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NO  テーマ  月日  NO   テーマ   月日 
 4131  光明   9/19  4136  予測と不測   10/10
 4132  底力   9/23  4137  愚策の誇り   10/12
 4133  花ことば   9/27  4138  間(あいだ)   ☆
 4134  冷静沈着  10/2      
 4135  当り外れ  10/7      

4131:光明

 光明とは、暗闇を照らし出す明るい光。仏教では仏・菩薩の心身から発する光で智慧や慈悲を象徴する。
 周りを見回しても、”光”を見つけるのが難しいと思っている人が増えているような。どうしてでしょうね。智慧の意味は、【仏】空など仏教の真理に即して、正しく物事を認識して判断する能力。【哲】単なる学問的知識や頭の良さではなくて、人生経験や人格の完成をまって初めて得られる、人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識。慈悲の意は、いつくしみ、あわれむ心。
 お楽しみ外出での話。GHのメンバー2名とスタッフ2名の計4人でドーム球場の巨人戦、生憎の大雨で長靴はいて観戦し、巨人は負けた。夜は後楽園ドームホテルの20階の部屋にお泊り。翌日、快晴!東京タワーに登ったとか、写真と土産を事務所に持ってきてくれました。東京タワーで長靴履いて写真を撮ったものだった。笑顔がとても良かった。(雨のち晴れ)
 
 光明は純真無垢な人にとってはどうなんででしょう?密教の観法(瞑想)で入我我入(にゅうががにゅう)が説かれます。
 人間の5感以外にあるという本質を直感的に感じるという第六感、言葉による理解は難しいと謂われる心の働きです、唯識思想の八識の第8の阿頼耶識(あらやしき)・・・・。≪この子らを 世の光に≫(糸賀)の”光”の真意? 理屈でなく、身口意の業として私達はどう向き合うかということになるのではないでしょうか!
 栗拾いの話。Nさんは毎朝早く栗畑、栗を拾って、事務所に届ける。タイムレコーダーの前に置かれた籠には”お好きな方は どうぞ” ”という貼り紙とビニール袋がある。(日々是好日)

4132:底力

 ≪人間は努力するかぎり 迷うものだ!≫ だいぶ字が見ずらくなった貼り紙は、ゲーテの言葉。新たに書き換える気持ちにはなれない。
 普段は目立たないが、いざという時に出る強い力・・・・底力(そこぢから)・・・・。有ると思うかどうかは知らねども ・・春の花は暴風に散り 秋の月は西山に陰(かく)る、生者必滅 会者定離は是れ常の規矩(きく)なり。・・・・・(諷誦文)、此れは逝く人を送るコトバ。受け止め方は人によって異なりますね。
 ミョウガの話。 Nさんの再登場。道端の草むら(?)で何やら探しもの?家の方に≪何かさがしているの?≫と聞かれ<ミョウガ>と謂ったそうだ。<5本もらいたいです・・> 『どうぞ どうぞ』と謂われ<あとでまた貰いにくるかもしれないです> 。
 ☆相手に対し我が身の構えは【上段の構え】か【無手勝流】か・・・・さてと地域連携推進会議は如何に??? 連携か断絶か 。小欲知足。
 
 暑さ寒さも彼岸まで・・・・春夏秋冬、日本人だから詠める風物詩。それが今どうでしょう? 時と場所にお構いなく容赦ない暴風雨が襲う。
 そんな中でも植物は渇水、猛暑、大雨にじっと耐えています、道端に自生する”ミョウガ”をよく観察すると落葉に身を陰しながら花を咲かせていました。 人間はどうだろう?一言では言えませんが、どうも人災を減らすどころか逆に増やしているとしか思えない。もしゲーテ(1749~1832)だったら 今の状況をどう観ただろう!努力⇔底力。智慧⇔知識、独善⇔共生
 Nさんの話。彼は自分がというよりミョウガをお裾分け。栗もカブトムシもNさんには同じこと。相手がもらって喜ぶことが嬉しいんだと思います。(秋分の日)

4133:花ことば

 ”彼岸花”を別名で曼珠沙華とも言いますね。いくつかある花ことばの中で<再会>というものがあります。他の花でバラは愛、オリーブは平和、それぞれの花のもつ特質に基づき象徴する意味をもたせた。
 これは他の生き物と人間の違いですね。そして、国によって花ことばが異なることもありますから調べてみると面白い。先人の言葉もそうです。生きた時代によっても趣(おもむき)が変わります。バルザックの『人間喜劇』、チェスタトンの『正統?』、オルテガの『寛容=リベラル』・・・・・維摩経の『不二』・・・・ かなわぬことと知りながら なぜか老いて興味が広がるんですよ。
 秋景色の話。。  手こぎ井戸 陰で咲く彼岸花 なんとなく 遠慮ぎみ    逝き人と 再会願い 手を合わす
 
 言って良いこと不味いこと、その境界が難しい。”花ことば”は謂った言わないケンカの種とは無縁、それよりも、愛おしさ、優しさが浮かんできて 思いがけない発見になることもあります。なにせ度を越えた我欲を満たそうとすればする程、自分のことはさて置いて相手のことを論(あげつら)うようになりやすい。そうならぬよう自分を取り戻すには・・・・と。
  彼岸花のことを”葉見ず 花見ず” とも謂います。確かに 彼岸花は花が咲いた時には葉が無く 花が散った後に葉があらわれます。だから花と葉を同時にみることはない。此れって我先にから”お先にどうぞ!”・・のヒントになりませんか?(彼岸明け)

4134:冷静沈着

 世の中が荒廃すれば人の気持ちも荒んできます。三毒(貪瞋痴)は人の心を害する三つの煩悩、貪欲(どんよく)、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)。我が身を省みて,いくら冷静沈着を装ってみても顔が引きつっているから直ぐバレる。 坊さん業もお盆~彼岸で疲れてしまい、経を読む声 ハリが無し。働き方改革???? 恩恵を浴せるのは平等でしょうか?どうなんですかね~エ。 これも因果の法、悪因悪果、善因善果。理想と現実、いつの世も齟齬があり、願わくば 皆共に 平和な暮らしを・・・・。せめて 人と人が互いにいがみ合うことを止め 静かで穏やかな世になって欲しい。地球上の全ての生き物が地球の恩恵を受けていることに感謝すればこそです。
  出逢い  いつどこでだれとだれが どんな出逢いをするか それが大事なんだな  (みつを)
 
 いい加減にしないとならぬのは生き物の中で人間だけでしょうよ。他への迷惑を考えず自分達の都合だけで行動ししたり考える身勝手は許されまい。作ったり壊したり。。。。まったく!しょうがね~エよ。
 私は大阪に行ったことがない。京都までは何度も行ったがそれは本山(長谷寺)に登るため、ちょっと足を伸ばせば大阪なのにいつも京都経由だから、そうなっちゃう。万博が開催中、行ってみたいと思っていたら、実現できた。閉会まで残り少なくなり人出が増えるだろうと覚悟して出かけてみたが、案の定、凄い入場者(20万人?)、150の国が参加するんだから凄い。結局パビリオンに入れたのがブルネイ国の展示場だけだった。シンボルの『大屋根リング』には、どうにか上ったけれど自分が高所恐怖症?だったことを思い出す、・・・・そしたら歩く処の話では無くなって 急いで降りた。
 一泊二日の予定、二日目は大阪の思い出にと通天閣に行った。「展望台」 聴くと見るとは大違い! 函館の五稜郭タワーを思い出し、結局、私だけ上には昇らず、下で待つ。ああああ!・・・まったく しょうがねぇなぁ! 

4135:当り外れ

 焦点をどこに合わせるかで物事は違って見える。関心が無いと言えばウソになる。次の総理が決まった。与党もそうだが野党も同じ、確たる基軸無く一体どこを向いているのか。野党はこのチャンスに纏まる気配無くお手並み拝見か!ハッキリ言ってやる気無し。こういった有り様で政治への期待はどうなんでしょうね! くじ引きならば当りは有っても外れは無い方が良い。しかし、時と場合によっては違う。何せ今は”一髪千鈞を引く”状況、一歩間違えば国の存続に関わります。
 沈思黙考の反意語は軽率浅謀(けいそつせんぼう)。・・・・神無月 曇天に 秋風未だ吹かず・・・ 
 
 社会全体が何となくザワザワしていて落ち着かない。予断を許さない情勢は雑木林が風でザワザワするのとはえらい違い。
源信の母が我が子に箴言、その一節を紹介します。・・・後の世を渡す橋とぞ思ひしに、 世渡る僧となるぞ悲しき、まことの求道者となり給へ!・・・*源信(942~1017)は平安中期の天台宗の僧。『往生要集』を著す。
 国民の為といいながら我先に? そうならぬよう戒める者がいるかいないか? 真の求道者とは何か?心静かに良く考えた上での決断・実行を。
 痛みの伴う改革を・・・と言うなれば 言葉尻を捕らえて言いがかりをつけるようなことはせぬ様に。  いま 老齢のご夫婦が本堂の前で手を合わせ 帰っていきました(am6:07)。 

4136:予測と不測

 これからどうなるのだろう?釈尊は”因果”によって説いた。今ある事物が以前の何らかの事物の結果であり、また将来の何らかの事物の原因であると。科学を自然科学、社会科学、人文科学などに類別し、それぞれの専門的分野での探究を万人の願いを叶える為の手段と考えた?そこに、AI(人工知能)という以前には無かったコンピューター・システムが加わった(因)?それに対し、未だ(果)は明らかになってはいません。願わくば 今まで以上に不測の事態とならぬよう・・・・・”お百度まいり”(ナマグサ:知足)
 
 聖地巡礼、仏教、キリスト教、イスラム教・・・それぞれの宗教を信仰する人が一度は参拝したいと思う聖地。これも 将来どうなるか?
 75歳の年齢になって思うこと、一言で云うとすれば人間の本性は変わらないということかもしれません。長生きしたいと思っても それが叶わない人あり、平和を望んでも、戦争なくならず・・・・。仮想と現実、宗教と科学、戦争と平和・・・についてもその正解はありますか?先人が様々な方法によりその命題を解き明かそうとしました。”人間は 努力する限り 迷うものだ”(『ファウスト』) ”いたづらに西天に迷路するなり”(正法眼蔵:第16 行事)
*今までに誰も経験しない暴風台風22号 一度開けた雨戸を また閉めました* 

4137:愚策の誇り

 取るに足らぬと謂われても只管に励む姿に私は心動かされる。逆に自らを誇り、満足している人には馴染めない。唯識思想の八識、阿頼耶識(あらやしき)は人間のすべての心の働きの源となるもの。法相宗の根本教義。日本に伝わったのは、奈良時代の653年。 1400年のタイムスリップ、その間に人々のこころはどう変わったでしょうか?コンピューター技術によってつくられる仮想現実(VR)、それとどのように向き合っていけばよいのでしょうか?見えない相手、区別をつけにくいほどよく似ているもの・・・・・そのコピーが容易にできる時代。 その中で共生するとなればどうでしょう。果たして人類共通の”ルール”ができるのだろうか?。。。一見、何の役に立たないようにみえるものが、かえって大切な役割を果たしている「無用の用」「不用の用」に気付くチャンスかもしれないですよ
 
 一方に偏り過ぎれば自然・社会・文化に何らかの作用を及ぼす。環境と開発は一国だけでどうこう出来ることじゃないことを知りながら中々良策が生れない。無用⇔有用、不用⇔用、順調⇔不調か イギリスで18cに起こった産業革命、日本では19c、100年以上の遅れがありました。追い付け追い越せの目標掲げ遮二無二頑張った結果、先進国(?)に仲間入り。いま、それがどうなっているでしょうか?現実は 世界戦争が再び起こるかもしれないリスクが高まっている。戦後80年が経過し、その間に避けてきた問題を今後も先送りしていくつもりなのでしょうか!ハッキリ言ってこれは我々大人たちの責任です。今の国会議員はホンネとタテマエを上手く使い分けしているようにしか思えない。じゃ~言っていること・やっていること・思っていること。どうなんですか?
 日本の為、国民の為・・・・・と無理に言う必要はない。あたり前の話でしょうよ。これっていつの頃から?GNP世界第2位になった頃,有頂天後の下り坂、先人たちが遺してくれた財を食いつぶし、時間だけが過ぎていく。貴方たちは国の財政規律をどう守るつもり?衣食足りて礼節知らず

                                                 ・・・ 閑話休題 ・・・ 緩衝の 秋春減じ 酷暑厳寒 おさまらず

                                                          4138:間

 急いては事を仕損じる。偏った未来志向が強すぎると道を誤る。それを防ぐ為には間(ま)が大事、程よい加減、事と事とのあいだの時間と空間。こころの余裕は自ら保つ、仏教では”平常心”。論語「為政」には”温故知新”、昔の事を調べ、そこから新しい知識や見解を知ると・・・・・。上に立つものに大切なのは七慢を知ること。我慢はその一つ。”驕り高ぶる”ことを戒める。
 航海に羅針盤は不可欠、今 自分がどこにいるかを掴むため、羅針盤を持っていても使い方を知らない。此れ往々にしてあることで 間抜け という。
 ・・・思い出はGPSに勝るとも劣らない“羅針盤”・・・・  
 
 私にとって人生の羅針盤と言えるのは、一緒に過ごした仲間たちの存在。昨日、一つ年上のMさんの葬儀がありました。棺の上に置かれていた感謝状2枚、それは平成5年、Mさんが初代理事長からもらったものだった。額にいれて飾ってあったと妹さんが教えてくれた。それとご家族から届いた返信ハガキの束、100枚ほどあった。枕元には大好きだったぬいぐるみ。 葬儀の最後に感謝状の一枚を読んだ。元気だった頃のMさんの姿が浮かんで声が出なかった。
 一枚のハガキ、それは家族とのをつなぐ”絆(きずな)”です。