源究76

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
1031 自らの足で歩め 1/1 1036 友好大使 1/7 1041 ジェントルT 1/12 1046 愉快なこと 1/17
1032 疑心暗鬼 1/3 1037 夢物語 1/8 1042 今変わらねば 1/13 1047 不愉快なこと 1/18
1033 読後感想 1/4 1038 クレーム対応 1/9 1043 変わらぬ事 1/14 1048 学者の言い分 1/19
1034 発展&存亡 1/5 1039 風雲急告 1/10 1044 強さ 1/15 1049 程良い加減 1/20
1035 人の動き 1/6 1040 秋田の坊さん 1/11 1045 弱さ 1/16 1050 期待&不安 1/21

1031:自らの足で歩め

2009年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 除夜の鐘。満天の星空の下、ライトアップされたお堂が見事に浮かび上がりました。2年目を迎えた観音寺の鐘が響きわたりました。
 今年は知らせを出さず、どれだけの方が訪れてくれるだろうか?正直不安がありました。でもお陰さまで1時過ぎまで鐘をつく人がありました。
 元旦に「自らの足で歩め」これは自分に言い聞かせた言葉です。昨年は得体の知れないものに振り回されて自分を見失うことが多くありました。次から次に起こる出来事に翻弄され振り返ってみたら、何がなんだか分からない。そんな1年でした。
 さてどうでしょうね。今のままでいくと長く続いた自民党による政権が変わるような気がします。純粋な一党政権ではなく連立によってどうにか続いたもの。ここ何年かの動きを見てみると既に万策尽きたという感が強いと思います。
 それにあまりにも『不』の付く言葉が多すぎます。不信・不安・不正・不況。・・・この責任を全て政権与党に負わせるわけでは無いのです。
 正直、ここ数年、関心を持って政治を見てきました。残念ですが、これと言う政党間の違いが見いだせない。個々の政治家の話す内容は皆同じに聞こえてしまいます。これが実態ではないでしょうか。
 地方も同じです、数の論理が偏重され、政治家個人の主張が見え難い。特定の後援団体の権益を守る活動は、今の時代はっきり言いますが合わない。
 一本釣りではなく、あらゆる事に対応せざるを得ない状況が続いているからです。そこから見えてくるものは何か?どこを選択の基準とするか?
 結局はその人が持つ徳や姿勢ではないでしょうか。この人に任せれば良いという信頼が礎石、
私は今年59歳になります。自分では若いと思っています。しかし、いつの間にか周囲に先輩の数が急に減ったと感じています。寂しい限りです。中には90歳を超えても矍鑠としている方もおられます。とてもとても私など及びもつかない。釈尊の時代ならば”林住期”に入って、世の中の動きに影響されずにおられるはずなんですがね。
 そんな夢のような事を言ってはおれない事も分かっています。
自らの足元だけを見ていれば良いという具合にもいきません。連日のように会議があり、自分の施設の事は任せっぱなし、何か異変が起こった時にだけ、その対応に当たってきた。
 尚恵学園の抱える課題は大きい。私に本腰を入れて方向付ける責任がある。
歩んできた足跡を残すことなどに関心はない。それは自ずと「自らの足で歩む」ことで確信が持てるからです。
 本年は「丑年」。仏教に「十牛図」というものがあります。@尋牛→I入てん垂手に至る10枚の絵によって禅の悟りの道筋を示したものです。たとえ結果は同じであっても、真剣に立ち向かった後に得たことは、より真実に近いということを説いています。求め迷い実感する。これこそが自らの足で歩むことと信じます。
 お互いに良い1年となりますように。2009・1・1AM9:25
 

1032:疑心暗鬼

日本ユニセフ大使のアグネスチャンの話を聞いた。彼女は53歳、香港から日本に来て35年、その間の活躍は今更私が触れることもない。彼女はボランテア活動を積極的に行う。「顔が見える援助」の実践。実際に現地に足を運び、支援を行っている。エイズや飢餓に苦しむ子供たちに救いの手を差し伸べ夢を与える。何しろ彼女は12歳の時からこのような活動をしてきたという。日本人でない彼女が日本人の素晴らしさや優しさを伝える。四川省地震での日本の救援活動、不眠不休で瓦礫の中から被災者を救出する。救い出された親子は既に亡くなっていた。その時に”黙祷”という合図で全員が頭を下げた。棺が運び出される時に”敬礼”の合図で全員が一列に並び見送った。
 この姿が中国全土に報道され、それを知った多くの中国の人々が日本人の生命を大切にする事と優しさを知ったという。
かつて日本が侵略し、多くの人々を殺戮した中国の人々が心から感謝したという。このような話を今の日本人のどれだけの人が知っているだろうか? 日本のやり方が世界の平和に絶対正しいと彼女は言う。そして、そう信じて今も活動を続けている。
 一方、”疑心暗鬼”という言葉。疑いの心があれば、有りもしないことを恐ろしい事と思ってしまう。寧ろ今は信じるということより疑う人が多すぎるのではないか。
 派遣や契約の雇用の仕組みは、国の政策で勧められた。アメリカ主導の市場原理主義に基づく新自由経済のルール無き暴走、この弊害は日本独自の雇用制度をも蝕む。アメリカ偏重の在り方に赤ランプ、株主資本主義は従業員軽視への歩みを速めた。正社員と非正規社員の格差が開く一方で不況という嵐が襲った。その中で止むを得ず?切り捨てという非情な手法を合法的?にとった。このツケが必ず起こるだろう。
 人間は疑いの気持ちだけで生きられるものでない。今こそ働く人を大切に思うべきだ。
福祉の世界にも、多少遅れて同様の手法が入った。急成長したコムスンの破綻が如実に示した。これだって実は国が勧めた政策だった。「常勤換算方式」という仕組みの導入を福祉現場に認めたこと。これこそ現場を知らない者たちの机上での数字合わせだった。彼らの表向きの言い分は、異動や配転の心配をせずに働ける労働モデルであった。福祉の現場を製造業種の組み立てラインと同じ発想で考えた厚労省のミス。結果として若者の福祉離れに歯止めが効かなくなる状況を生んだ。この責任は一体どこにあるのだろう。
 ここでの決まり文句は、財源不足、期待をしてなんど裏切られてきたことか!私の疑心暗鬼はこの辺が源だ。
 グロバリゼーションとは「ヒト・モノ・カネ・情報」のボーダレス化。世界規模化?
 私はこのウネリに警戒感を強める。それは「信じ合う」こころが削り取られているからだ。政治や経済が一極化を目指せば、必ずはみ出てしまうものが出る。「まんだら」の思想は、2千年前にその事を予期していたのだから、なんと言って良いのやら。
 

1033:読後感想

何を血迷ったか、この正月三箇日に本を読もうと決め込み文庫本を買いました。その本は夏目漱石「こころ」です。本日無事に読み終わりました。この本はあまりにも有名し過ぎて今まで読んでいませんでした。読み終えて、何かズッシリと重たいものが残ってしまい、それを取り払うことができず、悶々としています。
漱石が生まれたのは今から142年前の慶応3年1月5日です。49年の生涯でした。官費留学でイギリスに2年渡り、生活の場となったロンドンには既に地下鉄が走っていたそうです。留学の目的は「近代化」を学ぶことでした。そこで彼が感じた事は「近代化」による負のイメージ、つまり、人間相互の信頼感、安息、日光、田園と緑の樹木・・・・が失われてしまうという事。そしてこれらは遠からず日本が経験するだろうと予見したというのです。この直接体験から彼の作品のテーマが成り立っているとも言われます。
既に「こころ」を読まれた方には、下の「先生の遺書」の部分、これでもかこれでもかという先生の独白を書き続けます。作家自身とダブルところもあるでしょう。彼の持つ倫理感というものは明治の精神というもの「古き良き時代」。これを読者に執拗に迫る。友人Kと一人の女性を巡る、葛藤。友人を裏切ったという罪の呪縛から逃れることができず、主人公(先生)は自死した友人の眠る雑司ヶ谷の墓地を毎月お参りする。・・・・
 どうも新春に読む本としては選択を間違ったようです。
次に読もうと考えているのは、藤沢周平の「蝉しぐれ」。但し私の読書法は併読です。中西輝政「覇権の終焉」PHP出版をとっかえひっかえ読むのです。
 昔から併読です。砂糖を入れずに飲むコーヒーとモンブランケーキといった感じ。
 これは自分自身で性分を知っていてそうなったと思うのです。一途に思い込んでしまう性格ですから。
全く内容の異なる本を読むことで我に帰るということを狙ったものです。結構、これが新鮮で読みが深まります。
 現実が今日からスタート、冬帰省で自宅に帰っていた仲間がどんどん帰ってきました。
さて、今年は流行風邪はどうだろう?一気に心配事が増えました。それと檀務が2件続きます。
 いずれの方も80歳を超えて亡くなったそうです。今、白衣を着ながらこの文を書いています。通夜の迎えが来るまでの時間、私にとっては気持を集中させるための貴重な間です。
 文庫本の注釈欄に目を通しました。そこには大野淳一氏によって書かれたものです。
*出世を望む若者が短い昼夜の間に栄達を極めた一生を夢に見て、人生の盛衰の儚さを悟った『枕中記』の解説がありました。
 アメリカ衰退後の世界情勢を読み解く中西氏の本が、その意味では対の本としては当にドンピシャリ。
 それから初夢は見ませんでした。
 

1034:発展&存亡

山形県鶴岡市にある加茂水族館、クラゲ展示では世界的に有名な所らしい。ここで40年以上勤められた館長さんの話が実に良かった。
 決して交通の便が良い場所にあった水族館ではなく、その経営には大変なご苦労があったという。毎年、入館者が減少、まさに存亡の危機に晒された。そんな時に「クラゲ」との出会いが一大転機となる。
 全国に水族館がどれほどあるのか知らない。多分、なんかの公的な資金があって経営されているところが大半であろう。茨城の場合もそうだ。加茂の場合は紆余曲折、民間企業が経営に当たっていた時期があった。所員の努力で黒字になれば、そのお金は本社が吸い上げてしまう。手狭で老朽化、イベントを開きたくとも十分な資金がないなど、経営悪化の一途をまっしぐら。このままでは年が越せないという窮地を救ったのがクラゲ。
 ”発展と存亡”私は寺の経営?と福祉事業経営の事を一時も頭から離れたことが無いのであります。最近は寝ているのか起きているのか、どっちでも考えているから始末が悪い。これで何故おかしくならんのかと思う。
 私の場合は特殊かもしれません。どうも考えることがエネルギー源となっているようだ。
 まーこれも、どれ位のスパンで考えるかによって違うのだが、寺も施設も継続しなければいけない。寺の場合は、寺が住職個人のものではなく延々と昔から続いて存在してきた。私は35代目と32代目の2つの寺の住職、寺伝によると、2ヶ寺とも約600年の歴史がある。一方施設のほうは2代目。当然、これもまた個人のものではない。
四六時中一体何を考えているかと言いますと『何をどうするか?それには何が必要か?』という事なんです。馬鹿みたいと思われるかもしれない。正直、そうなんですから仕様がない。
 この道35年も2足の草鞋を履いていますと、大体こんなものかなーとぼんやりとイメージが掴めてきた。
寺も福祉もある意味では同根、いずれも相手が人間であること。しかし、歴史が全く違う。福祉事業の場合は高々50年の歴史だ。多少の浮き沈みは有ったとは言え何故寺がここまで継続できているのか?
 これを考えると不思議なもので福祉の方向性が見えてくるんです。それは、必要とする人に支えられていることなんですね。寺の場合は、信仰によって檀家が守ってきたわけです。住職は留守番でしかない。決して主では無いという意味で。だから存続している。ここを履き違えるとややこしい事になるわけです。
 福祉事業を大規模に経営する法人が、日本にはいくつもあります。それはそれで良いと思いますが、私には全く関心がない。その真意はここでは触れない。
 先の例でクラゲを挙げたのは、共通点があるからだ。なに!クラゲだと。人権侵害、冒涜だと叱られるかもしれない。そうじゃない事を、館長の述懐した言葉に私は感じるから紹介した。
 日本中にある水族館の殆どがクラゲを展示しているという。それも2〜3種類。加茂の場合は40種類も集めている。片手間か否か。そして繁殖に成功した事例もあり、その研究がスタッフの働く喜びとなっている。他の水族館はそこまではやっていない。何故か?恵まれているからでしょうと言った。
 ここに、遣り抜くという確固たる覚悟を感じるわけです。多角化すれば、確かに事業規模や裾野が広がったように思いがちであります。これは実は時代のニーズに合致していない。経営者が陥り易い錯覚であると私は思っています。
 人間は自ずと力に限界があると思う。一生を通じて、「何をどうするのか」という問いかけは、実は誰しもが抱くこと。いろいろ手を広げることではなく、一つの事に専門性を見出す事に力を注ぐべきである。
対象が人間であるという事は、一人一人が違うという事。これが究極の道標である。
 そのプレイグランドが知的障害者の福祉という選択肢。こんな樹形図を描いているわけです。
 

1035:人の動き

昨日乗せてもらったタクシーの運ちゃん、「久しぶりに浅草に行ってきたんですよ。凄い人混みで歩けない位でしたね。」と自ら話し始めました。「なんか目的があったんですか?」と私が尋ねると、「いやね、ただブラブラしたくてね。上野駅から歩きましたよ。」
 土浦はこの正月、火が消えたような静けさだったとも付け加えた。彼らは駅詰めするから人の動きには敏感だ。正月着飾った人たちが大勢繰り出し商店街が賑わったのはいつ頃までであっただろうか?記憶もオボロげになってしまった。
 いつ訪れても人が集まるスポットがある。アメ横や浅草は正月だけでない、彼は渋谷や銀座には行かないという。「なぜ?」と聞くと「私には、不似合いだからね。庶民的なところが好き出し」と。私も同感である。
 浅草は観音様を中心に昔から同種の店が並ぶ、道具屋や雑ものそれから仏具店まで、最近オバタリアンに人気がある店はなんだかわかりますか?と尋ねられ答えられず。それは着物屋だそうだ。それも派手派手で普段着れないようなもの、何の目的で買うのだろう?カラオケなどの舞台衣装だと言うのだ。
はっきり断定する確証があるのだろうか?余計な事は聞かないと戒めた。
 これも下町だから違和感無く、形振り構わず品定めできる。派手な衣装を身にまとい、厚化粧でマイクを持つオバチャマ族、この残像が私の頭にとりついた。今から私は斎場で葬儀なのに、運ちゃんが変な事を言うから、冠を振っても振ってもその像がこびり付いて離れない。
 新年早々のお悔みもどうなるか、この運転手が悪いんだ。

 人が集まる所に何かある。これ自然の理。商店街の活性化、旦那衆が夜集まって知恵を出し合う。でも一向にアイデアが浮かばない。そりゃーそうだわな。本人が魅力を感じていないんだもの。商工会議所は町の一等地にデンと構えているが、人の出入りは全くない。これが実態です。
 賑わいの対語に閑静がある。これも良いじゃないですか。閑静な町並みを売ったら良いのになー。
人間は天の邪鬼、片意地はって生きる。
 実は今、所沢にある店から焙煎されたコーヒーの豆を取り寄せている。贅沢?インターネットで申し込むと翌日に届く。地元の老舗?のコーヒーよりも安くて美味い。多分、店の形は確実に変わっていますね。
 でないと郊外の大型店舗に敵うわけがない。その店で何を売りにするか!アイデアと質の勝負の時代。
 福祉施設も全く同じ、何を売りにするか?  さーて。 

1036:友好大使

おもちゃ工房でつくった木のおもちゃが外国に。JICAの知り合いを通じて渡ったものです。上記スナップは最近マレーシアの方が来日された時に購入していただいた日本の風物シリーズの「鯉のぼり」。
 そうですね。マレーシアやペルー:エクアドル:ネパール:ドイツなどに尚恵おもちゃが友好大使で渡っています。9割9分メンバーさんが手作りで作った作品です。
 言葉の壁など関係なし。おもちゃには国境がない。手作りだから全く同じものはできない。そこがまた価値があるという。量産できるわけではなく、一つ一つ心を込めて作られたおもちゃ。使い古して壊れたものは修理もします。使い捨てに慣れてしまった日本人、何しろ工房のメンバーは、この道10年以上の職人さん。

 NGOなど政府が拠出している金額は相当なものです。実効性はいかに?
 どうも今の福祉業界は進むべく方向が違うように思えてきた。何が工賃倍増か?月収1万円を2万円にして、その後で負担金で取り上げる。これって詐欺ですよね。
 制度の中に理念が見えてこない。外面のみを飾る。手前味噌で恐縮ですが、おもちゃからオーラが発していると思っています。それを感じてくれる人がいるんだわな。私はこれで良いと思う。
 彼らが一心に筆で色づけ、電動ノコで切り抜く。この時には声を掛けられない。
 この集中は一体どこからきているのだろう。彼らの真剣さに価値を認めない人がいくら福祉を声高に叫んでも虚しさだけ。
 新年早々、賀詞交歓会が続く。どことなく元気にかける。今年の暮れには景気回復が期待できるのではという方もいる。どうしてどうして回復の糸口が見えない。昭和40年には百歳以上の方が全国で600人、それが今や3万6千人、なんと60倍。どんどん増え続けるという。セーフテイネットをしっかりしなければならない。これも分かる。その財源はどうしましょうか?それから内需の拡大、これも頷ける。だがどうやって?
 課題に対し、その対策を国会議員総出で考えませんか?昨日の代表質問ラジオで聞いた。
 選挙をかなり意識した中傷合戦の嫌いあり。そうじゃないよなー。国会は何のために全国放映されるの?
 この辺の感覚は、平和ボケと危機感欠如としか言いようがない。
それにGNP世界第2位という呪縛から早く抜け出ないとね。果たしてその数値が示すとおりに日本人が幸せになりましたでしょうか?私は日本の立つ位置が相当無理していると思う。方やフィンランド、この国の動きは大変参考になるのでは?
 

1037:夢物語

夢・夢・夢・・・・・新年を迎え、昨夜見たのが初夢だったのかなーと今考えている。中身は言うほどの事ではなく。これも年のせいかなー。イマイチ、エンジンがかからない。焦燥感?というものでも無く。虚無感?脱力感????。
 だめだ!と叫んで目が覚めた。
”所詮 浮世の夢物語 ああだこうだで暇乞い ” 
 新年早々、ちょっと気になる記事がありました。社会面の片隅に小さく書かれた記事だった。
 その記事は、千葉東金で起こった幼児殺人事件のこと。容疑者は軽度の知的障害があると報道されていた。警察の取り調べ、漏れ聞く所では、徐々に具体的に供述し始めているという。
 それに対して、障害者家族会が警察に要望書を提出したという。取り調べの方法に関してであった。
「こうなんだろう?」「だからこうしたのだろう?」という質問には発達障害を持つ人は「ハイ」と答えてしまう。誘導尋問ではないのだろうが、取調官の質問の意味が良く理解できないから、具体的な事例をあげて調べて欲しいという主旨。その後、今度は西東京で起こったホームレス男性の殺害事件、その容疑者もケアーホームを利用していた。
 こうやって事件が起こり、その報道がマスコミによって一斉になされる。正直、初夢の原因はこの辺にある。
国は充分な説明もせず、障害者の地域移行を進めている。だが果たしてそれが彼らの本当の願いなのだろうか?地域にそれだけの魅力があるのでしょうか?その一番大切な部分が見事に抜け落ちている。
 私が夢で叫んだのは、「彼らは一人ひとり違う。家族、友達、生育歴、それと性格も・・・・」それで地域でありのままに生きることって何なんだ!教えろよ!
 私は地域にも多くの眼があるということを言いたい。彼らを暖かく受け入れてくれる地域は有り得ないと思っている。それこそ先人からの血みどろな努力が物語る。マスコミによって興味を煽る報道は、障害者への偏見をより強める。この繰り返しをやってきた。まさに1歩進んで2歩下がる、水前寺清子の歌通り。
 嘗ての日本人はそうじゃなかったと信じている。
派遣社員の容赦の無い切り捨て、これを一理あると考える輩は、明日の生活に全く心配がない人たち。
自分とは直接関係ないから所詮は他人ごと。本当にどうにかしないといけないとの「こころ」を感じない。
 障害者への視線もそれと全く同じものを感じてしまう。あっしには関係がねえこととあっさり片付ける。
たまったもんじゃーねーよな。これを坊さん的に見れば、”奢り”でしょうね。
 私はブータンに憧れる。そうだミニブータンを作るんだ!この夢はなかなか見れないYUME。
 *誰だか知らねーが、イノブタじゃーなくてミニブタを今度尚恵が始めるんだとよ・・・・だめだ!
 

1038:クレーム対応

夕方4時過ぎに1本の電話が入る。パンを買ったお客さんからインクが混じっているようだという連絡があったと販売店からの電話。担当者がいなく私がその内容を聞いて直ぐに担当者に知らせた。
 後で報告を受けた。ブルーベリーを入れたパンが丁度青インクが混ざったように見えたとのこと。直ぐにそのお客さんに説明に行ったという。私もそのパンを食べてみた。確かに見ようによってはブルーベリーが所々に入っていてインクともとれるかなー?。
 まんだらは食品を取り扱っているので普段から細心の注意を払っている。クレームがあった場合には、誠意をもって早急に対応するように言ってある。それがお互いの信頼を保つのに一番大切である。
 最近、行政にも様々な投書や電話が入るという。その対応はそれぞれの関係所管で行うそうだが、厄介なのは直接トップまで上げられてしまう場合だ。その対応に多くの神経をつかうとのこと。
 確かに庶民感情からすれば税金を使う行政や我々福祉事業所への眼は厳しくなる。当然といえばそれまで。大多数は気付かなかったということで言われて初めてそんな事があったのかと後手の対応になる。
 現代の政財官民という括りにおいて、それぞれの立つ位置が微妙になっている。その中でもクレーム対応で徹底しているのは民間だと言える。食品関連に限らず、問題が起これば即対応するのが常識、いい加減にすればお客が逃げていく。
 暮れから正月にかけ、住む場所がない多くの困っている人を見て民主党の菅さんが政府に電話、すぐに対応し、仮宿舎として厚労省のホールを開放したという。党派に関係なく即対応した事を知ると嬉しくなった。その気になればできるんだよ!それを予算委員会の質問の最初に紹介していた。相手を誹謗中傷するよりずっと前向きだ。
 だが、現実は皮肉だ。危機感のない議員もいるという事を同じテレビ画面で全国に知らしめた。質問席の後ろに腕を組みコックリコックリ居眠りをしている議員が映った。
 その姿を見たばっかりに、委員会への評価は急降下。この格差は今の時代を象徴している。その辺の議員モラルは徹底できないのだろうか?即退場!レッドカード。真面目に討議する人だけにして欲しいよ。これこそ貴重な公費を湯水の如く使っているんだろう。
民間企業であれば、左遷か降格だわな。もしもだよ、株主総会で会社の幹部が檀上で居眠りしていたらどうです?ムカつくー。
 まー押さえて押さえて。
 私は措置から契約に福祉利用が変わる時に直感した。今までとは違う、余程職員の意識を変えないとこれからはやっていけなくなると。平成16年から大きく変わった制度、丸4年間はその対応に神経を使った。これは完結することではない。気が緩むと直ぐ問題が出てくる。
 
 

1039:風雲急告

いよいよ風雲急を告げる状況が見えてきた。NHKの大河ドラマも”篤姫”から”天地人”に変わった。ご承知のように今回は越後上杉家の家臣「直江兼続」が主人公、1560年というから大分、時代が遡る。篤姫人気は凄かった、主演女優の宮崎あおいさんが実に良かったなー。まったく可愛い。
 今、書店には天地人関係の書籍が並ぶ。いろんな作家が書いていることを知った。いずれの主人公も戦国の世を生きた、時代背景は違っても共通するところは”変化”の真っただ中で生きた人物。そして忠誠心をもって生き抜く姿を扱ったものである、これが何故いま高視聴率を得ているかは、言うまでもない。
 主君に対する忠誠、国の存亡の危機に際し自らの命をかえりみず立ち向かった人たち。ここに魅かれたのである。渇望だ。
 どうだ!あんたはどう思うか!
政治家は国民のためといって造反?主君(総理)に反旗を翻したWさん。彼はお隣の栃木県出身、果たして彼の掲げた旗の元に集まる同士が何人いるだろうか。メデアの関心事はこんなところに移った。
 うーむ。単発の局地地震で終結か。多分、信条的には理解できても自らの選挙が気になって決断できない人が大多数。
 彼も2世議員。永田町の動きを見ていると私なりの思うことがあります。それは2世議員とそれ以外の議員に分けて2大政党にしたほうが良いんじゃねーのという結論である。
 何しろ、親父の地盤を引き継いだ先生方は、皆さん地元になんか住んでいません。それに後援する地元の有力者だって、親父の代でなく息子の時代に変わっている。手弁当で汗をかいた人が何人いますかね?
 ただバッジの元に屯する人達だ。バッジが有れば誰でも良い。それに対して、政治を志し自ら勝ち得た議員の先生はちょっと違うね。庶民の声を直に聞いていますからね。得体の知れない秘書を通すから、何がなんだかわからない。
 その辺の従来の流れが詰まった状況がまさに今の政治。だから”変化”を期待するんじゃーないの。今より悪くなっても良くなってもやってみたら。
 私の気持ちは決まっている。
果たして抜本的な改正が今の仕組みの中でできますか!答えは”否”
 分かりにくいでしょうから、一例をあげましょうね。
 今、ドイツのGHを見にいこうと計画している。それは何度かここで紹介したことですが、ドイツではGHの1か月の一人の費用が3000ユーロ、(約40万弱)この額を補償している。それが地域生活を地域で支える条件だ。日本では恥ずかしい、なんとドイツの10分の1の費用で誤魔化している。これで地域でありのままの生活をしましょうってかよ。ふざけんな!だからとは言いません。様々な事件報道の裏には、実は日本の障害者へのお粗末な支援実態があるのです。
 この抜本的な改正ができますか?ってーんだよ。
*私は本心を言うと言葉が汚くなるんです。この抜本的改革は当分棚上げです。悪しからず。

1040:秋田の坊さん

3会場で同時進行で通夜があった。私は最上階。斎場の担当職員がそっと耳打ちしてくれた。「下のお坊さんは秋田からお見えですよ」「うっつ!何 あきた?」そして「どうして また?」と聞いたしまった。これが私の実態である。檀家さんから頼まれればどこまでもいく坊さん、関心があったので更に聞いてみた。「今、飛行機で来られて斎場についたばかり、今晩の通夜を済ませ明日、一番で葬儀を行い、77日忌までやって帰るそうです。」「土浦は秋田と比べ、暖かい」と言ってましたね。なんと、私が彼女と先ほど挨拶したのが、「ヒャー なんでこんなに寒いんだー」だった。
 反省しきり、意気消沈。こうあるべきだなーホント。そんな事を考えて通夜に臨んだから、今更言うまでもない・・・・・・。
 それからこんな事も実はありました。自棄にイスが多く並べてあり、葬儀の開始時間がいつもより30分も早い、「なんでこんなに早いの?」と尋ねた。「当家の方が大勢弔問客がくるからと言われまして・・・」「そうかなー?」これも実は私の舞台裏。
しかし、この時は私の予想がドンピシャリ。並べたイスにパラパラの弔問者。案の定、出棺までに時間が空いてしまった。お別れに十分時間がとれて良かったという意見もありますが。
 いずれにしても葬儀屋さんのペースで進んでおります。
告別セレモニーの在り方が、確実に簡略になってきている。病院から斎場に直行する場合も多い。団地サイズの自宅に棺が入らないという。
 死生観の変化?否、多様化でしょう。今、読み始めた本『人生論』トルストイには、その当時の宗教事情が書かれてあった。
・・・・(P49) 現在、信仰されている宗教は、実のところ、けっして千種類もあるのではなくて、ただの3つきり、つまり、中国の宗教と、インドの宗教と、ユダヤ・キリスト教(マホメット教も含む)だけしかないのである。・・・・・・
 ここまで断言できるのも凄い。「復活」を書き、彼はロシア正教会より破門されている。
宗教は考えようである。先日、賀詞交歓会で他宗派の坊さんと久しぶりにお会いした。騒がしい中での話だったので、十分に真意を確かめることはできなかった。彼は総本山(比叡山)の布教の責任者をしているという。「一隅を照らす」実践活動の主力メンバー。彼が言っていた「信仰心の無い坊さんが多すぎる・・・」「実践しなければだめだ・・・」 釈迦に説法では無く、身に応えた。
人生が二度あれば この人生が二度あれば・・・・♪♪(井上ようすいのCDがBGM)
 

1041:ジェントル テーチング

午前中の法事を済ませ、急いで埼玉に向かった。一粒での研修会に参加をする、常磐ー東北自動車道の加須まで、V字走行で遠回り。ジェントルテーチングの関東支部の研修も兼ねていたので、茨城から私、栃木からAYUHA氏が参加。鹿児島からのTOSIMAさんが講演に来られた。久しぶりに会った。一粒のSEKIさんも前向き、元気取り戻した感じで安心した。我々3人を結びつけたのは大阪桃花塾のIWASAKI姉、オランダでのJT研修に参加した時だった。その後何度か顔を合わすことがあるのだが、一向にJTの関東地区の広がりは?
 無理せず焦らず、だからI姉に会うたびに「どうすんの!関東は?」と叱られている。3人とも正直、自分の足元のことで相当無理して焦っているから差っ引きゼロという共通理解を持っている。
 昨夜は研修後の懇親会まで付き合い帰宅したのは10時を過ぎてしまった。Tさんの講演の中で「今年一年貴方が一番大切にしたいことを一言で書いてください」という課題が与えられ、私は迷わず『自省』と書いた。
「報恩」とどっちにしようかと考えて、やはり自省を書いた。これが私の変わらないスタンスだ。
 研修の中身も分かり易く現場を経験してきた人だから痒い所に手が届く内容で良かった。
彼女の施設で心がけている事で印象に残ったのは、「メンバーさんの歯ブラシの交換は家族が行う」ということだった。つまり、入所施設の家族とのつながりを歯ブラシの交換時期を感じ取れるよう身近に置きたいという配慮。フーム、これには正直脱帽。施設のモットーである「些事入魂」をここまで徹底できるとは。
 自省メーターの針が大きく振れた。
焦らず無理せずなどと言っても内心はヒヤヒヤものですね。高齢化への具体的な対策が出せない状況をどう説明するか?介護施設を新たに設置するべきか否か。無責任に言えることではない。
何しろ初期投資に10億近い資金が必要だというのだ。片手間にできることではない。それに代わる実現可能な方法を模索するのだが、いまいち決定打が打てない。
 このような思いをここ数年ずっと持ち続けてきた。そのことへの反省が自省につながるという構図。
さてと、頭を真っ白にして考えようとするのだが、ゼロからのスタートではなく、現在の利用されている160名のメンバーが交互に浮かんできてしまう。
 ・・・・人間は努力する限り 迷うものだ・・・・これは有名なゲーテの言葉でしたね。うっかりすると自己陶酔で終わってしまう。否定の否定。やれやれ新年早々、毎度お馴染み袋小路に入ってしまったようである。 こらーブクシ 何まよとるか! 稀なる天の声がしたようなしないような????
 

1042:今変わらねば!

昨日は成人式が各地で開催された。2000年から成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に移った。
 ある人と話した。今の政局に関してなのだが、アメリカでは「チェンジ」を掲げ、オバマ氏が大統領に選ばれた。日本でも麻生政権の支持率急落でいよいよ政権交代の現実味が帯びている。だが、彼が言うには、自民党も民主党も保守であると断言するのだ。大した変りは無いという。確かに地方にいけば小選挙区制の歪、政党推薦の段階で明確な差がないのも事実だ。先ず政策有りきでは無く、残念ながら推薦を戴けてから政策を練る。順序が逆なのが実態。
 となると仮に民主党が衆議院選挙で勝利を収めたとしても何も変わらないのだろうか?その他の政党の選択肢は未成熟。だってそうでしょうが、民主党の先生の中に、セレブ?族が何人いますか?彼らの目線が庶民に向きますかね?
 少なくとも変化が期待されると言えば、旧来の政官癒着構造へのメスを入れられるかどうか位でしょう。
だが官僚は強かですぞ。彼らは両刀使い、変わり身も素早い。ころっと騙されちゃう。これじゃー寂しい。今日、渡辺元行政改革担当大臣が自民党を離党するようだ。彼は自民党の若手の旗頭かと思っていたが私と1歳違い57歳、決してもう若くはない。むしろ遅いぐらいだ。父親の地盤を引き継ぎ、固い支持者がバックに控えているから離党しても落選する心配はないという。自らの身の振り方をどうするのだろう。小沢さんの元に走るのか?
 この動きがまさに2大政党といっても保守だという根拠づけ。政治姿勢を変えなくともやっていけるのだ。だって主だった幹部が元自民党でしょう。
 NHK大河ドラマの直江兼続の生き様、上杉藩が120万石から30万石に減禄され、米沢に拠を移す。財政困窮の中で、ついてくる家臣をリストラしていない。実に3万人の面倒をみたのだ。当然、直江自身も質朴な生活をした。自給自足への工夫を様々なところで行っている。屋敷に食用になる植物を植え、少しでも生活の糧にしたという。リーダーの本来の姿をここに見る。多くのリーダーが”r利”を優先し”義”を後回しにする中で、直江は”利より義を優先した”数少ないリーダーだった。
 残念なのは、生活に苦しむ庶民をさておいて、自らは貰うものは貰うというトップリーダーが多すぎることだ。国の財政が苦しいのなら、なぜ議員定数を減らそうと自らが範を示せないのだろうか、行政も全く同じ、自分たちの不利になる数字は出さず、上手に資料を作る能力ばかりが重用されてはいませんか!
 アメリカと日本の根本的な違いは、殊政治に関して言えば、選挙戦の盛り上がりである。以前として他人事として高見の見物をしている人が多すぎる。
 そして、勝ち組負け組がはっきりするような国のあり方は日本の文化にマッチしない
 変わるべき事と変わるべきで無いことを自らの事として考える良い機会であることは確かである。

1043:変わらぬ事

不器用なくらい頑なまでに自分のスタイルを変えない人が貴重な存在だと思う。一番手に負えない奴は調子が良くて何を考えているのか分からないものだ。寡黙で朴訥な位の人のほうが傍にいて安心できる。
 あまりにも変わり身が早い人間は信用できない。
 変わるべき事と変わらぬ事。この辺の捉え方で結構その人の人間性が見えてくるものだ。私は変わらぬ事を大切にしたい。でも実に難しくて、ちょっと油断すると、あれ!どっちだっけかなー?と迷ってしまう。
 藤沢育成会の米村理事長の話から、昨年の11月に法人の記念式典でフォーラムを開催した。テーマとなった「エイブルタウン」これは造語のようだが、意味としては「持っている可能性に期待した元気ある街づくり」。このコンセプトを皆で考え実践しようとする取組み。耳からの情報だけで見てきたような話はできない。
 だが、非常に分かり易く興味を起こす内容だった。
我々障害福祉に関係する者の反省として、「障害」という言葉に重きを置き過ぎる傾向が否定できない。その結果、時代錯誤で人間を矮小化した事に没頭しているのに気づくことになる。理想と現実のギャップと言ったら良いのか。障害者の生活の場を施設から地域に戻そうという流れは変わらない。だが、何らかの不都合(事件など)が起こると直ぐにより戻しが起こる。これは何故なのだろう?一言で言って理念が関係者だけの狭い領域だけで問われているからだ。
 この打開策として北欧などの実践例から学ぶことも大切だとは思う、しかし、日本人の望む国の在り方が未だ確信に至らず迷っている。最早、変わるべき条件は出揃ったと私には思えるのだが、まだ幻想を追いかけようとする人が多い。既に21世紀に入っている。大量生産大量消費、高度な技術とアイデアで物を売り、そのことで豊かさを獲得できた勲章に酔っている。これに異を挟むつもりは全くない。
 評価こそすれ否定はしない。だが、その事自体が目的化してしまい貴方達は最終的に何を得たいのですかという事には疎くなってしまった。変わるべきで無い大切なものを置き忘れてしまったとも言えよう。
 21世紀にこの国がどうあるべきか?この最大の命題に政治も行政も明確な答えを見い出せない。既得権を必死に守ろうとするもの、上だけを見て足元を見ないもの、そして宝くじに当たるより確率の低い人生のギャンブルに栄光を求め時間を浪費する。
 生き甲斐や働く喜びをここまで見失った時代はない。戦後の混乱期は、少なくとも二度と悲惨な戦争をしてはならないという共通の思いがあった。だからこそ焼け野原から今の繁栄を勝ち得た。
 いま、その共通する願いが無い。有るのは自分だけが良ければそれで良しという考え。
この殺伐とした土壌に種を蒔き、芽を出させるのは至難の業。突き詰めて考えると、どうしても悲観的な想いに至る。
 しかし、唯一確信が持てる事がある。それは大変無礼な言い方かも知れない。敢えて言わせてもらえれば、糸賀先生がいみじくも言い得た『この子たち』との触れ合いである。
 *今クルマが売れない。それは新車に乗り換えるよりも、もっと必要なものに金を使うという気持ちが起こっているからでしょう。十分乗れる車を廃車にし、またオートローンを組む。この手法は既に時代遅れ。本来、車は歩くより便利だから開発されたもの、それが新車に乗るということが目的になってしまった。変わるモノの分かり易い例ですね。
 

1044:強さ

一概に心身の脆弱性の原因を歩んできたその人の過去にのみ規定することは如何なものか!
 『流れる星は生きている』この小説をご存じの方もいると思います。戦後、満州から命からがら引き揚げてきた母と幼子3人の実体験を書いたもの。昭和24年に刊行され、当時としては空前の大ヒット、100万部が売れた。著者は藤原てい。その夫は著名な作家:新田次郎である。満州の新京の気象台勤務で大陸に渡り、敗戦によって母子4人が陸路朝鮮半島を経由し、丸1年かけて引き揚げてきた実話を元に書かれている。何しろその状況を推測すれば、良くも無事に帰ってこれたものだろうかと思ってしまう。長男が5歳、次男が2歳、そして生後1か月の赤子をリュックに背負いソ連兵に見つかっては命が無いという極限状態で逃げ延びた記録。帰国後まもなく彼女は結核にかかり丸3年床に伏した。その時に遺書のつもりで書いたという。
 いま 日本人の多くが戦争という過去の痛ましい歴史を記憶から忘れようとしている。そして、国体の基軸を担う国会は、全く的外れの政争の坩堝と化した。(先日の衆議院予算委員会、カメラで無許可で撮った撮らないで大騒ぎ。バカじゃーねえの?テレビで中継していてだよ、無許可でカメラ持ち込んだ???それより、居眠り議員を退場させなよ。まったく、この平和ボケが)
豊かさによって得た者は、物の大量消費と有り余る?時間を紛らす遊興のたまり場。そして働かなくても飢え死にすることがないと誰もが思った年月が長過ぎた。その幻想のツケが今ドッと押し寄せ、船頭がいない日本丸が大海に彷徨っている。
 豊かさと同時に俄か知識だけを身につけたものだから、立派な主張は目白押し、だがその楽屋裏まで見せられては何を信じて良いのやら。腐りきった政治、我が田に水を引くことばかり考える。昔から水利権の争いはあった。だが、これなど今思えば可愛らしい。夜中に隣の田んぼの水路に蓋をして水をせき止め自分の田んぼに引き入れた。これだって僅かに1日程度のズレで翌日には自分の田に水が引かれてきた。今、そのようなレベルの話ではない。巧妙な手口は、一体何がどうなっているのかさえ分からない。
 それでも後手後手の対応がなされれば良し。弱きものが生きる望みさえ失いかけている。原点に戻ろうよ!本気にじっくり本心で考えよう!
 一部の人が恵みを独占するような世の中は良くないよ!それに今この瞬間でさえ、多くの無駄があるじゃないか!贅沢で煌びやかなCMは遠慮して欲しいな。
 それと今恐れる事は、人間は自分の鬱憤を弱きものに向ける癖がある。搾取とは違うんだ。
 合法的で緻密で相手を困らせ密かに喜んでいる輩。実に始末が悪い。
誰しもが薄々は感じている。しかし、勇気をもって一歩を踏み出せないでいるのも事実。知的障害者の人々は、裏表が使えない。自分を守る術すら分からない。その人たちと関わる仕事の面白さがぐらついている。これは由々しき状況だ。
 日本中の同業の仲間達、裏工作など止めにして、正々堂々玄関から入っていきません?自民党も民主党もない。本当に理解を示してくれる人と考えよう!
 そうしましょ。そうしましょ。それが一番。今は与党だからこっち、今度政権交代したらあっちに鞍替えですか?
私にはできねー話だわな。

1045:弱さ

誰が言ったのか定かではない。「手に負えない奴は、出世も立場も金にも、トント関心が無いものだ・・・・」 私欲が無いというか、達観しているというのともチョト違う。
 人間を強弱で差別することは如何なものだろう。実は誰にでもその両面があると思うからだ。
あいつは良い奴だ。何か胡散臭い奴だ。これだって確たる根拠があって言っているのでもない。それは、ちょっとしたことで相手への評価が一変する事が有り得るからだ。
 騙し騙され人間という考える葦(?)はゴチャゴチャで生きている。これも誰だったか思い出せない。
「どっちかと言うと俺は騙すより騙される方を選ぶな・・・」と言っていた。
 さーお前自身はどっちかな?
ものは考えよう。先日、臨床心理士の方と話しをした。その時の話が数十年も前に同業の方から聞いた話と重なる。結局は世の中がこれだけスピーデイに変化しても、おいそれと人間の本質は変わらないという事だろう。
 私は国連の介入が遅いと思う、今、中東で起こっているイスラエルとパレスチナの紛争。テレビの画面を通して現地の悲惨な状況が放送され、目を覆いたくなる。いつも犠牲になるのは一般市民の人たち。どうして繰り返すのだ。異常なのは食卓を囲みながら、そのニュースを見ている実態。
 疑い無く生活の利便性は進んだ。そして誰しもが知らず知らずその恩恵に浴している。
天の邪鬼というのだろう。便利さに慣れてしまうとそのこと自体に不便を感じたり何を判断の基準とするかという能力が退化する!苦労して考えなくとも答えが出てくる。結果が悪ければ相手のせいにする。
国土地理院(旧)に勤める友達が言っていた。今でも地図を作る時には日本中に設けられた基準点が測量の起点となっているとのこと。近年の航空機や衛星を用いた測量は、誤差が殆どないという。確かに我々だってGoogleを使えば地球上のどこにでもピンポイントで辿りつくことができる。
 しかし、その高度な技術を活用するのは人間の判断。ガザ地区で起こっている紛争、ミリ単位の境界線を決めてもどうする事もできない。これは政治や民族、宗教という別立ての思惑が深く関わる。永久に争いを止めるわけにはいかないのだろうか。
 解決への決定打が無い。
強さと弱さは同居する。愚かさと賢さも然り。その境界をどこに定めるかは人智の及ぶところではないのかもしれない、歪みの中で攻防を繰り返すことしか選択肢がないのだろうか。
 平和を望む心は共通であると信じてやまない。 

1046:愉快なこと

水戸の千波湖で見かけたカモの家族。人慣れしていて近づいても全く逃げようとしない。千波湖には白鳥・黒鳥・雀・・・など沢山の鳥が集まる。街の真ん中にある周囲3キロほどの湖だ。以前こころ無いものがバットで黒鳥を数羽殺したという事件が起こった。その後、人が近寄ると怖がって飛び立つ鳥がいるのではないかと気になっていた。 昨日、水戸で時間があったので昼休み周回のヲーキングロードを歩いた。その時に撮影したカモの家族(上記)。
 それから、私はTBSラジオの大沢悠里のゆうゆうワイドという放送が好きで車の中でよく聞く。既に何千回という長期番組だから、知っている人も多いだろう。大沢と迫みちよの「お色け大賞」というコーナーが大好き、それから毒蝮三太夫が各地を出前放送するコーナーも面白い。
 なんと昨日は私が下稲吉のカワチ薬品の前を車で通過する時に、その場所で生番組をやっていたのだ。これには驚いた。毒蝮が独特の言い回しで笑わせる。「神立からタクシーに乗ったら、その運ちゃんがなんにも良いとこねーよ」と向こうから話しかけてきたという話から始まった。神立は特急は停まらない。それに対して集まった客が「1日一本停まるのあっぺーよ」。確かにそうだ。
 昨日はちょっと疲れたので炬燵に横になってテレビを見ていたら、綾小路きみまろの特番、彼は潜伏30年の後、大ブレーク、今や年間150本の独演会をこなす超売れっ子。
 この二人に共通すること。それはお客さんへの毒舌、しかし、全く嫌味がない。寧ろそれでお客さんが腹を抱えて笑っている。何故だと思う?それは二人ともお客さんをとても大切にしているということだ。
 決して奢った気持はない。最後にはお客さんを持ち上げ、またどこかで会ったら声をかけてという。
この心配りがなんとも自然体で無理がない。下積みの苦労が有るからこそ、今に浮かれないと戒める。
 そして常に自らの芸を省み、必死に努力する。
 何事にも通じることだなー。一つの事を長くやっていると、ややもすると自分の力で成し得たと錯覚してしまう。そして、自分に不都合な事は隠し、忠告などするものなら即バリアーを張る。
 どれほど立派な事を言っても自らを省みるという気持ちを失うと押し付けになる。
 昨夜は教員を目指し、介護体験で実習に来ていた学生と夕食を一緒にした。水戸に行く前に職員から永平寺で5年修行してそれから教師を目指している学生さんが来ていると耳打ちされた。
 その彼と近くのソバ屋で食事をした。食事が運ばれてきて、「さーどうぞ」と私が言うと、彼は直ぐに合掌した。そして正座を最後まで崩さなかった。
 このような若者がいるんだな。
 何か塞ぎ込んだ気持ちが、一瞬愉快になった。

1047:不愉快なこと

昨夜はミニ新年会が気心の通じる仲間とありました。あっという間に3時間が過ぎ、一時の愉快な時間が持てました。場所が場所だけに見事な星が空一面を埋め尽くしていたのです。
 帰りの車に乗った瞬間、全く違った感情が湧きあがる。それは不愉快なこと。そして、これこそずっと続くであろう現実世界。まーなるようになるさ!こう自分に言い聞かせたものの、寝床に入っても先ほどの宴席で見た眩い星とその事が入れ替わり立ち替わり頭に浮かんで眠れない。
 ラジオのイヤホンを付け、深夜放送を聞いていたらその内に寝てしまった。
 夜中、ハナが私の枕を占領しているのに気がついた。ハハーン今日は寒いから炬燵から私の所に来たんだ。心得たもので、ハナは主人の雰囲気で何かを感じ取り、慰めに来る。
 たかが猫されど猫だ。
彼女は殆どの歯が抜け落ちた。人間の年なら80歳を超えているに違いない。贅沢に育ててしまったことを反省している。キャットフードも自分が気に入らないと見向きもしない。ハナ用の器に食べ物を入れてやっても私に向かって「違うだろ!私はこのエサは食べねーの知ってんだろう・・・」と、あらん限りの声を張り上げて睨み付ける。
 今日は日曜日、家族会の役員会がある。どんな話が出ることやら、私は法事が3件、時間を間違えたら大変だ。予定表を手元に置いて心の準備。
 それに朝ラジオのニュースでどこかの老人病院でインフルエンザが大流行、なんと3名の入院患者が亡くなったという。年齢は77・85それに100歳のお年寄り、イヤハヤまた通知が国から送られてくるに違いない。
流行への注意喚起でしょうね。これって我々の宿命です。避けては通れない。
 ここで私の歌会始・・・・
     遥かなる そら満天に 星ひかる
        いつの日にか 我ともに
                          
 

1048:学者の言い分

日曜日の民放人気番組に竹中・金子両名の慶応教授が出演、田原氏が行司役で登場。その触れ込みには興味をそそる。確かに両名とも論客で頻繁にマスコミに登場、お互いがお互いを意識しているのはアリアリ。正直私はどちらが好きかと問われれば激情型の金子さんだわな。
竹中氏は小泉内閣の経済政策のブレーン且つ重要ポスト(大臣)につき、金融機関の不良債権処理を成功?させ、構造改革を主張、政治と行政の改革に取り組んだ。しかし、今、その流れは急激に変わってしまった。当時から反経済学を主張する金子氏はその動きに批判的、当初は左翼的な(?)言動が目立ったと記憶、今になって当時彼が唾を飛ばす勢いで持論を展開していたのが、受け入れられている。NHKですら彼を番組に登場させコメントを聞く。
 田原氏は視聴者向け番組をコーヂネートする能力は凄い。全て分かっていてキイポイントで切り込むから出演者は言葉に詰まる。その辺を視聴者がどう捉えるか。白紙状態のものが番組を見ていて心動かされることもあるだろう。
 いずれにしても当事者にとって彼らは論評はするが、具体的な手立ては示さない。否、できないのだ。
経済の仕組みは、私は分からない、だからと言ってあらゆる手練手管を使ってまで生き延びようともしない。
 苦労知らずと言われる根拠はそこにある。ただ、私が絶対に許せない事も有ることは有る。
それは言わない。
 評論家ではなく実践家を自負しているからである。実践家と言う者の生き方は、アウトサイダーではなく当事者である。どんな理由をあげても任期途中で逃げ出すことなど許されない。その意味では、先の安倍・福田両名は論外、麻生さんは何か憎めない。同窓生という好もあるが、自民党の身内からも避難轟々、黒髪は薄らいだが、でもそのキャラクターに今風の何かを感じる。
 一方シメシメと株が急上昇の小沢さん、ウーム?また永田町に暗雲が立ち込めるかも。西松建設献金のダントツの受け皿が小沢さんがらみであったという新聞報道。今回はなんだか知らねーが新聞の論調に勢いを感じない。線香花火。
 そうか、そこで新たな風を吹き込むわけだな。お手並み拝見といくか。
この辺の微妙な話題は先の人たちは取り上げない。勇み足で墓穴を掘ることになりかねない。
 自治体が急に雇用枠を広げているという話。でもな臨時採用で有期限、これで本当の解決になるのでありましょうか?急場凌ぎの政策が多すぎます。
 衆参両院を一院制にするという小泉発言、なんで今頃?引退を表明し、選挙地盤を息子に譲るとか言いませんでしたか?これが腑に落ちない。確かに一院制にすれば議員の数は減らされる。ムダ?と言うのならばそれも一案かも。でも辞めると言った方がねー????
 このように気になることが多いのであります。生臭坊主の言い分でした。

1049:程良い加減

昨日の国会中継、蓮舫さんが質問に立っていた。彼女はマスコミ出身だけに、場慣れしている。方や小渕さんは少子化担当大臣、答弁が原稿頼りで覚束ない。でも程良い緊張感と新鮮味を感じた。
 腹の探り合いというよりも、真剣に取り組んでいるという両人の姿、今後もこのような討議を期待したい。何故かなー?と考えた。それは自らが子育てを経験し、当事者だからである。どうも国会の審議の中身が不評なのは、肝心な所は理事会審議で闇に葬られ、残りはと言えば対立政党への誹謗中傷、上げ足取り。この状況が長すぎた。立派な大刀も中身は竹光。
 その結果、控えている改選を大いに意識したパフォーマンスだけが全面に出て、本当に国民のためなのかという疑いがどうしても起こってしまう。
 私は半分諦めの境地です。
程良い加減、熱すぎもせず、ぬる過ぎもせず。温泉の湯の温度は、露天風呂は内風呂より高く設定される。これ常識。お客にとってはこの微妙な差が重要で、逆だったらどうしようもない。それに温泉地では、原泉の管理を怠らない。だからこそリピーターがある。
 今の永田町と霞が関に一番欠落しているのが、実は原泉管理。
残念だが原泉を財源とだけしか考えられない人が多すぎること。そうじゃないという事を言う人もいない。
 第2次補正の審議、一度、議員関係経費を半額にした予算案を考えてみたら、その事への見直しがが見事に隠れてしまっている。無駄を省けと大声を張り上げる先生達の経費が一人あたり一体いくらかかっているのでしょう。多分、嫌な顔するでしょうね。それからバッジを返上するかもしれない。
 今の実態は、露天風呂から見事な眺めをぬるま湯で風邪引かないように肩寄せ合って入るようなものです。これって可笑しくありません?
 立派な望遠レンズをピント調整できないで得意になっているようなもの。
これは福祉や医療。教育というまさに実戦現場で確信します。
 昨夜は市の障害程度認定審査会、福祉の仕事を35年以上やっていても信じられない状況に置かれている方もいると知った。
 

1050:期待&不安

夜中の2時半頃、寺のわきの道路を通るオートバイ、いつも同じ時間で、エンジン音も同じ、多分誰かが仕事に向かうところだ。昨夜みたいに冷え込みが厳しい時はオートバイでは大変だろうな。
 シフト勤務で殆どの人が寝ている時間帯に働いている人たち。働きの対価として金銭を得る。そのことが不安となっている。ワークシェリングという言葉が急に目立つ、導入には労使間の了解が原則だ、近くの従業員200名程の自動車部品メーカー給与を4割減で妥協し、解雇せず、この不況を乗り切ろうとしている。そこの社長を良く知っている。
 大企業はどうか?従業員をモノとして扱っているという批判、経営幹部と現場で働く社員との垣根、大所帯になればなるだけ堅固な隔てと格差が生じる。
 ”期待”&”不安”
オートバイの音がした同じ時間、ラジオからはオバマ大統領の就任式のライブ放送が流れていた。アメリカは歴史は浅い、フロンテア精神は今もしっかりと根付いているのだろう。多民族の寄り集まりだけに,統治するのは大変だ。共和・民主の2大政党が交互に政権を交代し、軌道修正しながら歩んできた。いま、初めての黒人大統領が生まれた。44代目である。彼の昨夜の演説で印象に残った言葉、それはケニア人の父親は60年前にレストランに入ることができなかった。その息子が今ここにいる・・・・・この言葉は重く深い。人種差別奴隷解放など想像を絶する時代を生き抜き、人口3憶の頂点に達した。
 期待が熱狂になり、不安はチャンスを与えるということに繋がる。
一方、我が国の実情は、比較するのも恥ずかしい。政権を支えるべき人たちの言行に異議あり。自由な意見が出る事が我が党の特徴だとも! 言い訳もここまでやるかね。いい加減にして欲しい。
 本当に信頼関係があるのですか?そしてどこに視点を置くのでしょうか?これは由々しき事態ですぞ。
以前として国会の審議に緊張感欠如。
 野党質問でこんな場面があった。かんぽの宿譲渡への質問。オリックスに109億円で売ることが決まったとかいう話。担当大臣がその施設に1泊した時の話をした。立派な温泉設備、メタボに効くという機械浴の話で1日だけでは私みたいに腹が出たものにはどうですかね・・・・・と答えた。その時、野党も与党も大笑いした、この予算委員会は全国放映されている。これが如実に今の国会を表しているといえないでしょうか?
 国民の汗が沁み込んだ貴重な税金が嘲笑の話題と化している。これが実態です。財政審の議事録を提出しろという前に真剣に討議しなさいよ。この緊張感欠如の委員会の録画を何度も何度も放送してやれ!先生達!予算委員会を真面目に見つめている人間はいますぞ。
私もその一人。昨日の参議院予算委員会で何度も何度も議長の次の言葉を聞いた。
・・・「後刻、理事会で協議いたします。」・・・・と。