源究235t235
| NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 | NO | テーマ | 月日 |
| 4211 | 懐旧の情 | 6/19 | 4216 | 落とし穴 | 7/5 | 4221 | 自然体 | 7/25 | 4226 | 時流 | 8/10 |
| 4212 | AIパラドックス | 6/23 | 4217 | 途中駅 | 7/9 | 4222 | 格言・アラカルト | 7/29 | 4227 | 循環型社会? | 8/15 |
| 4213 | くつろぎ etc. | 6/26 | 4218 | 世代間ギャップ | 7/12 | 4223 | 天下一品 | 8/1 | 4228 | 盆と正月 | 8/19 |
| 4214 | 植林 | 6/30 | 4219 | 無力感 | 7/16 | 4224 | 五蘊盛苦 | 8/5 | 4229 | エビデンス | ☆ |
| 4215 | ワールドカップ | 7/3 | 4220 | 国の威信 | 7/19 | 4225 | 明と暗 | 8/8 |
4211:懐旧の情
| サッカーワールドカップが始まりました。初戦の日本対オランダの試合結果は2ー2の引き分けでしたが、中味は濃かった。二度の先行を許し追い付く日本、個の力よりチーム全員の纏まりを強く感じた。日本代表は主力選手の相次ぐケガによる欠場があり、どうなるか心配されたが、逆にそれでチームの団結が強まった感がする。次の相手はチェニジア、頑張ってくれると思っている。試合後の日本のサポーターが競技場のゴミ集めをしていたことをメデアが紹介しました。もちろん結果も大事だけれどそれだけじゃ~ない。サポーターシップも大切。私は高校三年間、部活でサッカーをしました。その頃は一部の高校だけにしかサッカー部はなく創部2年目 レベルは話にならなかった。60年前のことを懐かしく思い出しました。 |
| "邂逅(かいこう)””懐旧”、この漢字二文字は自分を昔に誘ってくれる。四国松山の市内には今も路面電車が通る。聴いた話だが電車の外面に一言が書かれる場所があり、何が書かれているか誰でも読めるらしい。≪遠回りだって ボクの道≫・・・コレだ!・・・と思った人の話。それだけのこと・・・でも、余韻が残った。松山には何回か訪れたことがあり、朧げだが,街の風景が浮かぶ。市内の真ん中にある松山城、夜、スポットライトで照らされる。 思い出は誰にもある・・言葉で見えない 望みといったもの・・・それは、自分のそばにいてくれるだけで良いということかもしれません。 あせらず・おごらず・あきらめず・・・・此の標と一緒にゆっくり歩いて行きますよ。 |
4212:AIのパラドックス
| 世の中は自分が思った通りにはならない、〈仏)四苦八苦の一つ、求不得苦。それをどうにかして思いを通そうとすれば周りと軋轢が生じる。AIのパラドックス?AI自身、悩みを感じるか否か?それは無いでしょうね。膨大な量のデーターから選んで提示することは得意だが、AIに四苦八苦の感情はないだろう。AIとどう付き合うか”逆説”(パラドックス)は、「通常の把握に反する形で、事の真相を表わそうとする言説。アメリカで行なわれたある調査で面白い結果が出たという。貴方はAIを信じますか?との問いに信用しないと答えたのは圧倒的に若者が多かった。”矛盾”。その例として≪善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人もや≫の類とある。、人工知能における能力と課題の逆説的現象、人間にとって簡単なことがAIには難しく、逆に人間にとって難しいことがAIには容易である。といった類。 |
| 仏教修行で座禅の”公案”をAIに任せたらどうだろうか? そんなことを考えた。人間の脳が数百万年の進化の中で獲たスキル(感覚運動)、それと異なる論理的思考スキルは歴史的には新しい(約4000年)と言われます。(仏)永遠なるなるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という。これをどう解するか! いま私たちは人間の尊厳が問われているように思うのです。 私の大好きな歌、♪・・・ わずかな生命の きらめきを信じていいですか 言葉で見えない 望みといったものを 去る人があれば 来る人もあって 欠けてゆく月も やはて満ちてくる なりわいの中で ・・・♪ (『防人の詩』 さだまさし) ☆ 人間の体は数十兆個の細胞からできている。生きているとは、細胞が成長・分裂・代謝を行ないながら体の機能を維持していること。☆ ★ 欲を担いで人生行路 もういいかい ま~だだよ ★ |
4213::くつろぎetc.
| 緊張からどうすればリラックスできるでしょうか?人混みの中に入るのが苦手な人は世の中に沢山います。私もそうです。何せ杉や竹で囲まれた寺に生れ、自分はそれを寂しいと感じたことはありません。寧ろ心が落ち着いた。 環境に順応できる人とできない人がいます。それが”当たり前”なのか”有るが儘”なのか・・・・。人によって違う。寂しくは無いのですが悩みはあります。周りに家が増えたので"有るが儘”にして荒らして置くことは出来なくなった。・・・日が当らない、落葉をどうにかして欲しいの類が増えた。・・・・裏を見せ 表を見せて 散る紅葉・・・・(良寛:辞世の句) 移り行く時の流れに 竿差し 彼岸に向かうか 渡し舟(ナマグサ) 安心をカネで買う時代 慰めをAIに託し 年貢納めの請求書の山・・・・フ~ム!(不~無) |
| 時間よ止まれ・・・関係悪化し元に戻る術なく途方に暮れ判った時に・・・どうするか? ≪後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき 真の求道者となり給へ!≫源信の母の我が子への諫言。 源信はこの母の言葉により、変わった。 ここに1000年と言う時間差がある。親と子 or 家族とは?さて、どうでしょう。親子の間にもAIが介入するという事が当たり前になるのでしょうか?万事が休す。創っては壊しまた作ってはこわす。この愚行を重ねて懲りず。根拠の真偽分別ままならず。 くつろぎ・癒し・安心 etc・・・・が遠く離れて”路傍の人”、更に、山本有三著『路傍の石』より ・・・一年の計は麦を植えることにあり、十年の計は樹を植えることにあり、百年の計は人間を植えることにある・・・・・。 |
4214:植林
| 種を撒き、苗を植え、人を・・・・? ”育てる”。個人差には特徴的な行動とそれを支える心がある。地球上で今83億を超える人々が生きている。史実が人間同士の争いが絶えたことがないことを明かす。自分の思いを果たそうとし過ぎれば”共生”とは真逆の姿を露出してしまう。仏教の教えでは、因果の関係を説いています。原因と結果、ここで無視できないのは”欲”の存在・・・それを判り易くするために大乗と小乗の乗り物に例えて自利利他を説くようになった。自利とは”自分によい果報、利他とは”自己の善行の功徳により他者の救済をはかること”。 ♪ 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 霧の途中(なかに)うかびくる やさしい影 野の小径・・・・♪(「夏の思い出」) 心が自然と和んできませんか。(ちょうど良い自然との共生) |
| 地球が我々人間をどう診ているでしょうか? 人間は地球をどう観ているでしょうか?視座を意識することで相手との信頼関係や共感が生れる。 今はどこにいても生の情報をえることができ、日進月歩の技術の進歩。その結果はどうなりましたか?種を撒けば間もなく発芽し、木を植えれば30~50年で用材に育つ、その事を人間は知っている。その為にはどうすれば良いか。渇水にはため池を掘って備え、時期が来れば植林した木を間伐し、適度の光があたるようにしてきました。 勿論、これらは先人が自然から学んだことですね。 一方現代人はどうでしょうか? 自然環境の整備を省き、自然の恵みを独り占め、それで満足せず争って奪い合う。 頑張った先に見える景色が 怪しい雲に覆われ生きるエネルギーとはならず 遠のいていく。 当たり前が素晴らしい!と思う謙虚さを。 |
| ブラジル対日本、2:1で日本が負けてしまいました。一点の重さ。夜中の2時からの試合だったけれど沢山の人達が生中継のTVの前で応援したと思います。 試合後、メデアは挙って取り上げ報道しました。讃辞を加え、次に繫がると希望を語るもの、逆に、ブラジルにあって日本に無かったものなど・・・・。一夜明けて今度はドイツ対パラグアイ、オランダとモロッコの試合、日本ではハイライトの一部だけ生中継が無かった。・・・・・。画面は変わり中東、ウクライナでの戦争、更にベネズエラの地震禍・・・・。地球で日々繰り返されている。 昨日、久しぶりにドイツのY氏から電話がありドイツサッカーの低迷(?)の話を聴いた。その時に♪『 We are the world』♪という歌の話が出ました。それが今”I am the world”になってしまった・・・と。 飢餓や貧困と戦った戦いはもう過去の話となったのか、巨額な冨を獲ながら、満足せず更に獲ようとする。このような戦いに終わりがない。アイ アム ザ ワールド、 個の問題(for me)、だから・・・。その中で日本チームの姿は国内、海外を問わず”和のこころ”の大切さを伝えてくれていた。 |
| 一度失ったモノを再び獲ることは難しい。国と国の信頼が壊れ、4000年前の目には目をの報復が、周りの国を巻き込み拡大する。この態を仏教ではどう観るでしょうか?円相というものがあります。一筆で円を描いたもので始まりも終わりもなく角に引っかかることもない。とらわれない心、執着から解放された心を象徴します。先ず相手をどうのこうの言う前に自分を見つめなさいと!一円相は空・悟り・無我・一如・円満・調和を象徴する。無我は”我意”がないこと。つまり、自分の考えを押し通そうとする気持ち。一如は、現れ方はいろいろあっても根本は同じで不可分であること。そして、調和は偏らず釣り合いがとれていること。曼荼羅に描かれる円相は、宇宙の真の姿(真如)を表わす。 己の身辺を見つめ、”我先よりもお先にどうぞ””独り占めより譲り合うこと”はどうなのよ。さすれば相手を敬い感謝する気持ちが自ずと湧いてくると観る。さ~一緒に歌いましょう!!!宗教が違っても望んでいることは 皆同じだと私は信じます。 ♪We are the world We are the children We are the ones who make a brighter day, so let`s start giving There`s a choice we`re making We`re saving our own lives It`s true we`ll make a better day Just you and me・・・・『We are the world 』♪ |
4216:落とし穴
| 問答1➡便利な世の中になって獲たこと失ったこと。外見をつくろうことはできても内面がどうか? 労せずして獲たものは失っても気付かない。逆に苦労して獲たものは大切にするから忘れない。問答2➡生きることはどういうことか?実は判っているようで判らない。永遠なるものを求めて永遠に努力する人を”菩薩”といふ。是は自利を求める小乗の声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)に対して利他を説く大乗の菩薩行(発菩提心)の立場です。 今、世の中ではどんなことが起こっているでしょう! ”当たり前”という事一つとってみても何が当たり前なのか判らず、人間が長年かけ獲得した諸々の価値が凄いスピードで変化している。攻撃に対し後付けの防御、その為に掛かる膨大な手間、その経費の捻出の為と妙な理屈が増え過ぎた。自分は大丈夫と言えない事態になって仕方なく自ら掘った”落とし穴”の場所探し。価値の顛倒(ex, 便利⇔不便)は、おいそれと元にはもどらない。それは未知の領域、謙虚さと感謝の気持ちが無ければ入れまい。 |
| 世の中には予測困難な落とし穴が無数にあると思います。それを”欲”と仏教では説いています。煩悩、妄執、とも言っています。因果応報・・・原因があって結果が生まれる。四苦八苦の原因は煩悩、これらを釈尊は弟子たちに判り易く説いた。万が一自分が落とし穴に落ちた時、そこからどのように抜け出すか!人生は十人十色、この世に生きた年数の長短ではなく(外見)、その中味(内面)だという。出来ることならば健康で長生きしたい・・・誰もが望んでいることですよね。生老病死。 生きるという事、それを貴方はどう考えますか?自分の力で生きてきたからこれからも・・その様に・・・・と、視座を変え”生かされている”と考えてみると周りの景色が変わって見えて来ませんか? 死の淵を彷徨った経験の後、人の心に何らかの変化が生れると言われます。自分のモノは自分のモノ、アンタの物も自分の物、是が因で果は”戦争”、史実が証明しています。戦争に終わりはない。誰の言葉か思い出せないのですが、戦争が終わると考えるかと問われた時、その方が仰った・・・自分が死んだ時。・・・四苦八苦(4+4=8) 抜苦与楽=慈悲。(ナマグサ独言抄) |
4217:途中駅
| 鈍行列車の途中駅、我先に降りたい者はなし。車窓の景色に朧げな記憶が蘇る。 そんなに急いでどうするの? 70~88才が10人集まった小さな宴、最初は堅かった雰囲気も徐々に気持ちが落ち着き和み始めた。 コロナ騒ぎで暫くできなかった食事を兼ねた集い、発起人2人の提案に賛同し参加したのは偶然(?)にも全員古希(70歳)を過ぎた昔の若者だった。世代のギャップを感じながらも昔取った杵塚を忘れられず 利用者との触れ合いに元気をもらう喜びを共有する、。。。。結果はやって良かった!参加した人数も手頃で話がみえてあっと言う間の2時間となる。 結局、相手を変えようとするより自分が変わった方が良いんだわ・・・・・ということで一応本日の小宴はお開きとなりました。皆さん笑顔で帰路についた。お疲れ様・・・・・。 |
| 気楽に利用できる地域のレストラン、オープンして既に半世紀、国道6号線沿いの田園風景は今も変わらず、店を開いたオーナーがレジに立ち頑張っていた。私達は随分この店にお世話になってきた。オーナーが運転するマイクロバスで送迎され利用者の皆さんは、食事しながらカラオケするのを楽しんだ。恒例となって皆さん楽しみにしている行事です。 時が経てば変わるのは仕方がない。でも変わって欲しくないこともあります。我が事として・・・飾らず誇らず諦めすをいつも教えてもらうレストラン、6号国道沿線で一番長く続いている店・・・・・。SDGs? 何も難しいこと、目新しいことを誇るより、その秘訣は自分たちの身近にあることを再認識したほうが良いのでは! これぞ変わって欲しくないサービスの原点でしょう。 |
4218:世代間ギャップ
| 人間と他の生きものとの違いを考えてみると頷ける。例えば虚栄心、これは人間だけでしょう?何を誰に対し見栄を張るのか!身分・地位・財産・実力・・など諸々、これは4000年以上昔から何も変わらない。仏教では”慢心”、驕り高ぶること。七慢で7つ種類の慢心を説き108煩悩の一つで苦の原因になると。迷路にはまって、さ~大変。どうしよう・・どうしよう。 おそらく人間だけかもしれない。ですから永遠に精進努力する事を課した。そういう人を菩薩と言って、如来(仏)になる前の段階と定めています。 だが、問題は深刻です。だって今は人工知能なるモノが登場し、猫も杓子も・・・ヤレ遅れるな ホレ 負けるな 無我夢中 それはあたかも魚の目に水見えずの様 、善悪美醜の区別なく。目的の為には手段を選ばず、堰を切ったように・・・ これだって今後どうなるかは判りません。(因果応報) |
| 私達は自然から何を学び、そして何を獲たでしょうか・・有史以来の出来事から、今の姿を誰が想像したでしょうか!18c半ばの産業革命は社会経済のあらゆる面に変革と発展をもたらしたという。でもどうでしょう?善悪美醜を判断する力は・・・・。人工知能への関心は高まる一方、現代社会の危うさを象徴する例として、無人機飛行物体(ドローン)が平和利用するのではなく武器として利用される。これが当たり前となれば罪の意識は萎えます。灌漑用に掘られた池も堰が切れればどうなるでしょう。手が付けられない。これも判り切ったことです。何の目的で誰がどどのように利用するか・・・・それが大事。 ”堰”の役割は水量のバランスを保つことです。人間社会においては”法律”がその堰の役割を果たすはず。それがそう成らないのが戦争ですよ。何もかも容赦なく破壊し平和➡戦争、誕生当時の意義や内容が形骸化すれば社会の分断、亀裂(ギャップ)が起こり、修復不能となります。 何故 私達は斯くも同じ過ちを繰り返すのでしょうか 不二一元論(インド哲学)? |
4219:無力感
| 唯一無二&凡聖不二。無・不・空なる一字は仏教を学ぶに誰もが通らなければならない要所。真の理解には言葉だけじゃなく実践が大事、デジタルかアナログか???。この峻別法ではいずれ行き詰まる。懺悔ノ文(密厳院発露懴悔ノ文)を毎朝私は唱えています。キリスト教の≪贖罪≫は自分が犯した罪を贖(あがな)うこと。チベット仏教徒の聖地巡礼。真言宗の即身成仏、大日如来の真実の姿と修行者が一体となることで成仏が実現されると説く。そこには相通じる願いがある。便利さは労少なくして功多しなるか?人間は新陳代謝により生きられる。自分が無力であると判った時、さ~どうします? 大道廃(すた)れて仁義あり? 常見か断見か!有と空、空と仮。。そこで自分を知るには両極端に偏らない中道の塩梅加減。中正の道が大事となる。 |
| 心身の拠り所が無ければ彷徨い歩くことになってしまう。私達は互いに他との関係を持ち合って存在する。反発、敵対、。。。妥協。好むと好まざると・・・・。 仏教は”苦”をすべての人間が持って生きているとみる。(諦観:ていかん)諦:真理・悟り。力には自力と他力あり、持ちつ持たれつ、そして譲り合う智慧が育つ。智を善に使うか悪に使うかは人によりけり、此処が関所で通行手形は誰が発する。知と智、〈仏)智は真理に従って判断し、煩悩を打ち消す精神のはたらきだと説く。 謙譲と慢心を別ける”無力感”、これこそが心と身の再生可能エネルギー。 ≪この子らを 世の光に≫ 。今は 世界中の人々が ”光”の真意を考える時だと思います。 |
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一円相(禅)の深意は「悟り・宇宙・無」、そして「不完全の美」。 |
| ワールドカップ2026も準決勝で勝ったスペインとアルゼンチンを残すのみ、日本チームが目指した頂点はラウンド32の第一戦で過去優勝5回のブラジルに2対1で惜しくも負けて、その夢を果たすことは出来なかった。それでも国の威信をかけた日本代表の戦いぶりに多くの人達が拍手を送った。 国の為という言葉で語られながらサッカーとは真逆の戦争は先がどうなるかは全く判らない。1945年10月24日に国際連合(国連)が51ケ国の加盟で設立され、それが2026年で193ケ国が加盟している、国連の目的は≪国際平和と安全の維持と経済、社会、文化面の国際協力の達成≫。設立から80年経過して現実と理想のギャップに苦しむ人々は一向に減らず平和と安全を望まない人はいない。 威信には、威厳とそれに伴う信頼がなければならず。それにはルールを守ることが絶対条件。出来なければ罰則が科されるのは当たり前。 |
| 目的を達成するために手段を選ばずと不当行為に対し、仕返しで同様の行為を行うことが正当か否か?仲裁者が入り当事者双方の合意の下、終戦となれば良いがそれは容易なことじゃない。いつまた戦火を交えることになるかは判らない。現代社会の病巣・・・私達は次々に出てくる厄介な問題と向き合わざるをえない。特定できない”攻撃”からどう自らを守るかということ。便利と不便、安全とリスク、相反しているように見えて、実は密接につながっているという。まさに自縄自縛で自ら作った縄で己を縛ることになっている。「円相」の不完全の美をどう解釈するか? 「円窓」と書いて「己の心をうつす窓」という意味もある。日本人特有の感性で詫び・さびは閑静な生活の中に深い味わいを楽しむこと。それは白黒ハッキリさせることではない ☆ 絶望し過ぎず 希望持ち過ぎず☆(大江健三郎のことばです。) |
4221:自然体
| 身構えたり、先入観を持ったりせずあるがままの態”自然体”は武道の基本姿勢。転じて、国と国の関係で分断、対立、・・これに対し”宥和政策”は強硬な外交ではなく、ある程度の譲歩をして衝突を避け、当面の安定を維持しようとするもの、この代表的なものが第二次世界大戦勃発前にイギリス首相チェンバレンがとった外交政策といわれた。戦争回避を最大の政治的正義とした政策で結果は戦争の回避できなかった・・・・・。その真偽は? 無道・不道・非道は人としての道に背くこと、その最たるものは暴悪無道の鬼と言われた。(荷風) 地獄で亡者を責めさいなむ鬼。(仏)三悪道は死者が悪業のために行く、地獄道・餓鬼道・畜生道の三つの世界。六道輪廻は、生まれ変わり死に変わりして迷い続けることを説く。そして、その原因は自分の業によると。それを根拠が無いと無視する者に対して「円窓」己の心をうつす窓で明かす、「勝手」は自分に都合のよいように振舞うこと。成るほどと思うか否かはアンタ次第と少し間を置いて、絶望も希望も欲が取り持つ因果なり。相手の機に応じて法を説く!(対機説法:応病与薬)果報は寝て待つもの? |
| 先手必勝はある局面で先手を取れば必ず有利であるということ、だが、迷いが無いかと言えばどうだろう? 断言はできないということになるのでは・・・・・。”果報は寝てまて”の反意語は”蒔かぬ種は生えぬ”とありますよ。すると天の邪鬼という鬼が出てくる。つむじまがり・・・とも言う。そうなんだよ~。結局”福はうち鬼は外”。そこで前項の≪円窓≫・・・己の心をうつす窓・・・。 人間と自然の差・・・・何だと思いますか? 無無。。。 自然は嘘をつきません!搾取も略奪もありません・・・・あるがまま。(ナマグサ独言抄) |
4222:格言・アラカルト
| 身勝手をどうとるか?他人の迷惑を省みず自分の都合だけで行動したり考えたりすること(大辞林)。 個の尊厳はどうでしょうか?ちょっと待って下さいよ。違いを判っているようで実はそうじゃない。真意と深意?つもり違いしていませんか? ・・・???。口は禍の元⇒不用意な言葉で思わぬ災難やトラブルが起こる。だから言葉を慎みなさいと・・・聴いたことありませんか。ついでに身から出た錆(さび)なる諺(ことわざ)。出るは(わ)出る出る湯水の如し。(仏)自業自得。一刀両断。 溢れる話の中には根も葉もないものも有ります。その見極めができずゴチャゴチャ。何もそこまでしなくても良いんじゃないの・・・・と言えば無視される世の中となったのか!このままでは和み 穏やか わび さびの類は死語に・・・・。ところで個の尊厳はどうなりますか?仏教では諸行無常 諸法無我 涅槃寂静の三法印を説きます。・・・小欲知足・・・小さな喜び 大きな幸せ・・・慈悲の心なからんは、人倫にあらず。 |
| ズラリと並んだ美辞麗句 こころ 此処にあらずで耳障り・・・・。 ≪かあかん くっとー≫ ≪いいなー≫ いつも変わらぬこのコトバ ・・・・Y君の伝言板。 「不完全の美」は、わび茶を大成した千利休からのメッセージ。完璧さは退屈として不完全さにこそ生命があるという考え。つまり”欠けている”ことが、むしろ”美しい”ということを 今を生きる私達に知って欲しいという願いだと思いませんか。小欲知足がそうです。絢爛豪華さや美辞麗句にこころ動かず、飾らす、さり気無いコトバにこそ強さ・真意を感じる・・・。 私はウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領が来日し若者の前で語った演説をよく思い出します。 |
4223:天下一品
| 「明日 オレの誕生日!」≪いくつになったの?≫「わかんね~ヨ」 Mさんが駆け寄ってきて、小さな袋をくれた。「いつも 世話になってるから これあげる!」と。いや~参った~。「今日、カアちゃんのお墓まいりに○○ちゃんと一緒に行ってきたんだよ!」 。○○ちゃんと一緒にご飯食ってカアちゃんのお墓掃除もやってきたんだと教えてくれた。○○ちゃんがMさんが61歳になることをそっと教えてくれました。随分 大きくなって まったく すげ~なや! いつの間にMは私の指南番になって、私のナマグサ坊主の名付け親。 Mの草取りの腕前は”天下一品”。悔しいけれど真似できない・・・・・。 ≪今日は神宮寺の施餓鬼会で~すよ・・・≫とMさんに話すと 知らんぷり???? 気持ちの切り替えも天下一品、羨ましいが真似できません。 |
| いま二ケ寺の施餓鬼会、無事終えることができホッとしています。二日間は35℃以上の猛暑でした。施餓鬼会はお寺にとって大切な行事の一つです。お盆までの2週間は住職として自問自答の毎日。 本堂に入り切れない程の人が来てくれ、外にテントをたて暑さ対策、でも 今年は変化の兆しを感じました。猛暑の所為かどうか判りませんが参加人数が減った。逆にコロナ禍の後ぐらいから、早朝や夕方、寺に来られる方が増えたように思います。ワンちゃんと一緒の方や独り石仏の前で手を合わせる方、木陰で一休みしている老夫婦・・・・などです。 今年は熊本地震募金箱を置きました。いつの時代でも人々が願っているのは”平安”ではないでしょうか!被災地の大変さを日本人は知っています。それも明日は我が身・・・・と思うから、心の中で祈るのです。 〈仏)三界唯一心・・・三界(欲界・色界・無色界))のすべての現象は心によってのみ存在し、また、心のつくり出したものであると謂われます。★無色界は欲界・色界の上に位置し、物質や物質的な思いから解き放たれ、受・想・行・識の四蘊のみから成る。初転法輪,五蘊盛苦・・・・ |
4224:五蘊盛苦
| 四苦八苦の8番目が五蘊盛苦です。生老病死の四苦と愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つの苦を合わせて四苦八苦。その中で8番目の五蘊盛苦をどう解するかが難しい?その意は”思い通りにはならない苦しみ”。一人ひとりの人生を考えると薄っすらと光が射すように見えて来る。我が事と考えるとどうでしょうか? 貴方は思い通りになっていますか?釈迦がサルナートにおいて五人の比丘に初めて仏教の教義を説いた初転法輪。紀元前5世紀に遡ります。その中で釈迦は説いています。≪五蘊は私のものである(=我執)と思うから苦が生じる≫と。私はあと10日経てば76歳になります。それは長くも有り短くも有り、その道道でこだわりと自問自答を繰り返しています。光は掴もうとしても掴めない。 |
| 植物が自然と共存する姿から学んだ智慧を事もあろうに・・・人間は自ら壊してしまう愚行を重ねているように思えて仕様がない。箍(たが)を自ら外した桶に水を貯めようとしても、思い通りにならぬと周囲に罵倒を浴びせ、それで、お望みの光を獲ることができるのでしょうか?。緑色植物が光のエネルギーを用いて行なう”光合成”、二酸化炭素と水から炭水化物と酸素が作られる(自然の摂理)。要は感謝と謙譲の心を忘れて、相手との和を求めても・・・・結果は明白ということ! 五蘊は人間特有のものでそれを私のものと思うから苦を生じる。この真意を上手く説明できないけれど、釈尊の教え(経典)から何をどのように学んだら良いのかという時には自然の存在(視座)無くしては語れない。 宗教や哲学・倫理がAIの時代に さ~て どのように変わるだろうか!!!!!明反応?暗反応?あるがまま? |
| 『明暗』、夏目漱石の未完の小説。平凡な日常生活の裏の暗い人間関係を描いたもの。明と暗の意味には、喜ばしいことと困ったことや幸運と不運があります。誰しも暗より明を選ぶでしょうが、実は その境い目はハッキリしていない。仏教では、無常・無我を真如とし、茶道では詫び・寂びを大事とする。そこで育まれた”あるがままの姿”を実相・法性と崇める。宇宙万物の共有する不変・平等無差別な本体とはいかに?膨大な経典の中で『維摩経』が評価されると思いますね。それは在家仏教者である維摩詰と文殊菩薩、仏弟子との間で真理についての問答説話という形式が取られ判り易い。在家と出家、立場の違いで仏教の解釈が異なるでしょうか?誰だって自問自答しながら生きています。同じなんですよ。 維摩経で説かれる≪不二≫の教えは【入不二法門品】に有ります。無我の境地に入ることが不二法門に入ること・・・・とあり。 |
| 自問自答のことを「内的対話」や「内省」「内観」と同義といっても良いだろうか?。私は76歳になります。今もハッキリと覚えているのは私が小学生の頃の事です。寺に来た人が”お寺の子”と呼ばれていた園児をみて笑った。その時、どうしてなのか判らないのですが、泣きながらその人にむかっていった。 先代住職が尚恵養護学園を創設(1956年)した頃の話です。その後、私は厄介な事が起こるとその場景をよく思い出すようになりました。 ああでもない、こうでもない・・・・と考えても答えの出ない問いの結びはいつも此処。・・・・公平って? 幸せって? 心って?・・・ |
4226:時流
| 時流に乗るとは・・・・・!諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽(『大般涅槃経』)。それは・・・諸行は無常なり、これ生滅の法なり 生滅の滅し已りて 寂滅せるを楽とする・・・。仏教の究極的悟りの境地。煩悩を打ち消し真理の智慧を完成した境地、涅槃と同義。小乗から大乗への仏教の変容、煩悩即菩提、これをどう理解すれば良いか・・・更に即身成仏、真言宗の根本教義とされる。仏教を発展史的にみて、受容された地域の特殊性や社会変動により多様な信仰に展開してきた。仏教では、この世を苦しみ・迷いの世界と見て、そこから脱する為の教えは一方に偏らず、穏やかな中正の道を旨とした。 情報、技術、・・・が進歩し続けていけば 公平、幸せになるとは限らない。政治を右か左かと騒ぎたて、分断を煽る!煩悩は自らの肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着で八万四千煩悩を仏教では説く。 私達は偏り過ぎた未来志向ではなく歴史から学ぶことを大事にしなければ道を誤ることになりかねません。広島・長崎への原爆投下の81回目の平和式典が終わりました。被爆者の平均年齢が86歳になったという。時流とは? |
| 善因善果⇔悪因悪果。自然の営みから私達が教わることは無限大、香川県に満濃池という灌漑用につくられた池があります。821年に空海が修築したというから1200年昔の時代です。四国88か所巡礼で讃岐(香川県)を歩くと今も沢山の池があることがわかります。そこから何を感じるか・・・でしょうね。 宗教や哲学がAI時代にどうなるか?効率、スピード、豊かさを獲ようとし過ぎれば自然の摂理に相反するのでは? 豊富な知識も智慧にはならず。そんな筈じゃ~無かった・・・と。人為か天為、下心はいずれにあって 如何様に。阿頼耶識(あらやしき)・・・八識の第八、知覚や認識・推論・自己意識など諸意識の根底にある意識。人間の五官や体を通して認識する心の作用。それが人智の及ばぬ処にいってしまっては”元の木阿弥”。 |
4227:循環型社会?
| 大量生産・消費・破棄に代わって、再生利用や再資源化を進め、廃棄物ゼロを目指す循環型社会形成推進基本法は2000年(平成12年)に制定された。生産者に廃棄物の最終責任を求めたのは良いが四半世紀過ぎてそれがどうなったでしょうか? 勿論、一国だけで守れる問題ではなく、地球規模の取り組みでなければ無理です。それを承知の上では無かったのでしょうか? 実際に守る国と守らぬ国があり、守らぬ国に対しては断固として許さない厳しさが必要です。どうしてもその方向に向かって進んでいるようには思えない。自分たちさえ良ければ他は知らない・・・・このような考えが強まってしまうと国同士の争いは収まらず、激しくなる一方です。 地下資源が武器となれば、どうなるか?領土を広げたいと考えるでしょう。でも”循環型”とは言いませんよ。経済第一 ⇔ 小欲知足。ルールあってのこと也! |
| ・・・チェスタトンが唾棄すべき異端とみなしたのは近代を彩るものとしての進歩主義そのものであった・・・(西部邁)『Orthodoxy』新装版のための序より。 地に足が着かず、浮遊し居所が定まらない時代への警鐘、チェスタトンの「正統とは何か」を読み返す、当に一世紀前の著者の予言通りになっている。ルールがあって無きが如し。伝統を破壊し革新を謳歌する人たちよ!あなたは一体何をどうしたいのか自分に確信が持てず彷徨っているように見えてしまう。それは、あたかも無法社会を嘲笑う演じ手のようで、気が付けば役者も観客も誰もいない一人芝居・・・・ 循環型社会を推奨しながら何の責任も感ぜず、手を拱いている傍観者が増えた。 有事というコトバは「非常事態」「緊急事態」と同義、反意語は「平時」「無事」とあります。勿論、感じ方には温度差がありますが、他人事じゃ~ない。いつ自分に降りかかってくるか判らない。知らぬが仏というのもあるじゃ~ないですか?不二一元論?? AI時代への覚悟???・・・最終責任は誰がどうとるのだろう・・・・。(ナマグサ独言)2026年8月15日。 |
4228:盆と正月
| 16日の送り盆、猛暑がやわらいで少し体が楽になりました。新盆を迎える家に副住職と分担し、無事終わることができました。術後1年8カ月が経ち、徐々に体力が戻ってきているように感じます。15日で76歳、 日々是レ好日・・・感謝の気持ちが大きくなりました。それと慢心を戒めるもう一人の自分・・・・実感しています。誰だって悲しみや寂しさは有りますが生きている証。それと向き合いながらゆっくり歩いて行きますよ。(あせらず・おごらず・あきらめず) ・・・・送り火に 共に祈った 平和の願い 何が出来るか 自問自答・・・・ |
| 時の流れは三世の定め 過去があって今があり、そして 未来・・・。盆と正月が一緒に来たようだ。幸運・吉事が重なり、忙しいことを昔の人はそのように例えました。それがどうでしょう? 来世には人の働きがAIに取って代わるようになるかもしれないと・・・・・。それで何がどう変わるかは未知のまま、仏教の根本の教理である四諦八正道,12因縁は変わらない。 毎日が盆と正月だったら皆さんどうです?・・・身口意業常に顛倒して 誤って無量不善の業を犯す・・・ってことになりかねない。 そうならぬ為に どうすれば良いか!新たな定めを考えよう ??? それが 本当にできるんでしょうか・・・・ 罪と罰 × 罰と罪??自利 ☚ 利他??便利×不便??口(言葉)だけでは駄目、身(体)と意(心)が伴って三業という。 所詮 私達は自然の理法に逆らっては生きられません。だから どうする・・・・・。働き方をどうのこうのと謂った処で永遠なるものを求めて永遠に努力する人を仏教では”菩薩”といふ。(独り言) |
4229:エビデンス
| 人間の復元力に一言、五官の衰え=老化??? 視力・聴力を歳の所為と諦めていたのですが、それが変わるという実感があります。煩雑な生活から平凡な生活にと考えた。すると 今まで聞こえなかった事、見えなかったことがなんと復元?、自然と・・・・・なんです。これも善し悪しは判らない。人間の体には萎えた感覚を補う働きがもともとあったのかもしれない。 ”人間 元来 無一物”。 体に貯め込んだものを出さないと支障をきたし、無理が通れば道理が引っ込むとも。それだって貴方次第! 日本人で最初の宇宙飛行士の毛利衛さんは子供の頃、最初の宇宙飛行士ガガーリンが宇宙から地球を見たら”地球は青かった”という話を聴いて自分も将来宇宙飛行士になろうと思ったという。。2度目の飛行の時、シャトルの窓から見た地球が人間の細胞に似ていると思ったと語った。 人類の未知への探究には終わりがない。経験による実証と論理による推論、今後も紆余曲折しながら人間が生きている限り続くだろう。 ・・・六大は無礙(むげ)にして 常に瑜伽なり 四種曼荼おのおの離れず・・・・(空海『即身成仏義』※宇宙の相と人間の身体の相は、もとより同じ構造と観る。) |
| 自習・予習・復習・・・”習う”という字には、謙虚と感謝が後ろ盾。仏教に≪余習≫・≪習気(じっけ)≫という言葉があります。意味は煩悩がなくなっても、残り香のように残っているものとされる。習うより慣れよ・・・人から習うよりも実際に経験して慣れたほうがよく覚えられる。老いを学ぶのは自分。答えが無い課題に実学を通して経験する。謙虚と感謝の大切さの実感・・・・・・。仏教では”報恩”を説く。 私達はどうでしょうか? 様々な恩恵に浴しているにも関わらず、それを当たり前だと考えていることも多くないでしょうか?また、当たり前にやっていては成功しない!・・・と。本当にそうでしょうか??? 頼まれもしないのに自らの徳を自ら讃じる・・・等々。この辺で”ま~良いか”という肝要さ、謙虚と感謝があればこそ。今日はここまで”いい塩梅”。【ナマグサ一考】 |