源究231t231
NO | テーマ | 月日 |
4131 | 光明 | 9/19 |
4132 | 底力 | ☆ |
4131:光明
光明とは、暗闇を照らし出す明るい光。仏教では仏・菩薩の心身から発する光で智慧や慈悲を象徴する。 周りを見回しても、”光”を見つけるのが難しいと思っている人が増えているような。どうしてでしょうね。智慧の意味は、【仏】空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識して判断する能力。【哲】単なる学問的知識や頭の良さではなくて、人生経験や人格の完成をまって初めて得られる、人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識。慈悲の意は、いつくしみ、あわれむ心。 お楽しみ外出での話。GHのメンバー2名とスタッフ2名の計4人でドーム球場の巨人戦、生憎の大雨で長靴はいて観戦し、巨人は負けた。夜は後楽園ドームホテルの20階の部屋にお泊り。翌日、快晴!東京タワーに登ったとか、写真と土産を事務所に持ってきてくれました。東京タワーで長靴履いて写真を撮ったものだった。笑顔がとても良かった。(雨のち晴れ) |
光明は純真無垢な人にとってはどうなんででしょう?密教の観法(瞑想)で入我我入(にゅうががにゅう)が説かれます。 人間の5感以外にあるという本質を直感的に感じるという第六感、言葉による理解は難しいと謂われる心の働きです、唯識思想の八識の第8の阿頼耶識(あらやしき)・・・・。≪この子らを 世の光に≫(糸賀)の”光”の真意? 理屈でなく、身口意の業として私達はどう向き合うかということになるのではないでしょうか! 栗拾いの話。Nさんは毎朝早く栗畑、栗を拾って、事務所に届ける。タイムレコーダーの前に置かれた籠には”お好きな方は どうぞ” ”という貼り紙とビニール袋がある。(日々是好日) |
4132:底力
≪人間は努力するかぎり 迷うものだ!≫ だいぶ字が見ずらくなった貼り紙は、ゲーテの言葉。 普段は目立たないが、いざという時に出る強い力・・・・底力(そこぢから)・・・・。有ると思うかどうかは知らねども ・・春の花は暴風に散り 秋の月は西山に陰(かく)る、生者必滅 会者定離は是れ常の規矩(きく)なり。・・・・・(諷誦文)、此れは逝く人を送るコトバ。受け止め方は人によって異なりますね。 ミョウガの話。 Nさんの再登場。道端の草むら(?)で何やら探しもの?家の方に≪何かさがしているの?≫と聞かれ<ミョウガ>と謂ったそうだ。<5本もらいたいです・・> 『どうぞ どうぞ』と謂われ<あとでまた貰いにくるかもしれないです> 。 ☆相手に対し我が身の構えは【上段の構え】か【無手勝流】か・・・・さてと地域連携推進会議は如何に??? 連携か断絶か 。 |
暑さ寒さも彼岸まで・・・・春夏秋冬、四季のある日本だからこそ昔人が詠んだ。それが今どうか?場所と季節にお構いなしに容赦のない暴風雨が襲ってくる。 そんな中で植物も渇水、猛暑、大雨にじっと耐えている、道端に自生する”ミョウガ”をよく観察すると落葉に身を隠し花を咲かせています。(秋彼岸) かたや人間はどうだろう?一言では言えません。天災はいざ知らず、人災を減らすどころか逆に強めているとしか思えない。 あのゲーテ(1749~1832)だったら 今の状況をどう観ただろう! Nさんの話。ミョウガを自分では食べないそうだ、もしかして”もったいない”と思ったのかもしれません。職員にもらったミョウガをお裾分け。栗もカブトムシも同じなんだわな。 |