源究206n206

  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日   NO   テーマ   月日  NO   テーマ  月日  
 3631  どっちが先?   11/4  3636  未来志向の罠   11/17  3641  空気を掴む  11/28  3646  愚痴か無知か   ☆
 3632  お茶どうぞ!   11/8  3637  胆力   11/19  3642  秋空 と紅葉  11/30      
 3633  一知半解   11/10  3638  勇気か元気か   11/21  3643  埒が明かない   12/2      
 3634  誤算のリスク   11/12  3639  劫を経る   11/23  3644  育むオヤジ   12/4      
 3635  掟なき結末  11/15  3640  屈折異常   11/25  3645  つらつら追懐   12/6      

3631:どっちが先?

 ”生い先”と”老い先”どっちが先?  これを考えていたら オカシクなりました。同時に 何気なく普段話しているコトバが 本来の意味とは大分ズレていることが判りました。
謂った言わない、これも同じかもしれません。そこで考えたのでしょうが”記憶にない”が流行りましたね。ハハーン、なるほど 妙に納得。昨日一緒に掃除をしてくれたKさん、彼は言葉がない(?)。それでも充分気持ちは通じます。コトバの代わりに顔の表情や身振り手振りを上手に使って思いを伝える。掃除は帚で掃く仕草、建物を新しくしろと自分がユンボになる、それで通じない時は手を引いて現場につれていかれます。
 最近、感じるのは周りの視線、悪く言えば監視の目、Mさんの『コラ~!なに さぼってるんだ。福祉’ブ・ク・シ”』と先制攻撃、Yさんは『なに やってんの?』と毎日覗きにやってくる。『勉強!ベンキョウしてんの』と答えると”ベンキョウしてんのか”といって行ってしまう。これを毎日繰り返す、私としては、なんと癒されることでありましょうや!
 心境の変化、今まであまり出来なかったからと反省し なるべく現場に顔を出すことにしています。いろんな事が見えてくる。自分が監視の目になることを避けるため、工夫していますが 性分で 気が付くと言葉が先に出てしまう。まっ 良いか?
 どっちが先・・・・?天気予報が晴れだと 朝から気分はハイテンション。
 
 世の中の動きに疎くなったと感じる。目先のことにばかりに気がとられ、肝心なことを後にする。
【singularity:シンギュラリテイ】という言葉をご存知でしょうか?AI(人工知能)が人類の知能を越える転換点(技術的特異点)。または、それによって世界がどのように変わるかと謂うことです。 
 科学の進歩を無条件には喜べないということが判ります。その条件とは、どんなことでしょうか?自分には関係ない!・・・・で済むことではない。でも、どうすれば良いのか??その事が判らない。
 私達は人間のこのような愚かさを嘆くことしかできないのでしょうか。 今、情報が上手く伝わり、その対策を国民も含め議論されているでしょうか! 代表で選ばれた人達が その責任を自覚しているでしょうか!枝葉のことで勝った負けたと大騒ぎ、相変わらず”経済第一”を声高に唱えていれば済むのでしょうか?これだけ世の中が変わっていても それ一辺倒。
 弁解できませんよね。繁栄を誇るかの如く、夜中に煌々と必要以上の明かりを灯し、食べ物を毎日大量に破棄し続ける。これに対し無策としか言えない状況で”成長と分配の好循環”をどのように実現させるのでしょうか? ワクチンの自国生産を他国に大きく差を付けられ、核兵器禁止条約に賛成できない国が日本の役割を果たすというのは 如何なものでしょう!。
 2045年にシンギュラリティを迎えるという予測に対し、その対応への遅れを先ず認め、国民に説明すべきなのに、依然として 支援団体の顔色を伺う古い体質(巣ごもり)から抜けきれず 説得力に欠ける・・・・・。
 このままでは過去の反省を活かし再生することは期待できません。その是非判断をもAIに委ねるつもりなのかもしれませんが その前に国が無くなっているかもしれない。

3632:お茶どうぞ!

 エンジン式剪定バリカンは結構大きな音をたてます。電源が取れない場所だから、電動式の剪定バリカンは使用できない。秋晴れが続く今が外作業には旬、高い処は脚立を使っての作業で10分もしない内に汗をかきます。昨日はこんな事がありました、名も知らない方が≪ごくろうさま。これ飲んでください。≫とコーヒーとお茶の差し入れをしてくれたのです。
 エッ どうして?予想していない出来事に驚いてしまいました。後始末は大事、道路に散らかった枝葉を集め綺麗にして作業を終えました。同じ日に GHのスタッフとMさんが 近くの公園を掃除しました。
 それがどうでしょう、 綺麗になった場所に,翌日、空き缶やコンビニ袋、マスクが捨ててありました。どうして、こんなことになってしまうのか 怒りを通り越し虚しさを感じます。 自分達で環境整備をやろうとしない。その代わり市町村が行うべきということになってしまった。それなら ゴミを捨てるなよ!と言いたい。自助・公助・共助 、それが今オカシナ事になっている。 最近、所有者不明の荒れ放題の土地や建物が増えています。それに対し 法律が未整備、これが現実です。今のこの国の政治の有り様を如実に示していると思う。先日の衆議院選挙の投票率が判りました。案の定55%という低い数字でした。これが隠しようがない現実です。これで国民の承認を獲たといえるのでしょうか、1958年には投票率76.99%’あったものが、60年以上下がり続けているのです。過半数が棄権するのも時間の問題、これが地方選挙も同じなのだから危機的状況です。もういい加減にして・・・・お茶にしませんか・・・・
 ☆ もし良かったら NHKラジオ深夜便、聞き逃しサービスで11/6放送の「明日への言葉」を聴いてみて下さい。
 
 今 私達にとって何が必要だと思いますか?情報が氾濫する中で 一体何を信じたら良いのか判らない。そのように感じている人は沢山いると思います。
 ・・・閑話休題・・・・電気量販店に行くとラジオを捜すのに苦労します。ラジオコーナーは店内の片隅に移され品数も少ない。方やスマホやIT機器のコーナーは何十倍も広く、品数が多過ぎて目移りしてしまう。尋常でない機種変更のスピード、店員からは修理するより買い替えを奨められる。モノの価値がドンドン薄っぺらとなる。これも成長と謂うのだろうか!薄利多売、使い捨て財を為した人を成功者と社会が持ち上げる。そうじゃ~ないでしょう。
 ”成長と分配”を謂うのも大切かもしれませんが それで社会が本当に好循環になるんでしょうか!地球環境の悪化や貧富の格差がなくなり、安心な社会に向かう原動力となり得ますか? 
 仰るように人の話を良く聴くことも大切でしょうが具体的に何を成したかが肝心ですよ。どなたかの言葉ですが”危機の時代こそ心豊かに暮らしたい”、勿論 モノの豊かさを第一にお考えではないでしょうが、そう思えてしまうのも現実です。だってそうじゃ~ありませんか 物事の後始末ができないで何を謂うかです。先ずは政治が自浄力を発揮することを望みますよ。さすれば 投票する人も増えるかもしれない????
。さあ~ この辺でにしませんか。

3633:一知半解

 一知半解(いっちはんかい)とは? 実を知らず生半可な理解しかないことを謂ったものです。それが高じれば”やりっぱなし””言いっぱなし”、が多くなります。あるある いくらでもありますよ。、ちょっと気持ちを楽にして 実態(隠蔽。忖度。雲隠れ)を良く観ればわかるパラダイム(規範)。ややこしいね? もっとハッキリ言ってくださいよ!”規範”を失ってしまえば何をしようとも徒労に終わるということですか。ウ~ム?まだ、わからない!仕様がないね、要するにだ 己の成したことの後始末ができてますか!ってことだよ。
 例えば 経済界、為政者に必要なのは信義だ、それと単なる事実では無く、判断・評価の基準としてのっとるべきもの”規範”だわな。このような人物の出現を期待するのは 間違いなく時代の趨勢がそうさせている。長期公演に主役が頻回に変わるようでは趣味遊興の世界ならいざ知らず 一国のトップとしての責任を果たすことはできまい。だからと言って 長期にその座にいても 後始末ができない人であれば 寒心に堪えないということになるんだわ。
 フムフム。 ついでに座を退いた後は口を挟まないこと、これだわな!(ナマグサ 天の声を聴く)
 
 今まで守ってきた規範を無視して、自分が改革を行ったと自負する人がトップとなれば忌々しき事。その理由は 言い訳多く 責任回避が得意だから。ゴルフ界での話、現会長の青木さんが若手の期待の星(?) I の行動を戒めた。海外試合から帰国し、国の取り決めを破り、自粛期間にゴルフを行った後、グループで会食した。当人は 協会の要職を辞任したいと申し出ている。一知半解、 どこかの話とは随分違うので敢えて取り上げた。スポーツには栄光の歴史が数え切れぬ程ある。その骨幹にスポーツマンシップ(規範・ルール)を置く、これは絶対だ。破れば即 出場停止、その後の対応如何では永久に復帰できない。だからこそ、勝利者には尊敬と賞賛の拍手が贈られるのだろう。
 これと真逆(?)の態を曝け出し、一向に止まない三権の一つに問う 多くの特権を与えられている割に、何をもってその職責を全うするのですか???。昨今の散々な体たらくを払拭するには相当の覚悟と行動力がないと無理?
 いうまでも無い、そのトップにある人の責任は限り無く重い。公に約束したことが いつの間にか変わってしまっても お咎めなし。 ルールが有っても無きに等しい、 世間常識から乖離した緩さ。これが範となっていないだろうか!   ・・・・国の宿痾(しゅくあ)に”応病与薬”、知らなかったはステージⅤ(5)・・・・(拙句抄)・・・

3634:誤算のリスク

 ”こんなはずでは無かったと お暇(いとま)するか 居座るか”  ”出処進退 自ら決せず 誰がする”・・・・これが罷り通る法治国家とは?・・・ この誤算には大変なリスクを秘めています。何故と聴かれれば 言いますよ。でも どうでしょう?判らないのが 問題なんだわな。
 その人にとって誤算でも 他の人にとって誤算でない、この国の現行法ではできないと 何度も何度も聴いてきた。ハッキリ言おう!それを決めるはアンタたちじゃ~ないの??? それは 法でなく常識でしょう
 戦争の末期、学徒出陣する若者が家族に書いた手紙が沢山展示されています。(霞ヶ浦航空隊”予科練”記念館:阿見町)
 せめて 国民の代表となる人達に 知っていて欲しい。権利を主張する前に貴方たちの責任(義務)の重さを・・・・ 憂国の士が国を亡ぼす??明治維新の時に勝海舟が言ったという。160年前のことですね。その後2回の戦争に日本が巻き込まれた。今年、戦後76年が経った。コチコチの愛国者が国を亡ぼす。両者を単純に比較はできません、時代背景が違うからです。でも 変わらない事はあります。それは公文書に残し、後の世の人達が道に迷わないために。
 それを”経済第一”という旗印を掲げ 徒党を組んで曖昧にしていると思えて仕様がない。このような時代(誤算の上書き)に生きる私達はそのリスクにもっと敏感になるべきと思いますよ。
 
 相続する人がいない場合の土地や金品は国が引き受け国有財産として競売?じゃ~負債は棒引きするの? 
それより国の借金を返す当てもなくなった時はどうなるのですか?国民の保有資産全てをひっくるめ返済に充てるのでしょうか?昭和20年日本は、当にそこからスタートした訳です。
”経済第一”という言葉の詭計、国は 国民に実態を良く説明する責任があるべきなのです。 公表される数字に疑念を感じ始めたのは 堂々と公文書を破棄し 調べようとしなくなった頃からだ。総務省や財務省のHPを開き やっと捜し出した累計借金と投票率のグラフを比べ一目瞭然。反比例!
 その間に総理が何人変わったか!これで 若者に将来に希望を持て!というのは筋違い。法律の専門家ですら判らない 膨大な法律や制度の数、それでも足りなければ”改正、改定””上書き保存”を続けている。その結果、複雑過ぎて解り辛いものとなり、”誰の為、なんの為”という核心が見えなくなってしまった。合法か違法か、その査証もできない?最大の”誤算のリスク”は民主主義国家の主柱である”主権在民”が実態と相当乖離していることだ。  もしかして、今のままで良いと思っているのではと思ってしまう。是々非々の詰めがなされず 交代をいくら行っても 風向きは変わらない。
 ☆ 主権在民・・・国民が政治権力の源(拠り所)・責任主体であり、政府は国民の意思により設立され運営される機関である。(ウイキペデイアより)

3635:掟なき結末

 ぬるま湯に長くつかり過ぎれば、どうなるか!奢れるもの久しからず! あの平家物語を出すまでもなく、今の国の宿痾は 最早、修正不可能な状況を呈していないだろうか!
 変化を好まぬのも、時と場合、現実をどう捉えたら良いのかさえルールが有って無きが如し、支離滅裂と言ったら言い過ぎか! 敢えて挙げるならば、燻り続ける≪憲法改正≫論議が当にそうである。憲法96条で明文化される・・・国民投票・・・。現状の国政選挙で8割前後の投票率ならばいざ知らず、50%前後の低率で終始している。これで国民投票の実効性がどれだけあると考えるかですね。明文上は自由委任を原則とする代表制(43条)、そのものが機能していない、権利を行使しない国民の所為か!否、私は政治の劣化が最大の事由と考える。それを判ってのことかどうか甚だ疑問だ、政党の渡りを繰り返し権力を一極に集中させるなど 大義を忘れた異常な事態だと考えないのだろうか?選ばれた者全てが自らの言葉に責任を持つべきだ、、、これが”ぬるま湯”と言われる証。この影響は計り知れず国から地方に拡がり、決め事を充分に説明も無く変えてしまうという”掟なき結末”の類は枚挙に遑なし。
 憲法改正を唱えるのであれば、今の選挙制度を変えるのが先決、数による暴走を食い止め本来の有るべき姿に戻さなければ、小松左京の小説(「復活の日」「日本沈没」)と同じ道をこの国が歩むことになりやしないか!自然災害か人為的災害(戦争・テロ)なのかの別があってもである。
 ☆小松は「「復活の日」のあとがき(1964年版)で・・・・≪・・・さまざまな幻想をはぎとられ、断崖の端に立つ自分の真の姿を発見することができた時、人間は結局「理知的に」ふるまうことをおぼえるだろうからである。≫と未来に向け発信しています。
 
 永田町の常識と国民感情、知らないが故に・・・・?問題が大きくならないということではないだろうか! 正直 今更という思いが強まる。その代表格を挙げれば、政党交付金と議員運営委員会(議運)、これが今の政治を不透明にし国民の政治不信の元凶となっているのだ。国会中継の生放送を観るまでもない。今までに常に問題にされながら一向に改正されず、より複雑に、且つ、巧妙に上書きされてきた。小学生でも判ることが 理屈を付け、判り辛くしているようだ。今回の選挙で4時間で100万円支給された・・・云々、地上波では 取り上げるメデアは殆どないが、生番組(FNN14日朝)ではそうは言っておれない。想定外の出演者の話を編集でカットすることができず 視聴者はシドロモドロの展開を観るハメに・・・・・。
 要するに、有事においても猶 自分達の既得権を守ろうとする人達、特権だろうが何だろうが 国民に納得できる説明をするつもりは無いようだ。これでは、国民投票できる環境にはなっていない。もし、強引にやったとすれば 世界中に醜態を晒すことになるからだ。これぞ掟なき結末。
 上掲した小松の言葉の前文に・・・私が人類に対して絶望していたり、未来に対してペシミステイックであると思わないでいただきたい。逆に私は、人類全体の理性に対して・・・・特に20世紀後半の理性に対して、はなはだ楽観的な見解をもっている。・・・(『復活の日』p451)
 このあとがきを書いた時から半世紀以上が経つ、いま小松が生きていたら何というだろう?(2011永眠)

3636:未来志向の罠

 時間軸で現状を見つめることは出来難い。此の儘いくと人間に与えられた智慧がドンドン蝕まれるような思いに駆られる。未来志向も その根拠はハッキリしない、現実逃避の一時的避難場所に利用される節がある。
まさに疑えば目に鬼を見る、2世~3世でなく一般人から自分で志願し今回初当選した方の『社会の常識では考えられない”4時間で100万の報酬”』の独白が ここまで拡大するとは恐らく大半の議員が思わなかっただろう。いや、感じていても黙っていた!というのがホンネかもしれない。 費用対効果・国民のために・・・・・この種の蔓延る言葉に人々の心は動かず、いつの間に消えて行く。それを軽視したツケは限り無く重い、誰一人としてその責任を取らない。これが”ぬるま湯”症候群という習慣病の実態。もし 本当に必要な経費ならば 何故領収書を必要としないのか?庶民に対し 厳しい取り立てを強いる割に、自分達には都合よい法律や仕組みを作って今に至った。外交や防衛と比べるつもりはない、”規範”の話である。デジタル化を叫ぶ当人達がもっともアナログ人間ではないのでしょうか。
 私は この100万円の話を聴いた時、 正直何を言っているのか判らなかった。その世界に染まっていない人の言葉だけにインパクトが大きい。民間企業であれば懲戒解雇に値するような事も”現行法”では議員辞職させることができない世界らしい。これらは変えねばならない特権だということを認めるべき、慣習法とは国家による強制がなくとも人々に法として認められているものを言うそうだ、温存し国民には知られたくない類かもしれない。公約の不履行や反故に対し何のお咎めも受けない特別区、だから内部から姿勢を正せと言えない。これを時間軸上での一点と捉えるには相当な無理がある。この悪弊を除くには先ずは”先進国”という称号を返上すべきですね・・・・・。理知的に振舞うということは そういう事じゃ~無いの???違いまっか
 
 失礼して、『many without punishment,but none without fault』『叩けば埃が出る』・・・『漁夫の利』、・・昨今は『ブーメラン』  新たな連想ゲームの如く、SNSに疲れた時の口直し。
さすがに 皆さん、良心の呵責は有るようで これで 変化の予兆と期待して良いものか??? 歴代総理で就任の初会見で『政治が甘い幻想を国民に与えてはならない。国民も過大な期待を抱かないで欲しい』、『国民に国の窮状を隠さず 正直に話す』と応じたのは、あの大平正芳氏(第68代:1968年)だった。口癖の「あ~」「う~」という言葉の間に氏の実直な人柄が伺える、彼は総理在任中に亡くなった、彼のエピソードは多く胆力のある人だったことを裏付ける。
 その後のニッポンは、総理の椅子に座る人は多いが、 ハッキリしているのは 後の世に語り継がれる人材は殆どいないという、これも胆力の差か!
 包み隠さず 正直に言えば良いものを 自らの策に溺れ、政治を不透明にしてきたのは 一体誰ですか? 自徳を讃じ、辞めてから尚 権力を離さないという人達とは 決定的な違いを私は感じます。違いまっか

3637:胆力(度胸)

 再度の失礼を・・・you are chicken-hearted///・・・!臆病な人を 英語では「ニワトリ」chicken-heartedというらしい。
 そこで私なりに考えました。改革が必要なものと無駄を省くことはどう違うのか、巷にスローガン(標語)が蔓延っている。そもそも 実が有ってその標語が生まれたのではなく、後付け・パクリ・語呂合わせの3大上書き、これが”加速度的増大”している。前文の「ア~」「ウ~」という意味不明の言葉を使いこなし、「総理には いつも二言足りない」と謂われたという大平が、 『讃岐の鈍牛宰相』と愛され信頼されたのは「矩」(のり、守るべき事)をわきまえていたからだという。大平に有って、今の政治家に無いものは何だろうか?愚問かもしれないが近年 気になるのは「体調」を理由に任期を全うできず退く人が増えているように感じる、”身命を賭して闘う”というがその人達から実を感じない。
胆力はどうして生まれるのでしょう。子供時代の環境が実は大きいのではなかろうか!何不自由なく過ごした方には イザという時(引き際)の振る舞いに差が出るんじゃ~なかろうか。その点では 大平が自ら語ったという、≪四国の小百姓の生まれで8人兄弟の3番目・・・・≫決して裕福では無かったという。それと見過ごせないことに当時の政界には与野党別なく市川房江さんをはじめ錚々たる論客・好敵手がいて互いに学び育つ環境があったということだ。
 
 ”黙許(もっきょ)”という耳慣れない言葉、簡単に言えば、知らぬ振り。本当に知らなかったと実は知っていたでは 大違い。
誰しも 思い当たる節はありますよ。だから”身命を賭す”など余り謂わんほうが良いのです。それだったら「あ~う~」という方がずっと親しみを感じます。”愛する”ということは”信じる”ことだと謂ったのはどなたの言葉だったか?新総理の初会見で「政治が甘い幻想を国民に与えてはならない。国民も過大な期待をしないで欲しい」と語った大平さんに今も共感する人は多い。特権はそれをどう認識し使うかによって大きく異なる。必要ならば 隠さず言えば良く、必要なければ止めれば良い。黙許が一番悪い。本来の小さな政府の目的は”簡潔さ”であった。それが真逆の様相、拡大し続け止まることを知らない。
 道に迷った時どうするのが良いのか!登山の経験があれば直ぐわかる。来た道を戻り、そこで良く考えることが鉄則だ。昔と大きく変わったのはGPSなる衛星情報、半世紀前、地図と磁石を持ち歩いたのとは随分変わった。
 変わらないのは、引き返す決断、AIがどんなに進歩しても 人間の”こころの働き”を代替えすることはできまい。諸行無常は諸行無情ではない。

3638:勇気か元気か

 久しぶりに会った人との挨拶で≪元気?≫とは謂うが≪勇気?≫とは 謂わん。
 こんな妙なズレが 今 起こっているような感じがする。何がそうさせてしまうのか? ””という字が付く日本語で思い浮かぶのは本気、呑気(のんき)、天気・・・気合、気性、気概等々・・・と様々その時々の気分を表す。アイツは気難しいから関わらん方が良いなんて、自分が思われているかもしれない。しかし、本当は気難しい位で丁度良いかもしれない。
 御多分に漏れず、オンラインのやり取りが増えた。コロナ禍の副産物?対面に有って無いものを考え始めたら、ホラ見ろ!いつもの悪い癖。
 朝、Kさんが良く顔を見せるようになりました。彼とは40年以上の付き合いである、初めから”言葉”を発しない、それで 今までやってきたのだから凄い。今日は軍手を持ちタオルを首に巻いて、”やる気”満々。今まで彼との約束を何度も破ってきた私は Kさんから信用されていない。霜月になって天気が落ち着いた。何度か二人で作業した。彼は熊手2本を器用に使う、落葉を軽トラに乗せる技術はホレボレする。今日の場所は足場が悪くツルが絡んで、熊手は使えない。さ~てどうするんだろう? お手並み拝見。なんと熊手を使わず手で集め始めた。なあんだ!やるんじゃ~ないの!午後、我々を見るに見かねたスタッフが仲間を連れて応援にきてくれた。あっという間に運んでしまった。他の人に入られると嫌な顔をするKさんは 何故かニコニコしていた。
 今日は140年ぶりという皆既月食(?)、幸い天気は良いから気分は良い、明日は休みな!・・・・・「ウン」と頷いた。
 
 自粛生活の中で今まで気付かないことを 随分発見できました。良かれと思ってやっていたことを一時的でも”ストップ” すると なんでそんな事に時間を費してきたのかと思う。
 ニワトリが先か卵がさきか! この類の話はごまんとある。選択肢があるようで 実はドンドン失われている。そうなった最大の原因は 境目がハッキリしないモノが多過ぎるからだ。恰も類似品のオークションを喜んでいるようだ。 辞めたと思ったら、顔を出す。リニューアル(?)して再登場、外面変えても中身変わらず。これも習慣になれば 五感機能が衰える。
 法治国家ニッポンに汚名返上する選択肢はあるのでしょうか?・・・「私たちは大日本帝国からの延長に戦後日本国があると受け止めていて、日本国という新しい国を建国したいのだという意識が無い。だから戦前の日本を徹底的に検証しなくてはと言っても、うやむやな連続性のなかにいるため、問題意識が伝わらない」(半藤一利・保阪正康某雑誌紙上より)
 昭和25年生まれの私には、その体験が無い。 戦争を知らずに育ったものが大多数になった今、せめて、議論する環境を整えなければならないのに、残念ながら真の≪元気と勇気≫+≪覚悟≫が見られない。
 貴方は 何故だと思いますか?

3639:劫を経る

 仏教では時間の最小単位を”刹那”(ksana) 、無限とも言える長い時間を”劫”(kalpa)という。
 【無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義】 (開経偈)を読経の最初に唱えます。 これって”公約”ですね。これからお経を読み始めますよと覚悟の宣誓。仏教の教えは 人生は苦と観ずることにあり、だから 思うようにいかないのが当たり前なんだよと説いている。誰にも判りやすくする為に四苦八苦を掲げ その苦しみから 如何にすれば解放され安心を獲るかを筋道をたて 説いていくのです。
 我々凡夫は そうは謂われても実践できない。出来ない言い訳を作り途中下車 そして道から外れることを繰り返す、それを他の所為にして自戒せず、更なる画策に現を抜かす、この連鎖からどうしても抜け出せない。欲望・幻影がその元凶、もし為政者の権力志向が強すぎれば、民は苦しむ。それを本人が解せばまだ救われようが 劫を経ても身口意が顛倒する輩はいるもので 更に欲深くなっていき始末が悪い。ゴマすり人間を重用し、その論功行賞を惜しげなく与え続けると 世の中は公約とは逆の態と化し、国は乱れる・・・・そして 自分の周りからどんどん人が離れていくという。(懺悔文解説ノ抄)
 
 そうなって初めて気付く人が多い。心の緩みというか読みの甘さというか、如実知自心、自分のことを知らずして実が観れるか!・・・と先哲の教えに触れ、草木や花が水分不足で萎れる様・・・・・。その草木は水を獲れば 元気を取り戻すだろうが人間はそう簡単に戻らない。
 欲が働き、目標を見失い、自分をコントロールできなくなるからだ。経済 ケイザイ この言葉が私には呪文に聴こえ、これぞ 現代社会に蔓延った病巣か!応病与薬、抜苦与楽、で癒されるか? だが、その肝心の薬が判らない
 ハワイにあるスバル望遠鏡、レンズが8メートル20センチ、それで130億光年遠くの銀河を発見した。次なるプロジェクトはレンズの直径32メートルというスバルの4倍の大きさ、一国では無理で5か国共同研究でスタートしたが、計画半ばで現在止まっている。それは 技術や財源問題ではなく、地元先住民による建設反対の運動によることを知る。科学の価値(未知への挑戦)とそこから獲る恩恵も 想定外の事由によって 止まることはありうる。
 平和利用と言いながら 現実にどう使われるか その検証は常に後付けとなってきた。百千萬劫年という途轍もない時間を上掲した開経ノ偈文、それと我が懺悔ノ文にある”受くるところの戒品を忘れて持せず、學すべく律義は廃して好むことなし” いつの世も自らの実なる心を見つめる難しさは変わらない、ならば諦め止めてしまってよいものか?これぞ 核心のサステイナビリティではないでしょうか。
 

3640:屈折異常

 スネルの法則というものがあるそうです。これは屈折の法則を明かしたもの、 素人考えでは近視・遠視・乱視位しか思い浮かばない。歳と共に眼鏡の数は ドンドン増えた。無くしたり壊してしまうから、基は視力が落ちて見え辛くなってきたこと。これが屈折異常と言われるものらしい。
 じゃ~視力でなく情報に置き換えたらどうなるか、言葉を失いますよ。何がどうなっているのかサッパリ判らない状況は当に”情報異常”、これを正常に戻すのは人間の力では 最早できないかもしれない。
 これってコロナ禍で顕著になった、異常より正常のほうが良いに決まっている。世界中でその対策は行われてはいるが、一つ解決できたと思ったら また新たな問題が起こる。最近問題になっている”ブレークスルー感染”もそうだろう。ウイルスの感染力と人間の免疫力の闘いは未来永劫に続けられるものなのだろう。
 それじゃ~廃品回収・産廃・廃棄処分・・・・これらの現象はどうなのか!ウイルスをこの世から無くすことはできない。
 人間が創ったものでいくつか思い当たることはあるんです。義務&権利の屈折異常。その治療に”カネ”を媒体とすることでしか方法がないとしたならば どんな未来図を描けるか! 
売れる絵でなければ 価値はなし????。これは現代社会を覆う天井知らずの・・ing法則! それ自体が変わらなければ どの国も持たないのではなかろうか。
 
 拡大か縮小か? 拡大を成功とみる方が優位、でも 災害や疫病、借金・・・などはどうでしょう?縮小したい。当然そうでしょうね。
 日本が 今 どのような状況にあるのか!うやむやな連続性のなかにいるため、問題意識が伝わらない。この意見(上掲No:3638))に私は同感です。うやむやという意味を”日和見感染”と診たらどうでしょう?普段は病原性が無いか、またはあっても毒性の弱い微生物が、宿主の免疫が低下した時に感染症を引き起こす。これは 明らかに宿主の問題です。さらに問題意識が伝わらない例証として”無関心”層の増加があるんじゃないでしょうか。これが宿痾(しゅくあ)化し、日本が治り難い病に罹ってしまった。これも 自分側の問題ということです。
 厄介なのは これに効く妙薬はないと言っても何もしなければ 拡大は止まらない。この連続性を止めるには その先の姿(国の未来図)が描けているかどうかが肝心!
 時間がかかっても やるべき事は有るはずです。桃栗三年、柿八年・・・・出来たモノを世界からお金を出して買えば済むではなく将来に向けて種をまく事を国策としてやるべきです。 今更という思いもあります。日本の政治そのものが軸揺れし安定しないのは ここが最大の弱点だからですよ・・・。数の偏重の弊害。安定と惰性の混同。
 ☆木枯らしが吹く中、Mさんは 文句一つ言わず、今日三回目の落葉掃き

3641:空気を掴む

 師走まで残り4日、周りで冬を迎える準備が始まった。少し早いが今年を振り返ると 何をしたかが浮かばない。ハッキリしているのは 健康の大事、園内では常時誰かが入院するようになった。最近、仲間たちの体力の衰えを強く感じる。高齢化が進み より深刻になっている。そこで判ったこともある。付添いが無くても独りで入院できるのには驚いた。でも中には入院の翌日、病院へ迎えに行った方もいたが これも元気があるからなんだと納得する。
 スウエーデンの女性初の首相が 就任後、数時間で辞任したという。何があったのだろうか?3党連立を組み、スタートしたが予算案否決で即辞任、スウエーデンの憲法によってハッキリとその時には責任者が辞任することが決められている。この判り良さと潔さを 私たちは随分忘れていたように感じます
  不透明!民間企業であれば株主に対する責任は絶対です。曖昧な説明で株主総会が無事済むはずはない。政治への不信は、この自らに甘い体質が起点!国民主権を叫び 外国に対して日本の役割を果たすと公言する、この感覚がどうなんでしょう?”うやもや”は”なんでもあり”と同じですよ、この意識が相当欠落しています。公約したことを”あいまい”にしてもお咎め無い国は先進国では有り得ない。
 こういった周りの空気が読めない状況は”ぬるま湯”に長年浸かってきた証です!宇宙の摂理は天空を上に行けば行くほど空気が薄れる。為政者には 有っては成らぬこと。ここにも勘違いが起きている。(「先憂後楽」⇔「先楽後憂」)
 
 一人ひとり、良く見れば 誰しも良い処がありますよ。でも それと政治は別次元、 政治家は立法に携わることが使命だからです。今の自らに甘い体質は いつの間にかその原点を忘れ、法に反する行為をしても”あいまい”にして許されてしまう。≪自分は知らなかった。関係していない≫、訴訟になれば≪裁判中だから 何も言えない≫が決まり文句だ。これって危機管理答弁マニュアル通りなのかと思ってしまいます。緊張感の欠如とモラルの低下、似ていて同じでない。公私混同の中で不可思議な力学が働き、社会不安と不信を醸成する。
 これを、どう思っていますか! 貴方は子供たちにどのように説明できますか!まさか その子供たちに責任を負わせようとはしないでしょうね!まだ選挙権が無くても未来の日本を担う子供たちに範を示し、問題が有れば判り易く説明し理解を得る、これなくして本来の政治活動は有り得ないはずです。議論が議論のための議論でしかないように思えてシックリしない。選挙の度に、いつも仲間たちの事を考えてきました。文字やコトバが上手く使えなくても誰しも”こころ”を持っています、その”無垢なこころ”こそ 我々大人たちが忘れている大事なことだと教えているからです。それが上手く通じないモドカシサはありますが これからもこだわり続けて参ります。

3642:秋空と紅葉

 銀杏:観音寺
 山門前にそそり立つ大木”銀杏”が黄色の葉を参道隈なく敷き詰める。その上を 犬を連れた夫婦が通り過ぎた。
 近年、寺の周りに新築の家が増え、新しい住人が よく訪れるようになりました。都会暮らしから田舎に家を建てた若い家族、子供さんの育つ環境を一緒に守っていきたい。子供たちがやがて大人となり、結婚し昔の記憶を我が子に語り聞かせる時がくるかもしれない。時間は流れても・・・思い出を大切にしたいよね。
 台風で大きな枝が折れ白壁塀が壊れた。危険だと思い、枝を思い切り落とした。全体がこぶりとなったが その年も葉をつけ、秋になると黄色の葉を空一杯に広げた。この逞しさは みる者にどう映るだろうか。
 日本だってそうだ。自信に満ち、活気溢れた時代を再びという気持ちはわかる。でも、あの儘ガムシャラに突き進んでいったとしたら、今ごろ どうなっていたか判らない。”是々非々!”と言うは易しい。それも 自らの胸によく手をあてて考えて欲しい。
 ・・・・ 武田泰淳著『僧侶の父』より・・ほんとうの教育者はと問われて・・・もし興味があれば読んでみては如何でしょう!『滅亡について』岩波文庫:武田泰淳の一節
  ≪文章を書くのがきらいで、卒業生に色紙など頼まれると、しぶしぶながら「言行一致、表裏相応」と書いてやり、その文字も、まるで字であるのをイヤがっているみたいな、ひかえ目で、けれん味のないものだった≫
(上掲P328)
 
 独善家はひとりよがりだと忌避される。それも程度の問題だ。そうじゃないでしょうか、相手がいるからね。無人島漂流記じゃ~あるまいし、たった独りなら是も非もありません。時と場合を考えるという条件付けは そういう事です。 ここで ある文を紹介したい。
・・・戦術としての国際主義、戦術としての人類一家主義は、さまざまな挫折に遭遇しながら、絶えまなく地球を洗っています。絶対平和の夢が、とめどもなく膨れあがるのは、繰り返し現れる新しい型の野望が、つねに危機を押しつけてくるからでしょう。頑なな伝統保持が許されないように、新奇を追い求める迎合主義の軟弱さも許されないのです。・・・・・(上掲本:P346)
 独善か迎合か双方に矛盾を孕んでいます。そんなことにお構いなく”変異株”は時々刻々、我々の生活領域に迫まってきます。こうなったのも 自然を自分達の良いように利用してきた人間の暴挙に問題の根源があると考えるのはどうなのでしょう。・・・まさに地球を間借りする人間が主になるという”成功した失策”の代償は計り知れないと思いませんか!
 赤・青・黄いろ 色とりどりの着こなしで 行く末までも 持ちつもたれつ。(拙句)

3643:埒が明かない

成功した失策”とは意味深な言い回し、人間誰しも失策を公にしたくないもの,方や成功は実以上に誇張し自画自賛したくなる、これも人間の本性だから仕様がない。じゃ~ その責任は?
 その前に”成功”をどう考えたら良いのでしょう?やった やらない。知らぬ 存ぜぬ。いつもまで経っても埒が明かない、終いに”黙秘権”。 人が人を裁くことの難しさ、埒(らち)の意味は、馬場の周囲の柵からきている。しきりがなければ 馬も牛もどこかに行ってしまい判らない、ここから物事の決まりがつかないことを埒が明かないと謂ったという。(大辞林)
 15期務め議員生活を今回で退いた方が『永田町動物園』なる本を出したそうだ。恐らく誰かにすすめられたのかもしれないが、どうも 読む気になれません。何故在任中にそれを書かなかったのか、そのことが判らない。同じ穴の・・・○○、井の中の・・・▽△。忘備録の類ならば、懺悔録を著すのが先ではないか・・・・・自ら埒を明ける気があるなればだが!引き際が理にかなわず≪政治家にはキツネの狡知(こうち)とライオンの威が必要≫と誰かが謂ったそうである。(ナマグサの読書三昧”埒の章”)
 
 ゼロかウイズか 埒が明かない。ウイルスは、地球上に人間よりズッと昔から存在してたに違いない。 人間の今までの振る舞いは自然の理にかなうものであっただろうか? いつの間に”理”を”利”にすり替え、勝手放題に勝った負けたの泥仕合。裏と表を使い分け、狡知と威厳を世にほこる。勝ち鬨をいつあげるか判らずに今となっては引くに引けない我を知る、 さ~て どうするか!
 勿論、これは全てでない。でなければ 天寿を全うするという 唯一無二の人生の矩知らずで幕を下ろすことになってしまう。これが釈迦の教えの基軸(三法印)です。
 『山おやじ』という言葉をラジオ深夜便で知った。写真家今森氏が里山再生の活動から 雑木山にいるという古木に『山おやじ』と命名した。荒れ果てた雑木山を元の姿にもどそうとする取り組みで 山おやじ(古木)は寿命が来れば水を吸わなくなり、徐々に枯れて、最期は土となり、次なる新芽を育てる土壌(栄養)として遺る。この自然循環の摂理は 人間が真似ようとしても無理ですね。
 『山おやじ』は自分が倒れ 陽射しを遮るものを無くし 光が射すようにする。光と水と土、それに空気は生存の大事、これを木は誰かに教わったものではない。終活で余計な計らいで苦しむ人間とは比べられない。
 ☆「オーレリアンの丘より 四季便り」今森光彦:NHKラジオ深夜便。

3644:育むオヤジ

 一家の大国柱として敬われた”オヤジ”は 近頃 風向きが変わり肩身が狭い?無常と無我と寂静、この3文字は三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)で仏の教えの基本。権力の座に長くいることで自らの原点を忘れ、立つ位置を見失うからだ。
 頭から離れない”絶頂期” いつまでも、全てが思い通りとなるとシメシメ。だから、それを失う恐怖は本人にとっては絶大。
 ”オヤジ”にもいろいろありまして、育まれた環境は 上記のような森でなく、人間の創り出した”社会”、そこは 親鳥が雛を自分の羽で抱きかかえ守り育てるような環境を失いかけていた?
 弱きモノは、必要以上に自分を大きく見せたい、自分の意にそぐわないモノを退け、我が城をお気に入り?で固め始めるのだ。よくある話で史実に多くの例証もありますね。仲間だっていつ反旗を翻すか判らない。
・・・将を射んと欲すればまず馬を射よ・・・・とは良くいったもの、これも”人を信じる”ことが出来ないことに起因する。
 本人の言い分は 自分の意志ではなく周りの環境(人)によるものだ。然も有りなむ、現実直視を避け、幻影(バーチャル)を追うことが気休めとなる社会がこれ以上進めば 益々生き辛くなるのではないでしょうか!仮想か現実か?その見極めができないという状況からは 次なる”オヤジ”に期待は持てない。
 
 
 涅槃って何?もしかして”無いモノねだり”!
一人ひとりが愉しむことが国の文化を育むというが・・・・結果を急ぎすぎ中抜き(過程)では 文化は馴染まない。・・・相手の足を引っ張り、自分だけが良ければとなると 更にどうなるか!
 新品を売ってナンボの世の中?古くなって使わなくなれば どうします? 私の乗っている軽トラは2代目で、前の車も中古車、エアコンなしで2W、値段は7万円だったと思う。熱ければ窓をあけ、寒ければ重ね着する、ぬかるみに嵌まったとき難儀はするが、気を付ければ避けられる。もう随分長く乗っている。それで満足すれば愛着が生れ、大切に使うことになるのです。。
 どんなに立派な車でも 乗らなければ、いざ 使う時になって動かない。 そんな経験を持っていませんか。いつの間に 見栄や外聞に負けて、無理な出費をしていないでしょうか!そんな一生をおくって それで”涅槃”は得られまい。
 共生は、決して人間だけの話じゃ~ない。経済を回す為の絶対条件???、じゃ~伺いますが、それで幸せになったの?国の借金が減ったのかい??もういい加減にしね~と~ダメだっぺ~よな~!
 昨日、寺の銀杏と紅葉の落葉をMさんたちが綺麗にしてくれました。参道に敷き詰められた黄色のジュータンを軽トラで運んでくれた。冬を迎える前、木々は葉を落とし自分の身を軽くして越冬する。その間に養分を蓄え、春の訪れを待っている。これが森羅万象 山河大地の原理でしょう。

3645:つらつら追懐

  つらつらと追懐の情深まりて、頬ゆるむ。
 師走に入り、いよいよ冬到来を体感、先ずは父と母の思い出、断片的な記憶しか浮かばないが、日常の何気ないことが懐かしい。”田夫野人””ひざっこぞう” とオヤジは自分をそんな風に笑いながら言っていた。それを黙って傍でみていた母、・・・・・。
  嫌なことも多分有ったことだろう。だが、その辺は浮かばない。私は凝りもせず飽きもせず、愚行を連ねる気力だけが増している。本当は、朝改暮変、そう謂われても返す言葉がない。
 部屋の壁は、全面に貼り紙、それも二重三重に重ねて貼ってある。忘れぬように、迷わぬように・・・・。そのほとんどは再び読み返すことなどありゃ~しない。でも 念には念をいれてと。
 私が未来志向に違和感をもつのは、そこに 偏りがあり、危うさを感じるからです。驕りは暴走を許し、豊かさには限度がない、私たちは欲と妄執を退けることが 本当にできるのか!Shokei の仲間達の生き様を通して知り得たことを、単なる知識ではなく智慧として区別できれば釈迦の教えを解くカギがそこから見つかるのかもしれない。・・・・が 未だ 了知せず。
 
 現実に向き合えば、自然に体が動く、空言をいくら連ねても頭の中でグルグル回るだけ。週末は大体、檀務に追われ、回忌法要、墓地開眼、墓じまい・・・住職勤めは どうなのか!自問する。 宗派より長寿会への原稿を依頼され、その封筒は机の上に置いた儘、古希を迎えれば自動的に会員になることを知った。
 その時 自分の得度の時へタイムスリップ、当時と比べ変わったのは、体力の衰え、その分 気力は前より強まった?・・・・・・。
 自分の気持ちを正直に出そうとすれば、なぜか”愚痴”になる。判ってはいるが これも”つもり違い”なのだろう。愚痴の意味には大きく分けて二つある。一つは≪言ってもしかたがないことを嘆くこと≫、もう一つは≪物事を正しく認識したり判断したりできないこと≫、この両方を 無意識に使い分けているようだ。これは仏教の三毒・・貪瞋痴・・にあたる。意味は・・貪り・怒り・愚かさ・・だ。いつも朝の勤行で唱える「懺悔の文」に書かれてある。仏の身口意の行為を三密と謂い、人間の場合は三業と謂う、この両者を無相と有相(うそう)に分け、そこに”瑜伽(ゆが)”行を加えれば真言密教の教えと実践の基本となると・・・・。
 無性に 空海の歩んだ場所を遍路したくなった。 偶然、知人からのメールがあり、今 小豆島にいるらしい。

3646:愚痴と無知

 愚痴と無知、偏見と差別、この両者に通底するものがありますね。愚痴は≪言ってもしかたがないことを嘆くこと≫、 これが是なのか非なのか! 福祉は、現実の問題をどうすれば解決するかという先人達の思いが形になった”社会の鳥瞰図”、完璧ではないが、時間軸でみれば、常に変化し続ける処に柔軟な可能性は生れる。1981年の第2次臨調(臨時行政調査会)のトップを務めた土光敏夫氏は自ら質素な生活を旨とし、有言実行を弁えた財界人、氏と関わりの有った人達によれば決してハシゴを外されることが無かったという。当時 国の借金は80兆円で財政破綻寸前であった。そこに民間人から選らばれた土光が先頭になり引っ張った。今、国の借金は1200兆円に膨れ上がり、それへの対応が見えにくい。覚悟と行動力を備えたリーダーの不在と組織の弱体。
 今の日本で政治に対し、苦言を呈するものが いるのかいないのか? トップを変えれば済むという流れは層をなし固定する、上から下に右から左へと伝搬し誰一人責任をとるモノがいなくなる。ホラみたことか、これは悪夢か現実か!
 ならばどうする!先ず隗より始めよ。細やかな事かも知れないが 足下環境の美化、それには 無駄を省くこと、ムダ多ければ必ず乱れる。この哲理は今もって健在だ、けれども無駄をムダと判らないのでは仕様がない。謂われれば行うということでは やらないよりマシとは思わない。一時の雨宿りにはなるかも知れぬが 雨降って地固まるとはなり得ない。ぬるま湯と無関心は いつまでもぬるま湯では有り得ない。無関心ではられない
 この精神的風土を正常の姿に戻すには、誰かが範を示しやらねばできない
  じゃ~どうすりゃ~いいんだよ・・・・・・。自分で考えよ。あのな~ 領収書が無くてすむような税金の使い道を今まで放置して、遅れを取り戻すなどと どうして謂えるのよ。  禅問答じゃ~あるまいし。(愚痴三昧語録)