫
 八ツ場ダムの今後の成り行きは、この国の形を決める試金石となると私は思っている。何しろ57年前に突如として国の方針により、先祖伝来の土地を去らざるを得なくなった人達。当初はダム建設に反対した人達の次世代が、今度はダム建設中止という国の方針変更に翻弄されている。町役場に全国からメールが殺到、その大半が誹謗中傷・脅しの類だったという。”非国民”とまで言われたという。
 その当事者の町長が呟いた。国が用意した転居先に町長だけが移り住んだという。今その家にたった一人で住んでいる。奥さんは既に今起こっている混乱を見ずに亡くなった。『できれば放り投げて逃げ出したい気持ちだよ。でも、責任があるから・・・』町長自身が歴史ある温泉旅館を先祖代々やっていたという。そこを閉めて現在地に引っ越した。
 右・左という決めごとは、実は絶対ではない。諸行無常。これを解っていながら、どれだけ多くの人々が涙を流し、地団駄を踏んだことか。57年の時は戻らない。それを中止の御旗を掲げ乗り込んだ前原さんも大人げない。そこが彼の弱点だ。政権の重みを痛感したに違いない。話の節々に見える自分達じゃない先の政権がやったことという責任転嫁。これを言っちゃお終いよ。本来、バッジを付けている全ての議員の責任だ。これが民主主義のベースだよ。
 今回の何とかチルドレン、経歴を見る限り、皆さん超エリートばかり、彼らは自信に充ち溢れ肩をいからせて永田町に乗り込んだ。道理を弁える前に地位を得た人が多い。この新米議員が現政権の命取りにならねば良い。確たる土壌に立っていない。
 ・・・ 桃李言わざれども下自ら蹊を成す・・・  こう有るには、紆余曲折が繰り返さないと無理なのだろう。

1275:何処に行く?

「障害者支援の問題なのは、繋ぐ人がいないということよね」昨夜の障害認定審査会が始まる前に、精神科のドクターと雑談していた。サービスをコーヂネートする人がいない。年齢や障害の区分によって受けられるサービスは用意されてはいるが、それをどう結び付けるかを手助けする人と場所が無い。これ現実!それぞれが新法の下で汗水流す努力はしている。しかし、相手のニーズは常に変化しますよね。これって常識でしょう。するとどうなるか、事業所と保護者との相対での遣り取りしか無いのです。行政の関わりは極端に引いている形にしたわけですよ。障害認定だけが残ったといっても過言でない。介護保険ではケアーマネージャーや包括支援センターというものが既に機能しています。
一方、 障害者に関しては仕組みが未成熟の段階で法の是非論が先行した。ここに至って、障害者自立支援法廃止の旗だけが靡いている。
 幸か不幸か私は様々な団体に身を置いています。県育成会・市育成会・施保連・福祉協会・経営協などなど、数え上げればきりが無い。どうしてこうなっちゃたのか?答えは簡単だ。全て結び目では繋がっているからです。
 当然、それぞれの団体の立つ位置が違う。抱える問題や描く姿が異なってくることになるわけ。
 もう少し整理できないものでしょうかね。
それを顕著に示す実態をここで紹介しましょう。審査会で上がったケースである。79歳の病弱の実母が在宅で障害のある息子を介護している。夫は持病の糖尿病があって、通院が日課、本人の兄弟もいて、その兄は統合失調症で自宅に引きこもる。本日は知的に障害のある当人の程度認定である。私は福祉の立場で参加しているから、どうしても本人の障害程度よりバックグランド(介護力など)に関心が向く。すると、それは本人の程度認定には関係ありませんということに。家族の支援は別法によって担当が違うという説明になる。現に毎日の生活があるのに杓子定規での対応。これがいまの実態なのである、全く同様の審査会が全国で実施されている。どう思いますか?国は部厚い判定マニュアルまで示してですよ。
 多分、その辺の矛盾を今回、民主党が現法を廃止して、「障がい者総合福祉法」を新たに立ち上げる動きになったと推測する。そして国連障害者権利条約の批准に必要な国内法の整理を行うという。解りやすく使いやすい制度にしてもらいたい。
 自民党の取った政策で与党PTを組織したまでは良かった。・・・・が、団体同士の調整が不十分だった。整合性に欠け、団体の要望を小出しに認める期間限定版。その結果出てきたものは、ご承知の通り、事務手続きが煩雑で異常に細かな制度になったわけであります。
 要はこの国の障害者対策をどうするかという党内での共通理解が無かったことを白日の下にさらした。だから、少し芽が出始めるとその芽を摘んでしまう結果になったのである。民主党が新たな制度を作るのに最低限行うべきことは、障害者団体の連携を先ず強化するべきでしょうね。それがないとお決まりの権利主張のオンパレード、声の大きい者が得をする結果になるのではと危惧します。
 日本としての国の形を作って欲しい。アメリカ寄りの政策をヨーロッパ路線に軌道修正?それも良いでしょう。それと東アジア圏の連携を模索?これだって誰も異を唱えません。果たしてユーロのような共通貨幣までする考えが有るのかどうか。その辺のリーダーシップを発揮するには、長期政権にならないと難しいでしょう。

1276:通夜の祈り

祭壇に飾られた絵
『こころ』
通夜開始15分前、決して広くはないが木造作りで落ち着いた感じの教会に着いた。既に弔問される方がイスに座って開始を待っていた。右袖に有るオルガンから静かなミサ曲が流れている。直ぐに気付いた。演奏していたのはお父さんだった。38歳の娘さんが自宅で突然亡くなった、今日の通夜を家族の方から園に連絡が入った。
 彼女と私達の繋がりは、絵画教室、週に一度だがもうかれこれ10年になろうとしていた。私にとって特別の思い出がある。それは受け入れる側の心していなければならないことをこのご家族より学んだ。
 只管に我が子を見守ってきた家族の強さを知った。通夜の祈り式で聖歌の伴奏を受け持つ父親の姿、これだけで十分に我が子への愛と悲しみを感じた。
彼女が徐々に色を使い始め、描いた絵(上スナップ)が印刷され弔問者に配られた。
 通夜が終わって帰宅すると、直ぐに園からの電話。某利用者の家族が怒って今から園にくると言う。夜の8時にならんとしていた。
 連絡をもらって駆けつけると、既に激昂して大声をたてている。相手は3人、園側も3人。大体電話で状況は聞いていた。今に始まった事ではなく再三トラブルを持ち込んできた。
 ・・・・・・・
 恥ずかし事だが、私の性分だ。「警察を呼べ」と声を荒げてしまった。「ああ 呼ぶんだったら呼んでみろ」暫く二人でにらめっこ。何という事かほんの1時間程の前の静かなお別れの場とは全く様相が違う。
・・・・・・
 当に臨戦状態、理不尽な要求をされると職員はメンバーさんを必死に守ろうとする、それも私みたいにケンカ?を買って出るようなことはしない。相手の言い分を黙って聞いている。
 これは事業所としてはどうなのだろう?いつもの事だが内省しきり。
誰もその事に関して言ってはくれない。どっちに転ぼうが責任は取る覚悟は常にある。
今はもう彼岸に渡った先輩達の顔が浮かぶだけ。私は幸い多くの先輩達の薫陶を受けることができた。穏やかで物静かな人達が不思議と多い。皆一様に言ってくれたことは、「涙を流せる人間になれ。怒る時は怒れる人間になれ」だった。

 

1277:神無月

待ち遠しかった雨が降った。夕方、庭の植木に水を撒いてきたが表面だけで中まで浸透しない。今朝、その庭をみると雑草も元気を取り戻していた。サモアとインドネシアで立て続けにM8クラスの地震が起こった。津波警報が出て、日本でも沿岸地域では避難騒ぎになった。南の島は海抜数メートル、そこに住む多くの人達が津波の犠牲で亡くなった。
 9月は何かと用事が入ってしまい、体を休めることができず、ここにきて夏の疲れがどっと出てきた感じがしている。また8日から5泊6日で新潟に行く、障害者全国スポーツ大会、インフルエンザ騒動が影響しなければ良いのだが、100名以上の選手団の団長を仰せつかったものだから、いまから自分の体調に気を配ることにした。元々虚弱体質の私は、最近年をとったせいか、首から上だけが血気盛んということでその他はカラッキシ駄目。
 そこで水戸に行った時は、必ず千波湖周辺を歩くことにしている。どうしても昼食後の一番混雑する時間帯になってしまう、どこからともなく運動着姿になった人達が集まってきて思い思いに運動している。その中に潜り込んで歩くのだ。
 ちょっと気になる親子を見かけた。3日続けて歩いた時も毎回同じ場所にいた。明らかに娘さんは障害をもっている。そのお母さんが弁当を持参し、湖畔のベンチで昼飯を二人で食べている。時々、カモや黒鳥にエサをあげている。仕事柄、声でもかけようかと思ったが遠慮した。
 日中から親子で何することもなく過ごしている。これが良いのか悪いのか、正直解らない時代になった。
昨日は22年度の予算対策委員会があった。国の上部団体では組織の見直しがされて、予算対策委員会の看板を外し、政策委員会という名称にしたという。中身は大して変わらないのだが、予算の要望をしても全くつかない。継続継続を毎年要望してきたのだが、これをいつまでやっていて良いのか!時代の変化を先取りするにはイマイチ、モチベーションが上がらず燃料切れ状態。
 やーめた!誰かやってくれよ、これが私の本心だ。ああでもね、こうでもね、絵に描いた餅、皆さん団体の代表だから,御託宣を並べます。でもね!聞いている方がしんどいんだわな。
これって不謹慎でしょうかね。
 もうひとつ言わせて戴きますとね、俺、不信任出して貰いたいんだわ。やめたいんだわ。そうなんだわ。
木に登っているのもいい加減嫌になったのであります。弱気は本気、これホント。

1278:歴史散策

今朝の地元紙の一面に「桜田門外の変・映画化」と大見出しの記事があった。水戸の千波湖畔にセットを作り、県内各地の名所旧跡をロケ地とするという。水戸藩開藩400年の記念事業の一環だという。
 桜田門外の変以降、明治維新まで日本では様々な事件が起こっている。徳川御三家の水戸藩も尊王攘夷を掲げ、その政争の重要な位置を占めた。(彦根藩)井伊大老を襲撃した事で久しく絶縁状態であった水戸と彦根は1970年に親善都市宣言をして和解している。実に110年がたっていた。
 その後、天狗党事件へ。筑波山が根拠地となり、神仏混合に向かった。その時流に沿い私の記憶のブラックホールに突き進む。”廃仏毀釈”これは寺に生まれた私の深層に堅固に縫い込まれた事象である。
 良くも悪しくもこの時期、学習意欲が極端に落ちた。まーこれだって今思えば懐かしい記憶である。
私の母方は、小田城の家臣、今の大宮市瓜連に島崎城があった、そこよりいつの時期かは知らないがつくば市小田に居を構えている。いま、尚恵学園成人寮が建っている場所は、その小田家臣の旧屋敷があった場所、何かの縁を感じざるを得ない。父方は愛知県稲沢市、昔より西東の境界にあってどちらに身を置くかで家の存亡が決まるという厄介な地域。
 いずれにしても日本国内の問題、時代は大きく変わった。後、100年たったらどうなっていることだろう?
確実に変わった事と言えば、日本人のこころ、新渡戸の著を引き合いに出さずとも、大義というものがここまで劣化した時代は嘗てない。個人主義重視の教育が国の体を学ぶ経験をせずに子供達を大人にした。国体、それは豊かさを他国に誇ることではない。何が豊かさを測る尺度なりやと問いたい。
 急に葬儀が2件入る。遺族と話していて思い当ったこと、葬儀の在り方も随分変わった。昔ならば世間体を気にした派手な葬儀が結構あったのだが、最近は身近な人だけで送るという形が増えている。
 幕藩体制の堅牢な組織は徳川300年の歴史を根本から支えた。いま、その点でいえば地方分権とはいっても具体的にどうあるべきなのかというイメージが描けない。
 その顕著な例が、公共事業見直し、基金凍結の流れであろう。鉄やコンクリートによる経済発展は外観を見るだけならば頷けるかもしれない。その弊害は後々出てくるもので、都市部に林立している高層ビルをいずれ解体する時になってどうするのだろうか? そこまでの責任は誰も考えない。
 個人消費が伸びないという理由だって、物が有り余っている現状で、いま必要な物は何か?政策的に実施する地デジTVへの切り替えが良い例で、買いかえなければ見られないというところまで追い込まないと買わない。
 ヒゲソリメーカーのブラウンは様々な部品を用意して本体を長く使用できるようにしている。日本のメーカーは形を変え、部品は用意せず、新しく買い替えるような販売戦略をとった。これでは競争は激化しても商品のブランド化は絶対にできない。
 M&Aが世界中で盛んになっている。外貨をしこたま貯め込んだ中国が企業買収に熱心だ。最近全世界に報道された建国記念行事、まさに今の中国の底力を遺憾なく披露した。傍目ではそう写った。
 お隣の国の驚異的な発展に疑問を呈する人も多い。情報が偏っているからその真偽の程は解らない。
歴史を学ぶことは、未来を学ぶことと誰かが言った。歴史散策、自らの足で確かめ歩くことが見直されて良い時代になったのである。
 

1279:落選私感

昨夜、IOCで2016オリンピック開催国の決議を行い、日本は2回目の投票で落選した。結果はブラジルのリオデジャネイロ、南米で初めての開催である。叡智を結集した招致合戦も100名弱の委員の心を動かすことは叶わなかった。
 私感としては、負けて良かったんじゃないかな。前回東京で開催した時(1964年)は中学生だった。52年ぶりの開催は準備段階から様々な憶測が飛び交った。JOCと東京が一枚岩ではなかった。世界ではスポーツ外交が盛んで選手の交流を始め、競技委員の派遣などが進んでいる。その点では、日本はまだまだ世界で認知されるレベルに達していなかった。
 それよりも東京の一人相撲という印象が強かった。全てに渡って東京一極集中の弊害・不満が高まっている中で国内の東京開催への盛り上がりが十分でなかった。名古屋・大阪がだめならいよいよ東京か!
 臨界地区にメーンのスタジアムを建設するという構想も将来を見通した時に違和感を感じる。ここにきて巨大地震が続いて起こった。M8程度の地震が起これば都市機能は完全にマヒするだろう。その対策はイケイケどんどんの招致委員会の面々には薄かった。
 世界的なイベントを行うよりも国内の安定を図るべきではないのでしょうか。鳩山さんも周囲の心配など頓着しない活躍だ。石原都知事への応援演説のために今度はコペンハーゲンまで飛んだ。これも正直付け焼刃的である。今まで犬猿?の仲であった二人が握手をしても素直には喜べない。そのような危うさを感じる騒動であったということ。
 少し落ち着いてこの国の形を考えて貰いたい。
障害者施策など酷いものです。今まで登ってきた山道が急に土砂崩れで通れなくなるという感じがしている。迂回路も無く、ただただ避難待機せよ、これでオリンピック開催?盛り上がらないですよ、勝手にやったらという思いで一杯だ。今月は東京で2回会議がある。それだって何も決まっていないから憶測の情報交換だけでしょうよ。2回目は他の用事と重なったからキャンセルすることにした。
 ある方の言っていたことを紹介します。この歌を聞いて勇気を貰ったという。

  まっすぐ自分と立ち向かい 生きてゆきたい
          弱い自分に勝てるなら 誰に負けたって良いさ    

 この簡単な歌詞に絶望と呆然自失の彼女を救った何かがある。それが何なのか言わなかった。
 でも解るような気がしませんか? 日本人が背伸びして常に他人と比べながら生きてきた。ニートや落ちこぼれという烙印を押されても直向きに働き、必死に未来を見つめながら4畳半の片隅でひっそり息をしながら・・・・
 あるものは挫折を味わって自暴自棄になった。個人主義や経済中心主義と世間を批判したところで何も変わらない。そこに僅かな望みを託す出来事、政権交代が起こった、鳩山さんの心中はいかに?
 この意味では今回の招致失敗は無駄の徹底的な検証を旗印にした民主党の公約そのものでしょう。
穿った言い方をすれば、先の国連演説で二酸化炭素25%削減を訴えた人だから、今回のコペンハーゲンでは、ここまでエスカレートした招致合戦への警鐘をならすすべきだった。「私は東京でのオリンピック開催には反対する」とでも得意な英語で演説すれば、多分ヤイヤの歓声があがったことでしょう。その覚悟無くして”ゆうあい”の実現は難しいのでありませぬか。老婆心ながら一言申し添えました。

1280:環状花火

3日は土浦の花火、日本3大花火の一つということで昔から大勢の人々が集まる。今回も70万人以上が集まったという。誰が数えているのかね?
 昨日の開催決定は大会本部も頭を痛めたに違いない。天気予報では午後から曇り時々晴れ、しかし昼すぎても雨がやまない。結果はやって良かった、見事に天気予報が的中。日延べすると大変だ。そのご苦労はなんとなく想像できる。私はつくばまで行く用事があったので午後4時頃に市内を車で通った。既に国道6号線は車の渋滞が始まっていた。交通規制が始まる前だったのだがこの有様だ。今年は丁度花火を打ち上げる近くに大型ショッピングセンターができた。花火の日は臨時休業し、照明を全て消すという条件が市と交わされていたと聞いた。桟敷は1カ月も前から作り始め、桜川の土手には多くの露店が店を並べている。JRで来る方が多いのだろう、土浦駅から2キロ程の距離の桟敷までは人でごったがえしている。
 用事が終わり帰りは常磐高速を一区間だけ利用して帰宅。途中、盛んに花火が打ち上げられているのを横目で見ながら運転、危険極まりなし。神立近くになっても歩道橋に腰を降ろし花火を遠くから見ている人だまりがあった。
土浦一番のイベントも無事終える。
 昔からの文化や風流を楽しむことが、どうも計算づくで行われるようになってきた。花火の地元への経済効果はいか程?
 国道沿いの家で臨時駐車場一台2千円、これなど多少のお金がそのお宅にはおちる。
 でもトータルすれば市は赤字だろう。丁度その日に新聞で県内市町村の財政指数が発表されていた。借金財政はいずこも同じだが、将来どうなるかという指標は土浦は県内では良いほうだった。緊縮政策をとった現市長の功績か。でもな!市民はいい加減なもの、「何もやんめーな」という批判をあからさまに言うからだ。たまったもんじゃーねーよな市長さん。できることなら辞めたくなっちゃうよな。同情します。
 花火を見るのではなく人々の動きを見ると実に面白い。発売日に昔なら列を作って桟敷席をとった。それがかなわなかった時には河川にゴザを引いて場所をキープ。今年はこれは禁止された。大半の人は花火の見える場所に陣取って遠くから眺める。
 こじ付けかもしれないが、日本の今の政治にどこかで似ている。桟敷に座って眺めることに喜びを感じている人(政権与党)。混雑を避け帰路を考えて観る場所を決める人(野党)。打ち上げ場所を核として環状に人の群れができる。
 最近の傾向としては後者の人の割合が増えているのではないだろうか。高見の見物というのは一番安全で責任は無い、だが少なからず関心はある人達だ。寧ろ問題なのは、花火に全く関心を示さない人達、それより困った人は迷惑だと怒っている人達だ。
 余裕が無いんだわな。
そこで思いだした。先日久しぶりに気の知れた人と飯を食った。そこで出た話し。「この不景気にお寺は関係ない」という話になった。一般の人々の目はそうなんだろうと妙に納得している自分、即否定を始めた自分。両方があった。
 月末に坊さんを集め、葬儀屋さんの話を聞く会を企画した。果たして何人集まることやら。長野県の某住職がNHKで取り上げられた。実際にお会いしたことは無いのだが、人を通してその方の活動は知っていた。”新しいお寺の在り方”という内容だ。葬式仏教に胡坐をかいているのでは寺が潰れると断言、寺を開放し様々な社会活動を実践、その事が評判になっている住職だ。寺の名前が私の処と同じ神宮寺、何か親近感を感じている。
 宗教界はより複雑化している。”環状檀家”という日本語は無い。実態は当にそうなっている。

1281:ルーツ漫遊

先月亡くなった叔母の49日法要が菩提寺であった。本堂での供養が終わって墓地参り。昔、石切り場があった小高い山裾にお袋の実家の墓所がある。久しぶりに訪れるが昔と全く変わっていない。今は廃寺となっているが後方にはお寺があって眺めの良い場所にある。周りにはコスモスなど秋花が見事に咲いていて心を和ませてくれる。
 亡くなった叔母には大変お世話になった。私のお袋が長女、先に亡くなった連れ合いの伯父は一番下であった。おじいちゃんは家業の醤油屋には余り力を入れず、どちらかと言えば世話役が好きで、村長を何期かやっていた。
 その先祖が埋まる墓所は一族郎党、同じ家紋の石碑が立ち並ぶ。その後、場所を変えて清宴、親戚とゆっくり話す機会も無くなり、様々な話が飛び交い2時間程の忌中払いが終えた。
 しかし、不思議なものでお互い年をとった事は一時的に忘れる。従兄での最長老は74歳、私の亡き兄とは年も近く、私の手元にある唯一の写真は、実家の板塀の前で絣を着た兄とその従兄の姿だった。9歳という若さで事故で逝ってしまった兄の話が出た。「福ちゃんとそっくりだったもんな」と言われ、それだけで十分だった。
 60年近く生きてくると様々な出会いを経験するものだ。
夕方、通夜があって頭を切り替える。昨夜、花火があった打ち上げ場所の直ぐ近くの家で行った。檀家ではないのだが、縁があって頼まれた。障害を持っていた為に19歳で親と別れ、施設を利用されていた方だった。読経を終え、お暇しようと思っていると同級生という人達が一目会いたいと棺の前にやってきた。
 尋ねると小学・中学の同級生達、皆さん40歳を過ぎているのだが、亡くなった本人は多分人気者だったのだろう。
障害の主なる原因が12歳で見つかった脳の腫瘍、何度も手術を行い、その都度、家族で見守ってきたという。
 誰しもいずれは渡る川である。此岸に未練が無いといえばウソになる。こうありたいと夢を持ち、それぞれが必死に生きている。今日は、午後からその方の葬儀がある。
 昨日、ショッキングなニュースがあった。先の財務大臣を行った中川氏が自宅で亡くなったという。泥酔記者会見で一躍有名になった方で、今回の選挙で落選した。次の選挙に向かって始動した矢先であった。
 彼の経歴からして、ここ数年の周りに起こった出来事は屈辱に近いものであったろう。自ら招いた事もあるだろうが、それだけではない。他党からの批判ならまだしも、同志から後方攻撃を受けては眠れぬ日が続いたのだろう。
彼のお父さんも若くして亡くなった。
 これも彼が選んだ道である。ご冥福を祈る。 

1282:使命?

歌手のアグネスちゃんを御存じでしょうね。彼女は香港から何歳?の時だったのでしょう日本に来られて、あの独特の可愛らしい声で一躍有名になりました。今では結婚され3人の息子さん、子育ても見事だが彼女の歌手以外での活動が素晴らしい。
 その彼女が乳がんになり、辛く長い闘病生活、その時香港の実家に電話をしたという。自分がガンに侵されていることを公表すべきかどうかという相談。実姉と母は即座に「やめときなさい。キズものになるから」と言ったという。お国柄の違いとは言えない。確かに以前ならば日本でも不治の病と言われ公にすることを避けていた節もあった。彼女の凄さは、自らの病気を公表し、乳がんは早期に発見治療すれば治る病気だという体験を元に乳がん検査の早期受診を勧める運動を始めた。
 逆境をいかすという一つの例である。
 彼女の話で「使命」という言葉があった。人間はこの世に生を受けた時点から誰しもが「使う」ことになる。これを使命というのだが、自分に課せられた任務。天職と考える。英語ではmission。病気をハンデイと考えるか否か!それともう一つ病気して解ったことで「毎日が誕生日」という事だとも。
 昨日の葬儀を思い起こしてみたい。故人は41歳だった。脳腫瘍の再発を繰り返し、何度も入院しての手術を受けた、病院ではいつも看護婦さんにとても人気があったという。それと彼の口癖は「ごめんなさい」だったということも施設長の弔辞で知った。病気に好き好んで成るものはいない。
 帰省の時は、お母さんの仕事の関係でいつも迎えが遅かったという。友達が帰っていく姿を彼は我慢しながら待った。その時ですら「ごめんなさい」と言ったとか。
このような風景はいずれの施設でも見受けられます。でも一般には知られていない。
 施設の社会化を図る。これだって入口の処で立ち往生しているように私には思える。施設が開かれることが目的化していないだろうか。施設では無く利用されている人であるべき処が本末転倒である。施設の自立、これだって施設が経営が良くなれば(儲かれば)良いのでしょうか?これでは社会的な批判を受けることになるはずだ。
 昨日こんな事がありました。まんだら工房のパンを様々な店頭に置かせてもらっている。農協の販売所は売れ行きが良くて毎日置いている。昨日、偶然にも私が電話に出た。パンを買ってくれたお客様よりの苦情の電話だった。最初は大変な剣幕で、「ラベルに書かれた電話にかけても何がなんだかわからない。お宅はどうなっているのか」・・・・丁寧にお詫びし、担当者から電話を入れることを約束して電話を切らせていただいた。なんとその方は神栖市の方だった。直ぐに責任者のIより電話が入る、お詫びに今から行ってきますという。月曜日はまんだらは閉店日、休みだというのに恐縮だった。片道2時間半ほどの距離をお詫びに行ってくれた。買ってくれた食パン(190円)への苦情、。。。。
 この事をどう受け止めるか??此方側の姿勢がこの一点に凝縮していると私は考える。
施設の社会化という話と根底では同じだと思っている。障害者が社会の一員として確たる地位を得るには、自らが持つ『使命』を実践していくことにより徐々に認知されるのではないだろうか。口に挟んだエンピツで描く絵だってそうだ。それと様々な授産活動、当然そこには生産者としての責任が要求される。
 日本の福祉現場は、介護を含め、この辺の基本的な思想がズレ始めているように思えてならない。箱ものを豪華にする事が良いサービスと錯覚している節が随所にみられる。障害に甘えることなく、自らの生き様を堂々と胸張って。
 いま大きな転換期にあることは確かである、将来本気になって福祉で働く若者を育てるためには、我々自身が本気になって取り組むこと以外にない。
 郵政民営化で物議を醸した豪華絢爛たる「かんぽの宿」、何故破綻したかを思い起こせば答えは既に出ている。いくら他に勝る豪華さを売りにしても人が集まらねば宝の持ち腐れ。同じ潮の流れが福祉・医療・教育それぞれの業界にも起こっている。それを「赤潮」にするか「黒潮」にするか当事者の責任が大である。赤潮の中で生物は死滅する。人相手の事業は働く人や利用する客がいることが条件でしょう。それと全く同じ事に早く気付くべきだ。そして何をやるかという事につきる。
+*?法人改革の流れの行きつく処は、社会福祉法人のM&Aだと私は思っているのだが、どうでしょう?
 

1283:トキめき新潟大会

トッキッキ
第9回全国障害者スポーツ大会(トキめき新潟大会)が国体の後10月10日〜12日、新潟県内を会場に開催されます。私達茨城県選手団は総勢87名で8日〜13日の日程でバス4台で向かいます。個人競技5種目(陸上・水泳・卓球・フライングデスク・ボウリング)それに団体競技(サッカー)に出場します。今回は見事関東地区予選で優勝したサッカーが加わり、選手団の人数が増えました。皆さん県の代表という事で張り切っています。そしてサッカーチームには特別に鹿島アントラーズの選手から激励の寄せ書きが贈られました。
 私は今までに岡山・大分に選手団に同行しましたので今回で3度目です。正直、5泊6日は長ーい。新潟は横に長ーい県です。競技会場も大分離れており、全てに応援に行くことができるかどうか、宿舎が5カ所に分かれてしまい、今までとは勝手が違います。それに気になるのはインフルエンザ、なにしろ団体行動ですから一人感染すれば瞬く間に広がるでしょう。
 マスクをして水泳するわけにもまいりません。多分大会関係者が一番気をもむ所でしょう。それに本土上陸が危ぶまれる大型の台風、予報では大会当日は大丈夫のようですが、全国から集まる選手達が果たして上手く集合できるかどうか。
 上の大会マスコットは『トッキッキ』というそうです。新潟はトキが県鳥になっていますからね。
 私の今の心境としましては、無事終わって欲しいということだけ。何しろ殆どが初めての選手達です、何が起こるか予測ができません。いつも関心するのは、監督やコーチの皆さん。宿舎での生活を見ながら競技の指導もされる。私の印象では皆さん熱血漢が多い、一緒になって頑張る。また、どのような感動するドラマが繰り広げられることやら、学ぶことが沢山ある大会です。
 という訳で暫く、この独り言コーナーはお休みします。
 

1284:新潟大会スナップ&漫遊記

結団式
県庁
サッカー
対札幌市
3:1勝利
応援幕 1×400
50秒22
1位
8日、県庁での結団式を終え、強風の中、折からの台風18号が本州縦断中、バス4台、総勢86名で水戸を後にした。
 今回は第9回の障害者スポーツ新潟大会、会場のスワンドームは総工費300億円をかけ、昨年新装オープンしたもの。開会式を終えそれぞれの宿舎へ、私は身体陸上と同宿、新潟駅前の東急インであった。2日目公式練習、我々は長岡まで新幹線で移動し、水泳とフライングデスク会場に激励に行った。何しろ新潟は縦に長く、それぞれの競技会場への移動が大変だった。11日は時々雨が降る生憎の天候だったが皇太子殿下をお迎えして賑やかな開会セレモニー、午後から競技に移った。スタンド観戦も毛布を被り震えながら、午後7時のバスで寄宿舎へ、翌12日は今度はJRで新発田市のサッカー競技、今年関東地区予選で優勝し、参加できた。初戦は札幌市見事なゴールが決まり、3対1で突破、その後の試合は全国の壁に負けてしまった(対静岡:島根)。でも4位という成績は立派。それからボーリング会場へバスで移動。大会新記録で優勝したSさんの妙技を堪能できた。・・・・・・。
 結局、金メダル22、銀メダル18、銅メダル4、トータルで44個のメダルを獲得過去最高の成績であったと思う。
だが、この大会は先に開催された国体とは趣が異なる。どう違うか?手取り足とりサポートする地元VSとの交流、県の隔てなく選手同士の繋がりの密度の濃さ、至るところで人々の輪が生まれ笑い声が絶えることが無かった。この雰囲気は参加したものでなければ解らない。成績も重要、友情も重要である。
 今回、様々な心動かされる事があった。開会式の時、突如降り出した雨に、身にまとっていた雨具を脱ぎ、プラカードを持つ女子高校生に着せようとする車椅子の選手。たどたどしい話し方だったが、VSへのお礼を上手にできたI君、以前茨城の先生にお世話になったと人混み中で必死にその先生を探す新潟の選手、この大会はこれからも続けて欲しい、そのように心から思った。13日、午後7時、無事帰宅。5泊6日。

 越後には何か気を感じる、それがどうしてなのか解らない。
これは全く個人的なものである。酒の力を借り突然の電話で驚かせてしまった。大愚と称した良寛、それに愚禿と自ら僧にあらず俗にあらずといった親鸞ゆかりの地だ。お二人に共通するものがある。それは己を「大バカ者」と呼び、計算高く生きようとする執着を嫌って、ありのままに生きた。
 有りのまま・・・それ以上でもなくそれ以下でもないこと。これが実に難しいが魅力だ。世間の評価を気にする余り、身動きが出来ない生活をしてしまう。自徳を賛じることに無我夢中で相手を蹴落としても何とも感じない人々。
 今回、連日夜遅くまで酒を飲み交わし、親交を深めた人達、そこにも何か共通する想いを感じた。
最終日、いよいよ水戸にバスが着く段になり、車いすの方がマイクを持って話し始めた。選手団を代表してお礼を述べたいと言う。
 「自分達は皆さんの手助けがなければ、このような大会に参加することはできません。他県の多くの仲間たちと競技することで自活に向けての勇気を得ることができます。どうかこれからも宜しくお願いします。これが選手一人一人の気持ちです。ありがとうございました」と述べた。
 日本1の米どころ新潟には信濃川が悠然と流れていた。先の2度の地震被害にめげず、力強く復興している新潟、その姿に誰しもが勇気と感動を得た大会だった。
 すっごく疲れた、でも良かったなー!関係者の皆さんに感謝いっぱい、お疲れでした。
語る事はいくらでも有ります。でも暫くは、この余韻を自分だけのものとします。
 

1285:思秋期

・・・・無邪気な春の語らいや はなやぐ夏のいたずらや
     笑いころげた あれこれ思う 秋の日・・・♪・・・・
 阿久悠が作詞して岩崎宏美さんが歌った『思秋期』です。へー随分シャレてますね!と自画自賛。それがどこか虚しい今日この頃であります。新潟での余韻は年齢のせいにはしたくは無いけれど薄くなった髪と同時進行で確実に曇り空。
 この歌は、アイドルからちょっぴり大人へ変身といったものらしい。ならば大人から老年に向かう歌があるのだろうか?
昔とった杵柄で野球&サッカーがゲートボールに様変わり、どうもこれは受け入れ難し。
 そう思った時、部屋の隅に転がっている7キロ程のダンベルが目に付いて、さっそく左右20回頑張った。今朝、起きがけにどうも肘当たりに違和感、今思い出したのはその為か!健忘症が始まったとまたもや浮かぶマイナス思考。秋を思う季節です。
 そんなこっちゃいけないと背広に着替えて水戸出張、その後行くはずの横浜は昨日キャンセルしたのです。人の不幸に何たることか通夜が入って大義名分、お付き合いの会議も出なくて済んだ。これも秋を感じる心の真実。
 そして今、PCに向かっているのです。これ現実。
 昨日は某寺院の本堂落慶式の打ち合わせ、小高い寺からの眺めは一面稲刈りが済んだ田んぼ。隠居寺には最高ですよと住職に言えば、まだその気に有らずと言うは強がり。お互い60前後の端境期、どう粋がってみたところで大差なし。
 忙しいのに電話がしきり、「住田さんのところインフルエンザ対策どうしてる?」と埼玉の施設長、急に現実に引き戻された。
 新潟で買った一冊の文庫本、司馬遼太郎のものだった。
・・・・生活に退屈しはじめると、こまごまと他人の意の内のうごきに興がおこるものだ。『風の武士』・・・・
 元気を得たというよりは、尻を鞭で叩かれる思い、これ如何に。
 先々の事は解らない。あれこれ詮索するのはやめよう。俺は憤死で良いと思っている。その時は「お疲れ!ごくろうさん」と逝きたいものだ。
 突然の知らせに心臓が止まるぐらいびっくりした、良いんじゃない。人間、ときめきが無くなったらお終いよ。八正道だって、そんなものしらねーよ。破戒僧で生臭坊主、何と言われようが屁のカッパ。
 それがグッドタイミングってことかな?昨日、地元の小学生がお寺を調べに来たんだ。留守してたもんだから、ノートを破いて置手紙、そこにはこんな風に書いてあった。
 「私の好きな地元という授業で私は観音寺にしました。和尚さんは留守でしたのでつぎの質問に答えてください。」
一番目に書かれていたものを見て愕然とした。  「 どんな生活をしていますか?」
  思秋期真っただ中でーす。
 

1286:造次顛沛(ぞうじてんぱい)

造次顛沛(ぞうじてんぱい)とは、わずかな時間を言う。
 例えば、あの人の事を、造次顛沛も忘れたことはなかったという使い方である。「造次」は、あわただしい意味。「顛沛」とは、躓き、うろたえる事。
 新潟大会で思った事の一つにこんな事がありました。副団長になった方が聴覚障害があり、手話が全くできない私は困ったと思った。案の定、私以上に不安な様子が最初からその方の表情に出ており、どうにかしないと6日間はきついと思っていた。最初の2日間は事務局の方と私と3人だけで同一行動、二人とも全く手話ができない。筆談でやるしかない。各会場に行くと必ず手話コーナーがあって係員が待機していた。彼は必ずそこに行って話している。その時の表情が全く違う。
 言葉というものは、共通の伝達手段と思っていたが、見事に崩れた。6日間、彼と同じ宿で過ごした。そこで解った事がまたあった。彼の部屋はいつでもドアが半開きになっていた。電話もドアノックも駄目だから外からの連絡を受ける体制、・・・・・。何の切っ掛けか思い出せないが私と彼が打ち解け始めた。彼は酒が好きだった。私は殆ど飲めない。普段なら遠慮するところを付き合った。
 これかもしれない。二人の会話が顔の表情で通じるようになった。(注:私だけがそう感じていたのかもしれませんが)
 実は、これに類した事が日常生活の中には山ほどある。便利な携帯電話がそうだ、顔が見えない伝達手段は時として全く逆の通じ方をする。今回手話にも二通りある事を教わった。今の聾学校などで教える手話は口語と同じように主語述語を使う。昔から手話を身につけている人達のは、どちらかと言えば英語に近いという。何が言いたいのかを優先した伝達方法であろう。
 副団長は実は78才、私との年齢差は19もあった。その方を彼というのは大変失礼なのだが、年齢に関係なく若い方だった。
昨日は手をつなぐ育成会の茨城大会があった。グループホームをテーマにしたシンポジュームがあった。県単独事業の一つである「GH体験事業」を実施した団体の代表が発表した。
 私は施設の立場で育成会とは関わっている。発表の中で入所施設が設置したGHへの不満が出た。確かに頷ける処もあるのだが、できれば我々の弁明の機会も欲しかった。
 内輪の研修だったせいか和やかな雰囲気のシンポジュームになった。不思議に思ったことがあった。それはお互いが決して自らの実践を他に誇るような素振りは全くなかったこと。こうやればできる。でも運営はこんな事が難しいというように一緒に考えようというものだった。
 この雰囲気は我々施設関係者の研修とは大きく違っていた。企業秘密など無く、自画自賛も無かった。私の願いは、障害関係者の連帯である。閉会挨拶は私の役目である。2分間時間を頂きますと前置きし、その事を話した。
 我々が特別支援学校に持っている不満は、学校の教員には解らない。我々施設に対する在宅の人達の不満も我々施設職員には解らない。この負の連鎖をどうすれば変えられるか!
 大きく異なる点を挙げれば、学校も施設もそこで働く者にとっては、障害者と一週40時間の関わりでしかない。一方、在宅者にとっては、365日24時間の切れ目ない関わりなのだ。話題に上がったレスパイト事業は施設にとって片手間(余力)のサービス位に思っている節がある、実は在宅者にとっては造次顛沛の休息(避難場所)なのである。
 この理解が無ければ本当の事業が育たない。行政はもっと酷い。定期異動がくせ者、行政に代わるものが育たない、否、育てない今の日本の仕組みの最大の弱点がここにある。
 人との繋がりの大原則・・・・・・側に居て欲しい関係。無条件で相手を許せる関係・・・・・ これは恋愛関係と同根である。この話は親離れ子離れへと話が発展するからこの辺で止めよう。
新潟で思ったことだが、少年 栄蔵(良寛)が母の故郷佐渡島を見つめる銅像があるんですね。何を思っていたのでしょう?それから良寛と貞心尼の関係は、私の理想とする姿、
 ・・・語らぬ愛語・・・究極のロマンですかね。

1287:鬩ぎ合い

世のあらゆる関係がせめぎ合っている状態ではないだろうか?上手く表現できないが、そんな思いを強く持っている。自由競争と言えば聞こえは良いが、現実は相手の弱点を如何に攻め滅ぼすかというルール無き争いを続けている。経済の仕組みはその最たるもので、政治の世界も当にそうだ。政権交代して1か月、与党になった民主党は嘗ての自・公政権の何倍ものスピードで走り始めている。そんな中、次年度の予算規模が過去最高になろうとしている。選挙公約を実現するには、無駄を省いた以上の出費が当然必要だ。政府の組織が良く解らないので何とも言いようがないが、管さん・仙石さん・藤井さんそれぞれが政府の重要ポスト、どのように調整しどこで責任をとるのか?よく見えてこない。
 障害者自立支援法の話は、ここにきてパッタリと止んでしまった。”廃止”を謳ってスタートしたものだから、我々としては心落ち着かない。本当に国が責任をもって障害者対策を行うのであれば、今の仕事を全て国にお返ししても良いと私は思う。そうすれば どれだけ気が楽になるか。
 インフルエンザが流行期に入った北海道では、救急病院へ患者が殺到し、待合場所も無く、廊下で横になって診察を待つ多くの患者がテレビで放映された。
 ワクチンの優先接種についても、協会として国に要望はした、でも希望した回答は得ていない。重症化するリスクが高い人達を優先するという事でそれ以上の話が無い。私の立場では、職員やその家族が感染した場合の自宅待機少なくとも4〜5日をどのような勤務体制を組むかで頭が痛い。休校や休園が取れる学校や保育所と入所施設は違う。このリスクをどう考えているのか?厚生労働省の大臣も舛添さんから長妻さんに変わった。ミスター年金の新大臣にその辺の舵取りは正直あまり期待できない。
 それと以前として我々施設側にも困った状態がある。誰かがやってくれるのを待つという姿勢だ。
 日本には省庁ごとに関係する団体が物凄い数で存在する。天下り先の問題だけがクローズアップされてはいるが、全体の数からいえばまだ一部である。いずれも業界利害が絡んで関係者が集まった組織、ご多分にもれず障害者関連の団体数も非常に多い。 加入するメリットとしては大きく2つある、情報を早く得る事とオコボレ頂戴。
 だが、いずれも効果薄となったのが今の状況である。先ず情報を早く得るということは、IT化が進み、高額な研修参加費を払わずともパソコンで瞬時に情報を得ることができる。次のメリット、オコボレ頂戴は世間の目が厳しくなったことと、不公平による内部告発で難しくなった。
 ならば何故、団体に加盟するのだろう? みんなで渡れば怖くない。これしか私は思いつかない。残念だ。
団体に長く関わっていると視野狭窄に陥る。世間の目が入りにくいからだ。自分達の主張だけが絶対だと錯覚する。巷には組織の残骸だけが残ってしまったものが沢山ある。地方の商工会議所・建設業協会・飲食店組合・・・・・などなど、街の中心部に事務所は構えているが、火の消えたような静けさだ。
 決して悲観ばかりしているのではない。少しずつ新しい芽が出始めているのも事実。補助金や助成金を当てにしたものではなく、自腹を切って立ち上がった人達だ。酪農業をやっている若い人たちが河川の土手の草に目をつけた。利根川の河川管理事務所が年間に支払う土手の草の処分代金が2億円、これを牛の餌にできないかという試みだ。
 我々、福祉業界も公金だけが収入源というトラウマから脱しなければなるまい。利用者の自立を声高に叫ぶ割には、どうも事業所側の自立は進んでいないじゃーないだろうか。  さーて、どうする!!。

1288:行事縮小

先の台風の雨は庭の木々には絶好のお湿りとなった。ホースでの水巻では表面だけで直ぐに乾いてしまう。秋になると雑草がまた生え始める。草取りをやって解るのだが、今の時期の草は手で引っ張ると簡単に抜ける。根がしっかりと張り付いた夏場の草とは違う。
 草の名前は知らないのだが、小さな小さな花を咲かせているものがある。抜いてしまうにはもったいないから残しておく。
 そんな事を思いながら小1時間作業をした。
 今日は恒例の”尚恵祭”、大きな行事である。中学校のブラスバンド演奏や地元同好会のカッポレ踊りなど、それにVSによる様々な模擬店と多くのお客さんを迎えるイベントだ、今回はその殆どを取りやめた。インフルエンザの為である。家族と利用者、それに職員だけの行事に縮小した。まだ園内での感染はないのだが、徐々に近づいてきているのは確か、少しでも外部から菌が入るリスクを減らしたいと判断した。これだってやらないよりは良い位のことは重々承知している。完璧な対策はない。
 手洗いウガイの励行、それにマスク着用。これが学園の場合は実に難しい。出来ない利用者が大半だから、当に無防備状態。
 今回の騒ぎは、新型ウイルスだからである。免疫がないから感染力が強い。ワクチン接種もまだ始まったばかり、これで間に合うのだろうか?我々は残念だが優先接種の対象外となっている。
 知識がないのでどうなのか?これって1回感染すれば免疫ができ、2度目は罹らないのだろうか。
 マスコミは死亡に至った方の年齢や基礎疾患の有無を発表する。誰しも死にたくは無い。あまり騒ぎすぎると日本中がパニックになるような気がしてならない。この不安感は相当なストレスとなっている。注意を喚起する意味は解るのだが、限度無き報道は問題が大きい。
 保育所では、休園ができないという。幼稚園とはこの辺の事情が違う。保育所は親が仕事を持っているから会社を休むことができないというのが一番の理由だ。仕事が無くて大変な時期に休むと言えば、結果は明らかだ。
 政府は子育て支援に力を入れようとしている。また再燃し始めた幼保一元化論は、保育所の待機児童を解消することが目的?。
 これから暫くは我慢の時である。国の形を大きく転換するというのであれば従来の既得権益を守ろうとするものからの反発は強まる。
 新政権が始まって1カ月ちょっと、次年度の予算査定の中で様々な問題が出始めている。先ず行った基金のストップも緊急処置、取りあえず流れを止めておこうというもので、見直しの時間稼ぎである。概算見込みで次年度の総額が95兆円に達するという。過去最大の予算となる。
 小さな政府大きな政府?何をもって無駄と見るか?マニフェストを最優先すると結果がこうなったという説明、税収の伸びが望めず、国債発行で凌ぐのか?
 いずれ国の借金は国民が返すことになる。果たして返せる額なのか?戦後、今日ほど政治家の責任が問われる時代は無かった。
 視点を変える。
昨日、久しぶりにつくばの湯ワールドに行った。マッサージを受けるため。学園都市は新しい街だから幹線道路が碁盤目のように通っている。つくばエキスプレスの沿線開発も思うように進まない中で、幹線道路以外の沿道に作られた店舗の閉鎖が目立つ。空きテナントの広告が目白押し。
 人の張り付きが思うようでない事も一因だが、店が多過ぎるということが一番の理由。見通しの甘さ。
 目立つのは飲食店(コンビニも含め)、それと薬屋が多い。薬だけを売っているのではなく店の中には食品雑貨を売るコーナーがあり、ついで買い客を狙っているのは明らか。どこもかしこもとなると新鮮味は感じない。
 以前からあった薬局の道路を挟み最近大型薬局が開店した。工事看板を見ると必ず開発業者が絡んでいる。アパート経営が頭打ちとなり、次に目を付けたのが貸店舗、それも一応は名が知れたチェーン店が入居するという契約だ。上手い話に乗ってしまう地主、いざ蓋を開けたら客の入りが見込み違い、1年と経たずに解約され、次なる入居者を待つはめに。
 これが街の活性化にどれ程役立っているのでしょうか。
 国が成熟?すると次なる目標の設定が出来にくい。一昔前ならば、更なる進展を目論んで武力による侵略も選択肢とした日本。それだけは国民の同意は得られまい。武器による攻撃ではないが、結果として同じ侵略行為が無かったか?日本の経済発展の裏でなされていなかったのか?その十分な反省も無しに更なるステップアップを模索する。
 いつまでも今の状況を続けることはできない。新政権に私が期待するのは、ただ一つ。過去の負債を貴方達が政権をとっている間に返していく事です。その間に経験する痛みは、公に明らかにして国民同意を得ていく努力をしてほしい。
 ここまで環境問題が深刻になっている。その一番の問題は、危機感の共有が無い事です。今回の新型インフルエンザ騒動が我々に示している事も全く同根だ、それはなんでも思うように出来るという人間の奢りへの警鐘と受け止めるべき。
 その線引きすることは至難の業だが、「足るを知る」政策が今の日本が目指す唯一の選択肢だと私は思う。
 そこから、本当に次なる世代に残すべきものとムダを選り分けるべきなのである。それが我々の取るべき優先事項だと思う。

1289:菊

毎年、丹精込めて咲かせた菊を近所の薬師寺さんが寺に届けてくれた。昨日立ち話をしながら、菊作りの苦労や楽しさを伺った。菊は種類によって微妙に育て方が違うと言う。水加減や肥料の与え方、多分、これらは経験から得たものだろう。
 私は、以前見よう見まねで畑で小菊を作った。2年ほど挑戦したと記憶する。でも結果は物にならず、ギブアップ。
 菊作りは実に奥が深く、毎日、生育を見守る辛抱が必要と解った。土壌や天気の条件が良くても雑菌や虫が容赦なく攻めてくる。結局、咲いた菊は霊園前に「宜しかったらどうぞ」と紙に書いて自由に持っていってもらうのが関の山だった。市場に出すなど問題外。 
 茨城は笠間稲荷の菊祭りが有名、山門前にズラリと並んだ菊は見事、一度行かれてはどうでしょう。
10日前に訪れた、中越地震の被災地、旧山古志村は現在、長岡市になっている。04年10月23日に突然震度6の地震が襲った。丁度5年たち大規模な防災訓練が行われたという。現地に行って感じたのは、あんな山奥に人々の生活があるということだ。今は道路も整備されてはいるが、所々に残っている旧道は山裾にへばりついた細い道で車一台がやっと通れる程のものだった。長岡から東に車で30分ほど入ると山に挟まれた集落、そこが、錦鯉や闘牛で有名な山古志村。地震で壊滅的な被害を受けたが、5年たち地滑り工事や道路の付け替えも進み、人々の生活がまた始まっていた。
 私が訪れたのは初秋のまだ紅葉には早い時期だった。紅葉の季節も桜の季節も最高だろうな、当に都会の喧騒とは縁が無い桃源郷そのものだった。慣れ親しんだ土地に住みたいと思う気持ちが頷ける。10年後、どうなっているだろう、また行ってみたくなった。
 昨日は日曜日、尚恵祭という行事があった。私は檀務が入っており、参加出来なかった。夕方、寺の裏山で杉の葉を燃やしていると、父兄の何人かが歩いて通りすぎた。私が挨拶すると、タオルを頬かぶりしていたので怪訝そうな顔で見つめていたが私と判ったのか「今日は楽しかった。こんな行事も良いよね」とお二人で声を合わせ満足した様子。
 子供達と家族、それに職員だけの日溜りの一時が良かったという。様々なイベントが行われている。その最たるものが、先に行った全国障害者スポーツ大会かもしれないと瞬間思った。参加できる人は良いだろう。その家族も誇りだ。でも、ほんの一部の人達のスペシャルな集い。膨大な費用と労力を駆使したイベント。
 それとのギャップが余りにも大きくて思考停止、今後はこのような催しも見直されるかもしれない。
 今朝のこころの時代、白隠禅師の話を聞いた。臨済宗中興の祖と言われる白隠は500年に一人の禅僧と言われる。
彼の生きた時代は徳川5代将軍綱吉の時代、幕府の政策として行われてきた参勤交代を堂々と批判した。当時、江戸の往復に今の貨幣価値で4億円もかかる地方の大名もあったという。その負担は民百姓にかかる。この無駄を批判した書物を書き、発禁処分を受けたという。
 さて100年に一度の本格的な政権交代という触れ込みでスタートして2カ月にならんとする。
 ちょっと気になる動きもある。参議院の無所属議員が4名民主党に入党したという。小沢さんの表情が微妙にとれた。
 今回の政権交代を願った有権者は、決して1党独裁を求めたわけではないはずだ。取り込みも程々に。
 現代の白隠禅師が現れるか・・・・・いやーどうかな?
 

1290:転形期

作家の五木寛之氏がある本の推薦で書いている。「空前絶後の転形期・・・・」と今を表した。確かに変化のウネリを感じてはいる。今まで醜かった裏のカラクリが少しずつ明らかにされてきたように思う。「ムダ」「利権」「裏交渉」・・・これらの言葉は暗黙の実態であった。世の中の仕組みが長年に渡り作られてしまっていたからどうすることも出来なかった。それが今回どどのように変わるのか?今のところまだ良く見えてこない。この混乱が果たして落ち着く場所に落ち着くのであろうか?
 私が一番関心があるのは当然厚生労働省だ、そこが大変な問題に遭遇している。守備範囲が広すぎてとっかかりが見いだせないのではないか。私が心配してもどうってことはない。廃止になった母子加算を12月に復活し、その代替措置として導入された就労支援の仕組みを廃止するという。厚生労働省は労働と厚生の行政を2001年の中央省庁再編の中で一本化した、内部では今でもその2派の権力争いが残る。そこにきて年金問題が暗礁に乗りあがってしまいにっちもさっちもいかない、年金のスペシャリストが大臣に就任、ここまでは良かった。だが野党時代に年金専門に政府を追求してきた長妻氏は迫力があって、ピンポイント攻撃が上手かった。それが今立場が逆転、省内全般の課題に自らが断を下す立場になって相当混乱しているようだ。
 目先がコロコロ変わるのが転形期と言うのでは、当事者はたまったものじゃーない。
 郵政民営化への見直しも加速されるだろう。ここに至ってJR福知山線脱線事故の事故調査の問題が再燃している。どうも国営企業の民営化で上手くいっているのは少ないように思える。親方日の丸の企業体質を変えるには、人事だけでは駄目で仕組みそのものに手を付けないとできない。また労使関係も大きな障害で、国営企業であっても組合が枝分かれ、交渉手続きが至極面倒ときている。日本航空の立て直しも内包する問題は全く同じだ。
 昨日、実は私が関係している団体の理事会があった。公益法人見直しの中で、従来の社団法人を一般社団にするか公益社団にするかという選択が迫られている。その移行準備をおこなっているのだが、定款などの中身をみると、やっている事は変わらないのに、条文が急に増え、より複雑になっている。これは一体何故そうなるのか?追求するのも面倒だから、指示どおりに変えようと思っている。
 変更申請書類が複雑で事務量を増やすことはあっても、助成金は毎年削られている。私の性分には全く合わない。もはやアレルギー症状が出る寸前だ。
 これが法事国家たる宿命か、官僚天国?などと言えばまた始まったと思われるに違いない。
 そう考えると制度が何もなかった時代、その時のほうが工夫する術をもっていたし物を大切にする人が多かった。時代の逆行というのでは無しに、綾取りゲームに時間を取られるのではなく、もっと単純明瞭にして本来の仕事に専念できるようになるべきでしょうよね。
 福祉には勝ち負けは馴染まない。この価値観を無くさないといつまでたっても地域力は育たない。入所施設をブロイラーと発言した議員がいたとか、これなど問題外、即バッジを外すべき、この事実がもし本当だったならばマスコミがこぞって取り上げ社会問題とすべきだった。実際には音無しに終わる。このような議員は官への口利きを生活の糧にしていた輩だ。その体質をも転形するというのであれば、いままで我慢してきたのだからこの混乱を暫くは静観しようではありませんか。