源究37

 

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
406 困った話 8/20 411 温床 8/30
407 茨城版奥の手 8/23 412 地域生活? 8/31
408 蜂の猛襲 8/24 413 我田引水 9/1
409 全入時代 8/26 414 詐欺 9/2
410 ふるさと 8/28 415 今・必要な事 9/3

406: 困った話

建て前では、障害者の地域での自立を目指すという今回の自立支援法はどうも現状の日本の中では底なしの泥沼に入り込んでしまったような印象を持っている。一人一人が異なった特性と希望を持つことが根本になければ、いくら科学的な根拠といって障害の状況を数値化しようとしても所詮無理な話。昨日,某施設長から長い電話を頂いた。『私の所では入所者の6割は程度区分3以下にしかなりません。みんな施設を出て行けというという話なんですかねー!』それに対して私が関わっている認定審査会の現状を話したが、余計出口が見えない話となり、自ずと電話時間が延びた。そこは親たちがお金を出し合ってやっと出来上がった施設、建設場所やら県との協議で苦労された事は聞いて知っていた。我が子の将来を心配して育成会を中心に施設を建設、特に入所型を作った例は全国でも多い。今回の建て前の障害程度区分では程度区分4(数字が多くなるほど重くなる)以上でないと入所型の施設サービスは受けられないということになった。本人が50歳を越えていれば1ランク下の区分3でも利用可という。これだって50歳の根拠はなんだ?と尋ねてみても明確な回答はない。先の施設では定員50名の内、30名近い利用者が次なる住処を捜さなければならなくなる。制度ではグループホームで対応という。これが現実を知らない頭でっかちが考えそうな内容。GHの単価で何人のスタッフが対応できるの?と言いたい。瞬間思い出した、老人のGHで夜間出火して何人もの利用者が犠牲になった例、あれだって限られたスタッフでの夜間体制の無理が原因、知的の場合は老人のGHの基準以下なのであるから問題は更に大きい。
 個々のケースのニーズを上げてみると際限がない。それを杓子定規に障害程度で分断してしまう今回の手法は全く理解できないのだ。ここ数ヶ月このようなことばかり考えているものだから、頭の中はレンコン状態。困った話であります。

407:茨城版 奥の手

22日の会議での話、どうも今回の自立支援法の障害認定については知的は実際より軽くでてしまう。これは大きな問題だ。なぜならば支援量が変わらないのに障害程度が軽くなると事業所に入るお金が減額になる。日割り計算だけでも減額が相当の額になるのにもってのほか。試算の段階で1千万単位で減収、人件費をどこから出すのよ。
 そこで認定調査において重くなるような手立てを早急に検討してみてはどうか!特別委員会を設けてやろうということになった次第。私・会長の意見も大きかったと思うが強引に了解を取ってしまった。「茨城は何を考えているんだ まったく」と他県から言われるかもしれない。構ったもんじゃねーやな。
 私の本心はここにあるんだ。「身体:知的:精神のそれぞれの障害特性に配慮されていない判定方法で何がわかる。私は地元の認定審査委員になってすでに5回委員会に出席、1次判定を2次判定で変更することは並大抵の事ではないと実感、それはなぜでしょうね?2次判定の最大の裏付けである主治医意見書がバラバラなんですよ実は。全く書かれていないものもある始末。これで審査の根拠になりませんよね」「知的障害の本当の姿を理解している医師の意見をどうすれば判定に生かせるか」「そもそも知的は他の障害と違い主治医なる先生がいません。そりゃー風邪引いたときの先生や下痢したときの先生はいますよ、その方達は主治医じゃないでしょうよってんだ」
 ァりゃーお金が欲しくてあんなこと考えているんだよという批判は必至、再度、知っちゃこっちゃない。そこで私・会長の第2弾・・・・施設利用者の親の会の連絡協議会を早急に作ろうと提案。これも今年中には見通しをつけたい。のんびり構えている場合じゃありませんよ。お父さんお母さん。
 もっとも療育手帳の判定を参考にしないという今回の障害程度認定のあり方に大きな疑問をもっているんです。(大洗の会議にて)

408:蜂の猛襲  

尚恵学園の園外作業の目玉にシイタケ栽培があります。雑木山や杉山に原木を寝かせておいて自然栽培している。今日、作業中に足長ハチに職員が刺された。直ぐに救急センターに連れて行き応急処置をしてもらい大事に至らなかったから不幸中の幸いだった。彼が言うには9匹に刺されたという。良くも冷静に数えていたもんだと後で聞いて半分呆れた。とにかく良かった。利用者の中にハチに刺されると極端に反応する??という抗体が出来ている人がおり、あれは大分前だが私が遅番か何かで寮にいた時に刺された。急に顔色が変わりこれは大変だと救急車を呼び、直ぐに病院へ連れて行った。処置が早かったので助かった経験がある。
 正直,ハチの猛襲は今の時期怖い。ハチもいらだっているんだ。
 実はこれには困った問題があるんです。学園のシイタケほだ場は武蔵野の風情によく似たクヌギ林、この時期近所の皆さんが夜、懐中電灯を持って集まる。カブトムシを捕まえにくるんだ。喜んでくれるんだからいいやと思って今まではいたんです。それがハチの巣が原木に結構あるようで職員から注意された。理事長あれー大変ですよ。もし、ハチに刺されたりしたら文句がでるんじゃないですか!
 そうか。そこまでは考えなかったな!要注意という看板をいくつも立てた。そこにはハチの絵も描いてある。
 どうも、今の時代難しいや。お寺の公園に置いてあるつくば万博で頂いた自動車(遊具)も少し壊れてきた。もし、子供が遊んでいてケガでもしたらお寺の責任になるんだろうか。
 早速、処分することにした。
 ハチの猛襲はハチの気持ちになれば、何か分かるような気がするんだな。
今年最終の蓮の花(8/26)

409:全入時代

大学の競争激化現象は地方にいくほど熾烈な争いになってるようだ。ベビーブームに育った我々の受験倍率は私大で20倍以上が常識だった。今、少子化の中で全国に広がる大学は定員割れを覚悟して経営努力をしている現状だ。その中で全員が入学できる時代に突入するという。有名私立大学はまだそこまでは至っていないだろうが、地方の大学は既に学生集めに四苦八苦している。公開講座で大学の紹介をしたり、体験入学やらAO試験やらで学生の取り込みに躍起になっている。
 日本の社会は今資格が最優先する。だから資格取得を売りにするのも当然である。一方では専門学校があって資格取得の予備校化の様相を示す。
 施設もそうなるかな?だれでも入れる時代、受給バランスがまだサービス提供側に有利になっている。いずれこれも時間の問題だろう。
 サービス産業は他との比較でよりうちがサービスの質が良いということでお客さんを集める。
 私は事業所としての使命をより明確にしかもオープンにすることが重要だと思っている。また、風通しの良いことも条件になる。必要な時に利用でき使い易い施設づくり。 私も某大学で役員をやっている。経営の苦労たるやたいへんなもの。学生の入学から卒業・就職させるまでに育てなければならない。中途で退学する数は結構多い。若者の職業感が大きく様変わりする中で授業のカリキュラム編成するだけでも大変だ。専門の教員確保も大変だ。文科省の審査基準にあったものでないと認められないからだ。
 全員が入学できる時代、その学生の何割が卒業でき仕事につくことができるのか、教育改革が叫ばれ、義務教育年齢の引き下げ論議、入り口だけの問題ではなく出口での状況が注目されている。単なる学齢期だけの問題ではなく、国全体が教育の仕組みを考える時期にきている。

410:ふるさと

昨夜、久しぶりにドイツに住むYさんから電話があった。2ヶ月前に黒い森を散歩していてダニ?に刺され、その後遺症で病院に通っているという話。日本で言うツツガムシと似ているとか。のんびりしたものでダニの体はその時取ったそうだが頭が中に入ったままにしておいたと。ドイツではその虫に刺され何人もの人が命を落としているという。急に高熱が出て参ったとも。Yさんはドイツに渡り20年以上が経っている。秋には四国を散策したいということで一時帰国する。その時は学生時代の仲間でどこかで落ち合おうということになっている。
 私は生まれ育ったところに56年もいる。そうすると「ふるさと」を意識することなく過ごしている。今、私の2番目の娘がオーストラリアに行っている。時々電話で話をするが、外から日本を見ることがどれだけ大切なことかがわかる。昨日のラジオでの話、水戸から高速でいつものように車で帰る。ロングステイ専門の旅行会社があるという内容。若い学生も多いそうだが、最近は定年後の中高年の方が増えたという。実に良いな!
 スローライフなるものを掲げてもどうだろうか?毎日何かに追い立てられて生きているのが実情。毎朝、仕事場まで歩き始めて感じたことが一つ。車なら5分もかからない距離を歩くと10分、その間には田圃があり、小川がある。
最近はゴミ袋を持ちながら空き缶を拾いながら歩いている。毎日のことだから綺麗なものだ。目標1日1万歩、歩いていると自分の体調も分かるし、考える時間が持てるから不思議なものだ。生きているという実感を楽しむというのはちょっと大袈裟かもしれない。しかしだ。人間走り通しでは生きられない。時にはふるさとを思い出し、自分の生き様を外から覗いてみることは大切なことである。皆さんにお勧めします。なるべく歩きましょう。それも継続すること。必ずや次なる良い点が分かります。今、私は四国遍路を歩こうと密かに計画を練っています。そのため足首に付ける重り1キログラムを買いました。お陰を持ちまして股関節が痛い。

411:温床

私は朝のテレビで6チャンネルの朝ズマを良く見ます。司会のみのもんたの超過密スケジュールの出演に畏敬の念?があるからだ。何しろ週に何本のレギュラー番組を持っているのか?この番組は朝の5時半だから多分4時頃には局入りしているのだろう。それから同日に4チャンネルの昼の番組を持っている。これが土日を除く毎日だから信じられない。彼に対して批判的な人も多くいる。しかし、私はズバリ物事を言うという点については評価している。なかなかできることではない。
 そこで、彼が持病の腰痛手術を行った後ぐらいから目立つニュース内容に、簡単に人を殺すという事件がある。何故?どうして?周囲の人がどうにか出来なかったの?というみの流ライオン頭でしかめっつらのコメントが連発、見ているほうも見ている方だ。嫌なら見なけりゃーいいのによ。
 事件の背景というか起こる可能性は全国津々浦々どこにでも存在する。自分の足元にだって無いとは決して言い切れない。これが正直な気持ちだ。何が「温床」となっているのか! 他人を思いやる気持ちが無いからだと一言で言い切れないものがある。昨日は母親を30万円で殺してくれと依頼して実行された事件が稚内で起こった。頼んだ長男は16歳、頼まれた方は15歳、いずれも高校1年である。当事者の深層の心の状態は良く分からないが、何か事件が劇場化されているような気がする。先週だったか何十年ぶりに映画を観たからかなー!否、確かにそうだ。最近流行る郊外型の大型アミューズメントセンターにはショッピング街と合わせた映画やゲームコーナーが混在している。ゲームでは相手をやっつけるものが殆どで小さな子供が夢中になる。そこには機械との交流があっても会話は存在しない。当然だ。最近鳴り物入りでオープンしたそのセンターの近くに立派な公園がある。暑いせいかどうか知らないが子供の遊ぶ姿は全く見えない。
 私は環境破壊そのものを起こす人間のエゴが温床としてあると思っている。昔、キスリングを背負い、山登りした時、同行の先輩が1本と合図すると休憩を取る。腰を下ろし、タオルで汗を拭きながら、「住田、ほれー見ろ!この花なんて言うか知ってるか?」とか言われ「知・り・ませーん」とか答えると「これはな○○と言う花で
ここでしか咲かない花なんだ。良く覚えておけよ」とか言われ「へーこんな高山で良く咲けるな、あんたは偉い」とか言って何か感動したことを思い出した。そうだ。私は自分の机の脇に「野に咲く 一輪の花に 仏のこころを知る」と書いたっけ。この格好ツケやがって。
 人との触れあいはゲームやテレビを媒体にして出来ることではない。自然の中で自分たちは生かされているという実感を感じながらなされるべきもの。温床とは花が育つ絶好の場である本来の意味がどこでどう間違えたのか悪の温床などという言葉に引用される始末。その意味では大変な時代になったことは事実である。

412:地域生活??

障害者の地域での自立を目指そう!!掛け声はご立派だ。ある会議での一コマだ。「知的や精神にはグループホームの仕組みがあるのに、何故に身体にはないのか!」もっともな意見だ。私も勉強不足、そうか身体には今回の新法でも明言されていないのか。こんな話を伺ったことがある。某町で一人の身体障害の方のアパート生活をサポートするということで当時画期的な試みとして評判になった。24時間ホームヘルパーを配置。これは凄い!なんと1ケ月の費用が50万を超した。知的の補助費用が一人5万弱であった時。月10倍以上の格差があったので良く覚えていた。これは何を言わんとしているのか。今回の新法の悪法と言われる理由がここにある。福祉は本来個々のニーズに如何にサービスを用意し提供するかという事、これが大原則。十把一絡げ的な発想では所詮無理。3つの障害を一元化するという事で障害認定の仕組みを作ったものだから、今偉い問題になっている。所詮無理なんだよ。社会保障という問題は難しいよ。満足度は一様でないからおかしくなっている。ヨーロッパ的税金で保障する仕組みでいくのかアメリカ的自助努力型にシフトさせるのか、この論議も日本では中途半端。
 障害者の福祉はアメリカ的仕組みでは対処できない。何故か、収入保障が無いからだ。働かざる者食べるべからずは明治時代の発想、お涙頂戴という救貧の考え方は一方的で合意は得られない。
 我々サービス提供者はどうか。大きな岐路に立たされている。経営手腕が問われ始めた頃、私はいかなる講師の話も正直受け入れられないものを感じていた。時代が大きく変わり、福祉の取り巻く環境は確実に変わっている。採算に合わない事業は撤退する。某委員会での民間企業代表者の意見。これだって今の自分には「その通り」と諸手を挙げての賛成はできない。
 生きる喜びとは・・・・?毎朝、私は職場に通う利用者さん達と道ですれ違う。自転車や歩き、皆さんそれぞれの方法で仕事に向かう。いつも「おはよう」と私から声を掛ける。ある利用者は以前、下を向いて何の反応も無かった。それが今では自分から「おーはよう」と私に声を掛けるようになった。職場の担当に聞いた。なにかの切っ掛けで彼は変わりましたという。実は福祉の根本はその何かをより具現化していく地道な活動なのである。そこを見失っちゃいけません。ハーイ。

413:我田引水

梅雨が終わり、今、稲は夏の最後の日差しをめいっぱい受け止めて穂を膨らませている。9月の稲刈りシーズンに向けて田には水は張られていない。朝、雀が稲の穂を狙って集まってくる。
我が田に水を引く話で恐縮です。実は尚恵だよりに拙文を掲載した。様々な所に配布しているが、今回ほど直接の反応が多くあったことは今までに無かった。私の書いた「潮流に如何に乗るか!」に対して様々な意見が寄せられた。直接電話で話してくれたり、わざわざ手紙を書いてくれたり。その内容は「同感です」「がんばりましょう」とかという好意的な内容励ましが大半だった。ここまで直ぐに反応があるとは正直思ってもいなかっただけに嬉しい。先日、国から示された課長会議の資料は500ページにわたるもの、一体誰が読むんだい。
 どこの部分が直接関係するのか捜すのが大変だ。それが、昨日急に県に呼び出された。10月より支援費の支払いが2ヶ月遅れになるという話、おい、ちょっと待ってくれ。1ヶ月しかないじゃないの。これだって8月の24日の前述の課長会議での話だから、県で情報をため込んでいたわけではない。内部で検討し、会長に相談しておこうということでの昨日の呼び出し。めちゃくちゃでしょう。なんでも有りの状況ですよ。
 私独断で判断などできないということで時間をもらった。早速副会長に報告し、近県の状況も尋ねた。
県内全体への説明会を急遽15日に実施することでひとまず休戦状態。
 そのような大波小波の大海原での正直な気持ちを書いた。それに共感してくれた結果が今紹介した中身。
 その一方では利用者さんは全くマイペース、良いなー実に良いよ。津本陽の「巨眼の男、西郷隆盛」単行本を買い求めた。明治の夜明けの激動は今とは比較にならない。しかし、今の時代の特徴として様々な問題が解決の見通しも無く、繰り広げられ泥沼化されている。西郷さんなら今の日本をどう思い勇断を下すのでしょうね。
 

414:詐欺

詐欺に引っかかったかなー! 実は実は6月頃、某通信会社の営業担当が来た。「Bフレッツが8月よりサービスエリアになりますから電話をデジタルに変えてはどうですか」という。以前に何度か来て話は聞いた覚えがあったから、今度こそ対象地域になったんだとその営業の話を鵜呑みにした。私の寺は子機7台にFAXやインターネットがあるから結構大工事になった。それが8月になっても一向に外線工事を行う気配がない。おかしい。NTT東日本に確認、これが実は面倒なんだ。担当が違うとかフリーダイヤルで対応しますとか便利なようで実態は全く違う。今回はメールでのやりとりだから返事がいつくるのか分からない。工事をした会社へ連絡した。担当者は電話に出るからあまり、変な会社ではないようだが、肝心な話になるとお茶を濁す。私の所ではADSLにてインターネットを利用しているが、中継基地から離れているので通信速度が設定の1/10位しかでない。もっと早くなれば良いのにと日頃から考えていたから、NTTからアンケートがくるといつも接続を希望するという内容の回答をしていた。その名簿が漏れたのかどうか、直ぐに前述の通信会社の営業が廻ってきた。
 お年寄りが騙されるのも分かる。似たような紛らわしい会社名でNTTなのかその小会社なのか、全く別会社なのか分からないようになっている。これが今、日本中のトラブルの元だと分かった。国の独占を民間にというふれ込みで始まった事業はことごとくダメだ。耐震偽装問題もしかり、民間で委託を受けた会社の生き残り競争の結果が早く易く認可を下ろす方向に走った。その盲点を上手くつかれたという事だ。郵政事業は大丈夫かな?これだって危ないものだ。ここで一番問題なのは常に利用者である客側が犠牲になること。そして、どこに責任があるのかということになると曖昧模糊、誰も責任を取らずということになる。
 ここでよーく考えよーう。
「待てよ。福祉の仕事だってそうじゃないの???」
知らない内にいつのまにか、責任を国が悪い、制度が悪いとか 責任転嫁しているんじゃないのか?
「通信会社よりもっと悪いかも??」
だってそうでしょうが、相手は自分の判断が取りにくい人たちで切羽詰まって何かに救いを求めている人たちだもんな。人間は常に今よりもっと良くなりたいという欲望がある。これが確かに生きる原動力になっている。
一方では「知足」(ちそく=足るを知る)という言葉があるように。ほどほどにしなよと戒める。余りにも便利さを追求しすぎた感は否めないし、結果を早急に求め過ぎている。
 

415:今 必要な事!!!

ここの所、固い内容になっているという反省があります。しかし、自分の性格でしょうか、どうしても訴えたくなってしまうのです。大分昔の話で申し訳ありませんが、ある檀家さんから相談を受けました。その内容はというとこうです。高校に通う娘が急に学校に行かなくなり、自分の部屋に引きこもって会話も何も無くなってしまいました。原因は全く分からないし、どうしたものか住職に相談しに来たのです。・・・・・・・
 私はその娘さんのことは良く知っていた。地域では相当の資産家で二人兄弟のお姉さんです。お母さんと以前中学の教師をしていた叔母さんも一緒に見えたのです。結果はどうしたか???気になりますか?
 娘さんをVSで尚恵学園で引き受ける事にしたのです。自分と同じ年の利用者さんと触れあい、何かを感じたのでしょうか。その娘さんは3日ほど学園に遊びに来られて早い時期に自ら学校に通い始めたということでした。これは一例に過ぎません。しかし、今回北海道で起こった高校1年生の実母を友人に殺すように依頼した事件。確かにその少年が育つ環境は大変厳しいものであったかもしれない。両親の離婚という自分に関係の無い所での生活の激変、状況を受け止めるには幼かった。これは事実であり、情状の酌量が認められるかもしれない。依頼した少年が殺人を起こさせてしまった友人へ「申し訳ないことをした。自分が頼まなければ今頃楽しい生活をしていただろうに」私はこの辺に少年の真っ当な心を垣間見る。しかし、現実には罪を犯すということで全てが消え去ることになった。事前に分からないのだろうか、こうなるということ。誰の幸せにも通じない結果を。確かに今の日本の現状は勝ち組とかいう集団がいる一方でその逆の人たちも多くいる。格差が大きくなっている時代。情報や結果だけを瞬時に分かる時代。世界でマニュアル文化が一番進んでいいる国という話を柳田邦男の本で読んだ。マニュアルは型にはめ込むやり方である。トヨタ方式とかいって車の組み立てラインの中で共通の作業手順を持つことは重要だ。また、それがなければ均一で高水準の車はできない。
 問題なのは、このルールをなんにでも利用しようという短絡的発想だ。福祉の世界にも忍び込んでいるから恐ろしい。韓国には徴兵制がある。それが良いとは思わない。日本に是非必要なこと。学生時代に少なくとも1年ぐらい福祉の現場での実体験を義務化させることだと思っている。詰め込み式の学生時代を何年過ごしても実社会の経験がなくて社会人になっても正直使い物にならない。就職してから再訓練している状況だ。
 教育改革が叫ばれている。義務教育年齢を5歳まで下げるとかいっている。そうじゃない。生きた教育の現場をマニュアルでなく今こそ制度の中に盛り込むべきだと思う。頭の良い人達なのに何故気づかないのよ官僚殿。