源極73

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
971 育成会 10/18 976 人生の綾 10/23 981 遅疑逡巡 10/28 986 変革の是非 11/2
972 学内風景 10/19 977 楽しかった。 10/24 982 何か変! 10/29 987 学ぶ 11/4
973 按ずる 10/20 978 終の棲家 10/25 983 季節変わり目 10/30 988 計画策定 11/5
974 リスクetc 10/21 979 福祉時流 10/26 984 待合室 10/31 989 研修受け入れ 11/7
975 歩むこと 10/22 980 秋到来 10/27 985 霜降月 11/1 990 アビリン候補 11/8

970:育成会

昨日、茨城県手をつなぐ育成大会が行われました。私が係わるようになって3年目になります。県の文化センター小ホールを会場に開催されました。知事も参加し、多くの来賓が檀上に、閉められた緞帳が上げられると、以前は空席が目立ち、ステージからみてがっくりする状況でした。それが徐々に参加者が増え、7割以上の席が埋まるまでになってきました。
 今回は地元水戸市の佐藤障害福祉課課長が地域生活支援事業の取り組みを紹介しました。私が彼を知ったのは大分前になります。水戸の某施設長のお宅でバーベキューを行った席だったように記憶しています。あの頃こんな人も行政にいるのかと驚いたのです。どうしても庁内異動が多い中で、彼は一途に福祉行政に関わってきています。水戸市長のあいさつにあった「出世は遅くなる・・・・」行政マンの代表? これは決して市長の本心では無いことは分かります。今こそじっくりと障害者と向き合う行政の要が必要な時代です。
 私は昔から役所に専門官を配置して欲しいと訴えてきました。その意味では彼がその代表かと。
実践報告の内容は身近で試行錯誤の繰り返し、その取り組みから様々なアイデアが出てきたと報告されました。現在進行形でありますが、ここに福祉実践の原点を感じました。
 閉会後、育成会の鈴木会長が旭日双光賞受勲のお祝いに出席、、多くの関係者が集まり、決してケバケバしい祝宴ではなかったのですが、かえって手作りで良かったように思いました。あくまでも私たちは脇役に徹すべきです。
 園に戻り、神宮寺の裏手に顕彰碑が出来上がり、その開眼を行いました。5名がお金を出し合って建てたもの。そこには『願一共生』という四文字を彫りました。私以外の四名は尚恵学園をこよなく愛してくれている人たちです。建立の話を聞いた時、正直躊躇しました。開眼を済ませ、居酒屋、酒が入り、数々の思い出を語り、自分たちが歩んできた道を振り返る。一番の長老A先生は昭和33年に親父から誘われて勤め始めたということです。私が8歳の時、当時の指導員はたったの2名だったそうです。毎日、子供たちと農作業をしたり、古材で建物を作ることなどに明け暮れたといいます。
 尚恵は昭和31年創立ですから、形が何も無い時代です。全く試行錯誤の状況であったようです。
今は建物や事業の内容も大分変りました。それは仕方がないことでしょう。でも、変わって欲しくないものがある。それが創立時に掲げた”共生”です。この思いを後代にまで引き継いでいきたい。その願いが一つになって今回の企画になったわけでした。
 話は戻り昨日、祝宴の席で昭和54年当時育成会の会長をされていた佐々木先生にお会いしました。養護学校義務設置の時代です。多分私の親父が愛護協会(今の福祉協会)の会長をしていた時だったと思います。施設には義務教育を受けられない子供たちが沢山いた時代です。そのことを話すと懐かしそうに話をしてくれました。苦い思い出も沢山あります。派遣された学校の先生とうまくいかず、そのことが大きな社会問題となり、民報テレビで全国放映されたこともありました。今では県内に特別支援学校が22校でき、当時とは比較にならない充実をみています。
 力不足を痛感する毎日です。引き受けた以上はできるだけの事はしないといけない。そう自分に言い聞かせ尻ごみする自分に喝をいれています。
 しかし、30年前の状況に比べれば悪法呼ばわりされている自立支援法も考えようではないのでしょうか。{また、怒られるかもしれない}
私は制度によって全ての人々の福祉がはかれるとは思わない。既得権をいくら叫んでみても反対の為の反対とならないか。業界団体が自らの利の為にいくら声を大きくしてもであります・・・・・。我利我利亡者とならないことですね。
こんなエピソード。
 先の大分県での全国障害者スポーツ大会、宿で6日間同室だった、W君とI君。W君は水泳2種目でメダルを獲得、一方I君は惜しくもメダルに届かなかった。部屋に戻り、I君が私たちに、「Wさんのメダルのお祝い!」と言って飲み物を配ってくれた。彼は自分が入賞できなかったことで私の膝に顔を付けて大泣きした後そのような行動をしたのです。彼の優しい心に答える制度がなんなのか、答えられますか・・・・・?
 

972:学内風景

土曜日の11時から母校でGWVのOB会があった。私は昭和48年卒組である。同期が九州や大阪に散りじりになっているので仕方が無い私が代議員になっている。本当に学内に入ったのは30年ぶり、目白周辺には何度も行っているのだが、どうも正門をくぐる気持になれなかった。今日は学内にある百周年記念館での会合だから入るしかない。当時よく周りで屯していたピラミッド校舎は取り壊され無かった。何か別の建物になるらしい。今、麻生総理が卒業生から出た。大学も多少知名度が上がったのだろうか?
中等部の学生募集の説明会が丁度行われており、大勢の人で混乱していた。三階にある会議室に恐る恐る入っていくと一年先輩の安本氏がいた。GWVのOBは400名になるというのだが、現役部員は4年生がたった一人。風前の灯。このまま行けば廃部は確実だ、OBに危機感。予定時間に各代の委員が集まってきた。半分以上は面識がない。私の右に座った人は単行本など持ち込んでむっつりしている。何か声をかけるのも気がひける。出席者の紹介が安本総務からありそこでお互い顔を見合わせた、なんと私の右にいたのは一代下の松本だった。「なんだ、おめーか」「なんだ。住田さんか変なおじさんがいると思っていましたよ」余計な事を言うやつだ。その右が2年先輩のケッケッケの大場さん、「ケッケ よお 住田 久し振り」 ここでタイムスリップ。3年後輩の依田も加わり37〜8年前のことがはっきりと思いだしてきた。
 学習院ワンダーフォーゲル部は昭和40年代には部員が50名を超す大所帯。その最盛期に入部、しかし、どういうわけか私の年代だけ極端に部員が少なかった。ちょうど新宿騒乱など学生運動のまっただ中の時代だったからかもしれない。学内には赤ヘルや大段幕が目立った時代で落ち着いて授業をやっておれなかった。
 今、当時を偲ぶ建物は体育館と理学部の教室だけ、立派になった部室にたった一人の部員で一体何をしているのか?そこまで聞く気持にはなれなかった。GWVは越後奥只見に山小屋を持っている。蛇子沢小屋。何しろ日本有数の豪雪地帯、もうすぐ建ててから50年を迎える。今、その小屋はOBが守っている。学生時代何度も入った小屋に卒業後は1〜2度訪れただけ、申し訳ない気分である。
 今の学生に人気なクラブ活動はストリートダンスとかゴスペラーとか?我々の時代には影も姿もなかったもの。部員がなんと100名を超えても部室がないというから部員1名で立派な部室を占領していても明け渡しは時間の問題だろう。
 今、我々の世代の仲間が定年を迎える。山歩きが好きな連中はまた登り始めているようだ。私は山行の話には入れない。何せ卒業後全く山とは縁が切れてしまった。多分、毎日山の中(寺)で生活しているようなものだからかもしれない。その代り旅はしたい。計画倒れが多いのだが、今に見ていろ!
 そうそう私が学内に入りたくなかったのは、一種のトラウマからだと思う。何しろ詰襟の真新しい制服を着込んで意気揚揚と出席した最初のフランス語の授業で教授から引導を渡されたのだった。
 まー場違いというかなんで茨城弁丸出しの田舎者が神聖な我が仏文に来たのかということ。クラス仲間の冷やかな視線。ちくしょうこんな大学辞めてやらー。カッカしていた時、通りすがりに汚い部室にキスリングが干してあった。そこがGWV部室。
 何か引き込まれるような思いをした覚えがある。それから4年でどうにか卒業、また仏文の1年先輩に山岳部のKさんがいた。彼は既に留年を何回もしている。私はkさんに「どうして仏文なんかを選んだんですか?」と大変失礼な質問をしてしまった。
 少なくとも私以上に仏文が似合わない先輩だったと今でも思っているのだがどっちもどっちだ。

973:按ずる

「按」という字の会意は、女を下におさえて落ち着けるさまと漢和辞典に載っている。案と同様の意味をもつ。テ偏故により強く感じる。意味は思い巡らすことであろうが、これは人間特有の能力?。
昨日は日曜日で園の最大の行事があった。
 俄かステージの前の席にドッカリ座っていた方に2代前の家族会の会長がいた。しばらく雑談していた。さすがに寄る年波を感じた。あれは何十年か前だった、茨城県の施設家族会の代表としてその方が知事さんに陳情に行ってくれた。その時の話をいつも懐かしんで話してくれる。今の知事さんの前の知事だから大分昔のこと。元会長さんは昔の通産省のエリート官僚で中国に赴任中に視察に来られたT知事と現地で会ったという。案内役をしたという。それから話がスムーズに進んだ・・・・
 時が経ち、昨日は県の施設保護者連絡協議会「施保連」の役員会議があって11月19日に計画している日比谷公園での緊急全国集会の話が出た。新法が平成18年度に施行されてから2回目になる。各県に動員がかかっている。その対応を話し合った。
 先の話と時間差があるが要望の内容や手法は大きく変わった。少なくとも昔は政党への陳情という形はとらず、正当な方法で要望していたと思う。それが、今や駆け引きが多すぎる感じを持っている。何か不透明なのである。
 ま!大河に逆らう気持ちも正直起こらないが、小手先でその場凌ぎの対応がどうも気に食わぬ。一体、貴方達は何を望むのですか?と問いたくなる。
 まさに現代は末法の世と化した。一つの獲物を皆で狙う。
こんな話も最近したばかり。職員の給与を下げ、施設長は下げないのでは職員はついてこない。「情実人事」という言葉がある。「我田引水」という言葉も。
 世の中がまさに同じルールで進む。これは組織崩壊の前兆ではないだろうか、そのように按ずる。
我が県に関して言えば、広域合併が不十分だと私は思う。茨城県には現在44市町村があるとのこと、せめて10か所程度にまとめることができないのか。これも当然議員数を減らし行政の効率化をねらってのこと。
道州制を取る前に是非ともおこなってほしい。
 ただ、日本は危険である。福祉や医療の分野にまで吸収合併の波が押し寄せる。この流れを防ぐための、実践と理論武装は我々業界において劣化してしまった。一枚岩となりきれない体質がある。
 それを示す端的な兆候が、若者の福祉離れ。一向にこの対策への妙案が示せない。優先順位がどこかで狂っている。
これは期限付きの特別対策で解決できるような単純なものではない。政策に理念を感じない。
いよいよ改選ムードが高まってきた。今の流れを変えようとする人たちと既得権を死守しようとする人たち、この対立関係が微妙に変わってきている。それは双方に政策そのものの大差が無い。口約束は誰でもできよう。言ったことを破棄しても何ら責任追及されない業界は政治の世界だけ。自分の尻に火が付き、あわてて地方回りしても、いつまでもその手法が通じると思うのは大間違いだ。
 1)人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙のあとには 虹も出る
     歩いてゆくんだ しっかりと 自分の道を ふみしめて
 2)人生勇気が 必要だ くじけりゃ誰かが 先に行く
     あとから来たのに 追い越され 泣くのがいやなら さあ歩け
 3)人生涙と 笑顔あり そんなに悪くは ないもんだ
     なんにもしないで 生きるより 何かを求めて 生きようよ
 皆さん大いに按じましょう! わたしゃー何言われても 屁のカッパ。

974:リスクetc

昨日、研修を行った。講座は2本、@は利用者の権利擁護、講師は竹之内さん。彼女とは社会福祉士会などでお会いしている。Aはリスクマネージメント、講師はセーフテイリソースの重岡氏。私は最後まで研修にお付き合いすることになった。
 大体,講演後の雑談に本音が聞けるもので、終わってからお二人と食事をしながらの話が良かった。
 実際は難しいテーマで、完璧な実践はない。午後のリスクMに関しては、まさにそうだ。講師は今話題の某外資系保険会社に籍を置いたという。本体のアメリカの法人が公的資金導入で破綻をどうにか免れた。保険業界は本来ならばリスクマネージメントのプロ集団。そこが大きく躓くことになったわけだ。これはどういうことだ!一寸先は闇。
 ここ数年、リスク関係の研修になるべく参加してきて率直な感想。要はいかに実践に移すかということに尽きると思っている。
ただ言えることは立場役割によって微妙にリスクへの意識が違ってくる。これが実に厄介なんだなー。言われた事に忠実な人間が多くなりすぎたことが、逆にリスクへの抵抗力を脆弱化させているという矛盾。
 PDCでいえばチェック機能が充分でない。特に今制度が変わり、後手後手の対応をどこの事業所も行わざるを得ない。あたふたしているのだ。それに加え、人員配置の難しさ、事故が起こらないのが不思議な状況が全国に充満している。
 どうも、何か事故が起こるとすぐに改正がおこなわれる。行政(国)はそれでヨロシイデショウね。神奈川で起こったGHでの火災死亡事故、これなど言語道断 心行処滅、何しろ犯人が世話人だったという。何があったのか分からないがこの事実を知った時に言葉が出なかった。
 性善説or性悪説? そして脳裏に浮かんだのが、法人の責任はどうなのか?ということ。何らかの委託契約の当事者であるはずだ。その辺の報告は全くなされていない。重大な問題だ。そのことを昨日保険会社の人に聞いてみたが、自社の保険ではないのでと上手くかわされてしまった。
 良く見かける駐車場での事故は関係ありませんという看板、これだっていくら掲げても無効だという。なんらかの責任はかかる。金銭のやり取りがあって、営業許可(?)もあるはずだ。許可と責任は一体。
 してみると私たちの周辺で責任がかからないということは全く無いということが分かる。
リスクとは、実は此岸での在り様である。釈迦キリストの時代から全く変わっていない。事故は予期せぬところから起こる。
 ヒヤリハット報告が一時期急激に増えたことがあった。ただ気になることは報告者に偏りがあるということ。
要は見過ごしてしまうか否かの違い。慣れ合いの中で些細なこととして見過ごされてしまうことも多い。あまり神経質になることも問題があるのだが、起こった事を皆で共有するためには報告と記録が不可欠である。
今、私どもではその実践の真っただ中にある。
 昨夜、これまた恒例の審査会が市役所にてあった。メンバーは医師や大学の先生、一次調査で上がってきたケースを二次審査を行うのだが、在宅の障害者の人たちの実態はリスクだらけ。障害者への在宅支援はお粗末そのもの。報酬単価もやればやるだけ赤字となる。私の所では各市町村の審査会のメンバーとして7名送っている。様子を聞いてみるとそれぞれの市町村で全く異なる。
 国の定めたマニュアルがあっても末端での実態は様々である。これホント。
 

975:歩むこと

昨夜、NHKで作詞家なかにし礼の特集番組を見ていて感じた。昭和50年代の曲は大体理解できる。歌詞生活が30年以上の出演者が代わる代わる持ち歌を歌った。直ぐに感じた事は,往年の声量が無くなった人が目立ったこと。その中でも石川さゆりや由紀さおりは今もバリバリの現役だから聞いてて心地よい、それに北島のサブチャンは別格、それ以外の歌い手は,音域が狭まり、声の張りを感じなかった。公共の電波で流すにはいかがなものか。一生歌い続けることの難しさであろう。多分、今も現役の歌手は、日頃の鍛錬は凄いと思う。
 常に自らの体調維持に細心の注意を払っている。
改めて聞き入った曲があった。それは石川さゆりの「風の盆恋歌」であった。私は彼女が和服が似合う歌手では一番だと思う。円熟した彼女の歌に引き込まれた。何かチャラチャラする歌手が多い中で、彼女は終始一貫、今のスタイルを続けている。
歌詞も良い。全ての事に通じることだと思う。気持をどれだけ入れることができるか!そこに妙な計算は無く、駆け引きも無い。一つの道に徹すること。それが歩むことだと思うんだな。
 これまた電波からの情報、ネパール・ムスタン地域開発協力会の理事長の近藤亨さんの話、元総持寺貫主の板橋興宗氏との絶妙な会話が良かった。近藤さんはJICAの農業専門指導員として活躍、70歳にして単身ネパールの秘境ムスタンに移り住み、爾来17年間、現地での農業指導を行っているNGOの代表である。
 出身の新潟弁では無いように感じたが、かなり訛りのある言葉で話される。面白かったのは「今の政治家はみんな馬鹿ものだ。官僚も馬鹿、みんな首にして一から出直せばいいんだ!」と熱弁、それに対して板橋老師が「近藤さんが新潟に住んでいないから、そんな大きな事が言えるんでしょう、もし日本にいたらどうですか?」と言葉をはさむ。「おれは、まだやることがあるから帰らない・・・・」。何せ近藤さんの実家は新潟でも有数の大地主、その田畑を売ってネパール行きを決意、奥さんとも別れたとか、その辺の詳しい話は聞き逃す。3人の娘さんの現在の活躍をチラリと紹介した時は一人の父親の姿を感じた。、どうも誰かに話し方が似ていると思った、やっと思い出したのは名曲「おふくろさん」を森進一には歌わせないと怒った作詞家の川内康範氏だった。
 両名とも今、少なくなってしまった日本を心底愛し、その文化を大切にする昔気質の日本人だ。今、政府が海外に資金援助する総額は相当な金額になっていると思う。どうも金だけを分け与えるという奢りを感じてしまう。確かに世界各地に多くの日本人が活躍しているのも事実、その人たちの活動がもっともっと知らされるべきだと思う。先の近藤氏の話ではネパールの大都市、カトマンズやポカラは日本と変わらないからだめだという。ムスタンという所に行ったことはないが、地図で調べるとヒマラヤ山脈を挟みポカラと反対側の北ネパールである。私がポカラ側から遠く望んだアンナプルナ峰のちょうど裏側、あんな処で農業指導をされる気骨に脱帽する。何しろ車の通れる道がない。歩きと馬が唯一の手段であるという。
 御年87歳。益々盛んな頑固爺さん。時々、帰国すると各地での講演に大忙し、毎年、現地にVSを希望する若者を受け入れる。そうだ、NGOを決める人たちには少なくとも1年ぐらいムスタンで農業をやることを義務付けるべきだ。まずはその辺から始めないと、虚しい議論に時間を浪費するのはいい加減に辞めるべきなのだ。麻生先輩どうですか?「大言壮語」

976:人生の綾

特集:100年のインタビューでノーベル物理学賞を2002年に受賞された小柴昌俊氏の話を聞いた。今年はノーベル賞を日本人が4人も受賞したという当たり年、6年前になる小柴氏の受賞、彼の背景が実にドラマチックで興味を誘う。
 彼は3歳の時に生みの母親を亡くしている。軍人である父親が満州に転勤となり、彼の波乱万丈の人生が始まった。そして予想もしていなかった13歳での自らの病気(小児麻痺)、軍人になることを諦め、物理の道を歩み始めた・・・・・・。彼の青年期までに学んだことは他人を頼ることはせず、自らが努力しなければ道が開けないという人生哲学。その彼が学生の時に自殺未遂までしている。明日(24日)午前4時6分NHKラジオこころの時代で2回目の放送がある。興味のある方は早起きして聞いてみてはいかがでしょう。
 人生の綾ということを感じる。一つの事を成し遂げた小柴氏の弁だから説得力もあるのだろう。自分の歩んできた道、その人生模様には、その時々に決定的な出来事や出会いがあるものだ。彼の研究したニュートリノ、一体その研究が何に寄与しているのですか?という質問に対し、小柴氏は「何の役にも立ちません。でもこの地球が誕生(超新星爆発)の時に92種類の元素が存在したからこそ、今の地球がある。生物の進化もしかり。その存在のもともとの原因がニュートリノ・・・・・・」 なんだか難しすぎてわからない。でも、一生を掛け、彼が研究したその発見は宇宙の歴史を探る上で大変貴重なことに違いない。その小柴氏の原体験をラジオを通じて垣間見れた。
 ところで、現代にタイムスリップすればどうだろう? 金融危機が世界的な問題となり、大恐慌の前触れか、株価の乱高下はまさに異常としか言えない。私は株に縁がない。ネットを通じて株の売買をしている人が増えている。彼らにとって今が千載一隅のチャンスと思うのだろうか。どうも汗を掻かずに金を儲けようとする動機が不純だ。
 アメリカの株の結果が日本の株式と連動している。このメカニズムが狂った時にさてどうするか!怖いと思いますよ。
いずれにしてもだ、人間の価値は推し量ることが難しい。綾とりゲームというものは既に化石化して、ITゲームに興じる子供たちに用はない。デジタル化が進み、中間を省略して即結果が出るゲームは、人間の思考力をひ弱にする。
 全ての社会現象がそのことに起因しているように思えて仕様がない。最近の若者は、突然仕事を辞めるという。一昔前ならば年度の切り目に退職を申し出ることが常識だった。そのルールが根底から崩れている。自分の都合で退社する。それも一か月前に突然。
 企業の新規採用のターゲットは大卒ならば現在の2年生や3年生である。2年後を見越しての面接を実施している。福祉関係者はここでも大分遅れを取っているのだ。いま就職状況に変化が出ている。最近暫くは売り手市場だった。その雲行きが変わり始めている。不況に対し、先ず企業が取る対応策は人件費の抑制である。より安価な働き手を確保し、利益を落とさない努力をするものだ。不採算部門の切り捨て、そしてリストラ。不正規採用が問題となっていた時代は、企業の財務状態が良かった時の話。企業が破綻すれば元も子もない。
 私の正直な心情を言えば、期待と不安が半々といった感じだ。果たして良き人材が集まり易くなるだろうか。
それに経営を考えると力以上の過大投資は命取りだと思う。借金ゼロを目指し、今日までどうにかやってきた。いずれ大規模な改築を考えなければならないので、必死にその資金を積み立ててきたのも、もしかしたら現行の制度が変わり、費用(サービス報酬)が入らなくなった時を想定してのこともある。
 煮干しをかじって耐えられるか!人生いろいろ 男もいろいろ。。。。ってか。

977:楽しかった

”先生が自分で好きでない教科を生徒に教えてもダメ、自分が好きじゃないと・・”
”ひとりひとりの学生にやりがいのあるテーマを与える事が教師で一番大切なこと”
”楽しい仕事ではなく、楽しむ仕事”
今朝のこころの時代を寝坊で聞けなかった方へ、私がメモした小柴氏の言葉を紹介しました。今の時代、他人のせいにすることが余りにも多い。あくまで与えられるものでは無く、自らが主体とならねば何もできないという事をノーベル賞学者が言っている。それと人との出会いを大切に。良き人と出会えたか否かはこちら側の問題です、”夢”を持ち続けることの重要性も力説。この生きざまが彼に「楽しかった」という言葉を自然体で言わせる。
 幼くして母と死に別れ、家庭の味を知らないで育つ、その体験が彼の自らが頼りという生き方につながる。体に染みついた心象風景である。
 昨日、某大学を借りてイベントがあった。私は県の課長を案内し、大学の事務局長と話した。昨今の学生募集の厳しさ、福祉への関心の薄さ、高校の教師が福祉を理解していない。福祉の仕事を否定的に捉える教師が多い。そんな話をしていて、これは根が深い問題だと痛感、何を切り口にして改善をはかるべきか!
 途中で失礼し、11時からの葬儀に向かった。車の中で衣に着替えるのも大分慣れてきたが、外から見られると変態に思われる。私は小柴氏の言う坊さんが好きで坊さんになったわけではない。全く逆で、仕方がないと思ってなった。それは今でも変わらない。
 葬儀に出向き、遺影を見つめているとこの方は楽しい生涯を送れたのだろうか?と思ってしまう。幸い遺影の写真は笑顔が多い。涙を流している写真はさすがに選ばないものだ。
 ああー人生悔いなしと言えれば最高だ。先ほどの若者の福祉離れについて私感をのべよう。
 本当に福祉が好きで事業経営をしていますか?
 何を喜びと感じますか?
 この質問にはっきりとした答えを持つ人が何人いることでしょう。 無視はできないけれど、財布の中身を気にしてばかりいる輩が多くはないでしょうか。事業所によってはかなり多額の繰越金を出している。ならば人件費に回し、給与で還元すれば良いのにと思うのであります。満足するか否かはあちら側の問題。
 昔は血相を変えて私に向ってきたものがいた。いま、その迫力をあまり感じない。不満があるならば、自分でやってみなと言うようにしている。これが一番良い対応だと思っている。

978:終の棲家

『これがまあ 終の棲家か雪五尺(一茶)』  終の棲家の意味合いは、最後にすむ処、死後に落ち着く所というものがある。 最近新聞の折り込み広告にマンション販売のものが目立ちます。実は造り過ぎて売れないから価格を下げたからどうですかという。その中に終の棲家として貴方の満足をというものがあった。
 小林一茶の時代とは雲泥の差、住まいに対する考え方が違う。それはあまりにも利便性を優先しすぎたもの、販売競争に勝つために工期短縮や工事費削減を行う。その結果、もう過去の出来事となったかもしれない、設計段階での耐震の捏造、外見ばかり自棄に凝っている。それで痛い思いをさせられた人が多くいたはず。
 さて、夜中にトイレに起きだすことはいつの頃からかお決まりとなってしまった。起きだした後に枕もとのラジオを聴く。テレビ放送も入るラジオ、昨夜は10チャンネルで田原惣一郎が司会の朝まで?とかいう番組。どうも耳障りな出演者の相槌が聞こえてしまう、10人以上が出演、その中の女性の経済ジャーナリストのもの。段々と熱が入ってくると、その声が気になってしようがない。そこで起きだしテレビをかけて見始めた。・・・裏のまんだら工房の電気がついていた。午前2時半。
 金融に詳しい(?)政治家や評論家の円卓討議、電話アンケートも同時進行で視聴者の声を聞く。最近の株の下落は素人の私にも異常としか思えない。3日間で1500円以上下げた。この異常事態がいま世界的に起こっている。それから為替レート、円高がドルやユーロの基軸通貨に対しもの凄い勢いで進んでいる。輸出産業にとって大打撃、なにしろ1円上がると年間で何十憶という金が減収となる世界だ。(株シャープ談)
 1929年に起こった世界大恐慌の再来かと危ぶまれる。当然、他人ごととは考えられない。第2波として必ず市民生活に影響が及ぶからだ。バブルが弾けるということは関係者なら誰しもが予想できたはず。外資系証券会社の20代の社員で数千万の年収、CEOとなれば、何と年収50憶円にもなっていた。勝ち組負け組の比どころではない。この状態をおかしいと思いながら経済のシステムとその国の政策が許してきた。その崩壊である。さすればこれから一体どうなるのか?これが誰しもが持つ最大の関心事。
 各種の債権に投資して基金運用する。身近にも超低金利の日本で預金するよりは有利と考えるものが多くいたはず。
そのしっぺ返しをどれだけ被るか!戦々恐々。
 福祉の問題は実は根深い。
福祉施設を利用している方が当然の権利として年金を受給している。その積み立てられた金額が凄い額になっている。どうもこれはアカラサマにできないことのようだ。私は昔から大きな疑問を持っている。年金の額は障害者の場合は障害等級によって額が決められる。在宅であろうが施設入所であろうが、受け取る年金には変化なし。施設で個人の年金を使用する場合の行政チェックは厳しかった。その結果、入所期間が長くなればなるほど預金残高が膨らんだ。一方、在宅で生活する障害者にとって年金は当に生活費となって消えてしまう。
 今、巷で問題になっていることは、利用者負担の軽減を声高に訴えているもの。同じ障害者であって、サービスを受けられる方とそうでない方が言い分が異なる。国がどっちの肩をもつか。
 事業所側は微妙な立場に立たされた。その辺の実態を在宅支援に力を入れてきてから痛感している。
施設が終の棲家となりうるか?
 そうなってしまって果たして良いのだろうかという自問。その疑問への接地点は、利用者の満足度?これがまた曖昧模糊。第3者評価などの仕組みを作ってはみたものの、国は受審義務を課す段階でトーンダウン。中途半端となっている。
 そこで契約制度なる事を考え出した。一方は事業者なのは分かる、でも相方は誰?重度の知的に障害を持つ人には難しい。成年後見制度があるじゃないか?やっと茨城県でこの制度の実態を調査、近日中に当園からその会合に担当者を派遣することになった。
 制度を作って後追いの福祉。これもまたこの国を終の棲家として誰しもが納得できるイメージから逸脱した感覚麻痺。
 一連の騒動をみていてそう思えてしようがない。
 これがまあ 終の棲家か雪五尺  (一茶)
≪返歌≫
  さもありや 賢き人の すれ違い  (番茶坊主)
 

979:福祉時流

時流に乗るか逆らうか? 確実に今、世界同時不況への道を進んでいる。これは由々しき事である。昨日、某法人の記念式典があった。そこでの立ち話、「なかなか上手くいかないね」と私が言うと「まだ、施設は良いよ。倒れる心配が無いもんな・・・」と私にお茶を勧めてくれたその方が言った。
 その辺の認識が今の我々の業界を見回して格差が大きい。障害福祉という限られた社会、正直言って、大半の国民にとって直接の問題ではない。それを裏付けるものに、厚労省の内部ですら後期高齢者医療制度の問題に障害者新法の話題は影を潜めてしまった。さらに第二第三の大波、100年に一度と言われるような大恐慌騒ぎが押し寄せている。
 医師不足や少子化対策といった誰しもが関心のある問題に先を越されてしまった。
 冷静沈着に現状を私になりに分析すると斯様なことになるのです。 これが時流である。
要は、この流れに逆らうのか乗るのかの選択の問題です。
 ただ誰しもが薄々感じていることである。それは新自由主義・市場原理主義という玉虫色で登場した政策パラダイムの突きつけられた問題、それに対しての反省がある。小さな政府を叫び、福祉や教育へ民活を導入、競うことで勝ち負けを決める手法をとった。そこに待ち構えていた市場における弱肉強食の実態、新たな問題が次から次に出てきて収集がつかない。「競争」=「サービス向上」とはいかない。それに自己責任という天下の言い逃れでは、サービスの受け手にとって救われる道を閉ざしたことになる。表に出ない多くの悲劇が物語る。
 小さな政府とは、そもそも政府の経済介入を縮小し、供給側の活性化を期待したものであろう。だが、一方では小さな政府という看板のわりには公務員と民間との給与格差が生じてしまった。肥大化した議員数へのチェックも甘く、依然として公務員の優遇策は続いている。
 この考えに対し、反発を感じる方も多分おられるでしょうね。私は応分の対価ならば良しとする考えである。公共サービスへの規制を緩和し民間に任せるという流れの中で、費用対効果や活性化という重要なファクターがいつの間にか既得権益の死守という闘争要求に化した。それが小さな政府への流れをどこかの時点で分水嶺を意図的に作って複雑にし、分かりにくい仕組みを作ったのではありませんか。
 いやー素人の私がいつの間に経済を述べるようになったのだろう。自分でもちょと驚いている。しかし、必死になって独学したのも事実です。経済は生もの、確かに浮き沈みの繰り返しの中から新たな政策を生んできた歴史がある。
 ただ、一貫して変わらないことがあるのだ。
それこそが、福祉の流れでしょうね。たまたま私は障害福祉にかかわっている。障害福祉を偏重しないようにと思いながらも結果はそこに辿り着く。仕方ありませんよ。
 ただ、幸か不幸か私は僧侶ということになっている。暫く無かった葬儀が3件連続で入ってしまった。日程を調整してもらい、いまその準備をしている。
 福祉=幸い。生きとし生けるものにとって実は共通する願い。「死」を最終到達点とするか否か。実は経済論など比較にならない位、難しい命題。なにせ自分で経験していない死の問題に関係するわけですからね。

980:秋到来

奥日光からのメール宅急便。光徳小屋の管理人さんから届いた”ミズナラ林”。澄み切った林の中に手付かずで残っている風景。いつも感心するのだが、撮影者のセンスの良さ、時々、至近距離から接写した写真も送られてくる。私はどっちかと言えば雄大なパノラマ写真を好む。
 もうじき、雪の季節になるはずだ。紅葉で大混雑したあと、やっと本来の静けさを迎える木々。そしてこれが何年も繰り返されてきた営みだ。世界遺産で訪れたい所がある。ベネズエラのギアナ高地、年間総雨量4000ミリ、独特の自然環境が今も残る、熱帯雨林、漠差1000メートル(エンゼルフォール)という世界一の滝。その滝には滝壺がない。水が落ちるまでに霧になってしまうからだという。その霧が周囲の木々に水分を与え、着生植物を育てる。そして、また太陽に照らされ空に昇って雨を降らせる。これもまた森の営みと同じ、自然の織りなす循環(サイクル)。
 話は変わる。
 西洋医療に対する反省として東洋医療が見直されていることはお分かりでしょう。科学的なデーターを優先する西洋の医療は、今、患者を診るというよりもDNAや検査の数値に関心が移った。それに対し、全人的医療を提唱する医師も出てきている。先駆的な試みとしてあの有名な「夜と霧」の作者フランクルがいる。アウシュビッツで自分が捕虜となり、死への恐怖と餓えの極限の中にあってさえ、人間には今死のうとしている人に対し、自分の僅かなパンを与え、自分の服を着せてあげる人がいるという。一緒に捕虜となった妻がガス室で処刑され、悲しみのどん底にいたフランクルは生き抜いた。この話もまた、現代の病みを語るに大きな啓示となるはずである。分かり易く言えば、なぜ人間が生きるのかという問いかけを持たない医療は最終的には滅びると思う。ホスピスという考え方、これは終末期をいかに過ごしてもらうかにライトを当てた!それこそ後期医療制度の論議の中に盛り込まれるべきことなのである。その根本の問いかけが残念だが見えてこないのはどうしたものか。
 自然環境の破壊に対しても然り、遅遅として進まない各国の対応。それが人間の欲望と奢りからきている事は誰しもが察知している。石油に依存し過ぎた結果、様々なトラブルが起こっている。素人ながらどうして太陽熱などの自然エネルギー開発が進まないのだろう。30年も昔である。南回りでヨーロッパに行った。その時途中で中東のドバイに給油で降り立つ。砂漠の中に建物が立ち、街を作っていた。そのドバイの今の状況は、ラスベガスどころの話ではない。まさに人間が作り得る最先端の街と化した。これもまたオイルマネーの成せるわざ。
 今の日本の政治家に心を感じない。「疎にして野だが卑にあらず」この言葉を発した石田を思い起こして欲しい。勇気をもって我が道を歩んでほしい。討論番組をどうしても見てしまう自分がいる。そこで繰り返される本心とは思えない辻褄合わせ。貴方は政治を志し、それで後悔しないのですか?
 そうそう。この言葉をそのまま自分自身に投げ返すことも忘れてはならない。自戒をこめて。 

981:遅疑逡巡

有事のトップの判断は大切である。”遅疑逡巡”あれこれ迷って決断をためらうことは許されない。
 その決断の根拠にその人となりを見る。麻生総理になって政局か経済対策か?混迷を深めている。私は選択は一つしかないと思う。もしもだ、これだけ金融不安から発した株の暴落や円高の最中にのんきに選挙などをしていたら、世界から笑いものになる。郵政選挙によって大勝した自民党が短期に総理が交代する事態になった。これもまた世界の嘲笑の的、どっちもどっちだとは思う。しかし、民主党が改選を最優先に訴えることに大きな疑問を抱く。内政の問題だけであろうか?長らく政権を取っていないという事が有事の場合には、不安を露呈する。国民の真意を問うとかなんとか言っても、さてどうでしょう。
 丁度、今、勝海舟を読んでいる。サブタイトルが「私に帰せず」である。あの時代,国内は尊王攘夷一色であった。幕府側に付くものと攘夷派の日本人同士の争い。その時にイギリスやオランダ、アメリカなど外国からの圧力が強まる。開港を迫られた。250年続いた鎖国の終焉。
 当時と時代は異なるが、戦後最大の危機が来るのではないかと危惧する。
 経済的に豊かになった日本は、決して外国の言いなりにはならないとノウテンキに考えている人が多いと感じる。、それは違う。日本人がかつて持っていた気骨(武士魂)が今の日本人には無くなったと思うからだ。勝海舟は当時としては数少ない外国事情に通じていた人。その勝が大義としていたことは「私に帰せず」だったという。うーむ!その違いは歴然としていないだろうか?
 党利党略を全面に出す選挙、お互いの非を攻め合う。なんと人間がみみっちいのだろう。穿った見方をすれば私(わたくし)を最優先にしていませんか?確かに選挙民の意識も低かった。種々のアンケートに出てくる中間層、これも日本独特の色分けでしょう、なぜ、多くの国民が決めかねているのか? その一番の理由は、主張が総花的で何を信じ、誰を選ぶかが分からないのです。ここに深刻な現代の病みが潜む。
 多分、今のままで事が進むと、不況に突入するだろう。その時どうするか。私なりに考えている。それは貧に耐えること。尚恵の創設期(昭和30年代前半)に戻れば良いと思っている。畑で野菜を作り、山で薪を集め燃料にする。
 幸いにして有休土地が多い。それを生かせばいいわけだ。荒れ放題の山が綺麗になるし、健康によろしい。
支援計画も上限管理も面倒なこと一切ない。これが究極のノーマライゼーションというわけ。
そうなれば、どうなる。この業界から撤退する輩が増えるかな? そうじゃない。日本中全てがそうなるんだから、上場企業も何もないわけさ。大きなうねり。日本の歴史を見れば、そのような時代も確かにあった。その時に昔の人は外国に活路を見出そうとしたんでしょう。その結果、戦争へ突入。戦後60年以上たってもその賠償責任が終わっていない。よもやその選択肢を今も持っている日本人はいないだろう。そうすれば自給自足の生活に日本人全てが戻ればどうにか生きられよう。なにせ水と緑豊かな国、四季があって気候温暖と地球上で一番条件が良い日本。
 そこにリセットして再考すれば良いと本当に思うのであります。
そうだ諦めないという言葉ですが、けっしてgive upすることではない。明らむの意が重要。今の時代を冷静にあきらめること、その視点を大切に!
 

982:何か変!

「あーれ、良かった。電話しようと思っていたんですわ・・」久しぶりに山門前を草刈りしていると車から降りてきた小母さんが私に声かけてきた。「あんね、どうも最近、お父ちゃんがゴソゴソするんですよ。」「何です?ゴソゴソ?」「うにゃー。娘がお父ちゃんの夢、よくみるんですと」「?・・」「供養しろと言ってんだろかね。お尚さん?」
 すると運転していた娘さんが降りてきた。ハハハーと高笑いしている。「どんな夢ですか?」
「今度、お父ちゃん結婚するんだと喜んでいるユメ!」「ウニャー誰が?」「死んだお父ちゃんがあの世で結婚するといって、はしゃいで夢に出てくるんですよ。まったく好きなんだから・・」そして小母さんが割り込む。「わたしゃー毎日お線香あげて拝んでるのに家の父ちゃんときたら仕様がねーよな 」
 何か狐に騙されたような話、結局、近日中に塔婆をあげることになった。さて私の書いた塔婆の霊験はいかに。ワザワザ東京から墓参りに来られる母娘である。私の寺は、まーこんな具合です。何がなんだか分からない話でした。
 実はもう一弾ありまして、今晩お通夜があったんです。迎えに来たタクシーの運ちゃんが何か変。
 予定より早く「あのーもう良いんですか。まだ時間早いようですが。」「ああー支度できてますから乗せてください。」乗った途端、「お坊さんって偉いんですね」ときた。「いやーそんな事ありませんて」「死んだ人にモニャモニャやるんでしょう。おっかねーもんね。おらー死にたくねー」「・・・・・」
 通夜が終わった、また斎場で待っていたタクシーの運ちゃんは同じだった。乗るが早いか「私はおっとりしていると良く言われるんです。でもね本当はオッチョコチョイなんです。ハイ」「なんで葬儀には往きと帰りと違った道を通るんですかね」「フンフンなるほど。わたしゃーまだ運ちゃん始めたばっかりで何もわかりませんので、すみませんね」しばらく彼のペースで話がすすむ。寺に近づき「そこを 突っ込んでください」と私が道を案内したのです。すると「はっつ」と言ったまでは良かったのですが山の中に突っ込んだんです。今日はどうも変な一日となりました。
 私が変なのか周りが変なのか、よく分かりません。無事1日が終わった!。

983:季節変わり目

青森では積雪7センチ、いよいよ冬の到来です。紅葉の便りを耳にしたと思ったら、一飛びで雪の知らせ。季節の便りは、それを受け取る側を和ませてくれる。その地を訪れたものに、懐かしさ、一度も行ったことの無いものにとっては、夢を。日本列島は細長く、国内に時差がない代わり四季の移り変わりで次なる季節を迎える準備をしてきた。その時間差がなんとも言えない。ただ最近は異常気象とは別に情報が瞬時に駆け回る。そのスピードに対応できない。何かに追い立てられているような気持ちを誰しもが持つ。これは前項の変な運ちゃんの大事な続き話、紹介しますね。
 乗車時間10分足らずの短い時間によくもこんなに話があるもんだと感じた中で、「自殺って、だめなんですよね。」という問いかけがあった。その時は何気なく聞き流したのだが、1日たってちょと気になった。果たして初めて乗り合わせた人にそんな質問をするだろうか?変な話どころの問題じゃーない。なんと答えたんだっけかなー。よく思い出せない。「そりゃー良くないですよ。家族や周りの人に偉い迷惑かけることになるもんね。でも多いよね」「そうです、3万人毎年超えていますから、交通事故で亡くなる方の5倍以上です・・・・・・」
 また、この運ちゃんのタクシーに早く乗りたいような気持になった。
こんな事があったという話でした。
 世の中の落ち着かない様は、人間の心に少なからず何らかの影響を及ぼしているに違いない。利用者の方たちでこの時期不安定になる人が目立つ。昔よく先輩に言われた”季節の変わり目”だからしようが無いねと。この因果関係はどうなのか?ひとりひとりの症状は違う。ハイテンションになって引きこもっていた方が急におしゃべりになったり、他の仲間の言動に敏感になりすぎたり、反応は様々、入れ替わり立ち替わり、様々な報告が届く。いやー参ったな!
 地域の学校ではインフルエンザ罹患の情報もチラホラ、遅かれ早かれまたその対応をすることになる。
 JICA筑波と筑波大の海外研修制度の一環で、11月6日に南米の特別支援教育関係者の視察を受け入れることになった。総勢17名、共通語はスペイン語、通訳が同行するというのだが、何をどう説明してよいか、さっぱりイメージがわかない。スペイン語で歓迎看板を作ろうという話になったが、はたして上手くできるか?後日、その研修報告はHP上で紹介します。
 ボリビアやペルーの障害児教育の実情はどんなものだろう?多分、日本ほど細かに分化されていないはずだ。私は特殊とか特別とかいう言葉に違和感がある。逆にその辺のお国の考え方を聞いてみたい。
 南米に関しての興味は実は18才の頃に遡る。隠すつもりはない。高卒後日本脱出を密かに考えた。その目的地が南米ブラジル。その夢は儚くも潰れ、今、ご覧の通りの2足の草鞋。これが幸いしたことか否かは、分かりません。なぜ魅かれたんだろうか。
 こんなたわい無いことを思い出している季節の変わり目でございます。
 

984:待合室

某病院待合室の風景。
 「この病院の受付は気にくわねーんだ。ツーンとしていて素っ気無い。」「この前、検査したんだけどな、なんであんなに金が取られるんだかわかんない。だから医者に言ってやったんだ。検査で何が分かんだよってな。そしたらムッとした顔したからよ、頭にきてな「おめいみたいな医者をヤブ医者っていうんだよ」といってやったー」
 実はこれ実際にあったことです。本人は隣の人と話していると思っているのかもしれない。ただ、大声だから自ずと皆さんの耳に入る。
 私は黙って様子観察。他の患者さんたちは迷惑そうに顔を顰める。私も全く同感。そんなに嫌なら他の病院へ行けばと言いたくなった。
 木曜日だからそれ程混まないと思ってはいたが、どうもそうじゃない。予約時間が段々ズレてくる。すると皆さん落ち着かなくなった。予定がある人は何度も受付に確認する。途中で諦めて帰る人も出てきた。時間は12時を回り、さすがに看護士や事務の方も気になり始めたようだ。他の科は予約時間とほぼ同じにどんどん診療がすすむ。一つの科が遅れている。なにせ一人の患者にかなりの時間をかける。もう4時間も待っている初診の患者は、限界に近い。
赤ちゃんやお年寄りには、この待ち時間はつらい。どうにかならないのだろうか?私の前の女性の方が爆発、もうバスが無くなり、帰るにはタクシーで7000円かかってしまう。その事を診察室で医師に訴えた。看護士が盛んに謝っている。
 病院経営は確かに大変だ。医師不足も深刻だし、多くの患者が集中する。その対応を毎日行っている。急患が入れば、外来を一時ストップしてその対応に向かう医師もいる。外来患者と入院患者を受け持つ医師が多い。それはそれは労基法など全く機能しない世界。今、医療機関には訴訟問題を抱えている所が多いという。患者と病院が逆転している。これも何かしっくりしない。私はメモする紙が無かったので、持ち込んだ文庫本の裏面に観察したメモをとった。性分とはいかんともし難しである。
 人間は、本来自己中心な生き物だ。それがある限界点を越すとトラブルになる。病院はその意味では一番敏感なところかもしれない。何しろ何らかの体の不調を持っている人が集まる所だからだ。
 ただでさえ精神不安定。メモを書いていると冷静になれる。果たして自分はどうだろう。法事を忘れたこともあるし、頼まれた塔婆を書き忘れたことなど枚挙に遑がない。これは許せないことだ。大いに反省しなさい。
 私の順番がやっと来た。予約時間より2時間遅れ、しかし、主治医に「大変ですね」と言うことしかできなかった。何かお気の毒に思えてきてしまった。

 感謝と不満は裏腹。良くなって当然では、今の医療従事者には負担が大き過ぎる。タライ回しが減らない大きな理由がそこにある。
 医療機関側の倫理も必要とは思う。が、患者側のモラルはどうなのか?「武士は食わねど、高楊枝」と類が異なるが、今の社会保障の仕組みはオールマイテイではない。私も福祉に関わっておる立場上、あえてその事を言いたいのである。
*(概説)「武士は・・・」の意味は、現代風解釈はできない。なにせ「武士は食っても 食わぬふり」のご時世である。

985:霜降月

陰暦11月の異称、霜月。温暖化が進み、季節感にズレが生まれている。しかし、関東地方はここ数日でめっきり寒くなった。今、暖房をつけている。霜降る月とは良く言ったものである。だが今の子供たちは霜の降りた道を歩いて通学することも少なくなった。舗装された道に霜は関係ない。私の小学生の頃は片道2キロほどの道を途中寄り道しながら通ったものである、霜で泥るんだ道をドロンコになって、その靴で廊下を登って先生によく怒られた。
 最近、霜についてこんな処で話が出る。それは墓地を新たにつくる時、最近玉砂利の墓地は敬遠されている。霜によって折角綺麗に作った墓地が砂利と土が混ざって無残な跡になるからだ。そこで全面石張りの墓地が急に増えている。草取りの必要性が無くなったというのが本当の理由なのだが、そこはホレ言えない訳よ。
 それでも面白いのは埋まっている人が息苦しいから一部分土の所を残す方もいるという。昔の土葬では埋葬の時のつけ物が実に面白かった。青竹2本を立てる。その内の1本は節を抜く、これは息ができるようにという配慮。死んだ人が息をするという忍者のスイトンの術みたいな事を真面目に考えていた。それと今では殆ど使わなくなったが杖と草鞋。所謂、旅支度である。墓参りした折に年寄りが子供たちに、その意味を教えていた。その風習が見事に消えてしまった。いずれ陰暦の別称も消えてなくなるのも時間の問題だろう。
 ある街の火葬場、ここは地域で一番古くて手狭。そのため一度に霊柩車が入ると大混乱、そのために今こんな工夫?をやっているという。葬儀屋さんが火葬場の職員と携帯で頻繁に連絡を取る。もう少しゆっくり来てほしいというと、わざわざ混んでいる道路を選んで遠回りするというのだ。どうもこれもまたケッタイな話だが、現実はそうなのである。
霜月の話が商売柄、横道にそれてしまいました。
 墓地の話が出たついで、私の寺の霊園が周囲が竹で覆われてしまった。そこで今、私が考えている事は霊園を一部公園化しようと思っている。果たして墓地が憩いの場所となりうるか!隣接地主との境界も確認が終わって、綺麗にしようと業者と打ち合わせ。すると難題が出た。今竹などやたらに燃やせないのである。どうすれば良いのかと聞くと産廃で指定処分業者に持っていくしかないというのだ。その金額がベラボウな値段。なにせ周囲40センチ以上の孟宗竹、切るのも大変だがその処分ができないときた。頭を抱えてしまった。
 竹炭でも作ればというのだが、急にそんな事言われても無理だわな。何か良いアイデアはないでしょうか?土の中に居られる方もさぞかし首を傾げているに違いない。
 

986:変革の是非

殆どの日本人が今、変革を望んでいる。だが国家そのものを社会主義にすれば良いとまで考える人は少ない。また、プロレタリア文学の代表たる小林多喜二の「蟹工船」が大変な売れ行きであるという。それはその対極に新自由主義を無秩序に謳歌したツケが至る所に出てきてしまったからではないのか。
 「小さな政府」を唄い、その一環としての「行政改革」は、反発が強く遅遅として進まない。一方、市場では経済的自由競争を重視しすぎた為に格差が大きな問題となった。非正規雇用が急増した背景には、企業の涙ぐましい努力が有ることも無視できない。
 しかし、今その状況が一変し先行きが全く不透明となっている。急激な円高と株安はモノづくり日本の代表である輸出を基軸とした企業への大打撃となった。いざなぎ景気(1965〜70)以上に長期に続いた今回の経済成長は確実に下降線に転化、今年度末には多くの企業倒産があるだろうと言われている。その指標として設備投資や求人が落ちている。
 ただ、長期に続いたという今回の経済成長を実感できた人は果たしてどれ程いたのだろうか?東京に行けばもの凄い数の高層ビルが林立している。大半が集合住宅、一体誰が入るのだろうか。億ションという最上階の間取りは贅沢の限りを尽くし、勝ち誇ったかのようにそそり立っている。でもその実態はどうだろう。かなりの割合で空き部屋が目立つに違いない。その負担に耐えられるか否か。
 そのようなことが長続きする筈がないじゃないか。
 いまこそ「こころ」の問題を取り上げるべきなのである。日本人の多くが嘗て持ち合わせていた「共同体」連帯の想い。戦後復活の歩みで見失った最大のものと私には思える。その脆弱な土俵でいくら勝鬨をあげてみても称賛に値しない。{福祉が目指す”地域”は、既に受け入れの許容力が無く、地域と関わることでの弊害が急増}
 ならば重要な精神的支柱となりうる宗教はどうか?日本人の宗教観は総花的である。曖昧さというか寛大というか、それが有事の際には用を足さない。ex)種々の宗教書・・・・ 陽だまりで寝ころんで読むには絶好の書であるが、極寒の地でローソクの灯りを頼りに読むには適さない。
 経済には全く疎い私の解釈、市場至上主義はこの世のパラダイスを求めるもので、限度を弁えないと大変な事態を招く。そしてその基準を定めるルールが無いのである。ex) かつて戦争時の政権を動かしてきたのは当に巨大軍需産業であったことが何を物語るか。
 究極の事態が戦争となる。北朝鮮の6カ国協議が一進一退を続けるのは、まさに軍事力を傘にした交渉だからという。怖いと思ったのはある評論家が言っていた。北朝鮮は800万の軍隊を直に召集できる。日本は予備隊員を含めても25万、日本は組み易しと思われていると。ならば徴兵制を復活し、軍事力を強化すれば拉致問題が解決するのだろうか。その評論家の言わんとする本音を見た。核に対し、どれだけ他国の査察ができるのか。経済を測るスケールが無いとすれば、代償としていくら経済支援をしたところで相手側が満足するという保証はない。これは政党の違いを論ずる以前の日本の根本的な立場である。 
 

987:学ぶ

二度と戦争をしてはいけない。これこそ日本人が世界に示すことができる主張である。
 それが航空自衛隊幕僚長の無責任な雑誌投稿論文によって問題となっている。過去の戦争責任を真っ向から否定し、自国の正当性を書いている。その文章が入選してしまった。これは想定外であったかもしれない。また、忘れかけてきた元大臣の日教組批判、、両人とも発言の責任を取り、職を辞するとのこと。私は政治に関してはノンセクト、だから誤解をされても別に構わない。
 ただ、両人に言えることは、あなた方は今の立場を辞することで責任を取ったと考えるのですか!確かに言論の自由である、別になんと言おうが刑事民事の罪にはならない。だが、非常に軽率だと思う。少なくとも重要組織のトップにいる人間の成せることではない。しこたま退職金を貰い、円満退職ですか、これではどうかと思いますが。
 貴方達は一体何を学んできたのですか。そう言いたいのである。
国対の護持をどう捉えるか。今の日本で一番重要な命題、これこそ国会で討議していただきたいこと。それが昨日の予算審議の中継を見ていてまた裏切られた。質問に的外れが多すぎる。なぜ今、ここでそんな質問をするのか。国会審議に国民が参加するようにできないのだろうか、できれば電話アンケートなどを同時中継する。「今の某政党の誰誰の質問はおかしい。」とか「あの回答には真実味を感じない。」とか。リアルタイムで国民の政治参加を促せば良い。国会審議がパフォーマンスの場に化した。選挙そのものが地元と遊離しすぎてしまった。
 「学ぶ」ことの意義は、実に奥深い。机上の空論をいつまでしているのかと言いたい。
現実社会では厳しい競争が展開している。三洋電機がパナソニックに買収されるという。大海原でクジラに飲み込まれる魚を思い浮かべてしまう。三洋とは業務用洗濯機で長い付き合いがあった。それがいつの頃からだったか、保守整備部門が統合され、対応が遅くなっていた。食うか食われるか。買収交渉で従業員の継続雇用を条件にしていると知った。
当然の経営サイドの取るべき姿勢。その要求がどれだけ組み込まれるかは知らない。
大なり小なり組織のトップには、関係者を守る責任がかかる。
 そんな事を考えていたら、東京の自動車教習所の破産報道、社員も寝耳に水、それに1700人もいるという受講者。女性の社長が土下座して謝罪。。。。
 何か責任の取り方を学ぶことを忘れた人々の数珠つなぎ。逃げるが勝ちではまずいよな。
多少は美化されてはいるだろうが、幕末で活躍した人々の大義を少しは学べと言いたいのだ。
 予定では11月にドイツに行くはずだった。GHを実体験する計画、どうしてドイツではGHの利用に日本の基準の10倍(月に3000ユーロ)を支給しているのか、このことを調べてくるはずだった。それが相手側の都合で先送りとなる。利用されている方が怪我をしたのである。仕方がない。ホーム内での事故に対するドイツでの取り組みも実は大いに関心がある。3月頃に再度アポを取ろうと考えている。
 今の日本では産めよ増やせよで事業拡大することは危険すぎる。 

988:計画策定

地方行政の中で、国から示される様々な計画作りがある。お決まりの国→県→市町村という流れ、茨城県は現在市町村が44あるから全県下への周知徹底は大変である。某審議会が昨日開かれた。委員の大半はどこかの会議で会っている顔なじみ。5年前に作られた計画が期限切れ、2次計画の策定のために集められた。委員から様々な意見が出た。その中に民間組織(一般企業関連)の委員の話が、実に的を得た意見だと感心した。いくつか紹介しよう。
 「いろいろな計画があって、整合性もなく、計画が一人歩きしている。」
 「行政が言う≪お互いに連携をもって事にあたる≫という事は、何もやらないということを言っているようなもの。」
 「人材確保の問題など一般企業では今に始まったことではない。どの事業所も様々な方法をつかってやっている。」
 ドンピシャリ、拍手したくなった。実は今の立場を得て、どうしてこんなにあて職が多いのかと食滞気味、県と同じような内容の集まりが市でも行われている。会議によっては夜行われるものもあります。
  行政の縦割りの問題は、予算確保という熾烈な?戦いから今も歴然として残っている。ただ、行政は良いのよ。人事異動がありますから。そうはいかないのが我々みたいに他に能力が無く、ずーと同じことをやっている者です。やっと名前と顔が一致したころに、また変わる。
 変わらないのが○○計画なるもの。最近のものには数値目標や進行チェックが盛り込まれるようになっている。でないとこれだけスピーデイな世の中にあって計画を策定すること自体が目的となって棚上げされ御役御免になるのが落ちだ。どうですか?違います?
 実は、もう一人の自分がいつも顔を出す。「そんな事言ってていいのかい坊さん???進行チェック&数値目標??今年の葬式は前年並みとか下方修正ってか」「歴史の重みで食っているようなもんじゃー。図星だろが」
 全く言葉を失う。ここで一句。
          ああーううーーーと 唱える経は 意味不明。
 

989:研修受け入れ(南米)

JICAと筑波大より南米(チリ・ボリビア・ペルー)からの研修を頼まれ、6日に総勢17名(スナップ)を受け入れました。研修生は特別支援教育のスペシャリスト、約2ヵ月間の研修をJICA筑波で受けています。我々が与えられた研修テーマは『知的障害者の暮らしと生涯学習』午前9時30分から午後4時まで。まんだら工房→園外作業→グループホーム→おもちゃ班→コスモス→研修(デスカッション)
 昼食はメンバーさんと同じもの、食後にミュジックベル”風”の演奏、正直精一杯の準備をしました。
スペイン語が共通語、幸いスタッフの小野沢Tがスペイン語が得意、歓迎看板や資料作りに前の晩遅くまで準備してくれました。ありがたかった。
 最初にこの研修の話があったのが、筑波大の中田先生からでした。彼が今回の研修の責任者、どういうわけかウマが合い、二つ返事で了解してしまったのです。後悔先に立たず。結果はみんなが協力してくれ、満足のいくお持て成しができたと一人喜んでいます。
 南米は行ったことがありません。世界遺産のマチュプチやサッカー、それにアンデス山脈とリャマ。私個人としては多いに関心があり、是非一度行ってみたいと思います。ただ、スペイン語はチンプンカンプン、今から学ぶ気力も無く、団体旅行が好きでないので困ったものです。
 今回、実感したことは、日本の役割は大きいということでした。今では多くの海外留学生や研修生を受け入れるようになっています。今回の研修生も自国ではエリートの方達です。彼らが日本で見てきたものを、さてどのように実践に活かせるか、難しいだろうと思います。
 最後の意見交換の時にエクアドルで7年間特別支援の実践を行ってきたという日本人の方が言っていました。
日本は南米とは比較にならない程経済的に豊かです。でも、一般の人々の障害者に対する見方は偏見がまだ有って他人ごと、理解しようとする心が少ないと思いますと。
 多分、これが正直な今の日本の姿だと思います。
後記)
 今回、研修生はお寺に関心があるようでした。最初、私がお話をしようと思っていた事は、「仏教社会事業の考え方」、けれど直ぐに無理だと分かったのです。通訳の方はとても熱心に私の言葉を伝えようとしてくれました。ただでさえ難解な仏教を私と通訳の方の禅問答みたいになってしまいました。話す内容を即変えることにしました。
 ただ私が言いたかったこと、・・・・・人種や宗教の違いで争いが起こらない社会づくり・・・・・・
これは難解な仏教用語を使わずとも相手に通じたようでした。南米は政情が不安定な国です。多分.自国に戻れば、自由な活動はできにくいのかも知れません。
 共通すること、それは研修生を受け入れてくれた尚恵の仲間たち、それを笑顔で答えた彼ら、自然と交流が持てていました。言葉でなくとも通じ合うことができるという実感でした。
 Me llamo Sumita. Hasta luego!!!!!   「*研修報告スナップ

990:アビリン候補

来年、アビリンピック大会が茨城で開催される。あまり聞き慣れない言葉でしょうが、障害者の技能オリンピック全国大会である。昔は身体障害者の方達の大会であったもの、そこにいつからか知的障害の方達が参加するようになった。
 今、県ではその準備に追われている。私たちの団体からも委員を出している。競技種目に「喫茶サービス」というものがある。そこに尚恵より選手を派遣できないだろうかという電話が入った。
 全く競技そのもののイメージがわかない。確かに接客が大変上手?な仲間もいることはいますよ。もし彼が出場したらどうなるか?
 「あーら いらっしゃいませっつ!。元気ー?いやーん エッチ。またねー!」
40歳を超えた髭が人一倍濃いIさん。これで良い点数が取れるのでしょうか。
 彼はまんだら工房の営業ナンバーワン。 多少お化粧で誤魔化して、薄暗い会場でならば、彼はハッスルするに違いない。
 しかし、臍を曲げたら始末が悪い。大泣きのマネはするし、梃子でも動かない。私としては寧ろこっちの確率が高いだろうと思う。
 まーそれでも良いからというのであれば話はしてみよう。ご本人はどこにでも出たいほうである。
以上がアビリンピックの話。
 これも電話から始まる。昨日、某県会議員の先生から携帯に電話。
「忙しくないですか?そうですか。単刀直入に質問。(福祉)とはどういう意味に解釈しますか、住田さんの考えを聞かせてください。」と唐突な切り出しはいつものパターン。今から青年会議所にて「福祉」の講演をするという。全く何を考えているんだか。面倒なので「福祉=幸せ」と答えておいた。「ウーム なるほど」
「もう一つ質問。障害者施設の工賃はどのくらいですかね?」と尋ねてくる。「3万円位ですか?」とも。
「何を言っています。茨城県内の施設の平均は7000円台。1日でなくて1か月ですよ。それは全国40?番目。もっと勉強しろよ」と言ってやった。「ハイ。了解」
・・・・19年度県調査の平均給与は9241円とある。しかし、実態はそれよりも低い・・・・
 彼は異色の先生である。元気モリモリ怖いもの知らず。でも真面目に政治に取り組む姿勢は買っている。
 私の穿った性分だが、世の中はお年寄りの一色、福祉は老人だけという雲行き。果たしてこれで良いのでありましょうや!。確かに人生の幕引きの時期は大切でありましょうとも。ですが仏教的に言えばですね。お年寄りは一番浄土に近い人たちなのでありまする。むしろですね、子供たちへの支えが必要かと、本音としては、障害者への支えが一番にあげるべきだと。この考えは終始一貫変わりません。
****昼時の会話***
 昼に蕎麦屋に入ったんです。私の隣席にはお年寄りが二人で座っていました。聞きたくなくとも聞こえてしまうお二人の会話。
・・・今日は病院が早く終わってよかた〜!
・・・うだー。明日は○○病院。あそこは混むべーよ。
・・・次の日は△センターに行くんだ、迎えがくっからよ。やることねーからよ。
この会話がどこまでも続く。 何か変だ。障害者福祉は自立を目指し地域に出そうとする。一方、お年寄りは家の中で自分たちの居場所がないから福祉や医療のサービスを受ける。一見良いように見えるが、ボタンの掛け違いがある。