源究29

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
321 暖っかパン 2/22 326 人事発表 2/27
322 より糸 2/23 327 3/1
323 バチカン宗教会議 2/24 328 弥生 3/5
324 娑婆世界 2/25 329 オーストラリア 3/11
325 作務衣 2/26 330 第2弾 3/11

321:暖っかパン

2月の半ばを過ぎやっと厳しい寒さから徐々に抜け出そうとしているが、早朝はまだまだ寒い。朝の6時前、既にまんだら工房の明かりは真っ赤についている。毎日のことだから大変だろうに。でも担当スタッフは車のドアの開け閉めに音をたてないように注意している。私がドアの閉める音に気づかないようにという配慮。
 なかなかできることではない。だってそうでしょう、今の時代、自分はこれだけやっている・・・・!と声高々に訴える人は多い、そのまったく逆の姿をみる。頭が正直下がります。お陰様で派手さは無いが、長いつき合いをしていただいている常連のお客さんがいる。昨日は外のベンチで用意してあるお茶を飲みながらパンを食べているお客さんが二人いた。杉木立の中で道路からも離れているからまんだらは神立地区の絶好の散歩コースになっている。暖かいパンは朝の仕込みから始まる。利用者さんが10名近く作業に通ってくる前の作業なのだ。3人のスタッフの動きもスムーズ、訪れてくれるお客さんや常設販売店への配達。作業の流れや接客方法はすでに長年の積み重ねから出来上がった。
年度切り替えの時期にきた。職員の異動はそう簡単には決められないというのが正直な気持ち。
 本人が新たな職場で適応できるかどうか?今年は特別の年だと思っている。新しい法律によって施設の中身が大きく変わるからだ。昨日は厨房担当職員の話し合いをもった。今まで施設毎に3カ所で調理していたのをセンター方式に切り替える。1年前から現場にはその対応を考えて欲しいと宿題を与えておいた。様々な問題があることがわかった。今回の改正は我々事業所として従来の仕事の流れを再考するために絶好の機会、毎日のように私は水戸に行っている。それは行政との打ち合わせや団体としての取組を調整するためにである。幸い高速を利用すると県庁まで50分かからないで行けるから便利だ。県西地区の施設はそれができない。2時間以上もかかって来る人もある。この辺の労力を今の時代にあった仕組みにしなければと思っている。
 暖っかパンも完成までは大変なご苦労がある。しかし、お客さんの美味しいという一言でその苦労がたちどころに消える。こんな触れあいが今の日本に一番大切なんだと思う。

322:より糸

昔の糸つむぎは農家の縁側に簡単な機械を於いてお婆ちゃんがやっていた。その記憶はある。細糸を寄り合わせ強靱な綱にする。今日、実はひょっとした事で話が盛り上がった。つくばエクスプレスが開通して何ヶ月か経っている。筑波山への観光客は130%増えたという。しかし、それと同時に増えたものがあるという。それは地元の対応の不味さに対する不満が300%に増えたという。これは一体何からきているのか。観光を目的に地元でもキャンペインを催した。しかし、本気ではないという印象を私も持っていた。東京から電車で45分という距離は箱根や高尾山、伊豆と同じ。しかし、観光客の数と満足度には相当の開きがある。茨城の県民性が災いしているのかも。私の知り合いが筑波山の温泉街に住んでいる。お客さんは来ても素通りだと嘆いていた。私だってちょっと店に立ち寄ろうかなという気持ちにならないんだから無理もないわな。熊本に行ったとき、日本で人気度が高い黒川温泉に行った。小さな温泉宿が狭い渓谷沿いに立ち並ぶ。ここはアイデアで観光客の人気を得た。つまり、どこの温泉にもはいれる温泉パスを全国でいち早く取り入れた所だ。九州は温泉が至るところにある。別府を初め湯布院など全国区の温泉場が控えている。その中で小さな温泉宿場が黒川温泉だ。対等に人気を集めているのには驚いた。科学の街つくばは万博開催より一つのイメージが根付いてきている。オプション観光の一つのコースになっている。それだけでは今一物足りない。他に魅力有るものが無いのか?筑波山は徳一上人ゆかりの霊場、山麓に広がる寺院や神社の数はかなりの数だ。万葉の時代まで坂登ることも可能な歴史をもつ。科学と歴史・文化の融和は現代的テーマになる。これだ!
 そのアイデアをどうにか観光客集客につなげないのかという話をある人とした。

323:バチカン宗教会議・・・・報告

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23日。つくば市のホテルで茨城県布教師会の研修会を開催、総勢60名の坊さんが出席してくれる。私はその企画を担当し、準備してきた。今回の話は「教相よりみる引導法」若手の研究者である大塚先生、「バチカン宗教会議報告」医者であり僧侶である田中先生と2コマの講演を計画した。午後の時間帯で時間の制約もあって充分な時間を講師の先生に当てられなかったことは申し訳なく残念だった。しかし、いずれの話も誰一人居眠りする者が(実はめずらしい)なく、内容に満足してくれたのではと思っている。
私が印象に残った話、「日本人は我が儘で宗教心がない・・・・」これは例の新型インフルエンザに対する日本の対応への不満として講師の田中先生が話された。P4という実験施設が地元の反対で未だ日本にはない、研究者はカナダなどの外国の施設まで出向いて新型ウイルスの研究をしなければならない現状。また医療の現場に何故宗教家が出て行かないのか????必要とされないというのが真理・・・・バチカンでの医療現場の紹介のスライドの中で500年の歴史を持つ病院が紹介された。礼拝堂が病院の中に何カ所もあって、患者さんが自分の信仰する教会の牧師さんと話す場所がある。日本の病院で末期の患者さんが終末医療を受けている場合、菩提寺の住職が呼ばれて悩みや不安を聞くことがあるのか!ゼロに等しい。この現状をどうみるかとの問いかけ。
 僧侶が亡くなった方への引導は本来生きている人に教え示すべき云々。大塚先生の内容と田中先生の考え方の整理が必要と感じる。
 バチカンはカソリック教の総本山、イタリアのローマ市内にあり川を隔てて存在する宗教国家、そこから全世界に発信される法皇のメッセージ、なんどかテレビなどで見ている。
 ホスピスという終末医療現場の話も聞いたことがあった。その時に何故日本の仏教は積極的に関わろうとしないのか?私も障害者の人々との関わりが全エネルギーの8割位を割いている今の気持ちは教団のあり方への疑問として常に抱いてきた。バチカン宗教会議の内容は全く知らない世界、今回日本代表として出席され、発表された田中先生に御多忙なところを講演頂いたことに心から感謝している。
 宗教の危機はいかにすれば人々のこころをつかみ心の平和を掴む手助けができるかにかかっていると信じている。目先の損得や人間不審の甚だしい今の日本の現状を打開するには宗教の役割大ということだろう。

324:娑婆世界

『自分を許す時 笑うも良し泣くも良し』山頭火がうたっている。最近の目立つ傾向として責任の取り方が分からない若者が多いと思う。現社長から「大馬鹿者」とまで言われたホリエモン、また真実はどうであれ某政党の若手論客と言われ今回の入院騒ぎで雲隠れした国会議員、知らぬ存ぜぬは個人の域、しかし、社会的に責任ある立場に身を置く者として自己責任で何らかの意思表明をしなければならない。そこが、お二人とも揺らいでしまっている。現世の娑婆世界は当に何でも有りの世界。そこで何らかの規制やらルールが必要となって人為的に法律や制度が後の時代に生まれてきた。当然、個人の人権は尊重され不服申し立ての機会は与えられている。だが、茲には誰もが認める不服の正当な根拠が無ければ全く意味がないわけである。その辺の理解を上記のお二人はどう感じているのか、お二人とも個室?で自省の思いで眠れぬ日々かもしれない。娑婆の世界は先のことは誰も知らないというのが真理。会社のパーテイで世界一の会社にすると豪語していた彼が嘗ての部下である現社長より「大馬鹿者」呼ばわりされる。このギャップはナイヤガラの瀑布に相当するのか?否、たかが人間社会の浮き沈み、ナイヤガラに失礼だ。 さてと、そう言う自分はどうなのか?いつものパターンに逆戻る。
 山頭火の詩は、良寛の辞世の句に通じる。「裏を見て、表をみせて散る紅葉」  こうあれたら良いな!私の密かな願望だ。人生80年といっても振り返れば短い人生だ。当に現世の生き様が紅葉で表現されているわけだ。紅葉は気温の差が激しい季節程、見事に色づくと言われる。相手の批判だけで終わるには私の性分に合わない。せめてお二人が今の逆境から再び再生する事を希望する。その時こそ、本当の意味の世界一の夢を掲げ、この世を変えて頂ければ嬉しい。その意味では先ず自らの責任を公に認め懺悔するのが条件だ。

325:作務衣

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「ホレー」と言って包み紙をNさんより渡された。「なんだよ?」と尋ねる。すると。「世話になってるからよ。これ買ってきた、あげるー」これは2週間ぐらい前の出来事だった。そのNさんが今朝も挨拶、「なに・・・着てるんか!あったがいべー」私が上記の格好(彼のくれた作務衣)で学園に出勤した時に顔を合わせた第1声。「いつ帰ってきたのよ?」「昨日だ。あったいべー あっはん」どうもお互いの関心事がかみ合わない。私は彼が恒例の水戸通いで昨日の内に帰ってきたことに何か安心したような嬉しいような気持ちになった。Nさんはそんなこと関係ない俺が買って挙げた作務衣を理事長が着てる、これをみて満足しているようだ。なんで彼が私にプレゼントしてくれたのか?分からない。何度か飲み屋に一緒に行ったり、寺の仕事をやってもらっているからオーナー(?)にゴマすりしてるのかな?時々私を『社長』なんて呼ぶこともあるからな。
彼は例の無断で外出する筆頭格、最近は水戸からタクシーで帰ってくるのを覚えちゃったからもう大変。いつもどこで飲んでくるのか分からないが酔っぱらって良い気分で帰ってくる。昔は警察に捜索願、もう何十回と出している。それがいつのころからかタクシー拾って自分でご帰宅となった。これはこれで良い。彼は朝が早い、観音寺の掃除を朝の6時ごろから始めている。独り言を言いながらやっているから直ぐに分かる。私は給料を払っている。終わるのがまた早い10時にはおしまいと自分で決めているからいいきなものだ。
 彼にもらった作務衣、裏地がしっかりしているからとてもあったかい。二人で通勤寮の玄関前に座っておしゃべりしていると仲間が集まってきた。「なに、Nさんよ!理事長に買ってやったのか。ふーん」「高かったぺーな」仲間の本心はそんなに気を遣わなくてもいいのによと言っているのが直ぐに分かった。「Nさん これあったかで助かってるよ。どこで買ったのよ?」と私が尋ねると、即座に「100円ショップ」と答えた。アレレレレー。

326:人事発表

本日、9時半より全体職員会議の中で18年度の基本方針と人事異動の発表を行った。恒例の今の時期の理事長からの説明である。今、法人の職員はパートを含めると80名になる。それぞれの分野に配置されているから、殆ど顔を合わせずに過ごしている。18年度は制度が変わるからいつもより私は資料作りに苦労した。職員が理解できるにはどう説明しようかを一番悩んだ。それが済んでから急いで県庁に出向く。心身協としての要望事項を所管課長に説明する日程をくんでいたからだ。県からは4名でてくれた、当方も4名、意見交換を約1時間おこなった。これから何度かこのような機会が持たれることだろう。何しろ手探りだからである。行政も我々事業所の意見は気になるところ、県全体の方向がここで決まるといっても言い過ぎではないからだ。
 でも、どうなんだろう?3月1日に国の説明があって、10日前後に市町村説明、事業所説明は20日の後という。それが4月1日からスタートするのだから、めちゃくちゃなタイムスケジュール。予算も作れず、補正で対応ということになるようだ。職員の給料は払うほかない。どれだけ収入減になるか全く予測が出来ない中でスタートする。
 頭の中が混乱している。その中での法人の人事発表、異動になった職員はさぞかし心細いに違いない。だが、これだけは肝に銘じてもらいたいのだ。異動しようがしまいが法人という傘の下でのそれぞれの活躍する場であることには違いない。これしかできないという職員ばかりになっては身動きできない。このような時だからこそ、臨機応変でどのポストでも前向きに取り組んでくれるスタッフが貴重になることを。

327:涙

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涙し、気が動転する。実母を急に亡くしたTさん。私より6つ年上だ。Tさんの父親は先の大戦で32歳でフィリピンで戦死した。Tさんが1歳半の時だったという。母親は26歳の若さであった。長女とTさん二人の子を残して戦地で亡くなっていった父親の無念は計り知れない。それに残された二人の幼子を26歳の若さで育ていかなければならなくなったお母さんも並大抵の苦労ではなかったはず。そのお母さんが数日前に急に亡くなった。87歳だった。倒れるまで全て自分で身の回りのことはやっていたというから凄い。実に夫の死後61年間一人で農業をしながら二人の子を立派に育て上げたのである。堪えきれなくなって目に涙を浮かべながらその思い出を語ってくれた。 「俺は父親の顔を知らないで育った。今回母親を亡くし、父と母が一度に亡くなってしまったような気持ちなんだよ住職」 と私に話してくれた。お母さんは父親の役目もしていたんだろう。
 Tさんは地域で一番の働き者であり人一倍自分の健康に注意している。私のマラソンの好敵手だ。今、私は腰痛で走るのは暫く止めているから「住職、俺よりずっと若いのにダメだなー。いつになったら走るんだー?」と会うたびに言われた。正直、私はTさんがこのような思いを持っていたとは知らなかった。そのような素振りは決して見せない人だったから。それが今日大粒の涙を流すまで感情を露わにしたTさん。「戦争って、どっちにも良いこと無いんだよな」とポツリと言った言葉が私の耳にいつまでも残って離れない。私の父も同じ年で実父を亡くしたから親の顔をしらないで育った。このへんで先代住職とTさんに共通するものがあったのかもしれない。施設で預かる子供達の話になって「そうかー可哀想にな。うーん・・・」とTさんは自分の小さい頃のこととダブらせながら障害を持って生まれてきた子供達への思いを語ってくれた。それが自立支援法とかいう話になって今までの努力が脆くも崩れそうになっている。さすがにTさんの前で愚痴を零す気持ちにはなれなかった。
 60歳を過ぎて涙を流せる人ってすばらしいな。
 ・・・・ 亡き人の年をかぞえて 指をおる
                今宵も寒し  きさらぎの夜・・・・ 【葬儀祭壇に飾られた 故人の残した短歌】

328:弥生

3月に入り日中の気温が10度を超す日が続く。いよいよ春の到来か。気温が緩むと不思議と心まで弾んでくるから面白い。弥生とは,木や草が弥生(いやお)い茂る月という意味らしい。別名、桜月・桃月・嘉月という。冬ごもりしていた虫たちが穴から出てくる。最近は花粉症とかいう症状で苦しむ人たちが非常に多い。これは季節的なもので毎年のことだから本人にとってみれば憂鬱な季節となる。私は幸い今のところ目が痒いぐらいの症状である。坊さん仲間でも完璧に花粉症になっている人がいて、これまた気の毒なこと。お経を唱えている間中、クシャミ、それを無理して押さえようとするから尚更だ。鼻の穴の周りを狸みたいに真っ赤にした坊さんもあまり、よろしくない。修行が足りないんだよ!カッツだ。さてと、私の心中はいかに?年度切り替えの月だというのに、どうもピリっとしない。そこで今日、本屋で城山三郎の文庫本を買ってきた。彼の本は前から好きだった、登場人物が身近にいるような感じになり、いろいろと元気をもらってきた。経済や政治の裏側を暴くものが多いから、今の時代ちょうどタイムリーなんだと思う。私は藤沢周平の本などあまり読む気にはならない。どうしてかな?時代物は心に余裕がないと読めない。まさに今の自分には余裕がないのだろう。それから私の先輩で相変わらず(?)小説を書いている方がいる。いい加減に諦めたらと以前は言ってしまったが、最近では密かにエールを送っている。何も賞をもらうのが目的じゃない。彼の言い分を吐露すればいいじゃないか。
 今、大正大学の茨城県同窓会の講演会を企画しているのだが、福島のお坊さんで芥川賞(GS氏)をもらった方を基調講演で呼ぶことになった。テーマは分からない。彼は寺にうまれたから将来は坊さんになると思っていたようだが、様々な職業を経験したようだ。今、6月の本番に向けてその準備を行っている。そうだ!俺もフランス文学を卒業したんだっけなー。これ遠い遠い昔のはなし。

329:オーストラリア1弾

3泊5日の旅だった。夜中の便でたって朝一番で帰国するという強行軍。西オーストラリアのパースに行ってきた。一部の人にだけ知らせて出かけたものだから、暫く顔を見ないがどうしてるのか?と私がいないのを気にならない職員も多かった。片道約10時間のフライトは正直辛かった。狭い座席で眠れないし、腰も本調子でないからちょっと心配した。
結果はOK。しかし、7度の世界から真夏の37度、30度の温度差は正直着いたその日は参った。万歩計も1万4千歩を越した。正月から実は休み無しで動いたからリフレッシュの意味があった。新たな制度への切り替え時、皆忙しくしているのになんじゃと言われるのは覚悟の上、甥が現地で会社をやっている。また、次女が語学研修とかでいるのも思い切った理由の一つ。オーストラリアは2度目だったが前回はケアンズで全くの観光、今回は予定無しのぶっつけ本番、これが逆によかった。地下資源が豊富なオーストラリアは福祉の天国か!こせこせ働かなくとも充分老後の生活が安定している。パースはとても環境が良いところ。シドニーから飛行機で4時間、電車だと丸4日かかる距離だ。インド洋に面しており気候も温暖、3月は当に炎天下の暑い日中(異常気象?)、しかし、空気が乾燥しているせいかそれほど息苦しくはなく、木陰に入ると涼しい位だ。街の中で障害者を良く見かけた。クルマ椅子で一人で街に出られる配慮は至る所で見聞できた。電車に一人で乗れるのもすごいと感じた。スワン川沿いの住宅街は当に別荘地を思わせる雰囲気。天然ガスが豊富で電気はその火力発電で、賄われる、石炭産出も多い。また、ピンクダイヤモンドやオパールなど宝石も多くでる。だから裕福なのだろう。
 広大な土地があることも日本とは比較にならない。パースは未だ日本には知られていない。アクセスが悪いせいもあると現地の人が話していた。(成田〜パース週3便直行便)
 時間がゆったりと流れるパースにいると新法の情報に一喜一憂する自分が正直ばかばかしくなった。制度の前に人としてどうあるべきかが問われるべきであろう。その事が再確認できた意味では迷惑をかけたが思い切って行って良かった。因みに表紙のスナップはロットネス島(パースから約2時間)での一枚である。次は猫バス:ワークホリデイの紹介。

330:第2弾このページのトップへ

                      コアラ

聞いた話、見た話。
RED CAT『猫バス』・・・・パースの市内を走る無料バス。市内を2つのルートで循環しているバスだ。最近日本でも市町村が有料定額で走らせる所も出てきているが、パースでは確実に市民の足になっている。これは町の政策でなっている。西オーストラリア随一の大都市パースは州全体の9割の人口を占める。市内は当然混雑する。これを避ける意味で循環無料バスを運行している。また、郊外からの一般のバスも市内では料金が無料となるから面白い。だからクルマを郊外の駐車場に止めてバスに乗り換えて市内に移動することが一般化している。そのためかラッシュアワーはない。
ワークホリデイ・・・・外国人の受け入れ制度の一つ。語学研修や職を求めて渡ってくる人の殆どがこの制度を利用する。しかし、同じ学校や職場で働き学べる期間は3ヶ月と決まっている。長く滞在を希望すれば学校を変えなければならない。公平性が保たれる良い方法だ。
語学研修には年齢制限はない。だから、最近リタイアした人がこの制度で来るのが流行っているとか聞いた。
 銀行利子が5.5%だから日本と比べて雲泥の差、預金を預けて充分その利子で生活できる。これは目玉ですよと勧められた。オーストラリアは多国籍だ。特に目立つのは中国、韓国、シンガポール。タイそれに日本人である。アジアから一番近い西欧国で治安も良いから人気がある。
高齢者のユートピア・・・。リタイアしたオーストラリア人が多く移り住む。年金生活者だ。自立している人たちが町の至る所で目立つ。日本みたいに老人福祉というとやれ老人ホームだ!グループホームだ!収容する仕組みしか頭に浮かばない。そうじゃない。自立を促す仕組みが基本、それには生活を楽しむことが条件になる。
 自分で買い物をして友と語らうそのような雰囲気が絶対に必要だ。それが既にできている。固定資産税がゼロというのも老後生活を考える上で大きい。シドニーはバブルが弾けたそうだが、今パースでは住宅建築ラッシュ。
至るところでクレーンが見られた。いずれこれも弾けるのか?
 しかし、高齢化や少子化の対策をお金の面だけで考える日本の制度には当然限界があり、もっと大事なことに”夢”がない。郊外のレストランで食事をしようと入っていくと、障害者のグループがお茶を飲んで休んでいた。商売柄すぐに目にとまる。二人のスタッフに4人の障害者、自閉の方、クルマ椅子の方がいた。目立たないというか自然な雰囲気であった。それから日本では○○センターとかいう看板を背負った福祉医療関係のクルマが目立つがパースの町にそのような車は全く見受けなかった。これも形から入るか否かの違いかも。
 いずれにしても大いに学ぶ所がある国であった。また願わくば私も年老いた時にはワークホリデイにて生活してみたくなった。