源究66

No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日 No テーマ 月日
831 霞ヶ浦マラソン 4/20 836 挨拶の妙 4/25 841 5月連休 5/3 846 愚公移山 5/9
832 第2ステージ 4/21 837 活性化 4/26 842 起請文 5/4 847 地方の活性 5/10
833 優先順位 4/22 838 冥福の願文 4/28 843 子の喪主 5/6 848 心象風景 5/12
834 仏教&医療 4/23 839 障害者団体 5/1 844 無題 5/7 849 福祉の原点 5/13
835 県国保連 4/24 840 春の息吹 5/2 845 再構築 5/8 850 福祉の道行 5/14

831:霞ヶ浦マラソン

朝からどんより雲が立ちこめる。4月の第3日曜日は、第18回霞ヶ浦マラソンが開催される。1日違って良かった。昨日は台風を思わせる強い風が吹き荒れた。尚恵のまんだら工房のパンを福祉の店で販売、その準備に大童。
 今回も職員の何人かエントリー、昔は私も走った。フルマラソンを走るスタッフも結構いた、記録がお互いに気になったものだ。最後の挑戦は第12回で10マイルを走った。記録はオフィシャルで1:47:37で2359位。それ以前はフルを2年連続で完走、自分を褒めてやりたいものだ。最初はもっと寒い時期に開催されていた。風が強く、寒さと疲れで肉体的にも過酷な大会だったが、何回目からだっただろう今の時期に変更した。昨日の地元紙に大会に招待されたドイツの姉妹都市からの2名が市長を表敬訪問したという記事があった。
 参加者も今年も多いことだと思う。私の知り合いも何人かは走る。(公式発表、16,805名過去最高)
 「住職は?」と聞かれたが「でない」ときっぱり答えた。以前はまだ色気があって、走ってみようかなーという気持ちがどこかにあった。今は全くない。なにしろwillというテレビゲームで息切れしている状態だから無理でしょう。
 42.195キロは半端な距離ではない。それも制限時間が決められているから。プレッシャーは尚のこと。ウヲーキングで参加がOKならば良いのに、交通整理の関係で無理。
 私の友人が日本列島の最北端から最南端まで歩き通す挑戦をした。今彼はどうしただろうか?所さんのダーツの旅という番組ではないが、全国各地、言葉も違うし、習慣も異なる。完歩できればおもしろいだろうな。
 まとまって休みを取ることもできないが、いずれは四国88カ所は歩こうと思っている。1400キロだ。

832:第2ステージ

昨日、尚恵学園家族会の役員会を開催しました。総勢22名。現在のY会長は3代目、常に前向き姿勢で学園の将来に心配りをしてくれています。実はご自分の体調が思わしくありません。それでも家族会の和を常に大切にしたいという思いと子供達への底知れぬ愛情を感じます。
 施設と家族は決して対立する関係ではありません。お互いが補う関係が理想。現在、160を超える家族をとの関わりがあります。正直、温度差はあります。私の経験では、その差が縮まる切っ掛けがあると思っています。不思議な事ですが、行き違いが生じた時にどう対処したかという事が重要なポイントになっているようです。
 リスクと夢   この相反するテーマが私の第2ステージとなりました。それは、年齢から自然に生まれてきたものです。利用者で最高齢者が70歳になろうとしています。そして私自身は今年で58歳、一般企業では定年後を考える年齢までにちょっと。
 しかし、最近の私の頭の中は、決して前向きな考え方ではないという反省があります。制度改革の渦の中に自分が飲み込まれそうになり、必死に藻掻き顔を出しては息をつき、また水の中に。これでは堪りません。トップがこうですから、スタッフも何かやり切れない気持ちでついてきてくれていると思うのです。
 リスクという問題が頭から離れないということから派生することです。自分で分かっているから始末が悪い。
経営の危機、人権、訴訟・・・・・。本来のリスクマネージメントは想定するリスクへの予防策です。その想定するものが肥大化してしまった状況がここ数年の実態かと。
 私が今読み始めた本に、地球温暖化はCO2排出による環境破壊ではなく、50数億年の地球の歴史の中で何度か繰り返される気象変動の一つであるという事が書かれていた。そこで一つの例が上げられていた。サハラ砂漠が一時期緑で覆われた時代があるというのです。砂漠化が進む一方で植物が新たにはえ出すという。
 物事を短期間で捉えると必要以上に問題を過大視してしまいます。CO2を今のペースで排出しても良いというのではなく、夢を描きながらその対策を考えるという事を言いたいのです。
 夢は自由に何の規制もなく描くことができます。福祉の仕事に関しても私は全く同じだと考えます。夢が描けない職場に若者は集まりませんから。
 障害福祉が嫌ならば退散すれば良いんです。何も嫌な思いまでして関わって欲しくはない。利用者が迷惑です。
 彼等と共に夢を描き続けるセンスがなければだめです。
 私の第2ステージはギアチェンジから始めます。高速から1ランクおとす。スピードが出ない代わりに馬力が増す。
 今年、自主研修を募集しました。何らかのヒントを掴んでもらいたいというのが私のねらい。16本出てきました。全て認めます。
 その中で私自身が一番遠出することになりそうです。できれば1年位と思ったのですが、これは現実からの逃避行動と思われますからギリギリで1週間設定します。ドイツでGHへ体験入寮してくるつもりです。私が24歳の時でした。秩父学園の妹尾先生のご紹介でイギリスで実習をさせていただきました。あれは3ヶ月ぐらいの期間でした、言葉も分からず、体一つで飛び込んだ経験が今の自分を支えています。できない理由を考えると次から次に浮かぶものです。そうではなく何が出来るかという事から出発すべき事を学びました。
 今、私は日本の文化に根ざしたたまり場作りを考えています。座禅:茶:書道:絵画:音楽:農業・・・・・名称独占ではありませんが、たまり場の名前は  「寺子屋」です。 具体的な青写真もあり、建てる場所も確保しています。ただ、惜しむらくは、お金がない。

833:優先順位

誰しも自分の中に物差しを持っている。複数の選択肢の中からどれを選ぶかなどの時に取り出す。しかし、これが時々狂うから厄介である。当然、これを選ぶべきだと思っていたが相手が違ったものを選んだ時など。
 その誤差を防ぐために予めルールを作っておく。昨日は予定がぎっしり入っていた。ラストが夜の7時からの法人の新採用職員の歓迎会、迎える者は5名だった。いつもならば畳の宴会場、今回はホテルの円卓で行った。最初はどうも重いムードが立ちこめていた。そこで最初の挨拶を行うのもあまり気分の良い事ではない。飲めないビールを飲んだ。饒舌になる癖が出た。それぞれのテーブルを廻った、職員との壁は高いなー。相手が素面だとそのギャップが一段と大きくなる。
 施設の宿命である。この時間帯は業務で10名近い職員がはたらいている。今回は当直を主任が受け持っていた。
また、なにやら体調を崩すものが出てきた。天候不順も影響しているのは確か。心配性の私には堪らない。
 全国の私と同じ立場の人達へ。ご苦労さまです。眠れぬ夜の連続でしょう。良く分かります。  でも仕様がないですね。
心配したから変わるもんじゃーありません。なるようになれ!最後は覚悟するしかないです。
 実は自分に言い聞かせているだけのこと。ゲーテはさすがだ。   「人間は努力する限り、迷うものだ」と言い切っている。
そこで優先順位という事を考えてみた。
 そしたらですよ。全く順位などつけられないのですね。人間は適当に忘れる能力?を持っている。これがあるからやっていられる。昨夜は一晩中、頭がヅキヅキで眠れなかった。3回も起き出した始末。アルコールが体に少しでも入ると体中の回線が混乱し、目が回る代わりに思いが止め処もなく浮かぶ、悲惨な状況になってしまった。それなら飲まなければ良い、解っていますよ、でも飲まずに居られない時も有ります。それが昨日だった。
 今日は、北茨城まで出かけます。協会の役員さんの親の葬儀に参列する。昨夜の通夜には出られなかったから今日は出ますと言っておいた。これらの付き合いが急に増えた。
 明後日締切の申請書もまだ作っていない。必要添付資料は今日までに私の手元に届く手筈になっている。綱渡りである。
 これが現実、生きているという実感も同時に感じてはいる。
 ラジオを明け方に聞いた。有機農業で鴨を使って稲作を行っている九州の方が出ていた。恩師に言われた言葉の紹介があった。社会人になる学生の前で最終講義を行った時のもの。
 「社会での自分の役割を意識しながら働きなさい・・・・」  実に意味深い言葉である。 
今日、広島高裁で光市の妻子殺人事件の元少年の判決があった。死刑である。弁護士は総勢18名、何故これだけの弁護士が付くか、それは死刑廃止論者の弁護士達。名だたる国会議員も死刑廃止運動に加わっている。先進国で依然として死刑がある国は少ない。その中での判決、当時18歳だった犯人も9年が経ち27歳。私は被害者の夫のコメントにいつも感心する。彼はどれだけ辛い悲しみの時を過ごしてきたことか計り知れない。彼の冷静で尚かつ論理的な分析、意志の強さ。
 判決後の弁護団の記者会見、最高裁に上告するという。犯人の意志によるものなのか否か?人間が人間を裁く、生命の大切さ、罪の償い。一人一人が自らの事として考えるべき時である。

834:仏教&医療

私の素朴な疑問、どうして日本では仏教系の医療機関が少ないのだろうか?
 大阪に淀川キリスト教病院という全人医療を目指している病院の紹介があった。救急医療に力を入れ、毎晩10名の医師を配置している。病院グループのベット数は約600床、それ以外に緩和ケアや老人医療施設も充実しているという。
 私が不思議に思ったのは、病院が医療法人経営ではなく宗教法人であることだった。創設者が戦後の医療荒廃の時期にアメリカからきた外科医師であった。この程度の下調べはgoogleを通して簡単に出来る。
 聖路加名誉院長の日野原先生は有名、100歳にならんとする先生が今でも診療にあたっているとも伺った。
さて、私の疑問である。私の知り合いの精神科の医師が緩和ケアを新しく始めた病院へ移った。経営面でも精神科がおれば診療報酬が上がるという。終末期を迎えた患者さんの死への不安をいくらかでもカウンセリングによって和らげるという計らいからだ。先ほどの淀川の実践は毎週病院内での院長によるキリスト教の伝道の場を設け、国際協力も積極的に行っている。「豊かになれば隣人に手を差し伸べるべきである」という理念の元に行う実践と聞いた。
 僧侶の私が言うのもおかしいのだが、何故、仏教による医療が育っていないかの答えは、仏教系大学に医学部がないからだ。正確な数は把握していないが、日本において結構数では仏教系の学校は多い。一番は幼児教育(保育園:幼稚園)である。大学を持っている法人は付属校として年齢層毎の学校を有している。
 だが、医療系の学部は皆無に等しい。日本の病院の実態は、坊さんが衣を着て相談室に控えているなどゼロに等しい。
 今回の医療制度の改正で、長寿医療保険の悪評がある、さらに療養型病床の大幅な削減というような老後に光を与える施策は何もない。
老人は吐き捨てるように「年寄りは早く死ねと言うのか!」と話す。これが経済繁栄を勝ち得た日本の偽らざる姿?
 地域に返す医療、福祉    この施策を支える仕組みが地域に育っていない。同時並行で整備すれば良いのか?その事を力を入れて行っているのだろうか?
実際は地域サービスに掛ける経費も削減され続けている。
 そこで内部批判覚悟で言わせていただく。地域に存在する寺が本来の役割を行うべきだと。チャンス到来。今の現状は病院で亡くなると葬儀屋さんが間に入り、家族と寺と葬儀の段取り、それからが坊さんの出番。亡くなった本人との生前での接触は殆どない。
 仏教系の幼児教育の実践がこれだけ広まっているにも関わらず、死までの大切な期間に関わることがない。
伝道の為の布教法は宗派ごとになされている。だが、時の流れが止まっていると私には感じる。現代人が何に不安を感じ、迷い苦しんでいるのかという事に対し、積極的に関わろうとしないではないか!
 寺の継承が世襲制になっている事が実は一番の理由だと思う。豊かな寺院と貧しい寺院の格差が大きく、住職の生活も
違う。医療の分野で小児科や産婦人科になる医師がいないという事は、医業の厳しさはもちろんだが患者からの訴訟問題がある。一方、寺院にはお布施が高いという不満は良く聞くが、訴訟問題までは至らない。まして亡くなった人が成仏できなかったから坊主を訴えてやるという事は聞いたことがない。

835:県国保連

3年間で10億円の横領。愕然とするような事件がまた起こった。それも保険絡みの事件。一人の会計担当者が公印を無断で使用し、複数の口座より引き落としていた。そして、事件発覚は自らが警察に自首して判明したのである。
 どうして今まで解らなかったのだろうか? 県は昨年の定期監査で「職員相互のチェック体制が弱い」と指導したという。その指導の根拠はどこにあったのか?
 指導以前の問題、それも3年もの複数年を決算時点で帳簿と預金残高の確認をすれば一目瞭然のことだろう。それすら為されていなかったということか?何と3年間を日割り計算すると1日に91万円、毎日口座より引き落としていた計算になる。それも1095日間もである。銀行もおかしいとは思わなかったのだろうか?
 地元紙には理事長始め役員が頭を揃えて謝罪会見・・・・・・。実は我々も国保連とは縁がある。支援費制度になったときに全国に先駆けて請求を国保連に1本化したのである。請求が間違えると電話で何度も担当者と事務が連絡を取り合っていた。喩え1円の誤差をも許さない。私どもの事務員もピリピリしていた。当然と言えば当然、公金の請求だから故意でなくともミスは許されるべきではない。それがどうして国保連内部での不正経理が見抜けなかったのか!保険料取り扱い額は6,000億円にのぼり、職員は臨時を含めると200名の事業体である。
 容疑者は何にこの大金を使ったのか?競艇であったという。
 気になるのは横領された10億円は一体どうなるのだろう? 本人が返すのであろうか?返す金があれば最初から自分の金をギャンブルに回せよ。不足金を保険者である県内44市町村が補填するのだろうか?
 いやー全く、悲憤慷慨、開いた口が閉じない。
とにかく社会保険庁のムダ使いの実態と言い、今回の事件と言い、何を信じて良いのか解らない。
 保険料を払わない人がまた増える可能性がある。
一方明るいニュースもあった。昨日、県庁に用事があり、障害福祉課を訪れた。新たな体制で忙しそうにしていた。
 「今度,課内に知的障害の人を雇用することになりました。」という話を伺う。茨城県は障害者の法定雇用率をクリアーしていなくて、行政が自ら範を示すことになったようだ。簡単な事務をやってもらうらしい。週30時間勤務とのこと、6月1日採用で公募すると言う。意欲のある明るい方が望まれる。水戸が近ければ私の所のメンバーも応募したいものだ。
 県庁だって一生懸命少ない予算の中で努力されている職員が大半ですよ。お世辞抜きでこれは自信をもって言えること。
 しかし、上記のような不祥事が起これば一般の人はそうは見ない。公僕がなんだ!というお叱りの言葉。連帯責任か。
 事件の解明は司直の手に委ねることしか無い。だが、内部からの自浄力を私は期待する。その意味では今回障害者の方が県庁の13Fに仕事の場を得ることは大きい。
 

836:挨拶の妙

お早う!こんにちは!今晩は!・・・・挨拶を交わすことは大切ですね。メール上でも同じ、それからHPで私が好き勝手に書いているこのコーナーも然り、私は誰かが読んでくれているという意識を持って書く。
 時には、自分だけで心中を吐露するだけの事も。それが大半かもしれません。どうも耳障りなことや気になることが多すぎます。もっとゆったりと気持ちを落ち着けてと思います。
 尚恵学園の仲間達は皆さん挨拶が上手です。正直やりすぎる傾向がありますが。100メートルも離れたいる高台から「おはよ、おはよ」と声を出しているNさん。毎朝、ガラス戸を外から叩いて「きょう がくえんへ いく?」と返事をしないと何度でも繰り返すMさん。そうかと思うと道ですれ違ってもウンともスンとも言わないUさん。こちらが声を掛けると一瞬ビックリした顔をして立ち止まり、ニッコリ笑顔を返すYさん。
 この挨拶の遣り取りが毎日あります。ここに繋がりを感じるわけです。
それから、事件が起こると精神鑑定を行いますよねー。あれって有り難迷惑です。最近、理解に苦しむ事件が多いでしょう。そして新聞の記事などを良く見ると、発達障害とか心神喪失とかという医師のコメントを乗せます。
 しかし、良く考えて見ればどうですか?人間誰しも何らかの心身の異常や発達のバランスが崩れているものですよ。それを敢えて犯人や容疑者に対して付け加える。加害者に精神的疾患があれば免罪符となるような今の刑法も考えるべきだと私は思う。
 もし、誰にも隔てなく道ですれ違う人に「お早う」と挨拶をする人には、どのような病名をつけるのでしょうか?触法行為というものがありますよね。でもね 法に触れない人って存在するのですか?
 今面白い本を読んでいます。宮沢賢治と石原完爾の比較思想、一体この二人に何か共通するものがあると思いますか?
同時代の人という共通点はあります。それ以外に?
 世が世で有れば、お二人とも異質な人間の部類に入るだろうが、過去の人間という視点に立てば、方や理想郷を満州に作ろうとした軍人、方や詩人として確固たる位置を得ているわけだしね。
 寧ろ今、本当に必要とされる人間は、この国を一体どうしたいのかという明確な意志をもっている人だと思う。もし、今度国政の選挙があれば、政党を選ぶのではなく、その人の人間性に投票すると決めている。言葉では立派な政見をいってはいるが、地元に冷たく中央に優しい人間は政治の世界から去るべきだ。残念だがその人の力を頼る人間もいるだろう。しかし、頼み事をして何らかの見返りを要求されないのですかね?????
 よーく 考えてみな。
 心ある挨拶のできない人間は、国政に長くいること事態が既に資格を失っている。多分、そんな人は本当に自分の正直な心中を話せる人が身近にいないんだと思うなー。仮面舞踏会を毎日やっているようなもんですよ。

837:活性化

活性化=activate.   refresh  いずれも聞いたことの良くある言葉。だが実際に行うとなれば大変だ。昨夜、某宴席での話。最近、つくばエキスプレス開通の効果であろう、観光に来られる人が増えているという。それもつくば周辺の限られた地域。この人達は殆どが日帰り組みである。東京湾周辺、京葉地区には立派な大規模ホテルが建っている。これはデズニーランド目的の客や東京を観光の目的にした外国人が宿泊するために次々に建てられたもの。日本一人口が集中している首都圏だから、それ以外の利用客も当然ターゲットになっている。
 料金も千差万別、大型ホテルは多機能に作られている。宿泊以外に会議や宴席のニーズに対応している、最近はホテルの地下街などアミューズメント街にして客を取り込む。
 話は昨夜の宴席で女将さんとのやりとり。どうにか土浦に観光客を引き寄せられないだろうか?という話で盛り上がる。最近、新聞報道があった京成ホテル跡地に週末マンションとアミューズメントビルを併せた開発計画、これは霞ヶ浦という日本第二位の湖を最大限に活用しようとする構想だ。年齢層によって当然魅力のあるスポットは違う。戦前戦中派の人にとって、霞ヶ浦航空隊予科練は懐かしい思い出である。昔、土浦駅にはボリューム一杯に上げた予科練の歌がスピーカーより流されていた。市民からの苦情があって取りやめになったと聞いている。
 戦争を美化したり、鼓舞する意味ではなく、むしろ戦争の悲劇を伝え一緒に平和を考えていく意味で土浦の持つ歴史は大切だろう。
 昨年だったかツエペリン号という飛行船を飛ばすイベントがあった。それに昔、潮来まで周遊していた船(以前はさつき丸と言った)はジェット船になり週末は観光客相手に運行している。
 一方、議決に戸惑っていた駅北口開発、図書館など公共施設が膨大な予算を投じて計画されている。
このプランが現在の図書館利用者のみを対象にしているのでは意味がない。茨城は筑波山と霞ヶ浦という万葉の時代から名を馳せた自然豊かな地域である。この豊かさは何にも増して誇れる自然の贈り物。
 だが利根川を挟んで茨城は20年遅れているという話も昨夜出た。それは住民の意識の問題。お客さんの立場になることが苦手な県民性。別に余所から人を呼ばなくても充分生活できた時代が長かったから、無理して集めようとしない。アクセスが便利になり多くの都民が週末に訪れるようになりつつあるという。その中でどれだけのリピーターがいるだろう。
もう良い、一回行ったからという反応はないだろうか?
 それに、イベントや企画のネットワークが弱い、単独での行事はあるが、それが点としてしか存在しえていない。一番の例が花火大会である。あれだけ大規模に行い、30万人近い人々が一夜だけに集まる
 町村合併を意図しようがしまいが、つくばや土浦が強調して魅力ある街作りをするべきだ。『活性化への助走:1ステージ』

838:冥福の願文

また、一人の仲間との別れを経験しました。本日、神宮寺の本堂で仲間達と一緒に密葬を行います。昨夜の仮の通夜にも多くの仲間が参列し、故人との別れを惜しむ時間を持ちました。
 驚いたことは皆さんが式の間、静かにしておられることでした。彼等は共に過ごした月日の長短に関わりなく心のどこかにお互いを認め合い、愛おしむ気持ちが芽生えているのです。享年48歳でした。彼は20歳の時に私どもの新設した成人寮に入寮されました。それからのお付き合いで不思議なことに今まで一度なりとも入院したことがなく元気にすごされていたのです。人の命は、儚いということを痛感します。搬送された病院でご両親と一緒に語らう時間がもてました。様々な思い出を話していただきました。
 私は今までに多くの仲間達との別れを経験しています。一人一人の個性があるように、旅だっていかれた姿は全ての人が違います。
 そして、本当に多くの教えを私達に残されていかれました。共通することは遺影を見つめていると皆さんが笑顔で純真無垢な心そのものということです。そして語りかけています。
 その思いをどう受け止めていけば良いのでありましょうか?《中断》 9時から行う密葬に行きます。
 頭の中が整理がつきませんでした。それだけ人を預かる仕事の重みを感じています。今、私どもを利用されている方が160名となり、皆さんが高齢化と何らかの身体的疾患を併せ持っています。これからは毎年同じような事が起こり得ると思っています。
 昨日、お母さんが独り言のようにおっしゃた言葉が耳に残っています。「息子は親孝行です。」これが何を意味しているのか解りません。無くなる丁度1週間前に家族会の役員会があり、役員をされているお母さんと私は立ち話で「Hさんが入院でもしたら、大変だよね。」「そうです。その事をお父さんと話していたんです」
 その心配が徒労に終わった、彼は病院へ運ばれて4時間ほどで学園に戻って来たのです。なんと彼らしい最後だったのでしょうか。精根尽き果てたというのでしょうか潔い逝き方でした。
 国の施策の中で様々な論議がされています。私は入所施設での経験が大半です。我が子を施設に預ける親の自責の念を何度も聞いてきました。学園からの電話をいつもビクビクしながら待っていること。子供の生活と自分達が別に生活をしている。家族団らんの一時に、その子がいないことでどれだけ自分達を責めたことか。
 人間、誰しも我が子の幸せを望まない人はいない。その事が解っているから利用者の皆さんは、様々な形でその思いを表す。問題行動と言われても彼等にとって、その方法でしか意志を伝えることができない。
 これら全てを家族は承知していることなのです。
 福祉の仕事は、本来お金でサービスをはかるものでは無いことの一番の理由が実はここにある。いま、確実に福祉や医療が後退期に流れが変わった。一体、この国の人達は、何のために豊かさを追い求めてきたのでしょうか?ほんの一部の勝ち組の方達の自己満足を得るため?
 その根本的な問いかけ確認が無いまでに走り続けてきた大きなツケが今出ているのです。これは政権与党野党に関係なく全てのバッジを付けている人達の責任である。「山口県の補選の結果に一喜一憂している政党のなんとピント外れの実態」貴方達は自ら痛みを感ぜずに大層らしく振る舞わさんな!国体を真剣に考える人の出現を待つしかないのか。
 今の医療現場で進む、高齢者への仕打ちは、当に国の威信に関わる問題だと思います。繁栄を勝ちえた結果、どんどん不安が増える世の中は、どのような理由をつけても万人の理解を得ることはできません。
 その事を国の政治を預かる人や官僚の皆さんに解って頂きたいものです。勇気をもって自らが変われ。

839:障害者団体

日本には多くの障害者団体が存在する。身体障害の中でも聴覚・視覚・肢体等々障害の内容により別れている。そして障害を持つに至った原因によりまた異なった組織が作られた。傷痍軍人による組織は全国でも多くの会員があり、活動も活発であった。戦後60年以上が経ち、当時とは趣が大分違ってきている。新たに薬害被害者などによる団体も生まれ、今、障害者団体と言われる組織がいくつあるのか解らない。
 国は、それを一元化しようと考えた。障害福祉には年金の問題がついて回る。それは憲法で保証されている基本的な権利である。生存権を守るための収入保証として年金があるが、その額に満足している人はいない。戦後間もない頃と今では状況が全く違うから当然のこと。
 今回の制度改正に伴って、様々な問題が表面化している。それは元々が多様な対象を一つのルールでまとめようとするから起こった。障害者本人だけでなく、サービス提供する事業者も規制緩和の元で様々な事業主体が生まれている。
 それと混乱を引き起こしているもう一つの原因として、従来の国→県→市町村という縦の流れが変わったことも大きい。
 これは受益者のより身近なところでの事業化をねっらったものなのだが、制度の理解が十分に末端に行き渡っていないから対応格差が問題となっている。何しろ合併から日が浅い小さな自自体では専従の担当者がいない。掛け持ちをいくつしているか。
 更にここ1年は年度途中での変更が多く、市町村レベルでは大混乱している。制度を理解して受益者に情報提供するまでにいたらず、申請主義で窓口対応で福祉をやろうとする。これが実態です。
 更に追い打ちを掛けるように、社会保険庁の長年積み重ねてきたズサンな管理実態が表に出た。国は法律で保証している事業の原資も覚束ない。それを埋め合わせるために新たな仕組みを作った。これがなんだか訳が分からない後期高齢者医療保険、国民健康保険の未払い者の数が増加し続ける。そこで頭の良い人が考えた取りぱぐれの無い方法で年金天引きという仕組み。
 これがお年寄りに評判が殊の外悪かった。「早く、年寄りは死ねというのか!」という罵声が飛び交う始末。そしたら、再度見直そうという動きがチラホラ。全く障害者自立支援法と同じだね。
 国民は何を望んでいるのか? この基本的な問題を充分調査しないで制度をつくるから、いつも、途中での方向転換になる。誰の責任???
 多分、どのような事を考えても今の仕組みの中では大差がないだろう。制度を作り上げた者は、それが法制化する頃には異動になっている。前任者がつくったものですからという責任転嫁。
 本当の危機感を持ちながら事に当たってはいないからだ。どうにかなるよという雰囲気が国会にも官庁にも充ち満ちている。一方、国民サイドにも問題あり、我が利となるための要求を際限なく行う。国としての正否を計る基準が存在しない。道路族は既得権益は死守する構え、その政治家に建設土木の関係者が後押しする。全てが同じ仕組みで成り立っている。
 障害者団体も実はこの歴史の中で育まれてきた、熱を入れれば入れるほど矛盾を感じてしまう。運動を展開する人の関心事はどっちの政党に肩入れしたほうが有利かという視点。利用者本人の視点はいつの間にかどこかに置き忘れてしまう。
 それに疑問を発するものならば、イジメにあう。これが実は日本の現状ではないでしょうか。
昨日、県内の障害者5団体の代表者が集まり、意見交換を行った。従来の形骸化した団体協議会への不満を持つ人達の集まりだった。その幹事役を仰せ付かってしまい、些か困っている。

840:春の息吹

男体山 5月2日
奥日光男体山の立夏を待つ山容。山頂付近にはまだ雪が残る。光徳小屋の管理人さんから送られてきた数枚のスナップ。
 あれだけあった雪も小屋周辺には履き貯められた所に残るだけ、草原には新芽が顔を出し、春の息吹を感じさせてくれる。ここ数日の夏を思わせる陽気は、奥日光にはまだ来ない。徐々に夏を感じさせる澄み切った風が小鳥の囀りと共に楽しめる季節がそこまで来ているはずだ。
 私自身冷静になれる時がある。それは昔見た風景に接するときである。定期に通院するようになり、診察を終えて立ち寄る場所が出来た。それは神立とは反対の大岩田周辺の霞ヶ浦の湖畔、湖を挟んで私の住む地域が手野・田村・沖宿の集落の奥に望める。そのまた背景になっているのが筑波山、上記の男体山ほど標高は無いが、関東平野に聳える独立峰、四季を通じ様々な姿を見せている。
 大岩田周辺の田圃のあぜ道を運動靴に履き替えて30分〜40分程度歩く。あれは小学生時代だった。初めて担任になったT先生の自宅が近くにある。友達と先生のお宅の裏山で遊んだ記憶がはっきりと思い出す。その先生は若くして血液の病気で亡くなった。もう50年のという月日が過ぎ去ったのだ。
 人間の一生は、なんと儚いものだろう。私は最近、自分の人生を折れ線グラフに表して見ている。意識してそうなったわけではないのだが、人生の浮き沈みが確実に右手に向かって伸びていく。横軸は時の流れ、縦軸がその時々に起こる出来事。トータルすれば中心の横線ゼロに限りなく近づくようだ。
 先月、内部の会議で「今が一番平和な時期です。入院している人も誰も無くて、新人を迎え、スタッフも張り切って新年度がスタートできました。でも、束の間だと思う・・・・」
 当にその想いが的中した。長年我々と生活を共にしたKさんが48歳で亡くなった。それと家族会を盛り立ててくれていたY会長が燃え尽きたように72歳の人生に終止符を打ったのである。
 大切な人が先立っていく。これはある意味では仕方がないこと。私にとっては様々な薫陶を受けた人達だ。お互いが励まし励まされてきた。そして、その思いをいま託される。
 横軸の中間線(ゼロ)には限りなく遠くマイナスの心境にいる、これから果たして上昇機運に転ずることができるのであろうか?
 園全体が不安に苛まれる。
 昨日、緊急に全職員を集め、経過の報告とお願いをした。我々の仕事は、重い仕事である。人の大切な命を預かる。その人達が確実に高齢化し、様々な身体的ハンデイを背負っている。家族から託されて、日々の生活を送るのだ。それも長期にわたって。
 5月に入り、様々な会合が目白押し。貴重な時間がつまらぬ会議に取られるのは無性に腹立つ。
 20年度もスタートし、1ヶ月が過ぎた。さて、いつまでも、このような状態でいられるはずがない。
朝から学園に行く気になれない。年間に数日そのような気分になることがある。どうも今日はそのうちの1日だな。身の置く場がなく朝から草取り始めた。境内が広いから一人でいくら這い蹲って草取りしてもたかが知れている。無我夢中で頑張ったわりにはどこが綺麗になったのか分からない。1週間も経たないうちに今日抜いた場所にまた草が生え出す。元の木阿弥

 散歩で通りすがる人が2人ほど「ご苦労様です、」と声をかけてくれた。一瞬気分が良くなった。
その中の一人はいつすれ違っても自分から挨拶しない人だった。だから今日は何かあったのかと疑った。実は草と格闘しながら、いろいろな事を考えている。結論などでない。
 雑草だとは思うのだが小さな花を咲かせているものがある。それは抜かずに置いておく。厄介者はスギナと篠竹だ。根が深く、手では抜けない。この何れもがどこにでも入り込んでいく。根で繋がっているから、一本抜いても全く意味がない。
 このしぶとさは一体どういうものか? 人間にこれだけの生命力があれば凄いことだ。

841:5月連休

大型連休後半に入ったという。何が連休だ!どこにあるんだ!腹立つわな。こうやって巷では騒ぎたてるから。休めない人は異端者かー。連休ならばマスコミも休めーてーんだ。  これはいかにも我が儘というものですかね。見たくも聴きたくなければテレビも新聞も見なけりゃー良い。休み無く、この国は動く。国全体が精勤賞ものだ。時間よ止まれ!
 東京に行くといつも不思議に思う。駅などのエスカレーターを乗っていれば運んでくれるものを、せっかちなんだよな自ら歩く、倍速歩行だ。これが東京と大阪では歩く側が左右逆だという。どこでそのルールができたのだろうか?
 最近、地元の方と立ち話をした。二人とも定年前にこの3月で勤めを辞めたという。一人は大きな農家だから大した仕事もないのに格好だけはびしっと決めて田圃にいた。笑顔で畦道にたっていた。もう一人は通夜の席、場所も場所だが、何か沈んでいて、これから何をやるかーなとか言っていた。マージャンでもパチンコでも堂々とやればー。
 この二極分離は、どこから来るのか。彼等には毎日が連休だ。さーどうする。
一方、悪言尽きぬ私は毎度計画倒れ、全ての休日に法事が入った。法事5連チャン。世間様が休みの時は休みじゃーない。今も白衣を着てパソコンに向かう。悟りを開いたのが坊さんではなく、悟らないとやってられないのが坊さん。これ真理です。
 ちょっとまずいかな?良いか・・・ばらしてしまえ。 私は任天堂のwiiのお世話になっている。特にバランス運動のサッカー上級に挑戦。先日の坊さんの会合、宴席に入り、私の真向かいに座った○○寺の住職、「おれもよーwiiやってんのよ」「なんで自転車やめたの?」「うだー」100キロ近い坊さんがテレビに向かってフラフープゲームで腰をグルグル、それを想像したら笑いが止まらない。相手も同じ思いなんでしょうね、私の顔を見てニヤニヤ笑っている。彼は大師巡りを毎年行っている。100ヶ寺以上を檀家さんと廻る寺の行事。彼は10日間で3キロ太るというのだ。私には理解できない。「何で?普通やせるんじゃーねーの」「違う、接待を受け、折角だからご馳走になるので太ってしまう・・・・」「??」
 彼も自坊で幼稚園と保育所をやっている。

842:起請文

おだまき
誓文なるものは懐に深く秘めて置くべきものであろう。ただ、今回の場合はどうしても書き示したい。それは故人の達ての願いであると解するからである。
 実名を記すことも許されると勝手に判断する。尚恵学園の3代目の家族会会長吉川國弘氏の葬儀が今から行われる。
九州熊本で生まれ、井関農機で獅子奮迅の活躍をされた。特にコンバインの設計においては世界大会で優秀賞を得るという勲功をたてる。次男が障害を持って生まれ、縁があって尚恵学園に入所された。
 その後20年以上の私との付き合いとなる。持ち前の企画力と情報収集に関しては比類ない力を発揮され、家族会をまとめてくれた。
定年後、様々な分野で活躍され、赤根塾では主力の幹事役で会の運営に力を遺憾なく発揮する。その傍ら横浜八州学園大学で教壇に立つ、この4月まで一人で杖を頼りに横浜まで行って講義をしていた。平成11年に病に罹り、その後の闘病の生活、何事に前向きな生き様は周囲の者を心配させるほどであった。
 自由闊達な性分と物事の真理を突き詰める動物的感は鋭い、常に障害者の福祉に対して理想の姿を追い求めた。
私の手元に吉川氏から頂戴した三冊のファイルがある。いつの頃からだっただろう?不治の病を自覚されてのことと思うがきちんと整理された氏の想いが一杯に書き記されたものである。尚恵学園に託された膨大な課題が記されている。
 氏は家族会の和と地域を大切にしていた。酒をこよなく愛し、泊まりがけの研修をしたいと何度も提案されていたがついに実現できなかった。
 亡くなる二日前に緩和病棟の病室で面会ができた。私が望んで家族にお願いしたからである。私が訪れると横たわっていたベットから身を起こそうとされる。そしてメモ書きしてあった紙を指でさするように説明してくれた。意識が朦朧としている中で、何かを伝えたいということだったと今思う。
 長居は体に障ると思い、帰ろうとする私に、両手を合わせ頭を下げられた。
 72歳までの人生は当に燃え尽きるようなものであった。気がかりな事といえば、次男の事である。その事は何も言わなくとも私にはわかる。親の願いは、いつになっても変わるものではない。
 昨夜の通夜の席、最後まで参列できた次男の姿が目に焼き付いて離れない。
昨夜の通夜から葬儀、本当に多くの方が弔問に来られていた。氏の交際の広さを感じる。
 感動的であった熊本時代からの友人の弔辞、誰もが涙した。56年間の付き合いだというから、家族以上にお互いが許し合える仲なのだろう。霊柩車を見送る時に、その方と立ち話をした。高校それから熊本大学と同じコースを歩み、井関農機と日立製作所と職場は違っても、同じ茨城県人となって長く付き合って来られた方だった。
 見送る方も見送られる方も共に辛く悲しい。
 君の死は10年早かったと弔辞の最後に述べられた。それは残していかれる家族への心からの慰めとも励ましとも取れた。 

843:子の喪主

10日間法事と葬儀が続いた。これは異常な事態である。さすがに精根尽き果てました。今日は26日に亡くなったKさんの葬儀、親が子の喪主になる。順番から言うと逆をみたことになる。そして昨日は利用者のお父さんの葬儀があり、本人が参列した。親と子が逆転した葬儀を同じ斎場で続けて行ったのである。
 私はいずれにも弔問者の席に座っていた。すると様々な声が聞きたくなくとも聞こえてくる。参列者の皆さんがある程度の事は分かっている人達であっても、反応はマチマチ。家族は我々との関わりを弔問客に説明されている。この負担も実は大きい。特に利用期間が20年30年となれば尚更だ。
 今回2件とも祭壇に生花をあげさせて頂いた。「尚恵学園」という名札に誰しもが関心を示していた。今までに、生花を辞退される場合もあった。
 家族の事情によって様々。中には亡くなった事を学園には知らされず、後で分かる場合だってある。
出来るならば通夜葬儀と家族と一緒にすごす時間を持たせて欲しいのだが、複雑な事情を如実に表している証拠。決して無理強いはしないように担当者に伝えてある。
 さてと、物思いに耽っている閑などない。肩を脱臼した仲間がいて、通院するがどうも自分で脱臼させてしまうようだとの報告あり。矢継ぎ早に熱を出している方が何人か出ているという電話も受けた。日々繰り返されるこれらの出来事、我々施設の実態は何れの所も同じようなものである。この実態が一般の人には分からない。清宴の席だったろうか施設を利用できている人はまだ良いという話が出た。確かにそうかも知れない。
 老々介護実態の特別番組が放映された。果たしてホームヘルパーが時間で訪れるだけで充分なのだろうか?自己負担の関係と認定区分で我慢せざるをえない現実、お粗末な福祉は一向に改善の方向が見えてこない。
舛添さんが自分で母親を看取ったという経験を大臣に就任するとき話されていた。しかし、今回の保険改正に当たってはその経験がどこにいってしまったのだろう。私は老人にまで医療費の負担をかける国は許されないと思いますね。それに障害者についても全く同じ、一体この国は誰の為に貴重な税金を払っているのでしょう。誰彼構わず容赦無くむしり取ろうとするわけですか!
 道路特定財源の問題にしても、何か不透明感が払拭できない。そう思いませんか?多分国民の大半がそう思っているはずなんだが、口を閉じて言わないんだわな。これこそ国民の責任だ。
 ある地方選出の議員がこんな事を言っていた。「地方は道路でも造らないと経済活性化ができないんだ。他に良い方法が有ったら教えて欲しい・・・・・」ある意味ではホンネだね。堂々とそう言えば良いじゃないか。だがね、それは教えてもらうんじゃーねーだろう。自分達で考えてみろや!
 国会議員なんだろうが。どれだけ税金あんたが使っているんですか。答えが無いならバッジは返上しなさいよ。
 実は我々も地方格差をどうにかしないとと思っていますよ。しかし、全く中身が違うんだわな。このギャップはすごい。これこそ格差是正が必要かも。
 ガソリン税を道路財源だけに使うのではなく教育や福祉に一般財源化して活用すべきという意見が多い。どう考えてもそうでしょう。マスコミは恐いよ。いくらでも編集で世論調整できるんだから、そしていずれの政党も踏み込めない。どうして?これは一体何が原因していると思います?それは責任の取り方に問題あり。回り回って墓穴を掘る結果になるかもしれないからかな?
 誰がそれを決めるのかという事への自信の無さ、それと不信感だけでしょうね。困ったものです。結局は票が読めないってことかな。我々が何を優先するか。・・・・〈2件の葬儀を終え、自問自答した〉・・・・・
 

844:無題

・・・・悟りに至る道とは、ある意味、煩悩を陶冶していく過程でもあるのだが、それがもし人間的感情を否定することであるのなら、まさに精進とは「つめたい」と表現するしかないものであったろう・・・・・宮下隆二「イーハトーブと満州国」より。
この文章は宮沢賢治と石原完爾の事を書いた一節に出てくる。
 そうね!もし仏教を行ずることが人間の感情を押し殺したものであるならば、果たして人間は仏教に救いを求めただろうか?
 本棚にズラリ並んだ仏教書、禅あり浄土あり密教までも、この膨大な書によって安心を得ることができたのか!
知識と実体験、そして信仰は決して無関係ではない。最近の目を覆いたくなるような出来事を考えるとこの国の行く末を案ぜずにはいられない。石原も宮沢も理想郷を描いた。彼等が考える日本の有るべき姿と今の日本に一致点が見いだせるか。
 憂慮しても始まらない。しかし、最近「硫化水素」なるもので自死する人が増えた。スーパーで誰でも簡単に手に入るものを混ぜ合わせる事で可能となる。ネットで方法を指南するから防御の術を持ち得ない。何故お節介なことをやる人がいるのか!
 今の既成仏教が果たして。これら思い悩む人々に何らかのメッセージを発信しているだろうか? もし、葬式を請け負うだけの役割で満足?しているとしたら仏罰ものである。それが古来から受け継がれてきた事相(方便)と別次元。
 そう言うお前はどうなんだ?
今年の連休が今日で終わった。私にとって休みが無かった。その時考えたこと、仏教は何事も無いときには不必要なものなのだという事。知り合いでハワイに行った人がいる。人混みの中に敢えて行こうとも私は思わないが、多分その人にとれば満足を得た時間がもてたのだろう。
 一方、連休中にも毎日のように事件報道があった。いずれにも他人には知り得ない事情がある。この対比が殊の外際だっているのが現代である。
 これら全てを覆い尽くすものが自然現象だ。ミャンマーを襲ったサイクロンは4万人以上の犠牲者を出したという。この自然の猛威に対して人間は無力である。長年苦労して築いた財産が一瞬にぶちこわされる。
 時間軸でみると、またゼロからの出発か?命が助かったものは、茫然自失しながらも生きながらえた事に感謝する。
 しかし、ミャンマーは今、軍事政権下にあって民主化を望む市民が多く犠牲になった。人為的な圧政に耐えながら必死に生きている人々が大半である。仏教国ミャンマーで現実に起こっている。
 この有様が感情を押し殺してまで悟りを為し得ることとは到底思えない。

845:再構築

戦国の時代ならば敵対する相手との攻防に、常に参謀による作戦会議が為される。陣地や戦略を再構築し、命がけで闘いに臨んだ。実は、私の寺にある身の丈2寸に足らない観音像は鎧の下に掛けて戦地に向かったという守り本尊である。世が世であれば、本堂の厨子に収まっていることなどなく戦に駆けめぐっていたことだろう。
 その仏様はいつ見ても同じ表情をされている。
 寺の縁起より、観音寺:神宮寺が建てられた時代は、南北朝時代から室町時代となり、8代足利義政将軍の時に起こった内乱:応仁の乱と時代が重なる。当に日本中が戦国時代へと突入していく混乱期。
 その観音像は鎌倉時代に作られたというから、寺が神立の地に建てられる以前からあったものである。誰が寺に収めたものかは不明。しかし、刀傷こそ無いが天下統一されるまでの長き時代を守り本尊として駆けめぐってきたに違いない。
 平和を望まぬ人間はいない。いつの時代にあっても初めに闘いの犠牲になるものは庶民であった。士農工商という日本の身分制度には実は裏の話がある。
 「水飲み百姓」という表現と近江に代表される巨額の富を得た商人をどう理解すれば良いのだろう。
 そして「士」は、単に武士のみを表した言葉ではないという。現代風に言えば、弁護士、博士・・・など役人や文化人を示していたというのだ。 戦国に名を残す武士の武勇伝には、かなり虚飾されていたものがあるとは思う。先陣を切って敵に突入していく兵は槍、刀という自分の身を守るだけの武器をもって臨んだ。平時には鍬をもって田畑を耕す、そんな人達であった。
 当時の「士」と言われる人達にには「侍の魂」があった。戦に負けた時には、自らが腹を切り責任を果たす。
 もしも、現代において「士」と言われる人達にその精神があるのかと言えば答えは完全に「NO」となる。
 「士」は今の時代にはいないと言えばそうかもしれない。しかし、国の将来を左右する決め事に関わる人はいる。
それは役人であり政治を行う人である。その自覚がない。
 人間は、引き際を見極める事と責任を取ることが重要である。政治に関して言えば、所属する政党を渡り歩く者にはその自覚と責任が欠如している。
 少なくとも社会保険絡みの無様な実態を見抜けなかった時の大臣は、潔くその責任を取るべきだと思う。知らなかったで果たして済む話でしょうか!何か腰砕けの実態を見るにつけ、そのような人間に国の医療の将来像や福祉論を述べていただきたくない。その事を私は切に思う。
 さて、本筋に話を戻す。「再構築」は出直す勇気だと思う。責任を取り、野に下り、ゼロから出発すべきだと。
 その事を選択する権限は、実は票をもっている我々庶民にある。

846:愚公移山

胡錦濤主席が来日し、凄まじいスケジュールをこなしている。昨日、早稲田大学での記念講演の様子がLIVEで流された。原稿を予め準備しているとはいえ、見事なまでに纏め上げている。私はラジオでその話を聞いた。一瞬、間があいた。そして観客からの大きな拍手、先の日本との戦争に触れた時である。両国にとりもっとも関心が強く、アキレス腱的過去の出来事。その事に対して観客から拍手が出たのである。
 その後、福原愛さんとの卓球の試合、思い出すのは先に福田首相が温首相と野球のキャッチボールをしたこと。その時は温首相は野球のユニホームに着替えて登場した。臨機応変な演出?に驚く。周囲の人への気配りというか印象を強くする術を心得ている。
 「愚公移山」・・・怠らずに努力すれば、どんな事業でも必ず成功するという喩え。  ご承知のように、毛沢東が大躍進政策推進のため、この句を引いて人民に訴えたものだ。現在、中国は人口13億人という。日本の10倍。その国を纏め方向つけるトップの力量は、想像できない。北京五輪前に起こったチベット問題も中国が抱える火種の一つ。中国は対外政策よりも自国内の統制が難しい国である。5000年という歴史変遷が如実にその事を示している。その歴史の長さからすれば今進められている政策の転換は、まだまだ日が浅い。現実に未解決の問題を抱えていることを内外に認めながら、国の方向付けを行う。中国は世界一の発展途上国であるとも明言した。世界の四大文明の一つというプライドを表に出さず、謙虚に自国の現実を認める勇気に感心する。
 私は、今までに4回中国に行ったことがある。その時間的ズレ以上に変化が早く大規模に行われていることを知った。最初、訪問したのは20年位前だった。街にそれほど多くの車がなく、人々の服装に派手さがなかった。今、上海や北京の目抜き通りを歩く人々は東京や大阪と全く変わらない。中国人が秋葉原やデズニーを観光や買い物目的で沢山訪れる時代になった。
 一方、わが国は成熟した国という見方が大勢をしめている。果たしてそうなのか?という疑問を持ちながら。
要は、その事をどうとらえるかという事が問題なのではなく、問題を率直に認め、誰しもが望む良い方向にどのように持っていくかという事である。中国と比較した時に、確実に、貧富の格差は中国の方が大きい。家族単位で見れば一人っ子政策の是非は別として、親が子に将来の夢を託し教育に金を掛ける。子はその親の望みに答えるべく一生懸命に勉学に励む
 この活力が日本にはない。政治への関心も全く異なる。日本に伝えられている事は、内政の影の部分だけが強調されていないか?
 一般の市民が政治的な動きをすれば公安が目を光らせ逮捕されてしまうとか高級官僚の汚職の実態など、確かに一面では真実であろう。しかし、日本とはどこかが違う。
 それは端的に言って、他人事として物事を捉えすぎている。自らの国をどうしたいのかという事を腹を割って話ができないのはどちらの国か!
 日本は出来てもしない国である。 

847:地方の活性

地方に行けば昔賑わった駅前通りは,閑散とし歩いている人がいない。車社会になった時に予測できた事態が起こっている。ならば、人や車はどこにいってしまったのか? 週末など郊外にある大型ショッピンセンターにワンサと集まっている。しかし、この流れも最近変化の兆しが見えてきたという。100店舗〜200店舗がテナントとして入居するわけだが、募集しても集まらないという傾向が目だつ。これは投資に見合うだけのメリットがないことが徐々に分かってきたからだと思う。高額なテナント料と場所条件の善し悪し。
 医療も似たような動きがある。病院勤務医を辞めた医者がそれぞれの個人医院を同じ場所に開業する。医療村である。あくまでも独立した病院として複数科に受診希望する患者を取りこむ。院外薬局も1カ所ですむ。
 地方活性を見る尺度として人の動きがある。集まらないのでは話にならない。先ず来てくれた客を一カ所にとどめるのではなく、次なる場所に移ってもらう。そしてリピーターを増やす。人の流れをつくることが活性化を生む。
 自然法則がそうだ。小川の水の流れが勢いが良ければ、水は澄んで水中生物も増える。
最近、ある人と話しをした。それは筑波山への観光客が連休にとても多かったという。だが、あれでは二度と来ないだろうという話。それは筑波山に登る道路の渋滞が凄かったそうで、歩いて登るほうが早い位だったという。
 つくば新線の開通に伴い、景気の良い話は、常磐線沿線からすっかりつくばエキスプレスに移った。しかし、残念ながら客を喜んでもらう受け入れ体制が出来ていない。今、小田山から筑波山に通じる山道の整備を行っているという。万葉の道の再現か、四国遍路ではないが、1泊程度の散策コースはいくらでもできるはずだ。土浦から以前あった筑波線の跡が自転車と歩きコースとして裏筑波まで開通している。
 これも余計な話だが、土浦に老舗の割烹がある。山本五十六元帥や吉田茂首相も訪れたことのある料理店。店構えもそれなりの風格と気品がある。その女将と話をした。土浦の活性化は地元の人だけでは無理、東京からいかに人を呼び込むかでしょう。それには散策コースを何通りか作り、昼食や夕食に店に来てもらう工夫が必要では!
 私に言われるまでもなく、分かっていること。でもどうすればそれができるか分からない。この足踏み状態がもう何十年も続いている。
 地元商工会や観光協会が本気になって対応を検討しているかと言えばそうは思えない。昔からの旦那衆の集まり所帯では無理かな?
 ある意味では今がチャンスだと思う。それは福祉の業界も同じだわな。誰もが飛びつく時代が下火になりつつある。その原因として、起業メリットが減ったことと人材確保の問題が大きい。確かに若い人の福祉離れは一気に進んだ。これは事業所側に大半の責任があると私は思っている。増やせ伸ばせの戦略をとって、事業所の数に追いつくだけの人材育成が出来なかった。それに従来からの福祉のこころに全てを被せてしまう縄文的経営人の存在。これでは若い人の夢を育てることなど到底できない。
 これが実態だ。そこで福祉を活性化させるにはどうしたら良いか。課題が多い。だからチャンスだと私は考えている。
企業秘密です。悪しからず。

848:心象風景

某結婚披露宴席でのこと。
 昔からの習わしとして跡取り(長男)が結婚する時には、地域の人を披露宴に招待する。正直私の年齢になると結婚する本人は知らないが、両親や親戚の方とは話が弾む。
 今日の親戚の方に教員や民生委員をやっていた方が多かった。もう既にその職は辞し、悠々自適の生活のお歴々、酒を注ぎに行くのは私のいつものパターン、高校の同級生がいた。中学時代の恩師の旦那さんがいた。一緒に民生委員をやった方も。そして近所に住んでいるのに殆ど話す機会もない地域の皆さん。
 そんな時、共通の話題は何か? 昔の思いでを語ることである。心に浮かんだ昔の風景や出来事は、不思議なもので年を重ねる毎に新鮮味が増す。
 記憶というものは脳のメカニズムの中で解明することは難しい。認知症や呆けと言われる人々が問題にされるのは、本人の事よりも周りで介護する側の負担からくるもの。音楽や童話、絵画や書など、あらゆる手段を講じてその人の心象に刺激を与える。ここで最も反応が強くでて誰にも共通するものがあるという。それは何でしょう?
 恋愛の感情だというのです。男と女。初恋や片思い。人間は愛されることを不快に感じない。愛されているという自覚が幾多の困難に立ち向かう力となりうる。
 こんな報告があります。
ある介護施設での実例です。男性4人部屋の中に人数の関係からそうなったようだが、女性の利用者さんが1人加わった。
 そうしたらいままで自分では何もしなかった3人の男の方達が、自分から起き出し、自立?したという。
これは明らかに同居する女性を意識しての事であるという報告だった。
 昔は男女を別棟に、夜間はドアで遮断するという監査指導があった。何が根拠でなっていることなのか?
今では国はその事を言わなくなったし、現にGHなどは男女で共同生活する所が増えてきた。
 まー人間の持って生まれた本能は体が朽ち果てるまで残っているものです。医療福祉の社会保障費が嵩むことを強調するが、薬漬けやベット生活で老後を送ることよりも、多いに男女の恋心を刺激し、楽しい時間を保障したほうが安上がりだし、利用者から感謝されるのではあるまいか?
 

849:福祉の原点

混沌とした世の中になった。政局然り官僚の腐敗、三位一体改革を声高に唱えた副産物として中央から地方に疑惑と不正が天下った。この国が目指す方向が誰もが見失った危機状態が続いている。
 
この子たちとのとり組みの歴史は、それはまことにささやかなものでしかなかったけれど、それ自体としては社会のさまざまな矛盾のただなかにあって、人間の新しい価値観の創造をめざすといった歴史的な戦いの一環であったともいうことができるだろう。それはいまも終わってはいない。おそらくは永遠の戦いででもあろうか。」
            『福祉の思想』:糸賀一雄P10 問題の提起より
糸賀先生は京都大学哲学科を卒業後、32歳の時に近江学園を創設した。そして54歳という若さで心筋梗塞で亡くなる。先生が著した「福祉の思想」は先生の知的障害の人達に対する全身全霊をささげた戦いの基本である。「人間は価値として何を問うか」で人間の持つ価値観に言及、未だ成熟していない社会に対し、有るべき姿を提言し、実践した歩み。障害者の生きがいから療育の重要性とその対策、今から約60年前に既に先生は障害児の自己実現と親の育ちに焦点を当てている。地域福祉に関しても地域の資源の充実を訴え、専門職の設置を提言している。
 上記に紹介した文章の中に、先生はこれらの実践が「永遠の戦い」になるだろうと予測している。当を得た意見である。
この先見性は一体どうして可能であったのだろうか?私は今回、3冊目の「福祉の思想」を改めて読み始めている。
 それは常に先生の身近に障害者がいたからである。彼等が何を望み、何が不足しているかが実感できたからである。
残念なことに、社会の仕組みが一応は出来上がった現代においては、制度を作る人達の身近に障害者がいない。
 関係者も当然なんらかの意見を述べる機会はあるはずだ。しかし、正直いってその意見が障害者の人達の総意となって全面的な後押しを得ているだろうか?大いなる疑問がそこにはある。
 仏教には事教不二:自利利他という考え方がある。今の動きが逸脱しバラバラな活動となる危惧は、そこにある。
 「事」・・・実践行動 「教」・・・思想理念  事と教が一体となっていますか?本当に障害者の生き甲斐を図る取組は、決して事業の予算規模や外観では推し量れない。糸賀先生がいみじくもお話になった「まことにささやかなもの」の真意がどこにあるか分かります?
 これは福祉事業の経営責任者への問いだ。。先生が述べられた「人間の新しい価値観の創造」とは何か?
 この問いへの答えを見いだせない。
 周囲の事をとやかく言っても仕様がないと私は思う。今、自分ができることと言えば、誠にささやかなものであるが、終わりの無い戦いに自らの足で臨むことであろう。
 少なくとも「福祉の思想」を我々後人に残してくれた糸賀先生に心から感謝して。

850:福祉の道行

 「・・・天使と見ようが、仏さまと見ようが、天才と見ようが、それは見る人の勝手である。このひとたちが、じつは私たちと少しもかわらない存在であって、その生命の尊厳と自由な自己実現を願っており、うまれてきた生き甲斐を求めていることを友愛的に共感して、それが本当に社会の常識となることへの道行が「福祉」の内容となるのである。・・・・」
同上掲載:P64〜
 「身体障害者、精神障害者その他の病気にたいする治療や対策は長足の進歩を示したにもかかわらず、われわれは精神薄弱問題のために国家的な集中的調査研究を行うことをあまりにも後回しにしてきた。この誤りも是正しなければならない。心身障害者に深い関心を持つように、叡智と人間性は命令する。ーわれわれがこれら薄幸の人々に関心を寄せるのは、単なる政治の指標のためではないし、また国家の利益や人的資源の保護のためでもない。それはアメリカの未来を拓く鍵だからである。」  ケネデイ大統領演説より
 この二文から貴方は何を感じますか?
糸賀(敬称略)が言う「友愛的な共感」を持ち合わせているだろうか?事業家と成り下がった輩がこの業界にウジョウジョしている。それは障害者のためという触れ込みとホンネとのギャップ。
ケネデイ大統領は身内に障害者がいた。銃弾に倒れなかったとしたら、彼はアメリカの未来に何らかの鉄杭を打ったに違いない。それは当に糸賀のいう天使と見ようが、仏さまと見ようがと言う表現に合致する。信仰することはその人の自由であり、他人がとやかく言うことではない。宗教戦争は相手を有りの儘に認めようとしない。いかなる理由があっても武力で相手を抹殺する事はゆるされない。その事をケネデイは訴えた。
 その彼が銃弾によって生命を落とす。何ということか?
 福祉を声高に叫ぶ政治家の皆さん!「単なる政治の指標」となっていません?「指標」とは「物差し」です。だから今の日本の社会保障の方向が見えない。築かれない。この事を真剣にどれだけ取り組めるかです。
 今、我々に必要な事はなんだろう?
「やってきたじゃないか」というフィードバックかもしれない。福祉の基本は下記の意味において糸賀の時代から進歩せず、むしろ後退した。
 それは抜本的改正とうたいながら、何一つ、満足できるものではない。要はそれらの道行が社会の常識と成りうるかという視点での改正であるべきだった。
 利益至上主義に化した日本の中で、様々な問題が起こっている。それは真剣に原点に戻れという「叡智と人間性の命令」だと思うことだ。
 人間性は科学や生活の豊かさでは決して満足させることなどできない。その事に気付くべきなのだ。
 糸賀の時代、西欧の福祉から100年遅れと言われた。しかし、その時に、「ただ単に悲しむべきおくれとして受け取るだけでよいのであろうか」という疑問を呈する。そして、「私たちは今日100年のおくれの故にかえって、新しい人間の価値観に立って、事態を見直すことがゆるされているともいうことができよう。」と述べている。これを確認出来ず、54歳でこの世を去った。
 衆議員の解散選挙にしろ、内閣不信任提出にしろ、今の日本の政治は票読みの「指標」でしかない。その事ははっきりしている。ガラガラポン、この指止まれでいきませんか!