源究75

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
1011 望むこと 12/4 1016 変化に立ち会う 12/10 1021 1通の手紙 12/18 1026 応益負担 12/24
1012 汗顔の至り 12/6 1017 思いすごし 12/12 1022 追悼 12/19 1027 かけがえのないもの 12/25
1013 願うこと 12/7 1018 だんだんⅡ 12/14 1023 冬至 12/21 1028 名跡 12/26
1014 支持率 12/8 1019 プレゼント 12/16 1024 挨拶 12/22 1029 心象風景 12/27
1015 事件の背景 12/9 1020 不況体感 12/17 1025 公式予報官 12/23 1030 年の瀬3日 12/31

1011:望むこと

夜10時過ぎに学園から電話があった。「Nさんが帰ってきました。」という連絡。10日目であっただろうか、いつものぶらーっと外出が今回は中々帰ってこない。また、昔に戻ったかなと気にしていた矢先だった。しかし、感心な事に、何度も本人から「明日帰っから」と電話をかけてきたという。彼なりの気遣い。それも毎回饒舌でお酒が入っているのは確実だった。
 今朝早く、寺の門前を箒で一心に落ち葉掃きをしているNさんがいた。「元気?」と声掛けると「うん」と気まずそうな表情を一瞬見せた。
 一時外泊で学園に戻っていたIさん、また病院へ戻った。その彼が職場のまんだらに顔を見せる。偶然私もそこに居合わせた、全員が車に駆け寄って早く良くなってと激励。彼は職場の太陽、皆を笑わせ和ませてくれる。体調が良くないのに、持前の明るさで皆を笑わせていた。また元気なIさんの働く姿を誰もが願っている。
 大勢の中には、学園の生活に馴染めない方もいる。彼は自転車で自宅に帰るんだとスタッフを困らせていた。
 自転車で自宅までどのくらいかかるのか聞いたら、「3時間半」と彼は言った。どうしても帰るといって聞かない。彼の言い分もなんとなく分かる。でもなー誰もいない家に自転車で帰るという彼の言動はただ事ではない、仕方がなかった私が雷を落としました。先月だったか、私は彼と居酒屋で一緒に飲んだ、その時は機嫌も良くて家の事など遠慮しながらも教えてくれた。
 私は彼らの望みを知れば知るほど矛盾を感じてしまう。もしも健常に生まれておれば、我々と出会う機会は無かったはず。元気すぎてやんちゃで困らせてくれた彼らも、年をとり、往年の大物の面影はない。
 若いスタッフに昔はこうだったと懐かしんで話す位はできても、これからどうなるのかに確証が持てない。「支援」よりも「看取り」に重点が移ってきた。
 本来ならば人生の最後を安心して迎えられことが誰しもの望むこと。
 どの首相だったか忘れたが、彼は「国民目線」ということを言って登場した。いつの間にか中途でやめたっけ。だけどよー。今の国会の先生で本当にそんな人いるのかな?
 黒塗りの高級車を乗り回す常識は、我々から見れば非常識。
 それによー。アメリカのビッグ3の親分、来年の給料は年収で1ドルだってよ。まー今までいっぱい貰ってたからよ、大したことねーかもしれんがよ。そのくらい言えねーのかな?先生達だってよ、結構給料もらっていたっぺーなね。それだって同じだっぺー。アメリカは公的資金の導入だ。先生さん達の給与は、全く公的資金。それもあちらさんのは、儲かれば返すんだっぺー。こちらさんは貰いぱなし。おかしかっぺー。今の事態を深刻に考えなすんなら、1年間の議員報酬は全額国にお返しになさる。それがあんたらの責任だっぺー。できねーんならやめろな。これぐらいの腹積もり無いんじゃろか。
 ここで再登場、石田先生
 ”租にして野だが 卑にあらず”  
今の現実は どうも 「卑にして 野だが 租にあらず」じゃーありませんか。
 
 

1012:汗顔の至り

品川駅前のみずほ銀行で慌てました。
経営セミナーに2日前に申し込み、滑り込んだ。受付で費用を払込み、資料を受け取る。ここまでは良かったのであります。だがいつもと違ってグレードの高い研修で、参加費が高かった。財布にあったから良かった。でも残り少なし。そこでフロントに行き、銀行を訪ねた。ここまでは一応想定内。カードで現金化しようとするが、どうしても機械が反応せず、違うカードで再度挑戦、これまたうまく行かない。何度もやっていたから、防犯カメラでチェックされただろう。メガネが無くてカードが見えない。
外に出て日の光に透かして見ると、どうも期限が11月で切れている。オカシイナ!カード会社へ連絡、もしかしてやられたか! ストップしてもらった。それから施設に電話。すると参加費は既に振り込んであるという。ありゃー。そこで研修会場へ戻り、受付に確認、しばらく待たされ、「申し訳ありません。振り込みがされていました。」返金。
研修会場に入るまでに相当の時間を使ってしまい。疲れてしまった。それにしても銀行が期限切れまでにカード切り替えの手続きしないとは、考えていたら無性に腹が立ってきた。研修どころでない。途中で抜け出し、施設に電話、そしたら・・・・・・汗顔の至り。2日間研修。その出鼻から疲労困憊。実は11月に新しいカードは受け取っていたということだった。そうなると今度はストップしたことが気になり始め、カード発行の銀行支店へ電話。発見申請書に記入して後日再発行とのこと。20分前の事なのに、融通利かない。
 第1日目こうやって終わった。2日目は、果たしてどうなるか?いつもならば夜の懇親会に出る。しかし、もうその気力はとっくに無くなってしまった。コンビニで弁当買って、ホテルにしけこむ。
 二日目、3コマの講演。1コマ目が良かった。これで元を取ったと自己満足。やっと研修に集中できる。そこに携帯が入る。
葬儀が出来たという連絡。予定表を持ち出し、会場隅で当家との日程打ち合わせ。2コマ目は何を話しているか全く分からず。会場で用意された弁当を食べ、午後からが今回のメインの講演。SISのシャーロック氏の特別講演だ。同時通訳の講演には慣れていない。通常の数倍疲れますね。これがまた英語を直接理解しようなどと変な考えを持つから余計だ。所詮無理。
 研修の途中で、某国会議員の先生が駆けつけ、例の障害者自立支援法の抜本改正について持論を展開。これは予定外。御苦労さま。
 実はSIS支援尺度の導入のきっかけは現行の障害程度区分への我々の反対から始まった。
だが、所詮、障害者問題はマイナーなんですね。関係する一部の人々の問題。ご承知のように後期高齢者保険や年金問題、更には非正規雇用解雇問題ですっかり影が薄くなった。
 国を司るものにとって「万民の苦患を知る」ことが要点である。ただ、ここまで世の中が変な方向に進んでしまうとマイナリテイである知的障害者の問題はどうしても先送りされてしまう。その危機感は会場で感じた。だが広い会場、満席という状況にはなっていなかった。このことが、何を示しているか。この辺もちょっと気になった。
 帰りの電車の中で考える。
我々の取り組みは、一体なんのために行っているのか? 自らの事業の優越性を他に誇ること、特異性を自慢すること。   いや違う。   報酬単価を増額要求すること。 これだって目的化してはいけない。
 まさに、事業所のCSR(社会的責任)を自らの意思で創設していくことでしょう。(良く言った、褒めてつかわす)
 これからも自らの言動に謙虚に、だからといって遠慮することなく、言うべきことは言う私のスタンスは変えまい・・・・ムニャムニャ。半分夢心地、危なく土浦を乗り越すことに。

1013:願うこと

私は、人としての究極の願いは何かと考えてしまう。人それぞれと言ってしまえば、その後の言葉が見つからないのだが、それが真意かもしれない。
 一体自分自身はどうなのか?一生考え続けても答えが見いだせないだろう。兎にも角にも人間は、様々な関わりの中で紆余曲折、七転八起生きている。
 昨日、サッカーJ1で鹿島アントラーズが札幌で今季の優勝を決めた。その試合の様子をテレビを見ていたら、画面にテロップが流れた。千葉東金で起こった5歳児の殺人遺棄事件の容疑者逮捕のニュース。
 情報は怖い。勝利の喜びが一瞬にして何か冷たい世界に陥れられてしまう。事件は2ヵ月以上も前に起こった。警察の慎重な捜査があって、容疑者を確定、逮捕に至ったと思われる。だがちょっと気になったのは、NHKは事件発生5日目に今回の容疑者にインタビューしていたという。彼は図書館に行っていたとそこで答えている。これが偶然の出来事なのか、もしかしたらマスコミが警察より先にある程度犯人を特定していたのだろうか?誰しも違和感を感じたに違いない。逮捕の速報ニュースでは、容疑者は上着で顔を隠していた。それに続く五日後のインタビューの画面には、はっきりと本人の顔が出ていた。
 それから、元次官殺傷事件の犯人は顔を隠さず、無表情で連行される姿が何度も何度も流された。
いずれも 容疑者が近くに住んでいた、まさに最近の事件を象徴する日本の至る所で起こりうる凶悪事件。
当然、この二つの事件も犯人の精神鑑定がなされるに違いない。(*)
 最近私の経験したことを話しましょう。品川駅前の交差点、午後五時を回っていた。JRへの乗降者が交差する、もっとも混雑する時間帯。すれ違う人間の顔が皆違う。それは当然そうだ。しかし、もしもこの中に無差別殺人を起こそうとする者がいたとすると、そう考えた瞬間私は立ち止まり、カメラのシャッターを押した時のように人の流れが一瞬止まった。この感覚はなんだったのだろう。人を人と感じるものではなく、無機質なモノと思えてしまう。
 この似た状況が日々繰り返されている。ここにこそ、想像を超える様々な事件を生む土壌があるといえないか。
 こんな事を考えていると、毎度のことだが糸賀一雄先生の言葉を思い浮かべてしまう。私なりの理解は、障害者を社会がどう見るかということ。生きるに値しない生命と捉える時代もあった。そこに人間としての尊厳を見出し、障害を一つの個性と考え価値の優劣を否定した。現実社会の実情は、決して先生が願う姿ではなく、そこに国として取るべき共生文化の創造を願ったのである。
 現実は糸の切れた風船のごとく、後手後手の対応で方向が定まらず、一喜一憂、その日暮らしという実態が否めない。今の日本は大きく舵を切る時を迎えている。それには国民一人一人の国を考える真剣な思いが絶対条件だ。以前として投票率が低迷する社会であっては、そのウネリを期待しても無理。
 自由主義を標榜し、豊かさを得たこと、それ自体に異を唱えるものではない。ただ、人間の究極の願いは、モノの豊かさでは決して満たされまい。
 さらに、この国を動かす人々に願うこと、自らの信じるところに戻れ!と言いたい。
(*)今朝の新聞に東金の事件の容疑者の事が書かれてあった。母との二人暮らし。そして、中卒後、特別支援学校高等部に通っていたという。彼の背景を推測で言うべきではない。ただ、言えることは彼がうまく生きていける社会では無かったという事は確かである。

1014:支持率

連日、メデアにて麻生内閣の支持率低下が取り上げられている。一体、その調査の信憑性はいかがなものか?30%を割ったと騒ぎたてられ、気のせいかテレビに出てくる首相の顔は頬がへこみお疲れ気味。
 私は最近の首相の中では彼が一番好きである。国政を任せるという事は好き嫌いの問題ではないこと位は重々承知している。その根拠はと問われれば。
①「失言は本音」  彼がどこかで言った言葉が一人歩き、非難轟々。今の政治は、本音を言ってしまってはいけない。大局を見極め、反応を見届けながら差しさわり無い言葉で避けていく。これで良いのでしょうか?
②「所詮トップは孤独なり」 選挙で戦える顔と祭り上げられ登場した。彼の言動以上に周囲の足の引っ張りの凄いこと。2か月足らずで評価するほうもおかしい。何しろ全てが前任者の尻ぬぐい。既に決められたことを途中で変えようとすれば当然反対、だからと言って何もしなければ無力と言われ。どっちにしても支持率は上がるはずが無い。15代徳川慶喜の評価が作家により全く違うことも、トップに立つものの宿命。
③「殺人・不況・倒産・自殺・偽装・テロ・・・」「年金・少子化・医師不足・財政赤字・・」「学力低下・介護問題・障害者問題」「食糧自給・防衛・NGO・円高・・・」
 ちょっと思いついた最近良く見かける言葉。さて、どれを取り上げても大変な問題です。全てに特効薬がありましょうか?満たされないから不満となる。これは人間の心理である。ならば、どなたがトップにたっても針の筵となりましょう。
 私が言えることはこんなこと。【知足】
結局、
 支持率の裏に隠れているものは、長く続き過ぎた自民党体制に一度下野して頂き、民主党に政権を任せお手並み拝見ということだろう。
 その事を一番わかっているのは、小沢党首、だから今内心穏やかではないはずだ。本心は分からないが院政をひければそれが一番と考えているか否か。だが彼が首相になることが最終の目標であるならば、話は別、大分前(平成6年6月)になったが村山内閣誕生時(自民:社会:さきがけ連立)に彼は自民党と袂を分け新生党を旗揚げ、同じ苦渋をなめるわけにもいくまい。
 もしも政権与党になった時に自分を支える現在の民主党の議員に彼が全幅の信頼を寄せられるか?
これも野次馬根性で高見の見物ならばよかろうが、我々永田町とは関係なく、休みも無く日々利用者と生活をしているものにはたまったもんじゃーない。
 そこは冷静に見極めるこちら側の態度が不可欠だ。

1015:事件の背景

ムンバイでのテロの容疑者がパキスタン政府によって捕まった。内政問題をも抱えている国で自国の容疑者を逮捕するということは、隣国インドや世界との関係を無視できないからだ。
 一方、日本では国内でのゴタゴタ騒ぎが連日報道されている。
今回の千葉東金での事件は、その展開いかんによっては、我々に大きな影響を及ぼすと懸念している。容疑者の情報が部分的だが、彼は養護学校を卒業したという。そして、仕事に自宅から通っていた。彼の住む地域は、決して彼を好意的に見てはいなかったようだ。このような事が起こると必ず国はなんらかの通知を送ってくる。以前のGH火災やノロ騒ぎの時もそうだった。
 現行の仕組みでは、養護学校卒業後のバックアップ体制が無い。特に一般就労した者にとっては悩みや困りごとを相談する場がない。家族にその機能が無ければ、問題を解決する術すらない現状。
 本当にお寒い日本の福祉制度、これが地域でありのままに生きるということなのか!
 厚労省は文章一つで注意を喚起するに違いない。それで責任を果たしたと思うのだろう。先ほどの千葉での事件、母子二人での生活、昼間は母親は仕事で留守にしていたのだろう。在宅で障害者が一人で暮らすことは、難しい。無断欠勤があっても現実に相談にあたれるものは誰もいない。家族や事業所に責任を負わせる今の在り方に不満をいくら言っても真剣に取り上げようとしない。
 これは一体どうしてなのか、本当に理解に苦しむのだ。
 彼らだって障害がなければどれだけ楽になれるか、これは本人や家族の心底からの叫び。それに心動かされ自分たちが出来る範囲で支援する関係者。
 この声が非常に残念だが上に通じていかない。毎年一律予算カット。切り捨て。これで本当に良い仕事ができるのでしょうか?
 私は事件が起こる背景に国の冷たく貧困な施策が影響していると確信する。関わりたくないと思う人間が多ければ多いほど、この種の事件は決して無くならず増え続ける。
 さて、皆さん今永田町で何が起こっていると思いますか?与党も野党も血眼になって、どっちに付けば利になるかと彷徨っているのです。本来の使命はどこかにいってしまい、自分にとってどうなのか、それが最優先。いま、我々が真剣に人を選ぶ時です。そして、もし、いないと思えば私は投票に行かないと決めました。
 これは人間失格です。
唯一残された可能性、それは出来うる限り自分の考えを主張していくことである。声をあげなければ何を考えているのか分からない、当然賛同者も現れない。憎まれても良い、恨まれてもかまうもんか!
 先月の日比谷での緊急集会、その持ち方に多くの不満があがったという。私の所に直接FAXを送ってきた某県の家族会があった。そこには愛護協会発足の原点に戻れという過激?な内容が書かれていた。 

1016:変化に立ち会う

40年前の1968・12・10は3億円事件が起こった日である。現金輸送車を白バイに乗り警察官を装った犯人に3億円が強奪された。この警察権力への明らかな挑戦は結局犯人逮捕に至らず時効が成立。警視庁が投入した”昭和の名刑事”平塚八兵衛は今、観音寺境内の墓地に眠る。今週13日(土)午後9時からフジテレビ系で中村梅雀主演で3億事件が放送される。さらに来年放送予定で渡辺謙が平塚刑事役でスペシャル番組の制作も始まっている。
 40年前の3億円は、今の貨幣価値でいかほどになるのだろう?ちょうどその時私は大学に入った。当時東京で下宿をすると1畳千円で1か月借りられた。 今、その貨幣価値が全く変わってしまった。
 その象徴がアメリカ自動車メーカービッグ3への公的資金導入である。その金額がなんと3億円の4桁違う?兆円という。 新自由主義経済の夢の終焉?を如実に示した事件であろうか。それがなんとも普通の感覚での理解の域を超えてしまった。感覚麻痺が超肥大化してしまった時代。
 今、アメリカを襲っている事態悪化の嵐、嘗てのトップ企業のCEOの年収が60億円にもなると言われた、それが公的資金の導入に際して国民感情を配慮してかどうか、年収1ドル、今のレートで93円にするという。この判断が実は素直に受け取られず、また批判を浴びている。
新自由主義経済は、規制の緩和と市場の競争によって、勝ち組負け組に色分けされた。強いアメリカを象徴した様々な出来事がもろくも崩れている。世界がグローバル化し一国だけの問題に収まらない、サブプライム問題がもの凄い勢いで全世界を走り大混乱を起こしている。
 今回の公的資金導入に関して、アメリカの議会で様々な議論が交わされたという。長期間繁栄を独り占めしてきた自動車産業に、今更税金にて会社を救済するとは理解しがたい。経営責任が問われて当然。しかし、もしビッグ3の1社でも破綻すればその影響は計り知られず、そのリスクを避けるために今回の決定となったと言われている。
 この問題解決は長引く、市場原理主義と言われる経済システムに代わる新たな仕組みが育っていない。アメリカに追随してきた日本の動揺は、まさに先が読めないところに起因する。世界同時株安や為替レートの上下動、これが諸に日本を襲っている。ソニーが社員1万6千人を削減するという。世界的な日本のトップ企業が生き残りに必死になっている。この雪崩現象があらゆる業種に影響している、正直呆然と眺めているしかない。半年前にはガソリン高騰で大騒ぎ、それがレギュラーガソリン1ℓ99円となっている。半年で四割強安くなった。まさに自由競争の名に隠れた業者間の熾烈な戦いが行われている。
 『大暴落1929』ジョン・K・ガルブレイス著は、今も昔も変わらない人間の織り成すドラマを活写。
幸か不幸か、激変の時代に立ち会うことができる我々にできる事は、自らの責任でどう人生を演じるかということである。
 美食や飽食によっての浪費に疑問を感ぜず、エステや痩せる為に更に浪費。医療費高騰だって事の発端は同じ。残念だが経済の仕組みがその人間の欲に深く食い込んで成り立っている。これに誰しも疑問を感じながら、どうすることもできないと諦める。これが実態ですね。
 だから結局は自分自身に帰ってくる円循環。さて貴方はどうするか?

1017:思いすごし

度を越した心配、これは性分にもよる。私の場合は思いすごしの傾向が強いと思っている。先月の全国会長会議で埼玉のY会長と話した。「我々施設の仕事は一体どこまでやれば良いのだろうか?」と。確かに私は何度かその施設に行ったことがあり、利用者はかなり重度の方が多いことは知っていた。それに彼の施設は家族会がつくったもので、家族からの様々な要望は休むこと無し。施設は最後まで看取るべきなのか!結論の出せることではないが実に大変な問題である。我々の施設は埼玉よりもっと古い、利用者の方達のニーズは様々、個々の対応をしてあげたいという気持ちがあってもできないことだらけ。そのジレンマは職員誰もが感じている。 「看取る」ことは、正直今の体制ではできない。家族がいても引き取って見ることもできない人たち、大半がそのような利用者である。理事長はどう考えているのか?こう問われているのだ。それも思いすごし?なら良い。
 最近、施設の役割の重さを痛感。大阪や千葉での事件、いずれの犯人も軽度の知的障害を有する人だった。自分の施設で絶対に起こらないとは言えない。最近逃げ出す夢をよくみる。自分の施設の仕事だけをやっておれればそれはそれで納得。でも今の私は半分以上の時間を他の事に取られている。これが実に厄介で、誰かに代わってもらいたいよー   だ。
 施設間の調整と行政との協議は面倒極まりない。そもそも気の短い性分の私にはつとまらない役回り。行政との関わりで一番困っているのは、1年位で担当者が変わること。福祉という仕事は、地道な積み上げによって成り立つものだ。特に知的障害者への支援は他に比べ細かな配慮が絶対条件である。
 その事を行政に理解してもらうのに入口の所で足踏みだ。国・県・市これが縦列で連携が取れているかと思うとこれが全く違う。こちら側の根気が続かない。するとどうなるか。前年度の事業を御座なりに踏襲する。
 何が問題でその反省を次に生かすという機能が麻痺する。回数を積み上げるだけで、なんの為の事業なのかそれが担当者自身が分からない事態に陥る。これが実態である。
 こんな風に余計な事を言ってしまう私の性分は親譲り。相手は批判されたと思うようだ。そうじゃないと説明などしないから、気まずい関係が生まれる。
 唯一癒されること、彼らと本気で付き合っていると自然と涙が流れてしまう。
その体験ができるから続けられる。
 昨夜、2つ先輩の通夜があった。大勢の弔問客が来てくれた。彼は6年前に手術、その後、ずっと病魔と闘い続けたという。決して弱音を吐かず。
 彼は花をこよなく愛していたという。斎場に飾られた思い出のアルバムに家族と旅行した何枚ものスナップがあった。その全てが満開に咲き誇る花の前で撮られたもの。
 緊急で病院へ運ばれ、その日の夕方亡くなった。祭壇に多くの花が飾られ、遺影は見る側によってどのようにも取れるが、”ありがとう”と言っているように思えた。私も教わった中学時代の渡辺先生も参列していた。3年間担任してくれた先生が先輩にとって父親代わりだったということを初めて知らされた。
 

1018:だんだんⅡ

”ナイスハートフェステバル2008”が13日県民文化センターをメーン会場に開催されました。
 障害者週間の恒例行事となり、今回が15回目という。私は1回目の最初から関わってきました。この行事は準備段階から多くのスタッフが協力しています。昼の弁当をロビーで食べていると駐車場担当の中山施設長が「今年は参加者が多くて駐車場が不足している」と報告に来た。確かに天気にも恵まれ、外の作品販売コーナーもお客がごった返し、ちょっと趣が変わったかな?
 昔は関係者だけのイベントであった。一般の人に少し関心が出てきたのか?私は今回も大ホールにて全ての出し物を観た。14団体の思い思いに工夫された演技は見事、練習に熱が入っただろう事は一目瞭然。在宅やNPOの方達が出演する時にはカメラを持って舞台前に並ぶ人たち、多分家族だろう。そして友達やおじいちゃんおばあちゃんも一緒、これが参加者を徐々に増やしてきた一番の理由だ。
 三障害が一緒に参加するイベントを茨城は全国に先駆けて実施してきた。今では障害者間の違和感もなくなった。そして堂々と自分たちの主張をする。
 私は今回、とても印象に残ったのは「ふれあい」という団体のコーラスだった。横一線に並び、なんという楽器か分からないが舞台の袖にたった一人が伴奏を行う。三曲を歌った。その間に曲への思いとメッセージを入れた。「私達の歌は【山賊の歌】です。・・・雨が降れば小川になる。風が吹けば・・・・・私たち障害者は雨だと思います。一粒一粒の雨が纏まれば大きな川となります。みんなで手を合わせていきましょう・・・」と。表情を変えず淡々と話す姿に自然と引き込まれた。
 障害者への対策は、今、国が行おうとするような有期限条件付きのその場凌ぎの対策ではいけない。元々理解される事が無かった人たちがいつも社会の片隅で耐えてきた。勇気をもって声をあげることで少しずつ変わってきている。
 気の長い地道な活動だ。我々裏方で支える者は、これらのイベントが何のために行っているか?そこを意識して関わらないと、結果として我々関係者自身が障害者の人々を差別していることになりかねない。
 今日は朝から冷たい雨が降っている。おてんと様が我々に味方してくれたに違いない。だんだんパートⅡである。
 それから「だんだん」(ありがとうの意)・・・有り難いのが本来の意味。有って当然ではなく、自分にとって本当に大切な人や思い出に心から感謝するから出る言葉です。
 今、障害者施策への掛声に「ありのままに生きる」がある。
いつも疑問に思うこと、それは世の中でありのままに生きている人がいますか?ということです。
 思うようにいかないから悩む。これって仏教の根本なんですよ。だんだんⅡ。
ナイスハートフェステバル2008』スナップへ。

1019:プレゼント

D君が作った来年の干支「牛」の切り抜きである。後ろ脚には(大)と自らのサインを認め、プレゼント相手の名前がひらがなで書かれてある。私が昨日貰ったものには鉛筆で「ふくし」と遠慮した字で添え書きされている。
 大分たくさん作ったのだろう。大きさは不揃いだが切り抜きには彼らしい一途な思いが感じられる。今年も後2週間を残すのみ、彼は家に帰れそうもない。仲間が帰省を心待ちにしている。そんな時、彼は表情を変えずに窓から外を見つめてじっと耐えている。きっと帰りたいに違いない。
 今年の牛は気のせいか前屈みになっている。それが彼の心の中を示しているのだろうか?
きりっと唇を噛みしめる彼の表情は、どのような慰めの言葉も跳ね返す。
 それに今、土浦の病院で必死に病気と闘っている彼の仲間がいる。先ほど病室を訪れた、家政婦さんをお願いしてあるが、職員が入れ変わり立ち替わり訪れる。ちょうど私が見舞ったときに、3人の職員が顔を出していた。オフのものや用事の途中で様子伺いにきたのだろう。
 私は多くの別れを見てきた。坊主という役柄もあるのだが、通夜の席などで故人の最後の様子を伺うことが多い。人それぞれ、こればかりは仕方がない。そして、生きざまもそうだ。
 愛する人が身近にいても、必ず別れを経験する。死後の世界を語る事は微妙である。宗教によって、その解釈が異なるからだ。私は実は真言宗の僧侶、真言学を学んだ。宗祖弘法大師は即身成仏を説いた。これが実に難解な内容である。実体験しないのに、さも判ったかのごとく言えないからだ。
 だから私はこのように話すことにしている。
 死後の世界があると信じましょう。この世で得ることができなかったことも次に生まれ変わる時に、必ずできると信じましょう。そんなに悲しまなくても良い、あちらに行っても好きな人と必ず会えますよ。
 これは、何も偉い宗教学の先生に言われたのではない。そんな事を絶対に教えてくれない。
 それこそ、障害を持って生まれてきた仲間達から学んだことだ。彼らは決してそんな事を言わない。今を一生懸命生きている。その姿をそばで見ていてそう感じ、そう有るべきだと確信する。
 「牛の切り抜き」にはD君の測り知れない思いが込められている。彼は声に出して決して言わない。だから尚更なのです。
 人間の価値や物の価値って、本当はそんな事じゃないのかな?
 今年を象徴する言葉(一字)で表したらどうなるか、麻生総理は「気」という言葉を選んだとか。フーンだわな。全ての国会議員に書いてもらえば面白い。多分一字になんか表せんでしょう。四字ぐらいに増やせばどうかな?「戦々恐々」がピッタンコ、それも全員。やめとけやめとけ、そんなちっちゃな肝っ玉で笑っちゃうよ。本当にこの国を愛するならば,自ずと分かること、そうじゃないでしょうか。
 ならば「黙して語らず」 D君を見習ってほしい。真剣味がなく危機感欠如の先生達よ。いい加減に役者を演じることは止めなさい。
 こうやって懲りもせず愚痴を書いている自分、実は非常に虚しいのであります。なんでこうなるの?という事が多すぎませんか。

    僕の願い いつも待っています。 知ってる。忙しいんだよね。
          妹も一緒だから 我慢できる。 くやしくなんかない。
             でも 涙が出ちゃう。 だから 僕は いつでも外を見てるんだ・・・・・・

                *私は彼に「がんばってるね」なんて言えない。もう充分過ぎる位だもの。
 

1020:不況体感

私は株はやらない。不思議に思う事がある。アメリカでの株の乱高下は、何か意図的に操作されているように思えて仕様がない。国の施策転換に見事に反応、ビッグ3への公的資金導入を議会で反対され、その後政府の別の救済措置が検討される。その動きに株価が反応する。そして、日本も一日ズレの時間差で連動する。
 安く買って高く売る。これは誰でもわかる。バブルを引き起こした原因に世界的な金のダブつきがあったと思う。不況に突入した今でも、その金はどこかにあるはずだ。もう過去のこととなってしまったが日本で一躍有名になった村上ファンド、その村上氏は今何をやっているのか?かつて猛威を振るったオイルマネー、原油価格の暴落で話題性が薄らいだ?しかし、その有り余った金がどこかで悪さをしているに違いない。
 お隣の中国で、今社会問題となっている富裕層と貧民層の格差。この状態が長続きするはずはない。日本でも他国の内政問題と無視はできないはずだ。私の地域に、世界的なシェアーを持つ、建設機械メーカーの工場がある。一時期40社以上の派遣会社が非正規労働者を工場に送っていた。その中には多くの海外からの出稼ぎ労働者も含まれていた。それがここにきて急激な需要の冷え込みで在庫が増えている。売れないのだ。企業は生き残りには、敏速に動く。まず海外からの労働者を切った。それから非正規雇用の人たち、次に正規雇用者へと移るのだろう。これが実に短期間で起こっている。私の寺周辺は絶好の散歩コース、前にもふれたが日本語を話さない人たちが自転車でよく来ていた。その人たちがここにきてパタっと止まった。
 以前から危惧されていた。それは北京オリンピックが終わった後、果たしてどうなるか?いま起こっているのは中国だけの問題ではなく、世界的な同時不況である。高額な大型建設機械は、内需で対応できるものではない。だからこの冷え込んだ状況から回復するには、相当な時間がかかるはず。
 似た現象が、日本各地で起こっている。まさに大恐慌へのカウントダウン。暮れのこの時期は、クリスマス商戦とかいって街は華やかなイルミネーションで賑わいを見せる。でも今年はどことなく電飾飾りが控え目だ。
 日本人が将来の日本を考える節目に来ている。少子化や高齢化が重要な政策課題となって久しい。これはどうしてなのか?今の繁栄を将来にわたって続けることが前提となっているからでしょう。
 私は福祉の業界に長く身を置いてきた。社会保障が進んでいる殆どの国の人口は、日本と比較にならない。北欧などは10分の1や20分の1の人口でしかない。
 人口が減少するのは良いことだと思う発想転換が大切だ。同じ笊の中のものを奪い合う、それでも足りないから余所まで行って奪ってくる。経済成長は、観点を変えれば餓鬼道の世界に通ずる
 坊主だからと揶揄されそうだが、高齢化大いに結構。年取れば、そんなに贅沢しなくても充分です。着飾ったところで中身は変わらず、食い過ぎれば腹壊す。そうして無駄をなくせば自然破壊も減らないかなー。そうそう聞いた話です。野菜の産地の話。今でもその日の値段によって大量に処分していると聞きました。産廃にだすと白菜が一つ20円処分にかかるという。だから穴を掘って埋めるんだと。これではバチがあたるわな。
お墓が薄気味悪い場所で無く、人々の集いの場にするのが私の最終目標ですから。発想の転換でこの閉塞感を突破しましょう。誰も賛成しない?そうですか。
 

1021:1通の手紙

手紙が届いた。そこには亡き夫の49日を済ませ、高野山と長谷寺を参拝し、やっと落ち着きましたと書かれてあった。それから義父の50回忌法要の確認も添え書きされてある。
 私は、今までに寺から回忌法要の知らせを出した事が一度もない。それでも皆さんは自分たちで調べて法事の申し込みをされる。住職として誠に有り難いことだと思っています。
 だが、住職が法事を忘れたりするものだから信用がない。これが実に困ったもので、当人は反省はするのだが、依然として改善の兆し無し。机の周りに張り紙がいっぱい、でもどこに貼ったのかまで覚えていない。
 いま私の頭の中は、あることで飽和状態にある、実は施設の建物で昭和52年に建てた寮がアスベストを使用していることが分かっている。2年前に世間で問題になった時、県から調査文章がきて、報告はしていた。天井裏の鉄骨に防火のために吹き付けてある。今も変わっていないのだが、天井で密閉されてあるので別に問題は無いとのこと。ただし、解体する時は、たいへんだと言われていた。これも変な話だ。築32年が経つ、何度も改装をして使用してきたが、いよいよ建て替えを考える時期にきて、概算見積もりを取ることにした。解体費用がビックリ、それに利用者が生活しながら、どこに建てるかを考え始めたら、もうダメ。正直法事どころではない。寝てるのか目覚めているのか分からない状況が続く、ラジオのスイッチON、久しぶりにNHKこころの時代、ガンジーの話を放送していた。彼はノーベル平和賞を5回断ったという。ご存じのように彼は非暴力主義を貫き、イギリスからインドの独立を勝ち取った立役者。「神は真理である」→「真理は神である」と言った話は有名。既成宗教に捉われず、今自分を必要としている人に奉仕することを信条に生きた。誠に残念だが暴徒の銃弾に倒れてしまった。
 インドという国は、中国と同様、とてつもなく大きな国で、日本の10数倍という人口を持つ。貧富の差など日本の比較にならない国、それ故に、ガンジーやマザーテレサのような宗教や政治の指導者が生まれたのだ。今後、そのような人が出るのだろうか?
 人間は異文化に触れると何かを感じるものだ。知らないで済めば良かったということも中にはあるだろう。
いつもの私流のこじ付け?になるのだが、知的障害者という人達と社会の関係も似ている。 知らないで済めば、それだけのこと。でもなー一度彼らの魅力を感じてしまった者には大きな存在となる。これは確かだ。ただ、幸い手を出さなくても済む世の中でもある。これもまた真実でしょう。
 本人とその家族は「忍耐」と「妥協」の歴史。彼らの凄いところを一つ上げるとすれば、私はこれをあげます。
天性の自分らしさ。
 個性と言うには余りにも月並みで失礼である。
 

1022:追悼

入院1か月目で今朝、Iさんが亡くなりました。48歳でした。彼は私どもの学園に3歳の時に入所してきました。それから45年という歳月が過ぎたわけです。実に半世紀です。彼は尚恵のアイドルでした。とても明るい性格で周りの人を笑わせる天才、体は頑強というわけではなかったのですが、今まで大きな病気をしたこともなく、自分の身の回りのことはほぼ自立していました。そして寮から出て、GHに移り、元気に過ごしていたのです。昼間はまんだら工房の営業部長、お客さんの接し方は誰も真似ができない程、素晴らしい才能の持ち主。11月6日に多くの来客(南米JICA)があった時も、おどけたパフォーマンスで、カメラのフラッシュをあび得意満面でした。その直ぐ後でした。体調を崩し、検査入院、結局2日程外泊許可で戻ってきただけで、ずっと病院での生活、もう既に体中に転移していたそうで、手術はできず、緩和ケアーをお願いしました。
 最後はとても穏やかに息を引き取ったという報告を受けました。それを聞いて少し気が楽になったというのが正直な気持ちです。
何しろ彼との付き合いは3歳からです。私が中1の時、当時は養護学校などなく、施設内学級で義務教育を終えたのです。
 家族の希望で、神宮寺の本堂で仲間たち全員で送ることにしました。
 私は複雑な思いを持っています。人間誰しも幸せになることを願っています。布団に眠るKちゃんの顔を見ていると込みあげてくるものがあります。誰にその思いをぶっつけて良いのか分かりません。
 近くの公園を1時間ほど歩いて気持ちを落ち着けようとしたのですが、結局ダメでした。
 果たして尚恵で過ごした事が彼にとってどうだったのでしょう?考えれば考える程、迷路に入り込んでしまいます。スタッフは本当に良くやってくれました。
 また本堂に飾られる遺影が1枚増えます。毎朝、私は並んだ写真に手を合わせてから学園に出ます。
 一人一人の思い出は数限りなく,掛替えのないものばかり。「ありがとう」と自然に言葉が出てくるのは何故なんだろう?不思議です。
今、多くの仲間が尚恵を利用されています。、望むことは千差万別。正直、押しつぶされそうな思いになるのです。
 ここまでくると、もう人間の力ではどうすることもできない。そう諦めることしかないのでしょうか?
 向こうに行けば、Kちゃんが知っている人が沢山待っているよ!心配するな!
 向こう岸に渡った人たちがきっと笑って迎えてくれる。そんな事を浮かべてしまう、独り言です。
”共生”って多分こんな事なんだろうな。この世で得られなかったものを、向こう岸に渡ってから穴埋めしてもらう。信じることでしか実感できないものが沢山ある。この年齢になっても、こんな風に思ってしまいます。ご冥福を心から祈ります。

 Kちゃんに手紙を頼もう。みんな仲良くやっているか?
      今度 Kちゃんが行くからよろしくな。
           平成20年12月19日 Kちゃんは 本当に多くの思い出を私たちに
             残して旅立っていきました。
  

1023:冬至

今日は冬至です。北半球では太陽の高度が1年で最も低く、昼が最短です。昔からカボチャや粥を食べ季節の節目を感じたものです。
 いま、季節の変化が曖昧になっています。それは空調設備により室内では寒さを感じなくなったことがあります。そして室外においても地球温暖化によって確実に気候が変わっています。
 初めて宇宙から地球をみた飛行士が青い地球に感動してメッセージを送ってきた。それは大分昔のこととなりました。
 豊かさを得たことで失ったもの、その最大のものは、謙虚さと感謝ではないでしょうか!
この1年を振り返るには、まだ早いかもしれません。今年後半は金融問題から急激な世界同時不況という混乱が生じました。サブプライムの問題が原因のように言われていますが、私は違うと思っています。それこそ人間の奢りです。その最たるものが、イラクへの侵攻ではなかったか!一発何憶円もするミサイルを湯水のごとく使用した、あの悲惨な戦争。これが世界の経済を狂わせたわけですよ。
 あれで儲けた人たちは、軍需産業の人たちと石油産油国です。この戦争に投入した金額は、正式に発表はされていないようです。それはまだ戦争が終わっていないからです。
 1929年に起こった大恐慌時に今の状況が似ていると言われています。100年に一度の非常事態だと政治家は危機感を煽ります。それはお角違い。貴方達が政治生命を絶たれる危機でしょう。
 今、政党間の争いというよりも内部崩壊による自滅が起こると思いますね。それで良いと思うな。
一度ガラガラポンをやりませんか?無責任ですかね? 今週でした、某議員と宴席で話す機会がありました。うるさくて話が聞こえず、場所を変えて二人で話をしたのです。彼は2世議員では無く、秘書経験をしながら、永田町の動きを実際に見てきた人です。
 彼と私の考えは多くの点で一致しました。日本の政治は、数を重用してきた歴史です。制度そのものがそのようになっているから仕様がないと彼は言った。だが、どうでしょうか?実態は与野党の議員の考えは殆ど変りがありません。そして、与党も野党も2世議員のオンパレード、地元に戻るのは選挙前だけ。これを許してきた我々に問題多いに有り。これをいつまでも許すのか?提案ですが、2世党を旗揚げしてはいかがでしょうか?お坊ちゃま政党。言っておきますがそのイメージはぬぐい去れませんよ。
 話は全く変わります。今、やたらに選挙ポスターが目立ちます。有る方が血相を変えて私に言ってきました。「住職はあの人を応援しているのか?」と。それは寺の土地にさしてあるポスターを見たからでした。「全く関係ないよ。誰かが黙ってさしていったんだ。別に抜こうともしない。黙ってやっていく人の良心もあっぺーな」と答えた。そしたら怪訝な顔をその人はした。でも良く考えたら、今、3つの政党のポスターが寺の土地に建ててある。全て寺に一言の話もない。あれ、立てる場所を決めれば解決することじゃねーのか。
 そんな事大した事じゃねーよな。
 

1024:挨拶

某学校法人の理事会があった。そこで討議された事は、いかに特徴&魅力ある学校経営ができるか?という一点。この時期は学生募集の真っただ中、大学は高校を回り、高校は中学を回る。学校説明会を各所で実施、生徒集めに奔走している。既に都市部の有名大学以外は全入時代に入っている。外国などは入学のハードルを低くして門戸を開いている。しかし卒業できるのはその中の何割かという。考えようによっては、それがアカデミーの本来の姿かもしれない。志有るものにチャンスを与えるべきだ。日本で行われている入学試験というフィルターで選別するやり方も時代に合わなくなっている。
 そこで、建学の精神や教育の色をどう定めるか!将来の生き残りにもかかわる重要課題。時代の変化に応じて変えるべきか否か。
 なんと言っても一番経営で難しいのは、経営基盤を盤石にすることである。最近報道されたデリバテブなど資産運用で多額の損失を被った大学がいくつもある、中には理事長が退任するところも出た。ハイリスクハイリターンの商品に手を出したことは覚悟の上、当然理事長独断ではなく機関決定されたものだろう。社会福祉法人でも膨大な基金を持っている所がある。どうしているのかな?「住田さんのところはどうなんですか?」と逆に質問された。「私のところは元金保証以外の運用は禁止されているし、そもそも運用する金がない・・・」と答えておいた。
 さすがに、あまり欲を張らないこととは言えなかった。
 だが、マスコミも何を恐れているのか知らないが、国の運用損失額は億の単位どころではない。年金や退職金という公的基金を運用しての損失に、誰も責任を取らない。これが日本の実態。
 最近の教育現場で挨拶が見直されている。これは学生だけの問題でなく教師に対してもだ。学生と面と向かって挨拶できない教員がいるとのこと。福祉の現場だって似たようなものかもしれない。それが昨夜、気づかされた事があった。
 Iさんの通夜を5時から寺の本堂で行った。ほとんどのメンバーが参列、結構広い外陣も通路が取れないほどビッシリとなった。
 通夜を終え、私が遺族と話していると、何人ものメンバーがIさんのお姉さんに挨拶に来た。sさんは、職員に手をひかれ、はっきりしない言葉だが「Kちゃんのためにツルを折ったよ」と話しかけた。
 Oさんは、お姉さんに突然握手を求め、Kちゃんの棺を指差し、手でバッテンをした。彼の言いたかったことは直ぐに分かった。Kは死んでだめだと言っている。
 それから私の手を握り、恐る恐る顔を覗いたDさんは、「KOUITi ・・・ 死んじゃった」と小さな声で言った。そして遺族に向かって深々と頭を下げた。彼らの挨拶は斯様に様々だ。
 いつもならじっとしていられない メンバーさんが通夜の間、ずっと座っていられるのは正直驚きである。一緒に生活した仲間の死を彼らなりに受け止めようとしている、その場の雰囲気は経験したものでなければ分からない。
 今日、9時から密葬を行う。その後、彼が長く住んだGHの脇を通り土浦市の斎場に向かう。

1025:公式予報官

『ウォール街の公式予報官』という言葉を知った。(「大暴落1929」J・K・ガルブレイス)
 果たしてそのような職が本当にあるのか、彼は皮肉を込めて使った。いつの世にも無責任で目だちやがりやな評論家はいるものだ。結果を横目で見ながら、さも持論が正しかったではないかと言いふらす。許しがたい人間だ。評論家といわれる人種は、知識の安売り、彼らは責任を取るべき実践現場を持たない。
 何が実践かというと、定義付けることは難しい。ここで言う私の実践は、まさに現実と直面し、どうにかしないと生活そのものが危うくなるプレイグランドという意味。
 ウォール街に行ったことはないが、容易に想像はつく。世界経済をコントロールするキイパーソンと自認するエリート?の溜まり場。彼らは、実は吹き荒れる不況下にあっても、直接の被害を受けない。それは株価が下がることを喜んでいる者や職場を転々と渡り歩く連中だから。
 マネーゲームを楽しむ輩、いち早く情報を得て、先手を打つ。その結果がどうでようが、直接自分の懐は痛めない。自分のミスで即路頭に迷うことがない人たち。
 実態経済がどうのこうの言われる。これだってどこに焦点を当てるかによって全く反対の結果がでるのだ。実態などとわざとらしい言葉を使うこと自体マヤカシである。
 今の状況が入口なのか出口なのか、これがどの位続くのかは誰も言えない。もし、そうならば何もせず右往左往していても仕様がない。製造業やサービス業は不況を諸に受ける。別に今すぐ無くとも困らないからだ。それよりも農業や漁業という飲食業種は強い。連日のように派遣社員の解雇が大きな問題になっている。寮からの立ち退きを強いられホームレスにならざるを得ないという人達。
 行政は利用していない公営住宅をその人たちに開放するという。これも片手落ちだ。住む場所を確保するのは急場凌ぎ、これからどうやって生計を立てるかという事には手が回らない。
 地方には田畑が利用されず、放置されている。今こそ食糧自給を推進すべきだと思う。この舵を切ることを政府に期待する。
 為替レートの変動によって世界のトヨタが赤字となった。同業種は見事に右習え。優れた製品を作って得た外貨で経済を支える仕組みの限界である。先の公式予報官がいるとすれば、これこそ予測できたこと。なにせ日本の名だたる企業は先を争って外国に工場を移し、現地生産をしている。それに中国ギョウザ汚染問題から派生した食糧品偽装事件だって元を正せば食糧自給できない日本の脆弱さが原因している。
 働く場所が無くなった時に、国が取るべき政策は身近で直ぐにできることだ。
今なら地方に農業を教えてくれる人たちがいる。
 そもそも自然環境がここまで破壊されたのは、利便性という≪幻想に浸っていた時間が楽しかった分だけ、夢から覚める過程は苦痛を伴う≫(前著:P278)ことと同根。
 次から次に止めどもなく出てくる課題、待ったが効きません。この辺で評論家はやめにしてと。
これ! 私の実態であります。・・・・自戒を込めて・・・・。
 

1026;障害者応益負担

国は一体何を恐れているのだろうか?
 増え続ける社会保障費について、どのように負担すべきか!次世代にツケを回してはいけない。ならば道路財源を減らして、保障費にその分回せば良いなど・・・・ あれやこれやそれぞれの言い分が交錯
 ライフスタイル「衣食住」は、人として社会生活を行う基本的な関心事。生活の質(QOL)という言葉が流行ったが、今、それどころの問題ではない。どうして年を越そうかと悩む人たちが急に増えている。
 街頭で「あなたは今何を望みますか?」というアンケートを実施、その1番目が税金のムダとでた。
「無駄」にも色々あるだろう。残念だがそこまで細かい調査にはなっていない。
 角度を変えよう。
 障害者福祉はここ何年か、大揺れである。制度の変更、それに伴う事務量の増加と分かり難さ。デスクワークばかり増えて一向に楽にならない。我々現場からは不満轟々、しかし、批判すれば余計面倒になるから良し悪しだと躊躇する。私は結構、行政に携わった先輩との付き合いがある。一様に彼らが言う言葉に、「昔は良かった」という懐旧の談。予算を付けるにもスクラップ&ビルドができた時代、いまそれがスクラップ&スクラップだという。一律カットで減らした分を必要なところに回すことができなくなったという。
 大阪の橋下知事が言っていた。「予算と権限を地方に回して欲しい。今生きる我々のつけを子供たちに回してはいけない。必要な負担はすべきだ。。。」
 「無駄」の実体解明は、実は国レベルではできない。地方からの陳情によって予算化する仕組みは、時代おくれ。不透明で胡散臭い。それから国の役割と地方の役割が明確になっていない。実は、これが無駄だと思う。明確にすれば、今のような議員の数はいらなくなるからだ。態々、複雑にして、仕事量を増やす、役割が不明瞭なのが彼らの指定席を守るのに一番だから。
 障害者福祉の財源問題。国は介護保険と合体を考えた。将来の安定財源確保という触れ込みだった。だが、なぜ反対が噴き出したのでありましょううか?障害者もいろいろ、生業を持って十分自立できる収入を得ている方もいる。だが、そのような人はほんの一握り、大半の知的障害者の人々は年金以外の収入が期待できない人々。その方々から応益負担として1割とり、更に介護保険料を月々徴収するという。支援費制度になった時に負担金が払えず、利用していたサービスを諦めた障害者が出た。この事実を全体の一部として片づけてしまって良いのだろうか?
 ただ、改善すべきこともある。それを言えば非難が出る。簡単に言えば既得権益を主張するには、それだけの根拠を持たねばならないとだけ言っておこう。悪しからず。
出口が見えない論議の中に、自らの足で乗り込むか、それとも高見の見物でおこぼれ頂戴といくか?
 どうも私の性分では、身の程知らずで討ち死にするしか選択肢はないようだ。
 ちくしょう!恨んで出てやるからな!
  *消費税アップを明文化するか否かでやり取りがあったと漏れ聞く。しかしなー何故オープンにできないのですか?そりゃーそうだわな。自腹を痛めず国民に負担を望んでも了解はもらえまい。何故、貴方達自身の中から議員定数を減らそうという意見が出ないのですか? そりゃーそうだわな。地方に戻れば名士で先生様だもん!レベルが低いんだよ。
 

1027:かけがえのないもの

「現代社会が意識の世界であり、それは都市化だということ、それに対して身体をどうするか、それは実行の問題だ・・・」これは養老孟司が書いた文章である。彼はご存じの通り、解剖学の権威、昆虫が好きで野山を歩き周り、虫の生態を観察することを無上の喜びとする。解剖学と建築学を対比、自らを壊し屋と言う。ただ、根の部分では共通するとも。東京タワーの建て替えがあるという。鉄骨の構造は当に人間の骨の構造が発想元、少ない鉄骨で最強の組み合わせを考える。
 彼がかけがえのないものと一貫して説き続けることは、「自分でものを考えること」そして「実行に移す」こと。それから「人間がつくったものを信用してはいけない・・・・」とも。
 自然と人工、田舎と都会、心と身体・・この対比において何を大切にすべきか!
考えようによっては政治や社会の取り決めは、全て人工的なもの。田舎と都会は、利便性というオヤツの後に怠惰というオマケが付く。そして心と体の関係で彼はカマキリを例にとって分かり易く解説する。

 上の写真は、最近写された奥日光の雪景色(シラカバ)、光徳小屋からの定期便である。
今は便利になりました。炬燵に入ってミカン食べながら自然を楽しむことができるのです。これだって実際に自分が山を登り、自然と接してきたから感慨も深くなると思うのです。今、全く山には登っていません。でも暗くなってから完全防備で歩いています。幸い神立は田舎ですから、澄み切った夜空に輝く星を楽しみながら歩いています。
 長寿世界1といっても高が80年です。あっという間に過ぎ去ってしまう時間。あの世を天国と呼ぼうが浄土と言おうが、結局自然の中に我々は帰っていく運命。だからこそ「かけがえのない」ことは、自分で考え実行すること、これが到達点でありましょう。世の中が複雑で情報が溢れていますから、貸衣装で毎日違ったものを着て過ごすことになってしまいます。自分(個性)が無いということ。
 これで一生終わり。さーてどうしますか?
 目先の事にあまりにも振り回されていませんか? こんな事を言ったら叱られるかも?
 突然起こった不況に仕事を失った人たちの問題が話題になっています。しかし、複眼で見てみましょうか?問題だと騒ぎ立てているマスコミや政治家、全て他人事として捉えていませんか?
 彼らにはその人たちの気持ちを理解することが本当にできない。これ真実。
 ちょっとリアルタイムに目を移してと。
 しつこいようですが、上のシラカバの写真、皆さんはどう感じたでしょうか? この自然が織りなす風景は凄いと思ういませんか。
 次にいつもの余談です。
昨日の国会中継を見ていて、自民党の渡辺議員が造反?。私は彼の取った行動を高く評価する。
 みんなで渡れば怖くない。これが今の政治、政治家個々の姿が見えてこない。これご本人にとって悲劇となりませぬか、余計な心配ですが。
 

1028:名跡(みょうせき)

名跡を継ぐ。
 12代目市川団十郎は歌舞伎界の大御所、最近、息子の海老蔵と共にフランス公演を成功させ、歌舞伎復活の功労者。11代目父団十郎が19歳の時に急逝、その後大看板の市川家の名跡を継ぐ。この話はこころの時代で2日間放送された。
 歌舞伎とは当て字で俗語「カブク」の連用形である。カブク精神というものがあるらしく、彼の説明では「増えれば減らせ、減ったら増やせ」ということらしい。俄か知識の私にはどうもイマイチ理解できない。
 彼は、2004年に大病を患う。急性白血病、それも息子海老蔵の襲名披露公演の最中であったという。治療の甲斐があって奇跡的に復活、元気に歌舞伎の舞台に立っている。
 私などとは比べるのもおこがましいのだが、「創造」と「継続」という話に感じるものがあった。それは12代目を引き継ぐ時の悩み、出口が見えない中で堂々めぐりした時の経験がそう言わせているのだろうか。 つまり、自分が跡目を継ぐのに相応しいのか、他に適任者がいるのではないか。彼の例え話がさすがだと感心した。数珠に例えた。12番目の数珠玉が自分で、それぞれが違った大きさや石で出来ていて良いのではないか。そして13番目の数珠に次ぎを託せば良い。
 なるほどな。それから「オマケ世代」という話。大病後の事もあるのかもしれない。今いることはオマケだから楽しめば良い。世間様の評判は、自分で思っている程のことではなく、思い過ごしが多い。
 ただ誰にも言えることは、いずれ自分も死を経験すること、悔いの無い人生、それは一生懸命生きればおのずと付いてくるもの。
 淡々と話されると、高僧が説いているような感じになる。彼ほどの人なれば当然のことだろうが、聖書を読み、山寺に御籠りなどもする。
 先のカブク精神の話、これは極端に走らない、中道の心に通じるということだ。前項の養老孟司の虫人間の生き様に通じる、これこそ究極の人間道。
 そう考えると不満不平の独り言を飽きもせずに繰り返す小生は大バカ者だ。戯言を並べて世の中が少しでも変わるとでも思っているのか!”喝だ”
 この性分は死なねば変わらない。言行一致ほど難しいことはない。そこに妙に拘ってしまうのはどうしてなのだろう?
 仏教の言う「中道」は、決して中途半端な生き方を勧めているのでは無い。寧ろその反対でその道に徹して生きることを求める。この辺が実に難しい。だからでしょうね、「いい塩梅」などと言う言葉が使われるのも。
 暮れは1年の中で特別である。今年1年を振り返り、どうだったかな?
 直接、お会いして話ができない方や陰で支えてくれている多くの人たちに心から感謝。だんだんパート3である。
 

1029:心象風景

親戚の家でお悔みがあり、参列しました。馴染みの斎場で、遺族席に座って、同宗の住職のお経を聞くのも妙な感じでした。ちょっと長いかなーとか考えている自分を戒めながら、右隣の従兄と時々おしゃべりしたりして1時間を過ごし、遺族に挨拶して早めにお暇しました。
 自分の遺影が祭壇に飾られるとどうなるのかなーとか然程長くない時間に様々な想いが駆け巡ります。 昔、伊丹監督の「お葬式」という映画があり、見ました。葬儀の在り方も大分変り、セレモニー化し、故人を偲ぶというよりも演出が多すぎると感じています。葬儀の間、弔問客は故人のことだけを考えている人はいません。無為な時を、各自が様々なことを思い巡らすことのできる良い機会です。それが故人からのメッセージ、「おめーな、いつ俺みたいになるかもしれないよ。今を大切にな・・・・」。
こちら側がそれをどう受け止めるかということです。
 今日は自分の寺の通夜があります。93歳のお婆さん、私の記憶にはっきりと残っている方です。
あれは私が小学生になる前、長姉の自転車の後ろに乗って、お婆さんの家の脇を通る時、どこでどうなったのか、自転車ごと私はどぶ川に落ちたのです。その時、お婆さんが家から出てきてくれて、お風呂に入れてくれたのでした。これは確実に50年以上前の出来事です。そのお婆さんの通夜があります。
 ”心”に残る思いでは、年を重ねる毎に新鮮味が出てくるのは何故なのでしょうか?脳のメカニズムがそうなっているのでしょう。良く言われる昔に帰るということ、これが自然なんですね。ただ、どれだけの思い出を持てたかは個人差があります。木の年輪を見れば一目瞭然、細かな目は厳しい自然環境で育ったことを示しています。北側の土手に育つ木は、建築用材としては加工しずらいそうです。まっ直ぐに育たず、多少ひねくれています。ただ、見ようによっては、そこに木の持つ自然の力強さを感じるとも言われます。
 人間も同じ、ボンボンに育った者より個性があって気骨がある人は厳しい歩みがあったと思います。
残念なのは、その事から脱け出せないで横道にそれてしまう人もいます。人それぞれと言うことでしょう。

 私自身を振り返れば、多分、親が願った通りの道を歩んでいると思われるかもしれない。そりゃー私にだって人に言えない悩みはありましたよ。でも今思えば決して後悔はしないと思うな。
 初めて衣を着て大きな法事に出仕した時、私は足がしびれ、大勢の人の前で転び真っ赤な顔になりました。それが僧侶としてのスタート。それから本山での修行?住職になってもう31年が経ちました。
 その間、多くの人との出会いをさせて頂き、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。いつもこれからはどう生きようかなどと空想にふけります。
 やるべき事は盛り沢山、切りが無いんです。でも出来る事はほんの少しだけ。その僅かな事に、自分の気をいれていきたい。そんな感傷に浸っていますです。ハイ。
 

1030:年の瀬3日

後3日)28日
 除夜の鐘の準備、今年はどれくらい来てくれるかな?暖っか甘酒用意して待ってます。
[総括1] 地元建設機械トップ企業の今年1年がまさに今吹き荒れる激変を如実に示している。なんと日給19000円にて人を掻き集め、生産に追われた。それは中国やインドを代表とする外需によって支えられ、オリンピック閉幕と時期を同じくして注文がパタッと止まった。そして、派遣社員の切り捨て。
 国の施策は地方への企業誘致、大企業はこぞって製造部門を地方に移した。順調に収益が伸びていた時期は、地方の活性化や雇用創出に貢献喜ばれた、次に外国に現地工場を作るという拡大戦略、この目論見がトヨタをはじめ、企業収益を減らす要因となった。原点に戻れと創業者一族へトップ交代。
一方、国内に目を転じれば、介護や医療分野での慢性的な人材不足、救急患者のタライ回しや特定診療科目の医師不足、これも実は大いに国の取った政策に起因している。 最近、福祉関係者で密かに期待されている事は、不況で人の流れが変わるか!ということ。これは非常に甘い見通しである。受け皿である我々が大きく変わらなければ敬遠されるに決まっている。これもまた原点回帰。
 日本人の働くという事に対する考え方が変わった。フリーターがこれだけ多くなった事もその一つ。それは、職業選択の自由が労働する側、雇用する側との絆が薄れたこと。就業規則や雇用契約など関係なく、仕事を辞める人が多くなった。自己都合である。事業所にとって穴のあいたポストを埋めなければならない。そんな事、辞めていく者には関係ない。その端的な例がリーマンBの破綻時、社員が段ボール片手に引っ越しする場面。彼らは会社に対する未練などない。悲壮感などなく晴れやかな表情。能力があればどこでも働けるということらしい。
 CSR(社会的責任)という言葉が流行った。確かに事業を伸ばしてきた過程で多くの社会的迷惑もかけてきた。環境破壊など今ここでどうにかしないと本当に取り返しがつかない。社会に貢献することは、全人類に対して課せられた使命。
 こと福祉に関すれば、積極的且つスピーデイな対応が条件。現場を預かっていて、この事が頭から離れない。今年2名の利用者が亡くなった。お二人とも我々との関わりは長かった。(30年~44年)
 彼らの一生で大半が学園での生活、そして突然旅立っていった。老人介護施設は毎月利用されているお年寄りが亡くなる。その対応に慣れている。利用する期間が短く比較にならない。知的障害者施設の場合は、全く異なる。それを介護と同じルールで制度化したことに不満噴出。
 障害者自立支援法を悪法とし、廃止か見直しか大騒ぎ。収拾がつかなくなった。だが制度を作った責任者はとうの昔に異動し、どこ吹く風。
 総括1の結論。国の中枢にいるキャリア族の現場認識不足と保身を最優先する国会議員と官僚の癒着構造。この改革こそが緊急のやるべきこと。これには国民一人一人が自分で考え行動(投票)することが最低条件である。
後2日)29日
 昨夜はGHのメンバー4人を連れだって居酒屋へ。予約一杯でカウンター。盛り上がりはイマイチだったです。
総括2】ガバナンス不在時代である。例を挙げれば切りがない。政治の堕落はここまできたか。様々な制度改革(医療:福祉:裁判員:給付金・・・)が十分な説明がされず、ほんの一部の人々によって決められる。シンクタンクそのものが不透明で、何を検討しているのか一般の人には分からない(*)。行政改革担当大臣を据えたが霞が関からブウブウ言われ針のムシロと成りにけり。結局は官僚主導へと後戻り。
 企業は経営統合がお盛んで、特に金融業種は社名がやたらと長くなって訳が分からない。それに横文字社名が急増、これだけグローバル化が進んだと言うことか。
 新聞社会面には、殺人:自殺:偽装・・・目を覆いたくなるような記事が繰り返される。一体この国はどうなってしまうのだろう?国民総うつ状態。
 「たそがれに仄々(ほのぼの)見つる花の夕顔」ではないがほんのりと心暖まるニュースが一向に見当たらない。
 来年こそはと期待はするが、今の不況は入口で底を見るのはまだ先の事とか。力が一気に抜けてしまう。
「governance」とは、政府や関係官庁を言う。いつまでも壁の上塗りを繰り返しても、いずれは地が見えてしまう。この辺で変えないと遺憾よ。パイプの流れが全く悪い。本来、市民の声を吸い上げ政策に活かすべき役割がどこかに忘れ去られてしもた。何故にお忙しいのか知らないけれど、地元に置いた秘書の為体の品の良さ?夜の巷に見え隠れ、在京の先生に電話1本入れるならまだ良いけれど自分の判断で世が動くと錯覚し、安請け合いするからパイプが詰まる。
 小選挙区制度の良否を言う前に、資質の問題でしょうね。政界再編!何言っちょるか、自ら責任とりなさい。
さて、来年も愚痴三昧の年にはしたくない。これ私の本心。このままだと憤死するかも。どうぞどうぞと言われそうだが、某ラジオ番組のミッキー安川ではないけれど、できるだけ続けていくつもり。
 (*)各種審議会という仕組みがあります。・・・が、委員は大勢、某大な事前資料に目がくらみ、意見を述べる機会は、ほんの数回、これ実態であります。十分な討議はいつするのでありましょう?教えてください、ねえ アンタ。
後1日)30日
 私の愚見を愚者の一徳として、お付き合いくださいまして感謝します。
【総括3】 このコーナーを綴る中に、いつの頃だったろうか、落ち込みが激しくなった時がありました。
それは自らを省みず他人をトヤカク言う自分に嫌気がさしたというのが正直な思いです。その時に思いもよらず一通の手紙が届きました。その中にこう書かれていたのです。「住田さん。怒る時には大いに怒ってください。」と添え書きされていたのです。彼は、今、東南アジアの某国で福祉の実践活動をしています。何か勇気を貰ったというよりも慰められたというのが正直なところでした。
 私の原点は、モウケもので生まれてきたという事です。何も言いふらすべき事ではないのですが、いつでも迷うと茲に戻ってしまうのです。
 「生老病死」の第1が「生」であることを痛感。目を転じれば今の世界の人口は66億、2030年には83億になるという統計予想があります。今年私が多いに興味を持った、幕末~明治の時代は、果たして世界の人口がどの位であったのでしょうか?約12億人だったという。
 これが何を示すかという事を考えてみては如何でしょうか。実は貧富格差が問題になっていますが、昔に比べれば大した事はない。それは万里の長城を考えれば頷けます。いつの時代にも歴然と存在したもの、ただ昔は情報量が少なかっただけです。現代人は簡単に世界の出来事を知ることができます。知識として頭に入るわけです。そこで我が身と比べ、悩むことになります。自分を見失い、将来の事は誰しも分からないのに、世を疎い諦めて自らの生を早め閉じる。この10年の間に、増え続けているものに自殺者の数があります。なんと1日に90名の方が亡くなっている。
 この状況は決して無視できない事です。僧侶という役目柄、様々な死と向き合わなければなりません。
天寿をどう考えるかということですが、死は残された者に多くの事を語りかけるのは事実です。
 弱者に冷たい国は滅びると思う。今の日本がその岐路に立っていると感じています。その事を思い知らされた1年でもありました。私自身の力不足ということでしょうが、決して許せない事を経験しました。
 その事をあえて言わなければ腹の虫が収まりません。障害者自立支援法への不満が一気に噴き出し、緊急全国集会や国会の先生に陳情を行いました。某先生の議員会館に伺ったときに、中に入れていただけなかった。これが地域を代表する議員のすることか!今まで陰ながら応援してきたことが何だったのか。プッツンです。
 人間はいつの世も同じ、奢ってはいけない。謙虚と誠意、これ無くしてどのような立場に身をおいても最後は惨めな思いに至る。この許せない仕打ちから再び怒りの炎が燃え盛りました。
12月31日
    年の瀬に 皆それぞれに 家路つく。
          残りしものに 目が光る。

 (注解) 1年の中で誰しもが郷里を思い出すのは、年の瀬でしょうね。家族団欒・コタツ・お屠蘇・・・これらの言葉が一番似合う時期。
 入所施設で暮らす仲間たち、彼らを否定した輩、その言い分が実に腹立たしい。施設は地域で無いという。地域は彼らを大手を広げて受け入れてくれるのでしょうか?施設は地域です。
 この時期になるといつも確信するのです。
 実家に帰れる仲間といつも学園に残る仲間。ここに社会の現実がある。何も分からない人たちは、どうして帰れない?と不思議がる。だからと言って何もしない。
 昨日、落ち葉を集め燃やした。迎えが遅れた家族が急いで我が子のもとに向かう。待ちに待った、玄関から何度も外を見つめていたHさん。ほら!お父さんとお母さんだよ。
 3人で手を繋ぎ帰っていった。 すると焚き火のところに数人が集まった。彼らはもう何年も迎えは来ない。中には家族が全くいない方もいる。
  
   今年気になった曲
      1位・・千の風になって  新井 満
      2位・・吾亦紅  すぎもとまさと

 (注釈)「千の風になって」は、坊さんの危機だと思った。何しろお墓に亡くなった人がいないという。そして大ヒット、日本人の心をつかんだ。葬儀で何度この曲を聞いたことか。極め付きは、バイオリンとエレクトーンの生演奏だった。衣を着たまま、聞き惚れた。私はなんとかというイケメンのテノール歌手のよりも新井満の朴訥な歌声が好きだ。
 「吾亦紅」は歌詞が好きだ。この花はバラ科の多年草、山野に自生する。なんと源氏物語(匂宮)にも登場する。すぎもとまさとの歌声は澄んだ声ではない。親不孝の息子が母親に語りかける。その醍醐味は、なんと表現したら良いのか?そして最後のフレーズを「 おれ初めて自分を生きる・・・」で完結。
 何が良いと言っても華やかなバラの仲間でありながら、人知れず晩夏に暗紅紫色の小花を咲かせる吾亦紅、ここに母親の生きざまをみる。その母の教えにやっと気づき、自分を生きようと決める。
 うーむ。この力強さは一体何から生まれるのだろう。親が子を叱れない世の中。これは教育が悪いとか言う以前の問題。福祉・医療への憤り。これだって誰もが今なにができるかを真剣に考えれば、もっと違った道が開けると思う。
 2008年。皆さんに心から感謝します。