源究62

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
751 ミニ同窓会 1/6 756 早春賦 1/12 761 書籍店 1/18 766 ボケ前兆 1/23
752 情報交流 1/7 757 回想 1/13 762 セルフコントロール 1/19 767 相互信頼 1/25
753 Sustainable 1/9 758 限界集落 1/14 763 施保連 1/20 768 緻密&防御 1/27
754 新年会 1/10 759 自家撞着 1/15 764 親と子には・・ 1/21 769 事業継続 1/27
755 大丈夫 1/11 760 信用収縮 1/16 765 荊棘の道 1/22 770 ブリッジ法案 1/30

751:ミニ同窓会

昨年の暮れ、中学の同窓のY君より、「福ちゃんよ、集まんねーか」と電話があった。彼は卒業来の永久幹事をしてくれている。「何人ぐらい 集まるんだ?」「20人位かなー」という。その集まりが昨夜の6時から利右ェ門(そば屋)であった。
 大体予想していた通り、集まったのは毎度お馴染みの連中、しかし、結果として13人だけのミニ集会となった。利右ェ門は同級生がオーナー、大体いつも集まっている。
 別に変わった話はないのだが58歳を迎える今年は自営業以外の連中は定年を間近に控えているから、その話題が出る。現役はハス屋さん。なんでこんなにいつも元気なんだ?1町歩でいくらとか、キロ東京出しが○円だとか、業界用語で話をするから私にはわからない。
 大きくやっている人は5町歩とか6町歩、年中胴長靴を履いて、田圃で格闘しているとか、これもこの寒い時期には骨身に応えるだろう。仕事の後の一杯がこれ楽しみというのも充分わかる。
 今日は今年行う同窓会の打ち合わせという事にいつの間にかなっていた。正月は外に出た人は集まれない。お盆が良いという話、すると全員が私の顔を見る。「1人だけまずいのがいるわな」という。そりゃーそうだっぺー俺は一応は坊主だ。
午後ならよかっぺーということになった。勝手にしろ。どうも8月15日はいくらなんでも先祖に申し訳ない、それじゃー16日という話で落ち着いたようである。さてと何人集まることやら、どうせ13人に何人か増える位だろう。昨年、3人健在だった中の秋山先生が亡くなった。葬儀に参列したメンバーも今日とほぼ同じ。
 一度も顔を出していない人には来づらいんだよという話をした奴がいた。そうかもしれない。・・・・・・・ウーム。
 ま、いいか。

 尚恵学園もメンバーが戻ってきた。また、戦争みたいな生活がスタート、寒くなってきたから、外に出る人は少ない。既に昨日39度の熱があたメンバーが通院、結果はインフルエンザはマイナス。しかし、時間の問題だわな、間違いなく流行る。
昨夜の話に結構、感心を持って学園の事を見ている連中がいた。自営業をやっている連中には、共通の話題にはならないが、スーパーの責任者をやっているYとは妙に話があった。人相手の仕事は大変だ!という事で意見が一致。
 いつの間にか4時間が経っていてもう10時、他に客は誰もいない。お開きということになり、私は歩いて独り帰宅。
 「あれよーいつも大勢で道歩いているよな!先生いるんだろう?」
 この言葉が一体何を言わんとしたのか気になった。

752:情報交流

正月はいろいろな意味で感慨深い。今思い返すと全てが懐かしい出来事、青春時代がそこにはあるのだ。
もう何年も音信不通であった昔の友との連絡が年賀やメールを通じて今年初めて繋がった。桜島に移り住んだTちゃん、鹿児島のS、宮崎のN、大阪のY、静岡のI。それにもし生きていれば横浜のH、福島のA、それに茨城の私。アレは昭和45年頃だった、20歳前後の田舎者の8人が大学のサークルで一緒になった。途中で辞めていった仲間もいる。でも、ほんの短い期間の付き合いだったが山登りという事で繋がっている。学生運動真っ盛りの東京は熱かった。あれ程真剣に生きた時代はない、それぞれのその後の人生は会って話すまでもなく、それぞれが相手を認めていること。いろいろな事があっただろう。
 昨年の暮れから杉本真人の「我亦紅」をボリューム目一杯大きくして、この文を書くようになった。・・・・親の事を気遣う前に後で恥じない自分を生きろ・・・・・・と歌う。自分を生きるということは、どういう人生なのだろうか?もう既に私の両親はいない。後で恥じない自分って???恥じることばかりだなーとつくづく思う。でも悔い無し。
 今日、葬儀があった。送迎してくれたタクシーの運転手さんが「今年も迎えに行って来ましたよ」と向こうから話し始めた。「???」 「それ・・・古河のOさんを迎えに行ってきたんですよ」あそうか。Oさんは独り息子、彼はもう40年近く学園にいる、彼のお父さんはJRマン、もう亡くなって大分たつ。それからはあまり体の強くないお母さんがOさんを迎えに来ている。「学園の休みは短くなったんですね」「????」「昔はもっと長かったでしょう。私が慣れているからいつも古河まで迎えに頼まれるんですよ」土浦と古河は料金にしたら大変な金額、でも病弱なお母さんは独り息子のOさんが待っているからと以前は2時間半電車を乗り継ぎやってきたのであった。それが出来なくなりタクシーを利用するようになっていたのは知っていた。その慣れた運転手さんが今日の私を乗せてくれた。
 「家に帰っても2〜3日で学園に帰るって言うんですよとお母さんが話していましたよ」確かに彼等は家に帰ることを楽しみに待ってはいるが、いざ帰ると友達もいないためか学園に帰ると言い始めるようだ。実は帰る時になって嫌がるよりは、どれほど家族はこれで救われることか。
 私は運転手さんと話していて、今年の冬休みはどうだったのだろうと気になった。80歳を過ぎたお母さんがたった独りで古河で生活している。年に3回の帰省は遠慮なしに息子と一緒に生活できる。もしかしたら今回きりで出来なくなるかもしれないという思いがお母さんには有るかも知れない。
 Oさんのお母さんが息子に果たして自分に恥じない生き方をしなさいと言えるだろうか?たった独りの息子にそう言いたい筈だ。それができない。
 そう言える事は幸せなんだ。だってそうだろう!息子さんが病気で寝込んでいても脇で看病をすることができない。この不憫さに耐えることは辛いに違いない。
 でもなー彼等は凄いと思いますよ。それを承知で淡々と生きているんだから。学園に帰るという言葉も本心でないかもしれない。本当はずっと一緒に住みたい筈だもの。母親の悲しみを少しでも和らげたいと思う親孝行。そうとしか思えない。
 私は、年の初めにいつもこれからどれだけやれるだろうかと考える。もう良いよと大いなるものが判断するんだ。
その時までは しゃーねーな!
 

753:Sustainable

年賀の中に、ちょっと気になった文が書かれていた。
・・・・高齢化が進み”みとり”を意識します。・・・30年先にも”sustainableな”一粒を構想します。福祉はいろいろ言われますが、右顧左眄することなく、一粒なりのスローな暮らしを大事に保持していこうと・・・・・
 埼玉の吹上町で30名の知的障害者施設を経営し、8年目の年賀に書かれていた理事長の決意。彼との付き合いは10年以上になる。その後の生き様は当に現実を批判し背を向けるのではなく、自らの実践で自分の理念を具現化してきた。その彼だから私には年賀の中に書かれている文が気にとまった。
 果たして30年先まで持続可能な施設経営があるのだろうか?
 新法への移行を埼玉で一番最初に行い、今は就労自立を目指して奮闘している。先日だった私が送ったレンコンを材料に作業所で作ったガンモドキを送ってくれた。お世辞抜きで美味しかった。材料に拘り、製法に準備と研究を怠らない。そして手を抜かない。
 何か私とは全く別世界でメンバーさんとの実践を行っているように思ってしまう。
時々連絡をするが良き人材の確保だけは共通の悩みのようだ。しかし、彼は週末以外は施設に自ら泊まり込んでいる。これだって出来ることではない。高齢化への”みとり”を開設8年目にして既に意識してその対策を練る。尚恵学園は開設52年目を今年迎える。既に高齢化の現実に四苦八苦している。今も1人の利用者さんが病院へ入院中(7日に体調の異変を起こし、救急車で運ばれる)、彼女自身も60歳を超え、既に両親はいない。
 何が持続可能なのか? 世の中から必要性が無くなった時は潔く撤退するのも良かろう。しかし、現実に日本の障害福祉の現状はお粗末である。年末に国が全国の障害福祉主管課長会議で説明した内容が送られてきた。盛り沢山で正直読むだけでうんざりする。しかし、一目瞭然なのは、いつまで有効なのかわからない。多分、この分では直ぐに訂正見直しがされるに違いない。
 この変わり身の早さは一体どうしたものか。これに右顧左眄しない自らの歩みをしたい。それは時代から取り残されるという危惧もあろう。しかし、福祉の原点が目まぐるしく変化するはずがない。
 正直なところ、問題が起こってからの後手の対応ということは否定しない。しかし、問題を先送りしたり、見て見ぬふりだけはしたくない。
 そう思った次第であります。S理事長の年賀に答える。

754:新年会

今日は、今年になってから3つ目の新年会(賀詞交換会)があり、水戸に行く。
内心忸怩たる思いがあるのです。俺なんか場違い、誰も知りやーしねーし。「そんじゃー お前なんで出るんだよ?」ってか。仕方がねーだろう前任者が出ていたんだから、「やめちまいなよ」「うー」  意気地なし!
 醒めた想いで出席しているのも1人位いたって良いかもしれない。しかし、全国で同じ事をやっているんだわな、日本って国は全く不可解である。鏡割りは恒例のセレモニー、代表者が7〜8名ステージにあがって「セーノ」でガシャン、少し高級な会になれば生演奏とか出し物がある。立食パーテイでお互いに交流を持つことになる手筈。
 1月はあと5つ位の同種の会合がある。参った参った。
内輪の新年会なら面白い。今年初めての試みで在宅支援のグループが親子で参加する新年会を計画している。確かに私は名前も良く知らないし、誰と誰が親子なのかすら知らない。このような機会がなければずっと知らないで済んでしまう。
 それから地元の企業は正月には自社内にある社で神主さんを呼んでお払いを行うという。業績が好調な企業は毎月行っているとも聞いた。正月はやはり坊さんより神主さんが似合う。自分で言うのも可笑しいが、そう思う。出しゃばらない出しゃばらない。
 日本では何でも商売にしてしまう。葬祭業者もそうだ。一昔前ならば近所の人達が行っていた葬儀を一手に業者が代行する。しかし、面白いのは形だけは残しておく。何にもやること無い組の人がウロウロする。代行業務がビジネスチャンスを拡げた。先の優良企業は大型建設機械の世界的なメーカー、人材派遣業社が40社以上入っていると聞いた。期間限定の労働力を派遣する。使用者側からすれば人材募集の手間がかからず必要な手続き一切を派遣業者が代行するから便利なのだ。会社周辺にはウイクリーやマンスリーマンションとかいう賃貸住宅が目白押し、会社が部屋を月単位で押さえるシステムだ。
 昔のサービス業が多様化し、ニーズがあればなんでも商売になる。福祉事業にもかなりの数で人材派遣業者からのスタッフが来ている時代となっている。だから労働条件が様々で複雑。よく考えればホームヘルプサービスは人材派遣だった。
 その点に関しては垣根が無く行政指導が入りにくい状況に益々なってきている。分業化された職務では、実は落とし穴がある。
それは、サービスの対象者を全体的に捉える者がいなくなる危険性。ケアーマネージャーとかコージネーターとかそれなりの職種が新たに作られてはいるが、現場を離れたポジションからなかなか実態を把握することは難しい。
 先日だった、小沢昭一がテレビに出ていた。35年続けているという長寿番組「小沢昭一的こころ」。彼のセンスは希少価値。ユーモアとペーソスをミックスさせたトークに現代の人々の忘れてしまったものを再発見。【*正月だから自棄にカタカナが増えてしまった。いやらしい。】
 彼は日本の大量生産大量消費の在り方に苦言を呈していた。物あまりの状況に対して何の疑問も感じなくなっていること。それが表面化した去年は当に偽装社会。どれだけテレビの画面に頭を深々とさげる当事者がいたことか。
利便性をどこまでも追求する人達は、最後には自ら手を出さずして全てが賄える世の中を理想とするのだろうか。

755:大丈夫

会話がはずむ
ラジオからの情報です。「大丈夫」という言葉と「安心」。障害福祉に関わっていつもこの言葉にぶち当たる。本人は勿論のこと家族も実は「将来の事は心配しなくてもいいよ、大丈夫だよ。安心しなよ」という言葉を待っている。
先ず「安心」という字を分解してみよう,ウ冠に女、つまり家の中に女性がいることが安心になることを言うようだ。そして「大丈夫」、この字の3文字にそれぞれ人という字が入る。(丈だけはツエであるが) 大丈夫ということは人が関わり支えることを言うようだ。
 福祉にもし共通の言葉があるとすれば、私は「安心」できる社会と大丈夫だよという人と人の支え合いにあると思う。
 今日はボンジュールで久しぶりに新年会が有り私も参加、在宅者の親子さん、普段接する機会がないので殆どの方と話をしたことが無かった。皆さんの席に出向きお喋りをした。本当にご苦労が多いと思う。参加できない方もいたが、来られた方は全員がお母さんであった。在宅ではお母さんの力が大きい。メンバーさんはそれが一番安心できる。
 それから、皆さんのカラオケ、昔の歌や最近の歌、よく知っている。どうしてこんなに上手なんですか?と尋ねたら、妹と一緒に良くカラオケに行くんですよ。そうか、皆さんそれぞれの家族との生活があるんだ。それも当たり前のように話された。
 実はこれで終わらない。
 全員で36名、その中に4名誰も来ない方がいた。お母さんと楽しそうに過ごしている仲間を見つめながら彼等もまた好きな歌を歌った。「上を向いて歩こう」という九ちゃんの歌。
 涙を何度と無く流してきたに違いない。食事の間、私の目の前に座ったYさんも1人で参加した。何を話せば良いのか迷う。これも、現実。彼等にとって安心できる場所は一体どこなんだろう。
 そして。
ドイツで生活しているYさんから便りが届いた。チュウビンゲン便りが93号になるから随分続いたと感心。今回は私は特別の想いを持って読ませていただく。一人息子のM君とご夫婦二人三脚での生活に、彼がグループホームでの生活をスタートすることになってからの変化と夫婦の葛藤が見事に書かれていた。いつまでも親が息子の側にはいれない。息子の自立に向けての生活。
 長年働いてきた奥さんもリタイヤ、年金での生活に入った。ドイツでの福祉の仕組みは大分日本とは異なるようだ。
 特に障害者が地域で生活する場合の手立てが大きく違う。「ドイツのGH利用者は月々2800ユーロの補助、日本円で約45万円、それに比べて日本は約6万円実に8分の1」。今の日本の制度は、掛け声だけで実がない。少なくとも今の国の制度には、障害者をどう見ているのかという点で大きな疑問がある。そして、全ての政党が議員が、その事について自ら声を発しない。????充分だと考えてのことなのか?これが将来も続くので有れば殺伐とした社会が待っているだけ。
これが私の政治家不信の最大の理由である。ドイツは議員報酬は微々たる金額だと聞いている。そして議会も夜行うとか。
 議員天国官僚天国、もちつもたれつ。これが世界のGNP第2位とは笑っちゃうよ。
 財源がないという理屈は、どうも格差社会になればなるほど綻びが見え始める。いつまでも国民が黙っていると思ったら大きな間違いだ。ああーあ、今年も腹が横になりません。修行が足りないぞーだ。
 

756:早春賦

春は名のみの風の寒さや。
谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず。 時にあらずと 声も立てず。
 日本の四季を誰もが感じ誇りと思う時代は鶯だけではなく過去の遺物と化してしまったのだろうか?自然環境問題一つにしても人間のエゴが優先し、豊かさを遮二無二追い求めてきた結果の代償植生。何が大切か?その基準さえ曖昧模糊となってしまった日本。自然が先か人のこころが先か、様々な耳を疑いたくなる社会現象にその崩壊の危機を感じる。
 ウオーキングし始めて気がついた。道ばたに捨てられたゴミ、明らかに人間が捨てたと判る。飲み終わった缶コーヒーや週刊誌の類。資源のムダとモラルの欠如がそこにある。歩きながらゴミ拾いを始めた。道路脇の側溝には綺麗な水が流れ、ゲンゴロウ?が泳いでいた。今年になってその側溝はゴミと落ち葉にせき止められて水の流れは止まっていた。
 一方には当に何が大切かが本末転倒した状況がある。
それは、敢えて声を大きくして訴えたいのであるが、某賀詞交換会での一こま。会場のホテルには黒塗りの高級車がズラリ。当然運転手付きであった。私などは遠慮しながら駐車場の片隅に車を止めた。
 国会は天国と地獄が同居しているという挨拶をした方がいた。バンソウコウは無かった。失笑が場内を駆けめぐる。
私は思う。もしもだ公共交通手段の衰退を嘆くのであればだ。電車とバスで会場に駆けつけたらどうなのよ。自分は地域の為に人肌脱ぎますよという言葉は詭弁としか取れないのは捻くれ坊主の私だけだろうか。実はこういう人達に福祉などと言ってもらいたくない。
 まー新年早々いくら愚痴を言っても仕方がないかー。motto hiroi kokoro wo motimashou!

 春と聞かねば知らでありしを
聞けば急かるる 胸の想いを いかにせよとの この頃か。いかにせよとの この頃か。
「早春賦:吉丸一昌作詞:中田章作曲」
 今、神宮寺に行って朝の勤め。お経を読んでいるとMさんがすーと私の横に来た。いつもの挨拶「こんばんわ」そして太鼓を手でトントン叩き焼香して行ってしまった。この事が私が言う所の「何が大切か?」という解説である。
 朝から「こんばんわ」は?。太鼓トントンは「なんでーもうやんねーのか!たたけよ」という彼のメッセージ。焼香は彼の弟が昨年亡くなって写真と位牌が本堂に飾ってある。その写真に手を合わせる。これは彼特有の心の証。
 ここに貴方は何を感じます?何もってか!あっそう。
氷解けて去り葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく 今日もきのうも 雪の空。 今日もきのうも 雪の空。
 

757:回想

正月は年賀や新年会で何かと忙しない。最近は便利さを厭いながらも活用している自分を感じる、これも自己矛盾である。 とにかく最低限の便利さをと年頭に誓った。
・・・・・利用者の皆さんの生活全般にわたる状況の変動に、対応する大変さは尋常ではないものでした。貴兄も同じでしょうが、結局引き受けざるを得ないものと決めるしかなく、現在の体制の中での困難さを否応なく感じました。
・・・・〈私がベストの事はできないと書いたのに対し〉まさしく完璧ではなくとも、充分なものと言えるもの・・・・・・
これは今朝届いたKさん(施設長を去年リタイアした方)からのメールの一編である。全国で様々な活動をしている仲間がいるということだけでも大いなる力をいただける幸せものだ。
 だが利用者の皆さんにとってKさんが言う充分なものとは何だろう????? 実は良く解らない、だからこそ様々な想いが頭の中で駆けめぐる。
 福祉と医療、以前は福祉と教育だった。役割が上手く分担されている訳ではない。どちらかと言うと福祉の負担割合のほうが多いと思っている。だが現実には予算の配分で福祉にまわる額は少ない。相手は義務教育だからしようがない。福祉の専門性が未成熟だからしようがないと言われ続けてきた。これではたまったものではない。
 一番私が心配していることは、これから福祉をやる人がいなくなってしまうんじゃないかという事なのだ。経営者だって割りに合わない事業から撤退するかもしれない、現場を担うスタッフだって同じである。福祉の仕事に夢がもてるようにする責任は我々にもあるだろう。
 しかしだ人間の耐性は、誇れるほど強固で万能ではない。最近の例でこんな事を耳にした。ある施設で職員の定着率が大きな問題となる。1年以内に退職する割合が尋常ではないという。それが何故なのか?深刻な問題である。「人間は努力する限り、迷うものだ」とはゲーテの言葉が空しい。昔ならば中間管理職になって仕事に行き詰まり悩む人が多かった。これは責任の重みが増すことが主な原因と考えられた。しかし、今その理由に変化が起きている。仕事そのものへの考え方が違ってきたのである。職業選択の自由はこの日本では定着した。だが自由を得ることで失ったものも大きい。一言では言えないが「気迫」とか「気骨」「プロ意識」という類のものだ。これが実に厄介だ。自分なりの納得いく答えを見いだせないままに転職を繰り返す若者が増えた。
 私にとっての回想は常に進行形での回想である。全てを誰かに任せて完全にリタイアができれば、また違った回想ができるかもしれない。
 さあーてと日曜日の今日は午前中の二件だけの法事、2つの寺別々に今終わったところ。一件目は裸一貫で運送業を築いた方が父親の13回忌、当に自らの努力で一大事業を築き上げた方だった。二件目は私のマラソン仲間の一周忌だった。
彼も地域の子供達に好きな野球を教え続けた。二人とも生き様がはっきりと掴める人達だった。
 

758:限界集落

65歳以上の高齢者が人口比率の50%を超えた集落を「限界集落」という。過疎化や高齢化に伴い、生活維持機能が衰え、共同体として存続困難な集落を言う。特に日本では西日本の山間部に多いと言われている。経費がかかる為にそのような集落を無くそうという動きが加速している。この現象は社会が近代化する過程で生まれてくる。日本だけの問題ではなく、ヨーロッパの国々にも同様の状況が出ている。ただ、大きく違う点があるというのだ。それは、国の施策の上で田舎での生活を望む人達への手立てが日本では不十分だということのようだ。
 最近,流行してきたエコ生活など、まさに自然と一体となった自給自足生活、都会生活に疲れ、癒しを求め地方で暮らしたい人が増えている。1ヶ月いくら有れば生活ができるか!自然環境破壊の問題と連動して真剣に国としての方向を探るべきだ。
 最近私が聞いた話である。名古屋で生活されていた方が、子供さんが障害を持っていて時々パニックを起こす。その時発する大声は近所に迷惑だと思った夫婦が茨城の田舎に土地を求め移り住んだ。確かに私どものメンバーさんも何が原因か判らないけれども日常的に奇声を発するかたがいる。もし、これが市街地であれば壁一つしか離れていないお隣さんへ筒抜けである。
 この心配が絶えられないということで何の縁も無い茨城に居を構えたのだ。
 以前、福祉施設を始める際に、山間部などに整備することが多かった。それに対し、批判があったことも事実。もっと便利な地域に建てなさいという事だった。
 現実には私が知っている施設は常磐新線(つくばエキスプレス)開通の煽りを受けて、急速に街並みが変わり、施設をその場所で行っていくのに新たな問題が出ている。
 地球規模からすれば狭い日本でコスト計算に合わないからという理由で歴史ある集落を消滅させてよいものだろうか?
 先日、久しぶりに「アース」という映画を見た。シベリアのツンドラ地帯は全地球の森林の相当の割合を占めているという。その数値が確かでないが、雪が解けて新芽が出る時期になると地球の酸素濃度が急激に増すという。森林が果たす空気の浄化作用は地球が有史以来続けてきたものである。
 人間は利便性だけで生きられるものではない。不合理性があるからこそ、進歩を繰り返し、その地域に合った文化や風俗習慣を形成してきたと言えよう。
 この辺の切り口が、もっと重要性を増すことを望む。だってそうでしょう、テレビの厚さが9ミリだろうが2pだろうが、どれだけ見る側にプラスになるのでしょうか? そして企業存続をかけたその競争が地球にどれだけ優しいものなのでしょう。
 日本の先端技術は世界に誇れるものである。この点に関して異論を挟むものはいない。ただ、敢えて言わせてもらうと、もっと違った分野にその技術を活かせないものなのかという素朴な疑問である。コストに合わないという論理でこのまま進んでいくと北極グマの存続危機が警鐘を鳴らしているように、取り返しのつかない事になってしまいませんか。
 上記スナップ、キタキツネの目が私達に何かを訴えている。 
 *どうして話題がこうも変わるのか自分でも判らない。ただ、何かをしなければという思いは強まるばかりです。(独白)

759:自家撞着

自家撞着(じかどうちゃく)・・・・同じ人間の言行が前と後で食い違い辻褄が合わなくなること。それを認めず言い訳をすると余計深みに落ちる。入り口で食い止める唯一の方法は全面謝罪、頭を下げること。先ず自らが認めることが条件だ。政治の世界はどうもこのルールが無いように思えてしようがない。ほとぼりが冷めるまでじっと我慢戦略か!官僚には人事異動というものがあり、左遷だかどうだか私にはわからないが短期間で変わる。有無を言わせない。実はこれもまた責任の所在が曖昧になるという問題を孕む。
 自家撞着は誰にも有ることである。全く違う切り口から言えば、西洋医学と東洋医学の違いはどこにあるのかと言う話に伺うことが出来ると思うのだ。
 西洋医学は黒か白を究める。一方東洋医学は中庸だという。人間は個々に異なる。検査の数値にしても個人の差があることが当然と見る。東洋美術の墨絵の暈かしと油絵の違いと根の部分では通じる。
 伊藤博文はヨーロッパ近代社会がキリスト教に支えられている事を知り、日本の宗教にはそのような構築性がないと考えた。〈司馬遼太郎「宗教と日本人」〉それを今も引きずっているのだ。
 そこで、私の言いたいことは、福祉には正当な評価が必要か否かということである。社会から見ての評価という意味に限定する。貧しい時代には誰もが食べる事の心配が優先した。独り占めするというよりは皆で食べ物を分け合う事に価値があった。豊かになった今は、その事が優先順位からすれば上位にない。日本の現状は完全に格差社会になっている。その象徴がセレブという言葉。自分の力で勝ち得た特権階級とでも言うのだろう。そこに福祉のこころは入り込む隙が見あたらない。
 先の西洋医学の黒白はっきりさせる手法と同じ。これが同じ国の中だけでの問題ならば主義信条の異なる政党に投票すれば良い。だが国レベルでの争いになれば話は別である。中東の争いは当にどこが国境線なのか判らない中で宗教や人種が絡み複雑になっている。融和政策を叫ぶ政治リーダーは銃弾をあびるという悲劇が繰り返されている。
 何が評価ということの難しさは、形而上学的領域にことが及ぶから難しいのだ。
福祉は最早、補助金によって支えられ事業という願いを放棄しなければならないのだろうか?
 私は日本独自のシステムがあってしかるべきだと考える。その一つの参考がオランダという国の国土の4分の3が国有地だということがある。(西洋の仕組みを真似しても所詮無理があるという証拠)。消費税論議にしても日本人誰しも、疑惑をもって見ている節がある。公開されない中で決められるという不信感。そして上げる事での魅力を感じないことなど。
 イギリスでの炭素税や北欧での自然エネルギー(大陽発電や風力発電)政策に学ぶことも多い。その中で国民誰もが納得した福祉への負担を考えていくことが今一番急がれること。
 業界の私利に走り、政治を使い、同じザルのお金を分捕りあう状況は餓鬼世界そのもののように思えて仕様がない。
 自家撞着の話が纏まらなくなった。冷静に考えて、その事を自家撞着と言うのでありました。

760:信用収縮

四字熟語が3つ続いてしまいました。別に意識してなったものではありませぬ。さて『信用収縮』という言葉は経済に疎い私には耳慣れない言葉になります。しかし、慶応の金子教授が話していた中に良くその言葉が出てきたものですから気になってしまったのが正直なところです。
 本来の意味は金融機関が不良債権処理や自己資本比率引き上げなどから、貸付金の回収や貸し出しを控えることで起こる資金供給の停滞をいう。
 最近、実はそのことを実感している。今まで見向きもしてくれなかった銀行がお金を借りてくれませんかという営業に頻繁にくるようになった。さては金余りだなー。しかし、これはだなー超低金利で儲けていたツケが廻ったんだよ。
 不良債権だって庶民感覚では理解できない所での失敗がそうさせた訳でしょうが、今になって見苦しいぞ。
私の所は健全経営、無借金を目標にやってきた。20年の長期ローンも残金が僅かですから、もう借りない。
 事務員にそう言って断るように話してある。サブプライム問題もどうも深刻のようだわな。低所得層の人への住宅資金に焦げ付きが出たということらしい。でもな!低所得層というレッテルはいただけない。大変失礼な言葉でしょう。どうも金融業界には借り手を下に見る癖がある。どうも高飛車な奢りの態度が改まらない。本来ならばお客様でしょう。この体質が実は信用収縮の一因ということを理解していない。
札束を毎日見ていると、汗をかいてやっと手に入れた同じお金に対する感覚がおかしなものになるんだわなー。
 それに現代は電子マネーとかいうものが出てきてお金が見えなくなった。利便性と危険性は表裏一体ですよ。
先の金子さんは同じ慶応の経済学部教授、竹中元大臣とは意見対立があって、両者とも論客だから実に面白かった。
 さてと何故今回は専門外の話を敢えて取り上げたかと言いますと福祉も経済と密接な関係があるという事からです。
 福祉が自らの足で立つにはどうすれば良いのでしょう?補助金体質にどっぷり浸ってきたもんだから、これがニッチモサッチモいかない。『中島隆信』
 先ず、トップがそれだけの力量が有るのか?「無い」と自ら認めざるを得ません。この辺は、何の躊躇もなく認めちゃう。
 しかし、だからと言ってですね理念は持っていますから。もし理念に特許がかけられれば良いんだがなー。この業界は、真似事が多すぎます。国もマニュアルなどと言うものを薦めるから特徴がなくなってしまう。中身の良否は別として日進月歩だから休む閑が無い。サー大変だ!どうしよう?研修や講習でそのことを煽るものだから地に足がつかない。先が読めない、今が不安という状況、これが社会現象になっている。そうではありませぬか。
 私なりの対処法は、50年前の写真を見つめること。気持ちが楽になるんです。初代が職員集めに苦労し、建物を造るにしても補助など一切無い時代、古材をリヤカーで買いにいって、ぶっつけ仕事。この時代を知っている私はまだ幸せだと思っている。決してその時代が充足していたのかと言えば、それは全くの逆です。同じ献立が3日も続くのは当たり前、だってそうでしょうが近所の農家で畑の残りものを沢山戴いた、それが食材ですから。
 昔はインフルエンザだとかノロとかで大騒ぎはしなかった。なにせ調べる方法が無かった。でも結構耐性ができて頼もしかった。
 昔とは言っても50年前の話、つい最近の事です。あまりにも世の中の変化のSPEEDに人間がついていけない状況、抵抗力の乏しい虚弱体質に、どうです、すこしスローテンポにしません!!!何かが見えてくるんじゃーないでしょうか。

761:書籍店

本屋を覗く。県庁近くの川又書店。本の数は水戸では一番かもしれない、置かれている本の内容は今風のものが多く、昨日は3冊ほど買った。駐車場も広く、水戸に出たときは時間が有れば立ち寄る。
 ノウハウものや政治経済、それに最近は健康に関する本が新刊コーナーに沢山目立つ。読者の関心に一番敏感な業界、今はアマゾンなどインターネットで本が簡単に購入できる時代だから、実際の所、書籍販売だけで店を維持するのはたいへんだろう。
 前から気になっていることの一つにコンビニで立ち読みする人達の事。立ち読みは遠慮願いますという張り紙があっても悠然と読んでいる。この感覚はいかなるものか?
 不思議な事に新聞の立ち読みだけはしないようだ。人は情報を遮断したらどうなるだろう。多分、大半の方は不安になるに違いない。
 ネットやマスコミで瞬時に情報が入る現代社会。その内容に一喜一憂する。しかし、これが最近おかしな事になっている。過剰な情報量により感覚マヒという状況だ。今朝のこころの時代はチベット語の通訳をされている女性が出ていた。彼女の話にはとても興味があった。ダライラマが日本に来られた時の通訳をされたというその女性は歴とした日本人、今はダライラマが政治亡命されている北インド(ダラムサラ)に住んでいる。既に22年住み続けているとのこと。彼女はリュック一つの片道切符でインドを訪れ様々な経験をされて今に至る。面白かったのはチベット仏教に造詣がとても深いということだった。坊さんの私なんか足元にも及ばない位、仏教を非常に判りやすく話していた。
 チベットでは蚊やハエを殺さない。それは輪廻転生の教えからきており、全ての生き物を母と信じることによる。日本の大学で建築学を学んだ彼女がたった1人インド旅行するという勇気も凄いと思う。そして3人の子供さんをインドで育て、またインドに帰っていくのだ。
 彼女が言うには日本の高等教育では、人間が何の為に生き、何が人間の幸せなのか?どうすれば幸せに人生を送れるかという事を教えてくれなかった。豊かさの中でより優れたものを欲しがる飽くなき欲望、満足をしらない。誰もが将来の事に不安を持ち、今を大切に生きない。道で出会った人と挨拶を交わすことを忘れてしまった日本人。
 確かに今の日本で失ったものが彼女にとって何物にも代え難い大切なものなのである。幼稚園の時に父を亡くし、母親が苦労して一人っ子の彼女を育て、大学まで行かせてくれた。その母も彼女が大学2年の時に病気で亡くなったという。誰も悲しむ人がいませんからという彼女の言葉に不思議と悲壮感はなく、むしろ全ての柵を放り出して今の生活を心底エンジョイしているように思える。
 ちょっと気になったことは、3人のお子さんの事は触れたが、訳あって別れた旦那さんの事はさらりと流してしまった。生活費が大変でしょうという質問にインドは物価が安いから助かりました。それにダライラマの教えから小さな時から英語教育を行っているので子供達はイギリスとアメリカの大学を出た。その辺の生活力は凄いものがある。バラック造りの自宅にはトイレさえ無かったという、お金の掛けようが大分違う。物質的な豊かさに踊らされている内は、多分精神的な充実を感じることができないのかもしれない。そのことを暗に言っている。
我亦紅の「後で恥じない自分を生きろ」という歌詞。天涯孤独の中から彼女自らの手で掴んだ安らぎは首都デリーから夜行バスで12時間という山間奥地であるが故に可能なのだろうか!輪廻転生を信じている彼女は幼い時になくなった父親やこれから親孝行したいと思っていた母親が若くして亡くなった。その両親がまた生まれ変わって現れると信じているからこそ逞しく生きられるのかもしれない。
 

762:セルフコントロール

他県の施設からメールが届いた。その内容は恒例の新年の職員研修、2日間みっちり行うものである。当に理事長の事業にかける意気込みに圧倒される。講義形式のものが2本と2班にグループ分けした討議それに理事長の講話という中身。
理事長の講話だけでも資料が10Pになっている。膨大な量である。書記を置いて、後に1人1人から感想を報告させる徹底したものである。入所型の30名定員の規模である。
 私自身、ダブルパンチを食らったような思いである。ここまで尚恵学園は徹底していない。以前実施していた職員研修や考える会、だべる会、コスモスリングの会などなど。どこかに置いてきてしまった。これじゃーまずいと思いながら、さてどうしたものかと考えても出来ない理由ばかりが浮かんでくる。
 確かに長い歴史の中で、その都度、緊急性の対応を必死でやって来たという事は私の中で確信している。
しかし、新しく加わった職員への伝達を思えば、中断してしまったと言われても仕方がない。既に経験済みの職員からすれば、分かり切った事でも新米職員には一大事、その伝達が上手く機能していない。その辺のマンネリ感と閉塞感は水先案内人としてのトップの役割を果たせていない事からきていると反省しきり。
 今思えば、HPに「源究」なるコーナーを恥ずかしくもなく公開し、好き勝手な事を書き続けているのも理事長が何を考えているのかという事をいくらかでも伝えようと思うからだ。
 尚恵学園の歩みは児童施設から産声を上げた。そして今。 大雨が降って川がせき止められ、何かの切っ掛けで堰が切れ、一気に水が流れ落ちるという危機感を人一倍持っている。ボデイブローのように急に始まったわけではなく、ある程度は予測できたことである。高齢化という問題は、医療との関わりが増えること。自前の医療機関を持たない我々は、その都度努力して病院との関係をつくってきた。そして、家族の問題。メンバーさんが老いるという問題に先行する形で様々な問題が家族側に起こる。
 切れ易い大人たち・・・・という精神科医の本が人気があるという。切れる寸前の大人は相当数いるんだと思う。そこで重要な事はセルフコントロールとうことになるわけだ。自制とか克己と訳される。実は実はこれが難しい。今に始まったことではなく、人間がこの世に誕生した時からの永遠のテーマ。こと仏教に関して言えば、修行=セルフコントロールである。
してみると、これはじっくり腰を据えて取り組まないと、インスタントに答えを出そうとすると、これが体調に異変が生じる困ったことになる。日本が八百万の神の国と言われるように一神教ではない。一線を引かないというか曖昧さというか、逆に見れば懐が広いということも言える。いい加減という言葉は良い塩梅と同義語、決して負の意味だけではない。偏重に対する対義語なり。
 「ちゃらんぽらりん」&「ノウテンキ」という言葉は実に深い意味を持っていて今の時代大変貴重な存在になった。
 

763:施保連

20日施設保護者連絡会の幹事会を開催しました。昨年は2回の研修会を実施、一応は皆さんの賛同を得ていました。役員や事務局の組織ができていない為に具体的な活動が出来なかったわけです。昨日、それが決まりました。遅ればせながら茨城も全国施保連に加盟、一緒に活動していくことになります。
施保連の活動は、言うまでもなく施設を利用されている方達の保護者の団体です。自立支援法の導入後、様々な問題が表面化し保護者が施設任せのぬるま湯体質を反省し自らアクションを起こそうと立ち上がったのです。茨城は正直、県民性でしょうね他県の様子を伺うというスタンス、私自身歯がゆい思いでおりました。昨日の幹事会では、皆さん早く組織化して運動していこうという意見で一致。(涙ながらに訴えた家族代表の方もおりましたね。)
 以上が報告であります。
 以大苦 成小喜   大いなる苦を以て小さな喜びを成す。
福祉に携わる若者がいかにすれば亦福祉に関心を持つようになるのでしょうか!これも昨日の会議の席で話題になりました。事業所だけが人材集めに奔走していて良いのかという事。良き人材がいて初めて利用される人達の福祉が向上する。
 だが、残念なことにその手立てが見つけられない。これだって事業所と家族が共闘して何らかの行動を起こさなければ、結局は双方に跳ね返ってくることです。
 職員の処遇が悪いというのであれば、どうすれば良くなるのでしょうか!この問題の共有が不十分であったという事です。
 様々な会合で耳にすることに、事業の後継者がいなくなるという心配です。”sustainable”を年頭の目標に掲げた施設を知っています。つまり、”継続可能な”事業ということを一番大きく掲げているのです。
 我々事業所も国や行政に頼りすぎていた反省があります。しかし、果たして企業感覚(市場の原理)で障害者福祉が成り立つのでありましょうか?大きな疑問です。私の結論は”否”。国が新規施策として出してきた「工賃倍増」「地域移行」全てが本筋から外れていると思うからです。もし、真剣に取り組む覚悟があれば期限限定の目玉事業になるはずがありません。私には自負があります。通勤寮を作った当時、最大で20箇所の就職先を捜し、メンバーさんが勤めに出ました。しかし、現実は1週間持たないで職場を失う者、会社側が受け入れてくれるのに本人が納得しないなど職場定着ができないのです。実はこれこそが障害の特性なのです。その特性を余りにも知らないという事、いや違う知っていて見ぬ振りをしている。それに試行事業という形で条件のすこぶる整った所での成功事例をベースに置くなど施策を作り上げる手順が全く逆なのです。
 これなど市町村で作成が義務化された福祉計画などと全く同じ発想からきています。立派に製本された計画書を作ることが目的になっていて、それをどのように人々に知らせ、いかに活用するかという配慮が抜け落ちているのです。昔、ガリ版で学園便りを作った事を思い出しました。豊かさ物あまりの時代の負の遺産ですかねー佛を作って魂入れず。ここにメスを入れましょうよ。
 私は自分でも何の会議に出ているのやら判らない位多くの会合に懲りもせずに出ています。そこでいつもこの調子で意見をいうものだから嫌われています。我かんせず。屁のカッパ。
 施保連の話が脱線転覆しました。最後に今の福祉は悪い循環軌道に乗っています。職員の常勤換算方式から始まった、処遇の改悪が福祉に携わる人の夢を潰してしまった。人がいないことで事業が停滞、その対応策として自己負担の増額、富める者が優遇される社会は福祉にとっては酸欠です。その対策と称して出来もしない大段幕を掲げて期限付き。出来ないのは自己責任ってかよ。これが実態ですぞ。
 昨日の幹事会で涙ながらに訴えた保護者の声がまだまだ届かない。そう感じています。 

764:親と子には

「何故、自分だけが障害を持って生まれた子を・・・。そう思ってだけは死にたくない」
これは、尚恵学園の親の会役員会で話された言葉である。
 高齢化が進み、今の実状を学園側から報告した後に様々な意見が出される。デイセンターの食堂が会場、厨房から昼食準備の音がどうも気になって仕様がない。私が部屋を変えましょうかという事に、「いや、ここで結構です」話に真剣味があった。
 今日は全体の職員に理事長としての年頭の挨拶をする。何を伝えようかと考えた。全てを知らせることはできない。年度内に全員と面接を実施する約束もまだ半分が終わっただけ。
 『創意・工夫・責任・真心』は努力目標。『共生』は法人の理念を2文字で表した。初代からの置き土産。これをどう引き継ぐか?そのプレシャーは重く大きい。尚恵学園は同族経営と揶揄されたこともあった。しかし、親の姿を見ていて自分の我を通す勇気?がなかった。そして今の自分がいる。
 今、同じ思いに自分がいることが面白い。中途半端な気持ちではできない。それに親がやっているから仕方がないという気持ちでもまずい。それは利用者さんや職員に失礼なこと。創業は易く守成は難し。この意味するところは、創業者の苦労は再現することができない。後に続く者は、その創業者の意志を継ぎ、事業を続けることが実は難しいという意味だと理解する。既に亡くなっている創業者に確かめる術を持たないからである。
 そうなると何が羅針盤となりうるか?利用者であり、家族であり、職員であり、地域である。だが個々に異なる。
言ってみれば、私の心中はこの葛藤で1日が過ぎる。
 1週間前だった。また障害者を取り巻く悲劇が起こっている。母親が二人の息子を殺害し、逮捕されたという。二人の息子には障害があった。また、佐賀県での事件、警察官が路上で不審?な動きを見せた男性(知的障害)を逮捕した。その方が亡くなった。真相が明らかにならない。両親が訴えた。警察官が障害者を知らない事で以前からこの種の問題が指摘され育成会がパンフレットを作成し、最寄りの警察に配ったことがあった。
 表に出た事件は一握り、それも社会の反応は冷たく当事者だけの騒ぎとなるだけ。日本人に良心がないのか!
関係ないよ俺には・・・・いつ頃からそう考える人が多くなってしまったのだろう。
 多分、社会学者がいろいろ考えても原因を解き明かすことはできないだろう。最初は枝分かれした分岐点で選んだ道が違った程度の事であったかもしれない。当事者は良かれと思って選んだ道が結果として迷路に迷い込むことなど、山が好きな人には直ぐに理解できる。その時の鉄則は、迷った時点まで先ず戻ること。
 世の中は一瞬なりとも留まることをしないから、いつのどの場所にということが判らない。
 その一つの道標は、自分自身の親との接点であろう。親に反発し、泣き苦しんだその時であろう。
 私自信の気づきは、尚恵学園のメンバーさんの家族への思いやりを知った時の衝撃が今を支えてくれている。
 残念ながら親のメンバーさんへの思いやりではない。

765:荊棘(けいきょく)の道

いばらの道・・・・・困難が多い人生。
そんな事を敢えて言うまでもない。当にこの世は四苦八苦。ならば人は何に癒しや救いを求め、生きようとするのだろう。これが宗教の究極の教えのはず。キリストの場合、自ら十字架にかかり他の苦しみを引き受けた。同病、相憐れむ。手をつなぐ育成会の歌に記された事がそうである。
 入院された方は一度ならず自ら経験したことであろう。患者同士でお互いの病を確認しあう。そのことで自分だけではないという束の間の安心を見いだす。世の中の仕組みが、1人で生きるよりは寄り添って生きることを前提に出来上がっている。
 個が団体を組む。当に組合運動の団体交渉はそこに意義を見いだしたもの。
 さてさてどうしたものか!荊棘の道なるが故に、OFF ROADの分厚いタイヤをはけば良いのだろうか。
 不思議なもので、人は過酷な所にいると小さな命に勇気をもらう。例えば岩登りをしている時に岩肌にへばり付いて咲く高山植物、砂漠の荒涼とした世界に僅かな朝露を葉に貯めて生きるサボテンなど。
 今の社会には果たしてそれに代わるものに何があるのだろうか?私は人間が上を向きすぎて足元が見えなくなっていることが迷いの原因だと思う。
 人が何に不安を感じるかと言えば、生命の危機が一番大きい。それはこの世に存続するという望みが絶たれること。お隣の韓国はルーツをとても大切にする。今の自分は何代目であるという事を誇りにする。儒教の教えからきているのだろうか。
 日本では地域差があるがそれほどの拘りは無いように思う。私の父の実家がある名古屋はそれでもうるさい地域である。
多分、名古屋周辺は東西の狭間に有るが故に戦国時代から自分がどっちの側にいるかという事を常に意識してきたのだろう。その事が今に続いている。
 また、寺社会の中でも何代目かということに拘る。私は35代目の住職、寺の創建から計算し、600年ほどの歴史の中で35代目になる。今年で私は住職になって30年、これは歴代で長いほうである。単純にかけ算すれば直ぐに判る。
 何故継続できたのかを考えるといろいろな条件があると思う。しかし、私は寺が無理をしていなかったから続いてきたのではないかと思っている。寺社会ほど格差が大きい業界?もない。しかし、器に応じた伽藍を構え、檀家との結びつきを大切にしてきた結果が今だと思う。
 継続を望むのであれば、ハードルを余り高くせず、知足を肝にめいじて生きていくことが良い。
パーフェクトのサービスを目指しても実は無理、そこで充分なるサービスに目標を切り替えると、何かが見えてくる。充分な状態には実は幅がある。本人が満足してさえいればそれが充足ということになるからだ。

766:ボケ前兆

いよいよ来たー!今朝は鍵がなくなったと大騒ぎ。また、玄関に鍵を付けたままにして閉めてしまったのか!
確か、昨夜はある場所で新年会があり、泊まるつもりで参加したのであったが、用事ができて帰ることになった。飲めない酒を調子にのって飲んじまったから仕様がねー。いくらなのか、ちょっと気になったが代行で10時前にご帰還、運ちゃんと話が妙にあっちゃって気分が良くなった。ラーメン代とか言っちゃってプラスして、「ご苦労さん」までは記憶している。そして今朝、出勤しようと思っていざ鍵をと思ったらいつもの場所にない。さーてどこにどうしまったやら?全く思い出せない。
 私の鍵は6つも付いている。施設の鍵やら自宅の鍵、最近誰かがなくしてしまい、鍵を取り替えたばっか。今度は私の原因で再度鍵の変更か?半分諦めてPCの置いてある部屋に入ると、なんと机の上に鍵がいた。メガネを見つけにいって置き忘れた。
 もの忘れが酷いというのと、周りの評判では同じ事を何度も聞くという。名前が思い出せないのは今に始まったことではないのだが。自分でも認める、さっきまで持っていたものがどこかに置き忘れてしまったということが目立っている。
 それが、昨夜は某団体の新年会だったが、私の隣り席の方は、なんと92歳、そして「運動会であったよなー」「???」
「あん時は、世話になったなー」「????」私の記憶がぼんやり。「どこから来たのですか?」と尋ねてみたら、「おらー毎日、おめーさんの前を通っているんだ、神立だーよ。神立。」イナビカリが一瞬走った。そして記憶が戻る。
そうだった、この方は隣りの市の団体の会長さんで笠松でのスポーツ大会でご一緒したのだった。
その大先輩に「まーたまには泊まれやー」とか言われたもんだから「はい 判りました」で飲んじゃった。
 それから、いよいよ私の寺もフレッツ光です。待ちに待った接続工事が昨日終わった。なんと速度が75メガ出ているという。今までの100倍です。夢のよう。よーし、またパソコン教室に通ってHPをレベルアップしよう。楽しみがまた増えました。今思えば自分で全て作ったHPはボケ防止になるからと始めたもの。あまり効果は期待できないような気がしてきた。
・・・・・・怒りの小休止・・・・・・・
 今日は今年一番の冷え込み、東京では雪が降ったとか。毎日ホッカイロを腰に貼っています。明日は気が進まないが税務署へ。租税特別措置法第33条がなんとかかんとか?それから午後は神宮寺のほうで新春護摩を焚くのです。
息災護摩・・・・何が災いか?当面は税務署。(福祉法人に協力した方から税金を取るとは、世も末だ)
 

767:相互信頼

あまり調子に乗るとしっぺ返しが来る。BSテレビで伊丹十三監督の遺作映画『マルサの女』の上映案内を見た。国権を行使されてしまえば私どもなどコッパ微塵、あまり刺激しないほうが良いかも!
 そうは言っていられないというのが生来の性分、租税特別控除法の件、これは法制化された当時は公共事業や福祉に一般の方の協力を得やすくしたい為に、道路の拡幅など土地収容に関しての税法上の配慮と同じく、福祉事業に供する土地の譲渡に特例を持たせたものでしょう。今回、私どもの引っかかりは、隣接する県道の拡幅に伴うもので、歩道が無い狭い道路が通学道路となっており、以前から自転車通学する学生の危険地域になっていた。ですから今回の計画が県より発表されたときは一番先に賛成したのであります。しかし、施設敷地が削られる事で現に使用している正面入り口が使えなくなるという事が判明、駐車場が無くなってしまう。作業場がかかる。そこで困ったと地域の方に相談を持ちかけると、それならばという事で水田を売ってくれることになった次第。県の許可をもらったり地元農業委員会の承認を得て、無事契約完了。それで万事めでたしと思っていたら、税務署から事前協議がしていないとダメだとか言われ、どうも特別控除の風向きがおかしなことになってきた。
 税法など自分でPCを開いて研究、しかし、頭がおかしくなる、第?条の????とかで、どこにそのような事が書かれているのやら。結局、水戸まで出向いて経過説明をした訳です。もっと市民に判りやすい仕組みがないのでしょうか?駐車場は特別控除の対象外という担当者の説明、そんなこといつ決めて、どこに書かれているのですか?慣例ですか。
 それならば事故が起こっても知らないというのと同じ事?(普段は道路への飛び出しを防ぐために駐車場に車を止めてから門を開けて施設内に入る。それができなくなるのですから事故発生の危険が増した)
 窓口対応は時代の流れによるものか、確かに物腰は柔らかくはなったという。しかし、本質的には変わりありませんね。
相談している側を疑ってかかっているのが見え見え。これだもの社保庁の問題など、どう説明するのでしょう。同じ立場でしょうが、皆さんそう思いません。
相互信頼が全く無い世界です。いやー長く居る場所じゃーないです。
 私は、やるだけの事はやると覚悟を決めました。授業料だと思って勉強します。これだって正直言えば私には損得関係ない事、しかし、折角の好意を無碍にできませんから。福祉を声高に事業を展開されている方もおられる時代、そして内部告発によって実態が暴かれ、顰蹙を買う時代、だけどよー。少なくとも私どもは今まで地域の人の支えがあって今日がある。52年の歴史は、そりゃー重く波瀾万丈でしたよ。途中で法律ができたのかどうかは知らないが、あーそうですかと大人しく引き下がるわけにはいかないのです。事後報告だと提出資料が膨大になるとのこと、結構です、何を出せと言うのかしりませんが水戸まで通うついで執拗に伺います。
 今朝、先代の遺影に報告したらニッコリ笑って「やってみろ!」と言っていると解釈。
1人の抵抗など相手にされないだろうなー。どなたか共闘しません!!(多少弱気ですかーね)

768:緻密&防御

2日ばかり、インターネットがトラブル、結果からすればADSLからフレッツ光に切り替える際に起こった。今まではプロバイダーがヤフーだった。それがフレッツにすると使えない。プララへの切り替えが上手く行かなくて、受信ができても送信ができない。本来ならば乗り換えもスムーズに行くはず、それがどこでどうなったのだろう?原因がわからない。ウエルスソフトが関係しているらしい。しかし、私の先生がそこを上手に修正してくれたから良かった。何人かの方から白紙のページがあるとご連絡頂きました。すみませんでした。
 大リーグのイチロウーは他の人のグローブやバットは触らないという。それは他の人のものを触ると自分の手に残っている感触が微妙に変わるからだという。バット全体が自分の体になっている。この感覚は彼が言うから説得力が増す。そこまで徹底する緻密性とは、一体何から来るのだろう。確率として何億分の1のトップを究めた人間の為さる技である。
 今回のインターネットのトラブルも実は日常的に起こる。文字一つ違ったものを入力すれば通じない世界だ。施設の請求事務が今はインターネットで行う。最近やっと事務センターからの記入ミスの連絡が減ってきた。その主な内容は数字に入力ミスが有ったから。複雑:細分化される事務手続きを効率的にするために導入されたITが、実は落とし穴になってしまう。
 インターネットで先日、23歳の大学生が捕まった。ウイルスの発信元で混乱することを楽しみにする不届き者。
またカード社会になって様々な事件が起こっている。世の中がカードを利用することでのメリットを強調するからだ。以前話題になった2000円札が最近見あたらなくなったでしょう。要は必要性が少ないという理由からだそうです。1円硬貨も数が減少している。どこにいっちゃたのだろう。昔みたいにパチンコ屋で100円を使う時代は既にない。
 こうやって人間は利便性をどこまでも追求する。その流れにどうしてもついていけない人が出てしまう。私もその中に入るだろう。昨日は大洗での恒例の施設長会議、知事や執行部の皆さんも出席してくれた。この集いは知事さんの理解があって初めて出来る。何しろ話が尽きないのだから驚く。2次会に行けばいったで盛り上がる。私は酒にはウイルスバスターが働いてしまう。
 頑なに拒否するのだ。だがそこが優柔不断、チョビチョビ飲むからトラブルが出てしまう。それはそれは,脈が速くなり、頭が痛くなり、眠れなくなる。典型的なアルコール拒絶反応、更に運悪く同室の方のイビキが更に私を苦しめる。
 昨夜も1人、夜中に空き部屋を捜しホテルを徘徊、1Fの控え室に逃げ込んでしっかりと鍵を掛けた。
 緻密&防御  攻撃が最大の防御に成りうるか!

769:事業継続

私は、大分前に2代目会をつくった。それは創設者に対抗して作ったのではない。本心をあかせば慰め合い会合であった。それがどうだろう?昨夜は3代目会を作ろうという話が宴席で出た。
 何故か。その理由は痛いほど解る。福祉事業もやっと半世紀の歴史を刻む。世代交代は継続するためにはどの業界にもあるものだ。ただ、福祉に関してはその歴史が浅く、大部分の事業所は今だ創設者の時代にある。私の法人は実質的に私が2代目になって20年が経つ、これで県内では古いほうだ。そして私自身が後を継ぐものを今、心配している。決して血縁者だけに後を継いでもらえればという気持ちからではない。尚恵学園は特殊な事情がある。観音寺と神宮寺という真言宗の寺が物心共に支援しているからだ。施設の大半は両寺の土地を借用して今に至る。幸いにしてお寺でやっているという認識は地域に浸透してきたと思う。宗派や檀家には全く関係なく、ただお寺で預かっている子供達という捉え方である。そこが多分他の法人とは違う。
 それでお前は何が気になるのかということ。第1に事業を継続するだけの体力と気力が持ち続けられるかということだ。24時間365日の精神面でのプレッシャーは相当なもの。
第2に、自分が生涯をかけるだけの魅力を仕事そのものに感じられるか。
第3に、良きパートナーを身近に持てるか否かということ。
福祉の仕事は、今後は今まで以上に規制緩和が進む。それはどのような事態を生むか、福祉という表の看板の裏で凄まじい潰し合い。内部からの告発、人材の引っこ抜き、利用者からのクレーム対応、煩雑な地域対策などなど。
 これに対するマネージメントスキルが要求される。それは頭が良いとか知識があるという類の条件ではなく、即対応できる実践能力である。正直、福祉の業界も様々なセミナーが目白押しだが歴史がないものだからどの研修に出ても説得力に欠けどこかで聞いたような話ばかり。実は覗いてみないと不安であるからという参加者が大半。全員が消化不良、会場で買い求めた書籍や書類が読まれることもなく机の上に重ねて置かれている。「独白」・・・私だけかもしれない。私は糸賀先生の「福祉の思想」これだけで充分であります。・・・・
 昨年は私にとって全国の同業者と接する機会が多かった。それは県の代表という役目を頂戴したからで有難かった。なるべく多くの方と話すように心がけたつもり。共通の話題、「障害者自立支援法」があったから話し易かった。だが、それは入り口の話、自分ではどうするのかという中身の事になると思考停止、全く先に進まない。だから当然出口が見つからない。
 今年は、少し視野を広げようと思っている。職員研修も以前に法人として実施した自由研修(どこでも良い。但し研修の目的と報告を徹底)を職員に行ってもらう。自分自身も業界から離れて方向を探ろうと思う。
 新法への悪法論議は、限られた狭い世界の一揆だ。依然として国民のコンセンサスを得ていない。それを証明する事件が続発したではないか。大きなニュースとなったコムスン事件の後、同様の不正事件が福祉の業界から無くならない。お前さんもどうせ同じ事をやっているんだろうという冷めた国民の目を業界の誰もが感じたはず。そして一向に減らない障害を持つ子とその家族の悲劇。生徒が集まらず閉校を余儀なくされる福祉系教育現場。外国のメデアが成熟した日本の病める部分という見出しで論評した。現実には1割に満たないトップ企業のおこぼれが有ってどうにか辻褄合わせが出来ること。そこには9割を超える国民の政治への不審と官僚社会への不満怒りが充満している。(中小企業の正規労働者の平均年収が270万、100万に満たないワーキングプアー)
 そして福祉業界もその9割の中に入るのだ、当に政治と行政の身の振り方で一喜一憂せざるを得ない現状、これを打開するには、ここだけの話、一つの政党に荷担しないことである。政党ではなく議員本人の人間性と真の能力にかけるしかない。残念ながら私の身近にはいない。それに国や県、そして市町村行政との付き合い方、それは既得権を担保にした要望では説得力に欠ける。
 振り返れば、初代は制度が無かった時代、自分達が苦労して作った時代。我々の時代は、その制度の中で事業を展開してこれた時代、これからはあらゆる意味で未知の時代となる。事業継続(sustainable)!への限りない挑戦だけ。

770:ブリッジ法案

昨日は県の文化センターにおいて第57回の福祉大会が開催されました。1100名を超える表彰者が集まり8割方県内一の定員を誇る会場が埋まりました。記念講演の田中玲子さんの話は殆どの方が目頭を押さえながら聞き入っていました。彼女は網膜色素変成症という病気で現在は微かな光を感じるだけ、武蔵野音大を卒業し、ソプラノ歌手。結婚して三人のお子さんを育てられた。彼女が自らの病気を知ってから(中2)様々な心の葛藤と闘いながら前向きに生きてきたお話でした。ピアノの伴奏に合わせ、三曲の歌を唄ってくれました。その澄んだ声が広いホール全体に響き渡り、ちょっと早口で要約筆記が間に合わない位でしたが、自然体でお話しする姿は本当に光っていました。
 式典では県社協関会長が「とても感動的な話を聞き、涙を流しながら聞き入りました。自分でも反省しきり、新たな気持ちでスタートする気持ちになれました。」と挨拶された、その言葉は会場を埋めた全ての人々の気持ちを代表していました。
 私の両隣の方も何度もハンカチで涙を拭っていました。
 ヒトに感動を起こす話をされる方は自分自身が多くの感動を経験しているのです。
私はインプラントの手術をしたばかりで歯が腫れだしたので夕方の懇親会には欠席させていただきました。
ちょっとここで経験談。
 医大の手術室、広いのには驚いた。いくつも部屋があって同時に手術ができる。車イスに乗せられ手術室担当の看護士とバトンタッチ、無菌室だから、そして手術台に横にさせられる。目隠しをさせられ、帽子を被され、両手にはなにやら吸盤をペタペタ、心電図の音、あー俺の心臓が鼓動している。少しボーとしているのは点滴からの薬のせい、口を金具で固定されいよいよインプラント、想像はしていたが、ここまで大それたことになろうとは?お釈迦様にも気がつかめー!まな板の鯉である。
 一週間前から内緒で座禅を組み始めていた。腹式呼吸、数字をひとーつ、ふたーつ。目をつぶり。般若心経。
約一時間、三本の埋め込み終了、部屋に戻り仮眠二時間ぐらい休んだだろうか、看護士さんが「大丈夫ですか」との声かけで気がついた。今は一般歯科でも行う。それが大学病院(阿見医大)口腔外科、それには理由がありまして、例の血液サラサラの薬を飲んでいるからである。
 入れ歯では対応できないので思い切りインプラントを入れることにしたのである。以上
さて歯の治療でブリッジで固定する方法が多く取られている。
 今朝の新聞でブリッジ法案という事が書かれていた。つなぎ法案のことのようだ。確かに一時的な意味でブリッジを使う。
入れ歯も同じだ。ごまかしながら取りあえずということだ。抜本的見直しとかどうも政治の世界ではセンセーショナルな言葉を使い過ぎる。中身はいまいち???福祉の制度にインプラントを実施する勇気はないのでしょうか。
 運悪く、千葉の友人から電話、「福祉さんよ」ときた。私が歯の話をしたら「おらーな60過ぎても虫歯一本もねー。ピンピンだ!自然生食べてっからよ。」「だがよー。茨城は大したもんだー。今年も知事さんとやったんか?千葉はだめだー」
 好きな事を一方的に話して電話を切った。
 そういう彼も千葉で大きく福祉事業を行っている。虫歯が無ければインプラントの必要は無い、そうでしょうが。