源究47

鐘楼堂上棟風景
NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
520 獅子奮迅 2/22 531 累犯障害者 3/6
521 ひばりちゃーん 2/23 532 たから物 3/7
522 ありがとう 2/24 533 打てば響く 3/9
523 鐘音に託す 2/25 534 ここだけの話 3/10
524 人事異動 2/26 535 たんぽぽ 3/11
525 アウトソーシング 2/27 536 ギックリ腰 3/13
526 自閉症の世界 3/1 537 ジックリ腰 3/14
527 一喜一憂 3/2 538 見直し 3/17
528 職員に告ぐ 3/3 539 涙&微笑み 3/18
529 職員へ第2弾 3/4 540 ご用聞き 3/19
530 継続 3/5 541 第2回本人部会 3/20

520:獅子奮迅

イケイケどんどん、鳴り物入りでの突撃だ!昨日、4回に渡る事業団の中長期計画策定委員会が終わった。報告書を理事長である橋本知事に提出することになった。私は前回の委員会にも委員になっていた。10名の委員の中で私だけが継続していた。どんな意味なのか?余り考えたことは無かった。多分、住田は好きなことを言うから言わせろという執行部の判断に違いない!構わない、今日も私が口を切った。そしたら思っていることが次から次へ出てきて止まらなくなってしまった。他の委員の目が私に向く、構うもんか、獅子奮迅とはこのような事かと自分で意識しながら意見を述べる、これは前回には無かった自分だ。自棄に成長?したものだ。内部告発の意味でここに書いているのではないと前置きする。私の本音は事業団経営の事業所を民間にはできないことをやれば良いと存在を認めている。正直私どもが今までに助けて頂いたこともある、また、現在執行部の連中は殆ど私は知っている。コロニー創立当時から知っている人達がズラーと頭を並べての会議だ。最高で県が負担支出していた時代単年度で25億以上あったものが半分以下に減らし、今後更に6億まで下げるという方向が決まっている。減額したお金がどこに使われるかまでは知らない。しかし、その1割でも民間や在宅の障害者に県の単独事業財源に使えれば様々なことができる。私は制度の有無に関係なく、サービス事業のコンペをやれば良いという考えを持っている。アイデアはニーズから生まれるという持論だ。その財源にこの減額分の一部が活用できればもっと活性化すると信じる。そのような思いを込めて過去8回の検討会議には全て出席して遠慮せずに意見を述べた。前回の委員会の時は組合の執行委員とかが私の園にきて意見(?)を述べて行った。今回は幸か不幸かない。来たら逃げる気持ちなど全くない。喜んで論戦しましょう。
 さて、不思議なもので、好きな事をあれだけしゃべってスッキリと帰ることができると思うのだがそうは問屋が卸さない。毎回、高速のサービスエリアに車を止めて横になって考えた。「自分の施設はどうなのよ?」本当に困っている人は在宅にいるんじゃないの?制度に縛られているのは住田お前だろう!定員があるからとか出来ない理由を前もって用意しておき、こう言ったらこう答える。ダメダーな。少し、自らを反省し、園に戻る。

521:ひばりちゃーん

イメージを変えよう!ピンクピクルスに飽きたわけではない、本日より私のBGMをひばりちゃんに変えたのであります。今私の左足元のカセットよりガンガン聞こえて来ます「勝つと思うな 思えば負けよ・・・・人は人なり のぞみもあるが・・・」  「1人ぼっちが 好きだよと言った心の 裏で泣く」   「胸に根性の 炎を抱いて 決めたこの道 まっしぐら 明日にかけよう 人生一路 花は苦労の 風に咲け」そして私の大好きな歌川の流れのように「生きることは 旅すること・・・・・夢探しながら 雨に降られて ぬかるんだ道でも いつかは また 晴れる日が来るから・・・」で締めくくる。これがですねお恥ずかしいことですが、聞いていると自然と涙がこぼれてしまうのです。良く最近言われるんですよ。涙が一段ともろくなったと。好きに言わせておくさ!  最近話題になった森進一の歌「おふくろさん」を作詞した川内さんが怒り心頭もう森には歌わせないと話していたことが頷ける。たかが歌 されど歌ですよ。全身全霊の魂の叫びを文字に表し、歌い手がその心を解して精魂込めた歌に聞く人が感動し涙を流す。当に生き様が影で支える人と一体となってこそ名曲の名曲たる所以だ。さすればわたしにとってタイムリーな歌がピンクピクルスの若いお嬢さん2人から急に美空ひばりさんに変わったのでした。歌から聞こえる侘び寂の世界は涙無くして聞くことはできません。いいねー。元気をもらえるよ。BGMチェンジのきっかけは、ある日、道の向こうからピョコピョコ歩いてきたNちゃん。お下げ髪で帽子をちょこんと被り、赤いバックを首からさげて来た。写真一枚撮って良い?と声かけたら私の方を向いて直立、「ハイ ポーズ」  彼女の人生を考えたら、ひばりちゃんの歌が頭をよぎったのでした。人生何が縁でつながるかわかりません。決して捨てたもんじゃない。そこに微かな期待を持ち、我が道を歩めと先人は明日戦地に出向かんとする日に辞世の句を詠んだ。そのことを感ずれば今の時代捨てたもんじゃない。でしょう?そう思おうよ!

522:ありがとう

私の長年の友人よりメールが届いた。
「そもそもここ何年かは退職を考え、いつ辞める決断をするかということでした。もう充分に仕事をした、ということです。・・・・家族は皆賛成、息子からは大変だったのは本当はお母さんだった、とも言われました。ありがたくあり、また良く見ているなー、と感じました。しばらくはただのんびりと過ごします。子供達が旅行をプレゼントしてくれるそうです。・・・・・云々」
 彼とはどういう訳か歩調が合い、何度も今までに相談したり情報を交換してきた。県は違っていても同じ障害福祉の現場を任されており一番身近に感じていた。余程の思いがあったことだと思う。それを私としては尊重したい。「お疲れ様でした。」と直ぐに返事のメールを送った。多分彼のことだから今までとは違った形での福祉との関わりは持っていくだろう。「もう良いよ」と言われるかもしれないが、これからが彼本来の仕事?ができるかもしれないな。
 翌日、これもまた、同じ仕事仲間からメールだ。「これからどのようになるか分かりません。そのような中で私達夫婦の姿を見ていたのでしょう、子供達は誰も後を継ぐものがいません。私にとって次ぎに任せる人を選ぶ大きな仕事がまだのこっています・・・・・」と。若い頃、彼女のお父さんに私は言われた事を思い出す。「住田さん、あんたね。やるんだったら日本一の法人にするぐらいの覚悟をもってやらなきゃーダメだ」県内でも民間で一番大規模法人を築き上げてその理事長は亡くなった。その後を彼女は体調を崩しながらも無我夢中で法人切り盛りを行っている。どうもこのお二人のメールは自分の一番痛いところを見事に突いている。
 野党第一党のなんとか委員会の責任者の弁、「社会保障費財源は国から地方への交付金の削減と公務員の給与カットで?兆円の予算が消費税を上げなくてもできる・・・・」バカヤロー何もお前は分かっていない。俺が知っている公務員は殆どが休みも無く、机に書類山積みにして遅くまで格闘しているんだよ!野党なら野党らしく議員の数を減らし、給与を半分にする位のことが言えないのか!自分達のことは棚に上げておき、特権意識を振りかざす。何も知らない調べない、それで国会で質問するから迫力など全くない。ニヤニヤしている議員ばかりがテレビ画面に目立つ。真剣味が足りないんだよ。お前らは。福島県の山祭町の根本町長の垢でも飲めってーんだ。
 町の庁舎は廃校になった校舎。町長のイスは破けていてガムテープが張ってある。彼が言っていた、与党も野党も国民を見ないで自分のことばかり見ているんだよと。町長の風貌は古武士のようだと言っていた。『国家の品格』や『武士道』『鈍感力』という本が人気がある時代、その声に真摯に耳を傾け、それに応えることに価値を持ち自らに議員生命を賭ける議員が一体何人いるんだか? 分かんねベー。お前らこの国を食い潰す気か。馬鹿ったれ!田舎坊主だ。文句があれば束になって掛かって来いってんだ。俺あー堂々と逃げてやらー。ざまー見ろ。

523:鐘音に託す

平家物語ではない。現実に神立の地に鐘楼からの鐘の音が響くのだ。長年の夢だった。いま様々な感慨が浮かぶ。昨日、富山県から運び入れた梵鐘(口径3尺2寸)がつり下げられた。(上記写真)初打ちは6月頃になるだろう。今から大工さんがお堂の本格的な工事に入る。もういいかな!夢の一端をご披露しよう。完成すれば昼頃の時間に3回つく。「頃」という表現を敢えて使わせていただくのは、尚恵学園の利用者さんが当番でつくからだ。その辺は今風に言えばアバウト。尚恵学園は創設から51年が経つ、その間いろいろの方の応援があって今日まで至ったということは決して忘れない。私以上に利用されている人達全員がそう思っている。彼らの思いは見知らぬ人とも笑顔で「お・は・よ・うー」と挨拶を交わす、その姿から確信するのだ。その子達が神立の地に響く鐘の音をつく。それを聞いた人が何かを感じてくれればそれで充分。『くじけずにがんばっているんだよ、みなさんも そうしよう、な(1回)、な(2回)、な(3回)』と3回つくのだ。またまた住田流のこじつけだと叱られるかもしれない。素直に認めちゃう。そうですよ。
 昨日立ち会ってくれた、伊藤先生が話されていた。鐘楼はコミュニケーションの手段。時の音。
音色は変わらなくても聞く側により、受け取り方は様々。諸行無常を感じる方もあれば、生きる勇気を感じる方もいるはずだ。その思いを鐘音に託す。
*今、県内では梵鐘が盗まれるという事件が頻発、火の見櫓に下げてある半鐘がいつの間にか無くなっている。側溝の蓋まで盗まれる時代、果たして私が夢を託した梵鐘がつこうと思ったら無かったなどということが起こるのだろうか。「どうかいつまでも盗まれることがないように」という想いも新たに追加した。(2/25)
《 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り ・・・・》が 《 神立観音の鐘の声 諸行無情の響き有り・・・》にならぬことを。

524:人事異動

年度末になると私の得意としない役目が出てくる。法人のスタッフ80名の人事を決める役割だ。私の基本的な考えは職場は違っても同じ目的を持つ事業所の担い手だということは一貫している。しかし、スタッフの立場を考えると簡単に割り切ることはできないのだろう。この辺が働く立場にある人の気持ちが充分理解できないところ。さて、ここ数日スタッフ一覧との睨めっこ、語弊があるかもしれないが、将棋の駒を動かす棋士の気持ち、飛車と角の配置や香車はここに配置など、スタッフが知ったらどう思うか。毎年同じようなことをやってきた。いつまでこんなことやるのかな!
 私の友人の何人かが単身赴任で施設長をやっている。家族とまったく生活の場を異にしているわけだ。「大変だなー!でも羨ましい・・・・」など言ったらどうなるか、恐れ多くてとてもとても。
 昨日、鐘楼堂の上棟式を無事終えた。風も無く快晴の中で出来た。午前中法事が二件入っていた。あるお宅にお邪魔した。仏壇の前に初めて通された。きちんと整理された仏間の上には軍服姿の当主の父親の写真、それに一年忌を今日頼まれたお母さんの写真が並んでいた。お父さんは昭和20年8月に亡くなっていた。戦死だった。その時当主は1歳になったばかり、お母さんは26歳だった。それからの人生は想像できない。お母さんが書いたという句が写真の下に額に入れられ飾ってあった。「 ひこが来て・・・・・」小学1年ぐらいになった、ひこが法事の席にきちんと座っている。当主は子供が皆独立してて今は奥さんと猫二人(?)との生活だと苦笑い。どこかで聞いたような話。
 昔は赤紙一枚で戦争に取られた。出兵する人を村人が村社にて送り出した記録がある。寺の過去帳には南方ビルマ沖で戦死・・・云々と記載された戦死者の記録が残る。重要なのは記録ではない。残された人達の生活がどのようなものか!そんなことがお経を読んでいいたら急に込み上げてきて、またまた声が詰まってしまった。だめだなー最近感情が抑えられない自分をどうすることもできない。お経の後、少しお喋りさせていただく。当主と私の父はまったく同じ生い立ちだという事を話した。
赤紙一枚の人事など、今の時代やったらどうなるか!
 3月1日に発表、その後不服申し立てを聞く期間を1週間とる。時代が変わった。戦後62年の歳月は、今少子化の煽りをもろに受け、働き手不足の時代が直ぐそこに近づいているのだ。

525:アウトソーシング

給食サービス部門を外部委託することを決定、年明けてからドタバタしたものだから時間がない。自前のスタッフで今まで頑張ってきたのだが、思い切ることにした。尚恵学園は3カ所の厨房で調理を行ってきた。暖かいものを直で出せ現場の希望が入れやすいというメリットがいつの間にか薄れてきた。否、むしろアウトソーシング先の会社が内容が変わったということも大きい。専門屋に任せた方がより良い食事提供が出来るし人事管理で悩むこともなくなるという話を全国の仲間から聞いていた。相手先(業者)の当たりはずれは否定できない。その辺の不安を抱えながら3社ほど選んで見積もりを取った。条件が合う会社と契約することになっている。どうなるか依然として一抹の不安はある。
 今までの調理スタッフをどうしようか?私は勤務を続けたい意志がある方には職場は変わっても引き続き勤務してもらうことを最初から考えて個々の面接に臨む。結果は全員が継続を希望、正直、人件費が大変だとという不安が残った。年功序列の処遇は民間企業では化石化している。官庁などは以前としてその仕組みを踏襲継続している。何かの法的規制があってできないようだ。そこに徐々に私はメスをいれたい。正直、危機感を持たず学ぶ気概のない職員もいることは認めなければならない。その割合が?%、若い職員が意欲を失うような先輩集団では、この転換期を乗り切れない。このコーナーは多分に職員向けに発信している向きが強い。結構の数のスタッフが覗いている。理事長は本気だ。
 先の本コーナーで紹介したKさん(N0:522)は、「仕事は充分したよ、今は何も考えずゆっくりしたい」家族全員が認め退職を賛成したという。この生き様が実は大切だと思っている。日本の多くの若者がフリーターとかいう立場を選ぶ。その理由は様々だと思う。そんなに仕事の虫にならなくても生活できればいいじゃない!という生活重視型の考えは共通しているようだ。これなど当に豊かさの恩恵を受けているからできること。いつまで続くか分からない。
 一方、夢が膨らむ。プラスのスタッフが加わることで今まで人手不足で出来なかったことができる。
@地域環境整備Gをつくり、地域別に清掃計画を作り行政に売り込みにいく。
A送迎サービスの実施。
B手作りログハウス
C時の鐘などなど。これら全てが絵に描いた餅にならねば良い。
 

526:自閉症の世界

NHK3chにおいて午後8時から福祉の番組を行っています。「僕の生きる  自閉症の世界」という番組が28日にあることが分かった。直ぐに張り紙を出した。職員に見て欲しいと。私も30分の番組を新たな発見を持って見た。40年以上も彼らと付き合ってきた自分が正直恥ずかしくなった。今回の主人公のN君は5歳の時に自閉症という診断を受けたという。普通学校に通いそこで出会った担任の先生の気づき、自ら養護学校への転校を希望し、今、中等部2年生だという。担任の先生の弁、生徒1人1人に心のノートを書いてもらい、そのノートでN君の心の中を知り、愕然としたという。なかなか学級の中で自分の理解がされていないことを感じていたN君が書いたノートが紹介されていた。パソコンのホップ体に似た字で「僕たちは一生懸命生きている。生きていきたい。」「自分が手を叩いたり、飛び跳ねることは手が其処にあることを感じ、足があることを感じて安心する・・・・」彼は自宅のパソコンで今、詩を書いている。その文章表現には驚く。どうしてこのようなことを学んだのだろう。パソコンと同じアルファベットの文字盤を紙に書き、彼とのコミュニケーションの手段として使う。我々福祉関係者が特異行動として彼らの独特の動きをラベル化して得意になっていることへの彼らの本心の吐露だ。この番組で感じたのは彼らの成長の過程で出会った人々の感性が影響するということだった。ご両親の努力は勿論、二人兄弟のお姉さんの存在は大きい。今、彼の文章や詩が本になっている。私の思いつきでタイムカードの所に張り紙を貼って知らせた。うちのスタッフが何人見てくれたか、嬉しかったのはビデオに撮って欲しいという者、言われなくてもVTRに録画した者がいた。この関係が福祉の基本になければならない。サービスをお金で換算する仕組みの中では、このような普段の取組が軽視されている。私はマスコミにもお願いしたい。国営の放送だから当然ではなく、民放だからこそオリジナリテイを持ってほしい。残念ながら朝や午後1番の番組は殆ど同じ内容のワイドショー、興味本意の報道はよりエスカレートするだけだ。
 そのような時に元朝日新聞の編集委員をしていた人が「針の穴通信」を創刊した。早速激励のメールを打ったら、直ぐに返事が届いた。反応第1号だったという。彼のマスコミでの経験がネーミングに託された針の穴を通すような内容に目を向けてくれることを心から期待したい。

527:一喜一憂

良かれと考えてやったことが相手にはそう通じないことって多い。そんな事を思いながら 夜いつものウオーキングをしていたら歩道の段差に躓いた。オットット。昨日、用事があって友人の坊さんと鹿嶋の寺まで彼の車に乗せてもらって行った。彼は安全運転、50キロの制限速度をきっちり守る。田舎道は追い越し車線など無く、道幅が狭い。ハンドル握りながらバックミラーを盛んに気にする。後ろを見たら、ズーと車列が繋がっている。「○さん、もっとスピード出せよ!」「やだーよ」「迷惑だろーよ」「嫌だ!」「このーガンコ者」乗せて貰っていて随分酷い会話が交わされた。実を言うと彼は高速でスピード違反で捕まったばかり。減点されているから今度違反したら×。規則を守ることは当然だよな。私も減点5点の赤点をいただいている。似た者同士???
 それから自分自身の事、約束通りに昨日19年度の人事を発表した。反応はチョボチョボ、理事長面接1週間とった。その時に私の真意を伝えるという考え、疑問があったら言って来い。こないでグズグズ言っている奴はダメだという考えだ。今、80名の人事管理は私の限界かなと考えている。何故ならば人相手の仕事には誰もが納得できる業務の評価はない。業績を数値化できない。今、尚恵学園を利用される方は入所型で140名、それ以外に在宅の人々の数は正直分からない。頻繁に利用される方がいるかと思えば登録だけして1年に1回程度、忘れた頃にやってくる方もいるからだ。尚恵学園の弱点は掴んでいる。そこをどう改善できるかが私の続投の是非&課題。
横浜高校の野球部監督の渡辺先生の話を聞いた。今、指導者は役者にならなければならないという話、40年の野球指導の経験と前人未踏の甲子園44勝4冠達成というこの監督の話だから説得力がある。役者魂は聴衆に合わせ本質を掴み、実をとる演出によって開花する。脚本家OR演出家、そして大切な聴衆があって成り立つ舞台。
 福祉事業の場合は聴衆は実は利用者ではない。利用者は全てに配役されるべき。台本を作り、演出し聴衆にもなるのだ。この三者を妙に区別するから脱線する。一喜一憂があるからこそ芝居は続く。人生なんて人それぞれが座長である興行師みたいなものだ。それが利用者本位ということに通じる。
 市会議員の選挙がある、夕方暗くなってから今まで顔も出したこと無い先生がペコペコしてやって来た。
今の政治が病んでいるのは、先生と自称する方達がどうも聴衆不在の独演会を演じて自己満足しているからだ。党利党略の巣に成り下がっている。パクリややらせ質問などが証明する。私の関心は、今こそ日本の政治が障害福祉をどう導いていくかということをじっくり見極めたい。当然、財源問題然り、今回の2年間という期間限定の特例交付金などのごまかしではなく、長い目でどうするかである。それでなければ郵政民営化論議の影に隠れていつの間にか出来上がった法律の犠牲者は増え続ける。

528:職員に告ぐ

理事長の独り言:本来その意味で初めたこのコーナーだ、原点に戻ろう。3月1日来年度の人事を発表させていただいた。それぞれの思惑があり、受け止め方も様々。こうなることを正直覚悟し、臨んだ節がある。それは何故かをここに披露しよう。格差社会になったという時代の流れの中に尚恵学園の中にも同様の格差が有る。それは仕事に対する姿勢や思い入れの格差、一方では能力の格差は如何ともし難い、しかしだ幸か不幸か本人の努力によって周囲が認め合う関係が現に尚恵には存在していた。これは我々として大いに誇れると思っている。個をお互いが認め合う関係。尚恵が長年かけて築いてきた土壌。分かりやすく言えばチームワーク、だが現実はもの凄い勢いで変化している。このことに気づいて貰いたいという一心で機会ある毎に私は皆さんの前で話してきた。「そう言ってもどうにかなるでしょう!今までもどうにかなってきたから」という気持ちが職員1人1人に無かっただろうか、それを私は問いたい。今までやって来たことを誇りに思うことは大切だ。仕事へのモチベーションを上げるには役だってきただろう。だが・・・・・。井の中の蛙という状況も否定できない。理事長が言うからとか異動になったからということで現実に目を向けず自らを正当化しようとしていないか?この機会に自らに問うてもらいたい。現場を抱えていることを自負するのであれば現場から改善のアイデアを出して然るべきと考えるのだがどうだろう?
 法人の努力目標に   創意・工夫・責任・真心
を掲げていることば何を意味するかだ。
 抽象的な事をいくら書いても分からないかもしれない。一つの例を示したい。
大阪の八尾市で起こった見ず知らずの3歳児を突然抱きかかえ、歩道橋の上から突き落とす事件が起こった。マスコミが興味本位に報道するものだから、尚恵学園の地域の人達の反応も敏感になった。私はこの地域に住んでいるから地域の変化は直ぐに分かる。つまり、良かれと考えて行っていることでも一つのきっかけが元で今までの努力を全て無にすると言う時代になったということ。この自覚は正直福祉関係の従事者には少ない。大目に見てもいいだろうとか、自分達がこれだけの事をやっているんだからと。しかし、人の命の尊さは、もし、事業所の過失によって起こった事件であれば一瞬の内に消し去られる。これが社会のルール。公平性というものだ。最近の事例では千葉県での老人監禁事件で介護施設が廃園になった。マスコミ報道の2週間後である。栃木県の某知的入所施設は3月で閉園する。老人関係事業所が毎年500カ所閉鎖しているという情報もある。華やかにまた急速に拡大した福祉事業が競争の中で当に生き残りバトルの中に突入している。そのことを如何に自らの事として貴方達が感じられるかということを私は問うている。
 私はこの仕事に身を投じた時から覚悟をしている。決して自らは諦めないと、それで私は悔いを残すことはない。皆さんはどうか?自らに問うて欲しい。尚恵学園で働くことで自分が後悔すると思えば、転職を考えるべきだと思う。今、そのことを真剣に考える時期であることに間違いない。(3月3日)今日から理事長面接を始める。

529:職員へ第2弾

面接を開始し、9名が終わった。普段から話すことが少ないという印象を強く持った。私は酒が飲めない、こちら側はその気が無くても相手は身構える。これは仕方がないことだと思う。酒の力を借りれば本心を言ってしまうこともあるだろう。私は誤解されやすいが酒などの力を借りなくともいつも本心だ。相手はどうか分からないから当然気まずい雰囲気やミスマッチが起こる。でも、言葉尻だけでお互いが理解し合えるということはない。普段の身の振る舞いが最も大事でしょう。「理事長は食堂で子供達と一緒に食べなくなった・・・」と指摘された。実は私が気になっていたこと。特に今年は給食の外部委託を決めたから、そのことがどうも気になっていたのだ。去年から外の用事が急に増えた。昼までに戻ってこれないことが多くなった。「理事長はもっと私の寮の方に来てくれないんですか・・・」「私が・・・・」様々な意見が出された。整理することなどできない。一問一答すら難しい。最低限今施設を取り巻く環境とこれからこのようにしなけければいけないということを訴えた。どう受け止められたのか。
 今更なんでと思うことも多々ある。ぶち当たった時に伝えるのが一番効果がある。それが普段の関わりが薄くなると出来ない。今回の面接の場は後付ながら私に取っては一対一の真剣勝負の時間。
 今日は本堂建設時にお世話になった檀家さんの奥さんが亡くなり、その葬儀に出向く。面接は中断。本棚にしまってあった落慶式の写真帳を取り出して開いたら、車イスでニコニコして隅っこで式に参加していた父のスナップがあった。車イスを取り囲むようにして建設委員の四人が一緒に写っている。五人の内、四人は既に亡くなっていた。お一人今も健在な方の奥さんが今日の葬儀、時は止まることはしない。知らず知らずの内に年を重ね、迎えがくれば旅だっていく。
 職員に限らず、利用者さん達の事を考えると居ても立ってもいられなくなる。彼らは自分の意志で変わることもできない状況に長年我慢してきた。ここにこそ、本来の福祉の視点を置くべきだと思う。昨夜、みのもんた司会の二〇人の国会議員の討論番組を見た。編集の時点で返答に困るような質問が用意された。国会などは質問事項を予め提出して下調べしておくことが常識の世界、だから普段なれていない議員さん達、国会での歯切れの良さ?はどこかかに行ってしまった。どうもこれで本当に国民の代表なの?彼らが法律を作る。今回の自立支援法によって我々事業所の混乱は相当なもの、決して今までがベストの選択であるなどと考えていない。しかしだ、国からの変更変更の連続の中で、我々事業所が必死になって対処しようとしているのが現実だ。危機感を煽りながらも密室の中で検討が進められている。これなど根本から変えなければならない。障害認定一つにしても導入されて半年も経たないうちから二年後の見直し作業が始まる始末。一体この国はどうなっていくのだろう。その問題を共有するまでは正直限られた時間での面接で伝えることは不可能、せめて職員への感謝の気持ちは伝えたい。
 

530:継続

事業の継続の価値は何か?福祉事業の歴史は高々50年、特に老人福祉などは20年がいいところだろう。その中で既に浮き沈みがはっきりしてきている。理念無き事業の盛衰は明確だ。今、日本中にあるゴルフ場は大半が外資系企業が何らかの資本参加している。だから、名前がいつの間にか変わっている。投資会社は買うのも早いが見切りを付けるのも早い。如何に資本を増やすかということで、その先はない。国内線で羽田に降りる飛行機は千葉の九十九里沖から着陸態勢に入る。その時窓から下をみると乱開発されたゴルフ場の数がもの凄い。プレーしている人には分からないが上空から見れば一目瞭然。環境破壊だ。京都議定書の二酸化炭素規制が話題になったが、人間は自利のために他の利は軽視してきた。レジャー業界の盛衰程はっきりしているものはない。人間の興味はそれだけ一貫性がなく常に変化するからだろう。仏教社会事業の歴史は古い、私が学生時代に調べただけでも古くは聖徳太子に遡る。悲田院、施薬院の歴史的価値は今こそ見直されるべきだ。当時は少なくとも自利というものは二の次であったはずだ。空海が初めて庶民教育の場として開創した、しゅ藝種智院は天長5年12月15日大師55歳の年であった。今から丁度1180年前である。今の建築基準と資材の耐久年数は高々50年だろう。都市に乱立する高層ビルを一体どうするのだろう!実は今、高知県の東洋町で町を二分する核燃料最終処分問題も人間の自己矛盾を現実のものとして我々に突きつけている。後のことはその時考えれば式の手法は今最新技術を誇る原子エネルギーの分野でも燻っている。
 政治もしかり、無責任な対応がこれだけ目立つ時代は嘗てあったのだろうか?誰しもが問題を感じているが、社会が民主主義の個を尊重するという理想の元に自らの利を追求しすぎるために、解決策は見いだせない。私は決して政治政党の是非を言っているのではない。日本の政党の場合はどこの政党であろうとそれほど大差を感じない。
 むしろ、未開の地を訪れて忘れていたものを気づくという経験をしたことがないだろうか?先月、急に思い立ちタスマニアに行ってきた。世界遺産を守る為のオーストラリアの努力は想像を絶する。正直不便を感じることが多々あった。しかし、今思えば便利性はこちら側の尺度、貴重な自然を守る事にはこちら側(自利)の論理だけでは決してできない守れない。事業の継続とその点は一致する。何を大切にするかということ。そして、関係者が連携して立ち向かうこと。昨日の暑さは今の時期異常としかいえない(関西で20度を超した)。確実に自然環境が破壊されている証だ。

531:累犯障害者

『ただ・・・謝るしかない・・・謝るしか・・』
昨日の夕方だった。職員から携帯がなった。「園長、6チャンネル見て下さい。今大阪の事件の事をやっています」早速テレビをかける。『現場を踏む』というレポートだった。皆さんの記憶には未だ残っているでしょうか?私の中には常にYという犯罪を繰り返した青年がいます。累犯障害者というのは、法律では懲役刑になった者が,刑期を終える5年以内にまた犯罪を犯すものを言うらしい。Yは過去6回の逮捕歴がある。そして、3歳のリオンちゃんを突然歩道橋から突き落としたのだ。幸い、回復に向かっているという。リオンちゃんのお父さんも偉いと思った。「障害者だからという気持ちはないのです。ただ子を持つ親だからこそ分かりあえることはあると思う」とどこでも入所を断られたYを受け入れた「ゆうとおん」の施設長とYのお母さんそれにリオンちゃんのお父さんが会った時に話された。その時の母親の口から出た言葉が上記の「ただ 謝るしかない」ということだった。Yと母親は二人暮らし、今までに息子が犯罪を犯すたびに世間の冷たい目に耐え続けてきたに違いない。やっと受け入れてくれる施設が「ゆうとおん」、そこの施設長が話していたこと。入所の時にYの前歴の詳細は聞いていなかった。私は同業の身として「ゆうとおん」の施設長のYにかける思いを想像すると本当に頭が下がる。そして行政の対応に怒りを感じた。私の友人の息子さんが以前指導員をしていた大田原市の「かりいほ」(累犯障害者を受け入れている知的障害者施設)が紹介され、石川施設長がコメントをしていた。「彼らは人の支援を必要としているんです。社会の仕組みとしてどのように彼らに関わる場をつくるかですね」と利用者と薪割りをしていた手を休めて話された。
 我々が今、目指そうとしている障害者の地域生活は何も知らない人達に取っては関心もなく、積極的に関わろうともしない。全く他人事。確かに地域生活することで彼らは開放感を身をもって感じ、支える人がもしいなかっならば脱線を繰り返す恐れは否定できない。それも実はほんの一部の人なのだが、No499とNo500で触れたが社会からの被害者に母親も加えたい。はっきりとした統計は手元に無いが、知的障害者は加害者になるよりも被害者になる数が圧倒的に多いはず。
 それから昨日の参議委員予算委員会の様子をテレビで見ていた。どうもしっくりしない。違和感を感じた。質問者は自分の得意とする政策論を盛んに声を大にして訴えている。何か自分の利になるようなパフォーマンスにしか感じなかったのは私がひねくれ者だからなのか!障害者自立支援法を質問する議員はいなかった。(事務所費の領収書が1万以上にしうようが5万以上にしようが大した差がないでしょう。先生よ。あんたら、国民を愚弄しているのか!
それよりも今この時間にどれだけの問題が起こっているのよ。先生1人分で充分職員10人は施設にまわせるんだよ。分かっていないよなー、今回都知事に立候補?する浅野さんが障害福祉を充実したいと話していた、かすかな期待を持って眺めてみよう。

532:たから物

朝の出来事、『ホレ!』とNさんが私に差し出した物が上の写真の四半ぐりの数珠だった。「どうしたのこれ?」と尋ねると「偕楽園で買ってきた」多分水戸まで飲みに行ってその時に買ったものだろう。「これ。くれるの?」「ウダー」
 Nさんは何度かこのコーナーで紹介した渥美清を地でいくフウテンの虎さんみたいな人だ。イヤー感激だ。なんでこんなものを買ってきたんだろう?「これ、高かっただろう?」と聞くと「ウダー高かった」「いくらだった?」「200円」
一瞬カクときた。「うーんそうかそうか」Nさんありがとうな!
 実は以前から私が腕に数珠をやっていたのを知っていたのかもしれない。その数珠を先月切ってしまって今はかけていなかった。(その念珠はここだけの話ですが、長谷寺で一万二千円で買った白檀だった。六十本も買えるけどそんなことどうでも良い。感激だ)最近かけていなというのを知っていたのだろうか????四半ぐりの念珠は実は108個の4分の1だから正確には27個が正しい。でも彼がくれた念珠はどういう訳か28個だった。一個はオマケ。たから物だ!大事に使います。
 Sさんは学園の畑の一画を自分で野菜を作るのに精魂込めて畑に鍬を入れる。彼が声をかけてきた。「こんど。できたら届けっからなー今よー種まいた」「あいよ。待ってるよ」彼は在宅から直接GHに入った。最初はGHにどうしても馴染めなかった。会う度にこんなところ出ていってやらーと啖呵を切っていた。誰の提案かしらないが、ある日から彼は十坪ほどの畑を自分で作ることになって変わった。
 そしてまんだらに通うK君は私が寺に停めて置く車にホースで水をかける。決して綺麗になったとは言えない。でも本人は車を洗っているつもり。私が頼んだ覚えはない。彼との約束は果たしていない。彼は成人寮を指さして「向こうで生活したい」と訴えているのだ。理事長の車を洗ってやれば希望を入れてくれるとの彼なりの判断か!
 これらの一こま一こまは実は今日あったことを今思い出して書いている。こちら側の聞く耳がないとそのままになってしまう。彼らの自己表現は1人1人違う。
 最近、このコーナーには偏りがあったと反省している。挑戦的というか不満のはけ口に成りすぎた。自分の気持ちを何かにぶっつけたいという想いが強かった。しかし、彼らの無心の生き様を見ていると、なんと自分がちっぽけなんだろうと感じる。いつもそうだ、何かに迷うと彼らが気づかせてくれた。これが原点だ。
 何が大切か彼らは良く知っている。これに我々がどう応えられるかという肝心なことにもっと目を向けるべきだ。
 念の為に・・・・・議員さんの中には障害を身内に持たれている方が結構いるという。その方達は我々の訴えを真面目に聞いてくれると誰かが言っていた。そうでしょうとも、 
 

533:打てば響く

阿吽の呼吸、打てば響く関係。果たしてこのような関係は今の時代望んでよいのだろうか?
昨日、職員との面接が終わった。次は担当部署でのミーテングに私も今回は参加しようと思う。一つ今回の面接での収穫を披露しよう。仮にOという職員にする。彼とは10分程度しか時間が持てずゆっくり腰を落ち着けた話ではなかった。ガーデニングを課題に話した。何度寮の廻りに花を植えても実は食べてしまう利用者さんがいるんですという話。私は利用者さんの体も心配したが、いたって元気だとも。それは一安心。その時にこんな話をしたと思う。「私達がもし綺麗に飾られた所にいって先ず何を感じるか。綺麗だなーとの印象後、誰がこの花壇をつくっているんだろうか。私が重視したいのは食べられて残念と感じる以上に相手が綺麗なところで利用して頂こうというこちら側の姿勢がもっと大切だよ」その後、日を置かず彼は1人で寮の前のフェンスに花を飾った。
 変な理屈をこね回すことより、良かれと思うことは先ず実践すべき、打てば響く関係が一番だと思う。
如何せん福祉に携わる人間は不器用な人間が多い。不器用なのに福祉論などを振りかざすものだから、直ぐにボロが出る。言行不一致はいかんよ。
 実は昨日の話、市での認定審査会の前に時間があったので、急いで牛久まで出かけた。秦さんが企画している「テレジンの子供達の絵画展示」世界の3分の2以上の国を巻き込んだ第2次世界大戦でのアウシュビッツで子供達が描いた絵と写真の展示だった。150万以上と言われる収容所で亡くなった15歳以下の子供達の叫び。争いが終わることを信じ、家族と身を隠していたところを秘密警察に見つかり収容所に送られて、そこで亡くなった子供の絵も飾られている。秦さん夫婦の事は話では知っていたが、会ったことは無くメールでの遣り取りだけ。展示会場になっている1階のレストランで食事をしていたら、携帯片手に忙しいそうに電話をしている方が目についた。盗み聞きするつもりはなくても隣席だから話の内容が聞こえてしまう。ひょっとしたら。思い切って「あのー秦さんですか?」と尋ねたら不思議そうな顔をされた、「住田です」と自己紹介、すると「あれー結構お若いのですね」と言われた最初の挨拶がこうだった。これも打てば響くかなー!
 社会の歪みは、一番弱いところに出てくるとNGOで中国の黄土を緑地化しようと現地に渡って活躍している高見さんの話もあった。戦争のあったのはつい60数年前の事、決して遠い昔話ではない、しかし、どうだろう。今でも世界のどこかで紛争が繰り返されている。豊かさを金で計算する時代にいつからなったのか。GDPとかGNP、今、世界で一番急成長しているという中国の実態、北京や上海が中国の全てではない。内陸部の農村地帯の生活は日本でいう格差問題など比較にならない。むしろ中国全体からみれば豊かさ?を享受している人達はほんの一部だ。何故中国は人口が増えるかという話で家族を守っていくためには男の子が絶対という観念が根強い、先祖の墓参りは男しか行けないという地域では男の子が生まれるまで子供を作るという、子沢山故に生活が苦しい。しかし、観念を優先すればそれも一理ある。むしろ経済の豊かさを得て失ったものをもう一度取り戻すことの方が実は難しい。
 打てば響くというテーマがいつものことだが脱線転覆。次から次に浮かんでくるものを如何ともし難し。

534:ここだけの話

金原亭○○さんを呼んで研修会をつくばで行った。実は布教師会主催の檀信徒研修である。私はどちらかと言えば足を引っ張ることはやっても準備段階からお手伝いは殆どできなかった。師匠はJRの関係で到着が大分遅れ、気をもんだ。しかし、プロだねー感心した。素早く着物に着替えお茶一杯のんで講演に入った。慣れていると言えばそれまでだが、金看板を背負っている噺家さん。1時間15分の時間内に講演と落語それに踊りを見せてくれた。
 楽屋での話が私には面白かった。落語界の裏話をいろいろ聞くことができた。三平さんの楽屋裏の話や漫才のコロンビアトップライトの話などなど。ヘーこの世界も坊さんの世界と似ているところもあるな。
 その後の研修は地元布教師の坊さんの話、私は何度も聞いている。果たして出席者の反応は?事務局だったから落ち着いてその辺の反応まで確認は出来なかった。質疑応答の時間が持たれた。ここだけの話です。(前置き)
 法事に行くときに入れる袋の質問、御仏前OR御霊前どちらが良いのか?私が回答者だったら「そりゃーどうっちでも良いでしょう。大事なのは中身です」と答えてだろうなー。しかし、「49日までは御霊前が良いと思います」という回答だった。「ウンー」と唸ってしまった。それから「供物はどっち向きに上げるのが良いのでしょうか?」多分私が回答者だったらこう答えた。「そりゃーどっち向きでも構わないでしょうよ。大事なことは・・・・・」だと。そしたら「仏前に向かって名前を手前にしてあげるべきでしょうね」ということになった。「ウームー」声が出なかった。
 また、「布施にお布施と『お』をつける本当の意味を教えて下さい」すると「相手から見返りを期待しないという事が布施の原則です」という回答だった。「ウームー」私が質問したくなった。「原則は分かりました。それじゃー中身は関係ないんですね???」と。檀家さんの研修会さすがにいくらひねくれ者でもそれは出来なかった。
 しかし、私はフロアーに居たから良く解っている。実は実は質問された方は皆さん承知の上で質問していたんですよ。ヒソヒソ話が聞きたくなくても聞こえてきましたしねー。そのことを研修終わってご苦労様の時にちょと口が滑ったもんだから講師の坊さんに言ってしまった。ごくろう様でしたー。これでおしまい。6年間お疲れでしたーだ。やっと事務局から無罪放免だ。

535:たんぽぽ

田圃の畦道を歩いていたら、タンポポが一輪咲いていました。私が子供の頃は、この道は砂利道、車のタイヤの後以外は草が生い茂る道でした。それがいつの頃だったでしょうか?舗装にされて道幅も拡げられたのです。朝晩今私はこの道を歩いています。普段は何も感じることなく、むしろ頭の中は様々なことが駆けめぐり、道端にあるゴミぐらいにしか気づきません。今日は側溝の蓋の隙間から根を出して咲いたタンポポに目が止まってしまったのです。(トップページ写真)
 昔、良く自分に言い聞かせたこと。・・・・野に咲く 一輪の花に ほとけの心ぞや知る・・・・・・などと、今思うと恥ずかしい。
これも大分昔の思い出、山登りをしていたときに残雪が残る山道の脇に誰知れずポツリと咲いている高山植物に感動したことを。
 今日見たタンポポは凄い。アスファルト舗装の側溝の蓋の僅かな隙間から根を張って見事に花を咲かせている。
 《 ふまれても 根づよく 生きよ 道芝の
                     やがて 花さく 春も来るべし》 
私の知る今は亡き衆議委員議員の先生の色紙です。その息子さんより頂いたもの。農政一途に尽力された方で自家用車は持たず、すり減った靴を履き風呂敷包みが良く似合う先生だった。その先生は今はいない。実は私が戒名を付けさせて頂きました。生きていたら今の農林大臣の誰とかという先生をどう思っておられるか?事務所費計上の光熱水費500万往生際が悪いというか、潔く認めたらいいいべなー(参照:茨城弁が出る時は私の本音の部分)
 道芝とタンポポがダブってしまいます。タンポポの咲く道の両脇は田植えを待つ田圃、悲しむべきことは田圃に食べ残したゴミを投げ捨てる若者がいるということ。私は朝晩いつの間にかゴミ袋を持って歩くようになりました。自分達の大切な米を作る田圃に昔のお百姓は感謝の気持ちを持って春を待ちました。その姿をみて子供達は育ち、ゴミなど投げ捨てようとする者はいなかった。それが今、日本は根底から崩れてしまったのです。残念です。
 今の日本人は一体何に感動するのでしょうか?中年の女性はヨン様を追いかけ隣の国までグルメツアー。日本人の男性よ!黙って見てて良いのですか!怒れ、否、海上封鎖しろ。
 一方日本男児は自分の鼻に鼻冠付けて喜んでいる。あれが流行ファッションなのか?
 私が好きだった巨人、オープン戦全く勝てない。選手の顔が見えない。昔は1番・・・2番・・と言えた。顔が見えないと言えば五十嵐とかいう以前は髭を生やしていた選手が入った。巨人は髭を認めない。綺麗に剃ったら、迫力なくなって、あれ誰だっけ?巨人、しっかりせい。兵糧攻めだ。 

536:ギックリ腰

日;月の2日間は当に苦闘だった。日曜日は朝から冷たい雨が降っていた。午前中法事が二件入っていた。墓地開眼を雨が一番激しく降っていた時にやることになった。皆さん寺に集まっている。「今日日延べできねーもんな!」と半分期待を持って尋ねた。「もちろんでーす」と一蹴。仕方ねーな。傘さして開眼の作法をしていた。前屈みになったその時「・・・」あっっと思ったが既に時遅し。ギックリ腰。気づかれないように我慢しながら「それじゃー雨の中本当にご苦労さ様でした」とか言って歯を食いしばる。有るだけの湿布を腰に貼る。そして水戸に向かった。以前から準備を進めていた家族会との勉強会が午後一時半より、130名以上の人達が集まった。新体系移行を進めている事業所の施設長の報告と県の行政説明だ。私の思惑に反して約2時間半の研修、出席者からの質問がイマイチ、「皆さん、茨城が福祉が遅れているとかなんとか言っても自分達が動かなければ何も変わりませんよ。神奈川だってどこだって進んだ県は、皆さんケンカごしでやってきたから今があるんです。もっとしっかりして下さい」と各事業所の保護者会の代表の前で啖呵を切る。腰つきが可笑しいのは誰もが分かっているようだ。こっちの姿勢を組んでくれた人が果たして何人?意見が出ない理由も充分私には分かっている。施設長と同席だもの言いづらいだろう。それに危機感が施設間で大分違うことも一理ある。会議終了後、何人かにエレベーターの前で捕まって話を伺った。会議で言えばと思うのだが、これが県民性かな?
 その後、鹿嶋に向かった。4時集合で法類の住職の通夜だ。会議中5〜6本の携帯が鳴った。無視した。全て坊さんからだった。入れ替わり立ち替わり、自分達でやれやーと言いたい。しかし、私は今、法類会の幹事長、偉いんだ。私の指示待ち坊さんばっか!これこそ坊さん自立支援法だ。生憎だ。その日は鹿嶋アントラーズの試合があったために道路が混んでいた。案の定1時間半遅れ。通夜は6時から予定通り。忌中払いが終わり、鹿嶋セントラルホテルに泊まる。明日が早いので宿を取っていた。部屋に着くと急に腰が痛くなる。そのままベットに横になったが、どうも眠れない。今日の出来事が目まぐるしく浮かんでは消えた。翌朝、昨日以上に動きが悪い。少し動き始めれば良いのだが、つくばから来る坊さんに湿布なんでもいいから持ってきてくれと電話で頼んだ。12時からの本葬が終わったのが5時だった。「観音寺はいつもだよな・・・・この前は誰々の結婚式もギックリ腰で欠席したっぺー」「さすが幹事長、まとまった良い葬式だった」・・・俺あー言っておくが好きでギックリ腰になったわけじゃーねー。葬式に良い葬式と悪い葬式があるんかい・・・。坊さんが40名も集まれば好き勝手な意見、正直辞めたくなった。帰り自分の運転する車でコルセットどこにしまったかな?松山千春のCDを思い切りボリューム上げた。
 ・・・・『私のひとみが濡れているのは 涙なんかじゃないわー 泣いたりしない ・・・・・
        私は泣いたりしない  だって貴方の思いでは 忘れたりしない・・・  ???

537:ジックリ腰

やれやれじっくり腰を据えてだな、まーゆっくり考えてみなよ。あのなー
最近の私の昼食は回転寿司である。目の前に流れてくる皿を考えずに取っては食べ、入店してお茶飲んで5皿ぐらい食べてハイお勘定!約10分で「まいど」でサイナラ。2月3月常磐道の高速利用が急に増えた。サービスエリアーでのてんぷらソバも少々飽きた。連続4日という状況が1週間の中である。昨日は県の育成会の理事会、副会長をやっている。育成会自体に多くの課題があるようだ。何をどうしたらよいのかという事が整理されずに思いつきの事業を前年にならって実施している。心身協も実は同じ土壌があった。そちらは会長というまな板の鯉、悠長に構えてなどいられない。だから正直この1年は走りっぱなし、もういい加減にガス欠、そこでギックリ腰ならずジックリ腰の天の声、分かっていますよ。分かっていますとも。
 昨日、大工さんへ3時のお茶のためにドラ焼きをスーパーで買った。無性に自分が食べたかった。一気に2つ食べちゃって反省。
 近所のRさんがやってきた。「住職よ。ここんとこ体が調子悪くてなー。住職に言われた深夜便聞いているんだ。良い番組やってんなー」Rさんは早くに息子に家を任せ、80歳になった。小学校からの同級生同志の奥さんと悠々自適の生活。それが仲間が段々亡くなり、寂しくなってきたようだ。先日MRIの検査をしたらしい。お孫さんの結婚も決まり、何も心配することはないように思えるが、そうじゃない。人間は自分の死をどう捉えるかという最大のテーマをいつになっても持っている。「今年の施餓鬼には鐘がつけるかなー住職?」「できますよ、楽しみにしていて下さい」と答えた。
 腰が思うようでないので早めに入浴して、いつもよりこれまた早めに布団に入った。なんと午後7時半だった。8時過ぎに電話があった。「福ちゃんか、悪いな遅くに電話して、親父が今死んだ。葬儀頼むな!」という中学の同級生からの電話だった。「いくつになったんだ?」「94」
 昔、親父に何のことだったか思い出せないが反発した時に「お前なー。いくつになっても親子の年の差はかわらねーんだーよ」と言われたことがあった。
【閑話休題】
 来年度の在宅支援関係(日中活動部)のスタッフミーテング午後5時から実施。約15名のスタッフが集合、それぞれの部署に別れ、具体的な検討を行う。リーダーシップをどう取るか?実はこれは難しい。確実に言えることは従来の発想ではいけないということだ。問題の先送りやこちら側の理屈で望むことには拒否反応がある。期待が大きくなればなるだけ、その反動も大きい。しかし、考えてばかりで立ち止まっていることも許されない。
 今日(15日)車イス対応のワゴン車の寄付がある。寄付を申し込まれたとき私は久しぶりにその方と話をした。こちら側が寄付を受ける側、だが、寄付を申し込まれたその方は涙を流しながら受けていただけますかと懇願された。
 このことをどう受け止めるかという感受性の問題が今大切に思う。それは、当に我々がその涙にどう応えられるかということ。

538:見直し

企画検討委員会という厳めしい会議に昨日出た。何やら事前資料が送られて来ていた。実際、私は初めての出席だから白紙の状態で出席した。机の上には厚さ1センチ以上の分厚い資料があった。「これなんですか?」と隣席のNさんに聞いてしまった。「今日の追加資料だとよ」「ヘー」声が出なかった。県社会福祉協議会の事業の中間見直し、既に第3者による評価作業が終わっており、内部評価と合わせた地域福祉行動計画の集計資料だった。正直、今見せられて読むことなど到底できない。その辺が実は首を傾げる。事務局からの説明がなされた。それによって疑問がより大きくなった。年間の事業本数が270本あるという内容だ。それを計画にそって実行されているか否か、目標の達成度や今後の取組について話し合って欲しいというのが本委員会の主旨だった。ある委員が意見を述べる。「この膨大な資料を事務局が作るのは大変な労力、誰も見ない読まない資料をいつまでつくっていくつもりなのか?資料をつくる時間があるのであればもっとご用聞きをしなければいけない・・・・云々」当に私と同意見だ。多分今日の会議に間に合わせる為に資料作成をした担当者はムットしたに違いない。また、事前に行った評価作業に関わった人はどう感じただろうかとふと思った。県社協の場合は県の予算が無ければ動けない仕組みになっている。だから、OBも要所には配置され、従来からのプロパーが育たない土壌、これは一向に改善されていない。今回の会議にあたり、事務局でも苦労された点が伺えた。それは、A4版で検討ポイントを用意していた。私の性分でどうしようも無いのだが、それを見てカチンときた。
 *独自の事業を展開させていく為には自主財源の確保が必要である。(財源確保について)
 *事務局はゼネラリストとではなくスペシャリストになるべきである。(事務局体制について)
いずれの事項についても質問した。べきであるという事は理解できるがその具体的見通しと方法はあるのですか?
その回答については、正直頷ける内容の回答は無かった。つまり、待ちの行政を以前としてやっているということが一番の問題だと感じた。予算がないという黄門様のインロウはもう古い。
 市町村合併の中で支部社協が未だ体制が固まっていないことは認める。また、支部により事務局体制が相当の格差があることもわかる。だが、支部社協があってその上での県社協の役割だと思う。支部からの要望がないからという。また、ある委員が意見を述べた。「待っていては誰も言いには来ませんよ。自分たちから 市町村に出向いてご用聞きしなければ」当に良い所をつく人だ。彼は民間企業の経営者協会の事務局長、当に最前線での生の声を聞いてコーヂネートされている。どうも、役所的発想が抜けきれない社協の体制に不満が見え見えだ。
 実はその声をどう受け止めるかという事が一番重要だということは委員全員の一致した考えだ。
 私は意見として述べた。「見直しはいくら自分の所の年度毎の見直しをやっていても仕方がない。県が唯一設置している社協がもし比較する事業体がなければ他県に求めるべき。誰のための事業所なのかという原点を常に意識しながら事業を行うべきだろう。誰も読まない資料をいくら作っても仕方がないでしょう。一般の人から離れていくばかりだ」と。BESTでなくても良いからMUCH BETTERであって欲しいものだ。

539:涙&微笑み

近所でも評判の高いおじいちゃんが亡くなった。享年94歳だった。いつもニコニコして優しいおじいちゃんだった。詳しくは分からないが、徳島県で生まれ、ダム工事や地下鉄の工事を生業としていたようだ。どうして茨城に住むようになったかは知らない。90歳を過ぎても元気で良く家の周りの草取りをしていたようだ。最近は長年連れ添った奥さんが体調を崩され足が不自由になり、いつも手を繋いで通院に付き添ったりしていたという。近所の評判は勿論、家族からもとても愛されていたようだ。葬儀の最後の花を棺に入れる時だった。車イスのおばあちゃんがおじいちゃんの顔を手で撫でながら、『なんで先にいっちゃたのよー・・・・・。先に行って待っててな。ありがとう。ほんとうにありがとう・・・・・』と一生懸命に話しかけていた。その場面を見つめていた遺族の方達は涙を流しながらも顔は微笑んでいた。「おじいちゃんお疲れ様ありがとう」という気持ちが全員にあった。それを充分に感じた最後の別れだった。
 大正2年の生まれだと言うから激動の時代を生きてこられた。昭和の高度経済成長を影で支えてきた。多分晩年は家族と共にのんびり過ごされたと思われる。棺の中に一枚の賞状が入れられた。喪主に尋ねると開いて見せてくれた。ゲートボールで市長から頂いたものだった。
 誰かが言っていた。「元気で長生きしてポックリ逝くのが一番」これを実践されたおじいちゃんだった。多分、おじいちゃんの生き様はずっと遺族に語り継がれるだろう。もの凄く大切なものを残された。
 葬儀から戻り、テレビをかけた。ライブドアの堀江さんの判決の番組だった。私は彼の生き様は理解できない。裁判史上ではこの種の民事での2年8ヶ月の実刑判決は異例だという。軽いのかと思ったら重いというのだ。おかしいよ。5億円の保釈金を直ぐに現金で払ったともいう。そして地裁の判決に不服で直ぐに上告するともいう。この人はダメだなーと思った。
 私は様々な人の別れに立ち合った。株投資で財産を全て失い、家族離散した人の葬儀など悲惨としかいえない。
 自己責任だもの仕様がないでしょうと片づけてしまって良いのだろうか?ライブドアー関係の投資でどれだけの人達が被害を受けているのか堀江という人間の知的能力があれば分かるはずなのに。
 私はせめてこうやって欲しかった。「5億円を現金で払う財力がまだ残っているのならば株で被害を受けた人達に返して欲しい。そして実刑を塀の中で受けるべきだ。その後だ。彼が再挑戦できるのは。もし、今のままだったら多分彼は涙&微笑みとは永遠に関わりのない人生を歩むことになるだろう。彼を取り巻く連中は彼のお金に感心があるから擂りよってくるという事を知るべきだ。裸の王様という惨めな生き様はまだ34歳の若さではどうだろうか!

540:ご用聞き

毎週決まった日にクリーニングの主人自らご用聞きに来られる。それも午後7時前後の時間。多分私の家は昼間はいないことを知っているからだろう。この時期正直クリーニングに出すものがない。だからワイシャツ1枚という日もある。何か恐縮してしまう。私は町のクリーニングに頼んだ事がない。ワイシャツ1枚がいくらなのか?知らない。でも親父が始めた店を奥さんと必死に守っている彼が来るとたいへんだろうなと思ってしまう。『ご用聞き』をして仕事を見つけている。この努力が福祉の業界には少ない。待ちのサービスに満足?している。クリーニング店は一時期もの凄い勢いで増えた。最近は店終いするところも目につく。競争に負けたということなのだろうか。以前今の医療現場の事を触れた。検査結果だけを見て患者さんを見ない医者が多くなったと憂いていたベテラン医師。不勉強で分からないが、産業の括りで言えばサービス業は第3次産業、この原則はお客さんに直にご用を聞くことから始まるものだ。
 適当な言葉ではないが、尚恵学園においても相談事業を行っている。この部門がご用聞きである。実は営業時間など関係ない部門だ。しかし、この辺の理解度はイマイチだ。入所型の施設の職員は現場が一番大切だという間違った考えを持つ傾向がある。そうじゃないんだと私がいくら声を大きく説明しても、凝り固まったいる人間がいる。
 クリーニング店がチェーン店化して工場と受け渡し場所を分業にした。効率性から考えた流れだと思う。しかし、福祉と根本的に異なることがある。それは扱うものが物か人間かということ。
 私はラッキーだ。今朝のこころの時代で元長野市の教育長の奥村さんの話をラジオで聞いた。「畏敬」と「惜愛」という内容だった。教育者としての経験から分かり易く事例を挙げて話された。その中で耳に残ったことがあった。
 全校生徒1300人のマンモス中学校で全員を集めて話された時のこと。耳偏の漢字を5つ黒板に書いて説明したという。先生はみんなに質問した。この5つの字でなんでも良いから共通するものを言って下さいと。1300人の中でたった1人最前列に座っていた子が手を挙げて話をしたという。「自分にとって5つの字がみんな読めないことです!」と大声で述べた。他の生徒が一瞬笑ったという。しかし、直ぐに止んだ。彼は自閉症の障害を持つ生徒だったのです。この中で奥村先生が感じたこと。勇気をもって意見を述べた子にすばらしさを感じたという。これが畏敬の1例ですと。個を大切にすると言うことが叫ばれるが、どのようにして良いのかが分からない現場、子供との付き合いにしても先ず相手の気持ちを察する努力「ご用聞き」が必要だと思うんだな。(昨日水戸で心身協主催で障害者の本人部会があった。支援者を入れない本人だけの意見交換会、テーマは「恋愛」「生活」「就労」など。尚恵学園からも9名参加した)
 

541:本人部会

第2回本人部会茨城大会が3月18日に水戸の総合福祉会館を会場に開催されました。テーマは『かざらないで・・・・・ありのままに」でした。この企画は全国でも珍しい催しです。3障害当事者の活動として行われるものです。在り方委員会というものがあり、そこで企画を当事者本人が行って本番をむかえるもの。その本番が18日に開催されたのです。東海大学の竹之内章代先生の基調講演の後、昼食後に本人の分科会が4つのテーマ毎に話されたのでした。司会は勿論障害を持っておられる方、面白いのは支援員が入れないというもの、支援員は別室でパネルデスカッションをやるのです。正直何を話されているのか感心があります。でもこの企画のルールですから絶対にできません。「恋愛」「生活」などの分科会では、どのような話が飛び出したのか想像できません。
 当事者が一体何を望んでいいるのでしょうか?代弁者である親や支援者が話し合う場は従来からありました。障害種別毎にそれぞれ活動を行っていますから全国で数知れない位多くの場があります。茨城大会は昨年医療機構の補助金を頂いて始めたものです。
 今回は心身協が主催、共催に茨城県手をつなぐ育成会と精神障害者福祉連合会の3障害の団体です。
テーマの「かざらないでありのままに」ということは、何を意味しているのでしょうか?
 今、日本中が全く逆の状況にあるのではないでしょうか!何か必要以上に着込んで着ぶくれになり、あるがままと言うよりはお化粧を分厚くぬったくり,わざと素が見えないようにしている人達。これって相当無理していませんか?
 否、素を出すことを恐れているのかもしれません。
 情報が氾濫し、いとも簡単に得ることができるために本来の自分を見失ってしまっているのです。
 人間の能力は変化のスピードと情報量に対応できないのです。そのことを今回のテーマは言っているのでしょう。
 人間らしく生きることって一体なんなの?っとね。