源究79

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1091 飛翔 3/7 1096 思慮深く 3/13 1101 境界線 3/18 1106 現実直視 3/24
1092 シャッター通り 3/8 1097 利益追求集団 3/14 1102 春彼岸 3/20 1107 直言パート1 3/25
1093 政党交付金 3/9 1098 生活の条件 3/15 1103 政界立腹帖 3/21 1108 情報源 3/26
1094 ゆりかもめ 3/11 1099 勇気を持って 3/16 1104 理事会 3/22 1109 またやった! 3/27
1095 障害者雇用 3/12 1100 何を変えたい? 3/17 1105 人命尊重 3/23 1110 クシャミ 3/28

1091:飛翔

友人よりある日3枚の写真が送られてきた。添付された写真に”静飛翔”という題名、連写で望遠レンズを通して撮られたもの。HPに無断で載せたから叱られるかもしれない。それに画像の鮮度も落としている。
 ”飛翔”という題名で、昔を思い出した。あれは昭和50年ごろだった。現在の事務所がある建物を補助金を戴いて建てた時、寮の名前をなんと付けようかと話しあう。いくつか上がった名前に”飛翔”があった。大空を羽ばたいて欲しいという願いが込められていたと記憶する。結局語呂が合わないということで、現在の「雄飛寮」と決まった。命名したのは、今は亡き飛田先生。
 鳥の中で白鳥は最も優雅さを備えている。私は水戸に良く出かける。時間があるといつも千波湖を訪れ時間をつぶす。そこには数えきれない程の鳥が集まって思い思いにくつろいでいる。その中でも特に目立つのは白鳥と黒鳥である。彼らは人間を怖がらない。ヲーキングしている人が直ぐそばを通ってもビクリともせず寝ている。
 白鳥の寝方は実に面白い。風が強く寒い日には、長い首を背中に回し、頭を羽の間に挟んで寝ている。あれはくちばしの周辺が寒いのかもしれない。それにちょっと気になる事は皆さん太目、あれで飛んでいけるのか?
 余計な心配かもしれない。私も完全武装で湖畔を歩いているが、その格好は推して知るべし。
 昨日は大変忙しかった。午前午後と違った団体の理事会があった。有りがたい事にどちらも出席率は90%を超えている。皆さん遠方から来られて意義のある話ができたかどうか?
 私は、必ず誰にも1回話をしてもらうようにしている。私自身の経験から、聞くだけでそれでお終いの会議の虚しいことを何度も味わった。皆さん、それぞれの考えを持っている。それが言えない会議では何も高速料金を払い水戸に集まる必要はない。
 その後、4時から地元銀行の30周年の記念パーテイに参加、私の施設も昔から大変世話になっているし、地元の人が招待されていたから、皆さん顔なじみ、楽しい一時をすごせた。記念講演として頭取の話が面白かった。大分野球が好きなようであった。関心したのはさすが数字に強いということだった。ONの話、長嶋のホームランの数、444本を年度ごとに空で覚えている。王の世界記録も同様に克明に覚えている。私がメモを取った面白かった話は、天才と秀才の違い。スランプに陥った時に違いが分かるという話だ。
王・長嶋は天才、彼らはスランプになった時に走ったりするだけで切り抜ける。一方、秀才として張本をあげ、秀才はスランプになった時、なぜ打てないのかと理詰めで考え、納得して修正するという。これだけではそうですかで終わり。しかし、やはり経営のトップ、天才は良きコーチには成れないという。理屈で教え込むことができるのは秀才型の選手だという。
 カリスマ経営者が嘗て日本にもいた。松下幸之助や本田総一郎。いま、組織が複雑でそのような経営者が出てくることは望めない。さすればどうしましょう?
 この辺の講演は、出席者全員が一番頭を悩ませていること。1時間ほどの時間、無駄話などどこにも聞かれず真剣に耳を傾けていた。
 ついでにもう一つ。
 頭取が祖母から教わったこと。 ものを買う時には頭を下げなさい。ものを売る時には頭を上げなさい。
 最初それを聞いた時に、逆ではないのかと思ったそうだ。しかし、銀行もサービス業、自らのサービスに自信と誇りをもち、お客さんにとって良いものを提供するんだというこちら側の覚悟が大切だと分かったという。
フーム・・・・・なるほどね。

1092:シャッター通り

昨夜は、友人3人と石岡で飲んだ。9時半には終わり、代行で帰る。旧道を通ると、これが噂のシャッター通りかと唖然とした。聞きしに勝る。土曜日の9時過ぎというゴールデンタイムにもかかわらず、全く人気が無く全ての店のシャッターが降りていた。運ちゃんに尋ねた。「いつも こんな感じ?」「そうですよ。」それ以上会話が続かなかった。
 2〜3日前の新聞に石岡駅前の再開発計画が具体化するとかという記事があった。
石岡は常陸の国の国分寺があった町、嘗ては茨城の中心都市、それが今、メイーン通りがこの有様。
 御多分にもれず、道路整備された郊外に店が移った。車社会となってもうしばらくになる。地方では車が無ければ不便極まりなく、歩いて買い物をする人など殆どいない。
 町の活性化運動の垂れ幕だけが目立つ。しかし、決定的な打開策は打てないようだ。祭りやイベントの打ち上げ花火はあっても、持続しない。こうやって街の中から明かりが急速に消えていく。
 一方、今風の郊外型大型ショッピングタウン、先日、つくば市にできたイーアスに行ってきた。
一つの建物に300店舗もの店が入る、北関東では最大規模の店、平日だったせいもあるのかもしれない。広大な駐車場は空きが目立った。丁度昼飯時だったのでレストラン街だけは結構、客が入っていた。2・3階のテナントは、お世辞にも繁盛しているようには見えなかった。若者対象の店が多いせいもあるのだろう。私などは本屋を覗く位しか興味が沸かなかった。
 ここと殆ど同じ大型店が今、土浦に建設中、この6月にオープンする、果たして全国展開する大型店の将来はいかに?
 笠間市では、同種の計画が中止になった。
日本の経済構造が外需頼みで外貨を稼ぎ、その恩恵でGDP世界2位の位置までのし上がってきた。この実感が我々に感じられないのは、内需が伸びないからなのだろうか。しかし、どうでしょう。日本人ほど無駄に無頓着な国民はいないかもしれない。不況とは言ってもモノが巷に有り余っている。1日に廃棄される食べ物の量が半端ではない。
 先日やっと一人12000円の定額給付金が決まった。いち早く配分を行った市町村へマスコミが押し寄せ、宝くじに当たったかのごとく「何に使いますか?」と騒ぎ立てる。この様子を見ていて、正直ガッカリした。大半の方が「何か美味しいものを食べたい」と答えている。
 同じ日のテレビ番組、ゲストが食事を注文し、予想額を一番定価に近く当てた人が勝つゲーム。面白可笑しく食事する。
 なんと、メニューの値段が一品で12000円を超えているのもあった。罰として一番予想額が外れていた者が全員の食事代を自腹を切って払う。
 これも誠に馬鹿にした番組だと思った。頭にきて、チャンネルを回すと今度は求職に必死になっている人たちの特別番組。何かがおかしい。
 新自由主義経済という括りではなく、何か人として生きる大切なことがメデア諸共にぶち壊す社会と化した。
 尚恵の作業班で作った大根がタイムカードの所に置いてある。空き箱が添えてあり、いくらでも良いからという値段設定。見ると大根だかニンジンだかわからない。肥料が不足したのかどうか確かめはしていないが、細くてとてもじゃないが八百屋に出せる品物では無い。でも良い。寒い日にジャンバーを着込み、作業をした結果できた大根だ。仏壇にあげたくなりますよ。感謝です。

1093:政党交付金

先日の会議でこんな事がありました。公益法人見直しの中で社団法人もその対象となっている。5年後には一般社団か公益社団のいずれかを選択しなければならない。その違いは非課税か課税かということ。それ以外にも何か違いはあるのだろうが、何度読み直してもハッキリしない。会議出席者は福祉に税金をかけるとは何事か!という意見が大勢をしめていたが、ある方が「日本で税金を払わないのは社会福祉法人と寺院だけ」という話をした。一瞬「なに?ジイイン?」と尋ねてしまった。これが一般の感覚です。トイレに籠りたくなりましたよ。
 自分の事を棚に上げ、どうかと思うのでありますが私見として。
「政党交付金」の事が急に話題になっています。これは平成6年の政党助成法によって、国民一人当たり250円が充当されている。総額で年約320億円、これを議員数により、分配している。5人以上の議員か全得票数の2%を取った政党でないと助成されない。この辺の経緯は、実は国民にあまり知られていないと思う。先生達がいかにすれば税金が使えるかと考えたものですから、言ってみれば国民不在。
 それは企業や組合からの献金が問題となって法制化されたわけです。いま、西松絡みの献金が取沙汰されています。献金の中身の問題と献金先が議員個人か政党かという問題の二つである。公共事業を年間T000億も受注している企業がダミー団体を迂回して金をばら撒いたとなると昔と何も変わっていない。受け取った先生達は秘書に任せてある。実態は知らない。与野党関係なく、全く口を揃えたかのような決まり文句。検察の事情徴収が秘密裏に行われている。そうかと思うと元警察長官の意味深な発言に政府と検察の意図的な捜査介入が有ったのではないかと新たな火種・・・・・いや!!!泥試合の様相を帯びてきた。それに口が軽いんだわな。
 どうして肝心要なことを討議せず、やれ証人喚問だ、辞任だとどうでも良い事にエキサイトするのだろうか。 永田町全体が今置かれた状況に対し感覚麻痺。これではなー!マスコミの姿勢にも反省を促したい。支持率が?%上がった下がったと。あれは調査の内容で数字はどうにでもなるんだから。
 今回、我々福祉関係者は次年度予算を暫定で作るより仕方がない。なにせ予算に関する事業所説明が年度ギリギリの24日に行われる。一抹の不安。それは今回の経済対策の財源がタライ回しではないのかということ。財源不足という事態になり、またもや2か月遅れ3か月遅れの支援費というマヤカシがあるのではないだろうか。未収金ばかり増える決算とならなければ良いのだが。
今から東京での会議に向かう。1泊である。

1094:ゆりかもめ

新橋から”ゆりかもめ”で国際会議場まで約25分。無人の交通機関だ。これがクネクネとビル街をすり抜ける。終点は豊洲、それまでの間は乗るたびに変わる街並みを子供時代に戻ったかのようにキョロキョロ窓越しに見つめながら過ごす。
 有明には、高層ホテルやビジネスビルがある。そこでの会議も恒例になり、毎回同じホテル(ワシントン)に泊まる。全国種別代表者会議、茨城より9名が参加、夜、居酒屋で情報交換。残念ながら昼間の研修の話は話題に出なかった。それよりも自分の施設をどうするか?ひと集めをどうしよう?・・・足もとのことで精一杯。私が会議の中で一つ心に引っかかる話があった。
 「我々の団体の弱点は事業者(施設)だけが会員だということです。」と一人のシンポジェストが言った言葉。全くの同感であった。新法への対応が団体ごとに微妙に違うことが腑に落ちない。これはそれぞれの主張が我田引水に過ぎるからである。こんな風に思っているのは私だけではない。ただ言わない、言えないのだ。
 今回の3年後見直しの中身をよく見ていると、新たな加算措置があるように錯覚?する。しかし、どう見ても結局は前と同じ、多少アップしたかのごとき報酬単価、これが糠喜び、増えて減って差し引きゼロ。
 この辺のカラクリは、有る意味では担当者の苦心の跡、そして、いつまでの予算措置なのか全く不透明。
 ”ゆりかもめ”に乗って感じる。未来の交通機関という触れ込みでできた。音は静かでホームの安全性はトップクラス、更に乗務員が全くいない。全て運行管理室で捜査されている。
 それから東京湾の埋め立て地にできた新しい街、現在も建設中のビルが目立つ。ここは東京でも別世界という場所だ。江戸川区や足立区に見られる人間臭さを全く感じない。駅から職場に向かう人々は、無言で下を向いてコートの襟をたて、皆さん同じ恰好で移動する。まるで蟻の行進のよう。
 施設に対して、良く言われることで「職住分離」というものがある。これは当に都会に住む人たちの発想だ。私など田舎に長く住むものにとっては、何故分離が必要なのか分からない。その微妙なズレは一概に否定はできない。むしろその地域に任せる内容だ。
 それから分科会の場で唯一驚きの声が上がったこと・それは近畿ブロックの方が自分の施設の話をした時だ。「私の施設は定員70名、この4月に新体系に移行しますが、障害区分で75%が区分6という結果になりました。これが分かっていれば早く移行しておけばよかった・・・・」
 知的障害の人々が今回の区分認定では低く出るということで大騒ぎになった。しかし、これも地域差なのか、なんと最高の区分6が全体の3/4、収入も大きく増えて、30名の職員数が45名となったという。
 このような事が現実に起こっている。詳細は分からない。後で聞いてみようとも思わない。
 ゆりかもめに乗り、上野から常磐線に乗り込んだ。普通電車にグリーン車両が2両連結されている。
このことに文句を言う人はいない。当然グリーン料金は取られる。応益負担だ。利用者負担金の問題は二転三転した。今、資産要件は撤廃され、応能負担に変わる。
 これが福祉の聖域か? いま国の配する文章などから”福祉”という言葉が消えてきた。それに変わるものが”介護”、確かに医療・教育・介護という三文字が目立っている。
 時代の流れと言えばそれまで、  が、私は変わってはならないモノがあるはずだと考える。
 

1095:障害者雇用

障害者雇用が益々難しくなっている。一般の雇用実態ですら景気悪化の煽りを受け、改善の兆しはまったく見えない。障害者に対しては福祉的就労という実践の中で様々な取り組みがなされている。2年ほど前から工賃倍増という目標を掲げ、全国的に授産事業の見直しがはかられ、試行的にコンサルタントを導入し、新たな視点で現状のチェックをしてきている。
 実際は、ここにきて、正直息切れ気味だ。作業にあたるメンバーが思惑通りにはならない。煽て褒め脅し励まし・・・・あらゆる手立てを使っても結果は?。
 工賃倍増という目標設定が疑問視されている。
ワークシェアリングという就労形態を多くの企業ではとっている。これは解雇切り捨てという雇用調整がしにくくなったという理由が一番。収入が減っても雇用だけは守ろうという痛み分けのギリギリの選択だ。
 何しろ地元にある世界的建設機メーカーの正社員でさえ勤務が現在、三勤四休という。収入は通常の六割減、それでも解雇されるよりはマシだということだろう。当然これだって労使間合意の上。
 このような時に施設だけが工賃倍増など、絵に描いたモチである。 福祉施設は、先行きどうなるのかと不安がいっぱい。
 昨日、某法人の役員会に出席した。新規事業を計画している。介護関係の施設整備の補助金は、総事業費の1/6〜1/7程度しかない。だから自己資金が膨大な額になる。それでよければどうぞ式の認可実態がある。借入や基金取り崩しで書類上は予算をつくっても、果たしてどうなるか、皆さんが不安を持っている。建物ができ、利用待機者も沢山おり、何も心配いらないはずなのだが、これがドッコイ。オープンに間に合う人手の確保にメドがたたない。介護関係事業所の職員の平均就業年数は極端に短いという統計が出ている。
 これも2日前の話。東京で会議終了後、ある人と話込んだ。彼は以前、特老に勤めていたが転職して今、障害者施設で働いているという。彼が辞めた一番の理由が給与だと言った。
 介護施設は我々よりも財務状態は良いと思っている。実際そうなのだが、なぜ人件費に回せないのだろうか?
正規雇用に比べ非常勤の職員が結構いるのも事実、同じ仕事をしていて、一方は賞与を満額貰い、片方はそれが無いのでは、結果は自ずと見えてくる。ここにメスをいれないと根本的に福祉職場の改善ははかれまい。
 私が県庁を訪れるといつも感心することがある。それは障害福祉課が採用したT君、実は昨日も私が行くと、彼は分厚い書類を私に見せに来た。最初、それがどのような意味なのか分からず、中身を捲って見ていたら、彼はニコニコして傍に立っている。「あ!そうか。Tさんがこれ全部打ったの?」と尋ねると彼は「ハイ」とはっきり答えた。見事な文章で、ページ数も100枚を超す膨大な資料を見せに来たのだ。良く聞くと彼はワードとエクセルで全て自分で作ったという。
 以前伺った話だが彼が職場に来て雰囲気が明るくなったという。それに仕事を楽しんでやっている彼の姿に励まされるという話も聞いた。
 できるならば彼が長く勤務でき、彼に続く人たちが官庁で多く働けるようになれば素晴らしい。
 福祉の戦略も変えてみてはどうか。それには成功事例を全面に出す。どうも福祉に関係する人たちは、私も?含め控え目な方が多い。これは日本人特有なものの気がする。その辺のイメージ”チェンジ”が図れるか否か、正念場に差し掛かっている。

1096:思慮深く

弥生3月、徐々に気温が上がってきたことを体感、畑では草の芽が今は遅しと薄緑色の葉の頭をもたげ、農家は田にトラクターを入れ、今年初めての土起こし。春は周期的にまとまった雨を降らせる。
 そしてマスクをかける人が目立つ今日このごろである。花粉症の症状か私は眼が乾きショボショボの目に目薬は必需品。周りに目を向けると確実に季節の移り変わりが発見できる。世の中が殺伐とした事件に覆い隠されてしまいそうだ。そんな時に田口八重子さん拉致事件の報道番組、当時1歳であった息子さんがいま31歳、そしてキム元工作員と韓国で面会、彼は実の母を八重子さんと呼ぶ。お母さんに対する思い出が無い。1歳の時に親子が無理やり離されてしまった事件。その息子さんの思いを推測することなどできない。
 ドイツ南部の学校で起こった15人殺傷事件。私の先輩が近くの街に住んでいるので早速メールを送った。昨日その返信が届く。17歳という犯人は無差別に銃を撃ち、自分も警察によって撃たれ死んだという。このような事件に対して国によって反応は異なるのだろうか?
 ゲーテやハイネを生んだ土地柄、訪れてみると分かるのだが、昔からの伝統を大切に生きている人々が多い。庭先を花で飾り、街の中心には一際目立つ教会の建物が聳えている。それにちょっと郊外に出れば、見事に手入れされた田園風景が目に飛び込む。
 詩作に耽ることもこの風景があってこそできるのだ。ああ・・・私も大分昔の事になってしまったよ。フランス文学を学ぶ時代、その頃がもう手の届くところには無い。
 60歳を迎える年まで生きてきた我々は、誰もがこれからどう生きようかと考える。実は私は定年というイメージが浮かばない。これが良いことかそうでないのかも分からない。
 なるようになれ!
 人生は短く アートは永遠である・・・・・たった今ラジオから某美術館の館長の話が聞こえた。
 

1097:利益追求集団

部厚い資料を運転席に置き、水戸に向かった。厚労省のHPより改正の内容をインストールしたもので厚さが3センチ程になる、とてつもなく膨大な量だ。その中で必要な部分だけを小綴じしたもので「報酬単価の概要」の部分。定員や障害程度によって事細かに単価がのっている。正直、字が小さくて読めない。そこで虫眼鏡を別に用意してきた。
 折角、水戸まで行ったのに、会議の出席者は半分、小1時間で終わってしまい、そのままユータン。こんな会議が半分有る。年度末のこの忙しい時に開催する中身では無い、ムダなんだわな。
帰ってきてメールを開く。
・・・・『忙しいのですね。くれぐれもお体を大切に。・・・・・・やたら書類を作ることばかりが増えた気がしていました。・・・・・何が良いことなのか。と同時に皆さんが利益追求集団になってしまったような気がして、一寸何とも言えません。・・・・』。元施設長の友人から届いたメールだった。
「利益追求集団」!!!この言葉に甚だショックを感じた。まさにいまの自分がそうだ。1円でも高いものはないのか?それを虫眼鏡を使って探している。何と言われても仕様がない。どのような理屈をつけても昔を知る人々には、受け入れ難いこと。定員数によって単価が違う。これが実に見え見えに設定されている。40人規模と50人規模では単価が違う。やり方次第では、総収入に変りがない。これも可笑しな話だ。今のシステムの尋常でない一つの例である。
 障害程度認定に関しても、そうだ。爪切りが全介助か一部介助、これは聞き取り一次調査の項目にある。本来ならば全介助の人が障害が重いのに、どういうわけか一部介助のほうが障害が重くでる。これまた妙な話だ。
 この矛盾を指摘され、正確に判定できないから別のスケールを用意しようという動きになった。
 このようなミクロの事案(爪切り云々など正直どうでも良いこと)に血眼になっていた。そして気が付くと細分化しすぎ全体的に我々は何のために何をしようとしているのかが分からなくなった。
 この戦いは、国と我々の前哨戦で本丸攻撃には至っていない。政治に助け舟を求め、戦略を練る。
その結果出てきたのが、とりあえず式の期限付き改正。それに異常に細かくなった事務手続き。
 これが今の実態だと思う。その中に私自身がドッブリ浸かってしまった。
「利益追求集団」という事は決して褒められたものではない。こんなことがいつ頃から際立ってきたのだろう。介護事業にばかりその責任を負わすことはまずいでしょうね。福祉に市場経済のルールを取り入れてきた頃が分水嶺かも。マーケットたる障害福祉も見事に同じ道を歩み始めている。
 一方では社会福祉法人の在り方へのチェックも同時進行。所詮、人間の成せること。公益性を謳いながら逸脱するものもおるわけだ。
 このままのどっちつかずの状態がいつまでも続くのであろう。これではまずい。消費税論議もいつもぼかされてしまう。国防問題もしかり。国民に対して明確に考えを示すべきです、その中で国民一人ひとりが選択する。 なにか日本の政治は変だ。突出したことがあるとぶれる。今の関心事は、政治献金の結末?
 これは本丸ではない。私からすればどうでも良いこと。だってそうでしょうが?まったく。
 こんな時、加藤周一氏の特別番組を観た。彼の著書「言葉と戦車」を早速アマゾンで注文。
彼は言う。明治維新後日本はずっと非人格化・非個人化・非人間化を進めてきた。経済的繁栄を得たかわりに失ったものである。彼は68年(昭和43年)に注目している。ベトナム戦争や学生闘争・中国の文化大革命やプラハの春、次々に起こる「変革」の動きに枚挙に遑がない。
 その20世紀に積み残した閉塞感が21世紀になった現代の様々な現象に非常に似ているという忠告。
 秋葉原であった無差別殺人、勝ち組はみんな死んでしまえ!というブログの書き込み、それは一部の異常者の叫びではなく、人間の顔をみない資本主義の中で底辺に淀んでいた不満が急に爆発したのではないかと指摘する。
 「赤」とか「極右」という色分けをし統制しようとした、嘗ての日本、いま自由を得た替わりに人間らしい生き方の全体像を見失ったとも言える。
 我々戦後生まれ世代は過去の戦争責任はない。しかし、将来の日本の在り方への責任は避けて通れない。

1098:生活の条件

”生活”とは、生存して活動すること、生きながらえること。「孟子」(広辞苑)
 ソマリア沖の海賊に対し、日本は2隻の軍艦を派遣した。航行する船の安全を守るため。実態はよく分からないが、他に何らかの方法はないのだろうか?ソマリアなどアフリカの最貧国では、国民が生きながらえることができない状況があるんです。経済支援では救いきれないのだろうか?海賊とはいっても木の葉のような小さな船でタンカーを襲う。彼らも死を覚悟しての行動。・・・・・・貧しい国は、自然に依存した生活をしている。だから地球規模の自然環境の悪化により生活することが危うくなっている。これらの国はCO2の排出規制の対象にはなっていないでしょう。石油など消費したくとも買えない。だから海賊問題は奥が深いんです。
 地球上に生活するという事は、宗教や民族、貧富や文化で差別してはいけないよね。

 いまメンバーさんで何が原因か分からないのですが、元気がなく、寝床から出てこない方がいます。病院で検査をしてもらったが特に異常はないという。昨日スタッフが2週間ほどの生活記録を持ってきた。
 私が指示したのは、家族に連絡して欲しいということ。翌日、お母さんが迎えにきて自宅に帰った。彼女には言葉が全くない。ただ嫌な事はハッキリ体で表現、梃子でも動かない。今回「病院に行こう」と誘うと素直に車に乗ったという。
 私たちの思いは複雑、メンバーさんが自宅に帰れる時は決して体調が万全な時だけではない。多分家に戻っても今回は寝床にずっといることだろう。
 またこんな事も耳にした。
全国大会での情報だからと前置きします。
 緊急一時保護(SS)という短期に受ける事業があります。お母さんが出産するという理由で受け入れた。その子が無断外出、結果として警察で保護され見つかった。家族への連絡が一時間後と遅れた、その事に怒った父親が職員をはがいじめにして殴りかかったという・・・・・・・・・
 私は偶然にもその職員と話す機会があった。入所施設は良くSSを受けている。これは在園者の生活に少なからず影響する。職員の手が分散するし、メンバー同士の微妙な関係が狂う。
 施設長と彼は只管、父親に誤ったという。「もう二度と利用しない」とまで言われたという。
このことを皆さんはどう思いますか? 受け入れる側の当然の責務と思うでしょうね。我々はそれを否定しません。
 SSを利用した家族の思いはそうでしょう。ですが在園者(その施設には50名の利用者がいる)の思いをどう考えますか?私たちになんの了解も得ず、全く知らない人が突然、寮の中に入ってくる。これが実態です。
 それからSSで施設を利用する本人はどうでしょう?彼に父親が事前に十分説明していたでしょうか?何故それをいいたいか!無断外出してしまった彼は歩いて自宅に戻ったことが後で分かったからです。家に誰もいなかったのでまた出ていったという。
 世の中の仕組みをいくら作っても上手く機能しません。それは権利と責任が曖昧となっているからである。否その基準がないからだ。リスクへの対応も当然、その基準が条件となりましょう。本来”契約”には付き物ですからね。これは一つの現象です。全てではありません。突き詰めるとですね、”生活の条件”をどう考えるかということに行きつくのでありますよ。
  

1099:勇気を持って

60歳という年齢は特別の意味を含む。「これから年金生活だ!市役所で手続きをしたよ」という友人が何人かいました。そう言っている当人は何か寂しそうな感じでした。「ひとつのステップさ!」と粋がってみてもどうでしょう?
 私自身もまだまだ先だと思っていたのですが、もう少しで到達です。いろいろ考えてしまいます。リタイアして生活のリズムが全く変わってしまい、何をして良いのか分からず無為に過ごされている方も何人か知っています。勿体ないと思うのですが、いざ自分がと考えると余計なお世話と思ってしまいますしね。
 私の場合は、シツコイようですが定年が無いのですよ。これが良いのか悪いのか?
そこで”勇気を持って”自分の生きざまを”change"しようかなーとか考え始めましてね。これも又夢物語かもしれませんよ。
 それがですね。こんな事ばかり考えているもんだから、最近夢に見るようになりました。昨夜も布団の中で飛び起きようとするんです。その内容は内緒にしておきましょう。差し障りがあるといけません。
 私のバロメーターは自分では分かっているつもりなんです。日常の何気ない事に感動しなくなるとダメなんですね。そこで思い切って一眼レフのカメラを買ったわけです。名も知らない雑草を写そうと思った。でもカメラケースに入れっぱなし、2,3度霞ヶ浦湖畔などを散策、シャッターチャンスを狙ったのですが、どうも気分が乗らんのです。
 これを世間では落ち込んだ状態と言うのかもしれません。それと、車にはトレーニングウエアーと運動靴をいつも入れてあります。時間があれば着替えて歩こうと考え、それは実践しています。歩く場所も固定してきました。
 水郷公園か千波湖周辺が多いですね。昔ならば遠出してもへっちゃら,逆に元気が出たもんです。
この状態をなんと言えば良いのでありましょうや。
 これはまずいと考えて、昨日はマッサージにかかりに行きました。いつも行くつくば市の湯ワールド、日曜日でいつもより客が多かった。私の後からマッサージ室に入ってきた客がおしゃべり好き、やたらとマッサージ師と話すんです。迷惑ですよね。半分寝ている状態でしたが、あれっ?急に耳を欹てたんです。
 「戒名って自分で好きに付けちゃーダメなの?」「この前ね横浜で葬儀あってね、首都高速で行ったんだ・・・」「サービスエリアで衣着て焼き鳥食べていたらジロジロ見られちゃって・・・」
 何???同業者。
 一瞬、自分の顔が赤くなったんです。これが私の深層心理。「ばかやろーなんでマッサージやりながら、そんな話すんだよ」と言いたくなっちゃいまして、そしたら落ち着かなくなっちゃいまして・・・
 一寸先は闇、何が起こるか分かりません。日曜日の午後、貴重な癒しの時間でありました。
勇気を持って”change"できるかなー!!!
 *[the change of life]=「更年期」知っていましたか?

1100:何を変えたい?

年度末はいつものことだが駆け込みの会議が急に増える。某会合にて思ったこと。
 行政と事業者との意見交換の場があった。私はオブザーバーという立場で参加する。
様々な意見が出されました。これはこれで会議の目的は達成できたと思う。しかしだ、物事には順序があって、言いっぱなしというものはサラダに醤油をかけ食べたようで後味が良くないものである。
 良く会議などで一方的に持論を述べる人がいる。これが困ったもので皆さんに発表をしてもらいたい時など始末が悪い。途中でまたその人が話し始めると元に戻って一向に先に進まない。「またか」という雰囲気が出席者に蔓延する、そうなるといくら立派な意見を述べても耳が拒絶する。
 事前に話の方向を決めておくのも賛成はできないが、ランダムな意見交換の場合は、その辺の配慮は不可欠である。
 要は貴方は何をどうしたいのですか?という問い返しをしないといけない。そうでないと本人は次から次にここぞとばかりに捲し立てるから、聞く側は苦痛となる。彼は一体何を言いたいのかをこちら側で整理することになってしまうからだ。
 私は立場上、様々な会合に顔を出してきた。全国の会議などでは、県の状況をいくら声を大きく訴えても聞く耳を持ってくれない。それは当然であって、ターゲットが国なのである。
 それから県での会議で、国への不満を滔滔とまくしたてる輩がいる。これも本人は至って満足しているがズレが生じる。市町村での会議はどうか?私はこここそが我々の本領を発揮する土俵だと思っている。
 国バージョン、県バージョンは計画の大綱を示すものである。ただその計画が市町村などに上手く伝わり仕組みが育っているか否かをチェックする責任はある。
 私も茨城版の福祉という事を掲げて今の立場に身を置いている。能力の限界を痛感し実に恥ずかしい。オリジナルな事業を起こすことなど到底できない。行政側は異動により毎年担当が変わるがこちら側は同じメンバーということも大きい理由だ。福祉の施策は1年で実効性が出るものなど何もない。そこが重要なポイント、短期戦で臨んで結果良かった試しはないと思っている。
 ま!これは私がいくら言っても仕様がない。この苦渋をずっとなめ続けてきたことも事実。
私が日頃から思っていることは、県独自の施策を作るには、市町村や我々事業者の責任が実に大きいということだ。正直、国が示したことをそのままやっているのが一番楽である。
 そうすると実はある能力が異常に発達するのである。それは何か?「できない理由」&「断る理屈」という言い訳能力である。
 果たしてこれで良いのか!この答えは、国や県に対して向けるより市町村に言うべきことなのだ。茨城版の福祉をつくる一番の早道は44市町村の中でどこかの自治体が実践を通じて範を示すことだと思う。
 市町村福祉には名が知れている職員がいる。何故知れているかお分かりですよね。彼らは実際のケースを抱えており、生の声を聞いているんですよ。その人に対する評価は凄いスピードで伝わるんです。
 事業者だけの団体の弱点を指摘した方がおりました。私も全く同感です。利用者側の声を如何に組み上げるか、これがソーシャルワークの基本中の基本である。いま、仕組みやマニュアルを作ることが要求されている。しかし機能していないものが多すぎます。仏作って魂入れず。これは坊さんに任して置けばいいですよ。

1101:境界線

昨日はお隣の県、柏市で通夜がありました。常磐高速で行くと1時間ほどで斎場まで行ける。昔、国道16号をよく使った。今、昔の面影が無い。つくばエキスプレスが開通して柏インター近くに新たな駅(柏の葉)ができている。駅前開発が急ピッチで進んでいる事は工事用大型クレーンが何本も立っているので直ぐにわかった。
 高速道路を利用するとある場所から車窓からの景色が変わることがある。東京から北に向かって常磐道を下ると利根川を渡って急に街明かりが少なくなることに気づく。利根川が境界になっている。
 日本有数の大河だから昔から人や物の往来に大きくはだかっていた。今は大雨でも堤防が決壊することは無くなったが、台風などで危険水域を超えた時など橋を渡るのが恐ろしい。昔なら対岸に何日も渡れず立ち止まっていたに違いない。陸前浜街道の要所である。
 実は最近境界線という言葉をよく耳にする。障害児教育などで使われるのはボーダーライン、態々横文字を使うのは相手への配慮があってのことか。そもそも人間を能力によって区分することなど大間違いなのだが、現実にはそのことが常識になってしまった。
 今から30年ほど前(1979年)、養護学校設置の義務化があった、私は当時学校との関わりが結構多かった。あの頃は差別教育ということで養護学校に入ることを拒否した親がいた。それがいま特別支援学校(旧養護学校)となり入学を希望する人が増えているという。教室が足りないということを聞いた。
 一般学校より手厚い教育が受けられるからだろう。それと障害を隠さなくなってきていることもある。
30年の間に大分変ってきたものである。
残念なことは、卒業後の受け皿が十分でないこと。学校生活の後のギャップに唖然とする親も多い。義務教育という境界線である、文科省から厚労省という縦割りの行政は以前垣根が高い。これが実に厄介で行政改革が遅々として進まず、天下り問題など未解決の状況だから障害者問題にまで改革が進むにはまだまだ先のことになりそうだ。既得権益を変えることは至難の業。
 昨日、現実社会の厳しさを見た。葬儀は無事終わり、斎場を出るときに華やかな恰好をした親子がゾロゾロ歩いてくるのとすれ違った。斎場ソバの小学校での卒業式が丁度終わって、出てきた所に霊柩車の列が遭遇、遺族は母と子の二人、この親子を支えてくれた大事なお婆ちゃんが亡くなった。
 方や卒業式が終わり、満面に笑みを浮かべた人たち、こちら側はこれからの生活が大変だと誰しもが思って、たった今最後のお別れを終えた人々。
 世の中が思うようにいかないということだ。私は火葬場で別れ、車で帰ってきた。大分暖かい日となり、今にも河川沿いの桜が咲きそうな季節。
 黄砂の影響だという晴れてはいるがどんよりとした空模様であった。
 

1102:春彼岸

彼岸の中日です。春は17日に彼岸入り、23日が彼岸明け、この7日間を言います。
本来ならば住職は寺に居て来客への対応をすべきなんです。昨日は玄関戸閉めですからね、帰宅したら玄関外に果物籠が置いてありました。誰かが本尊にあげてくれたんですね。今日は真面目に朝から白衣を着ておりましてやる気モードです。檀家さんとは長い付き合い、よくもこんな坊主を許してくれていますね。最近、Nさんの話題が出ませんでしたが、彼は昨日あたりにはお墓のゴミを綺麗に燃やしてくれていました。朝、顔を合わせると必ず「あそこやっておいたからな!こんど何やっぺー?」と聞いてきます。正直大助かりですね。彼の凄いところは決して愚痴を言わないのです。「まったく草も取らなくてどうしようもない住職だよ」なんてことは嘗て一度なりとも聞いた事がない。
他の者からは良く言われておりますが。
 正直なところですね。彼の岸のことなど構っておれないんですわ。此の岸のことで精一杯ってところです。これで良いのかなー。朝、本堂でモニョモニョ一応知っているお経を読みますが、これまた凄いんですね。仏様は決して愚痴を言わないんです。
 ありがたいということです。感謝感謝。
 一方私は愚痴三昧の日々を送っております。なるべく外面を良くと自制しておりますから、結局ここで鬱憤を晴らすということになります。
 あれ、どうでしょう?オバマさんがAIG幹部のボーナス支給に対して「けしからん」といっていましたね。
アメリカは契約社会です。雇用契約にあることだから支給せざるを得なかったという理由とか。彼も弁護士ですよね。公的資金を導入して倒産を逃れた会社の幹部が総額で130億円?というボーナスを今回受けたということでした。
 でも、日本だったらどうだろう?自主返納という事になるんじゃないだろうか。分かりませんよ。
 少なくともですよ。次期の総理が誰になろうともですよ、クリーンな人が良いです。何か後ろめたい感じの方には遠慮してもらったほうが良いです。
 大体、牙城崩壊ってものは、内部から崩れていくものですよ。怖い怖い。
果たしてそんなクリーンな人はいますかどうか?これが今の国民の政治に対する冷めた目です。
 こんな事を恥ずかしげもなく書き連ねています。なんにも変りません。承知のスケです。
でもね、どうでしょう、日本人は自分の考えを言わないで陰でグズグズ言いません?これ私にはできないんです。
 実は、昨日水戸で団体の総会がありました。一応代表をやっていますから、議長ですね。予定の議案の説明が一通り済んで意見を問うとダンマリ、「それなら、これで総会を終わります」と啖呵を切って閉めようと思った。そしたら急に意見が出始めたんですね。
 なかなか終われない。意見が全く出ない会議もありますよ。でもね、折角の総会の席ですもんね。
この意味では、とても満足した会議と受け止めております。本日は春の彼岸中日、朝から雨模様です。

1103:政界立腹帖

1956年12月号文芸春秋に『政界立腹帖』という一文を書いた人がいた。その人は知る人ぞ知る、白洲次郎である。北康利著の本を読破、久しぶりに胸がスッとする内容だった。白洲次郎は戦後、GHQと吉田首相の片腕となって奔走、今日本があるのは彼の功が大であると言われている。
 彼の生き様は、「プリンシプルを持って生きていれば人生に迷う事はない。プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もない・・・」と言行一致の生涯であったという。「プリンシプル」とは「筋」である。彼は決して全面には出ず、常に裏方に徹した。外見や言動が突出していたから誤解され敵も多かった。しかし、彼はなんの為に行動するかを常に自らに問いながら進んだという。
 地位を得てしまうとそのポストを死守しようとする輩が多い。それは白洲が生きた時代と今も何も変わらない。一番違う事はと言えば、いま「筋」を通す人が見受けなくなったということかもしれない。
 彼は昭和60年に享年83歳で生涯を閉じた。「葬式無用、戒名不用」というのが遺言とか、もしその通りにしなければ化けて出てやるとも言ったという。三田にある白洲家の菩提寺に埋葬された。
 さて、「政界立腹帖」なる一文だが、いろいろなエピソードがある。
マスコミに追われることも多々あった。ある記者に何かのことで真相を聞かれた時である。
 「僕は知らないよ。でもね君、僕は口が固いからここまでやってこられたんだ。知っていたとしてもしゃべらないよ」驚いたことに記者は、「失礼しました!」と頭を下げるなりさっさと帰っていった。(「占領を背負った男」下 P164)
 読んでいてこの部分から先に進めなくなった。いまはどうだろうか?メデアの有り方にも多くの疑問あり。言い放し、書き放題。興味を煽るような記事が多すぎませんか。言論の自由を守ることは大切でしょう、・・・が取材側のルールも有ると思うな。
 知らないことまでさも知っているかの如く言いふらす人が多い世の中だ。
 昨日、彼岸の中日、群馬県で老人施設で火災があって入所されている7名が亡くなる惨事が起こった。実態が究明されていけば、日本の福祉の脆弱さが分かるだろう。
 推測で言う事はどうかという思いはある。ただ、生保のお年寄りが多く利用されていたという報道があった。施設の責任者がテレビで詫びていたがNPO法人の理事長は84歳、他人ごととは思えなかった。何故、生保の方を引き受けていたか分かりますか?多分、関係者以外の方には想像できないことだろう。
 今はですね、日本の介護施設を利用するとなればお金が無いと利用できないのですよ。ホテルコストと言う入居時に用意するお金、膨大な金額です。そりゃー事業者側の言い分も私は分かります。
いつもそんな話ばかり聞いていますからね。設備への初期投資が大きすぎます。それを借金で賄うから、生保の方を優先しては受け入れられない。
 内部告発にとられても不味いわな。でもね、今のままで行くと同じ惨事が繰り返されますよ。
この辺の選択ですね。いつあるか分かりませんが、衆議院選挙の焦点は。

1104:理事会

昨日は理事会が2つありました。5時からは尚恵学園の役員会、年3回〜4回実施しています。その中の1回は食事をしながら親睦会も併せて行っています。役員定数の変更後、新たな3名の役員の出席もあり、予定の時間を延長して話が盛り上がりました。今回新たに就任した3名は、それぞれがお父さんが役員を行ってくれた方達です。偶然です。よく考えると本当にありがたいと思います。何しろ、初代が昭和7年に神立農友会を地元有志と作ってから76年、昭和31年(1956年)尚恵学園になってからでも53年という歳月を重ねて今日があります。宴席で話が盛り上がると、昔を知る人は、本当に懐かしい話を昨日の事のように話されます。
 振り返れば笑って話せることも、当時は必死でした。実は昨夜もちょっとしたトラブルが発生、警察から呼ばれ、職員が対応しました。
 福祉の仕事の内容が随分様変わりしました。正直良く変わったのか悪くなったのか分かりません。世間の眼は確実に変わっています。事業者への不信感は相当なものですね。つまり、良く言われる福祉事業屋が増えてしまった。利益最優先、全てをお金で計算する時代になってしまったことへの冷めた視線。
 これをこのまま続けることは危険です。?????
 さて、どうでしょうか尚恵学園は?このチェック機関が役員会です。
茨城県内だけで指定事業所数が1000か所を超す実態は、昔の発想では無理ということです。これから益々その傾向は強まることでしょう。
 ならばその時代の流れに逆らうことなく身を任せるか、それとも白洲が言う「プリンシプル」に拘り、意固地にも立つ位置を変えないか?これがトップ判断、当然責任が伴うものです。
 昨日、役員さんから言われました。「時間があれば質問しようと思った事がある。初代理事長の重度棟竣工時の挨拶文に書かれている事を実行していますか?とね」
 酒が入ると本音が出ます。HPに敢えて公表していることの真意は自省と同時に何らかの期待を含んでいます。
「プリンシプル」はこれですよと当に言われたんだと思った。これだって30年以上前に書かれたもの、初代の先見性には脱帽、職員への感謝、地域との連携、それに利用者への愛情を決して忘れなかった・・・。
 いま自分がどうかと言えば、アップアップの状態、現状維持に汲々としているのである。全く情けない。
有りがたいのは、その辺を気付かせてくれる役員が今でもいること。これは中途半端はできないという事です。ハイ。
 

1105:人命尊重

「事故」「責任」「賠償」この問題は今後さらに事業継続にとって大きな障壁となります。そもそも障害福祉の分野に契約制度の導入を決めた時から流れが大きく変わった。
 それに対して「義務」「役割」というものが曖昧になっている。片手落ちなんです。契約にどこまで詳細に盛り込むことができるか、非現実的と言わざるを得ない。裁判になれば事業者が負ける確率は高いんだから。「リスクマネージメント」「苦情解決」これは最終的な対策にはなり得ない。せめてやらないよりは多少は予防に役立つという位の捉え方ではないか。
 こう言ってしまえば元も子もない。「不安定」「不確実」な土壌でうわ物をいくら築いても脆い。
毎日、こんな事を考えています。正常な心理状態ではないかもしれません。でも、我々仲間は少なからず同じリスクを背負って日夜奮闘しているのです。民間法人にとって経営者が一番悩むことは、実は後継者の育成です。これホントです。
 福祉現場で働く人材不足、あたかも経営者が悪いと言わんばかりの風潮、それに何か事が起これば責任は全て負わなければならない。利用者本人&家族、ホンネを言えば現状のサービスに心底満足などしていません。
 将来の建物改修への資金調達、これも実に頭が痛いことです。
いま、負の要因がいくらでも頭を駆け回る。これで、(福祉は大切でやりがいのある仕事、将来は貴方の肩にかかっているんだ、ガンバレ・・・・・)  ウーム!誰がやりますかね???*独り言ですが、わたしゃー親に変な名前付けられ、煽てられ調子に乗って・・・・今頃、どっかでニヤニヤ見てんじゃーねーの?まったく、責任取ってよ。親父!お袋!
 今回の群馬での火災事故、亡くなった人が増えて10人になりました。84歳になったNPO法人の理事長、今、どのような気持でおられるだろう?気の毒で見てられません。
 よくテレビの前で勢ぞろいして頭を下げる企業トップ、何度同じ場面をみたことか?
私は今回の事件と全く違うと思っている。何が違う? それは一言で言う。『やりたくてそうなったのでは無い』ということ。意図してできる事では決して無い。
 基準に合った設備をそろえたかったに違いない。最新の設備で十分なスタッフで・・・・・。何度夢見たことか!
国は、早速、消防設備の点検を指示したのだろう、翌日、日立市の消防が全国に先駆け市内の関係施設を総点検したとテレビや新聞が報道。これをどう考えますか?皆さん。彼らは点検すれば責任が逃れると考えるのかな?
 そうじゃーねーだろうよ。たったこの事だけでも今の日本の行政の在り方が分かります。申請書類の煩雑とバリアーが置き土産。
今回の障害者自立支援法の改正論議だってそうだ。少し「お駄賃」あげて、やらせておくか式の思惑が読み取れる。大分私も性格が捻くれてしもた?
 これじゃーいくらやってもダメだ! わたしゃー、本気に改革するんだったら、一枚岩(障害者本人:事業者:家族会)で共闘しなきゃー無理だと思ってるんだから。それぞれが既得権の死守・我田引水の運動をやったって、足元みられるだけだよ。
 こんな事いったら手錠が掛かるかな?イヤー構わねー。本気になるなら、日本の全ての事業所が利用者を全て福祉事務所にお返しするぐらいの事をしなければ何も変わりません。綺麗事が多すぎませんか。
 釈迦・キリスト・マホメット・孔子、。。。4人の裁判員での裁判ならば私は出ても構いません。それ以外は拒否。
真の人命尊重を考えるならば、そこまでやらないとダメな時代となってしまった・・・・・・・。

1106:現実直視

今朝、早くからPCに向かっている。居てもたってもいられないからである。実のところ家の外でのケタタマシイ声で起きてしまった、それは我家のハナ目当て?のネコちゃんが2匹壮絶な唸り声での威嚇バトルがあったからである。・・・・春近し、猫の騒声で目を覚まし・・・・
 現実直視
オバマ大統領の支持率が下がっているという。この原因の一つとして軍需関係企業からの献金があるという、共和党のマクマラン候補者よりも多い献金を受けていた。要は先のブッシュさんの置き土産となる、イラクからの撤退とアフガン問題、アメリカ国民は長期にわたり大きな犠牲を強いられてきた。その影で紛争が起こると株価が上がるという企業がある。民間企業の紛争後方支援が常識化している。つまり兵士の宿舎建設、食事配給、武器の製造、兵士派遣まであらゆる事に関わっているからだ。その利益は過去10年でもの凄い伸びを示しているという報告があった。
 その対処にオバマさんが苦労しているのは明らかだ。それから社会問題となっている退役軍人のメンタルケアー、元軍人で1年間に6500人の自殺者を出している(1日18人)。戦争に正義や人道主義は関係しない暴力だけが生き残る術と言った元兵士、その体験をした女性兵士がなんと17万人になる、3人に一人が今、結婚し子育てをしている。彼女たちの戦争体験がその後の子育てに影響を及ぼしている。(DVやネグレクトが多発)
 一方、日本で起こった群馬での老人施設での火災死亡事故、生活保護の老人を住所地変更せず、無認可の施設に毎年送っていた墨田区。(生保は住所地が支給する仕組み)地元群馬県は実態を掴んでいなかったという。信じられないことが現実に起こっているのだ。これまた責任のタライ回し。介護現場の実態を知れば知るほど、この国はお年寄りに無策で冷たい国。富める者とそうでない者との格差拡大が止まらない。これに対して諦めムードが蔓延している。入所者の中には車いすでしか移動できない方、それに何らかの障害を持つ人も交じっていたという。障害者と老人を一緒に生活させるなど無謀としか思えない。私の今までの経験で断言できる。無外防止のために部屋に施錠していたか否か、これだって現実には已むを得ない実態があるのだ。
 いま日本の大半の市町村は障害者や老人に対し、本格的に手を差し伸べようとしない。すればするだけ自分の市町村の財政負担が増えるからだ。この仕組みが出来た時からこうなる事は分かっていたことである。家族や市町村から迷惑に思われ、彼らは行く場所もなく彷徨う。これが実態なのです。
 更に、施設現場での知られざる実態を暴露しましょうか。知的児童の入所施設が契約制度になった事を関係者以外は知らない。これに対して、我々事業所団体から反対した。契約になって学校の自己負担の旅行費や行事費を納められない子供がいる。彼らは旅行に参加できず施設で待機するという。それに施設への1割負担が滞納になっている家族もある実態。この解決策として措置でカバーする自治体もあるのだが、事業所と利用者との相対解決だと無視する市町村も出ている。
 私は知的に障害を持つ子供たちが、旅行に参加できず、施設で過ごさざるを得ないことがあるとすれば由々しき事態だと思う。差別をどれだけ重ねれば良いのですか!怒りを禁じえない。
 この現実を直視すべきなのである。
今朝のテレビで「リーダーをとやかく言う前に、有権者である一人ひとりが自覚を持ち権利を行使すべきである」という解説者の言葉、これに尽きる。
 某野党の代表の献金疑惑、彼の進退に対し党内から誰も進言できないという。ホントかいな?
彼は攻めには強いが防戦の宰相は似合わない。渡辺とか石井とかいう長老の役目である。果たして彼らがその役を引き受けるか否か、傍観者を決めるにはイマイチ説得力に欠けるのではありませんか。
 ならばお前ならどう伝えますか?
「はい。貴方は代表を辞めるべきです。検察と闘うというのであれば、貴方個人として政治生命をかけて戦うべきです。それが唯一の貴方に残された選択肢だ。」と。24日は何らかの決断をするという。その前に老婆心ながら申し上げました。

1107:直言パート1

”涙”with tearful eyes=目に涙を浮かべて
 WBCの2連覇で見せたイチローの涙、韓国との死闘を繰り広げ延長10回の神がかりの決勝打、日本中が感動した瞬間だった。
 昨夜、第1秘書の起訴を受け、記者会見した時の小沢党首の目に涙があった。いずれもメデアの注目の的。しかし、それをテレビ画面を通して見た人々の反応は明らかに違った。端的に言って、心を動かされ勇気を得たかということである。
 あれだけ怖面の小沢さんがカメラの前で見せた涙、彼の心の中は推し量れない。イチローの涙は、一緒に感動できるから一緒に涙が流せた。
 解散のカードは首相が持っている。今回の献金疑惑は、常に政治家の周辺にくすぶってきた。派閥の領袖になるには集金力が大きくモノを言う。合法的な集金方法はパーテイ券を購入してもらうこと。実態は踏み絵みたいなもの、どれだけ購入したかが後々の問題、特に族議員と言われる人には、関係団体からの支援が大きい。
 今回、私が腑に落ちないのは問題が不透明で政党内(民主党)からの批判が鳴りをひそめてしまったこと、ある人が言った何気ない言葉  「みんな もらっているからじゃーねーの」 当を得た発言かも。
 政治に金がかかるという。これは殆どの議員が口を揃えて言うのだ。何にそんなにかかるんだろう?
 金が無いものは政界に出ることもできないとも言う。本当にそうなのだろうか?
 2世3世議員が確実に増えている。もし本当にそうならば息子は出ないはずだ。おかしい???
 多分、殆どの政治家が誤解をしているのだ。先生になれば運転付きの高級車に乗り、高級料亭に通う。この姿を理想としているんじゃーねーの、それじゃーいくらお金があっても足らないわな。
この素っ頓狂の感覚が無くならないと変わらない。政治家を先生と呼ぶのを禁止する法を作れば良い。
 昨日の夕刻、玄関のチャイムが鳴った。農場に勤めるMさんが押したのだ。「どうしたの?」と私が尋ねると「カステラありがとうね」と言う。「???」一瞬何を言っているのか分からなかった。
 そうだった。お彼岸に本堂にあがった菓子折りをあじさい(GH)にあげたんだっけな。そのお礼を彼は仕事の帰り道に私にわざわざ言いに立ち寄ったのだ。
 「ありがとう」という言葉を素直に伝えることが難しくなった昨今。何か見返りを期待しているのかな?と先ず疑いの気持ちが起こる。
 範を示すべき政治がドロドロとした淀みの中で酸欠状態。説明責任というのは、決して持論を一方的に述べることではない。誰もが納得できるように説得することである。
 *私の無責任論であるが、堂々とこう言うべきだったと思う。
 派内の議員に配る金が要るんだ。いつ選挙になるか分からないのに、地方ではポスター作って事務所を借りて運動している。日本では個人献金なんかしてくれない。だから企業からまとまったお金を集める。
 それで何がおかしい???
 本心を言ってしまえば、有権者としても真面目に考えますって、そこを分かり難い説明をするからでしょう。
腹の中をオープンにして、それから”ちぇんじ”リセットです。
 牛肉の生産地偽装と献金の虚偽記載、どこがどう違うのか???辻褄があわないってことかな・・・。
 

1108:情報源

情報リークという事が俄かに騒がれ始めている。今更何を言うか! そういうお前たちも盛んに機密情報を得たいがために八方手を尽くしているんじゃありません?どっちもどっち。
 これは一連の献金疑惑に関しての、不公正であるという片方の言い分である。
前回”涙”のことについて言い足りなかった。男の涙など格好が悪い・・・小さい頃よく言われたように記憶している。それは私が人一倍泣き虫だったからだと思う。しかし、ある時からその理由が分かった。親父が無類に涙脆い、まさしくそのDNAを受け継いだのである。その親父が葬儀中、急にお経が出なくなり、どうしたのかと覗いてみると涙をいっぱい浮かべて泣いていた。
 それは小学生で亡くなった子供の葬儀だった。親父の涙には語り尽くせない思い出がいっぱいある。ここでは触れない。
 涙は大いに流せば良いとその時から私は思うようになった。
さてここでは涙の事を言うのでは無かった。情報源ということについて私なりの思いを披露しよう。
 施設の仕事に関して、私の情報源はメンバー達である。彼らは実によく周りを見ている。昨日、花壇に花を植えようとメンバーを一人軽トラックに同乗してもらい、ホームセンターまで買い物に出かけた。その時、今度新しく入った人の事が話題になる。「どうなの?迷惑かな?」とストレートに聞いてみた。すると思いがけない答えが返ってきた。
「○さんが寝るようになったんだよ」と言う。○さん?そうだ彼は夜中にDRに起きだしてきて部屋では寝ないと聞いていた。その彼が起きださなくなった。「たぶん、寂しかったんじゃねーのかな。一人で寝るのがよ。今度はよかっぺなー△さんが来て・・・・」 思いがけない話を聞いてしまった。
 私達が目指している事が本人が本当に望んでいることなのかどうか?今回ちょっとしたトラブル発生、アパートで生活していた方をGHに一時的に移って戴いた。アパート生活の自立は当面の目標、だがいざそれが実現してしまうと我々のフォローが急に少なくなる。彼らの弱点は自由時間の過ごし方、一人で楽しめるような方は皆無、何らかの関わりが不可欠なのだ。褒められ叱られ励まされ。涙笑い怒り・・・これら全てが実は重要な生活の糧。
 人間はまったく誰とも話さないで生活などできない。
入所施設の個室化、ユニット化、果たして本当に良いのだろうか?
 施設の中は、狭い広いの価値観ではなく、彼らの社交場、様々な人間模様があって当然、それを周りで何らかの意図を持って調整するのがどうなのか?これは根本的な問題である。
 障害者の特性という事が盛んに言われている。果たして知的障害者はこうだと定義付けできるのだろうか?一人ひとりが違う。これって障害の有る無しに関係ないことである。
 どうも世の中が言葉が優先して実行が伴わない押し問答が多すぎる。臨機応変という言葉があります。仏教的に言えば、応病与薬(おうびょうよやく)、薬は何も厚生労働省が認可したクスリだけではない。むしろ話を聞いてくれる医師の存在がクスリとなることも多い。
 情報源は至るところにあります。が、それを何の為に利用するか、これが肝心でしょうな。

1109:また、やった!

また、やってしまった!どこで臍が曲がったのか思い出せない。某市の福祉事務所とのやり取りで頭にカッチンときてしまった。
 電話でのやり取りでそんなにカッカしなくても良いのによ。性分とはどうしようもない。
詳細は、お互いにしこりが残るから控えよう。だがこれだけは言いたい。いまこのような時期に我々事業所を疑ってかかる市の担当者がいたとすれば許せない。それだけだ。誤解もヘッタクレもありゃーしねー。 馴れ馴れしい言い方で失礼だよ。自分は一生懸命やっていると錯覚し実は面倒な事には避けて通る輩がなんと多いことか、これが現実ならば市民は悲劇だ。事業所もいつまでも黙ってはいない。貴方達の下僕では無い。
 気分が非常に悪く、その市からは二度と受けてなんかやらねーと思ってしまった。前も同じ市と行き違いがあって腹がたった。相性がすこぶる悪い。多分これだけの問題ではないなずだ。
役所だって忙しいのは分かる、だがあまりにも手を抜き過ぎじゃーありませんかってんだよ。権限ばかり振りかざし、言葉の節々に見えるんだーよそれが。
 そんなイライラで水戸に向かった。高速運転、要注意。某法人の理事会に急いで向かった。その余韻が残っていた。一言も二言も余計な質問をしてしまった。
 反省しきりの一日となりそうだ。性懲りも無くまたやってしまった。自分に余裕がない。そうだよな、葬儀が2件入ってしまい、それに明日は緊急の東京での会議、お通夜までに間に合うかどうか!
 こんな生活していて良い筈がない。この辺がソロソロ潮時かなー。今日の新聞で県の人事異動が発表されていた。ある意味では羨ましい。
悲憤慷慨
 市町村の担当者に物申す。貴方達は障害者と事業者の仲立ちとなるべきなのです。それが契約制度になったおかげで当事者同士に任せることがベストと誤解してしまった、謙虚に学ぶという姿勢があって、そこでやっと信頼関係が生まれるものだ。就労支援だ行動援護だといくら御託を並べても何も実態は変わらない。それをどうにかするのが福祉に関わる人間の最低限の使命のはずだ。役所から一歩も外に出ず電話1本で相手(事業所)を疑うような言動は絶対に許されない。その一番良い例が群馬で起こった悲劇。あの事件で墨田区が取った行動を見たか!茨城でも同様の事がなされるならば黙って見ているわけにはいかない。
とことんやる。人の生命を預かることの重さ、貴方達はあまりにも知らなすぎ軽んじていると思わざるを得ない
。昔のケースワーカーの大先輩の話を伺ったことがありました。何かに迷った時は現場に出なさい。こうやって人間関係を築いてきた。いま、それが無い。あるのは利権がらみ責任逃れ。現場を見てしまうと言い訳ができないからだ。これを仕方がないと考えるか否か。ここが一番問われていることなのである。

 

1110:クシャミ

昨夜、突然クシャミが止まらなくなった。尾籠な話だが鼻水が止まらない。これが花粉症かと一瞬思った。突如として症状が出るとは聞いていたが、まさか杉山の中で育った私がなるとは思ってもいない。だがスギ花粉だけではないという。東京での会議も辛くて一番後ろの席に座って我慢した。通夜があるので途中で退席したが、鼻がムズムズ。今日は駐車場で法衣に着替え斎場に行くつもりでいた。それが草履を持ってくるのを忘れてしまった。衣に皮靴でも様にならない。急ぎ寺にもどり、着替えて斎場に滑り込む。鼻水が止まらない。鼻がムズムズ。これでお経が読めるんだろうか???
 結果はどうにか無事通夜をすませることができた。木魚を常より強く打ったし頭を110度位上向きにした姿勢で通したのが良かった。
変な坊さん?と思われたかもしれない。
 思い当たる節が無い。強いて理由を考えると昨日初めて買った目薬を使ったこと。ドライアイという症状はずっとあったからこれが次の段階になったのかもしれない。まー仕様がない。
 腰の調子が良くなってきたと思ったらこれだ。満身創痍とまではいかないが、いよいよ年齢の壁。
私の年齢で恥ずかしい限り。先日、熊田千佳慕(ちかぼ)さんの話を聞いた。1911年生まれというから97歳、今も現役の絵本作家。小さな昆虫などを詳細に描く。熊田さんが言っていた。「老後問題なんて贅沢だよ・・・」卆壽を過ぎても尚筆を持つ。彼は言う。絵描きで生活の糧を得る事は大変な苦労が伴う。いま彼の弟子がおり、その弟子に貧乏への覚悟を言い聞かせていた。熊田さんほどに有名になれば、それなりの収入が有るとは思うのだが、彼はまだ描き続けるという。自宅の庭に草花を育て、そこに集まる昆虫を微に入り細をうがって観察する。優しい眼差しで昆虫に話しかける。97歳の老人が老後のことなど考えないで黙々と製作し続ける。
 何時の頃からなのだろうか老後を大きく取り上げてきたのは。日本が世界でも前例の無い高齢化社会になるのは確実だ。このことにあまりに神経を尖らせし過ぎているように思える。
 長生きできることが、いつの間にか社会悪?と思われていないだろうか?
クシャミの話からいつものごとく脱線してしまった。新たな作戦を練って葬儀に臨みます。