源究30

境内の桜・・満開??

   

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
331 混乱 3/15 336 野球世界一 3/22
332 互助会存続危機 3/16 337 障害認定ソフト 3/23
333 スタンバイ 3/18 338 応諾義務 3/24
334 春彼岸 3/19 339 役員会 3/26
335 人事異動 3/21 340 忍の一字 3/28

331:混乱

今日、県庁に行く。結果は混乱が残った。質問しているのがなんだっけかな?いよいよボケが始まったか!そうじゃない。県の担当者も実はそうだった。聞かれた事にどう答えて良いのか、正直分からないようだ。妙な会話が空しく続いた。今の福祉業界の実情。国の示す様々な改革案が経過措置やら中途見直しという条件付き。だから国も正直、先行きの事は手探りなんだ。4月から本当にスタートできるのか?市町村はもっと酷い。手探りどころかチンプンカンプンだろうな。我々は一体どうすりゃ良いのよ。今日は午前中だけでも私の携帯に20本ほどの電話が入った。埼玉、栃木の仲間から5本、それに県内の施設長から10本・・・・・みんな内容は似たようなことだった。どうするの?止めろということなのか?など。全く暗い内容の話だ。県庁からの帰り道、高速を走っていると葬儀屋さんから通夜の知らせ。ああ・・・どうしようもないな!明日は東京で互助会の関東地区会議、保険法の改正で折角立ち上げたいばらき互助会の存続が危うい。発足には私自身が関わってきたから責任を感じている。何がなんでも行かなければ。会議は午後からだ。通夜に間に合うように帰ってこなければ、また車に法衣を乗せて駐車場で着替える羽目になりそうだ。そのような折り、テレビで中古電化製品のPSEマーク無しの製品の販売禁止のニュース、坂本龍一が怒ったという。ビンテージの中古楽器は適用除外とか。なんと一貫性のない法律なのか。呆れてしまった。
 もし、自立支援法が見切り発車で何も決まっていない中でスタートするのであれば、言語道断。
 どうもこうも最近の政治は常識を欠いているとしか言いようがない。第1野党のエリート議員のメール問題から始まり、重要事案の審議はそっちのけ、数によって法案成立のツケが今、自立支援法にきている。インロウを見せて得意になって福島弁で話す国対委員長、何か娯楽番組を見ているような感じで真剣みと緊張感が一気に無くなった。”恒三改革”なんて語呂遊びが巷では流れているとか、全く一般国民の苦しみをどうみているのか!これでいいのかよ。議員年金は結果として存続し、我々福祉現場の退職共済はカット、だから若者が福祉職場に魅力を感じなくなっているという。その話を今日、県の人材センターの運営委員会で話したばかりだった。ああ、1日が空しく過ぎていく。

332;互助会存続危機!

30年ぶりだった。西新宿周辺は見事に変わっていた。私が学生時代近くに下宿していたが、水道局の跡地があった所が現在の都庁だ。全くその時の面影は無かった。新宿駅から歩いて会議会場に向かった。今日の集まりは関東甲信越の知的障害者互助会の緊急の連絡会議だった。今回の保険業法改正に伴い、各県(山梨:沖縄以外に全ての県で組織)に設置されている互助会が規制対象になると言う話が持ち上がり、昨年よりその対応を検討してきた。いばらき互助会は一番後からスタートしたものだから”寝耳に水”といった感じ。正直何をどうすりゃー良いの?という気持ちで会議には参加してきた。
 消費者保護の観点から法の網がかかり、その規制適用除外をしてもらうために国会議員の先生方に陳情を実施、先日はマスコミによって議員会館前での我々の運動が報道されたばかり。しかし、結果は思うようには進まなかった。今日その経過報告がされた。折角、知的に障害のある人たちの入院共済などが利用する人たちの拠出金によってできたのを、止めろというのか。国はこの互助会にびた一文金を出していない。茨城は未だ2年目のヨチヨチ歩きだから会員数が2000名ちょっと、だが歴史のある県は会員5000名を超えて立派に互助会運営がなされている。入院時の付き添い費用や差額ベット代への補助などが給付の主な内容である。実は関係者以外には分からないことだろうが、このことは大変重要な事なのである。このままでいくと私は親子無理心中などといった悲劇が全国で起こるのではないだろうかと危惧している。それも誰からも注目されることもなく片隅で。今度の自立支援法の悪法たる理由(良いところもありますが)の一つに利用者が入院した時に従来は2割減で事業所(施設)に費用が入った。それは職員の人件費など所謂固定費である。今回の改正ではそれが全く入らない。ゼロなのである。(EX:1名の方が3ヶ月入院した場合、施設は100万円の減収になる。)制度緩和でパート職員の常勤換算という仕組みを国は作った。この辺から実は方向がおかしくなってきたと思っている。私の施設の例で言えば、入院すれば殆どのケース、付き添いを付けなければ入院させてもらえない。現行の医療制度では完全看護の場合は付き添いの義務はない、それは表向きの話、それを強行に主張したら診療拒否される。元の木阿弥だ。昔は病院をタライ回しにされたんだよな。だからこそ互助会でその費用の一部補助をと考えた。去年の実績で尚恵学園では給付を受けて大変助かった。もし、一般の保険会社が障害者の保険加入を今までに認めてくれていればそのような回りくどい方法を考えなくても済んだ。これなど本来国がやるべき事だ。福祉の先進国では常識の話。そこで、入院したら収入がなく、職員の費用をどう確保するか、付き添い職員の費用まで考える余地は当然なくなる。これは事業者側の言い分。今回の法改正は病気したら家庭に返せということを言っているのと同じ事。施設を出され病気をもつ我が子と生活しなければならなくなった家族はどうすれば良いのか????
 その事を危惧するのだ。だからといって施設が全てを無償サービスで対応することもできない。(昨日救急車で一人が入院し、現在2名の方が入院中)
 この辺の実情を国の制度を考えるエリート?達は分かっているのか。分かるはずねーよな。それを誰が伝えるかだ。私も性格的には穏やかな人間(?)だと自負しているがここにきて血圧は上がるし怒りっぽくなっている・・・・・。ああー四国遍路に行きてーな。御大師さんに聞いて見たい。”なーお前。こんな日本に誰がした!!!”と怒られそう。

このページのトップへ

333:スタンバイ

土曜日の朝の7時は、いつも法衣を着ている。法事があるためにその準備をするわけだが、午前中に3件入っている。今日は春の彼岸入りだもの。いつの頃からかな!土日の法事がずーと入るようになったのは?昨夜は先日お母さんの葬儀を行った息子さんが来て暫く話していった。1週間たったから少しは落ち着きを取り戻されたのだろう。母親への思いをいろいろと話してくれた。私も両親を亡くしているからなんとはなしに分かる。そして、これから自分はどうすれば良いのかと悩んでいる。次は自分ということを親を亡くして感じる。私もそうだった。
 法事の前に衣を着て待機(スタンバイ)している状況は、何か親子の関係に通じるところがあると瞬間感じた。親の法事は子供達が考えて行う。今まで親任せだったから何も分からない。これはいくら子供が社会的に地位のある立場の方でもいざ自分のこととなると迷うものだ。誰を呼ぼうか?法事の後の清宴はどうすれば良いのか?など少なからず誰しも迷うものだ。人間はスタンバイしている期間が大切だと思う。時間の長短ではなく、いざ自分の出番になる時にベストな状態に保つことだから。春に芽を出す草花のごとく寒い厳しい冬を土の中でじっと出番を待つ。
 ◎Stand-by・・・・・英語ではこう書く。その意味となると驚く。@(緊急の場合の)頼りになる人A交代要員B(飛行機の)キャンセル待ちなどがあった。ここで大事なことは、@の頼りになる人という意味である。英語そのものでもbyには側にnearという意味があるから、側に立つ(stand)という意味であることは直ぐに分かった。ああ。。。交代要員はそこまで期待されるんだ。そう思った瞬間、昨日の某会議での私の判断が妙に気になりだした。
 軽はずみに役職を引き受けたかな? ダメでもともとやるしきゃーねーよ。これ偽らざる今の心境なり。ヘーこんな意味がスタンバイにあったとはねー勉強になりました。はい。

334春彼岸

今日の朝日新聞(3/19)の天声人語にお寺の住職公募の話が書いてあった。全国に約8万ケ寺あるという寺の後継者不足が深刻だというのだ。新潟の名刹のお寺が子供さん4人が娘でそれぞれが自分の道を進むということで住職(私より2歳若い)が在家の仏教に感心のある人を後任住職として公募したという。旧態依然とした仏教界にも新しい改革の芽がでてきたというふれ込み。「ボーズ・ビーアンビシャス」坊さんよ大志を抱けとのことだ。確かにお寺は後継者がいなければその家族は寺を出て行くことになるのだ。私は良くそのことは親父から言われたものだ。自然とそれがプレッシャーになっていたのかもしれない。誰にも言えず悶々とした多感期を過ごしたのは今となっては良き思い出だ。我が宗派でも過疎地域のお寺は無住のところが増えている。お寺の住職も実は定年制もなく、死ぬまで住職を続けることが常識になっている。そりゃー当然だろう。死んだ人相手に食ってきたんだから・・・などとまたもや天の声。最近どうも自作自演かそれとも霊感か天の声が聞こえるんです。
 私はその点が納得できないから、今でも抵抗している。どこか老後(林住期)を自然の中でのんびり過ごしたい。この希望があるから、今ががんばれるような気がしている。お釈迦様だって60歳を林住期と定めて自ら引きこもったではないですか。そして、次なる段階として遊行期へ。理想かなー!
 彼岸である。お墓参りする人が大勢来てくれた。春は特に梅の花が咲き、日差しもどことなく暖かさを感じるからお墓参りものんびりしている。霊園の芝生で土筆を見つけた。ITや構造改革などと、立ち止まることを否とする目まぐるしい変化の世の中でお彼岸という束の間の先祖との語らいの場が見失いがちな自分を見つめる良い機会となってくれれば幸いである。そこにこそ宗教の本来の意義を、見つけ、感じ、信じ、願っている。

335:人事異動

今、事業所では人事異動のまっさかり。県や市町村はもちろんのこと国の機関や一般企業もしかり。前もっての打診があるのかないのか?昨日は丁度、県の課長級の発表の日とぶつかった。2時半からの呼び込みとかで1時からの打ち合わせに参加してくれた課長級6名は何か腰が落ち着かない。辞令一つで1週間後は新たなポスト。私など寺の住職していると全く別世界。なにせ自分でやめない限り、終身雇用の世界だから。しかし、新たなポジションに移ってからも仕事をこなせるという能力は凄い。先週だったか、県庁のエレベーターの中で以前お世話になった某課長とばったり顔会わせ、「今度国にもどることになりました・・・・」簡単な言葉のやりとりだったが何かほっとしたような印象を受けた。「ご苦労様でした。総務省に戻るんですか?」「それはまだ分かりません・・・」
宮仕えも大変だな!俺には勤まらない。しかし、あっという間に定年を迎えることは確かだ。人事異動では定年後の事まで考える余裕など当人にはない。ベンチャー企業を興し、成功した人たち、ライブドアー問題で雲行きが怪しくなってはきたが、彼らの共通する立点は「今、何が必要で自分だったら何ができるか」であり、それを彼らなりに真剣に考え行動に移した。だからこそ浮き沈みは有ったとしても起業家として若者に評価されるのだろう。決断には自己責任が伴うのは当然で、それなりの覚悟は必要だ。私自身既に55歳という年齢である。今更という正直な気持ちもあるが、性分とはいかんともしがたしで、今に満足することができない。特に、福祉などと言う名前を親に付けられたものだから、頭から離れたことがないのも悲劇である。福祉について言えばいくら努力しても合格点がとれるはずがない。だから達成感がでない。常に不完全燃焼。壁に「知足」などと張り紙してはいるが満足した試しはない。これは自分のプレイグランドの狭さからも来ているのは承知している。贅沢かなと自省しながら、時々外国に行かせてもらう。私は団体での観光は好きでないから個人旅行だ。そこで体感するものが自分のエネルギーになってきたことは事実。福祉に関して言えば、ネパールの子供達やタイの貧民地区の人たちとの出会い。私にとってもし定年が許されるのならば、そのような国の子供達との触れあいを深めてみたい。

このページのトップへ

336:野球・世界一チームJAPAN

やったー!日本。奇跡の優勝!テレビの視聴率56%。当に日本中が日本一になった野球に熱中した日だった。王監督も凄い。イチローや松坂など全ての代表選手の団結の力ですごい仕事を成し遂げた。日本チームの選手編成は知名度の高い選手ばかりを集めたわけでは無かった。オールスター軍団ではなく、それぞれの持ち味を生かした選手選考であった。結果としてこれが見事に的中したわけだが、私も中学時代野球をやっていたから、根っからの巨人ファン。ここ数年は正直燃えないし面白くなかった。何かドラフトやら監督選びに影の力を感じる。スポーツにあるまじき状況が見え隠れするから嫌気をさしていた所だった。今回の日本は一度チャンスを失ったがメキシコがアメリカに勝ったことで運良く準決勝に駒をすすめることができた。韓国戦そして決勝のキューバ戦両試合ともミラクルを感じた。やはり今回のチームは王監督の采配と勝利への執念、そしてチームリーダーとして文句なしのイチローの存在が優勝に導いた主因だ。これは誰もが認めることだろう。
 全く最近日本中が嫌なニュースしかない中で、今回の偉業はパット茶の間を明るくするに充分のインパクトがあった。勝ってなんぼのスポーツの世界で見事に結果を出した日本チームにエールを送りたい。
 そこでなー!現実。福祉にもパット明るくなるような話がないのかねー。沈滞沈滞で先行き真っ暗。
 今回の勝因は諦めないこと。全力を出すこと。協力すること。このことの大切さを教えてくれる。
 今スポーツの世界はグローバルで垣根が無くなっている、相撲は外国人力士の独断場、サッカーしかり、野球もそうだ。どうもその点では福祉業界はまだまだ閉鎖的なんだなー。どうにかしないとダメだわな。

337:障害認定ソフト

情報化社会になって様々な分野から情報が入る。その一つが今回の自立支援法絡みの情報である。障害福祉は種別が多種に分かれ、それぞれに全国組織がある。その組織が末端ではくっついたり離れたりしているから、組織から発信される情報が入り乱れる格好になるわけだ。その弊害を改善する狙いも今回の法改正にはあるのだが。精神:身体:知的の障害を一元化するというもくろみだ。これが末端では慣れていないから大混乱。時間がかかるだろうな!しかし、事業所としては黙って高みの見物というわけにはいかない。なにしろこの4月からスタートするからだ。その中で重要なポイントになっているのが「障害程度認定」である。以前の3分類から6分類に変更になる。それぞれの障害区分によって支給額が異なるから感心が高くなる。現在の利用者がどの区分に判定されるのかは事業所においては最大級の重要事項。その判定も出身市町村が行う。4月から制度がスタートするにもかかわらず、判定作業は6月頃になるという。どうも見切り発車の現実がここにも見られる。そこで、先進の県では市町村に配布した「障害程度認定ソフト」を事業所に配った。この情報が私の所に入ったから、早速県に確認したら、ソフトのコピーをくれた。それ行けーという事で福祉工場にお願いして団体の施設数(約150施設分)をコピーし、急いで配布したのであった。栃木の仲間にも送ってあげたが、栃木でも配布されたと電話があった。しかし、これで済まないのが我々現場、ソフトの容量が重くて、操作できるPCの機種に制限があること、更に200メガ以上の膨大な内容で開いたところで何をどう見るのか、チンプンカンプンときた。こんなややこしい物を厚労省は作成して市町村に配布したのか。いやー参ったな。判定そのものは106項目で行われることは既に知っている。介護認定と同じような手法を使って、市町村では認定審査会なるものを組織して判定の是非をチェックすることになている。私は3つの市町村から既にその委員に委嘱したい旨の依頼が来ている。やーだよ!と言いたいところだが、そうもいかないな。一応受けるか。(ここが私の弱点である。ニッチモサッチモ行かなくなって介護認定と同じ途中交代という事態が予測される)しょうがねーよな。
 さてさて明治維新ではないけれど、自立支援法とかいう黒船にどう立ち向かうか!そして、その後に輝ける夜明けが待っているのかいないのか。手探りの舵取りが暫くは続くことになる。
 

338:応諾義務

応諾義務というものがあります。サービス提供事業所として利用希望者があった場合、正当な理由がない限りにおいて利用を拒否できないというもの。そこで正当な理由というものは何か?@定員が空いていない場合・・・・居住サービスの場合は10%のオーバーを認めるという今回の制度。しかし、これはあくまで3ヶ月平均で定員を超えないという規制がかかっている。もし、平均利用者がオーバーしていると30%のカットというペナルテイがある。だからおいそれとは出来ない。A感染症の疑いが有る場合・・・・実は結構あるんですね、この事例が、それも前もって分からない場合が困るんです。例えば最近流行の兆しが増えているという結核のケース。利用される方の家族が罹っていたり、学校の担任が罹っていたりする場合、実は判断に迷う。本人が感染しているかいないかは実は保健所に尋ねてみたのだが、検査結果がでるには1ヶ月ぐらいかかるそうだ。それじゃーその期間どうするんだということになるわけだ。学園の立場としては他の利用者の事を考えて事前に判明している時は最悪の場合を想定して対処するしかない。結果として緊急性があったとしてもやむなく利用をご遠慮していただくことになる。マンツーマンで対応出来る体制は組めないし、もしもの事を考えると悪者にならざるをえない。この辺の対応で不満や苦情になる。
 この辺の仕組みが正直ケースバイケースになってしまうのは仕方が無いことだろう。
 実は昨日も県の説明会があった。一通りの事務的説明を受けたが資料が膨大で目を通すのも嫌になる。きめ細かに仕組みの中で考えられているようだが、それでも抜けているところがたくさんある。個別の質問にはその場で答えないという方針を県は最初からとっている。専用のFAX用紙にて質問し、それに回答する方法をとっている。これは電話での対応では言った言わないのトラブルの元になり無理ということで良いと思う。
 最近つくづく思う。保険契約の約款がものすごく細かいのは様々なケースを想定しての対応を文書化するからだろう。施設がもし様々なケースを想定したとすると立ち往生するしか実はなくなる。

339:役員会(平成17年度第3回)

このページのトップへ

3月25日尚恵学園の役員会を開催した。今年度の3回目である。約2時間本当に様々な意見が出たのには驚く。この自立支援法は自滅支援法だとかいう物騒な意見もでる始末。尚恵学園の役員会は総勢21名だ。父兄はもちろん地域の有識者や施設関係者がメンバー、栃木の園長もいるし千葉で大きく施設経営している方もおる。お寺の総代代表もいれば、大学で教鞭を執っている先生が4人もいる。これだけのメンバーが一気に話し始めたら議長なんかいてもいなくても関係ない。当に今回は一気にそうなってしまった。私も実は断れない性分で20カ所ぐらいの団体の役員をやっている。この時期毎日どこかで役員会議だ。今回の当法人の役員会みたいな意見が百出したのは正直うちだけだ。議事録に纏めようがない。それから話が飛躍して、今度は役員会を合宿でやろうという。それもオーストラリアでときたもんだ。今、全てが出口が見えない閉塞感の中で正直良いアイデアもうかばない。だからといってお決まりの制度上での施設運営では毎年予算減額の中でじり貧だ。これじゃたまったもんじゃねーやな。お先真っ暗で利用者が本当に可哀想!家族も当然不安になる。今朝の読売新聞で増税しないと27兆円の予算削減をしなければならないという記事があった。公共事業が諸悪の根元のように思われ、そのしわ寄せが福祉にも来ている格好だ。となるとどうすれば良いのか。確かに適正な予算の配分とは言えないところもあるだろう。私は老人に金を掛けすぎていると本当に思う。(老人関係者から叱られるのは覚悟の上)言葉は不適切だが飼い殺しといわれても仕様がない状況も知っている。(パースでの生き甲斐対策を見てきたばっかりだから)。そこでいつまでも待ってはおれないということで法人独自の財源を生み出す方法を考えようということになる。何をどうする?坊様がんばるしかねーか!アイデアが出ない。ここでやっと意見が止まった。【さーてどうする福祉。お前の力が試されているんだぞー】嫌なムード。エイヤー。今年1年かけて考えることに決めた。結果18年度の予算も事業計画もどっかに行ってしまった感が強い。しょうがねーな、がらがらポーンだ。ここで議長何を血迷ったか””満場一致で原案通り可決されましたー””。

340:忍の一字

粗にして野だが卑ではない。これは第5代国鉄総裁石田禮助の言葉。作家城山三郎。今の時代に石田の生き様はインパクトがある。偶然というか水戸の川又書店を覗いていて文春文庫の棚からこの本を見つけた時は私の目が吸い寄せられたという感じだった。これだ!第六感というか閃きである。それから『忍』これも実は至る所に貼り付けた・(上記写真)今日の某団体の総会で今まで固辞してきた会長を引き受ける羽目になったから、覚悟を決め、こんな子供だましの張り紙をはっ付けたわけ。石田の言葉をそのまま真似するのはどうも気が引ける。そこで多少自分でアレンジした次第。今,家にもどり、偉いこと引き受けたかなと反省しきり。一会員でいたほうがどれほど気が楽か、例の煽てに弱い自分がもろに出てしまった。これから忙しくなるぞー。始まる前から次へのバトンタッチを考えている。自然体で勤められればそれにこしたことはない。さて、俺にできるか。
 毎年、厳しくなる状況へ元気をもって仲間と和を大切にしながら会の運営ができるのか?できなければ潔く辞表をだせばいいじゃないか。つまり”粗して野だが 卑にあらず”の精神だ。石田は第五代総裁だが、私もまた五代目という偶然に気が付いた。