源究21(NO241〜   )

NO テーマ 月日 NO テーマ 月日
241 蓮の実 8/7 246 めりはり    8/18
242 ひやりはっと 8/8 247 トラブル 8/21
243 紆余紆余 8/10 248 つくばパン祭り 8/23
244 お盆突入 8/12 249 台風直撃2弾 8/26
245 55歳 8/15 250 解散選挙 8/30

241:蓮の実

泥水に咲く花として蓮の花を愛する人は多い。その姿に勇気づけられ励まされるという。自らの人生を蓮の1生に投影して、そのように思うのだろうか。7月末ごろから蕾を付けた蓮が徐々に蕾を膨らまし見事な花を咲かせる。夏の花,ひまわりのように一斉に咲くということではない。微妙に時期をずらしながら咲くのである。満開に咲いた花の脇で実を付けたものが共存する。どうして一斉に実を付けないのかな?昔から蓮の花は仏教で大切にしてきた。花を楽しむ人への仏ごころなのか!実は蓮の実を子供の頃良く食べた。決して上手いものではないのだが。最近では和菓子の材料なんかになっている。甘く煮てどら焼きの中に入れて売っている。私の子供時代、椎の実も良く拾って食べた。フライパンで焦がすと実の皮が破けてとても香ばしい臭いがする。それから桑の実もよく食べ、学校に着く頃には口の周りが紫色になっていたことがよくあった。今の子供たちはそれらの実を食べられるとは思っていないようだ。昔はこんな事で季節の移り変わりを肌で感じた。蓮が冬、田圃に植えられ芽を出し、緑の葉を大きく開き、蕾を付けて、花を咲かせる。この一連の営みの中で人は人生の侘びさびを感じて生きてきた。自然との共存を声高く訴えなくとも自然と身に付いてきたものである。人間は余りにも人工的なものに興味や関心が向きすぎていると思う。政治や経済、それにファッション・・・すべてが自利猛者の洗礼を受け、自然を破壊尽くし、その警鐘にも心から反省することもせず生き延びている。泥水に何故、蓮はあれ程までに清純で透き通った花を咲かせることができるのだろう。猛暑にも憶せず淡々と生き抜く自然の力を感じている。

242:ひやりはっと

先週、全職員を集めての会議を持った。過去1年間に報告のあった「ひやりはっと」を検討した。職員の意見を聞くというよりは正直理事長からのお願いになっってしまった。合計で27件の報告を一覧表にして示した。中で一番多かったのはケガの報告であった。2番目は車や自転車での事故。ケガではデイサービスでの利用者のものが最近目立つ。これは利用者の急増とスタッフがデイの利用者の動きを充分に掴めていないということが大きな原因、行動が予測できない所に日替わりでメンバーが変わるから尚更である。事故によるものは被害;加害いずれも起こっている。幸い大事故にはなっていなかった。しかし、初期対応の不味さで相手との感情的なトラブルになってしまったケースもあった。ひやりはっとは予期できないリスクへの対応である。予防的な手段が取れる場合とそれが難しい場合に分かれる。むしろ出来ないものが殆どである。そこで重要なことは事後処理の対応である。これとて相手が有ることだから簡単ではない。更に私が「ひやりはっと」で注意している事に苦情への対応がある。情報の収集と整理分析、そして法人としての対応、その結果はどうであったか?実はリスクマネジメントの基本はこれらの一連の作業を繰り返し行うことである。1年間で報告が27件、多いのか少ないのか!私はこの何倍もの数が報告まで至らないで潜っていると考えている。
苦情は「要望」という形で最初は起こる。その対応の如何によっては「責任追及」へと発展する。我々としては誠意をもって事に対処することは原則である。すべてを引き受けてしまうのではなく、何が出来て何が出来ないのかを明確に掴んでおくことが必要である。契約の仕組みになって自分たちの力以上の約束をしてしまって失敗するケースが非常に多い。福祉のスーパーマンはあり得ない。あくまでも支援者という役割を逸脱しない自己管理が大切である。

243:紆余紆余

朝早く、GHのメンバーが勤務する職場の担当の方から電話が入った。昨日は急に雷と大雨、どうもメンバーさんは、雷が鳴り響き大雨の中を帰っていったようだった。危ないから少し様子を見たらという職場の方の制止に耳を貸さなかった。担当の方は雷にでもあったら責任問題になると思い早朝に学園に電話をかけてきた。どうも夏休みに入り学生がいないから、いつもの定期バスの本数が減り、彼らはその事を知っていたらしい、無理しても帰らないとバスがなくなると判断したようだった。この辺が実は微妙で彼らが就労自立できるかできないかの境目。職場にこれ以上のお願いは正直できない。それ以外に多くのことで協力をしていただいて仕事が続いているのだから。そうなると我々だけで対応が上手くできるのか?地域で生活することの難しさ、何かが起こった時、すぐに対応できる状況でないのが大きなネック。
 このような人たちとの生活が現場では毎日続いている。自立支援法が廃案?になったという県からの連絡が入った。新法律の説明会をこの18日に計画していた。結局はその会議が無駄になるのか!今朝のニュースで来年度予算での公共事業費削減の方向が示された。何を説明の根拠にするのか、どうも後手後手になっている。
 一方では9月11日の衆議院選挙に出身地元に戻って選挙戦へ突入した先生達。先行き全く不透明。いずれこのような時が来るだろう位は先生だけではなく一般国民も思っていた。それが少し早まったという感じ。自民党立党50年目に当たるという。戦後60年の節目、小泉首相は衆議院の解散を決めた翌日長崎にいた。原爆被害者の慰霊式典に参列するため。小泉首相に対する評価は様々、ここだけの話。有言実行、派閥の柵がない。孤独?というイメージを私は密かに評価している。改革の時期に首相になっただけに何か事を起こそうとすれば反対の筵旗は必死。従来の形を守りながら改革なんて誰がやってもできやしない。所詮、永田町の先生も人間、本当に困ったと今思っている人も多いだろう。ひょっとしたらバッジをはずすことに成りかねない。しかし、他人のせいにだけはして欲しくない。バッジの重さと人間性はその辺の身の振り方に反映される。自分の信念で決断する社会、個人主義とか独りよがりという批判の前に誰もがこの国のことを考え、少なくとも30%を上下するような国政選挙の投票率は無くさねばならない。尚恵学園はすべての選挙に利用者が投票に参加して今までやってきたという自負だけは皆もっている。

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244:お盆突入

明日からお盆に入る。既に7月下旬より施餓鬼会は始まっている。毎年恒例の行事であるがその思いは毎年異なる。年を重ねるということと一年間の総決算という意味が大きい。一般に年度は4月で切り替わることが多いがお寺の場合はどうもお盆中心に回っているのでこの時期が1年間の切り替わり。最大の行事である、施餓鬼が檀家さん向けの報告会の意味があるから余計にそう感じるのかもしれない。今年は鐘楼堂の建築を提案して了解を得た。まだ実施の時期は先だが、方向を示すことができた。(観音寺)
 今年は台風の直撃(7月)があってから本格的な夏天気になった。毎日30度を超す、暑い日が続く。その中で棚行やら他のお寺への手伝いをこなす。お盆帰省など私には全く関係の無い世界。盆後に休みが取れるかというと、全くそれもない。可哀想だよなー。自分を慰めても仕様がない。この8月はいつもと違う。それは資格取得のレポート提出と現在建築中のデイセンターの補助金申請が重なっているからだ。誰かに正直代わってもらいたいのだが自分で始めた事だから弱音は見せられない。つまらない性格だと思う。
 昨日はキャンプに行った先で利用者がお風呂のガラスを割ったという。幸い誰にもケガは無かった。ガラスを外しそれを投げて割ったとのこと。弁償もしなければならないし、誤りに行かなければならないと今思っている。
 今の社会のルールはどうも使用者側に不利になっているとしか思えない。使用者責任というのは自分に過失が無くてもかかってくる(無過失責任の原則という)。これは大変なプレッシャーですよ。寝ていても確実に責任がかかる法律上の仕組みになっている。夜中にうなされることが現実になることがいくらでもある。予防のための保険位では賄い切れない。労働者組合というものがあって働く者の権利を要求する団体が有るが使用者組合というものは福祉の業界では未成熟で歯ぎしりを噛むことで耐えている経営者が実は非常に多いのであります。これホントの話。この実態を改善しなければ経済大国日本の福祉が笑われる。
いつの間にかお盆が嘆きの壁の話になってしまった。
 真夏日という寝苦しさだけの理由ではない寝不足が暫く、否、永久に続くことになりそうだ。
 

245:55歳

盆の最中に良くも生まれたものですよ。多分、母は病院(私の生まれた場所は国立霞ヶ浦病院)、父は檀家回りだったろうな、これあくまでも想像の域。そこで生まれて来たのが55年前の私(プロフィール)、戦争が終わって丁度5年経った昭和25年というわけだ。あの頃はバスなんか無かっただろうし、土浦までどうして行ったんだろう。良く母から聞いた話は私が熱を出すと真鍋にある氷屋まで氷を買いに行ったということ。その頃は父は県庁に勤めていた時期、私の記憶にはどうも5歳ぐらいの頃のことが微かに残っている。当時の観音寺は床が高くて大人が充分に床の下を歩けたという。客殿兼庫裡というわけだが、その建物の裏手は竹山、夏の時期は茲が一番涼しいので、ここで寝ていたことを記憶している。当然,ヤブ蚊の猛襲を受けた。
 それから早いもので55年、人生50年という時代があった。今男性の平均寿命は80歳近くまでになっている。
長く生きていると色々なことに出くわす。このようにして人間は年を重ねて行くんだ。丁度新盆周りをしている今の時期、それぞれのお宅を訪れていつも思うこと、「この人の人生ってどんな風だったのかなー」
あるお宅にお邪魔した時、仏壇の前に置かれていた色紙に気づいた、「これ 良いなー」「どうぞ 持っていってくださいよ」と言われ頂いた色紙に書かれていたのは
  ふまれても 根づよく 生きよ 道芝の  やがて花さく 春も来るべし

246:めりはり

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誕生日を迎え、意識するしないに拘わらず自分の生き様を考える時がある。記憶を辿ることは何か特異な事ならば直ぐに思いつくが、その記憶をいくらつないでみても我が一生を表すには足らない。記憶を並べてみたって瞬時の出来事にしかならない。めりはりのある人生って有るのかなー?遊びと仕事、プライベートとオヒシャル。
 野次馬根性で言っては不謹慎かもしれないが今の政治は面白い。このように思っている人は私だけでは無いと思う。そりゃーそうでしょう。自民党の内部分裂?これだって本当のところは分からない。今日国民新党というものを5人で旗揚げした。政治家の面子もあるだろうし、引くに引けない事情もあるだろう。1つの法案に反対したが故に党の公認を得ることができないという所謂反対派の先生達、ここに至るまでの裏での動きは凄まじい。なんでもありのバトル。政治家は当選しなければただの人。自分の信念で票を入れた先生が何人?多分、どっちに付けば自分にプラスになるか皆さん考えたはず。あれよあれよというまにマスコミに報道され、いつの間にか解散、その事を批判すればするほど自分の立場を悪くする。テレビの前で盛んに自分の考えを主張した先生はもう後に引けない。しっかり、見られたから。今、新たな公認の選任に執行部は躍起になっている。ホリエモンが再登場!ま!いろいろな方が政治の世界にいてもいいかな。確かに、地方では町村合併の煽りを受けて自分の選挙地が無くなった先生がいる。だから、無理して村を残す。郡出身の先生の椅子がなくなるから。結局は誰のための改革。先ず日本は先生と名が付く人が多すぎるということ。少なくとも半分で良いと私は思う。それに手当が高すぎる。うま味があればそこにしがみつく人も出てくる。この辺の真の構造改革を期待できる先生は身近にいるのかな?選挙民は政治に無関心になり選挙に行かないというささやかな抵抗をする。この現象が長く続いている。これまさしく選挙民の責任!この国の改革は既得権の殻を打ち破らなければ何も変わらない。その意味では小泉首相のやり方は分かり易い。この戦法に対抗する方法は従来のやり方からは生まれない。改革って本来そんなもんでしょうが。    以上

247:トラブル

在宅支援の一環として療育キャンプを毎年実施している。夏は1泊コースと日帰りコースの二班に分かれている。対象者は普段レスパイトやデイサービスにて我々を利用している人たちである。参加者を募集して人数的にはマイクロバス1台での実施、今回はどうも二つの班ともトラブルが有ったようだ。入浴施設での鏡破損と失禁だった。今後来てもらっては困るという相手側の反応だったようである。参加者とスタッフがマンツウマンという人数的には贅沢な行事だが、ここに油断があったのではないのか!報告書の提出と反省会を開くことになっている。つまり、在宅支援の難しさは日頃スタッフが接する機会が少ないために、咄嗟の動きへの対応が難しく、後手になってしまうのである。企画の目的そのものになんら問題はないのだが、今まで何回も回数を重ねてきた割にはトラブルが後を絶たない。反省が生かされないというよりも常に新たなトラブルが起こっている。地域に出ての原則は周りに迷惑を掛けないということである。実際にはこれが難しい。謝って済むことだけではないからだ。
 そのような事を考えて町を車で通った時に目についた親子連れがあった。一人っ子の息子さんとお母さんが買い物袋を両手に抱えて、暑さを避けて木陰に休んでいるようであった。何故目立ったのかと言えば40歳を過ぎた息子さんは上半身裸であった。 実はそのお母さんに何度か相談を受けた事があった。以前は人に勧められて施設に入ったこともあったが、本人が何度も施設を飛び出して結局はいま母親と二人きりの生活を10年以上続けている。息子さんが唯一外出するのは買い物に行くときだけ、それ以外は嫌がって家の中に引きこもっているのだ。誰にでも目に付く公道において上半身裸になってしまった息子さんをお母さんは側で見守っている。注意などしても言うことをきかない、逆に暴れられるから。何か援助を受けたらとお話をしても頑なに拒否される。多分母親はもう80歳になる年齢だ。
 この二つの出来事を皆さんどう考えますか?施設が実施した企画と普段の町での生活。共通するのはまだまだ日本で障害者が地域で生活することはしずらいという事。それなら、やめちゃえば!それができないでしょう。
 障害者自立支援法は廃案になって宙ぶらりん。国会の先生!せんせーい・・・どうするのよ。現実みてよ。 

248:つくばパン祭り

8月24日つくばエクスプレス開業です。その記念イベントが各地で開催されています。つくば食文化研究会主催による県内外のパン造り関係者のイベントが9月3日、4日の両日つくば国際会議場で開催されます。私どものまんだら工房にも出店依頼があり、参加することになりました。つくばはパンの街ということでの浸透をはかることが主な狙い。我々が過去七年間地道に活動してきたことが認められたということかもしれません。
そこで原点を見つめるとやはり障害者がパン造りを通して自立をはかること。当然収入の多少は大きな問題です。現在14名の利用者が作業を行っています。彼らは作業することに誇りを感じているようで,雨でも強風でも皆さん工房に通ってきます。最近はデイの利用者さんも作業に参加するようになり、配達や店でのお客さんへの対応の仕方も随分と様になってきました。年間を通じて様々なイベントに声がかかります。今回のも主催者側からのお誘い、9月は地域の公民館祭りや保育園のバザーなど行事が目白押し。
 スタッフもまんだらパンの特徴は何かと毎日勉強です。同じ商品ではお客さんに飽きられますから。福祉業界に馴染みの薄い消費者満足度はひょっとしたらパン造りの原点。
実際にはメンバーさんの役割分担がきめ細かに配慮されている。花壇の水やり、配達車の掃除、販売店への配達、店の掃除、ラベル貼り、パン粉ね、などこの役割があって14名のメンバーの作業意欲の継続が可能となる。

249:台風直撃2弾

今年になって2回目の台風の関東地方直撃であった。箱根は総雨量が700ミリを超すほどの大雨、実は25日26日と厚生園の小グループ外出で箱根1泊の行事が計画してあった。事前の判断で中止しておいたのでほっとしている。もし強行していたら、また偉い騒ぎになっていたかもしれない。どうも、組織というものは予定で動くようになっているから臨機応変な対応が難しい。スタッフの勤務やら予約の件で無理してしまうのだ。今回は予め関東地方に向かっていた台風が予報で分かっていたから判断に迷いはなかった。さて、私は大雨になると大きな心配がある。それは学園の下を流れる工業排水路が溢れ出すということ。神立地区の雨水がすべて幅2メートルない川に集中するから時間あたり30ミリの雨でも溢れる。何度も川幅の拡張要望は出しているのだが、どうも常磐線がネックになっているという。よく分からない。常磐線の下を川が横切っているからだそうだ。「土浦は常磐線を堤防の替わりに利用した」。溢れ出した水は道路を覆い歩くのも危険な状況になる。そのことが分かっているから尚更である。今回の台風で相当量の雨と暴風に襲われた。しかし、思ったほどの被害がでていない。首都圏だけに河川や崖の整備が進んでいるのだろうか?土砂崩れや川の氾濫がなかった。丁度40年以上も前だったと記憶している。私が通った上大津西小学校の通学区に石田という水田の中の集落から通学している友達がいた。堤防が壊れ、友達は船で学校まできたとはしゃいでいたことを思い出した。今、その当時に決壊した堤防は見事に改修され、逆に昔の面影を復元しようとヨシを植えたりしている。霞ヶ浦に浮かぶ帆掛け船とヨシ、それに水鳥は絵になる。自然との共存は、あまりにも人間が人工的に環境を変えてしまうとそのしっぺ返しを受ける。
 今朝の朝刊に霞ヶ浦導水トンネルの工事の写真が出ていた。水資源の活用のためとのことだ。
霞ヶ浦の水質が悪くなり、那珂川から水をトンネルを通じて流し込むという事業と逆に霞ヶ浦の水を農業用水として県西地区(真壁など)に送る事業である。水の有効利用ということだが、果たして人間の知恵が自然の摂理に適合できるものか。
 

250:解散選挙

9;11には衆議院選挙である。丁度4年前の同日、ニューヨークでの同時多発テロという大惨事があった。酉年の政局は荒れると昔から言われている。今回の選挙は初めてづくしでもある。小泉流のシナリオなのか?マスコミは挙って様々な情報を流す。選挙民は(少なくとも私)今回の選挙には大いに関心を持っている。その第1の理由は選挙民一人一人が選択の自己責任を問われていると思えるからだ。恥ずかしいことだが従来の選挙には誰がやっても余り変わらないという諦めを持ちながら投票した。今回は様々な批判はあるが郵政民営化の白黒を選択するという博打(たけし流)的緊張感がある。自ら選んだ議員に国政を託す、これは民主主義の根本、手続きは面倒だが大統領制を取らない日本では仕方がない。選んだ結果が直ぐに国政に反映されないから、いつのまにか国民は公約は守れないのが常識という全く変な状況が長く続いた。国民一人一人が今回の選挙にどれだけ投票に参加するか、この結果如何によってはどの政党が過半数を取るというよりも日本の将来の展望は明るくもなり暗くもなる。少なくとも7割以上の投票率が合格条件になろう。私は今までの選挙で棄権したことがない。
 茨城県民にとっては同日知事選がある。現職の橋本知事は4期目である。橋本氏は当選来、福祉への心配りは怠ってきていない。だから、福祉関係者の橋本氏評価はかなり高い。「金があればもっと福祉に廻せるのですが」というのが挨拶の中に必ず出てくる。これは橋本氏の人柄を示すこと。土俵は国政と県政と異なっても、選挙によって選ばれるという仕組みは同じ。今、情報開示がすすめられ、国と地方の借金は700兆円を超している。国民一人に換算すれば500万円以上の借金、しかし、怖いのは国民にその危機意識が欠落していることだ。物質的豊かさの裏にこれだけの借財があることを。今の政治に一番欠けているのは、主義主張に時間をかけることよりも具体的な改革を早急にしていくことである。スタートする前からああでもないこうでもない論議は時間の無駄だと私は思う。利権が異なる者同士がいくら机を並べて論議したところで誰もが納得する線はでない。今回の選挙はその長年の仕組みにNOを突きつけた。時代の流れに付いていけない政治家には厳しい、その結果が歴然とする場だと思っている。