源究202t202
  

NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日  NO  テーマ  月日 
 3551  共感力  4/23  3556  先人の声  5/7  3561  忘れてならない事  5/19  3566  やるべきこと  5/30
 3552  好日  4/28  3557  人流の展望  5/9  3562  希望 5/21  3567  懺悔  6/1
 3553  籠の鳥  4/30  3558  修己治人  5/12  3563  健気さ 5/24  3568  光陰矢の如し  6/3
 3554  皐月に思う  5/1  3559  ご破算で・・  5/15  3564  晴れのち雨  5/26  3569  核心  6/5
 3555  ほのぼの感  5/3  3560  勇断or愚断  5/17  3565  感動と挑戦  5/28  3570  学ぶ謙虚さ  6/6


3551:共感力

 共感力って どんなこと?? 絵詞作家の話・・・『児童文学は死を肯定してはいけないんだよね。絶望なんかは大人の話なんだよ。その代わり”やさしさ”が大切なんだね』 傘寿を越え、200冊以上の絵本を世に出した人のコトバはやさしさに満ちて説得力があった。
  『人間って苦しい時は 自分のことしか考えないんだよ・・・・・、特に子供の頃って 母親のやさしさが誰だって欲しいでしょう』。
  その方が語った”共感力”というコトバが重く感じた。
 一緒に感じ合える人がいることが 生きる力になる。皆 自分がそうされたかどうかは忘れているけれど、子供の頃、親に高い高いされたことだった・・・・
 共感の反対は、不信感や不満、反発そして高じれば憎しみになっていくと振り返る。
 福祉の原点(こころ)は当にそこにある。制度や設備があっても「共感」無くして何になる?その話を聴きながら 私は「やまゆり園事件」のことが頭をよぎった。私の思い過ごしなら良いのだけれど。 どうもこの国の社会福祉がいつの頃からか計算高く、見栄や世間体を気にしすぎるような気がする。内田麟太郎さんが6才の時 亡くなったお母さんからもらったものは、最後の最後まで生き続けるという事だという。父が再婚し その継母が 病に伏している時に自分に言った『ごめんね。』という一言で今までの反発が消えたと述懐した。。。80才を超え≪これからも絵本を書きつづけていきます≫というコトバで話を終えた。
【ナミダもユーモアもボクなんだ】NHKラジオ深夜便。
 
 理屈抜きに私は円環思考をとりたい。”今度 生まれて来るときには ・・・・こんな風にね!!” ”よく頑張った。凄いよ” 
 誰にも 生きた証は あります。それは 自分自身の中にと 随縁人の思い出の中に・・・・。一緒に暮らした時間が 積み上げられていく。。。。 それは 突然の別れで終わる。
 ”〇ちゃん 死んじゃったの?・・・・どこに 行ったの?・・・・” Nさんが尋ねて来ました。 スタッフに促され 彼女は〇ちゃんの物まねをやって見せてくれた。そのあと また 同じ質問をされました。
 本当は 知っているんじゃ~ないだろうか?と思う。彼女は〇ちゃんと一緒に暮らした時間が長い。いつも問われても 曖昧な事しか言えない自分の無力さは 私の言い訳でしかない、現実は 有り続けている。
 共感→ それは人それぞれ、意識して出来ることではないと思います。つくろう事はできるかもしれないけれど 直ぐに相手に察知されてしまう。そう成らないように 人は”やさしさ”を与えられたんだと思いますね。

3552:好日
コロナ対策・・・お願い

 ・・・上見れば およばぬことの多かりき 下みてくらす これ好日・・・
 これは”小欲知足”の考えに通ずる。だが待てよ! これだと 経済が回らない、世界との競争に負けるじゃないか・・・・・こうやって 走り続けて どうなりましたか? その答えは ない。いや 出来ないでしょう! おそらく ハッキリした根拠がなく、周りがそう言っているから 自分も・・・・この類ですよね。頭の句で”上見れば”って言うのは より高くより多くより速くなんだわな  それで思い通りの結果が獲られましたか。今に始まった訳ではありませんよ。釈迦の生まれた時代にその警鐘は既にあったのです。諸説あって釈迦誕生をBC463年としても 2400年の昔です~!最近まで 「自国第一」を公約し国境に新たな高い塀を築き、”人流”を止めようとした方がおりました。情報社会が進み、それでどうなりましたか? サーバー攻撃、フェークニュース・・・・隠蔽、これを 貴方はどうみますかね。正直!”高望み”&”およばぬこと”では無かったでしょうか。
 オルテガが100年前に自著『大衆の反逆』で、警鐘を鳴らした状況に まっしぐらに進んでいるように思ってしまう。誰一人として その速度を遅くすることもできず 傍観するのみ。
 視座を変え日本の足元を見てみよう。コロナ禍の中 3人の国会議員の補選と名古屋市長選があり、与党推薦候補が全敗する結果となった。正直 国民の意識の変化なのかどうかは判らない。投票率は 依然として下がった儘”低空飛行”、これが今のこの国の実態だとしたら 最早 どのような医術を施こそうとしても効果は望めないのではないか!。、

 ★「真の問題とは、大衆人のうちに はっきり現れ出た無(没)道徳性であることがわかる。これは不道徳あるいは非道徳よりもはるかに恐ろしい。なぜならそれは生を内部から蚕食(さんしょく)する病だからである。」(上掲本p22)
 
 自由の下で倒錯した欲望が増殖する中で、仮初めの正義が罷り通る。目的を見失い 放浪する様は、我々が生きる社会がオルテガが予測した通りになろうとしている? 不図 そんなことを考えた。『大衆の反逆』を再読し、オルテガの徹底した攻撃は、≪無道徳性≫≪(慢心した坊ちゃん)≫の時代というコトバによって 気付かれないように それも執拗に試みられた・・・・・。
  現代の道徳性をの三つに分類し その中で最悪の結末が道徳性と断言する。そうなった原因は≪慢心した坊ちゃんの時代≫(p118~)が長く続いたことによるからだろうか。モノの豊かな時代に育ち、自由・義務・権利を曲解し それを恥じらいもなく自信気に公言してやまない。それは 今の子供たちというより、その親、祖父母の時代から既に始まっているとみる。確かに その先見性と洞察力には 驚くばかり。信義無き政治家の言動、彼らの責任の取り方一つとっても否定はできまい。正義や道徳を論ずるまでも無い。現代社会は IT技術への偏重に何の疑いも無く その開発に無我夢中 それをどう活用するかについては 出たとこ勝負、それを使う人間が善悪、偽善の判断力欠落の時代において ・・・・勿論 法律もそうだ。政治とカネ、同じ過ちを凝りもせず繰り返す、まさに政治家そのものが≪甘やかされた≫時代の寵児(?)ではないのか! 日々是好日 これをいかに築造するか?勿論 ご都合主義では困る。そして  格差の拡大は許容範囲を何度も書き直す。 
 ★ 一年間の日本の「食品ロス」(食べられるモノで破棄される)612万トン。(農林水産省:平成29年推計数値)

3553:籠の鳥

 籠の鳥は自由を束縛される代わりに エサを獲る苦労は免れる・・・・・ 。それは飼い主が食べ物を持ってきてくれるからですよ。 ”慣れ”というものがどんな結果を生むかを考えてみた。実は綱渡り、一本の綱の上を歩く様で、踏み間違えて奈落の底、ああ  縁起でもない、想像したくもないとお考えでしょうか。今 私達の社会が置かれている状況が当に そうだと言えば 貴方はハッキリ”有り得ない”と反対できますか。エビデンス&根拠???言葉はどうでも言い訳!もう沢山です、それより現実を直視することです。習慣病は 長い間続けてきた慣れの結果健康を崩した疾患の総称です。でも 本当のリスクは、そうでは無いと思います。食べるものが無くなったら どうですか?そうです食べ物飲み物が手に入らなくなった時です。 日本が戦争で焼け野原になって飢えに苦しんだ体験を本気で語り継ぐことを この国はタブー視してきたのではなかったでしょうか?時間は止まりません。もう直に戦争を経験した人達が亡くなって居なくなります。
 そして 慢心した坊ちゃんの時代になる!(オルテガ) 言動の軽さ、約束を簡単に反故しても居座り続ける、そして胸に付けた肩書(バッジ)の威厳が消えていく。
 日本とイギリスを比べ 共通するのは”島国”、違いは 日本の生物の種類の多さなそうです。恵まれた自然環境の中で育った私たちが 果たして 恵みを享受しながら 感謝を忘れていないでしょうか?
 ワクチンの手配の遅れ・中途半端な自粛要請・・・・これは二国の真逆の実態をあらわしています。これはどうしてでしょうね?
 記憶は薄れますが、 最初の非常事態宣言の発出の時に 問題になったのは その当日に行われた あの人たちの会食(?)だったんじゃないですか。 これも慢心と同じ習慣病の類ですよ・・・・・。
   
 
  もっとも恐ろしい病とは内部から蚕食する病でオルテガが警鐘した無道徳社会です。 誰が考えてもオカシイと感じることを どうして繰り返すのでしょうか。これが 今の日本の特殊性、 その自覚症状がないから、治療方法・特効薬がみつからない。
 前兆はあったと思います。忖度・改ざん・記憶障害・・・など 手遅れになる前に 何らかの手立てをすれば まだ良かったかもしれない。

 ワクチンの確保の目鼻がついた?と思ったら、今度は接種する人の手配ができない・・・・・・。これもまた、お願いレベルの話なんですか?  こうなることを 1年前に判ったはずではないのでしょうか?何が重要か 相変わらず同じお願をしているだけではないでしょうか?もっと政治がリーダーシップを発揮し 疑問が 明らかになるよう説明してください。 この国の危機管理は 本当に大丈夫なのでしょうか?今の儘では先進国なる看板は降ろさねばならない。、そして根本から直し出直すしか ダメでしょう。これこそが 国民の為ではないのですか?
 他国から謙虚に学び 早急に実行に移すべきなんですね。 医療現場の皆さんの必死な努力を 無駄にしないことを願うばかりです。  

3554:皐月に思う

 季節の挨拶、「青葉繁れる好時節を迎え・・・・」の5月(皐月)になりました。目に鮮やかな新緑は早朝が最も美しい、でも心中は今にも降り出しそうな曇天模様ではないですか。
 このチグハグ差は あらゆる処に蔓延し、今まで積み上げてきたことを根こそぎ潰していくように感じます。
 『まん延防止等重点措置』について、『新型インフルエンザ等対策特別措置法』の改定によって 出来たのですよね。しかし、その中身と実態は正直判らない。蔓延防止で良いはずなのに、何故 まん延としたのか気になり調べてみたら≪蔓≫という字が法文に使える常用漢字外だかららしい。以前から法律名称が長いということを疑問に思っていました。その為でしょう、略称で「マンボウ」を使ったら評判が悪く、長い儘で使っているようです。恐らく 法律をつくる段階で”喧々諤々”たる意見があったと思いますが その労を素直に取れないのです。法律は何の為&誰の為に有るのでしょうか? この疑問が常に残ります。
 これにどれだけの労力と経費を費しているか? 先ず有事か平時か?  今 最優先すべき事が後回しになっているという印象は是正できてないようです。
 昨晩のニュース番組で 関空にワクチンが届いたとの報道があり 期待が膨らみました。 問題はその後です、 日本で未だそのワクチン使用承認がなされていないという。ナニそれ!!私たちは 一体 何を信じたら良いのでしょう。
 
 ・・・つもり違い 重ね歩んだ 遍路路・・・・・・・先 見れば バタバタすること多かりき 今 見て暮らす これ佳日????・・・
 我が人生 そのものです。 身を低く 地に足を付け、この難局から脱する術として 小事は大事 大事は小事。

 田植えの時期になりました。”代搔き”(しろかき)する農家の人達の姿を見ていて 時代の変化を感じました。早起きし オニギリ握って 用意した食べ物を田んぼの畔道で車座になって食べる昔の姿は消えました。大型田植え機であっという間に 田植えを終え 次の場所に移っていく。
 政(まつりごと)で国民の為ということは あえて強調する事ではないと私は思います。当たり前のことだからです。
 此処に オルテガのいう 道徳を反・非・無の三つの区分し 無道徳が最も恐ろしいという深意をみる。”道徳”と言う字を”常識”に変えて見ればどうでしょう! (ナマグサ皐月の独り言です。)

3555:ほのぼの感

 暦をめくる早さを感じるようになったのを 歳の所為にはしたくありません。大型連休の過ごし方 今までとは大分違うのではないでしょうか? 特に今年は、曜日観が無いのです。≪今日は 何曜日だったかな~?≫と。
 暫くは 忍耐が必要かと思って諦めます。
 そんな中で唯一救われる気持ちになるのは他の生き物達の姿からではないでしょうか。 愛くるしい姿をみると”ほのぼの”とした気持ちになります。私は猫が好きですから どうしても我が家のミイと比べてしまいますが コロナ禍とは関係なく、いつもの様に日向で居眠りしたり ジャレたりしています。
 今年は 特に関心が高いオリンピック開催を間近に控えていますから、中止か開催か?? どっちにしても 批判は避けられません。この判断は記憶にない、聴いていない・・・は通じません。開催国としての 安全確保は果たして出来るのでしょうか? 素朴な疑問です。世界から踏み絵を課せられたというのは言い過ぎでしょうか?
 渋沢栄一の『論語と算盤』にそのヒントが在る様に思います。ルールが有って無きような状況で 算盤勘定することを強く戒めています。(理想と迷信) 特に国家として 弁えないと諸外国から相手にされなくなるかもしれない。 私利私欲を排した無私のリーダーが不可欠なんです。 時・・既に遅しの感は否めまい。 
 
 
オルテガと渋沢は生きた時代は重なる(1883~1931)、世の中には過去から学ぶことを良く思わない人もいますが、二人は激動の時代を生き、後世に大きな影響を遺したのです。今日のように、世界が大きな節目を迎えている時、 それとどう向き合っていけば良いのか?が最大の課題になってる訳です。 仮に 二人が今 いたら 何というか・・・・・。人の流れが大きく変化し、洋の東西の差がハッキリとしなくなった。するとどうでしょう?人類共通の問題に焦点があたるようになりました。人の流れは もう変えようがない。 人間が良かれと考えて行ってきたことです。その検証を今こそやらねばならないでしょうね。パンデミックという言葉で最初に浮かんだのは、”ペスト”や”スペイン風邪”だった。そのスペイン風邪を二人は経験しているのです。
 情報時代と謂われる中で どれだけ大切な事が我々に届いているか?過去から学ぶということは”調和力””共生力”それと”判断力”だと思うのです。
私達が日本語の”ほのぼの””いきいき””ヤレヤレ””そもそも””だいたい””ケラケラ””人々””益々”・・・・・これらを【畳語(じゅうご)】というそうですが、そこから、どんな事を感じるか????

3556:先人の声
・・・新たな価値づくり・・・

 私がおこなった草刈りの跡を隣の畑と比べると、 同じ乗用型草刈り機を使っても、隣は端から整然と刈られ出来栄えが良い。
私は、目につく場所から先にやるから 刈った跡をみれば直ぐわかる、ニワトリには悪いが 貴方と同じで散らかしっぱなしと・・・それで後から手直しするから推して知るべし。二重手間。
 隣は何も作っていないサッカー場のような畑だもの。此方は 前の地主さんからの栗畑で老木も多くなり、枯れる割合が増えた、その場所に、新たに苗木を植えたから栗の木の背丈は不揃い、手を抜いて 枝の剪定もしてこなかったから自然のままの栗林。
 失敗を恐れるな!?・・・・・負けず嫌い、思い立ったら躊躇せず。 これが間違いのもと 自然に対してゴマカシは効かない、近所の農業のプロの方に教えてもらえば 次なる手立てが判る。
 天から お前は甘いな~! の声がいつも聴こえてくるのだけれど仲間たちの仕事をつくりたいとの淡い望を捨てきれず・・・・
  ついでだから自己決定支援に日頃感じていること。こうありたい こうあるべきだ・・・!の議論はするが 肝心な”選択肢”がないならば 何の為 誰の為  シューベルトの『交響曲第8ロ短調』・・・だ!、 
何を 藪から棒にと・・・・・『未完成』ゆえに 望み在り  悪しからず すべからく。
 
私の知る 先人達は何もない所から始まった。失敗を恐れるならばやらない方がマシだと思っている人達ばかり。今は 随分と様変わり。いろんな社会保障の仕組みが整備され、ご丁寧な手引き書も付いて、必要ならば 軌道にのるまでサポートもする。
 至れり尽くせり、有償無償の違いはあるが この半世紀で 日本の社会福祉事業も急拡大して競合する時代となった。目的は同じ(?)でも 辿る道が違う。  ベンチャーか?懐古主義か???或は 儲け主義か??
  コロナ禍によって これから先の日本の進むべき道が問われている。現在の人口1億2千6百万人は300年前(1721年)は約3,100万人、約4分の1だった。 分母と分子 割ってどうなのか?
 分母が増えて 格差拡がる、それを防ぐための施策を考えるのが政治の役目・・・・・推奨か抑止か!そのジレンマには 従来から良く使われた先送りはNOなるものが増えている!
  消費と生産が経済のイロハとかの耳学問、欲求を満たすために財・サービスを消耗させることを受け入れる。 実際には その中身が いつの時代も不透明? 敢えて捜せば、この国で判りやすいのは、唯一 渋沢栄一の生きた時代、幕末から鎖国を止めて世界に開港した一世一元の明治の世、近代化という国家としてハッキリした目標があった時。その渋沢は当時の三大財閥と一線を画し ・・・「わたしがもし一身一家の富を積もうと考えたら、三井や岩崎にも負けなかったろうよ。これは負け惜しみではない」と語った・・・まさに大義を 有言実行した、私心なき行動力の人、見えや外聞ではできないことだった。 その渋沢がいなかったら 随分と違う日本になっていたかもしれないといわれる所以がここにある。
 あれから100年経過・・・・私心と個の尊厳の混成の中、チグハグサと何でもありが紙一重。はたまた権利と義務を勘違う。憲法改正???を叫ぶなら 自戒と自省が先ず先ではないだろうか。
☆ ≪青年時代に身につけた悪い習慣でさえ、老後の今日になって、努力すれば改められるものなのだ。≫は、  渋沢翁のことば。
  老害か?惜しまれるか?を見極めできぬ慢心した坊ちゃんへ 願わくば、時時 口をはさむのだけは止めてもらいたい。ナマグサの独り言。

3557:人流の展望

 冷静にとは 一体どういう事なのか? 恐らく 今の状況で 明言するのは難しい。 3密の判断も曖昧で私達はどうすれば良いのか迷う日々  これで本当に大丈夫なの? 疑心暗鬼は 益々強まっていく。
 だってそうじゃないですか、人流? 日本の地方都市は とっくの昔から人影は消えてしまっています。一向に過疎化を止めることができず、殺伐とした光景に慣れてしまった。
 大都市周辺に移り住む人の流れだけは 年々増加、 加速し、世界有数の通勤ラッシュは 当に蟻の行列の態、国策としてトンネルを掘り、三層になっている高速道路まで 造って 今に至ったわけです。ハッキリ言って コロナウイルスに その隙を狙われた。危機管理の弱さが暴かれ 焦っても 後のまつり・・・・タイムラグは縮まらず そんな事由をも自分達の責任逃れに 利用する感は否めない。
伺いますが 冷静にとは 現状をそのまま ジッと耐えて(自粛)待つことなのでしょうか? 今の自由市場経済下で 人流をどれだけ抑えられると考えているのでしょう? 貴方たちが内外に経済を誇った時代は 既に過去のことだと潔く認めるべきで 奢ることなかれ謙虚に学ぶことが大事かと思いますよ。辻褄合わせで 自分達に都合の良い数字だけを選び、現実を直視しない、これこそがこの国の真の病巣で今に始まったのでなく 徐々にいたる処に転移拡大したと言う事でしょう。 どうすれば良いと想いますか 国民のための政治ですか 勿論 独りよがりでなく ・・・?
 1日100万人のワクチン接種を公にした、これって貴方の願望ですか? それとも・・・・・・ 信じても大丈夫ですか? 確と見極めたい。
 私達一人ひとりがぬるま湯に長いこと浸かっていたかもしれません、公約を反故されても、虐(しいた)げられても 只管 我慢した、そして気がつけば 自分達が権利を主張すれど義務を果たさないようになったかもしれません。ポストコロナの未来図は 少なくとも脱・低投票率の条件抜きには描けないと気付くべきなのです・・・・・
 契約では入札時に予定価格が設定され、それに達していなければ無効となって やり直すしかありません。日本の選挙制度もそれと同じです。最低投票率を定め、そこに達しなければ無効とすべきです。そうしなければ本来の民主主義の姿に戻れることはありえないと思いますよ。
 
 展望の意味は、広く遠くまで見渡すことです。日本人は ギリギリという言葉をよく使いたがる?例えば・・・譲歩できるのは ギリギリそこまでだ・・・と。既にいっぱいで、それ以上余地がない時です。 文字にすると何故か漢字が使われない。漢字では「限り限り」(ぎりぎり)と書く、カタカナとは受ける切迫感が違います。この差が判断ミスに繫がるかもしれません。有事の時は尚更です。昨日のBS討論番組、与党の議員から 前日の総理の記者会見での”一日100万人のワクチン接種の話”で、『目標』という言葉が強調されていました。私の聴き違いか、菅総理が言い切ったことはメモしました。忘れない様に。
  その翌日 民放BS番組で出演していた自民党議員が答えた・・・・100万人接種を目標に・・・・という言葉に語気が強まった。これもメモした。忘れないために。 、
しつこい様だが「やります」と「目標としてやります」では違うでしょう。 今までに言い訳や謂った言わない、記憶にないにどれだけ国民が翻弄させられてきたことか・・・・。
もう 限り限り です。
   小事は大事に変異する。  日本語は、見方を変えれば 真逆の意となる、でも 信頼は それとは次元を異にします。

3558:修己治人

 倫理を学んでいる高校生が質問した。「修己治人」と「修己安人」はどう違うのでしょうか? ネット上での回答、≪自分で修養して徳を積み、世(人)を収めていくこと、人を安心させること、両方とも儒教の根本思想で同じ意味です。≫がベストアンサーだった。
 議論すれど 意味不明、なぜかズレて噛み合わない。あたかも口語体と文語体の議論のよう?もっと判りやすくならないか、ハッキリ自らの言葉で相手を見て説明して欲しい。これは リーダーの条件、、言葉の信憑性は、結果を出して 真価がうまれる。判り切った話です、 ”つっけんどん”な口調では 周りを不愉快にするだけですね。
    纏まる話も纏まらない 後味の悪さだけが残ります。
  国の為というのであれば 己がどうすることか 当然 判っているはず、ならば 堂々と情熱をもって自らの思いを語らねば、他人には通じませんね。 いま 誰だって一生懸命生きているのですから。
  日本の教育で”倫理教育”の重要性が問われています、人の倫(道)を 子供たちにどう教え伝えるか!です。知識偏重になり過ぎて、そこが疎かになっていた反省でしょうが 大人達が範を示さず、示せずでは この国の先が不安になる。 
  戯評や揶揄で 子供は育たないと思いませんか?「修己」が基本でパッションで引っ張る そんなリーダーを皆さんが待ち望んでいるのです!
 
 なんだろう? 一向に減らなかった不法投棄が 減った! 私の愛車は 中古の軽トラです。 使い勝手抜群。余計なものは 何もない。荷台に載せたゴミ袋に入りきらない大型ゴミ、それを纏めて捨ててきた。それでもポイ捨ては止まらない・・・・。市から貰った不法投棄への警告板を2本立てたが、翌日 その立て札の脇にゴミを捨てた人がいる。5年ぐらい”根競べ”を続けてきました。気付いた事がある。綺麗になった場所にはゴミを捨てないこと、この確率は高い。良心か罪悪感か???
 自分達でベンチを作り ”無茶処”の看板を立て、休む場所を設置した。 その周辺にもゴミを捨てる人はいなかった。
 だが安心は禁物で、掃除の手を抜くと 徐々にゴミが増え始める。外用トイレもしかり だから 毎日 掃除を欠かせない。
 世に不正行為が蔓延るのも その事由は類似する。 皆がやるから・・ 知られなければ ・・・俺一人ぐらいなら・・・大丈夫! 日本は嘗ては 自然豊かで 安全と 魅力度が最高レベルの国だった。今 どうなのか?自然災害の多さは突出し 不正に壁はない。国の骨幹までまん延し 機能マヒ、その対策に難があり、特効薬が見つからず重症化。世界の中で のニッポンの評価は 下降線。くさいものに蓋が罷り通っているからか?  不法投棄が無くならず、その実態が暴露されても 相も変わらずの三途の業作り 豊かさ・自由・平和の看板 何本立てたら気がすむのだろうか。 【修己治人】を高校生と一緒に  一から学ぶべし、先人の遺徳を食いつぶすのは 大人のすることか! 熟考し 懺悔せよ。(先人の怒りです

3559:ご破算で・・

 得るもの有れば 失うもの有り。所詮 この世は 根無し草。  失って 判ることに 人の情けがありましょうか、得て 失うものに 信用か? ご破算で願いまして・・・・と 得意な計算づくで やってはみたが 残高は マイナス続き。気付くのが遅かった?
 今日、自分達で精神内容・・・意見、規範、願望、自負・・・の決算書をつくったとしたら どうなるでしょうか? 環境悪化も然り、やればやる程、負の資産は積みあがる。
 根無し草は 浮き草に同じ、しっかりした拠り所をもたないことの例えです。
 不条理な事が絶えたことがありません。イスラエルとパレスチナの紛争は コロナ禍の中で再び激化している。コロナ感染と闘っている最中に、ロケット弾の無差別攻撃・・・・に双方で耐えている。
 この愚行は一向に改善されず、言葉を失う。地球上に人間が増え過ぎた結果だろうか、何が真実で なにが欺瞞かさえ 判らない。現時点で謂えるのはコロナ以上に大きな恐怖は 人間の欲望だということになりませんか。

 『・・・まるで 嘘のように見えるかもしれないが、青春はゆすりになってしまった。じっさい、われわれは普遍的なゆすりの時代に生きているのである・・・・』(『大衆の反逆』オルテガ:寺田和夫訳。p252)
 
 オルテガの生きた時代から100年経過しました。にも拘らず 今日 彼の予測した通りに世の中がなってきた。何故だろうか? 
 今朝の深夜便で写真家の長倉洋海氏の話を聴いた。「差別が何故無くならないかと考えていたんですが それは”嫉妬”だと思います。・・・」 世界の紛争地に単独で入り 長い間、写真を撮り続けてきた氏の話は 偽りのない、新鮮さを感じました。
 「 中央アメリカの小国エルサルバドルでみた子供たち、彼らは・・人のせいにしない・・・、それは 今日を生きる僅かな収入を得るために必死に働かなければならないからです」と語る。 そして、その子供たちの姿に逞しさを感じたというのです。
 豊かさや貧しさで計れない大切な事に私たちは目を背けて来たかもしれません。
 今 溢れかえるモノを豊かさと錯覚し、食べ物&飲み物を 摂りすぎ、便利に成って逆に体を動かさない、これが この国の医療費アップに貢献?しているのかもしれません。 日本は もう自画自賛の先進国という名を返却し一から出直さなければ  今以上に子供たちに負の遺産を遺しますよ。 その現証は 毎日 更新されて紙面を飾る。
 箍(たが)を締め忘れたか? 自分の良いようにモノゴトを解釈することに長じ、 国民の血税によって アヤマチを繕ってくれる下部まで侍らせる。 それゆえか 情熱が薄れ、眼が虚ろい、どこを見て話をしているのか判らない。
 その後ろめたさを少しは感じているのか 謝罪会見は幾度も開くが かえって 火に油を注ぐこととなっている。いい加減に”ご破算願ったらいかがでしょうか!

3560:勇断or愚断

 優柔不断と優游不断は同じ意味らしい、勇断と愚断は反意語、いずれも己自身の自己分析ではなく 周りの評価ですよ。それにしても 勇断に越したことはない。英断となれば 尚更良く 結果が付いて確信となる。
 そうであっても 道を誤れば驕慢(きょうまん)を生じる。
 前掲した 人のせいにしない というエルサルバドルの子たちを見て、日本の子供達が 現実をどう見ているか、おそらく 日本では その類の調査はされていないと思います。文字や言葉で理解できる事ではないし、実際に体験が無ければ 判らないのも至極当然なこと。逞しさは 自分で生き抜く力ですね、それを学びどう身につけていくのか その辺りは どうなんでしょう。
 「人のせいにしない」ことと≪ありがとう≫≪すみません≫の言葉には どこか通じる処があります。それは≪感謝≫と≪内省≫となりますが さ~て どうでしょう。理屈でなく、すじ道の通った生き様としてですよ。
 
  ☆ 無いもの強請(ねだ)り  時間だけが虚しく過ぎる 大人がダメなら 子供に学べ ☆  (ナマグサ独言)
 
 同じ島国でニュージーランドは 私が一番訪れてみたい国、コロナ感染を上手に防いで、普段の生活が現在も出来ているという。ただし、肝心な対策には抜かりない。世界で始めて女性参政権を認めた国(1893年)、現在の第40代アーダーン首相は40才の女性です、37才で 世界で最年少の女性首相となった。ニュージーランドは南極に2600キロと最も南にある国、隣国との問題が山積する日本とは別世界、実に魅力ある国です。
 人間の幸せって何だろう? 本当の豊かさってどんなこと?・・・・。 そのまま真似ることは出来なくても 何らかのヒントを頂くことはできないだろうか?
 袋小路に迷い込んだ子羊が いま 一番必要としていることはなんですか、・・・・。自戒を持ち、律儀にこの国の未来図を描くリーダーと共に、その礎を築くことでしょう。それには 先ず 政体を見直すことが前提、今の二院制と議員数、それぞれの役割が見えなくなって本来の民主主義からかなりズレてしまった。これを変えるには 今までの形態では国が持たない。いがみ合って責任の擦り合い、それも結果として時間稼ぎ?でしかない。議論する前から数の論理で結論ありき、そんなことしている場合じゃなく 未来を託す子供たちに節度と希望をもってもらうような国造りを今 しなくて いつやるつもりですか。 これこそ国民投票で決するべきでしょう。勇断を期待する。
 

3561:忘れてならぬ事

 あれから どの位時間が経ったでしょう。”○○マスク”を国が配った時、他国に先駆け 英断だと思った訳でしょうか?  その費用対効果はどうだっただろう?配布されたマスクが実際にどれだけの人に使われたか?その調査は多分行われてはいないでしょう。今、専門者会議が頻回に行われている。エビデンスを重要視するならば、 現在の”ワクチン接種者数”をどう政府が説明しますか? 国民の関心は その一点に有りますよ。リアルタイムで 世界のワクチン接種状況がネットで判るのは 勿論ご存知だと思う。M(メガ)とK(キロ)、数字を示す表示、日本はKで他の主要な国はMです、”1000”(10の3乗)千単位が日本で”1000000”(10の6乗)百万単位が外国(G7)です。この歴然とした接種実績の差を・・・・ワクチンが届かないから・・・・という理由で説明する。
 じゃ~ だれが それをやるんですか と伺いたい。途中で担当大臣になった方も大変だ。国と地方、互いの責任なすりあい? 非常事態は当に戦争です。
 忘れてならない事は エビデンスに表れない部分ですよね。マスク配布で曖昧にされた発注の実態・・・・、森友学園問題と公職選挙法違反等々は根っ子は同じ、自由と平和を叫ぶ割に 自分達のやっていることがどうなのか は無分別、今使っている”曲尺(かねじゃく)”がオカシイとは 思いませんか?
 
 時間と共に、私達は 良いことも悪いことも記憶が薄れる。ウイルスは 時間がたっても消えて無くならず、変異を繰り返しながら生き続けます。これが自然の摂理でしょう。
  忘れてならない事は、疫病によって 栄華を極めた国が崩壊した史実は少なくはないということ。一連托生は≪最後まで行動や運命をともにする≫こと、理由に関わらず役目半ばで辞任し、次なる人に託すこともあるでしょう! 退いた方が 後から何やかんやと口を挟むのは、日本人として慎むべきことと昔人の人倫の教えにあったはず。
 それだって 都合により 忘れた事になるかもしれぬ。ここで 忘れてならぬのは、公と私の無分別。
 ・・・・「分別みだりに起こりて、得失止む時なし」・・・・(徒然草第75段 つれづれわぶる人) わぶる人の語意は することもなく退屈な人

3562:希望

 ≪生きている限り生きぬきたい≫という言葉をよく色紙に書いたという映画監督の新藤兼人さん、天寿100歳(1912~2012)だったそうです。天寿とは天から授かった寿命、生き抜くということが どういう事か判っているようで実は判らないものです。
  人それぞれ、希望を持ち続け生きることが 生き抜くことに通じるのだろうか。私は真の生の核心を此処にみる。渋沢翁が語った「老後の今日になって、努力すれば改められるものなのだ」にも同様の思いを感じる。
 80歳で亡くなったFさんの葬儀が家族の希望で身内だけで行われます。私どもの仲間で最高齢者でした。
 私と顔を合わせた時は、決まって今日は泊まるのかという手の動作で確かめられた。≪違うんだよ≫と答えると「な~んだ」と謂って 去っていく。スタッフに対しても 同じ様にされてたというから 私達に対する彼の”気配り”だったのかも知れません。その行為には 彼のいろんな思いが含まれている。あの時こんな風にしてたな~と振り返ると 辻褄が合ってくる。剽軽で人懐っこい人柄は、どれほど周りを和ませてくれたか判らない。
 持って生まれた剛健な体で 大きな病気をすることも無く 元気に過ごされていたが 最近体調を崩され 入院先で亡くなりました。今日 ご両親の眠る実家の墓地に埋葬される。
 福祉の原点は、≪生きている限り生きぬきたい≫という誰しもの願い、に見えてくる。 それを私達に教えてくれたFさんに・・・ありがとう・・・と言いたいのです。ご冥福を祈って。
 
 
 世界人口の推計が国連によって発表されています。1800年~2100年の300年間で高・中・低の値は、1800年を起点(約10億人)として2100年には140億(高)~90億(中)~55億(低)という3本の異なる曲線で表わされています。
 地球規模で起こる恐慌、疫病、自然災害等々・・・様々な要因によって その予想曲線が変わるのでしょうが、それへの準備は 今回のコロナ騒ぎでいずれの国も不十分なことが実証されてしまった。歴史は繰り返されると謂ったのは どなたの言葉だったでしょうか ??
 100年後の今を≪押し流される時代≫と予想したのはオルテガでした。スペインの哲学者、スペインやポルトガルは嘗て世界各地に植民地を破竹の勢いで拡大し、一世を風靡した国であった。それ以前、 それ以後も 世界の覇権を握ろうとする国は出てきます。このことは 歴史は繰り返すという裏付けで コロナウイルスの拡大と酷似している。変異を繰り返し、より強い力を獲て生き延びようとするからです。
 ”原点回帰”は、いつの時代も言うは易しで実行が伴わない。様々な事由を創造し、自らの正当性を訴える。ここは”ウイルス”とは大きく違う点だと思います。
 一方 人間の中にも 時代に押し流されず 頑なに何かを 守り続けようとする人達を 何人も知っている。その人達こそ 混沌とした今の世に 光を発していると感じませんか! 欲得ではなく自らの思いを大切に守り続ける”健気さ”だと思います。私達が試されてることは 彼らが発する光を感じ取れるか否かではないでしょうか! 追悼の言葉に代えて。
 

3563:健気さ

 ”健気さ”を感じることが 少なくなってきたように思います。  病弱な両親を助けて働く 子供たちや  少ない食べ物を半分に分けあって食べる兄弟・・・このような【健気さ】が社会から消えてきた? それを一様に豊かになったからと信じている。戦後”豊かな国”を目指した日本、私達が望んだようになったでしょうか?時の流れか 熱き想いはいつの間に薄れ、逆に今まで埋もれ 知られすにいたものが ここにきて一気に噴き出し、様々な問題が 誰しも自分の身に迫ってきたように感じていませんか。 これも 時勢に押し流される時代の一環ということですか?他人事じゃ~無く、腰を据えて良く考えてみるべきでしょう。揃いに揃って都合悪い事に対し目を背けてきたのでは無かったでしょうか。  流れに乗り遅れまいと必死に藻搔き働いた過去。結局、得体知れずの豊かさに踊らされ、気が付けば 想定しなかった現実に茫然自失 ・・・・。 ”世渡り上手”は”根無し草”と紙一重、拠り所を探し求め彷徨うことで一生を終える。・・・やもしれないとの不安が増す・・・・。
偏見だろうが身につけた処世術も 人に知られなければ 構わない。運悪く 見つかったら 誤れば済む。 、この状況があらゆる処、特に国の大事を司る中央機関にまん延していないだろうか。権力を獲たものが自らの出処進退の決断ができないとなれば、その後遺症かもしれない。
治療は難しい!昨今 惜しまれ辞めていった人の数を考えれば 皆無に近い、言い過ぎでしょうか!
昔人は謂った【健気】は【毅然】と同義で責任ある地位に在る者の取るべき態度。それと、幼く力の弱いものが、困難な状況において立派に振舞うさまの意味がある。
まさか両者まとめて   ガラガラポン とは いかんでしょう。
 
 皆で渡れば怖くない・・・ 今日の社会では 通じないルールです、・・・・そこを 頑なに 守り続ける業界(?)がある。一先に浮かぶのは、政治の仕組み、数の論理が基本、戦後、一貫して日本が取ってきた制度、その実態は本来の姿とは大分ズレてしまい、益々 酷くなるばかりです。健気にも それをガマンしている日本人がいるからできている。その国民一人ひとりの血税を どのように使おうが構わないという政党交付金。今時そんなルールが許されているというのも問題。そのルールは誰が創ったのか もういい加減にして欲しい????? おそらく 業界の内部からは何も変わるまい。
 挙句の果てに 幹部の口から ”政党内部の事にとやかく謂わないでくれ!”とまで謂われては最早どうしようもない、その一部始終は 全国放送の電波で流れた。国民不在のこの類の傲慢さが なぜ生まれるのか? 謝罪も無く 国民の怒りをよそに”当たり前”な態度。
 謂った言わないのエビデンス 隠しカメラではかるのは ”末法の世”と化したエビデンス。(ナマグサ独言)
  

3564:晴れのち雨

 ・・・雨ふって地(じ)固まる・・・・・
 この種の例えは昨今は通じない。ザーザー雨になれば 地が固まるどころか 全てが流される。永田町界隈が俄かに騒がしくなった。”説明責任”をノラリクラリと避けてきたが、状況が変わって一転責任を認める。けれど どうだろう? 謂えば謂う程矛盾を突かれ、今回も おそらく 曖昧な形で幕引きか!
・・・身から出た錆(さび)・・・
 内閣官房参与の突然の辞職、熱りさめれば どうでしょう。  雲行きが怪しくなってきた、急遽 政権を担う事になり先手必勝を狙ったが、なぜか空回り、そもそも 前任者の突然の辞任がことの始まり。不協和音が生じ始めたというより、スタートの時からその火種はあった。
 国家の大事を前にして退く人達、理由はどうあれ 時間が出来たのだから孟子(人倫)の教えでも読み返されてはどうだろう! 順風満帆(?)華やかな人生を送った人の落とし穴、それは 自分が偉くなりすぎて ”視野狭窄”に罹ること。
 でも 貴方だけでは無いのです。  人間 誰しもが”老い”と向き合う中で、心身の衰えを感じながら、己の言動に責任を負って生きているのですよ。
  夢をもう一度なんかじゃ~なく、自らの歩んだ路を省みて その報いを受けしめることかもしれません。(密厳院懺悔ノ文)
 
  気温が上がり、日差しが強くなっています。依然として感染収束の見通しが立たず、人流を抑える要請も 思うようになりません。 ワクチン接種は どうでしょう? 運よく 予約が取れ接種が終わった方のホッとした様子が報道されています。接種現場は相当混乱しているようですが 皆さん 良く頑張っていらっしゃる。だが 情報が追い付かない。肝心の身近な情報のチグハグ差、≪住民が何を知りたいのか?≫ ≪なぜ できないのか?≫ の説明がない。これは 予め想定できた事だと思うのだが?対策の進んでいる外国の情報ばかりが目につき、日本全体が焦っている様に思えてしまう。
・・・二兎追うものは一兎も得ず・・・ 
 一度失った信頼は そう簡単に元には戻せない。それは 信頼が元にあればこそ、・・・・(真理&詭弁)
 科学万能まっしぐらの風潮に課せられた人智を超えた重課、いずれ 克服されるかもしれないが 更に 過酷な荷を負う事になるでしょう。(菩提樹下の悟り)

3565:感動と挑戦

 感動は心動く(強く印象を受け、こころ奪われる)ことでしょう。それも人それぞれ、決して同じものはない。同時 同場にあって 感じることは 人それぞれ違います・・・ 、 その感動を守り、その後の生き様にいかすことは難しい。だからこそ ”挑戦”する価値があると思う。先例を挙げれば、茨城県の名誉県民である横山大観(代表作:『無我』)は水戸学の影響を受けている。美術の世界で生き切った。それは渋沢栄一やオルテガと生きた時代が重なる.
この3人に共通しているのは信念の強さ、感動と挑戦が伴ってこそ実を結び、信頼を獲ることを教えてくれる、いくら美辞麗句を並べ 借り物で着飾っても・・・直ぐに見破られて誰からも相手にされなくなる。それも、その人の持っている素養、 最近はそうでないリーダーが増えたように思う。変幻自在で気骨が亜流。
≪願望思考≫で政(まつりごと)をする危うさは、一貫性の無さと思いつき、  今 直面しているような難局を乗り越えるには難が有る。
 都合悪くなれば『初めて経験することだから』との言い訳が増える。誰だって そう思いたくはありませんよ。判り切った弁解だ。今この時も 日本全国で頑張っておられる医療従事者の皆さんが自分達の組織トップの言動に振り回されないことを祈ります。
  辞めないで責任を果たすという事が 最近 多過ぎる。素養(たしなみ)で節度は大事、これも先哲から学ぶべき。
 
 ・・『 六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路(やみじ)なり。闇路に闇路を踏み添て、いつか生死を離るべき 』(白隠の「座禅和讃」)・・・
 これは 迷いの中を生々流転することを 闇から闇の中をわたっているようなもので、ここから抜け出るためには「無垢清浄の光」によって得られた智慧により闇路を照らすことしかないと謂っているのです。う~む!
声が出ません。【仏】愚痴は三毒の一。貪瞋痴の痴。
  今の私の心境を白状すれば悟境とは真逆で、愚痴三昧!仏祖の教えを何とする! そんな気持ちでいます。
 無垢清浄なる光を 私は仲間たちから感じます。どうして 彼らは 有りの儘の姿でいられるんでしょうか???? 偽りのない笑顔、やさしい眼差し、・・・日常のありふれた光景の中に 気が付けば どんなに癒され 助けられてきたか 実感します。
 おそらく 福祉の原点は この辺にあると思うのです。未だ確信は有りません。それは 己の行動が伴っているかいないか自問自答が続いていますから。
 ☆ 知らずに済むこと 無限大 掲げた共生 無偏無私 ☆ (ナマグサ独言抄)

3566:やるべきこと

 備えあれば憂いなし・・・・・万一の事が起こっても平生から準備していれば心配なし・・・・・それとは逆の意味で”取り越し苦労”というものもあります。こちらは杞憂(きゆう)が同義語、聴き慣れない二文字、いつものクセで、辞書の世話になった。・・周代(Bc1046年~Bc256年)、杞の国の人が、天が落ちては来ないかと心配したという故事からの出処。 天が落ちるということを 巨大隕石の落下と考えると納得できます。 儒教ではその西周が理想的な時代とされるというのです。 なんと キリストや釈迦の誕生より前の時代ですよ。 私達は、どうも目先の事に振り回され 何か大切なのかを見失っているように感じます。一体 今やるべきことは どんな事???
 観音寺や神宮寺がある地域はどちらも縄文時代の遺跡群になっています。弥生時代がBC5世紀頃というから その頃の話になるのかもしれません。
 地球温暖化防止への動きはどうでしょうか?国策としてのお墨付きを獲た太陽光事業で急拡大(?)した会社の社長や幹部社員が逮捕された。融資絡みの詐欺容疑だった。最近この種の事件が目立ちます 皆 構図が似ている。人の弱みを狙ったもの、欲望を刺激するような接待が絡む収賄事件も後を絶たない。目的を果たすために手段を選ばず・・・・。
 連鎖が止められないのはペナルテイが他国と比べ甘いからと謂うのとは関係ないのでしょうか?道徳無き時代も加速している。一体 どこに向かっているのでしょうか?やるべきことは山積しています。一つ一つ確かめながら・・・・・・。
 
 デスククロージャ―(情報開示)は会社法だけではありません。もし虚偽の情報を流したとすれば 信用を失い会社存続を危うくする。これは 全てに言える事です。 さて、今の日本は どうでしょうか?民主主義を危うくするような出来事が続いて起こる。本来の姿は、国民が株主にあたるはずです ・・・・。それが歪んで見える。
 有権者の半数以上の人達が投票を棄権すること自体がおかしい。、恥ずかしくないのでしょうか?これは 国民(株主)の責任と謂うより、国民の疑問に対して誠実に説明し、理解を得る努力を怠った政治家の責任は大きいと思います。 先ず貴方たちが真っ先に”やるべきこと”です。何処かで根詰まりを起こし、流れが悪くなっているはずです、慢性化し一刻を争う重篤な状況(有事)になっても治療方法が判らない。こうなるまでほっといたのは、”誰がやっても同じ””他にいないから”という諦めと沈滞ムードが蔓延してしまったからではないのでしょうか。
 診断名を付ければ【大衆迎合&依存症候群】 容態が改善されるまで 国の体力が持つかどうか???? 他人事では済まされません。率先して治療に参加しないと・・・・・。
 

3567:懺悔

 ・・・我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懴悔・・・(華厳経四十巻本:普賢行願品)
僧侶が勤行で読む懺悔偈です。私は密厳院懺悔文を読ませて頂いています。それは悪業と貪瞋痴と身語意をより具体的に説いているからです。
 懺悔と後悔は違うのでしょうか? 懺悔は今直ぐにでもやるべきこと、後悔は後の祭り、言いっぱなしで次が無い 大事なことは実践を質すか否かだと理解しています。いくら悔やんでも 何もせずにいれば 意味がないということです。懺悔を三品(上中下)に分けている。その下位は・・・その時は悔い改めても また 同じ業を繰り返してしまう・・・というのです。
 憂いついでに。どうしても言っておきたい事。
 今のニッポンで気になることです。上掲の大衆迎合とは・・”劇場型”のポピュリズム・・・のことだと思います。それは 大仰(おおぎょう)なことを言う割に 世論に力を与える組織を創れない、公言するが 最後まで責任を持って 見届けることがない姿です。
 高位に上った者が自力で偉くなったと錯覚し、諫言するものを遠ざける。この風潮は 親子の間にまで しみとおり、最悪の場合 お互いが敬うことをしなくなる危うさです。
 南無 慚愧懺悔 無量 所犯罪!
 
 1950年代、日本が国策として重視したのは 国内で作ったものを輸出し外貨を稼ぎ、その代わりに原料や食料を輸入し 相手国との均衡を保つというものだった。基本的に それを今も続けているわけです。変わったことは 生産拠点(工場)が人件費の安い海外に移すようになりました。これは小学校で学んだこと、それが今 どんな状況になっているか 。。。。?
 日本の食料自給率は38%(2019年)と嘗て73%(1965年)あったものが50年の間にここまで下がった、国は 農業の生産額自給率で比較すると その差は狭まるというが それでは国民の将来への不安は減らない。嘗て農業が盛んだった地域は 軒並み 後継者が減っている。そして耕作放棄され荒れた農地が目立つ。担い手は海外からの技能実習生で賄えると本当に考えているとは思えない。その辺の不備がコロナ禍で問題がより鮮明になっている。
 農業の法人化やAI ロボット導入で生産効率をあげる取り組みがどれほど全国に拡がったでしょうか?全国の地方都市周辺は 例外なく農地を潰し アパートに変わった。既に入居者の需給バランスは崩れ空き室の急増・・・・・。負の連鎖を止められない。
 社会保障の中で食料の安全保障に抜本的な解決策を! 衣食住が安定しない国は 決して先進国とは言えまい。持続可能な〇〇の惹句が乱発される割には公私の別が一方に偏り過ぎていないだろうか?
 薄利多売・・安全・安心・・・情報開示・・・報道規制・・  等々 皆が皆 独り歩き(?)にみえてしまう。共生は競争に馴染まない? ・・・・ 勘定合って銭(ぜに)足らず・・・・

3568:光陰矢の如し

 歳の所為にはしたくはない。月日が経つのがドンドン早くなっているようだ。逆に 今のコロナ禍が終息するのがいつなのか? 長~いな~!
 自粛生活も一年半になります。尚恵学園を利用されている皆さんには頭が下がります。良く我慢している。それを支えているスタッフがいるからできること、頭が下がります。己を省みれば、時時 小噴火を起こし、溜まったマグマを発散している。周りへの影響を少なくしようと、連日 外で清掃作業、ストレス発散には効果あり。
 コロナばかりに責任を負わすのは不味いでしょう。今に始まった訳じゃ~ないだろうが 不条理な事が次々に顔を出す。あれも これも・・・・・と呆れるばかり。
 詐欺、陰謀、不正・・・・。
 滅・・・⁉ 希望 夢 ひかり ・・・をどうにかして捜そうとしても 結局 憂いに繫がる。波長が根本から違うんだわな。そう思う!謝罪が言い訳に変異、ガーガー雑音に聴こえる。得体知れずの電波が多過ぎ混線止まず。私の受信機が旧式なのかと・・
 ???≪政治とカネが大分きれいになってきたんじゃ~ないですか≫????一瞬 何のこと?誰の話???。・・・光陰矢の如し。・・・(ナマグサ独言抄)
 
 一度失ったものを 取り戻すのは 至難の業、損得計算では”信頼”は プラス・マイナス→ ゼロにはならず。
 公私の見極めなく、権利と義務を履き違え、公道を付き人引き連れ闊歩する。肝心要の人としての”責任”を どう思う? 、臭いものに蓋をし 過ぎ去るのをジッと待つ・・・・。その姿は滑稽にうつる。
 情報を遮断すべきか! 迷った時 真言行者の阿字観、月輪観。禅や観法は 雑念を排除し、真理を求める、大仰な設備は無くても 静かな場所さえ有れば直ぐにでき、只管 黙して座る。
 
 昨日、火葬場で盛岡から車で6時間半かけ 母親の葬儀に駆け付けた喪主と話をした。三日前に病院に見舞いに来て、その10分後に息を引き取った。享年 93歳 先に逝ったご主人と二人で農業をしながら5人の子供を育てあげた。その子供たちからは お母さんへの感謝の言葉しか聞けなかった。

3569:核心

 入力と出力のつり合いが取れない、情報繁多,隠れ蓑が多過ぎて処理できない。何を信じたら良いのか判らない状況で核心が益々掴めない。それで どうなるか。”日和見主義”で傍観的態度をとる人が増加する。 それを避けるにはどうするか、その流れに身を任せるか???。厄介なのは どちらにしても”欲”が絡むから 悩みは尽きない。
 仏教は 私達が生きる社会を娑婆という。忍土・忍界・堪忍と訳され、仏が教化する世界とする。理想の世界は仏国土、そこを目指し歩むことが人生の道標。個個違うと考えるのは錯覚か!災難が自分に降りかかって傍観者でいられるでしょうか? 
社会に蔓延したなにもかも 一緒くたにしてしまう風潮は 闇時を照らす明かりさえ消ししまう そんな過ちを繰り返していないでしょうか?
 障害福祉の源は ”この子ら 世の光”(糸賀一雄) であるべきです、 ”この子ら 世の光”は どうしても しっくりしない。それは何か上から目線を感じてしまうから。世の光そのものが どんな光なのかを知らなかったと言えば許されてしまう傾向、 実は その人自身は知っている。 この際、良く考えて  でないと輪廻転生、 解脱の路は遠ざかる・・・・・
 
 やまゆり園事件は2016年7月26日に起こった。もう少しで5年が経ちます、年々 人々の記憶から消えてきているように感じます。事件後 何か変わったでしょうか?
 私は糸賀先生の言葉、『を』と『に』の違いをずっと考え続けています。勿論 これからも続けるでしょう。二文字を前後変えることで意味が全く異なることが判ります、勿論、大事なことは それをどう実践で示すかです!
 社会保障の仕組みは時と共に変わるものでしょうか?介護度や障害程度で人を区分する仕組みになって、 一人の人間をどうみるかというジレンマに悩み、そこから抜け出せない自分を感じています。
制度が複雑化していくのはどうしてなのか?核心が見えなくなりそうです。
 視点を変えて見ましょう・・・・  現在 ワクチンがどれだけ日本に入っているかをご存知ですか? ファイザー社分だけで 6100万回分が備蓄されているとの報道があった。(6/5NHK、TV)。接種された実数はまだ10%台。使われていないワクチンはどうなっているのでしょう。このような心配が今の日本のチグハグ差を如実に示しています。ワクチンの困っている国に無償提供することが 間違っているとは思いません、でも 矛盾の上に矛盾を塗り重ねるようなことになっていないでしょうか。日本がワクチン手配が遅れた理由、それと思うように接種が進まない実態の説明が不十分だと思います。安全安心!勇断!と結束!を声高に言うのであれば 人々を納得させるものが必要です。諫言するものを 疎ましく思い 排除する様なことが起これば 人々の気持ちは益々離れていくのでは無いでしょうか。

3570:学ぶ謙虚さ

 学ぶ謙虚さを失った民族は亡びる・・・・・。高慢さとは 自分が優れていると思い、他をあなどることです。慢心と同じです。権力の座にあるものが 最も注意すべきこと。これは先哲の教えにある。
 人間は追いつめられると 本性を現す。これは その人が生まれつき持っているものだから そう簡単には変わらない。権力者は 周りに自分の意にそう人物を集め補佐させる。組織の大小に関わらず 共通している。
 意にそぐわなければ 排除する。民主主義は古くはギリシャ都市国家(紀元前8c)に始まる、主権在民(国民主権)、権力が社会全体を構成する人々に合法的に与えられている政治の形態、日本がそうだ。日本国憲法の前文でそう宣言する。・・・紆余曲折の歴史を経て、 近年 それが特に怪しくなっていると私は思います。立法府が政党分裂を繰り返す、当然、国会が正常な状況になっていない。互いに牽制しあう関係がつくれない状況でコロナに襲われた。
イスラエルという国 ワクチン対策で最も成功している、その国の動きで、 野党が大連立し、現体制をひっくり返す勢いという。何故なんだろう?我が日本はどうか? ≪他に任せる党が見当たらない≫という考えが長期間続いてきた。どうすれば良いか 良く考えるべき! コロナ禍でより鮮明になった、矛盾の上塗りをしているという意味だ。政治家内部から改革の狼煙が上がらないのなら・・・・・。
 仏教に 三解脱(さんげだつ)という教えがあるのですが ・・・・・・・。もし関心があれば。
 
 
 昨日のTV国会中継を見て 率直な感想を記したい。
 相変わらず 時間を気にしながらの質疑だった印象は否めない。その中で 与党の質問に某変化の兆しを感じた。最初の質問者、地方出身の元官僚経験で早口だった以外は 実に今の日本の山積する課題をあげ、総論で陳べた。正直 こんな議員もいるんだ!と思った。2番目の質問者は、日本のインフラ整備の遅れを他国との比較を表にして我々に判りやすく指摘した。全閣僚出席の最終予算委員会、従来の与党質問は 自画自賛の域を出ず 緊張感が無かったと思っている。二人の質問から 初めて政府と与党(?)が対峙(?)する姿勢を感じた。
 もしかして憶測に過ぎないのかもしれない、もし そうであれば二度と国会中継は見ない。国民にとって限られた情報で いつも後味が悪いものとなっていることを知るべきだ。
 憲法改正を言う前に、貴方たちは その事を充分に理解して職務を果たしてきたでしょうか? 自戒と実践でしか もう、信頼をえることはできない。余りにも数の論理で議会運営されてきたことの弊害が目立つ。
  無関心層が多く慢性化していることがそれを裏付ける。
 『日本国憲法 前文』の後段に・・・・政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に随うことは・・・・云々・・・・とあります。
 政治道徳の法則をどう捉えているのか 全ての議員が熟考してみるべきと思います。 勿論 私達もですが。ラストチャンス!