源究72

 

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
951 首相選挙 9/11 956 何か不透明 9/18 961 GNH 9/29 966 職場説明会 10/6
952 犯罪被害 9/12 957 パソコンの反逆 9/24 962 山川草木悉皆成仏 9/30 967 現地直送 10/8
953 真剣勝負 9/13 958 コンサルタント 9/25 963 何をそんな風に 10/2 968 参った! 10/15
954 スポーツの祭典 9/15 959 原風景 9/26 964 機種交換 10/4 969 続・・参った! 10/16
955 イメージ枯渇 9/16 960 魑魅魍魎 9/27 965 筆調変換 10/5 970 今がチャンス 10/17

951:首相選挙

様々な思惑が飛び交う中で自民党は5人の首相立候補が名乗りを上げた。昨日は5人がテレビに出演し、公約に近い討論?を行う。具体的な点に関する質問には明確な回答は避けていた。消費税を上げるか否かは後の衆議院選挙にモロに影響するから明言はできない。今回の選挙の焦点は経済問題、ただこれは実に難しい。日本一国の問題ではない。お隣の中国はオリンピック景気で空前の賑わいを見せた。その煽りを受けて物価の高騰、インフレが凄い。いくらか落ち着いたといっても前月比5%の上昇だという。これは尋常な数値ではない。
 今の日本の政治混乱をどう見るか。私は国民一人一人が政治に関心を持つ良い機会だと思っている。政治家の特権意識や官僚の奔放な振る舞いを許してきたのは、元を正せば国民の意識不足であろう。世界第2位の経済大国などと浮かれている間に、BRICなる四大新興国がもの凄い勢いでGDPを上げてきた。いずれ中国が世界一になるだろうと言う予測もある。豊かさという概念があやふやである。同じ国内で経済格差が大きくなればなるほど意識の上で豊かさの曖昧性が上昇。これは隣の家に蔵が建てば腹が立つ論理。ならば社会主義国家を目指すのか、大半の国民の意見は「NO」。
 これが実体である。
斯様な流れにあって船を上手く操るのは至難の業、民主主義の元に船頭が多すぎる。そこで取られるのが談合、工事受注での問題が明るみに出て建設業界の談合はめっきり減った。その行き着く先が建設や不動産業の倒産、福祉業界にもいつの頃からかブローカーが出没、事業の立ち上げを請け負う業者が急に増えている。国の合併・統合の方針に沿う市場の反応である。
 公益法人は財務状況を公表する義務がある。果たしてどれだけの法人が実行しているか?貸借対照表を見れば、その法人の財務状況は直ぐにわかる。ただ一般の企業と内容は大きく異なる。単年度の収支を見てもわかりづらい。それに何らかの基金を計上していても、それを何に使うのかまではわからない。
 精々、総収入に対しての人件費割合位は読める。これだって一部の者が高額給与であっても合算になるから良く分からない。
 それと事業計画、これが公益法人の場合は実に厄介、既成が緩くなったといっても基準があるから、独自性を出すことは難しい。福祉関係で介護事業は現場では凌ぎを削る状況も出ている。お客さんの争奪戦の様相をおびている。ただ、それでも待機者がいる状況はあと暫くは続く。新規事業を血眼になって捜している。以前として右肩上がりの実体がある。
 だが、ここで冷静な目が必要だと思う。最近,有料老人ホームの監査がされてないという問題が明るみに出た。監査が間に合わないというのが正直なところ。(ルールも定かでない)なぜこれまでして介護事業が増え続けているのか、端的に言ってうま味が有ると判断してのこと。それならそれで構わない。正し、そのリスクも覚悟するべきだ。
 不動産関係が経営破綻する多くの原因は、過大投資、特にマンション建設が急増、空き部屋が目立っているのに、作り続けてきた。そして、金融の貸し渋りにあった。当然、銀行は投資に見合う返済が危ういものには、査定を厳しくする。その現象が今である。
 福祉も全く同じと私は考えている。マンションと違うのは利用希望者はいくらでもいるのだが、そこで働く人材が集まらない、この対策がとれていない。アパート経営と同じ、入居者を新築アパートに転居させる方法は福祉では取りにくい。
 今月に入り東京に出ることが増えた。電車の車窓からみえる工事クレーンの数は減ってはいない。以前としてマンションを作り続けているのだろうか?ただ、目立つのは建築中の福祉関連建物には求人募集中という看板が大きく掲げられている。
 人材確保の見込みがあって建設しているのでは無しに同時進行で人集めを行うのである、
首相候補者五人は、そのような実体を知っているのかいないのか?何か別次元での話と思えるのは否めない。

952:犯罪被害

性懲りもなく書き続けている自分を戒める。さりとて黙して語らずは私の性分ではない。
 気持ちを奮い立たせよう。地下鉄サリン事件被害者代表の高橋さんの話を聞いた。事件発生後13年が経つという。オーム真理教事件は日本中を震撼させた。多分、その記憶が一般の人には薄れてきている頃だろう。突如として事件に巻き込まれ、大国柱のお父さんを亡くした家族(高橋さんの夫は地下鉄駅の助役、51歳であったとのこと)、今まで日本では被害者への救済は充分ではなかった。後遺症で苦しむ被害者や遺族に、二次被害、三次被害があることを知った。補償問題にしてもアメリカなどとは雲泥の差がある、ニュヨーク9.11テロ発生の時、11日目に大統領が被害者に対し国としての賠償にサインしたという(億単位の賠償額)。それが日本では全く無かった。やっと犯罪被害者基本法が制定された。
従来の被害賠償の優先順位は自自体や国が先取りして、その残りを被害者が分けるという不条理がまかり通っていた。権力の横暴である。それが法律が出来て撤廃された。
 被害者にとり、経済的被害回復は重要である。そのルールが以前未整備。暴漢被害にあった国松元警察庁長官が何かに書いていた。原因があっての事件の時代から何の関係もない人が突然被害に遭う時代になった。そのターニングポイントがサリン事件であったと。
 視点を変えよう。今、挑戦している『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワーに近代日本の歩みを詳細に外国人の目を通して述べている。「1860年代の明治維新からずっと、日本人は変化の嵐に巻き込まれきたし、そのうえ戦争が変化のプロセスを様々に加速したのであった。危機感は強く、現状への不満は深まる一方であった。・・・・・・」(P224)
 つまり、21世紀を迎えた今も「文明開化」時代から引き続く発展途上国であるということである。経済的豊かさとのアンバランス。果たして人間は豊かさのみを追い求めて満足するのでありましょうか? 仏教では、はっきりと否定している。その教えが全く機能していないのが残念。その一例が人の生命をどう見るかという事へのコンセンサスがない。
 土浦はマスコミに何か荒廃した街というイメージで取り上げられすぎていないだろうか?荒川沖駅での連続通り魔事件、2名の尊い命が奪われた。そして、昨日、両祖父が自宅で殺されたという事件の容疑者(孫)が九州で逮捕された。いずれもが土浦の24歳の若者である。
 1番目の事件の犯人は、10名を殺そうとしたという事を話しているという。被害者に謝るつもりは無いとも。これらの事件は特殊である。そう思いたい。しかし、残念ながらマスコミ報道は断片的で興味本位のものが多過ぎる。マスコミ・スクラムという言葉を知っていますか? 被害者家族への容赦の無い取材攻勢を言う。
 よく言われる事は、方手落ちの物事が多すぎると言うこと。それは相手に対する思いやりの欠如に起因する。
まあー性懲りもなく出るは出る。ウナギの産地偽装やら汚染米の誤魔化し、一体どこでこうなってしまったのでしょうね。
嘆き悲しむ事に笑顔は出ませんよ。無理に笑ってみたところで空しさだけ。
 私は、先の国松氏が言っていた話で気になったんです。彼は言ってみればキャリア組みで高級官僚、警察庁のトップを究めた方、その人が暴漢にあった。多分身辺ガードは厳しいはずだった。よもや自分が被害者になるとは思わなかったのでは。
 何らかの原因が有ってという話ですが、障害者と付き合っていますと、その事は疾うの昔から分かっていたこと。ご両親もご本人も好きで障害者になったわけじゃありません。原因が解らないことが大半です。
 その視点が欠如しているのではありませんか、そんな事を感じています。
 でも、家族はいつまでも立ち止まってはいられない、乗り切ろうと努力されている。また、そうされている方も大勢います。
その原動力になっているのが、障害を持つ人達の決して作り笑いで無い、本心からの笑顔であることも事実です。
 どうです、この辺で考え方を思い切って変えてみませんか?チョンマゲ帯刀の世から、たかが140年経っただけですよ。
 

953:真剣勝負

何に熱中していると思いますか? 実はノミ取り。出所ははっきりしている。犯人は『ハナ』である。
彼女は、正真正銘の猫なのだ。だが私の記憶では彼女がネズミを捕ってきたのは2度だけ。それも可哀相なくらいの小さなネズミ、捕ってきた獲物を置き去りにする悪い癖がある。それも私が目につく場所に。なんという性格の猫なのか!
 このハナが夜、私の枕を半分占領する。良くねびきをかいたりしているから私が眠れない時は癪にさわる。最近、急に飛び起きて足で首の廻りを掻き始める。何事かと心配したが、原因は彼女に住み着いたノミだった。
 よもや私にまで被害がくるとは思わない。最近、それが本を読んでいる電気に照らされてノミがはねる。痒い。
原因はハナである。ノミコムというもので毛の上からかけるとノミがひっかかってくる。これを考えた人は相当な被害者か暇人だろう。それにノミ予防首輪。ありとあらゆるものを使ってみる。
 被害が寺全体に及ぶ前に手前で止めないと偉いことになる。そこで、メガネをかけ畳を丹念に捜索し始めた。ノミの行動範囲は狭い、跳ね上がっても精々半径1メートル以内にはまたいる。そこを瞬時に捕まえる。職人業かもしれない。
 ノミセンサーまでは未だ開発されていない。寺の廻りにセンサー付き証明がいくつも設置してある。良くタヌキ?には関知するのだが。誰かノミセンサーを開発してくれないか。
 今、家の中で動物を飼う人が多い。皆さんどうしてますか?ノミ対策。境内が綺麗になったお陰で蚊は減った。その代わりに出てきたのがノミだった。どうも同居するには歓迎しにくい客ばかり。
 まあーな、何事も真剣勝負、・・・・・衣着る 座るが早いか ムヒ軟膏。
しかし、私は体質的に免疫がある。蚊に刺されてもノミにくわれても跡が残らない。58年の鍛錬の賜物。
 昨夜、変な夢をみた。頭にノミが入った夢、どうもノミの習性として毛の中が住みよいようだ。ハナは季節で毛が生え替わる。
しかし、私の頭の毛は抜けっぱなし。ノミの立場になれば、つかまる毛が無い。これでは落ち着いて住めないはずだ。
ざまー見ろ!何が幸いするかわかんねーときた。何事も真剣勝負。これ私の生きるモットー。座右の銘は”かまえなし”
「このー生臭が 苦労が足らニャーンだーよ・・・・世の中 甘くねー」
 

954:スポーツの祭典

第13回パラリンピック北京大会が開催されている。パラリンピックとは最初、paraplegic(半身の不随)のオリンピックという意味があった。身体障害の方達のスポーツ大会であったが、多くの障害種別の方達も参加するようになり、今ではparallel(並行)のオリンピックという意味を用いて「もう一つのオリンピック」という。そして開催時期や場所が、オリンピックと同じようになっている。
 まだ一般的に理解されてはいないが、スペシャルオリンピックという世界大会もある。これは知的に障害を持つ人達のスポーツの祭典、アメリカのケネデイ大統領の妹さんが知的障害であったことで大統領の後押しがあって始まった。歴史もあるが、日本ではなかなか広まらなかった。熊本が第1回、その時の理事長が元細川首相夫人、現在はNPOでマラソンの有森裕子さんが理事長となっている。10月に大分で開催される全国障害者大会とは別立て、こちらは国体と連動して行っている。
 なかなか一本化できない。無理して障害を纏めてしまう事が果たして良いことなのか?障害者同士の差別視という実体は決して無くならない。新たな法律が制定されて2年が経ち、様々な矛盾を抱えながら今に至る。その一番のものは、障害の区分認定の尺度、身体、知的、精神それぞれの障害特性が異なる中で同じルールで区分することが所詮無理なのである。
 代案を示せということで新たなスケールを用意したはいいが、これを日本での統一した尺度に採用されるまでには多くの壁がある。我々団体は過去2年執行部の並々ならぬ努力があって新たな判定方法(SIS)の見通しがついてきた。そして、更なる国の壁、。。。。。
 この国は何のための制度なのかという根本の考え方が弱い。端的な例が今問題になっている、事故米の事件、これだって”国の豊かさ”から意識せずとも持ってしまった奢りが根本にある。国内の農業政策など二の次にしてきた。その理由が貿易の均衡を保つ政治手法、米を輸入してやる代わりに日本の製品を売りつける。だから事故米と知りながら買い込んだ。工業用のノリの需要がどれほどあるのか?安価で業者に渡し、それを製粉して流通を複雑にし、結果として今の状況。
 農水省の事務次官のコメントの意識レベル、それに大臣のノウテンキ、明らかに今の政治と官僚への不信感を倍加する。一方野党は今まで審議拒否をしていたかと思ったら、急に国会閉会中でも重要案件を協議すべきだ!と一転逆転。
 これが実体です。だから、5人立候補しようが、代表無投票だろうが国民には関係ない。全てが永田町や霞ヶ関だけ通じるルール。いつまで国民を愚弄すればすむのか。怒り心頭、爆発寸前。まだまだ出てきますよ。隠れたウミ。
 どうして、スポーツの祭典の話がこうなっちゃうのだろうか。私自身が長く福祉の業界に身を置きすぎたからなのだろうか。何度も何度も裏切られ、我慢してきた。人間を意固地にする。
 これじゃーいけませんよ。
政治には駆け引きと段取りが必要だと誰かに聞いたことがあった。清濁併せ呑むことも。ふーふーん。それからどうした?
 いや私は政治家になろうとなど思ったことはないから関係ない。でもね、言いたいことややりたいこと一杯あるんですよね。黙れ!ってか。やだよ。

955;イメージ枯渇

四国は渇水で早明浦ダムは底が見えているという。8月には各地で大雨の被害があったのに、四国では雨が降らなかった。昔から四国にはため池が多く造られた。独特の地形で海岸線まで山が張り出した所が多く、降った雨が直接海に流れる。満濃池は空海が造ったという。自分がツルハシ握って池を掘ったわけではなく、リーダーとして指揮をとったのだろう。今でも重要な溜め池になっている。今回の台風の進路如何では恵の雨が降るかも知れない。石垣島では台風の被害、同じ台風でも歓迎される場合と逆がある。
 さてと、2日間の休み、珍しく緊急の呼び出しが無かった。何か拍子抜けのような気持ちも片方ではあった。周囲の田圃では稲刈りの真っ最中、米粒に印を付ける訳にはいかない。これが粉になったらもう判別不可能、疑心暗鬼ならば良いが現実のこととして覚悟しなければならない世になってしまった。
 生産者のモラル低下、一方では丹精に米作りに励む農家の人々。何かしっくりしないのは、関係者の無責任なコメント。
今、日本で自給自足を本気になって取り組めば果たして可能なのでしょうか?茨城は北海道に次ぐ全国第2位の耕地面積を持つ。メロンや蓮、白菜、梨・・・・など名産品も多い。これが天気の影響で出来すぎると価格調整で出荷前に破棄する。
 白菜やキャベツを収穫前にトラクターで潰してしまうこともあるのだ。農業の難しさがここにある。
一方、農業の大規模化は外国に比較すれば問題でない。あのアメリカやオーストラリアの広大な畑を見たら圧倒される。
 オーストラリアの南にあるタスマニア島、そこで見た風景が忘れられない。牧畜を行っている。なだらかな丘に牧草を作る。その水をかける仕掛けに驚いた。200メートルにも及ぶスプリンクラーがたこ足のように自動で畑に水を撒く。これも人間の智恵。今、そのような設備を使える農地は北海道位しか無いかも知れない。
 中学の頃、資源の無い日本は工業製品を輸出して外貨を得ることしか経済の繁栄は望めないと教わった。先の大戦も実は資源の確保がそもそもの狙いであった。行き過ぎると袋叩きに合う。二度と同じ失敗はしてはいけない。
 実は昨日、大きなニュース報道があった。アメリカの大手証券リーマン・ブラザースの経営破綻、資産63兆円とも言われる大会社が潰れる国アメリカ、日本のトップ証券野村HDの2倍以上の資産を保有する会社。
 以前、一部上場の社長になった方に話を伺った。彼は副社長時代は、M&A担当であったという。日本のトップ企業ですら何時企業買収のターゲットになるか分からない時代になった。トップが夜も眠れない。そりゃーそうだわな。日本の夜はヨーロッパの昼だ。こう考えると何が良いのか分からない。
 世界全体が不確実な時代になったという。言うなれば”諸行無常”という言葉通り。これが当たり前なことと気づかなければなるまい。
 しかし、確実な事も起こっている。それが問題なのだ。環境の破壊、これはどこの国に行っても起こっている。否、一国だけが守って出来ることではないことも人間は知っている。
 政党同士の小さなつまらないことに右往左往している閑があれば、確実に起こっている事態に直ぐにでも対策を講じるべきなのだ。某政党の親分が遊説先でのぼりを付けた自転車に乗ってパフォーマンス、なんとも平和ボケのお姿。
 全てにおいてイメージが枯渇してしまわないうちに自らの立つ位置を確かめねば。これは自らの責任。

956:何か不透明

益々、不透明感が強まる。私のように政治に全く感心が無かった者が、居てもたってもいられないのだから相当数の日本人がいま苛立ちを感じていると想像する。どうも2色に色分けされつつあるのではないだろうか?
 その一つの例として、我が茨城県は保守勢力の牙城、その中心的存在の医師会が自民党ではなく民主党を支援すると発表した。ここに至る経緯は一言では説明できない。切っ掛けは後期医療保健制度であることには間違いない。私は知り合いに医者が結構多い。彼等が口を揃えて不満をもらす。全国でいち早く機関決定して反対の意思表示をした、いよいよ保守牙城の雲行きがおかしくなってきた。
 今、世界全体が揺れ動いている。RBへの支援は行わず破綻した、64兆円という。一方AIGはアメリカが公的資金9兆円を出し、取りあえず破綻を回避、何しろ想像出来ない高額の世界、AIGの資産が100兆円を超すというのだから、これまた凄い。
 ですからね、今の状況は日本だけの問題として片づけられないって事も分かっています。ですが、ここ2年、全国の仲間と話す機会が増え、国との遣り取りを身近に見てきて感じることがある。それは例えが適切ではないかもしれないが、砂漠で水を求め動物が群れをくんで大移動する様子とダブル。
 大きく異なることがある。動物は弱き者(子供)を群れの中に入れ廻りで大人がガードするんです。そして、何日もかけて水場まで移動する。それが、今の日本は勝ち組という連中が、我先に水場に急ぎ、弱き者(障害者・子供・老人など)を置いてきぼりにする。その勝ち組と自称する集団の中に政治家や官僚が身を隠している。そんな感じを持ってしまう。
 彼等の言い分は、俺達が国を背負っているという思い上がり。ひねくれ者の私は、何をおっしゃいますか。。。貴方達がダメにしているんじゃねーのかよ。
だからどうですか!政治家が自ら、身を削る話は全くでませんよ。これが地方から国まで一貫している。消費税論議も正当な理由があれば納得する人も多いと思うな。ヨーロッパの負担率は比較にならない程高い。それでも不満がでないのは何故?
 これは党利党略で論ずるべきものではないんですよ先生達。
 私たちの県の団体(心身協)が最近アンケートを実施しました。光熱費と食材費を前年と比較したんですが、光熱費は昨年同期と比べて確実に増加、しかし、思いがけなかった事は食材費は上がっていませんでした。これをどう見るか!
ある人は食事内容を下げていると思う。またある人は努力して安い材料を探し求めているからだと。
 ここが大きく違うのです。金がないからこれで我慢せいというのが今の日本の流れ、そうじゃないはずです。努力するべきなのです。私はこの国のルールがどうもズレ始めていると感じています。年金の問題にしても然り、全く責任を取らないでノウノウとしている人がいます。まず、トップが責任を果たすべきでしょうね。政治家も官僚もです。本来はその覚悟があって国政に身を投じたはず、それが2世だか3世だか知りませんよ。自分が偉いと勘違い、だから地元で何を願っているかチンプンカンプンってわけです。
 まあ。このような事が長く続くとは思いませんがね。

957:パソコンの反逆

なんでだー?動かない。酷使したからか それとも意地悪されてのことなのか?
 パソコンの調子が狂った。機種が古くなったのだろうか?いろいろ考える。
あまり、不平不満を書きすぎたのかもしれない。ここいらでイメージチェンジをはかれと命令されているのかも知れません。
 飽きずにお付き合いいただいた皆さん、PCの能力が落ちています。何らかの対策は考えますので、暫くは源究1からでも覗いて見ていてくれませんか、申し訳ありません。
*CPU使用率が100%となってしまった。原因が? 機種の変更とソフトのミスマッチかも、しかし、途中でインストールを勧められ、調子にのってその誘惑に負けたのも事実、ウイルスに邪魔されたのかも・・・・・
 とにかく諦めず原因を追及します。ここで真価が問われるのですね。
 僅かなワクで今、打ち始めたもので回復するまでは細切れで続けます。ITオタクより。途中経過。
*いろいろ試して見ました。結局は相手が機械、何も答えてくれません。タスクマネージャーのプロセスを開き何が使用量が大きいのか見ています。svchost exeの値が99にもなっています。その原因はQ&Aなどでみてもチンプンカンプン。
ある回答で自動更新を無効にしたら、どうにか使用量は減ったのです。しかし、これでは無防備。何か不安が逆に大きくなってしまいました。
 こうやってPCに向かって試していると、人との付き合い方にどこか似ているように感じてしまいました。「思うようにいかない」「相手の真意が読めない」など。
 昨日は2件の宴席がありました。
ちょっと疲れましたが、たった1日PCとの向き合う時間をOFFにしただけで私自身の頭がクリーンアップできたように感じました。

958:コンサルタント

2年間に渡って、まんだら工房(パン)のコンサルを受けた。そして今日がその最終日、私もミーテングに出席した。県の担当者も同席してくれた。今回のコンサルタントの導入は、工賃倍増計画の推進事業の一環として実施されたものである。県内でも他に受け入れた事業所がある。私のところでは2年間引き続いてお願いした。それは現場のスタッフのたっての希望から実現した。
 1時間半ほどの会議、今日は偶然にも給料日だった。工房のメンバーが仕事を終え、我々に挨拶しにきた。
「がんばってこれからもやります・・・」「お先失礼します」二人のメンバーが我々に挨拶した。いやー2年前と大分変わった。正直、この変化は驚きである。彼等は本当に一生懸命仕事をする。だが、気分のムラがあって、仲間とのトラブルは毎度のこと、だが何かが変わった。多分、彼等が変わったというよりも職員側が変わったのが大きい。
 数字で表し、それを残すことの重要性を学んだ。クレームへの対応も良くなった。それに挨拶、私自身が一番反省しなければならないと思っている。
様々な課題が見えてきた。その課題にどのように取り組むか!チームで取り組む事の難しさ、性分である、面倒くさいと考えてしまう。この繰り返しを今まで続けてきた。
 外回りが多く、現場に目が届かない。スタッフやメンバーさんの日常の活動に実は問題の解決がある。それを逃げてしまってはいけない。正面から向き合うこと、今年は環境整備班をつくった。畑や学園内の草かりを彼等が担当した。私も自前の草刈り機を買って閑さえ有れば草刈りをした。
 1週間でもまた草が伸びる。その繰り返し。でも、作業をしているといろいろな事が頭に浮かぶ。
諦めないということの大切さ。楽な方向に自分をしむけることがどうなのかなど。
 今回、コンサルを受けて一番良かった事は、まんだらでの取組を法人全体に活かす希望が持てたこと。意識の変化と科学的に分析する目を持つこと。
 何か後ろ向きになりすぎていたと反省している。

959:原風景

”原風景”( primal scene ) 人間の持つ心象風景の中で、原体験を想起させるイメージ。
世の中がこれだけ複雑且つスピーデイになると自分の立つ位置が分からなくなってしまう。物事の良否を判断する基準も曖昧になり、目立つ事や興味をそそる事件などが心象として常に残ってしまう。
 今回、PCのトラブルにあって分かったことは、パソコンの最終の手段は全てを最初に戻すことしかない。それは特に私などHPを自分で最初から創り上げてきた者にとっては許し難い。データーが全てパーになることは、自分の生き様が全て否定されたようにさえ感じるからだ。
 だが、そこは人生とは違う。IT機械はセーフテイガードが機能する。データーのバックアップやそれがもし為されていなくともサーバーから逆に直近のデーターをインストールできる。人生はそうはできてはない。ここが根本的に異なる。
 なればどうしましょうか?私は”原風景”というものがあると思う。人それぞれの原体験から生まれた心の映像。これは、日記に記されたものもあるかもしれない。否、それは漠然としたイメージで文字からだけでうまく引き出せるものではない。確実に誰しもが持つ。
 私の場合は、敢えてここで紹介することではないが、涙あり笑いありの風景である。その風景を真っ白のキャンパスに再インストールすることも後々の楽しみ。
 良く痴呆の方が昔をはっきりと記憶しているという話を聞く。これが当にそうだと思う。円循環という考え方がある。いずれまた元に戻るという。その円の大小には関係なく。
 知的にハンデイを持つ人達と付き合っていると、彼等は当に原風景で生きていると感じる。個性的で誰からも侵されることのない感性を持つ。それは今の日本人が一番欠けている価値観である。豊かさの影に隠れた本当の意味の喜びややり甲斐、決して努力したから獲得できるものではない。
 

960:魑魅魍魎

「永田町は魑魅魍魎の集まりだから・・・・」これは奇しくも元首相の名物秘書のI氏の弁。小泉元首相が突然次回の選挙に不出馬を表明した時の某テレビでのコメント。”魑魅魍魎!”ねー。山川の怪物・化け物とはね。確かに妖怪変化の永田町、選挙前になると形振り構わずといった体を示す。これまた毎度お馴染みの風景。
 またかいな。国交省の大臣の失言3連ちゃん。多分、彼のホンネが出てしまったんだろうと思うよ。「成田の反対運動のゴネ徳」「大分県の教育界の問題を暴政党への揶揄表現」 先のI氏の発言が現職大臣だったらどうかな?これ私の憶測ですが、多分野党議員もそれほど攻撃しないと思う。誰しも思い当たる節があるから。まーレベルが低いよな。
 さて、国会審議をまた大臣罷免の問題で時間を割くのだろうか、山積する内外の問題をさておいて。
いよいよ末期現象か!障害者自立支援法など関係者だけが騒いでいる状況だ。昨日、日比谷公園での緊急集会の話を役員会で行った。現場を抱える施設長は、大変苦労している。誰にその鬱憤を向ければ良いのか分からない。
段々トーンダウンしてきた事は否めない。そこで全国アピールということになるようだ。果たして11月19日は選挙との絡みで如何なる事になるや。
 小泉さんの退陣発言をどう捉えるか?私は良寛の辞世の句を愛する。裏を見せ表を見せて散る紅葉。 彼の発言で3つの坂、人生には「登り坂」と「下り坂」あり、そしてもう一つが「まさか」だと言った。彼は永田町を舞台にして役者を演じている。誰しもがそう感じたに違いない。しかし、彼のパフォーマンスが一番賢い。魑魅魍魎の社会の中では。国民を愚弄するかの発言に対して目くじらたてて怒る気持ちが起こらない。だから彼は戦後3番目の首相在任の長期記録が出せたのだ。ただ、言える事は後任に次男を推薦した。これは誤解を生むよ小泉さん。しかし、要は役者の代役(息子)が如何に自分の演技ができるかであろうか。二世とか三世と人は非難する。でも誰だって両親がいたから今の自分がある。俺なんか寺の住職三十五代目だもんな。問題外だわな。
 私は総理を経験した方はバッジを外すべしという考えに大賛成。院政だかなだか知らないがこれは日本史に出てくる後鳥羽上皇時代の遺物。役目は終わったと思わないのだろうか不思議でならない。
 さて、永田町が怪物の住処ならば、お隣の霞ヶ関はなんなんだ?江戸の世の代官様?いやちょっと違うな。霞ヶ関という所は責任を取らず他人になすりつける所。だってそうでしょうが、先に辞任した農水相の次官はどうなったのですかね。多分、ほとぼりが冷めるまで大人しくしていて、またどっかへ下るのでしょうか?マスコミもその辺は暗黙に了解していて追わない。
 私は”坊さん”という肩書きが嫌で嫌で、ならば止めなよという方もいらっしゃいます、できないジレンマを持つ。正直に言って勇気が無いのです。開き直って「なまぐさ」坊主と自ら名乗ってもわざとらしい。
 この堂々巡りを58年も延々続けている。一生だろうな。
ウソかホントかちょっと良い話。
 尚恵学園の仲間が毎日ゾロゾロ散歩したり作業に行き来する。それが安心だという近所の話を耳にした。
実はこれだろうな、そうに違いない。何も知らない頭デッカチが考えた、有りの儘の地域生活。でもこれには様々な思いがある。52年の実績だ。実に重いよ。
 私は記念事業はしなかった。式典そのものになんら意義を感じないからだ。その代わりに、今、尚恵学園の一番高い場所に筑波石で有志がお金を集め記念碑がたった。そこには『願一共生』という字を彫った。

961:GNH

Gross National Happiness(GNH)は立憲君主国ブータンの国是”国民総幸福”。今、俄に外国から脚光をあび始めた小国ブータンとは一体どのような国なのか?非常に興味がある。チャンスが有れば是非とも行ってみたい。偶然にもBSテレビのZoom Asiaという番組でブータンの特集をやっていた。ブータンはチベット仏教を国教とする。輪廻転生を信じ、自分の幸せだけを望むのではなく他の人々の幸福を願う。国民全てが幸福になれば良いという。今の日本と全く対極にある国といっても過言ではない。///
 日本が豊かさを得て失いしものが多いと言う。確かに多様な価値観が芽生え、日本人が持つ勤勉さや他人を思いやる気持ちが薄れた。ただ、単に豊かさだけの理由にして片づけてしまうには、余りにも複雑である。確実に現状を問題視する人達も出てきている。殊、信仰に関してみても八百万の宗教心がある。一神教への挑戦ではなく、日本人の持つ寛容性?
 私自身は仏教を信じている。しかし、仏教そのものも伝来の頃と比べるとその変容は凄い。奈良平安の一期、それから鎌倉仏教を二期と考えれば、現代は三期といえるかもしれない。しかし、ブータン仏教との道を分けた輪廻転生説は明治維新が大きく影響していると言われる。国の政策で勧められた”廃仏毀釈”によって本来の姿が隠れてしまった。
 「後生が悪い」や「袖擦り合うも他生の縁」という言葉が残っている。これは昔から前生→今生→後生という転生の考え方が生きていることを示す。
 仏教では表だっては死後の世界や後生の事を取り上げない。しかし、GNHを考える際に、必ず直面する課題である。
私自身、9歳で亡くなった兄の生まれ変わりだと言われて育った。これが原風景となる。両親も既に亡くなり、今、その思いを確かめる術はない。
 もし、日本人が新たな国作りを模索するとすれば、やはり原点に一度リセットするしかないだろう。どこまで経済的繁栄を追求すれば良いのか、もう正直に言って何らかの回答は出ていると思うのだ。
 元某大臣に一言言いたい!
貴方は、エリートの道を歩み過ぎた。九州の名門高校から東大法学部、そして大蔵官僚。そしてあの有名な奥様を迎えた。今回の大臣就任4日目にして辞表、どう考えていますか?これも新聞の活字からの情報だから何とも言えない。
 某新聞には、身の進退を奥さんに相談してからという記事が載っていた。
 貴方が学べなかった事、それは大義という事だと言える。
ただ、貴方を弁護するとすれば、そのような教育を受け、国の財布を握る中枢に長く身を置いてしまったからだろう。そして、後生を信じる心があるのであれば、議員バッジを外す事である。(無視して結構です。)

962:山川草木悉皆成仏

山川草木悉皆成仏とは、この世に存在する全てのものが仏に成るということである。今、私はチベット仏教に感心が強まり、関連する本を読みあさっている。それは、何を隠そう今の私の心境に何らかの答えを見いだしたいがためである。瞋恚の炎をどのように鎮めるか、・・・・・
 昨日、ウオーキングをする。稲刈りが終えた田圃の畦道に幼友達のTちゃんが長靴履いて、立っている。「よーTちゃん、何やってんだよ?」と声を掛けた。すると彼は手を挙げ、片方にカメラを見せた。彼の趣味は野草だと聞いていた。カメラで草木を撮っている。1pまで接写ができると言う。庭の花にならず野草になれと言った方がいた。人の手が入ったものには、見た目がある。その点野草には全く執着が無く、その分力強い。野芝もそうだ。踏まれても踏まれても芽を出し続ける。
 この境地に辿り着くには、3億劫の時が必要か。
自棄にブータンに拘る。ブータンも少しづつ近代化の波が押し寄せている。ある村で住民投票を行ったという。それは電気を入れるか否かということで。今の日本人には想像もできない事で真剣に話し合いが持たれた。結果として電気を入れない事を全員一致で選んだ。その理由が毎年、飛来する渡り鳥が電線に触れ怪我をするからだという。利便性よりも自然環境を優先したという。そして、今も桃源郷を守り続けている。当に人間がこの地球で横暴に成りすぎた事への警鐘である。
 私は今の気持ちとして、政治や官僚制度の病みの部分を意識して取り上げている。本当ならばお構いなしでいたい。好きにやってくれよという気持ちが大きい。昨日の麻生さんの所信演説、結果は様々な反応があった。私は評価した。先ず分かりやすかった。意味不明な御託を延々と言われても耳に入らない。むしろ民主党への挑戦的姿勢を評価した。だってそうだろうが、貴方達はどれだけの公費をつかってマツリゴトにあたっているのですか。議論しなさいよ。いくら立派なマニフェストを提示されてもですね、やらなきゃー意味無いでしょう。これは与党も野党も全員ですよ。それに最初に中山元大臣への呵責発言もスカットしました。確かに野党が言うように指名責任はあります。そんなこと誰だって分かりますよ。今回は首相自らわざわざ発表したんですからね。それも国連でジョーク交えて演説したその日に失言の3連発。今回は太郎&一郎の対決とか。少数野党は蚊帳の外にされ、女性の党首は手振りを交えて不満を言っていた。もっと怒れ!
 でも、ブータンの話を知ったら、野党も与党もなんで重箱の隅を突っつき合っているのかと思ってしまう。どうしても大義を感じない。後期高齢者医療保険への見直し、ある意味では茨城の医師会の功績ですよ。どうなるかわからない。様子伺いが常態化している地方政治に喝を入れる先陣を切った。江戸の時代ならば、御三家の一つですよ。いざとなれば印籠を出す県民性、ヘソが曲がったらもう大変な県民性。
 厚生族のドン?もおればバンソウコウの貴公子もいる。しかし、彼等は住所登録だけの茨城県人ですから、言っておきますけどね。
どうしてこうなっちゃうのかなー、嫌になっちゃうよ。あ!そうだった山川草木悉皆成仏だった。
 思い立つとじっとしていられない性分だ。早速つくばのYAMADA電気に行ってきた。接写できるデジカメを買うために、ちょっと値段を見て考えてしまった。結局パンフレットだけもらって帰ってきた。渡辺謙がやっているCMのカメラが高いこと高いこと。
 しばらくは携帯電話のカメラで我慢すっかー。そうすっぺー。ああ・・・あ。湖面に浮かぶ喫茶店、懐かしいな、ホントホント。
  

963:何をそんな風に

何をそんな風に考える?
いつもの事でしょう。朝起きて1日が始まる。秋の景色が見え隠れ、いよいよ思索の秋となったわけ。気が付くと後3ヶ月で平成20年も終わる。
 この1年の長かった事、数年分生きてきた実感である。
 駆け足では、息切れしますね。
 畦道の野草の美しさや秋の澄み切った風。これらをいつまでも体感していきたいものであります。

964:機種交換

今日やっと新しい機種にPCを交換しました。今度は思う存分書き込みができそうです。何かいつの間にかPCに拘っている自分がありました。これも性分です。新しいPCの微調整が必要ですね。活字が小さい感じがします。それに配置バランスの問題もあります。徐々に修正します。
 さて、本日は土浦の花火大会が行われます。さっきから花火の打ち上げ音が聞こえています。たぶん土浦で随一の賑わいのあるイベントですから、多くの人でごった返すことでしょう。天気は風もなく絶好の日和です。何しろ稲刈りが終えた田んぼにまでゴザをひいて見物する人が出るくらいです。それから今朝は運動会の知らせの打ち上げ花火がいくつもなっていました。これまた最高の運動会日和でした。
 世の中の先行き不安感を一時的にも忘れさせてくれる好例行事が行われています。平和ですね。あまり多くのことを望まないことがよろしいかと!今、私の気分は晴れやかです。なぜかといえば、ここ2か月は全くPCの調子が悪くイラダッテいましたから、今日それから解放されたのです。いずれにしても機械に管理されてしまった自分をどうすることもできないのですね。
 これもいつまで続くことやら分かりません。
風の便りへ。秋の紅葉は京都の大原周辺が良いですね、シーズン中は観光客でこれまた大混雑、しかし、こちら側の気持ち次第、自らの歩んできた道を振り返り、昔を懐かしむ語らいが持てる絶好の場所だと私は思います。人間ってなかなか心の中を見せることはしせん。でもね、そうでもない。仏様の前に立っていると全てお見通しという微笑みで見つめ返してくれる。これがまた至福の喜びですよ。万歳と叫びたくなります。
 今日見ていた番組で寅さんシリーズのことをやっていた。寅さんの言葉に真実を見出すと話していた学者がいた。それは48シリーズ続いた何話目だったか知らないが、「人間は何のために生きているの?」という問いかけに寅さんが答えた場面。「人間長く生きていれば本当に良かったなーと感じたことが何度かあるもんだ。また、そんな出来事が起こればなーと思うから生きるんだよ」と。
 これが世界の宗教や哲学で問い続けられた人間の生きる意味の最適な答えだと。
そうかもしれない。邂逅があって感動があり、悲しみがあって喜びがある。何か得体がつかめない人生だからこそ、生きていこうという力が出るんだと思う。
 機種も変わった事だし私の筆調も多少変えないと、不平不満は少し控え目にして、自分の内面を見ていこうかなー!
全国花火大会(土浦)10月4日午後6時より
 桜川岸で開催されました。見事なものです。

        秋風を 肌に感じて 夜空見る  いつになく くつろう人の 影多し   

965:筆調変換

”心意散乱して座禅せず 実相に違背して慧を修せず・・・・” 怒りのこころで真意をさぐることなどできやしない。その点、山田洋次監督の寅さんに画した演出の妙は、そこに有りやしないか!人生は涙有り笑い有り、良いことも有れば悪いことも有る。短絡的に自死を選択することなどもっての外。NHKのアーカイブという特集番組の一コマに最終48作目のロケ地での渥美清の人間模様を垣間見た。そこにはスクリーンからは想像できない寡黙で穏やかな人間”寅さん”の一面が見える。彼は撮影終了後、僅か9か月で亡くなっているのだ。しかし.渥美は闘病の苦しみを微塵も見せない。カメラと対峙する彼の生き方には、感銘を覚える。
 宗教家が現代でもしその役割を果たすとすれば、難解な教えを自己満足で語ることを止め、もっともっと解りやすい言葉と実践で世の中に飛び込んでいくことしかないだろう。
私自身の大いなる反省として、世の中への不満を単に発散していたことであった。政治家や官僚への憤りは、言ってみれば上辺だけの他人事でしかない。それ以前に貴方がやることをしなさいと言われていることに素直に耳を貸すべきだった。そう今は思う。
 この辺で筆の調子を少し変えようと思った。
 人間の持つ共通の苦しみは生老病死であろう。決して苦しみだけの人生で無いことも分かっている。対語として「楽しみ」を挙げることに少々疑問を持っている。それは享楽的な道に陥り易いからである。そうじゃないだろう、もっともっと究極的な対語があるはずだ。苦と表裏一体の関係?
 それが人間の持つ「何のために生きるのか?」ということに違いない。その辺を見つめてみたい。
生きる価値感を測るスケールは実は無い。だから厄介なんだね。私の相棒であるNさん。彼は何度もこのコーナーで登場していただいている。{相棒と思っているのは私だけ、彼は決してそうは思っていません。}彼は現代版「フウテンの寅」という感じである。
彼は、ここ10日間ばかり、栗拾いに夢中だった。小遣いも少ないと思うのだが、どこかの店で栗の皮むき道具まで買ってきて日向ぼっこしながら皮むきに熱中、彼は小学校に入る前から施設にいた。その後の人生は別稿に譲ろう。
 今でも何故彼がそのようなことを言ったのだろうかと解らないことが一つある。4人で居酒屋で暑気払いをした時だった。彼は酒が大好き、その日はビールだった。3杯ぐらい飲んだ後、物足りない様子、私が冷酒を注文、ニコリとした。その後だったと記憶する。彼が立ち上がり、トイレに行くものと思ったが、私の脇に座り、耳打ちするのだ。
「あのよ。本堂の賽銭箱からお金取る人いるんだ・・・・・」「・・・・・」 
 何故私に秘密を漏らしたのだろうか、よりによってこんな席で。今、彼は水戸への出張は激減している。待っていてくれる相棒がいなくなったのだろうか。今時、彼に酒を御馳走し、語らう仲間がいたということも私の想像外のこと。まー彼が水戸からタクシーで御帰還する時の顔ときたら、桃源郷に住みついた布袋様のようだった。
 彼は、生きていく術を本能的に持っている。だからといって決して自らの体調に無頓着というのでもない。血圧の薬は毎朝飲んでいる。最低限の健康管理は欠かさない。彼は自分の家族の事を聞かれるのを嫌がる。
 私に自分から話した事があった。それは、親の墓のある大子町のこと。酒が何よりも好きだった父親は若死にしたという。兄弟が多く、貧乏だった、口減らしで施設に預けられたといえよう。
 彼と同じ目線で今を見つめることはできない。彼も50歳を超している。しかし、歩んできた人生はあまりにも違う。
 

966:職場説明会

昨日はつくば国際会議場を会場にして、今年度2回目の福祉職場説明会がありました。尚恵学園では事務長が参加した。午後から割り当てのブースにて、求職者を待つ。結果5名の方が説明に並んだという。果たして履歴書を出すまでに至るか否か?
 現状は人材の確保はいずれの事業所でも苦労している。種別に関係ないようだ。尚恵のような24時間支援する事業所では夜間勤務ができる職員を募集する。だが最近の傾向として、希望者が多いのは相談支援や日中だけの勤務である。これが実に困った現象で、相談業務などは相当経験を踏まなければできるものではない。
 これは、最近の養成校の教え方にも影響していると思っている。福祉の現場は直に利用者と接しながら学ぶことが多い。理屈や知識では解決できない。実践が生命線だ。
 夜、筑波大の先生と飲む機会があった。彼らは学生時代クラブ活動で尚恵学園にボランテアで来ていた。今、二人とも立派になられ、母校で学生の指導を行っている。名刺交換したら二人とも博士号を持っている。なんと素晴らしい。彼らは20年ほど前に毎週来てくれていた。
 筑波大は創立34年(1973年)がたつ、一回生からボランテアで大勢来てくれているから総勢で300名以上になるだろうか。皆さん全国各地に散って頑張っているようだ。頼もしい。私は今まで関わってくれた学生の名簿を作りたいと思っている。
 10月に入り、私は9日から茨城県選手団と一緒に大分に行く。5泊6日という長丁場、途中で帰ってきたい気もするが、役目上まずいだろう。多分、選手と同室になるだろうから、どのような人とペアーを組むか、全く面識がない方と生活するのも,ここしばらくはやっていないので心配している。金沢の時は、こだわりの強い人とぶつかってしまい閉口した。
 ただ、楽しみでもある。会議に振り回されすぎた一年だった。本でも持ち込み各会場でごろり寝ころんでいよう。ついでで申し訳ないが見て回るか。
 そうだ、昨夜の宴席は実にいろいろな話が出た。4時間、全く時間が経つのを忘れ、店の方に閉店を催促され気づいた。
当時の印象に残っていることを尋ねる。すると今准教授をしているKさんが「名前が思い出せないのですが、{いま何時?}と何回も聞いてくる人いましたよね」と懐かしそうに話をした。そりゃーOさんに違いない。「今もいますよ。今でも{今なんじ?}と誰彼かまわず聞き回っていますよ」と話した。「彼がしつこく聞くもんだから「ハイ おれ おやじ」と答えたら。彼はそれっきり来なくなった」という。それから20年が過ぎた、いまでも同じ質問をしてくる。(*)
 これは一体どんな意味があるのだろうか?そんな話が次から次に出ていた。
 それから、障害者観にまで話がすすんだ。もう一人紅一点の今日の段取りをしてくれた設計士のHKさんが、バリアーフリーのことを話す。これも実に考えさせられる内容だった。つまり、障害者にとってバリアーを取り除くと機能が落ちてしまうという話になる。これは「寝たきり予防」を研究テーマとしているKさんの意見。確かに尚恵厚生園は女子と男子寮が分かれており、下足を履きかえて食事のときに移動する。必ず6回は靴を履き替える。職員から上履きで移動できるようにして欲しいという要望も出ている。だが、彼らが自分の履物を履くという能力を奪うことになるかもしれないという良い言い訳ができた。
 うーむ!一筋縄ではいかないな!
(*)付記
 Oさんの質問攻めの後に「いま何時〃・・・母ちゃんは?」が付く。いつ頃からだったろうか、彼のお母さんは体調を崩され面会に来れなくなった。今、帰省もできていない。

967:現地直送

 明日から大分に行きます。今回私なりの準備をしたつもり。それはノートPCを持参し、大分からHPに現地レポートを試みようとするものであります。果たして上手くいきますか否や。
 正直5泊6日を何して暇つぶししようかと思案した結果であります。空振りに終わるか否か。
部屋割りがわかりました。水泳選手と同じ部屋4人であります。イビキ対策は万全!昔は激励に宿舎を訪問した役だった、そっちが良いよな。由布院は近くにあるし国東半島もよいだろう。宮崎や鹿児島の友人にだって会える。ああ。。。。お仕事お仕事。
 話は変わります。昨日、緒方拳さんが亡くなったというニュースを見た。71歳だったそうですね。存在感のある俳優さんだった。彼の死は、彼の生き方を感じます。5日前まで仕事をしていたそうで、緊急入院の翌日に手術、その結果は良かったようでしたが急変して5日後で逝ってしまいました。家族以外に病名を知らせないようにと指示し、最後の出演の作品を完成した後、燃焼しきって逝ってしまった。あまり苦しんだ様子もなく穏やかに。彼の書は有名である。書道の世界も華や茶と同じ。流派や道具に凝る。彼の字は人間性を感じさせる。本来こうあるべきでしょう。彼の出演した映画の本数もすごい。晩年は倉本聡さんの作品に出ていた。北の大地や任侠映画に似合う数少ない俳優だった。
 それから未確認情報ですが、1週間前だった。観音寺に見知らぬ人が二人で「平塚八兵衛さんのお墓はどこでしょうか?」と訪れたという。近々「刑事一代記」というテレビ番組で平塚刑事の役を演じる渡辺謙のようだったそうだ。八兵衛さんのお墓詣りに来られた。「お線香ありますか?」と言った男性がどこかで見た人で好い男だったと記念にサインでも貰ったらよかったのにと下種な考えを持ったのも事実でした。俳優に限ったことではない「プロ根性」は人知れぬところでの生き様に多いに影響される。役者が台本を活かすとも。
入我我入(にゅうががにゅう)や陰徳を積むことと同じ心境でしょうか。
968より現地からのレポートになります。ご期待の程。
 

968:参った!

参りました。9日から5泊6日大分別府の旅?これが宿にはインターネットの接続端子が無かった。折角現地レポートをしようと思っていたのでしたが徒労に終わる。今時珍しいわな。
 仕方ありませんでした。まとめて報告します。正直頭がボーとしています。寝不足の極限、4人部屋で個性の塊といった仲間でした。実に刺激的で感動ものでした。いくつかのメモ書きを紹介します。だめだー眠い。明日にします。悪しからず。
(10・15日10時間の旅疲れ夜8時に帰宅する)
 目を覚まし、デジカメの写真より数枚選びHP上で紹介しました。
今回、気づいた事。九州は韓国や台湾などからの観光客がとても多いこと。高速ジェット船での往来も可能とか、近いんですね。今回は持ち込んだ本やPCを用足らずでした。その時間が無かった。6日の間には世の中様々なことが起こるものです。株の乱高下、異常ですね。それから三浦さんの事件報道。いやーコメントしようがない。
 矛盾が一つ。
今回の大分での大会にコーチで参加した人から言われたこと。
「どうにかなりませんか?どんどん施設からの参加希望者が減っていますよ」と。
これは何故だかわかりますか。同じスタッフで参加していた養護学校の先生に尋ねたがわからなかった。
 5泊6日の大会参加では、支援費が施設に入らなくなる仕組みなんですね。県の代表なのに入院や家庭帰省と同じ3日間だけは支払われるのですがそれ以上はダメ。これって可笑しいですよね。
 同じ選手で参加するのに、養護学校の生徒と施設の仲間、さらに就労している人にとっては大会への参加背景が全く違うのです。どうにかできませんか?選手だけでなくスタッフとして参加することも実は大変難しくなっているのです。
大会随行記へ」

969:続・・参った!

参った!第2段。
 今日は大変なんですよ。9時に集合(つくば市)県内の坊さんの研修、担当なもんで行かないと。中抜きで水戸へ。これも担当なんで。トンボ帰りしてつくばへ戻らないと。昨日は電話攻撃、住職が1週間も留守したもんで、法事の問い合わせが自棄に多かった。正直、また別府に行きたくなった。それに本当は今日明日と立川で関東地区の会議があったんです。そちらは他の方に頼んじゃった。
 ここだけの話、知事さんや首相さんのスケジュール、半端じゃない。直接聞いた訳じゃないが別府に行きたくなっぺよな。
外野は好きな事言うもんです。その覚悟がないならやるな!とかね。昨日、ウツラウツラして国会予算審議を見ていた、野党のIさん、元自民党で今野党、彼の質問が好戦的、予め想定内の戦法でしょうけど、私が見ていて予算審議ってあれで良いのかと思いましたね。ホント
 多分、改選を意識したピンポイント攻撃だったんでしょう。それとあれって自分の質問が終えると皆さんどっかに行ってしまうんですね。そっちも中継すれば良いのにと思いました。あれで議員みんなで討議したことになるのですかね・・・・?審議っていうのは言いぱなしなんですかね。非常に問題アリ。
 あのやり方がもしもですよ、従来の委員会の持ち方なんだったら、官僚が案を作り回答も書くしかないでしょうよね。そんなこと誰だって分かるっぺよな!問題あり。審議が回らなくなると委員長の周囲に直ぐに集まって、なんやら協議、そして、理事会にて検討しますで、ハイ次。
 この在り方に疑問を持たない先生方、貴方達が悪い。本当にそう思った。
それから、マスコミに一言。出席議員全てにカメラを当ててもらいたいね。特にヤジを言う先生、チェック絶対に必要です。
ふざけているよ。真剣に討議しろと言いたくなる。
 2日前、丁度あの時間に大分では不自由な体で25メートルを時間かけて泳ぎ切った選手の姿を見せたいよ。あれが本当の喜び、笑い、涙。国会の審議は無駄が多い。予算委員会中継見ていて涙出ねえもんなー。あれいくら経費がかかっているんだろう?
 某市のスタッフが言っていた、「今年は予算が削られ水泳は選手が一人だけになってしまったんですよ」と。たった一人選ばれた彼は25メートルを泳ぎ切るために1年間必死になって練習してきたそうです。何を審議しているのかわからないのに使われる費用の少しでも回せば、もっと仲間が大会に参加でき、一緒に励ましたり喜ぶことができたでしょう。
 それから私は議員の先生が年間どれだけ地元にいるか報告する義務を課したらいかがでしょう。何故自分たちから疑問を投げかけないのですかね?不思議ですねー。また余計な事を書いてしまいました。
 元に戻し、それでは一句。
   秋空に 集う仲間の 晴れ姿  
            おもう心は みな同じ。  
 「本当に今を危機だと思っているのですか?【勝海舟 私に帰せず】という単行本を買って読み始めました。」

970:今をチャンス

昨日、水戸で保健福祉関係県会議員の方との話合いがありました。こちら側は経営協に加盟する福祉事業所全種別の代表、現状確認の意味合いが強く、いますぐどうするかという結論は期待していませんでした。案の定、様々な意見が出され、直近の課題から将来をどう捉えるか?などの意見が出て焦点を定めて協議するには時間が少なかった。
 福祉事業所といっても保育・児童・老人それに障害者と種別に分かれています。共通の問題は、人材の確保。
先日、つくば市で開催された福祉職場説明会は80の事業所がブースを構えて待っていたにもかかわらず、求職者はたったの60名だったという話でした。これが実態、全国的な傾向です。
 少子化対策も保育部会より出されました。障害者問題は、正直少数派、子供と老人の問題の陰に隠れてしまう。特に、議員さん相手の場合は、集票メリットとの絡みでトーンダウンすることは否めない。
 だからこそ、障害者家族との共闘体制が不可欠だと私は考える、実態はどうでしょうか?障害者団体ほど枝分かれが多い組織です。なかなか主張が一枚岩とならない。会議の中で意見を求められたので私は敢えて抽象的な話をしました。
 「同じ笊の中の金を奪いあうことは如何なものか!」「日本は要望の順送り。市→県→国。それに国→県→市。これではいつになっても埒が明かない。どうすれば良いのか。結局は足元から固めるのが一番、・・・・・」など話した。どこまで通じた事か?
 今がチャンスだと私は思っている。それは誰かが言っていた。「福祉はその国の文化のバロメーター」国民が何をどうしたいのか。他人事として福祉を論じていた時代は終わった。自らの老後を考えざるを得ない。少子化問題は、実は日本人特有のものである。子供が少ないと確かに担い手が少なくなる事は自明の理。それよりも家存続への不安が大きい。
 お隣の国の一人っ子政策が果たしてどうなのか?国を統治するには増え続ける人口をなんらかの人為的手段でコントロールしなければならないのだ。
 日本でも都市集中によって起こっている様々な社会問題を考えると適正な日本の人口はどれくらいなのだろう。
老人介護の問題は、そもそも家庭の介護力の低下による。地域での生活をどこで行うか?果たして施設に入所して終末を迎えることがどうなのか?これらの問題は一向に解決のメドがたっていない。
 だがどうだろうか?我々一人ひとりが誰かがやってくれるだろうという他人任せの思いがどこかにあったはず。
それが怪しくなってきた。
 今がスタートラインと考えようと私は思っている。実は障害者問題ほど他人事の福祉は無い。身近に障害者がいない者にとって実態は分からない。家族は障害を持つ我が子を世間の目からなるべく遠ざけようとしてきた歴史がある。権利を主張するというより自らが抱え込んでしまうことを選んだ。長い期間、それが続いたことも事実。
 そして今、先人の築いた福祉感が見直され始まっている。果たして市場経済のルールで障害者への福祉が賄えるのでしょうか?
 福祉事業は本来補完的なものです。決して主役ではない。そこを履き違えないことだ。少子化論議との微妙なズレも実はそこにある。障害を持つ人が将来減少すればよいこと。それには医学の進展が今以上に必要。
 これを考えると話がどんどん深みに入ってしまう。例えをあげよう。
 今、子供の身体運動能力が落ちている。その原因の一つにあまりにも靴の機能を進化させたことがあるという。
必要以上の手立ては逆に本来人間の持つ機能を低下させるという話。この攻防が福祉を考える原動力、実に長い道程である。まー言えるのは根負けしないことだ。