源究201*201t

  

N O  テーマ  月日  N O  テーマ  月日   N O  テーマ  月日  N O  テーマ  月日 
 3531  生かされて信義則 3/9   3536  ベンチャーって?  3/23  3541  願わくば・・変容  4/1  3546  質朴さ  4/12
 3532  公私のケジメ  3/12  3537  小事は大事  3/25  3542  希望を・・  4/3  3547  ロールモデル  4/14
 3533  64年の玄学  3/15  3538  慢心シンドローム  3/27  3543  謦咳  4/5  3548  第4波~  4/16
 3534  戦後75年  3/17  3539  継承の小径  3/29  3544  急がば回れ  4/8  3549  座礁のリスク  4/18
 3535  先読みの根拠  3/21  3540  知情意  3/31  3545  再生物語  4/10  3550  二律背反  4/21

3531:生かされて

・・・清濁併せ呑む・・・、度量が大きいことをいう。 そうとは言えないんじゃ~ないのかな~。 こう考えてしまうのは私の性分かもしれない。
 2011年3月11日午後2時46分18秒に起こった東日本大震災から10年が経つ、M9、津波最高遡上高40.1メートルという日本周辺観測史上最大の巨大地震で死亡・行方不明者1万8426人(2020/12/10時点)にのぼる。
現在も避難生活されている方も多くいる。地震を機に毎年 発生の時刻に寺で鐘を撞く、鎮魂の鐘・・・・・
 日本人の記憶に深く刻まれた大惨事、時と共にその記憶も段々薄れてきています。一方 コロナ感染という問題が起こり、世界中が大混乱している。この状況下でも人間同士の啀(いが)み合いによる悲劇が繰り返し起こっています。
 この現実を知りながら・・清濁併せ呑む・・と謂えるものでしょうか?
 当時のことを後の代に生かそうとする様々な試みも行われています。私の知っている方で ずっと被災地支援をボランテイアで行っている方がいます。
 自分は果たして何ができるのだろうか?
 その基底になる思いは、”生かされている”ということ、それをわきまえながら生きることではないでしょうか?昨日、霊安室のTさんを見舞った、すでに誰かが持って来られた花が枕元に飾られてありました。
 
巷で言われている 信義則は、信義誠実の原則のこと、民法の第1条2項に・・【権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。】・・・と規定されています。肝心なことは、第1項にある、・・【私権は公共の福祉に適合しなければならない】・・ということ。自由な私的契約が認められている日本で法に明記されている≪誠実≫と≪公共の福祉≫にズレを感じる不祥事、これは 言葉の頭に「不」「反」「非」を加えれば実態との乖離は狭まるかもしれません。
 前法務大臣の裁判が厳粛に進められていると思いたい。法治国家として 許しがたい事件だ。被告は保釈され  今 その地元で何が起きているか????あたかも魑魅魍魎の絵図の如し、私利私欲の呪縛から抜け出せない者達によって反省無き言動が飛び交う。
  利権の上に胡坐をかいた強欲と驕りの構図は隠しきれまい!この国の復活があるとすれば 堂々と事実を白日の下に晒し、誠実に義務を果たそうとする人達の勇気と結束によってなされると思います。それさえ出来ない世の中になってしまったならとは思いたくはない。  
貴方たちがやるべき唯一の方法は 見てくれの名誉を捨て誠実に謙虚になって事実を認め明らかにすることではないだろうか。 そうでなければ 今の非常事態が永久に続くような気がします。

3532:公私のケジメ

 公私のケジメが曖昧になった原因とその影響を どうみるか?慣れと諦めが社会に蔓延り、理想が現実によって歪められ 何が望まれる姿なのか判らなくなる。 調べると 理想は 【実現可能な相対的理想と到達不可能な絶対的理想】に区別されるという・・。前者は他との関係・比較によって成立、後者は神・永遠・最高善などで超越的・規制的な理想をいう。・・・云々(哲)
 いや~参りました。まるで蟻地獄に落ちたようで思考停止。
  誰かに間違いを指摘され 御免なさい!それでオシマイ。
 信義則・・・信義誠実の原則。実定法か慣習法の論点ずらし。 
  ・・・皆で渡れば怖くない・・・。芋づる式に現れる、今度は否定せず認めはしたが、接待ではなくてプライベートな会食だと言う????時が過ぎ、風向き逆風を察知してか食事代を後払う。接待の恣意的解釈
  こういった事象にその影響が出ているのではないですか。
   大震災の起こった時刻に寺の鐘を撞きました、あの時の記憶が蘇ってきました。 もし  国の中枢にいる人達からあの時の記憶が薄れ始まっているとしたら・・・ ?  
 私の思い違いならば 良い。
 
 久しぶりの纏まった雨になりました、友人がカタクリの花が咲いたと写真をメールで送ってくれた.。季節の変化、この時期は 花粉症や朝晩の気温の寒暖差など、どうしても 身構えて 自ら壁を作ってしまう。今年は それがいつもより強い、おそらく自粛の生活が長期になり、そのストレスを感じているからかも知れません。
 ソーシャル・デスタンスは人との間隔を保つことと思っていたが 寧ろ氾濫する情報からの距離をとるべきと思っている。

     みかも山カタクリ
    ・・(岩船)・・
 

3533:64年の玄学

 『玄』という字は、万物の根源としての道をいう。(老荘思想)
 空海は「三教指帰」の中で、儒教・道鏡・仏教を3人の仮想の人物を通し仏教の優位を説いた。他を論破するというより、それぞれの哲理を認め、自らの思想を組み立てた。それは 1200年の時の差をもってしても萎えることなく益々 光輝いていると私は思うのです。
 今日、64年の天寿を全うし 静かに旅立ったTさんの葬儀がある。彼の生き様は ≪通玄≫という二字がピッタリする、縁が有り、14歳で入所し、それから50年の付き合い 私は彼と多くの思い出を作ることが出来ました。何と言っても”笑顔”が素晴らしい方だった。ユーモアがあり、決して大声をあげることもなく、場を和ませてくれる。不満も有ったに違いない、でも自らの置かれた環境を受け入れ、日中は木でおもちゃを作る作業に励んだ。そこは小さな作業班で各自が自分の役割があり、色塗りや糸鋸作業などを担った。そのグループのスタッフが一様に≪Tさんには随分世話になった。≫と語る。それは 彼が一緒に居るだけで場が和み、皆が安心できるから・・・・・・。
 彼の特異なポーズは ”サングラスをかけ、Vサイン”、この仕事の原点を いつも教わった。Tさん!お父さん・お母さんと一緒にゆっくり休んでね。ありがとうございました。!
 小さな斎場に置かれたCDプレイヤーからは彼が大好きだった”仮面ライダー”の歌が流れていた。 
 
 収骨までの時間、弟さん夫婦と話をしました。彼は去年お母さんを亡くしている。卒寿を超えるまで、長生きされた。お父さんは60代で早く亡くなっています。去年、彼が弟さんと病気で寝ているお母さんを見舞った時、「だいじょうぶ?」とお母さんに声をかけたという。
 それから一年後彼は亡くなった。
 「生きる」「生かされている」・・・言い方はいろいろ、私は 施設の仕事とお寺の仕事しか判りません。それだって振り返ると一瞬のような気になります。現在、本堂に飾られた遺影写真は段々増えて 置ききれない程になりました。
 人生の長短にかかわらず凝縮した時間に、一人一人の思い出が浮かんできます。
 ☆・・・将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。  将来に向かってつまづくこと、これはできます。
         いちばんうまくできるのは、 倒れたままでいることです。・・・ カフカ(1883-1924) 

3534:戦後75年

 コロナ感染を早い段階で抑えた(?)中国、その対応を日本が真似ようとしても出来ないことは判った。その中国で今度は黄砂による問題が起こっているという。マスクがウイルスの予防ではなく黄砂に変わった。違いは 相手が目にみえること。 明らかに 自然環境の変化に起因する。
 戦後75年、毎年 戦争の悲惨さを語れる人が居なくなっている。これが どんな影響を及ぼすしているか???見えるものと見えないもの???
 ”こころ”は見えないが感じることはできる。
 ”モラル”の欠如、これは明らかに人為的で自然とは無関係。戦後75年で失ったものと増えたもの、この複雑怪奇な事象に我々は振り回される。
 もっと単純にできないものか? 悪いことは悪い&良いことは良い・・・・・・と。勿論、自由と平等とは次元を異にする。 
 
 少子化対策がこの国の重要政策となってから どれ位の時が過ぎたでしょう? 一方で地球上では その逆の人口増が問題になっています。この真逆の実態を どのようにしたら 良いのか。ユニセフという国連児童基金から定期的に送られてくる機関紙には 飢餓に苦しみ支援を待つ子供たちの写真が載っています。 世界で34カ国にユニセフ協会があり、募金活動を行っていますが充分とは言えません。その総額は一体どの位になっているのでしょうか?最新鋭の兵器の値段と比べどうなのか? 何かが狂っている。
 戦後75年という間に人々は幸せになったのでしょうか? 刻一刻 情勢は変化し格差の拡大は大きくなる一方、何かにとりつかれた様にカネ儲けを画策、繰り返し 凝りもせず。
 このような今の時代に一条の光があるとすれば それは何だと思いますか?
 

3535:先読みの根拠

 巷で流行る語にエビデンスというものがあります。根拠とか証言という意味なそうです、要は判断・推論などを成り立たせる”よりどころ”ですね。有って欲しくはないが、その逆の成立させない”証拠”にもなり得る。失言によって座を退いた者、他には知られるはずが無いとうっかり発したコトバが メデアにリーク、最早 確たる証拠を出されては言い逃れはできず 早々に辞めた。硬直し、一部の人間の独断の場となった組織でよく起こる。元はと言えば 例の記録の改ざんから始まった。
 今度は個人の”読み”の甘さだけで片づけられまい。最悪、全てを台無しにしてしまう。これで困る人も当然出てくるはずで戦々恐々、八方に手を尽くし、影響拡大を防ごうとしても ここまでズレが拡がれば 既に時 遅しの感は否めない。昔人が言ったのは、”身から出たサビ!”、今風に言えば”軟弱土壌にタワーマンション” 、様にならぬし 危険物件。
 俄かに雲行きが怪しくなった東京パラ・オリンピック組織委員会、会長交代で収まるだろうと高を括ったか?図らずしも厄介な問題がまた起こった。
 これまた、”お願い”手法で難関突破するというつもりだろうか? この祭典は日本人ばかりでなく、来訪する世界の人々(勿論 選手も)をおもてなしする側だという事をどう考えているのだろう。今更焦っても遅い。組織の要となる人の考えが時流にそぐわないと判っていながら誰も言えなかった組織の体質が最大の問題だったと思います。
 それと合わせ 辞めれば許されるという最近目立つ日本特有のルールが果たして世界に通用するのだろうかと心配になる。
 
 常識に欠ける言動は 今に始まった訳ではないだろう。人間は物事を自分の良いように考えがち、現実は 思い通りにならないことが多い。(求不得苦) 過去の栄光(?)を褒められ、道を誤るは”慢心”なり。(仏説)
 自粛には 余程の自戒が大事。
 ≪非常事態を延長し 何も変わらないから 友達と飲みにきました。・・・・≫ 街頭でインタビューされた若い二人が口を揃えた。≪若者はコロナに感染しても軽くすむから・・・≫と どこの情報か知らないが そのように思い込んでいるようだ。
 ここに来て変異型ウイルスが新たな懸念材料になってきた。その証に未就学児や10代の子供たちの感染が増えている。
 ワクチンの手配が日本は遅れていないか? 日本はワクチン認可を慎重になり過ぎた?、他国と比して検査数が少ない、国内ワクチン開発の遅れ・・等々、様々な情報が乱れ飛ぶ、。
  そこに追い打ちをかけるように国会で答弁する官僚に「記憶がないと言え」 担当閣僚からの常識を逸した言動、嘘かホントか 声紋鑑定すればハッキリしたはず、その前に「無意識に出た」と認めた。少なくとも国会中継を観ていた人には通じまい。前政権を踏襲すると言ってスタートした現政権が、「記憶にない」答弁まで 引き継ぐことはないはずだ。国民をどう思っているのか 甚だ疑問が残った。
  

3536:ベンチャーって?

  小さくても創造的・革新的な経営で実績をあげているベンチャー企業は 増えていると思いますが 倒産、廃業する企業の数が上回っているのではないでしょうか。これも コロナ禍によって 更に両極拡大するだろうと思っています。寺と福祉の仕事は どちらかと言うと 昔からの伝統を大事にするものです。それが この1年の間に急激に変わっています。よく坊さん仲間と話をすると 今後 お寺がどのようになるのか不安だという話に必ずなります。
 最近の葬儀事情に戸惑いながらも必死に寺を守っているわけです。お寺は 事業専従者が1人~2人という零細(?)事業所です。方や福祉は裾野が広く、様々な形態があります。
 一部の都市を除き、福祉事業者が急増し飽和状態になっている所も出て参りました。これは国の政策もあるでしょうが アパート経営、個人住宅、企業の設備投資、ほゞ頭打ち状態で先細り??? 銀行は取り合えず安心(?)な融資先として福祉事業がターゲットになっているのです。
 この二つの業種に共通するのは”テレワーク” には馴染まない対人業務が核であるということ。日本は法や制度が頻繁に変わりますので大変です、中でも人材確保の問題は一向に改善していません。逆に事業が細分化するばかりで、一つ一つの事業は単独では自立できないという有様。 限界を感じてしまうのは まさにこの点です。 
 それに  此の儘いけば国の財政が持たないのではないか!という懸念も拡大しています。そうなれば サービスを受ける側に応分の負担をしていただくという議論に必ずなります。 それで問題が解決するでしょうか!
 個人の努力で出来る事と出来ない事が有ります。私は先ず国が先頭に立って”創造・革新”に基づいた進むべき方向を国民に判りやすく示すべきなのです。国民の為と言うのであれば、尚更です・・・・・負のバイアス・・・己に甘く 他に厳しい福祉国家。・・・・・と成らぬ為にも。  
 
 人口550万人の国フインランドが国連のSDSN発表の2020年世界幸福度ランキングで3年連続で第一位となっています。日本は1億2600万人(世界11位)の人口で 幸福度ランクは156ヵ国中で62位と前年と比べて4位落ちた。
 政府は勿論 メデアも その事について殆ど取り上げません。  北欧の国が常にランキング高位を占め、先進国という国は上位に名があがらない。
 一体何故なんでしょう?  唯一 フインランドと日本の共通する点は、双方の国民が逆境に対し、我慢強いということらしいですね。確かに 最近の世界の動きと比べ、街頭で不満を訴える人々の姿は殆ど今の日本では見られません。 皆さんが 現状に満足しているのだったら良いのですが? 
 働くと言う字は、解字すれば”人が動く”と言うこと、働くことは遣り甲斐や生きがいの条件で目的では有りません。”幸せ”は誰しもが共有する”人生の目的”、もし 何らかのバイアス(偏り)があるとすれば、そこの違いだろうと思います。
 幸福度は その国の相対的な評価ですから 実際は 一人ひとりに差があるのは仕方がありません。先進国と謂われる国々は、いつの間に 先進国に名を連ねる事が当たり前と思うようになっている、だからGDPという数字のバイアスから抜け出せない。
 現状で 国に期待しても 無理だとしたらどうするか。今回の千葉県知事選で示した県民の意志、新しく知事になる方は 千葉県の知事選で過去最高の得票だったと言います。 それは県民が期待しているという証です。国会議員の選挙と違うのは、国会議員の数が多過ぎるのが問題のおおもと。何らかの理由を付け本気に改革をやらない。渋沢栄一が主人公の大河ドラマは、望まれるリーダー・牽引者を我慢強く待ち望んだ今の日本には時機を得た人物、有言実行、道徳経済合一の行動力で働いてくれる人物の出現、そうすれば国の幸福度も上昇気運に変わるのではないでしょうか。 国に余裕が無くなった今こそ不要不急(?)の政治家の大幅削減!辞めたら補充しない。そうすれば 議席は自然と減っていきます。辞めた人に要した経費は 全て基金積立として有事に使えば良いんですよ。不透明な政〇助成金より遥かに判りやすい、これが国民の為へのベンチャー的発想です。  

3537:小事は大事

 正直 今更という気持ちです。≪小事は大事≫大事も初めは小事から起こる。近頃の傾向として 大事を隠れ蓑に利用し、有っては成らぬ事が常習化、少しでも罪悪感が有れば良いのだけれど サラサラなし。身内に甘く、手ごころ加え 恩を売る。これは渋沢栄一が最も嫌ったことだった。『論語と算盤』
 物言わぬを礼儀と誤解し、自らの原点を忘れ烏合の衆・・・・。最初は小さな事だった、それが それに留まらず 国を滅ぼす大事になる。他国ならば 司法機関のトップに座した人間が 自ら犯した罪を認め 結審すれば どうなるか?多くの国民の目は その一点に集中し、事の重大さを”壱票”に託すべきだ。これが大人の私達が出来得る唯一の権利であり義務なのです。
 ”士魂商才”は渋沢のコトバだ。今の世は”経済第一”を偏重こそするが、”魂”つまり道徳(武士の魂)が伴わない(道徳経済合一)。渋沢が生きた時代と今を比べ一目瞭然なのは、筋が通らぬことを 平気で行い、知らんぷり、平和(?)&豊かさ(?)の幻影におもね、おびえる、言わば”軸のないコマ回し”の態、言い過ぎだろうか?
 *・・・・できれば やめたい 愚痴の闇・・・(字足らず拙句)
 
 ”かまえなし””平常心”部屋の壁にかけた恩師のコトバ、もし 今生きていたら どう言うだろう?
 前は こんな風では無かった?と振り返る。それが 言い始め書き始めると止まらない。湯水の如く噴出し、書き記すに労しない。これもコロナ禍によるストレスか?快晴の昨日、前に切った栗の枝を軽トラに載せ、運ぶ作業を行った。
 一気に温かくなって 草も勢い増し、背丈が伸びてきた。 また バロネスで草刈りしなくては・・・・・?
 そこに携帯に入った悔やみの知らせ、作業を中断し、寺に戻って予定をみる。今年は1月から葬儀が続く。
  自ら健康を崩して初めて 見方が変わると実感した。病院のベッドで天井を眺め過ごす時間の辛くやるせない思い、・・・・ それも自業自得と受け入れる。・・・・私の原点は 幼き時に遡る。今年古希になり、還暦からの10年が想像以上早く過ぎ、小事は大事と自戒し感謝をもって暮らしたい。 

3538:慢心シンドローム

自粛と緩和を繰りかえし、調和をはかる目論見は難しい。樽の箍(たが)が緩めば バラバラになり 中身が漏れるのは当たり前、私の母の実家は代々続く醤油屋を営んでいた。小さい頃 遊びに行って外に転がる大きな樽の中で遊んだ。その樽の箍は竹を編んだもの、緩むと楔(くさび)を打ち、締めるのを教わった。
 今、竹は殆ど利用されず、どこの竹林も荒れ放題となっている。
 竹の根は凄い。長く伸びた竹が強風に耐え、倒れずにいる訳は根を見れば直ぐ判る。地面に隙間なく根を張り、ガッチリ支えている。竹林が荒れるのは、間引きせず 竹が密集し過ぎて枯れるのだ。
 タケノコは春をしる風物詩、原発事故の後、自生するキノコやタケノコは放射能汚染によって 需要が落ちた。一度使わなくなった田畑は一年で荒れ果て風評被害も加わり、再生は難しい。
 慢心シンドローム(症候群)の蔓延、東京に侍って、地元には偶にしか帰らない、これが政治家が路を誤る最大の原因?いつの間に偉くなり、ちやほやされて慢心漬け、己の使命を忘れて言行不一致。
 いつも思いだすのは 常磐線で風呂敷包みを持ち永田町に一人で通った連続8期衆議院議員を務めた土浦の政治家である。農政に長じ、常に地元を大切にした政治家だった。誰一人 その生き様を継承するものは無し。
 楔は時に人の生き様がその役を果たすという。現状を烏合の衆と敢えて言わせて貰うのは その楔(くさび)となる人物が・・・・・・・稀有稀有しくなって時が経ちぎすぎた。
 
題名が【愛し~愛されて・・継承の小径・・】という本をある方から≪読んで欲しい≫と頂いた、その方が人生の師とした恩師が自叙伝風に書かれたもの、私も今までに何度かその先生の文章に触れる機会はあった。、卒寿を過ぎて 今も元気なことを知った。
 何かを次の世に伝え遺したいと思った時、小さな道・・小径、と題したのは先生のお人柄を感じます。
 昨今の日本をみると、グローバル化の影響もあってか、「金で買えないものはない」「利益至上主義」から「企業の社会的責任」「持続可能性」等々 さまざまな価値観が錯綜し、メデアから経営者、一般人までがその軋轢の中で右往左往している・・・そこにコロナウイルスの攻撃を諸に受けた。現代社会が失いかけているのは共助・共生の考えかもしれない。逆に 自分さえ・我先にという思いが強くなっているのは明らかだ。ギブ アンド テイク 当に愛し~愛されて の 思いが隅に追いやられてしまっては 決して安心は得られまい。。
 国の要となる人が 道を誤っても、責任を取らず、上辺だけの謝罪をすれば許されてしまうような社会は 像法の時代が終わり、末法の世となってしまった感がする。(三時観・・正・像・末)
 無戒の世に、誰が明を灯すのか??? ポスト グローバル! ここで確と肝に銘じねば、ケジメ無き世は益々蔓延るだろう。

3539:継承の小径

 ・・・・驕れるもの久しからず ただ 春の夜の夢の如し・・・ 平家物語の頭の部分、どこかで聴いたことがあるでしょう。覚鑁は自らを戒めるために懺悔の文で”驕慢(きょうまん)”という言葉を使った。驕り高ぶることで人を見下し、自分勝手な振る舞いを戒めた。
 「福祉の思想」(糸賀一雄著)。この本を私は大切にしている。そこに書かれている事を自戒し歩むべき道標と考えてきた。時は人をも変えてしまう。良くも悪くも  川の淀みと言われても構わない。流れの緩やかな淀みを住処とする魚は多い、むしろ急流を好む生き物が稀ではないか。施設の中を小川が流れる。この小川で小さい頃 真っ黒になりながら”かわぶし”をやって遊んだ。川をせき止め魚を獲った。今は三方をコンクリートで造られた用水路となり、大雨が降れば溢れてしまう。常に流れが早く そこに住む生き物はいない。淀みがなく 水量の調整力も無い。これも人間の福祉(幸せ)と同じに思う。そんなに急いでどこに行く?
 ”目立つパフォーマンス”は”名聞”に通じ、いい気になり過ぎて 道を誤る恐れあり。知らぬ間に甘言や誘惑が忍びよるからだ。渋沢翁は”智・情・意”の調和を大切にしていたという 今の世にこそ必要な考え方だと思う。謙虚になって学ぶことではないのか!
  今一番気になることは どう次に継承すれば良いか!という事。答えは最初から決まっている  その道は”小径”であっても良い、 そこをどう歩んでいくかが大事なんでしょうね。
・・・老兵は死なず、ただ消え去るのみ・・・・ 南無 慚愧懺悔 無量 所犯罪・・・・
 
 
 喪主なき葬儀、弔問者が他人が一人だけだった・・・・・・。
 最近のテレビCMで”小さな葬儀”を奨めるものが出てきました。 葬儀事情は急激に変わり始めています。 私が僧侶になったころ この地域では土葬がありました、 自宅葬が殆どで参列者は歩いて墓地に行き埋葬したのです。葬儀は近所からの手伝いがあって成り立っていました。約半世紀の間に、共助の考えが大きく変わり、そして コロナ禍を境にして、また変わるのは明らかでしょう。
  寿命が延び、それだけ”しあわせ”は増えただろうか?  自問自答が増える。 一方では、昔ならば考えられない事が現に起こっている。国会に提案された法案にミスが多くあることが判った。
 単純なミス?かどうかではない。民主主義の要である法への意識が軽くなった事が大問題。 法律を守るのが当然の義務であり守らない場合には厳粛な裁きがあったはず・・・・・。現実に今起こっている事象は 疑念は増すばかり、法が形骸化していないか?もしそうであるならば、忌々しき事態です。
 自浄・自戒が幻影と化し、それに代わるVR(仮想現実)をもって、共助・共生しろというのだろうか? 未来志向もいい加減にしないと 自ら自らを滅ぼすことになりかねまい。

3540:知情意

 知情意とは知性・感情・意志の三つ、よく生きる為にはこれ等の調和が不可欠だと言われています。プラスに働けば、冷静・ワクワク・思い遣り・安心・自立などに向い、逆にマイナスに働くと、不安・弱気・イライラ・頑固になってしまうらしい。これは誰しもが持っている精神活動だと言われています・・・・・。
 瞑想・修行→平常心・菩提 仏教では昔から 心身の調和を保つためにいろいろな工夫がなされてきた訳ですが 現代社会は それらがうまく機能せず不協和音を生じ迷走しているのではないでしょうか。 
 どこの家にもあった辞書が利用されず埃だらけ、スマホに向かって知りたいことを喋れば 即 答えが出てくるようになった。この良し悪しは判らずに 知が上辺だけで軽くなった原因です。良く考えて答えを出すというのは”アナログ”的人間(?)だと決めつけて蔑(さげす)む
 それじゃ~伺いますけど デジタル?で体に”免疫力”が付くのでしょうか。”記憶にない”という常套句もその合併症?
 これで 世の中 丸く収まれば、ユートピア! ああああ・・ 恐ろしや 恐ろしや。 デストピア。 
  ★気骨・信念 お蔵入り 替わる言葉が見つからず もしや持続可能社会とでも 本末転倒 これ如何に★ 間が無いのです。(ナマグサ独り言)
 

3541:願わくば ・・変容
(令和3年度スタート)

 ・・・≪ それ仏法ははるかにあらず、心中にしてすなわち近し。真如外にあらず、身を棄てて何んか求めん。≫・・・(般若心経秘鍵)
 弘法大師が著したものです。  無事にあっては 気にしないことでも 有事になれば そんな悠長な事は言っておれません。般若心経は 貴方自身の中に真如(存在の本質)があるのだと説いているのです。8万4千もある膨大な量の経典、それをたったの270文字程の般若心経の中で真理を凝縮し説いていると言うのです。
 弘法大師の時代から1200年を通し今の社会を見ると、何も変わっていない事と大きく変わった事に分かれるように思います。生存に不可欠な条件(空気・水・食料・・・)は変わらず、その他、枝葉の事が常に変化し、留まることがない。その枝葉の事で我々は苦しんでいるというのではないでしょうか!。
 唐突です、日本に総理大臣経験者が今 何人いるかご存知ですか???その人達が 何を行ったかを言える方は殆どいません。現職国会議員が誰で 辞めた人が誰かなどもっと判らない、世界中が危機的状況にある時に その人達に対する経費を節減するべきです。その為には人数を減らすこと。 間違っているでしょうか? 子供にだって判る話です。私はそう思います。自分達は国民から選ばれた代表と考えていらっしゃる人達が 己の言動に責任を取らない。これは当に負の遺産です。過ちを曖昧にし、知らんぷり、嫌と言う程そんな実態を見せられてきたのですから 世は乱れます。
 ”働く””信”という字を よ~く考えて頂きたい ・・・身を棄てて何んか求めん・・・の身は自分自身の事、そう思わないと秘密の鍵になりません。
  逼迫した状況は 自然環境(空気・水・食料・・)が急速に変わり始めていること、枝葉は変わっても仕様がないでしょう。それが国民の為になるならば。
 
 
 今日は令和3年度のスタートの日です。新人職員5名を迎え、辞令伝達を行います。この様子を各事業所へオンラインで流すことにしました。
 世の中が 随分 変わりましたね。緊急事態宣言が解除されて間もないのに、第4波の感染拡大の警鐘がなる。願わくば 早く 落ち着いて欲しいものです。早め早めに世の中が動くようになっている。既に来年度就職希望者の問い合わせがあり、何名かの履歴書が送られてきたという。
 古希を迎えた自分が 孫の年齢の若者達に、どんな話をすれば良いのだろうか? そんな気持ちになったのは 今年が初めて、老いたな~と鏡を覗いた。
 確かに頷ける !!! 
 本山に参籠し 一から出直すか? その前に 四国遍路を今年の目標に加えたが どうなるか?令和3年度 皆さんのご支援に感謝しながら 精進して参ります。 (事業計画挨拶文

3542:希望を

 どんな状況になっても 希望を 持ち続けよう! 生きて 生かされて 愛し 愛されて・・・ 仏教(密教)の入我我入観・・・・
 私達は 置かれた環境によって 常に変化します、 コロナも同じだと思いますね。  両者とも自然の中で生きることが宿命だからですよ。知ってか知らずか 我々人間側がそれを蔑ろにしてきました。
 いつの間に 人間を一番上に見てきたんです。凝りもせず 疑いもせず 当たり前だと・・・・この”傲慢さ”を反省することもなく、成功すれば 思い通りに生きられる・・・・との筋違いの達成感。
 人間が考え出した経済体系を重視すればするほど 誰かが搾取され、分配はマヤカシで、それを”自由”と誤解する。これは最初から想定された事だった。 良く見て御覧なさい複雑に絡み合った社会は天井知らずの格差を生み、偽善や不安を醸成し、道徳意識が風前の灯と化す。
 入我我入観は、如来の三密(身口意)が我に入り、我の三業(身口意)が如来に入る・合致することこと。密と業、その違いが肝心と説く。
 我々人間は 只管 その合致度を”経済の指標”として考えたわけですよ。これが道を誤る分岐点、・・・ 科学的エビデンスが無い???と言うかもしれぬ。じゃ~貴方の言う”持続可能な科学的根拠”とは どういうことですか? ハッキリとした解答を示せまい、実に曖昧で薄っぺら、確信が無いことを”自粛か経済”が明らかにした。問題は そんなことじゃ~無いはずですよ。あの渋沢がもし 今の日本に苦言を呈するとしたら、【道徳を取り戻せ】だろうか?
外からの強制ではなく、個々人の内からの規範こそが国を救うための大事(希望)だと言うに違いない。
 
 今回のコロナ禍以上の感染者数を出したスペイン風邪が起こったのは、丁度100年前になります。感染者数が世界で5億人を超えたという、そして死者数が1億人、当時の世界の人口総数が今の3分の1という中でのこと。 感染で世界が大混乱している間にも第一次世界大戦、その後の第二次世界大戦が起こっている。渋沢が生きた時代に丁度重なるのです。
 後先は判らず、有事に疫病が起こっていることを歴史が証明する。だが 人間は その苦難を何度も乗り越えて現在に至った。 人間の底力でしょうか。ただ この地球上のあらゆる生物は、誇ることも目立とうともせず、生き延びてきた訳です。大括りして”共存の歴史”と言えるのでしょうが 我々は振り返ることは出来ても 先を予測することが苦手。
 どのような苦難に遭遇しても 希望を持ち続けようという願いがここにある。 立ち止まり熟考せよ!という天の声はより大きくなっている。あらゆる生物を育んできた地球そのものが悲鳴を上げているからですよ。
 一国主義を声高に掲げ、多くの支持者を選挙で獲たものが負けて退き、どう変わるか?? 
 貧富の格差や人権問題が無くならない限り、恐らく、大きな変革は望めまい。その事は今の日本を見れば一目瞭然、その理由をあげれば切りが無い。
 今の世に必要なモノは何だろう? 道徳・信義・・等々 言うは易し。行動が伴わなければ当然 意味を為さない。
 偏狭な見方しかできませんが、親を大切にする思いを生来守っている人達を50年以上身近にみてきて、あらためて”この子らを 世の光に”を説いた糸賀先生の遺徳をこの国の再生への”望み”にと思うのです。

3543:謦咳(けいがい)
・・追悼文

 友人が送ってきたメールに”謦咳に接することができなくなり 寂しくなった・・”と書かれてあった。75才で昇天したI氏への別れを惜しむコトバだ、私も昨日自宅に伺って 弔意をのべて来ました。最後まで 自分の意志を貫いて生きた方だったと思う。
 ご遺族と話をして自宅で看取ったという安堵感を感じました。
 亡くなる数日前、近くの神社の満開の桜をみに行ってきたという。車椅子で主治医と家族そろって まるで大名行列、すれ違う人達が皆 振りむいていたという。
 拠り所を持った人の終活(5つの目標)は 仄々感と寂しさが入り混じる中で果たせた。 息を引き取ったのが 看護師をしていた奥さんとの結婚記念日だった。

 ・・・散る桜 残る桜も 散る桜・・・・・(良寛)  
 
 
 自分が住んでいる地域を大切に 住民を巻き込んで 子供からお年寄りまで交流の輪を拡げた。その活動は 今の時代にこそ価値が大きい。あきらめること無く地道に続けてこられたのは真の先見性、その謦咳に接することが出来なくなったことは真に無念である。
 ・・・・危機に瀕した時、賢者は橋をかけ、愚者は壁を造る・・・・(ブラックパンサー)。・・・後の世を渡す橋とぞ思ひしに、世渡る僧となるぞ悲しき、まことの求道者となり給へ・・・(源信の母) この二文が頭に浮かんだ。
 名言には 実行が伴ってこそ価値がある。その拠り所がないコトバは無駄話、おそらく 掃いて捨てる程あると思う。
 ”落穂拾い日当る方へ歩み行く”(蕪村)・・・・この句をどう解釈すればよいでしょう??
≪希望の持てる未来になるために何をどうすれば良いか?≫と解したらどうでしょうか。『落穂を拾う』と『日当る方』をその本意とし、『歩み行く』のが誰なのか? 自分しか無いでしょうよ。
 とりとめも無く こんな話が出来たことに感謝しご冥福をお祈りします。

3544:急がば回れ

”急がば回れ”・・・安全で、着実な方法を取れという。世態は より速く、より多く、これでもかこれでもかアクセル全開して気忙しい。昨日 世界の長者番付が公表された(フォーブス)、トップはアマゾンのCEO、4年連続という。別世界の事 ハハ~ンそうですか 関係ね~や 、目に留まったのはコロナ禍の後、世界の長者の数が急増したという発表記事(後段) 
 何てこった~!  此れが事実とすれば 川の流れ(自然摂理)とは真逆の実態、水(富)は高きに流れるということになるわけだ。そして 多くの人々が苦しみ不安の中、一部の人達が 財を増やすことになっていないか?それも グローバル化と多様性という人間が考えた仕組みによって 凝りるどころか 更に加速続けている。調和と共存共栄は夢のまた夢となる宿命?
 それで 安心? 満足ですか? 国と国の境界が無くなり 地球が狭まり、裏と表 善か悪か どっちがどっち??難解な時代となりました。   急がば回れ  小欲知足 (これも先センブリア時代の戯言か?)

  今日は小学校の入学式 爺ちゃんに見せるといって 学校に行く前に 小走りに顔みせにきた孫の顔、 
  世相は何でもお金で買えると勘違う、この流れに 乗って欲しくない そんな思いになりました。(爺さんの独り言)
 
 
 喜ぶべきか 悲しむべきか??70才(古希)を迎え、僧侶の世界では”長寿会”、世間では”敬老会”それぞれ入会の知らせが届いた、この二つとも無審査、無条件 自動的に入会する。本来は 喜ぶべきことなのだろうが 性分は如何ともし難い。捻くれ者には面目躍如?
 さすればと やる気を出してチカ足袋履くが やる前から息切れし、体力劣化は如何ともし難し。風邪をひいてはまずかろう、重ね着するから汗をかき、それで風邪をひくチグハグさ。こうやって老いを感じ、向き合い、受け入れ人間は丸みを帯びていくのだろうか。
 朝、お決まりの学園に行くと既にMさんが一輪車をもって庭掃き中、≪昨日 なにやってたの?ずる休み?≫と聴かれ≪これだよ≫と合掌手真似で伝えると≪葬式多いな~!。頑張ってください。ハイ お金≫、両手を出してお茶代を請求された。
 もう一人のNさんは 私より若いのに自分で定年を決めたらしく、給与は受け取らず、気の向くままの作業?する。更に、Kさん、事務所でハンコ押しの仕事を受注してから私と一緒に作業するのは血相変えて拒絶する。
 あああ! いい気なもんだ。 これが”自己決定支援”と言うのでしょうか?巷では 人権問題が噴出、大変な騒ぎになっている。支援・指導の日本語も微妙となり、”される側”と”する側”、これも差別といえば、そうなるのかも。
 昨日は 宗派長者番付 3300名の僧侶の中での東の正横綱 世寿95才 長い間 お世話になった住職の本葬儀があって 参列した。とても明るく面倒見が良かった方で、当日 朝から一点の雲なき快晴だった。
 急がば回れ・・・・!

3545:再生物語

 自分の体を気遣うようになって 誰もが思い当たる節を捜し求める。暴飲暴食、働きすぎ、考えすぎ、遊びすぎ。。。。過ぎたるは○○如し・・・・、そう感じた時に 自らの生き方を変えることができるか否か? 恐らく 時と共に忘れ 元の木阿弥になる方が多いのではなかろうか。
 物語には 散文と韻文があり、好まれるのは韻律に囚われず 自由に表現したものが主流かと、でも 本を読む人が確実に減っている。時間が無いわけでなく 他に代わるものがあるからかも知れない。日本語は実に多彩、それを巧みに使って文章で表現するのは至難の技、能ある鷹は爪を隠すのは過去の遺物か 己の実力以上に自分をPRする輩は後を絶ちません。再生物語・・・ 題材は自らの体験が源泉だ、生きづらさを感じている人は多い、引き籠もり、世間との間に高い壁をつくって 息を潜めて生きている。これも ある意味では表と裏が共存している今の社会の実態でしょうか。共存の意味が違う。明日は我が身と不安を抱える。この国が長寿社会を迎えた時 全てがバラ色かと思った人はいまい。それが実証され 出口が見えない状況が現在も進行形ということだと思っている。
 ですから やたらと”再生”という言葉が目立つようになったのではないだろうか?
  ・・・・『論語』には、「天に罪を犯してしまえば、いくら祈っても無駄だ」とあるが、わたしも自分の行いがお天道さまに恥じないか否かいつも考えている・・・云々。(『論語と算盤』現代語訳:渋沢栄一著、P113)
 仮想現実やAIの進歩が罪や祈りとどのように折り合うか 全く先が読めません。科学や経済の進歩を図る上でその基軸に置かれるべきものでは無いということは薄々感じているのか 今世紀最大の再生物語を多くの人々に読み伝えていく責任が大人達にあるのではないでしょうか!
 
 
 自由を履き違いした経済第一主義がこの地球上を我物顔で闊歩する。確かそれで獲た財貨で世を良くして明るくしようと、先人たちは考えた。今は どうだろう?虚偽や誇大表示、何を信じて良いか 判らずにひた走る。信義無き事業拡大、いつになったらその烈風が吹き止むか?
 これって再生? じゃ~無いよね! 悲鳴に耳を傾けなきゃ~。どこかで道を誤り、目指す方向を見失う。始める前から 予測できたこと、己の欲望を満たすことに偏り過ぎれば 恐らく一日なりとも 安寧をえることはできまい。結果は仮想の世界に現を抜かす。
 そして 二進も三進も行かなくなり 天を仰いで苦笑する。こうだとしたら 再生物語でなく 題名を変え”失望名言拾遺物語”・・・・・・
 否 否  否!!!  一条の閃光は誰にも射すはずだ! 要は その光をどこに見るかで 与えられた五感を働かし見つけ出す。、今日からでも良い、やらぬより あきらめるより ずっとずっと良いはずだ。未完の再生物語、悪しからず、再版は未定 敬って白す。 

3546:質朴さ

 虚飾なく、世間ずれしていないことを”質朴”と言いますね。生まれた時は、誰もが何も身につけず裸のまま、成長しながら 段々変わります。体が大きくなるばかりではなく、様々なことを体験しそこから身についていく。その中でも人との出逢いは、老いて振り返ると その重要さを実感すると思います。人生 順風な時ばかりではなく、苦境に陥った時にこそ その人の存在が大きい。人間関係は、恨み、妬み・・・感謝 尊敬・・・喜び・悲しみ・・それぞれに違って当たり前でしょう。
 でも 共通する魅力が何かと考えると、人の”質朴さ”では ないでしょかね。素の儘だから、慢心がなく、その人の身の丈にあった生き様に安心を感じます。ハッと気付くことがありますよ。 質実剛健というコトバは、飾らず 誠実な人で逞しい人になる。その逞しさは おそらく後付けですよ。飾らず誠実が元(土台)にあり、その評価が剛健となった。
 剛健が元で、質実が後ではないということです。
 私は 知的に障害を持っている人達と長いこと接してきて いま確信できるのは この事なのです。虚飾なく、世間ずれしていない”質朴さ”  まさに一条の光と言っても良いのでは無いでしょうか。私達は その事を長い間、忘れていたのでは 無かったでしょうか!知らなかったでは すまない。(知行合一)
 
 
 知識と行為は 一致していなければならない。(知行合一)先哲の教えです・・・・が、 どうでしょう!理想と現実の乖離、これは 最早パンデミックの状況を呈していると思える。仏教でいう八大地獄、そこに描かれる背景は、今の世にどれだけ影響力を及ぼしていることだろうか・・・・奈良・興福寺の阿修羅像が復元されました。光明皇后によって、 造られた八部衆(釈迦の眷属)の中の一体 阿修羅像が最新機器を駆使し修理復元されたのです。仏像に込められた思いが次々に明らかにされて行く中で現代人が失いかけているものが見えてくる 約1300年の年月を隔て、令和の時代に生きる私達が嘗ての天平文化(京都→奈良へ遷都)から学びやるべき事は 律令を統治の基本とする国家づくりを一からやり直すことだと思う ・・・・・・・・。
 人の力で自然環境を変えてまでして、大都市中心の律令国家を理想とし、そこに安住の地を造ることだったのでしょうか?永田町や霞が関で現実に起こっているいることは核心のみえない その場凌ぎと見栄見栄の票欲しさの忖度政治、それに翻弄され続ける行政庁の無力感、だとするならば彼らに”質朴さ”を殆ど感じないのは当然の帰結
 危機にあって 真逆のことは自粛要請する人達が 自分達は経費カットをせず、当初予算に計上しているからと そのまま執行するという生ぬるさ。これ一つとっても 今の政治が相当の時代遅れなのは明かで、 政治家の中より”阿修羅”となる者が誰一人として出ないという無様さを世に知らしめている。・・・・情けないのは、その考えさえ持ち合わせていないことです。

3547:ロールモデル

自分にとって具体的な行動や考え方の模範とする人物をロールモデルというそうですね。ゴルフ好きに関わらず 松山英樹がマスターズで優勝したことは過去の日本人の誰も出来なかった快挙、4日間で 最も少ない打数で終わった。このニュースは即 世界に流れた。実は日本人には 珍しいことでは無いことが世界の賞賛の的となったのです。それは大学の後輩の早藤將太さんが長く松山のキャデイを務めていて、その彼が一打差で優勝が決まった最終ホール、いつものようにピンを立て 脱帽し深々と頭を下げた。この動作が賞賛の嵐となった、ゴルフに対するリスペクトだ!と、・・・・・。 この反響は二人にとっては思いがけない事だったに違いない。勿論 優勝した松山が主役、彼がグリーンジャケットに袖を通す姿は実に感動的だった。日本の若者のスポーツ界での活躍が ここにきて目立っている、 テニスの大坂なおみさん、水泳の池江璃花子さん 挙げれば切りが無い
  彼らに共通しているのは、謙虚さとスポーツに対する尊敬の思いを併せ持っていることです。
 コロナ禍が一向に収まらない中でオリンピック開催の是非が問われている中で 彼らの直向きな挑戦に、多くの人々が勇気をもらっている。
 そして 彼らに共通する虚飾なく、世間ずれしていない”質朴さ”を 学ぶのは 寧ろ国の中枢に長いこと座してきた人達では ないのでしょうか! 
 
 感染の拡大は、ブラジルやインドにおいて 際立っています。日本はどうなのか? 誰しもが気になる所です。 一国だけで感染者が出ないから安心ということは 絶対に有り得ません。最早、国を跨ぐ人流を止めることは出来ませんから。
 これは良く分かっていることなのに、我先にという思いが益々強まってきているように思います。
 根本的に今の日本の在り方を見直さなければなりませんよ。政策が 末端にまで届かない状況が随所にみられます。ワクチン接種の遅れは ワクチンの自国開発が進んでいない事が最大の原因でしょう。更に某自治体で起こったワクチンの破棄処分???? これは数量の問題ではなく、先例のように、言った言わないで片づけられてしまうのでしょうか?組織が硬直化し臨機応変の対応が取れない原因は 何なんでしょう!教育?それとも”恐れ”???
 ロールモデルが有って無きような状況を繰り返したツケではないでしょうか?病巣は 言われている以上に深刻となっています。金とヒトを動かす二大権力をある部署に集中させたことによる後遺症で変異を繰り返し地方にまで拡大していると思います。
まさに コロナ禍と同じ様相ですね。
 地方に任せると言っても、ヒトと金を掴んでいるのは どこなのか?報道規制や脅しの有無?・・・・疑えば切りがない
 砂金を人力で掘り出した頃と金塊の価値は今とは比較になりません。最も恐れることは、金そのものでなく それを使う人の"”でしょうよ、辞書には道義・条理・意義・教義・・・とありますが摘み食いでは行が悪い。
 

3548:第4波~

 様々な憶測が飛び交い、右肩上がりの感染者数の増加、日々更新され、あっという間に全国で4000人を超えた。いったい どこまで拡大するのだろうか? 我々は素手で闘っていると言う某知事の話、ワクチン手配が思うように進んでいない現状への不満か? 事態が改善する見込みはなく、相変わらず自粛をお願いレベルで行っている状況に国民の不満が鬱積している。
 ドイツのメルケルさんの人を引き付ける演説とは比べられないが、その対応で明らかになったのは、休業要請したその補償の内容に大きな違い。職種に差をつけず一律5000ユーロを助成したドイツ。一方 日本は国民公平には一時金を配った。その金額は5分の一に満たない。それと仕組みが複雑すぎて判りづらいこと。 現在 ドイツは一日感染者2万人という数になっている。まだ日本のほうが良いと思うか?
 違います。第4波がそこまで感染拡大した時 今の対応で耐えられるかということなのです。 日本とドイツと比べPCR検査数と受検の方法が違うことをみても 政治に対する信頼に大きく差を付けられたと思う。一年以上経過し トップが約束した通りに進んでいるのでしょうか? 国民の不満は まさに此処(知らない&記憶にない日本型弁証法?)にあるのです。敢えて言わせてもらえば 今に始まったワケでは無いのです。
 
 ≪重箱の隅をほじくる≫という日本語がある。決して褒める言葉ではない。先ずは自らを戒しめねばならない。立場ある人の失言が目立つ、多過ぎて逆に慣れてしまった感がする。だが 確実に信頼が落ちてくる。今の日本の生ぬるさは 問題になった当事者の責任の取り方、あるべき民主主義との乖離。法事国家の法が 揺らいで見える。三権分立の形骸化(?)? 中学校の授業で学ぶ教科書に書かれていることを特に公職にある人達が再学習するべきだろうね。民間には未だ厳しさがあります。
 記憶に無い。・・・無ければ許されるのか? 二度と同じことが無いよう全力で責任を果たす。・・・・・三度したらどうなんですか? この辺の事は文科省認定の教科書には付記しなければ、子供たちは迷いますよ。
 これぞ説明責任!
 教育制度改革には、知識偏重の是正や小中高の一環教育等々があるようです・・・・ 戦後の復興を成し遂げた(?)ニッポン、今までに先送りし遣り残されたものがあったはず。それが充分に議論がなされていると考えているのでしょうか。
 国の大事を決めるのに(一億総活躍を使う場所が違うのでは)、秘密裡で記録に遺したとしても内容の改ざんを許した・・・・・。この責任はこの国の大きなハンデイとして残されています。
 誤解無き様に ”中道”という釈迦の教えは、無条件ではありません。則ち 正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定(八正道)が条件です。勿論 優柔不断・二股とは 真逆の実相です。

3549:座礁のリスク

 日本人がコロナ禍とどう向き合ってきたか?最初の衝撃は大型クルーズ船でのコロナ感染だった、寄港地になっていた横浜港では自衛隊を導入し感染拡大を阻止しようとしました。あれから もう一年以上が経ちます。あの船に乗っていた人達は今どうなったのでしょうか?その後 瞬く間に、世界中に感染が拡がり、今では1億4千万人の感染者数に至っています。実際は これ以上の数になっていることは明らか、 情報の信憑性は国によって違いがあるからです。
 世界では様々な事が起こっています。恐れていた事が現実化したスエズ運河での大型貨物船の座礁、これによって 完全に運河の機能が止まった。現在も補償問題が未解決で船が差し押さえられています。
 リスクと安心は背中合わせ、 どのような備えをもってしても万全ではなく、全てを失うリスクは常に存在します。
 国家の座礁、船長(トップ)の判断ミスによって起こり得る。それを防ぐためにある機能(プラットホーム?)が上手く働かないとすれば 船と同じ結果を生むはずです。 日本が背負った過去の補償で、その最大のものは76年前の敗戦によって受けた損失、最貧国となった日本が今 こうして存在できている事を日本人がどう考えているかでしょう。誤りの最大のものは真実を伝えることを避けてきた国策、そして国を動かすリーダー達の常識外れた言動、答えを持たない 議論、有限の時間の浪費、これこそが 国家座礁の最大要因でしょうよ!・・・己事究明  為人度生・・・(仏の窓)
 
 平時に備えをしなかったツケは コロナ禍の出現で、経済最優先の既定路線に様々な壁が立ちはだかる。違いますか?人間のより速く より強くへの飽くなき欲望は用意されたルールを度外視し 様々な理由をつけ 破棄してきた。これってコロナからみたら どうなのか?お前たちは、この地球上で公平に与えられた自然環境を我物顔で変えてきただろう!。・・・・と。表裏一体か二律背反か???
 最近よくみかける”プラットフォーム(ホーム)”というコトバがどのような意味で使われているのでしょうか?ITの世界では”基盤”とか”動作環境”をさしている、つまり 様々なアプリを動作させる環境(OS)のこと、これを転じて 官公庁で施策をつくる際の土台という意味になった。不具合があれば 修正する事が大事な役割(三権)となるのです。ただし、相手が機械か人間かの違いがあるので勿論、単純ではありません。そこにルールを考えた。
 実態は 今更 言うまでもありませんが そのルールを守るか破るか??。
人間の為すことで完璧は有り得ないわけですよね、ですから、うまく”調和させる力”が問われる訳なんでしょう。有事か平時かの判断の根拠は コロナではなく 己自身がどう上手く環境に調和できるかじゃ~ないでしょうか?
 そうでなければ これから先も次々にコロナに変わるものが出てくるでしょう!これは真理です。

3550:二律背反

 哲学的な解釈は 実に難しい。普段 私達が 何気なく使っているコトバで傷ついたり、喜んだりしているものです。自粛か緩和、投資か還元、二つの相いれない命題でしょうか?どうも両立させることが困難。でも これは どこにでもあって起こり得ることです。。
 自分には無理だと 最初から白旗を揚げてしまう人もいる。。これも 時と場合によりますね自分の身に降りかかるとなれば そうはいくまい。その頂点に”死生観”がありますね。
 事理明白・・・事理は仏教で 本質(真理)と現象(事物・事象)をいうそうです。真理を掴みたいという欲求は誰しもが持っている、これを嫌って”や~めた~”とは中々できませんよ。事理明白とは あれこれと探し求めることが生きている証だと思うか否か!。生きている事自体が真理と・・・・・・。
 その堂々巡りの中で生まれたのが”宗教”だと思います。
 今世はing進行形、来世もそうであって欲しいか否か、『・・・かまえなし』と 境内墓地の某墓石に刻まれている。日本人のルーツを辿れば 縄文人が先ず浮かびます。狩猟により定住せず移動しながら生きた時代、その時代の人々の考えを『円環状思想』というそうです。
・・・・自然界には区切りが無く、すべてのものが互いに深くつながって存在するという考えです。・・・ よく人生を道に例えますが、その道が直線か円環状線か? 円ならば二律背反の分岐点は無くなるかも・・・・。そう思いませんか。
 
 「森林の思考・砂漠の思考」・・・・昔 読んだ本、古希を迎える歳になり どのように自分が変わっただろうか?大層らしく、仏教者一僧侶としてどうなのか? 再び読みたくなりました。森と砂漠の違いが歴然としていた時代から 今は地球環境の変化によって、その境目がハッキリしなくなってきたように思います。それも短期間に・・・・。草木が新芽を出すことも無い過酷な環境にあれば 輪廻転生(円環)の考えは生まれず一回キリの人生(直線)を先ず考えるのは自然でしょうね。 真理と事象混交の中で、強かに 限られた持ち時間の中で 自らの生を高めたいと望むのも自然でしょう。
おそらく それも 自然から学んだことのはずですね、寺に杉ゴケを植え 雨の後の濡れた新緑を楽しんだのも糠喜びとなった、いつの間に 全く違った種類のコケ(?)に生え変わってしまった。耕作しなくなった田畑 一年を待たず雑草で覆われる。
 この自然の再生は 砂漠の灼熱乾燥の地では望めない恵みです。名の知れぬ雑草だって酸素を出し地球の環境に貢献している。何十億年という果てしない営みの歴史。
 もういい加減にして 二律背反と決めつけるより 人間自身が生き方・考え方を変えることしか無いと気付きませんか!。
 バロネスで草刈りをしているとカラスが集まってきます。最初はなぜか判らなかった。鳥たちは 人間が草刈りした後はエサになるミミズや虫が獲れることを知っているんですね。 小鳥たちは カラスがいなくなってから飛んでくる。鳥たちは体を壊すほど沢山獲らないことや 独り占めしないことをお互いに弁えているように思えます。それが どうでしょう人間の強欲と浅知恵は ・・・・・・。
  無差別&公平 ・・・・ 人間は 自らその物差しを有しないばかりか 差別&独占を 大義 とした仮想現実の演目を観客のいない劇場で自作自演している。あまりにもロングラン興行で。