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NO テーマ 月日 NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 4151  同級生  11/19   4156  情報一考  12/3  4161  焼き畑一考  12/24
 4152  かまえなし  11/21  4157  能ある鷹・・  12/6  4162  繰り返し 12/27
 4153  制約と不自由  11/24   4158  安心   12/11  4163  橋づくり   ☆
 4154  遺影の存在  11/28   4159  涅槃寂静  12/15      
 4155  阿吽  11/30   4160  仄々(ほのぼの)感  12/19      

4151:同級生

 ♪ 方をならべて 帰る道 秋の落葉が 降っていた・・・・明日もまたと云いました ♪ (同級生:作詞 阿久 悠)
 昭和54年(1979)に学校教育法の改正で養護学校の設置義務が制度化され、県立土浦養護学校が開校、そこに学齢の子供たちがバスで通学するようになりました。今では遠い昔の話です。そのFさんとMさんとKさんは今年還暦です。一緒に通学した仲間が段々少なくなりました。 ≪マー坊と同じ・・・≫といったFさんの呟きには 車椅子の生活になったMさんへの思いが込められています。 
 
 世の中は随分変わりました。その変化に私達はどう向き合っていけば良いのでしょう。尚恵学園の歩みはゆっくりしています。昭和31年(1956)の開設当時の姿を知っている人はもう殆どいなくなりました。
 先のことを考えてもどうにかなるものでもなく、私達が今できることは、こうあって欲しいと望むこと位しかないのかもしれません。 その中で優先的に何をするかを共有し取り組んでいくことでしょうね。久しぶりに実家の墓参りに行って来たNさんが≪姉さんが 3年前に亡くなったんだって。もう誰もいなくなっちゃた・・・≫ と話してくれた。
 現在、言葉で自分の気持ちを伝えられる方は、利用者全体の1割ほどで大多数の方はそれができません。 じゃ~どうすれば良いの・・・・・。(円相)

4152:かまえなし

 『円相』かまええなし・・・という書を師から頂いた。その意味を尋ねたら≪ 自分で体験することだよ ≫とだけだった、その時の師の歳に自分がなりました。
 様々な刺激に対し、どのように反応するか・・・『円窓』 まるまどを通して外をみる? いや 「己の心をうつす窓」の意? そもさん 説破(せっぱ)! さあ~答えてみよ!と謂われたように思った。
 かまえなし⇒始まりも終わりもなし 角にひっかかることもない。 道に迷った時、どうしただろう? そもさん せっぱ!何を標に そこから抜け出そうとしただろう。大分昔のこと、どうしたかは忘れてしまった。多分、自分に都合よく考え、うまく抜け出せたと・・・。 それだけのことだ。 ・・・・万事が万事。
 
 ”環境”と”開発”。この最大の課題をどうすれば良いか そもさん せっぱ! 様々な国際会議が開かれていますが、どれも一枚岩の団結とは程遠い。 気になるフレーズ・・・「民主主義の本質は,制約や不自由さと共に在る。」 「私は、私と私の環境である。」(オルテガ) ・・・「無我の我」(仏教)・・・。
 いや~まったく 気になると居ても立ってもいられない。ナマグサの性分悪しからず。・・・過去を無視して、いま生きている人間だけで正しさを決定できるという思いあがった態度のもとで、政治的な秩序は多数派の欲望に振り回される。この「行き過ぎた民主主義」こそが現代社会の特質になっている・・・とオルテガは指摘した(『大衆の反逆』)今の日本は? 変化が早すぎて時流を掴みとれず、見切り発車 後に混乱だけが残される。

4153:制約と不自由

 何かを成立させる為には、必要な条件や規定があるという。そうでなければ”なんでもあり”。民主主義の本質は、制約と不自由さと共にあるという。共に在るということが肝心、それが知らないうちに不平等ってことになり易い。それに人の評価ほど気紛れなものはない。何かの切っ掛けで敵にも味方にもなりかねない。禍は自分に降りかかって初めて判るという。仏教の教えに”五蘊盛苦”あり、色、受、想、行、識(五蘊)への執着により苦しみとなる。(八苦の一)
 東京の高層マンションが1億5千万円以上で売買、方や増え続ける空き家の数、 これで規定があると思うかどうか、堂々めぐり、・・・・私は、私と私の環境である・・・。
 
 オルテガの云う「大衆」とは、「根無し草」になってしまった人たちのこと。・・自分が意味ある存在として位置づけられる拠り所のような場所、つまり「トボス」(場所)なき人間のことです。自分が依って立つ場所がなく、誰が誰なのか区別もつかないような、個性を失って群衆化した人たち・・(中島岳志)。 ”タワーマンションと放置された儘の空き家” 大都会の表と裏の顔、地下は縦横に張り巡らされたパイプ、これが、いつ破裂するか判らない。
 私が知っている人たち、彼らには表と裏が無く、一人ひとりが見事に個性たっぷりなんです。自らを飾ったり、驕ったりすることは苦手です。でも、それが今の時代に”純真無垢”の心を保てる力だと観じます。・・・無我の我・・・

4154:遺影の存在

 観音寺の本堂に尚恵学園で過ごした仲間たちの遺影写真が飾ってあります。いつの間にか数が増え、飾る棚が手狭になってしまった。それだけ時間が経ったと思う。朝、遺影の前で手を合わせてから学園に出かける。今まで彼らのまなざしによって気持ちが萎えようとすると幾度となく救われた。。
 ・・・宿命は、我々に一つの軌跡を強いる代わりに、種々の軌跡を与える、そこで、われわれは選択を強いられるのである。・・・(オルテガ)  私は彼らの生きた軌跡を見てきた、否、”垣間見てきた”というべきなんだネ。
いつだってそうなんです。彼らのまなざしは単刀直入、容赦ない。だから 良いんだよ 違うかい? ハイ!   これからも宜しく頼みます。 
 
 遺影はその人の生きた証(軌跡)を思い起こさせる。それぞれの表情にその人らしさが浮かび自分と交差する無言の遺言だと思います。 
 どんなに小さなことであっても私たちには”望み”がある。その大小は問題じゃ~ない。人体には自律神経というものがあり自分の意志とは無関係に働いてくれる。普段は感じないが何らかの原因によって体に障りを来し、 あたり前にできた事が出来なくなって初めて判ることかもしれません。人生は順風に帆を揚げてばかりでないことを彼らの遺影は教えてくれた。
 遺影棚に新たに加わったMさん、大好きだったクマのぬいぐるみと一緒に穏やかな顔で棺に入った。今は、両親と一緒に眠っているに違いない。

4155:阿吽(アウン)

 できれば・・・と 黙許し 場を去る 御方便! 帰れと謂われておいそれと帰るわけにはいかないお家の事情。
・・・日本語の副詞には、ゆっくり・ひらひら等の状態副詞、もっと・非常に等の程度副詞、まるで・とうてい等の陳述副詞あり。この微妙さを相手に伝えることの難しさ。
 遅々たる春の日も 所作足らねば時を失ひ・・『謡曲 善知鳥(うとう)』  此処での所作の意、(仏)身口意の三つのはたらき。この三つの調和が大事でそれが無いとどのような所作も相手には上手く伝わらないという。判り易く云えば。。。。言っている事やっている事思っている事がバラバラだったらどうなるかということ。
 Kさんが仕事(パンづくり)を終えて寮に戻る時・・・・丁度雨が降り出した。そこに私が車でもどった、その時です。自分がさしていた笠を私にさしかけたのです。・・・「大丈夫だよ。ありがとうね」と云うと Kさんは”ウン”といって寮にもどっていきました。・・・ 
 
 ≪八徳淡淡として自ら貯えたり≫(*性霊集) *仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(八徳) 空海作真済(しんぜい)編、平安初期の漢詩文集。 真言宗の僧侶にとって大切な「遍照発揮性霊集」の一節。・・・できれば・・・とうてい・・・ゆっくり・・・阿吽の呼吸。
上掲のKさんのことを少し紹介したい。まだ、彼は利用し始めてまだ一年経っていない。体験入所を何度か行い、その後、自分の意志で入所を決めたと聞いた。
 今はパン工房に歩いて通う。車が来ると道路の端にちゃんと止まって車が通り過ぎるのを待つ。いつ頃からだろうか逢えば必ず片手をあげ挨拶してくれる・・・・・。そのゆっくり、慎重な所作はまるで八徳淡淡として自ら貯えたり 。

4156:情報一考

 物質、エネルギーとともに現代社会を構成する要素に”情報”があります。私たちはコンピューターネットワークの拡大に伴う新たな問題と向き合わざる得なくなった。サイバー攻撃、偽情報・・・等への対策!利便と不便は表裏一体、現法で防げるとは思えない。見えない相手をどうやって見つけるか? 今更、かわら版、飛脚の時代と比べたって相手にされないでしょうが、何か大切なことを忘れていないでしょうか? ネット上でランキング付けしたものがやたら増えたと感じる。無視すれば良いんだよ!という忠告が逆効果、例えば各県魅力度、幸福度ランキング、45位~47位辺りを占めている魅力度、それが幸福度では12位。どっちにしても人騒がせ、発表者の意図が判らない。似て非なる「2024都道府県GDPランキング(内閣府)」では茨城県は11位。
 SNS アクセス回数がものをいう・・・これも因果とあきらめよ。(老いの木登り) 
 
 師走を迎え、感慨深い。一年前、境内にある柚子の木に今までにない程の沢山の実がなった。冬至、風呂に柚子を浮かべ健康で春を迎えたいと願うのは日本の文化。去年は手術の一週間前で今までとは違った。脚立を使い、柚子を傷つけないように丁寧に捥ぎった。
 ”焦らず 驕らず あきらめず”墨書した紙を壁に貼り、それを声を出さず読んでいる。”三つのず(不)”。あきらめずを平仮名にしたのは諦めると明らめるの両方の意があるから。
  日本の実態は少子、高齢化に”超”が付けられ、これでもかこれでもかと謂わんばかり、それを今がチャンスと煽るもの、なりふり構わずルール軽視で競い合う。此処は冷静に持続可能という裏で世界で今何が起こっているか?を見究めねば・・・・。 ”人為と天為・もちつもたれつ・共生”を是非とも一考賜りたい。

4157:能ある鷹・・

 ・・・能ある鷹は爪を隠す・・・とな。
 ”能”はどのような能?有と無?鷹じゃないとダメなの?  諺も時を経れば様変わり。近年、AIを使った犯罪が低年齢化しているらしい。遊びが嵩じて大変な事になって初めて気付く、独り遊びじゃなくいつの間に仲間を引き込んで、親はそんなこともツユ知らず、周囲に我が子を自慢したりして・・・・・。如何に優秀で便利なモノも使用を誤ればどうなるか!  イタチごっこという遊びをご存知でしょうか?最初は二人向き合って手の甲を使って遊ぶ、他に影響が無いならば構わないが、今は違う。止めるに止められない。 善悪、真偽、をAIに聞くという。親の出る幕はAIに奪われた・・・ それで 良いんですね?(「イタチごっこ  ねずみこっこ」)
 
 遊びには”ゆとり”という意があります。車のハンドルの遊びがそうです。常に張り詰めた状態はちょっとした判断ミスが大事の因となる。どんなに車が進化してもハンドルの遊びは必要・・・・。是は全く生身の私達の体と同じです。ギスギスした中で何かをやろうとしても上手くいきません。
 求不得苦(ぐふとっく)、八苦の一。なんと2000年以上前のブッタの教えにあります。その教えを自らの質素な生き方と判り易い言葉で示された日本の僧がいます。
・・・・うらを見せおもてを見せてちるもみじ・・・・形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみじ葉・・・名は栄蔵、号は大愚、あだ名は蛍。(良寛:辞世の句)(1758~1831)です。良寛の歌に・・・≪この里に手まりつきつつ子どもらと遊ぶ春日は暮れずともよし≫・・・(歌集『布留散東』)。ここがAIとの違いでは ないでしょうか 法即以心伝心。

4158:安心

 誰もが気掛かりな事(不安)がなく、心落ち着き安じることをのぞんでいる。現実は、不安や恐怖に苛(さいな)まれ、どうにかそこから脱したいと藻搔いている人々も増えています。
 私は、いつの間に50年以上、今の仕事を続けてきました。知的に障がいがあって、言葉が無い人たちや拘りが強く、常に見守りが必要な人たちと過ごしてきました。彼らにとって何が”安心”なんだろうか?どうすれば彼らと関係を築くことができるのだろう・・・・・・等々。そんな時いつも浮かんでくるのが糸賀一雄先生(近江学園創設)の言葉・・・この子らを世の光に・・・でした。障がい児の福祉に生涯をかけた先生は54歳の若さで急逝(1968年)、講演中に倒れたのです。その教えは、今も生きています。当時と今を比べ制度も随分整備され良くなったと思います。でも、世の中には新たな問題も生れています。 今こそ・・・この子らを世の光に・・・という言葉をじっくりとよく考えてみてはどうでしょうか! 
 
 世の中の変化が早すぎると感じている人は沢山いると思います。自分たちが置いてきぼりになってしまうという不安の中で未来を拓くことなどできるのでしょうか?PDCAサイクルは時計回り?〈仏)一円相との違いは?世の為と云うは易し、ホンネは我が為。進化とか豊かさとか便利さ・・・・上辺だけ響きの良いコトバの羅列に現を抜かしている間に、私たちは大切なものを置き忘れてしまったような気がする。その一番は安心じゃないでしょうか。 
 ・・・「きょうされん」が調査を行った。全国の障がい者の通所施設やグループホーム(GH)など3142事業所が回答。8割が「職員が不足している」と回答・・・(毎日新聞12/10)

4159:涅槃寂静

 (仏)三法印の一、涅槃寂静(ニルバーナ)は究極の理想の境地、苦しみから離れた安らぎです。到彼岸。
・・・極楽願うより地獄作るな・・・・。極端を避け、程よい望み、自らを戒めることの大事。障がい福祉から学ぶ”心得”、共生への道しるべ。同行二人は巡礼・遍路の旅支度、便利と不便、共生と独り善がり、これ等は背中合わせ。明日は我が身の心の備え 。
 (仏)六波羅蜜⇒布施・持戒・・「利他」、忍辱・精進・・「自利」、禅定・智慧・・「解脱」(竜樹)菩薩が涅槃の世界に入る修行。そして 今
  ・・・富士山を 下から見上げるか上から下界を見下ろすか どちらにしても山は動かずそこにあり・・・頂を彼岸と観じ六度万行。 いつ始めるかは問わず・・・・と。
 
ハーモニーのある音楽は荒んだ心を癒してくれます。協和音は違った音が合わさって、耳に快く聞こえる音、その反対に不快に聞こえる不協和音。人間社会も同様に時代が変わっても無くならないネグレクトは怠慢、無視、放置の意。養育放棄や児童虐待、差別・・・などあげれば切りが無い。その最悪の事態は武力を用いて争うこと。
 これも”己の胸中にあり”と懺悔する。程度の差、度を超えれば悪となる。良寛はこの世からのいとまごいをモミジ葉の裏と表で詠んだ。白黒ハッキリする生き方ではなく、人知の及ばぬことを愛(いと)おしむ。
 ・・・手習いは坂に車を押す如し・・・・一か月ぶりの雨に 寒さ緩るむ かまえなし・・・ *12月17日 父 33回忌。

4160:仄々(ほのぼの)感

 最近のTVや新聞のニュースを見ていると気が滅入る。だったら見なけりゃ~良いんだ。そう言われると余計見たくなる。人間は免疫によって守られているといわれますが、多過ぎる情報に対しては 難しい世になりました。
 東の空がほのぼのと明け・・・という”ほのぼの”は、ゆっくり、少しづつということ。人は自然とどう向き合って生きてきたか・・・。健康をどうすれば守れるか、・・・・そこなんですよ! 実態はどうでも良い事に振り回され、四苦八苦。
日本にいた殆どのパンダが帰国してしまいました。好物の竹を食べてるパンダの姿に多くの人が癒された。サービス精神旺盛?じゃ~ないよね。有りのままなんだよな~。どうして人間には出来ないんでしょう。 オカシイ~よね シャオシャオ(暁暁)。
 
  前世~現世~来世 因果応報。・・・・・・。
 めっきり寒くなりました。いつの間にか寺の大銀杏が葉を落とし、境内風景は一変しました。さ~て、その葉をどうしたものか? 燃すに燃せず、後始末に悩むは毎度のこと。イチョウの葉を敷いた処には草が生えない。葉が腐れば土の肥しとなる。今年はそれを試すことにしました。黄色のジュータンは見事です。今は 視点を変えて考える時かもしれません。
 ・・・心機一転 感謝をもって 柚子もぎる。・・・お風呂に柚子をいれる風習は日本人だけかな~ それが いまどうなっているでしょうか? 自然の恵みと仄々感は人への温もり・・・・(ナマグサ点描)

4161:焼き畑一考

 地球環境問題で行われなくなった”焼き畑農業”、今こそ昔の人たちの智慧から学ぶのは大事ですよ。裏と表、その一方だけを見るのは片手落ち。好き嫌いは人それぞれだもの。法を創って法を守らず
 現代社会に有って、無くなったものは何かと考えると”ゆっくり、少しづつの思い”が先ず浮かんでくる。何故 そんなに急ぐんでしょうか!人は、トボトボと寄り道しながら、ゆっくり歩いていくもので 疲れたら休めばいい。。。。。この程々、仄々感は知らぬ間に忘れ、拠り所をうしなっている。それを私達に教えてくれたのがシャオシャオ(暁暁)の置土産だったと思いませんか。 ありがとう。いつもでも元気で!
 
 地球上で生物の絶滅危惧種(レッドデーターブック)に、一体どれ位載っているか?それに感染症?日本で行われている予防接種の種類と数を知る人はあまりいまい。 10日程前に一回目の帯状疱疹のワクチン接種をしました。次は2回目、2カ月後に行うことになっています。75歳になった時に市からワクチン接種の連絡がありました。するしないはその人の判断に任されている。中にはワクチン接種を頑なに拒否している方もいるようです。 私の小学生の頃、教室にはダルマストーブ、昼食には脱脂粉乳、あの頃と比べ世の中は便利で豊かになったかもしれない。でも失ったこともありますよ。
 予防と防衛は似て非なり。核兵器の保有の是非、漏れ聞こえる話だから真偽は定かではない。。。。。いずれは戦争を知らない人達ばかりになるのは確かです。戦後80年が経った。その間、子供たちに戦争の恐ろしさを教えることを避けてきた大人たちの責任は大きい。オフレコ発言、フェークニュース、・・・など後を絶たず、不安を煽る。その目的は何でしょうか?

4162:繰り返し

 現代社会に蔓延している病は一度罹れば二度と罹らない・・・・そんなことはない。繰り返し感染し、勢いを増して拡大するから厄介だ!人為か天為、人為は人間のしわざ、仏教では人の苦しみは”欲(煩悩)”が原因だと説く。それも八万四千煩悩と凄い数です。こうなると 我々はどうしようもない生き物か!煩悩即菩提。煩悩と菩提は表裏一体だと説く。な~んだ そうなの・・とホッとするか。胸に手をあて良く考えてみませんか。誰だって 思い当たる節はあるでしょう。 さらに”目には目を 歯には歯を”をどう解するか? 報復と報恩の分岐点
 
 ・・・ それ 終わりも無く始めも無し三界に転じて而も安からず、惟れ愛、惟れ恩 六趣に生じて何んが断つ、若し出家の力に非ずんば 誰か得道の縁を結ばん。・・・・(得度式次第:戒師表白の一節)
 此処での”六趣”は「すべての衆生が生死を繰り返す六つの世界です。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道と同じ。 12月25日、つくば市の寺で5名の若者達の得度式がありました。式の最初に戒師が得度の意味を説く(表白)。 一会(いちえ)は約一時間、それを連続で三会行われました。得度の要は「愛」と「恩」の「誓願」にあり。民族や国家を超えた共通する大義です。 報恩と報復では全く逆の相、恩に報いるか否か、仕返しするか否か! 是はどこまで行っても交わることは無い。

4163:橋づくり

境を川に沿って定めている処は多い。人や物資の移動は陸上、地下、空を利用し行われ、今後時代が変わっても是は変わるまい。平安中期、横川の僧都と謂われた源信の母が、我が子を戒めたコトバが残っています。・・・・<後の世を渡す橋とぞ思ひしに、世渡る僧となるぞ悲しき、まことの求道者となり給へ・・>、今から1000年前のことです。この母と子の姿は今はどうなってしまったでしょうね。真逆と謂わないまでも大きく様変わりしてしまったように思います。
・・・<日本人の一人一人、全部とは言わないけれども、ある程度の人が「無私」、「私を無くす」という、無私の精神を自分の心の中にもう少し持つようにしたら、ずいぶん違うと思いますよ、ところが、いま、みんな「私」ですからね。・・・「人間は一人では生きられないんですよ。本当に言うと「和の精神」というものは大事なんですけれどね。・・・(『日本人の宿題』:半藤一利)
 自由と権利と境を失うとオカシナことになってしまいます。”我利我利亡者”の背比べ。五月五日、さ~て 何の日でしたでしょう? ”我利我利坊主” あれ どんな意味・・・?